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「在宅療養中のALS療養者と支援者のための重度障害者等包括支援サービスを利用した療養支援プログラムの開発」事業完了報告書 第二章W.X.

特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 2008/03/31
平成19年度障害者保健福祉推進事業 障害者自立支援調査研究プロジェクト

last update: 20151225

平成19年度障害者保健福祉推進事業 障害者自立支援調査研究プロジェクト

「在宅療養中のALS療養者と支援者のための重度障害者等包括支援サービスを利用した療養支援プログラムの開発」事業完了報告書 第二章W.X.

平成20年3月31日
特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会

W,全国自立支援法訪問系サービス給付状況
図表(jpg)

全国自立支援法訪問系サービス給付状況


X,資料

<資料:JALSA講習会 シンポジウム>
障害者自立支援法を活用したケアプラン
自立生活を目指した活用の実際と今後の課題

当事者の思い 〜絶望を希望にかえて〜
坂口浩司

8歳の頃から30年間、鈴鹿病院に入院していましたが、いつも心には退院したい、自分らしく生きたいという思いがありました。1度、23歳の時に退院した事があり、その時に家族に大変な負担を掛けた事と自分の体を悪くした経験があったので、退院=危険、退院=家族の負担というイメージがあり諦めていましたが、退院したいと強く思うようになったのは気管切開をしてからでした。
気管切開をして現在のように元気な体になりましたが、失ってしまった事もありました。
それは回復しない体力、食べる事、笑顔などでした。元気になるために気管切開をしましたが肺炎を繰り返してばかりいて、いっこうに回復しない自分の体に苛立ち、やけになっていました。
誤嚥が肺炎を繰り返す原因という事で前日まで食べていた食事も食べられなくなりました。
辛い事ばかりが続きいつしか笑顔も消えました。しかし、家族に悲しい思いをさせまいと生きがいが出来れば気持ちが変わると思い、好きな事に打ち込むのですが入院生活は決められた時間に決まった事しかしてもらえません。そして限られた時間の中で自分のしたい事のほんの一部の限られた事しか出来ません。本当は、もっとしたい事やしてほしい事がたくさんあるのに体が動かないから諦めないといけない、人手が足りないから我慢しないといけないと自分の気持ちを抑えて生きていかなくてはならないので辛くて死にたくてたまりませんでした。心には絶望しかありませんでしたが気持ちが前向きになったのは、いろいろな障害を持った人達のホームページを見てからでした。
そこには、真剣に精一杯生きている人達の姿がありました。僕よりも重い障害があっても、しっかりと生きている人がいるのに、こんな事で絶望している自分がとても恥ずかしくなりました。そしてこのままたった1度の人生を悲観し続けて無駄に過ごすのは悔いを残すだけだと思い、いつも心にある思いを実現させてみようと退院をして地域で生活しようと決めました。そして福祉ホームで地域生活をめざしている友人に地域で生活を考えていると相談のメールを送ったら名古屋から鈴鹿まで飛んできて相談に乗ってくれたり、福祉ホームとは、どんな所なのか教えてくれたりと親身になってくれた事がきっかけでAJU自立の家を知る事できました。そしてホームページを見てAJU自立の家がどんな事を思い、どんな活動をしているのかを知り、ここなら僕の願いが叶えられるかもしれないと思いメールをしました。
そして見学させていただき、そこで自分らしく生きたいという思いを伝えました。しかしAJU自立の家に訪問させていただき、自分の思いを伝えるまでは、重度の障害がある自分を支援してくれるのだろうかと不安でしたがAJUの常務理事の方と職員の方々に思いが届き地域で生活ができるように支援していただける事になりました。こうして目標ができ、生きる希望が沸き笑顔を取り戻しました。そして僕の支援をしていただけるようにと常務理事とそして多くの皆様に呼びかけていただきました。
おかげさまでたくさんのヘルパーさんに支援していただけるようになりました。
それと平行してAJUの施設長、副所長、職員、ヘルパーの皆様に医療的ケアのために、筋ジス、気管切開の人工呼吸器使用者の管理や胃ろうの経管栄養についての研修を医師から受けていただいたりフジ・レスピロニクスの方からの人工呼吸器の知識と管理の研修も受けていただきました。鈴鹿病院でも医療的ケアの研修を受けていただきました。それから在宅クリニック、訪問看護ステーションを探していただきました。
その間、僕は主治医の先生や看護師長さんに退院したいという思いを伝えました。さらに自分が必要な介護についてのマニュアルを作成しました。AJUの施設長、副所長とコーディネーターと地域生活に向けての話を何度もしました。医療的ケアについてや緊急時の対応の方法、地域生活をするために必要な事などを話し合いました。そしてAJUの施設長に手伝ってもらいながら色々な手続きをしました。こうして多くの方々のおかげで地域での生活が出来るようになりました。
あれから半年がすぎましたが、今は好きな映画を映画館に観に行ったり買い物に行ったりしています。このような毎日の生活を送る事が出来るのも24時間を支援していただいているからです。
ヘルパーさんは24時間利用しています。普段ヘルパーさんは一人ですが、二人派遣が認められているので入浴や外出する時などは二人です。ヘルパーさんの他に支えていただいているのは、在宅訪問医の先生、訪問看護師さん、定期検診を受けている病院の先生です。在宅訪問医の先生には週に1回往診していただいています。訪問看護師さんには週に3回、来ていただいてバイタルチェック、呼吸リハビリ、拘縮防止のためのリハビリをしていただいています。定期検診を受けている病院には2ヶ月に1度通院しています。退院して一番心配な事は自分の体の事でしたが、在宅訪問医の先生、訪問看護師さんのおかげでその心配も消えました。特に在宅訪問医の先生は不安を親身になって聞いていただいたり緊急時では、なくても何かあれば訪問していただいているので安心して生活が出来きるのです。
地域に出てきて半年が経った今、分かった事があります。それは、このように多くの方の支えがあれば僕のような障害が重くても地域生活が出来るという事です。
しかし現実はまだまだ厳しく簡単には、いかないと思いますが多くの方に地域生活が送れる幸せを感じてほしいと思っています。障害が重くても軽くてもすべての人が当たり前に暮らせる社会になる事を願っています。


