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アスペルガー症候群の当事者研究

綾屋 紗月・熊谷 晋一郎 20070916
障害学会第4回大会 於:立命館大学

last update: 20151224

 綾屋 紗月熊谷 晋一郎
 *Joint Attention of Minorities (JAM)

◆要旨
◆報告原稿

■要旨

【背景】
 自閉症は初め、環境(母親)に原因があると考えられたが、徐々に生まれつきのimpairmentであると認識されるようになる。そして impairmentの内実は『社会性の障害』だとされている。
 しかしそもそも、この『社会性』というものは自明な概念でもなければ、本人のみに原因を帰結できるものでもない。自閉観の変化は、まず母を、次いで社会 を免責したかもしれないが、それと同時に言葉を持たぬ本人への過剰な帰責を生み出してはいないか。例えば通説とされるアスペルガー症候群の記述は以下のよ うなものだ。

1.社会性の障害
 集団生活の場面で『場の空気』が読めず、適切な『状況の判断』が出来ないという特徴を示す。馬鹿正直で相手の気持ちに合わせた会話が出来ないため、人間 関係でトラブルを起こしやすい。悪意なく相手を傷つける率直過ぎる発言をしてしまったり、状況に不適切な無礼な振る舞いをして顰蹙を買ってしまったりす る。基本的に、相手を見て態度を変えるような裏表や悪意は殆どないが、柔軟性が乏しく場面にふさわしい対応が出来ない性格行動パターンである。

2.言語的コミュニケーションの障害は軽微である
 語彙の豊富さ表現の難解さでは健常者以上の知的水準を見せることもあるが、記述された文字や発話される言語を一義的に理解している為、言語の多義性やメ タファー、ウィット、ユーモアなどを適切に理解することが出来ない。語彙が異常に豊富で、難解な言い回しを好む場合には必要以上に回りくどく精密で細かい 表現を使ってしゃべる傾向がある。注意されている時などに、一方的に精密な言葉を駆使して言い訳をしようとしたり、相手の気持ちに一切配慮せず自分の気持 ちや欲求だけをぶつけるコミュニケーションをすることもある。

3.こだわり行動への固執性
 一定の手順でパターン化された生活リズムを好む傾向が見られる。生真面目過ぎて硬直的なルールや決まりに従い続けるような頑固さを見せることがある。
 当事者自身の内部感覚からではなく、表面に現れ出る「表出」を記述しているに過ぎず、悪意すら感じるほどだ。ここでは、特定の文化圏における多数派の感 情規則や行動・表出ルールが、不変項として暗黙のうちに前提とされている。このような自己像を本人が取り込む結果、本来相互行為であるコミュニケーション における「摩擦」が、本人の責に帰せられやすくなる。
 かといって、「社会性に障害がある自分を承認せよ」という主張は、社会性の定義が曖昧なままでは、常に反動的な身振りに与してしまう。そもそも「社会性 に障害」があるとされる他者に対して、多くの人は共感する糸口を見つけることができない。

【目的と方法】
 当事者自身の内部感覚から出発して、新しい自閉観を記述し直す。そして、学問的主流ではないものの、当事者の感覚をより繊細に説明つけるものとして、感 覚統合理論、iSTART model、現象学や生態心理学を援用する。

【結果と考察】
 「感覚から行動へのまとめあげがゆっくりで丁寧」な状態として、すべての内部感覚を論理的に跡づけた。行動的意味づけが未だなされない感覚は、過敏にも 鈍麻にもなる。従来の診断基準では、第三者が「客観的に」判定できないという理由だけで二次的基準とされていた『感覚過敏』などの内部感覚は、ここでは一 次的基準に位置づけられた。これらの量的大小は、疲労などに影響を受ける。
 次に、まとめあげを急かし、邪魔するものとしての「ものや人からの煽り」が重要であることが分かった。刺激のまとめ上げには、同時に刺激の取捨選択を行 う必要がある。刺激の多い場所では、ノイズをフィルターするのに多大な労力を要する。
 この、煽りの観点から、現代社会におけるコミュニケーションというものを見てみると、障害を感じやすい空間と感じにくい空間との差異が浮かび上がってく る。たとえば、幼児とのコミュニケーションや、当事者同士の空間では困難を感じないが、初対面での自己紹介などは著しく困難だ。一般的には、穏やかだが、 表出から行動的意味(情動)をとりやすい感情公共的な空間の重要性が示唆された。


