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1990年代〜2000年代における「寝たきり老人」言説と制度

――死ぬことをめぐる問題――
報告原稿

仲口 路子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
北村 健太郎(立命館大学衣笠研究機構ポストドクトラルフェロー)
堀田 義太郎(日本学術振興会特別研究員)
20080608  福祉社会学会第6回大会 於:上智大学


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はじめに

 1990年代から2000年代は、日本の福祉施策が大きく転換した時期であるといえる。われわれは1990年代の「寝たきり老人」言説と制度について2007年障害学会で報告した。それを受けて、今回の報告では、さまざまな言説の中に示される「寝たきり老人」の社会的・福祉的・医療的位置を確認する。それらの言説に見られる「寝たきり否定」の文脈を踏まえ、「寝たきり老人」といったことばが、どういった言説を牽引してきたのかを概観し、その「生きられた」状態への意味付与を検討する。なお、本報告では時間の都合上、引用参考文献ならびに資料については配布資料をご参照ください。

 まず最初に日本の福祉制度の転換について概観する。向井は[向井:2003]の中で、80年代中ごろからの10年について、次のように述べている。

「まずは、おとしよりがなるべく医療にかかりにくいようにする。重い障害を抱える人たちを社会のサポートの手から外すようにひそかに経済誘導する。病院の経営を締め上げては手のかかる人たちを退院させていく。それでは困る、と主張する人たちは自分で費用を賄うしかない。払える人には病院に残れるシステムが用意される。経済的にも心身の病状ももっとも深刻な人たちが制度としての在宅に追い込まれていく。それが、この10年、1980年代の中ごろからずっと続いてきた政治のやりかただった。」

 この指摘を念頭に、以下では、90年代の諸言説の背景にある高齢者医療福祉政策の変遷を、「高齢者に害を与える過剰医療」が問題になった事件、に対する反動、として概観する。そしてその上で、90年代以降に「寝たきり」をめぐって展開された諸議論を、制度改変の過程との連関で配置し、その特徴を明らかにする。ここではとくに、「医療から福祉へ」の制度改変に随行して展開された議論を再確認する。まず、90年代から2000年代の言説の背景にある制度的変遷過程をその背景とともに概観する。


1 高齢者医療福祉制度の変遷

1−1 制度改変過程の背景――医療批判の文脈について

 90年代に至る高齢者医療福祉制度は、72年の老人福祉法改正、なかでも翌73年から開始された「高齢者医療費無料化」(注1) に対する、80年代以降の制度改変の延長線上にある。
 70年代は高齢者医療に限らず、医療そのものへの批判的言説が定着した時期でもあるのだが(注2)、とくに高齢者医療に関しては、入院の必要がないとされる高齢者が、病院に入院する「社会的入院」が問題化されていた。「社会的入院」は、二つの立場から問題化された。それは第一に、非高齢者すなわち「費用負担者の利益擁護」の立場であり、第二に、「高齢者自身の利益擁護」の立場である。前者にとって問題は、入院が不要な高齢者の長期入院により、高額な医療費が支出され、また他年齢層の受療機会を制約しているという点であり、後者の立場からは、入院している高齢者自身に必要な介護が与えられず「寝かせきり」になっているという点が問題化された。
 また、82年の三郷(みさと)中央病院事件を契機として、いわゆる「悪徳病院問題」が社会問題化する。70年代には高齢者の受診率の増加を受けて、高齢化社会の医療費をめぐる議論が展開され始めており、高齢者医療費が高齢者自身の利益にならない形で濫用(らんよう)される事件は、「医療批判の文脈」と「医療費削減への利害関心の文脈」で、高齢者医療制度改革への契機として位置づけられることになる。
 そして80年代に入り、81年に発足した第二次臨時行政調査会の方針、とくに「医療費適正化政策」のなかで、高齢者医療費削減が政策方針として明示される(注3)。

