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GIDID

吉野 靫 20080501 『現代思想』36-5(2008-5):222(研究手帖)

last update: 20151225

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吉野 靫 20080501 『現代思想』36-5(2008-5):222(研究手帖)

  白状すると、GID(性同一性障害)の診断を受けている。3月号の特集「患者学」には、「GID規範からの逃走線」という文章を掲載して頂いた。「GID医療や戸籍性別変更の特例法が"GID規範"をつくりだして当事者を囲い込み、かつ当事者も内面化する」「GID診断の現場にヘテロセクシズムや性別二元論が持ち込まれ、典型的な"男女"が再生産されている」等のことを、したり顔で書いた。しかし実は、私自身GID医療に乗っていた過去もあったのだ。
  私の考えについて過去の散文から拾い上げるならば、「私は『女』であってもよい。そう呼ばれても、そう見なされても頓着しない。お前はGIDではないと言われるなら、それも一向に構わない。私はそれ以外に、帰る場所をたくさん持っている。『逆の性』に同一化しようと汲々とすることがGIDの証明であり、覚悟であるという言説は嘘っぱちだ。当事者の持つ多様なニーズと多様な指向は、常に都合の良い方へと誘導され、縮減されていく。私は、『私は男(あるいは女)』と言わされ、男女という制度に加担させられることを拒否する」といったところである。GIDへの思い入れはなくなっていたのだが、胸が膨らんでいる体とだけは折り合いがつかなかった。そこで、利用可能なツールとして正規医療を使い、大阪医大で乳房切除手術を受けた。
  ところが、その手術が失敗したのである。医師の説明はすべて症状と噛み合わず、縫合部は壊死した。やむなく提訴したが、心身は傷ついており、気が乗らなかった。しかし、この身に起こったことが不幸な偶然ではないようだと気づいた。表沙汰にならないトラブル。当事者間の牽制。医師との力関係。正規医療継続のための「犠牲」。まだ明示できないが、顕在化すべき問題を知り、もはや目を逸らすことはできなくなった。縁が切れるつもりでいたGID医療という「戦場」から逃走することはできなかった。しばらくは、診断を受けながらGIDに同一性を持たない/持てない立ち位置から、管を巻かねばなるまい。少し茶化してみせるなら、私はGIDIDである。


■言及

◆立岩 真也 2008/**/** 「性同一性障害についてのメモ」,『  』,生存学研究センター報告3

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性同一性障害  ◇吉野 靫  ◇ARCHIVES
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