障害者家族の父親とは誰か
「男であること」と「ケア」の間で

障害学会第1回大会
自由報告(2004613日)
報告者:立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程 中根成寿(naruhisa@pob.org


 

1.本報告の目的

本報告は、障害をもつ子どもの父親の会での聞き取り調査、また父親の会での参与観察に基づく質的データにより、障害者家族における父親について記述することを目的とする。近年、障害者家族に関する社会学的研究は増加する傾向にあるが、父親へのアクセスの困難性などから、母親への研究に大きく偏っているのが現状である[1]。また障害者家族のライフサイクルの観点から先行研究に注目してみると、子どもの幼児期〜学童期の研究は盛んであるが、子どもが成人期を迎え、親が老いてゆく段階に注目した研究は未だ少ない。

以上のような背景を基に、本報告では障害者家族の父親の語りに注目する。特に子どもが成人期を迎えつつある父親への考察を中心に行う。障害者家族においても父親は子どもや家族との関わりが希薄だとされてきたが、それが量的な少なさなのか、それとも関わりの質的な異なりが従来の分析枠組みからは希薄と映るのか。またケアという行為と「男性性」との関係についても併せて考察する。もちろん、本報告は「障害者家族の父親とは〜である」という結論を出せる段階のものではない。可能性があるとすれば、親たちの経験や語りから彼らを語る言葉を増やすこことである。

 

2.障害者家族における父親研究について

l  障害者家族研究の立場から

要田[1999]、石川[1995][1999]らの研究は障害者家族のおかれた社会的構造を明らかにし、土屋の研究はその社会的構造を実証的に検証し、障害者家族研究に厚みを与えている(土屋[2002])。しかし「障害児の親アイデンティティ」を始めとする障害者家族研究は、それがジェンダーに大きな偏りを持っていることに自覚的でありつつも、父親研究については未だ体系的な整理を行っていない。土屋[2003]の論文が障害者家族の父親研究の先鞭をつけたと言える。

海外研究においてはTraustadottir1991]やRead2000]が障害者家族のジェンダーについての考察を行っている。これらの調査では父親は経済的に家族を支える、または母親のサポーターとしての役割を担っていることが指摘される。また、統計的なデータを基にダウン症児の父親と母親の健康状態の自己認識の調査をしたものとしてHedovら[2000]があげられる。この調査において、父親は母親と比較して身体や精神の健康は高い一方、「弱さ」や「感受性」といった感情の表出が困難であるという結果が出ている。

 

l  父親研究の立場から

父親研究は、柏木編[1993]、牧野他編[1996]をはじめとして、多くの蓄積があるが、こと障害者家族における父親研究に関しては先述の土屋[2003]が先鞭であるといってよい。しかし、春日[1989]の父子家庭の研究は障害者家族において父親の課題となりがちなCash(収入)とCare(介助・配慮)との関係についても援用できうる。また欧米で盛んな男性学の立場からの父親研究は、このCashCashを重要な課題として設定している(Hobson&. Morgan2002:14])。男性の役割(特に離婚などで同居していない父親の役割)が福祉国家によってCash(養育費を稼ぐこと)に強く規定されていることへの批判がなされている(AldousMulligan2002])。離婚後の父親にもCare(子どもの成長にお金以外の面で関わる)役割への願望が当事者たる父親からあがっている(Gavanas2002)。しかし、実際はケアに参加したくても労働環境やジェンダー規範などにより男性がケアに関わることに一定の困難がある[2]。父親が育児に協力的になることはもちろん理想的なものだが、労働環境やジェンダー規範と折り合いをつけながらいかにしてケアに参加できるだろうか。父親研究と障害者家族の父親の抱える問いはこれらの点で重なりがある。

 

l  先行研究の知見から

障害者家族とジェンダーの関連性は、子どもに一定のケアが必要であることで、母親がその主役となってきた。そして父親の役割は「一家の稼ぎ手」に縛り付けられてきた。一方で子どものケアに関して父親がどのように関わっているのか、ケアや子どもについてどのような意味づけや不安をもっているのかという父親の声は未だ拾われていない。母親は家族や子ども、社会と激しく相互作用し行為生成的に「障害児の親アイデンティティ」を構築し、それにコミットメントしたり、距離を置いたりするワークを行ってきた(土屋[2002]、中根[2002b])。では父親たちはそのワークをどのように行っているのだろうか。本稿は、以上のような課題に質的研究による父親たちへのアプローチから迫ってみようと思う。