【まとめと展望】
 「社会性」などという唯一無二の空間に皆がいつも住んでいるわけではない。かつて、音声言語によるコミュニケーション空間が暗黙のうちに前提とされてい たがために、同化的な圧力にさらされたろう者が、「言語とは何か」という問題を立て直したときのように、「コミュニケーション障害」と stigmatizeされる私たちは、「コミュニケーションとは何か」と問い返すことにしよう。そこでは社会学的な理論が援用できるかもしれない。かつて ろう者が、耳鼻科学ではなく言語学を援用したときのように。それによって初めて、自閉圏とされない人々も深く共感可能な自閉観が浮かび上がり、違いは質的 なものではなく量的なものだということが実感しやすくなるだろう。(2,000字)


 
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■『アスペルガー症候群の当事者研究』読み上げ原稿
 2007年9月16日第4回障害学会報告

 綾屋紗月 熊谷晋一郎
 Joint Attention of Minorities (JAM)

*番号はスライドに対応

1.綾屋紗月と熊谷晋一郎と申します。発表タイトルは「アスペルガー症候群の当事者研究」です。よろしくお願いします。

2.「自閉症」という概念の歴史的推移を簡単にご説明しますと、はじめは母親の養育方法が不適切であることを原因とする『母原病』とみなされ、その後『生まれつきの言語的コミュニケーション障害』とされ、やがて現在のように『生まれつきの「社会性」の障害』とされるに至ります。しかし、ここでいう『「社会性」の障害』という概念が問題です。なぜ、心を理解しあえない理由を、一方の障害のせいにできるのでしょうか。これが今回の発表における問題提起です。
例えばアメリカ人と日本人、聴者と聾者との間で、コミュニケーションのすれ違いがおきるときにはどちらか一方に原因があるのではなく、相互の身体的・文化的差異が原因だと分かるはずですし、今回でいえば、健常者は自閉症とされる人の意図や感情を読めているのか?という問いが生じてくるわけです。

3.これをふまえて、本報告の全体構成は以下の二つに要約されます。
一つ目は、現在のような「社会性の障害」という概念は仮定せず、当事者の内部感覚から自閉を記述しなおすこと。二つ目は、多数派コミュニケーションにみられるわかりにくさの指摘です。ではさっそく、前半の内容、内部感覚から「自閉」をとらえ直しましょう。

4.自閉症の内部感覚の特徴は、大きくいって二つに要約できると考えます。
一つ目は、『@体の内側からの感覚が分かりにくく、行動に結びつきにくい』という特徴。二つ目は、『A体の外側からの感覚への意味づけや取捨選択がしにくい』という特徴です。まず、一つ目の特徴について、空腹感を例にとって見ていくことにしましょう。

5.私には「あ、おなかがすいた」と、すぐにはわかりません。空腹を感じる前にはまず、いくつかの心や体の感覚が現れてきます。例えば「ボーっとする」「動けない」「いらいらして悲しい」などです。しかもその原因もすぐに分かりません。そのため「具合悪いのかも」「本の読み過ぎかも」など、いくつかの仮説が現れては消えていきます。

6.その状態を図示するとこのようになります。たくさんの「何々かも」という仮説が、亡霊のように出てきては消える状態。この状態を『かもの亡霊の乱立期』と呼ぶことにしましょう。

7.このような乱立状態でボーっと待っているだけでは、なかなか「おなかすいてるかも」を選ぶことができません。そこで私は日常的な処方箋として、経験や知性や時刻などを用いて、1つの仮説を選んでいます。
多くの人が意識せずに自然にできるこの選択・確定する作業を、私たちは頭を使って一つ一つ考えながら行っているわけです。これは思いのほか疲れる作業です。自閉の当事者間では、よくこのような情報処理の仕方を「手動」と言います。

8.図示すればこのようになります。乱立するかもの亡霊たちに、手動の処方箋、例えば「あと15分でお昼の時間だ」を切ることで、徐々に絞込みが行われ「おなかすいたのかも」が確定するのです。

9.このようにして、なんとか「おなかすいたのかも」が選択・確定できました。しかし、次にすぐ「食べたい」という行動への欲求が起きるわけではありません。「このままじゃおなかがすき過ぎて動けなくなっちゃうなあ」と思いながら何も行動できないという状況におかれるのです。

