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発達障害者のコミュニケーションを語る『言葉』を 再考する

宮崎 康支  20070916-17
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

関西学院大学 デキキス研究室
宮崎 康支

◆要旨
◆報告原稿


■要旨

1 背景と問題意識

近年、『特別支援教育』の支援対象となったこと等で関心が広がっている『発達障害』は、日本の法律においては「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性 発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」(発 達障害者支援法 第2条)と定められている。
 明確には原因が究明されていない、この『障害』を持つとされる人々(『発達障害者』)は、人間の発達に一部の『遅れ』等があるために、ある者は部屋を 『片付けられない』と称され、またある者は、対人コミュニケーションに『困難』を抱える、とされる。ここでは、特に『コミュニケーション』について考えて みたい。筆者が接する発達障害者の多くが、この項目に困難を感じているという現実がある為である。
 果たして、発達障害者の『コミュニケーション』には本当に『障害』があるのだろうか。現に、支援者団体による広報媒体や、研究者の説明等によれば、そこ には『障害』があるとされている。
 しかし、一方で発達障害者の視点に移ると、仮に発達障害を『異文化』と捉える視点を徹底させれば、『発達障害的な言葉の話し方、ないしコミュニケーショ ンの仕方』が、より受容される可能性を模索することはできないだろうか。本報告では、『発達障害』当事者のコミュニケーションのあり方に対する『言葉』に 着目し、社会による『受容』の可能性を考えてみたい。

2 コミュニケーションを語る『言葉』

例えば、『高機能広汎性発達障害』の当事者のコミュニケーション行動および、彼らへの支援を専門とする研究者(大井、2004; p.24) が示した表『青年たちのコミュニケーション困難』には、『率直にものを言いすぎる』、『相手を不愉快にさせる言葉遣い』等の特徴が示されている。
 筆者には、発達障害者が社会の中で抱く困難を、何とか解決できるよう手助けせねばと、情熱を燃やす研究者、教育実践者等の意思を否定する意図は全くな い。しかし、発達障害者の視線で考えてみると、次のような疑問にも行き当たるのである。
 
「率直にものを『言う』と『言いすぎる』の境界線はどこにあるのか?」

「自分の『言葉遣い』で相手が『不愉快』になるのは、言葉に対する相手の価値基準にも依るのではないか?」

穿った見方かも知れないが、ここで発達障害者ではない(とされる)者の価値観が無意識的に『正しい価値観』とされ、発達障害者のコミュニケーションの特徴 に対する懐疑的な印象を強める可能性はないだろうか。

3 『言葉』を変えることはできるか

近年、米国等では、発達障害の一種である『自閉症』の当事者(自閉症者)が自閉症者でない者を "neurotypicals (NT)"(神経学的に定型な者)と呼ぶ動きがある (ex. Willey, 2001; 2007邦訳)。これは、自閉症者が、自閉症者ではない(とされる)者を『普通』・『健常』ではなく、ただ『定型な者』と呼ぶことで、双方の上下関係を感 じさせなくしている。換言すれば、侮蔑的な言い方を改める意思の現れである。米国の自閉症者団体Autism Network International の主催する会議 "Autreat"では、参加者からこの言葉が多く聞かれる。
 そして、2007年6月に開かれた同会議に日本から参加したMiyazaki; DeChicchis (2007)は、言語研究者としての見地からこの点に着目し、ここを一歩進めて、自閉症ではない(とされる)者と自閉症者をそれぞれ "neurological typicals and atypicals" (神経学的に定型な者と、非定型な者)と言い換えることを提案した。同様に、コミュニケーションを語る言葉についても、"communicative typicals and atypicals"(コミュニケーションの面で定型な者と、定型ではない者)と言い換える可能性を示した。果たして、第2節に示したような、『率直にも のを言いすぎる』等の『青年たちのコミュニケーション困難』を、一つ一つこのような見地で言い改めることで、発達障害者のコミュニケーションに対する社会 的受容を高めることはできるだろうか。
 また、このような試みは、『障害学』の研究者、障害当事者のみではなく、広く社会福祉や社会学、言語学等広範な領域でより盛んになされても良いのではな いだろうか。

4 参考文献(要旨に関連する文献のみ)

Miyazaki Yasushi; DeChicchis, Joseph. 2007. "How high is the "glass ceiling" for us?: Learning from some example of struggles of autistic people in Japan". Autreat 2007 program book. Philadelphia, Pennsylvania, USA. June 25-29, 2007. pp. 79-84.