1−2 制度改変過程について

 これまでの変遷を背景として、第二臨調の方針に沿って、まず81年には薬価基準の適正化によって医療全般に対する診療報酬抑制政策が出される(注4) 。82年には「老人保健法」が制定され、翌83年から施行される。これによって高齢者医療費無料制度が廃止され、本人一割負担がはじまる(注5)。これは「病院からの追い出し」だとして一部から批判されたが、この「高齢者医療費抑制政策」は「政策立案者側」からのみならず、「悪徳病院問題」を契機にして展開された「医療に対して批判的な立場の論者」からも、さらに、「高齢者の利益擁護」の立場に立つ医療者からも、「どちらからも支持」を得ていた。なお、同82年には、医師の数を抑制するための政策として、医学部の定員抑制が閣議決定された。医療者側の動きとして、83年には、高齢者専門の医療施設の設立に向けて「老人の専門医療を考える会」(注6)が結成されている。
 次に「寝たきり老人」にかんしては、79年10月から、「寝たきり老人」の統計的把握が開始されつつ、続いて85年8月には第一次改正医療法が施行され、地域医療計画による病床数の総量規制などがなされる。86年には社会福祉基礎構想懇談会によって「社会福祉改革の基礎構想」が提言され、老人保健法の一部改正により自己負担額の上限が拡大される。同年には「介護力強化病院」が創設され、高齢者に対する病院の「介護」が「特定患者収容管理料」に加算される形で評価対象にされた。同時に、寝たきり老人の在宅医療化を促進するため、「寝たきり老人訪問診療料」および同「訪問指導管理料」が設置され、特別養護老人ホームと在宅との中間施設として「老人保健施設」が創設された。老人保健施設においても、入院患者に自己負担を課すことが許容された。
 また、同じ86年6月には、「経済社会の活性化を図り、活力ある長寿社会を築く」ことを基本方針とし、「個人の自助努力、家庭・地域社会の役割を重視し、民間活力の活用を図ることに留意する」こと、そして「健康・福祉面での、私的サービスの育成・活用」をうたった「長寿社会大綱」が発表されている。
 88年には「昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書」が提出され、89年3月には福祉関係三審議会の意見具申「今後の社会福祉のあり方について」が提出される。そしてこれらをふまえて「高齢者保健福祉推進十か年戦略」いわゆる「ゴールドプラン」が策定されていく。
 90年3月31日には、先の報告書に続く「寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」が出され、これを反映して90年から「寝たきり老人ゼロ作戦」が推進されることとなる。さらに90年の「老人福祉法等の一部を改正する法律」すなわち福祉関係八法改正、を経て、92年には第二次医療法改正が行われ、93年には長期療養患者を対象とした「療養型病床群」が創設された。療養型病床群には、一般病院の半分の医師数を許容する特例病院並(注7)の人員配置基準が定められ、ここでも患者に対する保険外負担が容認され、94年には「新ゴールドプラン」すなわち、新・高齢者保健福祉推進十か年戦略が策定され、95年には「高齢社会対策基本法」、97年の「介護保険法」、2000年の「ゴールドプラン21」、2005年の「改正介護保険法」、さらには2008年に新設された「長寿(後期高齢者)医療制度」へとつながっている。

1−3 90年代に至る制度改変過程とその背景の連関について

 このような80年代の様々な制度改変の内容は次の三点にまとめられる。それは@高齢者に特化した包括的な診療報酬制度の導入、A入院高齢者に対して必要な医療的処置が保障されない状態を許容する人員配置基準の新設、B高齢者医療の財源調整政策、である。これら一連の高齢者医療福祉政策の改変がもたらした結果は、供給側に対して医療提供機会を減少させ、需要側に対して医療要求を自己抑制させることであった。これらをとおして、高齢者医療費の抑制が進められた。だが、同時期の言説は、こうした政策改変は、必ずしも医療費削減だけを目的として進められてきたわけではないことを示している。それらは第一に、「悪徳病院事件」は、「高齢者の利益擁護」のために「医療制度を改変する」、という枠組みを提示したし、また第二に、医師や病院側の利害関心として、高齢者に特化した医療制度は、薬価基準引き下げ等によって圧迫された病院経営の立て直し策として、病院側にむしろ活用された側面がある(注8)。
 しかし90年代以降の高齢者、とくに寝たきり老人をめぐる言説を考察するうえで重要な点は、80年代以降の制度改変と議論が、「高齢者の利益擁護」と「費用負担者の利益擁護」の立場が一致しうるようなケース、を、一つの契機にしていた点である。この文脈のなかでは、73年の高齢者の医療費無料化は、医療者・病院側の利益を目的とした「過剰医療」を生じさせて、高齢者に害を与える一要因として位置づけられたからである。
 本来、70年代後半以降の「過剰医療」批判は、「過不足なき適切な医療が必要」という主張を導くはずであったが、90年代以降の議論展開は、「過不足のない医療を」という方向には進まなかった。90年代には「過剰医療」批判、「本来必要のない医療の囲い込み」としての「社会的入院」の問題化、そして「畳の上で死にたい/死なせたい」といった表現が、高齢者医療を語る際に不可欠なタームになっていた。

