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アフリカ−世界に向かう 2/2
生存学創成拠点
稲場 雅紀
(アフリカ日本協議会)
聞き手:
立岩 真也
・他
インタビュー:2007年7月29日 於:立命館大学
*最初の挨拶・説明の部分は略。
*
このインタビューにあたって
□1
(別ファイル)
□
動くゲイとレズビアンの会→……→アフリカ日本協議会
□
歴史におけるアフリカと日本
□
東武野田線におけるグローバリゼーション
□
「先進国」南アフリカ
□
成長と分配
□
人的資源の流出
□
2
(このファイル)
*『現代思想』2007年9月号 特集:社会の貧困/貧困の社会
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◆社会運動の戦略・戦術
◇二つの流れ
【立岩】 そのいわゆる先進国、国家との関係の仕方、その辺の話がね、やっぱり大切でっていうか。たとえばそのエイズの絡みでいうと、アフリカ日本協議会の活動っていったものは、結局、要するに金出させなきゃどうにもなんないじゃないかっていうところがあって、私はまったくそのとおりだと思ってるんですけどね。そうするとその金っていうのはどこにあるのか。ようするに税金なら税金とってきて国にあると。それを、っていう話にある意味ならざるをえないわけですよね。
そうすると、アフリカ日本協議会にしてもさ、あるいはエイズをめぐる各国のNGOの活動にしても、結局は政府に働きかけ、政府を動かし、やれる範囲で協調しつつみたいなことになる。実際AJFにしても、外務省の仕事をある意味請け負うみたいなかたちで、ちょっとしたお金を貰いつつぼちぼちとやっているというのが、実際のところだと思うんですよ。そういう意味でいえば、その手の活動を実際にやり、そしてなんらかのアウトプットを出そうとしている組織というか活動にしてみれば、政府というのは、なんていうんだろうな、敵であるのだけれど敵にしきれないというか、味方というのではないにしても、ある種の交渉相手ですよね。金を引き出す相手みたいなものですね。そういうかたちで対峙するのも、それもひとつの対峙の仕方だと思いますが、あると。
それに対してというか、と同時に、このあいだね、ドイツ行って来られて、私あの話は妙に面白かったんですが(笑)、そのやっぱり違うノリの方々っていうのもたくさんいらして、まあ気分的にはそっちのほうがね、なんかよろしかろうというのも確かにある。そういうあたりがね、難しくもあり面白くもあるところでさ。で、たとえばそのG8にしてなんにしても、それにどういう対し方、対峙の仕方をしていくのか、していかざるを得ないのかっていうことなのかもしれないけれども、このあいだのドイツのデモの話あたりからね、どっちが先でもいいんだけれども、ちょっとそっちのほうをね。それと同時に、いってみればアフリカっていうものが、日本はちょっとなんていうの鈍いところがあるにしても、たとえばそのヨーロッパにしても、アメリカにしても、あるいは中国にしても、ある意味なんていうかなあ、アフリカって目の付け所っていうかそういう対象になっているわけですね、すでにね。そういったあたりも含めて、いずれもでかい話なんだけども、ちょっと見立てを。
【稲場】 そうですね、この辺の話はなかなか経済の話とかも絡んでくるので、私は経済の話は強くないので、どこまで話ができるかっていうことはちょっと微妙なんですけども。
そうですね、二つの戦略、二つの戦略っていうか市民社会運動の中には二つの潮流があると。一つには、これは非常に重なり合ってるんですけども、特にドイツにおいて非常に顕著だったのは「もう一つの世界は可能である」という、今の世界秩序というものをある意味その根底から変えることを究極的な目的にする部分がある。これはわれわれも、私もそうではあるんですけども、そのもうひとつの世界は可能だという流れの中で、たとえばG8というものに関してどういう向かい合い方をするのかっていう、非常に興味深い話なわけなんですね。
でちょっと日本の社会運動なんかの話も含めてやる必要があると思うんですが、2005年のG8サミット、グレンイーグルズ・サミット、イギリスのグレンイーグルズでやったサミットっていうのは、このもうひとつの世界は可能だっていうのはある程度共通語にはなってもですね、どちらかというと、いわゆるその貧困をなくすという意味でのその個別イシューに関して、どれだけの成果を挙げるのかっていう短期的な成果ですね。つまり、いつか世界を全部変えてやるんだというような非常に長期的な成果ではなくて、たとえば2015年にミレニアム開発目標でいくつか挙がっているところの目標を、しっかり達成させるための資金を確保するためにどれだけのことをするのかという、非常に、個別イシュー、貧困を取り巻く個別イシューに対してどういう成果、成果ベースのアドボカシーというものが中心になって、それで大衆的な運動っていうのがイギリスを中心に起こったと。
で、このグレンイーグルズに代表されるような、そういう何ていうんでしょうね、個別イシューにフォーカスをし、短期的な成果を目標にする、そういうかたちでの市民社会運動っていうのが一方ではあって。これはどっちかっていうと、イギリスを中心にしながらアメリカにおいて、アメリカのHIV/AIDSに関わる運動っていうのは非常にそういう意味で今はそういうフォーカスが非常に強いわけなんですね。英米を中心としたこういった個別イシュー系の運動っていうものが一方である。
それに対して、こういう区分っていうのが実際にいいのかどうかわからないんですけど、私自身がドイツで見た限りでは、とくに大陸ヨーロッパにおける、フランスにしてもそうだと思いますが、フランス、ドイツ、イタリアの3カ国においては、どちらかというとそういったG8に対してエビデンスベイスド(証拠に基づいた)な成果、しかも短期的な成果を追求するかたちでプレッシャーをかける運動ではなくて、そもそもG8それ自体が世界を搾取し抑圧する構造のひとつでこれは絶対に許すことができないというですね、G8自体を否定する、それに対して徹底的にこう妨害をしてですね、権力を震えあがらせると。そういうことを目標にした運動というのが逆にドイツ、あるいはイタリアを中心に、そういう運動の方が強いわけなんです。
◇ハイリゲンダムG8サミット
今回、ハイリゲンダムG8サミットに向けた最初のデモっていうのが6月2日にあったんですが、この6月2日のデモっていうのがですね、参加者の構成を見ると非常に明確になるかと思うんですね。つまり一部の暴徒が、って言い方がやっぱあるんですけど
【立岩】 日本のメディアはそういう言い方しましたよね。ごく一部がちょっとはしゃいだっていうか騒いだって、そういう言い方しましたよね。
【稲場】 そうなんですね。ところがそうでは実際のところなくて、たとえば貧困の問題、あるいは開発の問題に関してエビデンスベイスドなかたちでの成果を求めよう、っていうような人たちっていうのは、「オックフファム」、「アクション・エイド」、あるいは日本から来た「GCAP」、「貧困をなくすための地球規模の行動提起」(Global Call to Action against Poverty:GCAP)っていう、途上国の貧困をなくそうっていう運動なんですけど、この運動の流れの人たちっていうのは非常に少なかったですね。非常に多い隊列というのが何かというと、ブラックブロック★なわけです。アナーキストな、アナーキストの隊列が一番多いわけです。
★ 「ブラック・ブロック(英語:Black bloc)とは、何かの抗議行動、デモンストレーション、あるいは他の階級闘争、反資本主義、反グローバリゼーションに関連する催しがある際に集合するアフィニティ・グループである。黒い服装をするのは、ひとつの大きな集合に見せることで連帯感を強め、明白な革命的存在を創り、権力に身元を特定される事を避けるためである。大手のニュースメディアの間では特に、ブラック・ブロックが何かの国際組織であるという認識がある。しかし、それは抗議行動者の集団が使う戦術以上のものではない。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
彼らは「資本主義を歴史的遺物に」、メイク・キャピタリズム・ヒストリーというですね、巨大な横断幕を掲げてそして巨大なトレーラーを隊列の中にどーんと置いて、そしてものすごい人数、たぶん1万5000人くらいいたと思いますけど、そういう直接行動派のアナーキストの方が人数が多いわけなんです。彼らはデモの最中はおとなしくしてるんですよ、もちろん。ただ歩くだけのデモの隊列、他の参加者に迷惑かけると困るから。彼らも困ると。デモの最中は別に何もしないわけですけども、デモが終わったあとに市街戦をするということになるわけなんですね。
そしてそのブラックブロックだけではなくて基本的にG8それ自体が問題だという人たちが非常に多かったんですね。そういう直接行動をしない人たちの中にもそういう人たちが非常に多かった。実際トービン税とかを主張している「ATTAC」っていう、ヨーロッパでは非常に強力なグループ、大きなネットワークがあるわけなんですけども、このアタック、アタック関連の人たちが非常に多かった。つまりドイツのG8に関わる市民社会運動というのはG8から具体的なリザルトを引っ張ってくるというよりはG8それ自体の問題点を明らかにし、そしてこれが世界を仕切っている状況を告発しようという、そういうベクトルが非常に強かったわけですね。
つまりそういう意味で2005年のグレンイーグルズ・サミットに対するマスモビライゼーションと2007年のドイツにおけるマスモビライゼーションっていうのは非常に対極的なものであったということが言えるだろうと思います。さらにドイツの場合は国内の環境問題に関する運動だとか、農業、いわゆる遺伝子組み換え作物に反対する運動とかそういういわゆる消費者運動、環境運動の強力さっていうのがあって、そこがモビライゼーションの中心をなしていたので、いわゆる貧困とかアフリカとかそういった課題に関する取り組みというのは、個別の取り組みというのは非常に少なかったと、残念ながら。もちろんなかったわけじゃないんですよ、あったんですけども非常に少なかったと。
そういう意味で今のグローバリズムなりG8をめぐる非常に対極的なかたちが、たとえばイギリスでやったサミットと大陸ヨーロッパでやったサミットでは、ぶつかっていると。とりあえずドイツにおいてもそれは協力しながらやってるし、足を引っ張らないように、両方が両方の足を引っ張らないように最低限の調整をしてやってるわけですけど、ある意味非常に対極的な運動であったと。その結果2005年に中心的な役割を果たしたイギリスの開発強力NGOの連中は、ドイツの運動というのは大変非効率な運動であったというふうに意味評価をしている、というところがあるわけなんですね。
で、日本というのを考えたときにこの非常に難しいのはどちらも厳しい状況にあると。
◇両方が要る
