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価値判断と政策――倫理と経済のダイアローグ

野崎 泰伸 20070916
障害学会第4回大会シンポジウム「障害と分配的正義――基本所得は答なのか」

last update: 20151224

はじめに
1 正義の形而上学から分配的正義へ
2 基本所得と必要に応じた分配とを切り離す
3 いくつかの反論

はじめに

 本報告では、基本所得をめぐるいくつかのことを確認する。第一に、基本所得というのは社会における分配・再分配政策であるから、基本所得の理念を問う前に、なぜ分配的正義か、という理屈を簡単に確認する。次いで、基本所得を、「すべての人の生存を保障する」という線から少し緩め、「標準的な生活を営むのに最低限の水準を保障する」というものに位置づけ直す。そして、それと24時間介助が必要な障害者などの必要に応じた分配とを切り離す。そして、必要に応じる分配を論じる際、ニーズテストはどのみち不可避であることを述べる。最後に、いくつかの反論に答える。

1 正義の形而上学から分配的正義へ

 唐突かもしれないが、「なぜ人を殺してはいけないか」という議論が10年前ほど前に起こったことを思い出そう。たとえば、大江健三郎は、この問いの不穏性を言い、哲学者の永井均は、この問いの不穏性を言う大江の「聖人ぶり」に疑義を呈したりしていた、あの議論である。
 ふだん、私たちは人を殺したり殺さなかったりしながら、生きている。あるいは、私たちは自分が殺人者であることにふたをしながら毎日をやり過ごしている。「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは、実はこれ以上根拠づけることのできないものではないのか。
 正確に定式化しよう。この世界の倫理体系は、「人を殺すことを正当化する」体系と、「人を殺してはならない」体系に分けられるだけである。各体系が掲げる命題は、それぞれもう根拠づけることができないものである。そして、私たちがこの社会に生きている以上、私たちはどちらかの体系を選ばなければならないものとして存在するのである。すなわち、「人を殺すことを正当化する」体系を選ぶか、「人を殺してはならない」体系を選ぶかについての選択の自由はあるが、そもそもこの選択をするかしないかについては選ぶことができない。それが「私がこの社会で他者とともに生きる」ことの掟であろうと考えられるのである。どちらかの選択肢を選ぶことは自由であるが、選択そのものは強制されている。
 もうひとつ大切なことは、私が主体的にどちらかを選ぶということは、この私が選んだ体系に巻き込まれる、ということをも意味する。すなわち、選んだ体系と整合するように、言い換えれば、選んだ体系の帰結を選んだ私自身が受け入れるように、行為しなければならないということである。「人を殺すことを正当化する」体系を選ぶならば、その中に自分の身を置くことを拒んではならない、ということである。その体系を選ぶならば、自分自身が銃社会の血で血を洗うような社会に私が巻き込まれることを引き受けなければならないのである。言い換えれば、「人を殺すことを正当化する」体系を選んだ人は、自分が不当にも殺されそうになったような場合でも、「お願いだからやめてくれ」とは言えても、「私を殺すことは不正である」とは言えないような仕組みになっているのである。私だけ蚊帳の外、ということは許されない。その意味において、各体系を特徴づける命題は、根拠づけることはできないが、どちらの体系を選ぶかという行為との関連によって全体論(ホーリズム)的に構成されるものであると言える。ゆえに、「どちらを選ぶのか」についての根拠づけは不要であるどころか、そもそも不可能である。
 分配的正義の主張は、明らかに生を肯定しようというベクトルである。つまり、「人を殺してはならない」という体系と整合的である、あるいは整合的であるべきである。そして、そのベクトルの純粋な極には、「どのような生も、それとして無条件に肯定される」という「生の無条件の肯定」がある。この体系は、そのような主張を正義とするようなものである。すなわち、純粋な歓待こそがこの体系における正義であると、言い直すこともできる。
 ただし、実際の私たちの生活において、無条件の歓待、他者を無条件に肯定することは、不可能とは言わないまでにしても、おそらく非常に困難である。実際には、条件付きの歓待こそが実行しやすいものとしてとり行われる。しかしそれでも、「生の無条件の肯定」を正義として掲げておくことには意味がある。この点に関連して、デリダは次のように言う。

