HOME > 全文掲載 >

「英国のMental Capacity Act」

児玉 真美 200801 介護保険情報 2008年1月号

last update: 20110517

英国 2005年意思決定能力法

「新たなMental Capacity Act 2005は高齢者やその他自らを守る力の弱い人々をこれまで以上に虐待から守ることができるだろうか?」こういうタイトルの記事が9月28日のMedical News Todayにあった。 Mental Capacity Act 2005(2005年意思決定能力法。以下MCA)は英国の新・成年後見法である。10月1日に施行された。(成立は05年4月。)
 継続的代理人制度(Enduring Power of Attorney)などによる財産管理を主とした従来の制度を、医療をはじめ生活全般の意思決定支援に広げたもの。EPAに代わって創設された永続的代理人制度(Lasting Powor of Attorney)では、財産管理のLPAと身上監護のLPAは、仮に同一人物が兼務する場合でも別立てで後見局に登録することとなる。 前述のニュース記事で、高齢者支援チャリティHelp the Agedは、英国人口の18%以上を占める年金生活者を虐待から守ってくれる重要な法律だとして歓迎。大手法律事務所のソリシタ(事務弁護士)Martin Beames氏の説明によれば、

「新法の理念には、人には自らの健康と幸福について自分で決定を行う権利があるという前提、そして、ある人には意思決定能力がないと誰かが結論付ける以前に、本人が自分で意思決定を行うための適切な援助がすべて尽くされていなければならないという前提があるのです」。

MCAの5原則
 MCAは以下の5つの基本原則を基本理念として掲げる。
@ そうでないと証明されない限り、すべての成年は意思決定能力を有するとみなされる。
A 意思決定できないと判断される前に、自分で決定するための実施可能な限りの支援が尽くされていなければならない。
B 他人には奇妙または愚かと思われる決定でも尊重される権利がある。
C 意思決定能力の欠けた人のために、またはその人に代わって行うことは、それが何であれその人の最善の利益に叶っていなければならない。
D 意思決定能力の欠けた人のために、またはその人に代わって行うことは、それが何であれ、その人の権利と自由を最も制限しないものでなければならない。
これらの理念を実現するための実践的なガイダンスとして、4月には施行指針(Code of Practice)が公表された。「代理決定はどのように行われるべきか」、「当人の最善の利益はいかに見出していくべきか」といった手順についても詳細なチェックリストが提示される。ほんの一部に目を通しただけでも、「誰かに代わって意思決定をする」という行為は当人が有している権利を侵すことと紙一重のところにあるのだな……と、その行為の重大さを改めて痛感させられる指針だ。同法によって、これまで身近でケアしながら非公式に意思決定を行ってきた家族や介護者に法律上の一定の権限が与えられた反面、自分たちの主観による安直な“代理”決定もできなくなったことになる。
この法律について非常に印象深いのは、「意思決定能力」の有無については、特定の状況における特定の判断について検討すべきであり、一般的な能力判断を行ってはならないとしていること。つまり「この問題について決定できるかどうか」を一回ずつ問うのであって、「この人は自分では何も決めることができない」という丸ごとの判断は下してはならないのだ。

重大な医療行為に代理システム
重大な医療行為については、意思決定能力を失っている人に支援や代弁をしてくれる家族や友人がいない場合に当人の最善の利益を代弁する新らしい仕組みIMCA(Independent Medical Capacity Adovocate)が設けられた。IMCAが直接的に意思決定を行うことはないが、NHSや地方自治体に対して当該状況における当人の最善の利益を見出して表明するほか、家族や友人がいても虐待が問題になる場合にはIMCAを呼ぶことができる。さらにIMCAは本人の最善の利益に沿わない意思決定が行われようとしている場合にはその判断に異議を申し立てることもできる。
 MCAが適切に機能することへの責任を負い、法定代理人を任命する権利を持つほか、MCA下で行われる決定に関する最終責任を負うのは保護裁判所である。

医師会が医療職向けガイダンス
MCAの全面施行に向け、英国医師会は4月に医療職に向けたMCAガイダンスを発表した。同法の理念と5つの基本原則のほか、医療に関連した部分について詳述している。
例えば、意思決定能力のアセスメントについては、必要に応じて精神科医や心理学者のセカンド・オピニオンを仰いだり、対立がある場合には保護裁判所の判断を仰ぐことができる。最善の利益を検討するに当たっては、できる限り本人や身近な人、代理決定権者をそのプロセスに参加させること。さらに前もって意思表示された治療拒否が有効である場合の条件。このたびMCAで初めて認められた、同意能力のない人を対象にした臨床実験の細かい条件についても詳述する。また、なおも裁判所によって判断されるべきこととして、植物状態の患者の人工栄養と水分補給の停止、同意能力がない人からの臓器提供、不妊治療などが挙げられている。

銀行協会もガイドライン作成
医師会の他に金融業界でもMCAに対応する動きが目立つ。英国銀行協会は9月26日にやさしい英語で書かれたガイド「意思決定を行う能力を欠いた人々のバンキング」を出した。それにより新たな法律の元での口座の開き方や金銭管理について顧客への助言を行うと同時に、MCAの施行を前に銀行スタッフに特別な研修も提供した。
 また金融アドバイザリー業界のチャリティであるMoney Advice Liaison Groupは銀行協会と協議の上、精神的な障害のある債務者の問題解決に向けたガイドラインを作った。金銭管理スキルの不足、収入の不安定、意思疎通の困難などから精神的な障害がある人が債務を負う確率は同様の障害がない人の3倍。ガイドラインでは、きちんとした知識と問題意識を持って金融機関のスタッフが適切に対応できるよう、職員研修、アドバイス部門と融資部門また医療・福祉との連携、顧客の精神的障害に関するエビデンスの取り扱いなど具体的に15の提言を提示。これを参考に金融機関ごとに実施指針を作成するよう勧めている。また銀行協会とMALGは今後ローンの締結段階についても、さらなるガイドラインを作成するとのこと。
 このたび、英国のMCAについて調べる過程で日本の成年後見制度についても多少のことを読み齧った。決して両国の制度を詳しく学んだわけではないので、あくまでも個人的な印象に過ぎないけれど、強い対比として感じたのは、 “本人が自分で決める権利”をくっきりと規定し、それを最大限守ろうとする英国のMCAに対して、日本の制度では漠然と“その人”を守ろうとしているような、守る対象の輪郭の曖昧さ。英国の“支援”に対する、日本の“保護”色の強さ。これでは「自分のことは自分で決める」当人の権利は、日本の社会に根強い家族愛という名の独善や専門家のパターナリズムに、あまりにも安易に取り込まれてしまわないだろうか。「弱いから強い者が守ってあげる」思いやりのすぐ隣には「弱い者を強い者の都合で管理・支配する」無神経が控えていると思うのだけれど。

 社会の仕組みというのは、「障害のある人はレアな例外」として度外視し、健常者だけを前提に作られていることが多い。MCAにしても日本の成年後見人制度にしても、おそらく法律ができることだけで社会が変わっていくのではないだろう。その法律ができたことを受けて、健常者だけを前提に作られた仕組みが社会のあちらこちらで見直されていくことが大切なのかもしれない。そうした作業の積み重ねの中から、世の中には自分で物事を決めることが困難な人もいるという事実を当たり前の前提として受け入れた社会がつくられていく。それもまた、こうした法律のできる意義ではないだろうか。


*作成:堀田 義太郎
UP:20100212 REV: 20110517
全文掲載  ◇児玉 真美
TOP HOME (http://www.arsvi.com)