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「障害疑似体験の功罪――実態調査と自主体験結果から」

障害学研究会関西部会第23回研究会 於:ヒューマインド(大阪府福祉人権推進センター)2F・研修室2
2005/02/06


障害学研究会関西部会第23回研究会

報告者:関大Disability Studiesグループ(KDSG、社会学部杉野昭博ゼミ3年生)
日時:2月6日(日) 午後2時〜5時
会場:ヒューマインド(大阪府福祉人権推進センター) 2F・研修室2
テーマ:障害疑似体験の功罪〜実態調査と自主体験結果から
司会:横須賀俊司(県立広島女子大学)

[事前に案内メールに付された杉野昭博氏による報告概要]
「障害疑似体験」については、イギリス障害学においては、1989年の『障害と社会』誌に掲載されたサリー・フレンチによる厳しい批判
Sally French, 1989, "Simulation Exercises in Disability Awareness Training: A Critique"
http://taylorandfrancis.metapress.com/app/home/contribution.asp?wasp=ef6tmfk3wp1vxjc15jvw&referrer=parent&backto=issue,4,16;journal,69,89;linkingpublica tionresults,1:100641,1【※20090713現在は以下に移動→http://www.informaworld.com/smpp/content~db=all~content=a713662637?words=simulation,exercises
があり、疑似体験を用いない啓発プログラムとして障害平等研修(DET)が開発され実践されている。DETについては久野研二によって紹介されている。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brick/5813/sub1.html
 一方、わが国の障害学においては、福島智のように疑似体験を積極的に評価活用する取り組みもなされている。
http://www.planning.rcast.u-tokyo.ac.jp/term7-program.html
 さらに、わが国では、疑似体験をめぐるイギリス障害学における論争などとは関係なく、学校教育や社会教育の現場において、疑似体験が盛んにおこなわれている実態がある。たとえば、2004年度の日本社会福祉学会大会が実施されていた東洋大学でも、学会と並行しておこなわれていた「オープンキャンパス」の「目玉イベント」としてアイマスク歩行を見学者の高校生40名ほどを対象に30分程度おこなっていた様子を私自身が目撃し、軽い衝撃を受けた。いずれにしろ、高齢者疑似体験も含めると、わが国では英米をはるかにしのぐ規模で、疑似体験実践がおこなわれていると推測できる。
 また、「高齢者疑似体験プログラム」については、社団法人WACの収入の重要な柱となっており、類似品販売も含めると、それはすでにビジネスとして成立していると言える。
http://www.wac.or.jp/
 このような現状の中で、関西大学社会学部杉野ゼミでは2004年度の授業の一貫として、「疑似体験」の是非を「当事者」視点から検討する目的で、
1.自ら疑似体験を経験し、率直な感想を記録。(アイマスクと杖による単独歩行で大学→駅→電車乗降をおこなう)
2.障害疑似体験についての賛否各論の文献調査。
3.障害疑似体験を経験したことのある学生への簡単な聞き取り調査とその集計
4.疑似体験を実施している方への聞き取り調査(社協職員・高校教員)
5.歩行訓練士への聞き取りによる自らの疑似体験の確認
という5つの作業をおこなった。
 以上の研究調査活動の成果を学生自身が学生による視点で報告する。
 本報告における「学生視点」の意義は、それが「疑似体験」における「当事者視点」であるという点にある。これまでの「疑似体験」論のすべては、「体験させる」側からの議論であって、体験者の生の声は、指導者を通じてしか伝わっていない。
「指導者視点」からの本研究の報告は、社会教育および指導法研究といった教育学的観点も含めて、別の機会(勝手に「神戸障害学サロン」を考えています)に、杉野自身が報告したいと考えている。
 というわけで、まずは、「疑似体験当事者」の声を聴いてもらって、色々つっこんでもらって、とくに「ホンモノ体験当事者」と「疑似体験当事者」とのコミュニケーションから何かが生まれないかと期待しています。


[報告14:00-15:00]
(配布レジュメに、当日の報告における解説[*で表記]を書き加えたものを以下に記す)

0.はじめに
  研究の経緯とあらまし
 *参考資料・杉野ゼミ進行表参照

1.障害疑似体験についての文献調査

疑似体験有害論
 障害理解支援の一つとして行われている障害疑似体験に対して、French(1996)、久野研二(2001)は、次のような批判を述べている。 
・個人の身体機能不全(インペアメント)のみが体験され、排他的な社会の障壁や態度、差別(ディスアビリティ)といった最も理解が必要である点が経験されない。
・疑似体験では、「できない、困難」という負の側面ばかりが強調され、障害者に対して負の価値付けがなされてしまい、かえって差別的な見方を強化してしまう。
・疑似体験が単なる「楽しいゲーム」で終わってしまう可能性がある。
・実際の障害者の状態を疑似体験では作り出すことはできない。
上記のような批判があげられるインペアメントの疑似体験ではなく、社会の障壁・差別としての障害の理解を促す、障害平等研修をすすめている。

