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難病の生活の質(QOL)研究で学んだこと――課題と今後の展望

中島 孝(なかじまたかし)* 2005/01/02
『JALSA』64:51-56(日本ALS協会)

last update: 20151222


*独立行政法人 国立病院機構新潟病院 副院長
 医学博士  専門:神経内科学、内科学
 945-8585 新潟県柏崎市赤坂町3 番52 号
 電話:0257-22-2126 Fax: 0257-22-2380
 e-mail:nakajima@niigata-nh.go.jp

  *PDFファイル(内容は同じです):http://www.arsvi.com/2000/0501nt.pdf

はじめに
  特定疾患の生活の質(QOL)の向上に資するケアのあり方に関する研究班の主任研究者を勤め約3 年になりますので、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さん、家族、支援者の方々に向けて、研究の概要や現在取り組んでいる課題についてご紹介したく思います。この研究班では各研究者が難病について真摯に感じ、考え、分析する自律的な研究を育てており、研究内容の正式な紹介は研究報告書を参照していただければ幸いです。本稿では今必要とされる研究の方向性や私の臨床研究者としての考え方、展望をのべたいと思います。

難病の中のALS
  ALS は難病の中の代表的難病と言われていますが私も同意見です。それは、ALS は、医療、保健、福祉分野の従事者・研究者のみならず、一般市民にも「人間が生きていく」ということについて深く考えさせ、人生の意味を教え、導くものだからです。医療従事者にはケアの普遍的な原点を教えてくれます。難病対策はわが国独自のものですが、ALS がその対象疾患になっていることで、わが国の保健・医療・福祉システムに核となる原点が育ったと思っています。ALS 患者のことが考慮されない医療・福祉施策はおかしいと主張できまるまでになったと思います。

難病対策の中のQOL概念と問題
  わが国の難病対策は昭和45 年の「医療保健制度の根本的改正について」の答申で、「原因不明でかつ社会的にその対策を必要とする特定疾患については、全額公費負担とすべきである。」とされ、当時の厚生省内に難病対策プロジェクトチームが設置され、難病対策要綱がだされ、行政的に扱われたことに始まります。平成8 年度に難病対策は大きく見直され新規に追加された要素は、「地域における保健・医療・福祉の充実と連携およびQOL(Quality of Life、生活の質) の向上を目指した福祉施策」です。難病ケアにおける多専門職種ケア(Multidisciplinary care)を地域のネットワークに広め、QOLの向上を目標とすることがその内容です。難病事業の目標がQOL向上となったことにより、QOL評価を客観的おこない、事業評価をする必要がでてきました。これは現在、行われているわけではありませんが、国家自体の実績が民の評価よりも、金融資本によって、評価されるグローバル化の中ではこの傾向が顕著になると思われます。つまり、公費とされた難病の医療・福祉施策も、いまや費用対効果の対象であり聖域ではないというプレッシャーが見え隠れしてきています。難病は定義から分るように、根治療法がないということが特徴であり、ケアの効果も客観化することが困難な疾患です。つまり、難病ケアの効果、効用、アウトカムが簡単に評価できないから難病なのであり、このジレンマをどう整理し、解決するのかがこの研究班の課題と認識しています。
  人間は多次元的存在であって、QOLは容易に評価できなくても、難病患者のQOLを不可知なものとせず、評価していく動機があります。本来、QOL評価は医療福祉資源の再分配のために必要なのではなく、難病患者のQOLを共感し、より有効なケアによって、患者の人生を充実させたいという動機なのではと思います。つまり、難病ケアの質の向上のために、難病患者を支援している人々が患者のQOL評価方法の確立を望んでいると考えます。研究班では従来から研究が進んでいるSF-36 やEuroQoL など健康関連QOL評価尺度では難病ケアの効果や質を評価できないと判断しました。そこで、病態の進行、変化に伴い、動的に変化する難病患者の価値観を前提に個人のQOLを評価する研究を進めています。Schedule for the Evaluation of Individual Quality of Life-Direct Weighting (生活の質ドメインを直接的に重み付けする個人の生活の質評価法、通称SEIQoL-DW)は大生先生を中心に翻訳をすすめているものですが、大変有望な方法です。これは、半構造化面接法を使い、患者自身が自分のQOLを決定付ける分野を5 つ決めることを第一の特徴としています。さらに病気の経過に伴い、患者が自らその分野を変更できる特徴があります。患者のナラティブ(物語)の変更に対応できるQOL評価法といえます。医療では通常、Problem Oriented Solving(POS)といって、患者の抱える問題点を挙げ、解決する手法をとりますが難病の場合は問題点がすぐには解決できないのが特徴で、ケアが空回りになることがあります。SEIQoL-DW を導入することで、難病患者が大切にしている生活の分野を面接者が積極的に認識し、そこをさらに良くしていくことでQOLの向上を目指すことができます。
  研究班では、難病医療費やケアの費用に対して、費用対効果分析として、医療費と臨床評価やQOL評価とを直接対応づけることが困難であることを昨年度から特定機能病院に導入されている医療費包括払い方式のDPC(Diagnosis procedure combinations)に関連して研究しています。