大井学 2004. 「高機能広汎性発達障害をもつ人のコミュニケーション支援」. 『障害者問題研究』. 32 (2). pp. 22-30.

Willey, Liane Holliday. 2001. "Asperger Syndrome in the Family Redefining Normal". London: Jessica Kingsley Publishers.
(邦訳「私と娘、家族の中のアスペルガー」(ニキ・リンコ訳 2007)東京:明石書店).

発達障害者支援法
http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/04/dl/tp0412-1b.pdf
(2007年7月19日現在)


 
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■【報告原稿】

発達障害者のコミュニケーションを語る『言葉』を再考する

宮崎 康支 Miyazaki Yasushi
関西学院大学 デキキス研究室

障害学会第4回大会 於:立命館大学朱雀キャンパス (京都府京都市)
2007年9月16日・17日

1. はじめに

  本報告では、まず、『発達障害』そのものが如何なる障害として定義されているか、を冷静に考える。次いで、発達障害者のコミュニケーションが、精神医学やコミュニケーション障害の研究者たちによって、どの様に語られているかを見つめる。そして、アメリカ合衆国に於ける自閉症者団体が、自分達をむしろ肯定的に呈示しようとしている態度を紹介する。そして、これらを踏まえた上で、発達障害者のコミュニケーションを巡る言葉を、より肯定的に変えることが可能かを考察していく。

さて、近年、『特別支援教育』の支援対象となったことなどから、『発達障害』、『広汎性発達障害』、あるいは『自閉症スペクトラム障害』という言葉を聞く人が多くなったのではないかと思う。この報告では、この障害を持つ、或いは持つとされている、いわゆる『発達障害者』等と呼ばれる人々のコミュニケーションのあり方を語る『言葉』に焦点を当ててみる。
  発達障害者のコミュニケーションに対する研究は多く行われ、文献も多く出ているが、その中には『コミュニケーションの困難』、或いは abnormal communication の存在を自明のものとしている場合が多い様に見受けられる。
  本報告に於けるリサーチ・クエスチョンは、次の通りである。発達障害者のコミュニケーションを、今述べた様なabnormalityではなく、ただ単なる『相違』を持つものとして語る言葉を作り出すことで、かつてはさほど奇異なものとして考えられていなかったかもしれない、『発達障害者』のコミュニケーションの社会的受容を進めることが可能ではないか、というものである。
  ただし、それには単なる言い換えではなく、科学的な知見も踏まえていなければならないのではないか。コミュニケーションの外側だけではなく内側を見つめる必要性を、喚起する必要がある。
  この様な問題提起が、今回の報告と、それを基に行おうとする議論の目的である。

2.『発達障害』の定義

  まず、『発達障害』自体の定義を考えておきたい。これを医学的側面と社会的側面のどちらに重きを置いて考えるかによって、本題である『発達障害者のコミュニケーション』を考える視角が異なってくると、報告者は考えている。
  日本で2004年に公布された『発達障害者支援法』の第2条に於ける定義は、次の通りである。

  「この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」

  この定義において、注意しておきたい点が3つある。

  第一に、『発達障害』という大きな括りに入る障害の名前を列挙しているが、それぞれの障害の相違、またそれらを区別することの困難さが伝わってこない。
  第二に、『脳機能の障害』が、具体的にどの様な障害であるかが伝わらない。この定義をそのまま、発達障害はこういうことです、という意味で簡潔に使うと、いわば、「昆虫とは、カブトムシやバッタ等のことだ」といった、表面的な次元の理解に終わってしまう。例えば、昆虫がなぜ昆虫として、昆虫ではない生物と区別されるかが分からない。
  第三に、この障害を『脳機能の障害』と見做すことには、懐疑的な見方もある。例えば、特に自閉症に関して、高岡健は石川憲彦との対談の中で、この障害を脳機能の障害と考えるに関して、次のように述べている。

