HOME > 全文掲載 >

WWWでつかまえて――インターネットで出会うALS療養者の語り

立命館大学大学院先端総合学術研究科前期博士課程 川口 有美子 2005/09/04
A.フランク シンポジウム 於:立命館大学


The Catcher on the Web: Find an ALS patients' story through the Internet(英語版)
http://homepage2.nifty.com/ajikun/note/the_catcher_on_the_web.htm

■ Introduction
  ちょうど十年前、私はロンドン郊外で庭の手入れが趣味というのん気な日々を送る専業主婦だった。それが今では都内の難病患者宅にヘルパーを派遣する会社を切り盛りして生計に充てている。人生とは流転するものだ。この貴重な体験も、―考えようによれば地獄の介護なのだけれど―実家の母がALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis、和名=筋萎縮性側索硬化症)を発病し気管切開をして(undergo tracheostomy )人工呼吸器(medical ventilator)を選択してくれたので得られたのである。
  一九九五年当時、まだ在宅での人工呼吸療法(home medical ventilation=HMV)は珍しく、ALS介護のノウハウなどどこにもなかった。だからかかりつけ医(home doctor)や看護師たちと手探りで母の介護を始めたのだった。二〇〇三年に正式にヘルパー派遣業を始めて、現在クライエントは一二名を数え、そのうち十一名が人工呼吸器を装着をしている。しかし、残念なことに母のALSは最重度で、ほんのわずかな患者に発症する症状を呈して、全ての筋肉が静止してしまった。だから、私たちはもうどうやっても母の意思を読みとることができないのだが、母は今も私の事務所を見渡せるベッドの上に居て、来客やヘルパーらのざわめきを聞きながら闘病を続けているのである。

■ 日本と海外の在宅療養
  ALSは世界中どこでも均一に十万人に四,五名の発病率である。全身の運動神経だけが選択的に侵され次第に筋肉が動かなくなっていくが、聴覚や視覚や触覚などの知覚神経は残り、知能も衰えずに最後まで保たれる。それだけに精神的苦痛も最期まで続くといわれる。
  現在、日本ではおよそ五七〇〇人のALSがいて、そのうち一五三〇名ほどが人工呼吸器を装着している。つまり全発症者数の約三〇%が人工呼吸器の装着を決断するにすぎないのだが、諸外国に比べるとその率は非常に高い。 欧米では呼吸筋が麻痺した時に窒息して亡くなる人が圧倒的に多く、イギリスでは気管切開ののち呼吸器を装着するのは一%以下である。また、オランダやベルギーではALS患者は安楽死の対象になり、 発症した患者の約二割が医師の自殺幇助により死を選んでいる★01。
  また、多くの国では患者の自己決定であれば呼吸器を付けても後で取り外して積極的に亡くなることもありえるが、日本では一度付けた呼吸器の取り外しは法律で許されない。終末期の医療行為の「差し控え(withholding)」と「停止(withdrawing)」をめぐる議論はまさにこれから始まろうとしているところで、リビングウィルやALS用のアドバンスドディレクティブの研究も緒に就いたところである。
  確かに、日本の生命倫理は国民特有の曖昧さを伴っているとも言われ、医療における自己決定やインフォームド・コンセントの困難さも文化的背景から指摘されることが多い★02。 だから日本人の曖昧さは医療においても特筆すべき点があるともいえるのだが、ここではあえて説明しない。だが、SOLに根ざした医療の戒律は宗教と無関係な位置を保ちながら、日本だからこそ、いまだに守られているとも言えるのではないか。だから他国では長く生きる価値がない、天に召されたほうが自由になれるとさえ云われるALS患者も人工呼吸器によって生き延びているのであろう。