QOL概念の難しさ
  難病のQOL研究をするなかでさらにわかったことはQOLの負の側面です。それは普通の人間の心にある「ピンピンコロリ思想」や「内なる優生思想」といえるものですが、難病ケア担当者が無意識に、これにとらわれていると患者は決して幸福になりえないものです。その根底は機能主義と思います。通常、「人間は一生懸命努力し能力や機能を高めていくなかで幸せになり、尊厳を高められる」という教育をうけており、それ以外の価値観を教えられることはほとんどありません。この考えの下で、私たちは日々努力し、競争的社会が構築されています。努力にも関わらず、病気になり機能が低下してしまうと、社会競争から脱落し、幸せや尊厳を喪失してしまうと考えてしまいます。機能の低下を即ち、QOLの低下と考えると、治らない難病になることは、即ち、幸福や尊厳の喪失ということになります。 難病患者さん自身がこの考え方にとらわれているとケア担当者は大変苦しくなりますし、反対もまた同様です。
  研究班の活動の中で、人工呼吸器療法の自己決定をめぐって、この「内なる優生思想」に多くの患者、家族、医療従事者が囚われており、さらに世界的な尊厳死論議にALS 患者がまきこまれていることが分りました。ALS 患者が「夜間の頻回な吸引が家族負担になり、人工呼吸器をつけて無理に延命処置されるのは耐えられないので、尊厳死を選び人工呼吸器療法を選択したくない」という自己決定を表現することがあります。自分自身が今後尊厳を失ってしまうと確信し、病気が悪くなる前に希望を失って、死を自己選択することはなんとしてでもALS ケアの中で避けたいことです。難病ケアにおいては、機能障害が進行し、自分では日常生活動作がまったくできなくなり、全介助で経管食を使い、みなに支えられている状態であっても、人間は対等な尊厳をもち、幸せになりうると考えます。そのために、多専門職種ケアや多様な福祉施策の充実が必要なのです。

