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「吃音者における声の規範と当事者運動」


渡辺 克典 2007/11/30
『声の文化を考える――ろう者の吃音者の視点から』54p+vii. pp. 24-33

1.吃音者の〈声〉の表象

  初めに、吃音の〈声〉の表象について、「アキハバラ@DEEP」(原作:石田衣良)から、少しだけ提示してみたいと思います。この作品では、主役の男性が吃音者という設定になっています。ひとつの例として、「ページ」と名づけられた主人公の若者の吃音は、次のように描かれています。

  深呼吸を何度もしてから口を開く。
  「た、た、た、確かに、な、な、中込さんには、うちのホホ、ホームページにババ、バナー広告をだして、もらもら、もらっています、ます」
  ページの吃音に会場は嵐のまえのように静かになった。(石田[2006:268]、〔〕は引用者)

  このような、同じ言葉を繰り返す〈声〉は、吃音として一般的にイメージされるものだと思います。そして、この作品において特徴的なのは、主役の男性が会話をするときにはパソコンを使って話をするという点にあります。たとえば、彼がパソコンを通じて話をするときには次のように描かれています。

  ページは新しいテキストウィンドウを開いた。話し言葉の何倍もの速さでキーを押すと、メカニカルキーが底を打つ音がひと塊になってきこえた。
  [新規の仕事を開拓したいってさっきいってたろ。今のボックスの提案は一本いくらかの請負仕事じゃなうて、直接お客にイメージと情報を売り込める手だ。〔略〕]
  ボックスとタイコがディスプレイを読むのを、アキラは目を丸くして見ていた。ちいさな声でタイコにいう。
  「あのさ、もしかしてこの人、口がきけないの」
  タイコが首を横に振った。ページは首元まで赤く染めて、深呼吸した。
  「キ、キ、キーボードだとだいじょうぶだ、けど、けど、は、は、話そうとすると、と、言葉がぶつぶつ、ぶつぶつぶつにきれてしまう。くせ、くせ、癖なんだ。り、り、理由はわからない、ないない」(石田[2006:39])

  先ほどと比較してみると、パソコンを使いながら話をすると、すらすらとはなせる若者として描かれていることがわかります。ただし、これは吃音の〈声〉の表象のひとつにすぎないともいえます。では、そもそも吃音とはどういった現象なのでしょうか。まずは「吃音とは何か」について確認していきたいと思います。

