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目次
佐口卓『医療の社会化――医療保障の基本問題――』(勁草書房、1964年)
衛藤幹子『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加――』
(信山社、1993年)
白木博次「美濃部都政下における医療の現状と将来像
――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』(1971年5月)
白木博次『冒される日本人の脳――ある神経病理学者の遺言』(藤原書店、1998年)
吉村義正『無声の喋り――神経性進行性筋萎縮症・学用患者として50年――』
(清風堂書店、1999年)
Renee C. Fox, Experiment Perilous: Physicians and Patients Facing the Unknown (Transaction Publishers, 1959/1998)
ラメズ・ナム『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』
西尾香苗訳(インターシフト、2006年)
マーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実』
栗原千絵子・斉尾武郎=共監訳(篠原出版新社、2005年)
デーヴィド・ヒーリー『抗うつ薬の時代――うつ病治療薬の光と影』
林建郎・田島治訳(星和書店、2004年)
デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の功罪――SSRI論争と訴訟』
田島治監修・谷垣暁美訳(みすず書房、2005年)
田代志門「医療倫理における「研究と治療の区別」の歴史的意義――日米比較の視点から」『臨床倫理』No.4(2006)
D.A. Hughes et al., 'Drugs for exceptionally rare diseases:
do they deserve special status for funding?', Q J Med 2005; 98; 829-836.
Robert D. Truog, "Dying Patients as Research Subjects",
The Hastings Center Report; Jan/Feb 2003; 33,1
Rebecca D. Pentz et al., "Revisiting ethical guidelines for research with terminal wean and brain-dead participants", The Hastings Center Report; Jan/Feb 2003; 33, 1.
Anna Mastroianni and Jeffry Kahn, "Shifting views of justice in human subjects research", The Hastings Center Report; May/Jun 2001; 31, 3.
厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患克服研究事業
『特定疾患の生活の質(Quality of Life, QOL)の向上に関する研究』
平成17年度 総括・分担研究報告書 主任研究者:中島孝
勇美記念財団 平成17年度一般研究助成
『在宅ALS患者と家族のための緩和ケアに関する調査研究 完了報告書』
申請者:川口有美子(NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 理事)
岡部耕典『障害者自立支援法とケアの自律
――パーソナルアシスタンスとダイレクトペイメント』(明石書店、2006年)
川口有美子「医療的ケアの拡大と近未来の在宅医療
――欠かせない地域医療・訪問看護のボトムアップと当事者主体の介護体制」
『季刊 福祉労働』(111, summer 2006)
Deborah A. Stone, The Disabled State (Temple University Press, 1984)
Linda Ganzini and Susan Block, "Editorials: Physician-assisted death――a last resort?", The New England Journal of Medicine, May 23, 2002. Vol.346, Iss.21.
Jan H Veldink et al., "Euthanasia and physician-assisted suicide among patients with amyotrophic lateral sclerosis in the Netherlands",
The New England Journal of Medicine, May 23, 2002. Vol.346, Iss. 21.
ロラン・バルト『ラシーヌ論』渡辺守章訳(みすず書房、2006年)
クロード・ベルナール「アメリカ産毒物に関する生理学的研究」
キェルケゴール『死に至る病』斎藤信治訳(岩波文庫、1939年)
エーリヒ・アウエルバッハ『中世の言語と読者――ラテン語から民衆語へ』
小竹澄栄訳(八坂書房、2006年)
ドゥルーズ『狂人の二つの体制1983-1995』宇野邦一他訳(河出書房新社、2004年)
補足資料
厚生省保険局編『健康保険三十年史』(下巻、昭和三十三年)
佐藤進『医事法と社会保障法との交錯』(勁草書房、1981年)
宮坂道夫「ALS医療についての倫理的検討の試み」『医学哲学倫理』22 (2004)
香川知晶『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(勁草書房、2006年)
唄孝一『生命維持治療の法理と倫理』(有斐閣、1990年)
杉田俊介『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院、2005年)
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書、2003年)
Tom L. Beauchamp, "The Right to Die as the Triumph of Autonomy",
Journal of Medicine and Philosophy, 31: 643-654, 2006.
Herbert Hendin, "Selling Death and Dignity",
Hastings Center Report 25, no.3 (1995): 19-23.
Leon R. Kass, "Is There a Right to Die?",
Hastings Center Report (January-February 1993): 34-43.
石井暎禧「老人への医療は無意味か 痴呆老人の生存権を否定する「竹中・広井報告書」」『社会保険旬報』1973号 (1998.2.1.)
■佐口卓『医療の社会化――医療保障の基本問題――』(勁草書房、1964年)
X 医療保障と健康保険――その歴史的性格と現段階的意義――
(大正十一年健康保険制定の前)
大正十年十二月労働保険調査会での山本達雄農商務大臣挨拶
「労働保険の制度を樹立し公平なる負担の下に叙上の諸災厄に対する施設を為し即ち疾病又は負傷に付ては治療の途を容易にして労働力の恢復を迅速ならしめ、収入の途を喪ひたる者に対しては生活費を補給して本人並其の家族の生活に不安なからしめ仍分娩死亡其の他の場合に付ても相当救助の途を講ずるは能率を増進し、労資の乖離を防止し、産業の健全なる発達を期する上に於て頗る喫緊事たるのみならず労働者に対する公平なる待遇を保障する方途として一日も忽にするべからざるものなりと信ず」(片仮名→平仮名)
同、岡工務局長説明
「惟ふに常に賃銀生活者及其の家族の家計の平衡を破り其の日常の生活に危機の念を懐かしむるものの最たるものは疾病及負傷に在るは何人も異論なき処なるべし是れ等の事故に応ずるの途を講ずるは労働者及其の家族の生活の一大不安を除去するのみならず療養の途を容易ならしむる結果迅速に治癒に至らしめ労働能力を恢復するの期を早むるの結果を誘致し産業経済上利とすべきもの頗る多し」
(内務省社会局保険部「健康保険法施行経過記録」昭和十年)
「当時の立案に参画したものは、これらの点について明快に健康保険の目的をのべて、「其の第一は、災厄の場合に於ける被保険者の経済生活の安固を期することである。即ち被保険者が疾病負傷又は分娩に因り一時的に生活資源を失うことを救済し、且其の本人又は家族の傷病の費用を支給し、又分娩死亡の際に要する費用を支給し以て其の経済生活の脅かさるる場合を救済するものである」とし、「第二は、被保険者の健康の保持増進」であり、「第三の目的は以上述べたる所に由り其の当然の結果として産業能率の増進さるることを所期して居る。而も健康保険は其の制度の機能の構成に於て労使協調的のものであるから其の適当なる運営に依り産業能率の増進といふことが実現し易くなって居るのである」。まさに救済にこそその目的があったと当事者は考えており、くりかえしのべるまでもなく、本質的には防貧的伝統にたつ社会保険の理解であった。したがって健康の保障というものではなかったのである。」(110-111)
(清水玄『社会保険論』昭和十五年、一三四-五頁)
「健康保険のもつ性格を制定当時にさかのぼってさぐってみると以上のごとくであった。そしてそのごの歩みは、労使双方の反対、医師会の反対のうちに難行し、「我国最初の社会保険の前途に対し、一抹の暗影を兆したかの如くに見えた」(社会局保険部「健康保険事業沿革史」昭和十二年、九五頁)のであり、「実施以来、紆余曲折の運行を辿ったが昭和八年に至り基礎も漸次固った」(厚生省保険局「健康保険二十五年史」昭和二十八年、一〇二頁)のであった。その間にあって、医療内容を具体的に示す診療方針は昭和三年に定められたが、その冒頭に「健康保険の診察は必要の範囲ならびに限度において、これを行うべく経済的にして、しかももっとも適切なることを要す」とあった。この経済的なる言葉がいかなる意味をもっているかは説明を要しないであろうがすでにのべた健康保険の性格を物語っていよう。昭和十一年に診療方針の一部が改められて「経済的」なる文字を削除したが、保険診療が労働力回復のためであることはいぜんとして強調されていた。そして昭和十六年の改正において「これまで診療方針に定められていた、保険事故の範囲外とする傷病名の具体的例示を廃し、それが先天性たると後天性たるとを問わず、医師として治療を要すると認めた程度の傷病に対しては、すべて保険診療をする」(厚生省保険局「健康保険三十年史」昭和三十三年、下巻一〇二頁)こととなり、「従来の労働能力との関連性を払拭し」「労働能力と直接関係なくても、被保険者の健康の保持増進上必要とみとめられれば疾病の範囲内とすることとした」(厚生省保険局健康保険課「健康保険法の解釈と運用」昭和三十五年版、五三四頁)ために、疾病の範囲は拡大されるにいたったが、それはあくまで治療にたいするもので、美容上の目的をもつもの、健康診断、正常分娩などはいぜんとして範囲外となって今日におよんでいる。」(115-116)
Y 医療保険のメカニズム
「医療が保険制度によって扱われるようになったのは、もちろん、国家的強制社会保険以前の任意な疾病組合にあったといってよい。しかしながら、今日問題として登場してきている医療保険は、社会保険のなかのひとつの制度であり、さらに社会保障制度の重要な一環としての存在である。よく論じられるように社会政策としての社会保険という把握からするならば、医療保険もまた社会政策としての意味をそこにもっていなければならない。すなわち、社会政策が労働力の保全と労資対立の緩和を役割とするかぎり、医療の提供にもとづく損傷された労働力の回復とその期間失われる所得の保障とに医療保険の意義がある。しかしそれは被保険者(労働者)のみへの給付であって、やがては給付がかれの家族へと拡大してゆくことによって、より強く労資対立の緩和と防貧が重視される。保険制度のひとつの機能である防貧が、"貧困と傷病"という結びつきに対処し、かつ、保険制度の相互扶助組織が、労働者階級間の賃金の相互再分配のかたちをつくりあげる。事業主の分担する保険料はほんらい賃金であり、国家の負担する費用は事務費の負担にすぎないとみるならば、医療保険はその役割を労働者の負担において果していることになる。このいみからは、医療保険はきわめて資本主義的な合理性によって貫かれていると考えられる。もっとも以上のことは社会保険が被用者保険として理解されるときのことであって、わが国独特のものだといわれる国民健康保険については、異論がないでもない。たとえば、事務費はもちろんとして、給付費について国庫補助がある点の指摘である。この点は事業主負担がないからその部分の填補であるとか、あるいは、公的扶助なのだという議論になっている。国民健康保険がその対象を労働者でなく広く国民に求めるときは、保険制度によるかぎり、被保険者の負担が主であり、これを通じての一定地域内の相互再分配のかたちができる。いいかえれば、社会政策であるか否かの本質論追求をべつとすれば、やはりここでも、資本主義的な合理性を見出すことができる(国民健康保険の本質については種々の議論があり、社会政策としての社会保険とみとめがたい見解が一般的である。すなわち、社会事業としての性格をみるわけである。最近では、公的扶助的な性格に着目し、それの成立こそは社会保障制度の萌芽であるという所論も主張されている。これらについては、孝橋正一「国家扶助と社会保険」「社会問題研究」六巻二号、音田正巳「社会政策と社会事業の概念規定に関する覚書」「社会問題研究」六巻四号、近藤文二「日本における医療保障制度の成立」「経済学雑誌」三八巻二号などを参照されたい)。」(131-132)
「いま、健康保険についてみるとき、被保険者(労働者)のうける給付は「療養の給付」であって、現物給付として医療をうけるが、そのほかに療養のために収入の喪失または減少があったばあいに「傷病手当金」の支給があって生活保障をうける。ところが、被扶養者(家族)は療養の給付をうけることができるが、いわゆる半額給付とか五割給付とかいって、療養に要した費用の半額を自己負担しなくてはならない。このことは、正しくいえば「家族療養費」の支給であって、現物で医療を給付することではないのである。ここでみられるように……医療の保障と医療費の保障という二つの異なる給付内容が同一制度のなかに存在しているわけである。……なぜ被保険者が現物給付なのかということがまず疑問となる。
理論的には、国民経済における労働力の確保、したがって労働者個人の早急な傷病からの回復がはかられねばならないこと、経済的変動による物価の高騰にさいして現金給付では医療の確保に応じられないために、かつその経済的責任は保険者がとるべきであるから、現物給付でなければならないこと、があげられるていどである。そのほかには、発生史的に国家的社会保険の発足の第一歩たる疾病保険がほとんど現物給付の姿であったからという説明以上にでていない。さらに、制度運営上の観点にたつもので、労働者が現金をもたずにすぐさま医者にかかれること、医師が診療費を確保できること、診療費は保険者と医師のあいだで清算できること、現金給付あるいは療養費払による受給者の不正行為を防止すること、などがあげられているにすぎない。ところがこうした現物給付を医療においておこなうことについての疑問が生ずる。すなわち、健康保険における現金給付としての「傷病手当金」は、保険料と給付のあいだに相対的な比例関係があって保険の原理が貫徹しているが、現物給付のばあいにはそうしたことはみられない。たとえば、医療の現物給付は、受給の条件として、保険料の滞納がただちに給付の停止とならず、また給付の完了をまたないうちに停止することはきわめて困難である。つまり、定められた保険料の納付だけが保険の原理として必要条件であるが、決定される給付内容は、被保険者の身体的状況と医師の判断によるだけである。これは保険料と給付のあいだに外部的に契約関係があるだけで、内部的に比例関係はない。そのいみでは、高額保険料の負担者が高価な医療をうけるとはかぎらず、かえって低額保険料の負担者が高価な医療をうける結果が多いかもしれない。そうなると、いったい保険料のなかには、相対的比例関係を給付にもつものともたないものの二種類の計算がおこなわれるべきことになるが、これは保険の原理を混乱させるだけにすぎない。さらに、すでにのべたように、保険財政の安定という要請は、医療の給付制限または被保険者の一部負担を増大せしめるし、他方において、つねに発展しつつある医学薬学は、新たなる高価な医療内容を要請するから、かえって保険での医療の内容はさまざまな制限をうけてくることは必至であろう。いわゆる制限診療といわれる保険診療のワクはきびしく存在し、医療内容の不断の科学的進歩による引き上げがおこなわれるために、かえって従前の保険医療の水準は実質的に引き下げとなり、そのまま固定し放置するかぎり、医療内容はその目的を失う結果になるのは当然である。かかるとき、保険の原理は、新たな給付内容を拒否するものであり、必要あれば自己負担を課すことの措置がとられるのであるが、いずれにもせよ、医療そのものでなく予防と治療を含めた一切の健康の保護をめざす社会保障における医療の給付は、保険制度によってはおこないえないという限界があることをしるのである。結論的にいえば、医療保険は傷病のさいの所得の保障たる「傷病手当金」をはじめとする現金給付だけの姿にとどまり、医療の現物給付は保険制度を脱却して、別個の体系、包括的な医療サービス(または、保健さーびす)になるべきだということになる。」(133-136)
■衛藤幹子『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加――』(信山社、1993年)
昭和四七年一〇月、厚生省「難病対策要綱」
同年八月、公衆衛生局に難病対策課
(その後昭和五七年九月に結核難病課、六〇年一〇月に結核難病感染症課となり、六三年七月から保健医療局疾病対策課に吸収)
「難病とは特定の疾患を指す医学用語ではなく、以下の二つの条件を満たす疾病を総称した呼び名である。すなわち、原因不明で治療法も確立されておらず、しかも後遺症を残すおそれが少なくない疾病であること。そして、慢性的な経過をたどるため、経済的、精神的負担が大きく、また介護等に人手を要し家族の負担が大きい、の二点である。これに該当する疾患のうち、老人対策、成人病対策、精神衛生対策等ですでに取り上げられている疾患を除いたものが、所謂難病として難病対策の施策の対象になっている。
難病対策要綱は、対策の進め方として、調査研究の推進、医療施設の整備、医療費自己負担の解消、及び地域保健医療の推進の四つの柱を掲げている。これらのうち、患者に直接的なサービスとして提供されるのが、医療費の自己負担の解消、すなわち公費負担である。この医療費の自己負担の解消には、特定疾患治療研究、小児慢性特定疾患治療研究、育成医療、更生医療、重症心身障害児(者)措置、進行性筋萎縮症児(者)措置の六つの事業が含まれている。
これらの事業のうち、小児を対象とした小児慢性特定疾患治療研究、育成医療、重症心身障害児(者)措置、進行性筋萎縮症児(者)措置、また身体障害者福祉法に基づく更生医療の五つについては、従来より児童家庭局、社会局で所掌されていた事業を、難病対策の中に組み入れたものである。したがって、難病対策の新規事業は、成人を対象にした特定疾患治療研究ということができる。また、一般に難病というときは、この特定疾患治療研究の対象になっている「特定疾患」を指している。
特定疾患治療研究は、上記の難病の第一の条件に該当するため調査研究を進めている疾患のうち、診断技術が一応確立し、かつ難治度、重症度が高く、しかも患者数が少ないため、公費負担の方法をとらないと原因の究明、治療方法の開発等に困難をきたすおそれのある疾患を対象に、健康保険の自己負担分について公費で補助する制度である。特定疾患は、厚生大臣の私的諮問機関である特定疾患対策懇談会の意見に基づいて決定され、平成五年一月現在、三四疾患が指定されている。」(1-2)
厚生統計協会『国民衛生の動向』参照。
「歴史的に厚生省の疾病対策の目的は、結核、伝染病、あるいは精神衛生に見られるように社会防衛という観点が強調されてきた。それはまた、隔離、収容等の私人の権利・利益の侵害をともなう行政行為として実施されてきた。難病は、その患者数からしても、老人対策や成人病対策のような国民的課題とはほど遠い。しかも、その病態は非伝染性かつ自傷他害のおそれもなく、社会防衛という目的にも該当しない。
では、難病対策の政策目的はどこにあるのか。ある疾病の猛威から国民・社会を防衛する、つまり患者にではなく健康人の保護、換言すれば社会的利益に対策の重点を置く社会防衛に対し、患者個人の利益の保護を目的にした政策をここでは「患者福祉」と呼ぶことにするならば、難病対策はまさにこの観点から取り組まれたということができる。また、施策の性質としては、既得の権利。利益の直接的侵害をともなうことなく、私人に何らかの利益給付を行う「サービス給付」である。難病対策が登場する以前、少なくとも疾病対策においてはサービス給付といった施策の立て方は行われてこなかった。
こうした疾病対策における政策の目的や内容の変更は何故起こったのか。それにはいくつかの要因が考えられるが、それらの中で最も重要な要因は、組織化された患者、あるいはその家族が医療・福祉の専門職の協力を得て、政策形成に積極的に関与し、施策の構築を促進したことである。」(2-3)
特定疾患治療研究(医療費公費負担)対象疾患
1ベーチェット病、2多発性硬化症、3重症筋無力症、4全身性エリテマトーデス、5スモン、6再生不良性貧血、7サルコイドーシス、8筋萎縮性側索硬化症、9強皮症、皮膚筋炎症及び多発性筋炎、10特発性血小板減少性紫斑病、11結節性動脈周囲炎、12潰瘍性大腸炎、13大動脈炎症候群、14ビュルガー病、15天疱瘡、16脊髄小脳変性症、17クローン病、18難治性の肝炎のうち劇症肝炎、19悪性間接リウマチ、20パーキンソン病、21アミロイドーシス、22後縦靭帯骨化症、23ハンチントン舞踏病、24ウィリス動脈輪閉塞症、25ウェゲナー肉芽腫症、26特発性拡張型(鬱血型)心筋症、27シャイ・ドレーガー症候群、28表皮水疱症(接合部型及び栄養障害型)、29膿疱性乾癬、30広範脊柱管狭窄症、31原発性胆汁性肝硬変、32重症急性膵炎、33特発性大腿骨骨頭壊死症、34混合性結合組織病
社会医学的観点
野村拓『講座医療政策史』(医療図書出版、1968年)
同『講座現代日本の医療政策』(医療図書出版、1972年)
同『医療政策論攷』(医療図書出版、1976年)
朝倉新太郎『日本の医療と医療政策』著作集第一巻(労働旬報社、1983年)
「日本型福祉社会」構想を契機として
日野秀逸『現代日本の医療政策』(労働旬報社、1984年)
西岡幸泰『現代日本医療政策論』(労働旬報社、1985年)
多元的アプローチ
池上直己『医療の政策選択』(勁草書房、1992年)
印南一路『医療政策の形成に関する研究』(日本製薬工業協会委託研究、1990年)
生活保護政策の実施過程
田辺国昭「生活保護政策の構造(1)(2)――公的扶助行政における組織次元の分析――」『国家学会雑誌』第一〇〇巻第一一・一二号、第一〇一巻第三・四号
武智秀之「福祉と裁量」日本行政学会編『年報行政研究』第二八巻(1993年)
長宏『患者運動』
「難病対策は、ある意味では従来にはない新しいタイプの医療政策プログラムとして出現した。したがって、これによって新たに権益を創出しようという動きはあっても、既得権者は存在していない。現に、日本医師会のプレゼンスは、難病対策の実施段階がある程度進行してからであった。また、当初から重要な役割を演じた二つのアクター、すなわち受益者の集合にすぎない患者組織とボランタリーな専門職集団に、既得権益など存在するはずもなかった。とりわけ、患者組織は病に苦しむ弱者の組織であり、圧力団体とは対極に位置している。
つまり、ある程度のリソースと既得権益を持つ圧力団体の存在を前提にしたネットワークの考え方では、患者組織を捉えることはできないのである。ただし、このように政策ネットワークから外れる場合でも、その仕方には二つのタイプがある。一つは、政策ネットワークから完全に離れ、別行動をとるタイプ、これは先に「難病検診事業」の重要なアクターであると述べた患者組織、すなわち東京進行性筋萎縮症協会(東筋協)に当てはまる。もう一つのほうは、政策ネット・ワークに直接組み込まれているわけではないが、ネット・ワークのいずれかに結び付くことによって、間接的に繋がるというものである。医学研究者と厚生省医学系技官との専門職ネットワークや社会労働委員会所属の国会議員間の政策コミュニティといった既存のネットワークと関係を持った、全国スモンの会と全国難病団体連絡協議会(全難連)がこのタイプである。」(55-56)
「では、こうした受益者の集団はどのようにして政策過程にコミットしたのか。そのメカニズムはいかなる視点から解き明かすことができるのか。」(56)
「組織化と巧妙な戦略に頼るしかない。」(57)
「患者運動における専門職の支援は、比較的よく見られることである。……専門職の支援は当該政策の批判やその代案の作成にまで及ぶものになってはいない。」(68)
「こうした中で、唯一<advocate planning>の概念で捉えられるのが、東筋協を支援した専門職集団である。……『地域ケア』という「難病対策」の対案を提起することになったのである。」(69)
「したがって、患者福祉を目的にした疾病対策は、昭和三八年度から取り組まれた病児や障害児に対する一連の施策に始まるということができる。これは、重度の病気や障害を持つ児童の施設収容、あるいは治療等に要する費用を負担する公費負担制度等を内容としている。対象になっているのは、重症心身障害児、進行性筋萎縮症児、先天性代謝異常児、自閉症児、さらに小児ガンや腎臓透析の児童である。施設収容の目的は、患者の療育、あるいは家族による在宅介護の負担軽減にある。また、それまで社会防衛や国家補償的なものに限られていた医療費等の公費負担が、ここで初めてそれらとは異なった文脈、すなわち個人の利益を図るものに拡大されたのである。
そして、難病対策も、社会防衛や国家補償ではなく、患者福祉を志向する政策ということができる。」(84)
『厚生省五〇年史』参照
▽「ところで、このような疾病対策における新しい展開は、どのような要因によってもたらされたのであろうか。戦後の民主化という点も遠因として無視できないが、直接的な契機としては何が考えられるだろう。厚生省・難病対策課の初代課長仲村英一は、それを「新たな時代の要請」という観点から説明している。すなわち、結核を始めとする伝染性疾患が衰退する一方、人口構成、社会構造の変化のなかで成人病や老人性疾患の増加、また公害、食品汚染等の新たな健康障害の出現など、疾病内容も時代とともに変容している。こうした変化に対応するためには、従来とは異なった対策が必要とされ、難病対策もそうしたものの一つである。つまり、疾病構造の変化が、それまで埋もれていた難病に政策の目を向けさせ、それを急性伝染病や結核に代わる新しい政策課題として浮上させたというのである。
さらに、仲村は、難病という言葉は時代とともに変化する社会通念的な用語であり、先に挙げたような小児の病気も"難病"という範疇で捉えることができるとしている。すなわち、昭和三八年度に始まる小児の慢性疾患等に対する施策は、従来は宿命的なものとして患者や家族もあきらめていたり、またそれまで家族、あるいは地域社会に吸収されていたような疾病や障害が、医学の進歩や核家族化、都市化などにより問題化したのを新たな難病として捉え、施策の対象にしたと述べている。したがって、スモン対策に始まる難病対策に先立って、難病という言葉こそ用いていないが、小児の慢性疾患の一部において既に"難病"対策が実施されていたということになる。」(85)△
仲村英一「特定疾患対策」『日本公衆衛生雑誌』第二一巻四号(一九七四年)
芦沢正見「難病対策の現状と一、二の問題点」『ジュリスト臨時増刊・医療と人権』第五四八号(一九七三年)
▽「だが、難病対策が小児の慢性疾患の一部で展開した患者福祉を基礎に取り組まれたという点については、果たしてそのように言い切ることができるであろうか。確かに、対策が進行する中で、次第にそのような方向をめざし、結果として患者福祉の対策になった。しかし、以下で検討するように、スモン対策に始まるその端緒で指向されたのは、従来の社会防衛であった点を確認しておく必要がある。」(86)△
スモン(SMON) Subacute Mylo-Optico-Neuropaty(亜急性脊髄視神経障害)
