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難病者と福祉/医療制度

ALS療養者とその家族の事例から

北村 健太郎川口 有美子・ 仲口 路子 20070916-17
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

◆要旨
◆報告原稿

■要旨

1.背景と目的
 筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)は国の特定疾患に指定されている難病で、患者の8割以上が介護保険の要介護度5、自立支援法の障害区分では最重度の身体障害者に位置づけられる。そのため、ALS療養者が利用できる制度は医療から高齢者障害者福祉の多岐にわたるが、複雑に入り組んだ現行の諸制度は利用しにくい。
 本報告では、長期在宅ALS療養者が利用できる医療/福祉制度の適用に関する整理を行い、ALS療養者に必要とされる支援と制度の利用開始時期を疾患の経過に沿って具体的に示すことと、患者と家族のニーズを明確に図示し、発症から長期在宅人工呼吸療法(LTV)もカバーするALS在宅療養支援モデルの提案を目的とする。

2.方法
 @5名のALS療養者の家族介護者にインタビュー調査を行い、あらかじめ形式を定めた調査用紙に、疾患発症時から現時点までの家族成員全員のライフヒストリーを簡略に書き込んでもらった。
◇調査協力者
H:発症時30代前半女性(同居家族、夫、長女4歳)→TPPV,療養23年目(独居)
F:発症時50代後半女性(同居家族、長女、次女20代)→TPPV,療養7年目(長女結婚、次女同居)
I:発症時30代前半女性(同居家族、夫、長女4歳、長男2歳)→TPPV,療養5年目(夫、長女9歳、長男7歳同居)
S:発症時50代後半女性、(同居家族、夫、次女20代後半)→TPPV,療養13年目(夫、次女40代同居)
Y:発症時30代後半男性、(同居家族、妻)→NPPV,療養7年目(妻、長女5歳、次女2歳同居)
*TPPV(気管切開による人工呼吸療法)、NPPV(鼻マスクによる非侵襲的人工呼吸療法)
 A調査用紙とインタビューの内容を分析し、必要とされた各種制度とその利用を困難にした問題を整理した。

3.結果
 患者5名のうち4名が長期人工呼吸療法中(LTV)。発症からTPPV開始までの期間は最短1年以内、最長9年。4家族3名の家族が介護のため退職。居住地は関東4家族、東北1家族。利用された社会資源には、国、都府県の制度では、特定疾患治療研究事業(医療費自己負担分の一部助成)、医療保険、訪問診療、訪問看護、行政ヘルパー、脳性まひ者等介護人派遣事業、全身性障害者介護人派遣事業、介護保険(ケアマネージャー)、支援費制度、障害者自立支援法。市区町村では、行政の保健師、栄養士、ケースワーカーのアドバイス、車椅子などの補装具費支給、地域支援事業、住宅改造(風呂場、段差解消、昇降機設置、トイレ改修、リフト設置)、難病患者等居宅生活支援事業、ボランティア、患者会、町内会。患者の乳幼児の支援として保育園、保健所の相談、予防接種、乳児院、児童相談所、一時保育。年金・手当てとして、障害基礎年金、特別障害者手当、東京都の場合は重度心身障害者手当。5名の療養者はこれらの社会資源を初期から利用し、地域生活を実現してきた。そして、人工呼吸療法の開始後も自宅で十分な支援を受け続けることができた患者4名のうちの1名が独居を実現し(独居準備中1名)、4家族5名の家族が就労に復帰、1名が結婚している。

4.考察
 ALS療養者は、進行に伴い複数の制度を利用できるはずであるが、支援者の不在、制度の優先順位、併用不可、利用料の自己負担、給付の遅延などにより、利用が制限されることもあった。また、家庭内の乳幼児の世話や児童への配慮が不十分にならざるをえないが、これら患者の子は介護保障の不十分な地域では、成長に従って介護者として期待されるようになるので、進学や就労の機会を失い自立できないこともある。子の自立にむけては、親患者への24時間介護保障が必要だが対策はない。発症から呼吸筋麻痺までの期間は、親戚や友人の支援を受けることもある。しかし、人工呼吸器を装着後は介護もエンドレスになるので、家族の介護負担感は増し公的ヘルパーの利用が進むが、その際の支給決定やケアプランをめぐっては自治体の担当者や、介護保険のケアマネ、介護派遣事業所とトラブルが生じやすく、専門職の理解不足が患者家族の最大のストレスになっている。
 資源が散在している地域においては、適切な時期に適切な情報提供がなければ、制度の有効利用はできないため、ALSを良く知る多専門職の連携が果たす役割は大きい。多くのALS患者にとって「家族の生活を見届けること」が生存理由である点において、家族のQOLの維持は治療継続の決定要因とも言える。それゆえに自立生活運動の若い障害者と異なり、家族構成員への支援も治療(緩和ケア)の一部として行われる必要がある。やがて、TPPVにより呼吸不全が解消されれば、障害福祉の利用により患者も家族も自立は可能である。