 「私たちは夢想家ではありません。この観点からすれば、どんな政府や国民国家も、その境界を完全に開くつもりがないことは承知していますし、正直なところ、私たち自身もそうしていないことも承知しています。家を、扉もなく、鍵もかけず、等々の状態に放っておきはしないでしょう。自分の身は自分で守る、そうですよね?正直なところ、これを否定できる人がいるでしょうか?しかし私たちはこの完成可能性への欲望をもっており、この欲望は純粋な歓待という無限の極によって統制されています。もしも条件つきの歓待の概念が私たちにあるとしたら、それは、純粋な歓待の観念、無条件の歓待の観念もあるからです」(『デリダ、脱構築を語る』、岩波書店、p.123)

 私たちは、ここにおいて、分配的正義の位置、すなわち可能性と限界について考察することができる。それは、人の生活を財という分配可能なものの視点からのみ論じたものに過ぎない。人の美醜・欲望・記憶などの分配不可能なものについては、そもそも論じることができない。しかし、そういう限界を踏まえたものとして、正しい分配が達成されるべき、そのようなものである。ここで「正しい」という方向は、もちろん「生の無条件の肯定」へと向かうものである。

2 基本所得と必要に応じた分配とを切り離す

 「生の無条件の肯定」へと向かう分配のあり方はどのように考えられるか。現在注目されているものの一つに「基本所得(ベーシック・インカム)」がある。これは、市民であれば誰でも無条件で一定額の基本給付を認めるという政策である。フィリップ・ヴァン=パレイスは次のように述べる。

 「ベーシック・インカムとは、換言すれば、(1)たとえ働く意志がなくとも、(2)金持ちであろうとなかろうと、(3)誰と一緒に住んでいようとも、(4)当該国のどこに住んでいようとも、政府によって社 会の構成員すべてに対し支払われる所得のことである」(Real Freedom for All: What (If Anything) Can Justify Capitalism?, Oxford University Press. p.35)

 基本所得は、生存の保障と強く結びつけた形で語られることもある。しかし、このパレイスの定義においても、生存の保障と結びつけられてはいない。私はそれでよいと考えている。個々の必要に応じた支払いは、基本所得以外で行おうという考えである。
 さて、基本所得を考えるとき、ともすれば受給側のみ考えられがちである。また、ともすれば政策的な含意は後回しにして、思想的な含意が語られがちである。たとえば、人文系の雑誌『VOL』第2号は、ベーシック・インカムを特集しているが、冒頭の対談において萱野稔人は次のように述べる。

 「ベーシック・インカムの実行可能性についてはさまざまな疑問がだされていますよね。(中略)ただ、このあたりのテクニカルな問題はややこしい議論になるわりにそれほど生産的ではない(後略)」(山森亮・萱野稔人・酒井隆史・渋谷望・白石嘉治・田崎英明「ベーシック・インカムとはなにか」『VOL』第2号、p.9)

 人文系の研究者が、そうした議論が「生産的ではない」と判定を下そうが下すまいが、社会政策の可能性として必要なものである。具体的に私は、非常に単純なモデルとして、「定率税+基本所得」案を支持する。まずそれがどのようなものかを説明しよう。
 ここにA1〜Anの、n人の社会を想定する。各Ak(1≦k≦n)の所得はakであるとする。簡単のために煤i1≦k≦n)ak=aとし、定率税をp(0≦p≦1)とする。このとき、Akから徴収する税はpak であるから、総税収はpaである。徴税後のAkの収入は(1−p)ak になっていることに留意する。
 さてここで、総税収paのうちから、基本所得bをn人に一定額ずつ給付することを考えるが、単純にb=pa/nとはしない。基本所得bを、それより少ない額にして支払うところがミソである。すなわち、bを、bn<paとなるように選ぶのである。差額、すなわちW=pa−bnについては後述する。
 各Ak に基本所得bを支払った後のAkの 収入は、(1−p)ak+bである。とすると、基本所得を得た後において、実質的にはpak −bの税金を支払ったことになり、Akにおける実質的な税率は(pak −b)/ak、すなわちp−b/ak となっている。基本所得受け取り後におけるこの実質的な税率は、税徴収前の所得ak が大きければ大きい値になる(ただし、常にpよりは小さい)。これは、累進課税を意味する。ここに、定率税+基本所得を支持する根拠がある。ちなみに、もともとの所得ak が小さく、税金pak −bが負の値になっても一向に構わない。それはちょうど、ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」に相当する。

 「この制度(=引用者註・負の所得税のこと)の利点は明らかである。それは明確に貧困の問題に向けられている。それは個人にとって最も有用な形で、すなわち現金で援助を与える」(『資本主義と自由』、マグロウヒル好学社、p.216)
 「この提案を現在の福祉施策の集まりに比較すると、(中略)金銭上でもはるかにコストが少なくなりうる」(同上、p.217)

