注
1.2004/08/25三井さよ「ケアの社会学 臨床現場との対話」勁草書房.p 2.
2.2005/09/30上野千鶴子「ケアの社会学」クォータリーat 1号.太田出版.p20.
3.1977,1978 Ivan ILLICH, John MCKNIGHT, Irving Kenneth ZORA, Jonathan CAPLAN, Harley SHAIKEN [DISABLING PROFESSIONS] =1984/07/15尾崎浩訳「イリイチ・ライブラリー4 専門家時代の幻想」新評論 ほか
4.1970 Eliot Freidson[Professional Dominance: The Social Structure of Medical Care]=1992/09/15進藤雄三/宝月誠訳「医療と専門家支配」恒星社厚生閣 など参照
5.ただし、ここでは患者・家族があまり「問題ない」場合を想定し、「家族にこそ言わないでほしい」というような(こともありえるが)さまざまな「親密性」が異なる場合は別途、考察することとする。(?)
6.reasons for justiceなどを参照するべきか?
7.2002.Ann Marriner Tomey and Martha Raile Alligood [Nursing Theorists and Their Work]=2004/09/01都留伸子監訳「看護理論とその業績」医学書院.pp197−219.
8.NANDA international [NANDA Nursing Diagnoses; Definitions and Classification 2005-2006]=2005/07/01日本看護診断学会監訳「NANDA看護診断定義と分類」医学書院
9.こういったことへの批判は多い。例として2002/04/22仲正昌樹「ポスト・モダンの左旋回」情況出版.pp174-175「『逃走論』の中で浅田は、スキゾ・キッズの戦略を以下のように定式化している。『誰もが相手よりも少しでも速く、少しでも先へ進もうと、必死になっている社会。各々が今まで蓄積してきた成果を後生大事に背に負いながら、さらに少しでも多く積み残そう、それによって相手を出しぬこうと、血眼になっている社会。これはいささか病的な社会だと言わなければならない。ドゥルーズ=ガタリにならって、このような社会で支配的な人間類型をパラノ型と呼び、スキゾ型の対極として位置づけることにしよう。(…)』」
10.オレム看護論の「普遍的セルフケア要件(UNIVERSAL SELF-CARE REQUISITES)」の中に「人間の潜在能力」といった概念が導入されている。