 

1.調査の方法・分析

障害者家族の親たちには父親と母親が想定できるが、父親へのインタビューが成功する可能性は高くない。まず出会える父親が母親とは比較にならないくらい少ない。さらにようやく出会えた父親へのインタビューの申し込みが失敗するパターンは大きく二つある。一つは父親が「子どものことは妻に任せっきりですから、そっちの方に話を聞いた方がええんちゃいますか」という父親自身による母親への誘導、もう一つは母親を通してお願いする時に起こりがちな「うちの亭主はちょっとね…」という母親より父親へのアクセスを緩やかに遮られる場合である。こうした現象は筆者だけに起こっているわけではなく障害者家族の研究者が共通して経験しているもののようだ(土屋[2003:119])。

本稿におけるデータは20036月から20041月まで、関西地方で障害をもつ人々の権利擁護を目的とするNPOが主催する「父親の会」へ参加することで得られたものである。「父親の会」でのフィールドノート、そこで知り合った父親への個別のインタビューを通して、障害をもつ子の父親の語りを収集した。父親の会は通常隔月で開かれ、夕食をともにしながら自分や家族、子どもの近況や福祉制度についての情報交換を行う。父親の会の参加人数は1013人前後である。子の年齢や障害はまちまちである。さらにこの会と別に、知人から父親を紹介してもらい、インタビューを申し込んだ。インタビュー対象の条件は、障害をもつ子どもの父親であること、子が成人期を迎えていることの二つである。これは本報告が成人期以降に特に注目するためである。

質問票は用意せず、相手の話の中から話題を抽出する自由会話方式にて調査を行った。データは、プライバシーに十分配慮すること、発表の際は必ず許可を得ることを条件にテープに録音した。フィールドノートやインタビューデータに対してコーディングを行い、それを上位概念でカテゴライズし、カテゴリやコードの関係を検討しつつ、中心となるカテゴリを設定した(Strauss& Corbin1990=1999])。

 

2.調査結果

中心となるカテゴリは「母親との関係」「家族依存介護の限界」「予測可能性の高まり/低下」「ケアリングの諸局面」の4つである。

 

l  母親との関係

障害者家族においても、父親は家族との関わりが希薄とされてきた。障害をもつ子に児童相談所や訓練施設等に付き添い、知識を得て子の訓練に当たるのは多くの場合母親であり、父親は母親からの情報によってしか障害の知識を知り得ないケースが多い。故に父親は、子と直接関係を結ぶのではなく、間接的な位置に留まりがちである。そして父親の主たる役割は、家族のために経済的な支援をすること、つまりしっかりとお金を稼いでくるということがその中心となる。典型的な性別役割分業が、障害者家族の場合には時間的・量的に増幅される。その結果、父親が子に直接向き合っていない、という指摘を受けることになる(土屋[2003])。

今回の調査においても、この構図はある程度維持されていたが、父親が〈稼ぎ手の役割〉のみに集中しているわけではなかった。障害をもつ子の父親は、父親として家族とどのように関われるかを常に考えている。しかし、親の会をはじめとする交流の場には多くの場合母親が参加する。訓練の場には母親が子どもを連れて行く。〈母親のネットワークの広さ〉や〈母親のもつ情報量〉は日々広がっていくのに比べて、父親は母親を通じてしかそれが広がっていかない。結果的に父親は障害に関する〈世界の狭さ〉を経験することになる。

それでも我が子の将来などには漠然とした不安が常にある。しかし情報は入ってこない。父親が共通して経験するのは〈情報への飢え〉である。自分や子、家族が将来どうなるのか、〈何をすべきか知りたい〉〈周りは何をしてくれるのか〉を知りたいという願いを持っている。筆者が調査フィールドとした「父親の会」も上記のような父親の要求に応える役割を果たしている。情報を得て、父親が学ぶことで、家族の中でのケアに関わる場面、特に意志決定の場面(子の就学、就労、成人後の生活など、家族のあり方に関する決定)において〈母親と対等〉になることが、結果的に家族や子に直接向き合うことの入り口として目指される。

