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ALS患者の在宅独居移行支援に関する調査研究(3)

――在宅移行の困難――
報告原稿

○立命館大学大学院先端総合学術研究科 仲口 路子(会員番号2416)
立命館大学大学院先端総合学術研究科 山本 晋輔(会員番号2419)
立命館大学大学院先端総合学術研究科 長谷川 唯(会員番号2418)
立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー 北村 健太郎(会員番号2414)
日本学術振興会特別研究員 堀田 義太郎(会員番号2415)
20080615 第22回日本地域福祉学会大会 於:同志社大学


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はじめに
 2005(平成17)年10月31日に成立し、翌年4月1日から順次施行されている障害者自立支援法は、その目的として、「障害者基本法の基本的理念にのっとり、(中略)障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする。」とある(注1)。
 またこれに並行して、2006(平成18)年6月に成立し、2006(平成18)年10月から順次施行されているいわゆる「2006年度医療制度改革」(注2・3)では、これまで日本の医療供給体制は世界最長の平均寿命をもたらし、高い保健医療水準を実現してきたが、しかし急激な少子高齢化、経済低成長への移行、国民の生活や意識の変化などの大きな環境変化に直面しており、医療供給体制を下支えしてきた国民皆保険制度の継続が難しい状況にある、ということを踏まえて、日本の高い保健医療水準を保ちながら医療費の適正化と医療供給体制の機能分化の推進を目指しているという。この改革の要点は第一に「医療費の伸びの抑制」にあり、第二に「生活習慣病の予防」、第三に平均在院日数の短縮などがあげられる。それによって昨今、たとえば喀痰吸引など常時医療的ケアの必要な特定疾患患者が入院を継続できず、在宅にも戻れず医療機関を転々とせざるを得ない、といったような事例も出ている。先に述べた障害者自立支援法の理念の射程は、こうした患者の生活支援にも及ぶと考えられるが、これらの制度の変遷により、実際、さまざまな「困難」、ないし「隠れている問題」があり、これらについて、本研究では具体例に基づいて検討し、入院患者が地域生活に移行する上でなにが障壁となりうるのか、その要因のいくつかを指摘する。

 今回私たちは、ある筋委縮性側策硬化症(以下ALSと略す)の療養者「K氏」が病院での長期間におよぶ入院生活のあと、施設を出て在宅へと、しかも日本の福祉施策では「含み資産」とされている意味での「家族」をあてにしない状況下での「生活を取り戻す過程」にかかわることができた。繰り返すが、ここにはさまざまな困難や障壁があり、それらの多くは今後ぜひとも積極的に検討・討議していくべき課題となったので、本報告ではまず、その経過の詳細について、それらの問題が実際にどのようなものであったのかについて述べる。

対象と方法
 調査対象は、家族と同居せずに独居在宅療養生活を送ろうとし、現在も生活されているALSの療養者である。調査期間は2007年1月から9月にかけてである。調査対象者は2007年1月現在49歳の男性療養生活者であり、ALSに由来するさまざまな障害を有し、2007年7月、障害者自立支援法に基づく障害程度認定区分6に認定されている。この男性療養生活者を暫定的に以下「療養生活者K氏」として、いわゆる「患者」から「生活者」へと、すなわち施設から在宅への移行の過程について、ほぼ時系列的に報告する。

療養生活者A氏の病歴と生活歴
 療養生活者K氏は、2002年11月頃から疲れやすさを感じるようになり、2004年2月には構音障害や四肢の脱力が出現した。その頃から検査入院等を繰り返すようになり、会話や歩行も困難となったため、やむを得ず、それまで自営で営んでいた療術院を閉業したという。同年10月にALSと診断され、それ以降、転院を繰り返しながら入院生活を送っていた。入院後も療養生活者K氏の病状は進行し、2005年1月には胃ろうを造設した。四肢機能がほぼ全廃で、わずかに首と左手首を動かす程度しか随意運動ができない。2007年4月には誤嚥防止のため、咽頭全摘術を受けた。家族の介護力が著しく乏しいため在宅生活を断念し、外出も厳しく制限される入院生活を3年以上強いられていたが、自分らしい生き方を取り戻すため、独居での地域生活を決意するに至り、2007年8月、病院を退院し、地域社会に根ざした自立生活を開始した。

