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「植物状態から目覚めた女性」

児玉 真美 200705 介護保険情報 2007年5月号

last update: 20110517


★アメリカ合衆国
植物状態から目覚めた女性 4日後にまた昏睡に
 「レナードの朝」という映画を覚えている人は多いだろう。長年こん睡状態にあった患者が突然目覚め、普通に行動した後でまた昏睡に戻るという、実話に基づいた映画だったが、それと同じ奇跡がこのほど米国コロラド・スプリングスで起こった。
 クリスタ・リリーさんは2000年11月に心臓麻痺と脳卒中で倒れて植物状態に陥ったが、その後4度ほど短期に意識が戻ったことがあったという。5度目になる今回は3月4日に突然目を覚ました。12歳になった末娘と3人の孫にも会って話をし、メディアのインタビューも受けたが、4日目に再び「最小意識状態」に陥った。クリスタさんの主治医は原因は不明だが、また目を覚ますことがあるかもしれないと話している(AP 3月8日など)。

★米・英・ベルギー
死の再定義により 植物状態の人を研究に利用か
 クリスタさんのニュースに触れて思い出したのは、去年読んだサンフランシスコ・クロニクルの特集記事(10月22日)だ。一部科学者の間で、植物状態の人を実験利用する道を開くために死の再定義が提案されているという。利用が考えられているのは、動物の臓器を人間に移植する際の安全性に関する実験など。 米国ジョージタウン大学の生命倫理学者ロバート・ヴィーチ氏は数年前に人間存在の本質を「統合された心と体の存在」と定義。その定義に基づくと、植物状態にある人は「息をする死体」に過ぎないとする。04年にはベルギーのアン・ラヴェリンゲン氏らが長期に植物状態にある人を「生きた死体」と呼び、誤った人格化を招く「患者」という呼び方はやめるべきだと提唱した。
 06年には英国バーミンガムの生命倫理学者ヘザー・ドレイパー氏が、長期に植物状態にある人はまだ生きてはいるが、意識がある間に同意している人の場合は実験に利用しても問題はないと主張。仮に意識があっても「植物状態や、それほどでないにせよ意に染まない状態で生きながらえるよりは、臨床試験に参加して他者のためになる方が明らかによい生き方だ」と述べた。
 この記事の冒頭には、クローン人間の生育用タンクとして植物状態の女性の体を使うSF小説が紹介されているのだが、こうした生命倫理学者らの言葉の背景にある意図を考えると、果たしてSFだと聞き流せるものかどうか。

★カトリック教会
“生命倫理の地雷原“に――カトリックとしての見解
 Catholic Onlineというカトリック教会のサイトは3月1日に生命倫理問題として最近の3つのニュースを取り上げ、カトリック系の生命倫理学者の見解を紹介している。1つ目は重症障害児に対して外科手術とホルモン療法で成長抑制などを行った“アシュリー療法”( 3月号の当欄で詳報)。
 2つ目はイギリスで研究者らが計画している人間と動物のハイブリッド胚作りである。動物の卵子に人間の核を入れて作るクローン胚が、パーキンソン病やアルツハイマー病などの治療法発見に役立つとして、保健省管轄下のヒト受精・胚機構(HFEA)に研究許可が申請されているのだが、今のところ世論の批判が激しい(BBCニュース1月5日など)。
 3つ目はフロリダで今年後半に予定されている米国初の子宮移植。子宮の機能不全や、癌や事故による摘出で妊娠不能となった女性に新たな光明だと医療チームは移植の意義を力説する。しかし、これまでの前例はサウスアラビアで46歳ドナーの子宮を26歳の女性に移植したものの血栓のため99日で摘出した一件のみ。リスクが大きすぎると懸念する声も高い。また、生殖補助医療や養子縁組などの方途を勧めるべきとする批判や、移植医療と生殖医療の結びつきに倫理上の問題を指摘する専門家もいる(ワシントンポスト1月15日など)。
 Catholic Online の論評では、“アシュリー療法”は肉体の統合性と生命の尊厳の観点から、またハイブリッド胚は、胚はすでに人間であるとするカトリックの立場から、問題があるとしている。3点目の子宮移植については、主に移植後の妊娠に体外受精が使われること、その際に遺伝子診断が行われることを理由に、やはり批判的な立場をとる。そして、こうしたニュースが相次ぐ現状を「生命倫理の地雷原」と呼んでいる。

★アメリカ合衆国
倫理綱領が必要――倫理委員会も実態にばらつき
 Science and Engineering Ethics 2月号で倫理綱領が必要と訴えるのは、ウエイク・フォレスト大学医学部の科学者/生命倫理学者ナンシー・L・ジョーンズ氏だ。クローン羊の誕生、ヒトゲノム計画、ヒト胚性幹細胞研究、遺伝子組み換え、と科学が急速に進む中、ヒポクラテスの誓い以後、同様の倫理綱領は公式に作られていない。どのような知見をどのような方法で求めるかを倫理綱領で規定し、予測される結果を思慮深く検討し、その知見の責任ある利用を社会に示す必要も強調されるべきだとしている(Medical News Today2月4日)。
 またこのほど、アメリカの総合病院の倫理コンサルテーション・サービス(以下ECS)について初めての全国調査が行われ、その結果が論文(注)発表された。著者は復員軍人省・国立医療倫理センターのエレン・フォックス他3名。
 それによると、アメリカのほとんどの総合病院が完全な倫理委員会を備えないまでも小チームや職員による何らかの形のECSを行っているが、メンバーや協議の手順など、その実態には大きなばらつきが見られる。また公式な倫理コンサルテーションのトレーニングを受けた人が41%しかいない、明確な方針や手順がない、協議への評価システムがない、ECSの役割認識が一貫していない、決定後のフォローがない、などの問題点が浮き彫りになった。今後はECSの実施上の基準を明確にする必要がある、と論文は結論付けている。 日本でも読売新聞が病院倫理委の実態について大規模な全国調査を行っている(3月13日)が、対応のばらつきはアメリカと同様で、被験者や患者を守る“とりで”としての機能は危ぶまれるのが実態のようだ。

 実験利用を目論み植物状態の人を「息をする死体」と呼ばわるのも生命倫理学者なら、中絶絶対反対のカトリック系生命倫理学者も存在する。3月17日のワシントンポストによると、生命倫理問題を論じるブログが評判となり、海兵隊から福音主義系の生命倫理シンクタンクに転職した福音主義のクリスチャンもいるそうだ。
 また前述の、“アシュリー療法”論争の際にメディアで発言している生命倫理学者をウェブで検索してみたら、世界トランスヒューマニズム協会の幹部が2人もいた、ということもあった。ハイテクを駆使して人類を改造し、スーパー人類を作ろうとの思想を信奉している団体である。
 もしも生命倫理学者が特定のグループの思想信条・利害の代弁者にもなり得るのだとすれば、メンバーや手続きによっては倫理委員会の操作も可能ということにならないだろうか。記録と外部による検証によって透明性を確保するセーフガードの仕組みを、しっかり作ってもらいたいものである。


(注)Ethics Consultation in United States Hospitals : A National Survey, The American Journal of Bioethics, Volume7, Issue2, February 2007


*作成:堀田 義太郎
UP:20100212 REV: 20110517
全文掲載  ◇児玉 真美
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