10.これを図示すると、「おなかすいたのかも」が確定してから「食べたい」という行動への昂ぶりが生じるまでの時間が、人よりとてもゆっくりなわけです。このように、「何々したい」というような行動への昂ぶりがなかなか立ち上がってこない状態を、『したい性の遅延』と呼ぶことにします。

11.この『したい性の遅延』に対する手動処方箋も、時刻で決めて「12時です。食べます。」などとルール化するというものです。このように、自然の昂ぶりではなく、頭で考えて「『このように行動する』と決めた気持ち」を、「します性」と呼びます。

12.このようにして何とか「食べます」が確定しました。しかし次に、具体的な行動に移す段階になって、「何をするのか」をいくつもの行動の選択肢から選択・確定できない状態が生じます。例えば「何を食べるのか」「作るのか、買うのか」「どこで買うのか」などです。この状態を、『行動のフリーズ』と呼びます。
これに対する処方箋は次のようなものです。候補を絞り込んでもらうという人的アシストや、慣れた店に行くなどの物的アシストがあげられます。
このように、多くの人が無意識に解決できる『かもの亡霊乱立期』『したい性の遅延』『行動のフリーズ』の1つ1つに対して手動の処方箋を常時切っていきます。その結果、何とか「食べる」という行動決定ができることになります。

13.ではもしも、このような手動の処方箋を切らないでいると、どのようになるのでしょうか。「おなかすいたのかも」の状態のまま、気がついたら朝昼2食抜きになって、ぎりぎりになってからようやく「食べなきゃ死ぬ」という追い詰められたしたい性、これを「せねば性」と呼んでいますが、これが立ち上がってきてパニックになるのです。冷静に行動選択などできない命がけの状態です。これを未然に防ぐために、手動処方箋は必須なのです。

14.これまでお話してきた状態について、著名な自閉症当事者であるドナ・ウィリアムズが語っているのでご紹介します。
「空腹感や痛みや疲労や寒さについても、どれも、なかなか感じることがない。さもなければ、そうした感覚が極限に達してから、やっと感じるのだ。」

15.さて、日々このような手動の経路を使うのは大変です。そこで私は、スムーズに行動ができた時には丸ごと学習し、恒常的に使えるようにルール化して、そのルールを次々にインプットしていきます。いつもと同じ慣れた環境の下では、このルールどおりに動くことでスムーズに生活することができます。このような状態を、『ルール化した自動経路』と呼びます。逆に、新しい場所に出かけ、環境の変化によってルールが使えない場合は、大変動揺し、混乱することになります。なぜなら「この感覚の時にはこの行動」と1対1で結びつけておいたルールが壊れることで処方箋がなくなり、改めて、たくさんの選択肢から考え抜いて、ひとつの行動を選ぶところから始めなくてはならないからです。

16.ここまでをまとめます。体の内側から来る感覚を、行動につなげるための経路には3つあります。一つ目は、自然に沸き起こる「何々したい」という欲求にまかせて行動を決める『自然経路』、二つ目は経験や知性や記憶から、試行錯誤し、考えて行動を決めていく『手動経路』、三つ目は習慣やルールによって半分無意識的に行動する『自動経路』です。そして、自閉症では『自然経路』の働きがゆっくりであるために、『手動経路』や『自動経路』を多用する傾向にある、と言えます。

17.次に自閉症内部感覚の、二つ目の特徴、『A体の外側からの感覚への意味づけや取捨選択がしにくい』状態について述べます。

18.まず、先ほどお話したドナ・ウィリアムスの言葉を紹介しましょう。
「世間には、「意味が聞こえていない」という障害もあるという概念が、まるでなかったのだ。それは結果としてみれば、耳が聞こえていないのと同じことになるだろう。だがその人に聞こえていないのは、音ではなく、音の意味なのだ。 」

19.五感を通して体の外から入ってくる感覚の情報処理方法を述べますと、
まず初めは、身体感覚・心理感覚と直結した『刺激』の段階です。入ってきた刺激は、その意味を知る以前に私の体に大小さまざまな身体変化を引き起こし、気持ち悪い・落ち着く・恐怖心・安心感などの様々な心理変化をおこします。このときは、聴覚情報、視覚情報ともに、鮮やかで生々しい刺激として感じられます。
次に、刺激から意味を抽出する段階があります。意味抽出には「プロフィール抽出」「アフォーダンス抽出」の2つがあります。意味を抽出されると、刺激はその鮮烈さを失い、身体感覚・心理感覚も弱まる傾向があります。では、二つの意味抽出について説明しましょう。

