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ハンセン病、障害、優生思想

『人間回復へのことば』玉城しげさんのお話を聴く会発行 報告集所収 2008/3/7

last update: 20151225

ハンセン病、障害、優生思想
                        四十物(あいもの)和雄(富山市)

(1)基本的な疑問
 私・たちには、今回の企画を実現しようと考えた時に、戦後の「平和と人権の」憲法下において、何故に、「優生保護法」(1948年)が「国民優生法」(1940年。ナチス・ドイツの断種法がモデル)を改定して、優生手術対象者に新たにハンセン病者を組み込む形で成立したのか?また、戦前の「(旧)癩予防法」が、何故1953年に「(新)らい予防法」として(96年の廃止に至るまで)基本的に継続されたのか?という疑問が常に付きまとっていました。
 それは同時に、私たち民衆の側の基本的人権尊重思想の受容の不徹底さ(日本民衆自身が獲得した憲法ではない!)や、障害者、ハンセン病を含む病者への差別や忌避感(それは近代的な能力主義と結合していますが)を、「当たり前のもの」として、問うこともしなかった問題がある、ということでもあります。
 先に述べた、障害者、病者への差別・忌避感を、私は「優生思想」と呼んできました。どうもその「優生思想」と、次項に述べる「優生学」と結びついた社会政策(優生政策)の国家による「必要性」ということが、戦後もハンセン病者への隔離・収容が継続していった関係あるように思われますが、未だにすっきりした答えを見出すにはいたっていません。

(2)優生学とその拡大適用
 「遺伝学」と「ダーウィン流の進化論」とを結合させて生まれた「優生学」なるものは、「生命の優劣・選別」という価値観をストレートに持ち込んでいる点において、近代科学としての必要条件を元々満たしていないエセ「科学」そのものでした。その「研究成果」では、「優生」な「生」を生み出す事が出来ない、という否定的状態も明白になっていきました。そういう状況の中で、「優生学」自体の存続のためには、社会の多数派の「社会的必要性」に応える形で、「不都合な生」を「劣生=あってはならない生=撲滅すべき生」として選別(隔離―絶滅)する政策の道具に成り下がっていく、ということが起こりました。それが「去勢」や「不妊手術」、「強制堕胎」を強行することを合法化するという、各国各種の「優生法」の成立や、行政命令を生み出しました。
 そこに働いているのは、「なんとしても『人間の優劣を規定している要因』を探ろう」として、人体実験すらいとわない「優生学者」の利害と、国家の社会的統合力の危機に対応するために、「邪魔な生を『劣った生』」として社会から「隔離・撲滅していこう」(ナチスの大量安楽死のケースは、一般化はされなかったが)とする、国家の社会防衛政策との結合でした。

(3)優生学と優生思想
 広い意味での「優生思想」は、歴史の上で人類が現れてからずっと存続してきた考えで、どんな思想や宗教にも痕跡があります。
 日本においては、近代以前には、主として「穢れ」という忌避観念と「因果応報」(俗に言う「親の、または前世の因果が子に報い」という考え)という仏教の概念がありました。これが近代になり、遺伝学・進化論を背景にした優生学によって、遺伝と関係付けられて正当化され、現在いわれている優生思想として定着していったようです。近代以前は、基本的には障害者、病者は「放置されて」いました。厳しい差別はあったにせよ、社会から意図的に隔離・収容はされていなかったようです。ましてや、「新・旧らい予防法」や「優生保護法」の示しているような「撲滅」の対象ではなかったのです。近代での優生学・優生思想がそれを可能にしたのです。
 日本が近代国家に仲間入りをするやいなや、国民国家づくりの一環として国家が介入し、民衆の中にあった差別・忌避感を利用しつつ、「劣った人」「危険な人」として隔離・収容の対象へと編成され直してきたのでした。時期的には日露戦争後の20世紀初頭のことです(1900「精神病者監護法」、1907「癩予防ニ関スル件」等)。それ以降、特に1931中国侵略開始と「旧癩予防法成立」とそれを下から支える「無らい県運動」があり、以降は「ハンセン病隔離政策」と「民族浄化による富国強兵」が一体化したものとして展開されていきました。
 ここで問題になるのは、遺伝病ではなく感染病であるとわかった後にも、ハンセン病者に対して、何故、優生政策が取られたのか?ということです。これは「遺伝性」や「(人間能力的に)劣った生」とは証明できない障害者、ユダヤ人、シンティ・ロマ人に対して「安楽死政策=絶滅政策」を取ったナチス・ドイツとも共通することです。
 今いえることは、国家による、「国民の生物的劣生」を作り出す「元凶」として、これらの人たちが位置づけられ、それに対する「撲滅」的政策を「正当化する」ために、優生学→優生思想が最大限活用されていたこと、これです。民衆も、その危機感を根っこに、存在してきた優生思想と結びつけることによって、「共鳴」=一体化して来た、という冷厳な事実でしょう(ハンセン病の場合、「無らい県運動」の経験抜きに、90年にもわたる隔離―撲滅政策の存続はありえなかったことでしょう。私たちはそのことをしっかりと胸に刻んでおく必要があります)。 

(4)戦後「優生保護法」下での現実
 戦後の優生保護法においては、戦時下において「違法な」優生手術(不妊、堕胎、去勢手術)を受けていたハンセン病者が「不良な子孫を出生の予防」の対象者として、新たに加えられた。障害者に対しては、国民優生法とは比べられないくらい多くの合法・違法な優生手術が行われた事を明記しておかねばなりません。一般的には、中絶を合法化した法として、評価されている法律ですが、障害者、ハンセン病者にとっては「地獄の法」であったことに注意をしてください。
統計上では、手続き上同意なしで出来る「強制不妊手術」(遺伝性障病者が対象)が16,500件、ハンセン病者が1,550件(形式的には同意を必要としたが、実質は強制)となっているが、この数は実態を過少にしか表していないでしょう。ここでも、非遺伝性であるにもかかわらず、ハンセン病者が対象になっています。また、53年に更新された「らい予防法」とともに、治癒可能な病気となったハンセン病(者)に対する国家による「隔離―撲滅」政策は続いたのです。
この法のもつ優生思想・政策の問題点については、脳性マヒ者の障害者団体「青い芝の会」が72年に異議を唱えるまで問題視されることはなかったのです。彼/彼女たちの提起を受けて、「優生思想批判」が女性団体や新左翼などに波及していった、というのが現実でした。
北欧の「福祉国家」でも強制不妊手術は問題にされて来ませんでした。当時は合法だったからでした。しかし、事実が発覚してからは、福祉国家としての面目にかけて、実態の解明と謝罪・補償を行いました。
日本では、障害者、ハンセン病回復者に対しても、この優生保護法―優生手術問題では「当時合法であった」「(違法性のある案件に対しては)証拠がない」と開き直り、突っぱねて来ています。
この事実の確認と被害者への謝罪・補償の実現なしに、ハンセン病問題も優生保護法問題も本当の解決はありません。また、最近の、HIV等の感染病者への隔離・収容政策や「撲滅政策」の危険性も指摘しない訳にはいきません。そのことを明記しておきたいと思います。(了)



20080331
優生学・優生思想  ◇ハンセン病
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