生活の権利とその手段が絶たれる内容に決まることがあれば、
脅しではなく、大げさではなく、遺書を書いて、
マスコミに必ず掲載をされるやりかたで、命を絶って抗議する。
私ごときの命でも、その一度くらいは役にも立つかもしれぬ、
至って本気である。」
と、家族にも友にも宣言し、
「いや、お前、一人が死んだくらいでは、世の中何も変わらないこと
くらい、昨今のニュースを見れば解るでしょう。
外を見ろ、こうしてともに動く人々が一人ではないではないか」
と、止められ、あきれられしたのは・・・ ・・・2年前。
2003年2月半ばのことだった。
その当時、私は家族のあるふるさとから出、24時間の生活介助を
付け、この町での暮らしをはじめて、1年目。
これまでの10年、障害をもつ人は、施設へ行くか、作業所のように
障害をもつ人のみの働ける場に行くか、
「それ以外は無い」というのが、先進的な考えの人々を除く多勢の
見方だった時代から、21世紀が開けた。
そして、あらたにはじまることとなっていた
「自己負担のない介助保障・支援費制度の施行」こそ、
私のあらゆる人権基盤の唯一の保障法・・・ ・・・。
「ああ、私もようやく、人として、社会に参加できる!」
という希望、そのものだったのだ。
生まれつき筋肉が発育せず、徐々に弱くなる難病
ウエルドニッヒ・ホフマン症をもちながら生活を
する私に、介助者は必須。立つこと、歩くこと、ものの
持ち運び、他、生活動作全般の介助である。
今までの二十余年は、
家でそれを、母の手一つが行っていた。高熱が出ても、
腰痛になっても、どんなに身体が疲れても、充分な
制度が無かったため、自分の足腰が痛いというときさえも、
母がやっていたのである。
当然、外出もままならない。買い物もままならない。
仕事なんか、行ける手段がない。
しかし、支援費制度の施行は、まさに<新時代>のはじまり。
事業所をよく選び、支援費制度を活用すれば、
家を出ても、夜の寝返り、トイレや入浴、食事つくりの介助、
また、これが、これまでの歴史から考えて、ことさらに肝心なことで、
講演・コンサートなどの<就労時間内の移動やトイレの介助>を、
はじめて介助者へ依頼できる!!
物理的にできないことを介助者にサポートしてもらい、
自分は自身の努力をしてゆけば、
「就きたい仕事へ就けるかもしれない」という希望が持てるのだ。
とにかく、<チャレンジをする権利の保障>、まではいける。
そう思った。(そして、事実、現状では、そうなった。)
これまで、「仕事中トイレを頼もうと思っても介助者がいない」
を理由に、就労の道がことごとく閉ざされた経験をもつ
私は、支援費の話が世に出始めたとき、
希望で、ぽろぽろと涙をこぼして泣いた。
そして、すでに街へ出て介助者を生活に入れながら
ひとり暮らしをはじめていた先達の助けもあって家を出て、
今に至るのである。
アパートが決まり、介助者が決まり、家を出た日は、
はじめて、ほんとうの意味で、<生きるため>に人生を得た、
という希望で胸がいっぱいだった。
「わたしはこれから、生きるのよ!」
と、だれかに、だれへでも、元気いっぱい、
命の底から叫びたい気持ちだった。
「ずいぶんと大げさな文章!何も、それまでを
投獄されていたわけでもなかろうに」と思う方が
いるかも知れないが、<肉体に障害がある、そして介助者が居ない>
という状況は、ベットに寝たら寝っぱなし、
自分では首が起こせない、車いすに座れない、
トイレに行きたい時に人がいなければガマンにガマン、
外へ出られない、家へ入れない、、、、
まったく、「身体拘束をされている状態」と同じなのだ。
私の肉体にいま残る力は、このパソコンを今打つこと、
スプーンやはしででご飯を食べること、単行本を胸の位置まで
持ち上げること・・・ ・・・くらいだから、どうしても体験したい人が
いたら、「両足を紐で縛って、両腕も紐で縛って、食事の時はしを持つ、
ノートに鉛筆でものを書く、以外の動作を、人に頼んで生きてみる
実験をしてみてください」
と言うしかない。
そして、私の筋肉の細胞は、ちょっとずつ、
年ごとに壊れていくから、物理的にできないことは増える。
ということは、介助者へ頼むことは、
増えるばかりである。
それを思うと、私にとって、介助保障は、
命それ自体の保障と、生活の質の保証、そのもの。
揺らぐことの許されない基盤である。
前述の、「死んで抗議をしてやるわ」と言った日は、
その公費での支援費制度案が急転、
第一次施行の直前に、<一日の介助時間が一人につき
一律4時間になる>という案が、ごり押し施行の寸前で、
表ざたになった日であった。
あの日。2月半ばの寒空を、延べ2000人の人々が
デモをしてそれを止めた。障害のある、なしは関係なかった。
<人間として>、人間は、生まれ持った肉体や精神に起因する