リビングウイル運動と難病ケア
  難病患者、家族、保健医療福祉従事者、支援者が囚われると混乱する考え方の極端な例は尊厳死協会の尊厳死の宣言書(リビング・ウイル)に述べられている3 つの要望事項だと思います。このリビングウイルには、「1.私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。」という要望事項が書いてあります。この不治の状態、死期が迫っていると診断された場合というのはALS のような難病も意味してしまうのか、不明で正確な定義づけがないので問題となります。乱暴な意見として、ALS と診断された時点でそのような状態であると思い込む可能性があります。さらに患者、家族はALS の人工呼吸器療法を「徒に死期を引き延ばす延命措置」と思い、その延命措置による負担が自分自身の人生の意味につりあうのかどうか大変悩んでしまいます。この文章は明らかに、ALS 診療現場に混乱をもたらすものといえます。「2.但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。」 とされていますが、「死ぬ時期が早まったとしても一向にかまいません」と自分の希望を述べるなかで、前提条件として最大限の苦痛のコントロールの項目をいれることで、あたかもこのリビングウイルは緩和ケアの要望であるかのように見せているのにはまったく困らされます。本来の緩和ケアは「生きることを肯定し、死を正常のプロセスとみなし、死を早めることも先延ばしすることもしない。」ことを実践することが前提であり、緩和ケアとリビングウイル運動は生きるという意味のとらえ方が正反対なのに混同する原因となっています。「3.私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。」という項目については、植物状態は一流医学雑誌のLancet 1: 734-737, 1972 で記載された概念ですが、実際の定義、診断は大変難しいにもかかわらず、そのような項目を医療処置の条件にするのは医学上問題と思います。リビングウイル運動は社会改革運動のようにも見えますが、難病患者が生きていく際において大変な重荷を背負わせていると思います。難病ケア担当者が面談する際にはこれを上回る話や考え方を示し、難病患者自身が「生きる意味」を見出せないと、いくら看護、介護体制がよくても、患者、家族はリビングウイルの考え方に囚われ抜け出すことができません。しかし、難病医療現場で患者が人間らしく扱われていない、尊厳が失われてみえるという感情が、患者、家族の希望を失わせ、リビングウイル運動に駆り立てるのなら、難病ケア内容に改善の余地があることを否定することはできません。

患者の事前指示(書)と尊厳死の宣言書(リビングウイル)
  前述のリビングウイルに似ていますが、異なるものとして、事前指示書(Advance directives)というインフォームドコンセントの一つの形態があります。リビングウイルも定義上は事前指示書の範疇にもいれる場合もありますが、医師との対話がなく、病態に対する詳しい情報提供もなく、インフォームドコンセントとはいえない一方向的な点が問題です。医療としての事前指示書はインフォームドコンセントの一形式であり、リビングウイルのような社会運動性はなく、患者が医師と対等な存在として、どのような事前指示を文書として作成していくのか、内容自体が問題になるだけです。事前指示書を患者が作成する際にどうしても、機能主義のもとで、尊厳死協会のリビングウイルのような内容を考えてしまいがちなことは問題です。事前指示書は医師との対話を通してより具体的で生きる希望に満ちたものにしていくべきと思います。私は、真の事前指示書作成のプロセスにより、医師とのコミュニケーションが深まり、生きる意欲がたすけられるべきものと考えています。そのためには患者、家族とともに難病の事前指示書の研究をリビングウイルとは別の発想でおこなう必要があると思っています。
  現在すぐにでも必要と思われる事前指示の内容としては外来通院中のALS 患者で、呼吸不全が急に悪化し、自ら治療法の選択が正確に判断できるとはいえない救急時に気管内挿管、人工呼吸器管理などの医療処置をどのように進めるのがよいかを事前に明確に決めておくことだと思います。人工呼吸器療法の中断についての事前指示について議論するには、前述の「内なる優生思想」を乗り越えていることが前提として必要であり、それができていないのに人工呼吸器療法の中断についての事前指示のみを論議することはおかしいと考えています。私の日常臨床では患者の事前指示内容として、「長期的な方針はゆっくり考えたいが、次の外来日までの間に、もし私が急変したら、気管内挿管、人工呼吸器療法などの医療を望む」という内容をカルテに書き残せるような面談をする方針をとっています。そのときに本人、家族を葛藤に陥れている考えが、先ほどのリビングウイル(尊厳死の宣言書)の考え方と感じています。
  いままで述べた「機能主義」や「内なる優生思想」は、普通の人の標準的感情であり、それ自体は非人間的とは言い切れません。しかし、その時代その時代の進歩的な社会運動にむすびき、偏見に基づいた政治運動となったとき、特定者の大量虐殺としてホロコーストになった歴史があります。第一次世界大戦後のヨーロッパで、「よりよい社会発展と合理的な社会福祉施策」を検討する中で、QOLを高めることができない人間はかわいそうなので、どうにかしてあげたいが、どうしてもQOLが向上できず、その人が生きていくのが苦しそうで忍びない場合は、安楽死や慈悲殺はいたし方がないと考えるに至りました。しかし、殺すのはやはり不憫なので最初から生まれてこないようにしようと考え、より進歩的な考え方として優生学がうまれました。このように過去のQOL研究が優生思想、ホロコースト、尊厳死と歴史的、思想的につながっていると気がつくと愕然とします。その後の反省とニュールンベルグ裁判の後にQOL概念は変わりました。他人が客観評価するものはQOLとはいわずあくまでもQOLは本人の主観的評価であることと慈悲殺などと言うものは決して認めず、医療的な自己決定権を厳格にしたことです。たとえば、ALS の診断直後に時々耳にする言葉ですが、「気管切開し、人工呼吸器をつけて寝たきり状態で生きていくなんて、そんなQOLが低い状態では生きていくのは意味がない」と言ったり、将来の自分の状態を想定して自ら言ったりするのは、まったく間違っています。なぜなら、QOLはそのときの自分が感じる主観的評価のことだからです。