「こうして比較してみると、当時の厚生省の研究にとって、スモン調査研究協議会の三、五〇〇万円がいかに大規模で、画期的なものであったかが理解できる。と同時に、厚生省がこれによって権益の拡大を志向したとしても不思議ではない。潤沢な研究予算は、支給対象範囲の拡大や支給額の増額によって、支給対象者と厚生省の結びつきをより強固にする。言い換えれば、それは厚生省の支持基盤が拡大することを意味した。……厚生省研究補助金の中でも、医学や公衆衛生に関連した研究助成の支給対象者は、主に大学病院や国立病院の医学研究者や臨床医である。こうした勤務医の場合、日本医師会への加入率は低く、開業医に比べ医師会に対する帰属意識は希薄である。そして、開業医が医師会によって利益の保護・拡大を図ろうとするのに対し、彼らはそれを出身大学や所属する病院、あるいは先輩・後輩の繋がりに委ねる傾向にある。しかも、彼らの関心の多くは、医師会が中心課題に据えている医療費や医療体制といった政策・制度の問題よりも研究に向けられている。つまり、国立病院や大学病院の医師と医師会との間には意識のズレがあるということができ、その点で日本医師会は医師の利益集団として一枚岩ではないのである。/このことは、健保問題が浮上する度に繰り返される日本医師会の強硬路線を危惧する厚生省にとって、一つの対抗措置になる。なぜなら、研究費を支給して大学病院や国公立系病院の医師の支持を取り付け、彼らと医師会との距離をさらに拡大すれば、医師会の凝集力を弱め、それは組織の弱体化にさえ結びつく。また、医師会とは別に医師集団との強力なパイプを確保することにもなる。しかも、彼らは研究・教育の点で一定の権威をもっている。折しも、メディアや世論が盛り上がり、これに乗じて、研究費の拡大を図ることが可能であった。/そして、四五年度には、スモンと新たに加わったベーチェット病の研究費が別途予算化された。四七年度になると、スモン対策が類似の疾患に波及して難病対策に発展したのにともない、スモンを含む難病研究は「特定疾患調査研究」として一本化され、四八年度の研究補助金として五億三千万円の予算が認められた。この金額は、調査研究の対象疾患が拡大するに従って、順次拡大されている。これにより、厚生省は先に挙げた三つの研究補助金とは別立ての大型の研究予算を確保したのである。」(91-92)
川村佐和子『難病に取り組む女性たち――在宅ケアの創造』(勁草書房、1979年)
「しかしながら、厚生省が責任省庁として総理や厚相の発言に出来る限り即した対策を打ち出そうとするのに対し、大蔵省はそのプライドにかけても筋書きにない予算支出を認めないだろう。結局、この問題は、一ヵ月の間に二〇日以上入院したスモン患者に対し、治療法法解明の研究協力の謝金という名目により、月額一万円の支給(都道府県もほぼ同額を支給)を四六年七月から実施するということで決着をみる。これは、「実質的には患者の医療費の自己負担の軽減をはかるもの」ではあろう。だが、公費負担という新たな予算枠を設けないために、「治療研究への協力謝金という名目」によって従来の研究費の枠内で処理されるという妥協の策となった。」(111)
白木博次(東京大学医学部脳研究所病理部教授、東京都参与)
「白木は、患者組織が取り組むべき課題を次のように示唆している。まず、現在の医学には限界があるので、重症のスモン患者の社会復帰は極めて困難か、不可能に近い。医師も患者も、この限界を認識した上で社会生活の支えや生活保障の積極的な展開を考えるべきであり、そのためには患者の社会的側面の援助、即ち福祉援助を大きくクローズアップしなければならない。しかも、日本では、こうした施策がまだ整備されていないので、訴訟に勝って多少の賠償金を得たとしても希望ある生活は全く期待出来ない。
むしろ、スモンが「つくられたもの」である以上、その社会的責任を明確にし、その責任において再び患者が出ないよう、また患者には社会的に福祉と医療の暖かい手がさしのべられるよう「医療と福祉が連続する救済措置」の具体化を訴えることである。つまり、こうした訴えこそ、スモン訴訟の原点なのだと言う。さらに、白木は、この考え方はスモンのみならず難病全般に通ずる問題と一致しており、従ってスモン患者の運動を全体的な難病解決のきっかけをつくる「トップバッター」として捉えるべきだとしている。」(115)
白木博次「スモン患者の社会復帰によせて」『スモンの広場』第四巻(一九七三年)
同「水俣病を追う――その医学的・社会的背景」『世界』第二二二号(一九六四年六月)
同「水銀汚染の実態――健康破壊への危機の一例として」『公害研究』第二巻第三号(一九七三年)
同「市民の健康――環境汚染による健康破壊への危機」『現代都市政策第一〇巻』(岩波書店、一九七三年)
同「環境破壊から健康破壊へ――水俣病はいまや一地域病ではない」『世界』第三二二号(一九七二年九月)
同「自治体(東京都を中心に)の医療行政の基本的背景」『ジュリスト臨時増刊』第五四八号(一九七三年)
同「医学と医療――重症心身障害の考え方との関連において――」『思想』第五四九巻(一九七三年三月)
同「美濃部都政下における医療の現状と将来像――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』第一六巻五号(一九七一年五月)
全国スモンの会
「訴訟」「自立のための施設建設」「難病患者運動」
「この難病というネーミングを概念化し、社会が問題を共有する上で馴染み易い言葉として世に送り出したのが、ベーチェット病患者を救う医師の会(以下、医師の会)である。難病という言葉が、広く知られることになったのは、四六年二月、同会が難病救済基本法試案なるものを作成し、その全文が新聞紙上に掲載されたことによる。これを機に、メディアが『難病』を慣用語として使い始めた。」(117)
川村佐和子・星旦二「難病への取組み」『ジュリスト総合特集』第四四号(一九八六年)
『朝日新聞』一九七一年二月二〇日朝刊
治療研究への協力謝金
『厚生白書』(昭和四七年度)一一九-一二〇頁
「衆議院社会労働委員会では、治療研究費の協力謝金が次の二つの点で問題になった。一つは、これに付帯する「一ヵ月二〇日以上入院の重症者に限る」という支給条件についてである。まず、三月一六日の委員会では、公明党の古寺委員がこの制約のために支給者がごく一部の人に限られていることに言及した。
また、難病についての集中審議が行われた四月一四日の委員会において、参考人の甲野も、スモン患者のうち外来の治療の者は約六〇%で、治療費の補助を入院に限定すると、六割の患者がそれから外れると実際に数字を挙げながら、今後改善すべき点として、それを指摘した。そして、この点については、政府側より四八年度からは新たに二疾病を追加するとともに、「入院、通院を問わず、社会保険各法の規定に基づくこれら受療者の自己負担を解消する」との答弁が行われ、入院枠の撤廃が図られることになった。
もう一つは、これを治療研究への協力謝金という名目により、研究費枠から拠出するという実施の仕方についてである。これは、既に見たように厚生省にとっては苦肉の策であり、また実際の運用においても、その目的から対象患者を一定限度に絞ることのできる実に便利な方法である。治療研究に協力した患者に謝金として医療費の自己負担分を支給する目的は、一つの地域では情報収集のできにくい患者のデータを全国規模で集積することにあるとされている。したがって、対象者は患者数の少ない稀少疾患の患者に限られ、予算的に一定の歯止めが掛けられる仕組みになっている。」(124)
『難病対策提要』(平成二年度版)二四頁
日本医師会による批判『日本医師会雑誌』第六九巻八号(一九七三年)一〇九二頁
「しかし、患者の立場からすれば、法的根拠のない予算補助では、財政逼迫による打ち切りなどその継続が危ぶまれる。……四月一四日の委員会に参考人として出席した研究者は、一様に「患者さんの援護は援護、研究は研究」と分けるべきだという意見であった。……しかし、政府側としては、この医療費の一部負担を研究費から切り離し、別途に法令を設けて法律補助にすべきだとする主張には乗り気ではない。……かくして、法律補助による公費負担は実現せず、結局治療研究への協力謝金という名目による予算補助が今日まで継続されている。」(125)
「もっとも、法的根拠こそないものの、『難病対策要綱』は、推進すべき三つの対策の内の一つに、「医療保険の自己負担分について、公費で負担する対象疾病および対象範囲の拡大と内容の改善を行う」ことを挙げ、それにともない四八年度からは治療研究対象疾病の入院枠の撤廃と医療費自己負担分の解消が図られることになった。そして、対象疾病も年々増加し、平成四年度現在で三四疾患に上っている。これが、「実質的な医療費補助」になっていることは、疑いない。昭和五四年度に行われた行政監察は、「他の普及奨励的ないし福祉的公費負担制度に近いものになっている」ことを指摘している。しかも、治療研究という特殊な性格から、費用徴収等の受給制限がないといったメリットもある。」(125-126)
『厚生白書』(昭和四八年度版)一三二-一三三頁
『行政監察年報』(昭和五四年度版)二七二頁
地主重美「公費負担の考え方と限界」『ジュリスト』第四七八号(一九七一年)
「社会防衛や国家補償とは異なる意味を持つ難病のような疾病を公費負担の対象にする考え方は、昭和四四年六月に自民党医療基本問題調査会が策定した「国民医療対策要綱」に遡ることができる。その中では、「公共的社会的に対処すべきことが望ましい疾病について、思いきって公費負担を実施」すべきことが言及されている。その後、関係審議会においても、その範囲の拡大を答申している。まず、昭和四五年一〇月に提出された社会保険審議会の意見書は、全額公費負担すべきものの一つに、原因不明でかつ社会的に対策が必要とされるスモン、ベーチェット病などの特定疾患を挙げている。また、四六年九月の社会保障制度審議会は、原因不明あるいは治療手段が確立しておらず、長期の療養を要する難病については、公費負担を優先すべきものとしている。
このように、難病の医療費を公費負担の適用とすることについては、一応のコンセンサスが得られていたものと考えることができる。そして、医療費のうち患者の自己負担分を国が助成することによって、実質的には公費負担が実現した。しかし、これは、形式的にはあくまで治療研究の一部として、研究費の補助金の中から拠出され、その点で明確な法的根拠を持つ医療扶助や結核、精神保健対策等の公費負担とは異なっている。
では、何故、こうした変則的なあり方が継続されることになってしまったのか。その理由は、すでに述べたように、稀少疾患のデータ集積という目的によって受給対象をできる限り患者数の少ない疾患に限定し、予算規模の拡大を極力抑えることにあったと考えられる。」(126)
「医療費補助における治療研究費という方式は水俣病ですでに行われており」(133)
「高度成長の犠牲者というイメージ」
「難病対策という医療政策の新しい展開は、高度経済成長の余剰によって自動的に生み出された"パイの一切れ"にすぎなかったのかもしれない。しかし、いずれにしろ、難病対策が厚生省の医療政策に与えた影響は小さくなかった。」(134)
橋本正己・大谷藤郎『対談・公衆衛生の軌跡とベクトル』(医学書院、1990年)
東京都
都立神経病院、昭和五五年設立
東京都神経科学総合研究所、昭和四七年設立
「では、白木はどのような構想を描いていたのであろう。その具体的な構想を見る前に、彼の医療のあり方に対する考え方を整理しておこう。まず、公的医療は基本的に不採算性が志向されるべきだと考えている。医学や医療への財政的な投資を、会計上の収入と支出のバランスで捉えることは基本的に誤りであり、たとえば教育投資と同じように、国民の健康が保持・増進され、病気が予防され、あるいは社会復帰できる人が数多く生まれ、また社会復帰の不可能な人については、それらの人々が手厚く保護されるということを以て黒字採算と考えるべきであるという。
そして、このような意味での医療の不採算性を支える倫理が確立されなければならないとしている。それは、重症心身障害児や植物状態の人のような社会復帰が困難、あるいは不可能な人の医療と福祉をどのように実現するかという問題でもある。それらの人々に要する医療費は、経済効率からみれば、まったく見返りの期待できないものである。したがって、その費用が単にヒューマニズムを基盤にしたものだとするならば、政治情勢の変化などで予算は簡単に切られてしまうであろう。逆に、彼らに対する医療・福祉の充実こそが本当の医療であり、福祉であり、GNPを伸ばしていく目的の一つはまさにそこにあるのだという発想に立つならば、多額の予算も定着し、さらに前進することさえも可能になる。」(141)
「これらが具体的な形となって現れた一つが、病院と研究所からなる神経病総合センターの建設計画であった。」(142)
白木博次「美濃部都政下における医療の現状と将来像――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』第一六巻五号(一九七一年五月)
都村敦子「医療の動向」『季刊社会保障研究』第九巻第一号(一九七三年)
河中二講「福祉政策の決定過程」『ジュリスト臨時増刊』第五三七巻(一九七三年)
「難病患者を支える活動のあり方を自ら創造する運動」(169)
東筋協、社団法人設立申請、四四年に法人化「東京筋萎縮症協会」。
四六年度から巡回検診が東京都委託事業に指定、財政基盤に。(170)
全難連「願い書」昭和四九年五月に社会保障制度審議会提出
川村佐和子『難病患者とともに』(亜紀書房、1975年)参照
石川左門「これからの医療・福祉――患者の立場から」『ジュリスト総合特集』第二四号(一九八一年)
「医療・福祉の需要のすべてを、行政責任による社会資源の量的拡大に期待することは、単なる幻想を追うことにしかすぎない」
在宅ケアの実現
石川正一(昭和五一年五月から五四年六月、二三歳七ヵ月で死去、筋ジストロフィー症・デュシャンヌ型)
「正一を囲むチーム」
専門医、地元主治医、保健婦、メディカル・ソーシャル・ワーカー、理学及び作業療法士など、月に延べ一〇数人の専門職が訪問。(200)
「ところが……検診事業の一環としての在宅ケアはやがて立ち消えになった。」(204)
「在宅ケアに関与した専門職種の多くは、こうした職業的自律の問題を抱えていた。そして、在宅ケアはそれに極めて有効な解答を与えてくれる試みだったのである。」(206)
「在宅ケアには、専門職を引き付ける吸引力が備わっていたのである。」(207)
「昭和四九年に開始された府中病院神経内科の在宅診療を皮きりに、東京都下では、公的サービスからボランタリーな活動まで様々な難病患者の在宅ケアが試行され、実施され、かつ一定の成果を生み出した。そして、こうした試行からほぼ一〇年後、国において難病対策に在宅患者を支える事業が付加され、さらに訪問看護や在宅診療が健康保険制度の中に組み込まれた。それは、あたかも東京都下での試行を観察し、その成果を見届けるようなタイミングであった。」(213)
精神科訪問看護指導料(昭和六一年)、在宅患者訪問看護指導料(六三年)、退院前訪問指導料(平成四年)、在宅診療措置として在宅酸素療法、在宅中心静脈栄養法など一〇項目の在宅指導管理料が診療報酬に点数化。
宇尾野公義「いわゆる難病の概念とその対策の問題点」『公衆衛生』第三七巻第三号(一九七三年)
川村佐和子「難病と福祉」『ジュリスト臨時増刊』第五七二号(一九七四年)
石川左門「難病患者運動の展開と理論――東京進行性筋萎縮症協会一七年の歩み――」『社会医学研究』第二号(一九八一年)
川村佐和子『在宅ケア――その基盤づくりと発展への方法』(文光堂、1986年)
地主重美「社会保障への経済的アプローチ」『季刊社会保障研究』第二〇巻第三号(一九八一年)
健康保険の自己負担分は公費負担
ただし「保険適用外の医療費、有料の訪問看護や家事援助サービス」「訪問看護婦や家政婦の雇い上げ料」など。(236)
白木博次「美濃部都政下における医療の現状と将来像――わが国における医学と医療の荒廃への危機との関連で」『都政』(1971年5月)
「医学と医療の本質は、教育のそれと同じであるとの発想をとるべきである。」(35)
「要するに、医学や医療についても、会計的、予算的にみれば、赤字投資が行なわれたようにみえても、それによって、はじめて、国民の健康が正当に守られ、また、社会に復帰できる人々が数多く生まれてくること、あるいは、それによって、病気が予防される、また、不幸にして社会復帰できない人達に対しては、社会の連帯責任において、手厚く保護してゆく基本的姿勢と対応、などの一連の事実と考え方こそが、黒字採算そのものであり、それこそが、コトバの真の意味での採算医療、また、採算医学と考えられるべきであろう。」(35-36)
「不採算医療の倫理」
「しかしながら、前述のように、医療が、なぜ、コトバの正しい意味での不採算でなければならぬかという哲学、あるいは、論理、また、学問体系は、やはり、うちたてられなければならず、それは単に、直観的、情緒的、宗教的なものに終止してよいとは考えられない。つまり、そのこと自体も、専念的な研究対象とすべきであり、片手間でできるものとは考えられない。つまり、今後、都に設立されてゆく医学関係の、それぞれの研究所のなかに、純医学的な研究部門と併行して、
とくに疫学、社会学、心理学などの諸部門を中心として、そのような側面を、専念的に研究してゆく体制がとられなくてはならない。このことは、つまり、都立病院が、今後、重点的にうけもつことになるであろう、きわめて慢性、症状もひどく、治りにくい、あるいは、ほとんど不治と考えられる疾患について、とくにいえるところである。」(39)
「本質的なアプローチの初期段階としては、たとえば、このような患者を抱えている家族達が、どれだけ、時間的、経済的な損失をうけているかというデータを、正確にとらえてゆかねばならず、そして、一見、不採算医療を行なっているかにみえる病院や施設に、収容することによってかかる費用と、患者からの重い負担から開放されることによって、家族達に浮いてくる時間的、経済的、また、心理的な利益の両者を秤にかけてみる必要があろう。
が、それは、むしろ純経済的、社会対策的な側面に主体がおかれていることを意味するわけであるが、それ以上に、決定的に重要なことは、結局、モラルの視点からの、この問題への認識であろう。つまり、そのような不採算医療を、社会の連帯責任において、なぜ、やってゆかねばならぬかの必然性、そのモラルが、やはり、体系的、学問的に思弁され、研究されねばなるまい。」(40)
「たとえば、都立府中療育センターの重症心身障害児(者)の問題を考えてみると、すくなくとも、現在の段階の医学と医療では、どのように頑張っても、まず、社会復帰の見込みはないといってよく、社会復帰できるとすれば、それは、死亡、退院するときであるという、冷厳な現実が、ここで、指摘されるのである。にもかかわらず、そこでは、九五%の赤字をだす、濃厚な、いわゆる不採算医療が行なわれている。つまり、月平均、一人の障害者に対し、都から約一六万円の援助を受けていることになり、要するに、その分が
都民の税金から交付されていることになる。しかし、それは、社会的、経済的両効果からみれば、どう考えても、そのみかえりを期待できない、ホープレスな患者が、その対象となっているわけである。
にもかかわらず、なぜ、そうしなければならぬかを考えてゆくと、それこそが、医者のヒューマニズムであり、良心であり、生命への尊厳、それへの畏敬から発する行動そのものであり、それは、理屈や、論理以前の問題であるといってしまえば、それは、医師仲間にとっては、それでも通ずる論理であるとしても、医者以外の人たちが、それを、どう受けとめるかとなると、問題は、そう簡単ではなくなってくる。
つまり、東京都の政治情勢なり、何なりが変わった場合、重症児(者)達が、どのような扱いを受けるか、かならずしも、予断を許さないし、大きな危機が訪れないとはいいきれない。なぜなら、国なり、地方自治体の考え方が、何を指向するかによって、この問題は、前進することも、また、逆に、大きく後退する可能性も、そこに秘められているからである。どう考えても、社会に役立たない人間は、その存在自体に意味がない、あるいは、それ以上に、悪であるという考え方が優位となれば、予算も、何もかも、切られてしまうことも起こりうるし、一方、それこそが、本当の医療であり、福祉であり、わが国のGNPを伸ばしてゆく真の目標は、各論的にみれば、まさに、そこにあるのだという発想が定着してゆくならば、幾らでも前向きにすすんでゆく可能性もある。つまり、重症児(者)という対象そのものが、きわめて深刻なだけに、また、その成り行きについても、情勢次第では、きわめて安定性を欠く問題が、そこに存在するといわねばならない。」(40-41)
「医療と福祉の連続性の思想」(42)
「日本の近代医療の発展の歴史」
「国立大学医学部を中心」「お上が作り、国民や都民に与えたもの」「医師と患者との傾斜性」
「一方、欧米医学の歴史的発展の跡をたどってみると、数百年前から、地域住民達が、自分たちの身のまわりにとって、必要欠くことのできない医療を考えたあげく、まず、収容施設的なものを作っていったのが、現実の姿であり、体系化された医学と医療は、あとからそこに入りこみ、育っていったのが実情と思われる。したがって、国民なり、地域住民は、それらを、自分達の分身そのものとして受け取ってきたわけであり、したがって、かれらは、それらの施設や病院をよくするために、財政的、また、精神的な意味でも、積極的に支援し、また、チェックしつづけてきたとみられる。」(45-46)
「いずれにしても、医療と医学の本質は、地域密着性の基盤をぬきにして考えることはできない。この点については、現在の国立関係の公的医療機関は、それに充分対処できるフィールドと施設、また、それへの基本的な思想性をそなえているとは考えられない。なぜなら、そこには、保健所や慢性病棟を欠いている上、福祉との連続性なども、まずまず、皆無に等しいからであり、したがって、疾病の予防からはじまり、治療が終った後、社会復帰に連続してゆく一貫した体系は、確立されているとはいえないからである。」(49-50)
「施設建設における基本的考え方」
「病院の老化をふせぐ要因」「必要不可欠の指導的要員」「診療と教育の二面性をもつ」「あくまで医療を前提とすべき」「病院建設に教育・研究のスペースを」「財源は一般会計から求めること」「適切な一ベッド当りのスペースを」「一ベッド当りの人員の増加を求める」「総合診療的アプローチを尊重すべき」「病院と地域の関係への視点」「保健所の役割と都立病院との連けい」「産院の基本的改革が急がれる」「医療関連技能者の養成とチームワーク」
白木博次『冒される日本人の脳――ある神経病理学者の遺言』(藤原書店、1998年)
「一九七二年六月に約八百床の老人専門病院」「開設準備委員長」
「この時、「よい専門病院や研究所をつくるとなると、八割は赤字になりますが、いいですか」と、都知事に念を押すと、「それで結構だ」と知事は言われた。知事としては、東京都がまず立派な老人専門病院をつくっておけば、これが手本となって、国は都より低いレベルのものはつくれないだろう、というような心構えを持っていた。……本当の医療をやるからには、不採算医療になるに決まっている。そのことが東京都の一千億円の財源赤字の何割を占めようとも、私は悪い事をしたとは決して思っていなかった。……そういう考え方に立たない限り、社会問題は片付かない。」(270-271)
「私は水俣病に限らず、特に精神・神経疾患の臨床像を解析していく時、他覚的にとらえようとしてもおのずから限界があることを絶えず意識し続けてきた。例えば、水俣病の四肢や口周のしびれ感ひとつを取ってみても、誘発電位や筋電図などを使ってそれらを明瞭に数値化し、客観化することは、まず不可能に近いか極めて困難である。またスモン患者の異常感覚等は、絶対に数値化し、模図化し、統計処理するのになじむ性格のものではないのである。
水俣病の自覚症でも、「物忘れがひどい」「根気が続かない」「疲れやすい」等々、数限りなくある。しかも、自覚症の多彩性、豊富さ、頻度の高さなどは、他覚症に比すべくもなく数多い。
しかし、医学を自然科学としてのみ認識していく限り、これらの自覚症は医学の対象としては低次元の存在として位置付けられてきた。したがって、医学はもとより、自然科学的医学、もっと拡大すれば生命科学、神経科学の対象として、その価値が初めから、不当に低く評価されてきた。その意味では、医学もまた自然科学のひとつであるとすると、自然科学とは一体何を意味するのか、その限界はどこまでかという考え方が、当然、浮上して来ざるを得ない。」(274-275)
「人間のあり方の実態からみれば、自覚症と他覚症の両者を同じレベル、同じ性格としてとらえていくのは当然のことなのに、わが国だけでなく欧米の医学でも、この点は決して十分ではなく、それが医学の欠陥のひとつであると考え続けてきた。
言葉を換えれば、本来、医学の最も中心に位置しなければならないのに、無視され続けてきた患者の「自覚症」の問題を、哲学と倫理の領域との関連において明確にさせない限り、水俣病の本質に近付くことはできないと考える。四十年以上を要したにもかかわらず、水俣病がいまだに真の解決に到達していないのは、このためだと思えてならない。」(277)
■吉村義正『無声の喋り――神経性進行性筋萎縮症・学用患者として50年――』(清風堂書店、1999年)
北下病棟同室、ウィルソン症、筋萎縮性側索硬化症(アミトロ)
「研究という名の人体実験」(22)
「病院内で新聞販売業務を請け負う許可」「病院ロビーの一角に販売所」(42)
■Renee C. Fox, Experiment Perilous: Physicians and Patients Facing the Unknown (Transaction Publishers, 1959/1998)
F-Second was an all-male, fifteen-bed metabolic research ward in a small but renowned teaching hospital, affiliated with a prominent medical school, located in one of the major cities of New England. A considerable number of patients hospitalized on Ward F-Second were ill with diseases that are still not well understood and cannot be effectively controlled by present-day medical science. Partly as a consequence, many of these patients had as research subjects for the so-called Metabolic Group of the hospital. This was a team of eleven young physicians: clinical investigators, whose dual responsibility was to care for the patients of F-Second and also to conduct research upon them. (13)
In many respects, the period during which the observations of the Metabolic Group and Ward F-Second ware made was an exciting, forward-going time of progress in the history of this clinical research unit. After a half-century of intensive investigation by the medical profession at large, a number of the hormones produced by the adrenal cortex had been discovered and synthesized, and were being tried on a host of diseases, in some instances with what appeared to be dramatic therapeutic effects. Within the framework of these medical-scientific advances, the Metabolic Group itself was engaged in assaying the activity of activity of newly-synthesized steroids that had shown potential usefulness as therapeutic agents when tried on laboratory animals. They were administering these compounds to patients with a wide variety of clinical conditions (primarily metabolic, endocrinological, cardiovascular, renal, and malignant diseases); experiencing with various modes (intravenous, intramuscular, and oral) of administering them; and studying their biochemical, biological, and clinical effects. At the same time, in the laboratory, the Group was making steady progress in developing standardized methods for the quantitative measurement of adrenal response in man.