【立岩】 どちらもない、と。
【稲場】 どちらもないということなんですね。どちらも必ずしも十分な力を持っているわけではなく、なおかつどちらも洗練されてはいない、その部分でどういうふうに来年のG8組んでいくのかG8に対する市民社会運動を組んでいくのかっていうのが非常に大きな問題なわけですけども…。とりあえず市民社会運動っていうのはそういう状況にあると。
一方でたとえば2015年までにMDGミレニアム開発目標において、乳児死亡率というものをどういうふうにしていくのか、あるいは妊産婦の健康というものをどう改善していくのか、ヘルスサービスをどう確保していくのか、あるいはHIV/AIDS、結核、マラリヤっていったものに関して、今すでに実際にそれなりの計画のあるところをどういうふうにG8の政治的な意思を引っ張り出していくのかと、いうことで考えたときに、これはただ、基本的には両方なきゃいけないわけですね。つまり改革運動だけあっても、これはアメリカの80年代のHIV/AIDSに関する戦略っていうものが非常に上手く表していると思うんですけども、ロビィをし、アドボカシーだけがあっても別に権力はなんにも怖くないわけですよ。
で、そこだけしかないと要求のつりあいが出来ないっていう問題がもう一つある。つまり、同じ50をとるためにどうするかっていったときに、50要求しても50取れないんですね。50要求すると10くらいしかとれないわけですよ。そこで直接行動をする団体が200くらいを要求すると。で、200くらい要求している連中がいると50要求することはさして過激ではない、そういう構造になるわけですね。その中でたとえばロビィやアドボカシーをしていく人間が50をしっかりとる、っていうそういういわゆるチームプレーが必要になってくると。これは両方なきゃいけないんですね。
つまり50だけを言う人がいても結局その要求は5、10くらいしか通らない。そのときにいかに直接行動を主張し、そもそも権力に対して、お前らの正当性はないんだというような勢力が、いかに高い要求を突きつけ、なおかつその要求についてわれわれには正当性と力があるんだということを見せつけることができるかという意味で、直接行動をする、そもそもの正当性をとる、そしてその上で正当性がないのに偉そうにしている以上はこのくらいはやってくれなきゃ困ると、いうようなかたちでの落としどころを迫る、その中でロビをする勢力、アドボカシーをする勢力がしっかりと出せるだけの部分をさらってくる。
そういうかたちにしなければ権力はそもそもやる気はないわけですから、そういう意味でその直接行動、あるいはそれなりの怖い意味でのプレッシャーをかけるグループ、震撼させる、揺るがすと、いうことをやるグループと、実際にものごとを取ってくるグループっていうのが連動してしっかりその国家権力を、ある意味操るというかですね、そういうようなところが非常に重要なんじゃないかな、と。
◇市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れ
逆に言うと国家の側も今やたとえばイギリスのような政府の場合は市民社会運動を使うということを非常に熱心に考えてるわけなんですね。たとえばグレンイーグルズのサミットの場合、非常に驚いたのは毎月イギリスの高官がくるわけですよ。そして毎月日本のNGOに会いたい、市民社会に会いたいと言って、そして、実際そういうミーティング、小さい規模のミーティングを主催して、そしてあなたちのやりたいことはなんですかということを、政策を聞いてくる。で、そういうかたちでつまり逆に言うと彼らはグレンイーグルズ・サミットにおいて日本からそれなりのMDGにむけたものを引き出したい、そのときに市民社会運動を使いたいっていうのがあるわけです。
そういうことで考えたときにイギリス政府っていうのは非常に巧妙に市民社会運動を活用してくる。逆にその国家の側が自分の意思を、自分の国際的な方針における意思を貫徹させるために他の国の市民社会運動を活用するっていうですね、そういうベクトルを今使ってくる、そういう意味で今たとえばイギリスはいわゆる国家政策、世界戦略というものが複数のセクター――つまりいわゆる国家セクターがあり、民間営利セクターがあり、民間非営利セクターがあり、そしてまた知的セクターがあると、このセクター――というものを動員することによって、様々なかたちで動員することによって初めて自分の世界戦略が実現するんだという頭を彼らは持ってるんですね。そういう意味でイギリスっていうのは非常に巧妙に市民社会運動への接近や働きかけというものをやってくる政権であると、いう部分があるわけです。
あるいはフランスも、より洗練されてはいないけれども、たとえば自分のところが国際航空税というのを導入して、つまりフランスから出国する飛行機便のうち1人1ユーロをいわゆる税としてとるわけですね。ビジネスクラスだと10ユーロ取ると。これをかれらは国際医薬品購入ファシリティという組織、ユニットエイド(UNITAID)★という組織を作って、このユニットエイドにプールするわけです。このユニットエイドは何をするかというと、第2世代の抗レトロウィルス薬ですね、つまり比較的最近開発された、より副作用が少ない、またよりその効果が高くて第1世代のものを服用したあげく耐性が出来てしまった人たちに対して、提供する第2世代の抗レトロウィルス薬、あるいは子どものエイズ治療薬ですね、あるいはその耐性がたくさんある結核に対する特殊な結核治療薬や、耐性マラリヤに効く特効薬ですね。こういったものを大量購入して、大量購入することによって低価格を実現するという、そのいわゆるユニットエイドという枠組みをつくったわけなんですね。このユニットエイドを作るうえで世界の市民社会を効果的に動員したわけです。シラク政権は。
そういう意味でですね、今はヨーロッパ諸国の政府というのは、市民社会セクターというのを非常に高いレベルで位置づけて、そして、共同でやっていくというね、あるいはその自分の戦略を上手く洗練されたものにする。たとえばユニットエイドに関してもフランス政府だけが考えたら、そういうようなものにはならないわけですね。それを市民社会のいろいろな、たとえば「国境なき医師団」★はこういうロビーしたと、で世界のエイズセクターはこういうロビーをした、とそういうロビーを上手く取り入れていく中で、より洗練された設計の国際機関をつくっていくようなかたちにも利用する。
そういう意味で、いわゆる市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れというのが、特にヨーロッパの国においては非常に連携されたかたちで出来てきている、というのが一方であるわけですね。それで取っているものもかなりある意味でかなりあると。そういう点で言うと日本という国はそこまでは行ってないどころか、全然行ってないわけですけども…。市民社会セクターと国家セクターの相互乗り入れというのは、現実的で成果を短期的にもたらしうる政策の実現という意味では、特に最近はかなりのレベルでそれができてきているっていうのが、ここ最近21世紀以降の流れとしてはあるのかな、というふうには思いますね。
【立岩】 今の話は大切なことだと思うんです。まず一つ、二つの両方が必要だということ。
基本的にそのロビィングやって何ぼくれって言って取ってくるって言うタイプのね、まあ、モノ取り型の運動と、それから、まあ外にいてなんか時々壊しちゃったりしながら、騒いでるっていうタイプの運動っていうのが一番基本的なところでは対立しないって言うか、対立しないように仕向けることは、少なくとも基本的なレベルでは可能なはずだ。可能でありまた必要である…
【稲場】 そのとおりだと思いますね。必要である、そうしないとダメだと思うんですね。
【立岩】 それはそのとおりだと思うんですよ。現実にはそこの中でいろんな争いとか摩擦っていうのは当然あるわけなんですけども、しかし、両方あって、両方ないとものごと上手く行かないっていうのはそのとおりで。で、そういったときに確かにその英米型のっていうかなあ、NPOとかNGOっていうのは、そのマネージメント、組織のマネージメントも含めてあるいはロビィングの技術も含めてかなりその、高等な、ものをもっていると
【稲場】 そうですね
【立岩】 で、そいつらそれが得意だということがあって、それはそれで必要であると。そしてどっちかっていうとAJFっていうのは、今の位置取りで言えば、HIVに関わらざるをえないでやっているという位置取りでいえば、そっち系のNPO、NGOの道を歩まざるをえない。それはそれがもっとも効果的であるという意味でね。そうなんだろうと。しかしまあ違うタイプの、ちょっとこうはしゃいだ感じっていうんですかね、も、あると。
で、両方必要である。だが両方ないってことも事実で、そういったときに当座AJFにしたって、両方を一つ組織がっていうのはそもそも不可能なことだから、さし当たって今の位置取りで言えば、地道なというか、ある種のロビィング系の組織として、ふるまわざるをえない、だけど、それだけでは淋しいわけで、他の方々もどうぞ、みたいなことだろうと。それはそうだと思うんですね。
もう一つ、さっきの話でけっこうきちんと考えなきゃいけないと思うのは、かなりそういう「アナザー」っていうか、「可能だ」っていうかなりでかい話をする話っていうのが、実質的にはっていうか、僕はその地域農業を守ることが悪いことだとはけっして思わないんだけれども、しかしその時と場合によってはですね、自らも、ある種の既得権益ですよね、その先進国の。ま、農業は農業として僕は守られるべきだと基本的に思うけれども、しかしある種の地域主義みたいなものも結びついて、結局それがその非常に素朴な意味でのアンチ・グローバリズム、単純な地域主義みたいなものに、なってしまうっていう。
これは非常にラディカルで、場合によっては過激であるような運動っていうものが、ある意味、地域に閉じるっていうんですかね、そういった傾向っていうものをまた持ってしまうっていうことは、そのそういった二つのタイプの運動が連帯していくというかな、にあたっても考えなければ、考えに入れなければいけないファクターのひとつであろうと思うんですよ。これが二つ目ですね。
でね、三つめ、最後おっしゃった、今や大国というかな、国家にしても市民社会レベルの様々なものを使ったり、連結しながらやっていかないとっていう話だと。それ、少なくとも今例に挙げたフランスであったりイギリスであったり、にしてみればそのとおりだと思うんですよね。そうしたときにその、たとえば、そういった類の大国ですよね。今、アフリカっていう国、国たちっていうか地域ですね、というものがどういうふうに映っているのかっていうと、どうなんでしょうね。
◇何をもう一つのものとするか