 ここで重要なポイントは、まず、K氏は、日本の福祉施策において介護の「含み資産」であると前提されている家族をあてにせずに、地域で在宅生活を営むため、福祉諸制度をフルに活用する必要があったこと、だが、医療機関主導の退院支援においては、福祉諸制度を活用するための準備が十分に整備されていなかったこと、そしてそれによって生じた諸問題とその要因の検討は、医療的ケアを必要とする重度身体障害者が、長期入院を経て在宅生活に移行するために、いかなる資源とサポート体制が必要かを明らかにするのに役立つ、ということである。

療養生活者A氏の主な症状と必要な援助
(1) 痰づまりや誤嚥
 気管に痰がたまるためそれによって呼吸が困難となる。また食事の際の誤嚥によっても呼吸が困難となる。この場合、早急に気管切開部から吸引を行って気道を確保しなければ窒息死に至る危険性がある。痰づまりはいつ起こるかわからないが、療養生活者K氏は2008年現在、1日に7回前後の痰吸引が必要で、このさい、自ら声を発して助けを求めることも、手を伸ばしてブザーを押すこともできないため、 24時間常時介護者が待機し、直ちに吸引できる体制が必要不可欠である。また、誤嚥の対策として、食事形態の工夫や十分な食事時間の確保等も必要である。具体的には、安全流動食を嚥下することは可能だが自分の意志で口の開閉ができないため、気管切開部に口腔から溢れた食材や水分が入らないように注意し、常に見守らなければならない。気道に直接、流動食や水分が混入することは生命にかかわる事態を招く。また激しくむせたときの吸引では、体の動きを押さえてくれる二人目の介護者がいない中で吸引を行った場合、気管内を吸引チューブで傷つけて気管内出血をおこしてしまう事態もありうる。安全に食事をとるためには、1回の食事には、刻み食などの調理から、食事後の後片付けも入れて、平均して最低90分は必要である。

(2) 全身硬直発作
 全身硬直発作が多い日で1日に5回程度の頻度で発生する。療養生活者K氏の硬直の頻発は、ALS患者のなかでも特に多いといえる。発作が起こると何もできなくなり、呼吸も苦しくなり、窒息や誤嚥の危険性が増す。場合によっては医療的処置の必要性や抗けいれん薬を服薬させる必要がある。また、この場合はベッドから転落しそうになるほど激しい体動があるため、介護者が速やかにK氏の体を押さえて安全を確保しなければならない。薬の準備と服薬、体を押さえること、文字盤で本人の声を聞くこと、これらを同時に行わなければならないし、また発作が起こった後には、四肢を順番に少しずつゆっくりと伸ばしていく援助が必要となる。発作はそれ自体が危険であるばかりでなく、ただでさえ弱った体が著しく体力を消耗し、精神的にも大きな負担となっているのである。

(3) コミュニケーション障害
 首と左手首を少し動かせるくらいしか随意運動ができないため、コミュニケーションはもっぱら「あ」から「ん」まで50音表を透明アクリルボードに記された透明な文字盤を介して行われる。これは介護者が療養生活者K氏との間に対面式に両手で文字盤を持ち、眼球の動きを追い、1文字1文字を順番に声を出して確認しながら拾っていく作業となる。通常の介護と異なりコミュニケーション時に両手がふさがっているため、ケアの手を止めずにコミュニケーションすることができない。K氏が介護者に体位交換を求める場合にも、電気を明るくしてもらう場合にも、まず文字盤による会話が必要となる。そしてこのコミュニケーション方法では、10文字程度の簡単な会話だけでも相当の時間を要してしまう。また意思伝達手段を常時確保することは、人権擁護の側面からも必要不可欠だが、看護師や経験あるヘルパーでもこの技術の習得には相応な期間を要するのである。