Perhaps the most heartening events which the Metabolic Group experienced during this period were those connected with the diagnosis and treatment of Addison's disease (adrenal cortical insufficiency). The advent of ACTH and cortisone had opened a new chapter in the clinical management of this condition, which until this time had been incapacitating and, in many instances, fatal. The Group had done pioneer work in developing an ACTH test for rapidly and accurately diagnosing this disease, and in evolving a regimen for treating it with cortisone. Largely as a result of their research and experimentation, it had become possible to maintain the majority of such patients in good health, and to restore many of them to an active, normal life. (16-17)
The work of the Metabolic Group with total bilateral adrenalectomy, hemodialysis, and kidney transplants was connected with some of the more somber and discouraging aspects of their endeavors. For the period during which the physicians of the Metabolic Group were observed was not simply a time when they were enjoying the triumphs of significant advances in knowledge of adrenal cortical steroids and evidence of their beneficial clinical effects. Quite to the contrary, there were certain respects in which these two years (in the words of one physician) were among the most "grim" and "frustrating" in the history of the Group.
Because procedures like adrenalectomy, hemodialysis, and renal transplant were radical and still largely untried, they were attempted only on patients who were acutely, seriously, and often terminally ill. (Many of these were patients, as one physician put it, "who could very well be dead the next day.") (17-18)
Chapter IV――The Patients of Ward F-Second: Some of Their Problems and Stresses
Problems of Incapacity and Inactivity
Problems of Isolation
Problems of "Submission to Medical Science...the Doctors, and the Hospital"
The Tests, the Machinery, and the Drugs
Problems of Uncertainty
Problems of Not Being Able to Get Better
Problems of Meaning
a social role
In so doing, he [the sick person] becomes a patient.
the sick role (115-116)
Dr. B.: How do you feel about all the tests?
Mr. F.: Well, they are necessary for getting over the operation properly, getting nourishment and fortifying the system against infection...But I don't think anyone likes intravenous. They tolerate it. They know they have to do it, but――Well, I'll quote what I said to a doctor up there on the ward. I said, "I don't like these because I feel I'm tied up like a dog!" (121)
These, then, were the stressful problems of illness which the patients of Ward F-Second shared: incapacity and inactivity; isolation from the well world; submission to teams of physicians, the apparatus of medical science, the routine of a teaching hospital, and the rigorous demands of experiments; uncertainty as to the nature of their diseases and the outcome of the studies in which they participated; incurability; close contact with death; and the problem of why they had fallen ill in the first place――what did it all mean? (134-135)
[Note 6.] This is not to imply that the patients of Ward F-Second were improperly persuaded or forced to participate in research. We already know that the physicians of the Metabolic Group obtained their voluntary consent for any experimental measures they tried. However, as we shall see, the serious, chronic nature of their diseases, along with certain characteristics of the ward community to which they belonged, and the nature of their relationship to the physicians of the Metabolic Group, made many patients feel that they "ought" to consent to experimentation, and others that they "very much wanted to." (136)
Chapter V――How the Patients of Ward F-Second Came to Terms With Their Problems and Stresses
Medical Stardom as a Way of Coming to Terms
Function of Stardom
Medical Expertise and Interest as a Way of Coming to Terms
Functions of Medical Expertise and Interest
Laughter From the Cubicles: The Nature and Content of Humor on Ward F-Second
The Meaning and Functions of the Humor of Ward F-Second
Laughing Prayer: Religion on Ward F-Second
A Game of Chance
Relationship Between Ways of Coming to Terms of Patients and Physicians
Disadvantages of Ward F-Second's Ways of Coming to Terms
■ラメズ・ナム『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』西尾香苗訳(インターシフト、2006年)
Ramez Naam, More Than Human: embracing the promise of biological enhancement,
2005
「今のところALSの完全な治療法方はない。唯一、認可された治療として「リルゾール」という薬剤があるが、せいぜい数ヶ月の延命効果しかない。しかし、最近の動物を用いた研究によれば、遺伝子治療を行えば、進行を遅らせて余命を倍にすることができるかもしれない。
二〇〇三年、ジョンズ・ホプキンズ大学の神経科学教授ジェフリー・ロススタインらはALSと同等の症状を表すマウスに、インシュリン様増殖因子(IGF-1)の遺伝子を追加した。IGF-1は人間の体内で生産される物質で、特に筋肉の成長と修復を促進する作用がある。」(32-33)
B. K. Kaspar et al., "Retrograde Viral Delivery of IGF-1 Prolongs Survival in a Mouse ALS Model", Science 301 (August 8, 2003): 839-42.
「IGF-1遺伝子の変異型であるMGF(機械的刺激増殖因子)遺伝子」
「おそらくもっと重要なことがある。加齢にともなって普通に起こる筋肉量や筋力の減少が、医療の対象になりつつあることだ。……一九九一年、ウィリアム・エヴァンズとアーウィン・ローゼンバーグという二人の老年学研究者が、「サルコペニア(筋肉を失うという意味)」という名称を導入してこの現象を記述した。」(35)
W. Evans and I. Rosenberg, Biomarkers (Simon & Schuster, 1991)
"Sarcopenia: Origins and Clinical Relevance", review, Journal of Nutrition 127, Suppl. 5 (May 1997): 990-91.
「オーストラリアのエピタン社」「肌色を濃くする薬剤の臨床試験」(37)
「技術的な面から言えば、遺伝子治療の基本的な手法はきわめて簡単だ。数千ドル相当の設備があればいいし、技術は大学ならどこでも習得できる程度のものだ。」(39)
「本当に効果的な安全システムを開発するつもりならば、能力増強目的で医薬品が用いられる可能性のあることを認め、その種の使用法についても安全ガイドラインを設けなくてはならない。」(50)
「アメリカ国内のアルツハイマー病患者は四五〇万人にものぼり、さらに四〇〇万人ほどの「軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment. MCI)」患者もいる。これは治療可能な症候群としてFDAに認められている。……ごく最近のことだが、FDAは「加齢関連記憶障害(Age-Associated Memory Impairment. AAMI)」も治療可能な疾患の一つとして認めた。五○歳以上で、記憶テストの成績が同年齢の人のなかで下から一六%までの人は、AAMIを呈しているとされるが、これに該当するアメリカ人だけでも一二〇〇万人となる。」(58-59)
「現在、ニコチンの使用量はかなりの勢いで低下しているが、それに替わって、より強力な認識力増強剤が社会的に容認され、増加しつつある。一九九九年、アメリカではアデロール(アンフェタミン)やリタリン(アンフェタミンに似た構造をしたメチルフェニデート)、そのほか類似の興奮剤の処方箋が一五〇〇万枚以上も発行されたが、そのほとんどは注意欠陥過活動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Disorder. ADHD)の治療用だった。」(61)
「モダニフィル」「商品名「プロヴィジル」」「ナルコレプシーの治療薬として承認されたフランスの薬」(62)
「プロザック」「パキシル」
「人間の脳と精神を変えるほどの大きな力」(67)
「能力増強技術はすべて医学研究のなかから現れてくる」(74)
「すべての妊婦は羊水穿刺あるいはそのほかの出生前遺伝子診断を受けるのが望ましいとする論文」(155)
R. A. Harris et al., "Cost Utility of Prenatal Diagnosis and the Risk-Based Threshold", The Lancet 363 (2004): 276-82.
「ジョニー・レイには猛訓練……レイはケネディのアドバイスにしたがい、左手を動かそうと考える。カーソルを上に移動させたければ左手を上に、下に移動させたければ左手を下に、といった具合だ。レイが左腕を動かそうとすると、脳に埋め込まれた電極が、すぐ近くの数本のニューロンが発した信号をピックアップして、そばにあるコンピュータにそれを無線で伝え、コンピュータがカーソルを動かす。これは驚くべきことだ。人間が考えるだけで、コンピュータが反応する。」(198)
Johnny Ray, "Me, Myself, My Implants, My Micro-processors, and I",
http://www.sdmagazine.com/documents/sdm0009a/
P. R. Kennedy et al., "Direct Control of a Computer from the Human Central Nervous System", IEEE Transactions on Rehabilitation Engineering 8, no. 2(June 2000): 198-202.
M. Nicolelis, "Brain-Machine Interfaces to Restore Motor Function and Probe Neural Circuits", Nature Reviews Neuroscience 4 (May 2003): 417-22.
「アカゲザルを用い、運動野に七〇〇本の電極を埋め込んで、ジョイスティックを操作してロボットアームを動かすように訓練した。サルにジョイスティックでアームを操作させながら、コンピュータでニューロンの活動を記録する。電極につないだコンピュータは、この研究のために組んだ専用プログラムで、ロボットアームの動作とニューロンの発火パターンとの関連パターンを見い出す。こうして、運動を制御するニューロンのコードが解読された。コードがわかれば、サルの運動野の活動に応じてロボットアームがどのように動くのか、予測できるようになる。何度も繰り返して試行するうちに、予測と実際の動きが一致するまでになった。
そして、決定的瞬間がやってきた。ジョイスティックはそのままにして、ロボットアームとの接続を切る。かわりに、サルの埋め込み電極をモニターしていたコンピュータに、ロボットアームの制御を任せる。これで、七〇〇本の電極から取り出した信号のみによってアームが動き、ジョイスティックの動きとは無関係になるわけだ。コードはうまく機能するだろうか? したのである。今や、サルは考えるだけでロボットアームを動かしたのだ。」(204)
J. M. Camena et al., "Learning to Control a Brain-Machine Interface for Reaching and Grasping by Primates," PLoS Biology 1. no. 2 (November 2003): E42.
J. Wessberg et al., "Real-Time Prediction of Hand Trajectory by Ensembles of Cortical Neurons in Primates," Nature 408 (November 16, 2000): 361-65.
「まずネコに麻酔をかけておいて網膜に電極を埋め込む。ネコの頭をさまざまな物体に向け、網膜のニューロンの活動を電極で記録し、情報をコンピュータへ送る。……コンピュータはニューロンの信号を標準的なビデオ・フォーマットに落とし込み、スクリーンに映し出す。つまり、ネコが見るものがスクリーンに映るのだ。像はぼやけてはいたが、識別には十分だった。ネコの頭が木の枝のほうへ向けられると、スクリーンには細かいところや表面の質感までは判別できないものの、木の枝が映し出されることになる(訳注・ネコは全身麻酔にかけられて人工呼吸器につながれ、自発的にはまったく動けない状態である。まぶたを開いて眼球を固定してあるので、頭部を動かせばその方向に安定して視線が向くことになる。ネコを生きたカメラとして扱ったわけだ)。」(213)
B. Stanley et al., "Reconstruction of Natural Scenes from Ensemble Responses in the Lateral Geniculate Nucleus", Journal of Neuroscience 19, no. 18 (September 15, 1999): 8036-42.
Robert Finn, http://www.beyonddiscovery.org/content/view.article.asp?a=252
テンプル・グランディン『動物感覚』
ニコラス・ハンフリー『獲得と喪失』
■マーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実』栗原千絵子・斉尾武郎=共監訳(篠原出版新社、2005年)
Marcia Angell, The Truth about Drug Companies: how they deceive us and what to do about it (Random House 2004)
「第一に、研究開発費は大手製薬会社の予算の中で占める割合もかなり小さく、マーケティング・運営管理費とは比べものにならないほど少額だ。……第二に、製薬業界は特に技術の革新力が優れているわけではない。……大学、バイオテクノロジー会社、米国国立衛生研究所(NIH)などで税金を使って行われた研究が下地となっているのだ。……「ゾロ新薬」……第三に、製薬業はアメリカ資本主義体制のモデル産業とは到底なりえないものである。……独占権」(6-7)
治験実施施設支援機関(SMO)
「研究参加者の勧誘は、しばしば公共広告を似せて行われる。製薬会社は特定の疾患の患者を集めるために、患者アドボカシー・グループを作っており、臨床試験に必要な患者の上質な資源となっている。研究参加者の多くは、医師からの紹介ではなく、いまやこうしたルートを通じて集められている。研究参加者には臨床試験の参加費として、通常数百ドルから数千ドルが支払われる。
研究参加者への支払いがどれほど大きくとも、医師への謝礼に比べればまだまだかわいいものだ。製薬会社や開発業務受託機関(CRO)は、研究参加者を得るために医師に日常的に巨額の報奨金(二〇〇一年の時点で患者一人当たり平均七千ドル)を与えており、ときには研究参加者の登録が早く進んだ場合には、ボーナスを出すことさえある。」(45)
「医薬品や医療機器の安全性・有効性を判断するのは、フリー・マーケットだと主張する人なんてどこにいるのだろうか?」(50)
オーファン・ドラッグ
http://www.fda.gov/orphan/taxcred.htm
ラリー・スティブンス「大きな儲けといくつかの曲解」アメリカ医療ニュース誌、二〇〇三年八月四日付
メリル・グーズナー「正しくない値段」アメリカ展望誌、二〇〇〇年九月一一日号
http://www.prospect.org
アーノルド・レールマンによるレビュー、米国医師会雑誌、二〇〇三年一〇月二二日・二九日合併号
「過去二〇年間に承認を受けた薬はたくさんあるが、その中には熱帯病の治療薬はほんの少ししかない。これとは対照的に、コレステロールを低下させる薬、気分障害、花粉症、胸焼けなどの治療薬で溢れかえっていることにはまったく驚かされる。」(110)
「薬に合わせて、都合よく病気を作り出しているのである。」(111)
「高コレステロール治療薬や勃起不全障害の治療薬ほどには、小児用のワクチンを十分に付くれないというのは本当だが、少しくらい損をかぶってくれてもよいのではないだろうか。製薬会社の利益は膨大なのだから、社会奉仕のつもりで、儲けは少ないが必要不可欠な薬を快く作ってくれてもいいだろう。これまで社会の側は文句も言わずに、製薬会社にお金を渡してきたのだから、製薬会社がお礼としてこうした薬を作ってくれてもいいのだ。しかし、そういったやり方は製薬業界の流儀ではない。やるかどうかの基準は、結局は儲かるか、儲からないかなのだ。」(118-119)
「筆者はニヒリストでも、技術改革反対論者でもない。大学や製薬会社で行われた画期的な研究開発のおかげで、数多くの素晴らしい薬が産み出されてきたということはよく知っている。糖尿病に対するインスリン、感染症に対する抗生物質、重篤な疾患の予防のためのワクチン、心筋梗塞に対する抗凝固薬、癌に対する化学療法、種々の鎮痛剤や麻酔薬といった薬を誰も必要ないとは言わないだろう。グリベックは、エポゲンやタキソールと同様、大きな進歩である。もちろん、プリロゼックもスタチンやACE阻害薬などと同様に重要である。」(144)
「製薬業界のスポンサーシップと臨床研究におけるバイアスについては、英国医師会雑誌が素晴らしい特集を組んだ。」(146)
シルビオ・ガルティーニら「研究倫理委員会はどうすればもっと患者を守れるのか」英国医師会雑誌(bmj)二〇〇三年五月三一日号
「患者アドボカシー・グループへの支援も、教育を偽装したマーケティングの一つである。単に製薬会社の隠れ蓑に過ぎない患者アドボカシー・グループも多い。患者たちは、自分の疾患に対する世間の認知を広めるための支援ネットワークに出会ったと思い込む。しかしこれこそが、実は製薬会社が薬を売り込む手口なのである。」(191)
「新薬は必ず既存の薬と比較するようにする」
「特許法の改正」
「統一価格制の導入」(297)
「ゾロ新薬から画期的新薬へ」
「米国食品医薬品局の立場を強めよ」
「臨床試験を監督する機関を作れ」
「独占販売権を制限せよ」
「ビッグ・ファーマを医師の教育から叩き出せ」
「ブラック・ボックスを開けよ」
「薬価は適正かつ全国共通にせよ」
■デーヴィド・ヒーリー『抗うつ薬の時代――うつ病治療薬の光と影』林建郎・田島治訳(星和書店、2004年)
David Healy, The Antidepressant Era (Harvard University Press 1997)
「向精神薬の到来は、精神医学における新たな生物学的言語の隆盛を引き起こした。これが大衆文化に取り込まれてゆく度合いには、多くの点で驚くべきものがあった。抗うつ薬発見の直後には、意図的な脳内化学への干渉はほとんど邪悪な行為と見なされていたのに、今ではプロザックのような化合物の特異的デザイン性は、茶のみ話の洒落た話題となった。こうした言語の出現とそれに対する当初の反発、最終的な勝利は第5章に述べる。そしてこの勝利は、曖昧さを伴うものであった。生物学的言語が与えるものは、臨床的意義に一致したものではなく、むしろ販売戦略の宣伝文句に一致したものではないかと問うことは、理にかなった質問であろう。
第6章では抗うつ薬の販売戦略的視点に焦点を当てる。多くの点で抗うつ薬の発見はうつ病の発見とその販売戦略そのものであった。最近の10年間で製薬会社は、抗うつ薬という拠点から神経症の中心地域へと進み、その途上で強迫性障害、パニック障害、社会不安障害などを販売促進してきた。皮肉なことにこうした展開は、医薬品の開発を「承認基準に従った処方薬」の経路に集中させるために1960年代に設けられた規制の仕組みに大きく依存していたのである。」(6-7)
「最初の抗精神病薬」「クロルプロマイジン(ソラジンThorazine/ラーガクティルLargactil)」「1952年」(57)
「無作為化試験を構成する要素となる無作為化、プラセボ対照、盲検は別々に発達し、1950年代に入って1つにまとめられた。」(104)
「ハミルトンうつ病評価尺度」(HRSD: Hamilton Rating Scale for Depression)(1960年)(131)
「プラセボの有効性は今までに対照を用いて検証されたことはない。それは不可能である。」(143)
「製薬企業が精神医学の世界の文化を形成する力は、腐敗に結びつく影響力ととらえるべきではなく、むしろ建設的な影響力としてとらえられるべきであろう。多くの点で今起こりつつあることは、極端に次元的な思考の精神分析の体制内の個人診療の利害がもたらした腐敗の是正ではないのかという議論もある。そして、現在の精神医学の世界の文化は製薬企業のみの力で形成されたものではない。過去10年の間に境界性人格障害の患者が示した症状の変化を考える時、患者が表出したと記載される臨床病像は、精神医療関係者の地域勢力と市場勢力との相互作用によって形成された明確な証拠がある、と主張するジェローム・クロール(Jerome Kroll)などの意見もある。企業に劣らず心理療法士たちも、同僚と潜在的に治療可能な集団の双方に対して、時宜に最も適った臨床像表出を指導していると彼は言うのである。
過去30年間の精神医学における疾病分類学に生じた数多くの修正を考えれば、精神疾患がすでに確立された実体を持ち、製薬会社の役割は予め決められた鍵穴に合う鍵を作ること、または目的となる標的を射抜く弾丸を探し出すことと考えるのは誤りである。多くの精神障害には、精神生物学的要因が関わっていることは明確であるが、現時点では製薬会社が鍵穴に合う鍵を探すことのみならず、1つの鍵に合致する数多くの鍵穴の型を決めることも可能な状態にあるのだ。……企業は市場への製品の供給を統制するのみならず、概念市場への概念の流入をも統制し、市場からの需要も調節する役割を果たすのだ。
純粋主義者は、販売戦略が現実を創造するという考え方に大きな抵抗を持つであろう。しかし現実は常にそうであったということも可能なのである。……
……精神病理学における概念の流行は、ある現象に簡潔な名前を与える提唱者の才能に負うところが大であった。例えばT型統合失調症とU型統合失調症〔英国のクロウが提唱した分類で、T型は脳の気質的な変化が基盤にあり抗精神病薬に対する反応が不良であるのに対し、U型は気質は変化がなく薬物療法に対する反応が良好と主張した〕あるいはうつ病のアミン仮説などがそれである。……統合失調症のドーパミン仮説あるいはうつ病のアミン仮説などは、商標名としての働きを持つ。」(276-278)
J. Kroll(1993), PTSD/Borderlines in Therapy: Finding the Balance (Norton)
D. Healy (1993), Images of Trauma (Farber & Farber)
M. E. Hamilton (1960), "A Rating Scale for Depression," Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry 23: 56-62.
デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の功罪――SSRI論争と訴訟』田島治監修・谷垣暁美訳(みすず書房、2005年)
David Healy, Let Them Eat Prozac: The Unhealthy Relationship between the Pharmaceutical Industry and Depression (James Lorimer & Company 2003)
第十章
「この新世界にふさわしい取り決めを受け入れることは、貧しい者にも富む者にも等しい医療を保証するということを意味しない。最初のうち、この新しい展開を享受できるのは金持ちだけだろう。しかし金持ちが、社会のほかの人々のためにモルモットになる場合、彼らは起こっていることに対してインフォームド・コンセントを与えなくてはならない。製薬企業はいまのところ米国をターゲットにしているようだが、米国社会は、自分たちを被験者にしておこなわれている実験に対して、コンセントを与えたのだろうか。」(353)
「医師は向精神薬の時代にうつ病の診断が一〇〇〇倍もふえたことに抗議しただろうか?」(356)
「子どもについて言うと、伝えられるメッセージは、これらの薬が逸脱した子どもを行動面での標準に近づけ、将来に影響するリスクを減らすということだ。現在、二〇世紀前半の流行の再来のように、新たなIQテストが次々と生まれている。これらの新しいテストの結果、自分の子どもが標準から逸脱していることを発見した親たちによって、教育心理学と児童心理学における巨大な市場ができた。」(358)
「プロザックを支えている神話は、低くなったセロトニンレベルを正常に戻すという言い方で、プロザックに心の抗生物質の役割をふりあてている。だが実際の使われ方はむしろ、軽症の高血圧症の治療に似ている。今日のベストセラー薬は、異常を正すものではなく、存在しうるリスクを減らすという、リアルというより、むしろヴァーチャルと言っていい理由によって、長期にわたり――ときには死ぬまでずっと――処方される薬である。これらの薬を飲んでいる人々のほとんどは、自分が受けている治療の本質も、その治療の根拠の薄弱さも理解していない。」(359)
「子どもやティーンエージャーへのSSRIの長期投与がよいことなのかどうか、あるいは、大人にだってよいことなのかどうかということを明らかにするような独立した臨床試験をおこなうのは事実上不可能だ。これらの問いに対する答えは、一九九〇年代前半以来、私たち医師がおこなっている制御されない巨大な実験からしか出てこないだろう。SSRIの特許が切れ、おぞましい治験〔訳は知見〕の市場ができるころになって初めて、私たちはその答えを知るだろう。」(359)
「ハミルトンうつ病評価尺度のスコアしかもたず、その数字にもとづいて医療をしている臨床医は、体重計の数字にとらわれているティーンエージャーのようなものだ。」(361)
「代替案として、プロザックのような薬を店頭で買えるようにすることを考えるのは可能だろうか? 驚かれるかもしれないが、そうなれば危険が減るだろうと思われる。」(367)
「薬を店頭で買えるようにすることで、もう一つ驚くべき結果が生まれるかもしれない。それはこの恐ろしい病気、うつ病の消滅である。企業が消費者に直接売ることができるようになれば、セントジョンズワート〔抗うつ作用のある薬草を原料とするサプリメント〕を売り込むのと同じ仕方で――ストレスや燃え尽き対策に、また強壮剤として――売り込むだろう。私たちはじきに、自分の心の状態を「元気がない」とか「燃え尽きた」というふうに解釈しはじめるだろう。そして抗うつ薬ではなく強壮剤が必要だと思うだろう。うつ病は減少して、一九六〇年代のレベルに戻るだろう。」(369)
「誰でも生のデータを見ることができるようになれば」(373)
「抗うつ薬を店頭で入手できるようにするという選択肢を挙げたのは、読者に、現在の状況の隠された側面に気づいてもらうための思考実験だった。現在の状況から見て店頭販売よりも現実的な代替策を、向精神薬全体について考え出すのは、一個人の手に負える仕事ではない。」(374)
田代志門「医療倫理における「研究と治療の区別」の歴史的意義――日米比較の視点から」『臨床倫理』No.4(2006)
「日本においては、薬事法を除けば臨床試験に対する法的規制が存在せず、治験以外の臨床試験が場合によっては「治療」の名の下に行われてきた……それゆえ、臨床研究の倫理をめぐる議論はまず、治療と研究を峻別する所から始まる。金沢の裁判の焦点も、この研究と治療の区別に関わるものだった。被告側は、研究プロトコルが存在し、患者は無作為に異なる治療法に振り分けられていたにも関わらず、この研究の対象となった治療法は「保険適用の診療なので『臨床試験』ではない」と主張しているという(仲正他2003: 14)。日本では、エホバの証人の輸血損害賠償事件に関して、十分に説明を受けたうえでの患者の治療拒否権を認める最高裁判決が、すでに2000年に下されたことを考え合わせると、むしろ治療のICよりも研究のICのほうがその重要性を認められていない、とさえいえよう。」(96-97)
広井良典『医療の経済学』(日本経済新聞社、1994年)(167-184)
「サイエンスとしての医療」と「ケアとしての医療」を区別。
科学技術政策と社会保障政策に対応させる。
米国
「「臨床医学」ないしは「治療」のICは、主に司法の場で議論されてきたのに対し、「人を対象とする研究」ないしは「臨床研究」のICは、それとは別のルートで、専門職倫理や行政規則によって生み出されてきた」(99)
「治療のICの中核的理念を一言でいうならば、それは「法廷による患者の自己決定権の承認」である。」(99)
「これに対して、「研究のIC」の特徴を一言でいうならば、「政府規制による被験者の保護」となる。……そこでの出発点は自己決定権というよりは、研究にともなうリスクの軽減であり、いかにして研究の被験者を非倫理的な人体実験から保護するかに関心が寄せられた。」(100)
「研究の倫理委員会(IRB)」「治療の倫理委員会(IEC)」
「生物医学・行動科学研究の被験者保護のための全米委員会」(1975-78年)
National Commission for the Protection of Human Subjects of Biomedical and Behavioral Research
10の報告書公刊
1.「胎児に対する研究」(1975年7月)
2.「囚人を含む研究」(1976年10月)
3.「精神外科」(1977年3月)
4.「情報公開法に基づく研究情報の開示」(1977年4月)
5.「子供を含む研究」(1977年9月)
6.「施設に収容されている精神障害者を含む研究」(1978年2月)
7.「施設内審査委員会」(1978年9月)
8.「保健福祉省による医療サーヴィスの配分に関する倫理的ガイドライン」(1978年9月)
9.「ベルモント・レポート――研究被験者保護のための倫理原則とガイドライン」(1978年9月)
10.「特別研究(生物医学・行動科学の進歩の意味)」(1978年9月)
「「傷つきやすい被験者」(vulnerable subjects)への特別な注意の喚起」(107)
「ただし、近年では「研究参加の権利」がHIV/AIDSや癌の患者団体から主張されるに伴い、「保護からアクセスへ」研究規制のあり方が変化してきたという指摘もなされている」(108)
Mastroianni & Kahn 2001, Swinging on the Pendulum: Shifting Views of Justice in Human Subjects Research, Hastings Center Report 31-3: 21-28.
「ベルモント・レポート――研究における被験者保護のための倫理原則とガイドライン」津谷喜一郎他訳『臨床評価』28-3: 559-568 (2001)
「多くの場合、「診療」とは、個々の患者やクライアントの福利増進のためにのみ考案された、かなり成功の見込みがあるような介入(intervention)を指す。医学や行動科学に基づく診療の目的は、特定の個人に対して、診断や予防法や治療を提供することである。一方、「研究」とは仮説を検証し、想定された結論を導き、そこから一般化された知識(例えば、理論や原則や関係性についての言明として表現される)を発展させる、ないしはそれに貢献するような活動を指す。研究は通常、目的を設定し、目的に到達するための一連の手順を定めた公式の研究プロトコルにおいて記述される。」
「この簡素な研究の定義によって、ベルモント・レポートはヘルシンキ宣言と一線を画すことになった。先述したように、ヘルシンキ宣言において、研究は非治療的研究と治療的研究に区別され、治療的研究においては、治療とほぼ同等の医師の裁量権を認めていた。これに対して、レポートの「研究の定義」は、ヘルシンキ宣言が提示した二種類の研究の区別を採用せず、結果として「一般的なルールとしては、ある行為の中に、研究の要素が少しでもあるならば、その行為は被験者保護のための審査を受けるべきだ」と結論付けている。」(108)
「本稿の立場からすれば、この「治験」という言葉には次の三点において、大きな問題がある。第一に、日本の臨床研究の場面では、「治験」は「臨床試験」(clinical trial)の訳語として流通しているが、実際に「治験」が示すのは、臨床試験のなかの一部に過ぎない。第二に、「治験」とは「治療試験」の略語であるとされるが、「治療試験」という概念がすでに、治療と研究の境界を曖昧にさせている。第三に、臨床試験の翻訳語という文脈を離れた「治験」という日本語本来の意味は、「治療のききめがあること」であり、それはすなわち「治療」を意味するのであるから、それを「研究」の訳語として採用することは、被験者の「治療であるという誤解」を促進する。」(109)
「背景には医学研究の進展に伴う、通常の医師―患者関係とは異なる研究者―被験者関係の比重の増大がある。この二種類の人間関係は、少なくとも分析的には区別して考察されるべきものである。」(112)
「治療と研究を区別したうえで、あるべき臨床研究の姿はどのようになるだろうか。」(112)
「ラムゼイの指摘のなかでは、研究と治療という異なる目標を前にして、人間が取りうる最良の方向が示されている。本稿の立場からパラフレーズするならば、医師―患者は「患者当人に対する何らかの利益」、研究者―被験者は「医学の発展と他者への利益」という共通の目標に共に向かい合う、そうした関係を目指すべきだ、ということになろう。ラムゼイはこうした関係はもはや「契約」ではなく、「パートナーシップ」と呼ぶにふさわしいという。
しかし、こうした「パートナーシップ」によって結ばれた研究者―被験者関係など本当にありうるのだろうか。所詮、他者のためでしかない研究に自発的に参加するなどという「好意」を当てにしていては、有益な臨床研究が進まなくなるのではないか。ラムゼイの言うような研究者―被験者関係に対しては、こうした疑問が生まれるかもしれない。しかし、私たちは経験的に、医師と患者が深い信頼関係で結ばれ、患者の治療に共に立ち向かう姿がこの世にありうることを良く知っている。だとすれば、研究の発展という共通の目標のもとで、研究者と被験者が強い絆で結ばれることがない、とどうしていえようか。事実、戦後のアメリカでは、非倫理的な医学研究が横行する一方で、こうしたパートナーシップによって結ばれた被験者―研究者関係もまた存在していたという。私たちは医療社会学者レネー・フォックスの『危険な実験』(初版1959年)のなかにそれを垣間見ることができる。
フォックスは、この著作において、F病棟と呼ばれる新陳代謝の研究病棟での数年に渡る調査研究を通じて、不治の病を抱えた患者たちが、研究者=医師との信頼関係のもとで、研究被験者として自分の生きがいや意味を再構築していく過程を生き生きと描写している。彼女によれば、研究者たちは被験者のことを「同僚(colleagues)」や「協力者(collaborators)」と呼び、同じ研究チームの一員として、自由に研究室でデータを閲覧することを許可していたという。これに対して、被験者達は、自分たちのデータを逐一研究者に報告し、共に研究成果を目指して進む関係を形成していた。
こうした人間関係は、まさに研究であることを互いが率直に認め合ったうえで初めて形成されるものであろう。「すべてを話すと被験者はいなくなる」という研究者の危惧は、被験者の側の問題というよりはむしろ、研究者が被験者を信頼していないことに起因する問題のように思える。もちろん、研究が治療的になればなるほど、「治療であるという誤解」(therapeutic misconception)は避け難い。しかしそれにも関わらず、それは見過ごされるべき困難ではなく、研究者と被験者が共に同じ目標に向かって歩むために常に立ちはだかる障壁のようなものではないか。少なくとも、その障壁を取り除こうとする努力無しに、臨床研究の倫理の基礎は確立し得ない。フォックスの見た光景はその先にあるものかもしれない。」(113)
甲斐克則1991「人体実験と日本刑法」『広島法学』14-4: 53-91
光石忠敬2003「『臨床試験』に対する法と倫理」内藤周幸編『臨床試験』薬事日報社
レフラー、R・B2002『日本の医療と法――インフォームドコンセント・ルネッサンス』勁草書房
田代志門2006「専門職と『開かれた自律』――後期パーソンズ医療社会学の射程」『社会学研究』79: 85-109
D.A. Hughes et al., 'Drugs for exceptionally rare diseases: do they deserve special status for funding?', Q J Med 2005; 98; 829-836.
Introduction
orphan diseaseの定義
US: a prevalence of 7 cases per 10,000 population.
JP: 2.5
UK: 5
EUは研究開発を支援。製薬会社へのインセンティヴ。
market exclusivity for 10 years, reduction of licensing fees, assistance with marketing applications, direct access to the centralized procedure for marketing authorization, and, in some countries, provision of specific research grants.
ただし使用実態・アクセスに関しては国別に異なっている。
ex. laronidase (the only treatment for mucopolysaccharidosis type 1 (MPS1)).これはスコットランド・オランダ・ラトヴィア・スロヴェニアではサポートされていない。
Special status considerations
A key issue around whether public funding should support the provision of ultra-orphan drugs is whether the rarity and gravity of the condition represents a rational basis for applying a different value to health gain obtained by people with that condition. That ultra-orphan drugs are reimbursed at all, illustrates the fact that budget impact, clinical effectiveness and/or equity issues are given precedence over cost-effectiveness in decisions on resource allocation in some countries. The consequence, however, is that the opportunity cost of supporting the use of ultra-orphan drugs necessitates that patients with a more common disease, for which a cost-effective treatment is available, are denied treatment.
Methodological issues concerning evidence on effectiveness
evidence for safety, efficacy, clinical and cost-effectiveness
difficult to obtain good quality comparative effectiveness data for ultra-orphan drugs.
1.ex. A trial of itraconzole for the prevention of severe fungal infection in children and adults with chronic granulomatous disease, for instance, took 10 years to recruit just 39 patients. The FDA granted a licence for 1-carnitine in genetic carnitine deficiency, based on a study of only 16 patients.
Lagakos SW. Clinical trials and rare diseases. N Eng J Med 2003; 348:2455-6.
(※ある場合にはtrialは研究開発コストと言われるが、ここではそのコストはかけられないわけである。)
2. clinical diseases is often based on short-term surrogate outcomes rather than long-term effectiveness, and the relationship between the two may not be proven.
(※むしろ疑われるべきはコスト-効果の評価における期間とエンドポイント設定である。)
Limited budget impact
Given the small number of patients eligible for ultra-orphan drugs, the total cost impact on health services is limited.
Equity issues
The utilitarian approach to distributive justice
A rights-based approach
The 'rule of rescue'
Options for policy recommendations
assigning equity weights
risk-sharing and 'no cure, no pay' schemes
clinical and pharmacogebetic criteria. ex. Gaucher's disease in Ontario, Canada.
funding by research councils
Robert D. Truog, "Dying Patients as Research Subjects", The Hastings Center Report; Jan/Feb 2003; 33,1
In this issue of the Report, Rebecca Pentz and colleagues discuss a new frontier for clinical research ethics――the use of dead and dying patient as research subjects for protocols that cannot ethically be performed on other subjects. Specifically, they propose guidelines that would allow patients who have been diagnosed as brain dead or who are about to undergo a planned withdrawal from mechanical ventilation (with the expectation of rapid and certain death from respiratory failure) to be eligible for certain types of experimentation that offer no benefit to the patient. (3)
The procedure developed by Pentz and colleagues employs a two-stage approach. First, patient can be considered as research subjects only if the risks of the research are within an acceptable range……If the first condition is met, then the patients or surrogates are allowed to make a personal choice whether to accept the risks of the research in pursuit of altruistic goals.
This two-step approach is very similar to the approach we currently take with living organ donations. Here, too, medicine and society set a threshold for the maximal risk that one individual is allowed to take on behalf of another. (3)
These parallel developments in the ethics of organ transplantation and research suggest that ethical norms in the society may be evolving. Whereas the traditional dead-donor rule prevents retrieval of vital organs until after the diagnosis of death, the emerging practices around both living donation and research on dying patients are less restrictive and more nuanced. (3)
The provocative proposal described in this article therefore deserves close scrutiny, since it has implications not only for the ethics of research but also for the ethics of organ transplantation and end-of-life care more generally. (3)
Rebecca D. Pentz et al., "Revisiting ethical guidelines for research with terminal wean and brain-dead participants", The Hastings Center Report; Jan/Feb 2003; 33, 1.
In order to address these challenges, we suggest that trials may include two populations not frequently used in research: brain-dead individuals, whose circulatory and ventilatory systems are being maintained mechanically, and "terminal wean" patients, whose life support equipment or drugs will imminently be withdrawn. In this article, we describe such a clinical trial and propose ethical guidelines for the use of this research population. The advantages of including these populations are several: it avoids giving participants false hope, minimizes the harmful effects on their health and quality of life, and can advance their values and enhance their own and their surrogates' search for meaning in the face of the tragedy of terminal illness, while offering scientific opportunities that are otherwise unavailable. (20-21)
The Protocol
In early 2000, investigators at The University of Texas M.D. Anderson Cancer Center described an innovative research protocol to the institution's Clinical Ethics Service and inquired about an ethically appropriate pool of research participants. The investigators explained that if peptides――short sequences of amino acids――are genetically attached to a simple virus known as a phage, the phage will bind to the vasculature of specific organs depending on the peptides they contain. Further, certain peptides selectively home to the vasculature of tumors, making possible the delivery of targeted cancer therapies. Having demonstrated this homing phenomenon in mice, the investigators sought to validate the feasibility of this approach in humans, with the ultimate goal of developing mechanisms for the targeted delivery of cancer therapies, gene therapies, and imaging agents. (21-22)
In our institution, brain-death is exceedingly rare. Considerably more potential participants could be found among cancer patients who are on life support and for whom a terminal wean from mechanical ventilation or vasopressor support is planned. (22)
Guidelines for Research Involving Terminal Wean and Brain-Dead Subjects
1. Conditions for the research proposal
a. Addresses an important clinical problem
b. Has a low possibility of death during the protocol
c. Includes only procedures that can be completed within a limited time, defined in advance.
d. Is approved by a properly constituted Institutional Review Board.
2. Eligibility requirements
a. Terminal wean participants must not be expected to survive the terminal wean.
b. Participants must have indicated to the health care team or surrogates that they have end-of-life altruistic goals consistent with such research.
c. Candidates for organ donation or autopsy are excluded.
d. Informed consent is obtained from next of kin, and when obtaining consent, attention is given to any possibility of death, the time frame for completing the protocol, and the effect on the body.
3. Protocol implementation guidelines
a. Investigators are not involved in declaring brain death, and the declaration is unequivocal. Investigators are not involved in the decision to terminal wean.
b. Provisions are made for adequate analgesia or anesthesia as indicated.
c. Research participants are not resuscitated.
d. The dignity and humanity of the body is not violated.
e. Any charges for time and resources spent on life support during research procedures are paid by the investigators. (23)
Three individuals (two terminal wean patients and one brain-dead subjects) participated in the phage protocol. (24)
Anna Mastroianni and Jeffry Kahn, "Shifting views of justice in human subjects research", The Hastings Center Report; May/Jun 2001; 31, 3.
