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「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察」

西田 恭治・福武 勝幸 2008/10/10
山本 崇記・北村 健太郎 編 20081010 『不和に就て――医療裁判×性同一性障害/身体×社会』
生存学研究センター報告3,199p. pp.71-77

last update:20100605

初出:『日本医事新報』平成8年8月31日 No,3775、pp.53-55

はじめに
 エイズの原因ウイルスであるHIVは、感染力が比較的弱く、また、その感染ルートも限られているにもかかわらず、最初の患者が1981年に報告されて以来、瞬く間に世界中に伝播した。日本においても、輸入された血液凝固因子製剤、あるいは、輸入血漿(けっしょう)を原料とする国内製造血液凝固因子製剤により、主に血友病患者に被害がもたらされた。その被害は血友病患者全体の約4割に及び、総数は1800名を越える。1989年から提訴された東京・大阪のHIV訴訟は、この3月、全員救済を目指す和解という決着を迎えたが、それによっても、被害者やその家族、遺族の深い怒りと悲しみが癒されることはないであろう。  本来は、出血による苦痛を取り除き、血友病性関節症などの後遺症を減少させ、また時には致命的な出血から生命を守るはずの血液凝固因子製剤が、HIV感染を惹き起こし、その結果、血友病患者の死亡原因の多くが、出血からエイズに移行するという悲惨な現状を招いている。その原因がどこにあったのかを合理的に検証する作業が、同様の被害を繰り返さないためにも、今後の医療全体のためにも必要である。我々は、当時、血友病治療に携わった一員として、それを行っていきたい。
 輸入血液製剤によるHIV感染に関しては、検証すべき幾つもの問題点が存在するが、本稿では、まず、その発生当初──厚生省エイズ研究班の発足を筆頭に、日本でHIVの伝播が初めて本格的に論議の対象となり、しかも、その後の展開を大きく左右したと考えられる1983年当時──の状況を中心に見直してみたい。

1 血友病とエイズの接点
 当時の状況については、これまでにいくつもの見解が出てきたが、そこには二つの重要な認識が欠けていたと思われる。第一は、「医療行為の比較衡量」を用いること。つまり、医療行為は、すべからく長所と短所を併せ持っており、ある時点における科学的知見に基づいて推測される両者の確率と重要性を掛け合わせて、その取捨を比較検討しなければならない。第二は、「現在(後年)の知識による過去の現象の判断」を避けること。即ち、困難な作業となるものの、あくまでも“当時”の視点を再現して、物事を捉えなければならないのである。
 まず、血友病とエイズにとって、1983年がどのような年だったのか検討する。1981年度の疫学的資料の最初の報告以来、エイズ患者の多くは、同性愛者あるいは両性愛者の男性、および静脈注射による麻薬中毒患者と考えられていた。これらの集団は、(血液を通じての感染が多いことで知られる)B型肝炎ウイルスに感染する頻度の高い集団と等しかった。このため、エイズの発生もB型肝炎と同様に血液のルートで伝播するのではないかとの仮説が立てられた。1982年の血友病患者に発生したエイズ患者の報告はこの仮説の信憑性を増すものではあったが、疑問点も残っていた(*1*2)。
 一方で、米国のトラベノール社は、肝炎ウイルスを不活化する目的で、凝固第[因子製剤を加熱処理する方法の開発を進めており、これによる製品(加熱凝固第[因子製剤)は、1983年3月に米国で認可を受けている。しかし、同社(他社も含めて)の非加熱製剤は、この時点で使用(製造)が打ち切られたわけではなく、その後も加熱製剤とともに使われつづけた。1984年9月には、HIVに対する加熱処理の効果が確認された(*3)。それでもなお、1985年2月に「加熱処理製剤のみを使用した患者にはHIV抗体陽性例がない」と文献報告(*4)が行われる前後までは、非加熱製剤と加熱製剤は並行的に販売されていた(米国のトラベノール社は、1985年6月の時点で、非加熱製剤の製造中止と市場からの回収を医療施設に通知した)。こうして、米国においても多くの血友病HIV感染者(血友病患者全体の7割弱)が発生するに至った(*5)。

