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抗議・要請文
北日本新聞社 「いのちの回廊」取材班御中

「射水市民病院事件」から安楽死=尊厳死を考える学習会参加者一同 2006/6/18

last update: 20151224

  私たちは〈「射水市民病院呼吸器取り外し事件」から安楽死=尊厳死を考える連続学習会〉第3回学習会参加者一同です。事件発覚に衝撃を受け、4/23第1回、5/21第2回と、この問題に対する自分たちの考えを深めるべく活動をしてきました。
  去る6/8付北日本新聞「いのちの回廊」海外篇オランダ(3)において、どう考えても、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちに対する無知・無配慮から出て来たとしか言いようのない、彼ら・彼女らへの積極的安楽死賛美に繋がる記事が掲載されました。私どもはこのことに、深い怒りを感じるとともに、それ以降の貴社・取材班の対応、すなわち、私たちのメンバーのTEL抗議に対する応答について、強い不信感を抱きました。ここに文書にて抗議の意を表明すると共に、若干の要請を行いたいと思います。
  第1に、ALSの人は言うに及ばず、安楽死・尊厳死の対象とされて来ている人たちに対する、実態取材が殆んどなされて来ていない、ということが挙げられます。末期がん患者以外に、「植物状態」と呼ばれている人たち、難病の人たちの取材はなされてきたのでしょうか?わずかになされている「認知症の人」に対する実態もしっかりと取材されていません。だから、オランダでなされている事が、日本ではいかなることをもたらすのか?という緊張感が欠けた記事になったのではないでしょうか?
  第2に、ALSの人たちにとって、「人工呼吸器の装着」ということが命を助け、彼ら・彼女らなりの充実したいのちを保障することが、本シリーズにおいても何人かの対談者から表明されています。にも拘らず、当該の記事においては、そのことに一言も触れず、「呼吸が苦しくなること」が「不治の病」であり、「苦痛を止める為の安楽死」が「勇気ある行為」として美化されているのです。それまでの取材で得た知識は一体何だったのでしょうか?
  以上の2点の指摘についても、対応された人は「意図は安楽死賛成ではない」といいましたが、あの記事を読んで、一体どれだけの読者が安楽死に反対する感想を抱く人が居るでしょうか?むしろ安楽死を実施した人を賛美する人が多いのではないでしょうか?ALSの人を始め「延命治療」と呼ばれるものを必要としている人にとって、
「何故安楽死しないのか?」という無言の圧力をかけている現実を、しっかりと直視していただきたいのです。
  早急に、ALSをはじめとした人工呼吸器装着の必要な人たちに謝罪をし、その人たちの生きている実態に触れた取材をなす事を表明してください。
  そして、一般の読者に対しては、オランダの特殊事情を言った上で、「人工呼吸器」装着の選択が有効な治療法であること、さらにオランダでは医師が何故強くその働きかけをしていないのか?ということの根本に迫る取材をしてください。
  以上、2点を強く要望したいと思います。

  2006/6/18 「射水市民病院事件」から安楽死=尊厳死を考える学習会参加者一同
  連絡先 富山市有沢811-7-102 四十物和雄   (TEL/FAX 076−422−0039)


 
 
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6/19北日本新聞社に対する、6/8付「いのちの回廊」オランダ篇3記事に関しての抗議―話し合い行動の報告