2 90年代〜00年代の言説について

 1990年代の言説の主要な関心もまた80年代の延長線上にある。それは、たとえば、先に述べた研究、『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 第2版』にあるように、「寝たきり老人を作らない」ことである。この流れを形成したのは大熊[大熊:1990]や岡本[岡本:1990]であり、これは朝日新聞の特集記事であった。二木[二木:1991]はこの時期に、「寝たきり」と「寝かせきり」を区別したうえで、「費用」に言及している。もちろん、寝たきり/寝かせきりの区別、そして「費用」を問題にすることは重要である。二木・滝上らが指摘したとおり、費用が増大していくことを前提としたうえで制度改変を行うべきという主張は、高齢者と費用負担者の利益が対立する可能性を指摘する議論として評価できる。しかし同時に、80年代以降の過剰医療批判の文脈では、たとえば「費用対効果」といった観点は、二木らの主張とは逆に、「必要な医療に対する適切な負担を考察する」ために、ではなく、高齢者医療制度の改変を「無駄」な医療の抑制という一方向に牽引する機能をもった。
 さらに「寝たきり老人」をめぐって和田 [和田:1991]は「自己決定」というタームも登場させる。さらにこれにも関連しつつ、水野青山らによって「ピンピンコロリ」の言説と運動が起こるが、これは後に上野[上野:2006・2007]によって「ファシズムだ」との批判を受ける。
 90年代以降の諸言説のなかでも、とくに注目に値するのが、97年に出された「福祉のターミナルケア」をめぐる論争である。96年10月、厚生労働省の外郭団体である、長寿社会開発センターに設置された「福祉のターミナルケア研究会」は、翌年「国内外の様々な施設を視察し、ターミナルケアが病院以外の介護施設でどのくらいまでできるのかを調査」した報告書を提出した(注9)。研究会の参加者である竹中はインタビューに答えて、イギリスとスウェーデンにおいては、末期がんに対する治療を差し控えて「医療での死から自然な死へ」と導く「方向転換」を確認できたとして、これを肯定している。「医療を差し控えて死ぬことが自然の死である」という紋切り型は、医療は高齢者にとって望ましくない、という70年代後半に「寝かせきり」批判から開始された過剰医療批判の延長線上に位置づけられる。「終末期」を福祉の場で迎えることを「自然」とすることで、逆に医療は「不自然」な死を迎えさせる場として位置づけられている。
 さらにこの報告書は、「終末期医療が高額に上っている」(p.54)ことに対して、終末期を医療から福祉の場に移行させることで、2020年には一兆円の医療費節約が可能であると述べる。これに対して横内と石井は反論し、その過程で「みなし末期」といった重要な指摘がされた(注10)が、議論はかみ合わないままに終わった。
 2000年代の言説では、先の90年代の言説を踏まえつつ、「医療」「福祉」や、「介護の社会化」といったことが「寝たきり老人」をめぐっての常套句になる(注11)。さらに2000年6月20日の議事録資料にある堀田発言などが象徴するように、「尊厳死」「医療費」が接続される。これには批判もあった。その典型がたとえば、石井・横内・滝上ら[石井・横内・滝上:2000]である。滝上はさらに、「福祉国家」「優生学」の親和性にも言及している。さらに、天田[天田:2003]は、これらの状況下におかれた高齢者について、痴呆や慢性疾患を抱えて生きる高齢者、あるいはそれを介護する人々の視点に照準して、当事者から見た生活世界を鮮明に析出し、〈老い衰えゆくこと〉を「政治的出来事」として問題化した。
 また、90年代から2000年代の高齢者福祉制度の改変過程に並行するもう一つのキーワードが、「自立」である。2007年4月9日に厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」によって制定されたいわゆる「終末期医療のガイドライン」では、「死期が迫った患者に対する終末期医療の決定手順について、『患者本人の決定が基本』と定めた初めての指針を大筋で決定し」ており、これには「終末期医療は患者本人の決定を基本として進められることを『最も重要な原則』として」いる。また、2007年8月22日には日本医師会による「終末期医療に関するガイドライン」が、2007年10月15日には「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」が提出されている。いずれも「医療の中止・差し控え」について「自己決定」を尊重する、という基本的合意にのっとり、展開・制定されている。だが、ここでも横内[横内:1997、1998ほか]の指摘する「みなし末期」の問題は、十分な議論がなされているとはいいがたい。