Since the early 1990s, however, justice as applied in research ethics has emphasized the need to ensure access to the potential benefits that research has to offer. (21)
Further, therer was a sense that the risks and benefits of research were split apart――the risks were borne by subjects, the benefits accrued to others. (22)
From Protection to Access
The HIV/AIDS advocacy
Women's health groups (cancer)
NIH Guidelines on the Inclusion of Women and Minorities as Subjects in Clinical Research, Federal Register 59 (28 March 1994): 14508
Thus an overemphasis on the benefits of research participation can undermine the reality that research inherently carries risk and very often holds no benefits to the subject. (27)
■厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患克服研究事業
『特定疾患の生活の質(Quality of Life, QOL)の向上に関する研究』
平成17年度 総括・分担研究報告書 主任研究者:中島孝
中島孝「特定疾患の生活の質(Quality of Life, QOL)の向上に関する研究――難病のQOL評価から緩和ケアにむけて――」
「現代におけるQOL研究のもうひとつの潮流は、根治療法のない疾患に対するケア、すなわちわが国の難病ケア(nanbyo care)や緩和ケア(palliative care)において、ケアの目標をQOLの向上とすることが適切と考えられたことによる。つまり、現代医療によっても根治治療がない疾患は治癒できないにしても、QOLの向上をめざした適切なケアは可能であり重要であると考えたのである。しかし、根治療法のない分野でQOLをアウトカムとするためにQOL評価方法を確立することは容易でないことが明らかになった。緩和ケアは1967年に英国で公的健康保険であるNHS(National health service)とは別の無料のケア体系として開始され、現在においても費用の2/3は寄付でまかなわれている。このため費用対効果分析としてのアウトカム評価が厳密に求められる領域でなかったことが緩和ケアの質を深めることにつながった。日本では難病ケアが1972年に特定疾患治療研究事業として開始され、医療事業としてではなく研究事業としてのアウトカム評価であったために、むしろ難病ケアの質が高められたともいわれている。
QOL研究は医療経済上のアウトカム研究から行われてきただけでなく、神経難病や緩和ケア領域や慢性疾患のように根治療法のない分野において医療の質の向上や適切なケアをねがう観点で行われてきた。」(4)
「SF-36は人間の諸機能の評価尺度をあつめて"人間らしさ"を表そうとしている。しかし、神経難病分野のように障害による機能を補完できない状態の下で、適切なケアによって幸せに生きている人間の状態をQOLとして映し出すことはできない。」(6)
「EuroQoLでは死亡の効用値が0になる前提で量的変換が行われたが、重篤な障害を持つ患者が実際に答えると効用値はマイナスになってしまう。マイナスの効用値とは「死の状態より悪いQOL」を意味するが、答えた患者自身は現実には「死んだほうがましなQOL」とは思っていないことが問題である。データがあつめられ多変量解析モデルで数値計算された際に、重篤な患者データが含まれていなかったことと多変量解析の際に切片が0でなかったためと考えられる。つまり、健康な人はある状態を「死より悪いQOL」と想像するということが反映されたといえるが、実際の患者では異なっている。」(6)
「根治しない病気、障害を持って生きていく際には今までとは異なった価値観や生きがいが構成(construct)されていくと考えられる。また、QOLを自ら評価することを通して自分自身のQOLが構成(construct)されていくとも考えられる。この目的でアイルランドの王立外科病院のCiarran O'Boyleらの研究グループにより作成されたQOL評価尺度はThe Schedule for the Evaluation of Individual Quality of Life(個人の生活の質評価法、SEIQoL)である。」(7)
「緩和ケアの中では安楽死・尊厳死願望は自分自身が「生きるに値しない生命」になっていくことへのスピリチュアルペインとしてとらえられる。スピリチュアルペインに対して適切な緩和ケアを行うことが緩和ケアの仕事のひとつである。」(8)
「このような患者が本当に重要と思っていることは実際の死では決してなく、「病気や死への不安」や「QOLの低下に対する不安」の解消そのものである。このような場合に、緩和ケアや難病ケアでは死の自己決定以外の解消方法を考える。」(8)
「「自然死」願望もまた「生きるに値しない生命」になることへの不安を解消するための「安楽死」願望に類似しており、緩和ケアの中では対話を通してこの不安を解消し、病気や医療技術に対する偏見を減らす中で適切な医療法やケア内容を患者が選んでいけるように援助していく必要がある。緩和ケアにおいては"延命治療"という概念は最初から存在しえない。たとえば、緩和ケアの中では呼吸不全や呼吸苦に対しておこなう治療は気管切開人工呼吸療法であれ、非侵襲呼吸療法であれ、オピオイドであれすべて患者のQOL向上のための緩和ケア技術(palliation)であり、患者にとり、必要で適切なケアであるにすぎない。また、「生きるに値しない生命」はこの世には存在しないとするのが緩和ケアなのである。
緩和ケアの最終目標はquality of deathなのかquality of lifeなのかという問いがある。緩和ケアのアウトカムをgood death(良い死)と考え、quality of deathを高めるものと考えるのは完全な間違いである。緩和ケアは遺体に対するケアではなく、患者へのケア行為である。また、行為としての緩和ケアは象徴として、偶像としての死や生の質を高めるために行っているわけではない。Quality of deathの向上に対応する緩和ケアの対抗概念は死別に際して行う家族へのケア(Bereavement)の充実である。緩和ケアは前述のWHOの定義のように最高のQOLを得るためのケアすなわちgood lifeのためのケアそのものである。」(9)
豊浦保子「重度ALS患者のケアマネジメント事例の検討」
(日本ALS協会近畿ブロック副会長、(有)エンパワーケアプラン研究所取締役所長)
「B氏……
・B氏は「重症者入院施設確保事業」に登録していた。
・2か所の公的難病相談機関を通し、レスパイト先を探した。
・妻が区役所窓口に支援費の支給増を申請した(05年春)
・ケアマネージャーが区役所障害福祉課に頻回に相談。何度も足を運ぶが、良い回答は得られない。
・患者会から、市保険所の難病担当保健師にB氏の窮状を伝える。(05年11月)
総合的なそれらの結果か、時の経過か、12月中旬、面接調査なしに、日常生活支援の支給増の連絡があり、B氏の夜間介護(隔日)の時間数94時間を確保できた。」(155)
勇美記念財団 平成17年度一般研究助成
『在宅ALS患者と家族のための緩和ケアに関する調査研究 完了報告書』
申請者:川口有美子(NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 理事)
「日本では2003年(平成15年)、川村[佐和子]が全国の保健所に対して行ったALSの在宅における実態調査では、5771人がALSの申請を行っており人工呼吸器装着者は1530人、そのうち779人は在宅人工呼吸療養中と推測されている。」(12)
人工呼吸器導入のための社会的基盤
治療費の軽減など医療保険上の優遇措置
1996年の在宅人工呼吸器の医療保険適用によるレンタル開始
1998年に在宅人工呼吸器使用特定疾患患者訪問看護治療研究事業スタート
2000年以降支援費制度適応
「そうした結果、日本では全患者のおよそ3割が気管切開を伴う人工呼吸療法中で、その内800名ほどが長期在宅療養をおこなっている。だが、これは欧米からみれば驚異的な、理由のわからない数字でもあり、日本では一度つけた呼吸器は二度と外せないという法的背景と相まって、呼吸器装着者の支援を主に行ってきた患者会による「患者の権利」の侵害や、医師のパターナリズムの影響を憂慮する意見も聞かれるのである。
このことを海外からみれば、日本の行政が難病を定義し、さらに特定疾患として難病の中でも希少な疾患に研究対象を絞った上で、当該の研究者や医師に対して特別に研究費を助成してきた経緯こそが、実は人工呼吸療法が医学研究者によって促進され、患者の長生きが称揚された理由なのだとみるかもしれない。それはまた、難病研究事業こそが神経内科医のパターナリズムを強化し、真の「患者の権利」を剥奪してきたのだという見方につながるかもしれない。
だが、昨年2005年に筆者が橋本操(ALS患者)とおこなったTPPVによる人工呼吸療法中の患者31名に対するインタビュー調査の結果、回答を寄せた20名の患者は全員が呼吸不全を解決する人工呼吸器の機能を高く評価し、利用して初めてその価値や効果が分かるものとして、有効性を率直に認めているのである。そして、TPPVに踏み切るには、医者の積極的な姿勢も重要な因子であったと肯定的に捉える意見は少なくなかった。言ってみれば、日本では最初は神経医学の研究者や臨床医が呼吸不全の対症療法的に呼吸器を用いたとしても、躊躇いながらもそれを利用したALS患者が人工呼吸器を経験的に肯定して、後続の患者たちにその良さを伝えてきた結果、国の支援を引き出せるようになったのである。」(18-19)
「患者が自営するこうした事業所」(55)
岡部耕典『障害者自立支援法とケアの自律――パーソナルアシスタンスとダイレクトペイメント』(明石書店、2006年)
「日本の支援費制度においては、パーソナルアシスタンスのための給付とそれ以外のホームヘルプサービスの給付は共に居宅介護支援費であり、施設訓練等支援費と同じくケアワークの事業者による代理受領が基本とされており、また、利用者によるケアラーの直接的雇用は原則的にはできず10)、時間単価の設定や提供する便宜の内容についても、国の示す要綱の範囲を逸脱することはできない。」(107)
「10) ただし、「基準該当事業者」というかたちをとることで、利用者ひとりだけの事業所をつくることは可能である。また、障害当事者が事業主となる自立支援生活センターを事業所とすることで、実質的な雇用関係に近い関係を作っているのは周知のとおりである。日本の自立生活運動は、むしろ積極的にこのような現行制度と求める在り方の間に立ち媒介機能を構築することで、実質的なパーソナルアシスタンスの実現をめざしてきたといえる。さらに、その具体的な取り組みとしては、全国障害者介護保障協会の全国ホームヘルパー広域自薦登録協会(http://www.kaigoseido.net/ko_iki/)などがある。」(123-124)
「社会福祉協議会」「福祉公社」「民間事業」
「利用者と事業者の一体化」(115)
「検討すべきは、このような確認と再評価を前提としつつ、「利用者と事業者の一体化」がどのようなミッションに基づき、どのような機能を担っていくのかについてを再構成することであり、それは、具体的には、ダイレクトペイメントの利用を念頭におき、その機能を再編し強化することである。」(115)
「日本において、障害の種別を問わず、ケアの管理能力が充分ではない者も含めた広い範囲のパーソナルアシスタンス/ダイレクトペイメントを実現しようとするならば、自立生活センターが運営する事業所を、組織運営上の障害当事者のイニシアティブだけではなく、利用者を構成員とする組合として再構成すればよいのではないだろうか。もちろん、利用者協同組合の母体となりうるのは、全国自立支援センター連絡協議会(JIL: Japan Council on Independent Living Centers)が認定する狭義の自立生活センターだけでなく、ピープルファーストやALSなどの難病の当事者団体の運営するサービス事業所も含まれるべきである。一方で、利用者のエージェントという性格を担保するためには、利用者協同組合の形式をとらない営利団体や一般の福祉NPOが運営する居宅介護事業所等は、ダイレクトペイメントのための自律支援の提供主体として適当ではない。
そして、このような利用者協同組合の存在や機能は、パーソナルアシスタンス/ダイレクトペイメントの受け皿となるだけでなく、交渉決定モデルに基づく給付調整において懸念される利用者と自治体の非対称性や利用者の交渉能力の差を緩和する受給支援の役割を担うためにも重要である。」(138)
川口有美子「医療的ケアの拡大と近未来の在宅医療――欠かせない地域医療・訪問看護のボトムアップと当事者主体の介護体制」『季刊 福祉労働』(111, summer 2006)
「職能団体が本気で動き出せば、障害者福祉とは違った次元での目標「在宅医療の充実」が促進されることになる。」(26)
「利用者にとっては、サービス内容は細分化されないほうが使い勝手が良い。本人には、どの職種が何を担当するかということよりも、融通が利く人の確保が肝心で、それは痒い所がすぐに掻けるというような見守り介護から、合併症を予防し改善する専門的な医療サービスまで幅広く包括的に用意されるべきなのだ。だがサービスの提供者側では医療も福祉もそれぞれの領域を守ることが、財源を独自に確保することにつながる。だからこそ看護と介護の協同は非常に重要で、仕事を分担し互いに正しく評価しあうことである。それが結果として利用者のためになるのだから。」(26-27)
Deborah A. Stone, The Disabled State (Temple University Press, 1984)
Introduction: Disability in the Welfare State
Thus, this book focuses on disability as an administrative category in the welfare state, a category that entitles its members to particular privileges in the form of social aid and exemptions from certain obligations of citizenship. (4)
Medical certification has become the core administrative mechanism for a variety of redistributive policies. (4)
Many puzzling questions remain.
Why should the expansion of disability programs be such a pervasive phenomenon? ……Are we really to believe that, on balance, life in the 1980s is more disabling than life in the 1930s or even the 1950s?
If disability is a medical phenomenon, why should there be so much variety in the definition of disability in public programs, both from country to country and from program to program within the same country? ……
Why is there a trend toward the medicalization of social problems? ……
And finally, how can we explain the political backlash against the disabled (in the form of wholesale cuts in the disability rolls) when benefits for the handicapped would seem to be a classic "motherhood issue", one that no politician could afford to oppose? What could be lower than picking on a group of people unable to defend themselves? Why is the Reagan administration treating many disabled citizens as cheaters and subjecting them to much the same treatment as that given to AFDC mothers in the seventies? (12)
The answer to these questions is to be found neither in the details of program administration nor in population characteristics, but rather in the underlying concept of disability-based benefit programs. The very notion of disability is fundamental to the architecture of the welfare state; it is something like a keystone that allows the other supporting structures of the welfare system and, in some sense, the economy at large to remain in place. At the same time, the notion of disability is highly problematic. The problem, in brief, is that we are asking the concept of disability to perform a function it cannot possibly perform. We ask it to resolve the issue of distributive justice. (12-13)
The critical distributive problem for all societies is how to decide when people are so poorly off that the normal rules of distribution should be suspended and some form of social aid――be it from kin, neighbors, church, or state――should take over. In the modern societies with which we are familiar, this problem appears, crudely drawn, as a conflict between work and need as the basis of claims on resources. The essence of modern welfare state's approach has been to establish categories of need in order to determine who should be allowed to make need-based claims, and to provide for people in these categories out of public monies administered by state agencies. Thus childhood, old age, sickness, and disability became legally recognized as conditions entitling individuals to social aid. (13)
1 The Distributive Dilemma
The tension between the two systems based on work and need is the fundamental distributive dilemma. To resolve it, society must develop a set of rules to determine the boundaries of the two systems, rules that specify who is subject to each distributive principle and what is to be distributed within each system. There is no natural boundary between the two systems, no inherent definition of what constitutes need or who "belongs" in one system or the other. (17)
Disability is a formal administrative category that determines the rights and privileges of a large number of people. (27)
5 The Pressures for Expansion
Now, in the 1960s, 1970s, and 1980s, the fundamental economic conditions have changed; many welfare states are faced with a surplus rather than a shortage of labor. Rates of unemployment are relatively high, and the economies are incapable of accommodating the entire working age population in the labor force. Yet an ideology of work-based distribution persists and perpetuates a public ethic that "everyone should work".
In such situation, when ideology mandates that everyone should work but society cannot provide employment for large segments of its population, the dilemma can be reconciled by defining a higher proportion of the population as disabled. Because disability is the most flexible of the categories of the need-based system, it is the one most available for use in this fashion. An expansion of the definition of disability can reduce the pressures of unemployed workers on the work-based distributive system and at the same time preserve the legitimacy of the work ideology. (168)
6 The Political Dynamic of Disability Expansion
Who Benefits from a Flexible Disability Category?
The conventional analysis of disability expansion sees the program recipient as the prime beneficiary and presumably the instigator of program expansion. But there is a strong case that indeed much more powerful organizational interests benefit from flexibility and even expansion of the category: the state, employers, legislators, disability program agencies, and rehabilitation agencies all benefit from having a disability category they can manipulate. Thus, reforms aimed at curbing the use of programs by individuals would hardly seem to be an effective solution to the disability expansion problem. One has to question whether anyone other than budget officers and taxpayers――two notably diffuse constituencies――has any real interest in restraining the growth of the disability phenomenon. If disability expansion is really problem, one is hard put to say whose problem it is. (186)
Linda Ganzini and Susan Block, "Editorials: Physician-assisted death――a last resort?", The New England Journal of Medicine, May 23, 2002. Vol.346, Iss.21.
During the past decade, patients with the uncommon disease amyotrophic lateral sclerosis (ALS) have had a prominent role in the debate about physician-assisted suicide and voluntary active euthanasia. In Canada and Great Britain, patients with ALS have challenged legal bans on physician-assisted death. A widely viewed videotape of a patient in the Netherlands choosing euthanasia generated considerable controversy. In the United States, millions watched Jack Kevorkian euthanize Thomas Youk, a patient with ALS, on the CBS news program 60 Minutes.
Physician-assisted death may be an acceptable option of last resort for a very small number of terminal ill patients. At this point, we do not know what rates of physician-assisted death are appropriate. High rates would suggest that the procedure is not just being used as a humane approach to eliminating intractable suffering at the request of the patient. Rather, high rates could reflect deficiencies in the competence of health care practitioners, lack of access to suitable services, devaluation of the dying, or even pressures from others to end life prematurely. Judging from our clinical and research experience with patients with ALS and cancer, the rates of physician-assisted death that Veldink et al. report――10 percent among patients with cancer and 20 percent among patients with ALS――are unacceptably high.
Jan H Veldink et al., "Euthanasia and physician-assisted suicide among patients with amyotrophic lateral sclerosis in the Netherlands", The New England Journal of Medicine, May 23, 2002. Vol.346, Iss. 21.
Death is usually caused by respiratory failure unless ventilatory support is provided. Approximately 4 percent of patients agree to undergo a tracheostomy for long-term mechanical ventilation6.
[Reference]
6 Albert SM et al., "Prospective study of palliative care in ALS: choice, timing, outcomes", J Neuro Sci, 1999;169: 108-13.
ロラン・バルト『ラシーヌ論』渡辺守章訳(みすず書房、2006年)
第一部 ラシーヌ的人間(初出1960年)
「《外界》は、事実、非-悲劇の広がりである。そこには三つの空間が含まれている。すなわち、死の空間、逃亡の空間、《事件》の空間である。肉体の死は、決して悲劇的空間には属さない。それは適切さの規則に由来すると言われる(1)(アタリードは舞台上で自害するが、息絶えるのは舞台の外においてだ。仕草と現実の乖離をこれほどよく示した例はない。)。しかし、この規則が肉体の死においてしりぞけているのは、悲劇に異質な要素であり、一つの「不純さ」、掟に反する醜悪な現実の厚みである、なぜならそれは、言語の次元には属さず、しかも言語の次元のみが悲劇の唯一の次元なのだからである。悲劇のなかでは人は決して死なない、なぜなら人は常に語っているのだから。」(13)
「いかに多くのラシーヌ悲劇の犠牲者たちが、こうして、この悲劇の場によって守られなくなったために死ぬことか。もちろん、この場とは、彼らの言うところでは、死ぬほどの苦しみを与えるものにほかならないのであるが(ブリタニキュス、バジャゼ、イポリット)。この外界における死の本質を表わしている形象は――そこでは犠牲者が悲劇の空間の外で緩慢に息絶えていくのだが――、ベレニスのあのオリエントであり、主人公たちはそこで、非-悲劇のなかへと、いつ果てるとも知れぬ呼びかけに誘われていく。より一般的に言えば、ラシーヌ的人間は、悲劇の空間の外へと連れ出されると、苦痛なほどの倦怠を覚える。彼は現実の空間を、一連の鎖であるかのようにして駆けめぐる(オレスト、アンティオキュス、イポリット)。苦痛なほどの倦怠とは、ここでは明らかに死の代替物である。言語を停止せしめる行動はすべて、生を停止させるのだから。」(14)
「外界の第三の機能……行動を、一種の検疫隔離所に閉じ込めておくことであり、そこに立ち入ることが許されているのは、事件を選りわけ、一つ一つの事件から悲劇的本質のみを抽出し、舞台には、報せという形で純化され、語りという形で高貴なものとなった外界の断片(戦争、自殺、帰還、殺人、祝典、奇跡)だけをもたらす役割を帯びた、中性的で無色透明な人物群のみなのである。」(15-16)
「これが悲劇の主人公の、第一の定義である。すなわち、彼は閉じ込められた者、死ぬことなくしては外へ出ることのできない者である。彼の限界こそが、彼の特権であり、囚われの身であることが、彼を他と区別する優越性なのである。召使いの集団を除けば(彼らを定義づけるのは、逆説的にその自由なのだが)、悲劇の場に何が残るのか。おのれの不動性の度合に応じて、栄光の高まる特権階級である。では彼らは、どこから来たのか。」(17)
「ラシーヌ劇の主人公が身体的錯乱に頼るときは、必ず悲劇的不誠実の指標なのである。主人公は悲劇を、策略を用いて逃れるのだ。これらの行動がすべて、悲劇的現実を裏切ることを目指しているのは事実だし、それは責任放棄である(と言っても、これもまた両義的なのであり、悲劇の責任を放棄するとは、世界に再び戻ることかも知れない)。このような行動は、死を装うことだが、それは逆説的な死であり、有用な死である、というのもそこから人は、戻って来られるからである。もちろん惑乱は、悲劇の主人公の特権であり、それは彼だけが力関係に組み込まれているからにほかならない。腹心の部下たちは、主人の動揺に与ることもあり得るが、多くの場合は、それを鎮めようと努める。しかし彼らが、動揺の祭儀的言語を所有していることは決してない。女中が気を失うことは、ないのだ。」(32)
「臣下にとっての第二の武器は、死ぬと言って脅すことである。悲劇が、挫折というものの深い次元における表現でありながら、しかも至上の挫折と考えられるはずのもの、つまり死が、そこでは決して真面目なものではないということは、はなはだ手の込んだ逆説である。死はここでは、一つの名辞であり、一つの文法の構成要素、一つの異議申し立ての用語=項目である。非常に多くの場合、死は、一つの感情の絶対的な状態を指し示す一つのやり方にすぎず、絶頂を意味させるための一種の最上級、ひたすら話を大袈裟にするための言語表現にすぎない。悲劇に登場する人間たちが、いかに軽々しく死の観念を弄ぶかを見ると――現実に死を実行するよりも、はるかに多くの場合、死を予告するだけなのだが――、それは、まだ幼児的な人類の状態、つまり人間というものが完成しきっていない状態を思わせもするのだ。このような死の修辞学に対しては、人が人間を高みに置けば置くほど、死は恐ろしいものとなるというキェルケゴールの言葉を対置すべきである。悲劇における死は、恐るべきものではない。多くの場合それは、空虚な文法的一範疇である。それにまた、死は、死ぬという行為と対立する。ラシーヌ悲劇には、持続である死は一つしかない。フェードルの死である。他のすべての死は、実際には恐喝であり、攻撃の仕掛けの部品なのである。
まず第一に、求めて得ようとする死がある。いわば慎ましい自己犠牲であり、その責任は、偶然に、危険に、神格に負わされて、多くの場合、戦士たる英雄的態度の利点と、引き延ばされた自殺の利点が組み合わされている。アンティオキュスとオレストは、幾年にもわたって、死を、戦闘に、海上に捜し求めた。アタリードは、ロクサーヌに殺されてもよいと言ってバジャゼを脅迫する。クシファレスは、モニームへの恋が許されない以上、戦場で身を危険に曝そうと願う、等々。このように人が追い求める死のさらに秘かな変形は、あまり科学的でない病理学によって想像されている、あの神秘的な最期であり、それは耐え難い苦痛に至高の栄冠を与えかねないものだ。すなわち、病気と自殺のあいだにある中間的な死である(7)(「その後で、生きながらえることができるかどうか、それは知らぬ。」(『ベレニス』二幕二場))。事実、悲劇は、断絶である死と現実の死とを区別している。主人公は、それまでの情況を断ち切るために死のうと望むが、まさにこのような意志を、彼はすでに死と呼ぶのである。それ故、悲劇は、死が複数形で活用される奇妙な次元となるのだ(8)(「〔凶々しい苦しみは〕この身を奥津城へと急がしめることもなく、かほど多くの酷たらしい死を、耐え忍べと言うのか」(『ラ・テバイッド』三幕二場))。」(54-55)
「主人公は必ず、おのれの死を語る余裕があるのだ。キェルケゴールの主人公とは反対に、古典劇の主人公は、決して最後の台詞なしにこの世を去ることはない(反対に、本物の死、つまり舞台の背後で生じる死が必要とするのは、考えられないほどの短い時間である)。」(56)
「結局のところ、悲劇における唯一本物の死は、送り込まれた死であり、暗殺である。エルミオーヌがピリュスを殺させ、ネロンがブリタニキュスを、アミュラ(あるいはロクサーヌ)がバジャゼを、テゼーがイポリットを殺させる場合、死は抽象的であることをやめる。その時はもはや言葉が、死を予告したり、謳い上げたり、あるいはその悪魔祓いをしたりするのではない。」(56)
「ラシーヌ悲劇のカップル(死刑執行人と犠牲者のそれ)は、荒涼とした、人の住まぬ宇宙で葛藤する。おそらくはこの抽象性が、純粋に情念だけの演劇という伝説に信憑性を与えてきたのである。ナポレオンはラシーヌを好まなかったが、それは、ラシーヌのうちに色褪せた恋愛物作家しか見なかったからだ。ラシーヌ悲劇のカップルの孤立性を測るには、コルネイユを考えてみれば充分である(またも果てしない両者比較論を始めることになるのを承知の上でだ)。コルネイユにおいては、世界は(それは、社会よりはるかに広くまた拡散した現実という意味でだが)、まさに世界はカップルの二人を、生き生きとした形で取り囲んでいる。それは障害でもあり報酬でもあり、要するに価値である。ラシーヌにおいては、二人の関係は社会からの反響を持たず、純粋に独立性を保つという人為的技巧のなかに確立している。その関係はいわば「靄って」いる。どの人物も、密接な関係を持つのはただ相手の人物だけだと思う――つまり自分だけが問題なのだ。」(60)
「ラシーヌ悲劇における世界は、事実、審判の機能を持っている。それは主人公を観察し、彼を処分するといって絶えず脅迫するので、主人公のほうは、人が何と言おうかという心理的恐慌状態において生きることになる。」(61)
「要するに、ラシーヌの主人公にとって世界は、恐怖の的であると同時に逃げ口上ともなる、世論である。」(62)
「ラシーヌ悲劇の活用形に欠けている人称が一つある。「我々は(nous)」である。」(62-63)
「悲劇的見世物の組織者としての神は、《運命》という名を持つ。今や、ラシーヌ悲劇の《運命》が何であるのかが、理解できる。それは完全には神と同じではなく、神のこちら側にあるもの、神の悪意をはっきり名指して言わぬための、一つの方便である。……悲劇の主人公は《運命》の予測不可能性そのものを予見しており、《運命》を、一つの形式として、一つのマナとして、逆転の起こる特権的な場として、現実に生きるのであり、みずからすすんでこの形式のなかに吸収されて、自分自身を純粋かつ持続的な形式と感じるのだが、まさにこの形式主義こそが、神を敬虔に遠ざけつつ、しかも神を離れないでいることを、可能にするのである。」(77-78)
「こうして悲劇は、本質的に神を裁く裁判であるが、しかしそれは際限のない裁判であり、中断され、逆転した裁判なのだ。ラシーヌのすべては、子供が父親は悪人であることを発見して、なおかつその子供に留りたいと願う、あの逆説的な瞬間に含まれている。この矛盾に対して、出口は一つしかない(そしてまさに悲劇がそれなのだ)。つまり息子が、《父》の罪過を引き受けること、被造物の有罪性が、神を免罪するのだ。《父》は、正当な理由なしに打ちのめす。彼の下す攻撃が正義になるためには、過去に遡って、その攻撃に値する人間になりさえすればよい。《血》とはまさに、このような遡行的運動の担い手なのである。悲劇の主人公は誰でも、無実に生まれついていると言える。彼は、神を救うために、自らを罪あるものとするのだ。ラシーヌ悲劇の神学は、転倒した贖罪である。人間が、神の犯した罪を贖ってやるのだ。今や、《血》の――あるいは《運命》の――機能が何であるかは明らかであろう。それは人間に、罪ある者となる権利を与えるのだ。主人公の有罪性は、機能上の必然である。」(78)
訳注「反-悲劇としての「沈黙」が支配するのは、同時代演劇としては、ベケットの『ゴドーを待ちながら』などがある。」(103)
クロード・ベルナール「アメリカ産毒物に関する生理学的研究」
(1864年9月1日 La Revue des Deux Mondes)
三浦岱栄編訳『クロード・ベルナール文選集 上』(シャムハトプレス、2005年)
「毒物は生命を破壊するためにも病気をなおすためにも用いることができる。この二種の用法はあまねく知られているが、とくに生理学者の興味をひく第三の用法がある。生理学者にとって、毒物は生物体の最も微妙な現象を分解するための道具となるのである。」(113)
Cf. Lecons sur les effets substances toxiques et medicamenteuses 1856.