自律(オートノミー)と自己決定についての混乱
  自律概念を西洋的な自己決定権の象徴のように考え、日本人の共同体にはなじまないと言う方がいますが、まったくの誤解です。政治分野ではオートノミーは自治と訳されていますが、倫理用語でも自律と訳すのではなく、患者の自治と考えると誤解を解きやすいと思います。日本人が自分で日本を自治することによってのみ、日本の良さが発揮され、日本人としての幸せが得られるのは当然だと思います。同様に、共同体には共同体のオートノミー、家庭には家庭のオートノミーがあり、個人には個人のオートノミーがあるのです。人間が幸せになるにはオートノミー即ち、自治(=自律)が必要であるのは当然です。これは人間にとって普遍的な原理といえます。当事者である患者会の活動は患者の自律を高める活動として患者自身の幸せに結びつくものですし、難病患者を支援する自律的ボランティアグループの育成も社会にとって大切と考えています。オートノミーを非日本的な思想と思うのは、おそらく、オートノミーと称するなかで、それ以外の別のものが同時に入りこんでいてそれを非日本的と思っているか、または自分を自治することが悪いことという考え方が強力に宣伝された一時期があってその名残として何らかの偏見が日本人の心の深層にのこっているからではないかと思っています。キリスト教的なものはもちろんですが、日本に特徴的な神道、仏教の禅や親鸞の思想、武士道、儒教道徳のいずれを見ても自律概念と対立するものはないように思います。人間が幸せになる原理の一つが自律であることは明白で、医療倫理においても第一に挙げられるものです。
  難病患者の自律尊重原則において検討すべき点は、難病患者は機能低下に対する不安、機能主義、内なる優生思想、サポート不足、死や別離への不安のために自律が損なわれていると考えることです。患者は「こんな病気になって、もうだめだ、人生の意味が見出せない」と悩んで、希望をうしなっています。自律とは自己決定能力と同じと思っている方いますが、根底にはそれ以上の意味があり、他律(ヘテロノミー)の反対語です。自律とは自分の価値、尊厳、人生の意味は、自分の財産、地位、職業、能力、外見、病気の有無などによって決定づけられていないと考えることです。患者は病気になると、尊厳が失われ、幸せになれないと思い、他律的な考えに囚われます。その時ケア担当者が「そうでは決してないですよ」と患者を強力にサポートするのが自律尊重原則の深い考え方です。難病領域において自律尊重原則を適応するときにはこのように一歩自律概念を深めることが必要です。難病患者の損なわれた自律を回復していくためのケアが難病ケアであり、地域のネットワークであり、真の緩和ケアといえます。このようなケアを行わず、難病患者に一方的な自己決定を迫るのは自律尊重とはいえません。難病患者の自律回復のためにはケアシステムの充実と内面的なサポートの両者の統合が必要です。

