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1990年代の「寝たきり老人」をめぐる諸制度と言説論

仲口 路子有吉 玲子堀田 義太郎 20070916-17
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

◆報告要旨
◆報告原稿・資料

■【報告要旨】

 本報告では、1990年代における「寝たきり老人」をめぐる「諸制度」と「言説」のそれぞれの「連関」を描出することを試みるものである。まず「制度」については、公費支出削減の方向で転換されてきたその変遷、という視点から整理しなおし、また、そしてそこに同時的にあるいは補完する形で存在してきた「寝たきり老人」をめぐる「言説」の特徴とそのありようを提示する。
 厚生労働省が「寝たきり老人」の統計的把握をはじめたのは、1979(昭和54)年10月の厚生省大臣官房統計情報部編「厚生行政基礎調査報告」からである。そしてそれは1982(昭和57)年の「老人保健法」につながっていく。1986(昭和61)年には社会福祉基礎構想懇談会が「社会福祉改革の基礎構想」を提言し、1988(昭和63)年には厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課による「昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書」がまとめられる。それらの報告を基に、1989(平成元)年には「ゴールドプラン」、いわゆる「高齢者保健福祉推進十か年戦略」が策定される。ここには、1990(平成2)年には同じく厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課による「寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」が反映され、この「戦略」の重要な柱のひとつとして1990(平成2)年からは「寝たきり老人ゼロ作戦」が推進されることとなる。これに関連して1991(平成3)年11月18日には厚生省大臣官房老人保健福祉部長から「『障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準』の活用について」といった通知が出され、全国一律となる「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」が示される。さらに1990年代における制度的変遷としては、1990(平成2)年「老人福祉法等の一部を改正する法律」(福祉関係八法改正)を経つつ、1994(平成6)年「新ゴールドプラン策定」(新・高齢者保健福祉推進十か年戦略)、1995(平成7)年「高齢社会対策基本法」、から1997(平成9)年「介護保険法」2000(平成12)年「ゴールドプラン21」、2005(平成17)年「改正介護保険法」へとつながっていく流れとなっている。
 一方、公費支出削減の方向で転換されてきた制度変遷の傾向として、1982(昭和57)年から施行された「老人保健法」では、「国民の老後における健康の保持と適切な医療の確保を図るため、疾病の予防、治療、機能訓練等の保健事業を総合的に実施し、国民保健の向上及び老人福祉の増進を図ることを目的とし」ているが、老人保健制度上での医療費加入者負担率が100パーセントに変更された1990(平成2)年から、高齢者の医療費自己負担率が一割定率負担となった2001(平成13)年1月にいたる1990年代は、高齢者医療・福祉制度が個人自己負担の増大/公的支出削減に向けて転換された時期でもある、といえよう。
 介護保険制度策定の出発点とも評される1994(平成6)年12月の報告書、「高齢者介護・自立支援システム研究会報告」における「今後の高齢者介護の基本理念は……『高齢者の自立支援』」であるという表現に代表されるように、1990年代の高齢者福祉をめぐる制度の変遷は、「自立」をひとつのキーワードとして、個人の自己負担率を上げ、公費支出を抑制する方向性をもつ点で「障害者自立支援法」の背景にある考え方とも一致しており、そしてそれは、1990年代にはすでに高齢者福祉の最大の課題として認識されるようになっている「寝たきり老人」をめぐる言説のなかにも典型的に表現されているといえる。
 次に本報告では言説分析の結果から、@「寝たきりのいない」北欧(いわゆる「福祉先進国」)の高齢者福祉の賞賛、とそれを補完する、A日本の「寝たきり」の中には、「寝かせきり」にされたことの結果も含まれていることの指摘、すなわち、「寝かせきり」の結果としての「寝たきり」を作らないような「手厚い福祉(介護)」がある北欧に比して、そうではない日本の「寝たきり」が問題視化されるが、それに対して、Bしかし北欧では「寝たきり」になる「までも」医療的に尽力されてはいないのではないか、という逆説的な指摘があり、C「寝たきり」にさせない福祉、にたいする評価の両義性、すなわち(A)福祉の貧困(行き届かなさ)の被害者としての「寝たきり」という高齢者の利益・権利擁護の立場からの批判、と(B)「寝たきり」にさせない福祉を実現しているかに見えた北欧の現実のありよう、が確認されることを述べる。
 そしてさらに、これらのことを踏まえて、「『予防』する医療と福祉の取り組み」への肯定的な言及について考察する。ここには「寝たきり/寝かせきり」の区別や、欧米の政策への評価をめぐって、さまざまな論者において認識の相違や対立がある。しかし、1990年代の高齢者、とくに「寝たきり老人」をめぐる言説構造には、「自立」を尊重する欧米/高齢者を医療・福祉に依存させる日本を、前者に対する肯定的評価を含めて対比しつつ、現在に至る「自立」をキーワードとしているという点で共通性が見られる。それらは、近年の介護保険の制定、そしてその後の介護保険改正の中での「介護予防」の位置づけへと続いているように考えられる。
 本ポスター報告では、90年代の「寝たきり老人」をめぐる様々な言説について、同時期の制度の展開を踏まえて、医療・福祉の現代的課題ともいえる「延命治療の差し控え・中止」、あるいは疾病・介護予防(リハビリテーション)などの背後にある思考様式との連意しつつ、集積・提示・分析することを試みる。


 
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障害学会示説(ポスター)報告 読み上げ原稿/資料

  2007年9月16日(日)17日(月)
  於:立命館大学 朱雀キャンパス

  1990年代の「寝たきり老人」をめぐる諸制度と言説
  仲口路子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
  有吉玲子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
  堀田義太郎(立命館大学衣笠総合研究機構プロジェクト研究員)
  
■ はじめに

  本報告では、1990年代における「寝たきり老人」をめぐる言説の特徴と連関を、高齢者福祉諸制度の変遷を踏まえて描出することを試みる。まず、制度については、90年代の改変を、一貫した「公費支出削減」の傾向として整理しなおす。そしてそれに並行して、ある意味でこの傾向を補完する形で存在してきた「寝たきり老人」をめぐる言説の特徴とその連関性を提示し、検討する。
  詳細については後述するが、1990年代の日本は、1970年代の高度経済成長期(福祉拡充期)と1980年代後半のいわゆるバブル経済とその崩壊を経て、とくに保健、医療、福祉に対する資源配分(分配)を焦点としてさまざまな運動や議論が展開された時期である。特に本報告では「寝たきり老人」をめぐる言説、その論点の変化、に注目している。その理由として、まず第一に、「寝たきり老人」が一般的、社会的に「再発見」されたのが、1990年に初版が出版された大熊由紀子による著作『「寝たきり老人」のいる国いない国』である、という点があげられる。また、第二に、この「寝たきり老人」をめぐる言説の特徴のなかでも、資源を「どう配分(分配)することが望ましいのか」という点をめぐる諸議論は、「だれが、なにを理由として、それを『負担』するのか」そして「だれが、なにを理由として、それを『受け取る』のか」といった本質的な課題を考察するための素材としても非常に示唆的だからである。また、1990年代の寝たきり老人をめぐる言説と諸制度、ないしその背景となる社会現象の連関を確認し検討することは、現在の社会福祉・社会保障制度をめぐる諸議論の源流/潮流をたどることにもなるだろう。
  
■ 研究目的・対象・方法

  本報告の目的は、90年代の「寝たきり老人」をめぐる様々な言説について、同時期の制度の展開を踏まえて、医療・福祉の現代的課題ともいえる「疾病・介護予防(リハビリテーション)」、あるいは「延命治療の差し控え・中止」などの背後にある思考様式との連関にも留意しつつ、集積・提示・分析することである。
   おもな検討対象は、「高齢者」ならびに「老い」ないし「寝たきり」と、それに関連して保健・医療・福祉を主題とした一般書籍だが、それらはとくに社会的に広く読まれ影響を与えた書籍である。これらの書籍を中心として、寝たきり老人をめぐる議論の連関を明らかにするために、「資源配分」問題を仮説的な分析視軸として、論点別に分類・整理して検討する。また、これらの背景として、あるいはこれらに影響を与えたであろう社会的事象にも注目する。
  
■ 結果

1. 年表:別紙(資料1を参照)
  
2. 90年代の言説は以下のように整理される。(言説の詳細については資料2を参照)
  
1) 寝かせきりにしない福祉の肯定とその諸前提
  90年代の言説は、@「寝たきりのいない」北欧(いわゆる「福祉先進国」)の高齢者福祉の賞賛と同時に、A日本では当時「当然」として受け入れられていた「寝たきり老人」についてその多くが「寝かせきり」にされた被害者ではないか、という指摘から開始された(大熊〔1990:11、24、160-161〕、青木・橋本〔1991:2-3、6-8〕、二木〔1991:136-138〕ほか)。ここでは「寝かせきり」にしない「手厚い福祉(介護)」がある北欧に、「寝かせきり」にする日本の医療・福祉の不備が対置され批判された。「寝かせきり」にさせる医療福祉制度を批判するこれらの言説の前提には、しかし、「寝たきり」という状態が高齢者当人にとって望ましくないはずだという認識(大熊〔1990:160-161〕)、(青木・橋本〔1991:2-3、6-8〕、(厚生省編1991厚生白書 平成2年版第1編 第1部 第2章 第1節〔1991:62-63〕ほか)と、「寝たきり」にさせない福祉のほうが「寝たきり」にする福祉よりもケアコストの効率的な活用法だという認識が混在していた(岡本〔1993:193、154-155〕)。
  
2)寝かせきりにしないケア/寝たきりになった場合の「延命措置」の中止・差し控え、と、「予防」
  「寝かせきり」にしない北欧の医療福祉制度を賞賛する言説と同時に、B北欧では「寝たきり」になった場合には生命維持治療が差し控えられているという事実も指摘される(大塚〔1990:133-137〕、二木〔1992:142-144〕ほか)。経済的効率性に基づいて「寝かせきり」にしない福祉を評価する立場にとって、この事実は、「寝かせきりにしない福祉」を「寝たきり」になった人への福祉よりも優先し、後者から前者への資源移転の不可避性を示唆する事実として位置づけられた。
  高齢者医療とくにその「延命措置」をめぐる議論としては、高齢者医療の「終末期」の定義の困難さや、北欧における「差し控え」が「みなし末期」として批判される一方で、「濃厚」な医療が選択可能な病院から、選択肢そのものが限定される在宅へのターミナルの場の移行による事実上の選択肢の限定は肯定された(岡本〔1996: 173-198〕、滝上〔1995: 248-280〕)。
  それらは、後の介護保険の制定、そして介護保険改正の中での「介護予防」の位置づけへと続いているように考えられる。
  
3)寝たきり老人の肯定
  それに対して、依存することを肯定する議論や、高齢者福祉の経済効果を対置する議論も存在した(三好〔1994:9-11〕)滝上〔1995:10-12、113、123〕ほか)。
  
