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配布資料「先端医療におけるインフォームド・コンセント――想像できない手術を受けた経験の語り」

植村 要 2008/02/29
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229
『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539 pp.125-137

last update: 20151225

配布資料
先端医療におけるインフォームド・コンセント―想像できない手術を受けた経験の語り―
植村 要(立命館大学大学院 先端総合学術研究科)

T 関心の所在
 生命倫理学における大きなテーマの一つに、インフォームド・コンセント、およびインフォームド・チョイス(以下、IC)の問題がある。IC が、とりわけ必須とされる場面は、いくつもある。まずは、治験や臨床研究が挙げられる。アメリカでは、1932 年から 72 年にかけて、梅毒の自然史についての研究が、連邦政府の資金提供によって実施された。ここでは、梅毒に罹患した黒人という社会的に脆弱な層が対象にされ、しかも治療法が発見されて以後もそれを行うことなく研究が継続された。これが社会的な波紋を呼び、タスキギー事件と呼ばれることになった。この事件への反省は、研究倫理を定めた 1979 年のベルモントレポートの作成へと繋がった。また、光石・ぬで島・栗原は、人体もしくはその一部またはその情報を対象とする科学研究における対象者の保護を目的とした法律の試案を作成している。そこでは、研究に伴う益と危険について、個々の対象者およびこれと同じ属性を有する人々に、危険を正当化しうる益のあることを、研究の事前および実施中に評価し、健康被害が生じた場合、研究主導者は、最善の医療を提供しなければならないことを規定している(光石・島・栗原 2003)。
 また、遺伝情報の解読技術の向上は、遺伝医療を可能にした。それによって、出生前診断や着床前診断が技術的に可能になり、その情報の扱いと対応をめぐって、遺伝カウンセリングが要請されるような場面が生じてきた(玉井・中澤・阿部 1997)。遺伝子診断によって、将来、ハンチントン病を発症する可能性を知ることに伴う感情的葛藤や、家庭内の混乱については、自らの経験に基づくウエクスラーの詳細な記述がある(Wexler 1995=2003)。
 診療場面においても、ALS やガンなどの難治疾患については、病名告知やその後の治療法をめぐって IC が問題になる。エホバの証人の輸血拒否については、交通事故にあった子どもへの輸血を両親が拒否して死亡させた事件(大泉 1988)や、肝臓の腫瘍の摘出手術に際して、輸血をする可能性を認識していながらも、医師はそれを患者に告げないまま手術を施行して輸血したことについての 2000 年の最高裁判決などが知られている。
 IC が議論になるとき、そこで論点になるのは、リスクとベネフィットについての情報提供、判断能力の有無と代諾、自己決定する患者の権利、被験者保護などである。実験段階にある先端医療の、人に対する臨床研究においては、とりわけこれらの IC をめぐる論点のいずれもが重要になる。
 このような IC が、診療場面においてどのように遂行されるかについて、宝月は、IC とは明示しないながらも、リュウマチを対象にした診療室の観察と録音の記録に基づいて、医療の意味世界が医師と患者の相互作用を通じて共有される過程を、シンボリック相互作用論の立場から考察している。そこでは、パターナリスティックな相互作用、パートナーとしての相互作用、顧客関係としての相互作用の、必要に応じた使い分けによって遂行されるとする(宝月 1995)。樫田は、肝臓癌の外科手術後の治療法の説明がなされている面談室を撮影したビデオデータに基づいて、エスノメソドロジー・会話分析の立場から考察している。そこでは IC を、いくつかのあり得る文脈が相互行為的に整序されるなかで、本人の納得する理由が社会的に供給され、その納得が本人に帰属される文脈が形成されるものであり、そのような複数人の相互行為による共同的達成として遂行されるとする(樫田 2004)。
 しかし、ここからは、IC をめぐる診療場面が患者にどのように経験されたかを、窺い知ることはできない。とりわけ、実験段階にある先端医療の、人に対する臨床研究においては、IC が重要であるのに反してである。そこで、本報告では、報告者のこれまでのインタビュー調査の中から、2003 年に行われた国内初の改良型歯根部利用人工角膜手術における IC についての語りについて考察する。宝月が観察記録と録音テープを用い、樫田がビデオデータ用いているのに対して、本報告では、すでに過去の出来事となった IC をめぐっての診療場面を、現在から遡及的に想起したインフォーマントの語りを用いる。それは、インフォーマントの記憶であり、過去の事実としての出来事を忠実に反映したものではない。しかし、それはインフォーマントがその出来事を、どのように経験し、それを現在からどのように解釈し意味づけているかを反映したものである。それでは、以下、インフォーマントが、想像できなかったと語る手術について、その IC をめぐる診療場面が、インフォーマントにどのように経験されたかを考察する。