「これらの毒のうちで私が最初に実験的研究をなし得たのはクラーレcurareである」(113)
「矢毒」
「クラーレは1595年ウォルター・ローリーがギアナを発見して以来知られている。」(114)
「クラーレによる死の徴候は特殊の形態を有し、これについては観察者の意見はすべて一致している。
これらの徴候を小鳥において認めることはほとんど不可能である。なぜなら、小鳥は時として数秒間で死に至るからである。ところが、大型の鳥、哺乳類および冷血動物にこの毒を多量に用いる時は、大体5分ないし12分の間に死ぬのである。」(114)
「動物はもだえたり苦しんだりする様子を見せない。彼らは進行的な麻痺状態に陥り、次々に生命的機能を失うのである。これがクラーレによる死の特徴である。」(115)
「このようにどの記述を見てもクラーレによる死は苦痛のないものである。ただ眠るように生から死へ移るように見える。しかるに実際は決してそうではない。うわべの様子は人を誤るものである。……研究を行うと、クラーレによって実に安らかに苦しむことなく死ぬように見えたのが、実は人間が想像し得る限りの最も恐ろしい苦痛を伴うものであることを知るのである。」(117)
「1844年に私はクラーレについての最初の実験を行った。私は一匹の蛙の背中の皮膚の下に乾いたクラーレの小片を挿入して、この動物を観察した。最初のうち蛙は前と同じように極めて活発に飛んだり跳ねたりしていた。それから静かになった。5分たつと前足ががっくりと折れ、体は平たくなって段々にのめって行った。7分後には死んでしまった。すなわち蛙はやわらかくなり、皮膚をつねっても何らの生命的反応を示さなかった。」(117)
「解剖を生理学的に行うならば、すなわち死んですぐに動物を切り開くならば」(118)
「私は毒殺された蛙を開いて、その心臓がまだ鼓動しているのを見た。その血液は空気に触れて赤くなり、正常の生理学的特性を示していた。私は次にこれに電気をかけた。神経および筋肉の細胞に対して生理学的反応を起させるには電気が最も適当な刺戟だからである。電気は直接筋肉の上にかけられ、体のすべての部分に猛烈な収縮を生ぜしめた。しかし神経それ自身に電気をかけても、もはや何の反応も見られなかった。神経、すなわちこれを形作るところの神経線維は完全に死んでいたわけである。これに反して他の筋肉、血液、粘膜等の有機的要素は十分に生きており、死後長時間にわたってその生理的特性を保持していたのである。この事は冷血動物においてとくに著しい現象である。
筋肉を収縮せしめる神経要素の死が生物体全体の死をもたらし、すべての運動が次第に失われて行くのであるということは、今や容易に理解できる。呼吸運動の停止は循環系における瓦斯交換を妨げるため、とくに先の結果を生ずる。この瓦斯交換は我々の身体を形作るすべての有機的要素の生命を維持するために欠くべからざるものである。心臓が依然としてその運動を続けているのは、それが他の筋肉のように神経系に影響されないことを示すものである。この事は新しくいうまでもない。またハルレルが心臓を「最初に生きprimum vivens最後に死ぬultimum moriens器官」と称したのはこれがためである。なおまたクラーレが神経要素を殺して筋肉要素に害を加えないというこの特性は、いわゆる「ハルレルの刺戟性」と称する問題を解決した。すなわち筋肉の収縮という特性は、これを刺戟する神経の特性とは別物であることが証明されたのである。なぜならこの毒物はたちまち神経と筋肉とを分けてしまうからである。」(119-120)
「哺乳類または人間がクラーレの毒にやられると、智慧、感覚および意志は毒に侵されることがない。けれども次々に運動の道具が失われ、これらの道具は感覚や意志のいうことをきかなくなるのである。我々の能力を最もよく表現する運動は最初に失われる。最初は声と言葉、次は四肢の運動、顔面と胸の運動が消える。普通の死人の場合と同じように、目の運動は最後まで残るのである。
智慧の働きを助けることを役目とする(これはボナルトの言葉である)すべての器官が次々に失われて行くのを見ながら、智慧は生きながら一箇の屍体の中にとじこめられるのである。これ以上恐ろしい苦しみがあるだろうか。古今の詩人は我々に憐みの情を起させるため、感覚をもっている人間が植物や岩に変えられたことを想像した。感覚を具えたもの、すなわち快楽と苦痛を感ずることのできるものが、苦痛を避け快楽を追求する力を奪われた時ほど悲惨なことはない。詩人たちが想像した恐るべき刑罰はアメリカ毒の働きによって自然界に再現されているのである。」(122)
「これらの実験から生ずる生理学的結論は極めて明瞭である。知覚神経細胞、運動神経細胞および筋肉細胞はそれぞれ独立しているのである。」(123)
キェルケゴール『死に至る病』斎藤信治訳(岩波文庫、1939年)
Kierkegaard, Sygdommen Til Doden, 1849
Die Krankheit zum Tode, uebersetzt von H. Gottsched und Chr. Schrempf
「キリスト教的なるものの一切の叙述は医者の臨床講義に似たものを持っていなければならない。」(11)
「絶望は本書全体を通じて病として理解されているので、薬として理解されているのではないということをここではっきりと注意しておきたいのである。絶望はそれほど弁証法的なものなのである。同じように死もまたキリスト教の用語では精神的な悲惨の絶頂を示す言葉なのであるが、しかも救済はまさに死ぬことにおいて、往生において、成立するのである。」(13)
「この病は死に至らず」(ヨハネ伝十一・四)
「おお、されど、もしキリストがラザロを甦らしめなかったとしても、この病が、いな死そのものさえもが、死に至るべきものでなかったということは同様に真ではないであろうか?」(15)
「一体人間的にいえば死はすべてのものの終りである、――人間的にいえばただ生命がそこにある間だけ希望があるのである。けれどもキリスト教的な意味では死は決してすべてのものの終りではなく、それは一切であるものの内部におけるすなわち永遠の生命の内部における小さな一つの事件にすぎない。キリスト教的な意味では、単なる人間的な意味での生命におけるよりも無限に多くの希望が、死のうちに存するのである、――この生命がその充実せる健康と活力のさなかにある場合に比してもそうである。
それ故にキリスト教的な意味では、死でさえも「死に至る病」ではない。いわんや地上的なこの世的な苦悩すなわち困窮・病気・悲惨・艱難・災厄・苦痛・煩悶・悲哀・痛恨と呼ばれるもののどれもそれではない。それらのものがどのように耐え難く苦痛に充ちたものであり、我々人間がいな苦悩者自身が「死ぬよりも苦しい」と訴える程であるとしても、それらすべては――かりにそれらを病になぞらえるとして――決してキリスト教的な意味では死に至る病ではない。」(16-17)
「この世的なるものについて、更には死そのものについてさえもかくも超然たる考え方」(17)
「絶望は優越であろうかそれとも欠陥であろうか? 純粋に弁証法的にいえばそれはどちらでもある。…….この病に罹りうることが人間が動物よりも優れている点である。この病に着目していることがキリスト者が自然人よりも優れている点である。この病から癒されていることがキリスト者の至福である。」(23)
「「死に至る病」というこの概念は特別の意義のものと考えられなければならない。普通にはそれはその終局と結末とが死であるような病の謂いである。そこでひとは致命的な病のことを死に至る病と呼んでいる。こういう意味では絶望は決して死に至る病とは呼ばれえない。それにキリスト教の立場からすれば、死とはそれ自身生への移行である。その限りキリスト教においては地上的な肉体的な意味での死に至る病などは全然考えられない。むろん死が病の終局に立っているにはちがいないが、しかしその死が最後のものなのではない。死に至る病ということが最も厳密な意味で語らるべきであるとすれば、それは、そこにおいては終局が死であり死が終局であるような病でなければならない。そしてまさにこのものが絶望にほかならない。
だが絶望はまた別の意味で一層明確に死に至る病である。この病では人は断じて死ぬことはない(人が普通に死ぬと呼んでいる意味では)、――換言すればこの病は肉体的な死をもっては終らないのである。反対に、絶望の苦悩は死ぬことができないというまさにその点に存するのである。絶望は死病にとりつかれている者に似ている、――この者はそこに横たわりつつ死に瀕しているのではあるが、死ぬことができないのである。かくて「死ぬばかりに病んでいる」というのは死ぬことができないという意味であるが、といっても生きられる希望がなおそこにあるという意味ではない、――いな、死という最後の希望さえも遂げられないほど希望がすべて失われているのである。死が最大の危険であるとき、人は生を希う。彼が更に怖るべき危険を学び知るに至るとき、彼は死を希う。死が希望の対象となる程に危険が増大した場合、絶望とは死にうるという希望さえも失われているそのことである。」(28)
「絶望者は自己自身を食い尽くそうとして果しえぬ無力性を尖端としていよいよ深く自分のなかに孔を穿って進むことになるのである。絶望者にとっては絶望が彼を食い尽くさないということは何等の慰めでもない。その逆に! この慰めこそかえって「虫の死ぬることがない」という彼の苦悩なのである。自己自身を食い尽くすことも自己自身から脱け出ることも無に帰することもできないことの故にこそ彼は絶望したのである。いな絶望しているのである。」(29-30)
「肉体は肉体の病によって食い尽くされることがあっても、魂は魂の病(罪)によって食い尽くされることはありえないという点から、ソクラテスは魂の不死を証明した。同様に我々は、絶望は人間の自己を食い尽くすことができないものであり、そしてそのことにこそ絶望の自己矛盾的な苦悩が存するという点から、人間のうちに永遠者の存することを証明しえよう。もし人間のうちに永遠者が存しなかったならば、人間は絶望しえなかったであろう。絶望がもし人間の自己を食い尽くしえたとするならば、人間は絶望する必要がなかったであろう。
かくて絶望、自己におけるこの病、は死に至る病である。絶望者は死病に罹っている。人が普通に病についていうのとはまるで違った意味で、この病は人間の一番尊い部分を侵蝕した、――しかも彼は死ぬことができないのである。そこでは死は病の終局ではなしに、むしろ終ることのない終局である。死によってこの病から救われることは不可能事である。病とその苦悩、そして死、――ああ死とはここでは死ぬことができないというそのことにほかならないのである。」(33-34)
「誰かが気絶した場合には、我々は水やオードコロンやホフマン氏液を持ってくるように叫ぶ。だが誰かが絶望せんとしている場合には、「可能性を創れ! 可能性を創れ!」と我々は叫ぶであろう。可能性が唯一の救済者なのである。可能性! それによって絶望者は息を吹き返し、蘇生する。可能性なしには人間はいわば呼吸することができないのである。時には人間の想像の発明力だけで可能性が創り出されることもありうる、――だが結局は、神にとっては一切が可能であるということのみが救いとなるのである。すなわち結局は信仰が問題なのである。」(62)
「信仰者は絶望に対する永遠に確かな解毒剤――すなわち可能性――を所有している。なぜなら神にとってはあらゆる瞬間において一切が可能なのであるから。健康とは矛盾を解消する能力である。この場合矛盾とは、人間的には破滅が確実であるにもかかわらず、しかもなお可能性が存在する、というそのことにほかならない。一般に健康とは矛盾を解消しうる能力である。たとえば肉体的に或いは生理的にいってそうである。呼吸は矛盾である。なぜなら呼吸は分離せるないし非弁証法的なる冷と湿とであるから、――しかし健康な身体はこの矛盾を解消しているので、呼吸を意識しない。信仰もまたかくの如きものである。」(64)
「可能性の欠乏は、一切が必然的であるということかないしは一切が日常的になったということかのいずれかを意味する。」(64)
「決定論者・宿命論者は絶望しており、絶望者として自分の自己を喪失している、――なぜなら彼にとっては一切が必然性であるから。あたかも彼は、一切の食物が金に変えられたために餓死したというあの王様に似ている。人間は可能性と必然性との綜合である。だからしてそういう人間の存続は、吸う息と吐く息とから成る呼吸作用になぞらえられよう。決定論者の自己は呼吸することができない。ただ単に必然的なものだけを呼吸することは不可能なのであり、もし必然的なものだけが純粋にとりだされてきた場合には人間の自己は窒息させられるほかないであろう。――宿命論者は絶望し、神を喪失し、かくて自分の自己を喪失している、――神をもたぬものはまた自己をももたぬからである。さて宿命論者は神をもっていない。或いは同じことであるが、彼の神は必然性である。もともと神のとっては一切が可能であるということは、一切が可能であるというそのことが神だということである。それ故に宿命論者の礼拝はせいぜいのところ一つの間投詞であり、本質的には沈黙、沈黙の服従である。宿命論者は祈ることができない。祈ることもまたひとつの呼吸である、――可能性と自己との関係は酸素と呼吸との関係のようなものである。ところで人間が単に酸素とか窒素とかだけを呼吸することができないように、可能性だけや必然性だけで祈りの呼吸を生ぜせしめることもできない。祈りには神と自己と、それから可能性がなければならない。いい換えれば含蓄ある意味においての自己と可能性とがなければならない、――神とは一切が可能であるという意味であり、或いはまた一切が可能であるということが神を意味しているからである。」(64-65)
「自殺によって現存在から脱出しようとすることは実は精神にとっては罪の絶頂(神への反逆)である」(75)
「さて絶望して彼自身であろうと欲するところのかかる苦悩者のうちに、意識がより多く存在すればする程、それだけまた絶望の度も強くなってそれはついに悪魔的なるものにまで至る。悪魔的なるものの根源は普通次のようなものである。絶望して自己自身であろうと欲するところの自己は、いかにしても自分の具体的自己から除き去ることも切り離すこともできない何等かの苦悩のために呻吟する。さて当人はまさにこの苦悩に向って彼の全熱情を注ぎかけるので、それがついには悪魔的な狂暴となるのである。」(118-119)
「この種の絶望は世間では稀なもので、本来ただ詩人のもとでのみ、すなわちその作品中の人物にいつも「悪魔的な」観念性(この言葉の純粋にギリシア的な意味において)を賦与するところの真実の詩人のもとにおいてのみ見出される。」(120)
「彼は全存在に向って反抗することによって、全存在を、全存在の好意を、反駁しうる証拠を握っているつもりでいるのである。絶望者は自己自身その証拠であると考えているのである。彼はその証拠であることを欲する、――それ故に彼は彼自身であろうと欲するのである、すなわち自己の苦悩をもって全存在を拒絶しうるように苦悩をもったままの彼自身であろうと欲するのである。弱さに絶望している者が、永遠が彼にとって慰藉であることなどに耳を傾けようと欲しないように、強情における絶望者もまた永遠の慰藉などには耳を傾けようとは欲しないのであるが、その理由は異なっている、――後者は実に全存在に対する抗議たらんとしているのであるから、慰藉などはかえって自己の没落となると考えるのである。比喩的に語るならば、それはいわば或る著作家がうっかりして書き損ないをしたようなものである。この書き損ないは自分が書き損ないであることを意識するにいたるであろう、(もしかしたらこれは本当はいかなる書き損ないでもなしに、遥かに高い意味では本質的に叙述全体の一契機をなすものであるかもしれない、)さてこの書き損ないはその著作家に対して反乱を企てようと欲する、著作家に対する憎悪から既に書かれた文字の訂正されることを拒否しつつ、狂気じみた強情をもって彼は著作家に向ってこう叫ぶのである、――「いや、おれは抹消されることを欲しない、おれはお前を反駁する証人として、お前がへぼ著作家であることの証人として、ここに立っているのだ。」」(122)
「絶望のなかで彼は宗教的なるものに向って燃えるような渇望を抱いているのである。彼の葛藤は本来次のようなものである、――自分は召されたるものなのであろうか? 肉体の刺は自分が或る異常なことに用いらるべきものだということの徴なのであろうか? 自分の身に成り出でたこの異常なものは神の前には全然正常なことなのでもあろうか? それとも肉体の刺は、自分が人間一般の立場に到達しうるためにそのもとにへりくだるべきものなのであろうか? ――だがもう沢山であろう。真理の語勢を借りて、著者はこう語ることができる、――おれは誰に向って話かけているのか? n乗冪のこんな心理学的研究に誰が関心をもっていると思うのか?」(126-127)
エーリヒ・アウエルバッハ『中世の言語と読者――ラテン語から民衆語へ』小竹澄栄訳(八坂書房、2006年)
Erich Auerbach, Literatursprache und Publikum in der lateinischen Spaetantike und im Mittelalter (Francke, 1958)
第T章 謙抑体(sermo humilis)
「キリストの復活と普遍的よみがえりに関する教えと固く結びついたキリストの肉体性に対する固執は、異端派にも異教の教義にも見られる純粋に唯心論的な傾向と闘ううちに、そこから生じてきたのであった。受肉へのへりくだり全体は神性に矛盾することによって初めてその重要さを完成させる。これがキリスト教教義のパラドクシカルな主要アンチテーゼの本質をなすのである。つまり、人と神、下劣と崇高、<humilisとsublimus>。想像を絶した測りがたい深淵と高み、<至高の謙抑peraltissima humilitas>。」(47-48)
「キリストのhumilitasがプラトン主義の肉体を軽視した<高慢superbia>に対置されている」(48)
補遺 受難の栄光(gloria passionis)
「<パトス>(ラテン語ではパッシオー)という語は本来、特にアリオストテレスにおいては(病や禍などに)見舞われた状態、とりつかれた状態を意味している。この語は全くのところ、受苦、受動性という特性をもっており、倫理的にも中立である。誰も自分の<パテー>(受苦、身に降りかかったこと)のために誉められたり叱責されたりすることはありえない。ストア派のモラルによってようやく<パッシオーネース>は、賢者の安らぎを破る不安、あてどなく動かされ駆り立てられることと化すのである。それゆえパッシオーという語にはきわめて悪化した意味が含まれる。この世の営みに内面を揺り動かされるのは、可能な限り一切避けるべきである。少なくとも内面において世界に対処してはならないし、この世に心乱されてはならない。<非受動的であること、感情に動かされないことimpassibilis>が賢者の義務である。<能動actio>の逆という本来の意味がこのように薄れてゆき、パッシオーは<理性ratio>の反意語となる。動揺したパッシオーネースと対立するのが理性の安らぎである。」(73)
「根本的にいえば両者[ストア派のモラルとキリスト教のモラル]は当時すでに異なっていたのである。というのも、キリスト教著述家たちがパッシオーネースに対置したのは、賢者の安らぎではなく不正への屈服であったからだ――受苦と激情を避けるために世界から逃避するのではなく、苦しみながら世界を克服することが彼らの意図するところなのである。ストア派の遁世とキリスト教のそれとは根本的に異なる。世界の外部にあって激情をもたないという零点ではなく、世界内での、ひいては世界に対する対抗的受苦、激情による受苦が、キリスト教的厭世の目標である。肉に対して、この世の悪しきパッシオーネースに対して彼らが対置するのは、ストア派のアパティアではないし、たとえば理性の調停によってアリストテレスの中庸を得るための<よい情念>(前述のbonae passiones)でもない――全く新しい何か、前代未聞のことなのだ。つまり、燃え上がる神の愛から発した<栄えあるパッシオー(受難)gloriosa passio>なのである。<感情に動かされないimpassibilis>人が完全というわけではない。<すべてにおいて完全な人perfectus in omnibus>とは、<もはや肉がパッシオーの栄光から呼び戻すことのできない者quem caro iam revocare non posset a gloria passionis>のことであると、アンブロシウスは『「ルカによる福音書」釈義』(一〇・一七七、PL 15, 1848)のなかで語っている。スキリウムの殉教者たちは刑場に連れていかれるとき、こう叫ぶ(『ボランドゥス聖人伝選集』八巻八頁)。「御名によって私たちを栄えあるパッシオー(受難)へとお導きくださる神に感謝します。」(Deo gratias, qui nos pro suo nominee ad gloriosam passionem perducere dignatus est.) (75)
ドゥルーズ『狂人の二つの体制1983-1995』宇野邦一他訳(河出書房新社、2004年)
「内在――ひとつの生……」(初出1995年)
「内在とは何か。ある生……超越論的なものの指標として不定冠詞を理解しつつ、ディケンズほど見事に、ある生とは何かを語った者はいない。極道が一人、皆が侮辱し相手にしない悪漢が一人、瀕死状態に陥って運ばれてくる。介抱にあたる者たちはすべてを忘れ、瀕死者のほんの僅かな生の兆しに対し、一種の熱意・尊敬・愛情を発揮する。皆が瀕死者を救おうと懸命になるので、悪漢は昏睡状態の底で、何かやさしいものがこんな自分の中にも差し込んでくるのを感ずる。しかし、だんだんと生に戻るにつれ、介抱に当たった人びとはよそよそしくなり、悪漢は以前と同じ下劣さ、意地悪さに戻ってしまう。この男の生と死の間には、死とせめぎあうある生のものでしかない瞬間がある」(RF361/298)。