「これまでの親の育て方が悪かったという誤解に対するアンチテーゼとしてはそういう言い方で私は十分いいと思うのです。しかし、この説で何が証明されるかというと、私は永遠に証明されないだろうと思っています。」(高岡; 石川, 2006: 41)

  高岡と石川はこの対談の中で、自閉症や発達障害が、社会的・政治的に着目される様になった背景を議論してきている。この発言は、その文脈に於けるものである。例えば、二人はこの対談の中で、その背景の一つとして、日本に於ける第二次産業から第三次産業への産業構造の転換が、臨機応変であることを人々に多く要求する様になった点について語っている (高岡; 石川, 2006: 15-19) 。
  他にも、児童精神医学の立場からの見方を、幾つか述べておきたい。杉山登志郎は「発達障害とは、子どもの発達の途上において、何らかの理由により、発達の特定の領域に、社会的な適応上の問題を引き起こす可能性がある凸凹を生じたもの」 (杉山, 2007: 5) と述べ、ここで『問題』という言葉を用いている。
  一方で田中康雄は、次のように述べている。

「・・・「発達障害」という言葉は一見自明のようでありながら、あまり明確に定義されたものになっていない。一般に発達障害とは「発達過程が初期の段階で何らかの原因によって阻害され、認知、言語、社会性、運動などの機能の獲得が障害された状態」と理解されているように思われる。」(田中, 2006: 5)

  つまり、精神医学の立場においてさえ、定義が明確ではないと認められている側面があるのが、この『発達障害』という言葉である。World Health Organization によるInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 、略してICD、や、American Psychiatric Association によるDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 、略してDSM、というふうな国際的な診断基準によって、例えば『アスペルガー障害』などといった発達障害の診断は下される。しかしながら、こうした医学的なものを超えた何かしらの要因を棚上げにして、発達障害が『医学的な問題』、特に臨床的な問題として語られ、当事者に窮屈さを感じさせる状況を作り出してはいまいか。そして、例えば就労支援の場などでも重要事項として語られる『コミュニケーション能力』が、その一つの象徴ではないのかと、私は考えるのである。
  事実、報告者が接する、いわゆる発達障害者の間でも、「私はコミュニケーションが苦手だ」と自認する者が少なくない。また、Miyazaki; DeChicchis (2007: 80-81) が、後述するAutism Network International の年次大会であるAutreat において日本の自閉症者の状況について紹介した内容においても、『広汎性発達障害』との診断を受けた人物が『コミュニケーション』という言葉の前に、就職活動に苦悶する様子が示されている。

3.『コミュニケーション』は、いかに語られているか
――精神医学、コミュニケーション障害研究等に於ける『懐疑的な記述』の世界


  それでは、発達障害者の『コミュニケーション』の語られ方に関して、幾つかの例を見てみたい。今回は、発達障害者の支援に関わる支援者や研究者が多く目にするであろう学術雑誌等に、例を求めることとした。マス・コミュニケーションに於ける報道など、より一般大衆に近い人々の目に触れる媒体に関しては、今後の課題としたい。
  『自閉症スペクトラム』の発想を提示したLorna Wingは、自閉症者には『三つ組みの障害』があると示してきた。2006年に日本自閉症協会の第19回全国大会において行われた講演の記録中では、子どもに関しては、社会的交流、社会的コミュニケーション、社会的イマジネーションの3つであると纏められており、固定して反復した行動のパターンを伴う、とした (Wing, 2006: 23 内山; 鈴木訳) 。その一つが『社会的コミュニケーションの障害』であり、これは以下のように説明されている。

社会的コミュニケーションの障害(言語と非言語性)
多様な現れ方
・コミュニケーションをしない
・自分が必要なときだけコミュニケーションする
・反復的で一方的
・形式的、まわりくどい、字義通り
(Wing, 2006: 24 内山; 鈴木訳)

  また、大井学 (2004) は、『青年たちのコミュニケーション困難』という以下の表を示している。

表1 青年たちのコミュニケーション困難
・些細なことでも柔軟に交渉できない
・率直にものを言いすぎる
・自分だけが長々と話し続ける
・断りなしに話題を変える
・相手を不愉快にさせる言葉遣い
・視線,表情,対人距離などの問題
・相手の言葉の意味を推論できない
・冗談や比喩・反語の理解困難
(大井, 2004: 24)

