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かがく対話

松原 洋子 2005/04/01
『京都新聞』2005/04/01朝刊


  私たちの社会では、いま、リスクを回避しようとする考え方が広まり、人生設計の上でも重要な要素になっている。予測されるリスクはあらかじめ回避する処置をとるべきだとされる。こうした風潮は多くの人に当然と受け止められ、生命科学技術のあり方にも関連しているのではないか。
  遺伝子診断について考えた場合、特定の疾患になりやすいのか、なりにくいのか、当事者にとって非常に大きな問題となるだろう。ただし、遺伝子診断の結果が、血糖値や尿酸値と同等に受け止められるかと言えば、決してそうではない。
  なぜなら、その影響が血縁関係者にも及ぶ場合がある。さらに研究が進むと、遺伝子のある断片から別の情報が分かるかもしれない。もし、その情報が治療困難な疾患だとすれば、新たに偏見や差別の原因になる可能性も出てくる。
  米国では一九七〇年代から八〇年代にかけて、進行性の神経難病であるハンチントン病の原因遺伝子を発見し、将来の治療に役立てようと、発症リスクを抱える人、患者や家族らが研究に協力した。当事者の熱心な活動があり、九三年には、原因の遺伝子を突き止められ、精度の高い遺伝子診断が実現した。
  これにより、当事者は厳しい選択を迫られることになった。もし検査結果が陽性であったとしたら、その人は発症にいたるまで、どのような人生を送ればよいのか。葛藤のすえに出た結論の一つは「知らない権利、知らされない権利」という倫理原則だった。医学的に発想すれば、発症リスクを予見する方が望ましいかもしれないが、当事者にとって、異なる選択肢もあるということだ。
  遺伝子診断と並び、不妊治療にもリスク回避の考え方が強まっている。自然な状態で赤ちゃんを産めない人が産めるようにすることに最大の狙いがあり、この段階では、優生学的な考え方に対抗した側面もあった。
  生殖補助技術で「安全」といった場合、まず病気や障害のない子どもを産むことが目標とされる。リスクを極力排除しようとすると、出生前診断や胚の選別といった技術の介入は避けられなくなる。生殖補助技術を万全にしようとするほど、優生学的な要素が入ってきてしまう。また患者の側も、こうした技術の精度や効果を疑わず、安心を得たい一心で技術を過信しがちだ。
  健康でありたい、という願望が暴走すると生命の実相を見失うことになる。生物として生まれた限り、生老病死はひとそれぞれであり、その多様性の中に人間の可能性が広がっている。しかし、過酷な運命に挑戦するのも、また人間の「自然」である。ただしそれが今様の「リスク回避」と同義であるかかは別だ。
  生命科学と医学は、生命の知識と技術で運命の不条理にあらがい、等身大の人間の限界を超えさせてきた。これは古い人間像の破壊と刷新をもたらし、不遇だった人々に力を与えもした。生命の網に連なるヒトの倫理、そして生命科学と技術を冷静に査定しつつ考える時期に来ている。(談)


UP:20050404
遺伝子検査  ◇ハンチントン病  ◇全文掲載  ◇全文掲載(著者名50音順)
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