3 考察

 では、これまでのようにまとめられるとして、70年代後半以来の制度改変過程のなかで、90年代および00年代の諸言説は、どのように配置されるのか。
 最初に概観したように、70年代以来、高齢者医療福祉制度は、高齢者の利益擁護の立場からの「医療批判」言説と、費用負担者の利益保持の立場からの「医療費削減」言説の「協働」によって改変された。また、診療報酬や薬価に対する規制は病院側にとって圧力となり、これを病院側は高齢者を対象として緩和された新たな報酬制度によって相殺することが結果的に生じた。こうして90年代にはすでに、必要な医療・福祉制度を利用可能な高齢者は一部に限られるようになっていた。
 だが、しかし90年代の言説は、石井・横内・滝上・二木らを除いて、「福祉のターミナルケア」に典型されるように、依然として医療批判の文脈の延長線上で議論を展開していた。すなわち、高齢者が受診・受療する機会を削減されていく事態はすでに現実化していたにもかかわらず、医療を差し控えての死が、むしろ高齢者自身にとって望ましい「自然な死」としてさらに肯定されたのである。そして、2000年代から現在に至るまでこの傾向は変化していない。たしかに、高齢者医療制度改変が高齢者にとって受療(じゅりょう)機会を削減する制度化に他ならなかった点は、多くの人に認識されている。しかしまた同時に、高齢者の「自己決定」を取り巻く条件をお措いて、当人の決定を称揚する議論構造は、多くの議論に共有されている。
 高齢者医療福祉制度の改変の重要課題に「医療費削減」が明示的に位置づけられたのは81年の第二臨調以降だと言える。80年代初頭の高齢者医療をめぐる言説の端緒となったのは、「高齢者の利益擁護」と「高齢者医療費負担者の利益」が一致するような諸事件であった。そして、90年代の政策に随行した多くの言説の方向性も、結果的にみれば、ほぼこの出発点に規定されていたと言ってよい。

4 結論

 以上の考察から、90年代以降の言説は次の四つの枠組みでまとめることができると言える。すなわち、「過剰医療批判」「過少福祉批判」「医療から福祉へ」、そして「終末期医療拒否の自己決定/医療を拒否した自然な死」である。
まずは過剰医療批判について
 第一の「過剰医療批判」の端緒は、高齢者に害をもたらすような形で医療費を濫用(らんよう)した三郷(みさと)中央病院事件である。この事件に対置されたのは、高齢者に利益をもたらす政策と医療費を削減する政策は両立する、という論理である。高齢者にとって無駄に、あるいは害を与えさえするような形で医療費が使用されていた事件に対置されるべき論理は、本来ならば、「医療費を投入しても、ないしは、投入するだけでは、高齢者の利益になるとは限らない」という論理であった。この論理からは、適切な医療費の投入、ないしはその運用を問う、という主張も成立し、そこから「高齢者の利益擁護のために医療費が必要だ」、という主張も成立しうる。しかしその方向には進まなかった。たしかに、高齢者の利益と費用負担者の利益が「対立」する可能性を「正確に」指摘しつづけた論者も存在した。だが、高齢者医療福祉制度の改変は、医療批判言説に支えられ、一貫して高齢者医療費削減・受療機会の制約・福祉へ、とシフトしていった。

次に過少福祉批判について
 過少福祉批判は、入院高齢者の看護/介護に消極的な病院に対する「寝かせきり」批判という形をとった。それは、老人病院批判でもあった。70年代末から80年代にかけて、一方で、高齢者に過剰な医療を施して害を与える病院が批判され、他方では、必要な介護を過少にしか与えず放置している病院/施設の存在が明らかにされ、批判された。「寝かせきり」批判は、高齢者社会保障政策を、医療から福祉へ、そして在宅へと世論を誘導する効果を有していた。安価な福祉の支援に委ねることは、医療費削減に資するものとしても位置づけられ、高齢者比率の高い病院の医療専門職の「人員配置基準」の緩和および診療報酬の包括化として具体化された。

さらに医療から福祉へ、について
 過剰医療を抑制し、福祉(介護)の過少を補う政策という表現からは、高齢者が必要に応じて適切な医療と福祉を得られ、かつ無駄な医療費を削減できるような理想的な政策を想像することができる。だが、この理念に反して、80年代前半から現在に至る高齢者医療福祉政策は、高齢者に保障される医療の範囲を縮小し続けた。また、先の理想自体がすでに、福祉は安価であるという前提に基づいている(注12)。