4)医療と福祉、どちらが?
  それらの議論と並行して、社会保障の観点から、「保健」「医療」と「福祉」というキーワードを中心に、それまでの日本の社会保障施策の変遷を追いつつ、それらを欧米と比較・検討する研究(樫原〔1995:49-85〕)や、「より医療に」(相野谷〔1991:75-87 ほか〕)あるいは「より福祉に」(岡本〔1993:154-155〕〔1996:195-197〕、滝上〔1995:1-4、10-12、113、178-179〕ほか)といった論点の提示、およびそれらを参照しつつ、その配置のありようと価値を考える、ということ、すなわち、「高齢者」(その究極的な位置としての「寝たきり老人」)の「保健」「医療」とそれに必要な「コスト」について、どのように考えることができるのか、といったことをめぐる議論(二木〔1992:142-14〕〔1994:12〕)、(川上〔1995:265-276〕)、(西村〔1997:65-66、67-68〕)、(柏木・籏野〔1997:193-194、194-197、199〕ほか)、が展開されていた。
  
■ これまでの論点整理と考察

  「寝たきり(寝かせきり)老人」をめぐる90年代の議論は、80年代に北欧の福祉制度を実際に目にした論者による、《寝たきりは「寝かせきり」にされた被害者である》といった言説によって主導された。それは当初「発見」というトーンを帯びていた。だが、これはじつは、70年代以降リハビリテージョン専門職の領域を中心にすでに語られていたことであり、北欧福祉先進国からの「輸入」を経た「(再)発見」であった。
  他方で、こうした言説の背景には一貫して、政府の医療福祉予算削減に向けた動きがあり、それが介護保険制度に具現されてゆく。コストへの配慮が要求され、それに対応する形で、いくつかのタイプの主張・議論が提示される。
  これらの言説は、「『予防』する医療と福祉の取り組み」を称揚する現在の議論へと直結している。90年代の言説には、「寝たきり/寝かせきり」の区別や、欧米の政策への評価をめぐる認識の相違や対立があったにせよ、「自立」を尊重する北欧に対して高齢者を医療・福祉に依存させる日本という図式は前提として受容されていた。その上で、自立をサポートする福祉/寝たきりを予防する福祉の必要性を主張する議論には、経済的効率性/生産性という観点が組み込まれていた。それは、高齢者福祉予算の削減圧力に対する対抗言説としての不可避性であったとも言える。だが、経済的効率性という観点は、一定の資源を「所与」として、「寝たきりにしない福祉」への資源の増加と、予防が奏功しなかった場合(寝たきりになった場合)の治療・ケアに投入される資源の削減(差し控え)とをトレードオフ(それらを「当然のもの」としてしまう方向へ誘導)にする傾向を批判できず、また実際、積極的にこの資源配分を肯定する議論も存在した。
  以上を踏まえてわれわれは、
  
  @ 寝かせきり批判・寝かせきりにしない福祉の充実と、寝たきりになった人への福祉の充実とは両立する。
  「寝かせきり」にされている人と、「寝たきり」の人はたしかに異なる。だがその違いは、両者に対する保障の格差に結びつかないし、結びつけるべきものでもない。
  90年代の言説には、コストカットへの圧力を背景として、寝かせきりにしない福祉と寝たきりになった人への福祉の両者を同時に端的に肯定するのではなく、経済的効率性を理由にして前者を擁護する流れがある。それはしかし、両者をトレードオフにする議論と前提を共有しており、トレードオフの「経済的効率性」が証明された場合には、それを批判する論理をもたない。
  
  A それに対して、「寝たきり」をわざわざ「肯定」する必要もない。また、基本的ニーズの保障の要求に、他の理由や正当化――社会貢献や経済的利益を生む等――は不要である。
  他人の都合で「寝かせきりにされて」しまうような状況への批判は、他に理由を必要としない。たとえば他人の都合で「寝かせきり」にされることを批判するために、「寝たきり」はそもそもその人自身にとって「良いか悪いか」という問いに答える必要もない。そして、「寝たきり」が当人にとって良いか悪いかを議論しているのは、ほとんどが「寝たきり」ではない人であり、また「寝たきり」になったことのない他人である、という点にも留意する必要がある。
  
  B コストカット圧力を背景として、保障される介護・医療の質量に格差をつけることを正当化する傾向は、障害者と高齢者を区別し、その保障の程度に格差をつけようとする議論についても指摘できる。
  両者に対する保障の格差を正当化する議論は、基本的ニーズの保障に条件や理由をつけて優先順序をつけさせようとする圧力を前提にし、むしろその要求を受容している。それに対して、基本的ニーズの保障に優先順序を付けさせようとする要求そのものの妥当性(その前提認識等)が、問われるべきである。
  
  という考察を得ることができた。
  
■ まとめ

  本報告では、1990年代の「寝たきり老人」をめぐる「言説」と「諸制度」、ないしその背景となる社会現象を参照することで、それらの相互連関を参照し、さらには、現代社会的価値の配分へのつながり、をも考察するものであった。1990年代におこった議論を踏まえてここで指摘できうることを、以下にまとめる。
  まず、寝たきりは「寝かせきり」にされた被害者である、という言説があり、ここでは寝かせきりへの批判(寝たきりは立ち上がることができる)が展開された。そしてそこには、@ 寝たきりはよくない(起こした方が本人にとってもよいはずだ)寝たきりは寝かせきりにされた被害者である、という前提があり、また同時に、A 寝たきりは不経済である(起こした方が経済的である)という前提もあった。つまり、「寝かせきりにする福祉批判」には、二つの前提が混在していたことを確認した
  これに対して、「寝たきり」肯定論も存在した。これはおもに相互依存を肯定する「日本文化」論として述べられたものであるが、日本文化論が称揚する「特殊性」は、コストの観点から相対化されうるものであった。また、経済的利益を生む、地域を活性化させる、といった理由で、高齢者福祉を肯定しようとする議論もあった。さらに、高齢者の(過去の)社会貢献や、(これまでの人生経験で蓄積された)知恵や経験を有している、といった理由で高齢者福祉への資源配分を主張する議論も存在した。
  さらにはそれらに関連して「寝かせきり」にしない福祉はたしかに望ましいが、それでも生ずる「『真の』寝たきり老人」をどうするのか、といった議論もあった。この指摘はしばしば、寝かせきりにしない手厚い福祉を提供する北欧における「真の」寝たきりへの延命医療の中止/差し控えの事実への言及とセットであった。さらに「財政負担」の観点から、「寝かせきりにしない福祉」と「真の」寝たきりの老人への「延命医療」との間で優先順序をつけるために、政策的に両者に何らかの線引きをせざるを得ないのではないか、という言説があったことが確認できた。
  これを踏まえて、われわれは、@他人の都合で「寝かせきり」にさせることを批判するために、「寝たきり」を否定する必要はないということ、A高齢者福祉の充実を主張するために、寝たきりを称揚する必要も、福祉の経済効果や社会貢献等の理由を付加する必要もないということを確認した。そして、B「資源の有限性」を前提として展開された90年代の諸議論の検討を通して、「基本的ニーズの保障」に条件や優先順序(順位、ないし否定)を付けさせる要求そのものの妥当性への問いの重要性を、あらためて確認した。
   もちろん「資源の有限性」という問題は存在するだろう。重要なことは、「基本的ニーズは無条件に保障されるべきだ」という規範が、「資源の有限性」に優先されるということである。「基本的ニーズの無条件の保障」を要求する規範は、「資源の有限性」に言及する論者に対して、その「有限性」の具体的な内実の証明義務を課す。必要なニーズを削減することの妥当性への問いは、「寝かせきりにしない福祉/寝たきり高齢者への福祉」、「医療が限定されてよい人間/濃厚な医療が提供されるべき人間」といった線引きにもとづく順序づけについてはもちろん、「障害者/高齢者」という線引きに対しても提起される。
  
■ 今後の課題

  今回の報告では1990年代に特化しての集積・提示・分析となった。その理由および意義については前述のとおりであるが、今後はこれに関連して、1980年代、さらには2000年代に関する考察を行い、これらに通底する利害関心と前提認識を抽出していく作業を行っていく必要があるだろう。
  
■ 資料/文献(年代順)

  1)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課監修1989.12.10『寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究―』中央法規出版
  2)大熊由紀子1990.9.10『「寝たきり老人」のいる国いない国』ぶどう社
  3)大塚宣夫1990.9.28『老後・昨日、今日、明日』主婦の友社
  4)厚生省編1991.4.1『厚生白書〈平成2年版〉―真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト―廃棄物問題を考える』厚生問題研究会
  5) 相野谷安孝1991.7.4『国が医療を捨てるとき』あけび書房
  6)青木信雄・橋本美智子編1991.7.10『「寝たきり」老人はつくられる―寝たきり大国からの"脱"処方箋』中央法規出版
  7)二木立1991.7.20 『複眼でみる90年代の医療』勁草書房
  8)二木立1992.10.15『90年代の医療と診療報酬』勁草書房
  9)岡本祐三1993『医療と福祉の新時代――「寝たきり老人」はゼロにできる』松岳社
  10) 三好春樹1994.3.6『なぜ"寝たきりゼロ"なのか―新しいケアが始まっている』ライフケア浜松
  11)二木立1994.11.25『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房
  12)滝上(たきうえ)宗次郎1995.6.25『福祉は経済を活かす―超高齢社会への展望』勁草書房
  13)樫原朗1995.10.22「社会保障の変化の概観―イギリスと日本」『今日の生活と社会保障改革』啓文社
  14)川上昌子1995.10.22「都市における介護問題の現状」『今日の生活と社会保障改革』啓文社
  15)岡本祐三1996.8.21『高齢者医療と福祉』岩波新書
  16)金子光一1997.2.10『高齢者保健から』;柏木昭・籏野脩一編『医療と福祉のインテグレーション』へるす出版
  17)西村周三1997.6.20『医療と福祉の経済システム』筑摩書房 ちくま新書


【資料1】時代年表と高齢者をめぐる保健・医療・福祉の制度施策(=◆)の変遷
  
  ★1963年〜1989年まで(昭和38年〜昭和64年/平成元年まで)
  ◆ 1963年 老人福祉法
  ◆ 1972年 老人福祉法改正(翌73年から70歳以上の高齢者医療費無料化)
  ◆ 1978年 ショートステイ制度化
  ◆ 1979年10月「厚生行政基礎調査報告」(厚生省大臣官房統計情報部編)――厚生労働省「寝たきり老人」の統計的把握の開始
  デイサービスの制度化
  ◆ 老人ホームの費用徴収制度改定(利用者の費用徴収額が措置費支弁額(月24万円)に満たない場合、扶養義務者からも利用量を徴集する方式の導入)
  ◆ 1982年8月17日「老人保健法」の制定
  「派遣事業運営要綱」改定(ホームヘルパーの派遣対象が生活保護世帯、所得税非課税世帯から所得税課税世帯へ拡大 課税世帯に対する有料制)
  ◆ 1983年 老人保健制度導入(高齢者医療費無料制度の廃止)
  ◆ 1984年 健康保険被保険者本人に2割(当面は1割、1997年より2割)の医療費自己負担
  ◆ 1985年 生活保護費、老人福祉措置費など福祉措置費について国庫負担率を8割から7割へ引き下げ
  第一次医療改正 「医療計画」作成を義務づけた医療法の改正(ベッド数削減を目標)
  入院期間に応じて診療報酬を下げる逓減制の導入(3ヶ月で半額)
  ◆ 1986年 (〜3年間)期限付きで福祉措置費を5割に引き下げ
  「社会福祉改革の基礎構想」(社会福祉基礎構想懇談会)
  ◆ 1987年 札幌市で母子家庭の母親が3人の子供を殺して餓死する事件が発生
  ◆ 1988年 「昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書」(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課)
  