U 対象者と方法
 対象者:橘さん(仮名)。女性。1954 年、4 人きょうだいの末子として生まれる。大病をすることはなかった。しかし、44 歳(1998 年)のとき、スティーブンスジョンソン症候群(Stevens-Johnson syndrome:SJS)(1,2)を発症し、一旦はほぼ失明に近い状態になった(3)。その後 49 歳(2003 年)のとき、国内初の改良型歯根部利用人工角膜(osteo-odonto-keratoprosthesis:OOKP)(4,5)手術によって、視力は 0.7 に回復した。
 方法:橘さんに対して報告者が実施したインタビュー調査のトランスクリプトを用いる(6)。この中から手術前における手術の説明についての語りを抽出し、それを医師からの説明についての語りと、その説明から橘さんが考えたことについての語りとに大別した(表 1)。次に、手術後の状態について評価している語りを抜き出し、それを手術による利益についての語りと、不利益についての語りとに大別した(表 2)(7)。そして、橘さんの語りからIC をめぐっての語りを中心に再構成し、記述する。その際、IC や手術に対する橘さんの理解や評価が現れている語りについては、引用の形で記述することとする。
V 結果
表1 手術前に受けた説明と、そこから考えたこと

受けた説明考えたこと
眼がピンク色になる。 →手術が失敗したら、見えないし眼はピンクであり、踏んだりけったりだ。だが、今でも白いのだから、ピンクでも一緒だ。
視野が狭い。 → ピンとこない。
瞼は閉じられず、瞬きができない。→ ピンとこない。
虹彩を摘出する。 → ピンとこない。
歯を根元の骨から抜き、それにレンズを入れる。→ ピンとこない。
犬歯が刺し歯や虫歯になっており、使える歯が1本しか残っていない。→歯があるうちにしなければならないので、今しなければいけない。
視力は平均 0.7、0.8 くらい出ていると言われたと思う。→  
成功率は高い。→成功率が高いといっても失敗もあるのであり、手術を受けるものとしては失敗0ではない。なので、1番目は嫌だった。
他大学で行われている新しい術式の適応ではない。→ 手術をするとしたら、もうこれしかない。

表2 OOKP による視力回復がもたらした利益と不利益
利益
・ 二度と見ることができるとは思っていなかったので、初めて見えたときの感激は忘れない。
・外出や旅行をした。
  「市場とか。ほんな、べつに、今まで知ってる野菜とかあるやん。ああいうとこ、じいっと見てるんや、なんかしらん。ワッて、こう。あぁ、 こんなかったんやなって、こう、もう 1 回、見るゆうん。そやから、もう 5 年の空白を埋めるかのように、もう、なに見ても、なに見ても、そやねん。あたりまえのことしか見てないのに、そのあたりまえが、もう、ものめずらしくてさ。もう、あんた、星を見たときなんかさ、うっそーっとか思いながらさ。いや、星、見えるやーんとか」。
  「1 回、見えへんかった時期があるから、それだけ喜び。やっぱ、無くしたもんってね、大きいやんか」。