最後に終末期医療拒否の自己決定について
 このように、高齢者が必要な医療を受ける権利を縮減する制度改変が、医療批判言説によって支え続けられるなかで、97年の「福祉のターミナルケア」にその典型としてあるように、医療を自らの決定で差し控えさせ、在宅で死ぬことを「自然な死」として称揚する議論が存在し、現在も展開されている。だが、差し控えの選択肢を「自己決定」として称揚する議論は、高齢者に医療・福祉を享受し難いように選択圧力をかけるように形成された、この30年間の制度改変とそれを支える言説群の延長線上に――その意図は別にして――位置づけられる。

おわりに

 本研究で明らかになったことは、「寝たきり老人」をめぐる言説構造には、「自立」を尊重する欧米にたいして、「依存」的な日本の高齢者像を、前者に対する肯定的評価を含めて対比しつつ推進してきたこと、またそれを言うさいに、「寝たきり老人」はこれまで「経済」「(過剰)医療」「業界の推進/転換」「尊厳死」の枠から言及されてきたこと、が確認できた。それらは、近年の介護保険の制定、そしてその後の介護保険改正の中での「介護予防」の位置づけへ、さらには「後期高齢者医療制度」と続いているように考えられる。


脚注
1:70歳以上と「寝たきり」の場合は65歳以上の高齢者の医療費を無料化
2:68年の東大医学部闘争・78年のイリイチの『脱病院化社会』の翻訳出版
3:第二臨調の高齢者医療制度改革の方針は、厚生大臣の衆議院社労委における81年度施策所信表明(1981年2月24日)に示されている。(大原社会問題研究所編、1982年)
4:薬価基準は平均で18.6%の引下げ
5:なお、老人保健法は、高齢者の加入比率の高い国保に対する国庫負担削減のために「調整率」によって他の健保組合から拠出させたが、この拠出金制度は後に、介護保険制度立案過程において財源に対する財界からの圧力の一要因となることになる【和田勝2007】。
6:会長:天本宏
7:患者100人に対して医師3・看護職員17・介護職員17人
8:滝上1993
9:委員長は千葉大学准教授の広井良典
10:また、2001年6月13日には日本老年医学会は「高齢者の終末期の医療およびケアに関する日本老年医学会の立場表明」を出している。これに対して、向井[向井:2003]は、「高齢者の場合、終末期の定義ははっきりしない、しかも余命の予測もできない。ではなぜ、「近い将来死が不可避」と言い切れるのだろう」と批判している。
11:西村2001
12:そして実際にこの間の制度改変は、十分に自己負担できるだけの経済的余裕を持つ少数者以外は、必要な医療を差し控えられ、また自己抑制させられて、家族やボランティアに依存した福祉制度のなかですら保障された介護を得られずに、身体状態を悪化させた揚句に死に至る道を導いた。