次に在宅移行の経緯とその困難、についてであるがまずはその第一の段階として、「決心が固まるまで・その動機」が挙げられる。
 このような身体的援助を要する療養生活者K氏が、実際に施設を出て在宅に移行することを、どうやって「決心」することができたのであろうか。あるいは、言い方をかえれば、どのような「エンパワメント」が働けば、このような「一大決心」が可能となるのだろうか。その契機はまず、本ケースでは、2007年1月、東京都で、障害者福祉制度を利用して「24時間他人介護」によって地域生活を実現している人の存在を知ったことに始まったのだった。これではじめてK氏は家族介護によらず、単身で住み慣れた地域で住居を探し、社会生活を営みたい、という意志を持つに至る。またそのとき置かれていた環境として、当時の入院先である療養病床では、6人部屋での療養であり、ケアも不十分であると感じていたことで、入院生活への不満がより高まっていたこともあった。
 この当時のA氏の療養環境は夜間の看護職員配置が少なく、夜間に頻繁な体位交換、吸引などの要望がある患者にとって、安心できる療養環境とは言えず、基本的ニーズが充足される状況ではなかったと思われる。とくに、この時期はむせかえりが激しく、神経内科医の診察を長期間受けていなかったため、呼吸不全による死を覚悟するような状況でもあった。座位を1時間以上保持できないことと、病院の食事時間・就寝時間等のスケジュールに合わせるとパソコンを使った文字入力作業は1日1時間、実質20文字程度しかできず、インターネット等で外部からの情報を入手するのでさえも著しく制限される状況にあった。また当該のD病院からは、人工呼吸器装着時は急性期病床へ移ることやケアニーズの多さから間接的表現ではあるけれども、退院を求められているような状況であった。

 次にK氏が2007年1月時、在宅移行を進めるまでの社会保障諸制度の活用状況は2つであり、そのひとつは、「障害基礎年金」である。これは2005年1月に四肢機能障害1級認定をされたことで受給を開始していた。それから二つ目は「特定疾患治療研究事業」であった。また一時的なものとしては、2005年6月、会話機能喪失に伴い、市の情報バリアフリー化支援事業により、意思伝達を容易にする障害者向けの支援ソフトを導入したパソコン購入費用のうち、10万円の支給決定を受けていた。
 容易に想像できるように、このままの状態で在宅に移行すれば、それはそのまま生命の危機に直結するため、ここから、フォーマルにも、インフォーマルにも、さまざまなネットワークが動き出すきっかけとなり、こうした状況の下K氏は友人ら支援者とともに在宅移行計画を立案することとなる。

具体的な経過について、まず
2007年1月〜3月は、
2007年1月末にA氏が在宅移行を計画した段階で、主な支援者は40代の男女各1名と30代男性1人の3人だけだった。この時期に、K氏および支援者はALSの当事者・家族によるNPOと会い、在宅24時間他人介護を実現している患者・家族の制度利用やヘルパー確保策、ALSの専門医療の現状等の示唆を受けた。この示唆に基づいて、障害者の地域自立生活に取り組む当該地域の事業所、市の地域障害者地域生活支援センター等から障害福祉サービスの現状を聞くこととなる。ここで、「単身のALS患者が地域生活に移行すれば、重度訪問介護等で月400時間以上のサービス支給が決定されるかもしれない。だがどこの事業所もヘルパー不足に悩んでおり、現状の利用者へのローテーションを維持するだけでも精一杯の状況である」ことや、また、「市内でも区役所によって支給時間の出やすいところと出にくい地域がある。一方で往診医療やボランティア確保の面も重要で、居住地をよく考えた方がよい」との意見を聞くことができた。 さらにその当時の入院先医療機関であった療養病床A病院のソーシャルワーカーAに在宅移行の意向を伝えたところ、「転院や退院はかまわないが、再入院は現在の入院待機者が優先となるので、いったん病院を出るとベッドの保障はできない」などと言われた。他県では障害者の地域生活において事実上の「自薦ヘルパー」を活用している地域があり、こうしたモデルを活用したい、とさらに前例を交えてK氏側はそのソーシャルワーカーAに伝えたが、残念ながら障害施策や障害者関連事業所に関する人的ネットワークや関心度が低いためか、積極的に地域生活移行の可能性や手段、制度検討をする姿勢は低く、むしろ次の医療機関か施設への引き継ぎに関心が向いているような対応しか得られなかったという。
 このように在宅移行への見通しが立たないなか、K氏は以前入院していたB病院の神経内科医の診察を受けた。その結果、医師からは、気管切開の上、気道と食道を分離する手術が必要性なのではないかと説明を受けた。それで同医師の紹介により、3月にE病院に2週間入院し気管切開と喉頭全摘手術を受けることとなる。さらにB病院からは、手術後、3か月をめどに退院することを条件にA氏を引き受けてもよいとの回答を得たので、手術後は再度B病院に転院することとなった。
 具体的な在宅移行への活動として、2007年3月からは支援者が、市内のいろいろな不動産屋を回って賃貸物件を探した。そして同時期にボランティアやヘルパーの候補者探しにも着手した。しかし具体的には往診する医療機関も、退院後の住所地、も福祉制度活用の見通しも決まらないまま、ひとまずはE病院からB病院への転院と、同年8月13日を限度とする在院期限を口頭で約束することとなったのであり、ここで、すなわち、なんら地域生活を支える体制づくりに進展がないにもかかわらず、一人で地域生活を開始する日、期限だけが先に決まってしまうこととなった。
 また、支援者のなかには専門職はおらず、遠方の首都圏におけるALS介護の先端事例を先に聞いていたため、これがむしろ当該地域の医療、福祉関係者との間での摩擦の原因ともなってしまった。当該地域では「自薦ヘルパー」「パーソナルアシスタント」(注4)等の理念は全く定着しておらず、そういった制度の運用でも自治体間格差が大きいことが分かるとともに、混乱をきたす結果となったことは言うまでもない。

