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「コメントと質問・3」

2008/02/29
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080307
『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告2,157p. ISSN 1882-6539 pp.63-66

last update: 20151225

◇コメントと質問・3
(院生 A)授業でいろいろお話をうかがって、今日はまた水俣についてはうかがったんですが、どうも僕はそれを聞いていてですね、それはどうなんだろうという点がどうしても気になりました。緒方さんがチッソに行かれた。フォーラムでしたかね、会社としてそれに協賛くれと。そうすると、そこにこられた部長さんは、会社としては協賛できないが個人としては協賛したいといったというふうなくだりがあったと思います。
 私は難病の運動に参加していますけれども、そこにスモンの女性患者がいらしていて、ずっと車いす生活をなさっている。それで、その方にお会いすると、「あの薬さえ飲まなかったら」「売っていなかったら」ということを、いまだに示唆されるわけです。それで、その女性が、今、生存してきて心晴れる日はどういう日だろうか、と思ったときに、その会社がその女性に「すまなかったなあ、これからはそういうことはないように、われわれもあなた方と一緒にがんばっていきたいよ」というようなことが出てくれば、かなり違うと思ったのが頭にありました。だから、緒方さんのその時に、感じられた思いが、私は緒方さんであれば、会社としてその水俣のことを謝して、そして会社として一緒にそのフォーラムを成功させていこうというような形になりえないのかな、というような思いでうかがいました。別に質問ではないんですけれども、感想を申し上げました。

(天田)いかがでしょうか。栗原先生には、後でまとめてかなり雑多な質問とコメントへ応答していただく予定ですので、他の方はいかがでしょうか。

(院生 B)栗原先生のお話を伺って、すごくインパクトに残ったことは、この写真を説明される中で、栗原先生が先ほど「この写真に自分を見た」とおっしゃっていました。僕は自己同一性というのはたいてい、自分の中でまとめられているものだと思っていたのですが、自分の外にあるものに向かって、「ああ、それは自分と同じ立場にいる」「自分と同じものだと思える」っていうことがあるんだなということで、ひとつ驚きました。それが、この写真自体がそうではないとはしても、栗原先生の最初の話で良寛の本などがあって、原点がそこにあるということをおっしゃって、僕にそのことを照らし合わせてみるとまだ僕はなんか、確かに、自分はどうやって生きてきたのかなっていうことを振り返ることはできるけど、自分の原点がどこにあるのかってこというのはまだうまく説明できないところがあって、これから何年生きるか分からないし、何年勉強するのかってこともよく分からないですけど、勉強していく中で自分の原点っていうのが、ここにある、っていうことを話せるようなっていくと、いい研究者になれるかな、と思いました。
 以上が巻頭にあたることなんですけれども、もうひとつは、Aさんが今おっしゃったことに結構近いところがありまして、私は学問的な研究活動としては企業倫理学というものをやってきまして、企業の社会的責任っていうものを、それがそもそもあるのかとか、それをどうとらえるのか、などについて非常に関心を持って勉強しています。その中で栗原先生の話の中で課題責任を共有するっていう、実際には緒方さんという方がお話されたところだと思うのですが、企業の、基本的に加害者と思われている人と被害者と思われている人が同じ席で対話したり、あるいは何かひとつの課題に向かって取り組みをするということが、どれだけ可能なのかというところが、僕には非常に疑問に思えるところがあるんですね。
 というのも、例えば、実際に行われているフォーラムでお金がないからお金を貸してもらえる、お金を企業から持ってくるっていうことは確かに可能、 物理的には可能だと思うんですけれども、実際にそれが企業の、一企業の側からすると責任をとったことになるのだろうか、というのはずっと思っているところがあるのですね。というか、あまりよくはわからないんですね。あまりうまくは説明できないのですが、いってみたらお金を払って済ませられる責任、ということがあるかとは思うんですけれども、それ以外の部分で企業はどういう責任を果たすことができるのかというところを私はずっと興味を持っています。それはちょっと文脈は違うかも知れないけど、栗原先生が別のところでおっしゃった、その裁判の賠償責任からどういう枠組みで抜け出せるのかっていうところとも非常に関連があるのかなと思ってうかがっていました。この点に関してひとつ質問したいと思います。企業の課題というふうなことでお願いします。以上です。

(天田)ありがとうございました。

(院生C)栗原先生ありがとうございました。私は、緒方さんのお話の中で「毒の魚を食べ続けている」という話をおっしゃっていたこと、もうひとつは、水俣の言葉で「のさり」という言葉があり、「こういう毒に冒された魚でもやはりのさりである」とおっしゃっていたことに、ある種びっくりしたというか、それをまた食べ続けているということにびっくりしたのですけれども、その上で、共生っていうことを考えてみたときに、そういう災悪とか、そういったものも贈り物としてとらえる、という、そういうものに、それが共生なんだよって言われたときに私も含めてちょっと戦慄を覚えてしまうというか、そういう人が多いと思うんですね。それで、天田先生がおっしゃっていた水俣の名前が水俣病に使われるということでそのイメージもあると、でも水俣の人たちはチッソという会社によってお金をもらっているという、そこに加害者と被害者というのが本当に交錯しているような状態になっていて、でそういったところ、それでも、その共生ということを考えるときに、それを「のさり」として受け入れていくっていう、そこをこう乗り越えていくっていうのはいったいどういうふうにしたら可能なのかなということについ て、先生はどういうふうにお考えでしょうか。この点についてお聞きしたいなと思いました。

(天田)ありがとうございました。他にいかがでしょうか。

(院生 D)お話を感激してお聞きしたのですが、栗原さんのお話を聞いて、出来事をどのように位置づけるのか、その自分の立ち位置みたいなものが決まるというか、変わるというか、その点も含めて興味深くお聞きしました。雨宮処凛の『生きさせろ !』っていうことが自分のなかでもこうもやもやした気持ちがあって、それは何だろうって考えていたこともあったので、それが出てきた、たしかそういうことがあったと思うんですけど、栗原さん自身が確かさっきのお話だとコロンビア大学に留学中に、参加観察っていうか、参加と観察のデモに参加して、栗原さんがデモに参加して、先生のほうが路傍で「がんばれ」って言っているという話がありました。それで、その後、栗原さんが帰ってきてからも、やっぱり、こうデモに参加するあり方に上記とは違うっていう感じがあったのかどうかという点が気になりました。もう一つには、一つ目に関わることでもあるのですが、ボランティア学会などについても語られてきていると思うのですが、それは、入るときと出るときにけじめをつけて出て行くのか、それとも関係を保ちつつ、大本教との関わりみたいに並列して関わっていくのかなということが気になりました。一点目は、出来事との距離感という点と絡めてお話いただければと思います。ちょっとうまくいえないんですけれども。

(天田)ありがとうございました。他にどうでしょうか。そうしましたら、たくさん質問やコメントがあって先生には大変申し訳ないのですが、先生、よろしくお願いいたします。

□立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080307 『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告2,157p. ISSN 1882-6539


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