難病のケアモデルと緩和ケアについての考察
  尊厳、自己決定、QOLなどの言葉は多様な意味で使われています。表として、ケアモデルによって、いかに用語の意味が異なるのか分るように整理してみました。難病のケアモデルや真の緩和ケアモデルは表のケアモデル2に相当します。患者・家族と医療従事者がそれぞれ別のケアモデルをイメージしながら会話したとしたら、まったくうまくいかなくなります。ケアモデル2は難病ケアのためにどうしても必要なわけで、ケアモデル1の現実の中に、ケアモデル2 が実践できる環境を作るのがよいのか、ケアモデル1と2が常に緊張関係をもち実践しあうのがよいのか、社会全体のケアシステムをケアモデル2に変革すればよいのか今後の議論が必要と思います。
  緩和ケアは日本では市民、患者、医療従事者も誤解していることがおおいためここで詳しく述べたいと思います。実は、わが国のみが、がんとAIDS の終末期医療を行うことのみを保険診療上の緩和ケア病棟の診療と規定しており、このため間違って理解していると思います。たとえば、ALS 医療の緩和ケアとは人工呼吸器を選択しない患者が終末期に苦痛なく尊厳死するためのものであるとの考え方です。これは緩和ケアとはまったく正反対のケア原理です。また、同様の不理解として、緩和ケアは終末期医療であるため、発症時点や告知場面では緩和ケアは不要であるとか、人工呼吸器療法を選択した方はすでに延命処置されているので緩和ケアの対象から外れるという誤解です。このような誤解の下で、緩和ケアは難病ケアの中には受け入れがたい診療原理のようにわが国で考えられてしまいました。WHO(世界保健機関)は1990 年に緩和ケアを以下のように定義しています。“緩和ケアは根治療法に反応しない患者に対する積極的なトータルケアで、最も重要なことは、苦しみ(pain)、他の症状、および心理、社会、スピリチュアルな問題のコントロールです。緩和ケアの目標は患者と家族に可能な限りよいQOLを得させることです。”さらに以下を強調しています。生きることを肯定し、死を正常のプロセスとみなす。死を早めることも先延ばしすることもしない。苦しみ(pain)やほかの悩ましい症状を除去する。ケアにおける心理的側面とスピリチュアルな側面を統合する。患者療養中および死別後に患者家族へ援助のためのサポートシステムを提供する。これで分るように、緩和ケアは尊厳死とは正反対のケア原理を示しています。
  筋萎縮性側索硬化症の緩和ケア(Palliative Care in Amyotrophic Lateral Sclerosis, Oxford University Press, 2000、研究班で邦訳の出版予定)の出版により英国などのALS の緩和ケアの実際を理解することも容易になり、診療原理など学ぶべきものがおおいことが分ってきました。ALS など難病の緩和ケアは病初期の告知時点から始まりいかなる終末期にも必要なトータルケアであり、PEG や人工呼吸器療法の選択の有無にかかわらず、患者にとって必要な基本的ケアと考えられています。このケア原理はつきつめれば、効用(Utility)を超える価値として人間尊厳をとらえて、患者の自律をサポートすることを通してQOL向上を考えることにあると思われます。
  私は、1970 年からわが国で発展した難病ケアと1967 年以降に英国で確立した緩和ケアは同じケア原理をめざしており、根治療法のない疾患のQOL向上を目的としていると理解しています。わが国の医療保険制度下の緩和ケア病棟において、難病ケアを無理に行う必然性はないように思いますが、難病のQOL向上のためのケアとして緩和ケアの実践的な研究が必要と考えられますので、当研究班のテーマの一つとしています。私は、学問的な討論やケアの質についての検討が不毛になりやすい尊厳死運動と異なり、緩和ケア研究では患者を主体とした学問的なケア研究が可能であり、その中で、難病患者のQOL向上をめざし、さらに尊厳死意識も解決できるという展望を持っています。

