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「ALSと暮らす―在宅移行への困難―」

仲口 路子第13回日本難病看護学会学術集会報告
発表抄録  ワード版  発表パワーポイント

last update: 20151225

「ALSと暮らす―在宅移行への困難―」
2008年度「日本難病看護学会第13回学術集会」報告
立命館大学大学院先端総合学術研究科 仲口 路子

研究の目的、期間、方法についてはスライドをご参照ください。
 今回報告するA氏は、ALS患者である。A氏は、2002年11月頃から体の疲れやすさを自覚するようになり、2004年2月には構音障害や四肢の運動機能の低下が見られるようになった。2004年10月にALSと診断され、それ以降、転院を繰り返しながら入院生活を送っていた。入院後も患者Aの病状は進行し、2005年1月には胃ろうを造設し、また2007年4月には誤嚥防止のため、気管食道分離術を受けた。現在の運動障害は、わずかに首と左手首を動かすことが可能な程度となっている。A氏の状況として「特異的」なことは「家族」の介護力が著しく乏しいということであり、これによりA氏は在宅での生活を断念し、外出も厳しく制限される入院生活を3年以上強いられていた。A氏自身もさまざまなことを感じながらも、ある意味「いたし方のないこと」とあきらめている向きもあったが、「自分らしい生き方」を取り戻すため、独居での地域生活を決意するに至り、2007年8月、病院を退院して「地域」での「自立した生活」を開始した。本報告ではその経緯に関与した「専門家」に照準して、ここに「ある」問題を提示する。
 A氏は2007年1月末に在宅への移行(ようするに「退院」)を「決意」するのだが、ここで、患者および支援者は独自に、ALSの当事者・家族によるNPOと会い、在宅24時間他人介護を実現している患者・家族の制度利用やヘルパー確保策、ALSへの専門医療の現状等の示唆を受けた。この示唆に基づき、障害者の地域自立生活に取り組む当該地域の事業所、市の障害者地域生活支援センター等から障害福祉サービスの現状を調べたりする。これにより、「単身のALS患者が地域生活に移行すれば、重度訪問介護等で月400時間以上のサービス支給が決定されるかもしれないが、どこの事業所もヘルパー不足に悩んでおり、現状の利用者へのローテーションを維持するだけでも精一杯である」などの情報を得た。また、「市内でも区役所によって支給時間の出やすいところと出にくい地域がある。一方で往診医療やボランティア確保の面も重要で、居住地をよく考えた方がよい」との意見も聞いていた。
 そこで、まず当時の入院先であった医療機関(療養病床)のMSW Aに在宅移行(ようするに「退院」)の意向を伝えたところ、「転院や退院はかまわないが、再入院は現在の入院待機者が優先となるので、一旦病院を出るとベッドの保障はできない」などと言われたのであった。そこで、他県では障害者の地域生活において事実上の「自薦ヘルパー」を活用している地域があり、こうしたモデルを活用したいとの意向を伝え、ようするに患者側は食い下がったのだが、どうにも障害施策や障害者への事業所に関する人的ネットワークや関心度が低いのか、積極的に地域生活移行(ようするに「退院」)の可能性や手段、制度利用の検討をする姿勢は見られず、まずは病状の変化に対応するため、A氏はひとまずは転院することが決定し、このMSWは次の医療機関への引き継ぎ業務のみ行った。
 次に登場する専門科は転院先のMSW Bである。Bは看護師資格とケアマネージャーの資格を持っており、退院支援や地域生活移行などのソーシャルワークを専従で行っていた。転院先の病院は約3か月間で退院してベッドを空けることが病院側から事前に求められており、4月末にMSW Bの支援を受け、介護保険の居宅サービス申請を行った。しかしMSW Bは介護保険のケアマネージャーであり、障害者自立支援法における訪問系サービス・事業等の連携や、重度訪問介護制度については活用経験が極めて乏しかった。一方、介護保険サービスの事業所、関連病院、系列の診療所はあり、病院と診療所との連携、神経内科医の往診や訪問看護ステーションからの訪問体制の確保は調整可能だとの回答があった。
さらにさまざまな「行き違い」が発生する中、これまでの経過を勘案し、MSW Bの交渉や調整に任せていると事態が打開できないとの考えから、ケアプランの作成や福祉行政等との交渉を、MSW Bから市障害者地域生活支援センターに移管することとなり、現在は在宅で(療養)生活を送っている。