【稲場】 幾つかの点があると思うんですけど。どこからいきますかね。まずいわゆる直接行動的な市民社会運動と、ロビィング的な市民社会運動の連携っていうことを考えたときに、ロビィ運動型の運動が気をつけなければいけならず、なおかつ見えていないっていうことは、両方が協力したときにどっちが国家から評価され、どっちが国家から弾圧されるかっていうことなんですね。それを考えたときにロビィィング型の運動の方が一方的に被害は少なく、直接行動型の運動っていうのは徹底的に弾圧される。つまり協調した時に、きわめて著しい利益の不均衡が起こると。この部分をですね、どうするかという問題は非常に大きな問題なんですよ。
つまりロビィング系のNGOっていうのはそういう意味では、ある意味主流に、あるいは国家戦略の政策的な意味での位置取りを高くもっていくことが、できてしまうと。一方で直接行動型っていうのは、常に牢屋入りとかですねひどい目に会うと。そういう時に、実際にどういう意味でのいわゆる利益の均衡を確保するのか。もう一つは、いわゆる直接行動型の運動が社会的に担っている役割をきちんと評価されるのかっていう、そこの部分が本当はちゃんと考えなきゃいけない。そうでないと直接行動型の方が一方的にですね、ひどい目にあって終わりということになりかねませんので、そういう意味ですごく考えなければいけない部分だな、というふうには思っているわけなんですね。
あともう一つは、ロビィング型の運動の問題っていうのは、ある意味、本来到達すべき地点、あるいは本来目指さなければならない世界、ロングタームに目指さなければならない世界っていうもの、世界像っていうものを見失いがちであるということなわけです。つまり、ミレニアム開発目標が2015年までに達成されればそれでいいという話になるのかどうか、つまりミレニアム開発目標っていうのはつまり2015年までにある一番のところっていうのは、1日1ドル以下の人間、あるいは極度の飢餓状態にある人たちを半減すると。この半減というのは、一方で半減して残った人たちはもっと貧乏になるかもしれないわけですね。そういう意味でミレニアム開発目標がすべてを解決するわけでは全くないわけです。
さらに2015年になったときに、一番見受けられるかもしれない可能性っていうのは、フランスなりイギリスなりヨーロッパ、アメリカの国々が、彼らの主観としてはここまでたくさんのお金を動員して貧困開発を一生懸命やってやったのに、2015年になってまだ達成できてないのは自己責任だ、ということにすぐ転化してしまう。それは十分あるわけですね。つまり2015年以降貧困があってもそれは途上国の責任だと。われわれ植民地主義の責任は全部清算されたのであると、言い出しかねないわけですね。で、そこはそれ全然間違いなわけですよ、実際に。そういうようなかたちでそのいわゆるロビィング中心の団体が当面の政策課題を達成するということに関しては出来るかもしれないけれど、ロングタームな、どういう世界を目指すのかっていうその理念のところに関して、彼らがきちんとその直接行動型の団体と対話をしながら世界のありうべき姿の像っていうものをしっかり作っていかないと、結局のところ権力に吸収されるだけであると。ここのリスクというのは、すごく考えなきゃいけないところなわけなんですね。だからそういう意味で、市民社会が両方のその勢力が無ければならない、そして非常に広いベクトルで、広いフォーカスでものごとを見ていくという姿勢をつけなければならない。そこは相互批判がなければならないと思うんですね。
そして日本の直接行動型の市民社会運動がやっぱり身につけなければならない部分ていうのが、ある意味そこなわけです。つまりどういう世界をめざすのかという理念の部分に関してもっときちんとした論理、あるいは設計というものが打ち出されてこなければ、それは難しいわけですよ。そういう点で、ありうべき世界像というようなものを考えるということをより意識的にやっていく必要がある、これはどっちもですけどね。どっちもやっていく必要があって、そこの対話がなければ、あるいはそのいわゆる「もうひとつの世界は可能だ」というスローガンが、それだけで終わるとすると、それは非常にまずいだろうと。どういうアナザー・ワールドなのかということを、もう少しいろんな意味で考えなきゃいけない。それがやっぱり社会主義、共産主義というものが、ああいうかたちで、冷戦が壊れて、冷戦が終わって退場したあとで、目指すべき国家理念、世界理念というようなものが、結局のところ、今のところたとえばその大国が打ち出すMDG、ミレニアム開発目標であるとか、あるいは…ある意味茫洋とした、あるいはパターナリスティックなね、そういうような世界像しか打ち出されていないという現状がある中で、市民社会が、もうひとつの世界は可能だということで、何を目指そうとするのか。
たとえば、今中南米では幾つかの実践が、いろいろ非常に大きな問題があるだろうけど、ベネズエラでたとえばチャベス政権が打ち出そうとしているものが、たとえばアナザー・ワールドのひとつになりうるのか、それともなりえないとすれば、どういうふうにすればなりうるように変わるのか、そういうような世界像というか、市民社会が出していかないと。
今、世界の中で打ち出されている世界像というのは、権力者が打ち出しているものなんですね。つまり、チャベスにしたって権力者は権力者なわけですよ。その意味で市民社会はどういう、そのありうるべき世界像というものを打ち出すのかっていう、その市民社会としてのアナザー・ワールドというものをもう少し具体的なイメージを持つものとして作っていかないと、結局ロビィ団体はMDGを達成するということになり、直接行動団体は「アナザー・ワールド・イズ・ポッシブル」と言っていればいいということになって、その結果としてのその市民社会運動の思想的な弾圧が起こると、いうことが非常にある意味懸念されるべきことなんじゃないかな、というふうに思っているわけなんですよ。
【立岩】 そういう意味じゃどうなんですか、仏・独・伊のブラックブロックの連中っていうか、にしても、そこらへんはまあ、どうなんですか。
【稲場】 ある意味、微妙なところなんだと思う。あとはそこをたとえば、それなりにね、打ち出している人たちもそれなりにいることはいるわけなんですけども、またそのブラックブロックなりアナーキストグループの人たちっていうのは、逆にいわゆる大陸ヨーロッパが持っている様々な伝統とか、つまり暴力的な市民社会運動というものを一定程度容認しうるような、まあそういうある意味寛容な伝統とか、あともうひとつはたとえばスクォッティングとかキャンプっていうようなものに代表されるような彼ら自身のコミュニティの、そういった基盤とかね、そういったものに裏打ちされている運動であると、いうことなので、それはある意味当然、それはそういう限界持っていててもしょうがないと思うんです、彼ら自身、自体が。ただ、でもその中で生み出されるものもあるわけだからそれを言語化してもらって普及していくっていうことは、やっぱり目的意識的にやってもらえるといいな、っていうふうには思っています。それはもちろん当然やりたい人は当然いると思ってるんですけどね。
◇アフリカの条件・可能性
【立岩】 でね、さっき、最初に僕がその
南アフリカ
で、って言ったのでそうなったんですけど、南アフリカの場合まがりなりにもっていうか、まずたまたま、天然資源が大量にあり、それでそれも背景にしつつ、第二次産業が、アフリカの全体のレベルでいえば高いものをもっている、そういう意味で言えばあとはもう、なんかしてその成果を分ける仕掛けさえつくっときゃ、本来はいいはずだと。今度の『現代思想』で牧野さん、アジ研(アジア経済研究所)の
牧野(久美子)
さんが南アのベーシック・インカムの話をされると聞いています★。どういう話になるかわかりませんけれども、まあ理屈としてはそういう話は成り立ちえますよね。ところが、アフリカ全体で、そんなに資源にしてもなんにしても、それから過去の蓄積というか、その低開発の結果ということであるんだろうけども、もっともうハンディついちゃってるっていうか、そういう地域っていうのは広大にあるわけじゃないですか。そういったことを考えた場合にね…そういった地域に対してね、まあ、やりようっていったらなんか、ざっくりした話ですけども…
★牧野久美子 2007 「「南」 のベーシック・インカム論の可能性」,
『現代思想』35-11(2007-9)
(特集:社会の貧困/貧困の社会)
【稲場】 そうですね、難しいと思うんですけど、まず南アフリカ共和国に関しては歴史的な負の遺産が非常に大きいので、分配構造っていうものを作ったとしても、それがちゃんと機能するとはかぎらない、と。そこをたとえば今の犯罪の多発、つまり圧倒的な多くの凶悪犯罪の多発であるとか、あるいは人々の精神的な荒廃ですよね。こういったものが非常に大きく存在しているので、負の遺産と言ったときに、いわゆる何も無いアフリカと、南アフリカ共和国のような、非常に強力なネガティブな負の遺産がある国と、これ比較した時にどっちが大変っていうのは、非常に難しい問題だろうな、というふうに思うんですね。たとえば社会保障制度っていうのはいちおう南アフリカにはあるんですね。あの、いろいろ幾つかの制度が。ところがこれらがあの恐ろしい貧困の中でさらに暴力と、そしてめちゃくちゃにされてしまっって完全に崩壊したコミュニティ、そういう中で、社会保障がまともに機能しないと、いう状況がやっぱりあるわけですよ。
たとえば圧倒的に複雑な家庭環境、かれらやっぱ貧困層のおかれる家庭環境っていうのは、いろんな意味で恐ろしく複雑なものがあるわけで、そこに対して社会保障を一つ一つ落としていくうえで、やっぱり客観的にみて、ちゃんと社会保障制度を運用できるソーシャルワーカー、これ絶対必要なんですね。ところがソーシャルワーカーといえば1人2000件みてるとかそんな話ですから、しかも能力ない人がね、そういうような南アフリカ共和国の社会保障制度っていうものをどういうふうに再考して新しいシステムを南アフリカにおける社会保障というものを作っていくか、ってことを考えたときにやっぱりものすごい工程が必要だろうな、と。そういう意味では南アフリカ共和国で非常に大変だと思うんですね。
他のアフリカ諸国ってことを言ったときにですね、これはまたいろんな国でいろんなことがある、南アフリカに劣らぬ様々な歴史的な負の遺産を抱えている国がやっぱりあるし、すべての国が分断国家、すべての国が多民族国家であると。さらに、そもそも他の国の人の言葉で何もかもしなきゃいけないと、そういう圧倒的な負の、マイナスからのスタートを強制されているアフリカの国々がどういうかたちでやっていくのかって言ったときに、やっぱりひとつ考えなきゃいけないのは…もちろん今の問題解決をするということ、たとえばHIV/AIDSの問題、いろいろ貧困の問題、病気の問題、教育の問題、そういったものを解決するっていうことが必要なのと同時に、アフリカっていうものをいかに統合していくのか。