2 なぜアメリカで非加熱製剤が継続使用されたか
 どうしてこのような事態となったのかを推測すると、米国の血友病専門医の意思決定には、以下のような要因が働いたと思われる。
 米国では、加熱製剤は非加熱製剤と比べて高価で、患者への負担が大きい場合もあり、また、供給量も不十分であった(加熱製剤が高価であった主な理由は、加熱によって[因子活性が低下するため、必然的に、より多量の原料血漿が必要となるから)。
 当時まだ正体が明らかでなかったエイズの病因に対して、加熱処理の有効性は“期待”に過ぎず、確証はなかった。事実、不十分な加熱条件の製剤では、HIV感染がその後も報告された(*6)。また、当初の目的だったB型肝炎ウイルスの不活化には有効だったが、非A非B型肝炎については、無効と判明した(*7)。
 血友病患者のエイズ発症の増加が報告されていたものの、米国の血友病患者の0.1%以下にとどまっていた(米国における血友病患者1万5000?2万人中、1982年には7人、1983年に11人、計18人の発症報告例(*8))。このように、当時の血友病患者におけるエイズ発症の頻度は極めて低かったため、たとえ非加熱製剤に推測されるエイズ伝播の危険性が皆無ではないとしても、止血治療による総合的な患者個人のQOL(Quality of Life)維持・向上のためには、使用を継続するほうがメリットが大きいと考えた。
 1983年(*9)、および1984年(*10)にNHF(全米血友病基金)とCDC(米国防疫センター)の共同で示された「ヘモフィリアインフォメーションイクスチェンジ」や、1983年7月にストックホルムで開かれたWFH(World Federation of Hemophilia)会議は、一定の条件を設けながらも、「非加熱製剤の継続使用は必要」との決定を下した(なお、隔年に開かれるWFH会議は、現在に至るまで、HIV問題を含め血友病に関する諸問題が討議される場であり、国際的な情報と影響を提供し続けている)。

3 見かけは低かった感染率
 次に、当時の日本の状況を振り返る。前述の通り、加熱製剤のHIV不活化効果に関しては、未だ証明はなされていなかったものの、血友病専門医も、その効力に対して期待を抱き、その期待は、加熱製剤に起こり得る短所(タンパク変性など)への危惧を上回っていた。ただし、国産の加熱製剤はまだ無かったのだから、これを使用する場合は、必然的に輸入に頼らざるを得なかった。
 しかし、1982年の日本の第[因子製剤の生産販売量の約9500万単位(この使用量については、多すぎるとの議論もあるが、患者一人当たりの使用量を欧米と比較するとまだまだ少ない量であった)を、トラベノール社の加熱製剤を緊急輸入することで速やかに補えたか否かは、大いに疑問が残る。したがって、国産加熱製剤の開発も急がれるべきだった。実際には、トラベノール社の治験までもが、国内メーカーと同じ1984年まで遅れたことの原因については、我々の反省も含めて、なお解明されなければならない。
 臨床現場では、日本国内での公式に認定された発症報告がなく、米国からの情報も前述のごとく0.1%以下という発症率の低さであったため、非加熱製剤を使いつづけることによるエイズの危険性と非加熱製剤を使わないことによる出血の危険性・QOLの低下を比較衡量した結果、大半の医師たちが“当面、十分な止血のためには、非加熱製剤でも使い続けることのほうがメリットが大きい”と判断した。患者に対しても、「安全だ」「心配ない」と説明し、非加熱製剤の使用を継続した。
 長期の潜伏期間が確認されれば発症率の低さは感染率の低さを意味しない。しかし、1983年当時は、エイズの原因がウイルスであるとしても、その潜伏期間は数ヶ月から2年程度と推測されており(*11)、長期(数年単位)におよぶ未発症の感染者──即ち「無症候性キャリア」の存在を想定させるに足るデータは乏しかった(その後も、エイズの一般的な潜伏期間は、症例が増すにつれて5年、7年、10年と変動し、より以上の長期未発症者も多数確認されるに至った)。いずれにせよ、この時期には、「発症例が無いあるいは少ない」ということは、「感染例が無いあるいは少ない」ということを意味するに近いと考えられていた(日本では、一部の病院に保存されていた血友病患者の血清のHIV抗体検査を後年、行ったところ、すでに1979年にHIVに感染していた例も確認されたが、43人の検査結果に基づく限り、HIV抗体陽性となった時期の平均は1983年と推測されている(*12))。

