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今日、この日、たった今から、これを読むすべてのあなたへ

朝霧 裕(作家・シンガーソングライター) 2005/04
http://www3.to/dacco



生活の権利とその手段が絶たれる内容に決まることがあれば、
脅しではなく、大げさではなく、遺書を書いて、
マスコミに必ず掲載をされるやりかたで、命を絶って抗議する。 
私ごときの命でも、その一度くらいは役にも立つかもしれぬ、
至って本気である。」
と、家族にも友にも宣言し、
「いや、お前、一人が死んだくらいでは、世の中何も変わらないこと
くらい、昨今のニュースを見れば解るでしょう。
外を見ろ、こうしてともに動く人々が一人ではないではないか」
と、止められ、あきれられしたのは・・・ ・・・2年前。
2003年2月半ばのことだった。

その当時、私は家族のあるふるさとから出、24時間の生活介助を
付け、この町での暮らしをはじめて、1年目。
これまでの10年、障害をもつ人は、施設へ行くか、作業所のように
障害をもつ人のみの働ける場に行くか、
「それ以外は無い」というのが、先進的な考えの人々を除く多勢の
見方だった時代から、21世紀が開けた。

そして、あらたにはじまることとなっていた
「自己負担のない介助保障・支援費制度の施行」こそ、
私のあらゆる人権基盤の唯一の保障法・・・ ・・・。
「ああ、私もようやく、人として、社会に参加できる!」
という希望、そのものだったのだ。

生まれつき筋肉が発育せず、徐々に弱くなる難病
ウエルドニッヒ・ホフマン症をもちながら生活を
する私に、介助者は必須。立つこと、歩くこと、ものの
持ち運び、他、生活動作全般の介助である。

今までの二十余年は、
家でそれを、母の手一つが行っていた。高熱が出ても、
腰痛になっても、どんなに身体が疲れても、充分な
制度が無かったため、自分の足腰が痛いというときさえも、
母がやっていたのである。

当然、外出もままならない。買い物もままならない。
仕事なんか、行ける手段がない。

しかし、支援費制度の施行は、まさに<新時代>のはじまり。

事業所をよく選び、支援費制度を活用すれば、
家を出ても、夜の寝返り、トイレや入浴、食事つくりの介助、
また、これが、これまでの歴史から考えて、ことさらに肝心なことで、
講演・コンサートなどの<就労時間内の移動やトイレの介助>を、
はじめて介助者へ依頼できる!!

物理的にできないことを介助者にサポートしてもらい、
自分は自身の努力をしてゆけば、
「就きたい仕事へ就けるかもしれない」という希望が持てるのだ。

とにかく、<チャレンジをする権利の保障>、まではいける。
そう思った。(そして、事実、現状では、そうなった。)

これまで、「仕事中トイレを頼もうと思っても介助者がいない」
を理由に、就労の道がことごとく閉ざされた経験をもつ
私は、支援費の話が世に出始めたとき、
希望で、ぽろぽろと涙をこぼして泣いた。

そして、すでに街へ出て介助者を生活に入れながら
ひとり暮らしをはじめていた先達の助けもあって家を出て、
今に至るのである。

アパートが決まり、介助者が決まり、家を出た日は、
はじめて、ほんとうの意味で、<生きるため>に人生を得た、
という希望で胸がいっぱいだった。
「わたしはこれから、生きるのよ!」
と、だれかに、だれへでも、元気いっぱい、
命の底から叫びたい気持ちだった。

「ずいぶんと大げさな文章!何も、それまでを
投獄されていたわけでもなかろうに」と思う方が
いるかも知れないが、<肉体に障害がある、そして介助者が居ない>
という状況は、ベットに寝たら寝っぱなし、
自分では首が起こせない、車いすに座れない、
トイレに行きたい時に人がいなければガマンにガマン、
外へ出られない、家へ入れない、、、、
まったく、「身体拘束をされている状態」と同じなのだ。

私の肉体にいま残る力は、このパソコンを今打つこと、
スプーンやはしででご飯を食べること、単行本を胸の位置まで
持ち上げること・・・ ・・・くらいだから、どうしても体験したい人が
いたら、「両足を紐で縛って、両腕も紐で縛って、食事の時はしを持つ、
ノートに鉛筆でものを書く、以外の動作を、人に頼んで生きてみる
実験をしてみてください」
と言うしかない。

そして、私の筋肉の細胞は、ちょっとずつ、
年ごとに壊れていくから、物理的にできないことは増える。
ということは、介助者へ頼むことは、
増えるばかりである。
それを思うと、私にとって、介助保障は、
命それ自体の保障と、生活の質の保証、そのもの。
揺らぐことの許されない基盤である。

前述の、「死んで抗議をしてやるわ」と言った日は、
その公費での支援費制度案が急転、
第一次施行の直前に、<一日の介助時間が一人につき
一律4時間になる>という案が、ごり押し施行の寸前で、
表ざたになった日であった。

あの日。2月半ばの寒空を、延べ2000人の人々が
デモをしてそれを止めた。障害のある、なしは関係なかった。
<人間として>、人間は、生まれ持った肉体や精神に起因する
自由・不自由で、一生を泣き暮らすべきではない、
この国では、法さえそれを許してはいない、ということを、
わかっている人々がそれを止めた。