2007年4月〜(B病院)
 K氏は、気管切開手術のあとE病院を退院し、B病院に転院した。B病院では6人部屋ではあるがリハビリ病棟であり、また神経内科医が主治医となった。術後経過の観察や嚥下状態のチェック、あるいは症状としてのむせかえりや硬直発作への対応などについて、専門医による診察の頻度があがるとともに症状の改善も見られた。
 またこの病院では、看護師資格と介護保険ケアマネージャー資格を持つ、以下ソーシャルワーカーB、が地域生活移行や退院調整などのソーシャルワークを専従で行っていた。約3か月間で退院してベッドを空けることが病院側から事前に求められており、4月末にソーシャルワーカーBの支援を受け、「介護保険」の居宅サービス申請を行った。患者の在宅移行に際して、24時間の生活を安全かつ快適に過ごせるよう、病院のソーシャルワーカーをはじめ、市障害者地域生活支援センター、自立支援センター、患者会などに照会を行い、在宅時に利用可能な制度の把握につとめた。しかし、このソーシャルワーカーBからは介護保険、障害者自立支援法の申請について、急務である「支給時間」、「支給決定の時期」、「自己負担額」等について明確な見通しを得ることができなかった。それは、ソーシャルワーカーBは介護保険のケアマネージャーであり、障害者自立支援法における訪問系サービス・事業等の連携や、重度訪問介護制度については活用経験が極めて乏しかったためと思われる。一方、介護保険サービスの事業所、関連病院、系列の診療所は存在し、病院と診療所との連携、神経内科医の往診や訪問看護ステーションからの訪問体制の確保は調整可能だとの回答があった。

 障害施策を複合的に利用して、A氏の在宅独居生活を目指す支援者らは、独自に地域の障害者地域生活支援センターにアドバイスを求め、障害サービスの決定に要する時間は「2カ月ぐらいだろう」との情報を得ていた。この時期、患者・支援者間では、介護保険での認定とケアプラン作成が先行するとのB病院側の説明を受けて、「自薦ヘルパー」育成と事業所探しとの関係がいったいどうなのかが全く理解できず、ここでも混乱が生じていた。
 この時期、ソーシャルワーカーBは「介護保険制度が優先で、ケアプランをケアマネージャーが作成する。足りない介護量を障害福祉サービスで補う。市に問い合わせた」と説明していたが、支援者が独自に市の福祉担当者や県外の福祉事務所担当者らに問い合わせたところ、「以前は、ALS患者は介護保険が障害サービスに優先だったが、今春、国から優先関係を見直す通達が出た。柔軟に対応できるはずだ」という意見を聞いていたということもあった。
 また、介護保険の事業所や当該地域の難病団体連絡協議会から、介護保険のホームヘルパーでは痰吸引など医療的ケアを引き受ける事業所が極めて少ないこと、またヘルパーの作業内容も障害者を利用者の中心とする事業所の介護・介助内容に比べて極めて硬直的で、ALSの在宅療養のような多岐にわたるニーズに対応しきれないことが示された。
 支援者はソーシャルワーカーBに介護保険の優先関係の新しい通達内容や他都市の事例を検討してほしいと申し入れたが、これに対しては具体的な進展は見られなかった。すなわち、Bソーシャルワーカーからは、介護保険制度下でのヘルパー運用上「そういったことなどはできない」といったことが伝えられたのだが、それは当該地域では、K氏が対象となる重度訪問介護の取り扱いについて、介護保険給付を使いきった不足の需要については障害者自立支援法の訪問系給付を受けることになる、といった優先順序を前提しているためであった。しかし一方で、全身性の障害者らから、「見守り」「外出」など重度訪問介護の解釈が国の通達内容と異なり誤っていると指摘がなされ、この情報もK氏および支援者に届いていたことから、K氏と支援者は、行政の運用に誤りがありうることや、適用関係など実務の重なりについての障害福祉関係者や当事者団体、病院の説明が食い違うたびにさらに外部の意見を収集することとなり、とくにそういった点で病院のソーシャルワーカーとの間に信頼関係を構築することが困難になってしまっていた。
 K氏は退院期限まで残り1カ月となる7月になっても、いまだ障害者自立支援法に基づく介護サービス支給量が示されない状況にあり、また自薦ヘルパー候補として集まったのも5人の男女にとどまり、これは時給や労働時間等の見通しをヘルパー候補に示せない状況が続いていたことと相関関係にあったと推察される。