  ★1989年(昭和64年/平成元年)
  ? 1月7日 昭和天皇が死去
  ? 3月 福祉関係三審議会(中央社会福祉審議会・身体障害者福祉審議会・中央児童福祉審議会)の意見具申「今後の社会福祉のあり方について」
  ? 4月1日 消費税実施(税率3%)
  ? 6月3日 天安門事件
  ? 11月4日 横浜の弁護士一家行方不明
  ? 12月2日 地中海のマルタ島でブッシュ米大統領とゴルバチョフソ連最高会議議長が会談「東西冷戦の終結」「新時代の到来」を宣言
  ◆ 「高齢者保健福祉推進十か年戦略」いわゆる「ゴールドプラン」の策定(今後10年間でヘルパー10万人の確保を掲げる)
  ◆ 12月10日 「寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課)
  ◆ 生活保護などに関する国庫負担は7.5割に、福祉措置費については5割に
  ◆ ホームヘルプ事業の自治体委託先として営利法人が認められる
  
  ★1990年(平成2年)
  ? 2月14日 民間企業の文化活動を支援する日本で初めての団体「企業メセナ協議会」が発足
  ? 8月1日 石油問題をめぐるイラクとクウェートの交渉が決裂 2日 イラク軍がクウェートに侵攻 全土を制圧 国連安保理の緊急理事会がイラクの即時無条件撤退を求める決議を採択
  ? 8月24日 島根医科大学で日本初の生体部分肝移植を受けた乳児(1歳9ヶ月)が多臓器不全で死亡
  ? 12月28日 バブル崩壊
  ◆ 「寝たきり老人ゼロ作戦」の推進
  ◆ 4月 診療報酬改定 患者6人に対し介護職員1人以上の特例許可老人病院に定額制(マルメ方式)の導入
  ◆ 「老人福祉法等の一部を改正する法律」(福祉関係八法改正) 老人保健制度上での医療費加入者負担率を100パーセントに変更 特別養護老人ホームなどの施設入所の権限を町村に移転。措置権者が市町村に一元化。在宅サービスの法的位置づけ 各都道府県・各市町村に対する「老人保健福祉計画」策定の義務付け
  
  ★1991年(平成3年)
  ? 1月17日 湾岸戦争始まる 海部首相が「確固たる支持」を表明
  ? 2月24日 多国籍軍がイラク クウェートに侵攻 27日ブッシュ米大統領がクウェート開放の完了を確認して勝利宣言 イラクがすべての国連決議を受諾
  ? 8月19日 ソ連 保守派の非常事態国家委員会によるクーデター
  ? 8月21日 クーデターは失敗する
  ? 8月24日 ゴルバチョフ大統領がソ連共産党書記長を辞任 共産党解散を提唱 74年間の共産党支配に幕
  ? 12月25日 ゴルバチョフソ連大統領が辞任 核兵器の発射ボタンはエリツィンロシア大統領に
  ◆ 4月1日 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト――廃棄物問題を考える』(厚生省編:厚生問題研究会)
  ◆ 11月18日 「『障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準』の活用について」(厚生省大臣官房老人保健福祉部長による通知) 全国一律の「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」
  
  ★1992年(平成4年)
  ? 1月22日 臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)が脳死を「人の死」とし、脳死者からの臓器移植を認める答申 脳死容認反対の少数意見も付記
  ? 3月14日 新幹線に「のぞみ」が登場
  ? 4月8日 宮城県岩沼市の病院が「顕微授精」による女児が7日誕生したと発表 日本初の顕微授精ベビー
  ? 6月5日 参議院国際平和協力特別委で PKO協力法案を自公民三党が多数で押し切って修正可決
  ◆ 第二次医療法改正 療養型病床群の認可
  ◆ 12月 保育所措置費1200億円分の国庫負担削減案(大蔵省・厚生省)
  
  ★1993年(平成5年)
  ? 1月1日 EC統合市場が発足
  ? 1月3日 ブッシュ米 エリツィンロシア両大統領が両国の戦略核を3分の1に削減する第2次戦略兵器削減条約(STARTU)に調印
  ? 合計特殊出生率が1.46まで下がり 過去最低となる(発表は1994年)
  ◆ 保育所入所の措置制度を契約制に転換しようとする「保育サービス法」構想 → 反対により廃案 → 老人福祉措置制度解体への方向転換(介護保険構想へ)
  
  ★1994年(平成6年)
  ? 6月27日 松本サリン事件
  ? 8月7日 第10回国際エイズ会議 横浜で開催
  ? 11月2日 年金改革法が成立(厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせることに)
  ? 1993年の合計特殊出生率が1.46まで下がり 過去最低となる
  ◆ 3月「二一世紀型福祉ビジョン――少子・高齢社会に向けて」(厚生大臣私的諮問機関「高齢社会福祉ビジョン懇談会」)
  ◆ 9月 社会保障審議会内 社会保障将来像委員会 第二次報告で「介護保険」構想が登場
  ◆ 11月2日 年金改革法が成立(厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせることに)
  ◆ 12月 「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」(高齢者介護・自立支援システム研究会)
  ◆ 「新ゴールドプラン策定」(新・高齢者保健福祉推進十か年戦略)
  ※ 4月にドイツで介護保険法が成立
  
  ★1995年(平成7年)
  ? 1月7日 午前5時46分、「平成7年兵庫県南部地震」阪神淡路大震災 死者6308人
  ? 3月20日 地下鉄サリン事件
  ? 8月30日 兵庫銀行と木津信金の自主再建が困難となり破たん処理がきまる
  ? 12月26日 11月の完全失業率が総務庁の発表で3.4%となり、1953年以来最悪に
  ◆ 6月5日 「介護休業法」が成立(施行は99年4月から)
  ◆ 7月 社会保障制度審議会 33年ぶりの勧告で「介護保険制度」の創設を提言
  ◆ 「新たな高齢者介護システムの確立について」(老人保健福祉審議会)――社会保険方式による高齢者介護システムを提言
  ◆ 8月 ヘルパーの労働条件改善の勧告(総務庁行政監察局から厚生省と労働省へ)
  ◆ 12月16日 「高齢社会対策基本法」
  
  ★1996年(平成7年)
  ? 3月25日 狂牛病の人間への感染の可能性を英政府が認めたため、欧州委員会が英国からの牛肉を全面禁輸に
  ? 7月20日 病原性大腸菌「O―157」による集団食中毒が大阪府堺市の小学校で発生 全国に広がる
  ? 8月29日 非加熱製剤によるエイズ感染で死亡した事件で 前帝京大副学長 ミドリ十字社長などを逮捕
  ? 9月27日 アフガニスタンの反政府勢力タリバンが首都カブールを制圧 ラバニ政権が崩壊
  ? 9月29日 神戸の仮説住宅で阪神大震災被災者の男性(38歳)の遺体を発見 死後10ヶ月の孤独死
  ? 11月18日 特養建設で便宜を図った謝礼として厚生省の元課長補佐らが逮捕される
  ◆ 4月 「高齢者介護保険制度の創設について」(老人保健福祉審議会)
  ◆ 6月 健康保険法の改正 入院時病院給食への自己負担の導入
  ◆ 6月 介護保険制度案大綱の作成(厚生省)
  ◆ 「高齢社会白書」(年次報告書)はじまる (高齢社会白書とは、高齢社会対策基本法に基づき、平成8年から毎年政府が国会に提出している年次報告書であり、高齢化の状況や政府が講じた高齢社会対策の実施の状況、また、高齢化の状況を考慮して講じようとする施策について明らかにしているものである)
  
  ★1997年(平成9年)
  ? 4月1日 消費税の税率を3%から5%に引き上げ
  ? 5月1日 英国総選挙で労働党が圧勝 トニー・ブレア首相が就任
  ? 5月27日 神戸市須磨区小学6年生土師淳君殺害事件 犯人は14歳少年
  ? 臓器移植の場合に限って「脳死は人の死」とする臓器移植法が参・衆両院で可決 成立
  ? 12月1日 温暖化防止京都会議が開幕 11日京都議定書採択
  ◆ 「付き添い看護制度」の廃止
  ◆ 健康保険被保険者本人に2割の医療費自己負担
  ◆ 5月 介護保険法案、衆院を通過
  ◆ 6月16日 健康保険法等改正法成立(被用者保険の加入者本人の一部負担金が2割になる)
  ◆ 12月9日 「介護保険法」成立
  
  ★1998年(平成10年)
  ? 2月7日 第18回オリンピック冬季大会が長野で開催
  ? 4月14日 97年度の企業倒産が17439件 負債総額は前年度を65%上回り 戦後最悪となる
  ? 6月12日 97年度の国内総生産(GDP)が前年度比で0.7%減に マイナス成長は23年ぶりで戦後最悪
  ? 7月25日 和歌山カレー事件
  ? 12月16日 米英が国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の査察に対し非協力的だとイラクを巡航ミサイルなどで攻撃
  ◆ 3月19日 特定非営利活動促進法案(NPO法案)が成立
  
  ★1999年(平成11年)
  ? 1月1日 ユーロ(欧州連合EU)通貨単位11カ国に導入される
  ? 2月28日 臓器移植法施行後初の脳死移植が実施される
  ? 3月24日 ユーゴスラビア・コソボ自治州の民族紛争をめぐる交渉の難航でNATOがユーゴへの空爆を開始
  ? 5月21日 情報公開法が衆院本会議で可決 成立
  ? 7月8日 2001年から1府12省庁にするための中央省庁改革関連法と国と地方自治体を対等にする地方分権一括法が参院本会議で可決 成立
  ? 7月29日 衆参両院に憲法調査会を設置するための改正国会法が衆院本会議で可決 成立
  ? 8月9日 日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律が参院本会議で可決 成立
  ◆ 1月29日 地域振興券交付はじまる
  
  ★2000年(平成12年)
  ? 6月13日 金大中韓国大統領が北朝鮮の平壌を訪問 史上初の南北両首脳による会談が実現
  ◆ 4月1日 介護保険スタート
  ◆ 「ゴールドプラン21」策定 政府は2000年度からのゴールドプラン21において、「新寝たきり老人ゼロ作戦」を打ち出した。そこでは、「高齢者が寝たきり状態になることを予防するためには、高齢者それぞれの状態に応じ、リハビリテーション医学に基づく、急性期、回復期、維持期の適切なリハビリテーションが提供されることが必要である」とされる