不利益
・視機能について
 視野が狭い。
 明るい方を向くと、眼前に光が輪のように広がって見える。
 眩しいし、また、暗いと見えない。
  めがねは、近いところを見るためのものと、遠いところを見るためのものの二つを使い分けなければならない。
  視力は安定しているといっても、目脂が多く、眼圧も高いので、安定しているとは言いがたい。
 瞼が閉じない。
  瞬きをすると、ウインクしているようなへんな感じだ。右目は自然と伏し目がちになった。
・日々の手入れについて
  水が眼にかかってはいけないので、洗顔できず、入浴も注意しなければならない。
  就寝時には、軟膏を入れて目に蓋をしなければならず、寝ようと思ってもすぐに床にはつけない。
 また、起床時にはそれを拭かなければならない。
  軟膏を入れないと、移植した口腔粘膜と瞼が摩擦するように痛い。目の縁についた軟膏が溶けてレンズにかかると見えなくなる。
  汗をかくと、縁についた軟膏がレンズにかかるので、あまり動かず、また夏は外出しない。 見えないときの方がよく動いていた。
  ぶつかるなどして眼が壊れても再手術はできないので、常に注意していなければならない。
  もしぶつかったときの衝撃を和らげるために、いつもサンバイザーをかぶっている。
・容貌について
 老けた顔になった。
 眼の動きも表情もなく、顔の美醜について言える次元ではない。
  洗顔できないし、人にぶつかったとき相手につかないように、口紅もファンデーションもしない。
  女性なので、化粧ができないのは悔しい。最近では慣れてきたが、「ケッ」「きもい」と思って、自分の顔を見るのが嫌なときがある。
・歯科について
  抜歯した犬歯のあとに入れた義歯に、歯垢や歯石が貯まる。口腔粘膜を採取したあとが未だに痺れており、たまによだれが出ていても気づかないときがある。
・他者とのコミュニケーションについて
  上記のようなさまざまなことのため、「見えるようになって良かったね」とか「私よりみえる」と人から言われると不快だ。
  相手に気持ち悪がられないかが気になって、視線が下を向いてしまい、人と対面するのが嫌になった。
  相手に眼が見えないように濃いサングラスをかけているのだが、光の具合で見えてしまうことがある。
・社会保障制度について
 視力回復を理由に、医薬品副作用被害救済金を停止された。
 障害厚生年金が 1 級から 3 級になった。
 診断書に記された視力だけでそのようにされるのが悔しい。