2007年6月〜7月(生活保護)
 退院に備え、住居地を早期に定める必要があり、敷金礼金計20万円、家賃4万5千円の賃貸の平屋建ての住居を6月までに契約することができた。これは取り壊し予定だった改修可能な物件で、所有者には難病患者の在宅生活への理解があった。住宅を早期に確保できたことは、患者に外泊を試みてもらい、現在のヘルパー候補者のみで本当に在宅生活がまかなえるのかを判断し、入院生活では把握できていない潜在的なケアニーズを浮き彫りにするということも可能となった。しかし一方では入院時から家賃や転居費用が発生することになり、障害基礎年金では日々の暮らしや必要な衛生物品の購入等にも影響することが憂慮されたことから、患者は生活保護申請を決意するに至る。

 生活保護申請に関してもB病院のBソーシャルワーカーとの間で齟齬が生じた。Bソーシャルワーカーに対して生活保護申請の意向を伝えると、「生活保護受給開始により、介護保険2号被保険者ではなくなり、介護保険サービスが使えなくなるがどうするか」、という旨の質問があった。そしてさらに「生活保護受給者は、その適用関係としては障害サービスが介護保険サービスより優先となる。既に介護ケアプランを作成しており事業所や訪問看護との調整、介護保険サービスによる移乗用リフト導入等を行っているので、退院後に即生活保護を申請せず、一日だけでもいいから介護保険優先のプランを行ってほしい」との要請を伝えてきた。これは即生活保護を申請すると現在のケアプラン調整を破棄せざるを得ないので、退院時に支える公的サービスがなくなるとのことだった。
 しかし、これに対し、居住予定地を担当する障害者地域生活支援センターに相談を行うと、優先関係の説明は次のスライドの通りであるとのことであった。これによると介護保険に関しては介護扶助によってまかなわれる制度が存在するということであり、支援者はB病院のBワーカーの説明にさらに不信感を抱くこととなってしまった。

 また、細かな混乱として、Bワーカーからは、生活保護によって、介護保険に対して障害者施策、すなわち障害者自立支援法が優先されることで、「訪問入浴が介護保険なら週2回組めるが、障害サービスになると週1回しかできない」という事態が生ずる、という説明があった。しかし、この説明についても、制度的にそうした制約はなく、当該地域の障害福祉系事業所で訪問入浴サービスを提供しているところが少ないことに起因する現実としての制約でしかないこと、その場合には代替案を考えていくことになるので、生活保護を受けたから使えない制度があるということではない、という説明を別のところから得られているなどし、さらに混乱は続いたといえるだろう。
 利用者側としては、生活保護申請によって同等のサービスが受けられるかどうか、自己負担や生計への影響、再調整に要する時間で退院時期がどうなるかによって、生活や支援体制の構築が大きく左右される。この時期、申請から3か月が経過しているにもかかわらず障害福祉サービスの支給量は「非定型で審査会にかけねばならない」との理由で決定されておらず、B病院側から「退院時には間に合わないかもしれない」との見通しが伝えられたため不安が増す事態となった。

