■■■ アフリカ/世界に向かう――稲場雅紀に聞く 2007/7/29 於:立命館大学 稲場 雅紀(アフリカ日本協議会)・立岩 真也(聞き手) ◆立岩:どこから始めてもらってもよいのですが、稲場さんとは二年くらい前からかな。 ◆稲場:そうですね。 ◆立岩:知ってはいたのですが、やっぱりよくは知らず、最初はAJFの稲場さんという感じで……。 ◆稲場:ええ、そうですね ◆立岩:メインは今日もそのアフリカの話、エイズの話になると思うのですが、二、三回、飲んだりした時に、これこれ、こうなってああなって、ああそういうことなんだという話があって、僕には新鮮だった。自分自身を語ることがそんなに好きでないにしても、さほど嫌いではないのだとすれば、AJFに至るまで、そのあたりから始めてもらってもいいのかなと思いますが、いかがなものでしょう。 ◆稲場:はいはい、いいですよ。こんなにたくさんの方がいらっしゃるとは、全然つゆ思わずでして、三人くらいでインタビューがあって、プラス一人か二人の方がいらっしゃるのかなあというイメージだったのですが、こんなにたくさんの方がいらっしゃって、しかもいろんな研究をされている方が多い。こちらもまったく準備をしていなくてですね。 ◆立岩:今日はそれでいいんです、はい。 ◆稲場:適当なことを話すと思いますので、皆さんもそのつもりで。別に準備してきた話をするのではないので、アラがあったりあるいは突き詰めた部分がなかったりということが非常に多いと思います。それを前提に聞いていただく、あるいはいろいろ意見をもらえればと思います。よろしくお願いします。 ■アフリカ日本協議会 二〇〇二− ◆稲場:これまで何をしてきたのかという話ですけれど、二〇〇二年四月に職員になってアフリカ日本協議会に勤め始めてから、早いものでもう五年以上経っている。かなり時間が経っているわけです。  この五年間は、アフリカ、そしてHIV/AIDS、保健分野というようなものを軸にしながら、各種の活動をしてきました。アフリカに関しては、たとえば一年とか二年とか長い期間行ったことは残念ながらありません。いちばん長くてもせいぜい一ヶ月とかそのくらいの時間で、ただ回数はそれなりに行っているという感じです。今まで行ったのが九ヶ国なんですが、アフリカは五四ヶ国もありますんで、六分の一しか行っていない。しかも、英語圏中心で、仏語圏の国はルワンダに一回行っただけです。そういう感じでアフリカと保健、もう一つはHIV/AIDSにかかわる市民活動であるとか、あるいはグローバルなポリシーのこととか、そういうことを中心に一つは活動しています。  もう一つはAJFの財源にもかかわることなのですが、アフリカにかかわる日本のNGOが小さいものから大きいものまで含めて一二〇団体くらい、その中で、アフリカでプロジェクトを持っている団体は四〇くらいある。そういうNGOのコーディネーションや能力向上、キャパシティビルディング、保健分野に関してHIV/AIDSやマラリアのこと、あとは、ポリシー、アドボカシーの面で、国際保健協力NGOのネットワーキング、そういったことをしています。日本の国際協力NGO業界が、どういう課題に直面しているか、日本の特に国際協力面でのアドボカシーに、どういう問題があるのかというようなことに関しては、それなりに考えさせられるという状況にありました。  また、HIV/AIDSにかかわるグローバルなアドボカシーの面で、アフリカや、アジア、旧ソ連圏、あるいは中東といったところでのHIV/AIDSの問題で仕事をしてきました。それがこの間の仕事で、加えて、在日のアフリカ人とHIV/AIDS保健ということになります。  在日アフリカ人の人たちは日本に二万か三万人くらいいて、みなさんいろんな社会的・文化的・政治的な文脈の中で生活しています。そういう意味では、非常に興味深い人たちです。タイ人とかラテンアメリカ人の人たちも多くいるのですが、在日アフリカ人というのはそもそも遠いところから来ているということで、たとえば日本にどういうかたちで定着していくのかという部分のポリティクスとか、そういうところを見ていっても非常に興味深いというのがあるわけで、社会学をやっている方には非常に興味深い点だと思います。  これが二〇〇二年からやっている仕事の概要で、どんどん聞いていただけるといいのかなと思っています。 ■アカー 一九九一− ◆稲場:アフリカ日本協議会になぜ来たのか、ということですが、私自身は援助関係者とか、あるいはいわゆる国際協力に関心を常に持っていたというわけではないんです。その前に、「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」という、大学、学問の世界では、河口和也さんなどが在籍している団体なんですが、そこで、アドボカシー・ディレクターという仕事をしていました。私はゲイですが、アドボカシー・ディレクターという仕事は基本的に異性愛社会、ヘテロセクシャルな社会向けにメッセージを発したり、あるいは政策を提言したり、どちらかというと対外的な――自分たちのコミュニティに対する仕事ではなくて――異性愛社会に向けて、タマを投げる仕事ですね。そういう仕事を中心にやってきました。  一九九一年に私はアカーに参加したわけです。まだその頃は大学生でしたが、社会運動経験とか学生運動経験があるということで突然「府中青年の家の裁判」★の、裁判闘争本部会というのに投げ込まれて、非常に苦労をさせられたんですが、同性愛者の権利というものを、異性愛社会に向けて主張するということを、九一年から二〇〇二年くらいまで、やってきたわけです。  府中青年の家裁判を九一年から九七年までの七年間やってきて、勝訴してよかったわけですけれど、その後は人権ということでいうと、東京都の人権政策にかかわる指針があったり、あるいはいまだに可決されていない人権擁護法案というのがあったりして。人権擁護法案に関しては、二一世紀になるまでに同性愛者、性的指向に関する差別の禁止を盛り込んだ法律を作るというのが、私のビジョンだったわけで、法案に盛り込まれたのはいいんですが、未だに可決されていない。しかも可決されない理由が二転三転なんです。最初は民主党が反対して、こんな人権擁護法案では生ぬるいということで可決されなかった。ところが、だんだん自民党の極右派の人たちの力が強くなってきて、こんな法案を可決したら、国籍条法がないから朝鮮総連の人たちが皆人権擁護委員になって、拉致被害者救済運動や北朝鮮を糾弾する運動ができなくなる、などという、わけのわからない理屈で、可決されなくなってしまった。もう今後は可決されないんじゃないかということで、私が九九年から二〇〇一年にやった努力はどうなるんだ、「私の時間を返してくれ」みたいな話なんですが(笑)、いちおう、人権の分野ではそういうことをやってきました。 ■横浜エイズ会議、アフリカ日本協議会 一九九四− ◆稲場:HIV/AIDSの文脈では九四年に横浜エイズ会議というのがありまして、この横浜エイズ会議以降、HIV/AIDSのことをしっかりやらなくてはいけないという状況になった。アカーの中にもHIV感染者の会員が何人かいて、どういうふうにHIV/AIDSの問題を考えていくのか。 九〇年代に入ってすぐにその課題が出てきたわけですし、アカーが創立された八〇年代中盤以降の、エイズ予防法問題の流れの中では、HIV/AIDSの問題と人権の問題や、HIV/AIDSとゲイ・レズビアン解放の問題は切っても切れない関係にあり、エイズの問題というのは常にあった。九四年の横浜エイズ会議以降、特にアジア、東南アジアや南アジア地域におけるゲイ・レズビアンの運動が、HIV/AIDSの問題に取り組むことを基軸として、かなり拡大していくという方向性が出てきた。  この東南アジアや南アジアの運動と、どうやって日本のゲイ・レズビアンの運動が連携するのかという観点で、アジア太平洋エイズ会議が、九五年から二年に一度、東南アジア各地で開かれていった。この会議を軸にして、どうやって東南アジアや南アジアのHIV/AIDSとかかわるゲイ・レズビアンの運動を強化していくかという観点で、国際的な活動に参加していく契機があった。  東南アジア、南アジアのこの運動に取り組む中で、欧米におけるラディカルなエイズ・アクティビズムというものが存在していて、それとアジア・太平洋のゲイ・レズビアンの運動が、やはりいろんな意味で結びついている。そういう中でグローバルなエイズという問題について考える機会が増えていったわけです。  ちょうど、アカーの組織的な問題等もあり、私自身は二一世紀に入ってもう少し別のことをしたいと思っていて、もともと知り合いだった斉藤龍一郎さんという方がいらっしゃった。ご紹介もあったかと思いますが、私は大学時代、アカーに入る前は、学生運動、いわゆる無党派の左派の学生運動ですね、ノンセクト・ラディカルの学生運動とそれとかかわるいろいろな社会運動にコミットしていた経緯があった。ある脳性まひの障害者がいて、この人の介護が、斉藤さんが夜入って私が昼に入るという感じで、斉藤さんについては知ってはいた。アフリカのことをやっている人だとは知らなくて、ものすごく古株のノンセクト・ラディカルの、きわめて過激な活動家に違いないと思って……ま、怖がっていたんです(笑)。実際にはそうでないことが後でわかりましたが。  斉藤さんは、アフリカ文学を通してアフリカに触れたという人ですが、彼が言うには、林達雄★さんが、エイズ治療薬とアドボカシー、あるいはエイズ治療薬の価格の問題で、しっかりグローバルエイズにコミットしたいということで、この分野に詳しい人が必要だということだったわけです。  私自身は、そういう引きがあったので、これ幸いとそちらのほうに移ったわけですが、それが二〇〇一年くらいのことです。  グローバルエイズの問題で接点があり、しっかりやっていかなくてはいけないということで、アフリカ日本協議会へ移ったということになります。 ■難民申請裁判 二〇〇〇− ◆稲場 二〇〇〇年に、イラン人のゲイの人が難民申請をするというケースがありました。難民申請を九九年にしようと思ったんですが、彼がUNHCR(The Office of the UN High Commissioner for Refugees=国連難民高等弁務官事務所)に行ったら、難民申請は、最初は法務省にするものであると言われてUNHCRではあんまりサポートしてくれなかったんです。法務省に行くのはいいけれど収容されたり強制送還は困るということで、別の弁護士さんに相談をしたら、難民申請なんていうものは一年に一人しか承認されないんで、実際、当時はそうだったのですが、あなたは止めた方がいい、と言われて難民申請を結局しなかった。  そうしたら、翌年二〇〇〇年の四月に彼は出入国管理法違反で捕まってしまって、あたふたと難民申請をし、なおかつ裁判をしないとイランに強制送還されてしまうということで、支援グループを立ち上げて裁判をしなくてはいけないという事情があったわけなんです。  それがちょうどアカーとAJFのちょうど間に挟まっているんです。二〇〇〇年にそういう問題があり、アカーとは別のところに、彼の支援グループをセクシャルマイノリティ中心で作り、それと彼の関係していた外国人の労働運動をやっている人たちを合わせて、この在留権の裁判をし、これが五年間もかかった。  彼は、結局一審二審とも負けたんですが、最終的にUNHCRが、スウェーデンに交渉して、スウェーデン政府が彼に永住権を発行するということで、スウェーデンに移住することができました。  最終的にはハッピーエンドで終わったわけですが、この五年間、AJFをやりながらこちらの裁判闘争もするという、難民問題に関するかかわり、そして日本の在留資格や入管難民法の問題に関しても取り組んだ経緯があります。アカーで九一年から二〇〇二年くらいまでの間、ゲイの問題、日本のゲイ解放運動ということをやってきた。今は、自分はゲイでしっかりやらなくてはとは思っているんですが、現状ではAJFが多忙すぎるのであまりやっていないんです。この問題に関してはきちんと取り組めていない。今、参院選に候補が出ていたりといろんな動きがあるわけですが、そちらのほうには充分にはコミットできていません。  アフリカに行ったときはゲイの団体に会うようにはしています、たとえばナイジェリア、ガーナ、南アフリカ、ケニア、あとウガンダですね、そういったゲイの団体とは、それなりの密接な連携、人脈があり、彼らのぶつかっている問題はどういうことなのかということに関する情報収集はしています。  いちおうそれが、アカーからアフリカ日本協議会へという流れということですね。 ■寿町・大学 一九八八− ◆稲場:その前ですが、大学に入り、そこは無党派の左派の運動が強い大学で、なおかつ、そういう運動に対して、他党派の暴力的な介入はあまりない大学だったので、そういう意味ではやりやすい大学でした。その中で、いろいろな社会運動に参加をするということをしてきた、ということです。  いろいろな問題意識を持っていたとのが最初のとっかかりですが、一番大きな運動として直面したのは、横浜寿町の日雇い労働運動です。寿日雇い労働者組合という日雇い労働者の労働組合の医療班にかかわって、月例の医療相談とか、年末年始の集中的な医療活動をコーディネイトする立場になった。彼らも実際人材が充分にいないので、そういうところにかかわると、マネージメントをすることになるわけなんです。  そういうマネージメントをしっかりする中で、横浜市との交渉など行政交渉のやり方といったことをじかに学んでいったということはありました。特に年末年始は言ってみれば、緊急救援なんです。難民キャンプにおける緊急救援とある意味非常によく似た仕事をしなければいけない。つまり、年末年始になるとあちこちの工事現場に散らばっていた人たちが、現場の寮などが閉鎖になるので、全部寿町などに集中してくるわけです。何千人という人たちが来る。  彼らは非常に多くの健康問題、アルコール依存をはじめ、様々な慢性疾患、成人病、精神疾患、結核…そういった問題を全部持って寿町に帰ってくるわけです。だから、ある意味緊急救援的なプロジェクトになってくるわけなんです。その経験をしていたので、緊急救援の仕事はしたことないんだけれども、アフリカ日本協議会に参加して、開発の現場、あるいは緊急救援の現場に行っている人たちと話をするとき、ある意味はったりをかませるという意味で非常に役に立っているとは言えるかなと思います。  横浜が原点としてあり、動くゲイとレズビアンの会の運動があり、そしてHIV/AIDSのことがあってアフリカ日本協議会に移っていったという経緯でしょうか。  今はそういうことで国際協力のことをやっているわけですが、いわゆる援助関係者が持っている知の体系とは全く異なった意味での実践、あるいは知見を組み立てることをしてきたので、その意味でいろんなものを投げるということはできているのかな、というふうには思っています。少し長くなって、すみません。 ◆立岩:いやいや、もっと長くていいんです。寿町にかかわっていたのは何年くらいから何年くらいまでなんですか? ◆稲場:寿町、いわゆる寿日雇労働者組合の医療班のマネージメントにかかわったのは八九年の終わりくらいから九五年、六年くらいまでですかね。動くゲイとレズビアンの会とかなり重なってしまう、クロスオーバーしているんです。だからマネージメントするのは大変でしたね。年末年始は動くゲイとレズビアンの会も合宿をやるというのがあって、そっちに行かなくちゃいけない。日程調整とか非常に苦労しました。 ◆立岩:いちおう大学は出たんですよね。 ◆稲場:出ました。 ◆立岩:余計にいて、出たんですか。 ◆稲場:三年間余計にいました。大学に入ったのが八八年で、九五年に出ています。阪神大震災、オウム真理教事件があった年に出たわけです。七年間大学にいたんですが、あんまり大学にいたというイメージはないですね。ただ、大学は勉強にはなったんです。東洋史学科という学科に行って、もう卒業は無理かなあとは思っていたんですが、非常によい先生方が実は多い学科でありまして、東南アジア近代史、東南アジアの歴史学を勉強する場合、文献が必ずしも充分残っていなかったりする。あるいは、インド文明で言えば、ある意味辺境地帯であるがゆえにいろんな文明の交差点になっている地域であって、そういう場所における歴史学調査というものをどのようにする必要があるのか。さらにその社会における歴史というものをどう聞いていく必要があるのか、ということをかなり集中的に教えてくれる。とてもよい先生がいらっしゃいましてですね、その授業は大変ためになりましたね。そういう意味では大学を出て良かったなと思っている(笑)。 ◆立岩:あぁ、そうなんですね。それで、『現代思想』に原稿を書かれてるいのは、あれは二〇〇二年くらいですか? ◆稲場:二〇〇二年ですね、一度だけ書いています★。 ◆立岩:さっきのイランの人の、難民の話のことを書いたんですね? ◆稲場:そうです。 ◆立岩:いろんなことにかかわってこられたわけですね。九〇年代とか、その時期のいろんな文脈というのは、また後で話をしたいなと思います。