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障害のある親をもつ非障害の子ども

コーダの事例を中心に

澁谷 智子 20070917
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

日本学術振興会 特別研究員PD(受入研究機関:千葉大学)
澁谷 智子

◆要旨
◆報告原稿

■要旨

  本発表では、障害のある親をもつ非障害の子どもについて取り上げ、その中で、特に、聞こえない親を持つ聞こえるコーダがどう位置づけられるのかを考える。

  イギリスでは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、社会福祉の領域で、「病気や障害を持つ家族(通常は親)の世話や介助を行なっている子ど も」を指す「ケアを行なう子ども(young carer)」というカテゴリーが作られた。当初「ケアを行なう子ども」は、「子どもの権利」という視点で取り上げられたが、次第に、こうした子どもが障 害を持つ親の介助を行うことに対する障害者側の視点も加わり、障害を持つ人が親としての役割をこなすための自立とサポート、機会の平等の問題として、さら には、家族そのものを中心に据えた全体的なサポートの問題として、「ケアを行なう子ども」は論じられるようになっていった。

  コーダは障害のある親を持つ子どもであるものの、聞こえない親は介助や家事のサポートは必要としないために、このような「ケアを行なう子ども」としては認識されにくい。しかし、コーダの置かれている状況を「ケアを行なう子ども」という切り口から見ていくことは、「障害」の構造を考える上で有効である。アメリカのコーダを研究したポール・プレストンは、コーダの語りにたびたび出てきた二つのこととして、「通訳すること(interpreting)」と「責任をもつこと(being responsible)」を挙げた。通訳は、実際には単に言葉を置き換えるだけに留まらず、情報の確認や判断、選択、相手に対する印象操作なども入ってくる行為である。こうした通訳は、介助と同様、幼い子が担うとはあまり想定されておらず、「子どもであること」と「ケアや通訳をすること」は時に不協和を 起こす。

  しかしその一方で、障害を持たない家族に障害を持つ家族の世話をすることを期待する風潮は確かに存在する。「障害」は子育ても含めてその能力を疑われることと結びついており、「障害」がもたらす「苦労」や「大変さ」を本人や家族が努力によって越えていくという図式に、障害を持つ親もその子どもも巻き込まれるのである。子どもたちは、ある部分においてはそうした「障害」観を内面化し、親に迷惑をかけない「いい子でいる」ように努めたり、そうでなかった場合に罪悪感を抱いたりしてしまいやすくなる。その反面、「大変」「かわいそう」「えらい」といった同情を向けられた時には、自分の感覚とずれていると違和感を覚えたり、反発を感じたりすることもある。また、「障害」があまりにも重く捉えられることを恐れ、そうした特別視を回避しようと、家族や自分の状況を言わないようにしたり、困難さがあってもそれを見せないようにしたり、普通であることを強調したりする方向へと向かうこともある。こうした「障害」観は、大人になってからであればそれ自体を問い直すことも可能だが、子どもであるうちは、その「障害」観を相対化して、自分の気持ちを整理したり他の人に説明したりすることは難しい。障害のある親も、子どもには子どもの人生を送らせたいと考え、子どもたちを周囲のプレッシャーから守りたいと思ってはいても、実際に子どもたちにこうした社会の「障害」観がのしかかってくるのは、親が介入できない状況がほとんどである。子どもたちは、確かに親とは違って心身の機能的障害(インペアメント)を持ってはいないが、このように、社会的に作られているディスアビリティに関しては、自身もかなりの負担を受けるのである。

  発表の後半では、こうした点をふまえて、特に、コーダが行なっている通訳という行為に焦点を当てる。一般の通訳者が通訳する時に比べ、コーダが家庭で行なう通訳の特徴として挙げられるのは、1)親と子どもという私的な関係性の中で通訳が行なわれること、2)子どもという立場で、聞こえない親と聞こえる大人の間の通訳を担うということである。これらの特徴と深く結びついてもたらされているのは、次のような状況である。第一に、通訳の方法は手話に限らない多様なものになること。第二に、通訳する事柄が日常生活や学校関係などの場合には「子ども」という立場と馴染んでいるが、医療や金融関連の通訳などの場合には、子どもにとって負担が大きくなること。第三に、子どもという立場で大人の会話を通訳するために、本来なら子どもが聞かなくてもよいと想定される内容を 聞いて育ってしまう面があること。第四に、通訳には、ろう者の話し方と聴者の話し方のずれを調整するような文化の翻訳という側面も含まれるが、コーダはそうした翻訳を行いながらも、自分自身も二つの文化の間で混乱する時があること。最後に、コーダが通訳する際には、親に対する子どもとしての感情が入る面もあること。コーダの経験しているこうした状況は、まだ充分に理解されているとは言いがたい。本発表では、発表者が長年のフィールドワークの中で集めたコーダの語りや記述に即しながら、これらの点について、さらに具体的に説明する。


 
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■報告原稿

障害のある親をもつ非障害の子ども――コーダの事例を中心に

                                 澁谷 智子

0.はじめに

  まず、最初に用語の説明をさせて下さい。副題についている「コーダ」とは、「Children Of Deaf Adults」の頭文字をとった言葉で、聞こえない親を持つ聞こえる子どもたちを指します。聞こえない親の下で育つコーダは、言語的文化的側面において、親の影響をかなり受けて育つのですが、今日は、そうしたコーダの言語的文化的側面よりも、社会の「障害」観がコーダの体験にどのように関わっているかという面を中心に、お話させて頂きます。
  
