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「コメントと質問・2」

天田 城介 2008/02/29
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080307
『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告2,157p. ISSN 1882-6539 pp.58-63

last update: 20151225

◇コメントと質問・2
(天田)ありがとうございました。続けて私から極めて簡単なコメントさせていただき、それからフロアーの方々から様々な質問やコメントをいただければと思っています。
 栗原先生、非常に詳細にお話していただき、まことにありがとうございました。また、この場を借りて先生に深くお詫び申し上げなければならないのですが、実はこの企画を先生にお願いしたのはつい一週間くらい前でして、唐突のお願いを直前にいたしましたことを深くお詫び申し上げます。ただ、こちらが突然お願いをしたにもかかわらず、きわめて限られた厳しい時間的制約の中で、先生にはたくさんの資料を用意していただき、非常に丁寧にお話していただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
 それと、私の方からも栗原先生のご退職記念のご本に寄せた原稿を配布しています─実は、私、9月末にハードディスクを大破してしまいまして、最終版の原稿ファイルを消失してしまったため、配布しているのは「草稿」になります─。どの程度、参考になるかはわかりませんが、事前に読んでおいたほうがよいこともあるだろうと思って「草稿版」をウェブ上にアップ して皆さんに配布してあります。この原稿では栗原先生の書かれた文章を比較的たくさん参照させていただきながら─もともとこの 4倍ぐらいあった引用部分を大幅に削除してこの分量になっています─、栗原先生の思考されてきたことのごく一部を、そのエッセンスを書いてみたつもりです。先生が思考されてきたその先をいかに考えるかについてまで書くことは全くできておりませんが、一応参考資料として配布しています。一応この点もお伝えしておきます。
 さて、私自身は、石牟礼道子さんの 1969年刊行の『苦海浄土』が文庫版として出版された 1972年、あるいは誰もが知っているところでは浅間山荘事件があった年に生まれていますので、いわばその時代についてリアルタイムで全く知らないわけです。ただ、小学校・中学校という時期に親世代から ─私はいわゆる「団塊ジュニア」の世代ですが、私の父は 1939年生まれでどちらかといえば栗原先生の世代に入ることもあって─諸々について何となく聞き、そして栗原先生たち世代が考えてこられてきたことを受けとってきました。
 そうした時代であったのだと思うのです。その中で 60年安保の話やその後の話なんかを押し付けがましい人たちから聞き、多少は共感しつつもなかばウンザリしてきたというのが幼いころの経験としてあります。程度の差こそあれど、おそらくそのような世代になります。
 そして、その後、大学に入って、栗原先生の世代の人たちから、そして団塊世代の人たちやその次の世代の人たちから私が何をいかに受け取ったのか/何をいかに受け取るべきなのかということを常に考えてきたように思います。更に付け加えれば、大学院生になってからは立岩さんたちの 1960年前後の世代の仕事から実に多くのことを学び、そして受け取ってきました。だからこそ、思うのです。私たちは、それぞれの時代的・歴史的な文脈においてその時代を生きてきた人たちが何をいかに思考してきたのかをまずはきちんと知り、その上で、「その先」を考えることが大切であると。
 以上のような点を踏まえて栗原先生にまずお聞きしたいのは─おそらくは詳細にお聞きしなければならないことなのでしょうが、ここではざっくり と質問をいたします─、先生は時代的・歴史的文脈の中で立ち現れてくる出来事を通してさまざまに思考されてきたのだと思いますが、現実的には、 ─まさに私たちの現実はそうであるがゆえに厄介なのですが─様々な困難があると思うのです。だからこそ、それぞれの人たちに厄介でありながら、その厄介さはバラバラであり、更にはその中で苦悩・葛藤するわけです。これは当たり前の話ですが、とは言っても、私たちはこうした現実の困難性を引き受けていきていかなければならないわけです。先生にまずはこの点をお聞きできればと思います。
 例えば、水俣に限定したとしても、─私は 1年半前まで熊本に住んでいましたし、先ほどお名前が出た原田正純先生と同じ熊本学園大学という大学で働いていたこともあり、私自身は全く門外漢ではありますが─、それでも諸々の困難な現実を伝え聞くわけです。とりわけ水俣について考えあぐねている大学生や大学院生から話を聞く機会もありました。
 そこでは、水俣病をめぐる様々な困難や苦悩や葛藤があり、大学院生たちでそのようなテーマについて考えている人たちもいました。多くの場合、諸々の親族・知人間のいざこざを含めて様々に関係上の齟齬や軋轢や対立があり、また裁判などをめぐって当事者や支援者にも諸々のコンフリクトがありました。そして水俣市民の中にはそうしたコンフリクトに嫌気を感じたり、場合によっては回避したりするような現実を聞くこともありました。具体的には水俣市民などから起こった「水俣病」という名称を変更しようする運動が起こってきた時代、また裁判を含めて様々な出来事が出来していた時代に、多くの研究者もそこに関わっていた。そしてそれらをめぐる現実の厄介さについても知っていたわけです。このような困難や厄介さは、生存をめぐる現実に常に随伴する困難と厄介さですが、そうした社会学的に重要な現実の現実性をどのように考えてきたのかという問題があります。