 これまでの経過を勘案し、K氏並びに支援者らは、Bソーシャルワーカーの交渉や調整に任せていると事態が打開できないとの考えから、ケアプランの作成や福祉行政等との交渉を、Bソーシャルワーカーから市の障害者地域生活支援センターに移管した。
 なお、Bワーカーがケアプランの調整をしていた段階で、支援者の独自のネットワークにより、自薦ヘルパーを雇用登録する障害福祉の事業所(NPO)を確保することはできていた。ヘルパー候補者は、当該地域で同時期、重度訪問介護事業従事者講習の場がなかったこと、また神経難病に適合した講習内容を希望したことから、東京のNPOで「進化する介護」の20時間研修を修了し、重度訪問介護従事の資格を得ていくこととなる。
 また生活保護の申請に関して、退院期限まで1か月を切る状況にあって、K氏は家賃負担が発生したことと、退院後の新生活準備にかかる出費により、貯金が10万円を下回る状況にあった。本人の外出は吸引等の問題により病院から厳しく制限されており、介護タクシー費用も高額なため、支援者が新たな住居地を所管する福祉事務所へ窮状を訴えるために出向くことになる。
 これに対して福祉事務所の生活保護担当者からは、「まだ居住していないため管轄外である。入院中は死ぬような生活の窮乏にないから保護申請しても却下されるだけで、無駄である。他に困っている人はいる」等と言われ、申請は受理されず相談扱いとされた。もちろん、他人介護料や生活保護から使える住宅改修制度の説明、車いす使用者の住宅扶助額の1.3倍加算などについてはまったく回答が得られない状況であった。福祉事務所には、8月13日からは預貯金もない状況で在宅移行せざるをえない状況である、と説明したが、いつからどういう形で生活保護を利用できるのか、入院している状況下では見通しを得ることができなかった。また申請を受け付けてもらえなかったため、訪問調査等も実施されることはなかった。

退院と支給決定について
 退院日が1週間後に迫った段階で、福祉事務所から障害福祉サービス支給量が決定したことが伝えられ、また介護保険による居宅サービスなどを含めたケアプランが示された。またこれを受けてヘルパー事業所、訪問看護ステーション、B病院主治医、ケアマネージャー、理学療法士、支援者3名が出席し、在宅移行に向けたケアカンファレンスが開催された。
 ヘルパー候補者5名は、B病院において、看護師から痰吸引の指導講習を受けた。また食事の注意について15分程度の引き継ぎを受けた。さらに日中の半日程度、居住予定の賃貸物件で過ごし、ヘルパー候補者のみでケアを試す「試験滞在」を実施した。こうした講習、試験滞在は退院日直前であったため、課題について理解や習熟を深めたり、ケアプランに反映させる機会とはなり得なかった。

在宅移行後は、
 ヘルパー5名はいずれもALS患者の在宅ケアの経験がなかったことから、24時間体制で医療的ニーズの高いK氏への他人介護には大きな不安があった。そこでK氏の安全を確保する上でも、いろいろな問題点や援助技術をヘルパー候補者間で共有することが必要であり、また環境の激変に伴うK氏の体調の変化や急変・緊急時の医療機関への連絡などについては、実際に経験しないと分からないということでは危険であるということが予想された。
 こうした課題に対処するため、支援者らはヘルパー5人で1日24時間のローテーションを考えるにあたり、移行直後は常に2人体制とするほか、支援者らが重なって在宅援助することでリスクを軽減する必要があった。ゆえに、5人で1か月、24時間×31日、744時間の見守りと援助を続けるには無理が伴い、20時間を超す連続勤務も発生することとなった。
 一方、生活保護の申請は、B病院の要望により、在宅移行の翌日に申請することに決まった。これに伴い移乗用のリフト設置費などで1割の自己負担が発生した。生活保護申請日に遡及して介護保険と障害福祉施策の適用関係が逆転するのであれば、生活保護の決定を見越したプランだけを作成すればよいが、生活保護法が制度上、先を見越した保護開始決定がなされず、1カ月後には無駄になるようなプラン作成の実務が発生することになってしまった。また、実際の給付時間と生活保護が9月に支給決定されてからの見直し経過は、サービス支給量については、市は基準(市は重度訪問介護について、障害程度区分が区分6の者は、月224時間と定めている。これは国が定める国庫負担基準における重度訪問介護対象者の平均160時間の1.4倍となっている)を定める一方、具体的なサービス支給量の決定に当たって、介護等に必要となる時間数を積み上げて算定することとしている。
 支給決定にかかる重度訪問介護の支給量については、本市の標準的な支給量の基準である月224時間を超え、月589時間(支給決定時は別途、介護保険から居宅サービス62時間の支給が予定されていた)となることから、審査会での意見を聴取のうえ、支給決定を行った。申請時の8月14日に遡及して生活保護の受給が開始されたことに伴い、福祉サービスの支給についても、同日に遡及して変更が行われた。(月651時間への変更)