医療的ケアに関する事
笹辺道子(障害者ヘルパーステーションマイライフ副所長)

坂口さんからの思いをAJU全体で支援する事になり、看護師資格を持つ笹辺が「医療的ケアに関すること」の担当となりました。最初の取り組みとして、担当主治医と師長からの在宅療養に関して、具体的な状況の説明を受ける情報収集が必要でした。そして24時間365日相談することができ、必要時往診してくれる在宅医を探すことが急務でした。又その一方で職員全体研修として「筋ジストロフィーについて・デュシャンヌ型について・胃ろうの経管栄養について」「人工呼吸器利用患者の管理」「人工呼吸器の知識」「気管内吸引の実技研修」を企画実施しました。

1)本人の思いの確認。担当主治医と看護師長と指導員の方からの情報収集をすすめつつ、デュシャンヌ型筋ジストロフィーの38歳という方の医学的な問題と予後のことなど、病院ではない初めての在宅生活への覚悟など何度もコミュニケーションをとり確認をし、ご本人にも言葉にしてまとめてもらいました。「生命をかけて病院の外へ地域での生活を始め、絶望から希望をみつけたい。」そのためには何をしなければいけないのかを考えてもらいながら情報提供をしました。(実現にむけて、ミーティングで困難なことにぶつかるたびに、訪問をし顔を見て話し合うことで元気になり状況を整理することの繰り返しでした。(坂口さんにとってもそうであったとあとから聞きました。)

2)病院で看護されていることを自分でレジュメにまとめ、ヘルパーに指示を出せるように準備しておくこと。自分自身の介護と医療的ケアについての理解をし、家族以外の非医療職に必要な時に的確に指示を出せるようにすることは、地域で生活をする障害者にとっては重要な当事者主体であり、生死に関わる人任せにしない人生の自己決定の第一歩です。