1.障害のある人の子育てと障害のある親をもつ子どもへの関心
  
  障害を持つ人の子育ては、まだ取り上げられることの少ないテーマである。その理由の一つには、重度の障害を持つ人にとって、子どもを持つということが、自立生活やセクシュアリティの問題よりもさらにハードルの高いものとして捉えられているという事情があるだろう。一方で、聴覚障害や軽度の身体障害など、重い障害を持つ人ほどには自立生活やセクシュアリティが問題にならない障害を持つ人々は、実際に子育てをしていても、その体験を「障害者」の立場から語ることをあまりしてこなかった。外見からは見えにくいこうした障害を持つ人々は、重度の障害を持つ人ほど「障害者」として発言する機会が得にくいのである。中には、自ら「障害者」としてのアイデンティティを持っていない人もいる。このような事情から、子育ての問題は、障害学や障害者運動の中でもあまり取り上げられてはこなかった 。
  子育てや家族に関する一般的な研究においては、障害を持つ親という視点は全くといっていいほど抜け落ちていた(Preston 2003a: 3; Olsen and Clarke 2003: 1-6)。『子育てと障害(Parenting and Disability)』を著したリチャード・オルセンとハリエット・クラークは、近年の子育て支援プログラムでは親の多様性が意識され、一人親、養子を持つ親、配偶者の連れ子を育てる親、ゲイやレズビアンの親、障害児を持つ親などのニーズも検討されるようになってきているにもかかわらず、障害のある親という視点は見過ごされていると書いている(Olsen and Clarke 2003: 3)。
  一方、障害のある親の子どもに対しても、多くの関心が向けられてきたとは言いがたい。学問的な領域においても、障害をもつ子どもに関する研究の多さとは裏腹に、障害のある親の子どもに関する研究はそれほど見られなかった。かろうじて関心が向けられた場合でも、それは、障害のある親に育てられた子どもの否定的な側面に視点が偏ってしまっていた。アメリカのコーダの研究を行なったポール・プレストンは、聞こえない親を持つ聞こえる子どもたちは、彼らを「傷ついた親鳥に育てられる傷ついた雛」と決めてかかる多くの質問に晒されてきたと語り、それまでの先行研究の偏りと不十分さを指摘している(Preston 1994=2003: 13)。プレストンによれば、そうした研究は、数少ないケーススタディから得た結果を過度に一般化したり、臨床現場から連れて来られる一部の本当に深刻なケースばかりを研究の対象としたりしている(Preston 2003a: 9)。また、子どもの年齢や親の障害種別を区別していなかったり、貧困や虐待などの他の要因を無視してすべてを親の障害に起因するものと捉えたり、本来分けて考慮すべき要素を混同して論じている(Preston 2003a: 9)。このように方法論的に問題のある研究が近年まで見直されてこなかったのは、やはり、障害をもつ親がそれだけ社会で見えにくい存在であったことと無関係ではないだろう。
  一方、一般社会においては、障害を持つ親の子どもについて語られる場合があるとしても、それは、親の世話をする存在というイメージばかりが強調されてきた。たとえば、瀬山(2002)では、1987年に東京の八王子で障害者の両親を持つ子どもが自殺するという事件が起きた際、「「障害者の両親の世話に疲れた」ことが少年の死を招いたのではないか」という論調で報道が行われたことを取り上げている。こうしたメディア報道に対し、障害を持つ女性の側 からは、「障害者の世話は家族がするもの、障害者の親の面倒は子どもが見るのが当たり前とする常識を疑いなく信じる世間から浴びせかけられる言葉の数々が、いかに子供を追いつめて行くか」という抗議がなされた(瀬山 2002: 151-2)。
  