2006/6/22 文責 四十物和雄

(1)はじめに

  2006/6/8付北日本新聞「いのちの回廊」海外オランダ篇(3)「死を選んだ父」は、安楽死王国=オランダの現状を良く調べずに迎合し、ある個人の安楽死の例が、あたかも一般的であるかのように描き、更には共感的な感情移入までなされた、非常に問題ある記事だ、と筆者は思いました。そこが出発点でした。
  直ちに、安楽死実例としてALS(【駐】TBS、NHKに続いて、またも安楽死の実例としてALS患者がとり挙げられている背景について、しっかりと調べなければならない問題だと思います)の人が取り上げられた関係上、日本ALS協会員で私がMLで知っている川口有美子さんの方に記事FAXを送りました。その後、同新聞社「いのちの回廊」取材班に抗議のTELを入れました。
  こちらから言った内容は、第1に、この記事を日本ALS協会の人に読んでもらったのか否か?第2に、「窒息の恐怖」を回避するために人工呼吸器装着が非常に効果あることを知っているのか?知っているとすれば、何故コメントとして書かないのか?第3に、証言者カーレンさんの言葉からは一言も人工呼吸器装着が触れられていないのは、オランダの係り付け(を含めた)医師が、治療の選択として言わなかったのか?それともカーレンさんが意図して言わなかったのか?(【駐】あるいは記者が書かなかったのか?という問いはしなかったと思います)第4に、この記事を読んだ読者がALSを「終末期の近い不治の病」として受け取り、「安楽死も仕方がない」と受け取ることにどう責任を取るのか?といったことだったと思います。
  応答した記者は、第1点については「ALS協会に知らせなかったし、思いつきもしなかった」、第2点については、「人工呼吸器装着で生きることが出来るのは知っていた」が、何故コメントを書く必要があるのか?殆んど理解していない模様であった(ALSの人や関係者がどのように受け取るのか?あるいは何も知らない人がどのように読むのか考えていたのか?という質問に口を濁していたので、そのように思います)、第3点については、「医師が言わなかったからだ」と即答しています、第4点目には、「安楽死に賛成する意図はありません」と答えているが、ALSの人から抗議があったらどうするのか?という追加質問には答えていません。
  このようなやり取りの上で、このまま県内最大発行部数の新聞社による安楽死賛美記事を放置していくわけに行かない、と私は思い、連絡できる所へは殆んど連絡したのでした。

(2)抗議・要請文の作成

  去る3/25「射水市民病院呼吸器取り外し事件」発覚以降の「終末期医療」、「安楽死=尊厳死」問題を巡る社会的関心の高まりを受けての特集記事である点、読者に「いろいろな視点からの考える素材提供」というマスメディアの役割という点からも、出来る限り取材する側の感情移入を排することや、複眼的視点からのアプローチ等が不可欠な筈です。ところが海外篇(オランダシリーズ(3)は特に)はその点において、非常に欠陥を抱えているものでした。いわば単眼の、取材対象と距離が取れていない記事を、オランダの安楽死事情やALS患者の実態である、と読ませてしまうものでした。
  この点において、言論空間=公共圏への責任が不可避である、と考えた私は、たまたま迫っていた第3回連続学習会に「抗議・要請文」(案)を提出し、参加者との共同意思表明の形にして、当該新聞社編集局「いのちの回廊」取材班に提出し、話し合いを持つことを考えました。
  当初はALSの人が中心になった抗議と実態報道依頼を提起する場が出来たら、と考えていました。しかしながら、全国各地どこの地域においても3/25「射水事件」以来、医療現場での指針作り【註:私はそこで動いている基本的な力学が、医師間の責任逃れ体制の構築と、その下に於ける医療方針への半強制的な同意の取り付けと、同意しない人への「自己責任」という名の排除だと思っています。それは「QOL向上」という「美名」と利用した「救命・延命治療」の放棄であり、緩和ケアが進んでいない中では、選択の余地など患者・家族にどれほどあるのか?疑わしいもの以外何ものでもないでしょう】から、尊厳死法制化(少なくとも「延命治療の中止条件の緩和」となる方向だけは間違いないでしょう)の流れが非常な勢いで強まっている厳しい現状では、地方は地方自身で先ずたたかう体制作りをすることが急務である、と考えました。
  6/18当日は、参加者はやや減ったものの、具体的運動課題がはっきりして来たせいもあって、熱心に討論がなされました。おおよそ原案が確認されたことと、障害者が中心になって障害者自身の自立生活支援をサポートしているNPO法人文福も、この記事に対して抗議することを決定した知らせを聞いて、活気付いたものとなりました。
  私らは記事編集に責任ある立場の人間と話し、この文章がどういう背景で作成されたのか調査することを主眼にする方向にしました。文福の人たちが事前連絡なしに押しかける闘争スタイルで戦う方式と、分業的協力を目指していく方向でたたかっていくことを、その場で決めました(抗議へ複数(3名)で行くのは、この間一人で行くことが多かったので、私には嬉しいものでした)。