 フリードマンと袂を分かつところは、「定率税+基本所得」だけでよいかどうかという点である。フリードマンはそれだけでよい、と述べ、私はそうでない、と述べる。
 明らかにそれだけでは、個々人の生存(+α)に必要なニーズが満たせない。基本所得のみで生存以上のものを達成できる健常者もいれば、それだけでは生存の水準すら満たせない障害者がいる。だとしても、まずはそういう位置づけのものとして基本所得は肯定してよい。問題は残余をめぐる部分にある。
 そこでこそ、基本所得として分配しなかったWが生きてくる。つまり私は、基本所得として支給する金額bnと、必要に応じた分配に応じるWとを切り離すのである。Wを、各成員の必要に応じて分配しよう、という案である。差異があるのを承知の上で言えば、現行制度におけるイメージとしては、bnの分が障害基礎年金、Wを分けて必要に応じて給付される制度が生活保護になるだろうか。Wは、必要ない人から、たとえば他人介護料の厚生労働大臣基準が必要な人までをカバーするものである。また、優先順位の問題はあるが、公民館を建てたり、駅にエレベーターを付けるなどの他の公共政策にも使われ得る。その意味において、Wの意味するところは人頭税であると考えられる。
 それでは、私たちはいかに必要を知れようか。言い換えれば、私たちはいかに他者のニーズを測定できようか。
 ひとつに、「誰にニーズを測らせるか」という問題がある。しかしこれは、究極的に言えば、誰に測らせても同じだという部分が残る。民生委員にやらせようが、ケアマネにやらせようが、当事者主体の自立生活センターの職員にやらせようが、他者がニーズを同定する以上、最後には権力性の問題は横たわる。だとすれば、「誰にさせるか」という問題は、「ニーズ測定の際、いかに権力性を最小に抑えるか」という問題に含まれる。ニーズ測定と権力性、それにかかるスティグマの問題は、とりあえずここでは「それが問題点として挙げられる」というに留める。

3 いくつかの反論

 ひとつ目は、よくなされるであろう「資源の希少性」をめぐる議論、すなわち「そんなに財源があるのか」という問題である。しかし、いまだかつて「財源がない」ことは検証されたことはない。そして、「財源があるかないか」を実証的に検証するのはおそらく非常に困難である。それが可能になるのは、次のような場合である。つまり、「希少性」という言葉の前で、多くの理論経済学者がその理論可能性を躊躇しているように思えるが、「まずは実際にやってみる」ということが大事だと考える。その中で、「やってみてできませんでした」というとき、初めて理論が反証されたと考えるのである。「生の無条件の肯定」の立場とは、「資源の希少性」の問題が最後に理論的に残ったとしても、そうした究極の状態に行きつくまでに政策的に実行可能なことははるかに多くあるから、まずは実行せよという立場である。やってみてできなくて、それで工夫する。それがどうにもならないときにはじめて、「あなたやっぱり死になさい」と言える、論理的に考えればそうなる。これは一見無責任なように思える。しかし、何もやらずに、たとえば「障害者は死になさい」というメッセージが陰に陽に垂れ流される現在よりは、幾分にも誠実な態度であると私は考える。
 ふたつ目に、ネオリベラリズムとグローバル化という流れこそが、基本所得に説得性を持たせているという議論がある。市野川容孝は、酒井隆史との議論で次のように述べる。

 「ベーシックインカムという戦略は、基本的にケインズ型の福祉国家が約束していた完全雇用が壊れて、全ての人に雇用が保障できなくなっているという、まさにネオリベラリズムとグローバル化という文脈なしには説得力をもつ議論ではないと私は思う」(市野川・酒井「社会的なものの潜勢力」、『現代思想』2007年9月号、p.57)

 確かに、歴史の流れからみればそのとおりだろう。他方、「説得力をもつ」ということと、「論理的に整合する」ということとはまた別のことでもある。また、市野川がどのような意味において「ネオリベラリズムとグローバル化」と言っているのかも定かではないが、基本所得構想は、たとえその中から出てきた歴史的産物だとしても、そのこととそうした現状を是認するかどうかとは、論理的に別物であるはずだ。むしろ、そうした文脈の中から出てきたからこそ、それらに抗うことができるのではないか。具体的には、「定率税+基本所得」構想が、産業形態や価格に変動を与えるのは確かだろう。また、世界同時的に行うことで、税負担が緩い国への「逃げ込み」を許さず、それはまた関税を撤廃することにもつながってくるだろう。いずれにせよ、働きたい人にはその人が望むような形態の働く場を与えるということも基本所得構想は否定しない。


UP:20070829 REV:
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