韓国における障害者運動史(1950年〜2007年)
鄭 喜慶 20070916-17
障害学会第4回大会 於:立命館大学
last update: 20151224
◆要旨
◆報告原稿
◆報告原稿(MS WORD 184KB)
◆資料(PPT 4MB)
■目的及び趣旨
今年、韓国では障害者福祉にとって大きな二つの出来事があった。一つは障害者差別禁止法(以下:障差法)が批准されたこと、もう一つは障害者福祉法が改正され、韓国最初の法律に基づく重度障害者介助サービス支援事業が始まったことである。二つとも、歴史に残ることで、これから障害者の生活に大きな変化をもたらしてくれることでもある。
7年間、障差法制定のために闘争して来た障害者差別禁止法推進連帯(以下:障推連)は3月6日、論評を通じて「体と心を持って障差法を歓迎する、これから本当にこの社会から障害者に対する差別が無くなれることを願う」と発表した。(障害者差別禁止法推進連帯ホームページ) 韓国の社会で差別と抑圧、そして偏見と戦ってきた、障害当事者が長年持っていた念願が叶ったことであり、これから明るい未来の始まりであると私は信じている。(また、乗り越えるものが多いはずが)
私は今年、大学院に入ったばかりである。自分の背景としては2001年から現在まで日本から韓国に入って来た重度障害者自立生活運動にある時、通訳者として、ある時には活動家として深く関わってきた。そして、現在私は90年代後半から07年までの韓国障害者運動史を研究テーマとしている。個人として韓国の障害者運動史を知っておくことは基本であり、そして、その運動史を全然知らない日本に披露するのは今、ここにいて日本と韓国の架け橋の役割を果たして来た私の役割だとも思うので今回学会での発表を希望するのである。
■内容
目的で書いたように私は、韓国の社会的な背景と個人的な背景をもった韓国人である。あるきっかけを通じて、韓国障害者運動の歴史をすでに整理して見た。はずかしながら、私は韓国障害者運動の歴史より日本の障害者運動の歴史を先に知ったので反省しながら、日本の歴史と比較しながら韓国の障害者運動史の整理に臨んだ。
そして、近いということで社会的に文化的に日本と韓国がお互い影響し合えたはずなのに、90年代後半までほとんど障害者同士で交流がなかったことにびっくりした。そして、日本と韓国の障害者運動史が全然違う特徴を持っているのにも気づいた。
まず1点目は、重度障害者運動が多かった日本に比べて、最近まで韓国では重度障害者運動がほとんどなかったこと。2点目は70年代から国の政策に関心を持ちながら組織的に運動してきた日本と比べて、韓国はその時、時、起こった個人的な事件の解決に終わってしまい社会化しようとはしなかったこと。3点目は、日本では重度障害者が家族の負担から抜ける方法として選択したのが命をかけて自立生活することであった。そして、そこから生まれたものがヘルパー制度であり、年金制度であった。しかし、韓国では家族の負担から抜けるために選択したのは宗教であった。プロテスタント教会が多いという社会的な背景から、重度障害者たちは宗教に依存し恩恵と同情に囲まれ、教会関係者や慈善事業家たちが作った零細的な施設に入ることが多かったことなどである。このような、歴史的に違う特徴を持ちながらようやく日本と韓国の障害者たちは90年代後半から交流を始め、お互いに影響を与えているのである。
このように調べた内容を韓国の年代別に分け、今回の学会でポスター発表をしたいと思う。まず、簡単な構成は次のものである。
1.戦争を経験し国民全体が生きることさえ感謝していた50年代を書く。
2.実際的な運動はなく、個人的に起こったことを解決するために社会的にキャンぺーン活動で終わってしまった60年代と70年代を書く。
3.独裁政権に反対し、民主化運動の影響をうけた、障害者運動が誕生した80年から86年までを書く。
4.青年障害者を中心とした、進歩的な障害者運動の胎動である87年から93年を書く。
(障害者オリンピック反対運動、障害者福祉法と障害者雇用促進法の制定運動など)
5.国から制度は作られるが当事者運動は沈滞期であった93年から2000年までを書く。
6.自立生活理念を通じて、歴史的に初めて運動の現場に姿を見せた重度障害者たちの活動によって韓国の社会で障害者福祉構築の転換とパラダイムの転換を及んだ2000年以後を書く。
■結論