斉藤龍一郎も、僕も、それから稲場さんも、同じキャンパスにいたことはいたはずなんですが、みんな学校に行かなかったせいかどうかわかりませんが、学校で会ったことはないですね。あるいは、時期が少しずれている。斉藤さんはたしか僕より五つくらい上です。 ◆稲場:彼は、七二年か三年に入って七八年か九年に出ている。 ◆立岩:じゃあもっと上か、まあいいです。 ◆稲場:わからないですけど。★ ◆立岩:ちょうど行き違い、入れ違いみたいにはなっている。 ◆稲場:うん、そうですね。 ◆立岩:その一〇年後とか二〇年後とかに、こんな感じで今こうして話しているというか、まあそういった人たちではあります。  ここ〈立命館大〉の院生だと藤谷とか、そちら(府中青年の家裁判等)の方をむしろ聞きたいという人もいるわけですが、今日はどちらかというとアフリカ側に行こうと思っています。 ■アフリカと日本:歴史と現在 ◇歴史:中世〜明治 ◆立岩:エイズという話から入ってもいいですし、アフリカの貧困というふうにいってもいい、本当にお好きな方からということでいいのですが、アフリカというとなにか大変、みたいなものがあるわけです。それはそれで別に間違いではない、間違いではないんだけれども、そこをどう正確に捉えるのかが難しい。僕らのところにアフリカの情報なんてほとんど入ってこないわけです。ワールドカップで、ガーナがとか、それくらいのことは時々あるけれども。中南米、アフリカの話は本当にほとんど入ってこない。多分、ヨーロッパなんかと比べても違うだろうし、アメリカ合衆国と比べても違うのだろうと思う。そもそも絶対的に情報が欠乏しているということもあり、であるがゆえに、何も知らないということもあって、それを初歩からというのも厄介な話なわけですが……。  アフリカの今の状況――いろんな思惑でいわゆる先進国、中国だったり、合衆国だったりそういうところが絡んできている――そんな話も後のほうに置いていただくとして、非常にざっくりした質問ですが、アフリカ、エイズ、貧困と絡めていった時、どういうふうに見なければいけないのか、というあたりからだんだんと入っていっていただきましょうか。 ◆稲場:アフリカと日本はほとんど関係がない、と思っている方も多いと思いますので、アフリカと日本の繋がり、というところから、実験的に始めてみたいと思います。  アフリカに最初に行った日本人――当時日本人というナショナルなまとまりははっきりしなかったと思いますが――は、記録に残っている限り、中世、戦国時代にローマに行ったキリスト教の使節団です。たとえば有名な天正遣欧少年使節は、南部アフリカのモザンビーク島などを通ってローマに行っています。五〇〇年くらい前ですが、当時はスエズ運河がまだありませんから、ベルトロメウ・ディアスやバスコ・ダ=ガマが開拓したルートを逆に辿って行くわけです。モザンビークに行き、モザンビークから南アフリカを通って、ヨーロッパに行く、これが最初なんですね。彼らの記録の中にモザンビークの話などが出ていて、嵐などでそこに一ヶ月もいた、というようなことも書かれています。  それから鎖国時代を経て、その後近代になってアフリカに最初に足を踏み入れた人たちについてですが、これは非常に特徴的です。もう亡くなってしまった白石顕二さんという、アフリカの映画をフォーカスして「東京アフリカ映画祭」というのを九〇年代中盤くらいから仕掛けていった人がいるのですが、この白石さんが『ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)』(社会思想社現代教養文庫「ベスト・ノンフィクション」、一九九五年)という本を書いています★。  それによると、だいたい明治時代くらいから、日本人のセックスワーカーが、まずシンガポールに進出し、そこからタンザニアの沖合いにあるザンジバル島や南アフリカのケープタウンに進出したという経緯があったのだそうです。これらの人々は、五〇年、六〇年もの間、これらアフリカの港町でセックスワークやサービス業を営み、その生き残りの人が昭和四〇年代くらいに日本に帰国するということがあって、そのドキュメントをその白石さんが書いたわけなんですね。つまり、日本人のセックスワーカーグループの拠点が明治にはすでにシンガポールにあって、そこから拡散する形でザンジバルには、明治中期くらいにはかなりの数の日本人セックスワーカーが住んでいるという状況だったらしいんですね。アフリカと関係を持った日本人は、国際協力のNGOや、商社だけではなく、そういった一般の人々が、経済の流れの中でアフリカと接点を持っているわけです。この意味で、「遠い」ことは「関係がない」ことを意味しません。  また逆の話として、同じく中世の頃から、モザンビークや南アの黒人たちが、当時のインドネシアやタイを通して日本に入っていくケースが室町後期から戦国時代あたりまでありました。織田信長の家来の一人に黒人がいたというのは有名な話ですが、やっぱりグローバル化というのは基本的には一五世紀から進行しており、その中でアフリカと日本の関係も、あれだけ距離が隔たっていても、その頃からもうすでに存在しているわけです。アフリカと日本の関係も、そういう歴史の流れの中でおさえなければならない。 ◇東武野田線におけるグローバリゼーション ◆稲場:現代になってみると、たとえばケニアとかウガンダなど東アフリカだけでなく、多くのアフリカ諸国の中で一番よく見かける自動車は日本の中古車です。そのシェアは九割以上。最近は中国のバイクなども入ってきていますけども、日本のスーパーカブなどがアフリカの大都市でバイクタクシーとして活躍をしています。  日本の中古車を仕入れ、解体して輸出し、アフリカで販売するという輸出業は、アフリカ人によって成り立っています。その関係で日本にも、中古車販売に関わる多くのアフリカ人のビジネスマンが来て、たとえば東京近郊で言えば茨城県の南西部や埼玉県の東部の土地の安いところでヤードを作って、そこで車を解体して部品にしてコンテナに入れて、という作業をしているんですね。たとえばカメルーンの人たちが一〇〇〇人くらい茨城・埼玉・千葉にいます。  これらのカメルーン人たちは在日カメルーン協会という相互扶助団体を組織しています。この協会は埼玉東部の春日部市などの公園や、自分たちで確保した集会場で、ミーティングやパーティをやったりしています。数十人のカメルーン人が、日曜日の夕方くらいに三々五々集まって、英語やフランス語で会合を行なっています。関東平野の純日本風の田園地帯で数百人から一〇〇〇人ものカメルーン人たちが生計を立てている、と考えたら非常に不思議な話です。しかも、埼玉東部や茨城西南部、千葉西北部という地域は、いわゆる自治体の国際化や外国人に対する行政サービスの提供が一番遅れているところなんですね。行政が保守的で、そういうことを考える必要がないと思っている。ところが、東武線沿線というのが家賃や地価が非常に安いがゆえに、多くのカメルーン人やナイジェリア人が住んでいます。そういう人たちが中古車を壊して部品にして輸出するという仕事にしっかり携わっているわけなんです。 ◇在日アフリカ人とHIV/AIDS  ◆稲場:それがどうしてAJFのHIV/AIDSの仕事と結びつくかということですが、非常に大きな問題としてあったのが、その中古自動車の部品を扱う人たちの中に、カメルーンと日本を移動しながら部品の買い付けにあたるバイヤーの人たちがいます。この人たちがそれなりの資本を持って日本に買い付けに来て輸出し、カメルーン最大の港町であるドゥアラに陸揚げして、支店を開いて、部品販売をするわけです。こういう買い付け師の間でHIVの感染が拡大したんですね。  彼らは個人営業的なやり方ですから、お互い競い合いの世界です。病気になると、他人に蹴落とされかねないので、病気でも隠して働かなきゃいけない。悪い病気、HIV/AIDSということなど自覚したくない、というのが当然あるわけですね。  いろんな病気があるにもかかわらず、自分が「大丈夫」だって言って日本に来て、日本で死んでしまったりする。カメルーン人協会によると、そういうケースがたとえば去年(二〇〇六年)二件ありました。彼らはキリスト教徒ですから、遺体を燃やすことはできないので、そのままで冷蔵して向こうに送らなければならない。これに凄いコストがかかる。二〇〇万とかかかる。それでもこのコストを皆でカンパをしあって集めて、そして遺体を送らなければならない。これを、信仰上の任務として、また、死んだ仲間への責任としてやるわけですね。そういう形で仲間が死んでいくというのは非常に辛いと。そうした中で、在日カメルーン人協会とAJFとが連携して、HIV感染してもう二〇年ぐらいという古株のカメルーンの活動家――アフリカ大陸全体のHIV感染者の運動・ネットワークの設立に最初から関わった人物です――を日本に呼んで、在日カメルーン人たちのコミュニティの中でHIV/AIDSの問題を啓発していったわけです。  今話したことは何かと言うと、アフリカと日本はいかに遠いといっても、実際には否応なしにグローバル化の中で密接に結びついている。なんとかビジネスチャンスをものにしたいというカメルーン人や、ナイジェリア人といった人たちが、喰らいつく形で日本に住み着き、会社を設立し、ビジネスの実績を作っている。カメルーンやナイジェリアというのは、実は、日本から見ると、アフリカの中で関係が濃い方の国ではありません。せいぜい、サッカーとか。最近はナイジェリア人の芸能人がテレビで大活躍していますが、基本的には、「日・ナ関係」というのはあまり強くはありません。ところが、向こうのアフリカの人たちの方は、日本車という経済的なメリットをきちんと位置づけて、喰らいつくようにして来ている。 ◇どんな事情でどんな商売を ◆稲場:さらに加えれば、カメルーンというのは旧英領の地域と旧仏領の地域が合体して出来た国で、旧英領の地域は二州しかないんですね。カメルーンはギニア湾の最奥に、直角三角形という感じで存在しているのですが、その斜辺の部分にちょっと飛び出ているわずかの地域が英領地域です。このカメルーンという国は基本的に旧仏領の地域出身者が支配しています。もともとは対等な立場で合併してカメルーン連邦共和国としてできたものを、後で旧仏領出身の大統領が、連邦制をやめて、英領の地域を暴力的に併合してしまった。その中で旧仏領地域の人たちが政府・権力の権限を全部握っている。逆に、英領地域の人たちは権力から疎外されているがビジネスはできる人たちです。この人たちが成功するためには、とにかくビジネスでやっていかなくてはいけない。その中で、日本で会社を作って輸出に携わるというのが中産階級の上位くらいの、ある意味エリート階層の中で一つの成功のスタイルとしてあるのです。つまり、彼らは自分の国での権力に与れないという問題を抱えているために、なんとかこの国際的に成功するというステイタスを得たいわけです。  彼らは旧英領出身で英語が喋れる。さらに大学教育を受けるには、仏領地域にある首都のヤウンデ大学に行く。そこではフランス語を話さなければならない。彼らは英語もフランス語も喋れる人たちなわけです。  興味深いことなのですが、実際、春日部市の公園で在日カメルーン人協会がミーティングをしているのを聞くと、だいたい基本的には英語で喋っているのですが、なかにはフランス領の地域から来た人がいて、彼らはフランス語で喋るんですね。英語とフランス語がちゃんぽんになって、それで誰も困っていないという、非常に多言語。しかも彼らはだいたい北西部州という、同じ州の出身の人たちが多いのだけれども、民族語がたくさんあるものだから、やっぱり英語で喋らないと、民族語では通じないってことがあるわけですね。  彼らは出身地から数万キロを隔てた春日部市で、英語とフランス語のバイリンガルの会議を公園に集まってやっているという、非常に興味深い姿があるわけです。そういう意味で、日本とアフリカの関係というのは、グローバリズムのいわば最先端とも言えると思います。インフォーマルセクターのビジネスが国境を越えて、英領カメルーン地域の中産階級が、のし上がるために日本に来る。そういうパワーを彼らはしっかり持っている。  そういうことを考えると、決して日本とアフリカの関係において距離とか歴史的な関係の浅さというのは実は障壁としては重要ではなくて、逆に言うと、「のし上がる」必要のない日本人の方があまり考えていないというだけの話だとも言えるかもしれません。 ◆立岩:面白いですね。今二万人とか三万人という日本在住のアフリカの人がいて、その中で一〇〇〇人くらいのカメルーン人は中古車の部品を扱ったりしているということですが、他はいろいろって感じですか? ◆稲場:そうですね、ナイジェリア人にも貿易の仕事をしている人が多いのですが、一方で、都市の風俗産業に進出している人たちも多くいます。六本木に行くとびっくりすると思いますけど、やたらアフリカ人が客引きをしています。その多くはナイジェリアのある一部の地方出身の人たちです。彼らは日本人が経営する風俗店、いわゆるクラブなどで客引き員をしている場合と、ナイジェリア人が経営する風俗産業の客引きをしている場合とがあります。ある店は、ナイジェリア人が社長、ウクライナ人やロシア人はサービスワーカーとして働き、日本人が事務員をしている、そういうバーやクラブが六本木にはけっこうあったり、あるいは歌舞伎町にもあるわけです。  ナイジェリア人の場合は、自動車輸出にかかわる人たちと、もう一つはこういうかたちで風俗産業の経営や客引きにかかわる人たちが、かなりいます。在日のアフリカ人の顕著な特徴は、オーナーシップです。日本の工場などで出稼ぎで働く人たちもいないわけではないですが、どちらかというと、アフリカ人がオーナーシップをもって日本で会社を作る形で存在し、そこに、同郷、同民族のアフリカ人たちが集まってくる、という形です。これは、実際向こうの中でもそれなりに資金のある層が日本に来ているという経緯もあることとは思いますが。 ■「先進国」(南)アフリカ ◇GNIの巨大さと人間開発指数の低さ ◆立岩:なるほど。それで、アフリカはアフリカの話なのですが、がらッと戻して違う話に行くと、この前稲場さんと話していたときに、南アフリカは世界で一番の「先進国」だ、みたいな話がありましたね。その辺りの話を繰り返しつつ、もう少し先の方に行けたらと思うんだけど、そっちいってみましょうか。 ◆稲場:今の在日アフリカ人の話というのは、基本的に、グローバリズムの一端というものを象徴的に表している話です。つまり、日本人の側は、日本とアフリカ、日本とカメルーンなんてほとんど関係がないと思っている。ところが、実は、在日カメルーン人から見れば、日本は非常に深い関係をもって、大きなものとして存在している。アフリカ側の強力な経済的な意思があって、新しい繋がりができてきている。その一つの例としてその在日アフリカ人の話をしたわけです。  南アフリカの話は、これとは別の意味でのグローバリズムの現れとしてお話しできるかもしれません。  南アフリカ共和国は、経済指標を見るだけでも、非常に興味深い国です。南アフリカ共和国の世界におけるGNI=国民総所得。これは国民総生産=GNPと同じですが、これが何位かを見ると、二〇〇近い世界の国々の中で二七位なんですね。非常に高いわけです。ミドルパワーからもうちょっと上くらいです。今のところ一人当たりの国民所得で見ると、世界銀行の分類では、まだ高所得国になっておらず、「高中所得国」の中で上位に位置する国で、もうすぐ高所得国になる。調整していないGNIで二七位です。購買力平価のGDPでみると二一位まで上がります。経済的には非常に大きな国なのです。  ところが国連開発計画(UNDP)の人間開発指数(HDI)――これはたとえば教育や保健などの各種の数値、乳児死亡率とか妊産婦死亡率などを計算して一つの指数にしたものなのですが、これを見ると、この国は一二一位なんですね。つまり、GDPなりGNIなり、どのくらいのものを生産してるかということで言うと相当高い国になるわけですが、一人当たりのいわゆる人間開発指数で見ると、それが一〇〇位くらい落ちてしまう。それでも、アフリカ諸国の中では上のほうに位置することにはなっていますが、非常に低いということは事実です。これだけ格差がある。GNIと人間開発指数の間にここまで差がある国というのは、世界でも南アフリカ共和国だけです。もちろんブラジルとか、あるいはグァテマラのように、GNI順位とHDI順位に相当な格差がある国というのはいちおうあるのですが、南アフリカ共和国はその中でも極端に大きな違いがある。  これが意味しているものは何なのかということです。 ◇低開発への開発 ◆稲場:最近になってアフリカを援助の対象として発見した日本では、充分認識されていないのですが、アフリカというのはけっして「未開」ではありません。「未開」ではなく「低開発」なんですね。これは、最近はあまり省みられない従属理論でよく出てくるターミノロジーなのですが、「未開」というのはまだ開発はされていない、ということですね。低開発というのは、まだ開発されていないのではなく、これまで長い歴史の中で、低開発な状態に開発をされていった、その結果としての状態を表します。