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社会的コンフリクトとその解法:ルール・慣習・規範

――「法と経済学」再考――

後藤 玲子 2005/07/05
2005年先端研リレー講演会・公共 当日配布資料*
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2005/0705.htm


 * 本日は説明する時間がありませんので、ご質問その他に関してはご連絡ください。

はじめに

  「人々が囚人のジレンマ的選好に固執しているとしたら、社会的最適を実現するためには、強制が不可避となるのに対し、人々があたかも(as if)保証ゲーム的選好をもつかのように振舞うことができるとしたら、相互に他者に対して同様の善き行為を期待できるか否かこそが、社会的最適を実現する決め手となるだろう」(「就労インセンティブ配慮的分配システム」から「必要配慮的分配システム」への移行を図る中国の「文化革命」に対するセンのコメント。Sen, 1977b, p.79, n17)。

  経済システムは、それを規定する一定のルール群を必要とする。ルールは、それに従う個々人の行動が何であり、その結果、どのような均衡がもたらされるかに依存して、異なる帰結をもたらしうる。したがって、ルールの選定にあたっては、個人の行動と均衡概念に関する経済学的分析が不可欠である。ここに「法と経済学」という観点の有効性がある。
  ただし、個人の行動と均衡概念に関して、従来の経済学は専ら、自己利益最大化を追求する合理的行動に注目してきた。「法と経済学」もまたそのような行動仮説に偏りがちだった。例えば、彼らは次のように主張する。「あらゆる人間行動は、選好の安定した集合をもとに、彼らの効用を最大化し、多種の市場で最適量の情報その他の投入物を収集している参加者の行動から観察される」(Becker, 1976, p.14)「法と経済学の仕事は市場の内外に置ける合理的最大化行動の意味、ならびに市場と他の制度におけるその立法的含意を明確にすることである」(Jolls, Sunstein, and Thaler 1998, p. 1476)
  だが、これまで倫理学・社会学・人類学・心理学などが論じてきたように、ひとには正義に適った行為をしようという動機、互いの協同を実現可能としようとする関心が存在することもまた事実だ。はたして、それらはどのような環境・条件のもとであれば顕われうるのだろうか。個人の選好判断形成プロセスにおいて、あるいはまた、それらをベースとする社会的選好判断形成プロセスにおいて、人々のもつ質的に異なる多層的関心は、どのような葛藤を本人や他者、社会にもたらし、どのような方法で整合化されていくのだろうか。本報告は、経済システムを支えるルール、ルールの制定を支える個人や社会の意思決定プロセスに深く切り込もうとしたアマルティア・センの視点を手がかりに、「法と経済学」の規範的探求を行うことを目的とする。

1.コンフリクトの典型例

ケース1:囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma Game)
  自分も他人も黙秘を続ければ、各々の刑期はゼロ。自分も他人も告白すれば、各々の刑期が5年。自分が黙秘し続けて、他人が告白したとしたら、自分は刑期が10年にアップし(おまえはうそをついていたなということで刑罰が重くなるため)、他人は刑期ゼロ+賞与取得。逆に、他人が黙秘し続けて、自分が告白したとしたら、他人の刑期10年、自分は刑期ゼロ+賞与取得。この状況においては、他人が告白するとしたら、黙秘した場合には手痛い損害を被り、他人が黙秘するとしたら、自分は告白した場合の利得が高くなる。したがって、各人にとって、他人が告白しようがしまいが、告白することが最適戦略となり。(告白する、告白する)が均衡解として帰結する。その結果は、2人とも刑期5年だ。

 (参考)
  各人の利得表:
        b1        b0
  a1    (2, 2)     (4, 1)
  a0    (1, 4)     (3, 3)
  (ただし、aは個人Aの戦略、bは個人Bの戦略、1は告白する、0は黙秘する)