疑似体験有効論
 中野泰志・奥山敬(2003)は、障害疑似体験に対して、積極的な態度を示している。
・疑似体験は、障害のある人への共感性を高め、相手の内面をリアルに想像するための一つのチャンスを提供するもの。
・活動を行うときの不便さを理解したり、障害のある人が遭遇する困難を理解することで、疑似体験は配慮や支援の適切さ・不適切さを理解するツールとなる。

 福島智(1997)は、盲ろう障害疑似体験を行った結果、次のような問題点を述べている。
・現実の障害の状態を人工的に作り出すことは困難。
・障害がもたらす心理的・情緒的側面を真に理解することが出来ない。
・自らの理解を過信する危険性がある。
しかし、このような問題点があることを認めた上で、疑似体験にはより深い障害者理解への可能性があるとしている。

考察
 French・久野による疑似体験批判は、疑似体験が「障害」もしくは「障害者の経験」を理解するための手段であるという前提でおこなわれている。
→「障害者」の立場での体験
 これに対して、中野・奥山が指摘する疑似体験のメリットは、「障害」の理解というよりも、障害者の援助サービスの実践や計画に役立つという視点から主張されている。
→「援助者」の立場での体験
 一方、福島は、一般に知名度の低い「盲ろう障害」に対する社会的理解を広げる手段として疑似体験を利用している。


文献:
久野研二2001
「障害と態度:尺度と啓発−最近の動向」『リハビリテーション研究』No.109,pp.32-36.
中野泰志・奥山敬2003
「重度重複障害疑似体験−障害のある状況での活動の制約や支援技術の効果の体験的理解−」
http://www.bfp.rcast.u-tokyo.ac.jp/nakanoy/article/atac/atac2003/simulation/【リンク切れ】
福島智1997
『盲ろう者とノーマライゼーション−癒しと共生の社会をもとめて−』明石書店
Sally French 1996
"Simulation exercises in disability awareness training: a critique", G. Hales ed., Beyond Disability, Sage.


2.疑似体験調査報告
(1) 調査方法 
 ゼミ生14名が各自で疑似体験経験者に面接アンケートを行い(スノーボール・サンプリング)、38人の回答を元に分析した。

(2) 結果
□面接した人 総数38人
38人のうち疑似体験を実際に経験した人数36人(2名は疑似体験実施者)
◎ 中高生9人(中学生5人、高校生4人)
◎ 看護学校生4人
◎ ヘルパー講習を受けた人2人
◎ 専門学校生7人(0T 2人、ST 4人、スポーツトレーナー1人)
◎ 短大生(介護福祉士)1人
◎ 大学生11人(福祉系6人、教職4人、臨床心理1人)
◎ 主婦1人
◎ その他1人

□どのような疑似体験を行ったか?
・アイマスクをしてペアで歩行(手引き)
・車椅子体験(ペアになって)
・半身麻痺の体験(体に重りをつけて歩いたり)・入浴介助、食事介助
・白内障ゴーグルをつけて歩行・耳栓やイヤホンをつけて歩行
・一日しゃべらない

□障害当事者が疑似体験に関わっていたか?
・中学生のときに経験した人の中には障害当事者が疑似体験に関わっていたと答えた人もいる。
・社協やボランティア団体の主催しているものに参加した人の中にも障害当事者が関わっていたと答える人がいた。
・疑似体験を主催した側2人の方でも、疑似体験をするにあたって障害当事者が関わる場合もあると答えている。
・しかし、大学の授業の一環として疑似体験を経験する場合においては、教員自身が障害者である場合を除くと障害者が疑似体験に関わるということはないようだ。

□自分で体験してみた感想
<アイマスク>
○誘導してもらうと安心
○援助者と被援助者間の信頼関係が重要
△苦労がわかった気がしたが、自分は一時的なだけだときづいた
△バリアフリーな場所は数少なくノーマルな生活をするにはまだまだだと感じた
△普段は気づかないが校内に障害物が多い
●目が見えないと音だけで判断するので不安、怖い
●相手の表情が気になった
●見えないことが不安で足を前に出すことが怖かった
<車イス>
○車椅子は押す側の配慮が必要なことがわかった
○道に段差が多すぎたり、エレベーターが少ないから改善すべき
△車椅子を押してもらうことがうれしくもあり、気を使う面もあった
●車椅子は目線が違うから怖い、健康な時との差を感じた
●車椅子での移動の際、人に運んでもらうのが恥ずかしかった
●車椅子は不便、(乗っていて)イライラする
●道のでこぼこや障害物が車椅子では不快に感じた
<一日しゃべらない>
△話せないことの不便さ、心の辛さ、孤独感を味わったことで話ができない人の気持ちが少しわかった
<入浴介助>
○介助者にとって都合の良い設備(特殊浴槽)でも障害者にとってもそうとはかぎらない
●人に体を洗ってもらうのはやっぱりいや、はずかしい
<食事介助>
●食べさせてもらうより自分で食べる方がいいと思った