アフリカは、非常に興味深いと思うんですが、8億5000万人しかいないんですね、北アフリカ合わせても。あんな巨大なアフリカ大陸に。ところが54カ国もあると。これはサハラアラブ民主共和国っていう、いわゆる西サハラを入れて54カ国なんですが、54カ国もある、8億5000万人しかいないのに54カ国もある。つまり1つの国が、平均すると東北地方くらいの規模しか持っていないんですね。こういう国がですね、しかも植民地主義で分断をされ、なおかつ自分の国にいくつもの民族がいて、ところが隣の国に同じ民族がいたりする。そういうような状況の中でひとつひとつの国が自立した経済規模をもつ国家として成立するわけがないわけですよ。で、そうした時にいかに過去の植民地主義による分断を克服して経済的な統合というのを、たとえば地域レベルでなしていくのかっていうのが非常に重要になるわけです。
南部における、今、もうすでに経済共同体っていうのがいちおう出来てるわけですね。つまり「南部アフリカ開発共同体(SADC)」っていうのが出来ていて、西アフリカは「ECOWAS」っていう「西アフリカ経済共同体」っていうのが出来てると。これがそのいかにその過去の植民地主義の分断された部分を統合して、一つの地域単位として成長していくことができるのか、この視点が、つまり分割統治で54カ国もあるわけですから、それをどういうふうにひとつの経済単位として、過去の分断を克服してユニットをなしていくのか、そしてアフリカ全体が、かつてアフリカ全体が独立したときに掲げて、なおかつそれが理想主義的だったために、成立しなかったパンアフリカニズムというものをですね、どういうかたちで現在に、それもいわゆるその欧米のアフリカ共同管理という観点を乗り越えるかたちでリバイバルさせるのか、そこがやっぱりアフリカの今の市民社会とアフリカの国家権力に問われてるところだろうな、というふうに思うわけなんですよ。
だからその点はやっぱり非常に重要なポイントだろうなと思っていますし、今、たとえばAUがですね「アフリカ連合」がある。もちろんアフリカ連合っていうのはいろんな側面がありますけれども、アフリカ連合の中で、やっぱりそのアフリカの統一であるとかあるいはその経済的な分断をどう乗り越えていくかというビジョンっていうものを、ある程度AUの中で、そういうプランがですね、自ら形成するものとして出てきているということは、これは過大評価ではなく評価すべきことだと。
だからその点はやっぱり非常に重要なポイントだろうなと思っていますし、今、たとえばAUがですねアフリカ連合がある。もちろんアフリカ連合っていうのはいろんな側面がありますけれども、アフリカ連合の中で、やっぱりそのアフリカの統一であるとかあるいはその経済的な分断をどう乗り越えていくかというビジョンっていうものを、ある程度AUの中で、そういうプランがですね、自ら形成するものとして出てきているということは、これは過大評価ではなく評価すべきことだと。
◇諸国にとってのアフリカ
そして、この部分をいかに、たとえば日本がかつての植民地主義に、欧米の植民地主義、アフリカに対する植民地主義とはある意味縁もゆかりも無い日本がですね、そこをどういうふうにサポートできるか、っていうのがひとつあるだろう。だからそういう意味でその非欧米諸国がアフリカにコミットする場合にいかに分断、いわゆるヨーロッパによる分断というものを克服し、あのユニティを回復することができるのか、その非欧米諸国のアフリカ支援は持つべきだろうと、思うわけです。だから逆にいうと中国やインドという非欧米が、アフリカにしっかり経済的にコミットする場合にそこのいわゆる連帯というものは非常に重要になってくるわけなんですね。
今のところ中国やインドのアフリカ進出っていうのは、そういうビジョンを全く持ってないわけですけど、経済的な利権というベクトルを持っていて、そしてたとえば中国なんかかつてのそのいわゆる社会主義の友好と連帯での支援っていうのは、あるいは平和5原則とかそういうところでの支援っていうのはいわゆる建前上のものにしかなってないわけだけれど、逆に言うとそこの理念を、実態として復活させることっていうのは、ある意味重要なんじゃないかなというふうに思っています。
そこができることによってアフリカというのが、そのいわゆるアジアが今、これだけ浮上してきて、そして欧米中心の世界システムというのが大きく変わる中でアフリカがそこで、今までの欧米中心の経済システムの中で一番末端に位置づけられていたものが、どう浮揚できるのかっていうのは、非欧米の大国がどれだけそういう観点からいかにその植民地主義で分断されたアフリカの歴史を終わらせるために取り組めるのかと、いうところに鍵があるのかな、と。で、それをリードしていくアフリカの指導者と市民社会の知恵というのが非常に重要だろうなというふうに思っているところなんですね。その知恵というのは、今ある意味出てきてはいるだろうというふうに思っているところなんです。
【立岩】 基本的にそうだし、そうでしかありえないというふうに思うんだけれども、そのさっきの、その手前の、まだ聞いてない話としてね、インドなり中国っていうアジアの大国にしても、あるいはその手前でその旧来の、欧米の大国にとってのアフリカっていう話なんですね。
一つ単純に考えられるのは、マーケットとして、原料の産地であり、製品を売る場所としてもそういうマーケットとしてのアフリカってことだけれども、まあそれはそれとして、今でもあるし、ある部分成長していくだろう、っていうこともあるのかもしれないし、もっとっていうこともあるのかもしれない。
ただそういう経済的な部分と、それから一方で、たとえば立命館に来た人だと
バリバール
なんかが書いてるけど★、もう放っちゃっといた方がある意味、コストかかんない、そういうマーケットとしての利益は利益としてほっといてもある程度とれるだろうし、それ以上、たとえばエイズなんかも、まじめに関わって、莫大なお金を使うことになって、そういう意味でのメリットって少なくて、そういう意味で捨てとくか、とっとくかみたいなね、そういうあたりにあるとすればね、その辺の位置取りの、現状としての位置取りとしてはどの辺にあるのか。
★ 「真に連続した不幸の連鎖といったものを、形作る、自然的かつ文化的な絶滅的過程への
一般化した非介入
[…]チェチェン、コソボ、パレスチナ、イラク、チベットは、ルワンダ、アフガニスタン、アルジェリア、コロンビア、ブラジルと肩を並べ、また、アフリカのエイズ問題、洪水によって荒廃したインドの地方とも肩を並べている。すなわち、また実際には考察されていない絶滅的な生−政治あるいは生−経済の現実」(
Balibar, Etienne
「暴力とグローバリゼーション――市民性の政治のために」,2002年10月16日,21世紀・知の潮流を創る、パート2 於:立命館大学→松葉祥一・亀井大輔訳
『現代思想』
30-15(2002-12):16-27
でも、ほっときたいけど、完全にほっといてそれでどうなのかって言えば、ある程度人道的な批難っていうのも当然受けるだろうし、それからテロリズムにしてもなんにしても軍事的な意味も含めた不安要因というものになると。そういうことも、様々関わっている可能性あると思うんですけど、とりあえず現状どうなのか、そこが今後どういうかたちで変わりうるのか、あるいは変えるべきなのか、それを…
【稲場】 そうですね、そこは難しい問題ですけど。まず、アフリカ支援っていうものがこれまでどういうかたちでなされてきたのかっていうことを振り返ったときに、80年代後半の構造調整政策というものがひとつあって、つまりソ連とのですね、単純に言ってそのソ連に取られないために莫大な援助をしてきた時期っていうのが、冷戦期にあるわけですね。つまり、どんな独裁者であろうが、どんな連中であろうがソ連に取られないためにとにかく援助をするという時期っていうのがあったわけですね。それがソ連が崩壊する中で、アフリカに援助をする必要がなくなるという中で援助っていうものが途切れていくという90年代があったと。
この90年代にアフリカはどうなったのかっていう、つまり今まで独裁者を支援して膨大なお金をこうとにかく注いでいたところが、何も来なくなったと。その結果どうなったかっていうと、なおかつ構造調整政策でなけなしの公共事業に出してきた、教育や保健に出していたお金が全部借金を返す方向に流れていくと。そういう中でアフリカにお金がなくなる中で、どうなっていったかっていうと、きわめて悲惨な状況が起こってきたと。つまりアフリカ諸国の多くが内戦に陥り、なおかつHIV/AIDSに至っては、毎年レポートが出ていて、それで何百万人という人たちが次々と感染をし、そして感染率が20%になり、南部アフリカでは。そして平均寿命が30代に落ちると。そういう破局的な状況が生じていった。
これをどうみるかっていったときに、結局世界経済なり世界貿易に占めるアフリカの割合っていうのはわずか3%だろうというのが一方である中で、ところがたとえばフランスっていう国を考えたときに、フランスっていうのはアフリカ植民地がなければ、旧植民地が無ければただのヨーロッパの二等国に過ぎない、非常に端的に言ってしまえばですね。つまり本国部分だけしかなくなるわけですからね。彼らが帝国であるという、フランス帝国というものの、いわゆるアイデンティティ上の根拠というものがどこにあるかっていうと、これは当然のことながらフランスは帝国である、フランスが世界帝国てあるっていう根拠はアフリカ植民地にあるわけですね。アフリカ植民地が自分の権益を守り、自分を支えるということが無くなったら、フランスはあそこしかないわけですから。
【立岩】 フランス語を喋る人はフランス人しかいないと
【稲場】 フランス人しかいないと。つまり、貿易上は3%しかないにしても、フランス帝国というものの根拠というのはアフリカ植民地にあり、フランス帝国っていうものはアフリカ植民地がなければフランス帝国たり得ない、つまり逆に言うとフランスはアフリカに依存しているわけですよ。このいわゆるアイデンティティ上の依存っていうものがやっぱりある。イギリスについてだってそれは同じですね。ジンバブウェとイギリスは今すごい大変なことになっていますけれども、なんでかっていうとジンバブウェにイギリスはものすごい利権があるからですね。たとえば白人の土地を全部取ろうとしたムガベ大統領を、独裁者だといって延々と責め立てて、ムガベとフセインは同じだっていうところまでいったですね、そういったイギリスのやり口の、その中にはやっぱりその自分の島だっていう意識がすごく強い。
つまりそのいづれにせよアフリカというのはヨーロッパにおいては自分の存在意義というものを位置づけるためにアフリカに依存している部分って言うのは、すごくあるわけなんですよ。そこっていうのは経済では測れない。なおかつそれっていうのは逆の意味でも正当なこと、正当なことって言うか、逆の意味でもですね…その位置づけを持っている。つまり今のヨーロッパ先進国がヨーロッパ先進国になった歴史的な経緯って言うのは、いわゆる三角貿易なりなんなり、その重商主義による、数百年にわたるアフリカと新大陸とヨーロッパを結ぶ連鎖的な不等価交換を延々と続けたことによって彼らは先進国になってるわけですから、そこでの歴史的な依存関係というものが存在しているわけなんですね。