  各人の選好:
  A: a1b0, a1b1, a0b0, a1b0
  B: a0b1, a1b1, a0b0, a0b1
  (ただし、左の状態は右の状態よりもより望ましいとする)

ケース2:共有地の悲劇 :労働コンフリクトその1
  限られた土地や資源は、利用量の増加にしたがい収益率が低減する性質を持っている。したがって、人々がある土地や資源を共同で利用しているとしたら、それに対する各個人の労働投入の増加は、すべての個人が取得しうる平均収益率を下げることになる。いま、各人の得る収益が、収益=労働時間×平均収益率(労働時間に応じた分配原理)、で求まるとしたら、収益が低下する手前で労働投入を自粛することが望ましい。だが、他の人が労働投入を増加し続ける中で、自分だけが自粛しても平均収益率の低下は食い止められず、自分の収益(減少した労働時間×減少した平均収益率)が下がるおそれがある。逆に、他の人々が自粛している中で、自分が自粛しないとしたら、自分の収益を高められる可能性がある。この状況では、他者がどちらの行動をとった場合にも自分の利得がより高まるのは、自粛しないという行為になる。したがって、各人にとって、他人が自粛しまいがしようが自粛しないことが最適戦略となり、(自粛しない、自粛しない)が均衡解として帰結する。その結果、土地や資源は枯渇する。
  (各人の利得表と各人の選好は上記と同じ)。
  
  均衡とは、ひとたびその状態におかれると誰もそこから動く誘因をもたないような状態である。上記の2つのケースにおいては、均衡状態をパレート改善しうる別の状態が存在する。はたして、そちらの状態を達成するにはどうしたらよいか。

2。解法に向けてToward Solution

解法1。「計算合理的」ルールによる強制
  囚人のジレンマ的状況において、例えば、各人に黙秘を強要するルールが存在し、各々が他人もまたかならず黙秘行為を取ると信頼できるなら、各々は黙秘行為を取り、結果的に、両者はいずれも刑期5年を免れる。同様に、互いの労働投入量を調節するルールをつくり、それに従えば、レッセフェール状態に比較して、パレート改善される(両者の利得が上昇する)ことはあきらかだ。→ルールの正当化は個々人の計算合理性におかれる。
  だが、ここには次のような問題がある。第一に、このルールが存在するもとでは、抜け駆けされた場合には利得が下がり、抜け駆けした場合には利得が上がる。そうだとしたら、各人はルールに従おうとするだろうか。抜け駆け行為を阻止しようとしたら、管理費用も権力(パニッシュメントに付随する)も法外に高まる恐れがある。第二に、このルールに従うことに参加している自分たちの外に参加しなかった人々がいるとしたら、自分たちを拘束するルールは、自分たちの間だけでは相互の利益を高めるものの、その人たちとの関係においては、自分たちに損害を、その人たちに利益を、確実にもたらす装置として機能する。「その人たち」をも拘束することに成功したとしても、その外側に、別の「その人たち」が出現するかもしれない、すべての主体が参加するまで、その可能性はなくならない。
  
解法2。社会的慣習の変化(事実的解決)
  人々の効用関数に踏み込んで解決の可能性を探る。人々の行動原理を規定する要因、慣習などを広く、モデルに内省化する。慣習の変化に対する個々人の行動の適応、さらに、個々人の効用関数の変化に期待する。
  @例えば、共有地の悲劇に関して、労働は不効用をもたらす点を考慮に入れるとすると、「労働の限界的不効用が、収益の限界効用を上回る場合」には、個人は自発的に労働投入をやめるだろう。人々が事実的に共有している「勤労規範」を弱めれば、人々は抑圧されていた労働忌避的選好を表出し、労働投入の自粛が促進されるのではないか。
  B「相手が黙秘」しているときに、「自分が告白」したとしても、それによって自分の利得が向上する保証がない状況であれば、相手が黙秘しているときには自分も黙秘する、が最適反応戦略となり、「黙秘する、黙秘する」が均衡状態(ナッシュ均衡)になる可能性がある。Cf. 中国で実験を行ったとき、被験者は利得表のインセンティブ構造を熟知していたにも関わらず、誰も自白しようとはしなかった。その理由は、みな警察を信用していなかったからという。(Malloy, 2000, 亀本洋, 2000)
  C保証ゲーム(Assurance Game)(Sen, 1967, Sen, 1992, ch.3 "Choice, Orderings and Morality", pp.78-83)。各人は、他者もまた非協力的行為をとると感じたなら、自分も非協力的行為をとるが、他者が協力的行為をとると感じたなら、自分も協力的行為をとる。このときの均衡解はa0b0, a1b1の2つであり、いずれの解が実現するかは、各人が他者にどのような期待をもつかに依存する。ただし,センはこれを事実的解決として提唱しているのではなく、規範的解決として提唱している点に留意。→後述。
  