草の根から始まった、日本と韓国の交流はすでに、10年を超えている。この10年間ずっと韓国は日本からいろんなことを学んできた。その結果、障害者を囲んでいる韓国の制度や社会の認識が大きく変わって来ている。しかし、ここに来て日本が韓国から学ぼうという動きが出ている。その理由は、差別禁止法を作り上げた推進力と活発な若い障害者リーダーの運動による。これからも、お互いに大きく影響を与えながら障害者福祉はもっと進んでいくだろう。以上のことから、これまであまり知られてなかった韓国障害者運動史に一回でも触れておくことは、知識としてもよいことではないかと思い障害学会での発表を希望するのである。
■報告原稿
韓国の障害者運動の歴史(1950年―2000年)
鄭喜慶(ジョンヒギョン) 立命館大学大学院先端総合学術研究科
目的:
韓国では2000年から本格的に日本よりアメリカ型の自立生活運動が入った 。自立生活の運動は重度障害者の運動である。そのため、運動の主体が長年間運動を続けてきた軽度障害者から重度障害者に変わり、韓国障害者福祉に大きなパラダイム転換の契機となった。自立生活理念は、短期間で重度障害者の心に火をつけ、時には過激で、時には話し合いをするなど大きく運動を展開してきた。その運動の結果、今年、大きな2つの出来事があった。一つは差別禁止法が制定されたこと、もう一つは障害者福祉法が改正され韓国最初の法律に基づく重度障害者の介助サービス派遣事業が始まったことである。今回はここに至るまでの韓国障害者運動を時代別に探ってみることにする。
対象
韓国の資料を日本で探すのには限界があった。まず、50年代から85年までの資料はソウルDPIで「障害者青年学校 」というプログラム資料集をインターネット上で検索し、参考とした。また、他の当事者団体のHPでそれ以外の情報を得ることができた。86年から98年の資料は、ウリント の活動記録集と障害者ハン(ひとつ)家族活動記録集 (2つとも非売品)の製本したものを韓国から送ってもらい参考にした。最後に98年から最近までのことは、報告者の経験、障害者各団体HP、http://www.ablenews.co.kr/ などを参考にした。
1. 1950年代 (6.25事変 で国民全体が飢えている時期)
50年から53年まで、戦争と休戦を経験した国民全体は貧困の時期であった。特に障害者の状況は79.1%が下流層、17.1%が中流層で、96.2%が絶対貧困を占めしている。すでに1948年制定された憲法第19条は、「老齢、疾病など労働能力がない人を法律によって国家から保障がえられる」という韓国で最初の成文化された法令である。しかし、戦争とともにこの法律は有名無実でなってしまった。50年代の社会福祉の特徴は、傷痍軍警に対する援護事業が中心である。これは、反共を国家の施策とすることによって軍の士気を高めるためと、政権の構築及び強化という政治的な背景があったためである。具体的な内容をみると、1949年大統領令傷痍軍人と遺家族保護、その他軍事援護の支援、1951年傷痍軍人のための最初の施設、静養園を開所、1953年、年金支給開始、その他、傷痍軍人専用バス、無料乗車券支給、職業組合、教員養成所、軍加算点の付与などがある。
2. 60〜70年代 (実際的な障害者運動はなかった時期)
朴 正照政権について触れておきたい。朴 正照将軍は、1961年軍事クーデターを起こした。以後18年間に渡り、経済、政治、社会、文化の全般に対する統制と抑圧で、国民を統治した。朴政権の経済が発展したため、資本主義が広がった。また、貧困から脱出のために、経済的な活動に力をいれた。その時に、力を入れたことが紡織工場と高速道路つくりなどがある。また、セマウル運動(「新しい街づくり」)を全国的に行い、道路の整備と家の建て直しなどにより、全般的に国民の生活はよくなった。また、社会福祉に対する制度的な枠も整備された。しかしこれも、軍事政権の道徳的な正当性を確保するためにすぎず、現実的には執行力を持つことは出来なかった。この時代も、傷痍軍事に対する福祉が特徴的に発達したため、障害者の運動などは存在しなかった。また、障害予防関連の新聞記事(朝鮮日報 68.9.27)では「小児麻痺予防接種は予算の事情で新生児だけに、それも農村50%、都市100%程度が予防接種の対象者である」と説明している。 また、その時期に誰も関心を持っていなかったが、国は早く時期に国民優生法 を制定し、悪性因子を早く逝去するべきであると警告した(京郷新聞 69.9.29)。「国民優生法のもとで悪性因子を持つ人は結婚禁止、子供産めないように規制するべきだ」と新聞に記述してある。これは、障害者に対する社会の考え方を端的に見せている。社会問題としては、障害を理由で入学拒否されたケースがある。小児麻痺学生の体力試験で不合格(67年)と視覚障害者が、障害を理由とされ、大学試験(デザイン学部)で不合格(70年)になったことである。このような入学拒否は、社会的な関心を呼ぶ時に限って個人的に救済されるが、制度を改善することまでは至らなかった。そして、個人としての「不具者」はあったが、社会現状と集団としての「障害者」は存在しなかったのである。また、この時期の障害者運動の中心は、障害当事者ではなく、親や福祉関連専門家と医療関係者である。