2.「ケアを行なう子ども」という概念
  
  このように、障害を持つ親の子どもに対する関心は断片的であることが多い中、より広い視野でこうした子どもたちを見るきっかけを作った概念として、1980年代後半から1990年代初頭にかけてイギリスの社会福祉の領域で提唱されるようになった、「ケアを行なう子ども(young carer)」 というカテゴリーを紹介したい(Olsen and Clarke 2003: 14)。「ケアを行なう子ども」とは、「病気や障害を持つ家族(通常は親)の世話や介助を行なっている子ども」を指す言葉で、主にラフボロー大学の「ケアを行う子どもに関する研究グループ(Young Carer Research Group)」の研究が、こうした子どもたちへのサポートを普及させる上で重要な役割を果たした経緯がある(Olsen and Clarke 2003: 13-4)。この「ケアを行なう子ども」の問題は、当初は「子どもの権利」という視点で取り上げられたが、次第にこうした子どもが障害を持つ親の介助を行うことに対する障害者側の視点も加わるようになった。すなわち、障害を持つ人が親としての役割をこなすための自立とサポート、機会の平等の問題として、さらには、家族そのものを中心に据えた全体的なサポートの問題として、「ケアを行なう子ども」は論じられるようになっていった(Olsen and Clarke 2003: 15-6)。
  コーダは障害のある親を持つ子どもであるものの、聞こえない親は介助や家事のサポートは必要としないために、このような「ケアを行なう子ども」としては認識されにくい。しかし、コーダの置かれている状況を「ケアを行なう子ども」という切り口から見ていくことは、「障害」の構造を考える上で有効である。アメリカのコーダを研究したポール・プレストンは、コーダの語りにたびたび出てきた二つのこととして、「通訳すること(interpreting)」と「責任をもつこと(being responsible)」を挙げた。通訳は、実際には単に言葉を置き換えるだけに留まらず、情報の確認や判断、選択、相手に対する印象操作なども入ってくる行為である。通訳そのものは、聞こえない親だけでなく、親戚や学校の先生など、聞こえない親とコミュニケーションを取ろうとする聞こえる人の役にも立っている行為なのだが、コーダの主観に沿って見てみれば、やはり、コーダは親のためにこうした通訳をしていると感じている。また、このような通訳は、介助と同様、幼い子が担うとはあまり想定されておらず、年齢が小さければ小さいほど注目を集めやすい。このように、子どもの側の思いとして親のために自分が担っている役割があると認識している点、「子どもであること」と「ケアや通訳をすること」が時に不協和を起こす点において、コーダと「ケアを行う子ども」は共通する。
  子どもの心理面においても、「ケアを行なう子ども」の議論がコーダに重なってくる部分がある。それは、障害のある親をもつ子どもにとって、親が圧倒的な存在感を持っているという点である。親が大きな存在感を持っているということは、しばしば子どもの内面にも影響を与える。親のほうは、自分が子どもにとって重荷になることを恐れ、子どもには子どもの人生を生きてほしいと思っているのだが、子どものほうは、親の「ケア」をすることが「いい子でいる」ことだと考えてしまう傾向がある(Segal and Simkins 1996: 62)。また、障害のある親を持つ子どもは、親の手伝いを拒否したり、親よりも自分のことを優先させたりする時に、障害のない親をもつ子どもよりも心苦しさを覚えてしまうこともある(Segal and Simkins 1996: 81)。このように、障害のある親をもつ子が、「いい子でいる」ように努めたり、そうでないことに罪悪感を抱いたりするのは、まわりの人々が、そして時には障害を持つ親やその子ども自身が、障害のある人を「配慮されるべき存在」として見る「障害者」イメージを強く持ってしまっていることと関係がある。やはり、「障害」は単に身体の状態であるわけではなく、「障害者である」という認識が人と人との関わり方に現実的に作用し、その相互作用の中で、それぞれの人の態度や価値判断にも影響を与えるものなのである。
  
3.コーダの行う通訳
  
  以上のことをふまえて、次に、コーダが実際に行なっている通訳と、コーダに向けられる周囲からのまなざしを中心に論じていくことにする。本発表の中で資料として扱うのは、発表者が今までのフィールドワークの中で集めたコーダの人々の語りや記述である。特に、2005年10月から2006年2月にかけて11人のコーダに行なったインタビューと、2006年3月から5月にかけて行ったアンケートに対する40人の方々の回答が中心となっている。発表者は、インタビュー調査同様、アンケート調査においても、回答者が自由に回答する自由記述の欄を多く設けた。個々のコーダにとって、どのような体験が印象的なものであったのか、どう感じたのか、どういう時にそう思ったのかなど、コーダの人たちの中から出てくる言葉を重視したいと考えたためである。インタビューを文字に起こした資料およびアンケートのこうした自由記述回答は、「修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)」を使って分析した。
  
  それでは、コーダの行っている通訳について論じていきたい。コーダは、耳が聞こえ、親のコミュニケーション方法や生活背景を多少なりとも知っているために、通訳を担うことを期待される局面がかなりある。他の通訳者が通訳する時に比べ、コーダが家庭で行なう通訳の特徴となるのは、1)親と子どもという私的な関係性の中で通訳が行なわれること、2)子どもという立場で、聞こえない親と聞こえる大人の間の通訳を担うということである。以下では、これらの特徴に即して、具体的にコーダの通訳がどのようなものであるかを見ていくことにする。
  まず、取り上げたいのは、通訳の方法である。聞こえる人と聞こえない人の間の通訳としてイメージされることが多いのは、音声を手話に、手話を音声に変える通訳であるが、実際にコーダが家庭で行なっている通訳の方法は、実は、それだけに留まらない。たとえば、音声で話された言葉を通訳する時には、口を大きく動かして聞こえない親が読みやすい言葉で言いなおしたり、家族で普段使われているホームサインに置き換えたり、日本語の単語の発音を指文字で表したり、身振りを使ったりといった、さまざまな方法が用いられている。このような形の通訳が可能なのは、コーダと聞こえない親が生活を共有し、お互いの状況やその背景をよく知っているという1)の特徴によるところが大きい。さらに、こうした方法が使われるのが、2)の「子どもという立場で大人の会話の通訳を担う」という特徴に由来することもある。たとえば、コーダの年齢が幼い状況では、コーダは、音声の言葉を聞いても、それを意味として理解できないために、手話に置き換えられないことがある。発表者がインタビューしたHさんは日本語よりも手話のほうが得意というコーダだったが、それでも、子どもの時には、自分であ理解できない言葉が出てくると、その単語の発音だけでも親に伝えようとしたと語った。
  