「幼子はみな似たり寄ったりで、幼子には個体性(individualite)はほとんどない。しかし、幼子たちには、諸特異性が、ある笑み、ある仕草、ある渋面が、主観的特徴のない出来事がある。純粋な力能である内在的な生が、痛みや弱さを通じた至福でさえある内在的な性が、乳児たちを横切っている」(RF363/299)。
<補足資料>
厚生省保険局編『健康保険三十年史』(下巻、昭和三十三年)
昭和一七・二・一(昭和一七年令三五号)
「処置、手術その他の治療について一回二〇円の制限廃止。(実際は、診療契約により昭和四年度より実施していなかつた)」(98)
診療方針の改正:
昭和一六・七・一(昭一六・六二〇社発八二七号保険院社会保険局長通ちよう)
「治療制限疾病の撤廃」(100)
「これら診療方針の制定および改正の経緯は次のとおりである。
すなわち、まず昭和三年に歯科を除く一般の診療方針がはじめて定められた。それは、昭和三年度における政府と日本医師会との診療契約にあたり、日本医師会は診療報酬六割増の要求を行なつたが、政府は財政的にその要求に応ずることができず、むしろその際診療報酬の分配内容について、地方により一点単価に非常な高低のあることが問題となつた。そして保険診療の規格化、あるいは標準化を試みることによつて、報酬分配の公正化をはかり、併せて保険医の診療に一定の指針を与えることが必要とされ、その目的をもつて、日本医師会との契約書中に「保険医は政府の定める診療方針に従い診療に従事する」ことが挿入決定された。この契約の規定に基いてはじめて診療方針が制定された。昭和十一年十月、診療方針の一部が改められた。それは昭和三年に定められた診療方針のはじめに、「健康保険の診療は必要の範囲ならびに限度において、これを行うべく経済的にして、しかももつとも適切なることを要す」とあつたため、保険医の中には、その「経済的」という字句にとらわれ、とにかく保険診療がゆがめられ、必要な診療もこれを行わないような傾向が生じ、粗診粗療のことが議会でも論議されるようになつたからである。そこで、これを改正して「経済的」という字句を削り、保険診療が労働力回復のためであること、および保険診療は必要の範囲ならびに限度においてこれをなし、みだりに患者の希望に応ずべきでないことなどを明らかにした。……こうした診療方針の緩和的改正ということの背景には、昭和九年頃から、健康保険の財政が、ようやく均衡をたもてるようになつたことも見逃すわけにはいかない。」(100-101)
「昭和十六年七月に、第三次の診療方針の改正が行われた。それは昭和十三年一月に、厚生省が新設され、保険院社会保険局に「健康保険医療規格調査会」が設けられ、いわゆる適正なる保険診療のあり方について、調査研究が行われたからである。その結果、上顎●炎、虫様突起炎、尿道淋の治療標準などが定められた。しかしこうした適正化の努力にもかかわらず、保険診療が制限診療であり、粗診粗療であるという声は絶えなかつた。したがつて、こうした保険診療に対する社会的な不評を是正する意味と、昭和十五年六月一日より実施せられた職員健康保険法の円満な普及という立場からして、この診療方針が改正された。
この改正において注意すべき点は、これまで診療方針に定められていた、保険事故の範囲外とする傷病名の具体的例示を廃し、それが「先天性たると後天性たるとを問わず、医師として治療を要すると認めた程度の傷病」に対しては、すべて保険診療をすることとなり、保険診療は単に労働力の回復ということにのみ捉われるものでないことを明らかにしたことである。そして保険診療に対するこの基本的な考え方は現在にまでおよんでいる。
その後、昭和十七年の法改正(昭一七・二・二一法律三八号)により保険医制度が根本的に改められた結果、この診療方針は、契約に基かずして厚生大臣が定むることとなり、「健康保険保険医療担当規定」(昭一八・三・一二厚生省告示一〇五号)の中に含まれることになつた。しかしその内容は、昭和十六年に改正された診療方針が殆んどそのままとりいれられ、戦時中はそれが踏襲された。」(102)
佐藤進『医事法と社会保障法との交錯』(勁草書房、1981年)
「拠出、給付による保険制度と税による公費負担制度との関係」(11)
「人権保障に即した医療受給権――小川政亮教授の社会保障権の発想を借用すると、医療受給に関する手続的権利、実体的な権利内容、医療紛争に関する争訴権の確保、著者はこれに加えて医療行政への運営参加権の保障になろうか――」(27)
「第1表 医療給付のための主要関係法制度と給付内容」(28-29)
社会保険方式
――「治療」現物あるいは出産費・療養費補償
・五人以上被用者雇用企業対象――健康保険法(大一一・法七〇号)
・日雇労働者対象
・船員対象
・国家公務員対象
・地方公務員対象
・私立学校教職員対象
・公共企業体職員対象
・地域住民・五人未満被用者雇用企業対象――国民健康保険法(昭三三・法一九二号)
・民間勤労者対象
公費負担方式
――「治療」現物あるいは「出産費」給付
・生活保護法にもとづく医療扶助、出産扶助
――「治療」現物、装具などの「現物」給付(医療費給付を含む)
・児童福祉法にもとづく「療育指導」、「育成医療給付」
・児童福祉法にもとづく「療育医療給付」
・学校保健法にもとづくもの
・母子保健法にもとづく「養育医療給付」および「妊娠中毒症等医療援護」
・老人福祉法にもとづく「老人医療費給付」
・身障者福祉法にもとづく身障者「審査」および「更生医療」
・戦傷者特別援護法(昭三八・法一六八号)にもとづく「療養給付」と「更生医療」
・原子爆弾被爆者援護法(昭三二・法四一号)にもとづく「認定疾病医療」
・公害健康被害補償法(昭四八・法一一一号)にもとづく「療養給付」
・性病予防法(昭二三・法一六七号)にもとづく「治療費援護」
・結核予防法(昭二六・法九六号)にもとづく「適正医療給付」
・らい予防法(昭二八・法二一四号)にもとづく入所措置
・精神衛生法(昭二五・法一二三号)にもとづく「適正医療給付」
・優生保護法にもとづく「優生手術費給付」
・公費負担による「特定疾患治療費」および「小児慢性特別疾患」の予算的措置による給付
――予防給付
・性病予防法にもとづく医療
・らい予防法にもとづく「入所措置」
・伝染病予防法にもとづく「予防処置」
・結核予防法にもとづく「入所措置」
・老人福祉法にもとづく「健康診査」
・母子保健法にもとづく「保健指導」
・予防接種法(昭二三・法六八号)にもとづく「予防接種」「健康審査」
「公的扶助(生活保護)法による医療扶助、出産扶助同様に、公費負担医療の領域に属するものに社会援護、社会福祉サーヴィスの医療があり、政策的にも次第にその領域が拡大していることは前述したとおりである。
しかし、公費負担医療というも、公的扶助法によるそれと異なって社会援護(社会福祉)医療は、社会保険の補足としてその政策的な目的立法に起因するのか、これに属すると考えられる国家補償的な援護立法……、社会防衛的な予防立法……、さらに社会福祉(社会援護)的立法……によって、そこを貫く一貫性を欠いていることは否定できない。そして、このことはその総体的な権利性に現われ、その人的、その適用対象の限定、その医療給付の支給対象状況の範囲限定、医療給付の内容、その他に具体的に現われている、といってよい。」(40)
「拡大しつつある社会援護法にもとづく医療給付は、……何れも、「できる」規定の形式を定める。問題は、この「できる」規定は、受給権者が、積極的な権利として要求できる性格を承認しているかというと、公権的解釈は、何れも「反射的受益権」論をとり、極めて疑わしい、とされていることである。この疑わしいという根拠は、受給主体である国または地方自治体の財政的事情によると解されている」(40-41)
「なお、社会援護(社会福祉)関係医療といっても、公費負担医療制度の対象・範囲拡大化と、一方、社会保険医療制度の限界性との政策対応の面で、前述のような特定実定法にもとづく公費負担医療制度によらずに、いわゆる「予算措置」による公費負担医療給付を行なうということがみられているものがある。「特定疾患治療費」給付の対象である特定難病(スモン、ベーチェット、重症筋無力症ほか一〇疾患)、小児慢性特定疾患(悪性新生物、ぜんそく、慢性心疾患など)がこれである。これらも、その範囲を拡大しているといえ、その対象は、特定の医療的治療研究事業のとりくみうる範囲と関係し、十分なものといえないのである。」(44)
宮坂道夫「ALS医療についての倫理的検討の試み」『医学哲学倫理』22 (2004)
「保健医療の大きな目標の一つは、患者の自律の向上を支援することにある。先に便宜的に分類した四種の自律――社会的、動作的、呼応的、内的――のいずれかを回復させたり補ったりするために、人員や技術、機器や薬剤、税金等の社会的資源が利用されている。したがって、<自律支援>と<資源配分>の関係が、この論点の核心にある。」
「以上、正義についての考察の結論として、以下のことが導かれる。【1】ALS患者が人工呼吸器を装着して生きるのに必要な社会資源をどの程度配分すべきかについて、その<生>の選択を<尊厳ある生>と見なすか否かを個人的評価に委ねる自由を認める限り、ロールズの基本財に基づく平等の議論は困難である。しかし【2】センの潜在能力を基盤とした平等の立論によって、ALS患者は<希望すれば、家族の介護支援体制や経済状態などに関わらずに人工呼吸器を装着し、かつ十分な介護を受けられる>ための相当な資源配分を要求する権利を持つという主張が基礎付けられる。さらに、【3】呼吸器を装着して生きる状態を<尊厳なき状態>と見なす人にとっても、その評価をより確実なものにするために<実際に装着してみて、その上で評価する自由が保障されていなければならない>という主張が基礎づけられる。」
「そうした資源配分に関わる政策の論議の中で、<自律や尊厳を保って生きようとする患者に対して、私たちの社会がどこまでの支援を行うべきなのか>、<社会的資源をどれだけ配分すべきなのか>という倫理的観点が、今もって見えてこない。」
香川知晶『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(勁草書房、2006年)
「クインラン事件で詳しく見るように、事態は死というきわめて個人的な問題を権利として主張せざるをえないような激しさと痛切さをもっていた。」(i)
「わが国でもカレン事件と呼ばれ」→「クインラン事件」(ii)
「クインラン事件の以前と以後とでは、何かが大きく変わったのである。それは「死ぬ権利」を人々に強く意識させることになった事件であり、影響は消えることなく今日に及んでいる。」(ii)
ジョン・F・ケネディ記念病院対ヘストン事件州最高裁判決(1971年)
John F. Kennedy Memorial Hospital v. Heston, 58N.J.576(1971)
「裁判の原告側は、自殺と受動的に死に従うことを区別し、病院側の対応は受動的に死に従う個人の自己決定と信仰の自由を侵害するものだと主張していた。これに対して、州最高裁は原告側の区別を否定し、問題を自殺にかかわるものと見なし、次のように指摘した。まず、自殺はコモン・ローでも、ニュージャージー州でも犯罪だと考えられている。そのため、州が自殺を防止しようと努めても個人の人権の侵害にはあたらない。さらに、この事件のように、輸血しなければおそらく死が伴うと判断される緊急時では、医療陣の救命努力が優先されるべきである。……州最高裁は「死を選ぶ憲法上の権利はない(there is no constitutional right to choose to die)といって正しいと思われる」と結論した。」(10-11)
ロスマン「事件の核心」「誰がベッドサイドを支配するのか」「従来、患者の利益を代弁するのは、医師たちだと想定されていた。それがクインラン事件によって、驚くべきことに、弁護士と裁判官の役割へと移ったのだ」
「しかし、ロスマンの解釈がクインラン事件にあてはまるかといえば、かなり疑わしい。」(20-21)
スティーヴンス「現実の判決はカレン・クインランのような患者を技術から解放するのではなくて、医学専門職を法的責任から解放するものだった」
「判決は専門職にとって歓迎すべきものだったのである。」(23)
「では、なぜ医師たちはレスピレーターの停止を拒否したのか。停止によって罪に問われることを恐れていたからである。」(23)
「脳死をめぐる医学専門家たちの動きによって、臓器提供者となる可能性のある脳死患者については生命維持装置の停止が法的に問題ではなくなることを意味することとなった。しかしそれは、皮肉なことに、カレンのような場合には、生命維持装置の停止は、医師にとってより危険なものとなることでもあった(7)。従来普通に行われてきた医療行為の一部であったものが、脳死基準に外れるために、殺人となりかねない。裁判を回避するために登場した脳死概念が、連続する生と死の移り行きを区切ることで、新たな裁判の可能性を産み出した。たとえば、エデリン事件である。」(24)
「(7) 六八年のハーバード大学基準……それは従来の治療停止の慣行を大幅に狭めることを意味した。そのため、ビーチャーなどハーバード大学のマサチューセッツ総合病院の医師たちは、「不可逆的昏睡の定義」の翌年には、その基準に合致しなくとも生命維持装置を撤去しうる不可逆的な脳損傷患者について語ることになる。」(367-368)
BEECHER, Henry K., et al., 1969, "Procedures for the Appropriate Management of Patients Who May Have Supportive Measures Withdrawn," The Journal of the American Medical Association 209 (3, July 21).
「スティーヴンスにとって、クインラン事件は法的責任の免除と脳死概念の承認を求めた医療専門職の勝利を画する出来事だった。」(26)
「生命倫理学者に期待されたのは……不安を呼び起こすテクノロジーのコントロール」「スティーヴンスからすれば……科学技術に対する根本的批判にはほど遠く」(26-27)
「スティーヴンスのこうした解釈は、米国の生命倫理が「規制の倫理」として成立してきた経緯を考えれば、たしかに成り立つ余地がある。生命倫理に透徹した科学技術批判の期待をかけるとすれば期待はずれで、全面的な否定を投げかけたくなっても不思議ではない。しかし、生命倫理にそうした期待をすることが適切なのかどうか、大いに疑わしい。生命倫理の「規制の倫理」は全面的な否定も全面的な肯定もいえないような場面を縫って進んでいく。そうした議論にも、限定された役割を見出せるのではなかろうか。」(27)
「目指すのは、ロスマンやスティーヴンスのように、この事件を生命倫理のひとつの到達点としてではなく、むしろ次の展開への出発点として理解することである。そうすることによって、本書は、二人の歴史家が誤った通説的理解として退けようとしたクインラン事件の側面、つまり、死ぬ権利をめぐる議論へと関心を集中して行くことになろう。」(28-29)
ジョゼフ・クインラン「しかし、こうして新聞でいろんな人のいい分を読むと、今度のようなことが起るのを人々は必要としていたことに、わたしたちは気づいた。みんなも死について語りうることが必要だったのだとね。死について考える、じゅうたんの下に隠すようなことはせずにね」
「クインラン事件を境にして、主な問題が個別的事件、事例として提起され、カトリック道徳神学のカズイストリの伝統を直接参照することが可能となる。クインラン事件は伏在していた伝統的考察を新しい生命倫理の議論として仕立て直していく動因となるものだった。ここにクインラン事件が米国の生命倫理に対してもつことになる意味のひとつがある。」(43)
「「通常/通常以上」という区別は、カトリックの医療倫理ではおなじみのものだった。それは麻酔術のない時代の外科手術をめぐる議論で登場した区別である。当時は、麻酔もなしに外科手術を受けることを患者が拒否する場合、それが自殺にあたるのかどうかということが問題だった(cf., WEIR3, 159)。」(44)
WEIR, Robert F., 1989, Abating Treatment With Critically Ill Patients: Ethical and Legal Limits to the Medical Prolongation of Life, Oxford University Press.
「区別は医療手段そのものの性質ではなくて、患者の利益に相関的である。」(45)
「コレスター[モリス郡検察官]は、州当局がレスピレーター停止を阻止するべく介入することを表明し、裁判所に対して「訴訟のための後見人(guardian ad litem)」指名を要求した。……検察官の見解では、レスピレーターの停止は殺人にあたり、州刑法に違反する。現在、カレンは法的に無能力の状態となっている。裁判でカレンの利益を保護するためには、訴訟後見人の指名が必要だというのである。」(57)
「無能力な状態にある生者の殺人」(66)
「クインラン事件では、脳死の概念が臓器移植とは切り離されて、死をめぐる問題として論じられる……そこで、脳死は人の死の基準として機能する。」(78)
「脳死がカレンに死の法的不在証明を発行する。」(83)
「遷延性植物状態」
「プラム[コーネル大学医学部神経学講座主任教授]によれば、この用語は、プラムが、神経外科学の世界的な権威である英国のブライアン・ジェネットとともに、一九七二年に提唱したものだった。」「医学的記載はその二〇年ほど前から」(86-87)
JENNET, Brian, and PLUM, Fred, 1972, "Persistent vegetative state after brain damage. A syndrome in search of a name," Lancet 1 (7753, Apr 1).
JENNET, Brian, 2002, The Vegetative State: Medical Facts, Ethical and Legal Dilemmas, Cambridge University Press.
「ジェネットとプラムは、その論文で、遷延性植物状態の患者に対して社会全体で対応する必要があると指摘している。二人は、遷延性植物状態の予後を確実に判定できる基準が登場するまでは、遷延性植物状態患者の治療を停止するわけにはいかないだろうと述べ、それが重度の脳損傷患者の救命と回復の努力の代償なのだとしている(JENNET1, 737)。……問題は、脳死ではなく、遷延性植物状態の治療停止にある。」(88)
「3 代理判断説とカレンの最善の利益」(90-95)
LEBIT, Lynn E., 1992, "Compelled Medical Procedures Involving Minors and Incompetents and Misapplication of the Substituted Judgment Doctrine," Journal of Law and Health 7: 107-130.
「「死ぬ権利」を「プライバシーの権利」に結びつけるには、従来の判例は「かけ離れすぎている」というのがオーデンの判断だった(ODEN, 13)。
しかし、ここでも、かけ離れた権利が結び付けられるというねじれによって、脳死問題の場合と同じように、むしろクインラン事件が歴史的な分水嶺としての意味を獲得していくことになる。」(104)
ハインランド[州司法長官]「人命を保護する州と司法当局の義務」
コレスター[郡検察官]「生きる権利に対立するものとしての死ぬ権利」
Locked-in syndrome
「(69) 第五章で遷延性植物状態に関して引用したジェネットたちの論文によれば、「閉じ込め症候群」という言葉はプラムたちが一九六五年に作った用語である。この症候群の場合、患者は昏睡状態に似た症状を示すものの、意識は完全にある。ただコミュニケーションの手段が欠けているのである。また、ジェネットたちは、一年半以上の閉じ込め症候群の患者例を報告している(JENNET, 736)。」(376)
カレン
フランスの新聞「生ける屍(la morte vivante)」
Cf., FILENE, Peter C., 1998, In the Arms of Others: A Cultural History of the Right-to-Die in America, Ivan R. Dee. P. 33.
コライン「無脳症のモンスター」
ハイランドとベイム「今日、この国のあらゆる病院には、この世に頑強にしがみついている幽霊(phantom)からなる影の社会が存在している。生と死の属性をともにもちながら、彼らは新しい名をもたぬ生存のあり方を形成している。医学と医療技術の分野で生じた驚くべき進歩は生と死の区別を消し去り、そうした不幸な人々のケアと医療に関する重大な問題を提起しているのである。」
HYLAND, William F., and BAIME, David S., 1976, " In Re Quinlan: A Synthesis of Law and Medical Technology," Rutgers Camden Law Journal 8: 37-64.
コレスター「心臓を再び動かしたり、心臓を移植したりすることをほとんどありふれたものとする可能性をもたらした技術が同時に……近代的な病院の集中治療室のなかに、まさにその《人間性》が熱い論争の的となるような意識のない者たちが住み着く場を生み出す可能性をももたらした。」
COLLESTER, Donald G., Jr., 1977, "Death, Dying and the Law: A Prosecutorial View of the Quinlan Case," Rutgers Law Review 30: 304-328.
アナス「医療技術が生み出したモンスター」
ANNAS, George J., 1990, "Mapping the human genome and the meaning of monster mythology," Emory Law Journal 39 (3): 629-64.