□疑似体験に対する意見
○疑似体験をすることによって自分も周囲も障害者への見方がかわった
○疑似体験は介助する側からの視点で援助の仕方を学ぶ目的だと思った
○経験することで援助の有難みを実感。援助する時、相手の気持ちを理解しやすくなる
○介助者が疑似体験することは障害への理解につながる
○体験後、障害者がどういう時に助けてほしいかがある程度わかった
○お手伝いの声をかけやすくなった
△目的を持って疑似体験すれば無意味ではない
△不自由のない自分たちはいかに幸せか感じた――障害者に対して特別な見方をしているのかなと感じた
△疑似体験は、障害者援助に関心のある人はやるべきだが、関心がない人にとってはどちらでもよい。だが、してもマイナスにはならない
●障害者の状況に立っただけでどういう風に障害者にアプローチするか等の指導や体験について議論もなかったので疑似体験は役に立たなかった
●ふざける人や惰性で真剣にやらない人がいることが残念。
●疑似体験は軽はずみにするものではない
●疑似体験をすること自体が障害者にとって不快なのでは?

(3) 考察
面接アンケートの結果より
・ 疑似体験にポジティブ→福祉系・看護系の学生(「援助者」の立場から疑似体験を経験)
・ 疑似体験にネガティブ→一般学生(「援助者」に同一化していない)
*疑似体験は援助者としての体験と障害者としての体験がある。
体験後、様々な感想を抱いたなかで、疑似体験を個人の体験だけで終わらせず、周囲や社会に働きかけるきっかけにするためには個々で振り返るだけでは難しく、体験後に指導者とともに議論することが必要だと感じた。


3.実施者へのインタビュー調査
(1) S町社会福祉協議会
目的:総合学習の一環として、疑似体験をすることで、高齢者や障害者への理解を深める。
対象:小中学生、成人
メニュー:高齢者疑似体験装具の使用・車椅子体験とその操作方法
インタビュー結果:
 疑似体験を通して、普段関わることの少ない障害者について知ることができる。
 それまでは意識することのなかったバリアに気づくことができる。
 車イスの利用・扱い方や障害者の身体的状況を体験し、どういう時に困難を強いられるかを知ることで、街中で高齢者や障害者を見かけたときに、声をかけるなど手助けする一つのきっかけとなる。疑似体験の対象が小中学生の場合、珍しい疑似体験装具で遊んでしまう子どもがいることは仕方ないが、疑似体験をきっかけに、困っている高齢者・障害者を見かけたら手伝ってあげようと思ってくれる子が体験した生徒の中に<一人でもいれば>、疑似体験は意味のあるものになる。

(2) N市社会福祉協議会
目的:総合学習の一環として、疑似体験をすることで、高齢者や障害者への理解を深める。
対象:小中高校生、福祉・教育・行政関係職員
メニュー:高齢者疑似体験装具の使用・車椅子体験とその操作方法・アイマスク体験・その他(手話、要約筆記、点字、対面朗読についての学習、当事者の講演)など、豊富なメニューがある。
インタビュー結果:
 体験の機会を与え、子どもたちに福祉について考えてもらうようにする。そして、「思いやりの心=福祉の心」を持ってもらう。体験後には子どもたちの意見を聞き、希望する子どもには、また違った体験をしてもらうなど、<どう発展させるかは学校次第>。
 地域の障害者に来てもらい、自身の生活や体験を語ってもらう。また、生徒の保護者に障害者の方がいて、その人に自身のことを話してもらう。これによって、それまで自分の親のことを他の生徒の言えなかった子が、堂々と親のことを話せるようになり、家に友人を呼べるようになったという例もある。

(3) K市社会福祉協議会
目的:教育者自身に体験してもらい、そこで得たことを、子どもたちへの指導や授業に役立ててもらい、幼いころから、福祉に関心を持ってもらう。
対象:教育者、小中学生
メニュー:先生のための疑似体験・ボランティア体験講座(当事者の講演→車椅子体験・アイマスク体験)→各中学校で疑似体験・ボランティア体験学習(車椅子、アイマスク、点字、手話、松葉杖、朗読ボランティア、要約筆記、自助具製作)
インタビュー結果:
 どういう風に伝えていこうと考えたとき、いかに先生を感動させるかが大切で、先生が感動したモチベーションをもって疑似体験を行うことが大切だ。疑似体験はその内容、行う側の企画力が大切。そのためにもまず先生に疑似体験を行ってもらうことが重要。目的がぼやけてしまっていては、それが生徒に伝わってしまい、なんの意味も持たないもので終わってしまう。授業枠にむりやり詰め込むことによりパターンが決まってしまったり現実感のない場で行うことになってしまったりしている。
 生徒の反応には、恐かった、面白かったというものが多く、ただ恐怖をそそるだけのものになってしまっていたり、ふざけた体験で終わってしまったりしている。また、逆に偏った人権意識につながることもあり、それならばやらないほうがいいとなってしまう。声をかけようと思ったといった感想が6割を占めてはいるが、<こう思わないといけないというパターンを作ってしまっているところもある>。まだ手さぐり状態ではあるが、「かわいそう」をどう後のフォローにつなげていくかが課題だ。また、当事者の実際を知ってもらうことが大切で、そのためにはきちんとした技術を重視することが大切だ。
 疑似体験をすることで、障害者問題が身近になり、当事者の実際を知ることができる。障害者問題に関心を持つきっかけになるのでは。