そういったことを考えたときに、今における経済的な量っていうのがたいしたことなかったにしても、彼らは結局アフリカというものと、関わりなくはいられないっていう状況にあるわけです。つまり自分の国のすぐ南にこんな巨大なところがあるわけですからね、そりゃ関係ないとは言えないわけですよ。そういうような状況の中で、特に20世紀の末っていう90年代末から、援助が増大していくわけですね。
◇腹くくればさほどでないこと
他の金に比べればたいしたことないんですね、援助の金っていうのは、多くは見えますけど。イラク戦争の戦費とかですね、そういったものに比較してそんなでかくはないわけですよ。たとえばHIV/AIDSに、HIV/AIDSを…たとえば2010年までに予防ケア、治療の包括的なユニバーサルアクセスというものを実現するために必要な経費をUNエイズが見積もっていて、それは2008年において221億ドルであるといってるわけですから、221億ドルつまり2兆4000億円、2兆6000億円っていう金っていうのは、日本の歯科治療費総額と一緒なんですね。
【立岩】 歯科。歯ね
【稲場】 歯です。つまり、日本の歯科治療費総額と同じものを世界全体でエイズ治療費として撒けば、1年間にですけどね、それで包括的なエイズ・ユニバーサルアクセスが実現するっていうふうに言ってるわけなんです。これは結核やマラリアに関していえば、数年前の見込みでは6000億円でなんとかなると。今は膨大に増えてますけど。6000億円っていうのはNHKの年間予算と一緒なわけですよ。つまり先進国でそういうようなかたちでの経済単位、一つの巨大な組織の経済単位くらい、予算くらいのものをそこに投入すれば、なんとかなる。ところがこの金が出ない、っていう話なんですね。つまりそれっていうのは世界のいわゆる予算組みの配分を、ある程度発想を転換して変えることで容易に動員できる金であるということはいえるわけなんです。そのレベルにまで達してるわけでもないんだけど、ただ援助の金っていうのはある程度増えてきている。
これはやっぱりアフリカの人道危機というものがあって、それに対してどういうふうに世界が向かい合うかっていったときに、いわゆる最低限に足りないけれども、ある程度動員しなければいけないっていう部分の中で出てきたことであると。そしてミレニアム開発目標が2000年に設定されて、2015年までのこの世界人権宣言での社会権っていうものをなんとか実現していくっていう方向性っていうのがいちおうある。ただそれに対する資金っていうのは全然追いついていないという現状であるということなんですけども。
つまりアフリカに対する認識っていうのは、アフリカがヨーロッパに対してもっている認識、もう非常に複雑な、やっぱ長い植民地主義の歴史、あるいは奴隷貿易といった関係性の中で築かれた長い、いろんな認識があるので非常に難しい。端的にこうだとはいえないわけですけど。逆もまたそうであって、たとえばアフリカを放置すればいいということに関しては、日本のような立場だとね、そういう関係が無いからそういうことを言えるわけだけれど、ヨーロッパにとってはそういうものではないことを、ある意味共依存の関係にあるというふうに言ってもいいくらいのものだろうと思うわけなんです。そしてその共依存の関係は、共依存だからこそ病的な関係であるということなわけですね。
その病的な関係をどういうふうに健全化していくかっていったときに、結局アフリカとヨーロッパだけでやっていても、これ絶対、共依存である以上、共依存の人たちがこう両方やってもなかなかこううまくいかないわけで、だから第三国というものがちゃんと登場していかなくてはいけないと。そしてその第三国っていうのは金っていう問題ではなくて、どういうふうにこの共依存関係を解くかっていう部分を考えていかないといけない、そういう介入の仕方をしなければならない、そこのファシリテイトするのはどこなのかっていったときに、中国、インド、今それできるか微妙ですけど、いわゆるヨーロッパでないアメリカではないところが、それをしなければいけないんじゃないかというふうには、思っていて。そういうそのアフリカを取り巻く世界像というものをやっぱり、ひとつはアフリカ側がきっちりこうリードしていくっていうことが必要だし、それは今、徐々に出来てきているだろうと、思うんですけども、そこの部分をもうちょっと考えた方がいいかなと。
あと日本はそういう文脈をしっかりとらえる必要があるだろうなと。ところが日本のこの間の援助論理っていうのは、ODAが減って行く中で、非常に内向きのものになっていると。つまりODAを増やすためにどういうふうな仕掛けをするかっていうのはいろんな人が考えているわけですけども、その中に結局出てきているのはODAは国益のためであると。別にそれでいいんだけどただ、ODAはわが国はODAを国益のためにやるのであります、というのをどこか国際会議の場所で大きな声で言えるかっていうとそれは言えないわけで、いくらそんなこと言っててもしょうがないわけですね。だから国益でいくかどうかっていうそこら辺はとりあえずおいといて、まあ国益のためのものであるにしても、じゃあそれでは説明できないわけだから別の言い方をちゃんと考えなきゃいけない、これはひとつあるわけです。
あともうひとつは日本が、これまた非常に逆説的な、市民社会側の意見としてはなかなか正当ではない意見になるとは思うんですけれども、日本という国がですね、つまり世界第二の規模を持ってる日本という国が、アフリカとは関係が無いからということで、自らのアフリカに対する戦略を持ちえないとするならば、そもそもそれは日本が世界に対する、つまり世界帝国っていうのは世界に対する影響力を世界のどの部分に対する影響力も持たなきゃいけないのが世界帝国なわけですから、そのアフリカっていう地域は遠いから、あるは関係がないから関係持たなくていい、あるいは援助しなくていいというのであればそれは日本はそういうレベルの国家として今後生きていくっていうことになるわけですね。つまり、自分のところと特に関係が無い国に関しては何の戦略も持たない国家として生きていくと。これっていうのはいいのかっていうのは国家の側はちゃんと考えなければいけないわけですよ。ここに関して充分な思考がないっていう、非常にある意味日本の国家権力っていうものの、いわゆる戦略性の無さ、あるいは弱さというものをある意味認識せざるを得ないところかな、っていうふうには思ってるわけですね。
【立岩】 たしかにね、国家統治のサイドに対する物言いとしてはそういう言い方はありだと思うんですね。面白かったです、僕はほんとうに。
一つは、特にヨーロッパというのはアフリカ、共依存という言葉使われたけど、しがらみがあると。しがらみがある以上、なにがしかのことはしなきゃいけなくて、やってると。しかし、それは共依存であるがゆえにというか、いろんな歪み、うまくいかないところを必ずもたらすと。もたらしていると。
もう一つのポイントは、まあたしかに金はかかると。そりゃ、腹くくんなきゃいけないと。だけれども、むちゃくちゃかかるっていう話じゃない。
【稲場】 うん、そうですよ
【立岩】 そうですよね。そういう意味でいえば実現可能性がもともとない話じゃなくて、あるっていうとことから発すればいいと。
それプラス、別の利害からヨーロッパは動いてると。だけれどもしかじかだと。そういった場合に、日本が、金が無いわけではない日本が別のスタイルで、っていうか別のスタンスでこれに関わることは出来るだろうし、ま、そのときのあり方っていうのはアフリカのひとつひとつの国を単位にしたものというよりは、あるいはアフリカのある種のユニティ、みたいなものを、とか、に関わるものであるだろうっていう。ある意味明確なビジョンというかな、方向っていうのは私も同意できるという。で、僕はすごい面白かったですよ。で、こんな時間たっちゃいました。
【稲場】 すいません(笑)
【立岩】 すいませんっていうのはこっちの方で。僕はよく授業とかで2コマ続きで3時間ぶっ通しで休みなしで喋ったりするので、私は慣れているんですが(笑)、稲場さんどうも大変でございました。
【稲場】 皆さんどうもお疲れ様でした。
【立岩】 っていうわけで今本当に7時でございます。めしも食わなきゃいけないし、やったらもっとやっていけると思いますけど、だいたいあと30分くらいでね、質疑とかにしましょうね。
◆質疑応答
◇ターゲット/モビライズ…
【稲場】 あと、あのテーマにあった話でしたでしょうか。
【栗原】 うん、それは大丈夫ですよ(笑)。
【立岩】 栗原さん、補足してっていうか…。あれば。
【栗原】 なんかこう、僕としては単純にこんだけひどいよ、って話だけじゃなくて、どこをどうとっていくかみたいな話が聞けるだろうな、って思っていたので、具体的にはその、たとえば僕らの特集に勝手に絡めてもらえれば、「社会」ですけど、だいたい、社会的なものをどうやって取るかみたいな…、その動態としての運動というか方向としての運動というか、そういう話を厳しいところもあり、かつどっかの何か…複雑なんだけどちょっと楽しみながら、というか…。そういうことで面白い話聞けて非常に嬉しかったんですけれども…。
最初の方で具体的な話がでましたよね、その日本における茨城に来ているナイジェリアの人とかカメルーンの人とか。そういうこう個別な事象がありつつも、かつ、その何かちょっといかにもCOEっぽい話かもしれないんですけど、エイズとかそういう話の中から、国際的な医療保険システムとか抜本的な医療システムみたいなのの、どうやって構築するのかみたいなところが、あってしかるべきかなと思うんですね。それってちょっと大きな話だし、抽象的な話なので具体的にどうっていうの、たとえばそのナイジェリアの人たちの話聞いちゃうと、それのバランスで、ちょっとどう目指していいのかとか、どういうことイメージすればいいのを、がちょっと知りたいかな、というかたちなんですけど。
【稲場】 はい、わかりました。つまり、たとえばいくつかの目標があり、あるいはHIV/AIDSに関する普遍的なアクセスっていうものを達成するために何が必要かと。その話っていうのは、今すごく考えられている話なんですね。そこの部分っていうのは非常にある意味最先端っていうか、今のいわゆる保健に関する援助を、あるいは保健っていうものを国際保健っていうものをどういうふうにしていくのかっていう、ある意味世界の援助潮流っていうかそういうものの最先端にあたる部分である。ここに関してはいろんな各国が競ってですね、たとえば先進国が競って、国連機関が競って、国際機関が競ってこう作っていく、という部分なわけです。