  各人の利得表
          b1    b0
  a1    (2, 2)     (3, 1)
  a0    (1, 3)     (4, 4)
  (ただし、aは個人Aの戦略、bは個人Bの戦略、1は告白する、0は黙秘する)
  
  各人の選好:
  A: a0b0, a1b0, a1b1, a0b1
  B: a0b0, a0b1, a1b1, a1bo   
  (ただし、左の状態は右の状態よりもより望ましいとする)

3.もう一つのコンフリクト

ケース3:「労働インセンティブ問題」:労働コンフリクトその2

  いま、個々人の労働時間×平均収益率(一定、a)で産出された総収益を均等に分配するとしよう。すなわち、分配分=総収益÷人数(均等分配原理)、各人の効用は、効用=収益の分配分―労働不効用、で求まるとしよう。労働不効用が十分に大きいとしたら、他の人が労働投入し、自分だけが労働投入しない方が(総収益の減少により分配分も減少するとしても、それが自分の労働不効用よりも小さければ)、結果的に自分の効用が高まる。ただし、囚人のジレンマとの相違は、他者が労働投入しないときには、自分が労働投入する方が、自分もしないよりも効用が高まる点である。このような状況では、他人が労働した場合は、自分は労働しない、他人が労働しない場合は、自分は労働することが最適戦略となり、(労働、非労働)、(非労働、労働)という2つの均衡状態が帰結する。つまり、ひとたび、労働する個人と労働しない個人が出現した場合、両者ともその状態から変化する誘引をもたなくなる。

  相手が労働した場合は、自分も労働する、相手が労働しなかった場合は、自分も労働しないという相互性の原理とは真っ向から異なる反応が、個々人の最適戦略となっている。この場合には、均衡状態と(労働、労働)状態とに選択肢集合を限定したとしても、前者と比較して後者はパレート改善ではないので、後者が自発的に選ばれるとは見込めない。この場合には、どういう解決策が考えられるだろうか。

  個人の利得表:
        b1       b0
  a1    (1, 1)     (4, 2)
  a0    (2, 4)     (3, 3)
  (ただし、aは個人Aの戦略、bは個人Bの戦略、1は労働しない、0は労働する)
  