(4) K高校1
(K先生「福祉入門」)
目的:総合学科が設置され、様々な実習を取り入れた授業を行っている。選択授業である「福祉入門」や「障害者福祉」の授業の中で、障害者や高齢者への理解を深める体験学習を行っている。
対象:生徒
メニュー:高齢者疑似体験とその援助・車椅子体験・アイマスク体験
(カリキュラムとしては全15回の授業のうち、およそ4回を実習に充てている)
インタビュー結果:
 疑似体験指導によって、生徒たちに障害を持つ人の不便さに気付いてほしい。障害者福祉に関心を持ってほしい。<どういった手助けが出来るかを考えてほしい>(どうしたら住みよい社会になるか)。
 疑似体験により障害者とどう関わっていったらよいか考える材料を提供する。
 実習をする際に気をつけていることは、真剣味を持たせるために事前指導を行うことと、生徒自身が関心を持つような話をすること。
 生徒たちの反応には、疑似体験に対する否定的な意見は見られなかった(普段気付かない不便さに気付いた、車椅子に乗ることにより視線が低くなり圧迫感を感じる、など)。

(5) K高校2
(F先生「障害者福祉」)
目的:同上
対象:生徒
メニュー:アイマスク体験(避難訓練も含む)、車椅子の操作方法の学習の後、当事者やその保護者の講演を聞く (カリキュラムとしては全15回の授業のうち半分ほどを実習に充てている。) 
インタビュー結果:
 疑似体験指導によって、生徒に障害者への関心を持ってもらうことが狙い。
 指導上気をつけていることは、事故が起きないようにすること、
<周囲からの視線を感じ取れるようにする>こと、
 実際の障害者の方に加わってもらうこと(←世間からも真剣な目で見られる)、
 実習と当事者からの聞き取りをセットで行うこと(目的をはっきりさせるため)である。


4.私たちの体験
<私たちが行った歩行訓練疑似体験>
一回目:白杖代わりのものを持ち寄って、アイマスクをして教室の前の廊下を壁伝いに歩き、階段昇降(ペアで一人が補助につく)
二回目:校舎から駅まで杖で歩行する。駅でペアを交代する
三回目:校舎から駅まで手引きで歩き、駅構内歩行、電車乗降を杖で行う。豊津駅でペアを交代して戻る

<歩行訓練士(ライトハウス)に私たちの疑似体験についてインタビュー>
「私たちの行った擬似体験はやるべきではない。」
――――なぜ?
(1) 事前に白杖の使い方を教わっていない
(2) 歩行訓練士など指導者がそばにいない
→恐怖心が生まれ、ほかの視覚以外の感覚に注意が向かなくなるから
☆恐怖心を取り除くことが先決
(3) 手引きどまりにしておくべき