■ WWWのALS村で
  ところで、ALS患者は四肢がほとんど動かなくなってもインターネットを通じて世界中と交信できる。コミュニケーション機器や技術の発展は、手足の指先や眉、唇などどこか一箇所でも微か一ミリでも動けば、そこにパソコンの入力装置の端末を取り付けてメイル打つことを可能にした。
  一分間に五文字から十文字ほどの入力速度でも、インターネットの利用は彼らのQOLを格段に高めた。そして、まるで村に集うようなALSネットワークがWWWにあり、彼らは一日中、自分のHPのBBSやMLなどに集っている。私もそこで多くのALSの人たちと出逢ったが、身動きひとつできなくても、また気管切開や口腔の麻痺で声や言葉を失っていたとしても、彼らはWEBでは実に饒舌なのである。
  そんなある日、私はあるALSの女性患者からメイルをもらった。彼女は東京からJRで一時間ほど西に行った海辺の街に住んでいる四〇代のALS患者で、発症五年目だが、この先、息が苦しくなっても人工呼吸器は装着しないで死のうと決めているという。
そして、幾度かのメイルの往復の結果、詩織(shiori)さん(仮名)にはかかりつけ医がおらず、定期的な訪問看護もなく、これまで親しくしていたヘルパーも事業所の都合で辞めてしまい、大変に孤独な状況にあることがわかってきた。また、詩織さんには夫と娘がいるが、日中はふたりとも仕事をしているので、たったひとりで何時間も留守番をしなければならない日もあるようだ。
  そのような状況にある彼女は、私のHPを読んで、ALS患者の療養環境の改善のために自分も力になりたいと申し出てくれたのである。それから、私たちはメイルで医療や保健福祉の地域格差のことや、どのようにしたら保健師さんたちがもっと真剣に難病支援に取り組んでくれるかについて話しあった。詩織さんはいつも冷静なアドバイスをしてくれて、実際に地元の保健所に出向いて保健師たちを集め会議をもったりもしたが、彼女の行動は直接、自治体職員や地域の専門職をエンパワーするものとなった。
  私たちはもちろんその他にも様々なことを話したのだが、私は彼女の現実の様子も見たかったので彼女のご自宅を訪ねることにした。