W 考察
 まず、橘さんにこの手術の話が持ち上がったのは、橘さんが医師に言ったつぎの言葉が発端となっている。「5 年かかってもええから、10 年かかってもええから、良い手術があったら、見つけといて」。そのときも橘さんとしては「軽い冗談交じりでゆってた」だけであり、本当にこのような話が舞い込んでくるとは思っていなかったという。それからしばらくして、医師から橘さんに OOKP が紹介されたのである。OOKP は、その大学病院として初めてだったというだけでなく、国内初であったため、大学病院では倫理委員会が開催され審査されることになった。倫理委員会の審査は、1年ほど続いたという。そして、手術を受けるか否かについて、橘さんは、審査が続いている間よりは、通過してからの方が「悩んだゆうんか、そっちの方が決断が要った。だって、まだ倫理委員会かかってるときは、まだ分からないやん」という。
 ここで注目すべきは、橘さんが医師から受けた説明、つまり IC の内容である。表 1 にあるように、ベネフィットとして挙げられているのは〈視力は平均 0.7、0.8 くらい出ていると言われたと思う〉〈成功率は高い〉という 2点である。その一方で、リスクとして挙げられているのは、〈眼がピンク色になる〉〈視野が狭い〉〈瞼は閉じられず、瞬きができない〉〈虹彩を摘出する〉〈歯を根元の骨から抜き、それにレンズを入れる〉というものであり、そのいずれもが〈ピンとこない〉といっている。説明はわかるのだが「想像つけへん」というのである。医師から、質問がないかと問われたときも、「質問って言われたって。どこがどうなるんか分かれへんのにね」というほどだった。
 さらに注目したいのは、この次である。確立された治療法ではないというものの、その当時、再生医療による治療法が他大学で試みられていることを橘さんは知っていて、自分がその手術の適応にならないかを質問している。これに対して〈適応ではない〉と答えられている。これは、診察の結果、明らかになった事実なのだろうし、それを伝えたのであるから、何も問題ないはずである。しかし、橘さんは、ここから〈手術をするとしたら、もうこれしかない〉と考えている。また、口腔外科の診察の結果、〈犬歯が刺し歯や虫歯になっており、使える歯が 1 本しか残っていない〉と言われている。これも診察の結果、明らかになった事実なのだろう。しかし、橘さんにはOOKP に用いることのできる犬歯が 1 本しか残っていなかったために、〈歯があるうちにしなければならないので、今しなければいけない〉と考えている。これらによって、橘さんは、見えるようになりたいのであれば、この手術以外に方法はなく、しかもこの手術を受けるのであれば迷っている時間はない、と追い詰められることになった。医師の説明には、橘さんに手術を受けさせるよう誘導する意図は見られず、診察結果としての医学的事実を正確に伝えただけなのだろう。しかし、その事実が、結果的に橘さんにおいては、このような状況を創出していたのである。とりもなおさず、橘さんは見えるようになりたいのである。にもかかわらず、橘さんは「やっぱり受けよ、やめよって、こう、悩んで」いたのである。
 この状況において、橘さんは不安を訴えている。〈成功率は高い〉という医師からの説明に対して、〈成功率が高いといっても失敗もあるのであり、手術を受けるものとしては失敗 0 ではない。なので、1 番目は嫌だった〉と考えている。そして、診察時に笑い話として「先生、やめよかなぁ」「いやぁ、1番目やろ。2番目か3番目にしてほしい」と言っている。それに対して医師は、「誰かが 1 番にせなあかんことやんか」と答えたというのである。これは笑い話の中でのやり取りだというので、冗談含みに聞いたとしても、橘さんの不安は冗談ではなかった。笑い話という形にするので質問できるのであって、まじめになっては質問できなかったということもあるだろう。次の語りがそれを推測させる。「私もね、手術、迷てるときに、先生に、先生の奥さんがもし同じ病気で、やったら、先生、手術しますかぁって、よっぽど聞こか思たん」。ところが、「聞きたかってんけど、私、よお聞かんかってん。」というのである。ついぞ発せられることのなかったこの質問において、橘さんが求めていた答えとは、表 1 にある医師としての説明でないことは明らかである。ならば、医師以外の相手にこの質問を向ければよかったのだが、OOKPにおいては、そのような相手はいなかったのである。
 橘さんが手術へと向かっていったのは、こうして押し出されるようにしてというだけではない。このさなか、橘さんの実父が亡くなった。橘さんは、そのときに「親の顔が見られへんかった」ことが心残りだった。そして、まだ健在だった実母のことを思って、「末っ子がこんなんなってたら親も辛いから」「親も、やっぱり安心させなあかんし、ま、自分のためでもあるし、万が一成功したらそれはそれでええかなぁ、失敗したら、もう、どうせ見えへん…見えへんかったもんやから、それはそれで、もう、私に運が無かったと思ってあきらめたらいいわ」と考えたのである。今回の手術の話が、そもそもは橘さんの発言に端を発するものであることと、その責任を感じながらもそれだけではなく、「自分が見たい、もう 1 回ものを見たいっていう気持ちが大いにあったから。言い出しっぺの責任感だけじゃなくて」と、橘さん自身望んだことでもあったのである。そして、子どもが占いを聞きに行き、手術を受けるのであれば年が明けてからがよいと言われたという。それらがあいまって、橘さんは、OOKP 手術を受けることを決断し、その旨、医師に伝えたのである。
 こうして、橘さんは手術を受けた。そして、手術は成功した。手術後の橘さんの状態については、表 2 にあるとおりである。[日々の手入れ][容貌][歯科][他者とのコミュニケーション][社会保障制度]について、現在のような状態になることを手術前に説明されていたなら、手術を受けたか、と報告者が問うと、橘さんは「そんときは、見えるんであれば、そら、手術はしてたんちゃう」と、答えたのである。このように、手術を受けたと推測しながらも断言はしないところに、今の橘さんの手術に対する評価が表れているのだろう。