難病患者の機能障害の補完と機能向上についての研究―今後
  難病領域ではケアによる介入により少なくともQOLの向上を証明しえなければ、難病の診断もケアも意味がなく、医療予算を投下するのはもったいないという極端な考え方に対して、がんばって研究しているのが厚生労働省の難治性疾患克服研究事業だと思います。前述のように、難病研究をする際には「機能主義」や「内なる優生思想」の克服が必要ですが、その上で、難病ケアの効率化や評価、難病で障害される機能の補完研究はやはり大切なのではと考えています。ALS においては、摂食嚥下機能や呼吸機能の補完として、比較的早期のPEG, BiPAP 療法などの導入がALS の転帰をどのように改善するかを私は重要と考えています。ALS ではどうせ気管切開が必要なのだから早くすればよいなどとは考えず、もっときめ細かい病態評価のもとでその時々にもっとも適切な機能補完ができればよいと考えています。
  ALS の全病期においてコミュニケーション障害の克服がもっとも重要であることは明白であり、心理サポート技術の他に、積極的な情報技術の導入、視線入力意思伝達装置(愛言葉、EYE-COTOBA、島津製作所社製)の開発研究やレッツチャット(ファンコム社製)などの実用化に対して、専門的に応援してきました。最近の情報工学の発展とロボット工学の発展は目覚しく、あらたにサイバニクスという研究分野がうまれました(筑波大学、山海教授http://sanlab.kz.tsukuba.ac.jp/)。これはサイバネティクス+インフォマティクス+ロボティクスのことで、人間の生体情報を利用して、随意的に体を動かせる、装着型ロボットとしてイメージすることができます。これが難病領域でも実用化されれば病気によって随意運動が障害されても、運動能力を維持補完できるのではと思っています。このような夢のような装置も難病領域で開発研究していくことが必要で、障害の補完と病気を乗り越えられるサポート技術の両者を統合したQOL向上研究を今後も展望していきたいと思っています。

参考文献
1. 難病患者等ホームヘルパー養成研修テキスト(総監修,中島孝)改定第6 版、社会保険出版社、東京2004
2. 中島孝、筋萎縮性側索硬化症患者に対する生活の質(QoL)向上への取り組み、神経治療学、20:139-147,2003
3. 中島孝、緩和ケアとはなにか、難病と在宅ケア、9:7-11,2003
4. 中島孝、これからの緩和医療とは何か、新医療 8 月号 138-142,2004
5. 中島孝、神経難病(特にALS)医療とQOL、ターミナルケア、14:182−189,2004
6. 中島孝、神経難病とQOL、p5-p10、2004、神経内科の最新医療(先端医療技術研究所)



表:尊厳死、緩和ケア、QOLなどの意味の混乱を整理した対応表。ケアモデル2が本来の難病ケアおよび緩和ケアモデルと考える。

 

ケアモデル1

ケアモデル2

緩和ケアとは

消極的安楽死。尊厳死を導く合法的ケア技術

オートノミーの回復。生きるためのケア。死は人間にとり避けられないが、早めもしない

疾病観

病気は人間の尊厳を損なう

病気は偶然性により起きる事象。それ自体は尊厳に影響しない

価値観

人間の価値観は不変

人間の価値観は病態や関係性の中で変化する

QOL

QOLが低い状態で生きることは無駄

QOLは人間同士の関係性の中で決まる

QOL尺度

人間としてふさわしい理想的QOL尺度がある

QOL尺度は病態と関係性の中で決定される相対的尺度

尊厳

QOLが低いと人間の尊厳は失われる

どんな病気、病態でも人間の尊厳は失われない

努力すれば人は病気や死を免れ、尊厳の維持が可能。そうできない場合、死を自己決定することで尊厳を保てる

死は人間にとり避けられない事象。死によって人は尊厳を保てない

自己決定

自己決定には苦痛をともなうことがある

自己決定のプロセスにより自分自身が成長し、幸せになれる

自己決定内容の表示

リビングウイルを作成

インフォームドコンセントを通してAdvance directives(事前指示書)を作成

病院

QOLが低く、高められない患者、アウトカムが評価できない患者の診療は病院の本来業務ではない

どんな難病患者に対しても患者のオートノミーを守り育てる医療を行う。NBMの利用

限られた医療資源・総費用の分配モデル

QOLが低く、高められない患者の診療は社会的負担が大。QOLに応じて医療費の再分配が必要

既存のQOL評価より医療費の再分配は不能。すべきできない

 


UP:20050128 REV:0131
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