3)主治医と退院後の神経内科の定期受診できる病院の紹介についてと、緊急時に入院できるバックベット病院について相談しておくこと。

坂口さんには上記3点についてすすめてもらいました。

4)在宅医について
在宅医についてはご本人の希望にそって、24時間365日相談と往診可能な病院の情報を探していたところ、三つ葉在宅クリニックを 同じ昭和区にみつけることができ、話に伺ったところ「出来るだけご本人の意志を尊重していきたい」とのご返事をいただきました。障害者の医療保険での人工呼吸器利用者管理として、「最初は毎日でも、落ち着いてくれば週一ぐらいに。夜間でも二人体制でいつでも緊急時に対応します」とのお話に心強く思い、坂口さんに報告、決定しました。

5)全体研修
「筋ジストロフィー・デュシャンヌ型について・胃ろうの経管栄養について」
「人工呼吸器利用患者の管理」「人工呼吸器の知識」「気管内吸引の実技研修」などについて、医師や、坂口さんが使用している呼吸器の業者の担当の方や、NPO法人の福祉サポートセンターの看護師の方々に依頼し、担当ヘルパーが決まるまでにもAJUの職員全体の研修をして、いつでも支援できる体制作りの一歩としました。また7月以降は入って頂ける予定のヘルパーの方達も含め「人工呼吸器アラーム対応」や労災病院主催の「胃ろうセミナー」などについても、全体に呼びかけ研修の機会としました。 
3月―8月 8回 延べ 271人 370時間
6)退院にあたり「家族以外の者に対する教育」
病棟の担当看護師長とは退院に向けて、ヘルパーなどに退院指導としての教育について了解をもらい、日程調整をすすめようとしていたところ、国立病院機構鈴鹿病院では、家族以外の人への退院指導は過去に例がないとのことで、事務長から問い合わせがありました。平成15年の「たんの吸引の措置」に関する厚労省の通達をお知らせし、また何度か必要性を説明し、ご検討下さるよう御願いをし、その結果了解を得られました。研修内容については気管内吸引以外にも、人工呼吸器の設定とチェックの仕方、緊急時のアンビューの操作、胃ろうの経管栄養注入の実際などについて、AJUでチェックリストを作成し病院での規定に従って、担当看護師がついて指導下さいました。病院研修の前にも、モデル人形での気管内吸引の個別指導をAJUにおいて笹辺が担当しました。 
6月―8月 延べ 56人 334時間

7)在宅での訪問看護ステーションからの指導について
厚労省通達による「たんの吸引の措置」においては、訪問看護ステーションの指導のもとにとありますが、毎回新規ヘルパーの方に指導ということは難しく在宅医と相談。初回に全体指導してもらったのをDVDとして活用し、個別指導は研修モデル人形を使用し何回か研修した上で、ご本人のところで見学同行した後、実際にやっていただき笹辺からのチェックとご本人からの了解をもらって研修終了という形をとることにしています。また法人の施設の中に「生活介護」があり、看護師が日中常勤しており緊急時などの対応も連携しています。

8)在宅医との連携
「24時間365日体制のいつでもすぐに」「患者本位のQOLをめざした医療」「医療はあくまで、生活をするものとして考え個人意志の尊重」という理念を掲げた在宅医は、ご本人との信頼関係はもとより、AJUでの全体研修や医療的ケアに関する相談も受けていただいています。名古屋に来られた初日の夜に、気管カニューレの違和感があり、クリニックに電話をしご相談をしたらすぐに担当医と呼吸器専門の先生がかけつけて下さいました。鈴鹿病院で退院直前に声を出やすくするために、二重になったカニューレの内筒を1サイズ小さくしたりなどのコミュニケーション確保の工夫がされてきたのですが、ご本人もまだその状況に慣れていないため不安になられたようでした。二人で来所され訴えを丁寧に聞いて対応していただきました。違和感は時間がかかるとのことでしたがご本人はすぐきてくださったことと、丁寧な対応にこれからの在宅生活そのものの漠然とした不安も小さくなり、在宅医への信頼を確実なものとされたようです。

9)ご本人参加の研修
ヒヤリハットなど随時ヘルパーさん達に伝えたい事、情報の共有などフォローアップ研修としてすすめています。


AJU自立の家としての取り組み 〜支援体制と制度利用について〜
木下努(福祉ホームサマリアハウス施設長)

