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彷徨えるアイデンティティから民族を超えたアイデンティティへの要求
─スリランカ農園部のインド人移民の異なりと自由

Atsuko Isobe 20081015 生存学研究センター報告4 530p
『多文化主義と社会的正義におけるアイデンティティと異なり
 ――コンフリクト/アイデンティティ/異なり/解決?』


last update:20101124
彷徨えるアイデンティティから民族を超えたアイデンティティへの要求
  ─スリランカ農園部のインド人移民の異なりと自由
磯邉 厚子(立命館大学)

要旨:
 スリランカ民主社会主義共和国は、1948年の独立当初から福祉政策に取り組み、識字率や平均寿命などの人間開発指標が高いことで知られている。民族はシンハラ人、スリランカタミル人、スリランカムーア人、インドタミル人などであり多民族、多文化社会である。一方、経済や社会コンディション、保健指標の地域格差が大きく、それは都市・農村・農園の順となっている。報告者は2006年保健医療職の立場から、出生時低体重児や死産などの母子保健に関わる課題が多くみられる農園で妊婦健診を行った。その結果、農園に従事する女性はそうでない女性に比べ、貧血率が高く、同時に教育度や収入、健康の自己管理能力が低いことがわかった。女性の不健康は身体的、精神的に脆弱性をもたらすと共に、それは自らの成長とアイデンティティの形成にも影響を及ぼす。農園に従事する多くの女性はインドタミル人であり茶摘み労働に就いているが、彼らの祖先はイギリス植民地時代に南インドから農園の契約労働者としてスリランカに渡った人々である。植民地支配下の農園労働は過酷なものであった。人々は最大利益を求める経営者の下で厳しい労働を命じられると共に、閉鎖された農園コミュニティでの生活を余儀なくされた。さらに19世紀後半のシンハラナショナリズムの台頭と相俟って排斥運動の的になった。今もなお人々は山間部の集落に暮らし、低賃金、昇進の機会のない労働条件、低い福祉環境の下に居る。
 最近、ようやく人々の間に市民権の取得、教育や保健制度が普及するようになった。一方で女性や若者が農園労働を好まず、農園外での雇用を欲するようになった。都市への移動が可能になったことが考えられる。親も子どもの教育に関心を寄せるようになり、将来子どもが農園以外の仕事が出来ることを望むようになった。本稿では、今なお続く農園の労働構造の遺産を「異なり」として捉え、インド移民にとって彼らの異なりとはどのようなことか、今後農園社会が変化していくうえで、人々にはどのような変化が期待されているのか、人々のアイデンティティの側面から考察してみたい。
2006年、立命館大学の行った農園でのワークショップで、参加者は「自分の子どもには農園労働者になってほしくない」、自身も「農園労働以外の雇用なら何でもよい」と口々に述べた。長い間の農園社会での暮らしは、彼らのアイデンティティの形成に大きな影響を及ぼしたに違いない。彼らはインドタミル人としての民族差別、シンハラ人社会における排斥、スリランカに昔から住む北部地域のスリランカタミル人とも区別され、社会階層の底辺に位置付けられた。農園の労働組織では末端に位置付けられ、それらが彼らの職業的アイデンティティに影響し、農園から脱却したいと願う否定的な職業観に繋がっているのではないかと考えられる。
 本来、人は自分の生まれた土地や社会の中で自己の意識や社会行動を影響、成立させ、成長発達し、アイデンティティが形成される。それは様々な対象を主体的に同一化し、秩序付け統合することにより自分を位置付ける。すなわち社会や文化の中で(良きにせよ悪しきにせよ)他者との相互作用に影響されアイデンティティ(自分らしさや自己の固有性)が形成されていく。子孫に継承できる伝統文化や精神文化、住む人々の自信や誇りは肯定的な社会の中で生まれる。一方、人がアイデンティティを意識するとき、むしろ否定的なアイデンティティを抱えたときにそれは強く意識される。人々の祖先は外部社会との情報手段がなく、社会的・経済的機会は欠乏し、人の選択肢をはく奪された状態であった。何かを成し遂げようと考えたり、様々な生き方を選択する機会は乏しく、むしろ抑圧・隷属化した社会の中で彼らのアイデンティティは形成されてきた。言い換えれば自己の生き方や自分らしさの追求が困難な状態であった。そして故郷であるべきコミュニティは所有感や安心感をもたらす存在ではなく、むしろそこから脱却したいと望む場所となった。 人は自己の安全保障への要求が容認されたり、能力向上の機会を得ることを要求したりする経験を得ることにより、自己とは何者か、どう生きたいかの追及への要求が強くなる。それはどのような自己を形成していくのかの発達の機会となる。第3世代の人々は農園で生まれ育ち、帰るべきコミュニティは農園である。しかしそこでは生活や安全保障が十分ではない。人の生活のよさ(well-being)は個人の自己実現が追求できることであり、自己のアイデンティティを追求できることである。そのためにはある社会において自己決定や他者との情報交換、社会参加が自由にできることが必要である。しかし同一文化社会であっても、隷属化したコミュニティでは他者との自立的な話し合いは成立せず、そのため人がよく生きるための成長や発達を困難にし、それは人のアイデンティティの形成に影響する。
 昨今、国際間の人の移動が盛んになり、民族や宗教、国籍を超えたグローバルなアイデンティティの形成が求められている。農園の人々にとっても教育の向上や市民権の取得により、一つの文化や一つの社会の中の自己の存在に留まらず、人類社会の一員としての(自由を獲得する)アイデンティティへの可能性が求められている。人々の関心は単に農園労働から逃れようとしているのではない、低い生活水準での安定化した社会の中から、人間として自分は何者か、人間としてどう生きたいか、といった、より積極的なアイデンティティを求めているのではないだろうか。積極的なアイデンティティとは人の生き方やありように関わることであり、そのために自分をどのように位置付け、どのようなあり方を選択するのかを反映するものである。すなわち人のアイデンティティに影響するのは、単に健康や生活(経済)水準だけではない。様々な社会のルールの決定事項に参加できることであり、意思の伝達が妨げられないなどの社会のありようであり、そこに生きる人間の多面的なニーズが含まれる。すなわち様々な生き方を選択できる自由の幅の拡大が保障されることが、人々のアイデンティティの形成に最も影響を及ぼすのである。今、当国において宗教や文化を超えた人間そのものへの問いと、自律的なアイデンティティの形成への努力が国家の役割や人々のひとり一人に求められているのではないだろうか。  





UP:20101123
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