【資料2】引用文献資料
  
  1)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課監修1989.12.10『寝たきりゼロをめざして―寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究―』中央法規出版
  わが国で老人の寝たきり化を予防する方策
  寝たきり老人を作らないためには、自立に向けての「生活意欲」を各老人が持つこと、さらに、社会全体がそれを支援していくことがまず出発点である。具体的な予防の方策は、まず「寝たきり」に導く原因疾患の発生を予防すること、原因疾患が発生したらそれによる障害を予防すること、不幸にして障害が発生したら障害の悪化を予防するため、逆に積極的にあらゆる方策を用いて「動かす」ことが重要である。これらの諸方策は数多くあり、種々のレベルで複雑に絡み合っている。今回提言を明確なものにするため、あえて重複を恐れず、二つの別の立場から、つまり一つは老人個人に着目し、個人に必要とされる諸方策を、健常な老人から障害を起こすまでの時間的経過に対応して整理し、また、もう一つは実施・支援する側に着目し、例えば実施・支援する人や場に対応して整理し、さらに、この二つの方策を推し進めるための地域ケア体制の確立のため、国、自治体等が行うべき方策について以下にまとめた。(p23)
  
  2)大熊由紀子1990.9.10『「寝たきり老人」のいる国いない国』ぶどう社
  ことのはじまり
  ●万国共通ではなかった「寝たきり老人」
  高齢社会の先輩国には『寝たきり老人』に対応する日常語がない。日本なら寝たきりになっているような人々が、ここでは、車いすに乗り、歩行器を使って『歩いて』いた。
  1985年の敬老の日の朝日新聞一面に載った『座標』のさわりです。(p11)
  第一章「寝たきり老人」がいない!
  秘密その1 おむつをしていてもお洒落ができる
  秘密その2 ホームヘルパーが朝昼晩、現れる!
  北欧の国々に「寝たきり」のお年寄りがいない。
  その最大の秘密は、日常生活の節目節目に現れるホームヘルパーの存在だったのです。
  その人々が毎朝「起こして」くれるから「寝たきり」状態にならない。私たちの国では「寝かせきり」にしているから「寝たきり」状態になってしまう。
  日本にいたときは予想もしていなかった「発見」でした。(p24)
  秘密その3 アマチュアとプロの違うところは…
  秘密その4 魔法のランプをこすったときのように
  秘密その5 訪問看護婦は名探偵
  秘密その6 家庭医という名の専門医
  秘密その7 補充器具センターは地下室がすごい
  秘密その8・9 「○○床の施設」と「○○室の施設」
  秘密その10・11・12 在宅福祉三点セット(デイセンター、食事サービス、送迎サービス)
  第二章 ノーマリセーリングの波
  「ふつうに」という思想
  ●ノーマリゼーションって何?
  「ノーマリゼーション」という言葉に私が初めて出会ったのは1972年のことでした。〔…〕
  知的ハンディキャップをもった子のための政策の基本は、ノーマリゼーションである。
  ノーマリゼーションは、この子たちのハンディキャップを無視することではない。「ノーマリゼーション」を辞書で引くと「常態化」「正常化」「正規化」と出てきます。けれどもこうした訳語を当てはめても、何のことやらさっぱりわかりません。〔…〕pp78-79.
  まず、知的ハンディの世界で・・・スウェーデンで
  教育の世界にも・・・フィンランドで
  精神医療の世界でも・・・イタリアで
  人生の最期に・・・イギリスで
  保護でも慈善でもなく・・・アメリカで(1990:ADA)
  第三章 真の豊かさを実現するために
  ●「寝たきり老人ゼロ作戦」登場
   厚生省も変わりました。
  88年度の厚生省科学研究特別研究事業に「寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」を取り上げ、厚生省の健康政策局長を退官したばかりの竹中浩治氏を班長に選びました。89年8月に出た報告では、日本の異常な状況を率直に認めました。
  これを読むと、施設や病院で「ベッドに一日中いる老人」は、スウェーデン4%、アメリカ7%に対し、日本は特別擁護老人ホームで48%、「老人の専門医療を考える会」会員の病院で64%だとわかります。「考える会」に属しているのは比較的良心的な老人病院ですから、老人病院一般ではこの比率はもっと高いことでしょう。
  報告書は、寝たきり状態の老人の9割をベッドから解放した日本のある病院の例などをあげ、「わが国でも寝たきり老人を欧米のレベルまで減少させることが可能」と結びました。同時に、厚生省は「寝たきり老人に対する政策を大幅に転換する」と発表し、ただちに「寝たきり老人ゼロ作戦」を打ち出しました。
  この期に及んで、まだ「寝たきり老人」という言葉を使い、「寝かせている」ことの責任を感じていないらしいフシがあるのは嘆かわしいことです。でも、「2000年には100万人の寝たきり老人」などといつも書き、それを当然の前提としてきたこれまでの厚生行政から見れば、これは大転換、大進歩です。
  言葉というのは、不思議なものです。お年寄りを寝かせきりにしておいて、その被害者に「寝たきり老人」などと失礼なレッテルを貼りつける。そして、その言葉をくり返しくり返し書いたり聞いたりする。そうすると、「寝たきり老人」は永久に「寝たきり」であり、そうなったのは「やむをえなかったこと」のように錯覚してしまいます。同じ人を「寝かせきりにしてしまったお年寄り」と表現すれば、「寝かせきり」にしていたのは誰なのか、「寝かせきりにしない」ためにはどうしたらいいのか、と人々の関心は広がっていきます。(pp160-161)
  ●誰もが尊重される文化を
  真の豊かさとは何か?この問いが日本のあちこちで語られるようになりました。真の豊かさはモノやカネではない。うるおいのある住空間だ。多様な価値観が認められる社会だ。選択肢の豊富さだ。個性的な余暇だ。友情だ。自己決定が尊重されることだ。そう、人々は言うようになりました。ただ、無意識のうちに、五体満足で健康な自分自身を念頭において「真の豊かさ」が語られているのです。それだけでは「ただの豊かさ」にすぎない、と私は思います。(pp170-171)
  
  3)大塚宣夫1990.9.28『老後・昨日、今日、明日』主婦の友社
  6章 寝たきり老人を起こす
  「起き老人」のヨーロッパ事情
  ほんとに寝たきりはいないのか?の疑問
  昭和六十三年六月、老人病院の管理運営に当たっている仲間とともにヨーロッパへ出かけました。目的はヨーロッパの平均的な老人病院や介護施設を見ることでしたが、特に感心があったのは、当時わが国の新聞、雑誌、テレビなどで散見されていた次の二点の真偽でした。
  第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる「寝たきり老人」がきわめて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされないということについてでした。(p114)
  当病院の「寝たきり起こし」
  最初に手がけたのは、病院職員の意識改革
  〔…〕
  老人に生気が戻った
  〔…〕
  しかしながら、この試みを通じて現体制の老人病院で、ヨーロッパで見てきたような対応をすることがいかに困難であるかもあらためて思い知らされました。(pp123−133)
  
  人手と設備が豊富に必要
   第一の困難は、マンパワーの確保です。〔…〕もう一つの大きな困難は、建物の構造、設備にあります。〔…〕ヨーロッパの施設で見てきたもう一つの大きな違い、老人のいわゆるいちばん最後の部分の対応については、今日までのところヨーロッパ流のやり方を本格的に導入するところまでは踏み切れません。「自分で食事ができなくなった老人に対して、口の中に食事や水分を運んでやるが、それを飲み込めなくなったら、それ以上の手段は講じない」、この考えの中には、最後の最後まで、個人個人に選択の余地を与える、あるいは自分で決定するチャンスを与えるというヨーロッパ流の個人主義が息づいているように思えます。これに対して、わが国では、老人の終末の形は、老人本人の意思には関係のない形で進められます。たとえば、食事を飲み込む能力すらなくなった老人に対してどんな手段をとるかの選択は、ほとんどの場合家族と担当の主治医の話し合いで決められます。ここでは、老人患者を個人というよりは、あくまで家族の一員として、家族の思いの中で生きる存在としてとらえるきわめて日本的な価値観を見ることができるように思います。当病院でも、多数の老人患者の終わりをみとってきました。これ以上どんな処置をしても、けっして助からないだろうと思いながらも、家族があきらめきれず希望すれば、各種の延命のための処置が延々とつづけられる。これがわが国の実情でもあります。これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。いすの文化の国々では,生きるということは、頭を地面を少しでも高い所におくことであり、頭の位置が高ければ高いほど、質の高い生き方をしていると思っているフシがあります。これに対してわが国では、横になることは最も安楽な、くつろぎの姿勢ととらえて、けっして恥ずべき姿とはとらえられていないのです。(pp133-137)
  
  4)厚生省編1991.4.1『厚生白書〈平成2年版〉―真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト―廃棄物問題を考える』厚生問題研究会
  第1編
  第1部 真の豊かさに向かっての社会システムの再構築
  第2章 新たな社会サービス供給システムの構築
  第1節 地域に密着した老人保健福祉サービスの展開
  1 「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)の推進
  我が国は、いまや平均寿命80年という世界最長寿国になり、21世紀には、国民の4人に1人が高齢者という高齢社会が訪れる。
   この21世紀の高齢社会を国民が健康で生きがいをもち、安心して生涯を過ごせるような明るい活力のあるものとしていくためには、高齢者の保健福祉の分野における公共サービスの基盤整備を図っていく必要がある。このため、厚生省では,大蔵省及び自治省の合意の下に、平成元年12月、「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)を策定し、在宅福祉、施設福祉等の事業について今世紀中(2年度から11年度まで)に実現を図るべき目標を掲げ、以下の施策を推進している。
  (1) 市町村における在宅福祉サービスの緊急整備
   急速な高齢化の進展、とりわけ75歳以上のいわゆる後期老齢人口の増大に伴い、ねたきり老人、痴呆性老人等の介護を必要とする高齢者の急増が見込まれる一方、世帯規模の縮小、女性の職場進出等により,家庭の介護力は低下しつつある。
  このような状況に対応して、高齢者が介護を必要とする状態になっても、引き続き住み慣れた地域で家族や隣人と共に暮らしていくことができるよう在宅福祉サービスを大幅に拡充する必要がある。〔…〕
  (2)「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開
   高齢者対策の進んでいる北欧等においては、自立を支えるという観点から、ねたきりにしないことに重点が置かれているため、我が国と比較して、ねたきり老人の割合が極めて少ないものとなっている。
   また、我が国では、従来ねたきりは高齢者には避けられないものと受け取られているが、介護を必要とする高齢者の自立を助け、生活の質を高めることができるようにするためには、介護を必要とする高齢者ができることとできないことを見極めた上で,可能な限りねたきりにしないための対策を推進していく必要があると考えられる。
   こうした観点から、「ねたきりは予防できる」ことについての意識啓発を行うとともに、脳卒中等のねたきりの原因となる病気の予防,適切なリハビリテーションの提供、在宅の保健、医療、福祉サービスを円滑に提供する情報網(脳卒中情報システム)の整備等を内容とする「ねたきり老人ゼロ作戦」を展開している。 (pp62-63)
  