これはまた話すときりがないわけなんですけども、今ひとつ、そこは論文が一つ書けてしまうくらいの話なんですが、まあ三つあるとして、まず一つは政策的なターゲット、グローバルな政策的ターゲットを作るっていう話です。たとえばHIV/AIDSでいえば2002年から3年に打ち出された「3バイ5」★。その当時は今すぐHIV治療を必要とする人は600万人いると。ところが2002年の段階では20万人しかアクセスできてなかったんですね。そのうちの10万人が、途上国で唯一、必要な人にエイズ治療薬を供給してきたブラジルの人たちだったと。つまり膨大な途上国の中で、600万人、590万人がですね、治療薬を必要としている中で10万人しかアクセスできていないと。その中でターゲット設定というものをしっかりする必要が、これ当然でてくるわけですね。このターゲット設定をするっていうのが市民社会とUNエイズ、あとWHOがターゲット設定の役割を果たす。つまり2002年から3年においてターゲットとして設定されたのは2005年末までに600万人のうち300万人の治療を実現するんだというターゲットだったわけです。
★ 世界保健機関(WHO)による、2005年末までに途上国のエイズ患者300万人に治療薬を配るという計画
このターゲットを達成するために、アメリカでいえば「アメリカ国際開発庁(USAID)」であるとか、いくつかの二国間援助機関、そしてさらに一番推進力になったのは2002年に設立された世界エイズ対策、結核・マラリア対策基金、このグローバルファンドですね。このグローバルファンドが多国間の機関として資金を集め、もう一つは世界銀行が、多国間エイズプログラムというものをやって保健システムとか、そういったことを含めて、ある程度お金を出すと。さらにアメリカ合衆国が、これいろいろ政策上の問題はあるんだけれども、世界において治療を格段に増やす大きな推進力となったのがブッシュ大統領の、「米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」なわけですね。
この3つというものがそれぞれ相乗効果をもってですね、2005年末までに300万人はいかなかった、結局百数十万、そして2006年の半ばくらいに160万人という数字が出ていますけども、そのターゲットの設定のために、そういうかたちでの国際機関が動いたということがあります。
まずターゲット設定というのが一つ。そしてターゲットに対して資金をどれだけモビライズするかという仕組みの中で一つは「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」というものが設立されて、そしていくつかの資金拠出機関がどういうかたちで連携してそれを実践するのかっていったときに、いくつかの戦略というものがでてきたと。ところがこれ2005年末までに達成できなかったがゆえに、どういうかたちになっているかというと、2010年の末までにユニバーサルアクセスを達成するんだと。つまり治療が必要な人は治療を受けられるようにする、そういう体制を作るという目標が、国連とG8で承認されて、それに向けてですね、UNエイズは、モニタリングプロセスを、来年と2011年にモニタリングプロセスを発動すると。そしてグローバルファンドは資金をしっかり担保すると。目標がいちおうこういうかたちであり、資金があると。さらにそれぞれの目標達成のための資金を担保していく、そしてそれをどう使っていくかっていうことに関していろいろな国家が、国家セクター、市民社会セクターがこう動いていくと、そういう枠組み作りっていうのが特にHIV/AIDS、感染症に関して非常に発達したのがこの10年間、2000年の沖縄サミット以降の、沖縄サミット以降、その部分っていうのは非常に発達した部分なんですね。つまりこうやってこうやってこうやるんだということがものすごく理論化され、なおかつ実践ベースにおいても応用されていったと。
それはたとえばエイズワクチンの開発であるとか様々な予防手段の開発に関してもそういう動きが出て、実際にそこでなされているし一定の資金も投入されてると。一方でその社会保障というか保険部分ですね。保険の部分に関してはこれはまだまだ全然動いてないんですけども、いずれにせよそういうような枠組みの理論化と実践というものがこの8年の間に非常に大きく発達して来ているということがひとつは言えます。
あと、これと同様のかたちで基礎教育の充実に関してもひとつの枠組みというのが出来てるんですね。つまりそういうかたちで世界の保健水準と教育水準を包括的にに向上させていこうと、そういう枠組みというのは、今相当進んできてはいると。ただ進んできている一方で、資金が充分には投入されていないっていう大きな問題が残っているというふうにいえるのかな、そこら辺は、まあもっと詳しく話せば話せるんですけども、まあ、それくらいかな。
【栗原】 はい、ありがとうございます。
◇傷/ウィリングネス
【立岩】 で、まあだいたい今7時10分なんで、まあいくらなんでもというか、僕は長いのはけっこう体質的に大丈夫なんですけど(笑)、それはただたんに私の体質のなせることであるにすぎないので、いくらなんでもってことで、半には終わりたいと思います。だからあと20分ぐらい。あとはもうめし食いに行ってそこで個別にというか、みんなでというか話せばいいんじゃないかなと思います。っていうことなんでだいたいそろそろ店じまいモードに入っていこうと思うんですが、まあ、その飲み屋でわあわあっていう手前のところで一つ二つ、質問っていうんですかね、あれば、皆さんいかがですか。
【N】 本当いろいろ々と詳しいお話を伺って大変勉強になりました。ありがとうございました。今日のテーマに貧困っていう言葉があったんですが、心の貧困っていうことに関してのお話はなかったような。ですから、すべてあらゆる立場から人間たちの心の部分の貧困にはどういうふうな手が打てるかっていうふうなことが、今日のお話の中にはなかったような気がしまして、でやはり心の貧困にどういういったいどんなような栄養であるとか、何かが注げるのかっていうことに私は非常にお話伺いながら、とても気になりまして。
で、たとえばひとつ考えたときに、日本で来年サミットがあるときに日本の市民運動が何ができるかっていう話にちょっと引きつけますと、昨日街中に行きましたら、増税反対、増税反対っていう演説があって、ま、たしかに今の自民党政権で消費税増税なんかしたらどうかっていう話はあるんですが、先ほどからのお話で、日本の歯科医療費1年分っていう時に、すごく具体的な数字をお出しくださったときに各、日本人が全員1年間我慢っていうわけにはいかないですよね。そしたらその具体的な数字をもとに、日本の市民団体が私たちが何年間か、その分増税したら出来るんですよみたいなそういうずごいポジティブで熱い心で、自分が出来る、是非したいって一人一人の市民が思えるような方向付けみたいな、そういう痛みを引き受けましょうみたいなことを、やっぱりすごく人材もあり、情報もある市民運動がなさることが出来たら、すごく世の中変わると私思うんです。だから何かそういうふうなこと来年日本にサミットが来るのであれば、つながるのであれば、っていうふうなことを考えさせていただきました。
【稲場】 ありがとうございます。ちょっと二つくらい言うことがあるのかなと思うんですけど。ひとつは途上国における心の問題っていうのは非常に厳しいものがあり、
【N】 先進国だけの心の問題じゃなくて
【稲場】 そうですね、もちろん先進国もそうなですけど、たとえば南アフリカ共和国っていうのは先ほど申し上げたとおりなんですけど、非常に過酷な歴史を持っていて、なおかつその過酷な歴史に対する代償というものが、きちんとされていないんですね。つまり南アフリカ共和国の代表的ないわゆるその和解プロセスとしてあったのが、いわゆる「真実と和解委員会」という非常に有名な、ネルソン・マンデラとデズモンド・ツツ司教という二人の偉人というかですね、二人のいわゆる哲人ですね、この二人を看板として行われたこの真実と和解委員会というのがあって、それがいわゆる和解のモデルということになったわけなんですけど、このいわゆるこの和解プロセスにおいて実際に多くの人々が納得できたかどうかって言ったときにこれ非常に難しいことがあるわけです。つまりそんなに簡単に忘れることもできない、アパルトヘイトによる虐殺というものを忘れることはできない。
あるいは、アパルトヘイトに対して戦った側の暴力も裁かれたわけですけれども、これまたですね、BC級戦犯的な意味での問題点があったわけなんです。つまりそのたとえば、アパルトヘイトに対して戦おうとしたいろいろな若者たちがどういうことになったかというと、アフリカの社会主義の国々の支配者グループの勝手な都合でですね、アンゴラで戦わされたり、引き回されて、いろんなところで戦わされるということになった、しかもそこでやったことを問われたりとかするなかで、結局その、自分たちの戦ったことはあれは何だったのかとかと、いうことになってしまった部分があるわけですね。
つまり真実と和解委員会っていうのは、とくに南アフリカにおいては、ネルソン・マンデラとそしてデズモンド・ツツという、非常に偉大な二人がいた結果として形の上ではなんとか収まったけども、実際にそれによる代償、和解効果というものが個別のレベルで本当にどの程度あったかっていうと非常に厳しい。さらにそれが途上国における和解モデルというふうな形になってしまっている。つまり、ネルソン・マンデラもツツもいない国で和解、真実と和解委員会をやっても厳しいわけですよね。だけどもそれは和解モデルになってる。非常に大きな問題なわけですね。つまりその、きわめて長期的なしかも残酷な残虐行為と人種差別というものが起こり、そしてそれが非常に多くの人々にとってネガティブな意味で精神的にダメージを与えていて、それをどういうふうに和解プロセスにもっていくのか、和解プロセス、あともうひとつは様々な精神的な手法をもっての癒しというものをどう追求するのかっていうのはすごく難しいことなんですね。
たとえばルワンダなんかの大虐殺というものがあって、それに対して今いろいろなかたちで、今の政権が和解プロセスをやってはいるわけですけど、あれはあれでまた非常に、詳しく言うとまた大変なんですけど、そういう意味で途上国におけるさまざまなその歴史的な経緯、それによる精神的なダメージそれをどう乗り越えていくかっていうそこって言うのは本当に手当てがされていないところですね。感染症に関しては今言ったようなことがあるわけですけども、途上国の精神医療をどう向上させるかってイニシアティブはWHOがちょっと考えているけれどもほとんどお金あてがわれてないですね。そこもやっぱり非常に大きな問題だと思います。これからの健康問題だろうなっていうふうに思います。
それで、も一つはそのいわゆる増税というような問題なんですけれども、一方でそのやっぱり欧米における市民社会運動と「貧困を歴史的遺物に」というとかそういう社会運動っていうのが、そういうそのウィリングネス、世界のウィリングネスというものを動員しているということも非常に大きな要素であって、これは事実であって、それと同様のことを日本でどれくらい展開できるのかっていうことはなかなか難しいですね。気候変動っていうのは、自然がもっとも大きな啓発メディアになってくれてるので、つまり台風がくればみんな台風大変、気候変動大変、ってみんないやおうなしに思うというのがある。ところが感染症の場合は、HIV/AIDSなんかの場合、そうならないと。しかも気候変動は自分の問題だけどアフリカのエイズは他人の問題だという中でどういう形でそこにウィリングネスっていうものを動員していくのかっていうのはすごく難しいことだなあと思うんですけど。