  H:一番困ったのが、ローン会社とかお金に関係する通訳。(中略)「利子って何?」みたいな。子供にはわからないじゃないですか。利子ってわからないんだけど、手話もわからないし、どう伝えていいかわからないし、どうしよう、どうしようって。口だけで「リシ」って言ってみたりとか、指文字で「リシ」ってやったりとか。
  
  子どもの頃のHさんにとって、金融関係の内容に関する通訳は難しく、「利子」という言葉の意味も理解できず、それに対応する手話も知らなかった。しかし、それでもHさんは、口の形や指文字を使って、その言葉がどのように発音されるのかという音情報だけでも、親に伝えようとしている。このように、通訳の方法は、聞こえない親とコーダが普段から馴染んでいる方法や、コーダが使いうる方法の幅がどれだけあるか、通訳する情報のどこにポイントを置くかなどによって、さまざまに変わってくる。
  次に取り上げたいのは、通訳の内容についてである。筆者の行なったアンケートでは、子どもの頃に行なった通訳で印象に残っているものとして、日常生活に関することを挙げた人が多かった。それは、具体的には、買い物や外食の注文、集金の際の通訳、テレビや電話の通訳、親戚や近所の人との通訳などを指していた。また、同じように多かったのは、学校関係の通訳だった。こうした学校関係の通訳は、日常的にというよりも、家庭訪問、面談(進路相談を含む)、授業参観といった、特定の行事と結びついていた。日常生活や学校に関係するこうした通訳は、当事者なのに通訳をしなくてはいけないという「面倒くささ」と絡んでくる面もあるが、家族の中での「子ども」という立場と深く関係する事柄であるとも言える。
  しかし、その一方で、2)の「子どもという立場で、聞こえない親と聞こえる大人の間の通訳を担う」という面が大きく響いてくる通訳もある。筆者のインタビューやアンケートの調査では、先ほどのHさんのように、金融関係の通訳や、病院や役所での通訳、親が店員などに対して行う交渉の通訳、お葬式の通訳、親の仕事に関する通訳など、「子ども」が担うには重過ぎる通訳を経験していた人も少なくなかった。こうした場での通訳は、交渉や接客、取次ぎなど、単に通訳するだけでなく、内容の理解や判断や話術が必要であり、時には失敗が重大な結果をもたらしかねないというプレッシャーもかかってくる。大人同士がこうした内容を話す際の通訳を担うのは、子どもにはかなり大きな負担になってくる。しかし、その心理的負担は、聞こえる大人によっても、聞こえない親によっても、充分に理解されていない面がある。たとえば、コーダの中村恵以子さんは、エッセイの中で、次のように書いている。
  
  私は三歳くらいのときから、親と一緒に銀行とかに連れていかされて、通訳をやっていたんです。親からは聞こえるんだから、と思われ、銀行員からはろう者の子どもなんだからもちろん手話ができるだろうと思われるんです。たとえば「口座番号」などと言う言葉の意味なんか、三歳の子どもにわかるわけがありません。その板挟みで、ますます嫌になりました。(中村 1996: 379-80)
  
  この話からは、子どもの頃の中村さんが、聞こえない親と聞こえる銀行員の両方の思い込みに挟まれてしまった状態がよく伝わってくる。聞こえない親のほうは、自分自身聞こえるという経験がないために、聞こえる子はなんでもわかると思ってしまっている。一方、聞こえる銀行員のほうは、聞こえない相手にサービスを説明しようとする意識が先立って、子どもの通訳ではその内容を理解したりそれに対応する手話を見つけたりするのが難しいということまで思い至らない。大人と子どもでは理解する力や必要な情報を引き出せる力が違うということは、聞こえる人同士や聞こえない人同士では容易に想像できることなのだが、こうした大人と子どもの違いは、この場合には、聞こえる/聞こえないの違いの陰に隠れて、見えにくくなってしまうのである。このように、聞こえない親も聞こえる大人も、コーダの手話の力や理解力を過剰評価してしまうという傾向はある。子どもにとっては、自分の理解できない事柄を通訳する立場に立たされるのは、時には苦しい経験となる。しかし、このようなことは、聞こえる大人や聞こえない親の側がコーダの年齢をしっかり考慮し、頼む通訳の種類を選んだり、面倒でも筆談をしたり大人の通訳者を探したりすることで、かなりの程度回避できうる。実際、職業的な通訳者が増えてきた今日では、このような通訳をコーダが担う場面が減ってきていることは、強調しておきたい点である。
  コーダの通訳に関する三つ目の点として挙げたいのは、コーダは、大人の会話を通訳するために、本来なら子どもが聞かなくてもいい話まで聞いてしまうという点である。Bさんは、そうした体験の一つとして、弟が喧嘩した子どもの親からの苦情を受けて、それを通訳した時のことを語っている。
  