私にとって「疑似体験」とは何だったのか〜疑似体験「当事者」の感想
 疑似体験を実施して、障害者・援助者双方の立場を知るということだけではなく、健常者側と障害者側の考え方の対立(溝、障壁の表れ)を知ることが出来る。問題点がわかる。そもそも本当に「正しい疑似体験」なんてあるのか?それでも実施することで少しでも「障害」とは何かを知ることができた。(山口可南子)
 自分たちの実施した疑似体験はフレンチ論文や訓練士の方にも批判されて、障害の全てを体験しきれないことに納得する部分もありました。でも私は障害者が介助者に対して感じる気まずさや社会の目など普段感じられないものが感じられて意味のあるものだったと思います。疑似体験は意味がないと思う人もいると思いますが、私はその場の状況にもよるし、その人の心持ちで意味があるかないかは決まると思います。(金谷祥美)
 私にとって、障害者の視点に立っての疑似体験はあまり意味をなすものではありませんでした。疑似体験を行ったからといって障害者の全てを理解できるとは思いません。しかしその反面、援助者の視点に立っての疑似体験は大変有用なものであり、普段の生活をしていれば目を向けないようなところの気づきが得られ、社会づくりに活かせることが出来る取り組みであると感じました。また、疑似体験は様々な取り組み方がされてよいのであり、その体験者がその後経験をどう活かすかが、一番の重要事項であると感じました。(森内仁美)
 歩行訓練疑似体験の恐怖心は残っています。ただ、杖で歩くことと、手引きで歩くことを比べると、杖で歩く方が援助者に気を使わないですむと思いましたが、どちらが良いかは人によって違うと思います。(古川輝之)
 疑似体験とその後の調査のなかで、援助者側の視点という自分にはなかった別の立場もあることがわかったし、実施者側も疑似体験に迷いがあるんだということがわかった。自分たちの疑似体験をフレンチや歩行訓練士の方に批判されましたが、歩行訓練士のかたの恐怖の強調という意見にはあまり納得していません。疑似体験を経験して、障害理解につながったと思うし、フレンチが指摘するほど負の価値付けがなされたとも思いません。障害学を考える私たちにとっても援助する側に立った人たちにとっても疑似体験は何かしらの考えるきっかけをもたらすと思う。(下田絵美)
 一般の疑似体験で障害者を理解することは、フレンチの批判通り難しいことなのかもしれません。フレンチに批判され、ライトハウスの方々に怒られ、何のために疑似体験をやっているのかわからなくなってしまったけれど、私たちの経験した疑似体験は、少しかもしれませんが障害を持った方の気持ちを知るきっかけになったので意味があるものであったし、インタビューを行ってみて援助する側に立つ人にとっては、疑似体験は有効であるということに気づきました(しかしその疑似体験が、障害を持った方にとってよいことばかりに繋がるとは言えませんが)。 どの疑似体験が良いかはわからないままですが、私にとって疑似体験は考え方を広げてくれるものになりました。(梶元麻理)
 障害者理解のために良いことだと思って行った疑似体験が、フレンチの論文で否定され、では自分たちのやった疑似体験は意味がなかったのかと思った。それをはっきりさせるために進めた調査では、疑似体験には、障害者の立場での疑似体験だけでなく、援助者の立場での疑似体験もあることがわかり、それは、十分役に立つものだと感じた。結局、障害者としての疑似体験が、具体的にどういった形で正確に実施できるのかという結論は導き出せなかった。しかし、何もしなければ何も見えてこないので、疑似体験が意味の無いものだとは思っていない。(上村英美)
 確かに私たちが行ったような疑似体験ではディスアビリティを感じることはできないだろうし、実際、真の障害を体験できたという気は全くしなかった。体験者にインタビューした時も「ただ一回やらされただけだった」という感じしか受けず、あまり意味の無いものなのかもしれないと思ったし、うまくいっていないと感じた。しかし、実際疑似体験を行うことは私にとってすごくインパクトが強いものだったし、障害について身近に感じることもできた。疑似体験はいいきっかけだと思う。だから疑似体験を全否定されるのはやはり納得できないし、やらないほうがいいとは思わない。なんとかいい点を見つけたり、いい方法を考えたりし、改善できないだろうかと思う。(椋橋朝子)
 疑似体験をすることで、その大変さがわかり、これは、障害者の体験をしているのだと思っていました。「大変だから助けなくちゃいけない」という援助者の側の考え方は体験していなくても自然と持っているもので,疑似体験によって新たに生まれてくるものではないのです。なので、今回の体験で得たことは、あくまでも障害者としての体験という考え方です。これは想像しただけでは分からないものです。ライトハウスの方に批判されようとも、障害者の体験は、やはり手引きで終わってしまってはできないと思うので,我々のやったことに誤りがあったとは思っていません。(辻雄介)



参考:2004年度杉野ゼミ・進行表
[*当日は杉野氏が解説]

プレゼミ
(*杉野氏としては初めて障害をテーマにゼミを持った。ゼミ選択が決定した後の顔合わせを兼ねて)
2003.12.24 
横須賀俊司先生(広島県立女子大)を迎えて「家族からの自立=独立の重要性について」
2004.1.29 
倉本智明先生(関西大非常勤)を迎えて「『障害』って何?」+コンパ

ゼミ・シラバス(前期集中[*杉野氏が後期は授業を持たなかったので] 週2コマ+後期自主ゼミ)

「疑似体験」
4月6日 歩行訓練疑似体験(1)
4月8日 歩行訓練疑似体験(2)
4月13日 歩行訓練疑似体験(3)
4月15日 歩行訓練疑似体験の感想
4月20日 聴覚障害疑似体験[*ウォークマンを音量最大にしてつける→耳が痛くて失敗]
4月22日 フレンチ論文(喜連[川・西尾)
4月27日 フレンチ論文(辻・梶元)
5月6日 フレンチ論文(森内・中村)
5月11日 フレンチ論文(椋橋・冨田)
5月13日 フレンチ論文(山口・金谷)
5月18日 フレンチ論文(下田・竹山)
5月20日 フレンチ論文(上村・古川)
5月25日「疑似体験の功罪」(デイスカッション)
 レポート課題1:「歩行訓練疑似体験のメリットとデメリット」(1200字)→提出期限6月17日

障害学セミナー
5月27日 (1) 個人モデルと社会モデル(山口・西尾)
6月1日 (2) 選択的妊娠中絶と優生思想(金谷・梶本)
6月3日 (3) ろう文化:口話と手話(上村・古川)
6月8日 (4) インクルージョン:障害児教育における個人モデルと社会モデル(森内・下田)
6月10日 (5) 保護雇用と差別禁止法(竹山・中村)
6月15日 (6) ジェンダーとセクシュアリティ(椋橋・辻)
6月19日 障害学セミナー総括(飛鳥)
 レポート課題2:トピック(2)〜(6)のうち一つを選んで、課題を設定して調べてレポートしなさい。(2000字)→提出期限7月31日

*最初に疑似体験を入れたのは、一般の学生が障害学のテーマを議論させるのに、上滑りにならないように障害者の体験を知っておく必要があると考えたから。当事者の話とともに取り入れた。