 本研究は、厚生労働科学研究費補助金障害保険福祉総合研究事業『在宅重度障害者に対する効果的な支援の在り方に関する研究』平成17年度、ALS班分担研究報告書、川口有美子、古和久幸「在宅重度障害者としてのALS患者の実態とニーズに関する研究」pp49-122,をもとに制度面の整理を重点的に行ったものである。


 
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■報告原稿

  北村健太郎・川口有美子・仲口路子は、本報告において、筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)が利用する福祉/医療制度をライフヒストリーに沿って提示します。
  ALSは国の特定疾患に指定されている難病です。患者の8割以上が介護保険の要介護度5、自立支援法の障害区分では最重度の身体障害者に位置づけられています。そのため、ALS療養者が利用できる制度は医療から高齢者障害者福祉の多岐にわたるのですが、複雑に入り組んだ現行の諸制度は利用しにくいのです。
  本報告では、長期在宅ALS療養者が利用できる医療/福祉制度の適用に関する整理を行い、ALS療養者に必要とされる支援と制度の利用開始時期を疾患の経過に沿って具体的に示すことと、患者と家族のニーズを明確に図示し、発症から長期在宅人工呼吸療法(LTV)もカバーするALS在宅療養支援モデル提案のための基礎データを提示します。
  調査方法は以下の通りです。第一に、5名のALS療養者の家族介護者にインタビュー調査を行い、あらかじめ形式を定めた調査用紙に、疾患発症時から現時点までの家族成員全員のライフヒストリーを簡略に書き込んでもらいました。第二に、調査用紙とインタビューの内容を分析し、必要とされた各種制度とその利用を困難にした問題を整理しました。
  調査協力者は、Hさん、Fさん、Iさん、Sさん、Yさんの5名です。今回は、特にHさんとSさんの事例について報告します。
  
  表1
  Hさん(発症時30代前半女性、同居家族、夫、長女4歳)気管切開による人工呼吸療法(TPPV)へ移行、療養24年目(独居)
  表1は、Hさんの発症時4歳だった長女Kさんから見た、Hさんと家族の推移です。1985年秋、Hさんの右手握力の低下、右手が上がらないなどの症状がでてきます。その後、T大病院整形外科を受診し、斜骨神経麻痺と診断され、2ヶ月間通院します。Kさんは「発病当時から父は仕事で、ほとんど家にいなかったため、母とは常に私が一緒にいた」と振り返っています。J大学病院で、HさんはALSを告知されます。Kさんは「漠然と「母は自分が高校生になる頃には死んでいるだろう」と覚悟」したそうです
  発症3年目の1987年、実家に転居します。この時期に、保健婦訪問を開始し、障害基礎年金申請、障害者手帳1級取得、特別障害者手当申請、東京都重度心身障害者手当申請をしています。この頃の制度的基盤は、脳性まひ者等介護人派遣事業(都の事業1974年スタート)で、昼5700円、夜6500円の全額支給を受けています。Kさんは「幼児期に母が発病してから、病気のことを詳しく知らないまま5年近く過ぎたが、特に問題はなかった。学齢期に発病していたら、子供への心理的ケアのために専門家が介入する必要」があるだろうと言います。1987年8月に、Hさんは全介助の状態になります。Kさんは「母の実家が大家族のおかげでマンパワーには不自由しなかったが、検診・リハビリ等には車で30分の総合病院に通っていたので、医療環境に若干の問題があったかもしれない。漁(実家は漁業経営)の合間を縫っての通院は叔母の負担になっていたはず」と振り返ります。
  1989年、都内に転居。父は介護者、Kさんは母との通訳としての役割を担います。この頃の制度的基盤は、全身性障害者介護人派遣制度1時間1420円で16時間。障害ヘルパー(1時間1200円)でした。Kさんによれば、発症7年目(1991年)から8年目(1992年)にかけて、家族間のストレスが増大したそうです。
  1992年10月、Hさんは呼吸困難になったため、気管切開を行います。翌1993年から呼吸器を装着、在宅療養を開始します。この頃から、訪問看護、夜間の学生ヘルパーなど、他人介護を積極的に導入し、Hさんは身体的に安定期に入ります。
  1999年のKさんは大学進学し、発症から16年目の2000年ごろ、家族はそれほど介護に振り回されることがなくなり、それぞれ自立しました。
  2003年、Hさんは独居生活と介護派遣事業を開始します。これによって、Hさんは経済的自立を果たしました。この頃の制度的基盤は、支援費制度(日常生活支援1ヶ月527時間。移動介護1ヶ月157時間)です。その後、自立支援法(重度訪問介護1ヶ月682時間)と、介護保険を合計して、1日24時間以上の他人による介護を実現しています。なお、Kさんは近く結婚の予定です。
  