「低開発」と「未開」というのはまるっきり違うものなのだ、ということを、まず考える必要がある。このいわゆる低開発の状況というものを一番端的に表している国が南アフリカ共和国である、ということなんです。  なぜ、こんな状況が生み出されたのか。その原因がアパルトヘイト時代にあります。――狭い意味でのアパルトヘイト時代というのは、一九四八年に国民党が政権をとり、人種差別の法体系をナチスドイツの真似をして作って以来、四六年間続いたものですが、実際には、人種差別と隔離、搾取の歴史は、その前の時代から延々と続いています。このアパルトヘイトの時代において、白人支配の構造の中で、もっとも近代的な、極めて大規模なやり方で、資本の論理に基づく労働力の持続的かつ強制的な動員システムが構築されました。つまり、南ア全体が巨大な労働キャンプと化したといってよいと思います。黒人はあそこに住まなければならない、ここには住んではいけない、という黒人居住区を都市の近郊に作り、そして夜になったらそこに全員が帰らなければならないというシステムにする。そして朝が来たら、特定のいろいろな交通機関で、彼らを労働力として都市に送る。鉱山や白人農場に関しても同様のシステムを作る。隔離区を作り、そこに押し込め、好きなときに好きなだけ労働力を動員できるシステムを作る。  その極めて近代的かつ効率的な労働力の動員を可能にしたシステムが、いわゆる「ホームランド」というシステムです。ホームランドとは何かと言うと、南アフリカ共和国の特定の地域、産業もなく農業もできないような荒れ地を指定して、そこをコサ人なりズールー人なりのホームランドにし、形式上、すべてのコサ人やズールー人はそこの「国民」であり、そこに住まなければならないという原則を作る。これにより、コサであればトランスカイ、ツワナ人であればボプタツワナといったホームランドが作られたわけです。コサの人たちは本来的には全員強制移住してトランスカイに住まなければならない。トランスカイ以外の地域に住んでいる人間は、何らかの特殊な許可を取らなければならない、という形で制度を設計するわけです。隔離区に押し込め、そこから鉱山や白人農場に動員する、という徹底管理の構造をこうやって作っていく。  そういう形で徹底的な管理をした結果として何が起こったかというと、これは強制移住と移民、出稼ぎというシステムを人為的に構築するわけですから、当然のことながら伝統的なコミュニティというものが破壊されるわけですね。そして一人ひとりがコミュニティに属するのではなく、単なる労働力として分解され、資本の論理の上で新しく再編されていく。黒人居住区やホームランドというのは、そこで何か自分たちのビジネスを始める可能性のない地域でしかあり得ない。彼らの主体性のよってたつところをすべて奪い、受け身の労働力へと「低開発」していくわけです。伝統は解体され、彼らが自分自身のオーナーシップによって自分自身で何かを作っていくというような、近代的な生産様式を主体的に編成していくための余地も与えられない。そういう構造の中で、徹底的な貧困、そしてまたその彼ら自身が自らの知や資源というものを活用・発達させることができないような方向性に、ギュッと押し込めていく。そういう流れの中で彼らは「低開発」へと「開発」されていくわけです。この低開発が、「未開」と全く違うことは、一目瞭然ですよね。低開発の状況にさまざまな制度を使って押し込めていく。これが基本的にアパルトヘイトの構造です。その結果として、国家が巨大な労働キャンプになる。  このアパルトヘイトというものが一九九四年にいちおう終わります。ただ、こういうシステムが持続的に形成され延々と機能し続けた後で、「さあ、アパルトヘイトは終わりです」と言って、どうなるというものでもありません。アパルトヘイトが政治的に終わったということは、南アフリカ共和国はこのGNI、すなわち購買力平価によるGDPで世界二一位という巨大な経済規模と、人間開発指数一二一位という極めて劣悪な人間環境、これらを二つながらにして作り出したこの経済システムを、どうしていくのか、自ら考えなければならない状況になったということです。 ◇成長と分配 ◆稲場:しかし、時すでにグローバリズムの時代、ソ連もなければ社会主義というものも、資本主義に脅威を与えるようなあり方では、存在していない。ポスト・アパルトヘイトにおいて、政権は、基本的に南アフリカのアパルトヘイトを倒すためにずっと努力をしてきた、アフリカ国民会議(ANC)と、ANCをずっとサポートしてきた強力な労働運動組織である南ア労働組合会議(COSATU)、そして、ANCに浸透して政治的にリードしてきた南ア共産党という共産主義党派の三頭政治という形になりました。出自からいえば、彼らは「左翼」であった、しかし、彼らとて今の国際経済の流れの中で南アの優位性を維持していく上で、この経済の二一位というのを疎かにしてよいわけではありません。この二一位というものをもっと大きくしていかなければいけない、ということが発想の前提条件になる。  それでは一方、一二一位の人間開発指数をどうしていくのか。これを何とかするためには分配ということが当然必要になってくるわけですが、どうしても今の世界では、この分配というものが当面、世界二一位の経済を犠牲にするものにならない形で経済政策を遂行しなければならなくなる。また、新しく支配者になった連中も、その方が儲かる。もちろん、マンデラ政権とその後継であるムベキ政権は、そうした中で、社会保障というもの、社会保障制度やあるいは非常に劣悪なスラム街や、スクウォッターズ・キャンプに住んでいる人たちに家を供給するというような社会保障政策もとってはきました。ところが、そもそも、これまで強制労働キャンプと劣悪な収容所だったところに、社会保障政策を急に導入しても、充分に機能はしません。機能させるに足るシステムもありません。そういう中で社会の二分化が、ますます加速化される、という形になってきています。  南アフリカ共和国というのは、そういう意味で非常に現代の世界のあり方を象徴している国です。ある意味、ここまで引き裂かれた国家というのはありません。しかし、それは歴史的な流れの中で、資本の論理を先鋭化させる中で作られてきたものです。南アというのはアフリカでも非常に特殊な国である一方で、一面、植民地主義に徹底的に浸食されたアフリカそれ自体を端的な形で象徴している国家でもあります。また、資本の論理を「人種」というイデオロギー装置を利用する形で追求し極端に効率的な労働力の動員を実現したという点では、新自由主義経済の独自の現れということも言える。その結果、極端に引き裂かれた社会。これはある意味グローバリズムの行き着く先であるというふうに言えないことはないんですね。その意味で、南アフリカ共和国というのは、一種、「世界の最先端」である、というイメージを持っています。 ◆立岩:南アフリカの場合は、生産の総量というかGNPというか、一つやっぱり天然資源があるわけですね。それがかなり寄与していると。そういう意味で言えば元手はあるというか、総量はあると。総量はあるんだから、単純に考えれば分けちゃえばいいじゃないかという話になるわけだけれども、それはおっしゃるように上手くいってないという。上手くいっていないときのそのファクターって、そういう仕掛けをそもそも作ってこなかった、あるいはむしろ積極的に破壊してきた中で、アパルトヘイトをやめたからって、そう簡単に新しくというか、そういう仕掛けができないという。基本的にそういう了解でよいのでしょうか。 ◆稲場:南アには、金、ダイアモンドなどの巨大な鉱物資源と高い工業力があります。先ほど中古車の話をしましたけども、南アは中古車の輸入は禁止なんですね。トヨタにしてもダイムラー・クライスラーにしてもベンツにしても、南アがヨーロッパ向けの高級車を作る一つの生産拠点になっている。さらに白人の資本主義体制が蓄積したところで、たとえば携帯電話とか、集約的に資本を作り運営するというような、資本の運営能力に関して、南アフリカは他のアフリカ諸国に比べれば格段にキャパシティがあるわけです。それは白人が中心なのですが、アパルトヘイトが終わって以降は、能力のある黒人が政治権力との関係もあってかなりの程度入ってきています。アパルトヘイトは、白人が白人であるというだけでヨーロッパ並みの生活をし、なおかつ物価は途上国並みであるという、白人にとっては理想郷みたいなものを作るためにあったわけですが、それが、ある程度シャッフルされてきたと言えないわけでもない。しかし、アパルトヘイト時代の中で教育を充分に受けられなかったアフリカ人の層は、なかなかそういうところにのし上がっていけるわけではないので、結局、階級の線は人種の線と共通する形で引かれてしまっているわけですけれども。  南アフリカ共和国の場合、「分配は可能か」という問いはなかなか難しい。実は、南アフリカ共和国の国際競争力というのは、精密機器など、洗練された製品を作ることに関しては必ずしも高いわけではありません。それをどう洗練させていくのかというのは非常に大きな勝負どころであるというのが一つあります。そういう意味で、工業の国際競争力の確保をやらなければならない。そういう競争力をつけなければならないというのが一方にある。また、競争力の弱さが意味するのは、南アフリカ製品が優位性をもって展開できるのは、他のアフリカ地域に限られるということでもあります。つまり、世界全体で見ると、南ア製品は、タイとかマレーシア製品と比べて比較優位性があるわけではないんですね。そうすると、南アにとっては、世界の他地域というよりは、他のアフリカ地域に対してどういうふうに、巨大な資本帝国として進出するのかということが大きな課題になってくる。 ◇「経済成長を通じた貧困削減」という空文句 ◆稲場:グローバリズムの中で勝負しなければならないという中で、結局彼らが持っている国富をどう再分配するのかという、その分配と成長というものを両方とも実現するための戦略を彼らは持っていないわけなんですね。本当は、富の偏在を何とかしなければ、南アの持続的・長期的な発展はない。ところが、では成長と分配を同時に進められるか、というと、現在の競争力なり経済成長を維持するためには、分配を進めることができない、という状態に陥る。結果として、南アは数年間に渡って相当の規模の経済成長を遂げているわけですね。この五年、六年の間、五パーセント以上の経済成長をしている。ところが、この五パーセント以上の経済成長をしているということが、たとえば今の貧富格差というものを変えるところに繋がっているかというと、全く繋がっていない。格差はもっと広がっている。  日本や先進国が今、アフリカ支援において打ち出しているスローガンとして「経済成長を通じた貧困削減」というものがあります。しかし、南アのこの事例は、「経済成長を通じた貧困削減」がいかに不可能か、いかに空文句でしかないかということを示しています。経済成長をしてもそれが一切貧困削減に繋がらない。経済成長は、それを「通じ」れば貧困削減になる、というものではありません。いかに「分配」を経済構造と運営の機能の中に位置づけていくのか、その戦略がなければ、「貧困削減」はできません。経済成長はあくまで経済成長であり、貧困削減というのは、その経済成長というものに対して、明確なヴィジョンなりポリシーなりというものを、それとの連関関係の中で位置づけていかなければ、無理なのです。南アだけの問題ではありません。途上国の経済を考える上で、「経済成長」の戦略はあっても、これを「分配」し、「貧困の削減」につなげていくための経済戦略が、理論も含めて全く形成されていないということが非常に大きな問題です。その結果、「経済成長を通じた貧困削減」というのは、単なるマントラと化し、このマントラにおいて実践的に追求されていることは、単に経済成長をするということだけであって、それを通じて「貧困削減をする」というのは、単にポリティカル・コレクトネスとして付け足されているにすぎない。「貧困削減」が、国内経済運営の実践に全く降りてきていない。これが南アに象徴的に現れていると思います。しかし、分配がないままでは、南アが結局のところ、持続的な経済成長をできず、早い段階で行き詰まることはほぼ明らかです。そのとき国際社会は、南アの経済政策のまずさを責めるのでしょうが、それは誤っています。そのときには、国際社会は、共犯者として、より大きな責任を負わなければなりません。 ◆立岩:私は『現代思想』に書かせてもらっている連載★でも、成長いらないみたいに受け取れる話をしていて、いや実際、成長のために人を強制し他に使える金をそこに回してしまう「政策」はいらないと考えているんですよ。ただそれは、どこについても言える話ではない。それが必要でありまた本来可能である地域は確実にあるだろうと。圧倒的な失業率があるということは労働力はあるということでもあり、そして貧しいということは消費する財が足りないもっとあってもよいということですから、他に必要なものが揃えば、生産は増えるし増えるべきだということになります。  ただ南アフリカは総量としてはあるんだというお話で、それだけ見れば、あるものを分けろよという話になるはずだと。ただ、一つは国際競争の問題があって、競争できる部門の競争力を維持するために云々、ということになる。この話には、結局出したくない輩が出さない言い訳として使う部分と、そうとばかりも言えない部分とあって、そこがどうなのか、そして後者、グローバリゼーションのもとでやむをえずというところがあったとしてそれにどう対処するかという問題があるということだと思います。  とくに全体として足りないところで、何が足りないか。暮らせるための、あるいは市場でなんとか生き残っていけるだけの、技術を含む生産財がかなり重要だろうと。日本の場合だとたとえば六〇年代に高度成長があったわけですけれども、そこで生産されたものがそこそこに、少なくとも一時期、行き渡った。その前に、ある種の所有形態の変更、土地改革、農地改革があったわけじゃないですか。そういうものが組み込まれないと、結局偏りが残るというか、是正されないというか、そういう形で成長が還元されないということは、これは一般的に言えることでしょうけど、一つにはそこがそのまんまいっちゃってるということなんでしょうかね。 ◆稲場:そうだと思います。戦後日本の大きな特徴として、大規模公共事業を地方でやるというのがありますね。四回にわたって繰り広げられた全国総合開発計画が日本の高度経済成長の富を地方に移転することにおいて非常に大きな効果をもたらしました。たとえば東京とか愛知だけが発展するという形ではなくて、少なくともナショナルミニマムはどんな地方に行っても維持できるという形をいちおう作り出した。しかし、こういう大規模公共投資みたいなものは、今の途上国の経済政策では困難です。  一つは、国際通貨基金(IMF)や世界銀行の指導が入るから、という理由です。社会保障にしても、日本の場合、国民皆保険や生活保護といった社会保障制度を国家が担保したわけですが、アフリカなどでは、財政運営をコントロールしているIMFや世銀が、各国政府の社会保障や公共投資への支出を極端に切りつめるように指導してきた経緯がある。  また、南アフリカ共和国は高中所得国で世界銀行やIMFが財政を仕切っているわけではありませんが、グローバル時代に資本を呼び込むためには短期的な経済指標をよくする必要があり、所得再分配のメカニズムである公共投資や社会保障に巨額の資金をつぎ込むことは困難です。結局、経済政策の中で追求されるのは経済成長で、その分配を適切にして経済的な不平等をなくしていくことは追求されない。「貧困削減」にしても、結局、基礎教育や基礎保健どまりという不充分さは拭えない。結局、経済政策において「貧困削減」はポリティカル・コレクトネスのためだけの、枕詞と化していて、分配を担保するような仕組みをきちんと国家の経済運営なり経済政策の中に位置づけろという理論なり政策的実践というものが追求されていないことが非常に大きな問題だと思います。 ◆立岩:そうですね。私は、公共事業が効く場面と、そうでない場面、状況があるとは思っていて、すくなくともいまの日本だったら、私は、個人を宛先にする直接的な分配の方がよかろうとは思っています★。ただ、それは、生産財、労働、そして消費財を購入するためのお金というふうに局面を分けたとして、前二者を無視してよいということではない。むしろ、それらは大切なことだと思う。ただ、お金はひとまずいろいろに使えますから、生産財を確保するためにも使えるということもある。けれどもその方法は他にもある。HIV/エイズの薬にしても、薬を買う金を渡すのでよいといえばよいのだけれども、高い値段の外国のものを使うより、特許権の問題をどうにかして、安く国内で供給できるような生産体制が作れた方がよい。  だから、何を仕組むかって言うと、一つはさっき僕が言ったのは、いわゆる普通の生産財、土地とかね。やっぱり土地というのが万人のものではなくて一人のものである、もう、そこの格差というのはどんなに成長が起こったってデフォルトで決まっているわけだから、これはもう残るか拡大するかどっちかなんですよね。そういう意味で言えば農地改革というのは、そこそこに効果をもつと。