HOME >

情報支援技術開発における技術者の「障害受容」

韓 星民(立命館大学/KGS株式会社) 2007/11/20 科学技術社会論学会第6回大会ワークショップ
「病気や障害をもつ身体を介した技術知と生の技法」 於:東京工業大学

last update: 20151225

 視覚障害者における情報保障手段としては,点字や音声,拡大文字等があるが,なかでも点字は視覚障害者の「文字」としてよく知られている.近年,視覚障害者の情報保障を目的とした支援技術開発は年々増加しており,周辺技術の発展が支援技術開発に及ぼす影響もその重要性を増している.自動音声案内で培われた技術が視覚障害者のためのパソコン画面読み上げ技術として応用されたり,ICタグを点字ブロックに埋め込み,視覚障害者の歩行支援に用いるための支援技術開発が積極的に進められたりしており,社会における福祉分野への関心は製品開発にも広く表れている.特にユニバーサルデザインは,商品開発や建築の設計段階で少数者の存在にも配慮し,障害者でも高齢者でもだれもが使える設計思想として日本に広まりつつある.
 福祉機器開発に異業種から参入する例も多い.本報告では,報告者が関わった福祉機器開発プロジェクトを例に,開発過程でユーザーと技術者という異なる立場の開発メンバーの間で生じた科学コミュニケーションについて「障害受容」というキーワードを用いて検討する.
 大手電機メーカー出身の技術者が設立したベンチャー企業Aで,小型円盤式連続点字表示装置の開発が2002年にスタートした.元大手メーカーでデジタルカメラやDVDレコーダー部門を担当していた技術者達が結集し,開発が進められた.この小型円盤式連続点字表示装置は,PCと接続することでコンピュータースクリーンのテキスト情報を点字に変換して表示するという装置で,点字ディスプレイと言われる視覚障害者のための重要な情報支援機器の一つである.特に情報障害者とも言われる視覚障害者にとって,インターネット情報を視覚障害者でも利用できるように開発された画期的な商品としてマスコミなどでも注目を浴びた.本製品は円盤式点字ディスプレイとしては世界初の技術として,世界7カ国に特許申請を行うなどビジネスとしての注目も浴びていた.Aが開発した円盤式点字表示装置は大変速いスピードで開発が進められ,開発開始から約1年後に報告者も開発プロジェクトのメンバーとして参加するようになった.報告者がこのプロジェクトに参加するようになったのは,日本ライトハウス(視覚障害者を支援する社会福祉法人)の強い要望により,商品ができ上がる前にユーザーの感性を取り入れた製品作りが求められたためである.社長(当時)がその要望を取り入れ,触覚心理学を専攻し視覚障害者でもある報告者が,日本ライトハウスの推薦を受け入社する運びとなった.
 大手メーカーで重役まで経験し,それぞれの担当分野においては相当自信を持つ技術者集団で構成されていた開発メンバーにとって,報告者の入社は大変意外なものであったという.まず心配されたのは,一人で通勤ができるのかという事だったようだ.最初に与えられた仕事は,製品仕様を確かめる事であった.開発メンバーは,点字ディスプレイ開発は社会に役立つばかりでなく,世界初の開発品という称号が得られ,意気込みは大変高く,商品の売り上げにも貢献できると信じていた.ところが仕様テストを行った結果,製品仕様や操作キーを含めた商品全体のデザインは大変視覚障害者が使いにくいものとなっていた.問題となる部分を一つ一つ指摘し,数十枚に及ぶレポートを提出したところ開発メンバーは大変な驚きを禁じ得なかった.
 とはいえ,ユーザーによって異なる反応が得られるはずだと言うのが,開発メンバーの共通の考えであった.ところが,開発が進み,ある程度試作機ができて来た段階で専門のユーザーテストを実施したところ,その評価はあまりにも厳しく,開発費を出す会社側にはテスト結果を見せられないと皆が考えたほどであった.それから,技術者たちの態度は一変し,報告者が提案する仕様を受け入れるようになり,発売に向けて開発が進められていった.
 福祉機器開発において,ユーザーのローカルノレッジは大変重要なものとなる.特に企業は現実の用途に適合しない製品を作れば,その結果が商品の売れ行きに影響を与え,企業の生き残りにも関わってくる.専門知を持つ福祉機器開発メーカーの技術者にとって,ローカルノレッジの採用に至る過程には,専門家としてのアイデンティティとしてそれを受け入れがたい過程が存在していた.福祉機器開発における専門知を持つ集団の行動変容には,「障害受容」の段階説に似たプロセスがあると,ここでは仮定してみる.もともと「障害受容」とは,障害者が自分の障害を受け入れる過程を表しているが,本論文では,技術開発者の「障害受容」の段階説について考察を試みる.
 ショック期:「現実と理想との相違」――障害者や高齢者のためにと考えて作った福祉機器が,現実の使用に適合しない,当事者たちの独特な文化によって使い方が異なるなど,技術者とユーザーの現場知との相違に直面する.
 否定と混乱:「アイデンティティゲーム」――否定的な意見に対し,少数意見の一般化には問題があると主張し,賛成意見を探し求める.ここで,少数でも賛成意見を述べる人が現れると,その意見のみを採用する場合があり,この行動には複雑な要因が関わっていると思われる.自分自身は間違っていないと信じている場合と,間違いに気付きつつも,次の開発費を獲得するために,あるいは自分の過誤を認め評価を下げることにつながることはできないため,簡単に自分の過誤を認められない場合とがある.
 模索と試行錯誤:「新しい文化への理解」――設計ミスや専門知の相違に気づき,現場知の受け入れが始まる.この段階での重要な変化としては,現場知の受け入れのみではなく,障害者の意見を聞いたり,交流を深めたりする中で,障害者の生活や文化を理解していくようになることである.
適応と受容:「理解から生まれるやさしさ」――ローカルノレッジを上手に受け入れられるようになる.弱者だと考えていた障害者や高齢者と対等な立場でお互いを認識し,設計段階で現場知を求めるようになる. ローカルノレッジの採用が専門知を持つ技術者にとって評価を下げるような事にはならないプロセスを理解し,ローカルノレッジが必要な部分と専門知が必要な部分の線引きができるようになり,ローカルノレッジに対する価値を認めるようになる.
 専門知を持つ開発者や技術者の「障害受容」段階説は,異なる現場知をもつ人と人とが出会う事の大切さを示唆している.ユニバーサルデザインやインクルーシブデザインといった新しい設計思想が現れ,誰もが使える商品設計に関心が高まりつつあるが,ユニバーサルデザインの場合,コンセンサス会議のような多様な視点をもつ人々が出会うための装置を準備しておらず,障害を想像上でとらえただけのデザインになる危険性を持っている.その反面インクルーシブデザインは,ワークショップから障害者の行動を観察し,参加者(主に障害者)を深く分析し,一般化する作業を行っている.ただ,分析対象と分析者が明確に区別されている点で実際には「インクルーシブ」にはなっていない矛盾を持っている.報告者自身,ユーザーと技術者の両方の立場から商品設計を行っているが,ユーザーとしての感性が強く反映される場合と,専門知が強く働く場合がある.報告者のハードユーザーとしての感性が一般化されたときの問題点など,現場知と専門知のコンフリクト現象をなくすための新たなローカルノレッジの採用過程(障害受容)が必要だと考えている.


UP: 20080507 REV:
韓 星民  ◇催・2007
TOP HOME (http://www.arsvi.com)