HOME >

安楽死・尊厳死と、障害者抹殺思想

『ゆきわたり』2008.1

last update: 20151225

【安楽死・尊厳死と、障害者抹殺思想】(投稿)
                    四十物(あいもの)和雄(富山市)
(「射水市民病院問題」から安楽死=尊厳死を考える連続学習会 呼びかけ人)

T.はじめに
 富山市で「射水(いみず)市民病院事件」の真相究明と、安楽死=尊厳死法制化に反対している四十物というものです。
 私の連れ合いは脳性まひで、1995年ドイツへ全障連の仲間と一緒に、ナチス・ドイツの「障害者安楽死計画」(T4計画)実行施設であるハーダマー精神病院地下室を見学に行ったことがあります。当初はドイツで介護保険制度が導入された実態を知る事が目的でしたが、連れ合いやその報告を聞いた私にとって、10万人近くもガス室で殺害された障害者のことに悲しみと怒りを感じ、そのことを「胸に刻み忘れない」という想いから、現在「射水」の問題に全力で取り組んでいます。

U.障害者と安楽死
 安楽死とか尊厳死とか言われている思想は、「生きること」と「死ぬこと」を比較して、「死ぬことの方こそ意味がある」「生きることに値しない命はすみやかに死んでもらう方がよい」という考えに基づいたものです。だから、ナチスの障害者安楽死思想とは、「障害者は『生きるに値しない命』である」という強烈な優生思想と結びついていました。既に、優生学・優生思想が定着した1920年に発行されたビンディング(法学者)とホッへ(精神科医)共著の『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(邦訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか』2001、窓社)において、重度の障害者は抹消(この言葉遣いに、彼らがヒトとして障害者を見ていないことが示されています。それは今日、生命倫理学者の中に根付いている「パーソン論(<人格を持ったヒト>と<単なる生物としてのヒト>との差別・分断思想)」に受け継がれています)の対象とされています。それが実行されたのは第2次大戦の直前だったことも、深い意味を持っていると思いますが、その点は皆さんで考えてください。
 また、日本での安楽死・尊厳死思想と優生思想との本質的同一性を体現しているのが、太田典礼氏です(日本尊厳死協会の前身である日本安楽死教会設立者であった太田典礼氏が、優生思想の法的根拠たる優生保護法制定の中心者でもあったことは何の不思議もないことなのです)。 

V.「射水市民病院事件」と安楽死思想
 「射水市民病院事件」の詳細が知りたい方は、今秋発売された中島みち著『「尊厳死」に尊厳はあるか』(岩波新書)を是非読んでください。中島氏の「真の尊厳死を求める考え」には私は反対の立場ですが、医療現場の実態を良くつかんだ好著だと思います。
 人工呼吸器を外すための理由の一番大きなものは、「もう直ぐ死ぬ命への医療」は「無駄である」「演出に過ぎない」というものです。いいかえれば「生きながらえることは『生きるに値しない』」ということです。それにいろいろと付加的な理由(「機械やチューブで繋がれてまで生かすのはかわいそう」という尤もらしいもの)が付けられていますが・・・・。
 「直ぐに死ぬ」「治らない」が条件とされていますが、オランダの安楽死法では「直ぐに死ぬ」の要件はありません。とすれば、「終末期医療」という領域にとどまらず、「脳死状態者」「持続的植物状態者」や「無脳症児」は言うに及ばず、「滑り易い坂」のように、重度の病気・傷害・障害者にまで対象が広がって行くのは目に見えています。具体的にそれを決定―実行するのは、国家や社会の政治的経済的危機の進行度合いだけです。
 「射水」の場合には、医療的な過疎化=危機の進行があったのでしょうが、詳細は一切明らかにされていません。それを明らかにすることが「亡くなった死者」や今後の患者・死者、障(傷)害者・病者にとって、その病巣を治癒するために必要不可欠なことです。

W.改めて、障害者にとって安楽死・尊厳死とは何か?を考えよう!
 若い障害者の方にとって、「自分たちが抹殺の対象」となるかもしれないことは、ほとんど考えられないことかも知れません。確かにこれまでの障害者運動の成果によって、露骨な差別はなくなり、障害者も「市場の中のお客様」として「大切に扱われる」存在になったかのように見えます。
 でも、「障害者自立支援法」から「介護保険法」との統合の流れについてどう思われていますか?「少子高齢化社会」到来下での国家財政「危機」(社会保障費の占める割合がそもそも「先進国」では最低水準!)の中では、国家―社会の価値観=「命のランク付け=優生思想」によって、真っ先に切り捨てられていくのが障(傷)老病者である事を示していませんか?
 一般に福祉国家といわれている所でさえ、「最大多数の最大幸福」という功利主義の原理の下、多数者の利益や福祉の水準維持のために、少数者の「断種」や「安楽死」の推進(オランダは安楽死先進国であると共に福祉先進国)が行われてきたこと・きていることを無視することは出来ません。また、今日の世界的規模での障害者政策を規定しているUSAのADA(アメリカ人障害者法)の下においてさえ、「自己決定能力のない人」は排除されているのです。ご存知ですか?

X.「障害児・者殺し」と安楽死・尊厳死の類似性――家族が加害者へ
 日本における本格的な障害者自身による解放闘争は、1970年横浜で起きた「障害児殺し事件」の減刑嘆願運動に対して、当時の「青い芝の会」が「殺される障害児・者の人権はあるのか!」という鋭い問いかけから始まったと言われています。障害者の人間宣言だったのです。
 それから37年、依然として「障害児・者殺し」が行われ(先日、広島での自閉症児殺害事件が報道されていました)、家族や施設職員による老人に対する虐待・殺害事件や、医師による安楽死・尊厳死事件が相次いでいます。特に後者では、「射水」の事件がそれまで水面下で頻繁に行われていた事が表面化したことに開き直り、呼吸器外しの医師が実名でメディアに登場して「正当性」を訴えていることが特筆に価します。「誰でもしていること」「何の疚しさもない」「家族の(慈悲の)思いを無駄にしてはいけない」と、家族の中にある「弱者」への加害者性(患者の世話が過度に負担なると加害者になってしまいかねないこと!)の「代弁者」として、今や「タブーを打ち破ったヒーロー」とされている現実を直視しなければいけません。「障害児・者殺し」に凝縮される「弱者」対する「後ろめたさ」を払拭し、家族や社会の加害者性の開き直りが始まったのです!
 だから、この事件は安楽死・尊厳死法制化推進勢力にとっては、一つにまとまる可能性を持っているし、私たち安楽死=障害者抹殺思想に抗う者にとっても、一大焦点となるかもしれない事件なのです。

Y.最後に
 私たちは未だ「射水」に食い込めていないし、安楽死・尊厳死を多くの人の闘う課題とすることに成功してはいません。一応、亡くなった患者さんへの著しい人権侵害があったとして、弁護士会への人権救済申立をしました(07,11,28)。しかし、本当に力をいれて闘う場は、私たちの内面化された優生思想と、政治的に推進されている社会保障政策切り捨てとに対してです。新自由主義に替わる、社会的連帯に基づく闘いと新しい共生ビジョンを作り出さねばならないと思います。共に考え、共に闘い、実現を勝ち取っていきましょう。



20080331
安楽死・尊厳死 2008  ◇安楽死・尊厳死
TOP HOME (http://www.arsvi.com)