そういう土地を含めた生産財の分配というか、所有形態みたいなものに多分手をつけないと、どんなに成長が起こってもダメだろうな、という話は一つはありますよね。 ◇人的資源の流出 ◆立岩:ただもう一つ、実際になされる方の話というのは、人的資源の開発みたいな話ですよね。  そうすれば、まあみんなそこそこの生産能力を持てるようになるわけだから、それに技術開発が伴えば、やがて、フラットにはならないにしても、格差が小さくなっていくと、そういうストーリーがあったわけですよね。一般には人間、生産財と言ったって、農民とかでなければ、結局多くは自分の身体しか持っていない。それはそうだと。  そうするとそこで出てきた昔風の話というのは、その人的資源ですよね。そういったものを、教育を与えることによって開発してもらう。するとみんな同じくらいできるようになるわけだから、それで技術が伴えば、生産も増え、結局同じだけの、ある意味生産財ですよね。人間が一人ひとり持っている自分の能力という名の生産財において、そう違いは出てこないわけだから、ハッピーになるよ、とそういうお話が今でもあります。だけどもいっこうにそんな現実は到来してこない。でも一方にそういうその人的資源の開発みたいなところに話を落としていくストーリーというのはアフリカに限らずある。あるのだけれども、直感的に、それってなんかどうなの、それがどこまで効くのか? という感じがするのだけれども、それは稲場さん的にはどんな感じですか。 ◆稲場:私は経済の話は得意ではないのですが、いわゆる人的資源の開発ということを言ったとき、特に植民地支配を受けた途上国で一番重要な問題は言語の問題です。アフリカの国々の多くは、そもそも初等教育からして英語やフランス語で行なわざるを得ない。特にアフリカの場合、民族語が多言語あり、一つの民族語でなんとかできる国というのはタンザニアくらいです。タンザニアは、独立以来、スワヒリ語を自分たちの国民語として作ってきたので、スワヒリ語で全部何とかなる。しかし、タンザニア以外のアフリカ諸国は、英語かフランス語、もしくはポルトガル領であればポルトガル語といういわゆる旧植民地の言葉を使うしかない。初等教育の段階からそうです。  人材の問題を考えるとき、これは非常に大変なことです。どういうことが起こるかというと、高等教育を受けました、お医者さんの免許を取りました、法律家の免許を取りました、という人は、自分の国で医師や法律家をやらなくてもいいわけです。たとえばナイジェリア連邦共和国の医師、あるいは法律家は、イギリスに行ってもアメリカに行ってもカナダに行っても、自分の国でもらうよりもいい給料をもらって生活をすることができる。つまり、世界的に通用する人間になってしまうわけですね。その結果として、たとえばガンビアで高等教育を受けた人の六五パーセントは外国に住んでいるということになります。人材流出をしてしまうというわけです。  アジアとの違いが典型的に出てくるのはそこです。つまり、たとえば、インドネシアでは、高等教育を受けた人もインドネシア語がベースで、英語やフランス語は必ずしも得意ではない。つまり彼らは、インドネシアで何とかやっていかなくてはならない。その結果、彼らはインドネシア国家を発展させることに貢献する事になるわけです。タイなどはもっとそうですね。このように、アジアの場合はそういう意味で人材流出を食い止めることができるし、食い止めるに足る経済力も出てきた。経済力に関してはたとえばインドや中国がそうですね。  アフリカの場合はそういうものがない。つまり、高等教育を受けた人たちが自分の国で歩止まりにならない。言語の問題があり、よその先進国に行ったほうが給料が高いという問題があり、さらに加えれば、その高等教育で受けた知識を自分の国に還元しようと考えるかというと、必ずしもそうならない。アフリカ各国の国境線は、極めて人為的に引かれたものにすぎないからです。結果として、たとえば自分のコミュニティに尽くすとか、自分の家族のために送金をするということはあっても、ナイジェリアという国家のために、何らかの形で自分の知識を使うということ、これが形成しにくいというのがアフリカの非常に大きな限界です。人的・知的資本というものを作ったときに、それが少なくとも国家にとどまって、その国を発展させるためにその能力が使われるのかというと、アフリカの場合はこれが使われない。これが植民地支配の負の遺産であるということだろうなと思います。 ◆立岩:面白いですよね。私は、よほどまともに教育やらないと普通の意味での機会の平等だって達成されないし、達成されたって人の間の差はなくならないに決まってるし、そして機会の平等が実現したって、他の条件がそろわなければ格差の縮小なんて起こらないってことを考えたり言ってきたんだけれども★、稲場さんが今おっしゃったのはまた別のポイントですね。  つまり国家が金を集めてきて人的資源の開発を行うと。しかしそこで開発されてしまった能力というのは、なまじ、というか英語なりフランス語なりができてしまう人間を作ってしまうから、それは世界的に流通する価値があると。そうするとそれは高く買われるところに流出していくと。その結果、国家という単位で集められたお金というのはむしろ外国で使われるというか、そういう仕掛けになってしまっている。 ◆稲場:つまり人材の流れが途上国から先進国に向かってしまう。知的な能力のある人は途上国から先進国に向かい、先進国は、この人たちを大喜びで迎え入れる。 ◆立岩:そして大抵の場合安めで使える。 ◆稲場:ええ。つまり補助的な人員として使えるわけですから。ところが、先進国は、一般の未熟練労働者に対しては極めて厳しく門戸を閉ざす。  先日、G8サミットに関わる市民社会運動に参加するためにドイツに行ったのですが、ドイツの移民支援運動は強いメッセージを出していました。「地中海は今やアフリカ人の墓場になっている」と。つまり、ヨーロッパに渡る途中で船が転覆して、みな死んでしまう。あるいは、まずサハラ砂漠を横断しようという人たちの中で、たとえばリビアやモロッコに着く前に、砂漠で死んでしまう人がたくさんいる。あるいはそのソマリアからアラビア半島に渡る船に人々が大量に乗っていて、これが沈没してしまうというケースが数多くある、というのが現状です。  つまり、先進国が、一般の人たちは絶対に受け入れない、そして知的能力のある人たちについては大喜びで受け入れるという状況の中で、結局のところ途上国の人的資源は、途上国の金で育てたものであっても、どんどん北に流出する。金も援助で来る金よりも、債務で返す金のほうが多い。あるいは向こう側に還流する金のほうが多いというような状況の中で、今においても、資源の移動というのは結局南から北への移動が圧倒的に多い。そこを考えなければならない。それは連綿として培われてきた南から北への不等価交換の流れというものが、いまだに逆転するというところまで至っていないということなのです。 ◆立岩:向こうの金で育ててもらったものをこっちは安く買える。その限りにおいてその人たちは役に立つと。それ以外のそんなに元手のかからない労働力はもうこっちにたくさんあるから、いらないと。専門職というか、そこそこ育成にお金がかかるのを安くやってもらって、安めに買って、その部分は歓迎して、そうでないところはいらないと。むろん国によって、どこが足りない、どういう人ならよいということは違ってくる。今フィリピンの看護職をどうするかとか、そういう話もありますね★。まあフィリピンの場合は、育てて輸出して、稼いでもらってその金を国に送ってもらおうというふうになるから、むしろ国家として積極的に推進しようとしているわけだけれども、そうではなくて、費用使うだけで戻ってこない場合があるということですよね。    ◇方策について ◆立岩:そういうときに、それではどうにもならないと。その場合、考えられる対応がいくつかあるじゃないですか。実際には、徴収の単位は国家で、もう限られている。国家の内側で集めて内側に出すことになる。実質的によその国からもらってこれない。でも人が出るときは、自由に出られてしまう。だから一つは、実際にそういうことをやってる国もあるわけだけれども、人間の流出を人為的に、というか強制的に止めてしまう。あるいは制約してしまう。それって普通の考えでいうと、人の移動の自由を阻害するみたいな言い方で、人権侵害とまで言うかどうかわからないけども、よくないと、そういう話ですよね。ただ、今の話で言えば、それにもある種の合理性があるというか、もっともであるという考え方も成り立ちうるわけですね。人的な流出を防ぐという意味での鎖国をしてしまえというやり方もあるだろうし。ただ実際には難しい。そして移動の制約がよいことかといえば、よくはない。  もう一つは、そして実現可能性の少ないところで言えば、そうやって製品を、向こうで使っちゃう製品を出してしまう、製品じゃなくて生産財を向こうにあげてしまっているわけですよね。だけどそのためのお金は国内で調達してる。それはおかしいのだと。だから、税なら税を持ってくる単位みたいなものを拡げることにする。そういう案もある。  たぶん正論は後者なんでしょうが、それはなかなか難しいからとりあえずのやり方として国境を半ば閉ざすような。でもそんなことは無理なわけで、みんなが逃げてしまう。逃げることも簡単だから、結果的には流出の流れは止まらないというのが現状なんですよね。 ◆稲場:こうした流れを変えようという方向性の中に、一つの大きな動きとして、「ミレニアム開発目標」というものを達成していこうという動きがあります。二〇一五年までに世界の貧困というものをなくしていく、人間がある程度の生活レヴェルをもって生存し得るような環境を、どの国においてもなんとか実現していこうという実践は行われています。もちろん、それに使われている金は、世界の多くの巨大な資金流動の中では非常に小さな一部にすぎないわけですが。たとえばヨーロッパの最近の国際援助改革の流れには、必須保健医療サービスにかかわる必要な医師の数をしっかり確保するために、保健予算のための資金を各国の保健省なり財務省なりに注入して、なんとか保健医療ワーカーの雇用条件を改善し、人材流出を止めようというものがあります。そこで雇用維持できるだけの資金をそれぞれの国の政府に確保させようという動き自体は存在しています。ただ、そこに充分な金は来ていません。  たとえば保健医療人材の比較で言うと、キューバとザンビアを比較すると、人口はほぼ同じ一〇〇〇万人強なんですけども、キューバは医師も看護師もそれぞれ六万人ずついます。その結果、キューバは例外的に、途上国でお金がないにもかかわらず、保健指標は先進国並みを実現しています。ところがザンビアは医師が三〇〇〇人しかいなくて、看護師はキューバの半分の三万人しかいない。その結果としてザンビアの医療状況は、HIV/AIDSの問題もあるからですが、非常に厳しい状況になっています。ザンビアがキューバと同様の平均寿命や乳児死亡率を達成するために、キューバに伍する形の医師を確保しようとしても、今は三〇〇〇人、キューバの二〇分の一しかいない。では、たとえば先進国がザンビアの保健医療人材流出を止め、なんとか人間的な最低限度の保健医療の状況を創り出そうとするときに、それだけの金を先進国がきっちり担保できるのかと言ったら、そうではない。  そこを、市民社会が変えていく必要があるわけです。実際、ミレニアム開発目標を達成するために、ザンビアにはどのくらいの医者がいるのか、そこに対して先進国が二〇一五年までにそれを達成するために必要な資金をきちんと拠出できるのか、ということに関しては、市民社会は、それをやるべきだということで、強い政治的な力を行使しようとしているわけです。そこで、たとえばミレニアム開発目標の実現に全力を尽くすと言っている英国のような先進国がそこまでのポリティカル。ウィルを持っているかどうかが、問われているわけです。人材流出なり資本流出なりという南から北への金の流れを逆転させるということが必要です。その政治的意思を先進国がどこまで持っているのかということが、どれだけ短い期間に、途上国の保健水準を上げることができるかということにおいて、問われていることだと思います。 ■社会運動の戦略・戦術 ◇二つの流れ ◆立岩:その先進国、国家との関係の仕方、その辺の話がね、やっぱり大切で。たとえばエイズの絡みで言うと、アフリカ日本協議会の活動というものは、結局、金を出させなければどうにもならないというところがあって、私はまったくその通りだと思っているんです。そうするとその金はどこにあるのか。要するに税金なら税金とっている国にあると。それも、たんに金が集まらないから国からもってこようとするという消極的な理由ではなくて、これは税金を使ってすべきことである。まともに考えればそういうことになる。そうならざるをえないわけですよね。  そうすると、アフリカ日本協議会にしても、あるいはエイズをめぐる各国のNGOの活動にしても、結局は政府に働きかけ、政府を動かし、やれる範囲で協調しつつ、ということになる。実際AJFにしても、外務省の仕事を請け負うようななかたちで、ちょっとしたお金をもらいつつ、ぼちぼちとやっているというのが実際のところだと思うんですよ。そういう意味でいえば、その手の活動を実際にやり、なんらかのアウトプットを出そうとしている組織というか活動にしてみれば、政府というのは、敵であるのだけれど敵にしきれないというか、とにかく何か味方というか、ある種の交渉相手、金を引き出す相手みたいなものですね。そういうかたちで対峙するのも一つの対峙の仕方だと思います。  それと同時に、そのやっぱり違うノリの方々というのもたくさんいらして、まあ気分的にはそっちのほうが、なんかまあよろしかろうというのも確かにある。その辺りが何か難しくもあり面白くもあるところです。稲場さんはこのあいだドイツ行ってこられて、サミットのときのデモを見てこられて、こないだその話を伺って、私あの話は妙に面白かったんですが。  たとえばG8にしても何にしても、それとどういう対峙の仕方をしていくのか。まあ、していかざるを得ないのかということなのかもしれないけれども。このあいだのドイツのデモの話あたりから。それとともに、言ってみればアフリカというものが、日本はちょっと鈍いところがあるにしても、たとえばヨーロッパにしても、アメリカにしても、あるいは中国にしても、すでに目の付け所というかそういう対象になっているわけですね。そういったところも含めて、いずれも大きな話だけれども、見立てをお願いできればと。 ◆稲場:先日、ドイツのG8サミットに関わる市民社会運動に参加してきて、大変面白かったことがあります。  市民社会運動には、大きく分けて、二つの潮流があります。もちろん、これらは非常に重なり合っているのですが、一つは、特にドイツにおいては非常に目立っていた、“Another World Is Possible”「もう一つの世界は可能だ」という、今の世界秩序を根底から変えることを究極的な目的にする部分です。私自身も、もちろん、現在の世界秩序は根本的に変わるべきだと考えています。しかし、この「もう一つの世界は可能だ」という流れの中で、G8というものに対してどう向かい合うかという、非常に興味深い話です。  今年(二〇〇七年)のハイリゲンダムのG8サミットと比較して非常に対照的だったのが、英国のグレンイーグルズで行なわれた二〇〇五年のG8サミットです。このグレンイーグルズ・サミットというのは、「もう一つの世界は可能だ」ということが共通語ではありましたが、むしろ、どちらかというと貧困をなくすという意味での個別イシュー、たとえば、エイズ、保健、教育といった個別のイシューについて、どれだけの成果を上げられるのかという短期的な成果が焦点になりました。つまり、いつか世界を全部変えてやるんだというような、どれだけかかるか目処がつかない成果ではなくて、たとえば二〇一五年にミレニアム開発目標でいくつか挙がっているところの目標を、しっかり達成させるために、たとえばどれだけの資金拠出を行なうか、何を重点化するか、という、非常に個別的なイシューでの成果が注目されました。つまり、成果ベースのアドボカシー運動であり、この成果ベースの運動を実現するための大衆的な運動が、「貧困を歴史的遺物に」“Make Poverty History”というスローガンと共に大きく起こりました。  このグレンイーグルズに代表されるような、個別イシューにフォーカスをし、短期的な成果を目標にする市民社会運動というのが一方にはあります。これはどちらかというと英国の、世界の貧困に取り組む運動や、米国のHIV/AIDSなどに関わる運動に強く見られる傾向ですね。英米を中心とした個別イシュー系の市民社会運動というものが一方にあります。  それに対して、私自身がドイツで見た限りでは、特に大陸ヨーロッパのフランス、ドイツ、イタリアというG8三ヶ国においては、どちらかというとG8に対して、証拠に基づいた、とくに短期的な成果を追求するかたちで政策や資金を引き出す運動ではなく、そもそもG8それ自体が世界を搾取し抑圧する構造の一つであり、これは絶対に許すことができない、という、G8自体を否定する運動が強くみられるように思います。