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アシュリー療法――子どもの最善の利益、利便性、親による意思決定を中心に

Liao SM, Savulescu J and Sheehan M., 2007, “The Ashley Treatment: Best Interests, Convenience, and Parental Decision-Making,” Hastings Center Report, 37(2):16-20.全訳
訳者:櫻井 浩子

last update:20100117

【First Section】
 9歳のアシュリーに関するシアトルからのニュースは、2007年1月3日付けのロサンゼルスタイム紙に掲載されたことをきっかけとし大論争になっている。アシュリーは先天性脳障害を持ち、歩くこと、話すこと、食べること、起き上がること、寝返りを打つことができないため彼女から一時も離れることができない。主治医によればアシュリーは3ヶ月齢の子どもと同等の発達レベルであると診断されている。
 2004年、シアトル子ども病院において、アシュリーの両親と主治医は、アシュリーの成長を阻害するため高用量エストロゲン投与、月経の不快感を防ぐための子宮摘出、胸が大きくなることを防ぐための乳房芽の除去を含む「アシュリー療法」を考案した。アシュリーの両親は、「アシュリー療法は彼女のQOL向上のためであり、介護負担を軽減するためではない」と主張している。また、寝たきりの「枕の天使」を抱える家族支援のために、この考案や経験は問題を解決するために役立つと述べている。
 アシュリーのような無能力の子どもでは、両親が親権を持ち、子どもの利益向上や保護を決定することができる。主治医もアシュリーの利益のために、この療法を提案している。この療法が、子どもの利益に反して親の利益のために提案されているのならば、それは間違いである。このようなケースでは、家族の医療倫理に問題の中心部分がある。それは、この療法がアシュリーの最善の利益のためなのか?尊厳と尊重を持った人間として彼女を扱っているのか、そしてその療法は彼女の人生をより良くするのだろうか、ということだ。 
 
【Second Section】
 アシュリーの両親は、アシュリー療法が彼女の「不快と退屈」を軽減することができる治療であると述べている。彼女の介護者の利便性ではなく、「アシュリーの生活の質(QOL)の改善のために、アシュリーの成長を阻害すること」が論争の論点である。
 アシュリーを75ポンド、身長は4フィート5インチ程度に留めておくことは、アシュリーが今より積極的に活動できることを意味している。それは、「たびたび外出できること」「積極的に人前に出ることや集会への参加」「彼女のサイズにぴったりあった普通の浴槽で入浴できること」である。これらはアシュリーの健康と幸せに役立つ。両親によれば、彼女は感染しにくい体質となり、アシュリーの運動量の増加は、GI機能(消化、ガスを含む)、背伸び、関節の動きが改善されたと述べている。
 確かに、両親が彼女のためだけを考えて提案したものだとすれば、この方法はアシュリーの利益になるということは正しいだろう。社会的事情によって、小さな体形に対して価値観を求めるということは珍しいことではない。小人は小さな子どもであるということを正当化論争と同じである。
 アシュリーの両親は、彼女の利益の他に目的を持っている。いくつかの批判は、「両親にとって安易であって、今より利便性でありたいという下心があるのだろう」と主張している。利便性は、両親の最も小さな動機であろう。たとえアシュリーの体形が5フィート、6インチと普通であっても、介護方法を見出しただろう。両親は、アシュリーを持ち上げたとき、体力の限界に近かったと述べている。しかし、彼らの利便性が動機でなくても、彼らは手助けする人を雇用すること、ジムに通うこと、ステロイドを用いることで体力を増やすことができたであろう。私たちは、彼らの考えを支持しない。私たちは、両親の手法が明らかになったことで、「アシュリーをより小さくすることは、両親自身の利便性のための理由付けのひとつにすぎない」と主張したい。
 ここで主張したいことは、介護者の利便性や別の方法で彼らの利益を促進するための両親の行為は必ずしも悪ではなく、その理由は2つある。第一に、目的は子どもの治療の正当化の一部分にすぎない。たとえ治療が利益であろうと損害であろうと重要である。このようなケースでは、手段が正当であるかどうかは、両親の目的ではなく子どもの利益で判断される(たとえ、もちろん両者が親族であっても)。
 第二に、もっともらしい道徳的な理論では、療法を行うために非常に大きな犠牲が伴うならば、それに対しての責任を追及することはできないであろう。トムソンのように、「みな健康で、特に利益と損害、義務と責任、他者が生きていくために大きな犠牲を避けることができる人は一人もいない」。まさしく両親のケースにおいて、独特な歯止めをどこに求めるのか言及することは容易ではない。しかし、ほぼ間違いなく、アシュリーの両親が彼女を動かすために副作用があるかもしれないステロイドの服用、追加した介護者の報酬を支払うために彼らが貧困になれば代替となるものを強く要求したであろうし、両親に介護の継続を義務づけることはできないであろう。
 もちろん、いくつかの要求には限界があるが、アシュリーの介護者の理にかなった利便性のために、彼女の成長が阻害されるのかという疑問が残る。確かに、アシュリー療法は優生思想の復活であり、人の尊厳を侮辱していると主張されることに対し当惑もした。特に、アシュリーを小さく保つために彼女の成長阻害を許容するならば、彼女の足を外科的に除去することは、なぜ許容されないのか?言うまでもなく、重度障害児収容施設では、スタッフの負担軽減のために大量の外科手術や成長阻害を行っている可能性があることに困惑する。
 これらの議論は、身体改造の倫理問題を提起している。形成外科は、子どもにおいて機能する。「こうもり耳」は時々子どもがいじめられないように補正をし、成長ホルモンやエストロゲン療法は、時々子どもの身長を短くまたは高くするために使用される。しかしながら、大人で可能な身体改造は、子どもでは認められていない。外科医スコッティとロバート・スミスは、肢切断患者恐怖症で苦しむ2人の患者の健康な足を切断した。その患者は手術に先立って精神科と心理療法を受診していたが、治療効果が見られなかった。手術は私産で調達し、患者は「その結果に満足できた」と語っている。しかし、このような外科手術は、健常児では倫理的に実施することはできない。なぜなら子どもにとってそれらの利益は適当ではなく、リスクも与えるし、子どもの身体に手術を無理強いすることはストレスにもなる。したがって介護軽減のために、アシュリーの足を外科的に除去することは、非倫理的なことなのである。

