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医療と報道倫理

岡本 晃明 『新聞研究』2007年2月号

last update: 20151224

 社会の医療化といえる事態が進行している。社会のさまざまな事象を追う中で、傷ついた人の心のケアの必要性が語られ、かつてなら社会現象と呼ばれたできごとが、社会病理と呼ばれ、原因や対策を語るのは医療の専門家となった。犯罪報道はもちろん、いじめなど学校教育、食品や環境、年金や介護保険など社会保障。「安心・安全」を叫ぶ社会の中で、医療が関わる領域は広がる一方だ。医療や健康を専門としない多くの記者が、医療に重なる領域で取材を重ねている。
 医療と重なる領域の拡大とともに、報道の上で、いくつか新しい葛藤が生じているように思われる。災害報道に関しては、尼崎脱線事故の際に医療機関が個人情報保護の観点から入院患者を匿名扱いとし、安否情報の提供との葛藤が問題となったのは記憶に新しい。医療機関が搬送された患者に実名報道の可否を確認し、承諾を得た人についてのみ実名公表する方法では、従来の搬送先名簿に比較して安否情報全体の信頼性が損なわれるほか、重症で意思表示できない人が抜け落ちてしまうなどの問題があった。
 未知のウイルスを巡る危険性と風評についての葛藤も、たびたび繰り返されている。薬害ヤコブ病、O―157、鳥インフルエンザ、ノロウイルス。感染による被害状況を速報することと、風評被害や偏見を生じないよう感染リスクの的確な報道を両立することは、極めて難しい。医学が症例を積み重ね、反復することから結論を導く科学である以上、起きたことに対処しなくてはならない報道が事後的に誤ってしまう可能性は常に秘めている。薬害の悲しい歴史をみれば、疫学的に安全といえるのは、死者の屍を乗り越えて、としか言いようがない面がある。感染症の場合、ウイルスは変異しうる。あまりに早く「安全」を断言するのは、危ういことでもあるという困難もある。
 また事件報道でも、容疑者の人格障害や発達障害、精神疾患が疑われる場合、実名報道か匿名かの選択に際し難しい選択を迫られる。事件と疾患/障害との因果関係について十分な判断材料が集めきれないまま、事件発生段階で実名匿名の決断を迫られる。安易に事件の原因を病と結び付けるような報道を慎むべきなのはいうまでもないが、精神疾患の診断基準の変化、医療観察法施行など精神医療を取り巻く情勢の変化とともに、この古くて新しい問題は依然、難問であり続けている。
 京都新聞では2006年1月から、医療と福祉を追う長期連載「折れない葦」を掲載した。取材班は主に遊軍記者を中心に構成したが、事件や司法の担当が長い者が多いものの医療や福祉を専門的にカバーしてきた記者はいなかった。京北病院安楽死事件、京都の鳥インフルエンザ、SARS、薬害ヤコブ病大津訴訟など医療と重なる領域で、報道倫理上の問題に突き当たった経験が、福祉や医療の現場を見つめ直そうと思った動機の一つだった。
 個人的なもう一つの動機は、安楽死/脳死/生殖医療など生命倫理の問題で、賛成論・反対論の二項対立で争点を提示する従来の手法への懐疑だった。無論、賛否の声を拾い、事態の争点を中立の立場で提示することは新聞報道の重要な役割である。だが生命倫理の論点は他者の生存の線引きに関わる論議であり、「命を自己決定に委ねていいのかどうか」が根底の問いである。賛否を中立的に紹介する立場は、自己決定=自己責任で命のことを決めればいいという立場を、知らずに推進してしまうのではないか。意思表示できない人、決まられない人はどうなるのか。生命倫理の問題が極めて重要な現代の問題だが、「専門家」や論客と呼ばれる人の声を並べるのではなく、治らない病や障害とともに生きる人々の日々の暮らし、思いを伝えることが重要だと考えた。
 人は衰え、病んで生きる。その中で、誰の声を中心に語っていくか。ここをあいまいにしてはいけない。「折れない葦」の連載を構想した時に、取材班で最初に確認したことは、社会でもっとも思いを、声を発しにくい人はだれなのか、その人たちに会おう、だった。
 コミュニケーションに壁のある人がいる。意思疎通が困難な人―植物状態と呼ばれる人、人工呼吸器を付ける/付けないの選択を迫られている人。脳外傷で高次脳機能障害となり、記憶を保持できない人。