  表2
  Sさん(発症時50代後半女性、同居家族、夫、次女20代後半)気管切開による人工呼吸療法(TPPV)へ移行、療養13年目(夫、次女40代同居)
  表2は、Sさんの発症当時夫の仕事の関係で海外にいた長女Yさんから見た、Sさんと家族の推移です。1995年3月、Sさんに歩行困難が生じます。Yさんは母の発症を国際電話で聞きました。Sさんの発症当初は「母の友人のボランティアグループが交代で介護にあたってくれた」そうです。Sさんの場合、病院紹介・かかりつけ医の紹介・訪問看護師との連携は、比較的うまくいったようです。その後、ALSと告知されます。Sさんは身体障害者手帳1級取得し、1日に障害ヘルパー2時間で生活を支えます。それから徐々に、吸引器・ポータブルトイレ・住宅改造などの準備とアドバイスを受けます。このとき、Yさんは一時帰国、12月には帰国して、夫との別居生活になります。
  1995年12月、Sさんは呼吸困難になります。家族の同意で呼吸器装着と胃ろう造設に踏み切り、結果としてSさん本人の意思決定できないままの呼吸器装着となりました。その後、Sさんは筆談が困難となり、PCや文字盤を使ってコミュニケーションをとるようになります。1995年末から1996年初め(2年目)にかけて、Sさんはかなり落ち込み、生き甲斐が見つからないという状態だったそうです。この頃の制度的基盤は、脳性まひ者等介護人派遣事業でした。かかりつけ医は、家族とボランティアに吸引等の医療的ケアを指導し、Yさんと妹で人工呼吸器等の扱いや呼吸リハを訪問看護師のIさんから学びました。Yさんは「この期間に医療的ケアを習熟した」と振り返っています。1997年(3年目)、Sさんの病態が重度化しますが、家族みんなで短歌を詠み、外出支援へと導きます。1998年(4年目)、全身性障害者介護人派遣制度の利用を開始します(1日8時間)。この頃、介護ストレスが最大になりました。Yさんは「介護疲労を訴えるが、解決の方法がない。進行の早さにケアが間に合わない。医療職同士の人間関係のトラブルやヘルパーの定着の悪さにせいで家族は疲弊した」と振り返っています。
  1999年(5年目)、Sさんは、文字盤が読み取りにくくなり、導尿カテーテル留置を承諾しました。一方、介護体制は、特定のヘルパーさんが定着するようになります。2000年(6年目)になると、Sさんは意志疎通が困難になり、病態もかなり不安定な状態が続きました。その影響で、家族が欝だったようです。Yさんは、その不安定な時期を「母に対する殺意が芽生えていた。安楽死合法化に賛成していた」と振り返ります。介護保険が開始され、Sさんは1日2時間分を使っていました。この頃から、Yさんは「規則正しい介護」をやっていかなくてはと考え始めます。2001年(7年目)、Sさんの病態が安定すると、家族も安定し、解放へと向かいます。2002年(8年目)からは、夜勤に学生が入るようになり、ケアが楽になりました。ケアが楽になったことで、家族の健康状態が回復しました。2003年(9年目)、Yさんは自宅で看病しながら介護派遣事業を開始し、経済的問題も解決しました。この頃、Sさんは支援費制度1日12時間を使っていました。
  