  B:たとえば弟が喧嘩した時も、相手の親から電話がかかってきて、親に代わってほしいと言われて「親は聞こえないんです」と言ったら、「じゃあ、あなたでいいわ」とガーッと言われた。親の代わりに嫌なことを聞かなくてはいけなかった。そして、それを親に伝えなければいけなかった。すると、親は、どういうふうに喧嘩になったのかとか、私に訊いてくる。「そんなの知らない。わからない」としか言えなかった。私はただ、言われたまんま伝えただけ。大人だったら、相手に対して「どれぐらいの怪我なんですか?」って訊いたりして、ある程度情報をためて、それを親に言うんだろうけれど、子どもの時は、そんなことできなかった。電話を切って、言われたまんま伝えて、それから親に訊かれても、わからない。親も自分が話したいところまで話せないというストレスがあったと思うけれど、私も嫌だった。
  
  Bさんの親に苦情を言うことを想定して電話をかけてきた相手は、Bさんの親が聞こえないと知ると、「じゃあ、あなたでいいわ」とその矛先を子どもであるBさんに向けている。Bさんは、それを受けとめるだけでなく、聞いてしまったその嫌な内容をさらに親に伝えなければならなかった。事情を聞いた親は、今度はBさんに対してその詳細を確かめようとするが、既に電話は切れており、Bさんとしては自分が聞いた以上の情報を伝えようがない。大人としての現在の視点から当時をふりかえったBさんは、子どもの力では、相手に自分から質問して必要な情報を確認してから親に伝えるというところまではできなかったと判断している。このように、親に代わって子どものコーダが大人の嫌な話を聞いてしまうということは、筆者が行なったインタビューの中でも、たびたび語られた。それは、本来ならば、子どもはこうした事柄を聞かなくてもいいように守られている立場であるにもかかわらず、自分はそうではなかったということが、大人になったコーダの視点から語られるのである。後で詳しく見ていくように、コーダは子どもの時には「快」「不快」の感情はあっても、こうしたことをそこまでは深く意識していない。それが、大人になって、平均的な子どものあり方というのを知り、その比較の中で初めて自分の状況が浮かび上がって見えてくるのである。これは、成人コーダの語りの特徴の一つであると言えよう。
  第四点として述べておきたいのは、文化の翻訳という面である。コーダが親の手話を読み取って声にする場合には、聞こえない親の話し方を、聴者社会の話し方の基準に合わせるという部分も出てくる。ろう者と聴者では、実は、好ましいとされる話の進め方が異なっているためである。たとえば、情報を得るために納得のいくまで単刀直入にいろいろ質問することを是とするろう者のコミュニケーションのあり方は、必要最低限の質問しかしない聴者のコミュニケーションのあり方としばしばぶつかってしまう。この点について、Cさんは次のように語っている。
  
  C:すごくろうの人って、初めて会った人とか、いろいろな人に訊く時に、いろんなこと訊くじゃないですか。関係なくね。「そんなこと、訊かんとって」ということを訊くじゃないですか。そういうのがね、もう、ちょっと、「もうえぇ、もうえぇ」っていうような感じで(笑)。向こうの方は「え?」とか言うけど、「え、いやいや」みたいな感じで。あんまりよくないかもわからんけど。
  
  初対面でも次々と質問をする聞こえない人のあり方が聴者に戸惑いをもたらすことを、Cさんは自覚している。Cさんはそれを「もうえぇ、もうえぇ」とおさえる一方で、聞こえる人に対しては、「え、いやいや」と曖昧ににごしてその場をやり過ごしている。このように、聞こえない親の話を適当なところで終わらせて伝えたり、ぼかした物言いにしたりすることは、コーダの通訳の中ではわりとよくあるようである。しかし興味深いのは、最後の「あんまりよくないかもわからんけど」というCさんのコメントである。Cさんは、現在手話通訳者としても活動を行っており、その観点からは、自分のこうした行為は通訳の中立性を維持していないという意味で「あんまりよくない」態度かもしれないと述べている。やはり家族に対する通訳では、自分の判断で親と相手の聴者の関係を調整する面も出てきてしまうことを、コーダの多くは自覚している。
  これと関連したことで第五点目として取り上げるのは、コーダが通訳する時には、家族という関係性ならではの感情が入ることである。それは、1)の「親と子どもという私的な関係性の中で通訳が行なわれること」という特徴の上に、2)の「子どもという立場で、聞こえない親と聞こえる大人の間の通訳を担うということ」が重なって出てくる問題であると言える。実際、筆者の行なったアンケートでは、親に対する通訳と一般のろう者に対する通訳の違いとして、親に対しては自分の意見が入ってしまいがちだが、一般のろう者に対しては中立的・公共的な立場で通訳する場合が多いことが見てとれる。たとえば、「親と話す時は、つたない手話だけどかなりがんばって通訳しているのにどうしてわかってくれないの?とよく思ってしまいます。一般のろう者の方にはそのように思うことはありません」という記述や、「親に対する通訳は面倒だと思ってしまうけど、一般のろう者に対してはそのようなことは思わない」といった回答では、相手が親である時には、がんばってやっているんだからわかってほしいとか、面倒くさいと感じるとか、子どもとしての感情も出ることが示されている。やはり、親に対する通訳では、このように、一緒に過ごしている時間が長いという親子関係ならではの心情的・感覚的な近さがあるのだろう。しかし、単に親子関係を背景とする通訳という意味では、聞こえる親が手話を覚えて聞こえない子どもに通訳するというケースもありうる。それでも、この場合には、聞こえる側が「親(子どもを育てる役)」という立場と「通訳をする側(情報を伝える役)」という立場を兼ね、「保護」傾向が強くなってもあまり葛藤を起こさない。それに対して、コーダの通訳の場合には、「子ども」という立場での親への甘え――親にこうあってほしいという欲求や実際にそうでないことへの反発、自分が決定したり意見を言ったり失敗したりしても親は許してくれるだろうという予測など――と、「通訳者」としての倫理性が葛藤を起こす面が出てくるようである。ここに、1)の「親子の私的な関係性の中で通訳が行なわれる」だけでなく、2)の「子どもという立場で、親の通訳を担う」という年齢差が相乗的に働く、コーダの通訳の特徴がある。
  以上、コーダの通訳がどのようなものであるのかを見てきた。第一に、コーダが行なう通訳では手話に限らない多様な方法がとられていること、第二に、コーダが通訳している事柄は、日常生活や学校関係のことなど「子ども」という立場と馴染んだものも多いが、中には、医療や金融関連のことなど、子どもには負担の大きいものもあることを確認した。第三の点としては、コーダは子どもという立場で大人の会話を通訳するために、本来なら子どもが聞かなくてもよいことを聞いて育ってしまう面があること、第四の点として、コーダが通訳を行なう時には、ろう者の話し方と聴者の話し方のずれを調整するような、文化の翻訳という側面も入ることを論じた。そして、最後の点として、コーダの通訳には、親に対する子どもとしての感情が入る面もあることを見てきた。
  コーダの通訳というのは、家族であること、子どもであること、聞こえる身体を持っていること、そして、通訳を期待されるということが、複雑に絡み合っている事柄である。さらに視点を広くとれば、コーダが通訳を行なうことの背景には、聞こえない人が少数派であり、社会の多数派の人々は音声でコミュニケーションをとっているということ、そしてそのことを前提に社会のシステムが作られているということが、現実的な条件として働いている。これは、「音声コミュニケーション」の部分を「日本語」に置き換えれば、他の言語的マイノリティの子どもについても当てはまることであり、厳密な意味では、親の障害ゆえとも言い切れない。しかし、社会では、コーダが担う通訳も、聞こえない親への「ケア」であるとみなされ、コーダ自身もそのように感じている。「障害」の身体面と社会面を分けるという視点に従えば、言語面に関わるコーダの通訳は、まさに社会的に作られたディスアビリティのために求められているという構造があるのである。
  