2.吃音とは何か

  吃音には4つの症状があるといわれています。まず第1に、言語症状とよばれるものがあります。この中には、皆さんが吃音と聞いてすぎに思いつくような「繰り返し」があります。これは「連発(れんぱつ)」ともよばれます。第2に、引き延ばしがあります。たとえば、「4回」といわなければならないところを、「よーーんかい」と引き延ばして言ってしまうことです。これは「伸発(しんぱつ)」ともよばれます。最後に、「難発(なんぱつ」とよばれるものがあります。これは、話をするときに不自然な箇所で〈声〉が途中でストップしてしまうことを意味しています。たとえば、「むかしあ……るところに」といったものです。以上の3つが代表的な言語症状です。
  吃音症状の2つ目に、随伴症状といわれるものがあります。先ほどの映画では、マイクを使って話をするときに、目玉がとびだしそうなほどに大きく見開くなどといったシーンがありました。ほかにも、口を前に突き出す。手をぶらぶらさせるなど、話をするときに必要以上に身体を動かしてしまうことを指しています。
  3つ目に、どもらずにはなそうとする「工夫」があります。たとえば、喫茶店に行ったときなど、「そば」が食べたいときがあります。でも、おそばの「お」が出なくなってしまう。そのときに、言いやすい「ラーメン」と言ってしまいます。皆さんにとっては取るに足らない問題かもしれませんが、吃音者にとっては深刻な問題として受けとめられることもあります。そばが食べたいのに、食べられない。こういったことの蓄積が、次にお話しする心の問題に結び付いてしまうことも少なくありません。
  最後に、心の問題をあげることができます。人前で話そうとしてもなかなか話せない、「当たり前」に話ができないことによって自分を卑下してしまうことがありえます。〈声〉が出せないことによって、心に病を抱えてしまう。吃音の症状には、そういった「心」の側面も一緒に考えなければいけないとされています。
  以上が吃音の代表的な症状です。また、「なぜ吃音になるのか?」という原因に着目して、吃音をふたつに分類することがあります。第1に、吃音には発達性吃音とよばれるものがあります。発達性吃音は、たいてい2歳から4歳ぐらいに発症します。そして、一部の人は自然に治っていくのですが、ある程度の割合の人はそのまま残ってしまいます。なぜ、自然に治っていく人もいれば、そのまま残ってしまう人もいるのか。そのあたりについては、現在でも論争になっています。
  第2に、吃音には獲得性吃音とよばれるものがあります。たとえば、交通事故にあって、脳の一部がうまく使えなくなってしまい、言語がうまく使えなくなってしまうなどということがあります。そのときの言語障害が吃音に似ていることがあります。これはどちらかというと、原因がはっきりしています。しかし、発達性吃音と獲得性吃音はまったく別のものであるとみなされることもあります。私の以下の報告では、1番目の発達性吃音に限定をしています。
  さらに、発達性吃音には、特徴が2つあります。1つが「波」とよばれるものです。吃音者であっても、話がすらすらとできるときと、まったくできなくなってしまうときがあります。たとえば、私を例にしてお話しすると、学会やこういったシンポジウムで何分以内に発表して下さいといわれることがあります。この場合、どれだけ練習をしても、時間を守ってお話できるかどうかはよくわからないのです。「波」があるため、すらすら話せるときと、話せないときがあるのです。吃音はその症状から「緊張していると話せなくなる」と思われがちですが、そうともかぎりません。緊張していなくても吃音がひどくなるときもあります。緊張していても、すらすらと話せるときもあります。「波」は個人によってまったく異なりますし、その原因もさまざまです。
  発達性吃音のもうひとつの特徴として、「再発」といわれるものがあります。吃音症状は一時的に治ることが珍しくありませんが、またぶり返してしまうのです。人によって、再発の期間もばらばらです。3ヶ月とか1年とか、ある期間の後に元通りになってしまうというのは、吃音者にはよくある話です。発達性吃音が一時期なくなったとしても、それは一時的なことにすぎないことが多いのです。

3.吃音治療の歴史と「声の規範」

  では、次に吃音治療の歴史について話しをしようと思います。吃音治療の特徴といえるのが、専門機関が不在であったことがあります。もちろん、何もしていなかったわけではありません。たとえば、1950年代あたりを中心として、言語障害に関係する学会がいくつも設立されました。しかし、吃音者を対象とする専門家養成は整えられていませんでした。そのため、吃音者が病院に行っても、初めは内科にいき、次に耳鼻科に行かされ、その後精神科に行かされ、などといったことがおきました。そして、どの科にいっても治らず、たらい回しされたりされるということもありました。ただし、ちょうど10年前の1997年に、「言語聴覚士法」がつくられ、専門家が養成されるようになっています。
  話を戻しましょう。専門機関が不在であったがゆえに、昔から吃音に関する民間療法が多く存在していました。そういった、民間療法の代表的な機関のひとつとして、楽石社(らくせきしゃ)とよばれる機関があります。設立されたのが1903年です。楽石社では、「視話法(しわほう)」とよばれる治療法が用いられていました。
  視話法について少しだけ説明したいと思います。第1に、視話法ではおもに舌の位置と口の形に対応させた記号を用います。たとえば、図1をみてください。ここでは、舌の位置と口の形によって3つの記号が割り振られていることがわかります。次に、図2をみてください。この記号はランダムに割り振られているわけではなく、舌の位置の高さなどによって標準化されていることがわかります。最後に、図3をみてください。図2で用いられているような記号を組み合わせることで、単語や文章をつくることができます。
視話法の図示1:口の形・舌の位置の記号化対応図
図1(伊沢[1904→1958:788])

視話法の図示2:口の形・舌の位置の記号一覧
図2(伊沢[1910→1958:793])

