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「Allan Young 教授のリプライ」2

Young, Allan 2008/02/29
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229
『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539 pp.88-93

last update: 20151225

Allan Young 教授のリプライ
Allan Young(慶應義塾大学 社会学研究科 特別招聘教授)
通訳 宮坂 敬造(慶應義塾大学 文学部 教授)
通訳 北中 淳子(慶應義塾大学 文学部 助教)

(ヤング) I understood it in the first time and then I made everything verycomplicated for everyone else. So, the comments I want to make now areon the presentation of the two papers and in making these comments, ina sense I feel I have to apologize because very often, I mean the job of thecommentator is to add something and in the case of these two papers, I amthe recipient, that is to say the person who is edified and who is learning,but I do have a couple of things to say, first of all to thank the presenters forthe detailed accounts. I have read the printed version and they are reallyquite remarkable in that regard and the second comment and I have somelittle ones to make about it, is to return to a question that I asked maybean hour ago and that is, what is the justification of medical anthropology,is it simply to write for other anthropologists and it is a question that I askmyself all the time and I try to come up with an answer that will satisfyme. I think the two papers that were presented today are representative ofa small, and I would describe as elite branch of medical anthropology thatneeds no justification.
Just as in the old days of anthropology 1930s,‘40s,‘50s, of socialanthropology, a social anthropologist never had to apologize for anethnography if he or she went to some very remote place that was verydifficult to get to and to live there and to observe the lives of people andthen to come back to the rest of the world and to describe and to give anaccount, an ethnography of this remote dangerous place to visit. This initself was edifying and justified anthropology and that is why we call thisperiod the golden age of social anthropology.
Recently, just this year, the Society for Medical Anthropology hascreated an annual award for the best doctoral thesis of the year andafter the description of the award it says, special preference will begiven to dissertations conducted to research, conducted under difficultsituations, circumstances, and the first thing that comes to mind is goingup the Sepik river in New Guinea in a dug out canoe and mosquitoesand crocodiles and so on and so forth. But after a moment of reflection,I realized to myself what this means and it means going to anothercountry, it means going to an area that is remote and dangerous, but notin New Guinea, up the Sepik river, but in our own countries, in our owncommunities, to go to that place or places, like the two places that weredescribed today in the presentations and there is not much more to sayabout that except if medical anthropology has ultimately a justification, itsjustification is ethnographic in this sense. I described it as an elite branchof medical anthropology because so few people can go there, so few peoplecan go up to Sepik river but so few people can go where the two speakerstoday, presenters, have gone and not only gone, but continued to live andso that is again I said I am not going to tell you anything that is terriblynovel, I think it is very important to be able to say that.
I have some other little comments to make about the papers,the notion of risk assessment and what that means today in medicalanthropology, the notion of traumas that was brought up or a traumaticmemory and what I think of as a very interesting aspect of trauma andthose are traumatic memories of the future as was beautifully described inboth the papers, traumatic memories of the future. We always think thatmemory is always something about the past, but there are other kindsof memories, and there are memories in a sense about the future, aboutwhat one can imagine in the future again with regards to both of thesepapers, and very poignantly in the first paper, the example of trauma and traumatic memory that does not even have a future that can be imagined.
So, I think if I can just say from my own perspective, from a theoreticalyou could say, well, these two papers were marvelous because they aredescriptive, they are ethnographic, they have done everything that youhave said. I would argue in addition that theoretically these two papersare immensely important, particularly important with regards to that fieldthat I am interested in of trauma. Trauma different from post-traumaticstress disorder, a cookie-cutter to make things, but trauma as ProfessorAmata described in terms of this awful complexity and confusion andcontradiction and layers and so on. I better stop here.

(通訳) 非常に複雑なことを申し上げますので、まず謝罪させてくださいと言っておられます。コメンテーターとしての仕事をするときに、私の性向として謝っておかなければいけないことがあるのですが、コメントするだけではなくて自分の考えを付け加えて言ってしまうという点があるので…。