■ 諦めとの邂逅
  知り合って半年ほどたったある秋晴れの日、私は詩織さんに会いに行った。その海辺の駅に降り立ち、しばらく歩いていくとメイルで指示されたとおりに海を臨むかわいい家を見つけた。そしてまた、指示されていたようにドアを開けて中に入ると玄関先までチャ黒の猫がお迎えに来てくれていた。
  詩織さんの声が家の奥から、うーうーと聞こえてきた。猫に案内されていくと、PCのキーをたたいている後ろ姿が見えたが、詩織さんは思っていたよりはるかに症状が進んでいているようだった。もはや後ろを振り返って私を確かめることなどできない様子だ。こちらから近づいて机の上を覗き込んでみたら、パソコンの画面に「いらっしゃい」と打ちこんである。そして、すぐにその日の朝に窓辺から撮影したという海の写真をプリントしてくれたのだが、それがあまりに美しい朝焼けの海なので私は思わず涙がこみ上げてきた。
  その後、私は隣に椅子を持ってきて座り、詩織さんはマウスで画面に文字を入力しだしたが、一文字一文字打ち込むので時間はかかる。麻痺した手がマウスからずれ落ちるのを私が調整しながらもゆっくりとしたペースの会話は続いた。口腔の麻痺した詩織さんの声はもう動物のような唸り声でしかなく、力ない口元から涎が流れるのを首に巻いたタオルが吸っていた。しかし、パソコンの画面にはきちんとした文章が打ち出され、ヘルパーに対する指示やケアの分担表も説明してくれた。介護保険のマネジメントもすべて自分でしてケアマネージャーに渡しているという。また、娘さんのためにお料理のレシピを書き溜めたものも見せてくれた。話をしながら私は詩織さんなら人工呼吸器を付けても十分に自立して生きていける人だと確信した。
  日本では、人工呼吸器を付けるか否かの選択は原則的には患者本人の自己決定によるとされ、たとえ家族といえども、付けることを無理強いしたりしないように勧められる。だから患者は孤独を感じながらも、ALSの社会的側面と機能的側面の両面から極めて苦痛が伴う熟考を長く続けることになる。だが、神経内科医には患者の機能の喪失に心を奪われ、呼吸器をつけてもQOLは上がらないのだから価値のない命とばかりに、救いようのなさを強調するものも多く居るのだ。そして、そのような医師らは患者を取り巻く社会的状況の不備がどんなに患者の自己決定を揺さぶるかにも無頓着なのである。
  たとえば、長期に渡る在宅療養は病院の専門医を含む地元の医療チームによって安全が保障されるが、詩織さんにはかかりつけ医がいなかったし、地域の行政は独自の難病医療対策を怠っていた。
  また、家族は二四時間ほとんどぶっ通しで介護をしなければならないが、かといって看護師を依頼すれば一時間五千円もの出費を伴う。このように社会的状況が逆風でしかないのに、呼吸器装着を選びとることは家族に犠牲を長く強いることを意味する。だから呼吸器の選択は一概に個人の選好による結果ではなく、社会の在り方こそが問われるのだ。
  ALSは、日本のALS患者としては初めて長期にわたる独居生活を実現させた橋本操が言うように、ただ単に動けなくなるだけの病いと言い切ろうと思えば言い切れる。だからこそ医療よりむしろ継続的なきめ細かい介護力を長期にわたって必要とするのだ。それは本質的にはその国の政治の問題であるというべきである。病人が一人で耐え忍ぶようなものではないのだ。
  さて、ALS患者の運動機能が落ちることにより日常生活も劇的な変化を余儀なくされることから、最初に患者や家族に訪れるのはProf.Frank が「混沌の語り(chaos narrative)」と呼ぶnarrativeである。多くの患者は自分にとって今も先も何が必要なのか冷静に考えること出来なくなってしまう。また、何の疑問もなく医師の言葉を信じて難病患者であることに慣らされてしまっているか、自分の身体に対処できず、一息に死を望むようになっている。ここに「語りの譲り渡し(narrative surrender)」とProf.Frankが説明した状況がもっとも峻烈な形で現れている。
  しかし、一時的に自律性を失ったとしてもやがて、失った機能を補完するあらゆる方策に生きる途を探れるようになる患者も出現するのだ。そして、詩織さんは確かにそんな患者のひとりであったし、彼女はわたしが逢った時には自分の語りをすでにもっていて、これからALSがもたらすであろう障害を覚悟しているのだった。彼女の日常は「探求の語り (quest narrative)」によって語られ、HPに公開されているのだが、その日のWEB日記に彼女はこう記している。
  「人が人を理解するのは難しい事だ。話せないから、意思疎通が出来ないからと片付けてしまうと、物事の本質が見えなくなる。問題が起きた時は原因と解決方法を探すと,話せなくても穏やかに過ごせる道が開ける。」
  結局、私と詩織さんは、互いの主張が完全には理解できなかった。詩織さんはどうしても人工呼吸器を拒絶するといい、私は自分の思いも重ね合わせて、彼女の娘さんの気持ちを必死に伝えたつもりだった。私にとっても達観したALS患者との対話は、母とのコミュニケーションが絶たれた今となっては、母が私のために今でも彼女の内面で湧き上がり娘に伝えたいと願っているはずの様々なこと、すなわち母の「沈黙の声(silent voice)」を補完するただひとつの方法なのだ。
  だが、詩織さんは自分の生を私に実際に見せることでALSという耐え難い病のもうひとつの本質を私に見せようとしてくれた。彼女の決意は固く、それは確かに私の母や私の周囲にいる元気で長生きなALSの人たちとはまったく違う選択ではあるのだが、私たちはそれでも、二度と訪れることがない忘れ難い午後をふたりで過ごしたのだった。

■ ただ聞くという行為
  人は関係性の中に生の価値を見つけることができる唯一の生き物であろう。たとえば、互いの実存が見えないインターネットの世界でも、わたしにとって詩織さんはかけがえの無い存在だった。あえて言うのなら私には彼女の姿はPCの画面を通しても全く見えないのだから、たとえば彼女の身体に機械が占める割合が一割から九割に変わったとしても私にはまったく差しさわりのないことなのだ。だからこそ生きて対話を続けて欲しいと私は一方的に願うのだが、これは彼女の自己決定とは別の、私にとっての彼女の存在の意味を伝えることになる。また、私は死にたいといっている人に軽々しく同意をしてはいけないことを彼らの「死にたい」という言葉からかえって学んでいた。そして、安易な同情や憐憫や優遇を避けることは、過酷な生を生きねばならない重症患者に対するマナーと信じていた。だから私は個々の生存を最後まで理由もなく肯定するだけなのだが、それはその人の決定を否定したり、無理やり覆そうとするものではありえないのだ。
ただ、対話を続ける中で、私は患者のnarrativeが徐々に変容していくことを望んでいる。それは祈りに近い行為でもあり、病人が自分の病んだ身体を問いなおす作業として語るのをただ聴くことによって、彼らが自由に語ることを促すのである。つまり、耳を傾ける人は何も精神科医やセラピストである必要はないし、聴衆さえいれば病人たちは語り始めるのだ。
そして、すでに否定されてしまった身体を自分に取り戻すために、語りながらわずかに「語りの倫理(narrative ethics)」を自ら修正するだけなのだが、私の目の前で彼らの人生の海図(map)と目的地(destination)もまた少しずつ書き加えられたり、変えられたりしていくのである。