「ジョゼフ[・クインラン]の証言」
「そうしてクインラン家が承認するように求めたものが、「死ぬ権利」と名指されたのである。それは、医学と法の権威に対する道徳からの請求だった。道徳だけが、普通に自然であることを支えてくれる。ここで「死ぬ権利」は、ジョエル・ファインバーグにならっていえば、「道徳的権利(moral right)」として主張されている。こうして、時に法や慣習に抗してさえも請求されうる人間に最も基本的な「権利」として「死ぬ権利」が浮かび上がることになった。そこに、クインラン事件が「死ぬ権利」を求めた裁判として報道され続けることになった理由がある。背景には、普通であることへの強い欲求があった。」(160-161)
ジョゼフ・フレッチャー
「「死ぬ権利」が語られる常套的な論法」「医療技術の進歩がもたらしたモンスター、それに対抗する手段としての「死ぬ権利」という図式」(162)
「ジョゼフ[原著ジョセフ]は、医療技術の進歩がもたらすディレンマに対して、フレッチャーのように、人間の手によるコントロールを主張したわけではなかった。求めているのはあくまでも通常以上の手段の停止にすぎない。医療技術は人間の生死の問題を人間の力を超えた自然の出来事としてではなく、人間のコントロールの下に置くことを可能にしたかもしれない。それによって、出現した事態は当然、自然には起こらない。それに対抗する唯一の手段としてクインラン家が主張した「死ぬ権利」は、医療的コントロール以前の自然の状態に帰してもらうという主張だった。そうした状態を出現させたのが医師たちである以上、それ以前に戻すのも、当然医師たちでなければならない。治療の停止もまた消極的安楽死として、広義の安楽死の問題のなかで議論されてきたことなど、ジョゼフの関知するところではなかった。ジョゼフにとって、安楽死とは積極的安楽死に他ならず、治療の停止とは次元の違う問題だった。
このように、クインラン事件の原告側の主張は、それ以前に展開されていた「死ぬ権利」の主張と同じ図式、すなわち、医療テクノロジーからの人間生の回復という要求に立ちながら、その主張の枠組みを微妙にずらしたものとなっている。そのずれは、通常と通所以上の区別を背景としながら、自然への回帰というレトリックによって生み出された。死ぬ権利は安楽死ではなく、治療の停止をめぐる権利として再登場した。それは、「死ぬ権利」という問題設定を、ナチスをめぐる応酬の常套的枠組みから切り離し、日常の問題として人々に意識させる結果をもたらす効果をもつものだった。」(164)
原告側弁護士アームストロング
エクイティ裁判所「すべての無能力者の最高の保護者」として「代理判断の法理」を行使すべき。「治療の継続」は「カレンの身体的な最善の利益」にならない。「カレンの道徳的な最善の利益」「人間の尊厳」に反する。(168)
ミューア判事
裁判所は「無能力の状態に[「に」ママ]苦しむ人」の「最善の利益を援助する権能をもつ」。しかしレスピレーターを切るかどうかは「主治医の権限」。「死なせることは保護ではないし、最善の利益にかなうものではない」。カレンの「有する唯一の最も重要な現在の性質は、生命である」。(172-173)
アームストロング
「無益な医療」。原告が裁判所に求めるのは「宣言的救済(declaratory relief)」であって、医師に治療停止を命ずることではない。(194)
「判決は、治癒可能な患者に対しては「通常の」手段と見なされるものが、回復の見込みのない患者の心肺機能を無理やり維持するような場合には、「通常以上の」ものとなりうることをはっきりと認めた。アームストロングが口頭弁論で積極的に語ろうとはしなかった区別を、逆に州最高裁が有効なものとして採用した。その区別によって医療標準を見直せば、治療停止は正当化できるというのが判決の立場だった。アームストロングの持ち出した無益性の概念は採用されなかった。認められたのは、通常以上の治療の停止である。」(208)
「医療の支配権という点では、州最高裁判決はむしろ医療専門職の権威を保存するものだった。……しかし……その後も、死ぬ権利をプライバシー権として認めた画期的な判決であるといった印象が残ることになる。」(221)
『フランス・ソワール』(1975年)
「カレン、生きる刑に処せられる(Karen condamnee a vivre)」
(FILENE, 43-44)
「治療停止の範囲」「限定による拡張」(277)
「一連の裁判は、カレンのレスピレーターの停止をめぐる問題から始まった。それが、同じニュージャージー州において、末期患者の強制栄養の撤去を許すところまで至ったのである。」(283)
治療停止、有能力者の場合(ALS)にも。
パールマッター事件(一九八〇年、フロリダ州)
Satz v. Perlmutter, 362 So. 2d 160, 163 (Fla. Dist. Ct. App, 1978), aff d, 379 So. 2d 359 359, 360 (Fla. 1980)
Cf.,WEIR, Robert F., 1989, Abating Treatment With Critically Ill Patients: Ethical and Legal Limits to the Medical Prolongation of Life, Oxford University Press. Pp. 79-80.
FLORIDA DISTRICT COURT OF APPEAL (Fourth District), Satz v. Permutter, in (Contemporary, 256-8).
BEAUCHAMP, Tom L., and WALTERS, LeRoy (eds.), 1989, Contemporary Issues in Bioethics, Third Edition, Wadsworth Publishing Company.
「個人的経験とはまったく別の次元」(331)
「プロライフ派の巻き返しが頂点に達しつつあった一九九〇年の米国でも、治療の拒否権としての死ぬ権利はもはや否定することが不可能となっていた。」(335)
「カレンは完全に自発呼吸を開始した」(213)
「モリスビュー養護施設」「カレンと家族はようやく裁判の喧騒から離れて、落ち着くことのできる場所だった」「一九八五年六月一三日、肺炎で息を引き取る」(213-214)
「それ[死ぬ権利]は、九〇年代以降、「本人の意思に基づく積極的安楽死」や「医師の幇助による自殺」、「本人の意思に基づかない積極的安楽死」をも意味することになる言葉である。拡張の兆しは、すでに一九八六年の第二ブーヴィア判決のコンプトン判事の補足意見にも示唆されていた。そうした展開を考えると、「死ぬ権利」という曖昧さを含むいい方はむしろ問題のつながりを明示できるという利点をもつというべきである。ここでは、その展開のうち意味が拡張される直前までを見たことになる。というよりも、ここで見てきたのは、積極的安楽死肯定論の文脈に置かれていた「死ぬ権利」という言葉が、クインラン事件によって意味がずらされ、「医学的介入なしに自然な原因によって死ぬ」ことを求める治療の拒否権として認められてくる過程だった。それは死ぬ権利が一時的に限定された過渡期にすぎないともいえる。しかし、この過渡期がなければ、死ぬ権利が人々の意識に定着することはなかったはずである。その意味で、クインラン事件はたしかにその後の展開を予示する歴史的分水嶺となるものだった。」(340-341)
大統領委員会報告書
『生命維持処置の中止決定(Deciding to Forego Life-Sustaining Treatment)』(1983年3月)
「死ぬ権利」「生命への権利」「尊厳死」「生命の質」「安楽死」は「空虚なレトリック」とするが、「報告書は「死ぬ権利」を「尊厳死」に限定することで承認することから出発して、逆に権利が制限される場合を明らかにする形をとろうとしていた。」(355)
唄孝一『生命維持治療の法理と倫理』(有斐閣、1990年)
「カレン事件をめぐって――ミューア判事にきく――」
「M そう。そのジェイブト博士はその時点ではレスピレーターから外せば死ぬといってました。しかるに、もちろん御承知のように、その後レスピレーターを外されたのですが、彼女はずーっと生きています。一八ヵ月たちますが、ますます丈夫になっていますね。」(346)
「M かれらは彼女を機械からweanすることができたのです。おもしろいことに、リチャード・ワトソンという私の個人的な主治医が、彼女が今いる養護施設の責任者なのです。しかも彼は彼女の看護と治療の監督です。われわれはお互いにこの事件のことは話しませんが、実は、今、彼が彼女を治療しているのです。」(346-347)
「M もし彼女がレスピレーターを外されても生き延びることを最高裁や私が知っていたら、解決すべき争点はいったい何だったのだろうか、と私はしばしば不思議な感じがしました。/おそらく争点は、彼女が生存しつづけるために必要とされる看護や治療のタイプか、彼女の生命の徴候が消失しはじめたときに彼女を遇するのに必要な最小限度のケア――それは通常の状況にある患者に与えられる緊急療法のようなもの――か、ということ……。これが、彼女のケースの場合、ふたたび争点になるかもしれないことでしょう。」(350)
杉田俊介『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院、2005年)
「資本の側がのぞむ技術や実務能力を必ずしも当り前と考えない。能力・努力主義も別に不可欠と考えない。何の後ろ盾も社会保障も技術もない人が、それでもなお当たり前に働き、生活していける仕事と協同の場を創出していけないか。そう問い直してみる。
この月並な問いは、どんな成熟した社会にも必ず残り続ける。そう考える。するとどこかで必要なのは、弱さを強いられた人々が力を集め、必要な生活財を(前近代的な互酬的コミューンとは別の形で)分配=交換し、生活の多元的な平等を継続的に確保してゆく、そんな「別の」生き方、「別の」ライフコースの可能性を――すべての空想的自由や現実逃避から手を切って――具体的に考え抜くことではないか。そのために、各人が置かれた「立場」をほんのわずかだけ横に越え、社会的なネットワークの厚みを増していけないか。」(146-147)
「思いついたまま挙げるが、障害者が他の障害の人を支える複合型住宅、(世話人抜きの)バディハウス、ピアヘルパー、老人施設と障害者施設の融合、障・老・児童に対応するデイサービス、マルチヘルパー事業所(介護保険・支援費・精神障害者支援・保育などに対応する)、野宿者のヘルパー資格取得や世話人就労を支援するNPO法人など――何と言うのか、「福祉ミックス」の潮流は、日本でもさまざまなフェーズでひろがりつつある。」(148)
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書、2003年)
「制度の改革は、一進一退で進む。急速な改革は一時的な揺りもどしもともなう。経過を監視しながら、いち早く情報収集して対策を立て、行政と交渉する能力が、当事者団体には求められている。」(60)
「5 育児の社会化をめぐって……育児給付と児童給付とは、考え方が根本的にちがう。育児給付は、育児専従の親の所得保障の意味を持ち、親に対して支払われる。これに対して児童給付は、子どもが育つ権利に対して国が支払う、子ども賃金とでもいうべきもの。一五歳までの少年労働を国が禁止しているのだから、その年齢までの生活を国が保障するのは、考えてみれば当然のことだろう。」(78)
「一九八八年」「東京都」「地域福祉振興基金」
「民間の法人格を持たない無認可団体に人件費をつけてその創業を継続的に支援する制度」(127)
「創業期支援」「この金額を初期投資として、自治体が無償供与、もしくは無利子貸与するようなしくみがあれば、市民主導型の福祉事業はどんなに発展するだろうか。」(130)
「NPOも事業体であるからには、利益をあげれば納税の義務がある。だが、税金を払うよりは、むしろ必要性が高く、営利事業が手を出したがらない事業分野につぎつぎと先行投資していくことが、非営利団体の役割であろう。市場原理の社会では、収益性の高いことがはっきりした事業には、放っておいても資本力をバックにした民間企業がどんどん進出する。市民が担い手となる非営利事業の役割とは、営利企業が手を出さないとわかっている収益性の低い事業を、あえて役割分担することにあろう。
将来的には官の提供するサービス部門が縮小し、NPOのサービスが企業と肩を並べるほどに成長し、企業にとってもNPOの先駆的な取り組みが学ぶべき目標となり、企業のサービスが改善されることもあるだろう。逆に、NPOが企業の能率的な経営に学んで、ムダを省いて、そのぶん職員が、ほんらいやるべき仕事ができるようになったりという、競合のメリットも今後出てくるだろう。当事者ニーズにもっとも近いところにいて、効率ではなく必要性を優先して事業をおこなうNPOには、営利企業と半歩違いの競争を、創意工夫を重ねながら牽引していく運命と使命がある。」(134-135)
中西「ボランティアに頼ることはやめて、有料の介助者を使うことにしよう。資本主義社会の論理を逆手にとって、障害者が雇用主になって、介助者の雇用と解雇権持つ。そこではじめて、毎回遅刻してくるボランティア気分の介助者に、障害者自身の口から苦情を言うことができる。そうすることで、社会から無視されることなく、対等な人間関係のなかで、責任のある介助が権利として得られる道が開かれる」(137-138)
「高齢者のケアマネジメントにおいては、自由な選択が許されているとはいっても在宅サービスメニューは貧弱であり、グループホーム、デイセンター、ショートステイなど限られたメニューから選択せざるをえない。高齢者が歌舞伎や観劇に行きたいというようなニーズを出しても、介護保険は受け入れる余地はない。デイセンターに通っている高齢者は、本当にニーズがそこにあるのか、それとも家族のニーズを優先して、デイセンターに出かける選択をやむをえずしているのか、きっちりとした調査をして究明していくべきだろう。高齢者も、障害者と同じような移動や外出の機会を求めており、社会参加をしてみずからを高めていきたいという欲求があることだろう。」(173-174)
「どんな運動や組織にも、いったん成立すれば、それ自身の存続が自己目的化してしまうという傾向がある。営利を目的とする企業体ならば、市場が必要としなくなれば、淘汰されるという道があるが、とりわけ非営利を旨とする公益事業、たとえば国や自治体がつくる外部団体、公団・公社や財団などは、常態化し、肥大化するという傾向がある。
市場には参入の道とともに退出の道が拓かれているが、公益法人は、つくるのはやさしいが、廃止するのはむずかしい。民間の非営利団体ならば継続が危ぶまれるところでも、税金を投入すれば、競争や淘汰の原理が働かないからである。ひとつには、これまでの公共事業に、適切な査定評価のメカニズムがなかったことにもよるが、もともとの組織の設計上の欠陥であるとも考えられる。組織を立ち上げるときには、その目的を決め、目的の完了と同時に組織が消滅するという、自己消滅系のシステム、遺伝子のようなものを組みこんでおく必要があるだろう。
自立生活センターは、自己消滅系のシステムを持っている。自立生活センターが障害者の自立を促進し、すべての障害者が自立をし終わったときに、利用者を失った自立生活センターは、目的を完遂して消滅する。
自立生活支援センターが消滅することは障害者の完全な社会参加と平等が果たされたという、積極的なメッセージを伝える事態であり、社会のよい意味での発展である。」(206-207)
Tom L. Beauchamp, "The Right to Die as the Triumph of Autonomy", Journal of Medicine and Philosophy, 31: 643-654, 2006.
The right to die has been as central and as enduring a topic as any to emerge since the term "bioethics" was coined. Physician involvement in hastening the death of a patient――now often pejoratively styled "physician-assisted suicide"――is one dimension of a much larger struggle over patients' rights and physician control. (643)
Some scholars have argued that developments in physician involvement in hastening death are part of a much older set of concerns about euthanasia that constitutes a continuous history over the last one hundred years or so(1). In this account, the right to die in its most prominent forms today derives from the same values, objectives, and movements found in the early and middle decades of the twentieth century, down to the present time. A competing thesis――and one I think far more promising――is that the history of the right to die since roughly 1972 is more discontinuous than continuous with earlier discussion of the role of physicians in helping patients or surrogates hasten death. In re Quinlan (1976) and its aftermath, in my judgment, pushed far beyond previous issues and social movements, giving rise to new ethical ideas and legal doctrines only dimly anticipated in the past. Here begins a trail of very different ideas about the right to die and about decision-making rights for seriously ill or injured patients(2). If I am right, the 1970s and early 1980s brought such widespread change that the worn-out proposals in the "euthanasia movement" were replaced by a different set of issues, perspectives, and proponents.
Some writers in bioethics seem to believe that the right-to-die movement has today been stalled by the joint emergence of fears that vulnerable patients will be abused, and hopes of improved palliative care at the end of life. To the contrary, I believe that there has been a steadily escalating momentum in the direction of strengthening in the right to die since the 1970s. ……The right to die, much like the right to give an informed consent, is an impressive example of the triumph of autonomy in bioethics. (643-644)
(1)
Ian Dowbiggin (2003), A Merciful End: The Euthanasia Movement in Modern America (Oxford University Press)
(2)
Alan Meisel (1996), "The "right to die": A case study in American lawmaking", European Journal of Health Law, 3, 49-74.
Marcia Angell (1993), "The legacy of Karen Ann Quinlan", Trends in Health Care, Law & Ethics, 8, 17-19.
Initially the right to die was framed more as a right to refuse life-prolonging "treatment" than as a right to die. (645)
The Oregon law
The cutting edge of the history of the right to die shifted, with passage of this law, from refusals of medical technologies to requests for aid in hastening death. (648)
Tersely put, this is where cases such as Quinlan, Cruzan, and Glucksberg brought us. (648)
Gostin, L. O. (1997), "Deciding life and death in the courtroom: From Quinlan to Cruzan, Glucksberg, and Vacco――A brief history and analysis of constitutional protection of the "Right to Die", Journal of the American Medical Association, 278, 1523-1528.
Among the most important developments in bioethics in the last thirty years is the growing body of literature recommending that we abandon the distinction between "killing" and "letting die" altogether, on grounds that it is a misleading distinction, can be a wholly irrelevant distinction, and is not a reliable way to distinguish impermissible from permissible acts(18). The killing/letting die distinction suggests that the autonomous choice of a patient (a refusal or request) is not the relevant consideration in deciding whether to comply with a patient's preference; it suggests that only the type of action (a killing or a letting die) is important. (649)
(18)
Orentlicer, D. (1988), "The alleged distinction between euthanasia and the withdrawal of life-sustaining treatment: Conceptually incoherent and impossible to maintain", University of Illinois Law Review, 837-859.
Beauchamp, T. L. (ed), Intending Death, (Prentice Hall).
Malm, H. M., (1989), "Killing, letting die, and simple conflicts", Philosophy and Public Affairs, 18, 238-258.
Many in bioethics seem now to be coming to the acceptance of two important conclusions. First, they would like to see the law preserve a range of options for patients, including last-resort remedies such as refusal of nutrition and hydration and ingestion of a fatal medication. This is the logical extension of a primary commitment to patient autonomy. Second, many are coming to the view that physicians who provide assistance in hastening death are adhering to a legitimate interpretation of the physician's traditional commitment to the patient: to care for and meet the needs and preferences of the patient in all stages of the patient's life. They note that the activities a physician undertakes in providing assistance in hastening death are the same as those carried out by a physician who oversees a withdrawal of treatment. Under many circumstances in medicine a request by patients for aid authorizes assistance by a physician. For example, a request for help in reducing pain warrants interventions to meet the request. Why is a favorable response by a physician to a request for assistance in facilitating death by hastening it through fatal medication different from a favorable response to requests for assistance in facilitating death by easing it through removal of life-prolonging technology or use of coma-inducing medications? The two acts of physician assistance appear to be morally equivalent as long as there are no other differences in the cases. That is, if the disease is relevantly similar, the request by the patient is relevantly similar, etc., then responding to a request to provide the means to hasten death seems morally equivalent to responding to a request to ease death by withdrawing treatment, sedating to coma, and the like. In effect, these are all ways to hasten death. (651)
Herbert Hendin, "Selling Death and Dignity", Hastings Center Report 25, no.3 (1995): 19-23.
Death on Request (Dutch television, 1994): Cees van Wendel, ALS.
New York Times Magazine (1993): Louise, an unnamed, degenerative neurological disease.
In the selling of assisted suicide and euthanasia words like "empowerment" and "dignity" are associated only with the choice for dying. But who is being empowered?......The patient, who may have said she wants to die in the hope of receiving emotional reassurance that all around her want to live, may find that like Louise she has set in motion a process whose momentum she cannot control.
By rushing to "normalize" euthanasia as a medical option along with accepting or refusing treatment, we are inevitably laying the groundwork for a culture that will not only turn euthanasia into a "cure" for depression but may prove to exert a coercion to die on patients when they are most vulnerable. Death ought to be hard to sell.
Leon R. Kass, "Is There a Right to Die?", Hastings Center Report (January-February 1993): 34-43.
And, on both philosophical and legal grounds, I am inclined to believe that there can be so such thing as a right to die――that the notion is groundless and perhaps even logically incoherent.
A right, whether legal or moral, is not identical to a need or a desire or an interest or a capacity.
This analysis of current usage shows why one might be properly confused about the meaning of the term "right to die". In public discourse today, it merges all the aforementioned meanings: right to refuse treatment even if, or so that, death may occur; right to be killed or to become dead; right to control one's own dying; right to die with dignity; right to assistance in death.
Equally puzzling is the question, Against whom or what is a right to die being asserted?
・fear of prolongation of dying due to medical intervention; hence, a right to refuse treatment or hospitalization, even if death occurs as a result;
・fear of living too long, without fatal illness to carry one off, hence, a right to assisted suicide;
・fear of the degradations of senility and dependence; hence, a right to death with dignity;
・fear of loss of control; hence, a right to choose the time and manner of one's death.
I would confess a strong temptation to remove myself from life to spare my children the anguish of years of attending my demented self and the horrible likelihood that they will come, hatefully to themselves, to resent my continued existence. Such reasons in favor of death might even lead me to think I had a duty to die――they do not, however, establish for me any right to become dead.
石井暎禧「老人への医療は無意味か 痴呆老人の生存権を否定する「竹中・広井報告書」」『社会保険旬報』1973号 (1998.2.1.)
「だがそれにしても、「ターミナルケア」という概念がなんと安易に使われているのだろうか。」
「死期の予見は医療者にとっても困難な問題であるにもかかわらず、介護者が行えると自負はよいが、例示されている「死期の予見」の症状は、医学的にみて疾病の発生あるいは、悪化にすぎず、不可逆的な臨死状態を意味するものではない。」
「全ての疾患を同一視するくだりに、氏の論旨の混乱が発している。たしかに消化器ガンのターミナルにおいては、一般的に言って、「延命」のために、透析も人工呼吸も吸引も「無意味」なことが多い。これと対照的に、超高齢者・老人において、透析・人工呼吸・酸素療法・気道吸引を継続的に必要とする場合は、いずれも有効で、数時間・数日でなく、数ヵ月・数年の生存が可能になる。こうした現実を無視して、これらの技術が医療的にみて「無意味」であると一方的に価値づけしたり、数年・数ヶ月という生存期間をターミナル期であり「無意味な延命」であるとするのは、生存権の否定でしかあるまい。これらの医療技術に意味があるかどうかは、超高齢者医療の一般論として決められることではない。個別症例における治療技術の適否の問題に過ぎないし、緩和ケアの問題とも別である。」
「緩和ケアは、「自然の成り行きにまかせた看取り」ではない。緩和ケアはガンの治癒を目的とする治療を断念したとき、医療が果たすべき役割が存在しないのかという疑問に対して、生活の質の向上が目的たりうるし、その点で医療の役割があるという立場である。」
「第1例は老人痴呆の慢性腎不全患者ですでに3年続いている透析医療が、否定され、第2例では、同様に痴呆の嚥下障害患者への胃瘻造設が否定されている。いずれも「意味のある」「延命措置」である。つまり痴呆老人の生存が問題視されているのである。」
「広井理論の基礎になった長谷川敏彦氏の「タイプ」論は、医療費の費用対効果の問題としてであり、社会的な資源配分の問題である。その限りで医療および介護への資源の最適な配分を考察するのは重要である。しかし、老人への医療的ケアのあり方の議論としては問題の立て方が違う。資源配分を問題にするのなら、社会的入院や不適切な薬剤使用など、老人への医療の制限以前に検討すべき課題はたくさんある。」
「患者にとって医療が生活の質を低下させるような場合、延命か生活かの二者択一が迫られる(抗ガン剤投与の選択のように)のは当然であり、本人の選択である限り、延命を選ばないことは認められるべきであろう。たとえ医療者側との判断の相違があっても、生命倫理にいう愚行権として認められるべきである。「尊厳死」はこの文脈で承認されるべきであって、尊厳ある生がなにであるかが問題にされているのではない。老人のターミナルケアにおける「延命技術」を同一の論理の中で論じ、意図的に混同しているのが、報告書であるように思われる。」