X 結論
 比較は、今ここにある自己とは別様の姿を想定することであり、揺るがない確かなものと思っている今ここにある自己の、確からしさをおびやかす。ベネフィットとリスクの説明と、それを基盤にした IC は、本人や家族の確からしさが動揺している中で遂行される。そして、治療を求めることが別様の自分へ向かおうとするものである以上、そこでは常に今ここにある自分の確からしさがおびやかされる。 PTSD の認定においては、その原因になったとされる出来事の記憶の真偽や、いくつもある出来事のどれが原因になったかの確定が求められる。過去のその出来事が本当にあったことなのかを確かめることができず、また、記憶というものがいかようにでも想起可能であり、変容可能であるために、認定場面では記憶の承認をめぐってのポリティカルな争いが発生する。これに対比していうなら、ベネフィットとリスクの説明と、それを基盤にした IC は、不確かでいかようにでも見積もり可能な記憶や将来の予測を、測定しうる確かなものであるかのように設定することによって成立する。記憶や予測という不確かなものを確かなものとして、その基盤に設定することで可能になるIC は、PTSD が、その認定においてポリティカルな争いを生起する概念であることと共通する困難を抱えた概念だといえる。 橘さんが医師に OOKP を紹介されてから手術を受けるまでについての語りと、IC 概念とを対照させることで、その両者間のずれを示すことができただろう。先端医療を前にしたとき、その本人にとって想像もできない手術を受けるか否かの決断をするということ、しかもそれが雑多な日常の中で営まれるということは、IC が基盤とするようなベネフィットとリスクの総和としては言及しうるものではない。
 最後に三つのエピソードを紹介する。一つ目は、手術によって視力を回復した橘さんは、手術前に子どもが祈祷をしてもらってきたというお寺に、親子でお礼参りにいったということである。二つ目は、今回の報告に先立って、表1と2について橘さんにその内容を確認していただいたのだが、その際に見ていただいた表2には、[利益]の分類の中に〈快適に暮らした〉という記述が入っていた。橘さんは、この記述の削除を求めてこられた。三つ目である。報告者は、橘さんと同じく SJS によって目に後遺症を残し、現在の状態は、手術を受ける前の橘さんの状態と、おおよそ同じと思われる。そのことは橘さんもご存知である。その上で、橘さんは、報告者に会う度に、手術を受ける気になったか、と問うてくるのである。このように、橘さんにとって、手術を受けたことの評価は、今もなお定まらないままなのだろうし、それが想像できなかった手術を受けた経験なのだろう。