■ その後
  二〇〇五年になって、いつの間にか詩織さんとのメイルは途切れてしまっていた。ALSが進行して、もうコンピューターのカーソールを動かす方法がないのかもしれない。だが、詩織さんはあの海の見える部屋にまだいるはずだし、彼女の生存は彼女のHPのBBSの会話からどうにか察することはできる。だから私は詩織さんの家に電話をして生存を問うことはしない。それは、ただ生死の確認が怖いからともいえるのだが、彼女のナラティブに変化が現れて「家族に迷惑をかけたくない」が、「呼吸器を付けても家族と生きていきたい」という決断に変わればいいと私はいつも祈っている。もしも、彼女が生きつづける決意をしたら、きっとまたメイルをもらうことになるだろう、と。

◆謝辞
  このような発表の機会を与えてくださり、医療人類学へと私を導いてくださった立命館大学のサトウタツヤ先生、英文翻訳に際してご助言をくださった後藤玲子先生に心から感謝いたします。また、常にインスピレーションを与え続けてくれる愛すべき同志、母や橋本操さんをはじめ、インターネットで出会ったたくさんの在宅人工呼吸器ユーザーの友人たちにこの発表を捧げます。



★01 J.H. Veldink,N Engl J Med 2002; 346 : 1638 - 44 : Special Article
★02 「デモクラシーそのものが日本に適さないものかもしれません。何も日本人をしかっているつもりはありませんが、もしこの自己決定権を、医療の現場において非常に重視しようという動きであれば、その訓練・練習を、もっと若いときから、そしてそれがもっとありうるときに行ってもらわないと、いきなり何十歳になってから「決めなさい」と言われても、だめなのです。」(カール・ベッカー[19970308]「死ぬ権利、インフォームド・コンセント、日本人の医療」高崎哲学堂講演会)。また、木村利人[1996]も以下のように指摘。"_The legal climate in Japan stands in stark contrast to that of the U.S. and Germany, both in principle and in practice. The concept of advance directives has not as yet been embraced in Japanese law."

参考文献

Arthur W. Frank, 1995 The Wounded Storyteller : Body, Illness, and Ethics ,=2002、鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手』ゆみる出版
Robert F.Murphy,1987, THE BODY SILENT,=1997、辻信一訳『ボディ・サイレント―病いと障害の人類学』新宿書房
Arthur Kleinman ,1988,The Illness Narratives. Suffering, Medicine, and Psychiatry, Berkley / Los Angeles / London: University of California Press, =2004(第1刷1996)江口重幸・五木田紳・上野豪志訳『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』,誠信書房
Rihito Kimura,1996,Advance Care Planning and the ALS Patients:A Cross-Cultural Perspective on Advance DirectivesJahrbuch f?r Recht und Ethik [Annual Review of Law and Ethics], Band 4, Duncker & Humblot / Berlin, pp. 529-552.
S.M.Albert,phD,MSc;P.L.Murphy,MA,MS;M.L.Del Bene,BSN;andL.P.Rpwland,MD,1999,A Prospective study of preferences and actual treatment choices in ALS, The American Academy of Neurology ,pp278-283
川口有美子 200509 「WWWのALS村で」『現代のエスプリ』458:至文堂
――――― 200411 「人工呼吸器の人間的な利用」『現代思想』32-14:pp57-77青土社


UP:20080417 REV:
川口 有美子  ◇Archive
TOP HOME (http://www.arsvi.com)