 呼びかけても返事のないドアを押す。家の主は、全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく進行性の難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性で、既に声を失っていた。パソコンのキーボードにわずかに動く指を這わせる。「今日はこれから、入浴介護のヘルパーがやってきます」。ヘルパーが手伝い、全裸になった。湯船に浸かるやせた肉体、腹部の栄養チューブを見ながら、彼の覚悟に打たれた。
 呼吸ができなくなる日が迫る中で、入浴の仕方のマニュアルを作成し、たん吸引も栄養注入も自力で行う。独居の闘いが、記事になり誰かにつながっていくことを、彼は願っていた。谷岡康則さんと、実名で報じた。
 谷岡さんは今年三月、夜間に転倒し、起きあがることができずに亡くなった。独居のリスクは承知の上だったとはいえ、遺族と向き合うと、実名で記事にしたことが苦しかった。
 家族にとって、実名報道は痛みを伴うものだった。独居に挑むことは、死を見つめる彼の生きざまだったとも思う。だが、家族にとっては「なぜ世話をしないの?」「そばにいなかったの?」と、厳しい世間の目にさらされる。家族が面倒をみるべきだとの世間の常識がのしかかる。
 連載「折れない葦」では、最重度の障害や治る見込みのない病と生きる人たちを、可能な限り、実名で報道した。間近に迫る死を見つめる心の揺らぎ、医療者への複雑な感情、家族への思いやりと葛藤。匿名で「○○病患者」と一般化できるものではなかった。
 「病気」は保護されるべき個人情報であることは正しい。だが一方で、個人情報保護法の施行以来、記者が医療機関や患者団体を通じて、患者や重度障害を生きる人と知り合うことは難しくなった。匿名社会の中で、意思疎通に困難を抱える弱者の声は、社会に届きにくくなっている。
 病や障害とともに生きることは当たり前なのに、なぜ隠したり、知られたりしたくないことなのだろうか。「健康」「元気」を装い生きねばならないのか。病み、障害と生きる人が普通に暮らすことを阻む壁は、こうした意識が生み出しているものでもある。しかも、それは当事者が自らを否定的にとらえることにもつながる。

 在宅で医療的ケアを必要とし、現在の医療では根本的な回復が見込めないとされる病とともに人が生きる現場では、医療、福祉、家族介護、雇用や家計の問題など、縦割りの行政を通じたアプローチでは押さえることができないさまざまな課題が、一身にのし掛かっていた。
 現実に取材を開始すると、想像以上の困難があった。▽医師や家族らケアする側との関係性の壁▽個人情報保護への過剰反応▽悲惨さをどう語るかー。
 当事者の思いを、いかにケアする人が壁になっているか。最重度の障害・治療法のない病を生きる人にとって、医療者と患者は、ケアする/されるという権力的な関係にあり、自由な思いを語れる良き隣人ではないことが、時として、いや往々にしてある。治療法が現段階で存在しなくても、人は生きていかなくてはならない。そのとき、「不満があっても頼らざるをえない」存在なのが医療者である。
 患者側の医療への不満を知りたい時に、医療者を通じたアプローチでは、患者の本音に接近することができない。また実際に不満はありながらも、医療者の目を考慮して、その思いを語れないことがありうる。特に入院中の患者や、福祉施設にいる障害者に対する取材は、ことさら困難だった。医療/福祉/ケアについて報道する時、医療職に対する取材が、患者の声として語られてはいないだろうか。医療制度改革で診療報酬上、「お金にならない長期療養者」が病院経営にとってやっかいな存在になっている現在、医療者と患者の利益相反の構造には十分な留意が必要だ。
 行政やヘルパー事業所など福祉関係者から患者や在宅の重度障害者へたどり着こうとする場合も、同じ問題が生じる。それ以前に、個人情報保護への過剰反応がケアする側にもみられ、取材の仲介をすることに対して、極めて消極的な例が多かった。粘り強く交渉しても事前に質問事項の提出を求められる例もあり、現場での出会いから取材を出発させることさえ難しい。