  5)相野谷安孝1991.7.4『国が医療を捨てるとき』あけび書房
  お年寄りに国が医療費をかけない一番の方法――それが「長く入院させない」「とくに高齢者の入院を長びかせない」ことだった。〔…〕具体的に「長く入院させない」しくみをみていくことにしよう。現在、診療報酬の体系は二本立てになっている。70歳の誕生日をさかいに「老人特別掲載診療報酬」という70歳未満とは別建ての診療報酬が適用される。この「老人特別掲載診療報酬」は1983年の老人保健法制定のさい「老人の心身の特性をふまえ、老人に適切な医療が提供されることを確保する」と称して定められた診療報酬である。〔…〕一年以上の入院患者に対しては一日に何回どのような処置を行っても、一日210円しか認められない。年齢プラス入院期間で制限、差別が拡大するのである。
  〔…〕1990年4月の診療報酬改定では、食事を摂取している場合の点滴や静脈注射の薬剤料は、一日どれだけ実施しても、500ccでカットされることになった。また入院が一年を超えると、脳波、超音波などの検査は3ヶ月に1回しか認められない。入院料や入院に関わる検査や費用が低く抑えられている反面、外来や在宅療養では70歳以上のみ点数化されている項目がある。退院時の指導料がそれだ。6ヶ月以上の長期入院患者にたいし、退院するよう「指導」して退院させれば一人あたり2000円が支払われる。退院時におけるリハビリの指導料や退院前の訪問指導料も69歳以下にはない点数である。(pp75-87)
  
  6)青木信雄・橋本美智子編1991.7.10『「寝たきり」老人はつくられる―寝たきり大国からの"脱"処方箋』中央法規出版
  寝たきり老人という用語
  昭和63年(1988)年の厚生科学研究により、わが国の「寝たきり老人」の現状分析と諸外国との比較検討がなされ、報告書が出されました。これにより寝たきり老人について初めて本格的なメスが入れられた感じですが、そこでも取り上げられているように、日本では「寝たきり」という用語が幅広く、かなり曖昧な使われ方をされています。代表的なものを2つ挙げます。厚生省統計調査部の定義では「要介護者で病気やけがなどで日常生活をほとんど寝ている状態が六か月以上続いているもの」となっています。また、介護保険支給のための「寝たきり老人」の認定条件として、東京都では「65歳以上の老人で、常時臥床の状態またはこれに準ずる状態にあるため介護を要する者であって、その状態が六か月以上継続し、なお継続すると認められる者」という定義を用いています。これらの定義をみますと、いずれの場合も「全くの寝たきり」から「寝たり起きたり」の人まで含んでいるようです。
  これに対して、「欧米で使われている関連用語と照らし合わせると、臥床状態を表すベッド・バウンド(bed-bound)、ベッド・ファスト(bed-fast)、ベッド・リドン(bed-ridden)が「寝たきり」に相当し、日常生活が車いすに限られるチェアー・バウンド(chair-bound)とか、家の中だけに限られるハウス・バウンド(house-bound)が「寝たり起きたり」に相当すると思われます。〔…〕日本での「寝たきり老人」の大部分は、実は「寝かせきり老人」であり、日常の看護や介護による働きかけやリハビリテーションの不十分さを表しているからです。日常の状態を漠然と表す「寝たきり老人」という用語が先進国同様、近い将来に死語になることを願うものです。(pp2-3)
  わが国における「寝たきり老人」60万人の内訳をみますと、病院に25万人、特養に12万人、在宅に23万人と推計されています。(p4)
  〔…〕「寝たきり老人」をつくらないためにはその原因となる病気にならないこと、次にそれらの病気が起こっても寝つかないで済むように、地域でのリハビリや訪問看護制度の整備、段差の解消や手すりをつけるなどの住宅改造、ケアつき住宅の建設を進めることが求められましょう。また、ホームヘルパーの拡充、介護援助の有償ワーカーやボランティアの育成など、これまでのような家族介護中心の体制から、社会的介護体制をつくっていくことが必要不可欠でしょう。(p6)
  欧米諸国と比べて寝たきり老人がなぜ日本に多いか、いろいろの点が挙げられましょう。一つには"座る文化"と"腰かける文化"との違いが感じられます。〔…〕他方、「寝たきり」をすべて罪悪視してすべての人に当てはめようとするのにも問題があります。日本の老人病院や特養に相当するイギリスの長期療養棟やアメリカのナーシングホームを見て回った時、所どころで、車いすや背もたれの長いいすに座らされたままで日中を過ごしている、うつろな目をした"起こしきり"の入所者の一団に出会うことがありました。(p7)
  本人の意思・主体性をできるだけ尊重しながら離床を進めることも欠かせない要件でしょう。(p8)
  
  7)二木立1991.7.20 『複眼でみる90年代の医療』勁草書房
  寝たきり老人ゼロ作戦は「寝たきり」と「寝かせきり」とを混同
  最後に、ゴールドプランの問題点で、一般にはほとんど見落とされている点を指摘したい。それは、ゴールドプランの「目玉」とされている「寝たきり老人ゼロ作戦」における、「寝たきり」と「寝かせきり」との混同である。これは、私が医師として専門としていたリハビリテーション医学の視点からの検討である。私は障害を持った老人の能力は複眼的に評価する必要があると思っている。一つは、「自立度」という概念である。これは、他人の介助、監視、あるいは促し、励ましを得ずに、自力でどこまでいろいろな動作ができるかということである。この視点から見ると、たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である。しかし、これだけにとどまっていると重度の障害老人の切り捨てになる。それを避けるためのもう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。そして、自力では起きられない、あるいは歩けない老人、狭義の「寝たきり老人」のうち、介助をすれば起きられる、歩ける老人が大半なのである。私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報国書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報国されている。大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである。そのため、私は「寝たきり老人ゼロ作戦」というのは不正確な表現で、「寝かせきり老人ゼロ作戦」と言い替えるべきだと思っている。早期リハビリテーションを徹底して行うと同時に、慢性期に入った障害老人に維持的・継続的なリハビリテーションを行い、早期リハビリテーションによって達成した「自立度」を維持することは非常に重要である。しかし、先述したように、その効果は限られている。そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。(pp136-138)
  
  8)二木立1992.10.15『90年代の医療と診療報酬』勁草書房
  第二は、在宅障害老人地対する単なる「延命」のための医療の再検討である。わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。しかし、ここで考えなければならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないなことである。この点に関しては、有名な老人病院である青梅慶友病院院長の大塚宣夫先生の著書『老後・昨日、今日・明日』(主婦の友社、1990)がもっとも参考になる。同書によると、大塚先生はヨーロッパ諸国を訪ねて「次の二点の真偽」を確かめたかったそうである。「第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる『寝たきり老人』が極めて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為がほとんどなされていないということ」(114頁)。そして結論は、二つともその通りであったとのことである。あるいは、ドイツの老人ホームを実地調査した『ドイツ人の老後』(坂井洲二著、法政大学出版会、1991)によると、ドイツでは人々がホームに入る時期を遅らせ、死期が近づいた状態になってはじめて入る人が増えてきたため、「300人収容の老人ホームで一年間に300人も亡くなった」例さえあるという(108頁)。わが国でこんなホームがあったら、たちどころに「悪徳ホーム」と批判されるであろう。 わが国では、ヨーロッパ諸国の在国ケアや施設ケアという、なぜか「寝かせきり」老人がいないことに象徴されるケアの水準の高さのみが強調される。しかし、単なる延命のための医療を行っていないという選択もきちんと理解すべきである。
   誤解のないようにいうと、私は障害老人に対する単なる延命のための医療を一律禁止すべきだ、といっているのではない。しかし、事実として、延命治療よりもそれ以前のケアを優先・選択する「価値観」「文化」を持っている国があることを見落とすべきではない。そして、わが国でも、今後は同じような「選択」が必要になるであろう。デンマークの福祉に詳しい有名な有料老人ホーム経営者は、「わが国で、一方ではデンマークやスウェーデン並みのケア、他方で効果の非常に疑問な末期の延命医療を無制限に行うとなると、どんな立場の政府でも、その財政負担に耐えられない」といわれている。(pp142-144)
  
  9)岡本祐三1993『医療と福祉の新時代 「寝たきり老人」はゼロにできる』松岳社
  現在の制度では、障害が重くならないと、ろくな福祉サービスが使えない仕組みになっているが、これはじつに不合理だし、不経済だ。はやめはやめに福祉サービスを提供してゆくことこそ、ほんとうの意味での「安上がりな」福祉の秘訣である。「予防医学」と同じ発想で、「予防福祉」という発想を考えるべきだ。
  ここで、日本の病院全体としての、看護婦配置の少なさや、貧弱なリハビリテーション体制の改善が急務であることも指摘しておかねばならない。わが国では、病気や骨折の直後の「急性期リハビリ」体制が、とくに高齢者にとってまだまだ貧しいということ――これはいくら強調しても、したりない。急性期のリハビリがしっかりしていなければ、「寝たきり老人」は病院の中で相も変わらず大量に再生産されつづけてゆくだろう。(p193)
  
  「家族介護至上論」は女性の社会進出をはばむ最大の偏見であり、じつは経済的にもたいへん非効率なものだ。
   相当重度の障害者の方でも、一日の中で介護に費やす時間だけを積算すれば、二〜六時間くらいのものだ。大半は4時間くらいまでですんでいる(訓練された職業的な介護者−ホームヘルパーがやれば、もっと手ばやくできるはず)。しかし、これを家族が介護するとなると、24時間拘束されてしまう。ところが、筆者がデンマークやスウェーデンで実地見聞したものは、ホームヘルパーが在宅の重い障害者を、たとえば早朝、昼、夕方、深夜と一時間ずつ4回訪問サービスすることによって(もちろん、そのほかに緊急訪問体制が用意されているのだが)、家族外なくてもちゃんとケアできている姿であった。
   要するに、ホームヘルパーが100人いれば、300世帯から350世帯ほどの障害者世帯のケアが可能となる。デンマークでは約16万の障害者世帯の生活を、3万人ほどのホームヘルパーで支えきっている。これを家族介護にゆだねると、16万人もの家族が家に張りつけになって、生産活動からはじき出されてしまう。しかしデンマークでは、このような職業的なサービス‐社会的介護が潤沢に提供されることによって、何万人もの女性が社会へ出て働くことが可能となり、この人々が生産活動に従事して、ホームヘルパーの給料をはるかに上回る富を生産することが可能となった。同時に3万人の女性がホームヘルパーという職につき、合わせて十数万人もの女性が職業をもって自立することができるようになった(pp154−155)。
  
  10) 三好春樹1994.3.6『なぜ"寝たきりゼロ"なのか―新しいケアが始まっている』ライフケア浜松
  ここでちょっと考えて見ましょう。なんで寝たきりはゼロにしなければいけないのか。寝たきり老人がいるのは、日本だけだなんて言いますね。朝日新聞あたりが主催するセミナーなんか行きますと、みんな暗い顔をして帰ってくるそうです。西洋は素晴らしくて、日本はだめだ、一体どうなるんだろう。で、みんな北欧を見に行ったりするんです。町長以下、みんな北欧に行って見てきたなんて町が一番やってないですね(笑)。日本じゃ何にもできないって諦めてるところがある。おかしな話です。私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていないんですよ。脳卒中になって生き長らえれる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。旧共産圏だとか、発展途上国ではできないですからね。さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。西洋は自立してなかったら人間じゃない、っていう世界です。自立のためには必死でやりますが、一度他人に依存しちゃうと、もう生きていけないという世界ですね。依存して生きていけるというのは、東洋なんです。この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。それで寝たきりが多い。日本の悪徳みたいに言われていますが、そういう意味では老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存手です。自立というのは、人間にとっては幻想みたいなものですね。自立、自立なんていわれていますが、自立して生活している人なんか、どこにもいないんです。人間は一生に3回、他人に頼らなければいけない。子供の時、病気の時、年取った時です。最後の年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。(pp9-11)
  