 ここで、これまでの概要から考え、抽出されうる問題を整理する。ひとつには、「初めから市の障害者地域生活支援センターに繋いでおけばこんな混乱はなかったし、スムーズにことが運んだだろう」ということである。そういった指摘はある水準においては妥当である。確かに、すでにそういった「センター」が存在し、それによって現在の生活が(カッコつきながら)可能になり維持されてもいる。しかしどうだろう。「専門職」に照準して考えた場合、今回の「出来事」はそれほどまでに「特異的な」事柄なのだろうか。現実の問題として、我々「ある専門職」であるという位置から考えて、「一定範囲以上の問題である」にもかかわらず、ここに厳密な時間の制約もありつつ、それについて何らかの具体的な方策を打ち出さねばならない、というような事態は、何がしかの「専門職」にあってはむしろ「日常的」なことなのではないだろうか。
 具体的に述べると、本事例にあるように、MSW Bは「介護保険の」ケアマネージャーであり、介護保険に関わるさまざまな調整は可能であり、問題はなかった。しかしそれは「定型的な」、ようするに家があり、家族があり、といった時の「支援」の範囲としての可能性なのであって、今回のように難病患者であり、コミュニケーションや移動に困難があり、家もなく、家族もなく、といった場合には、現代の日本においてはさまざまな法制度を輻輳的に、すなわち今回の事例でいえば「介護保険」「医療保険(特定疾患研究事業)」  「障害者自立支援」「生活保護」などを適用・併用せざるを得ない状況があり、こういったことごとすべてを調整することは非常に困難である。そしてさらに問題なのは、そういった困難が「ある」にも関わらず、それを踏まえて「では次の段階へ」といった社会的な制度設計が全くなされてはいない、といったことを強く指摘することができる。
 再び本事例に即して考えてみると、MSW Bは患者/療養者やその支援者から見ると(本人がどう感じているのかは今後の調査に繋げたいところであるが)「見限られた」ように写る。しかし、「見限られた」MSW Bから考えてみると、それはそう簡単にたやすく「個人の問題」として片付けられるものではない。それは、E.デュルケムによって「明確なことは、これらの規制が、すべて何らかの個人的利害の配慮によってではなく、よきにせよあしきにせよ、とにかく同業組合的利害の配慮によって鼓舞されているということである。」(注1) と述べられている、そのことに起因する問題である、という解釈が成り立ちうるからである。
 看護師としての専門性を持ち出すまでもなく、「道徳的である」とか「倫理的である」ということは、つねに配慮/熟慮がなされる必要がある。そしておそらく、MSW Bもある種の「責任感」や「誇り」のようなものを持ち、あるいは「そうであるように振舞わねばならない」といった規制に支配されつつあったのではないだろうか。そしてその挙句に「見限られた」のである。その「規制」がすなわち、よく分からないのに、何とかしようとしたり、他の人に容易に相談する、あるいは「限界」を認識し宣言する、またはさらに「人を代える」ということを困難化してしまっている。
 そしてその「規制」は患者/療養者やその支援者にも作用していることも指摘できるだろう。すなわち介護保険に限定されない「ケアマネジメント」は相対的にも絶対的にも、現段階においては「評価」が非常に困難であり、ここには時間的に「一定の」期間が必要であったりもする。そういった中で「これはどうかな」と感じることがあってもそれをたやすく口にすることははばかられるし、「関係がこじれる」ことを恐れる、といったこともあるだろう。このように考察してみると、このような「規制」すなわち「善意の囲い込み」のなかで、互いにどうにも抜き差しならない状況が、はからずも簇生されていってしまう、といった可能性を孕んでいるという重大な問題、を指摘できる。
 本報告では「問題」を指摘することが主意であるので、具体的な解決策については非常に浅薄ではあるが、ひとつには「その人」がすべてできるようになること、が考えられるだろう。これはこれで追求されるべき課題ではあるが、一定の範囲での限界があるようにも思われる。そうすると、そういった各事例についてのプロセスを、当事者たち以外に「知る」人がいて、そこに容易につなげるような「開放の動き」が必要だということになるだろう。じつはここにも重要な論点があり、それは「他者を対等に見て、リソースをつねに探し持つ」といった看護学じたいの変容をも含みうる問題があるようにも思われる。

注1:1893.Emile Durkheim [De la division du travail social]=1989.04.10.井伊玄太郎 訳「社会分業論」講談社学術文庫.p41.


*作成:近藤 宏
UP:080901 
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