G8を徹底的に妨害し、権力を震えあがらせる。そういうことを目標にした運動というのが逆にドイツ、あるいはイタリアを中心に強いわけなんです。 ◇ハイリゲンダムG8サミット ◆稲場:今回、ハイリゲンダムG8サミットに向けた最初のデモというのが六月二日にあり、五万人から八万人の人が参加したと言われています。この参加者の構成を見ると非常に明確です。新聞やテレビの報道では、「一部のデモ参加者が暴徒化」という報道が目に付きましたが、実際には、彼らは「一部」ではなかった。たとえば貧困の問題、あるいは開発の問題に関して証拠に基づいた明確な形での成果を求めようという人たちというのは、オックスファム、アクション・エイド、あるいは先進国・途上国で広く構成されているGCAP=Global Call to Action against Poverty(貧困をなくすための地球規模の行動提起)というネットワークの人たちが主でした。しかし、この運動の流れの人たちは、せいぜい一〇〇人くらいだったでしょうか。その後ろに、圧倒的な人数と存在感をもって存在していたのが、ブラックブロック★の隊列でした。  彼らは「貧困を歴史的遺物に」というスローガンをもじって、「資本主義を歴史的遺物に」“Make Capitalism History”という巨大な横断幕を掲げて、巨大なトレーラーを隊列の中にどーんと置いて、数千という巨大な人数でデモを展開した。つまり、直接行動派のアナキストが圧倒的な存在感と人数をもっているわけです。彼らはもちろんデモの最中は大人しくしています。何かしたら他の参加者に迷惑がかかるので、デモ中はただ歩くだけです。デモが終わった後に、もちろん警察が挑発するからという理由もあるのですが、市街戦が始まるわけです。  ちょっと極端な話をしましたが、基本的に、ドイツでは、G8それ自体が問題だということを明確に掲げている人々が、全体の中でも多数派だったと思います。直接行動まではしない参加者にもそういう人たちが非常に多かったです。実際、国際金融取引に課税する「トービン税」の実施を主張している、大陸ヨーロッパでは非常に強力な市民社会運動のネットワークであるATTACに関係している人たちが非常に多く、このATTTACが、ドイツの成果ベースの市民社会運動と、「もう一つの世界は可能だ」というラディカルな運動の接合を実現したわけです。つまり、ドイツのG8に関わる市民社会運動というのは、G8から具体的な成果を引っ張ってくるというよりは、G8それ自体の問題点を明らかにし、これが世界を仕切っている状況を告発しようという、そういうベクトルが非常に強かったわけです。  この点で、二〇〇五年のグレンイーグルズ・サミットに対する大衆運動と、二〇〇七年のドイツにおける大衆運動というのは非常に対極的なものだったということが言えるだろうと思います。さらにドイツの場合は、国内の環境問題に関する運動や、遺伝子組み換え作物に反対する運動、消費者運動、環境運動の強力さというのがあって、そこが運動への動員の中心を成していたので、貧困やアフリカ課題に関する個別の取り組みというのは、残念ながら非常に少なかったです。なかったわけではありませんが、非常に少なかった。  そういう意味で今のグローバリズムなりG8をめぐる非常に対極的な形が、イギリスでやったサミットと大陸ヨーロッパでやったサミットではぶつかっているということです。もちろん、ドイツでもこの両者は協力して、お互いが足を引っ張らないように最大限調整をしてやっているわけで、この点は非常に偉いなと思います。しかし、全体として見ると、非常に対極的な運動であった。その結果、二〇〇五に中心的な役割を果たした英国の開発協力NGOの中には、本音を言えばドイツの運動は大変非効率な運動であった、と評価をしている人たちもいます。   ◇両方が要る ◆稲場:転じて、日本について考えたとき、非常に難しいのは、どちらも厳しい状況にあるということです。どちらも充分な力がなく、異なった意見を持つ人たちが連携する場合の技法や成熟度も充分とは言えない。その部分でどういうふうに、二〇〇八年のG8に対する市民社会運動を組んでいくのかというのが非常に大きな問題なわけです。  一方で、たとえば二〇一五年までにMDGミレニアム開発目標において、乳児死亡率をどのようにしていくのか、妊産婦の健康をどう改善していくのか、必須保健・医療サービスをどう確保していくのか、あるいはHIV/AIDS・結核・マラリアといったものに関して、今すでに合意された世界戦略が存在しているところを、それを実現するためにどうやってG8の政治的な意思を引っ張り出していくのか、ということで考えたとき、短期的に、具体的な成果を追求する運動がなくてよい、という話にならないのは、明白だと思います。  一方で、相手側の正当性に疑問を投げかけ、極めて高い要求を行ない、直接行動をしていく運動もなければならず、これらが共闘することが必要です。これは米国の八〇年代のHIV/AIDSに関する戦略というものが、非常に有効な参照点になると思うのですが、彼らは、HIV陽性者のケアと予防といった社会貢献と、ロビー・アドボカシーと、直接行動を相互乗り入れし、連携しながら行なった。つまり、同じ五〇という目標を取るためにどうするかといったときに、アドボカシー団体が政府に五〇を要求するだけでは、絶対に五〇は取れないんですね。五〇要求すると、結局一〇くらいしかとれない。そこで、直接行動をする団体が二〇〇くらいを要求する。二〇〇要求している連中がいると、ロビー団体が五〇要求することはさして過激ではない、そういう構造になるわけですね。その中でたとえばロビーやアドボカシーをしていく人間が五〇をしっかり取るという、チームプレイが可能になってきます。両方なければ、チームプレイになりません。両方なきゃいけないんです。  五〇くれと言う人しかいなければ、結局その要求は五、一〇くらいしか通らない。そのときに、直接行動を主張し、権力に対して、そもそもお前らには正当性はないんだというような勢力が、いかに高い要求を突きつけ、なおかつ正当性はわれわれの側にあるんだということを見せつけることができるか。そして、権力から正当性を剥奪した上で、正当性がないのに偉そうにしているのであれば、少なくともこのくらいはやってくれなきゃ困るというような形で落としどころを迫る、その中でロビーをする勢力、アドボカシーをする勢力がしっかりと取れるだけの部分をさらってくる。  そういう形にしなければ、権力は、そもそもやる気があるわけではないわけなので、そういう意味で直接行動、プレッシャーをかけるグループ、震撼させる、揺るがすということをやるグループと、成果を取ってくるグループというのが連動して、しっかりその国家権力を操るということが非常に重要なのではないかと思います。 ◇市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れ ◆稲場:逆もまた真なりで、最近は、一部の国家は、市民社会運動を「活用する」ということを、極めて戦略的に考えるようになっています。たとえばグレンイーグルズのサミットの場合、非常に驚いたのは毎月、英国政府の、それなりの地位にいる官僚たちがわざわざ日本にくるわけですよ。そして毎月「日本のNGOに会いたい」「市民社会運動組織に会いたい」と言って、実際小さい規模のミーティングを主催して、「あなたたちのやりたいことは何ですか」と聞いてくる。つまり、彼らはグレンイーグルズ・サミットにおいて日本からそれなりのMDG達成にむけたものを引き出したい、そのときに市民社会運動を使いたいというのがあるわけです。  国家の側が自分の意思を、自分の国際的な方針における意思を貫徹させるために、他国の市民社会運動を活用するという戦術を使ってくる。そういう意味で、たとえば英国は、国家セクター以外の、たとえば民間営利セクター、市民社会セクター、知的セクターといった各種のセクターを様々なかたちで動員することによって、初めて自分たちの世界戦略が実現するんだという頭を持っているんですね。そういう意味で、英国というのは非常に巧妙に市民社会運動への接近や働きかけというものをやってくるのです。  フランスも、英国よりも洗練度は低いかもしれませんが、市民社会活用戦略を持っています。たとえば、フランスは国際航空税というのを導入して、フランスから出国する飛行機便の場合、一人一ユーロを税として取るわけですね。ビジネスクラスだと一〇ユーロ取る。これを彼らは、「国際医薬品購入ファシリティ」、今はユニットエイド(UNITAID)という名前になっていますが、そういう国際機関を作って、そこにプールします。この「ユニットエイド」は何をするかというと、HIV/AIDS治療に使う、第二世代の抗レトロウィルス薬、つまり比較的最近開発された、より副作用が少ない、またよりその効果が高く、第一世代のものを服用したあげく耐性が出来てしまった人たちに提供する、第二世代の抗レトロウィルス薬、あるいは子どもの抗レトロウィルス薬、耐性がたくさんある結核に対する特殊な結核治療薬、耐性マラリアに効く特効薬、こういったものを大量購入し、そうすることによって途上国での低価格での治療アクセスを実現する。こういう国際機関をフランスは作り上げたわけです。シラク政権は、「ユニットエイド」を作るうえで、世界の市民社会を効果的に動員したわけです。  そういう意味で、現在、ヨーロッパ諸国の政府は、市民社会セクターというのを非常に高いレヴェルに位置づけて市民社会と共同で仕事をしていく。あるいは、自分の戦略の洗練度を上げる。たとえば先ほどの、「ユニットエイド」については、市民社会の専門性が大きく活かされています。フランス政府だけが考えたら、そういうものにはならないわけです。たとえば「国境なき医師団」はこういう政策インプットをした、エイズに関わる多くのNGOはああいうロビーをした、というそういうインプットをうまく取り入れていく中で、より洗練された設計の国際機関をつくっていくような形にも利用する。  そういう意味で、いわゆる市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れというのが、特にヨーロッパの国においては非常に連携された形でできてきている、というのが一方であるわけですね。それで実現できていることも、たくさんあります。そういう点で言うと、残念ながら、日本という国の政府は、そういうことをあまり考えたことはないようですが。市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れというのは、現実的で成果を短期的にもたらしうる政策の実現という意味では、特に最近はかなりのレヴェルで実現してきているというのが、二一世紀以降の流れとしてはあるのかな、と思います。 ◆立岩:今のお話のポイントの一つで、大切なことだと思うのですが、基本的にそのロビイングやって何ぼくれと言って取ってくるタイプの、モノ取り型の運動と、それから、外にいてなんかときどきもの壊しちゃったりしながら騒いでいるタイプの運動というのが、一番基本的なところでは対立しないというか、対立しないように仕向けることは、少なくとも基本的なレヴェルでは可能でありまた必要である、ということですね。  それはその通りだと思います。現実にはその中でいろいろな摩擦が当然あるわけですが、しかし、両方ないとものごとはうまくいかないというのはその通りで、そういったときに、確かに英米型のNPOとかNGOは、組織のマネージメントあるいはロビイングの技術も含めてかなり高等なものをもっていると。それが得意だということがあって、それはそれで必要であると。  そしてどちらかというと、AJFというのは、HIVに関わらざるを得ないでやっているという位置取りで言えば、もっとも効果的であるという意味で、そちら系のNPO、NGOの道を歩まざるを得ない。しかし、違うタイプのちょっとはしゃいだ感じというものもあると。両方必要なのに、両方ないということも事実で、AJFにしても、両方を一つの組織がというのはそもそも不可能なことだから、さし当たって今の位置取りで言えば、地道なというか、ある種のロビイング系の組織として、ふるまわざるを得ない。だけど、それだけでは淋しいわけで、他の方々もどうぞみたいなことだろうと。  もう一つ、さっきの話できちんと考えなければいけないと思うのは、そういう“Another”なんとかというか、「別の世界は可能だ」という形でかなりでかい話をするということが、実質的には、非常に素朴な意味でのアンチ・グローバリズム、単純な地域主義みたいなものになってしまうということ。  地域農業を守ることが悪いことだとはけっして思わないし、農業は農業として守られるべきだと基本的に思うけれども、時と場合によっては、その先進国のある種の既得権益ですよね。非常にラディカルで、場合によっては過激であるような運動が、ある意味、地域に閉じるというか、そういった傾向を持ってしまうということは、二つのタイプの運動が連帯していくにあたっても、考えに入れなければいけないファクターの一つであろうと思うんです。これが二つ目ですね。  それで、最後におっしゃった、今や国家にしても、市民社会レヴェルの様々なものを使い、連結しながらやっていかなければというお話。少なくとも、今例に挙げたフランスであったりイギリスであったりにしてみればそのとおりだと思うんです。そうしたときに、アフリカという国たちというか地域が、どういうふうに映っているのかについては、どうなんでしょう。 ◇何をもう一つのものとするか ◆稲場:いくつかの点があると思います。まず、直接行動的な市民社会運動と、個別課題・成果ベース型の市民社会運動の連携について考えたときに、成果ベース型の運動が気をつけなければならず、なおかつ見えていない問題は、両方が協力したときにどちらが政府から評価され、どちらが弾圧されるかということです。成果ベース型の運動は政府から評価され、直接行動型の運動というのは徹底的に弾圧される。お互いが協調して成果を出そうとしたとき、極めて著しい利益の不均衡が起こる。これは、連帯にあたって大変大きな問題です。  ロビイング系のNGOは、政府から持ち上げられ、高く評価されることすらあるわけです。ところが、直接行動型のほうは、場合によっては刑務所行きということにもなりかねない。そういうときに、実際にどのように利益の均衡を確保するのか。また、直接行動型の運動が、民主主義の維持・発展、表現の自由の確保などの観点で実際に社会的に担っている役割がきちんと評価されているか、そこの部分が適切に考えられなければいけない。そうでないと直接行動型のほうが、一方的に酷い目にあって終わりということになりかねません。  もう一つ、個別課題・成果ベース型の運動の問題というのは、長期的に到達すべき地点、目指さなければならない世界というものの像を見失う危険性があるということです。たとえば、ミレニアム開発目標が二〇一五年までに達成されればそれでよいという話になるのかどうか。ミレニアム開発目標の中の最大の目標は、二〇一五年までに一日一ドル以下で生活している人間、あるいは飢餓状態にある人たちを半減するというものです。ところが。半減を達成しても、残りの半分は以前より貧乏になっているかもしれない。ミレニアム開発目標がすべてを解決するわけではないのです。  さらに二〇一五年になったときに、予想しうる危険性というのは、フランスなり英国なりヨーロッパの国々、あるいは米国が、主観的にはたくさんのお金を動員して貧困の克服・開発を一所懸命してあげたのに、二〇一五年になってまだ達成できていないのは、途上国の自己責任だ、ということに転化してしまうかもしれない。二〇一五年以降の貧困については途上国の責任だとか、われわれの植民地主義の責任は二〇一五までの努力で清算されたのだ、などと言い出しかねない。こうしたものにどう立ち向かうかということです。  それを考えたとき、個別課題・成果ベース型の運動は、当面の政策課題を達成するということに関してはできるかもしれないけれど、ロングタームな、どういう世界を目指すのかという理念のところに関して、より大きなレヴェルで社会の変革を訴える運動と対話をしながら、ありうべき世界像をしっかり作っていかないと、権力に吸収されてしまう危険性があります。ここのリスクというのは、すごく考えなければいけないところです。だからこそ、市民社会には両方がなければならない。お互いが批判しながら、広いフォーカスでものごとを見ていくという姿勢をつけなければならない。  逆に言えば、日本の直接行動型の市民社会運動が、もっと真剣に考えなければならない部分もそこにあるわけです。どういう世界を目指すのかという理念の部分について、より適切で説得力のある論理や設計を打ち出す必要があるわけです。そういう点で、ありうべき世界像というようなものを考えるということをより意識的にやっていく必要がある。  あるいはその“Another World Is Possible”というスローガンが、単にスローガンだけで終わるとすると、それは非常によくないだろうと思います。