  11)二木立1994.11.25『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房
  […]
  慢性疾患・成人病中心の現代にあっては、平均寿命だけで、先進諸国の医療の質(この場合は治療効果、outcome)を判断・比較することはできず、ADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)を加味した指標を用いることが不可欠である。しかし、ADLやQOLの世界共通の評価尺度は未確立であり、この面での医療の質の厳密な国際比較を行うことはできない。このような制約下にあって注目すべきことは、朝日新聞論説委員の大熊由紀子氏が、早くから(なんと1985年から)「寝たきり老人」(彼女の表現を用いると「寝かせきりにしてしまっていたお年寄り」)が多数見られるのは、先進諸国の中では日本だけなことを発見し、これがわが国の老人医療・福祉の立ち遅れの産物であることを、鋭く指摘してきたことである。この事実は、その後厚生省の委託研究でも確認され、その結果は『厚生白書1991』(63頁)にも掲載された。(p12)
  
  12)滝上(たきうえ)宗次郎1995.6.25『福祉は経済を活かす―超高齢社会への展望』勁草書房
  総論
  日本経済の成長力は年毎に鈍化している。
  その反面、高齢化の進展によって、年金、医療、福祉(介護という狭い意味)にかかる負担は重くなっていく。
  超高齢社会に備えて日本経済を筋肉質にするための構造改善が不可避であるが、事態は逆に進み、数々の規制によって体力は弱まるばかりである。〔…〕ともあれ、福祉の社会的な役割とは何であろうか。私たち国民にとっては重大な関心である。個々人からみれば、困ったときの公的な生活支援であろう。ただ、少子高齢化と低成長というように、時代が大きな転換点にあるから、本書では大局的に考えてみたい。
  先ずは社会保障の原則である弱者救済である。高齢化の進展で、年金など、対象者は飛躍的に拡大した。このことを、福祉の市民化とか、福祉の社会化とか呼んでいる。あるいは、普遍化と呼んでいる。昔のごく一部を対象とした救貧対策とは異なって、国民の全てが老いるからである。その多くが要介護状態になるからである。
  これが社会保障という概念であって、従来の福祉観である。
  しかし日本では、生産優位の思想が強く、福祉にかけるお金は無駄であるとか、福祉は国を傾けるという考え方が強い。そのため、社会保障の必要性だけを訴えてみても、福祉の拡大は国民から許容されにくい。そこで、本書では、福祉の社会的な役割とは何かを、従来の社会保障の狭い概念を離れて広く見直してみたい。
  福祉の社会的な役割はいくつもある。一つは、体制擁護のための福祉である。そして、二つは、社会の安定を確保するための福祉である。三つは、福祉を有効需要とみると、経済効果を認めることができる。
  このように福祉には多くの役割があるが、何故、この日本では福祉は立ち遅れているのか。高齢化によって如何なる福祉が必要であるかを理解するためにも、社会保障、体制擁護、社会の安定、経済効果を考えながら、同時に、日本の福祉が立ち遅れた理由もまた考えてみたい。
  先ず福祉本来の社会保障の役割について。
  第一に認識されるべきは、日本の社会保障の理念が立ち遅れた理由である。
  日本の特殊事情として、医療の進歩から寝たきりなどの要介護の高齢者(いわゆる障害のある高齢者)が増大してきた昭和40年代の後半に、東京都の革新知事によって老人医療費が無料となり、入院患者として認識されて、福祉の対象としては認識されなかったことがある。高齢な障害者は、当然、福祉の対象者であるにもかかわらず、入院して医療の対象者になってしまった。いわゆる社会的入院である。そのために福祉の必要性が強くは芽生えなかった。21世紀の超高齢社会を前にして、国民の間で福祉の議論が空回りしているのは、そもそも福祉の歴史が日本では歪んでいる。そのため、福祉の理念が希薄だからである。本書の狙いは、国民に議論のテーマを提供することにある。
  そしてまた、やはり日本の特殊事情として、社会保障の理念が立ち遅れた理由には日本の民主主義の後進性があろう。福祉が背景に人権思想を欠いているために、国や社会が障害者を隔離した状態に置き続けたことも否定できない。交通機関や街の中で、公共的な建物の中で、障害者と普段に接することが少ないために、福祉が日常的で社会的な重要課題として、国民に充分に意識されていないのが現状である。それゆえに、高齢化によって要介護問題が深刻化した現在においても「予算が余ったら福祉に回す」といった具合に社会的に優先度の低い政策目標になってしまっている。(pp1−4)
  
  最後に、福祉を有効需要と位置づける経済効果について考えてみたい。現在、求められている者は福祉の経済効果という新たな視点である。すなわち、高齢化という現象をケインズ経済学のいう有効需要とみるのである」〔…〕こうした福祉の経済効果が意味をもつのは、福祉が非貿易財だからである。すなわち、要介護の高齢者が日本国内に生活し、日本人が介護サービスに従事しているので、非貿易財として、例外的に成立しているのである。〔…〕その福祉サービスが巨大化してくるのが、数年後の21世紀である。〔…〕となると、高齢化対策の基本は日本の経済力を維持し、さらに発展させることに尽きる。それには、行政改革が不可欠である。これが、福祉を拡大するための本書の結論である。(pp10-12)
  
  介護サービスは人件費の固まりだから、コストは極めて高い。しかし、だからといって介護サービスを無料のボランティアで賄い国家の経済活動から切り離そうとする試みは、二重の意味で矛盾している。介護サービスを購入すると、個人であれ公的であれ多額の支出を強いられるという考え方は、サービスの授受の支払いの側面しかみていない。その相手方にとっては、収入であり所得なのである。抗して所得があれば、次にはそこに消費が生まれ、需要は拡大していこう。裏を返せば、もう一つの意味は、ボランティアの活動時間に対するオポチュニティ・コスト(機会費用)を無視している。勤務中のサラリーマンがボランティアをすれば、その間、自分の仕事ができなくなる。主婦がボランティアをすれば、外で働けなくなる。 高齢化が進んでいけば、経済的にみても、介護は社会化したほうが効率的であるに決まっている。(p113)
  
  北欧諸国では国家経済の3%程度で家族に代わって社会が高齢者の介護を引き受けている。そのお蔭で、家族が外で働くことができ、国家経済の拡大に寄与している。福祉の経済効果は絶大である。(p123)
  
  ホームは介護するほどに入居者は長生きする。(p140)
  
  北欧諸国と異なり、日本では医療も同時に供給されているから、老化が進んだ状態で寿命は北欧をはるかに越えて伸びるから、介護期間はさらに長期化する。(p149)
  
  福祉の社会化の「施策は従来の枠をはるかに超え、ほとんどの省庁がかかわる」、一日24時間の全国的な公的な在宅サービスであるべきだ。それが、長い目でみて、老人医療費と老人福祉費の膨張を最も効果的に抑える、最も正しい政策手段であろう。(pp161-162)
  
  福祉施設ではなく、コストの3割から5割も高い病院で生活する老人は70万人にも達する。かくも大規模に、寝たきりや痴呆老人といった福祉を求める老人に医療サービスを提供することは、世界に例をみない。(pp178-179)
  
  寝たきり老人などと呼ばれている要介護老人を、この日本では、世界でも珍しく、医療施設(老人病院など)と福祉施設(特別養護老人ホームなど)の両方でみている。前者にはおよそ70万人が生活し、後者にはおよそ30万人の高齢者が生活している(第一部(注6)参照)。厚生省関係者の間では周知の事実だが、前者も、後者も、同じ程度の要介護老人が利用している。利用者からみれば、両者の区別はつかないのである。非合理極まるのは、コストが高くて居室面積が狭い医療施設の方を、福祉施設に比べて、40万人も多くの高齢者が利用していることだ。利用者一人当たりで比べると、老人病院は、月間経費が受益者負担10万円(首都圏では20万円以上)を含めて約50万円(特別養護老人ホームは約30万円)かかり、居住面積は4.3u(同8.25u)と小さい。(p181)
  
  五年前にデンマークに行ったときに、私はたいへんなカルチャー・ショックを受けました。「延命治療は国民のコンセンサスの中にない」という説明を受けたことです。では仮に延命知慮を願い出た患者や家族に対しては医療の対応は如何かという私の質問に対して、「延命治療はしない方向で話し合う」という返事がかえってきたことです。
   その代わりに、福祉は手厚い。障害のある人が普通の日常生活をできるようにと、社会はあらゆる援助を惜しまないかのようでした。医療にも、福祉にも、とても強い理念が揺らぐことなく確立していました。民主主義が徹底していることと、医療費は全て税金で賄われるために生じる、国家・国民の選択だと思いました。(p249)
  
  滝上 「医療を撤退すれば死期は確実に早まる」と先生がいうことは、在宅であれば医療がありませんから周囲の理解が得られるでしょうが、病院という医療の現場にあって医療を打ち切るということが、日本の医師にとって、可能なのでしょうか。〔…〕(p258)
  
  横内 北欧諸国では、「生命の末期」に延命治療を打ち切ることが国民のコンセンサスを形成しているようですが、老人医療の現場にいる私からみて、日本社会にはそのような合意が成立しているとはとても思えません。その日本で、末期を迎えた患者が病院の中にいる限り、医療を打ち切ることは、日本の医師にはつらい選択になります。〔…〕(p259)
  
  みなし末期
  横内 北欧の高齢者事情を紹介した本では、老人ホームにおいて、徐々に衰弱し、食事もとれなくなり、水もとれなくなり、静かに息をひきとります。これが「みなし末期」です。一見、老衰に似ていますが、全く違います。衰弱し食事も水もとれなくなった原因は、多く脱水か急性疾患にありますから、その原因を取り除けば元気な姿に戻ります。実際、点滴一本だけで恢復する場合もよくみられるはずです。決して、老衰死ではありません。
   つまり、北欧では、食事をとれなくなった状態を意図的に末期と見なして治療しないという、国民の合意が成立しているのです。(p264)
  
  横内 〔…〕つまり、疾患の治癒のためにあらゆる手段を用いるのではなくて、一定の範囲内の治療手段を実施してみて治らなければ、それを寿命と思ってあきらめる、という割り切り方です。たとえば、手術はしたくない、内科的治療でよくなればよし、よくならなければ寿命とみなす。あるいは、この病院の医療の範囲内でよい、転院までして治療をしたくないなどです。また、入院はしたくない、在宅、ホーム内で可能な範囲の治療でよしとする。
  これらは、治療の場や治療方法を限定することであり、私はこれを「限定医療」と呼んでいます。老人医療の現場では、意識しているか否かは別として、現にこのような対応がなされています。
  限定医療は、「みなし末期」と違って、まだ治療の可能性を十分に残しています。「みなし末期」と265<266は生命に対する考え方が基本的に異なります。」(pp265-266)
  