  もう少し具体的な例を見てみよう。杉山登志郎は、『高機能広汎性発達障害』を持つ者のコミュニケーションに関して、幾つかの臨床例を示した論文を発表している。その中から一例を紹介する。これは、Aという人物の事例である。彼は、杉山氏の診断を受ける前に、会話内容に関するファックスを必ず送ってくると言う。以下、その説明の抜粋である。

  「Aはなぜ会話内容をあらかじめ文字にすることにこだわるのであろうか.理由は文章のほうがわかりやすいからであろう.高機能者は書いたものを読んだ印象と、実際に会ってみたときの印象は異なることが普通である.文章のほうが奇異さは著しく軽減される傾向がある.」 (杉山, 2002: 38-39)

  一つ補足しておくと、高機能者とは、『高機能広汎性発達障害』を持つ者のことである。ところで、この記述においては、「一体どの様な根拠をもって、特定の人間のコミュニケーションを『奇異』とするのか」という疑問が生まれる。
報告者には、発達障害者が社会の中で抱く困難を解決すべく情熱を燃やす研究者、教育実践者等の意思を否定する意図は全くない。しかし、発達障害者の視線で考えてみると、次の様な疑問にも行き当たるのである。

  「率直にものを『言う』と『言いすぎる』の境界線はどこにあるのか?」
  「自分の『言葉遣い』で相手が『不愉快』になるのは、言葉に対する相手の価値基準にも依るのではないか?」
  「何をもって『奇異』とするのか?」

  穿った見方かも知れないが、ここで、『発達障害者』ではない、とされる者の価値観や振舞い方が無意識的に、正しい価値観や振舞い方とされ、発達障害者のコミュニケーションの特徴に対する懐疑的な印象を強める可能性はないだろうか。何かしら、『懐疑的』と見られかねない言葉による記述が、ここに為されてはいまいか。
  いわゆる言葉の暴力を頻繁に起こす場合はまだしも、『少し他の人と話し方が違う』との印象を持たせる『発達障害者』が、ここで述べた様な記述を鵜呑みにする人物と関係を持つ時に、その人間関係に何が起こるか。報告者が抱くのは、そういった懸念なのである。

4.アメリカ合衆国の自助団体活動からの示唆―自閉症そのものを語る言葉

  前述の様に、日本においては、いわゆる発達障害者のコミュニケーションが懐疑的に説明される場合が多く見られる。一方で、発達障害者達が、自らの意思疎通の仕方の、肯定的な面を見つめ、主張することは可能であろうか。特に自分達のコミュニケーションのあり方を、言わば典型的なコミュニケーションに近づけるよりも、多様な言語使用形態の一つとして提示していくことは可能なのであろうか。
  ここで、アメリカ合衆国に於ける動きに一つの示唆を得たい。アメリカ合衆国に存在する自閉症者の自助組織Autism Network International、略してANIは、自閉症者の特徴を肯定し、社会に於ける権利を得るべく活動を行う団体である。この団体の構成員は、自閉症者をabnormal、つまり異常な者と捉える視点に異を唱え、逆に自閉症者ではない者を neurotypical (ニューロティピカル) と呼んでいる。日本語では、神経学的に定型ないし典型的な者、あるいは定型発達者、と呼べようか。アメリカ合衆国等にて公刊されている当事者の手記にも、この表現が見られる (例えば、Willey, 2001. ニキ訳 2007) 。
  この様な試みは、自閉症者が、自閉症者ではないとされる者を、普通な者、健常な者ではなく、ただ定型、典型的な者、と呼ぶことで、双方の上下関係を感じさせなくしている。換言すれば、侮蔑的な言い方を改める意思の現れである。ANIの主催する年次大会であるAutreat (オートリート) では参加者からこの言葉が多く聞かれる。そして、彼らの言葉においては、自閉症者はabnormalではなくatypical (エーティピカル) 、つまり、定型ではない、或いは典型的ではない、のである。
  尤も、この動きには一方で、『典型的』あるいは『定型』な者と、そうでない者の区別をどこでするのか、という疑問が生まれる。そういった点では、第2章にて述べた様な、『発達障害の定義』の不明確さと、発達障害を顕在化させる社会的・政治的要因を批判しようとする考え方とは、何かしらの齟齬が生じるかもしれない。少なくとも、発達障害者であるか否かに拘らず、私たちが学ぶことが出来るのは、発達障害者に対する否定的な言葉を対象化し、冷静に評価していく姿勢なのではないだろうか。