<注>
(1) SJS は、重症多形滲出性紅斑として特別疾患克服研究事業の対象になっている。発症は、人口 100 万人当たり 1 〜 10 人程度と推定され、年齢層は小児から高齢者まで幅広い。未だ原因・機序は明確ではないが、感染症やアレルギー性の皮膚反応と考えられている。特に医薬品が原因となる場合が多いとされる。しかし、医薬品の投与に先立って発症を予知することは困難である。症状は、高熱、全身に多形紅斑を多発し、口唇・口腔、眼、鼻、外陰などの皮膚粘膜移行部にびらんを生じる。予後は、皮膚症状の軽快後も眼や呼吸器などに後遺症を残すことがあり、また多臓器障害から死亡することもある。死亡率は 6.3%、その重症型である中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)では、20 〜 30%とされる(厚生労働省医薬食品局 2005, 難病情報センター 2006)。
(2) SJS の後遺症としての角膜混濁に対する角膜移植は予後不良であることから禁忌とされてきた。しかし、内服・点眼を主体とした保存的治療法による視力回復は困難であることから、手術治療の開発および確立が求められ、近年、いくつかの方法がなされるようになってきた(外園 2000)。角膜疾患に対する視機能の外科的再建術には、大きく二つの方向がある。一つは再生医療である。角膜上皮幹細胞を用いた培養角膜上皮移植や羊膜、口腔粘膜を利用した方法があり、すでに臨床応用されている。また一つが人工角膜であり(中村 , 木下 2002)、ここに今回、取り上げるOOKP がある。
(3) 橘さんが SJS を発症してからほぼ失明に近い状態になるまでの過程については、植村 (2007) に記した。
(4) 人工角膜(keratoprosthesis)は、混濁した角膜をポリメチルメタクリレート(PMMA)などの透明な人工物に置き換える方法であり、今日の人口角膜に繋がる考え方は、200 年以上の歴史をもつ。これが実際に人体に移植されたのは、1855 年の Nussbaum による石英の移植が最初とされている。その後、1900 年ころまで、さまざまな人工角膜が移植されたが、そのほとんどが脱落した。1950 年代、角膜移植が普及すると、人工角膜への関心は一旦失われるが、やがて角膜移植の不成功例に対する取り組みとして、再度注目されるようになった。日本においても 1970 年代から先駆的な取り組みはあったが、総じて長期的予後は不良であった。このような経緯の中、1963 年、イタリアの Strampelli は、人工角膜の光学部の固定に、患者の歯根部と歯槽骨を用いる歯根部利用人工角膜を報告した。しかし、この方法は同時期のイギリスでの追試では、そのほとんどが脱落した。そして、1987 年、Falcinelliは、Strampelli の方法を、眼表面移植時に虹彩、水晶体、前部硝子体を切除する方法に改良し、良好な結果を得た。この改良型歯根部利用人工角膜は、イタリア、オーストリア、ドイツに続いて 1996 年、Liu C と Herold J によってイギリスに導入された。現在までに報告されている改良型歯根部利用人工角膜の症例数は 573 例、最長の経過観察期間は 27 年である(Liu・福田・下村・濱田 2002; 福田・Liu・濱田・下村 2003; 福田 2004; 2005)。
(5) OOKP は、準備手術である第一期手術と、そこから 2 〜 4 ヶ月空けて行われる第二期手術の 2 期の手術からなる。
 第一期手術では、全身麻酔下で、A. 眼表面の再建手術と、B. 光学部を固定したosteo-odonto-lamina の眼輪筋への埋没の二つの手技を行う。A. では、まず直径 3p程度の口腔粘膜を採取する。そして、角結膜表層切除を行い、口腔粘膜を強膜に縫着して、新しい眼表面を形成する。B. では、犬歯を歯根部まで摘出し、ドリルで削って、片面が歯根でもう片面が骨の薄い板の状態(osteo-odonto-lamina)を形成する。osteo-odonto-lamina の中央にドリルで 3 〜 4o径の穴を開け、PMMA 製の円柱形の光学部を歯科用セメントで固定する。犬歯を使うのは、この光学部を埋め込むために、根元が 1 本の大きな歯が必要なためである。これを手術眼と反対側の眼球下方の眼輪筋のなかに埋没させる。この第一期手術の後、第二期手術までに 2 〜 4 カ月の間隔を空け、その間に osteo-Odonto-lamina 周囲への肉芽組織の増殖と、眼表面に移植した口腔粘膜への血管の侵入を待つ。
 第二期手術は、第一期同様、全身麻酔下で行われる。まず第一期手術で、眼輪筋内に埋め込んだ osteo-odonto-lamina を摘出する。角膜に接する方である歯の部分の肉芽組織は、全て除去し、骨の部分の肉芽組織は、少し残して、余分は切除する。眼表面の口腔粘膜は角膜径より少し大きく U 字切開し、下方に持ち上げる。眼表面の組織を切除し、角膜が露出すれば中央をマークし、3 〜 4o径に切除する。術後の眼内の炎症や光学部後面の膜形成を防止するため、虹彩、水晶体、前部硝子体を切除する。Osteo-odonto-lamina の後方の光学部を角膜窓に挿入し、lamina は周辺の強膜と角膜に縫着する。縫合が終わったら、もち上げていた口腔粘膜を光学部の前方の大きさに合わせて切除して光学部を突出させる(福田 2004; 2005)。
(6) 半構造化面接によるインタビュー調査である。インタビューは、2005 年 6 月から2006 年 7 月までに 3 回(計約 10 時間)実施した。インタビューの様子は、橘さんの許諾のもとに MD に録音した。
(7) この表 1 および表 2 は、本報告に先だって橘さんにご確認いただき、必要な修正を加えた上で掲載するものである。