日本がイノベイティブな海外支援メカニズムをつくるってことが出来るのかどうか、なかなか難しい問題で、気候変動に関しては何らかの形で出来るだろうと思うし、やった方がいいと思うんですけど、やった方がいいっていうか、ある程度できる政治的な圧力があると思うんですけど、同様にそういうものを感染症であるいは途上国の保健支援で作れるかどうかっていうのは市民社会にとって非常に大きなチャレンジだと思います。それなるべく出来るようにはしたいと思いますんですけど。そこをまだアイデアが充分ないですね。まあなるべくちょっと検討してっていうか、頑張っていきたいなとは思ってますけど。はい、すみません。
【立岩】 たしかに、しゃあしゃあと、っていうか正直にというか、税金余計に払おうぜ、みたいなものの言い方っていうのはある意味ストレートでいいかも知れないと、僕も思うんですね。明日の『京都新聞』にちっちゃくコラムが載るのもそういう話ではあって★。私もある意味で増税論者なんで、まあ、僕の場合はその必ずしもみんな均等で増やせっていう話じゃないんで、累進性もっときちんとつけるみたいな話なんでね、またストレートな増税論者ではないんだけど、ま、そういう話も関係はあるかな、と思います。さて、あと10分ですが。
★立岩真也 2007/08/03
「削減?・分権?」
,『京都新聞』2007-8-3夕刊:2 現代のことば,
◆質疑応答2:アフリカにおけるゲイおよびゲイ・アクティビズムの状況
【K】 あと1点ですが、まず最初に今日のお話、すごいエキサイティングで面白かったですし、やっぱり僕、稲場さんのアクティビストだなあという感じが(笑)ひしひしと伝わる、僕はすごく感動しました。で、それはいいんですけど、僕はお聞きしたい点はアフリカにおけるゲイおよびゲイ・アクティビズムの状況について、概観だけでけっこうですので、教えていただければと思います。というのはニュースで伝わってくることというのは、ナイジェリア悲惨だよとかそういう話しか来ないんです。その中でどのような運動が展開されていてあるいはどのような運動上の困難があるのかというあたりを聞かせていただければと思うんですけど。
【立岩】 そうですね、それ忘れてたっていうか、案内のホームページの下の方には書いてあったんだけど。稲場さん書かれた話もね、『現代思想』に書いていた話もその前も、アフリカっていうのもあるけれど、イスラムにおけるゲイの位置っていうのがあって、それはイスラムにおけるFGMの問題であったり、それにたとえばフェミニズムがどう対するかみたいな、本当に厄介な問題でもあるんですよね、これを答えろっていうのもたいへんなことですけど、まあ概観っていうのと、僕まだちょっと、じゃあそれどうするべ、って話と、両方ともでかい話ですがまあちょっと残り時間で(笑)やれるところをって感じですね。
【稲場】 そうですね、まずアフリカのゲイの状況なんですけど、ひとつやっぱり一番大きな問題になってるのはやっぱり、これ伝統的なものなのかそれとも近代的に構築されたものなのか、両方だと思うんですけど、やっぱりその男性優位主義、マチスモですよね。いわゆるそのジャマイカなんかでもよくあるところのつまり男性は女性とセックスするものであって、男性、とくにその男性と男性がセックスする場合でも特にその受身側になるほうですねそちらに対する暴力とか差別とかっていうものが非常に強いわけですね。そのマチスモの問題と非常に大きな問題として暴力の問題としてあるところです。で、あともうひとつはその、それは日本の80年代とかもそうだったと思うんですが、ゲイとしてのライフスタイルというものが誰も追求してない場合、自分どう生きていいのかわかんないっていう、そこはかなり大きな問題としてあるわけですね。
つまりゲイ、たとえば身近にゲイカップルで生活している人とかあるいはゲイのアイデンティティをもってそれを大事にして生活している人とかっていう人たちが身近にいれば自分もそうしてみようっていう話になるわけですけど、ロールモデルがいないと結局そういう、自分は誰で、どういうふうに生きることが適切なのかっていう、複数のオプションとかモデルっていうものが提示されない。その結果として伝統的な生活スタイルに従わざるをえなくなってしまうということは非常に大きな問題だろうと思います。つまり宗教的なファクターを除くとその2つの問題が非常に大きいのかなと。つまり伝統的なマチスモと、そしてどう生きればいいのかっていう道がオプションが示されないっていうこの2つの問題ですね。
◇ナイジェリア/ガーナ/ウガンダ…
ただ、現状でたとえばナイジェリアは非常に悲惨な状況であるということが新聞報道でいくつかあったかもしれないんですけども、一方でそのナイジェリアっていうのはゲイ解放運動がそれなりに存在している国でもあるわけですよ。つまり、ナイジェリアの一番古い、古いっていうかナイジェリアで一番最初にゲイの運動起こした人がヨルバ人でいるんですけど、彼が「アライアンス・ライツ・ナイジェリア」っていう団体を作ったんですね。5人のゲイと一緒に作って、それがけっこう西アフリカの中ではゲイの運動としては一番早くできたグループなんですが、この5人がどうなったかというと2人はエイズで死に、1人は親に迫害されて南アフリカに亡命して、1人は団体を別にラゴス、一番でかい町で作ってその創設者はイバダンっていうナイジェリアで2番目に大きな町で同じ団体をずっとやっていると。つまり、5人のうち2人は死んで1人は亡命、少なくともこの3人はもう運動から脱落してるわけですね。物理的に2人は脱落しているわけ。でこの2人はHIV/AIDSなりなんなりを中心にしながらゲイの団体をしっかり作っているわけなんです。
私が非常にナイジェリアに行ってびっくりしたというか、ナイジェリアのエイズ会議に行ってびっくりしたことは、ナイジェリアのエイズ会議でゲイ・レズビアンのパーティがあってですね、そのパーティに行ったときにナイジェリア人のゲイとトランスジェンダーの人たちがたくさんいたんですね。若者。この若者達がみんなしっかりしたゲイライツの考えというものを持っていて、そしてゲイとしての人権ということに関して1人1人がしっかりとしたことを言える、そういう状況であったと。
ナイジェリア自体はその旧ソドミー法がですね、イギリス領の時代にビクトリア朝時代に導入されているので、同性間性交渉は非合法なんだけど、そのゲイバーっていうのはゲイバー自体を作るとまずいんですけど、ゲイ中心で運営されている、別にヘテロセクシャルも来られるんだけど、ゲイ中心で運営されているバーというのがいちおうあるんですね、ちょっと私は行く時間がなかったんで行かなかったんですけど、ラゴスにもあればいくつかの大きな町にも存在してると。
でまたそのHIV/AIDSに関する啓発運動っていうのはイバダンとラゴスっていう二つの大きな町ではいちおう展開はされていて、なおかつ彼らはナイジェリアのエイズ活動家のコミュニティの中ではそれなりの発言力を持ってるんですよ。そういう意味でかなり私自身は、ナイジェリアっていうのは、たしかに非常に厳しい状況である一方で、一定その石油成金とかお金持ちがいる国でもあるので、それでいわゆる中産階級以上の部分の中でゲイソサエティっていうのは一定あって、そしてそこがある程度ゲイコミュニティを、運動としてモビライズしている部分はしっかりある国だっていう感じを持ったんですね。
ちょうどそのパーティにガーナのゲイのグループの人が来ていて、私はそのあとガーナに行ってその人の事務所に行ったんですけどナイジェリアの場合、自分の団体の事務所を看板つきで掲げるっていうのは非常に難しい状況にあるんです。ナイジェリアっていうのはガーナに比べると格段に暴力的な国でなにが起こっても不思議ではないので、ある意味なんか、ここ襲おうぜ、って言って襲っちゃうみたいなことはいくらでもあるので、公然とっていうのはなかなか難しいんだけど、ガーナの場合は実際にもうオフィスを構えていて、何人か活動家がいてエイズキャンペーンにしてもなんにしてもそれなりにできているということだったんですね。そういう点で非常に興味深かったなと思います。
アフリカのゲイ運動に関してやっぱりその一定の梃入れが特に国際機関からあるんですよ。というのはたとえばナイジェリアで、アライアンス・ライツ・ナイジェリアのその年間総会をやる資金を出したのは、これは、アメリカ国際開発庁、USAIDが資金をだして、それでそういうのやると。つまり、それはゲイコミュニティにおけるHIV/AIDSのことをやるっていう動きがあるからですね。ガーナなんかにおいてもUN機関が一定そういうグループを作るうえでのそれなりの働きをしているということがあります。ですからそういう意味で国際的な、国際機関の支援っていうのが一方でそれなりにあるんですね。そういうところが特にナイジェリアやガーナの運動を見てる場合には国際的な支援てものがあることがあって、一定のその運動を継続させる、あるいは市民権を持たせる上でも重要なのかなっていうのがあります。
逆に、ウガンダに行った時にウガンダのゲイの団体の人たちから言われたのは、ウガンダっていうのは国際機関のトップもウガンダ人がやっているので、ウガンダ人の国際機関トップはゲイ・レズビアンの運動に全然理解がなくて、そういう国際的な支援というものを全然得られないと。そういう意味で非常に大変であるということを言ってた。ただ一方でウガンダっていう国もある程度90年代から経済成長して都市部にはゲイコミュニティはそれなりにあるんです。そのゲイコミュニティがある程度、運動団体を組織化してそしてかなりその、民族主義的な色彩の濃い今のムセヴェニ政権に対してゲイの権利っていうの主張したときにすごい暴力で弾圧をされて無期懲役とかになったりした人もいたわけですけども、逆にそこを国際的に発信したことによってムセヴェニ政権もそんなにひどいことは出来なくなったという状況が、ウガンダの今の状況ですね。
こういうアフリカのそのゲイ・レズビアンの運動に対して非常に精神的な支えになったのが南アフリカのHIV/AIDSに関する当事者運動なんですね。その南アフリカの
トリートメント・アクション・キャンペーン(TAC)
っていうその、HIV陽性者の運動を一番進めていった団体のトップであるザッキー・アハマット氏が、ゲイ、マレー系の南ア人なんだけどゲイの活動家で、彼のリーダーシップっていうのは、HIV陽性者の中ですごい尊敬されてるわけですね。彼がゲイであったっていうことは、ゲイっていう存在をアフリカのHIV/AIDS運動の中で非常に高い存在に位置づけ直したというのがあります。だからそういう点で南アフリカ共和国のトリートメントアクションキャンペーンの運動っていうのはHIV/AIDSだけではなくて、ゲイ解放運動にとっても非常に大きな象徴的な運動としても存在しているということが言えるわけですね。