20.まず、「プロフィール抽出」についてです。これは、外界のモノたちが、自分は何者か「自己紹介」するような段階です。リンゴであれば、『赤い』『丸い』『青森産』『蜜入り』など、バナナなら『黄色』『長い』『南国』などです。つまりそのモノに対して私が持っている記憶のリストが立ち上がる状態です。

21.一方、「アフォーダンス抽出」とは、モノたちが、『こうしてみる?』と「自己主張」する状態です。私に対して行動の選択肢を提示し、行動を促します。例えばリンゴなら、『食べる?』『ウサギに切る?』『絵を描く?』などを主張しますし、ミカンなら『むく?』『並べる?』『食べる?』などです。私は乱立するこれらの行動の選択肢から、ひとつの行動を選択することになります。まず、バナナが消え、ついでミカンが消え、残るリンゴのうち『食べる』が選択されて「リンゴを食べる」という行動に至るのです。

22.このように、外界からは、数多くの刺激や、プロフィール、アフォーダンスが、情報として絶えず洪水のように入り込んでくるので、そのままでは混乱してしまいます。そこで、現在の自分の文脈すなわち、「したい性、します性、ルール」に従って、必要な情報を取捨選択する必要があるのです。

23.しかし先ほど述べたように、自閉症ではしたい性による自然な取捨選択がうまくできないので、ルールに頼って情報の取捨選択をすることになります。ルールが厳密に適応できるためには、よく知る慣れた刺激に囲まれた変化のない環境が必要です。この環境をニッチといいます。したがって、初めていくような場所では、意味の抽出自体が難しかったり、抽出できても取捨選択できずに混乱しがちです。このような混乱を『感覚飽和』という言葉で呼ぶことにします。

24.『感覚飽和』 とは、入ってくるたくさんの感覚が頭を埋め尽くして身動きが取れなくなる状態です。例として、視覚情報で頭が埋め尽くされる「視覚飽和」と、聴覚情報で頭が埋め尽くされる「聴覚飽和」について述べます。視覚情報よりも、聴覚情報の方が、意味を抽出するのが得意な私の場合、視覚飽和と聴覚飽和の内容は違います。

25.視覚飽和の状態では、向かって右の写真のように、明暗のコントラストが強くなります。雪からの反射が強いゲレンデにいる時のように目がくらみます。奥行きも分かりにくくなります。詳細までスナップショットのように記憶されます。

26.つまり視覚飽和とは、意味を抽出する前の、生々しい刺激の段階で処理ができず気持ち悪くなる状態です。私の識字障害も、同じような理由によるものです。

27.他方聴覚飽和では、モノが自己紹介をしている『プロフィール抽出』の段階で情報があふれかえります。その結果、わかるものによって頭の中を埋め尽くされて気持ち悪くなります。意味は抽出できても、情報の取捨選択はできない状態といえるでしょう。

28.例えばファミリーレストランなどでは、店員の声や、お客さんの声、BGMや物を壊す音など、たくさんの「何者か分かる音たち」が常時なだれ込んできて、気持ち悪くなります。このような中で特定の会話に集中したりするのは大変なことです。

29.2つの感覚飽和についてまとめますと、聴覚飽和・視覚飽和のどちらも、意味抽出や取捨選択がゆっくりであるという意味では同じですが、視覚飽和はわからないものでいっぱいになり、聴覚飽和はわかるものでいっぱいになるという点が違います。また、疲れや情報過多による最悪の状態だと、視覚・聴覚共に、意味以前の情報が、痛みとしてしか感じられないレベルに落ちます。

30.感覚飽和について述べた、ドナ・ウィリアムズの文章を引用しましょう。
「部屋の明かりが、痛いほどまぶしい。アドレナリンが血管中を駆けめぐり、音という音が、屋根さえ突き抜けていってしまったよう。耳には、脱脂綿を詰めているのに。」