4.コーダに向けられるまなざしと、内面化される自律
  
  次に、コーダに向けられる周囲からのまなざしについて取り上げたい。今まで見てきた通訳に代表されるように、親が聞こえないことによってコーダが担っている役割というのは確かにある。ただ、多くのコーダの語りで繰り返し強調されるのは、コーダにとって負担となっているのは、親が聞こえないことそのものよりも、むしろ、親が聞こえないことに対するまわりの人の見方だということである。
  発表者が行なったアンケートの中では、85%もの回答者が、まわりの聞こえる大人から「大変ね」「かわいそう」「あなたががんばるのよ」と言われた経験があると答えた。このような言葉は、親戚や近所の人、学校の先生など、コーダが親との通訳をする相手からかけられることも多かったが、街の人やお店の人など、あまり関わりが深いとも言えない人々からも発せられていた。こうした言葉がこれほど頻繁に口にされるのは、それが一般の人々の善意に基づいているためだと思われる。つまり、「障害を持つ親を手伝っている子ども」に対してこのような言葉をかけるのは、その苦労を推察し努力を褒める良い行為だとみなされているのである。
  しかし、こうした言葉をかけられるコーダのほうでは、それを自分の感覚とは合わないと感じている人が圧倒的に多い。たとえば、アンケートでは、「それに対してどういう気持ちがしましたか?」という質問に対し、「不思議な気がした。「ズレてるな」とよく違和感を覚えた。自分にとっては、親がろうである環境は「普通」のことで、特に大変だとかみじめだとか思っていなかったからだと思う。」とか、「何が大変?何が可哀相?何を頑張るの?と不思議だった」といった回答が多く寄せられた。こうした回答からは、コーダにとって親が聞こえないのは生まれた時からのあたりまえの環境であり、コーダとしては普段の生活をしているだけという感覚のほうが強いことが窺える。さらに、まわりから「大変」「かわいそう」などと言われて「そうなんだーと思った」というように、それは、自分は人からはそう見えるらしいという外部の視点の発見として語られる回答も複数あった。また、「余計なお世話。両親がろうということに大変さはあまり感じていなかったけど、そういう風にいわれることに嫌悪感を抱いていた」、「父や母が社会的に弱い立場の人間だと言われているようでなんだか悲しかった」など、こうしたまなざしを受けられることに、反発や不快感、悲しみを覚える人も多かった。そうした反発は、コーダとその親の生活を深く知らない状態で言われる時には、特に大きくなるようだった。コーダの側からしてみれば、親が聞こえないことはごくあたりまえのことであり、そのことで「大変」「かわいそう」といった同情を寄せられるのはむしろ違和感や不快感のもととなっている。それは、こうした言葉をいい意味で使っていると感じがちな一般の人々の見方と大きく異なる点である。
  「あなたががんばるのよ」と言われることに関しては、言われた時の年齢や、それを言った相手と自分の家族の関わり方によっても、コーダの反応は変わってくるようだ。たとえば、「幼い頃は、「あなたがしっかりしなくちゃ」と言われた時、頼られているようで、誇らしげに感じることもあった。ある程度成長すると、少しプレッシャーを感じた」というように、小さい頃にはそれを聞いて素直にがんばろうと思ったと答えた回答者は複数いた。また、「ほとんどのcodaはイヤみたいだったが、私の場合励みになった」と書いた回答者は、親戚が時には自分に「頑張りすぎや。そんな頑張らんでいい」と声をかけてくれたり、いざという時には自分たちも一緒に責任を負担しようとする意思を見せたりしてくれることで、「この人は、私のしんどさを分かってくれているんだ」という思いを抱けたと書き添えていた。こうした「がんばる」「しっかりする」「いい子でいる」といった言葉は、実はどこまで何をするのかを指すのが明確でない。そのため、その状況を具体的に共有しようとしている相手から言われる時には励ましになっても、そうでない相手から漠然と努力や責任を持つことを期待されるのは、ある程度成長したコーダにとっては、心地よくないものになってしまっている。
  多くの場合、世間の人々のまなざしは、コーダに警戒心を抱かせ、自分の家族や自分の状況をあまり話さないようにする方向に働くようだ。コーダが子どもの頃はともかく、コーダがある程度成長して、世間の人が「「ろうの人って大変」って思ってる」のがわかるようになっていく思春期では、「ちょっとのミスでも、そう思われる要因になってしまうかもしれない」と思い、自分の家族の話も気軽に出せなくなってしまうという 。たとえば、Hさんは、自分が思わしくない状況にあると、それを親が聞こえないせいにされることを意識して、つらい時もできるだけそれを外に見せなくなったと語る。
  