そういう意味でもっていうか、けっこう今はアフリカのゲイの運動はそれなりに進展しつつあって、いくつかの国のネットワークが南アフリカに集まって会議をしたりとかそういうモビリゼーションがだんだん出来てきているという状況かなと思います。90年代にもそういう動きが若干あったんだけどけっこう白人主導だった部分があって、それを今は乗り越えてそれなりの土壌が出来てきているともいえる、ということで、その点はまあ、一方ですごい進歩だっていうふうに言うこともできるのかなあ、というふうには思っています。
◇イスラム圏のゲイ
イスラム圏のゲイの話っていうのは非常に難しいところでですね、これは前なんかの集会でプレゼンをしたことがあったような気がするんですけど、あれなんだったっけなあ、いわゆる女性性器切除に対する運動とそれを批判する側の言説の問題とかっていうことにちょっといくつかプレゼンをしたことがあったような気がするんですけど、いずれにせよイスラム世界において同性間性行為っていうのはかなり頻繁にみられるものではあるんです。それが機会同性愛である以上はそれなりの寛容さって言うか見逃されるっていう部分がある中、同性間性行為っていうこと自体はイスラム圏には非常に多くみられる、それはイランにおいてもある意味そうなわけですね。ところがこれが同性愛である、そして同性愛者の権利を求める政治運動であると言ったときに、どういうことが起こるかといったときに、そこで権力が牙をむいてくるわけですよ。
で、ここの違いというものを日本の裁判所は見ることが出来なかったがゆえに、Sさんは両方とも裁判で負けることになってしまったわけなんです。つまりその同性間性行為は一般的に存在しているわけですよと、しかも同性間性行為をした人が全員つかまって死刑になってるわけじゃないだろうと。そういうロジックの中でそのことと同性愛者としての人権を訴える政治運動をすることとが混同されてしまう、そしてなおかつ日本の東京裁判所は東京地裁も東京高裁も、あと東京地裁の判決でですけど、自分が同性愛者であるということを主張するのは性表現であると、性表現に対してどんな規制を加えようと国家権力がそれぞれの法律において行うことであるから、それは各国の自由に任されるべきであって、たとえば自分が同性愛者であるということを言う言わないということに対する規制をするしないっていうのは、これは別に何の弾圧でもなんでもないんだ、っていうすさまじい理屈ですね。そして彼は、彼の主張は政治的意見ではないっていう判断でそして、敗北してしまったと。こちらはそれに関して、そもそもそういうような考えがあることは見込んだ上でいろいろなことは言ってたんですけど、結果としてそういうようなかたちになってしまったわけですね。
◇想像のゲイ共同体
イスラム社会というところにおいて、そこの中で非常に微妙な問題っているのはたとえば女性性器切除の問題で、たとえば岡真理さんが言っているロジックというものに関しては私は徹底的に批判的なんですが、つまりたとえば、ここはその本を読んでない人がおおいからあんまりそこ話してもしょうがないですよね。
【立岩】 よろしかったら、あっさり…、あっさりした話じゃないですけど。
【稲場】 あっさりした話じゃないですね…、岡真理さんの指摘っていうのは必ずしも、ある意味間違ってないともいえるわけです。女性性器切除に反対する運動っていうのは、女性としての連帯なり女性としての「階級」というものをそこで出してしまうわけだけれども、そもそも途上国の女性と先進国の女性の間には大きな開きがあるわけで、そこの部分に関して同じ女性だからということで、そういうレズビアン連続体(注:アドリエンヌ・リッチが提唱した概念)じゃないけれどもそういう連続体としてのね、…そういうことを主張できるのかと、本当はそこが分断されてるんじゃないかということを言う。
そう言うわけだけれども、じゃあ、たとえばその理屈をイスラム圏における同性愛者弾圧っていうことにひっくり返していったときに、途上国のゲイと、先進国のゲイと同じゲイであるから連帯できるというふうにいえるのかって言ったときに、われわれは言えるというところから始めないといけないわけですよ。つまり、いえるというところから始めなければ運動はできないわけですし、実際そこの途上国でわれわれはゲイであるということをいってる人がいる以上その間の連続体も想像、いわゆる想像の共同体としてもそこを広げていかなければ運動としては成立しないし、またそれを望んでいる途上国の人たちが、途上国のゲイなりいるわけですね。そこにわれわれは、もちろんそこのその分断線はあるわけだけれども、逆にそこを想像上の共同体としてそこを仮定するところから話を始めて、断絶を、断絶はそこからしか乗り越えられないわけだから。
この部分をですね、もっといわゆる分断状況から話をはじめなければ素直な話じゃないっていうね、そういう指摘っていうのは逆に言うと、ある意味分断を固定化することにしかならないし、そういう点で言うと、彼女のその主張っていうのがある意味運動破壊の部分をすごくもっているとしか言いようがないわけですね。
つまり、ゲイの問題、ゲイに対する弾圧っていうこととパラレルに考えたときにある意味そこを非常に見えやすくなるわけですけどね。つまり女性性器切除の問題の場合はある意味その見えにくい部分もあるのかもしれないんだけれども、それをゲイの問題に照らし合わせていくと、その理屈だとゲイ、イスラム圏におけるゲイに対する弾圧に関してもわれわれは反対できないということになりますよね、と。いうことになってしまうので、その部分では私自身はいわゆるそこの分断線というのを強調するとするならば、じゃあ逆に想像上の共同体としての担保というものをどこにじゃあ置くのか。
あともう一つは、われわれがこちら側としてどう応答するのかって言ったときに、中身は考えなきゃいけないけれども、一方でそこで、言語表現の意味で、ある意味粗雑な言説なり配慮にたらない言説が出てきたときに、それに目くじら立てて噛み付くっていうことがどれだけ生産的なことであるのかっていったときに、やっぱり非常に非対称的な言説構築にしかなってないんじゃないかっていう感じが非常に受けるわけなんですね。だからその点で私自身は岡真理さんの指摘に対してしては非常にまあ、懐疑的というかですね、こちらとしては批判的に考えているわけです。
【K】 戦略上のものであるにしても実質的なものであるにしても、トランスナショナルなゲイムーブメントはゲイネイションっていうのものを、いわば想定し、
【稲場】 そうそうそう、そのとおり
【K】 そのなかにいわば様々な社会保障なり、あのあるいは再分配なりのあり方を考えていかないと運動として成り立たないと、で、その意味で言うならば先ほども話でましたけども医療保障っていうところ、国内でさえ、たとえば他の国からやってきたいわばオーバーステイのゲイに対してさえ、医療保険が提供できておらず、それに対してあんまりゲイ全体として関心もたれてない現象っていうのは、ゲイネイションっていう視点からしたときに、より強く問題化されるべきだろうなあっていうふうに思います。ありがとうございます。
【稲場】 そうですね。つまりやっぱり結局のところ、想像上のコミュニティなりアイデンティティとして、こちらがその連続体っていうのを考えていかないと、やっぱりそこからしか話始まらない。つまり運動作る場合、そこからしか話始まらないということをやっぱり位置づける必要があるのかなと、そういう中でたとえばSさんの問題とかいろんなことについて取り組んでいくわけだけれど、そういう意味では逆にコミュニティの部分で、そこに乗り出そうっていう力っていうのが今のところ働かないっていうのも日本の現状でもあるのかなあと、それはある意味しょうがないといえばしょうがない部分ではあるんですけど。まあ努力していくしかないのかもしれないですね。今その努力ができないのが残念なんですけど。まあ、そんな感じ。
◇南アフリカの当事者運動についての補足
【立岩】 さっきの南アフリカの人、
ザッキー・アハマット
、あの方は今は、っていうか、
【稲場】 元気にしてます。南アのエイズ政策がちょうどその南アの非常にどうしようもない保健大臣がおそらくはエイズとおもわれる症状で入院をして、引退というかですね、実質上保健大臣としての役割が果たせなくなったので今の副大統領と、保健副大臣とがそのエイズ政策を新しく担うことになったわけですよ。彼らがTACの路線を路線として採用することになったんですね。その結果今のTACの副議長であるそのマーク・ヘイウッドっていう、マーク・ヘイウッドがあの南アのその南ア国家エイズ委員会の副議長をやると、いうかたちでかなりそのTACのHIV/AIDSムーブメントは南アの中心的な、路線に今なりつつあると、そういう意味で非常に大きな勝利を
【立岩】 大臣さんはいつ、引退っていうか退かれたんですか
【稲場】 彼はね、去年の夏くらいかな。
【立岩】 するともうだいたい1年くらい。
【稲場】 そうですね、大きく変わりましたね
【立岩】 ザッキー・アハマットのファイルはわれわれのホームページにもありますのであとでご覧ください★。
★
Achmat, Zackie[ザッキー・アハマット]
http://www.arsvi.com/w/az01.htm
【稲場】 彼は非常に偉大なゲイ活動家でもあり、HIV陽性者の活動家でもある。
【立岩】 さっきの岡さんも近所にいる人なので、京都在住の人なのでそのへんのリクエストが皆様に高まれば、また、またちょっと別のネタになりますけど、マルチカルチュラルななんとかとなんとかみたいな話で、議論というかな、することはできるかと思いますけど、まあそれはみなさんのリクエスト次第ですから、あったら考えてみましょう。というところで3時間40分たっちゃいましたよ
【稲場】 すいません
【立岩】 いやすいませんてことじゃなくて(笑)、非常にありがたかったんです。どうもありがとうございました。まあ、そんな感じでこれを基本的には全部起こして、適宜編集したバージョンが『現代思想』の9月号に載るんじゃないかと思っていますので、皆さん楽しみにしていてください★。
★ 『現代思想』2007年9月号 特集:社会の貧困/貧困の社会
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※
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%BC%D2%B2%F1%A4%CE%C9%CF%BA%A4%A1%BF%C9%CF%BA%A4%A4%CE%BC%D2%B2%F1
■言及
◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房
文献表
UP:20071121 REV:1202,13 20080126(稲場氏による修正を反映させる)
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