(3)当日の話し合い

  6/19pm1:30 事前に新聞社に抗議文ファイルをメールにて送って置いたので(理由は確実に編集の責任者と話したいこと、何故なら編集方針の中で例の記事がどういう背景・意図・位置を持っていたのか?を探りたいこと。今後私たちの要望をどのように受けていくのか、確認しておく必要があったことにあります)、新聞社側はそれなりに準備して来て棚田報道部長というトップと、もう一人筆記者の2名で対応してきました。
  最初に私たちの側から、抗議文提出者たる連続学習会の説明をして、新聞社側におおよそ今まで書いてきたようなことを聞きました。特に強調したのは次の点です。
  人工呼吸器によってALSの人が生きていけるようになって来ているのに、何故オランダの医師たちはそういう選択肢を患者さんに説明しなかったのか?(それとも娘のカーレンさんがインタビューで言わなかったのか記事では分からない。最初に対応した貴社は医師が言わなかったように言っていたが、その方が納得出来る)そうすると、オランダ安楽死法と実態が乖離しているのではないのか?とても十分な治療説明をしているとは思えない。そういう中で安楽死が行われていく実態に気付かなかったのか?あるいは今の時点でおかしいとは思わなかったのか?そこを明らかにしてこそ実態がわかるというものではないのか?(法律成立後の「拡大適用という危険性」の法則性)
  TBS「依頼された死」やNHKでオランダの安楽死を取り上げたときにも、安楽死の対象者はALSだった。「たまたま」というには意図性があるように思える(【註】オランダでも安楽死の対象になった人は末期がん患者が多いが、何故取材がALSに偏っているのか調査する価値があるように思います)。無理を承知で推測すれば、患者の「自己決定」を重視している事を印象付けるために、意思表示の可能な呼吸器装着前のALS患者が意図的に選ばれている可能性を感じていること。
  以上の事から言っても、この記事を書くにあたっての案内者――一地方新聞社で企画できるものではないので――の意図性を感じるので、その団体について教えて欲しいこと。
  オランダ篇(3)の文体の問題、それ以外の記事と比較して貴社の感情移入が相当入り込んでいて、読者にも情緒に訴えるものになっていて、客観性に乏しい。まるで「安楽死を選択したのが勇気ある行為であった」という娘さんに共感する言葉で終わっている。「死なないこと」が勇気ある場合もあるはず。
  全体の報道対象として、宗教者が少ない問題とか、患者さん、難病当事者に対する取材が欠けている。意見の多様性が欠けることになること。

  報道部長の側の説明は、おおよそ次の様なものでした。
  射水市民病院での人工呼吸器外しの問題とALSの人の人工呼吸器問題を結びつけて議論するつもりは全くなかった。しかし、ALSの人にとっての人工呼吸器について知識としてあったが、十分討論してきたわけではなかった。
  オランダ編は趣旨としては安楽死を認めている特殊な国で一体何がなされているのか?をありのままに伝えたい、ということであった。(3)はそこで住んでいる人自身の声で安楽死の実情を知ってもらおうとインタビュー形式にした。それをもって世論をどうこうするつもりはなかった。紹介されたインタビュー対象者がたまたまALSと関わりのある人であった。取材としてはインタビューの相手が言われたことは、大体みな伝えたつもりである。
  記事について、「(ALSの人がどのように受け取るのかとか、周りの人のALSに対する視線については)申し訳ない」としか言いようがない。元々射水市民病院問題に対応して急遽報道方針を作ってきたので、ALSと人工呼吸器のことは頭になかった。今回のことでALSの取材要請がなされたが、急なもので出来なかった。取材はする気はある(「いのちの回廊」シリーズは6月で終わるので、この欠は、別枠で考えたい)。
  肝心の射水事件の真相についての取り組みが殆んどで来ていないので、もっと取り組んでいく。そのためのいろいろな意見はドンドン聞いていくつもり。

(4)話し合いの感想

  とうとう最後まで、取材を斡旋したコーディネーター的存在の国内団体名は述べられなかった。この団体の存在が、マスメディアの報道―取材の内容を決定付けているようなので、徹底して調べる必要があることが第1。
  取り込まれる危険性はあるけれども、実際マスメディアの報道内容・方針に食い込んでいくためには、きちんとした手順で話し合いをもてるようにしていく必要を感じた。定期的にそういう場をどのようにしてもてるのか?考えていく必要あります。
  肝心要の「射水市民病院事件」の真相はほとんど明らかになっていない。にも拘らず病院間の「申し合わせ」からガイドライン作りという流れには、報道部長も「おかしい」と言っていました。それがどれ程のものなのかはイマイチ分からないが、話していく余地はあるように感じました。メールやTELなどだけでなく、意見を言っていく活動が必要ではあるでしょう。
  今後、今回のALS問題を初めとして実態取材などにかんで行く方向について、全国の仲間とも連絡を取り合っていくつもりです。
  最後に、ALS協会の川口有美子さん、安楽死・尊厳死法制化を阻止する会の清水昭美さんにはいろんな面でお世話になりました。そのことがなかったら、このくらいの成果も挙げることが出来なかったのは間違いありません。これからも宜しくお願いします。


UP 20060625
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