AJU自立の家とは
社会福祉法人AJU自立の家(以下、AJU略す)は名古屋市昭和区にある障害者自立支援施設です。平成2年4月に障害当事者運動を母体に開設されました。
現在、身体障害者福祉ホーム、生活介護、授産施設(2ヶ所)、アルコール依存症者回復施設、障害者地域生活支援センター、高齢者・障害者ヘルパー派遣、福祉機器レンタル等の事業を行っています。
私が施設長を務める福祉ホームサマリアハウスは「障害者の下宿屋」として開設以来18年で80名以上の仲間を地域へ送り出しました。
笹辺が副所長を務めるマイライフは現在、名古屋市内を中心に158名の利用者に対し、1ヶ月20,000時間のヘルパー派遣(うち、重度訪問介護18,000時間)を行っています。
また、こういった事業だけでなく全国的な障害者団体であるDPI日本会議に加盟し、障害者運動にも積極的に取り組んでいます。詳しい事業内容についてはAJUのホームページをご覧下さい
http://www.aju-cil.com/
尚、AJUとは長年支援をして下さっているカトリック教会関係の市民活動「愛の実行運動」の頭文字をとったものです。

はじめに
2006年の春頃、AJUに一通のメールが届きました。「AJUに見学に行きたい。」
それが坂口浩司さんとの出会いでした。何度かのメールのやり取りがされ、その年の年末に坂口さんがご家族の方と一緒にAJUへ見学に来られました。
見学に来られた際、ご本人より「ただ息をしているだけの人生は嫌だ」、「病院を退院して地域で生活したい」という思いを聞きました。
2007年1月中旬、AJUのスタッフが集まり、ご本人の思いをどのように受けとめるかの話し合いがもたれ、実際に病院へ訪問し、ご本人と話しをするところから、坂口さんの退院支援が始まりました。

退院支援体制について
2007年1月下旬、鈴鹿病院に訪問をして、ご本人の地域生活への思いを再度、確認しました。同時に、主治医、看護師長、生活指導員の方とも話しをし、「体制が整えば地域生活は可能である」という意見をいただきました。
2月に入り、サマリアハウス(福祉ホーム、デイセンター)、障害者ヘルパーステーションマイライフ(以下、マイライフ)、地域生活支援センター等、AJUの各部署のスタッフが集まり、坂口さんの思いを受けとめ、退院支援をどのように進められるかの継続した話し合いが始まりました。
退院支援を始めるにあたっては、最初から順調であったわけではありません。話し合い当初は「医療的ケアが必要なご本人を本当に受けとめられるのか?」、「ご本人の介助はマイライフだけでは無理ではないか?」等の意見が出され、何度も真剣な議論が重ねられました。
話し合いの中で、複数の事業所がヘルパー派遣に入った時、ヘルパーが派遣できない場合や緊急事態の場合、誰がどのようにコーディネートするのかといった問題提起がなされ、最終的に「他の事業所には依頼せず、AJU全体でご本人を支援する」ということが確認され、本格的な退院支援が始まりました。
退院支援体制をつくるにあたっては、責任者(木下努)と副責任者(マイライフ主任)を決めました。これは、退院支援とその後の地域生活支援での責任体制を明確にすると同時に地域生活開始後のご本人に緊急事態が起きた場合の対応をスムーズにさせるためのものでした。
そして、「制度利用」(木下努)、「医療的ケア」、「介助体制」の担当を決め、役割分担をし、ご本人とのメールや病院訪問での聞き取りを重ね、退院支援を進めていきました。私自身はご本人が退院されるまでに、9回病院に訪問し、ご本人とのやりとりをしました。また、メールに至っては数え切れません。
退院支援の検討会議は、全体ミーティングを15回、担当者による小ミーティングを10回行いました。会議の位置づけは、小ミーティングでそれぞれ担当ごとの進捗状況の確認、課題整理と調整、そして小ミーティングである程度確認されたことを全体ミーティングで報告し、意見交換、最終決定をして実行に移すというスタイルを確立しました。
退院支援を進めていく上では、退院までのタイムスケジュールをつくり、当初は桜の咲く季節から6月頃までに退院という目標をかかげましたが、医療的ケアの研修、介助者集め、ご本人の準備等のさまざまな準備のテンポを考え、ご本人とも話しあって2007年8月末の退院と決めました。