  個人の選好:
  A: a1b0, a0b0, a1b1, a0b1
  B: a0b1,a0b0, a1b1, a1bo 
  
4.規範の受容可能性

  個々人が次のような規範を受容するとしよう。
  1)相互性原理
  「他者が自粛するならば、自分も自粛する、他者が自粛しないならば、自分も自粛しない。自分が自粛するならば他者も自粛する、自分が自粛しないならば、他者も自粛しない」。この場合は、2つの均衡解が生じる。(自粛する、自粛する)、(自粛しない、自粛しない)いずれの状態にあるときもそこから動く誘因をもたない。ただし、どちらの状態が出現するかは、相互性原理だけでは決まらない。はたして、自分も他人も「自粛する」ことを期待できるか。次のような解決方法が考えられる。
  1')相互性原理の優先的適用により、(自粛する、自粛する)、(自粛しない、自粛しない)という2つの状態に、選択可能なメニューを限定する。→規範によるメニュー限定性(Sen, 2003)。そのうえで、個々人が自己の利得に関して比較評価するならば、(自粛する、自粛する)が、各人の最適反応の結果、実現する。
  1")相互性原理の優先的適用により、「(他者が同様の行為をとる限り)、自粛する行為はしない行為よりも望ましい」という道徳基準を構成する。これを個々人の選好評価が反映するとしたら、自粛することが各人の選好評価に基づいて最適戦略となる((自粛する、自粛する)>(自粛しない、自粛しない)>(自粛しない、自粛する)、(自粛しない、自粛する)という準順序が形成される)。→規範による選好評価の制約(Sen, 2003)。

  2)道徳基準の優先的適用。他者が自粛しようがしまいが、それとは無関係に、各人は「自粛する」行為を選択する((自粛する、自粛する)>(自粛する、自粛しない)>(自粛しない、自粛する)、(自粛しない、自粛しない)という準順序が形成される)。

結びに替えて――「法と経済学」の研究課題

1.衡平性・公正基準の探求
@貢献原理と必要原理とのバランスルールの提起(Sen, 1967, 後藤,1994)
AWEA基準(Weak Equity Axiom), Lexical Maximization基準の提起(Sen, 1970, 1977b).
B非完備的判断に基づく社会政策の重視:完備性をみたす法・制度の構築を図るよりも、非完備な判断を下す実践・行政によって「明白な不正義 (patent injustice)」を1つ1つ除去していく。(Sen, 1999, 鈴村・後藤, 2001, p.295)
Copen impartialityの提唱: Sen, 2002, 2004, 2005参照のこと。また、後藤による反論は2004a,b参照のこと.
  Cf. "J-based Capability Maximin Rule"の提唱 (Gotoh R. and N. Yoshihara, 2003)、「福祉の公正性について」(後藤、2005)

2.「合理性」と「最大化」:二大行動仮説の再検討
@選択の内的整合性(internal consistency)の仮定を越えて(Sen, 1984: 2002):
choosing x from { x, y } and y from { x, y, z }は矛盾している?
外的対応(external correspondence)、すなわち、外的規範・理由、選択によって追求されている背景的目的や価値との対応性に関する解釈を抜きに、internal consistencyを語ることには意味がない。saying A and not-saying Aすら、語られる文脈によっては矛盾ではないかもしれない。
注:「内的整合性(internal consistency)」とは。
  [記号→掲載できず→後で掲載]
  という選択ペアは、以下に記述する顕示選好や選択の二項性、集合の縮小整合性など経済学では標準的に仮定されている内的整合性条件を侵す。
  顕示選好 :[〃]
  選択の二項性:  For every nonempty S,[〃]
  選択肢集合の縮小整合性:[〃]
  
A最大化(行動)の仮定を越えて(Sen, 1995:2002, ch.4)
 Optimizationに限られないMaximization行動の多様性:optimizationは、他のどの選択肢と比較して同じか善い選択肢を選ぶ行為をいうのに対し、maximizationは他のどの選択肢と比較して悪くはない選択肢を選ぶ行為をいう。前者は、選好の完備性を前提とするが、後者はそれを前提としない。例1:2つの干し草のどちらがよいか最後まで決められないビュリダンのロバ。「飢え死にするより、どちらかを食べる方がよい帰結をもたらす」(Sen, 2000, p.487)例2:

3.個人の選好(判断)形成プロセスと民主主義的集計(合意形成)手続きの探求
@ranking of preference patterns (types), meta-preferenceへの注目:
"(I) would like to ask the more fundamental question what kind of "social choice" underlies the contingent valuation procedure"(Sen, 1996:2002, p.539).
Apublic discussion, public reasoningの重視:Cf. public choice theoryとの関連。
Bposition-dependent objectivity, open impartialityの提唱(Sen, 1993, Sen, 2002b):cf. "Whatever action any of us judges to be right for himself, he implicitly judges to be right for all similar persons in similar circumstances". ( H. Sidgwick, 1907, p.379)