厚生労働省の前には、
ベンチレーターをつけて地域生活を送る佐藤きみよさんが、
執筆から社会へ自立生活の意義や人権に提言を続ける第一人者、
安積遊歩さんが、
そんな障害を持つ当事者とともに、早くから優生思想や着床前診断に着目、
<命の選別に断固反対>の声を見識者の立場から崩さない
市野川容孝教授が・・・ ・・・そして、当時に、私とともに仕事を
していた、ジャーナリズム畑の先輩方が・・・そして、私が居た。
<生きる>という精神の元に集った、ほんとうの、人間の命そのものがあった。
私は、圧倒されてしまい、厚生労働省・正面玄関の隅っこで、
「とにかくこれを、この、人間が生きる姿を、目に焼き付けて、覚えておこう」
と、目を見開いて、ただ見ていたのを覚えている。

そしてまた2年。ようやく暮らしができるようになった。
ようやく、身体の障害を越えたところでの、人の幸せというものを、
感じながら、自分の生活ができるように、なった。
なのに・・・ ・・・ほんとうにようやくの、今。
今日は、21世紀、ともに生き、待ち望んだ今日なのに・・・・。

今またこのサイト上に集まった文章を見ながら、
「生活が継続できるのか」という根本に不安を再び覚えながら、
なぜ悲しみと不安とで、こんなふうに泣かなくてはいけないの。

「生まれたとき歩くことができなかったら、それだけで、自由を絶たれて
しまうの?生まれたとき歩くことができなかったのは、
私が私のこの体なのは、私のせいじゃないんだよ?
それに私は、このからだでもね、
このからだが大好きだったんだよ?!
やっと、自分の生きられるだけの時間をもてて。
やっと、信頼できる介助者がいて。
夢があって、まだまだ、やりたいことがあって、
もし寝たきりになろうが、
呼吸器をつけようが、関係ない、ここで、この街で、
生きて、生きて、生きたいだけを生きて、
死ぬ時は介助者の彼女ら仲間が見取ってくれさえしたら、
障害が進むことなんて、ちっとも怖くない。
少しも、不幸じゃあないと、今日へ来て、
生まれてはじめて思えたんだよ?」

・・・ ・・・と、だれに言えば、届く?
だれに届く?

<介助内容に応じた自己負担額が支払えなければ
介助者を呼べない>
のであれば、私の生活は破綻する。
重度の障害をもつ人の、暮らしから、順に、破綻する。

こんな先進国は他に無い。もはや先進国ではない。

今、海外のメディアも巻き込んでの声を上げていかなければ、
「経済的に裕福な者でなければ必要な介助を受けられない」
という現実がまかり通る。
これは、経済的に困難な人、障害の重い人から先に、
地域から施設へ押し戻し、
また「自己の人格・自由・人生を持たせない」生活に戻す、
段階的な市民の殺人に等しい。

介助時間の支給料を<他人が決定する>ことも、
断固あってはならないことだ。
最終決定を本人に「与えない」以上、
<本人の意志を最終的には無視します>ということと、同じだからだ。

「もういいや、亡命だ、こんな国」
と、絶望し、学問、知識の何もない私の唯一のできることとして
やっぱり死んで抗議だわ、と、また考えていたところで
このサイトを見た。

お一人お一人ずつの文章を読むごとに泣いた。

一人、二人が死ぬくらいでは変わらないくらいのこの国ならば、
居座って、生きて、書いて、書き続けて、
未来を呼ぶんだ。
一人じゃないから。生きていたいから。人間だから。

そう思った。

あなたに、この声が届くだろうか。

私は、介助制度さえしっかりし、信頼できる方々が居れば、
このからだの障害そのものが進むことを、怖いと思うことは、ない。
だって、このからだで会えたすべての方々がいて、
今この人生があることが、人としてのよろこびであり、幸せだからだ。
生まれて、生きてきたことへの、よろこびと感謝の念しかないから。

けれど、このただ一度の人生が<介助者へお金が払えるか>という
ものさしの一点で、おびやかされ、絶たれてしまうことは怖い。
このような思想のこの国が、怖い。
それは許されないことだ。そうなったら、介助者を満足に得られなかったら、
「障害があるなんて、自由に動けなくて可愛そう」
と、このからだが、意を無視して不幸の象徴であった時代に、
後戻りをしてしまうからだ。
<障害が重ければ重いほど、生活が大変>
そして、変える術がなかったあの時代。
幾人の人が、病院や施設で亡くなったことだろうか。

政府による、市民の<段階的な人間性の殺人>、<自由の略奪>を
許してはだめ。しかも、重度の人から順に生活が不便になるなど、、、
時代をあとへ戻してはだめ。

私は、この町で、皆さんとともに生きて居たい。

死ぬその日まで、この町で、人として、皆様とともに生きる願いを込めて・・・ ・・・。


UP:20050426
障害者自立支援法、最初っからやり直すべし!  ◇「障害者自立支援法」2005  ◇全文掲載

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