5.考察―『言葉』を変えることはできるか

  ここまでは、日本に於ける発達障害者のコミュニケーションの語られ方にかかる現状と、自閉症者とそうではない者の上下関係を感じさせずに、『自閉症者らしさ』を主張しようとするアメリカ合衆国の自閉症者自助組織からの示唆に触れた。それでは、第3章に示した様な、『発達障害者』のコミュニケーションを語る『言葉』を変えることで、発達障害者のコミュニケーションに対する社会的受容を高めることはできるだろうか。
  2007年6月にアメリカ合衆国のペンシルバニア州にて開かれたANIの年次大会 Autreat 2007に日本から参加したMiyazaki; DeChicchis (2007) は、言語研究者としての見地からANIの自閉症観に着目し、自閉症ではないとされる者と自閉症者をそれぞれ "neurological typicals and atypicals"、つまり神経学的に定型な者と非定型な者、と言い換えることを提案した。同様に、コミュニケーションを総合的に語る言葉についても、"communicative typicals and atypicals (エーティピカルズ) "、つまりコミュニケーションの面で定型な者と、定型ではない者、と言い換える可能性を示した。また、場合によっては、定型発達者よりも自閉症者の方が、日本在住の外国人とのコミュニケーションが上手くいく、とのDeChicchisの印象も述べられている (Miyazaki; DeChicchis, 2007: 83) 。
  これでも何を以って『定型』とするかとの課題は残る。しかし、総論レベルに於けるこの試みが妥当であるとすれば、『発達障害者』のコミュニケーションを説明する各論をいかに、恣意性を避け、肯定的・中立的に言い改めることが可能であるか否かが鍵になる。
  ところで、ここで考えておかねばならないことは、第3章で述べた様な、発達障害者のコミュニケーションに関する説明は、コミュニケーションを臨床面で、外側から見たところによる説明と考えられる点である。一方で、大括りで云うところの『言語研究』の世界においては、発達障害者のコミュニケーションについて、言葉の内側を捉えたエビデンスの知見が蓄積されている。例えば、言語学の国際的な百科事典 "Encyclopedia of Language & Linguistics" においては、"Autism and Asperger Syndrome : A Spectrum of Disabilityという項があり、自閉症者の言語使用に関する研究の流れがまとめられている (Cohen; Remillard, 2006) 。ここで取り上げられている研究のひとつは、Shriberg et al. (2001) による高機能自閉症・アスペルガー症候群を持つ者の言語行動と韻律の特徴に関する統計的な研究である。こうした研究からは、必ずしも『発達障害者』のコミュニケーションが『奇異』ではないということが見えてくる可能性がある。
  一方で、第4章で述べたように、アメリカ合衆国に於ける自閉症者の自助運動からは、自閉症者の生きる姿に対する『肯定的態度』の呈示への意思を学ぶことができる。
  つまり、『発達障害者』のコミュニケーションを語る『言葉』を再考することは、『実証的科学性』と『当事者の肯定的態度』に基づき、当事者達が自らの『コミュニケーション』を自らの言葉で語る態度を、自助活動の中で養うことから始まるのではないか。例えば、『率直にものを言いすぎる』を、『事実を的確に述べる傾向が強い』等と言い換えていくことは可能であるのか、といった試みである。

6.まとめ

  児童精神科医の清水將之 (2005) は、嘗ての町工場などの職人には、精神科医にかかれば『アスペルガー症候群』などの診断を受ける者が多くいたかも知れない、という。例えば、気難しいながらも技に磨きをかけることの出来た人物が多くいたかもしれない、という。そして清水は、

