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「"アシュリー療法"続報としてのKatie Thorpe事件」

児玉 真美 200712 介護保険情報 2007年12月号

last update: 20110517

★英国
重症重複障害児から、また子宮摘出か
3月号と7月号の当欄で紹介した“アシュリー療法”論争が、英国に飛び火して再燃している。
 いわゆる“アシュリー療法”とは、04年に米国シアトル子ども病院で重症障害児Ashley(当時6歳)に対して行われた、ホルモン大量投与による成長抑制と子宮ならびに乳房芽の摘出のこと。両親が他の障害児にも適用を進めようとの意図でこのように名づけたものだ。その動機や目的を説明する両親のブログが公開されたことから今年の初めに世界中で論争が巻き起こったが、その後5月に病院側は、知的障害のある未成年の子宮摘出が裁判所の命令なしに行われたことの違法性を認めた。
その“アシュリー療法”を巡って論争が過熱していた1月に、英国でも同じことを望む母親がいるとGuardian紙が報じた。当時は膨大な記事や論評に埋もれて目立たない記事だった。
 ところが9ヶ月後の10月7日。 Timesのニュースで一躍渦中の人となったのは、その母親Alison Thorpeだった。娘Katie(15歳)の子宮摘出を行おうとしているのはChelmsfordのSt.John’s病院。婦人科医らは、それまではピルで対応するよう勧めてきたが、8月に改めてAlisonからKatieの子宮摘出を求められた際には同意。NHS(国民保健サービス)の弁護士に対して法律上の判断を仰いだ。医療上の必要のない未成年の子宮摘出に医師らが法的な承認を求めた英国初の事例である。
 一連の報道によると、KatieにはAshleyと同じく重症重複障害があり、寝たきりの全介助。知的障害のある子どもたちの学校に通っている。母親は2人目を妊娠中に離婚し、その後1人で姉妹を育てていたが、現在は内縁の夫と4人暮らし。米国のAshleyのケースと異なっているのは、在宅サービスのヘルパーを利用したり、時に宿泊のレスパイト・ケアも使うなど、福祉サービスを利用していることだろう。またAlisonは積極的にメディアの取材を受け、自宅での生活も取材させる。そして介護の現実を事細かに語っては「この苦労を知らない人に口を出す資格はない」と繰り返している。
 「子どもを産むことがなく、生理そのものが理解できないKatieから子宮を摘出して生理の不快と苦痛を回避することは、本人の最善の利益」というのがAlisonと医師らの主張である。ただしKatieの生理はまだ始まっていない。
 これに対し、英国の脳性まひ者のチャリティScopeをはじめ、様々な方面から人権侵害だと批判の声が上がる一方で、「親が愛情からすることだから」、「介護負担を知らない者には分からない」といった擁護・容認論も根強く、1月と同じ論争が繰り返されている。
 しかし「怖いな」と思うのは、今度の論争には微妙な“慣れ”が感じられることだ。「重症障害児の体に、健康上の理由もなく、過激な医療処置で手を加える」という考えに、もはや人々はさほど大きな衝撃を受けない。これが、前例ができるということの恐ろしさだろうか。慣れるからといって、その考えが正当なものに近づくわけでは決してないのだけれど。

今回の判断は裁判所へ
 もっとも、その後の展開は米国のケースと全く違っている。 Times(10月18日)によると、その後NHSの判断によってこの問題は正式に裁判に持ち込まれることになった。Katie本人の利益は、家庭裁判所が担当する案件で子どもの最善の利益に関して助言する政府機関CAFCASS(the Children and Family Court Advisory and Support Service)が代理する。また、Official Solicitorの意見も参照されるようだ。Official Solicitorとは、未成年や自分で判断する能力のない成人の法的代理を務める英国の裁判制度の一環とのこと。
 このニュースには、「英国では、そういう制度が整っているのか……」と、認識を新たにした。が、同時に疑問にも思う。それほど後見制度が整っている社会で、なぜメディアの報道姿勢がこんなにお粗末なのだろう。
 1月の論争の際、英国メディアは概ね冷静で批判的な論評をした。ところが自国で同じことが起こると俄かにセンチメンタリズムに走り、Alisonの献身的な介護を賛美する。「Katieの子宮を摘出することの是非」が問題なのではなく、まるで「Alisonは娘の子宮摘出を望む資格がある良い親かどうか」が問われているかのような報道振りなのだ。
 しかし、それは問題が別ではないだろうか。Alisonがどんなに献身的な良い母親であろうと、重い知的障害のある未成年から医学上の必要もなしに子宮が摘出されることの是非は、それとは無関係に問われなければならない。

自己決定が困難な人の権利擁護
 非公開の病院内倫理委員会のみの審理で実施された米国のAshleyのケースでは、裁判所の判断を仰がなかった違法性と同時に、本人の利益のみを代理して敵対的審理を行うべき法定代理人の不在も指摘された。
 このたび英国のNHSが下した賢明な判断は、未成年や障害者や認知症高齢者など、自分で決めることができない人たちにも固有の権利があるのだという事実を、改めて思い出させてくれる。愛情あふれる親だから、家族だから、介護者だから、医療者だからといって、また、いくら本人のためを思ってのことであっても、勝手に何でも決めていいわけではないのだ、と。
 日本でも成年後見人制度がどのように社会に根付いていくのか、大いに気になるところである。Katie Thorpeの子宮摘出を巡って、この原稿を書いている11月初旬の段階では、新たな動きは報じられていないが、「自分で何かを決めることができない人、自分の権利を主張することができにくい人の権利を擁護するために、代理決定はどのように行われるべきか」という観点からも、今後の推移を見守りたい。

★日本
ロボットに介護されるヒューマン”な未来?
「日本で歳をとるなら、ロボットに食事をさせてもらって、音声認識電動車いすに乗り、もしかしたらロボット・スーツを装着した看護師を雇うことだって想定しておこう。」
──10月3日〜5日に東京で開催された第34回国際福祉機器展を報じるワシントンポストの記事「高齢化日本、最先端医療に注目(AP10月4日)」の書き出しである。日本人記者が海外向に書いた記事なのだけれど、日本で歳をとっていく身としては、ぎょっとする。(国際福祉機器展については本誌11月号で既報。)
 この記事によると、急速な高齢化が進む日本で懸念される労働力不足、税収の落ち込み、医療費の増大、年金制度の崩壊危機、家族の介護力の低下などの諸問題に、お助けマンとなるのが最先端技術なのだそうな。
 神奈川工科大学が開発した看護師用のロボット・スーツは22個のエアー・ポンプを搭載。重いものを持ち上げようとする筋肉の動きをセンサーが感知するとポンプが即座に稼動し、ベッドからの患者の移動はラクラク。「ロボットに抱き上げられるという感じは全然ありません。快適で、とてもヒューマンな感じ」とは、デモで患者役を演じた同大の学生の言だ。
 こうしたテクノロジーの進歩に「ほぉ」、「へぇ」と目を見張っているうちに、合理性・利便性・効率性を追求した「とてもヒューマンな介護」という概念にも、私たちは慣れていくのだろうか。


*作成:堀田 義太郎
UP:20100212 REV: 20110517
全文掲載  ◇児玉 真美
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