視話法の図示3:口の形・舌の位置の記号と対応音
図3(伊沢[1910→1958:857])

  こういった記号を使うのが視話法の特徴です。この記号の特徴は、舌の位置と口の形を利用しているため、「すべての人に対応している」とみなされていることにあります。吃音矯正は、このような記号を使っておこなわれました。
  しかし、先ほどお話をしたように、吃音には「再発」という事態がともないます。つまり、視話法を用いた治療をおこなっても、治る人と治らない人が出てきました。ここで治らない人というのが、再発してしまった人のことです。
  視話法の記号を用いる前提として、普通の人ならばこれを用いることで言葉が出るのが当たり前とみなされています。これは舌の位置と口の形を図示した記号を用いることから導き出されています。だからこそ、そこで治らないのはおかしいとみなされてしまいました。そのため、治らない理由は次のように考えられてしまいました。つまり、再発してしまった人は努力をしていないから、治らないとみなされてしまったのです。
  現在からみると、これは「再発」という特徴を知らないだけに見えますが、当時はそのようには考えられませんでした。視話法を用いて吃音が治らないのは、本人の努力不足であるとみなされました。しかしここで生まれてきてしまうのは、次のような「悪循環」です。吃音治療にもっとしっかりと取り組まなければならない。しかし治らない。また治そうとする。しかし、治らない。吃音が治らないことが、努力が不足しているのだとみなされてしまうことで、吃音者は治そうと努力すればするほど苦しみが増していくことになります。
  このような、すべての人にあてはまるような記号にのっとれば、吃音者であっても発声できて当然だ、という見方が吃音者には向けられていました。こういった見方は、「声の規範」とみなすことができるかもしれません。吃音者の場合、こういった声の規範が努力(=当時は修練とよばれていました)の不足とみなされることで、吃音矯正は実践されていました。

4.当事者運動――60年代から70年代における変化

  吃音治療は民間矯正機関を中心としておいてもおこなわれていました。しかしここで思わぬ「効果」が生まれることになりました。吃音者たちは、民間矯正機関で出会うことになりました。吃音者は絶対数が少なく、日常生活を送っていても吃音者同士が出会うことはあまりありません。しかし、矯正所では吃音者同士が顔を突き合わせて治療に取り組むことになります。そして、そこで出会った吃音者によってつくられた当事者団体があります。それを「言友会」とよびます。
  言友会の活動の初期について、次の3つの時期に着目してみます。まず、設立をしたのが1967年です。このとき、言友会は「吃音矯正」をかかげて設立されました。具体的にいえば、発足時の言友会は「言友会(日本吃音矯正会)」と名乗っており、吃音当事者同士の矯正に関する情報交換やその実践を目的とした組織でもありました。
  しかし、70年代に入り、その活動内容に少しずつ変化が生じてきました。そこでは、2つの変化がありました。とくに重要となるのが、障害のとらえ方が変化してきた点にあります。吃音という障害をとらえなおすきっかけとして、60年代後半から盛り上がってきた障害者運動の影響を挙げることができます。たとえば、言友会は全国障害者問題研究会などとも関わりをもっていたようです(伊藤[1976:99])。
  こういった流れを受けて、1976年に吃音者宣言が採択されました。全文についてはNPO法人全国言友会連絡協議会のウェブサイト(http://www2m.biglobe.ne.jp/~genyukai/)を参照にしてください。この吃音者宣言の最後には、社会実現をめざそうとする運動について記されています。吃音者の当事者団体は、「よりよき社会」の実現を目指す当事者運動の意味合いを強めています。
  では、「吃音者宣言」とはどのような意味をもつものだったのでしょうか。ここでは、次の2つについて述べておきたいと思います。まず、吃音者宣言では、「吃音」ではなく「どもり」とよんでいます。これは、否定的にとらえられがちな「どもり」という言葉をあえて使うことで、吃音者の吃音に関する意味づけを変化させる意味をもっていました。「どもり」の意味づけの変化は、吃音者宣言からも確認できます。名詞として用いられている「どもり」は、第4段落まででは否定的な意味と結びついています。しかし、第6段落以降では、どもりは、積極的な意味をもつものとして位置づけられます。
  そして、〈声〉に対する意味づけの変化は、従来の吃音観への異議申し立てととともに、社会実現を目指す運動と結びついていくことになります。これが第8段落で主張されていることです。
  従来の吃音観への異議申し立てをおこなっていく上で、1973年に言友会を通じて行なわれた「再発」に関する調査が重要な意味をもっていました。その調査では、先ほど取り上げたような「視話法」と似通った治療法に通っていた人びとへの「再発」に関する調査がおこなわれました。そしてその結果は、再発する人びとが少なからず存在していることが発見されました。
  この調査が意味していたものは、「再発の発見」にとどまるものではありませんでした。そこでは、今までの治療が吃音者の〈声〉のみに対象を向けていたことが批判されました。そして、その場その場の〈声〉だけではなく、より長い期間に焦点をあてて「再発」の問題について考えるようになりました。そうすることで、吃音者は自身の吃音の位置づけも変化させていくようになりました。治療の対象のみとして〈声〉をとらえなくなりました。別の言い方をすれば、これまでの吃音を〈声〉のみから考えようとする見方への反抗する資源を獲得しました。
  また、こういった自身の〈声〉のとらえなおしが、社会実現と結びつけられていきます。吃音者宣言の第6段落をみてください。第6段落には、「自分」や「人生」という言葉が「どもり」と結びつけられています。