4.ケイパビリティ・アプローチの展開

1)概念的意味
  ある個人の潜在能力は、本人の達成可能な福祉の選択肢集合を表すものであり、選択の幅を示すものである。達成可能な選択集合の中から、実際にどの福祉を実現するかは、本人の目標に応じた選択が尊重される。

2)注記
@opportunityに着目する意図は、社会的保障の対象を機会集合の保障に届め、機会集合からの個人の選択を尊重する点にある。→消費者主権の考え方と親和的。
Aただし、文脈に応じて、opportunityの保障をターゲットとした方がよい場合とachievementの保障をターゲットとした方がよい場合がある。→その理論的根拠:Control freedomとEffective freedomの区別:前者は個人の意思的選択を自由の要件とするのに対し、後者は個人の利益の達成を自由の要件とする。センはその両方に注目する。また、choiceとpreferenceの区別(Sen, 1992:自由のゲームフォーム定式化に反対する文脈で):ある場合には、本人の選択を越えて、本人の利益を直接まもる必要がある。
B個人は自己の福祉に対する「評価」(体系)をもつと仮定される。そのような評価は、本人の主観的営みである点において「効用」と共通するものの、対象が明確に福祉である点において、効用(財から得られる快、満足、あるいは幸福)よりも分析的であると考えられる。また、福祉以外の目標に基づく個人の選択動機を多層的に理解する道を開く。
C社会的に保障すべき潜在能力の具体的内容は、理論的に与えられるものではなくて、社会を構成する個々人の意思を基盤とする社会的な意思決定プロセスによって決められる。重要なことは、自己の持ちうる多様な関心や自己のなしうる多様な選択の中から、公共的な判断により相応しいものを選択しようという、個人のメタ的評価の営みであり、そのような評価を形成する理由を広く公共的に問うような討議プロセスである。

3)現代日本におけるケイパビリティ・アプローチの妥当性
  市場が成熟した社会において、ケイパビリティ・アプローチを用いることの意義はどこにあるのだろうか。例えば、格差原理を提唱したロールズは、個人の境遇を社会政策の対象とする限り、個人間比較評価を免れ得ないこと、比較評価に際しては特定の価値尺度がクローズアップされ他が切り捨てられることを問題とした。彼が「最も不遇な人々」の特定化にあたって、最終的に所得を近似値として用いることを選んだ背景には、現代社会において、所得の大小評価は「ひと自身の価値」(value in him, of him, by him, Kukatas and Pettit, 1985)とは相対的に別ものと考えられるからだ。所得が不足している人には所得を補えばよい。それ以上、その人自身の目的・価値・評価に踏み込む必要はない(後藤、1999,Gotoh,1999)。
  例えば、日本の現行の生活保護制度は、水準(平均消費支出)均衡方式を用いている。それは、市場価格を所与として「必要な」財・サービスの種類と量を捕捉しようとしたものの、実際には「栄養」に偏りがちだったマーケット・バスケット方式に代えて、考案された方式である。確かに、近年行われた調査によれば、「いまの日本で生活していくうえで必要なものは何ですか」という問いに対する人々の回答は、厳しく禁欲的なものだった(後藤玲子他(2004)「福祉に関する意識調査」『季刊社会保障研究』)。それに基づいて生活保護費を算出するとすれば、「健康で文化的な生活」水準(憲法25条)とはほど遠い結果となるだろう。ここには「必要」を帰納的に導出することの方法的な難しさがある。ただし、例えば、特別の属性を理由として特別の需要をもつ人々に関して、ある特定の諸機能の種類や量、ある特定の財やサービスの種類や量の必要を絶対的に捕捉し、平均消費水準に追加的に保障することは可能であり、実行されなくてはならないだろう。「目標別給付の対象となった個人は、単にincome maximizationを動機とするのではなく、受給を通して得られる、また失う様々な価値(達成可能な諸機能)を広く考慮したうえで、自己の行動を選択するだろう」(Sen, 1995, p.18)。
  