  H:やっぱり、聞こえないことを理由に、「(親が)聞こえないからあの子はこうなったんだ」とか言われるから、それを見せないように、見せないように、その、家族を守る、親を守る、という意味で。(中略)失敗したり、挫折したり、なんかそういうきっかけがあると、すべて親のせい…親のせいというか、聞こえないせいにされちゃうから。だから「私が強くならなきゃいけない」とか。言われて、自分で悶々としているのに、「笑顔でいればみんな何とも思わないから、だから笑顔でいればいい」とか。変に笑うことを覚えちゃったりとか。本当はここで笑いたくないのに笑っている自分がいたりとか。本当はつらいのに、「ううん、別に」という感じになっている自分がいたりとか。強がっている部分。なんか、素直なようで素直じゃないっていうのもあるかな。本当は素直になれたら可愛げも出るのに、とか思うんですけど(笑) 。
  
  ここでは、Hさんは、親が聞こえないからと言われないようにするために、自分が笑顔でいるように心がけたと打ち明けている。笑顔でいることは、まわりからの特別視を回避する効果的な方法であり、それは親や家族を守る行為でもあった。しかし、そうした行為を繰り返すことで、Hさんの中では強くなるべき自分を演じることが恒常化していき、その結果、素直になれないという思いを抱くようになっている。Hさんは、さらに、そうした責任は、コーダを「大人じみた子ども」にするのではないかとも語っている。
  
  H:小さいときから通訳とかで大人の世界と関わっているので、普通それぐらいの年代の子が知らない言葉を知っていたりとか、その意味を知っていたりとか、その使い方とか言い回しを知っていたりするので。なので、考え方とかも、小さい頃から通訳とかを…それがあたりまえで自分では重荷に思っていないのに、そういう責任があるから、「しっかりしなきゃ」とか「いい子にならなきゃ」とか。そこまですごく意識はしていないんだけれど、そういう感覚になっていって、なんていうんだろう、「大人じみた子ども」というコーダが多いのかなって見てて思う 。
  
  子どもの頃のHさんにとって、通訳はあたりまえのものであり、それを重荷には思っていなかった。しかし、それでも、自分に課された責任があるという思いは、知らず知らずのうちに「しっかりしなきゃ」「いい子にならなきゃ」という感覚として、Hさんの中に内面化されていった。Hさんは、こうした傾向は自分だけでなく、自分の知っている他のコーダたちにも見られるように思うと述べている。
  Hさんの発言と似たような事柄は、筆者の行ったインタビューやアンケートの中で、何度か聞かれた。もちろん、すべてのコーダに当てはまることではないだろうが、普通の子どもより大人びていたかもしれないと感じているコーダが多いということは、事実として言えそうである。誤解のないように言っておくが、コーダは子どもとして、親に守られている面も当然持っている。しかし、ある部分においては、やはり、進路やさまざまな選択を親に頼らず自分で決断したり、自分で問題を解決しようとしたり、自分のいろいろな思いを自分の中に留めたりすることもある。それは、他にサポートがない状態ではそうするより他に選択肢がないというためでもあるし、まわりからの過度な特別視が自分の家族のあら探しをされることにつながりかねないという危機意識を持っているためでもある。 
  おそらく、まわりの人々がコーダに対して向けるまなざしは、その人々にとっては善意から出るものである。しかし、コーダにとっては、それは有効なサポートにはなっていない。むしろ、聞こえない親を弱い存在とみなし、問題が起こった時にそれを親が聞こえないことと結びつけて解釈しようとするこうしたまなざしは、コーダを背伸びせざるを得ない状況に追い込んでしまっている面もある。聞こえないことを「苦労」や「大変」といったイメージで重くとらえ、同情や努力への期待といった先入観でコーダやその家族を見る見方が強く働いている状況では、逆にそれに立ち向かうために、コーダは自分の家族が普通であることを強調しなくてはいけなくなってくるからである。そのような意味で、コーダの肩にのしかかってくる負担は、実は、聞こえない親によってではなく、聞こえる人々によって作られている。これもまた、「障害」の身体面(インペアメント)というよりは、社会的に構築されるディスアビリティであると言えるだろう。「障害」を漠としたイメージで捉え、本人や家族が努力によってその困難を乗り越えていくものとみなす人々の態度は、コーダ自身の感覚との不調和や反発などを起こしながらも、やはり、特別視を避けるための自制へと、コーダを方向づけてしまいやすいのである。
  