3. 80年〜86年(大衆的な障害者運動の誕生期)
1980年、全斗換将軍が5.18光州抗争 を残酷に制圧し、1981年には全斗換政権が誕生するのである。福祉国家と自律などを前面に出して政権は出発するが、これも自分たちの政権を正当化するためであった。そして、国連「障害者の年」の影響をうけ、1981年4月20日に韓国では第1回「心身障害者の日」が定まり、81年6月5日には「心身障害者福祉法」が制定される。これは、光州抗争で失った民心を得るため、「福祉国家具現」という計画を出した結果である。この時期、韓国の社会運動は学生、市民、反独裁などの民主化運動が盛んであった。その社会運動の影響を受け、障害者の運動にも変化か見えた。
80年代前半は、障害者問題解決が一部の宗教(教会)家や社会事業家らによる救済運動や、募金活動のよる教育施設や小規模受容施設の活動が多かった。88年、南部障害者福祉館の調査によると調査対象者2,526名中1,776名(70.3%)が「宗教を持っている」と言うことで、障害者が主体的に生きるより、宗教を志し、依存する傾向が見られた。特に教会の障害福祉に関する多くの活動は、結局、障害者を同情や、慈善の対象にしか見られなかった。 今日における社会福祉イデオロギーの形成において、愛や同情、規制と保護と言う枠を抜けられない直接的な原因でもある。特に、重度障害者たちは、家族の負担から抜け出るために、この時期に多数作られた非認可施設に入所した。来世信仰に依存してしまい、重度障害者が運動の場に姿を見せなかった大きな原因である。
また、多様な障害者団体結成(DPIなど)、障害問題研究会ウリントが障害問題を制度内の問題を超え、変革の運動として革新した最初の組織として評価された。障害者の日が制定(4月20日)され、その日には各種イベントなどがおこなわれ、国の行事として定着した。
障害者を巻き込んで起こった事件には、以下のものがある。まず、障害を理由として司法研修後法官に落ちることで、それに反対する運動が全国に広がり、救済されたことがある。別のケースは、「道路に段差をなくして欲しい」と留書を残して、飲毒自殺した事件である。これも、障害青年学生たちが葬礼式闘争をし、ソウル市長はソウル市内の道路に段差をなくすことを約束したのである。この道路に段差をなくす運動は、障害者移動権問題を提起した最初の運動である。障害問題を個人の問題ではなく社会問題化した始まりである。これは、社会的な認識を根本とする、組織的な抵抗の誕生だとも言える。
4. 87年〜93年:青年障害者が中心とした進歩的な障害者運動の時期)
87年には全斗換の独裁政権が終わり、新しい政権の誕生時期を迎えるが交代されるその政権も軍人政権が予定されていた。市民団体と学生たちの闘争は、87年6月の抗争で最高点に至る。また、労働者大闘争なども社会変革運動に大きな影響を与えた。このように、障害者運動は様々な社会変革の運動から影響をうけ、障害当事者も自分たちが主体になり、社会を変革しようとする進歩的な団体が結成された。特に、青年障害者団体であるウリントの運動方式は、今までの運動組織と違って組織力と闘争方式を持ち、社会に向けて障害者問題を発信したのである。また、理念として民主主義と社会主義を基本としていたので、他の社会運動分野と同じような一領域として、つまり「障害者領域」として認められるのである。そして、障害者オリンピック拒否闘争によって、国が障害者問題に関心をもつようになったこと、障害者雇用促進法と障害者福祉法の制定運動が87年12月30日に国会を通過するなど、大きな成果をあげたのである。障害友権益問題研究所 は、李聖在弁護士らが中心になり結成した。そのため、学会や法曹界の人脈が動員され、社会的な影響を拡大しながら政府の窓口の役割として、他の社会市民団体と共に上昇気流に乗った。
5. 93年〜2000年:進歩的な障害者運動の大衆化の努力と停滞期
