◇難民申請裁判 2000−
ただひとつ問題としてあったのは、ちょうど2000年にですね、イラン人のゲイの人で、難民申請をするというケースがひとつありましてですね、その人が、難民申請を99年にしようと思ったんですが、ところが彼がUNHCR(The Office of the UN High Commissioner for Refugees=国連難民高等弁務官事務所)に行ったらですね、難民申請というのは最初は法務省にするものであると言われてUNHCRではあんまりサポートしてくれなかったんですね。で、法務省に行くのはいいけど収容されたり強制送還は困るなあということで、弁護士さん、別の弁護士さんに相談をしたら、難民申請なんていうものは1年に1人しか承認されないんで、実際、当時はそうだったのですが、あなたは止めた方がいい、と言われて難民申請を結局しなかった。
そしたら翌年2000年の4月に彼は出入国管理法違反で捕まってしまって、そしてその後あたふたと難民申請をし、なおかつ裁判をしないとイランに強制送還されてしまうということで、その支援グループを立ち上げて裁判をしなきゃいけないっていう事情があったわけなんです。
それがちょうどアカーとAJFのちょうど間に挟まっているんです。2000年にそういった問題があるので、アカーとは別のところに、彼の支援グループをセクシャルマイノリティ中心で作って、あと彼の関係していた外国人の労働運動をやっている人たち、この辺を合わせてですね、作ってこの在留権の裁判をするということが、これが5年間もかかった。
ということで2000年から2005年までの間この事件をやらなきゃいけなかったということがありました。
彼は、結局一審二審とも負けたんですが、最終的にUNHCRがですね、スウェーデンに交渉しっかりしてですね、スウェーデン政府が彼に永住権を発行するということで、スウェーデンに移住することができた。
最終的にはハッピーエンドで終わったわけなんですけども、この5年間、ひとつはAJFをやりながらこちらの裁判闘争もしないといけない、というような状況で、こういった難民問題に関するかかわり、あともうひとつは日本の在留資格とか入管難民法の問題ということに関しても取り組んだ経緯があります。そういうようなかたちでアカーというのが91年から2002年くらいまでの間、ゲイの問題、日本のゲイ解放運動ということをやってきたと。今はですね、自分はゲイでしっかりやらなきゃいけないとは思っているんですが、その点に関しては現状でAJFがちょっと多忙すぎるのであまりやっていないんですね。その問題に関してきちんと取り組んでいないという、ある意味、ちょっと今、参院選に候補が出ていたりとかいろんな動きがあるわけなんですけども、そちらのほうには充分にはコミットできていないわけです。
ただ、いちおうアフリカに行ったときはゲイの団体に会うようにはしていてですね、たとえばナイジェリア、ガーナ、南アフリカ、ケニア、それ以外どこだろう、そういったところのゲイの団体とはそれなりの、あとウガンダですね、それなりの密接な連携というかですね、それなりの人脈とか、あと彼らのぶつかっている問題っていうのはどういうことなのかということに関する情報収集はいちおうしています。
いちおうそれが、アカーからアフリカ日本協議会へという流れということですね。