社会保障制度と障害者福祉
6月17日 (1) 年金制度
6月20日 年金ビデオ(飛鳥)
6月22日 (2) 障害者の無年金問題
6月24日 (3) 医療保険
6月29日 (4) 介護保険
7月1日 (5) 障害者福祉(支援費支給制度)
7月6日 (6) 介護保険への統合問題
7月8日 (7) 保育:認可と認可外
 レポート課題3:「社会保障の諸問題」に関して、自分なりに調べたい課題を1つ設定して、調べてレポートしなさい。→提出期限9月30日

後期自主ゼミ
10月13日 討論(統合教育)+調査打ち合わせ
10月27日 討論(セクシュアリティ)+調査打ち合わせ
11月10日 討論(出生前診断)+文献調査報告(冨田・古川・竹山)
11月21日 グループ討論(4回生を迎えて「出生前診断」「統合教育」「セクシュアリティ」)
11月24日 アンケート+社協インタビュー報告(辻・下田・梶元)
12月8日 社協+高校インタビュー報告(中村・西尾・金谷・上村・椋橋)
12月22日 高校インタビュー報告(森内)
1月12日 歩行訓練士インタビュー報告(喜連川・山口)

なぜ「障害疑似体験」をおこなったのか?

なぜ「歩行訓練疑似体験」か?
 アイマスク・車イス
 社会モデル
「できない」けど「できる」・「できる」けど「できない」
*全然できないわけではないが、どこでも歩けるわけでもない
「歩行訓練」についての個人的こだわり

歩行訓練士さんへの若干の弁解
 ホンモノとの違いを自分で確かめる
「恐怖心」については考えていた。*疑似体験を行う学生自身がいやではないかと気にしていたので、必ず感想を書き込むように伝えて毎週チェックしてモニターしていた。怖いという感想はあったが、辞めたいという雰囲気は無かった。ただ、事故が起きた事を考えると二度とやりたくはない
「手引きだけ」というのは、まったく考えていなかった。*一人で杖突いて歩くというのをやらせたかった


[休憩 15:00-15:20]