5.福祉への権利(Right to Well-being)と公共的相互提供システム再考
  (参考1)「日本の生活保護制度について」
  「現代資本主義社会においては、紛れもなく、多目的手段である所得をもとにした市場的消費活動が重要な意味をもっている。だが、いかに成熟した市場であっても、依然として市場では充足困難なもの、あるいは、市場の外にあって市場での充足を格段に有利にする資源があることも確かである。近親者による物的・心的支え、本人の学歴、病歴、職業や子どもを通じて得られる人的ネットワーク、本人のコミュニケーション能力、生活習慣、友人・恋人の存在など。それらをもつことはひとにとって僥倖であるとともに、それらはひと自身が自己の僥倖を生かしつつ生み出してきたものである。それらは外的なものでありながら、ひと自身の内的性質や自我と深く結びついたものである。そして、それらは、それらがあることによってひとが市場で就労し続けることがまがりなりとも可能となる一方で、それらを欠くことがひとの就労を著しく困難にしてしまうような何かである。
  いま、自立の基盤には、安全でディーセントな衣食住、心身の健康の他に、安定した生活設計、生涯的なプランニング、リスクに対処する活動や将来に対する投資活動、さらにはさまざまな人間関係を通して展開する社会活動や文化活動などが含まれるとしよう。これらに関する低所得母子世帯の特徴は、通常、必需項目と考えられている財やサービスの消費を数量的に、あるいは質的に抑制しながら、むしろ、通常、選択項目と考えられている子どもを通じた社会活動、自分や子どもの将来投資に、所得や時間を振り向けようとしている点に見られる。それに対して、生活保護受給母子世帯の特徴は、通常は必需と考えられている財やサービスの消費は、低所得母子世帯を若干、上回る一方で、社会活動や将来設計に向けた投資は極端に少ない点に見られる。その主要な理由は、社会活動や将来設計に向けた投資は一般には必需と考えられていないからであり、必需と考えられている財やサービスの消費に比べて社会的な抵抗感が大きいからであると推測される。このことは、社会活動や将来設計を推進させていくために必要な初期条件の不足――私的扶養関係・資産・労働機会の喪失など――をますます加速する結果になりかねない。
  低所得でありながら生活保護を受給しない母子世帯は、物価や労働市場のわずかな変動に翻弄されながらも、また、厳しい就労条件や職場環境、時間のやりくりに苦悩しながらも、就労できる環境的・身体的・精神的条件を辛うじてもっていると考えられる。手元にあった親族、職場や近隣らとの人的ネットワークを保持し、社会活動や将来設計に努めることが、困窮の回避につながったというケースもあるだろう。だが、彼女たちは同時に、ひとたび生活保護を受給したら、人的ネットワークを失い、社会活動や将来設計の機会を大きく制約されるのではないかという恐れを強くもっている点に留意する必要があるだろう。その恐れは、生活保護に入る時期を遅らせ、のっぴきならぬ事態を招く危険があるからだ」。(後藤玲子「公的扶助制度の意義とそれを支えることの意味」小笠原浩一編「福祉社会のアジェンダ」(中央法規、近刊)より)。