【Third Section】
 アシュリーの子宮と乳房芽摘出は、別の問題である。アシュリーの両親は、子宮摘出は月経とその不快を防止し、「妊娠の可能性」や「子宮ガンと閉経後の疼痛の可能性も防止する」と述べている。私たちは、両親のこの論拠に異議がある。
 まず第一に、月経の不快をどれだけの女性が経験しているのか、子宮摘出が正当化されるレベルまでの不快であるのかが明確にされていない。たとえアシュリーが不快を感じたとしても、非侵襲的方法、例えば生理痛を和らげる鎮痛剤服用では不十分であることが明確にされていない。さらにアシュリーの子宮除去は、血液供給を阻害し卵巣異常を招くかもしれない。アシュリーの卵巣異常は、心臓病や骨粗しょう症のような重篤疾患に備えたホルモンを多く作り出すことができない。
 望まない妊娠について両親の発言は、アシュリーの立場からみれば性的虐待のような印象を与える。また両親が、被害者を非難する危険性がある。アシュリーは性的虐待によって妊娠するかもしれないが、アシュリーよりむしろ犯罪者に抗議すべきである。ともかく避妊のためには、経口避妊薬の投与など非侵襲的方法があるのだ。
 最後に、子宮ガンや痛みの合併症の可能性について、たとえ症状が現れたかどうかわからなくても、早期予防ができると思われる。アシュリーに健康診断を受診させることは、より適切で非侵襲的と思われる。 
 アシュリーの両親によれば、「アシュリーは授乳することがないから、乳房芽を外科的に除去することは理にかなったことである」と主張している。大きな胸は、車イスに乗っているとき、立っているとき、彼女の体重をサポートするために胸をベルトで締めるとき、アシュリーの安全性を低下させる。そのうえ彼女の乳房除去は、アシュリーの家系にある疼痛の伴う繊維性?胞症や乳ガンの可能性を予防することも、彼女の胸を除去する理由となっている。最後に、両親によれば、「大きな胸は彼女の介護者に対する性的象徴であり、特に彼女を動かしたり触れたりするときに、虐待の可能性を招く」と述べている。かさねて私たちは、彼らの主張には問題があると感じている。私たちは、すでに取り扱った問題から議論を始めよう。
 アシュリーの胸が性的象徴を持つという論点において、両親には妊娠の可能性を持つ被害者を非難するという危険性が存在する。さらに、アシュリーに胸があろうとなかろうと、誰かが彼女を性的に虐待するかもしれない。議論の焦点は、性的犯罪者の可能性に当てるべきだ。
 乳房があるために、車イスに乗っているアシュリーを安全な状態に留めて置くことは困難であるという論点は、利便性からの議論である。このような大きさに関する議論は、アシュリーにどのような損害を与えるのか、またその損害に対してどのように対処するのかに左右される。このケースにおいて、アシュリーの身長や体重と異なり、両親が彼女の胸に合ったベルトを買い求めることは左右の要因ではない。たとえ、アシュリーの胸が大きく膨らんでも、彼女と同じ大きさの胸を持った障害者の介護者は、(環境は異なっても、アシュリーと同等の重度障害を持つ)彼女らの胸に合ったベルトを使用するだろう。
 疼痛を伴う繊維性?胞症や乳ガンの可能性は子宮ガンのリスクと類似しており、症状が早期に現れない場合では、早期予防を行う必要がある。たとえば遺伝性のBRCA1や2のような家族性乳ガンでも、知的障害児に対して予防的乳房切除を提示することは標準的な治療とはなっていない。スクリーニングに関する議論は、無能力者への予防的手術実施の正当性を肯定するだろう。
 アシュリーは授乳しないのだから、彼女の乳房は不要であるという論点は、乳房は授乳のための唯一の機能だと思い込んでいる。アシュリーの胸の成長は、彼女が女性であることを、外見から判断することができるだろう。性的手術は、先天性半陰陽児において行うことがあるが、手術を行うか否かについて自己決定できるまで児の成長を待っていると、手術の実施が遅れるだろう。アシュリーには、(証拠上)自己決定能力がない。しかし、それは性的役割や性差除去とは次元が異なる。アシュリーの両親は、彼女は3ヶ月齢の精神レベルであり、子どもの身体のままのほうが、より彼女らしいと主張している。両親は「萌芽的技術と倫理学会」の理事会のメンバーであるドボルスキー・ジョージの発言を引用し、これに賛同している。
 
