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1990年代〜2000年代における「寝たきり老人」言説と制度

死ぬことをめぐる問題

仲口 路子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
北村 健太郎(立命館大学衣笠研究機構ポストドクトラルフェロー)
堀田 義太郎(日本学術振興会特別研究員)
200806**  福祉社会学会第6回大会 於:上智大学

last update: 20151225

◆要旨
◆報告原稿


□1.研究目的
 本研究の目的は、1990年代から2000年代における「寝たきり老人」をめぐる問題、すなわちとくに日本の老人福祉・保健・医療諸制度の政策の変遷と、様々な言説の中に示される「寝たきり老人」の社会的・福祉的・医療的位置を確認することにある。そして、それらを踏まえてわれわれは、それらの言説には「寝たきり老人否定」の文脈が散見されることを示す。

□2.対象と方法
 主な検討対象は、1990年代から2000年代に出版された「高齢者」ならびに「老い」ないし「寝たきり」と、それに関連して福祉・保健・医療を主題とした一般書籍、それとあわせて、関連する研究者間でひろく読まれた文献(報告書)などである。これらの書籍/報告書を中心として、「寝たきり老人」をめぐる議論の連関を明らかにするために、仮説的な分析視軸として、(福祉施策としては「日本型福祉社会」に見られる「自助・共助・公助」の順序だてから、あるいはそれと輻輳する形で思想的に親和性をもつであろう「自立した個人」から導かれる)「予防」と「自己責任」を取り上げ、分類・整理して検討する。また、これらの背景として、あるいはこれらに影響を与えたであろう社会的事象にも注目する。

□3.内容と結論
 1990年代から2000年代は、日本の福祉施策が大きく転換した時期であるといえる。われわれは1990年代の「寝たきり老人」をめぐる言説と諸制度について、先の「2007年障害学会」で報告した。ここではその詳細については触れないが、その研究の1つの結果として、さまざまな言説のなかで、とくに「財政負担」の文脈において、「寝たきり老人」をめぐって、(「寝かせきりにしない福祉」と「真の」寝たきり老人への「延命治療」との間で「優先順序」をつけるために)政策的に両者に何らかの「線引き」をせざるを得ないのではないか、という言説があったことが確認できた。
 1990年代の老人保健医療政策は、「社会福祉改革の基礎構想」提言(社会福祉基礎構想懇談会[1986])、「昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書」(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1988])、などを背景としている。これらを基に1989(平成元)年には「ゴールドプラン」(「高齢者保健福祉推進十か年戦略」)が施行され、1990(平成2)年には「老人福祉法等の一部を改正する法律」(福祉関係八法改正)や、同じく1990(平成2)年には厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課による「寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」が提出される。そしてこの「戦略」の重要な柱のひとつとして1990(平成2)年から「寝たきり老人ゼロ作戦」が推進されることとなる。
 これに続いて1991(平成3)年11月18日には厚生省大臣官房老人保健福祉部長から「『障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準』の活用について」といった通知が出され、全国一律となる「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」が示される。さらに1994(平成6)年には「新ゴールドプラン」(新・高齢者保健福祉推進十か年戦略)が策定され、1995(平成7)年には「高齢社会対策基本法」(12月16日施行)が、さらに「『福祉のターミナルケア』に関する調査研究事業報告書」(長寿社会開発センター[1997])が提出され、1997(平成9)年の「介護保険法」(施行は2000年)、2000(平成12)年の「ゴールドプラン21」、2005(平成17)年の「改正介護保険法」へとつながっていく。
 こうした政策の背景になった同時期の経済・医療関連事象を確認する。1989(平成元)年4月1日消費税実施(税率3%)、1990年(平成2)年12月28日バブル崩壊、1991(平成3)年4月1日には『厚生白書〈平成2年版〉―真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト―廃棄物問題を考える』(厚生省編:厚生問題研究会)が出された。1992(平成4)年1月22日に臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)が脳死を「人の死」とし、脳死者からの臓器移植を認める答申が出された。1993(平成5)年には、合計特殊出生率が1.46まで下がり、過去最低となる(翌1994年に発表)。さらに老人福祉措置制度を解体し介護保険構想へ方向転換された。1994(平成6)年11月2日には年金改革法(厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせる)が成立した。1995 (平成7)年12月26日には、11月の完全失業率が総務庁の発表で3.4%となり、1953年以来最悪であることが発表された。1997(平成9)年4月1日からは消費税の税率が3%から5%に引上げられ、また臓器移植の場合に限って「脳死は人の死」とする臓器移植法が参・衆両院で可決成立する。1998(平成10)年4月14日には97年度の企業倒産が17439件で、負債総額は前年度を65%上回り、戦後最悪と報じられる。また6月12日には97年度の国内総生産(GDP)が前年度比で0.7%減となり、マイナス成長は23年ぶりで戦後最悪であったことが報じられる。1999 (平成11)年には2月28日、臓器移植法施行後初の脳死移植が実施された。
 さらに2000年代の諸事象にも関連付けて考察すると、90年のバブル経済崩壊による財政悪化を背景として、とくに政策立案者側からは「租税以外の財源として保険料、とりわけ高齢者自身の保険料負担導入が注目されるよう」(和田2007)になってくる中、この時期すでに医療の必要のない老人の長期入院が、医療費削減のための介入対象として「社会的入院」という表現を通して注目されていた。この観点からは、「社会的入院」が財政的な問題として「5,000億円ないし1兆円にも上ると推定される医療費支出」(ibid.)の要因として認識されていた。しかし80年代〜90年代に「社会的入院」を批判した言説は、単に医療費削減目的の立場からのものばかりではなかった。社会的入院は一方で、家族介護力の低下の現実を示す典型例とされ、家族介護負担軽減のための「介護保険」制度導入を支持する――「日本的福祉社会」論批判に重なる――立場からも問題化されていた。また、当時の朝日新聞を中心とした「寝かせきり」批判が一定の影響力を有していた。この「寝かせきり」批判は、「寝たきり」にさせられる高齢者の利益擁護を意図する立場から、本来「寝たきり」にならずに済んだはずの人が長期入院で「寝かせきり」を余儀なくされている、という形で「社会的入院」を批判した。
 そして1994(平成6)年12月「高齢者介護・自立支援システム研究会」(同年7月〜)は、「今後の高齢者介護の基本理念は……『高齢者の自立支援』」であるとし、介護保険制度策定に向けた動きが本格化したといえよう。1990年代の高齢者福祉をめぐる制度の変遷は、本来は対立し合うはずの利害と意図をもつ様々な立場から出された言説が、高齢者の「自立」というキーワードに収斂して(あるいは回収されて)いったと言えるだろう。そしてさらにわれわれは、これらのことを踏まえて、「『予防』する医療と福祉の取り組み」への肯定的な言及について考察する。ここには「寝たきり/寝かせきり」の区別や、欧米の政策への評価をめぐって、さまざまな論者において認識の相違や対立がある。しかし、1990年代の高齢者、とくに「寝たきり老人」をめぐる言説構造には、「自立」を尊重する欧米/高齢者を医療・福祉に依存させる日本を、前者に対する肯定的評価を含めて対比しつつ、現在に至る「自立」をキーワードとしているという点で共通性が見られる。それらは、近年の介護保険の制定、そしてその後の介護保険改正の中での「介護予防」の位置づけへと続いているように考えられる。


UP:20080425 REV:
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