介護保険法と自立支援法
 以上の経緯について、在宅に移行するためにクリアすることが求められた問題点は、まず、退院一週間前まで障害福祉サービスの支給量が決定されなかったことと、時給や労働時間等の見通しを示すことができず、ヘルパーを募集できなかったことが大きいといえる。すなわちそれは、退院時には、入院時から支援していた5人の男女で24時間介護を行わざるを得ない状況を招いたのだった。そしてその要因は、介護保険優先という病院のスタンスにより、自立支援法のサービス計画が遅延したことによると考えられる。
 さらに、問題点としては「ヘルパー」の問題のほかに、「居住地」の問題や、「地域医療体制」の問題などもみられたが、時間の都合上、これらは再考のうえで別の機会に報告する。

 介護保険による介護プランの限界として、ソーシャルワーカーBの先の説明を今一度考察する。ここでは「介護保険制度が優先で、ケアプランはケアマネージャーが作成する。足りない介護量を障害者福祉サービスで補う」と言っている。また、「生活保護を受給し、障害者自立支援法のサービスを受けると介護保険(介護扶助)は後回しになる」とも言っている。ここで伺える考え方は、介護保険による介護支給より、障害者自立支援法を優先させる、ということには極めて消極的であることが伺えるだろう。
 しかし一方で、このようなケースでは、介護保険でカバーできうる「量」がまずは不足しており、またさらに重要な点として、痰の吸引など医療的ケアを引き受けてくれる事業所が少なく、ヘルパーの作業内容も硬直化せざるを得ない状況がある。ゆえに、介護の「質」や「量」ともに明らかに限界があるのである。

 K氏のケースに見られるように、病院の介護保険優先の支援パッケージでは独居による地域生活を支えきることは不可能である。にもかかわらず、病院は介護保険を優先することから自由ではありえず、むしろこのような状況のなかで「独居生活」を送る、ということじたいがほとんど「想定外」にあり、障害福祉サービスは別途に用意することが「当事者に」課される事態となりがちである。さらに、K氏のケースのような、「医療的ニーズ」が高い場合は医療機関から完全に撤退することも困難であり、ここにまずは「在宅移行の困難」があったといえるだろう。

 最後に結論として、このような医療的ケアを必要とする重度障害者が独居でも生活できる権利を保障するためには、
・介護保険の枠組みでは量的にも質的にも困難があることをふまえ、
・障害者自立支援法を最大限に活用することで、介護・介助の量(時間数)は確保できる可能性があるので、
・これにさらに、医療的ニーズを十分に満たすためには、往診や訪問看護などのサービスが組み合わされる必要があり、またこれは緊急時に受け入れ先になってくれる病院があることも含まれることも条件となってくるが、
・医療と福祉をミックスし、調和のとれた支援体制をコーディネートでき、かつ、在宅移行にとって必要な資源を提供できうる制度つくりが必要である、といえるだろう。

以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。



1:厚生労働省ホームページ http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1c1.html
2:2007.01.阿部崇「療養病床の再編が担う社会的入院の解消―30年来の「ツケ」に対してきられた急ハンドル―」http://www.nli-research.co.jp/report/report/2007/01/li0701a.pdf
3:2006.小竹敦司「医療制度改革の概要と平成18年度診療・介護報酬同時改定の論点整理」看護部長通信 2006 Vol.4 No.1 http://www.nihonkohden.co.jp/iryo/practice/pdf/igyo_keiei01.pdf
4:当事者の自立生活をささえるヘルパーは長時間滞在し、個別のニーズにしたがって介助を行う。障害者自立支援法の中でも、重度訪問介護サービスは、見守りや夜間の泊まり介護も含む長時間滞在型サービスを実現するために作られた。自立支援法以前の障害者施策支援費制度の日常生活支援(その前身は全身性障害者等介護人派遣事業)を踏襲し、高齢者を対象とした介護保険法による訪問介護とは、理念もサービスの内容も大きく異なっている。また、ヘルパーは障害当事者のパーソナルアシスタントとして、個別のニーズに応じて、日常生活や社会参加に必要な介助をおこなう。介護保険では禁止されている外出時の同行や、見守りも提供できるため、障害当事者にとってはもっとも使い勝手がよい制度とされる。障害者の自立生活におけるヘルパーの役割とはまさに、当事者の個別のニーズに応える介助を行うパーソナルアシスタントのことである。


*作成:石田 智恵
UP:20080901 REV:
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