――資料――
【文献・註】
1)2003.08.25.向井承子「患者追放―行き場を失う老人たち」筑摩書房.p43.
2)1982.08. 和田努「老人で儲ける悪徳病院」エール出版社.など
3)厚生労働省が「寝たきり老人」の統計的把握をはじめたのは、1979(昭和54)年10月の厚生省大臣官房統計情報部編「厚生行政基礎調査報告」からである。そしてそれは1982(昭和57)年の「老人保健法」につながっていく。[仲口 有吉 堀田:2008]
4)1990.03.31.厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課「寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 第2版」中央法規出版.
「寝たきり老人を作らないためには、自立に向けての「生活意欲」を各老人が持つこと、さらに、社会全体がそれを支援していくことがまず出発点である。具体的な予防の方策は、まず「寝たきり」に導く原因疾患の発生を予防すること、原因疾患が発生したらそれによる障害を予防すること、不幸にして障害が発生したら障害の悪化を予防するため、逆に積極的にあらゆる方策を用いて「動かす」ことが重要である。これらの諸方策は数多くあり、種々のレベルで複雑にからみ合っている。今回提言を明確なものにするため、あえて重複を恐れず、二つの別の立場から、つまり一つは老人個人に着目し、個人に必要とされる諸方策を、健常な老人から障害を起こすまでの時間的経過に対応して整理し、また、もう一つは実施・支援する側に着目し、例えば実施・支援する人や場に対応して整理し、さらに、この二つの方策を推し進めるための地域ケア体制の確立のため、国、自治体等が行うべき方策について以下にまとめた。」p23.とある。
5)1990.09.10大熊由紀子「「寝たきり老人」のいる国いない国」ぶどう社.
「言葉というのは、不思議なものです。お年寄りを寝かせきりにしておいて、その被害者に「寝たきり老人」などと失礼なレッテルを貼りつける。そして、その言葉をくり返しくり返し書いたり聞いたりする。そうすると、「寝たきり老人」は永久に「寝たきり」であり、そうなったのは「やむをえなかったこと」のように錯覚してしまいます。同じ人を「寝かせきりにしてしまったお年寄り」と表現すれば、「寝かせきり」にしていたのは誰なのか、「寝かせきりにしない」ためにはどうしたらいいのか、と人々の関心は広がっていきます。」p161.
6)1990.05.10.岡本裕三「デンマークに学ぶ豊かな老後」朝日新聞社.
7)1991.07.20.二木立「複眼でみる90年代の医療」勁草書房.
「最後に、ゴールドプランの問題点で、一般にはほとんど見落とされている点を指摘したい。それは、ゴールドプランの「目玉」とされている「寝たきり老人ゼロ作戦」における、「寝たきり」と「寝かせきり」との混同である。これは、私が医師として専門としていたリハビリテーション医学の視点からの検討である。私は障害を持った老人の能力は複眼的に評価する必要があると思っている。」とし、「そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」p136
8)1991.09.01.和田努「老人医療の現場―明日の高齢者福祉を考える」東林出版社.
「1978年、超党派の「高齢者問題委員会」がつくられ、この委員会は長期的な高齢者福祉医療政策の理念と方法を追求して報告書を政府に答申した。この報告書は高齢者医療福祉政策の三原則を打ち出した。「継続性の尊重」―生活をなるべく変えないで高齢者を支援する。「自己決定の尊重」―自分自身の方向性は高齢者自身が決定し、周囲はそれを尊重する。「残存能力の活用」―残された能力を維持し、それを最大限に活用する。」p246.
9)1998.09.みずの水野 はじめ肇・あおやま青山 ひでやす英康「PPK(ピンピンコロリ)のすすめ―元気に生き抜き、病まずに死ぬ」紀伊國屋書店.
その紹介には、「80歳を過ぎても健康で元気な人の秘密とは?平均寿命が男女ともに高く、老人医療費が日本一少ない健康長寿の地域として知られる信州・長野への大掛かりな調査によって、健やかに老い、健やかに天寿を全うするピン・ピン・コロリ(PPK)の 条件が浮かび上がってきた。PPKへの普及化・全国化へ向け行政・医療・住民の介護をめぐる意識改革」とある。