(宮坂) 要するに、コメンテーターは、普通は何かを加えるものであるわけです。しかし今日は、ヤング先生はそれを加えることができないのです。発表に啓発され、学び受け取るだけの人間になっているということです。とはいえ、すばらしい内容の発表者とコメント討論者の皆様に感謝していることをまず述べたい。そして第二に、ちょっとした点ですが、次のコメントを加えたいと思います。人類学の意義はどこにあるのか。それはやはり民族誌を書いてきちんとした説得的な説明をするということに究極的にはなるのでしょうが、人類学者たちだけに読ませ学会で討論すればいいということだけで人類学の意義を正当化できるのか。
 1930 年代、40 年代、50 年代という時代、そのときは社会人類学と言っており―そこにメディカルアンソロポロジーがまだ独自の分野にならずに埋め込まれていたわけですが―そういう時代では何が価値があるかというと、近代社会の人が普通は出かけないような非常に危険な場所、辺境の地に行って、そういう中で自分が身をさらして土着の人々の暮らしを観察しながら、何かをつかみとる。それは困難な作業であり、啓発的に自分を高めるものであるという発想もあり、それを帰ってきて書くことが、一番天命であるという時代、社会人類学の黄金時代と呼ぶにふさわしい時代があった。
 最近、つまり今年から、メディカルアンソロポロジー学会で年間の博士論文の最優秀賞を新設するということになりました(註3)。その場合にどういう研究が一番いいのかという基準がこの新設学会賞の選考主旨に書いてありますが、とくに困難な状況でおこなわれた調査研究を受賞対象としたい、とあります。そうすると、やはりセピック川の上流に行って、掘り抜き式カヌーに乗っていき、蚊の大群やワニに遭遇し、等々等々、困難な辺境の暮らしをして医療の研究でもするのが一番いいのかと、私はまず発想したのですが、次にちょっと考えてみてとすぐに、これは間違った発想だとわかりました―先生はエリートの分野という言葉を使っていましたが、もっと選ばれた人間しかできない医療人類学の最先端の道筋はそこにはないと。
 どこにあるかというと、いわゆる危険な辺境の地というより、むしろ自分の国、自分のコミュニティの中で民族誌的に調査をするというところに真の困難さがあるのではないか。その端的な例が、今日の二人の発表に表れていたというのです。民族誌を書くと言うことが医療人類学の意義の究極の正当化の条件だという点を除いては、学会の学者だけに語っているだけでいいのか、というような疑問は、真の困難さの直面した研究にはそもそも無縁であり、この点で、お二人の研究には批判すべき点がない。その困難な場所にいくだけでなく、そこで腰を据えて暮らしつづけました。それは、ニューギニアのセピック河に行って調査できる人が極めて少ないのと同様、だれにでもできることではなく、極めて少数の人しかなしえない。それでヤング先生は冒頭でも述べたように、それを受け取るという人間に徹するしかなかったと―自国での困難な調査が価値をもつという主張はなにもとりたてて目新しいこととはいえないのですが、そういう意見を言えるようになった点に意義があると思う、とおっしゃっていた……。
 もうひとつ、ヤング先生が非常に興味深いと思っているのは、トラウマやトラウマ的な記憶には、未来に関わる側面がある、という点です。ふたつの発表でこの側面、未来についてのトラウマ的記憶という問題が見事に記述されていました。想像しうる未来などありえないようなトラウマとトラウマ的な記憶の例が扱われていました。とくに最初の発表は痛切な記述されていたと思います。

(通訳) 二人の発表を聞きまして、どこかへ行って調べてそれを発表しただけではなくて、何かを経験してそれをまた持って、住み続けていらっしゃるという点も感銘を受けたということで、その点に関して言えば、私としては何も言うことがないという表現を使っていらっしゃいます。
 あと、トラウマのところのリスク・アセスメントなどのことも言っていらっしゃって、トラウマと PTSD とが違う概念であるということを知っておかないといけないということもおっしゃっていました。非常に興味深かったことがあるのですが、メモリー(記憶)というのは大体過去のことに対して言うのですが、未来に対してもインフォームド・コンセントなどのときに使われていましたが、想像していくことができない医療という点で、メモリーというのを、想像を加えて使えるということもおっしゃっていたように思うのですが、先生いかがでしょうか。

(佐藤) 慶應義塾大学の北中先生にも最後のセッションには加わっていただいております。

(北中) では最後に一つだけ加えさせていただくなら、先ほどヤング先生が既におっしゃったことではあるのですが、やはりトラウマと PTSD の違いを指摘したいと思います。PTSD というのがクッキーの抜き型のように、非常に困難な難しい現実を簡単な型として削り取ってしまうものであるとしたら、それに対してトラウマというものは非常に多重的で可変的で難しい混沌とした現実であるわけです。その現実を生きながら、同時に研究をなさっているということで、今回ご発表なさった二人の方は、理論的にも極めて医療人類学の中では―先生はエリーティストという言葉を使っていらっしゃいましたが―まさに医療人類学のエリートと言われるような重要な分野でご研究をなさっているということで、非常に感銘を受けましたということです。


(註3) 2007 年に新設されたアメリカ人類学会医療人類学部門のこの賞は、医療人類学者・北中淳子氏 ( 慶應義塾大学文学部人間科学専攻 ) の博士論文 “Society in Distress:The Psychiatric Production of Dpression in Contemporary Japan.” Department ofAnthropology, McGill University, May, 2006, に贈られた。


□立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229 『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539


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