 そうすると、本日、栗原先生のご指摘された第 2点目に関わる問題だと思うのですが、「多様な政治を学ぶ」という場合、現実に惹起している困難な出来事があり、まずはそのような現実の困難性を先生はどのように位置づけながら、ある種、〈水俣〉の肯定性を提示されたのか─とりわけ、「これは 私である」という根源的な自己と他者の関係のありようを提示されたのか ─。特に、上記のような関係のありようを私自身も引き受けてそのように考えているところはあるにしても、事実として、現実にはそのようにはなっておらず、また私たちの社会はそのように回らないからこそ立場や状況が異なれば、その引き受けてしまう困難が異なり、そこに軋轢や対立や分裂を招来してしまうという仕組みがあると思うのです。この点について先生がどのように時代の中で考えられてきたのかについて率直におうかがいできればと思っています。これが第一点目になります。
 ちなみに、このようなそれぞれの時代において歴史的に何がいかに起こってきたのかについて調べるという─まさに研究者を含め様々な人たちがやるべき─仕事は山ほど残っていて、そのように事実をさしあたり淡々と、そして緻密かつ詳細に記述することはそれ自体で大切な仕事だとわれわれは思っているところです。
 第二点目は、先生に以前からお聞きしたいと思っていた点でもあるのですが、「大本」や「やさしさをめぐる青年たち」、あるいは「コミューン」、更には「ボランティア」や「市民活動」、そして「高畠」や「水俣」というようにそれぞれの時代において先生が考えてきたテーマがありますが─もちろん、それは常に連続して一貫して考えられてきたことであり、時代によってテーマが単純に変化してきたとは思っていませんが─、いずれにしても上記のようなテーマを考えていく中で、先生の中で、どのあたりが先生の個人的あるいは理論的関心から連続しており、あるいは逆に、それらの個別の困難と厄介さを考えれば考えるほど、ある種、それらの現実がうまく論理的に順接させて考えることができず、隔たりとして感受されたのか、という点は率直に気になったことであります。先生が考えてきた現実の中での「連続」と「非連続」、「順接」と「逆接」、「接合」と「隔たり」についてお聞きできれば幸いです。
 第三点目は、上記とも重複しますが、たとえば「市民社会」だとすれば、それらの何をいかに肯定し、否定するか、という大きな問題についてです。現実の何を肯定し、何を否定するのかという按配というか、その論理的接合 が気になるわけです。そのようなことを先生がどのようにお考えになったのかは非常に興味深い点でありますし、それぞれの時代の中で─あるいは今から振り返ってみて─いかに思考されてきたのかという点について率直にお聞きしたいと思うのです。これが三点目になります。
 社会学的に考えてみると、それぞれの時代の中において何かを肯定するという作業はその実、極めて難しいことであるように思うのです。現実において腹立たしいこと、あるいはその現実の息苦しさについて〈否定〉することは─何をいかに(44444) 〈否定〉するのかという途轍もなく重要な問題はあるにせよ─比較的容易のように思いますが、何をどのように(4444444) 〈肯定〉するのかというのは現実の困難を知っていれば知っているほど、あるいはその〈肯定〉が別の〈否定〉に接合してしまうことを知悉していればいるほど、実は極めて難しいと思うのです。むろん、第一点目で指摘したように、現実にはそう単純ではない困難かつ厄介な問題が山積している場合、その時に〈肯定〉する作業は─誰でも分かるように難しいのですが─、そうでなくとも、〈肯定〉の立ち位置それ自体が難しいと思うのです。そのような〈肯定〉の立ち位置に関わる社会学的困難を先生はどのようにお考えになってこられたのかなという点についてお聞きできれば幸いです。
 最後は、本当に雑感となりますが、実際に他者の〈声〉を聴き、他者と〈出会い〉、そして他者の「呼びかけ」に〈応答〉する中で、ネットワーキングが紡ぎだされていく、それ自体の契機というものがあると私自身も考えておりますし─水俣の言葉でいえば「のさり」という、ある種の「贈与」にも関わることでありますし、もっといえば「根源的な贈与」というようなより根底的な問題に関わることであります─、「人間の政治をとらえていく」それ自体は大切な「問い」であると思うのですが、ただそれを受けた上で、私たちが何をいかに考えるかということもあるのだと思うのです。たとえば、「水俣」にせよ「コミューン」にせよ「青年」にせよ、その人たちは、現在、すでに年齢を重ねて老いを生きており、その中で自らの実践を現実の中でどのように考え、いかに動いてきたのか、更にはそのような現実の中で社会科学が何を語ってきたのか、このような仕事を私たちは引き継いて考えるべき であろうと思ったところです。
 だいぶ時間が超過してきていますので、このあたりで私の質問とコメントは終わりにさせていただきます。私たちが先生たち世代の仕事を引き受けた上で、その先をいかに考えるべきであるのかについての私なりの拙いコメントを述べさせていただきました。
 さて、残り 30分ありませんので、院生の方々からも積極的にコメントあるいは質問等をしていただければと思います。いいでしょうか。せっかくのこういう機会ですので。

□立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080307 『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告2,157p. ISSN 1882-6539


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