 在宅で独居しているパーキンソン病患者の女性がいた。主治医は病名告知せず、神経難病とだけ知らされている。意思疎通は、問いに対して、手でマルとバツを「はい」と「いいえ」だけでしか応答できない。彼女は生きていたい。だが主治医は介護者である姉との間で、病が進行して口から食事を取れなくなった段階で、胃にチューブを接続しての栄養補給をしない、と決めていた。それは言い換えれば、チューブを胃に接続すれば生きていられるのに、本人の同意もなく、死なせることが決定することを意味する。過去の判例で示された安楽死容認の要件とされる「死期の切迫」にもあたらない段階で周囲が決定している早い死に、取材班はとまどい、討議を重ねた。読者に対するわかりやすい状況の説明として、病名や介護者の決定を知らせるか、それとも書かないか。家族から「これは半分殺人です」という強い言葉もあった。この言葉を本人に伝えるかどうか。中立的に距離を置いて取材する立場を踏み出して、取材が葛藤を抱える患者/家族に対する介入になってしまう。
 介護する家族と患者本人の間には、大きな断絶がある。医師が患者本人より家族の方を向いている場合、難しい対応を迫られる。家族の了承が、取材や報道の要件でないのは当然だが、患者と家族の意向は同じではない。特に迫る死を見つめ、治らない病を生きる人にとって、深刻な葛藤がある。患者自身にとって、家族は頼らないと生きていけない存在であり、「迷惑をかけてまで生きていたくない」と言わせる存在でもある。この力関係を踏まえないと、本当の思いに近づくことはできない。報道が介護する家族の思いばかりを反復して、それを「当事者の思い」だとするなら、医療や福祉の報道は大きく見誤ることになるだろう。
 医療、福祉に関する政策決定の多くが、患者や当事者の参加のないまま、排除したまま行われている。認知症、精神障害者、植物状態とも呼ばれる遷延性意識障害の人。また報道も、患者や障害者本人への取材を欠くまま、医師ら専門家の声で事足りるとしてこなかっただろうか。
 取材班は、医療と福祉の谷間で倒れた人、介護する側の追いつめられていく状況も追った。そして、福祉の壁に突き当たるとそれ以上強く訴えることなく、あきらめてしまう人や、うまくSOSが発信できない人たちの悲鳴に、周囲がどう耳を傾けるかを問うた。生活保護と退院の狭間で餓死した事件。母親が病気で倒れたために父親の介護を長男が負うことになり、介護殺人に発展した痛ましい事件。難病と無理心中。障害を持って生まれた子どもを棄てる親。周囲の支えが充実していれば防げたはずだった。介護施設への入所を希望しても、どの施設も満員で入れなかったことが、介護殺人事件の引き金にもなった。
 国の医療制度改革や介護保険制度の見直しにより、3カ月ごとに療養病床の転院を繰り返し、いくつもの福祉の窓口をたらい回しになったあげく、孤立している多くの家族たち。国は現在三十八万床ある療養病床を六年後に六割削減する方針を打ち出しており、「医療・介護難民」がさらに増えると懸念される。
 医療難民、介護難民と呼ばれる人が多く発生していることは、頻発する介護殺人や無理心中事件の多発から容易に推測できる。法廷から検証もできる。だが、医療からも福祉からも接点を失ってしまい、現に苦しんでいる人たちへの取材は容易ではない。支え合いの手が届かない医療・介護難民たちへのアプローチは喫緊の課題だが、その姿は容易には見えてこない。
 昨年三月に発覚した富山の病院の末期患者の人工呼吸器外し事件を受け、安楽死・尊厳死のルールづくりを求める声や、死の教育を叫ぶ声が高まっている。生命倫理の問題を報道するとき、もっとも容易なのは、「安楽死是か非か」「脳死は人の死か否か」と、二項対立で問題を提示する手法である。そして、多数決で決定できない問題であるにも関わらず、「ルール作りが必要」「議論を深める必要」と、とりあえず中立的に記述しておく記事も散見される。だが当事者への取材を重ねて見えてくるものは、個人の死生観に基づく選択などではなく、リハビリ医療の不足、医療行為を伴う人が利用できる福祉資源の貧困、家族の重い経済的負担など、社会の介護力のなさだった。
 確かに今、弱者を支える社会資源は乏しい。乏しいことを多くの市民は知っている。絶望的な介護状況や、家族から見放された患者の地獄絵図を書くことには比較的易しい。足りない部分を書くことには、もちろん社会的意義がある。だが一方で、人工呼吸器の装着や栄養チューブ装着に戸惑う患者や家族にとっては、これからの生活への希望を奪い、絶望的な気持ちにさせるものでもある。医療に関する報道倫理の難しさは、患者や重度障害者、その家族の希望や絶望に、直接に影響を与えうることにある。