  少女の尊厳が侵害されていることに対するいくつかの懸念があるならば、私は「彼女の屈辱感に対する認識能力不足である」という主張に異議を述べたい。このことは、一般的に人間としての品位を落とし尊厳がない。この療法は、彼女の状況 ―体格と身体機能― と身体をしっかりと適合させることができる。エストロゲン療法は、グロテスクなものではない。むしろ、赤ちゃんの心を持った大人の出産能力のある女性にも適応できる可能性がある。

 この主張は、真実である理由もなく、赤ちゃんのような心を持つ誰もが、赤ちゃんのような身体を持つことを暗示している。加えて、彼女が40歳代に重度認知症になったと推定したならば、長い時間胸を保っておく必要性が軽減するだろう。
 子宮摘出のような外科的処置は、リスクなしでは行えない。麻酔は時々死を招き、外科合併症には内臓の穿孔、感染、時には死が含まれる。結局、発育阻害のための薬物療法は手術的矯正法より正当であると言えよう。

【Fourth Section】
社会において、アシュリーだけではなく、健常児、高齢者、介護を必要とする人びとを援助や支援しなければならないと思うことは、誰もができる思いやりである。なぜならば基本的に人権のある子どもは、愛される権利がある。子どもを愛することの義務から解放されるには、相当の時間と資源が必要である。場合によって、一部の両親は私産を投資して、この義務から首尾よく逃れることができる。しかし、多くの両親は私産を投資することは難しく、彼らは家族や雇用に援助を求めるだろう。たとえば、子どもが愛されることは人権であって、人権が要因となる義務は、子どもを愛することを放棄した両親を援助することと関連している。このような援助は子どもの介護に対してではなく、介護する両親をより安易にするための、家庭環境にあった柔軟な計画や方法への支援を意味する恐れがある。両親が義務を放棄することを支援する政策への投票や、納税も意味するだろう。
 この議論は、アシュリーのケースや、高齢者のように介護を必要とする人びとにも適用することができる。アシュリーのような介護を必要とする人びとは、介護を受ける権利を必要としている。社会の一員として私たちは、家族介護を支援していかなければならない。
 アシュリー療法に対する主要な異議の一つは、アシュリーの損害は社会的に構築されているということである。彼女の介護をするために活用できる社会資源がより多く用意されていれば、彼女は通常の大人の体形で、看護や介護を受けることができたであろう。アシュリー療法を弁護する人々は、現在の社会資源の不十分さや、両親が非難の対象となっている選択肢だけを必要としていることに答えるべきである。加えて、彼女が必要とする社会的資源と治療を受けることの拒否は、彼女を二重に傷つける。たとえアシュリーがその療法を受けるためには、威厳のない社会的信用や人権が重要だとしても、私たちは、彼女の介護に対する十分な援助や、助けを借りることができない支援について提供する準備をしなければならない。人間の尊厳を維持するには代償が伴い、そして尊厳を維持することが社会的意義のあることならば、私たちは代償を支払う準備をしなければならない。


*作成:櫻井 浩子
UP:20100117 REV:
Ashley事件・文献  ◇全文掲載
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