10)2006.02.07.上野千鶴子「生き延びるための思想――ジェンダー平等の罠」岩波書店.
11)2007.07.12.上野千鶴子「おひとりさまの老後」法研.
12)福祉のターミナルケア研究会についてはhttp://www.arsvi.com/d/et-1997f.htmに記載がある。
13)2000.06.20.「社会保障構造の在り方について考える有識者会議(第6回)議事録」における弁護士の堀田力の発言には、「私がいただきましたテーマは、活力ある高齢社会にしていくための方策等々であります。同じ意味ではありますけれども、私のレジュメで「高齢者のいきがいと安心を確保するための方策」ということでまとめてみました。アカデミックなものじゃなくて主観的なものですので、その点は御了承いただきたいと思います。[…]それから、尊厳死も実は尊厳ある生き方の裏返しでありまして、今のように植物状態で判断力等が回復する見込みがないのに何か月、何年も植物状態で置いておいて、だれも人工呼吸器を外さないというような状態は異常でありまして、尊厳を害すると思います。それにかかる費用も大変なものであろうと思います。もっと尊厳死ということが自分の意志でできるように、これは尊厳死協会というのもありまして今9万人入っております。資料に付けておりますけれども、そういった運動がしっかり広がり、お医者さん方も認識されるようにしていくことが必要であろう。レットミーディサイド運動も、カナダで始まった運動でありますけれども、日本で少しずつ広がってきつつあります。これは、終末期の治療方法について、判断力がしっかりしているときに自分で選択して、こういう治療法はしてほしい、これはしてほしくないということを決めるという運動でありまして、何名かのお医者さん方が展開しておられますが、もっともっと広がってほしいと思っております。これは資料に簡単な説明を付けております。それから自然治癒力の重視ということ、それから心の働きの重視ということで、なるべく在宅医療を進めてほしいといったようなこと。いろいろ医療面でも身体的自立を支える仕組みにしてほしいと思います。」と述べている。
14)2000.04.05.石井 暎禧・横内 正利・滝上 宗次郎「『課題と視点』をどう読むか―正しい高齢者医療改革に向けて」鼎談 非売品.
15)1998.07.21. 横内正利「高齢者の自己決定権とみなし末期―自己決定権の落とし穴」『社会保険旬報』1991(1998-7-21):12-16,1992(1998-8-1):30-34ほか
16)2001.02.10.滝上宗次郎「(続)介護保険はなぜ失敗したか―21世紀の社会保障制度とは」週刊東洋経済:5677:78-81.
のなかで
17)2000.10.23.立岩真也「弱くある自由へ」青土社.からの引用によって、
「市野川容孝東京大学教授は、福祉国家は優生学と親和性があると述べている。」と言及し、「これは誰が「生きるに値する」のかという選別の問題が、「すべての者に」という理念とは矛盾する形で出てきてしまう。つまり、福祉の理念は天井知らずだが、財源は有限だからというのである。優生思想は人間に序列をつけて間引きする。劣生を排除するための不妊手術を認めた優生保護法はナチス的であるとして96年廃止されて、日本の医療には今のところ優生思想はない。だが、人間に序列をつける考え方が、高齢化に伴って頭をもたげてきたことを筆者は深く憂慮する。すなわち、終末期医療費が極めて高額で無駄な医療であるかのような事実無根の情報を流して、「延命医療は疑問」「健康寿命が大切」といった宣伝活動が出てきたことである。
18)2003.02.28.天田城介「〈老い衰えゆくこと〉の社会学」多賀出版のなかで、これらの状況下におかれた高齢者について、痴呆や慢性疾患を抱えて生きる高齢者、あるいは彼/彼女らを介護する人々の視点に徹底的に照準化した上で、そうした当事者から見た〈老い衰えゆくこと〉の生活世界をてきしゅつ剔出し、高齢者が老い衰えゆくなかで人間と人間の関係性がどのように変容していくのかを鮮明に析出し、そしてはじめて〈老い衰えゆくこと〉を「政治的出来事」として照らし出した先駆的研究を提出している。