<参考文献>
福田昌彦・Liu Christopher・濱田傑・下村嘉一 .2003.「歯根部利用人工角膜」『眼科手術』16(1): 49-52.
福田昌彦 .2004.「歯根部利用人工角膜 (Osteo-Odonto-Keratoprosthesis:OOKP)」『IOL&RS』18(1): 22-25.
福田昌彦 .2005.「人工角膜の臨床」『臨床眼科』59(11): 300-305.
宝月誠 .1995.「医療の世界―診療場面の遂行過程を中心に」. 船津衛・宝月誠編『シンボリック相互作用論の世界』恒星社厚生閣 :225-235.
樫田美雄 .2004.「エスノメソドロジー・会話分析からみた医師と患者の会話―患者の同意の共同的達成」《保健医療社会学論集》14-2:35-44.
厚生労働省医薬食品局 .2005.「医薬品・医療機器等安全性情報 218 号」(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/10/h1027-1.html, 2006.09.19).
Liu Christopher・福田昌彦・下村嘉一・濱田傑 .2002.「改良型歯根部利用人工角膜の紹介」『日本眼科紀要』53-6:472-475
光石忠敬・島次郎・栗原千絵子 .2003.「研究対象者保護法要綱試案―生命倫理法制上最も優先されるべき基礎法として」『臨床評価』30(2)(3): 369-395.(http://homepage3.nifty.com/cont/30_23/p369-95.pdf)
中村隆宏・木下茂 .2002.「連載第 3 回 再生医学・医療のフロントライン 角膜の再生」《週刊医学界新聞 第 2486 号》2002.05.20.(http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2486dir/n2486_04.htm#00, 2006.11.26.)
難病情報センター .2006.「重症多形滲出性紅斑 ( 急性期 ) 診断・治療指針」(http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/119_i.htm, 2006.09.19).
大泉実成 .1988.『説得―エホバの証人と輸血拒否事件』現代書館 .
外園千恵 .2000.「Stevens-Johnson 症候群」『アレルギーの臨床』20-10:787-792.
玉井真理子・中澤英之・阿部史子 .1997.《バイオエシックス資料集 第1集》(遺伝医療と倫理)信州大学医療技術短期大学部心理学研究室 .
植村要 .2007.「変容する身体の意味づけ―スティーブンスジョンソン症候群急性期の経験を語る」『コア・エシックス』3:59-74.
Wexler, Alice. 1995. Mapping Fate: A Memoir of Family, Risk and Genetic Research,University of California Press = 2003. 武藤香織・額賀淑郎訳 .『ウェクスラー家の選択――遺伝子診断と向きあった家族』新潮社 .


※本資料には本来写真が2点が掲載されていたが、テキスト化にあたって削除したことを了承いただきたい。写真は2点ともLiu Christopher・福田昌彦・下村嘉一・濱田傑 .2002より取られていた。(ファイル作成者:岡田 清鷹

□立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20080229 『PTSDと「記憶の歴史」――アラン・ヤング教授を迎えて』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告1,157p. ISSN 1882-6539


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