自由・不自由で、一生を泣き暮らすべきではない、
この国では、法さえそれを許してはいない、ということを、
わかっている人々がそれを止めた。
厚生労働省の前には、
ベンチレーターをつけて地域生活を送る佐藤きみよさんが、
執筆から社会へ自立生活の意義や人権に提言を続ける第一人者、
安積遊歩さんが、
そんな障害を持つ当事者とともに、早くから優生思想や着床前診断に着目、
<命の選別に断固反対>の声を見識者の立場から崩さない
市野川容孝教授が・・・ ・・・そして、当時に、私とともに仕事を
していた、ジャーナリズム畑の先輩方が・・・そして、私が居た。
<生きる>という精神の元に集った、ほんとうの、人間の命そのものがあった。
私は、圧倒されてしまい、厚生労働省・正面玄関の隅っこで、
「とにかくこれを、この、人間が生きる姿を、目に焼き付けて、覚えておこう」
と、目を見開いて、ただ見ていたのを覚えている。
そしてまた2年。ようやく暮らしができるようになった。
ようやく、身体の障害を越えたところでの、人の幸せというものを、
感じながら、自分の生活ができるように、なった。
なのに・・・ ・・・ほんとうにようやくの、今。
今日は、21世紀、ともに生き、待ち望んだ今日なのに・・・・。
今またこのサイト上に集まった文章を見ながら、
「生活が継続できるのか」という根本に不安を再び覚えながら、
なぜ悲しみと不安とで、こんなふうに泣かなくてはいけないの。
「生まれたとき歩くことができなかったら、それだけで、自由を絶たれて
しまうの?生まれたとき歩くことができなかったのは、
私が私のこの体なのは、私のせいじゃないんだよ?
それに私は、このからだでもね、
このからだが大好きだったんだよ?!
やっと、自分の生きられるだけの時間をもてて。
やっと、信頼できる介助者がいて。
夢があって、まだまだ、やりたいことがあって、
もし寝たきりになろうが、
呼吸器をつけようが、関係ない、ここで、この街で、
生きて、生きて、生きたいだけを生きて、
死ぬ時は介助者の彼女ら仲間が見取ってくれさえしたら、
障害が進むことなんて、ちっとも怖くない。
少しも、不幸じゃあないと、今日へ来て、
生まれてはじめて思えたんだよ?」
・・・ ・・・と、だれに言えば、届く?
だれに届く?
<介助内容に応じた自己負担額が支払えなければ
介助者を呼べない>
のであれば、私の生活は破綻する。
重度の障害をもつ人の、暮らしから、順に、破綻する。
こんな先進国は他に無い。もはや先進国ではない。
今、海外のメディアも巻き込んでの声を上げていかなければ、
「経済的に裕福な者でなければ必要な介助を受けられない」
という現実がまかり通る。
これは、経済的に困難な人、障害の重い人から先に、
地域から施設へ押し戻し、
また「自己の人格・自由・人生を持たせない」生活に戻す、
段階的な市民の殺人に等しい。
介助時間の支給料を<他人が決定する>ことも、
断固あってはならないことだ。
最終決定を本人に「与えない」以上、
<本人の意志を最終的には無視します>ということと、同じだからだ。
「もういいや、亡命だ、こんな国」
と、絶望し、学問、知識の何もない私の唯一のできることとして
やっぱり死んで抗議だわ、と、また考えていたところで
このサイトを見た。
お一人お一人ずつの文章を読むごとに泣いた。
一人、二人が死ぬくらいでは変わらないくらいのこの国ならば、
居座って、生きて、書いて、書き続けて、
未来を呼ぶんだ。
一人じゃないから。生きていたいから。人間だから。
そう思った。
あなたに、この声が届くだろうか。
私は、介助制度さえしっかりし、信頼できる方々が居れば、
このからだの障害そのものが進むことを、怖いと思うことは、ない。
だって、このからだで会えたすべての方々がいて、
今この人生があることが、人としてのよろこびであり、幸せだからだ。
生まれて、生きてきたことへの、よろこびと感謝の念しかないから。
けれど、このただ一度の人生が<介助者へお金が払えるか>という
ものさしの一点で、おびやかされ、絶たれてしまうことは怖い。
このような思想のこの国が、怖い。
それは許されないことだ。そうなったら、介助者を満足に得られなかったら、
「障害があるなんて、自由に動けなくて可愛そう」
と、このからだが、意を無視して不幸の象徴であった時代に、
後戻りをしてしまうからだ。
<障害が重ければ重いほど、生活が大変>
そして、変える術がなかったあの時代。
幾人の人が、病院や施設で亡くなったことだろうか。
政府による、市民の<段階的な人間性の殺人>、<自由の略奪>を
許してはだめ。しかも、重度の人から順に生活が不便になるなど、、、
時代をあとへ戻してはだめ。
私は、この町で、皆さんとともに生きて居たい。
死ぬその日まで、この町で、人として、皆様とともに生きる願いを込めて・・・ ・・・。