(参考2)「アメリカの最低所得保障」について。
  「アメリカの福祉関連プログラムは、1)既存の社会制度(私的所有に基づく市場経済制度)のもとでvulnerableな人々、生活の困窮が予想される人々をあらかじめ特定化し、その人々を保護するために全般的な所得保障を意図するものと、2)特定の財やサービスに対する必要による生活の圧迫に対処しようとするもの、さらに3)特定の公共的価値(自由競争市場への参加、健全な家族、アメリカ人としての統合、国家保全など)を推進しようとするものに分かれる。1)の代表は、老齢者・視覚障害者・心身障害者を対象とする補足的保障所得(SSI)、要扶養状態にある子ども(18歳未満)を対象とする困窮家族への一時扶助プログラム(TANF)である。2)の代表は、フードスタンプ、医療扶助(メディケイド)、住宅援助その他である。それに対して、諸種の就労支援・職業訓練サービスは、3)の代表と考えられる。
  個人の福祉(well-being)を実現するという目標において、公的保障制度だけでは十分ではないことは明らかだろう。1996年のアメリカ福祉改革は、それに加えて、公的保障制度が必要でもないことを明らかにしようとするものなのだろうか。1996年当時のクリントン大統領は個人の自立や家族機能などを公共的価値として強調したものの、それを支える連邦財政の役割に関しては否定することはなかった 。それに対して、ブッシュ大統領は「思いやりのある保守主義(compassionate conservative)」というスローガンのもと(2002年1月大統領演説)、教会やコミュニティ、個人に対し、「明白な弱者の保護」を目的とする慈善や寄付の増進を呼びかけ、福祉への連邦支出を削減することを主張した。アメリカの福祉は、分権的な福祉政策の範であるのみならず、民(たみ)主導の福祉モデルを提供していると解釈されるのかもしれない。
  だが、現在のアメリカでは、就労義務を梃子にした受給者の削減、公的な所得保障制度の縮小に歯止めがないことも確かだ。連邦憲法に生存権の規定がないこと、社会保障法から公的扶助に対する個人の権原が削除されたことの影響は計り知れない。翻って日本はどうだろうか。生存権規定がある限り、現在日本で、「困窮のみを理由とする給付」の正当性を、表立って否定されることはない。だが、実際には、就労義務の対価としての給付という考え方が少しずつ拡大し、公的な所得保障が縮小されていく可能性を否定できない。
  本研究の目的は、アメリカの福祉改革の現実的な展開を探ること、それを通じて、福祉に関する法権利規定と公的制度の意味を再考することにある。アメリカでは、はたして、どのようなかたちで福祉が実現されているのだろうか、現在、どのような問題が進行し、今後、それはどのような様相をとる恐れがあるのだろうか。いま、アメリカの公的扶助研究の意義は大きい」。(後藤玲子「アメリカの最低生活保障」『最低所得保障研究会』報告原稿2005年6月22日)

参考文献
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後藤玲子(1999b)「社会保障と潜在能力理論」『経済セミナー』、530, pp. 25-30.
後藤玲子(2002)『正義の経済哲学:ロールズとセン』、東洋経済新報社.
後藤玲子(2003)「アマルティア・セン 個人の主体性と社会性・公共性のバランス」『人間会議』宣伝会議,2003冬号, pp.30-34.
後藤玲子(2004)「公的扶助研究の基本的視座」『季刊社会保障研究』Vol. 36.1, pp.38-55, 2004.年3月.
後藤玲子他 (2004)「現代日本社会における<必要>とは:福祉に関する意識調査より」『季刊社会保障研究』Vol. 36.1, pp.38-55, 2004.年3月.
後藤玲子(2004)(書評論文)若松良樹『センの正議論』ホセ・ヨンパルト・三島淑臣・長谷川晃編『法の理論23』,成分堂.
後藤玲子「公的扶助制度の意義とそれを支えることの意味」小笠原浩一編「福祉社会のアジェンダ」(中央法規,近刊)
後藤玲子(2005)「福祉の公正性について」,連合総研レポート,No.195
鈴村興太郎・後藤玲子(2001/2002)『アマルティア・セン:経済学と倫理学』実教出版.
若松良樹『センの正議論』ホセ・ヨンパルト・三島淑臣・長谷川晃編『法の理論23』,成分堂.


UP:20050704
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