制度利用・介助体制について
「制度利用」については、ご本人の経済状況、退院するにあたって必要な備品とそれにかかる経費、利用できる制度と必要な手続き、医療的ケアに関する同意書、緊急時の連絡体制の確立、リスクマネジメントのまとめ、引っ越し準備等をご本人と話し合い整理し準備しました。
また、全国各地の自立生活センター等にも相談、情報収集を行いました。
「介助体制」については、1日24時間、1週間の日課と必要な介助の内容と時間の洗いだし、介助マニュアルづくり、1日の介助者をどのような体制で派遣するか等を整理し、準備しました。
名古屋市では平成15年度に支援費制度が始まって以来、「必要な人には必要なだけのサービス」が提供される方針が出され、必要な人には24時間のホームヘルパー派遣が可能でした。
障害者自立支援法施行後は、名古屋市独自の支給決定基準が設けられましたが、坂口さんの場合は、障害程度区分6で単身生活(支給決定基準V)ということで、1ヶ月の基準は96,370単位に該当しますが、支給決定基準で対応できない非定型に該当し、審査会に図られ、24時間の派遣が可能となりました。
重度訪問介護をはじめ、現在は、主に下記のような制度を利用されています。

重度訪問介護 1ヶ月:796.5時間
日常生活用具の給付 特殊便器、携帯用吸引器、パルスオキシメーター、入浴補助用具
福祉特別乗車券 地下鉄・市バスがご本人、介助者とも無料。名古屋市独自の制度。
重度身体障害者リフトカー運行事業 1時間400円。原則として月8乗車以内、1乗車2時間以内。8:00〜20:00利用可能。通院、社会参加への利用が可能。名古屋市独自の制度

「介助体制」づくりでは、マイライフを中心に介助を指導できるスタッフからまず養成しようということを決め、指導を担うスタッフから順に病院研修に入りました。また、当初は専属スタッフを準備しようと各方面に呼びかけましたが、期待したような反応はなく、マイライフの登録ヘルパーに坂口さんご本人のことを話し、スタッフとして活動してくれないかと個別にあたり、募っていきました。ご本人には退院するまでに一度、サマリアハウスへ訪れてもらい、介助者との懇談会を行い、お互いの顔合わせを行いました。さらに、マイライフのヘルパーだけでは長期に渡って安定した介助体制を維持していくのは難しいとの判断から、AJUの各部署のスタッフにも協力をあおぎ、月1〜2回程度、介助へ入ってもらう体制をつくりました。試行錯誤した結果、現在は下記のような24時間の介助派遣体制を作り上げ、マイライフPA12名、登録ヘルパー13名、AJUスタッフ16名が入り支援しています。

時間帯 主たる介助者
10:〜18:00 登録ヘルパー、マイライフPA中心
18:00〜22:00 AJUスタッフ中心
22:00〜翌朝10:00 登録ヘルパー、マイライフPA中心
※PAはパーソナルアシスタントの略

まとめにかえて
2007年8月27日、坂口さんは30年以上入院していた鈴鹿病院を退院され、念願の地域生活を実現されました。
福祉、医療の利用できる制度は利用し、役割分担をして支援をしてきた結果ですが、ご本人の地域生活に対する強い思いがなければ実現できなかったことはいうまでもありません。
24時間365日必要な人に必要なだけのサービスが、全国どこに住んでいても提供されることが、私たちの願いであり、そのために今回医療的ケアが必要な方の超重度と言われる方の病院から地域への支援の事例として発表しました。
支援を通じて、サービスの地域間格差の是正、地域移行に利用出来る制度の確立、介助者研修等の課題が見えてきました。
実際、大都市と地方都市とではヘルパー派遣の支給決定時間には大きな開きがあります。また、大都市ほど、その市独自の制度があるなどして、地域生活を支える社会資源になっている場合があります。
私たちは、今回のことが特別な事例でなく、国の障害者自立支援法の地域移行の方針を受け、各自治体の福祉の方針が本当に当事者の手に届く様な運動となるようあらゆる機会に、当事者と声を出していきたいと考えています。

つづき→

*作成:
UP: 20090731
全文掲載  ◇目次  ◇川口 有美子  ◇ALS  ◇ケア  ◇障害者自立支援法  ◇NPO法人さくら会
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