  滝上 〔…〕末期医療については、医療を受けないという考え方も一つ出てきているんですが、末期医療と在宅医療というのは、そういう意味ではつながりますか。
  横内 そうですね。在宅医療のいちばん有意義なところは、末期医療にあると思います。つまり、在宅死をサポートできるという意味で、末期を自宅で迎えたいという人にとっては、在宅医療は非常にいいシステムだと思います。さきほど、申し上げた「限定医療」という意味もまたあります。
  滝上 医療費という点でもはるかに安上がりですね。数分の一ではないかと思います。高齢化が進み、財政が逼迫する二一世紀には、やはり末期医療については、これから日本人が問われてくるテーマではないかなと思います。〔…〕(p280)
  
  
  13)樫原朗1995.10.22「社会保障の変化の概観―イギリスと日本」『今日の生活と社会保障改革』啓文社
  1970年代、低経済成長下で社会福祉のあり方が見直されたが、1980年代に入り、臨時行革に沿った形で、機関委任事務から団体委任事務への変更等の諸改革をへて、80年代半ば頃から福祉社会へむけての社会福祉システムづくりへ移行してきたといえる。1989年には社会福祉の基本的方向を示した社会福祉関係三審議会合同企画分科会の意見具申『今後の社会福祉のあり方』が出された。それを受けて老人福祉法等八法(福祉六法の生活保護法を除いた五法と社会福祉事業法、老人保健法、社会福祉・医療事業団体を含む)が改正された。その後、それを受けた形で、1993年4月から、老人福祉法および身体障害者福祉法の関係業務の都道府県から市町村への移譲、老人保健福祉計画の策定の義務づけ、あるいは在宅サービスの法規定の明確化等が打ち出された。その間の1989年には「高齢者の保健福祉分野における公的サービスの基盤整理を進めるために」が出され、12月に「高齢者保健福祉10ヵ年戦略」(ゴールドプラン)が策定され、1990年から実施された。その内容は多岐にわたるが、中心となるのはホームヘルパーの増員、在宅介護支援センターや特別養護老人ホーム、ケアハウスの緊急整備等の在宅福祉サービスおよび施設サービスである。ゴールドプラン関連の予算は1994年で5029億円で総事業費でみると1兆2500億円となっている。厚生省は全国3250余りの市町村がつくった老人福祉計画の目標値をつみあげ、より現実に即したものにするために修正し新ゴールドプランとした。変わったのは数字だけでなく、特別養護老人ホーム(29万人分)やホームステイの数え方が「床」から「人」に、「寝たきり老人」が「寝かせきり老人」になった。(pp49-85)
  
  14)川上昌子1995.10.22「都市における介護問題の現状」『今日の生活と社会保障改革』啓文社
  ちんまりした生き方の先に「寝たり起きたり」がある。さらにその先に「寝たきり」がある。〔…〕「寝たり起きたり」とはADLつまり日常生活能力のことである。その基となるのは身体能力であるが、全く一致するわけではない。室内歩行可のものが15ケース中9ケースである。ベッド上座位保持可が5ケースである。室内歩行可のものが起きて歩くことに不思議はない。むしろ寝るのはなぜかである。ベッド上座位保持可のものは車イスか、介助してもらうか、抱きかかえてもらうかでなければ食堂や風呂場に移動できない。〔…〕このように、介護はできる範囲の中でなされているのである。積極的介護はなされていない。とはいえもちろん、それでも大変であり、それしか出来ないのであるから外から非難出来ることではない。だが、その結果として屋内歩行可の身体能力がありながら、座って、あるいは寝ながらテレビを終日みているというか、テレビがつけてあるという暮らしになっている。「寝たきり」とはどういうことか、表8によると、身体能力はさらに低下しているが全介助が必要なものばかりではない。不可能動作は増えているが、それに対応した介護がなされていない。寝たきりにして、オムツをしておく方がむしろ楽だという介護者の話もよくきいた。何よりも指摘したい点は「寝たり起きたり」の生活状況の延長線上に「寝たきり」があることである。寝たきり、オムツ使用が老人病院や特別養護老人ホームの問題点として指摘されるが、在宅でも同じなのである。ただ、在宅の場合は他人の目にはつかないのでわかりにくい。在宅とはブラックボックスだと感じたことであった。
  第二にいえることは介護内容の貧困である。要介護になる以前の高齢期の生活そのものがちんまりと貧弱であるとするならば、介護だけが立派になるわけが無い。介護方法についての知識の不十分さもあろうが、人手も少なく、積極的介護の必要性も感じられていない。「寝たきり」になればそのまま世話するまでである。食べること、排泄の世話、できる限りでの身体の清潔さの保持である。積極的介護は、一般に家族介護ではなしえていなといえる。もし「介護保険」がつくられたとして、このような結果としての「寝たきり」を切り取り、その部分への対応しか考えられないとしたら、「寝たきり」は、家族の中でか、施設の中でか増加し続けることになるのではないだろうか。「寝たきり」は身体状態の老化の当然の帰結ではないことは明らかである。(pp265-276)
  
  15)岡本祐三1996.8.21『高齢者医療と福祉』岩波新書
  医師が、「微妙な判断を自分から切り出すことに躊躇するのは当然である。(p179)
  
  「がん告知」をはじめ、「尊厳死」とはいかに、といった、終末期医療についての問題が、ようやく主面から論じられるようになってきた。非常に重要であるにもかかわらず、これまで取り上げられることの少なかった、というよりは、うとんじられてきた医療分野での問題提起として、おおいに歓迎すべきことといえよう。ここでは「終末期とは何か」ということと、いわゆる「過剰医療」――あるいは救命・延命至上主義――の問題を中心に考えたい。(p177)
  
  じつは医療側としては、(もちろん本人の意思表示があるといちばんよいが、意識のない場合は)家族から統一された意見として、はっきりと治療方針についての希望が出されればいちばん判断しやすい。またこれからはそうあるべきだという時代になるだろう。(p179)
  
  私自身の経験でも、181>182こういう微妙な判断について、きちんとした考えで、家族のなかの議論を力強くリードできる人、家族から全権を委任された、「しっかりした人」がいるのが医療側としてはいちばん助かる。
  どこからみても、「終末期」という判断をするのは、原理的にたいへんむずかしいことなのである。それでも現実に医療の場で、ターミナルケアが実行されていることは羞恥の事実である。
  では、医療の現場では、じっさいにはこの問題を同解決しているのか。要するに雰囲気が「熟する」のを待って、まず医師が切り出すことによって、関係者全員の「終末期」だという合意が形成されるのが現実である。これはどうみても、医学的判断とはいえない。(pp181-182)
  
  「救命」には「努力」が要る。(p184)
  
  さらに指摘したいのは、「救命努力」というのは、「誰にでも」、「いつでも」、「自発的に」できることなのだろうか、ということである。そうとうに意識的な「努力」の要ることではないだろうか。だからこそ、今日でも救急医療では、しばしば「救命努力」の不足が非難されるの184>185である。要するに「努力」しないほうがらくなのだから。(pp184-185)
  
  この「努力」の使い分けを、医療従事者だけにゆだねてはいけないし、まして「スムーズ」に「使い分ける」ことを期待してはいけない。「救命努力」を場合によって使い分けるということは、やはりきわめて複雑かつ困難な「超論理的」な判断行為だということを強調したい。この困難な判断――決定のプロセスを乗り越えられるのは、本来あくま185>186でも本人、あるいは家族の強い意志である。(pp184-185)
  
  もうひとつの解決法は、やはり在宅でのターミナルケアを普及させるための条件の整備である。
   先にも述べたように、病院というのは本来的な使命からして、現代医学の粋をつくしたさまざまな生命維持装置――救命手段を備えているし、いつでも迅速にそれらを使えるように訓練している。だから急病者をかつぎこんでも安心だし、そういう場合に医師も看護婦も何の迷いもなく、心をひとつにして救命努力に邁進できる。本来、病院の医師を中心とした医療チームとは、そういう目的のために、最大限に効率的に機能するように編成されている。
   結果的にターミナルケアになっても、がん以外の病気や負傷の場合には、この機能をフルに発揮することが、まさに求められている。194>195
   しかしそういう場で、がん患者のように死に至るまでそうとうな時間を残して、徐々に終焉私用としている生命を前にして、生命維持装置を使うことを控えるべきかどうかについては、関係者のあいだで葛藤を生じる。主治医の心のなかでもそうだし、医師と看護婦のチームのあいだでも見解の相違が必然的に生じる。病院の医療チームというのは、もともとそういう医学的治療のための判断をこえた状況を解決するために作られてはいないのである。(pp194-195)
  
  こういうややこしい問題を、いわば止揚するかたちが在宅ターミナルケアではなかろうか。要するにターミナルケアの「場」の選択である。在宅でできる処置は点滴程度の限られたものしかないから、はじめからそのような限定された医療条件のなかで、しかし本人にとってはもっと精神的には満たされた場において、関係者一同が取るべき最善の方法を考えることができる。
   先にも述べたように、最近在宅でのターミナルケアに力をいれる開業医や看護婦が増えてきつつあるが、このような医師、看護婦のあいだでも、在宅死のほうが病院での死よりも本人の195>196満足度が高いというのが定説である。家族の満足度も高いようだが、それには条件がある。
   これはごく最近、87歳の母親がほかの病気で長期の入院中に、突然心筋梗塞を起こし、なんとか救命したのだがその直後に重い脳梗塞が起こり、両側の手足がマヒして意識がまったくなくなった、その娘さんにあたる女性の話だ。
   主治医からは、回復の見込みはまったくないと宣告された。持続点滴のために身体がむくみ、人相も変わってしまった。酸素吸入で起動が乾燥することもあって、ひっきりなしに痰をとらねばならない。そのたびに意識はないが、本人の顔が苦痛にゆがむ。家族も病室の粗末な簡易ベッドでの泊まりこみが続き、ヘトヘトになった。家族も主治医もつぎにどのような手を打てばよいか、考えあぐね言い出しあぐねて、膠着状態のまま何週間もたった。
   途方にくれて相談した主治医ではないある医師から、「思いきって自宅に引き取ったら」という助言があり、そうすることになった。幸い最後まで面倒見ましょうという、在宅ケアに熱心に力を入れている開業医も近所にみつかった。もちろん1週間に2回の訪問看護もきてくれることになったし、床ズレ予防のエアーマットや痰の吸引用具の貸出もあった。
   点滴を継続するかどうかについて、医師と家族のあいだで話し合いがあり、一日一本だけ点滴は続けることになった。結果として、痰も減って、入院中の苦悶がうそのように穏やかな196>197日々が約一ヶ月続き、子どもや孫に囲まれて、ある日消え入るように息を引き取られた。これはその方から、後日私あてに頂いた手紙の一部である。
   「これで葬儀万端ひとくぎりがつきました。[中略]今回私は大いばりです。『父と母と二人とも在宅で、自分たちの手で天国へ送ったの!』とふれ回っています。しんどかったことはみんな忘れて、心の満足だけが残っている感じです。でも実際には38kg!になっていますけど。お友達や近所の方々が心配して下さって、毎晩のようにおかずを差し入れしてくれたり、色々いただくのですが、このごろようやく物の味がわかってきました」
   このお手紙の後半が問題である。現在ターミナルケアは、いまだ家族の介護負担がたいへんであるし、精神的緊張と疲労がはなはだしい。それにはこういう事情に通じた医師や看護婦、それとできれば地域の親身な人間関係のサポートがほしい。
   そしてここでも、ホームヘルパーなどの在宅介護サービス――社会福祉の充実が不可欠だ。あるいみでは、高齢障害者の介護とは非常に緩慢なターミナルケアといえなくもないのであって、健康保険制度の報酬面で医師や看護婦へ手厚く報いるとともに、在宅介護制度の充実が決定的に重要だ。(pp195-197)
  