どういう“Another World”なのかということを、愚直でよいから、具体的に考え、しっかり提示しなければならない。「もう一つの世界」を一つのモデルとして実体化し実践しようとした社会主義や共産主義が冷戦の終結で退場した後で、目指すべき国家と世界の理念というものは、結局大国が打ち出すものになってしまっている。たとえばG8など大国が打ち出すミレニアム開発目標であるとか、非常に父権主義的な世界像などに収斂されてしまっている。その中で、市民社会が、何を“Another World”として目指そうとするのか。  たとえば、今、中南米ではいくつかの実践がいろいろと問題を含みながらも存在していますね。ベネズエラでチャベス政権が打ち出そうとしているものが、“Another World”の一つになりうるのか、それともなりえないとすれば、何が問題で、市民社会が目指すものはそれとどう異なるのか、さらに言えば、自分が国家権力を掌握したとしたら、どんなやり方で、どのようにその「もう一つの世界」を作り出そうとするのか、そういうような世界像を市民社会が出していかなければならない。その作業がなければ、結局、個別課題・成果ベース型の運動はMDGの達成だけに血道を上げ、直接行動団体は、中身が空の「もう一つの世界」を唱えていればよいということになって、その結果として市民社会運動の思想的な堕落が起こる、それが非常に懸念されると思うのです。 ◆立岩:仏・独・伊のブラックブロックの人たちは、そのあたりについてはどうなんでしょう。 ◆稲場:ブラックブロックなりアナーキストグループの人たちというのは、大陸ヨーロッパが持っている様々な伝統、暴力的な市民社会運動というものを一定程度容認しうるような、ある意味寛容な伝統とか、スクォッティングとかキャンプに代表される彼ら自身のコミュニティの基盤とか、そういったものに裏打ちされている。当然、限界を持っていてもしょうがないと思うんです。  ただ、その中で生み出されるものもあるわけだから、それを言語化してもらって普及していくことは、目的意識的にやってもらえるといいなとは思っています。やりたい人は当然いると思っているんですけどね。 ◇アフリカの条件・可能性 ◆立岩:さっき僕が、南アフリカで、と言ったのでそうなったのですが、南アフリカの場合、まがりなりにも、たまたま、天然資源が大量にあり、それも背景にしつつ、第二次産業は高いものをもっている。そういう意味で言えば、あとはもう何とかしてその成果を分ける仕掛けさえ作ってしまえば、本来はよいはずだと。アジア経済研究所の牧野久美子さんは南アのベーシック・インカムの研究をされていますが★、理屈としてはそういう話が成り立ち得ますよね。  ところが、アフリカ全体で、資源にしても何にしても、過去の蓄積というか、低開発の結果ということであるんだろうけれども、もっとハンディがついてしまっている地域というのは広大にあるわけじゃないですか。そういった地域に対して、やりようというか。これもざっくりした話ですけれども……。 ◆稲場:まず、南アフリカ共和国は、歴史的な負の遺産が非常に大きい国です。分配構造というものを作ったとしても、それがきちんと機能するとはかぎらない。さらに、アパルトヘイトの歴史の中で人々が被った圧倒的な精神的荒廃、それが凶悪犯罪の多発に帰結しています。ですので、貧困度の激しい他のアフリカ諸国と、南アフリカ共和国のような巨大な負の歴史的遺産を抱えている国とを比較したとき、どちらが大変かはわからないと思います。  たとえば南アフリカには社会保障制度はいちおうあります。ところが、あの恐ろしい貧困、暴力、そして完全に崩壊したコミュニティ、そういう条件の中では、社会保障がまともに機能しないという状況があるわけです。中上健次の小説はかつての日本の地方社会の極端に複雑な家庭環境を描き出していますが、南アフリカの貧困層の人々が作る家庭環境や人間関係は、みな、それ以上に複雑、というところがあります。こうした複雑な社会や人間関係の上に社会保障を一つひとつ適用して行くためには、ミクロな人間関係を読み解き、社会保障のちょっとしたお金、しかし、それが家族や親戚十数人、数十人を養うことになる絶対的なものでもあるお金がもたらしかねない負の影響をできる限り減らしながら制度運用をできる、能力の高いソーシャルワーカーが絶対に必要なんですね。ところが、南アでは、ソーシャルワーカー一人が担当しているケースは二〇〇〇件である、とすら言われています。そういう南アフリカ共和国の社会保障制度をどういうふうに再興して新しいシステムを作っていくかということを考えたとき、やっぱり物凄い工程が必要だろうなと思います。そういう意味でも、南アフリカ共和国は非常に大変だと思うんですね。▼▲  他のアフリカ諸国と言ったとき、これまた各国が個別的に抱える大きな問題があります。南アフリカに劣らぬ様々な歴史的な負の遺産を抱えている国がある。すべての国が分断国家、すべての国が多民族国家である。さらにアフリカ諸国は、そもそも植民地支配者の言葉で何もかもせねばならぬという圧倒的なマイナスからのスタートを強制されている。そんなアフリカ諸国をみるときに、たとえばHIV/AIDSの問題、貧困の問題、病気の問題、教育の問題、そういった今の問題を解決することが必要なのと同時に、アフリカがいかに自らを統合していくのか、ということが重要だと思います。  非常に興味深いことですが、北アフリカをあわせても、あんなに巨大なアフリカ大陸に八億五〇〇〇万人しかいないんですね。ところが、国の数で言えば、モロッコによる不法な軍事占領を被っているサハラアラブ民主共和国、いわゆる西サハラを加えて合計五四ヶ国もある。計算すると、一国平均で日本の東北地方くらいの人口規模しかないんですね。しかも、それらの国が植民地主義によって引かれた国境線で分断され、自分の国にいくつもの民族がいたり、あるいは同じ民族なのに隣の国にいたりする。そういうような状況の中で、一つひとつの国が自立した経済規模をもつ国家として成立するわけがありません。そうしたとき、いかに植民地主義による分断を克服して経済的な統合というのを、たとえば地域レヴェルで行ってなしていくのかというのが非常に重要になるわけです。  南部にはすでに経済共同体というのがいちおう出来ています。つまり、南部アフリカ開発共同体(SADC)があり、西アフリカにはECOWAS、西アフリカ経済共同体もある。これらがいかに過去の植民地主義で分断された部分を統合して、一つの経済的・政治的な単位として成長していくことができるのか。分割統治の結果がこの五四カ国であるわけですから、それをどういうふうに一つの政治的・経済的・社会的・文化的な単位として、あの過去の分断を克服して統一を実現させていくのか、そして、アフリカ全体が、かつてアフリカ全体が独立したときに掲げ、なおかつそれが理想主義的だったために成立しなかったパンアフリカニズムというものを、どういう形で現在にリバイバルさせるか。それも、九〇年代の過酷な時代を経て現在、事実上出現しているところの、欧米によるアフリカのいわば共同管理という現実を乗り越える形で、リバイバルさせるか、そこがアフリカの今の市民社会と国家権力に問われているところだろうと思います。  今たとえばアフリカ連合(AU)が、アフリカの統一であるとか、あるいはその経済的な分断をどう乗り越えていくかというヴィジョンを、ある程度自ら形成するものとして出してきています。また、それぞれの国の統治のあり方をお互いに評価する「アフリカ・レビュー・メカニズム」というものも存在している。このことは、過大評価でなく真っ当に評価すべきことです。   ◇諸国にとってのアフリカ ◆稲場:日本は、幸いなことに、アフリカに対する植民地主義によって手を汚すことはなかった。そんな日本が、アフリカの脱植民地化と統一のための努力をいかにサポートできるか、というのが一つあるだろうと思います。日本をはじめとする非欧米諸国がアフリカにコミットする場合、いかにヨーロッパによる分断を克服し、統一を実現することができるのか、そのヴィジョンを持つべきだろうと思います。  逆に言うと、中国やインドという、アフリカに主要に関わっている非欧米諸国が、アフリカにコミットする場合に、非欧米諸国の連帯の姿勢が非常に重要になってくるわけです。今のところ中国やインドのアフリカ進出は、かつてのアジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯という視点を喪失し、経済的な利権という本体に、わずかな外皮として存在しているだけです。逆に、その理念を実体として復活させることが重要だと思っています。  アジアが今これだけ浮上し、そして数百年続いた欧米中心の世界システムが根本的に変わりつつある中で、今までの欧米中心の経済システムの中で一番末端に位置づけられていたアフリカにも浮揚の可能性が出てきている。実際に浮揚できるかどうか、そこには、植民地主義で分断されたアフリカの歴史を終わらせるためのアフリカ自身の努力を、非欧米の大国がどれだけサポートできるか、というところに鍵があるのではないかと思っています。 ◆立岩:基本的にそうだし、そうでしかありえないと思うんだけれども、まだ聞き漏らしていた話として、インドや中国というアジアの大国、あるいはその手前で、旧来の欧米の大国にとってのアフリカという話ですね。  一つは単純に考えられるのは、原料の産地であり、製品を売る場所でもあるマーケットとしてのアフリカということだけれども、それはそれとして、今でもあるし、これからもいくらかは成長していくだろうということもあるのかもしれないし、もっとということもあるのかもしれない。  ただそういう経済的な部分と、一方で、ここに講演にきたことがあるバリバールもそういうことを本に書いているけれど★、もう放っちゃといた方がある意味コストがかからないんじゃないかという、そんなことになっているところもあるのかと。マーケットとしての利益を放棄しても、放置してしまおうという。エイズなんか、まじめに関わって、お金を使うことになるんだったら、もうやめようみたいな。で、捨てとくか、とっておくかみたいな。  でも、放っておきたいけど、完全に放っておいてそれでどうなのかと言えば、ある程度人道的な批難も当然受けるだろうし、テロリズムにしてもなんにしても、軍事的な意味も含めた不安、不安定というものになると。  そういうことも、様々に関わっている可能性があると思いますが、その辺の位置取り、現状としての位置取りがどの辺にあるのか、今後どういう形で変わりうるのか、あるいは変えるべきなのか。 ◆稲場:そこは難しい問題です。まず、アフリカへの援助がこれまでどういう形でなされてきたのかを振り返ったとき、八〇年代後半の構造調整政策に触れなければなりません。まず、構造調整以前に、アフリカ諸国をソ連に取られないために、西側が莫大な援助をしてきた時期があるわけです。つまり、どんな独裁者であろうが、ソ連に取られないためにとにかく援助をするという時期があったわけです。ところが、ソ連が崩壊する中で、アフリカに援助をする必要がなくなり、実際に援助が途切れていく、さらに構造調整により、これまで山ほど負わせた借金を返せと迫っていくという、八〇年代後半から九〇年代という時代があった。  今まで独裁者を支援して膨大なお金を注いでいたところが、何も来ないどころか、お金を払わなければならなくなった。その結果九〇年代にアフリカはどうなったかというと、構造調整政策によって、なけなしの公共事業や教育・保健に出していたお金が、全部借金を返す方向に流れていく。お金がなくなる中で、極めて悲惨な状況が起こってきた。アフリカ諸国の多くが内戦に陥り、なおかつHIV/AIDSに至っては、それで何百万人という人たちが次々と感染をし、そして南部アフリカでは感染率が二〇%になり、平均寿命が三〇代に落ちる。この状況が毎年、世界に向けてレポートされていたにもかかわらず、何もなされなかった。そういう破局的な状況が生じていった。  この「空白の時代」をどうみるか。一つの論拠として、アフリカの経済シェアは小さいから、世界から無視されている、たとえば、世界経済なり世界貿易に占めるサハラ以南アフリカの割合というのはわずか三%だろうというのがあります。ところが、その論理では捉えられないこともある。  たとえばフランスという国を考えたとき、非常に端的に言ってしまえば、フランスというのはアフリカの旧植民地が無ければ、ただのヨーロッパの二等国に過ぎない。本土しかなくなるわけですからね。彼らが世界帝国として対米・対英で自信を持つことができるアイデンティティ上の根拠がどこにあるかというと、これは当然ながらアフリカ植民地にあるわけです。フランスが自分の権益を守り、自分が支える、もしくは自分が支えられる場所としてのアフリカ旧植民地がなくなったら、フランスは本土しかなくなるわけですから。  つまり、タダモノ主義的な観点からは、アフリカは貿易上は三%しかないかもしれませんが、実際には、フランスを帝国ならしめる根拠はアフリカ植民地にあり、フランス帝国はアフリカ植民地がなければフランス帝国たり得ない。すなわち、フランスはアフリカに依存しているわけです。大江健三郎は一九七一年の名著である『沖縄ノート』において、「日本は沖縄に属する」という端的なテーゼを自分自身と、日本人全体に突きつけましたが、それと同じです。このいわゆるアイデンティティ上の依存というものがやっぱりある。  それは英国についても同じです。今、ムガベ政権下のジンバブウェと英国の関係はとても大変なことになっていますが、どうしてかというと、ジンバブウェにイギリスは物凄い利権があるからです。二〇〇〇年に、「土地改革」の名のもとに、国内の可耕地の七割を支配していた白人の土地を没収しようとしたムガベ大統領を、英国は独裁者だと言って延々と責め立て、ムガベとフセインは同じような独裁者だというところまで言った。この英国のやり口には、旧英領アフリカは自分のシマだという意識がのぞいています。  いずれにせよ、ヨーロッパは自分の存在意義を位置づけるためにアフリカに依存している部分というのが物凄くあるわけなんですね。それは経済、数字では測れない。なおかつそれは逆の意味でも位置づけを持っています。つまり、今のヨーロッパは、いわゆる三角貿易の重商主義による、数百年にわたるアフリカと新大陸とヨーロッパを結ぶ連鎖的な不等価交換を延々と続けた結果、資本を蓄積して先進国になっている。欧州とアフリカには、そうした歴史的な依存関係が存在しているわけです。  そういったことを考えたとき、現在における経済的な量はたいしたことはないにしても、彼らは結局アフリカというものと、関わりなくはいられないわけです。もっと単純に言えば、狭い狭い自分の国のすぐ南にこんな巨大なところがあるわけで、関係ないという話にはならないわけですよ。 ◇腹くくればさほどでないこと ◆稲場:そういう状況の中で、特に九〇年代末から、欧米の援助が徐々に増大していきます。しかし、援助の金は多く見えますが、他の金に比べればたいしたことないんですね。イラク戦争の戦費とか、そういったものに比較すれば全く小さい。たとえば二〇一〇年までにHIV/AIDSに対して予防・ケア・治療のユニバーサル・アクセスを実現するために必要な経費は、UNAIDSの見積もりでは二〇〇八年において二二一億ドルであるということです。二二一億ドル、つまり二兆四〇〇〇億円。これは日本の歯科治療費総額と一緒なんですね。  つまり、日本の歯科治療費総額と同じものを世界全体でエイズ対策の費用として拠出すれば、それでユニバーサル・アクセスが実現するということです。結核やマラリアに関して言えば、数年前の見込みでは六〇〇〇億円でなんとかなるはずだった。六〇〇〇億円というのはNHKの年間予算と一緒です。つまり、先進国で一つの巨大な組織の予算くらいのものを投入すればなんとかなる。ところが、この程度の規模の金が出ないという話なんです。世界の予算組みの配分をある程度発想を転換して変えることで容易に動員できる金だということは言えるわけです。  そんな小さなのレヴェルにも達しているわけではない、とは言えるのですが、援助の金というのはある程度増えてきています。これは、アフリカの人道危機というものがあって、それに対してどういうふうに世界が向き合うかといったときに、ある程度動員しなければいけないという中で起こってきたことです。そしてミレニアム開発目標が二〇〇〇年に設定されて、二〇一五年までに世界人権宣言の中での社会権というものをなんとか実現していくという方向性がいちおうある。ただそれに必要な資金は全然追いついていないという現状です。  ヨーロッパのアフリカに対する関係には、非常に複雑な、長い植民地主義の歴史、あるいは奴隷貿易といった関係性の中で築かれた複雑な認識があるので、非常に難しい。地理的に遠く、歴史的にも関わりが浅い日本であれば、アフリカを放置してもよいという発想になるかもしれませんが、ヨーロッパとアフリカは、先に見たように、言ってみれば「共依存」の関係にあるというふうに言ってもよいくらいのものだろうと思います。