  「・・・それらの人たちに「社会性」が乏しい、「コミュニケーション」が苦手、共感性を共有しがたいなどと理由をつけて、舶来の障害名をつけることで、一体、誰に、どう益することがあろうか。」(清水, 2005: 103)

とも述べている。

  昔ならば、知的障害を伴う場合以外においては、発達障害者の『コミュニケーションの問題』など、さほど問題視されなかったかもしれない。本論で述べたように、現代の日本には、混乱したようにも見える『語られ方』の波がある。しかし、幸か不幸か別として、現在では『発達障害』は問題化されている。
  ならば、『発達障害者』を社会に作り上げた何らかの境界線を否定するのか、発達障害者達がその境界線の存在を逆手にとり、線をより太く濃くして、自らを『異なる言語』、より端的には『個性的な個人方言』を用いる人物の集合体として主張するのか。また、科学的エビデンスと肯定的態度に基づいて、『前向きかつ中立的な』言葉による自己呈示を試みるのか、との問題になる。
  この様な点を問題化する試みが、『障害学』の研究者、障害当事者のみではなく、広く社会福祉や社会学、言語学など広範な領域でより盛んになされてもよいのではないだろうか。
  最後に、今回の議論は、様々な面において課題を残していることを認めざるを得ない。しかし、『コミュニケーション能力』が社会人の必須条件として語られる状況において、『私たちは非社会人ではない』との立場を示したい発達障害者と、発達障害に関心を持つ人々にとっての問題提起として本報告が何らかの価値を持てば、これほど光栄なことはない。

7.参考・引用文献

Autism Network International. Official Website. http://ani.autistics.org/(2007年9月5日現在)
Cohen, H.; Remillard, S. 2006. "Autism and Asperger Syndrome : A Spectrum of Disability" In "Encyclopedia of language & linguistics". 2nd. Ed. Vol. 1. Brown, K. et al. (eds.) Amsterdam; Tokyo : Elsevier 617-621.
石川憲彦; 高岡健. 2006. 『メンタルヘルス・ライブラリー 17 心の病いはこうしてつくられる―児童青年精神医学の深渕から』, 批評社.
Miyazaki Y.; DeChicchis, J. 2007. "How high is the "glass ceiling" for us?: Learning from some example of struggles of autistic people in Japan". In "Autreat 2007 program book". Philadelphia, Pennsylvania, USA. June 25-29, 2007. 79-84.
大井学. 2004. 「高機能広汎性発達障害をもつ人のコミュニケーション支援」, 『障害者問題研究』, 全国障害者問題研究会, 32 (2) , 22-30.
清水將之. 2005. 「アスペルガー症候群余話」, 『そだちの科学』, 日本評論社, 5, 102-104.
Shriberg, L. et al. 2001. "Speech and prosody characteristics of adolescents and adults with high functioning autism and Asperger syndrome". "Journal of Speech, Language and Hearing Research". 44 (5) , 1097-1115.
杉山登志郎. 2002. 「高機能広汎性発達障害におけるコミュニケーションの問題」, 『聴能言語学研究』, 日本聴能言語士協会, 19 (1) , 35-40.
杉山登志郎. 2007. 「発達障害のパラダイム転換」, 『そだちの科学』,日本評論社, 8, 2-8.
田中康雄. 2006. 「軽度発達障害の理解―地域支援のために必要な医師の役割」, 『月刊保団連』, 全国保険医団体連合会, 902, 4-11.
Willey, Liane H. 2001. "Asperger Syndrome in the Family Redefining Normal". London: Jessica Kingsley Publishers. (邦訳『私と娘、家族の中のアスペルガー』 ニキ・リンコ訳 2007, 明石書店) .
Wing, L. 2006. (日本語訳:内山登紀夫; 鈴木正子) .「社会性とコミュニケーション障害スペクトラム」The Spectrum of Social and Communication Disorders, 『社団法人日本自閉症協会 第19回全国大会IN岐阜 大会記録集』, 社団法人日本自閉症協会, 22-32.
発達障害者支援法
PDF http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/04/dl/tp0412-1b.pdf
HTML http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/04/tp0412-1b.html
(2007年9月5日現在)

(以上)


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