4 周知されなかったクリオプレシピテート治療への部分的変更
 既述のように、総ての医療行為には予想し得る長所と短所が共存し、それらの推測される確率と重要性を掛け合わせて比較検討する。個々の医師が全く独自の判断で選択を行い、それが結果的には正しい決定として裏付けられる場合もあり得るだろう。けれども、より確率的に失敗の少ない選択を行うためには、医学的に広く認められた見解に基づいて判断することのほうが一般には望ましい。
 その意味で、1983年における我々が臨床現場で決定のよりどころとしたのは、一人の血友病の“権威者”ではなく、海外の疫学的資料や文献、また、CDCやNHF、WFHの打ち出す方針であった。そして、大部分の日本の医師たちは、日本でも発症の可能性のあるエイズの危険性を考慮して非加熱製剤の使用を中止するよりも、当時の方針に基づく継続治療の方が、患者のQOLの維持・向上に貢献するとの選択肢を選んだのである。
 確かに、それらの政府機関や組織は、「非加熱製剤の使用を変更すべき確実な証拠はない。非加熱製剤による治療を放棄してはならない」としており、その使用禁止を勧めはしなかった。けれども同時に、少ない第[因子投与量でも十分に止血可能な体重の軽い新生児や4歳以下の小児、軽症者、また、それまで血液製剤の投与を受けたことのない患者らに対しては、クリオプレシピテートでの治療を勧めていた。
 つまり、米国においては、比較衡量の観点から、一般の血友病患者は非加熱製剤の使用を続けるとしても、一定の条件枠に属する患者については、クリオプレシピテートを使うことのほうがより安全とされていたのである。
 我々を含めて日本の血友病専門医も、以上の認識は持っていたと考えられるが、それを一般医に知らせる努力を怠ったことは否定しがたい。もし、この趣旨の勧告が何らかの方法で日本中に伝えられていたならば、当時、クリオプレシピテートの投与で十分な止血治療の可能だった乳幼児や軽症者の多くが、より安全な選択肢をとることができたであろう。
 わが国において、成年や重症の血友病患者も総じてクリオプレシピテートへ即座に変換することが可能だったか否かについては、供給量との関係などを含め議論の分かれるところとはいえ、少量の製剤使用で十分な“一定の患者”に対するクリオプレシピテート移行の勧告を行うことは、当時の血友病専門医が一致して成し得た、数少ない選択肢だった。

5 国・メーカー・医師の失敗
 とにかく大部分の臨床現場では治験開始までは非加熱製剤が使用され続け、1984年の治験開始後は、血友病患者の約1割が加熱製剤に移行した。1984年後半から1985年にかけて、研究的HTLV-V(現在のHIV)抗体検査の実施などにより、血友病患者のHIV感染が多くの予想を越えて広範囲であることが明らかになり、1985年7月、加熱製剤は認可される。その認可は、他薬剤と比べて異例の早さだったとはいえ、事態の深刻さを思えば、加熱製剤の効果が実証された時点で速やかに治験を終了し、より早期に認可が下されるべきであり、血友病専門医は、自らそれを提唱すること、また、他分野の医学者あるいはマスコミ等を動かすことも可能なはずだった。
 しかし、加熱製剤の供給が始まってからも、旧非加熱製剤の使用禁止ないしは回収の命令がなく、遂にその使用中止に至らなかった医療機関もあった。また、一部で行われた自主回収自体、医療機関止まりで、在宅療養中の患者の自宅冷蔵庫まで及ばなかった場合もあった。
 これらは、既に非加熱製剤の危険性を十分理解していた国、製薬メーカー、医師らの明らかな失敗であり、その後の非加熱製剤使用による新たなHIV感染については弁解の余地は全くない。また、短時日で認可されたとはいえ、1985年8月以降に実施された加熱濃縮\因子製剤の治験は、当時の比較衡量からも全く不適切であった。

おわりに
 冒頭に述べた通り、輸入血液製剤によるHIV感染については、なお多くの検証すべき問題点がある。例えば総論としてインフォームド・コンセントの問題、また、各論として告知の問題、非加熱製剤の回収措置の問題、非血友病患者の感染(いわゆる“第四ルート”)の問題、等々。
 今後、以上の問題点についても、本稿と同様に検証を行っていきたい。現在もHIV感染と闘っておられる血友病感染者の方々のみならず、既に亡くなられた被害者や幸いにしてHIV感染を免れた血友病患者の方々のためにも、なお検証を続けられなければならないと考えている。


■註
*1 Davis KC, et al.: Ann Intern Med, 3: 284,1 983.
*2 White GC, et al. : Ann Intern Med, 3: 403, 1983.
*3 Levy JA et al. : Lancet, 2: 722, 1984.
*4 Rouzioux C, et al. : Flancet,T: 271, 1985
*5 Dennis H, et al. : AIDS Clinical Review, 3, 1989.
*6 CDC. MMWR, 37: 441, 1988.
*7 Colombo M, et al. : Lancet, 2: 1, 1985.
*8 CDC.MMWR, 33: 661, 1984.
*9 NHF. AIDS and hemophilia: Questions & answers, Hemophilia in-formation exchange. August 23, 1983.
*10 NHF. AIDS and hemophilia: Questions & answers, Hemophilia information exchange. September 1984.
*11 CDC. MMWR 1983; 32: 101.
*12 三間屋純一他: Natural History委員会研究報告、平成2年度HIV感染者発症予防・治療に関する研究班研究報告書, p9: 16.

(東京医大臨床病理学教室)

*作成:北村 健太郎
UP: 20100605 REV:
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