【参考資料】
1)1991.09.01.和田努「老人医療の現場―明日の高齢者福祉を考える」東林出版社.
2)1988.01.31.大熊一夫「ルポ老人病棟」朝日新聞社.
3)1984.04.25.中川晶輝「ここに問題が―老人の医療と福祉」同時代社.
4)2000.02.20.西村周三「保険と年金の経済学」名古屋大学出版会.

【年表】
1963年(昭和38年)
老人福祉法
1972年(昭和47年)
老人福祉法改正(翌73年から70歳以上の高齢者医療費無料化)
1978年(昭和53年)
ショートステイ制度化
1979年(昭和54年)
10月「厚生行政基礎調査報告」(厚生省大臣官房統計情報部編)――厚生労働省「寝たきり老人」の統計的把握の開始
デイサービスの制度化
老人ホームの費用徴収制度改定(利用者の費用徴収額が措置費支弁額(月24万円)に満たない場合、扶養義務者からも利用量を徴集する方式の導入)
1982年(昭和57年)
8月17日「老人保健法」の制定
1983年(昭和58年)
老人保健制度導入(高齢者医療費無料制度の廃止)
1984年(昭和59年)
健康保険被保険者本人に2割(当面は1割、1997年より2割)の医療費自己負担
1985年(昭和60年)
第1次医療法改正
・地域医療計画
・医療法人の指導監督規定などの整備(立入調査、人事への介入、自己資本20%)
・一人医師医療法人制度の創設
生活保護費、老人福祉措置費など福祉措置費について国庫負担率を8割から7割へ引き下げ
1986年(昭和61年)
社会福祉基礎構想懇談会が「社会福祉改革の基礎構想」を提言
1988年(昭和63年)
「昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書」(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課)
1989年(昭和64年/平成元年)
3月 福祉関係三審議会(中央社会福祉審議会・身体障害者福祉審議会・中央児童福祉審議会)の意見具申「今後の社会福祉のあり方について」
4月1日 消費税実施(税率3%)
「高齢者保健福祉推進十か年戦略」いわゆる「ゴールドプラン」の策定(今後10年間でヘルパー10万人の確保を掲げる)
生活保護などに関する国庫負担は7.5割に、福祉措置費については5割に
1990年(平成2年)
3月31日 「寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課)
「寝たきり老人ゼロ作戦」の推進
4月 診療報酬改定 患者6人に対し介護職員1人以上の特例許可老人病院に定額制(マルメ方式)の導入
「老人福祉法等の一部を改正する法律」(福祉関係八法改正) 老人保健制度上での医療費加入者負担率を100パーセントに変更 特別養護老人ホームなどの施設入所の権限を町村に移転。措置権者が市町村に一元化。在宅サービスの法的位置づけ 各都道府県・各市町村に対する「老人保健福祉計画」策定の義務付け
1991年(平成3年)
4月1日 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト――廃棄物問題を考える』(厚生省編:厚生問題研究会)
11月18日 「『障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準』の活用について」(厚生省大臣官房老人保健福祉部長による通知) 全国一律の「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」
1992年(平成4年)
第2次医療法改正
・医療提供の理念規定の整備,法文化
・医療施設機能の体系化(特定機能病院、療養型病床群の制度化)
・広告規制の緩和、院内掲示の義務
・医療機関の業務 外注業者の許可基準の制定
・医療法人に関する規定の整備(標榜科名の政令化)
1月22日 臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)が脳死を「人の死」とし、脳死者からの臓器移植を認める答申 脳死容認反対の少数意見も付記
1993年(平成5年)
合計特殊出生率が1.46まで下がり 過去最低となる(発表は1994年)
保育所入所の措置制度を契約制に転換しようとする「保育サービス法」構想 → 反対により廃案 → 老人福祉措置制度解体への方向転換(介護保険構想へ)
1994年(平成6年)
11月2日 年金改革法が成立(厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせることに)
3月「二一世紀型福祉ビジョン――少子・高齢社会に向けて」(厚生大臣私的諮問機関「高齢社会福祉ビジョン懇談会」)
9月 社会保障審議会内 社会保障将来像委員会 第二次報告で「介護保険」構想が登場
11月2日 年金改革法が成立(厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせることに)
12月 「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」(高齢者介護・自立支援システム研究会)
「新ゴールドプラン策定」(新・高齢者保健福祉推進十か年戦略)
1995年(平成7年)
12月26日 11月の完全失業率が総務庁の発表で3.4%となり、1953年以来最悪に
「介護休業法」が成立(施行は99年4月から)
7月 社会保障制度審議会 33年ぶりの勧告で「介護保険制度」の創設を提言
「新たな高齢者介護システムの確立について」(老人保健福祉審議会)――社会保険方式による高齢者介護システムを提言
8月 ヘルパーの労働条件改善の勧告(総務庁行政監察局から厚生省と労働省へ)
12月16日 「高齢社会対策基本法」
1996年(平成8年)
4月 「高齢者介護保険制度の創設について」(老人保健福祉審議会)
6月 健康保険法の改正 入院時病院給食への自己負担の導入
6月 介護保険制度案大綱の作成(厚生省)
「高齢社会白書」(年次報告書)はじまる (高齢社会白書とは、高齢社会対策基本法に基づき、平成8年から毎年政府が国会に提出している年次報告書であり、高齢化の状況や政府が講じた高齢社会対策の実施の状況、また、高齢化の状況を考慮して講じようとする施策について明らかにしているものである)
10月 厚生労働省の外郭団体である長寿社会開発センターに「福祉のターミナルケア研究会」設置
1997年(平成9年)
第3次医療法改正/1997年
・療養型病床群の診療所設置
・「地域医療支援病院」の制度化
・医療提供に当たっての患者への説明
・医療計画の見直し医療法人の業務範囲の拡大
・特別医療法人制度の創設
・広告事項の追加
4月1日 消費税の税率を3%から5%に引き上げ
「付き添い看護制度」の廃止
健康保険被保険者本人に2割の医療費自己負担
5月 介護保険法案、衆院を通過
6月16日 健康保険法等改正法成立(被用者保険の加入者本人の一部負担金が2割になる)
12月9日 「介護保険法」成立
1998年(平成10年)
1999年(平成11年)
2月28日 臓器移植法施行後初の脳死移植が実施される
2000年(平成12年)
4月1日 介護保険スタート
「ゴールドプラン21」策定 政府は2000年度からのゴールドプラン21において、「新寝たきり老人ゼロ作戦」を打ち出した。そこでは、「高齢者が寝たきり状態になることを予防するためには、高齢者それぞれの状態に応じ、リハビリテーション医学に基づく、急性期、回復期、維持期の適切なリハビリテーションが提供されることが必要である」とされる
2001年(平成13年)
第4次医療法改正
・病床区分の再編成(急性期・慢性期病床の人員配置基準・構造設備基準)
・必要病床数の算定式
・カルテ開示の義務化
・広告規制の緩和
・医師・歯科医師の臨床研修の必修化
2006年(平成18年)
4月1日改正介護保険法施行
2007年(平成19年)
4月9日 厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」により、いわゆる「終末期医療のガイドライン」制定
10月15日 「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」
2008年(平成20年)
長寿(後期高齢者)医療制度施行


*作成:石田 智恵
UP:20080901 REV:
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