4.まとめ
  
  以上、「障害のある親をもつ非障害の子ども」という視点から、聞こえない親を持つ聞こえるコーダのケースを見てきた。コーダが行っている通訳は、「ケアを行なう子どもが行う介助と同様、幼い子が担うとはあまり想定されていない。「子どもであること」と「ケアや通訳をすること」は時に不協和を起こしている。
  しかしその一方で、障害を持たない家族に障害を持つ家族の世話をすることを期待する風潮は確かに存在する。「障害」は子育ても含めてその能力を疑われることと結びついており、「障害」がもたらす「苦労」や「大変さ」を本人や家族が努力によって越えていくという図式に、障害を持つ親もその子どもも巻き込まれるのである。子どもたちは、ある部分においてはそうした「障害」観を内面化し、親に迷惑をかけない「いい子でいる」ように努めたり、そうでなかった場合に罪悪感を抱いたりしてしまいやすくなる。その反面、「大変」「かわいそう」「えらい」といった同情を向けられた時には、自分の感覚とずれていると違和感を覚えたり、反発を感じたりすることもある。また、「障害」があまりにも重く捉えられることを恐れ、そうした特別視を回避しようと、家族や自分の状況を言わないようにしたり、困難さがあってもそれを見せないようにしたり、普通であることを強調したりする方向へと向かうこともある。本発表では、コーダのケースを中心に論じたが、これらの点は、土屋葉さんが、重度身体障害を持つ非障害の子供6人への聞き取り調査をまとめた研究とも重なってくる(土屋 2007)。
  障害のある親を持つ子どもたちが直面するこうした「障害」観は、大人になってからであればそれ自体を問い直すことも可能だが、子どもであるうちは、その「障害」観を相対化して、自分の気持ちを整理したり他の人に説明したりすることは難しい。障害のある親も、子どもには子どもの人生を送らせたいと考え、子どもたちを周囲のプレッシャーから守りたいと思ってはいても、実際に子どもたちにこうした社会の「障害」観がのしかかってくるのは、親が介入できない状況がほとんどである。
  子どもたちは、確かに親とは違って心身の機能的障害(インペアメント)を持ってはいないが、このように、社会的に作られているディスアビリティに関しては、自身もかなりの負担を受けるのである。親とのつながりによって、ディスアビリティに直面するこうした子どもたちの経験もまた、障害学の研究が取り上げていくテーマであると思われる。

参考文献
  
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――――,2001,「文化的境界者としてのコーダ:「ろう文化」と「聴文化」の間」『比較文学』44,69-82.
――――,2006,「「コーダに関するアンケート」の中間報告」2006年8月完成・関係者に配布,100ページ.
瀬山紀子,2002,「声を生み出すこと――女性障害者運動の軌跡」石川准・倉本智明編『障害学の主張』明石書店,145-73.
――――,2005,「障害当事者運動はどのように性を問題化してきたか」倉本智明編『セクシュアリティの障害学』明石書店.
土屋葉,2006,「「障害」の傍らで――ALS患者を親にもつ子どもの経験」障害学研究編集委員会編『障害学研究2』明石書店,99-123.
――――,2007,「障害の親をもつ、非障害の子どものライフストーリー:「障害」への意味づけを中心に」福祉社会学会第5回大会発表原稿,2007年6月23日.
中村恵以子,1996,「Codaに目覚める」『現代思想』24(5): 379-81.
ブラザー,ミリー・米内山明宏・市田泰弘・本橋哲也訳,1996,「CODAとは何か」『現代思想』24(5): 366-70.
Olsen, Richard and Harriet Clarke, 2003, Parenting and Disability: Disabled Parents' Experiences of Raising Children, Bristol: The Policy Press.
Preston, Paul, 1994, Mother Father Deaf: Living between Sound and Silence, Cambridge, Massachusetts / London, England: Harvard University Press.(=2003,澁谷智子・井上朝日訳『聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち』現代書館.)
Preston, Paul, 2003a, 'Parents with Disabilities and their Children without Disabilities' 2003年10月11日障害学会設立総会記念講演原稿(=2003,長瀬修訳『障害の親と、非障害の子ども』として、障害学会ホームページ上に掲載).
Segal, Julia and John Simkins, 1996, Helping Children with Ill or Disabled Parents: A Guide for Parents and Professionals, London and Bristol, Pennsylvania: Jessica Kingsley Publishers.


UP:20070807 REV:20070830
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