31.以上で、自閉症の内部感覚の二つの特徴について述べ終わりました。これを踏まえて次に、自閉症者が必要とするアシストの条件について述べます。まず二つの特徴のうち、『@体の内側からの感覚が分かりにくく、行動に結びつきにくい』という特徴に対して必要なアシストは、『急かさず、先回りせず、否定もせず、ゆっくりまとめあがる「したい性=主体性」に寄り添い尊重すること』です。これを、『主体性の原則』と呼ぶことにしましょう。二つ目の、『A体の外側からの感覚への意味づけや取捨選択がしにくい』という特徴に対して必要なアシストは、『穏やかな雰囲気で、しかし明確に、自己情報の開示や行動の選択肢を提示してくれること』です。これを、『公共性の原則』と呼ぶことにします。この2つの原則は、人的アシスト、物的アシストの両方にあてはまります。

32.では次に後半の、U.多数派コミュニケーションにみられるわかりにくさの指摘にうつります。

33.そもそもコミュニケーションとは何でしょう。前半で私達が作って提示してきた新しい用語を使って、説明してみます。コミュニケーションとは、まずAさんの表出を、 Bさんが刺激として受け取り、そこから「相手はどういう状態か」というプロフィール抽出や「どう応答すべきか」というアフォーダンス抽出を行います。Bさんはその時の文脈、すなわち『共有されているルールやしたい性』をもとに抽出や情報の取捨選択を行い、自分の表出を決定します。そのBさんの表出に対して Aさんは、同じような情報処理を行い、循環していく中で、次第にしたい性、ルールの共有が深まっていき、コミュニケーションはスムーズになって行きます。

34.これまでコミュニケーションについては、自閉症者たちに問題があるとしてまなざしを注いできたわけですが、逆にふつうの人たち・健常者に問題は本当にないのか、を見ていきましょう。

35.社会学者の北田暁大氏は、近代の若者のコミュニケーションについて、他者と価値観(考え方、ルールやマナー)を共有するという意味の「秩序の社会性」が弱まっていること、そして、空気を読み、首尾よく他者とのコミュニケーションを継続していくという意味の表面的な「つながりの社会性」が強まっていることを指摘しています。
 この理由は、社会がさまざまな考え方に細分化されたこと、また人々のおかれる環境が次々に変化していくようになったことにあります。人々は、ルールやマナー、常識を共有しにくくなってしまったため、同じ動きをしたり、同じ言葉を言ったりすることで、場当たり的に感情やしたい性を共有する「つながりの社会性」を得ようとしているのではないでしょうか。

36.「自然経路」の働きがゆっくりである自閉症者では、「秩序の社会性」において、ルールや考え方といった「自動経路」を主に使っていると考えられます。それに対し多数派は「つながりの社会性」において、感情やしたい性といった気持ちの昂ぶり、言わば「自然経路」で主にコミュニケーションをとるのでしょう。
「つながりの社会性」を継続させるためには、「ルール」や「考え方」に比べると消えやすい、「感情」や「したい性」を、高くキープし続ける工夫が必要になります。その工夫として、『煽り合い』と『察し合い』の二つが指摘できると思います。

37.『煽り合い』で継続させようとする例としては、飲み会の席。これは表出や行動を共有することで「場の空気」とも呼ばれる集団感情を高くキープするわかりやすい例だと言えるでしょう。

38.一方『察し合い』で継続させようという例としては、恋愛関係のような『親密とされる』関係があります。本当の気持ちをわざと隠して雰囲気だけを漂わせ、その内面を見ぬいてもらった時に「黙っていてもわかってくれる!」というつながりの確認をする。隠しておくことで、感情やしたい性を悶々と高め続ける工夫でしょう。

39.専門家はこの「つながりの社会性」が希薄であることを以って、自閉症者に『社会性の障害』とレッテルを貼っている節があります。
 しかし私達は「秩序の社会性」によるコミュニケーションを用いているとき、つまり、他者とルールを共有し、いつもと同じ生活が繰り返される時、『自動経路』で人と交流ができ、障害が消え、安定して過ごすことができます。ということは、時代とともに「秩序の社会性」から「つながりの社会性」へ、コミュニケーションのあり方が変化したために、私達に障害が現れてきてしまったとは考えられないでしょうか。

40.私が心地よいと思う「秩序の社会性」によるコミュニケーションが十分に尊重されず、これら、「つながりの社会性」のコミュニケーションについていけないことをさして「社会性の障害」とされるのには異議があります。このようにして、社会の持つひずみの部分までをも、個人の病気や障害のせいにすりかえてしまおうという状況(『心理学化する社会』)は避けねばなりません。その具体的な実践として今回は、社会性の障害からは出発しない自閉症の概念を提案しました。

ご清聴、ありがとうございました。


UP:20070807 REV:20070904,09
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