  全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。(「吃音者宣言」より)

  吃音者にとって、いままでどもりは自分自身を卑下させるものでした。しかし、吃音者宣言においては、どもりはそれを受け入れることを、私たちが生きている社会と結びつけています。ここでは、吃音者の発する吃音の〈声〉は問題の背景におかれ、吃音者自身を結節点とした「社会の実現」や「連帯」の可能性として扱われています(「吃音者宣言」第9段落)。ここで「どもり」は、吃音者と社会を媒介するものとして位置づけられているといえます。

4. まとめ

  最後に、簡単にまとめをおこないたいと思います。吃音者宣言で何が行なわれていたのでしょうか。第1に、従来の吃音観は声のみに焦点を当てた見方であり、「どもり」と呼ぶことで、吃音者を浮かび上がらせ、両者を対比させています。そうすることで、今まで存在していた見方に反抗する資源を得ることになりました。
  第2に、吃音者の心理的問題が重視されるようになりました。これまでは吃音という〈声〉のみに関心が払われていたのに対して、「どもり」においては、吃音者と社会を媒介するものとして位置づけられるようになりました。こういった2つの側面を1970年代に吃音者による当事者運動の特徴としてあげることができるかと思います。
  発表は以上です。ありがとうございました。

◆文献一覧

赤星俊・小澤恵美・國島喜久夫・鈴木夏枝・土井明・府川昭世・森山晴之 1981 「吃音検査法<試案1>について」『音声言語医学』22(4):194-208.
伊沢修二 1904→1958 「視話法について」信濃教育会編『伊沢修二選集』信濃教育会,767-795.
伊沢修二 1910→1958 「日本吃音矯正法発明の由来」信濃教育会編『伊沢修二選集』信濃教育会,853-866.
石田衣良 2006 『アキハバラ@DEEP』文芸春秋.
伊藤伸二 1974 「吃音問題の歴史」『大阪教育大学紀要 第IV部門 教育科学』23(4):131-136.
伊藤伸二編 1976 『吃音者宣言』たいまつ社.
伊藤伸二 1999 『新・吃音者宣言』芳賀書店.
伊藤伸二編 1999 『吃音と上手につきあうための吃音相談室』芳賀書店.
伊藤伸二・植田泰子 1973「民間矯正所終了者の実態調査」『音声言語医学』14(3):59.
渡辺克典 2004「吃音矯正の歴史社会学」『年報社会学論集』17:25-35.
渡辺克典 2007「「吃音者宣言」の歴史的背景とその位置づけ」『社会言語学』7:109-112.



UP:20110410 
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