90年代に入り韓国の社会は、政治的な面でも経済的な面でも安定期に入った。障害者オリンピック拒否闘争、障害者雇用促進法と障害者福祉法の制定運動で大きな力を発揮してきたウリントの運動が社会主義崩壊により、理念と活動方式に変化を求める時期となるが運動の理念を失ったこと、そして運動の主体である障害当事者の不在で、92年ウリントの解体とともに、障害者運動は停滞期に入る。一方で、障害友権益問題研究所の理事であるキムソンゼ氏が国会議員になり、本格的に障害福祉に関する多様な法が制定された。しかし、法の制定には障害当事者の意見は積極的には取り入れられなかった。また、福祉の予算が増え、施設が飛躍的に建設されるが、施設を通じた支援のゆえに当事者の生活に直接大きな影響をおこすことはなかった。
90年代後半から、新しい運動の理念と目的を探すことがなされ、そこで重度生活障害の自立生活運動と出会うのである。
6. 2000年から07年まで(重度障害者の出現)
日本から「アメリカ型 の自立生活運動と自立生活センター運動」が入り、自立生活理念を基本とする運動が始まった。すでに国内では、90年代に運動の理念を失った障害者たちがアメリカの自立生活運動と出会い、その理念と運動について勉強を始めていた。一方日本では、JIL(日本全国自立生活センター協議会)が自立生活運動をアジア、特に韓国に広める計画をしていた。その両国のニーズが合致し、積極的な交流を始まった。そして、自立生活理念を広げる手段として、ピアカウンセリングを選択した。2001年、正立会館 で開催したピアカウンセリング講座は、大成功した。講座に参加した70人のうちからから10人を選び、日本へ研修に行った。研修に行った重度障害者たちは、自立生活を始めるロールモデルとなり、自立生活センターを作ったりした。施設や自分の知り合いに声をかけるなどおこない、その影響力は大きなものであった。やっとここで90年代後半まで、運動の歴史に一度も姿を見せなかった重度障害者が、社会に出始めたのである。また、ソウルDPIは障害青年学校を開催し、毎年50人くらいの重度障害者を育成した。彼らにより、移動権問題、介助問題、脱施設運動、自立生活運動、権利条約、差別禁止法などについて全国的なネットワークを形成し、組織的で多様な運動となった。さらに、国際的な連帯も強くなった。また、この時期は、進歩的な労働運動と手を組み、もっぱら激しい闘争をする移動権連帯 の運動がおこなわれたことも、大きな特徴のひとつである。この移動権連帯は、交通アクセス運動を展開し、大きな成果をあげてきた。
重度障害者の出現は、医療モデルから社会モデルに変わる障害者福祉のパラダイムの転換である。争点として、まず介助サービスの時間の拡大、自己負担をなくすことである。二点目は、重度障害者労働権である。これは重度障害者の就労の場をつくること、勤労支援である。三点目は、来年から実行される差別禁止法の定着である。差別がおこなわれる前に差別を防止することで、国民全体と社会全体が成熟することを望んでいる。
まとめ
韓国障害者運動の歴史は長年、軽度障害者中心の運動であった。80年代後半まで、それなりの運動と評価はあったが、障害者の問題を社会問題として、社会を変革するところまでには至らなかった。重度障害者のための入所施設が少ないため、家族とともに生活するしかなかった。さらに社会的支援がほとんどなく、家族の負担が大きかった。結局、家族の負担から逃れるために、カトリックの宣教師と慈善事業家たちが作った非営利施設に入所した。そこで、恩恵と同情に囲まれながら宗教に依存したため、重度障害者が運動の場に直接姿を見せなかったのである。2000年代に入り、ようやく重度障害者は自立生活理念の元で、自らの声を出すことになる。その大きな手段となったのが、ピアカウンセリングである。当事者主義と当事者主権の意義を伴った重度障害者の活動は、韓国障害者福祉の構造 を変え、障害者の生活に大きな変化を与えてくれたのである。
考察
80年代半ば組織的な社会変革運動を経験した軽度障害者は、90年代後半運動の目的と主体の不在により、運動の沈滞期を経験する。運動の目的とその方法を模索していたが、軽度障害者たちは、ある一冊の本の中で「自立生活理念」と出会う。そこでようやく、新しい運動方法と軽度障害者としての役割を認識する。重度障害者が、直接地域と関わる場をもうけた。また、80年代の経験に基づく組織的な運動方法、組織の作り方、連帯などを重度障害者に教え、サポート役を果たした。このような活動をおこなうなかで、自然に重度障害者が運動を続ける背景が作られた。その世代交代が順調にいったため、重度障害者はある程度整備された環境で運動をおこない、短期間で大きな成果を挙げることができた。今後も韓国では、重度障害者による当事者運動は、継続されるであろう。
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