  16)金子光一1997.2.10『高齢者保健から』;柏木昭・籏野脩一編『医療と福祉のインテグレーション』へるす出版
  1.高齢者保健福祉政策の課題―英国の先駆的試みから学ぶ―
  はじめに
   21世紀には4人に1人が65歳以上になる超高齢社会を迎える日本の今日的課題を挙げれば、高齢者世帯・ひとり暮らし世帯の増加、家族介護機能の減退、住宅事情、市町村の財政問題、保健・福祉マンパワーの確保、利用者負担など枚挙にいとまがない。その中でも、特に心身の衰弱が疾病につながる高齢者の福祉問題は、保健および医療分野と切り離すことができないと考えられ、政府を中心に積極的な試みがなされている。
   例えば、「国民の老後における健康の保持と適切な医療の確保を図るため、疾病の予防、治療、機能訓練等の保健事業を総合的に実施し、もって、国民の保健の向上及び老人福祉の増進を図ること」を目的とした老人保健法施行(1983年2月)以降、すべての高齢者を対象に保健・医療・福祉を連携させた総合的なサービス供給が促進されている。
   また、「高齢者保健福祉推進10か年戦略」を全面的に見直した新ゴールドプランでは、「全ての高齢者が心身の障害を持つ場合でも尊厳を保ち、自立して高齢期を過ごすことができる社会を実現していくため、高齢期最大の不安要因である介護について、介護サービスを必要とする誰もが、自立に必要なサービスを身近に手に入れることのできる体制を構築する」ことを基本理念とし、「(@)利用者本位・自立支援、(A)普遍主義、(B)総合的サービスの提供、(C)地域主義」をその政策実施の支柱としている。(pp193-194)
  
  T 英国の先駆的試み
   公衆衛生や保健・医療の論理を社会福祉理念に応用した先導的文書は、1905年〜1909年、英国で行われた「救貧法並びに貧困救済に関する王立委員会」(Royal Commission on the Poor Laws and Relief of Distress)の会期中に公表された中間報告書『1834年から1907年までの中央当局の政策』(The Policy of the Central Authority from 1834 to 1907)と、会期終了とともに提出された『少数派報告』第一部(Minority Report, Part1.正式名称The Separate Report of Royal Commission on the Poor Laws and Relief of Distress,Part1. )であろう。〔…〕
   まず初めに中間報告書で打ち出された「治療的処遇の原則(Principle of Curative Treatment)、普遍的供給の原則(Principle of Universal Provision)、強制の原則(Principle of Compulsion)の3つの原則(以下、1907年原則と略す)について簡略に説明したい。
   治療的処遇の原則とは、申請者に対して現実に身体的または精神的改善をもたらし、ある人が救済申請を思いとどまった場合にでも、積極的に「より適者」(more fit)とするような処遇をさす。〔…〕これは、明らかに救貧法時代の劣等処遇の原則(Principle of Less Eligibility)に対立する概念である。〔…〕
   普遍的供給の原則とは、国家が責任を持って、予防接種などを含む公衆衛生や義務教育制度などの特定のサービスを、困窮の有無や、サービスを自ら入手する能力の有無に関係なく、すべての市民に供給することを明示したものである。〔…〕
   強制の原則は、本人の希望にかかわらず、社会が最良と考える方法で個人を取り扱う社会全体の利益を考慮した原則であり、例えば、各人の特性に従って強制的に分類保護を行うなどの措置が含まれる。〔…〕
   『少数派報告書』第一部は、この1907年原則にもう一つの原則を盛り込むことで論理的帰結を達成した。それが「予防の原則」(Principle of Prevention)である。
   「(予防は)一方において環境を改善するという形態を取り得るし、他方において個人処遇の上での形態も取るであろう。何れにしても、治療費や環境改善のための費用がコミュニティによって担われるものとすれば、経済性の根拠に基づいて次のことが不可欠である。まず初期症状を探し出すことであり、また保護者から養育を放棄または懈怠(けたい)された幼児・児童、予防可能な疾病や自発的失業によって困窮に陥った人々に対して、事前に援助の手を差し伸べることである。」
   このように、予防の原則は、1907年原則を導入することによって懸念される納税者の負担増化を軽減するための原則であった。予防の効果についてビアトリス・ウェッブは、次のように述べている。「予防は治療より好ましいものであるのみならず、遥かに安上がりであり、これによる節約は永続的かつ累積的である。
   また、この原則は、困窮者の怠惰防止の視点からも重要な意味をもつものであった。「もし困窮者が、抑止的条件も救済を受けることによるスティグマ(Stigma)も伴わずに『治療的かつ回復的処遇』を与えられるならば、何らかの方法で困窮への転落が予防されない限り、不断に増加する人々が自分たちの便宜に合わせて救貧法を出入りする結果を招くであろう。それは困窮者の重大な転落と市民にとって破滅的な費用負担を意味することになる。
   したがって、予防の原則は、生活上の問題が事実となってから救済しようとするのではなく、市民が問題に陥る原因を最初に見つけ出し、その原因を抜本的に解決することが、治療処遇や強制措置を実施する上で、必要不可欠なものであることを示した原則であるといえる。
   本節で論じた4つの原則は、いずれも保健・医療の論理を社会福祉理念に甥要したもので、これがその後社会保障の適用範囲の拡大につながり、第2次世界大戦後、福祉国家の構築に大きな影響を与えたと考えられている。(pp194-197)
  
  U 日本の高齢者保健福祉政策の問題点
  〔…〕予防的施策に関する議論を突き詰めると、新たに大きな問題が浮かび上がってくる。その問題とは、予防的施策の波及効果が「保健・医療サービス」と「福祉サービス」で大きく異なり、特に福祉サービスは、実施上解決しなければならない課題を今なお残しているという現実である。これは、保健・医療・福祉の連携と総合的サービスの展開を図ろうとしている今日の高齢者保健福祉政策に直接影響を与える問題であるといえる。〔…〕(p198)
  
   〔…〕すなわち、保健・医療サービスには、医学に基づく普遍的基準が個々の問題に対する予防的処置法として確立され、市民もそれを認識しているのに対して、福祉サービスは、社会福祉学に基礎付けられた確実な普遍的基準が設定されていないため、その人あるいは集団がどのような状況であれば危険とみなすかの判断が難しく、その問題を解決するための予防的施策も立案者によって大きな隔たりがある。そのことが究極的に差別や偏見を引き起こしているのではないだろうか。
   筆者は、高齢者の保健福祉推進の一環として予防を普遍的社会福祉政策として実施する以前に、問題に陥る危険性を判断するための普遍的基準を早急に構築することが必要であると考える。(p199)
  
  17)西村周三1997.6.20『医療と福祉の経済システム』筑摩書房 ちくま新書
  第2章 高齢社会の見通し―経済社会の変貌と医療・福祉の将来
  […]「寝たきり老人」をゼロにするという高い理念がある[…]すなわちただ単に要介護者のお世話が大変だから、介護福祉を充実するということにとどまらず、要介護者の自立を支援するということが目標とされている。
  筆者の知る限り、この理念が日本で重要な意味を持つようになったのは、80年代のはじめ頃からデンマークをはじめとする北欧諸国の実態を調査し、「寝たきりはゼロにできるのだ」というキャンペーンを展開した大熊一夫氏、大熊由紀子氏、岡本裕三氏らの努力によるところが大きい。彼らの啓蒙活動が次第に普及するなかで、スウェーデン大使館勤務の経験を持つ厚生省若手官僚たちがこれに呼応して、94年に「高齢者介護・自立支援システム研究会」が設置された。同報告書はこのような彼・彼女らの長い努力の結実である。ただ介護保障の現状は、このような理念が掲げるところとはかなりかけ離れている。」(pp63-64)

  たとえばデンマークの国民医療費はイギリスや日本とともに、対GNP費でかなり低い。そしてそれにもかかわらず、介護福祉が充実しているために、国民の満足感は比較期高い。デンマークの現状は、介護福祉サービスの充実が、必要な医療費をかなり軽減する可能性を示唆している。そして各国はデンマークの実態を見習って、どのような介護福祉を充実させれば、医療費の抑制が可能かという視点を強く打ち出している。このような見解の歴史的変遷には、もちろん福祉についての考え方の変遷も作用している。心身に障害を有する人々に対するケアは、以前は施設中心の発想であったが、「ノーマライゼーション」の思想が普及すると共に、個々人の「生活」そのものを優先するなかで、必要なケアの提供を行うという発想に転換してきたために、病院中心のケアよりも、在宅ケアを重視するという発想が生まれてきた。ところが、日本では[…]医療費と福祉費の比率は10対1近くになっている。高齢化のスピードと比べれば、その伸びは依然低いと言わざるをえない。(pp65-66)

  終末期の医療費が、1カ月100万円以上と群を抜いて他の時期の医療費より高いことはよく知られており、もし現在の趨勢でいわゆる「病院死」が増えれば、それだけで2010年には、さらに数千億円の余分の医療費を要することになる。またこれはフローの意味で余分に必要とされる額であるが、これだけの死亡者の増加に対処するためには、現状の病床数では、他の患者を追い出さない限り不十分であり、さらに多額の設備投資を必要とする。もちろん病院死が、国民の大多数の望むところであるというのなら、国民がそれだけの負担増をあえて甘んじて受けてでも、このような投資が必要と思われるが、はたしてそうであろうか。この種の問題は、一般の市場メカニズムによる解決と違って、大部分が公的資金によってまかなわれるために、真の国民の希望をとらえるのが難しい。たとえば決して「ホスピス」という施設が望ましくないというのではないが、ホスピスに入所している人々には、月間で約90万円の費用がかかっている。これに対していわゆる在宅ホスピスに用いられている公的資金は、ヘルパー、訪問看護婦の派遣、往診などを含めた外来医療費など、高く見積もっても月間10万円程度にしかならない。これでは、人々が家族介護の負担への考慮を含めて、施設を選ぶのは当然の帰結である。このような現状を踏まえるならば、どちらが真の国民の選ぶところかを知るためには、在宅終末期医療に月100万円程度かけたうえで、そのどちらを選択するかを問うてみる必要がある。したがって長期的視点からは、このような試みを政策的に実行してみることが必要なのではないかと思われる。ところが残念なことに、さまざまな制度的行き違いが、この種の試みの実現を困難にしている。(pp67-68)


UP:20070808 REV:20070904
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