[質疑応答 15:20-17:00]
(A)昨日子供の小学校の文化祭で体験。小3の子にアイマスクして手を引いてもらった。ところで、報告では、「疑似体験とは何か」つまり疑似体験で何がわかって何がわからないのか、ということと、「疑似体験はどんな意義があるのか」あるいは疑似体験をどう使うのか、ということがごっちゃになっていたように思う。
 教育プログラムは、まず目的をはっきりさせてその適切性を問うことと、その目的に照らしてプログラムが適切であるか否かを評価することに分けて評価すべきだと考えている。(1)疑似体験に何を期待したのか、(2)疑似体験で何がわかり、何がわからなかったのか、(3)体験してみて得られたことは、期待したこととどう関係するか、を聞きたい。たぶん障害学的には、何がわからなかったか(何がわからないと思っていたか)ということが大切なのだと思う。
(杉野)期待したことは、私も聞きたい。いきなりやらせたので、期待はなかったのかもしれないが。
(学生a)特に期待はしていなかったが、障害者が体験できるのだろうと思っていた。(ほか5名。他の期待はなし)
(学生b)結果としては、今までわからなかった介助者に対しての遠慮・気まずさや、他の人から感じる視線・社会の目を理解できた点は期待通り。体験できなかったのは、短い一時的な経験だったので、本当の障害者を体験するのに限界を感じた。
(学生c)障害者の立場に立てるのかと思っていたが、見えなくても自分ひとりで歩けることはわかった。歩くときの怖さは体験しなければ得られなかった。でも、すぐにでもアイマスクは取れるので、障害者の立場にずっと立つには限界があると思った。
(学生d)自転車が邪魔だとかいうことは体験しなくても想像でわかる。細かいことは体験しなければわからない。
(杉野)たとえば点字ブロックがすりへっているとか、段差が杖ではわかりにくいとか。
(B)大学のときに盲学校教員養成課程だったので20回くらいやったが、7・8回目くらいから杖一本でも歩けるようになってきた。何十回も疑似体験を通すことで、よりリアルな体験ができるのではないかと思う。たとえば、クッション性の良いスニーカーでは点字ブロックは役に立たない。道路にはみ出した自転車は白杖でわかるが、頭の位置に出ている看板などはわからない。経験してみて「何が障害物で何がそうでないか」など、わかることはたくさんあるので、障害者の体験により近づくことはできる。
(杉野)確かに時間は重要な要素。K高校の例では、一人の先生はかなり時間を費やしていた。
(C)ひとつ危惧するのは、アイマスクをかけた状態が視覚障害だと思ってしまうこと。視覚障害といっても状況はいろいろある。視覚障害についてどう考えているか?
(学生e)いまは白杖を持った人だけが視覚障害でないと、学んで認識している。
(杉野)たとえば、福島智さんがしている盲ろう疑似体験実践は、盲ろうというあまり社会で認知されていない障害を疑似体験させることで、盲ろうについての社会的認知度を高めようという意図でおこなわれていると思うが、Cさんの質問は、アイマスク疑似体験を通じて、全盲の人だけが視覚障害者という印象が強まって、その他の視覚障害への認識が弱まるのではないかということだと思うが。
(学生a)体験する前から視覚障害にはいろいろあるとわかっていたので、疑似体験でとくに全盲だけの印象が強まったとは思ってはいない。
(学生f)前からわかっていた。
(杉野)体験したからといって、その特定の障害に対して印象が強まるわけではないとすると、福島戦略は有効ではないのかもしれない。疑似体験する人は障害種別を考えているとは思えないが。
(D)全盲という言葉が出てきたが、シミュレーションの精度が問われる。アイマスクでできるのは、視覚からの入力を遮断するだけ。視覚障害者は、耳からの情報処理が晴眼者とは違っている。たとえば自動改札のブーンという音などは晴眼者は気付かない。そういう部分がシミュレートできない。全盲といっても、まったく見えない人はごく限られている。自分も昼間なら、車くらいは、視野の中なら判断できる。全盲といってもバリエーションがあるというところまではやっていない。感覚の欠落だけ、しかもごく限られた人の欠落を、シミュレートしているだけ。
(杉野)それはその通り。視覚障害にいろいろあるというのは倉本智明さんのプレゼミで聞いたのだと思う。僕はそれ以上は説明していない。でも、視覚障害にも色々あると聞いただけでは、弱視と全盲の区別と、視覚障害の質や程度にバリエーションがあるということぐらいを想像できるだけで、今のDさんのコメントのようなことまではなかなか理解できないのではないだろうか。疑似体験したから、より細かい違いについて話を聞いてもついていけるという面もあるように思う。
(D)きっかけとしてネタはあったほうがいい。それは否定しない。しかし、疑似体験を実施している人、受けた人の多くは、そこまで考えていない。問題性を自覚しないままやっている。そういう疑似体験には危惧を感じる。
(E)杉野さんに。学生さんに対する教育的効果という点からか、それとも研究という点からアプローチしたのか、どちらか?
(杉野)最初は教育効果を考えていた。ゼミに入る前にやってみたらどうかなという程度。非障害者が障害について研究するのに、他人事みたいになるのはいやだった。
 実際やってみると、いろいろあるなと考え始めて研究しようと思った。たとえば看護学などでは高齢疑似体験セットを用いた研究がたくさんある。また、疑似体験セットもかなり数多く販売されており、元祖と言える長寿社会文化協会(WAC)(会長:一番ケ瀬康子)の「うらしま太郎」は1セット30万円で、インストラクターしか使わせない。そういうわけで、「障害疑似体験」という現象そのものが障害学の研究対象になりえると思った。
(E)ということは、教育的効果がどのくらいあったと評価すればいい?
(杉野)教育効果という意味では、疑似体験した人たちとしていない人たちと比較するような研究をしてみないとわからないが。
(A)Dさんに聞きたいが、ダイアログ・イン・ザ・ダークについては?
(D)あれは疑似体験ではない。
(F)あれは、まったく光がないところを、グループで白杖を持って、視覚障害者の手引きで入っていく。そこをガイドされながら歩いていく。視覚障害者はすべてがわかっていて、健常者はわかっていない。
(D)障害当事者の体験を追体験することが第一目的ではないから。
(F)目的は、立場が変わること、ほかの感覚が補うというダイナミックな体験。最後はバーで飲み物を飲む。ウェイターは視覚障害者。
(C)ひとつの芸術として。
(D)そういうオルタナティブなアートの企画はけっこうある。視覚と聴覚をふさいで絵を描くとか。障害云々という文脈ではない。ダイアログ・イン・ザ・ダークはそのひとつでは?