「共依存」の関係、病的な関係である以上、それを修正していくには、アフリカとヨーロッパ、あるいはアメリカだけではできない。そこに第三国がちゃんと登場していかなくてはならない。そしてその第三国の役割というのは、どういうふうにこの共依存関係を解くかという部分を考え、介入していくということでなくてはならない。  その道筋を付けるのはどこなのかといったとき、中国やインドに今それができるかといったら微妙ですけど、ヨーロッパやアメリカではないところが、それをしなければいけないのではないかと思います。アフリカを取り巻く世界像を、アフリカ側がきっちりリードしていくことが必要だし、それは今、徐々にできてきているだろうと思います。  日本はそういう文脈をしっかり捉える必要があるでしょう。日本のここ数年の援助論理というのは、ODAが減って行く中で、非常に内向きのものになっています。ODAを増やすためにどういう仕掛けをするか、というのはいろいろな人が考えているわけですが、その中で出てきているのは結局、「ODAは国益のためである」というマントラを内輪の会議で合唱する、という傾向です。好きにすればよいのですが、どこか国際的な場所で、「わが国はODAを国益のためにやるのであります」と大きな声で言えるかというと、それは言えないわけですから、そんなことをいくら内輪で確認し続けてもしょうがないわけですね。ですから、百歩譲って、援助は国益のためのものだとするにしても、そうではない別の言い方をちゃんと考えなければいけない。  それからもう一つ、これは市民社会としては逆説的な言い方になるのですが、世界第二の経済規模を持っている日本という国が、アフリカは遠くて関係が浅いからということで、自らのアフリカに対する戦略を持ち得ない、援助しなくてもよいというのであれば、すなわちそれが意味するのは、日本は世界全体に対する戦略を持たない、そういうレヴェルに位置する国家として今後生きていくということなわけです。本当にこれでよいのかということを、国家の側はちゃんと考えなければいけないわけですよ。日本の国家権力がアフリカについて考えるときに、この規模の国家が当然持つべき世界戦略の中で、当然にしてアフリカを位置づけるのでなく、すぐに「遠い」「関係が浅い」という認識が出てきてしまうところに、ある意味、日本の政策能力の脆弱性というものを認識せざるを得ないところです。 ◆立岩:たしかに、国家統治のサイドに対する物言いとしてはそういう言い方はありだと思うんですね。  「共依存」という言葉を使われたけど 一つは、特にヨーロッパというのはアフリカに対してしがらみがあると。しがらみがある以上、なにがしかのことはしなければいけなくて、やっていると。しかし、それは共依存であるがゆえにというのか、いろいろなひずみ、うまくいかないところを必ずもたらしていると。  もう一つのポイントは、たしかに金はかかると。そりゃ、腹括くんなきゃいけないと。だけれども、無茶苦茶かかるという話ではない。そういう意味で言えば、実現可能性がもともとない話ではなくて、できることだというところから発すればよいと。  そういった場合に、金がないわけではない日本が別のスタイルで、というか別のスタンスでこれに関わることはできるだろうし、そのときのあり方というのはアフリカの一つひとつの国を単位にしたものというよりは、あるいはアフリカのある種のユニティみたいなものに関わるものであるだろうという。ある意味明確なヴィジョンというか方向は私も同意できるという。▼僕はすごい面白かったですよ。で、こんな時間たっちゃいました。 ◆稲場:すいません(笑) ◆立岩:すいませんっていうのはこっちの方で。僕はよく授業とかで 二コマ続きで三時間ぶっ通しで休みなしで喋ったりするので、私は慣れているんですが(笑)、稲場さんどうも大変でございました。 ◆稲場:皆さんどうもお疲れ様でした。 ◆立岩:っていうわけで今本当に七時でございます。めしも食わなきゃいけないし、やったらもっとやっていけると思いますけど、だいたいあと三〇分くらいでね、質疑とかにしましょうね。 ◆質疑応答 ◇ターゲット/モビライズ… (稲場)あと、あのテーマにあった話でしたでしょうか。 (栗原)うん、それは大丈夫ですよ(笑)。 (立岩)栗原さん、補足してっていうか…。あれば。 (栗原)僕としては単純にこんだけひどいよ、って話だけじゃなくて、どこをどうとっていくかみたいな話が聞けるだろうな、って思っていたので、具体的にはその、たとえば僕らの特集に勝手に絡めてもらえれば、「社会」ですけど、だいたい、社会的なものをどうやって取るかみたいな…、その動態としての運動というか方向としての運動というか、そういう話を厳しいところもあり、かつどっかの何か…複雑なんだけどちょっと楽しみながら、というか…。そういうことで面白い話聞けて非常に嬉しかったんですけれども…。  最初の方で具体的な話がでましたよね、その日本における茨城に来ているナイジェリアの人とかカメルーンの人とか。そういうこう個別な事象がありつつも、かつ、その何かちょっといかにもCOEっぽい話かもしれないんですけど、エイズとかそういう話の中から、国際的な医療保険システムとか抜本的な医療システムみたいなのの、どうやって構築するのかみたいなところが、あってしかるべきかなと思うんですね。それってちょっと大きな話だし、抽象的な話なので具体的にどうっていうの、たとえばそのナイジェリアの人たちの話聞いちゃうと、それのバランスで、ちょっとどう目指していいのかとか、どういうことイメージすればいいのを、がちょっと知りたいかな、というかたちなんですけど。 もう少し、HIV/AIDSについての補足的なお話などは……。 ◆稲場:HIV/AIDSに関する普遍的なアクセスを達成するために、何が必要かという話は、保健に関する援助、あるいは国際保健というものをどうしていくのかっていう、世界の援助潮流の最先端にあたる部分です。各国が競って、国連機関が競って、国際機関が競って作っていくという部分なわけです。  これはまた話すときりがなくて、論文が一つ書けてしまうくらいの話なんですが、まあ三つあるとして、一つは政策的なターゲット、グローバルな政策的ターゲットを作るという話です。たとえばHIV/AIDSで言えば二〇〇二年から三年に打ち出された「3バイ5」★。その当時、すぐHIV治療を必要とする人は六〇〇万人いた。ところが二〇〇二年段階では二〇万人しかアクセスできていなかったんです。そのうちの一〇万人が、途上国で唯一、必要な人にエイズ治療薬を供給してきたブラジルの人たちだった。膨大な途上国の中で、五九〇万人が治療薬を必要としているのにアクセスできていない。ターゲット設定をしっかりする必要が当然でてくるわけです。市民社会とUNエイズ、それとWHOがターゲット設定の役割を果たした。そして、二〇〇二年から三年において、二〇〇五年末までに六〇〇万人のうち三〇〇万人の治療を実現するというターゲットが設定されたわけです。  このターゲットを達成するために、アメリカでいえば「アメリカ国際開発庁(USAID)」であるとか、いくつかの二国間援助機関ができた。さらに一番推進力になったのは二〇〇二年に設立された世界エイズ対策、結核・マラリア対策基金、このグローバルファンドです。このファンドが多国間の機関として資金を集め、もう一つ世界銀行が、多国間エイズプログラムをやって、保健システムなども含めてある程度お金を出す。さらに、いろいろ政策上の問題はあるんですが、世界において治療を格段に増やす大きな推進力となったのがブッシュ大統領の、「米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」なわけです。  この三つがそれぞれ相乗効果をもって、二〇〇五年末までに三〇〇万人はいかなかったけれど、百数十万、そして二〇〇六年の半ばくらいには一六〇万人という数字が出ています。このターゲット設定のために、そういうかたちでの国際機関が動いたということがあります。  次にターゲットに対して資金をどれだけモビライズするかという仕組みで、「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」とが設立されて、いくつかの資金拠出機関がどういうかたちで連携して実践するのかというときに、いくつかの戦略がでてきた。二〇〇五年末までに達成できなかったがゆえに、二〇一〇年末までにユニバーサル・アクセスを達成する、つまり治療が必要な人は治療を受けられるようにする、そういう体制を作るという目標が、国連とG8で承認されて、それに向けて、UNAIDSは、モニタリングプロセスを二〇〇八年と二〇一一年に発動する。そしてグローバルファンドは資金をしっかり担保する。目標がいちおうこういうかたちであって、資金がある。さらにそれぞれの目標達成のための資金を担保していく、どう使っていくかに関していろいろな国家セクター、市民社会セクターが動いていく、そういう枠組み作りが、HIV/AIDS、感染症に関して非常に発達したのがこの一〇年間、二〇〇〇年沖縄サミット以降に非常に発達した部分なんです。理論化され、なおかつ実践ベースにおいても応用されていった。  エイズワクチンの開発や様々な予防手段の開発に関してもそういう動きが出て、実際に一定の資金も投入されている。一方で社会保障・保険部分に関してはまだまだ動いていないんですが、いずれにせよそういう枠組みの理論化と実践がこの八年の間に大きく発達して来ているということが言えます。  同様のかたちで、基礎教育の充実に関しても枠組みができています。世界の保健水準と教育水準を包括的に向上させていこうとする枠組みは、相当に進んできてはいる。ただ一方で、資金が充分には投入されていないという大きな問題が残っている。もっと詳しく話せば話せるんですが、そういったところでしょうか。 ◇傷/ウィリングネス ◆立岩:だいたい今7時一〇分なんで、まあいくらなんでもというか、半には終わりたいと思います。だからあとニ〇分ぐらい。あとはもう飲み食いに行ってそこで個別にというか、みんなでというか、話せばいいんじゃないかなと思います。っていうことでだいたいそろそろ店じまいモードに入っていこうと思うんですが、その手前のところで一つ二つ、質問があれば、皆さんいかがですか。 ◆N:本当いろいろ々と詳しいお話を伺って大変勉強になりました。ありがとうございました。今日のテーマに貧困っていう言葉があったんですが、心の貧困っていうことに関してのお話はなかったような。ですから、すべてあらゆる立場から人間たちの心の部分の貧困にはどういうふうな手が打てるかっていうふうなことが、今日のお話の中にはなかったような気がしまして、でやはり心の貧困にどういういったいどんなような栄養であるとか、何かが注げるのかっていうことに私は非常にお話伺いながら、とても気になりまして。  で、たとえばひとつ考えたときに、日本で来年サミットがあるときに日本の市民運動が何ができるかっていう話にちょっと引きつけますと、昨日街中に行きましたら、増税反対、増税反対っていう演説があって、ま、たしかに今の自民党政権で消費税増税なんかしたらどうかっていう話はあるんですが、先ほどからのお話で、日本の歯科医療費一年分っていう時に、すごく具体的な数字をお出しくださったときに各、日本人が全員一年間我慢っていうわけにはいかないですよね。そしたらその具体的な数字をもとに、日本の市民団体が私たちが何年間か、その分増税したら出来るんですよみたいなそういうずごいポジティブで熱い心で、自分が出来る、是非したいって一人一人の市民が思えるような方向付けみたいな、そういう痛みを引き受けましょうみたいなことを、やっぱりすごく人材もあり、情報もある市民運動がなさることが出来たら、すごく世の中変わると私思うんです。だから何かそういうふうなこと来年日本にサミットが来るのであれば、つながるのであれば、っていうふうなことを考えさせていただきました。 ◆稲場:ありがとうございます。ちょっと二つくらい言うことがあるのかなと思うんですけど。一つは途上国における心の問題っていうのは非常に厳しいものがあり ◆N:先進国だけの心の問題じゃなくて ◆稲場:南アフリカ共和国は先ほど申し上げたように、非常に過酷な歴史を持っていて、かつその過酷な歴史に対する代償が、きちんとされていない。代表的な和解プロセスとしてあったのが、有名な「真実と和解委員会」という、ネルソン・マンデラとデズモンド・ツツ司教という二人の哲人を看板として行われた和解のモデルですが、この和解プロセスに多くの人々が納得できたかどうかというと非常に難しい。そんなに簡単にアパルトヘイトによる虐殺を忘れることはできない。  あるいは、アパルトヘイトに対して戦った側の暴力も裁かれたわけですが、これまたBC級戦犯的な意味での問題点があった。たとえば、アパルトヘイトに対して戦おうとした若者たちがどうなったかというと、アフリカの社会主義の国々の支配者グループの勝手な都合で引き回されて、アンゴラなどいろんなところで戦わされるということになった。しかもそこでやったことを問われて、結局、自分たちの戦ったことは何だったのかということになってしまった。  真実と和解委員会は、とくに南アフリカにおいては、ネルソン・マンデラとデズモンド・ツツという、偉大な二人がいた結果、形の上ではなんとか収まったけれども、実際にそれによる代償、和解効果というものが個別のレベルで本当にどの程度あったかというと非常に厳しい。さらにそれが途上国における和解モデルという形になって、ネルソン・マンデラもツツもいない国でやっても厳しいわけです。きわめて長期的かつ残酷な残虐行為と人種差別というものがあって、それが多くの人々にネガティブな意味で精神的にダメージを与えていて、どう和解プロセスにもっていくのか、癒しというものをどう追求するのかはすごく難しいことなんです。  たとえばルワンダの大虐殺があって、それに対して今いろいろなかたちで、和解プロセスをやってはいるわけですが、あれはあれでまた大変なんです。さまざまな歴史的な経緯、それによる精神的なダメージをどう乗り越えていくかについては本当に手当てがされていない。途上国の精神医療をどう向上させるかのイニシアティブはWHOが少し考えていますが、ほとんどお金があてがわれていない。これもとても大きな問題だと思います。  もう一つは、いわゆる増税というような問題なんですけれども、一方で欧米における市民社会運動と「貧困を歴史的遺物に」というとかそういう社会運動っていうのが、そういうウィリングネス、世界のウィリングネスというものを動員しているということも非常に大きな要素であって、これは事実であって、それと同様のことを日本でどれくらい展開できるのかっていうことはなかなか難しいですね。気候変動っていうのは、自然がもっとも大きな啓発メディアになってくれてるので、つまり台風がくればみんな台風大変、気候変動大変、ってみんないやおうなしに思うというのがある。ところが感染症の場合は、HIV/エイズなんかの場合、そうならないと。しかも気候変動は自分の問題だけどアフリカのエイズは他人の問題だという中でどういう形でそこにウィリングネスっていうものを動員していくのかっていうのはすごく難しいことだなあと思うんですけど。  日本がイノベイティブな海外支援メカニズムをつくるってことが出来るのかどうか、なかなか難しい問題で、気候変動に関しては何らかの形で出来るだろうと思うし、やった方がいい。やった方がいいっていうか、ある程度できる政治的な圧力があると思うんですけど、同様にそういうものを感染症であるいは途上国の保健支援で作れるかどうかっていうのは市民社会にとって非常に大きなチャレンジだと思います。それなるべく出来るようにはしたいと思いますんですけど。そこをまだアイデアが充分ないですね。なるべく検討してっていうか、頑張っていきたいなとは思ってますけど。 ◆立岩:難しくはありますね。ただ、一方で、たしかに、しゃあしゃあと、っていうか正直にというか、税金余計に払おうぜ、みたいなものの言い方っていうのはある意味ストレートでいいかも知れないと、僕も思うところはあります。明日の『京都新聞』にちいさいコラムが載るのもそういう話ではあって★ 。私もある意味で増税論者なんで、まあ、僕の場合はその必ずしもみんな均等で増やせっていう話じゃないんで、累進性をもっときちんとつけようみたいな話なんでね、ストレートな増税論者ではないんだけど、そういう話も関係はあるかな、と思います。さて、あと一〇分ですが。▲ ■アフリカのゲイ・アクティビズム ▼◆K:あと一点ですが、まず最初に今日のお話、すごいエキサイティングで面白かったですし、やっぱり僕、稲場さんのアクティビストだなあという感じが(笑)ひしひしと伝わる、僕はすごく感動しました。で、それはいいんですけど、僕はお聞きしたい点はアフリカにおけるゲイおよびゲイ・アクティビズムの状況について、概観だけでけっこうですので、教えていただければと思います。というのはニュースで伝わってくることというのは、ナイジェリア悲惨だよとかそういう話しか来ないんです。その中でどのような運動が展開されていてあるいはどのような運動上の困難があるのかというあたりを聞かせていただければと思うんですけど。 ◆立岩:そうですね、それ忘れてたっていうか、案内のホームページの下の方には書いてあったんだけど。▲稲場さんが、『現代思想』に書かれていた話も、アフリカというものもあるけれど、イスラムにおけるゲイの位置というのがあって、それはイスラムにおけるFGMの問題であったり、それにフェミニズムがどう対するかみたいな、本当に厄介な問題でもあるんですよね、これを答えろというのもたいへんなことですけど、概観というのと、じゃあそれをどうするかという話と、両方ともでかい話ですが。 ◆稲場:まず、アフリカのゲイの状況なんですけど、一番大きな問題になってるいのは、伝統的なものなのかそれとも近代的に構築されたものなのか、両方だと思うんですが、男性優位主義、マチスモです。ジャマイカでもよくある、男性は女性とセックスするものであって、とくに男性と男性がセックスする場合でも、受身側になるほうに対する暴力・差別というものが非常に強いわけです。そのマチスモの問題と暴力の問題がある。もう一つは、日本の八〇年代もそうだったと思うんですが、ゲイとしてのライフスタイルを誰も追求してない場合、どう生きていいのかわからない。そこはかなり大きな問題としてある。  ゲイカップルで生活している人とか、あるいはゲイのアイデンティティをもって、それを大事にして生活している人たちが身近にいれば、自分もそうしてみようっていう話になるわけですが、自分は誰で、どういうふうに生きることが適切なのかという、複数のオプション、モデルが提示されない。その結果として伝統的な生活スタイルに従わざるをえなくなってしまうということは非常に大きな問題だろうと思います。宗教的なファクターを除くとその二つ、伝統的なマチスモと、どう生きればいいのかっていう道のオプションが示されないという問題ですね。 ◇ナイジェリア/ガーナ/ウガンダ… ◆稲場:ただ、たとえばナイジェリアは、現在、非常に悲惨な状況であるということが新聞で報道されていますが、一方でナイジェリアはゲイ解放運動がそれなりに存在している国でもあるわけです。ナイジェリアで最初にゲイの運動を起こしたヨルバ人がいるんですが、彼が「アライアンス・ライツ・ナイジェリア」っていう団体を作ったんです。ゲイ五人で一緒に作って、西アフリカの中ではゲイの運動としては一番早くできたグループなんですが、この五人がどうなったかというと二人はエイズで死に、一人は親に迫害されて南アフリカに亡命して、一人は別の団体をラゴスという一番大きな町で作り、創設者はイバダンというナイジェリアで二番目に大きな町で同じ団体をずっとやっている。つまり、五人のうち二人は死んで一人は亡命、少なくともこの三人はもう運動から脱落しているわけですが、二人はHIV/AIDSを中心にしながらゲイの団体をしっかり作っているわけです。  ナイジェリアのエイズ会議でびっくりしたことは、ゲイ・レズビアンのパーティがあって、ナイジェリア人のゲイとトランスジェンダーの人たちがたくさんいたんです。この若者たちがみんなしっかりしたゲイライツの考えを持っていて、ゲイとしての人権ということに関して一人ひとりがしっかりとしたことを言える、そういう状況だった。  ナイジェリア自体は旧ソドミー法が、イギリス領ビクトリア朝時代に導入されているので、同性間性交渉は非合法ですが、そのバーはゲイ中心で運営されている。別にヘテロセクシャルも来られるんだけど、ゲイ中心で運営されているバーというのがいちおうあるんです。ちょっと私は行く時間がなかったんですが、ラゴスにもあれば他のいくつかの大きな町にも存在している。  HIV/AIDSに関する啓発運動が、イバダンとラゴスという二つの大きな町ではいちおう展開はされていて、なおかつ彼らはナイジェリアのエイズ活動家のコミュニティの中ではそれなりの発言力を持っているんです。そういう意味で、ナイジェリアは、たしかに非常に厳しい状況がある一方で、石油成金とかお金持ちがいる国でもあるので、中産階級以上の部分の中でゲイソサエティは一定あって、そこがある程度ゲイコミュニティを運動としてモビライズしている部分はしっかりある国だという感じを持ったんです。  ちょうどそのパーティに、ガーナのゲイのグループの人が来ていて、私はそのあとガーナに行ってその人の事務所に行ったんですが、ナイジェリアの場合、自分の団体の事務所を看板つきで掲げるっていうのは非常に難しい状況にあるんです。ナイジェリアはガーナに比べると格段に暴力的な国でなにが起こっても不思議ではないので、ここ襲おうぜって言って襲っちゃうみたいなことはいくらでもあるので、公然とはなかなか難しい。ガーナの場合は実際にオフィスを構えていて、何人か活動家がいてエイズキャンペーンにしてもなんにしてもそれなりにできているということでした。  アフリカのゲイ運動に関しては、一定の梃入れが国際機関からあるんです。ナイジェリアで、アライアンス・ライツ・ナイジェリアの年間総会をやる資金を出したのは、アメリカ国際開発庁、USAIDです。それは、ゲイコミュニティがHIV/AIDSのことをやるという動きがあるからです。ガーナにおいてもUN機関がそういうグループを作るうえでのそれなりの働きをしているということがあります。そういう意味で国際機関の支援っていうのがそれなりにあるんです。ナイジェリアやガーナの運動を見ていると国際的な支援があることが、運動を継続させる、あるいは市民権を持たせる上でも重要なのかなと思います。  逆に、ウガンダに行った時にゲイの団体の人たちから言われたのは、ウガンダは国際機関のトップもウガンダ人がやっているので、ゲイ・レズビアンの運動に全然理解がなくて、国際的な支援を全然得られない。そういう意味で非常に大変であるということを言っていました。ただ、ウガンダも九〇年代から経済成長して、都市部にはゲイコミュニティはそれなりにあるんです。そのゲイコミュニティが、ある程度運動団体を組織化して、かなり民族主義的な色彩の濃い今のムセヴェニ政権に対して、ゲイの権利を主張したときにすごい暴力で弾圧されて無期懲役になったりした人もいたわけですが、逆にそこを国際的に発信したことによってムセヴェニ政権もそんなにひどいことは出来なくなったということがある。それが、ウガンダの今の状況ですね。  アフリカのゲイ・レズビアンの運動に対して、非常に精神的な支えになったのが南アフリカのHIV/AIDSに関する当事者運動なんです。南アフリカのトリートメント・アクション・キャンペーン(TAC)という、HIV陽性者の運動を一番進めていった団体のトップであるザッキー・アハマット氏が、ゲイ、マレー系の南ア人なんだけどゲイの活動家で、彼のリーダーシップは、HIV陽性者の中ですごく尊敬されているわけです。彼がゲイであったっていうことは、ゲイという存在をアフリカのHIV/AIDS運動の中で非常に高いところに位置づけ直したと。そういう点で、南アフリカ共和国のトリートメントアクションキャンペーンの運動はHIV/AIDSだけではなくて、ゲイ解放運動にとっても象徴的な運動として存在しているということが言えるわけです。  今は、アフリカのゲイの運動はそれなりに進展しつつあって、いくつかの国のネットワークが南アフリカに集まって会議をしたり、モビリゼーションがだんだん出来てきているという状況です。九〇年代にもそういう動きが若干あったんですが、白人主導だった部分があって、それを今は乗り越えてそれなりの土壌が出来てきている。 ◇イスラム圏のゲイ ◆稲場:イスラム圏のゲイの話は難しいところで、以前別の集会で、いわゆる女性性器切除に対する運動とそれを批判する側の言説の問題ということに、いくつかプレゼンをしたことがあったような気がするんですが、イスラム世界において同性間性行為というのはかなり頻繁にみられるものではあって、それが機会同性愛である以上はそれなりの寛容さで見逃されるんです。ところがこれが同性愛者の権利を求める政治運動であると言ったときに、どういうことが起こるかというと、そこで権力が牙をむいてくるわけです。  ここの違いを日本の裁判所は見ることが出来なかったがゆえに、Sさんは両方とも裁判で負けることになってしまったわけです。同性間性行為は一般的に存在しているわけですよと、しかも同性間性行為をした人が全員つかまって死刑になっているわけじゃないだろうと。そういうロジックの中でそのことと同性愛者としての人権を訴える政治運動をすることとが混同されてしまう。なおかつ日本の裁判所は東京地裁も東京高裁も、自分が同性愛者であるということを主張するのは性表現である。性表現に対してどんな規制を加えようと国家権力がそれぞれの法律において行うことであるから、それは各国の自由に任されるべきであって、たとえば自分が同性愛者であるということを言う言わないに対する規制をするしないは、これは別に何の弾圧でもなんでもないんだという、すさまじい理屈ですね。彼の主張は政治的意見ではないという判断で敗北してしまった。こちらは、それに関して、そういう考えがあることは見込んだ上で、いろいろなことは言っていたんですけど、結果としてそういうようなかたちになってしまった。 ◇想像のゲイ共同体 ◆稲場:イスラム社会というところにおいて、そこの中で非常に微妙な問題は、たとえば女性性器切除の問題で、岡真理さんが言っているロジックに関しては私は徹底的に批判的なんですが、ここはその本を読んでない人が多いからあんまり話してもしょうがないですよかね。 ◆立岩:よろしかったら、あっさり……あっさりした話じゃないですけど。 ◆稲場:あっさりした話じゃないですね……岡真理さんの指摘はある意味間違っていないとも言えるわけです。女性性器切除に反対する運動は、女性としての連帯なり女性としての「階級」というものをそこで出してしまうわけだけれども、そもそも途上国の女性と先進国の女性の間には大きな開きがあるわけで、そこの部分に関して同じ女性だからということで、そういうレズビアン連続体(注:アドリエンヌ・リッチが提唱した概念)じゃないけれども、そういうことを主張できるのかと、本当はそこが分断されているんじゃないかということを言う。  そう言うわけだけれども、じゃあ、たとえばその理屈をイスラム圏における同性愛者弾圧ということにひっくり返していったとき、途上国のゲイと、先進国のゲイと同じゲイであるから連帯できると言えるのかとなれば、われわれは言えるというところから始めないといけないわけです。言えるというところから始めなければ運動はできないわけだし、実際そこの途上国で「われわれはゲイである」ということを言っている人がいる以上、その間の連続体もいわゆる想像の共同体として、そこを広げていかなければ運動としては成立しないし、またそれを望んでいる途上国のゲイたちがいるわけです。もちろん、分断線はあるわけだけれども、逆にそこを想像上の共同体として仮定するところから話を始めて、断絶をそこから乗り越えていくしかないわけだから。  分断状況から話をはじめなければ素直な話じゃないという、そういう指摘は逆に分断を固定化することにしかならないし、そういう点で言うと、彼女の主張がある意味で運動破壊の部分をすごくもっているとしか言いようがないわけです。  ゲイに対する弾圧とパラレルに考えたとき、そこは非常に見えやすくなるわけです。つまり女性性器切除の問題の場合は、見えにくい部分もあるのかもしれないんだけれども、それをゲイの問題に照らし合わせていった場合、彼女の理屈だとイスラム圏におけるゲイに対する弾圧に関して、われわれは反対できないということになってしまう。私自身はいわゆるそこの分断線というのを強調するとするならば、じゃあ逆に想像上の共同体としての担保というものをどこに置くのかということになる。  もう一つ、われわれがこちら側としてどう応答するのかというときに、中身は考えなきゃいけないけれども、粗雑な言説なり配慮にたらない言説が出てきたときに、それに目くじら立てて噛み付くことがどれだけ生産的なことなのかといったら、非対称的な言説構築にしかなってないんじゃないという感じを受けるわけなんです。だから、私は、岡真理さんの指摘に対しては懐疑的というか、批判的に考えているわけです。 ▼◆K:戦略上のものであるにしても実質的なものであるにしても、トランスナショナルなゲイムーブメントはゲイネイションっていうのものを、いわば想定し…。 ◆稲場:そうそうそう、そのとおり。 ◆K:そのなかにいわば様々な社会保障なり、あのあるいは再分配なりのあり方を考えていかないと運動として成り立たないと、で、その意味で言うならば先ほども話でましたけども医療保障っていうところ、国内でさえ、たとえば他の国からやってきたいわばオーバーステイのゲイに対してさえ、医療保険が提供できておらず、それに対してあんまりゲイ全体として関心もたれてない現象っていうのは、ゲイネイションっていう視点からしたときに、より強く問題化されるべきだろうなあっていうふうに思います。ありがとうございます。▲ ◆稲場:そうですね。結局のところ、想像上のコミュニティなりアイデンティティとして、こちらがその連続体っていうのを考えていかないと、話が始まらない。運動を作る場合、そこからしか話は始まらないということを位置づける必要があるのかなと思います。そういう中で、Sさんの問題とかいろんなことに取り組んでいくわけだけれど、コミュニティに、そこに乗り出そうっていう力が今のところ働かないっていうのも、日本の現状でもあるのかなあと。それはある意味しょうがないといえばしょうがない部分ではあるんですが、努力していくしかないのかもしれないです。 ◇南アフリカの当事者運動について ◆立岩:さっきの南アフリカの人、ザッキー・アハマットさん。あの方は、今は? ◆稲場:元気にしています。南アの非常にどうしようもない保健大臣が、おそらくはエイズとおもわれる症状で入院をして、引退というか、実質上保健大臣としての役割が果たせなくなったので、今の副大統領と、保健副大臣とがエイズ政策を新しく担うことになったわけです。彼らがTACの路線を採用することになったんですね。その結果、今のTACの副議長であるマーク・ヘイウッドが、その南ア国家エイズ委員会の副議長をやるというかたちで、TACのHIV/AIDSムーブメントは南アの中心的な路線に今なりつつあります。そういう意味で非常に大きな勝利をつかんだ。 ◆立岩:ザッキー・アハマットのファイルはわれわれのホームページにもありますのであとでご覧ください★。 ◆稲場:彼は非常に偉大なゲイ活動家でもあり、HIV陽性者の活動家でもあります。 ◆立岩:さっきお話に出た岡さんも、京都在住の人なので、またちょっと別のネタになりますけれど、マルチカルチュラルなんとかといった話で、議論することはできるかと思いますが、それはみなさんのリクエスト次第です。というところで三時間四〇分たっちゃいました。どうもありがとうございました。 ★ この裁判については藤谷祐太「府中青年の家事件」(http://www.arsvi.com/d/g021990.htm)。 ★ アフリカ日本協議会代表。医師。このCOE企画で立命館大学特別招聘教授。→林達雄 http://www.arsvi.com/w/ht09.htm ★ 稲場雅紀 2002 「難民たちの「拒絶の意志」は誰にも止められない――「ニッポンノミライ」を治者の視点から読み解かないために」、『現代思想』30-13(2002-11)(特集:難民とは誰か) ★ 斉藤龍一郎の生年は一九五五年、立岩は一九六〇年、稲場は一九六九年。 ★ 初版は1981年。白石 顕二 1981『ザンジバルの娘子軍』、冬樹社 ★ 立岩 真也 2005- 「家族・性・市場」、『現代思想』 ★ 立岩 真也 2004 『自由の平等――い簡単で別な姿の世界』、岩波書店、第5章「機会の平等のリベラリズムの限界」 ★ 永田 貴聖 2007- 「ケア/国境」 http://www.arsvi.com/d/c0405.htm。 ★ 牧野久美子 2007 「「南」のベーシック・インカム論の可能性」 『現代思想』35-11(2007-9)(特集:社会の貧困/貧困の社会) ★ 「真に連続した不幸の連鎖といったものを、形作る、自然的かつ文化的な絶滅的過程への一般化した非介入[…]チェチェン、コソボ、パレスチナ、イラク、チベットは、ルワンダ、アフガニスタン、アルジェリア、コロンビア、ブラジルと肩を並べ、また、アフリカのエイズ問題、洪水によって荒廃したインドの地方とも肩を並べている。すなわち、また実際には考察されていない絶滅的な生――政治あるいは生――経済の現実」(Balibar, Etienne「暴力とグローバリゼーション――市民性の政治のために」、2002年10月16日、 21世紀・知の潮流を創る、パート2 於:立命館大学→松葉祥一・亀井大輔 訳『現代思想』30-15(2002-12):16-27 ★立岩真也 2007/08/03 「削減 ?・分権 ?」,『京都新聞』2007-8-3夕刊:2 現代のことば(掲載は遅れて8月3日になった) ★ Achmat, Zackie[ザッキー・アハマット] http://www.arsvi.com/w/az01.htm