  やや乱暴ですが、細かく見てきた2事例の共通点をまとめると、
  1 当然のことながら、ALS療養者の病状が家族に心身ともに大きな影響を与える
  2 ALS療養者が安心して暮らすためには、多くのマンパワーを必要とする
  3 長くなる療養生活の中で、家族介護でストレスが蓄積し、家族関係を悪化させる
  4 家族以外のマンパワーを積極的に使うことにより、家族もまた健康状態が良くなる
  5 家族を支える様々な福祉/医療制度を積極的に利用する
   などが指摘できます。なお、この2事例については、学会発表当日により詳しく説明します。
  
  それでは、調査協力者5名の状況を簡単にまとめます。患者5名のうち4名が長期人工呼吸療法中(LTV)。発症からTPPV開始までの期間は、最短で1年以内、最長は9年です。4家族3名の家族が介護のため退職をしています。居住地は関東4家族、東北1家族です。利用された社会資源には、国、都府県の制度では、特定疾患治療研究事業(医療費自己負担分の一部助成)、医療保険、訪問診療、訪問看護、行政ヘルパー、脳性まひ者等介護人派遣事業、全身性障害者介護人派遣事業、介護保険(ケアマネージャー)、支援費制度、障害者自立支援法があります。市区町村では、行政の保健師、栄養士、ケースワーカーのアドバイス、車椅子などの補装具費支給、地域支援事業、住宅改造(風呂場、段差解消、昇降機設置、トイレ改修、リフト設置)、難病患者等居宅生活支援事業、ボランティア、患者会、町内会があります。患者の乳幼児の支援として保育園、保健所の相談、予防接種、乳児院、児童相談所、一時保育が利用されました。年金・手当てとして、障害基礎年金、特別障害者手当、東京都の場合は重度心身障害者手当。5名の療養者はこれらの社会資源を初期から利用し、地域生活を実現してきました。そして、人工呼吸療法の開始後も自宅で十分な支援を受け続けることができた患者4名のうちの1名が独居を実現し(独居準備中1名)、4家族5名の家族が就労に復帰、1名が結婚しています。
  また、ALS療養者は、進行に伴い複数の制度を利用できるはずですが、支援者の不在、制度の優先順位、併用不可、利用料の自己負担、給付の遅延などにより、利用が制限されることもありました。また、家庭内の乳幼児の世話や児童への配慮が不十分にならざるをえないときがありますが、これら患者の子は介護保障の不十分な地域では、成長に従って介護者として期待されるようになるので、進学や就労の機会を失い自立できないこともあります。子の自立にむけては、親患者への24時間介護保障が必要ですが、明確な対策は今のところありません。発症から呼吸筋麻痺までの期間は、親戚や友人の支援を受けることもあります。しかし、人工呼吸器を装着後は介護もエンドレスになるので、家族の介護負担感は増し、公的ヘルパーの利用が進みますが、その際の支給決定やケアプランをめぐっては自治体の担当者や、介護保険のケアマネ、介護派遣事業所とトラブルが生じやすく、専門職の理解不足が患者家族の最大のストレスになっています。
  資源が散在している地域においては、適切な時期に適切な情報提供がなければ、制度の有効利用ができないので、ALSを良く知る多専門職の連携が果たす役割は大きいと言えます。多くのALS患者にとって「家族の生活を見届けること」が生存理由である点において、家族のQOLの維持は治療継続の決定要因とも言えます。それゆえに自立生活運動の若い障害者と異なり、家族構成員への支援も治療(緩和ケア)の一部として行われる必要があります。やがて、TPPVにより呼吸不全が解消されれば、障害福祉の利用により患者も家族も自立は可能であると考えられます。

  最後になりましたが、本報告は、厚生労働科学研究費補助金障害保険福祉総合研究事業『在宅重度障害者に対する効果的な支援の在り方に関する研究』平成17年度、ALS班分担研究報告書、川口有美子、古和久幸「在宅重度障害者としてのALS患者の実態とニーズに関する研究」pp49-122,をもとに制度利用面の整理を重点的に行ったものです。


UP:20070808 REV:20070905
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