(杉野)障害疑似体験と同じと思う人もいるかもしれないね。体験する人の受け取り方次第かもしれない。NHKでもそのようなものが紹介されていたが、非日常的な体験を提供するという意味では、障害疑似体験も似てるかも。
 私は日本人は疑似体験好きじゃないかと思う。これほどの規模で行われている国は他にないかもしれない。非日常的経験を健常者が楽しんでいるところがある。そこにモダンアートと通じるものがあるのかも。
(横須賀)安心できるからでは?戻れてよかった、と。まさに非日常的で、自分と違うと。
(G)今の杉野さんのコメントには違和感がある。学校とか社会教育で流行っているのは障害疑似体験に限らない。体験から学ぶのがいい、という言説は最近強い。総合的な学習が導入されても、福祉は必ず入っている。頭より感性がいい、というわけ。楽しいからというだけではない。障害をめぐる問題を理解するとき、社会モデルよりも、感覚的なものが好まれる。
 発表の中で実施者へのインタビューを見ると、期待されていることが良くわかる。「こう思わなければならないというパターンを作っていると感じた」というコメントはまっとう。参加して楽しくない疑似体験学習が多々あるだろう。
(D)楽しいというのは、疑似体験をポジティブに使っていくために重要。おもちゃで遊ぶ感覚で参加してもいい。何かの入り口になるのであれば。
(G)ある学校が車椅子ダンスをやったのに協力した障害者の方が、それをやるメリットは、車椅子でいろいろできるときがついてイメージが変わることにあるという。しかしそれに対して、教師から「障害者の人たちが苦労して使っている車いすでダンスを楽しむなんて」という反対意見もあった。
 視覚障害者の人が、一緒に料理をしてみるという体験をしたらどうかといっていた。視覚障害者のほうが案外不自由なく、独特の工夫をしてやっていることに、健常者が気づく。アイマスク体験だけよりはいいのでは。
(H)楽しいというのはわかるが、次どうつなげていくかが大きな課題。やはり疑似体験は疑似体験に過ぎないのだから。
(杉野)疑似体験と障害研究は、結局一緒ではないかと考える。疑似体験も論文読むのも、どちらも障害について理解しようとすること。ただ、疑似体験は、ダメなものというのがはっきり出てしまう。非障害者が障害者を理解するのはもともと困難で、たくさん勉強しなければならないし、理解できたと思うと落とし穴がある。自分の障害理解が正しいのか、いつも問い直している。障害疑似体験というのも、健常者の研究者が障害研究をするのと同じプロセスをたどっていると思う。ただ、疑似体験は言い訳できない。たとえば疑似体験を実施する人、あるいは、体験した人の「障害」理解のレベルがはっきり現れてしまうことが多い。研究だったら、障害当事者からツッコまれても、「まだ研究していません」とか「今後の課題として」とか言ってごまかせるけど、疑似体験指導の場合は、ごまかせないし、逃げられない。たとえば子どもがアイマスクして座頭市のまねとかしていたら、「おい、これどうすんねん?」てことになる。そういう状況にどのように対応するかは別として、なんらかの対応はせざるをえない。その時、指導者の障害理解のレベルがはっきり出てしまう。だから興味深い。
 障害平等研修は、障害当事者が非障害者に「障害」を説明するという一形態だろう。疑似体験は非障害者から障害当事者に近づこうとする一形態。そういう意味では、当事者による「障害」研究としての障害学と、旧来の非障害者による「障害」研究とそれぞれパラレルな関係にあると思う。だから当事者が障害疑似体験を批判するのは当然で、また、批判はなければならない。そうした批判や対立の積み重なりが、現在の障害研究の水準というものを作っていると思う。
(H)学生さんに聞くが、またやってみたいと思うか?
(学生b)はい。前はわからないままやったので、いい点も悪い点も踏まえた上でやってみたい。
(学生g)私もやってみたい。今はまた違った感じをもてるのでは。
(学生e)私はやりたくない。疑似体験以外でも障害を理解できる機会はたくさんあるので、疑似体験でわかったつもりになるより、そのほうが障害者を理解するうえでより身近になるだろう。
(I)障害疑似体験をしたときに、手引きした側の感想を聞いてみたい。歩行訓練士の批判も、目的の違いによるのではないかと思うが。援助者疑似体験について聞きたい。
(学生c)援助側といっても隣についていただけ。自分がアイマスクしているときより怖かった。物にぶつかる寸前まで声をかけないので。手引きしたときのほうが疲れた。
(杉野)手引きというより歩行訓練士役。ところで、ライトハウスでも疑似体験をするプログラムがあるらしい。
(I)歩行訓練士は視覚障害者に歩行を教えるのでは?
(杉野)そうではなく、一般市民への啓発活動として疑似体験プログラムをするらしい。
(J)知的障害者支援について研究しているが、知的障害者の疑似体験をや っているところはあるか?「一日しゃべらない」体験が言葉によるコミュニケーションが難しいという点で、知的障害者の体験とみなすことができるが、一日しゃべらなくても、ゼスチャーとか筆談とか、他に気持ちや思いを伝える手段はある。そういった意味で知的障害者体験ではない。
(杉野)K高校のF先生は、知的障害者の施設に行くという体験学習をしている。中野・奥山の文献では、食事介護の疑似体験を養護学校の先生にしてもらっている。長寿社会文化協会では痴呆老人体験シミュレーションセットも開発中ということだ。
(J)K高校は近いので見学にも行っているが、擬似体験学習の授業内容に夢中になるあまりに、現実に目の前にいる知的障害児に無関心になっているという、体験が現実の生活の中でにどのように役立てるのかということに結びついていないといった点で、乖離もある。
(F)ユニバーサルデザインを教えている。1年生には、環境や製品の問題とデザインの可能性に対する気づきの機会として高齢者疑似体験をやる。また、京都工芸繊維大ではプロダクトデザインを専攻している3年生にやるが、学生は体験から得られる実感には非常に批判的で、デザインを作るためには、障害者に実際に聞かなければわからないことに気付く。
(A)事故が起こったときについてはどう考えればいいのか?
(杉野)それについては別の機会に指導者視点からの報告を予定しておりそこで話すつもり。

参加者:45名(関大杉野ゼミ生11名+杉野氏含む)

*作成:
UP: 20090713
全文掲載  ◇障害学研究会関西部会  ◇障害学研究会関西部会・2005
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