 公害、環境問題の原点であり、現在に至るまで日本の戦後ジャーナリズムの歴史に大きな位置を占める水俣病の問題は、写真家ユージン・スミスが撮影した一枚の胎児性水俣病の少女の写真によって、世界に知られることになった。目を見開く少女を抱きかかえて入浴する母の写真は、大きな力を持った。少女は亡くなった。だが写真は近年、母の申し出により、京都在住の写真家の元妻の手で封印され、もう人の目に触れることはない。水俣病の発見、治療に尽力した原田正純医師は、苦い思いを込めて、こう語っている。
 「我々は、胎児性患者の姿を先頭に、公害の悲惨さを告発してきた。だがいつかそのことが、こんな悲惨な人間を生んでしまったと、重度障害者は悲惨だ、と見なすことになってはいなかったか。後に発生した新潟水俣病で胎児性患者が少ないことは、中絶が多かったからではないか。写真を封印したお母さんは、この子は宝子だった、もう十分働いたといっていた。」。
 健常者からみて、あまりに過酷と思える状況であっても、重度障害や病の中で新しい気付き、笑い、感動があった。連載で出会った重度障害者のユーモアに、何度も笑わされた。患者や重度障害者の生の尊厳の輝きも、福祉の足りなさと同時に語らねばならない。
 笑いも涙もある在宅療養の現実をよく知らない医師が、息や食事が難しくなった患者を前にしてとまどう家族に対し、いたずらに介護負担の重さを強調し、補助する機械を使えば継続できる生を断念させようとしたー中途障害者の母たちも、静かな怒りを込めて語ってくれた。同じようにメディアも医療の報道に際して、在宅療養生活の光を知ることも重要だと思われる。
 病棟から、施設から、街へ出よう。京都は精神医療の当事者運動の先進地で、動きは全国へと広がった。岩倉病院の患者自治会運動と病棟開放化運動、山科区で精神障害者が立ち上げた「前進友の会」。権利闘争であると同時に、患者同士で語り合う力を肯定する運動でもあった。精神福祉分野だけではない。京都、滋賀は、在宅で生きる患者、障害者が、自ら声を挙げ、福祉や医療の貧困、偏見の壁に挑み、いくつも時代に先駆ける運動を生んできた。京の街で生まれた認知症の人と家族の会は、高齢者問題を世界に発信する組織へ。血友病患者で薬害HIV訴訟元原告団長として闘った故石田吉明さん。滋賀では、薬害ヤコブ病で無言無動の妻の在宅介護を続けた谷三一さん。勇気を出して実名を公開し、ゼロから国の制度を動かしてきた。
 認知症の本人が思いを語る試み、高次脳機能患者の当事者運動など、新しい挑戦の目が今、始まっている。社会の偏見の中で、コミュニケーションの壁を抱えつつも、名乗りを上げ、声を出そうとする人に寄り添う報道姿勢が求められる。
 「医療型療養病床の半数は医療の必要がない」などと、医療難民や看護難民が名もなき存在のまま、統計数字で処理される。医療アンケート調査結果が彼らの意思のように扱われる。匿名社会は報道の一線でも進む。医療機関が治療の継続/中止を患者の自己決定に委ねるように、報道機関が実名/匿名の選択を取材相手の自己決定に委ねる事例が相次いでいる。尼崎脱線事故で、兵庫県警が犠牲者全員の氏名を「同意が取れない」として報道機関に提供せず、全員の氏名を報道できなかったのは記憶に新しい。
 実名の傷、匿名の痛みも取材相手の自己責任に委ねてしまえば報道機関の悩みは解消するが、それは報道に課せられた役割の放棄でもある。沖縄の「平和の礎」には、米兵を含む戦没者一人ひとりの名前が刻まれているが、尼崎脱線事故の追悼の碑ができたとして、そこに名前が刻まれることはないだろう。匿名社会の行き着く果ては、実名/匿名の選択の苦悩を、報道から警察・医療機関へ、当事者へと拡散していくことでもある。
 名前を勝手に消すわけにはいかない。匿名の患者ではなく、その人それぞれの生。連載最終回で、障害者自立支援法への問題点を語ってくれたうつ病と統合失調症の男性は、記事が出る前、報道局に何度も電話をくれた。「名前、きっちり書いてや!」と。

◆京都新聞社 編 20070321 『折れない葦――医療と福祉のはざまで生きる』,京都新聞出版センター,245p. 1890 ISBN:4-7638-0584-3 [amazon] ※ b
◆「折れない葦」
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/special/orenaiashi/index.html


UP:20070216 REV:20200623
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