 

A「お父さん方は何かしたい気持ちはあってもね、なにしていいかわからん。ってことはなんもかんもお母さんやってるから、お母さんが出番あっても父親の出番がない。だから…僕らやっぱり自分らもあの…お母さんだけに任せるのはまずいんちゃうかと。で、少なくともお父さん、忙しいかも知れないけど、関心を持つ。関心を持つと同時に勉強すること。そうするとお母さんと対等になるんじゃないかと。」

 

「なにをしていいかわから」ない父親に育児に参加しなさい、子に向き合いなさい、という抽象的なメッセージはそれが実現できない父親を悩ませ苦しめる。障害をもつ子の父親である最首悟は、ただ父親を家事に参加させるだけでは「マイナスの形での労働分担型」であると指摘し「しわ寄せは子どもに来るというふうになってしまうのではないか」(最首[1998:294-295])と言う。この役割分担の失敗について、一人の父親が語っている。

 

B「家内としては子どもが大変なんやろうと。それだったら俺の方は、もうそんな世話やかんでいいと。もう自分のことはね、自分でできるだけのことはやると。だからとにかく、子どもを、子どもを中心にしてやってくれていいと。だから分担としては、子どものことは母親中心でやって、そのかわり、私に関わるいろんな負担、俺のこと、例えば着るもんがね、明日のもんが用意されてない、クリーニングがどうなってないとかは、そんなあれは、とにかく自分のことはできるだけ自分でやっていくからですな、その部分で軽減するから、まあ子どもの方にできるだけ専念してくれと、いう想いがあった。」

 

母親に子のケアに集中してもらい、父親は給与を稼ぐことで家族に貢献する。障害者家族でない家族でも珍しいことではない性別役割分業を徹底する方法である。実に「合理的」な行動である。しかしこれは結局のところは母親に子のケア全てを担わせるということである。

Bさんの場合、この試みは失敗に終わる。障害をもつ子に限らず、育児や介護に代表されるケア行為は限度がない仕事である。やればやっただけ結果の出る仕事ではないし、完璧にやりこなそうとしても終わりがない。母親の疲労やストレスは慢性的なものとなり、子の落ち着きもなくなっていく。仕事からの帰り道で、家の中から子の暴れる声が聞こえた時、Bさんはケア分担の失敗を痛感する。

 

B「だけど、この頃からやっぱりそれではやっぱりあかんのやなと、これは一緒に、その子どもを背負っていかないと、今から思って失敗やったなと思うのは、あの、分担…でやったらええやんなんていう風に思ってたいうこと自体が、今にして思えばまずかったなという気がしますね。」

 

家族内での〈ケア役割の専念化〉では母親の負担やストレスが軽減されることはなかった。それよりも、ケアを〈母親と一緒に引き受ける〉ことの方が母親をより支援する結果が得られたとBさんは振り返る。母親に子のケアに集中してもらうのではなくて、父親が〈ケアを共有する〉。父親への評価は〈行動より〉も、あくまでも協力する〈姿勢〉ではかられる(土屋[2003:128])。

 

B「それ(子どものケア行為への参加)をやりだしたらやっぱりね、子どもが、私に対して関わってくる態度というか、変わってきましたね。あれはね、やりだしてから10日か2週間ぐらいしたころでしたかね、家に帰ったらね、いままで子どもがですな、そんな玄関まで来ることもなかったのに、かえってドア開けてはいったらですな、子どもがだーっと走って出てきてですな、で、あがろうとしてる私にぱっと抱きついてくるんですよね。こんなこと今まで想像したことなかったなあと。うーん、やっぱりこれで正解やったんかなと。もう私も気持ちが楽になったし、家内もそれだけ…家内自身も、かなりちょっと明るくなってきました。」

 

Bさんはこの経験を振り返って「父親としてリーダーシップを発揮できなくても、母親に寄り添う、旦那の支援によって女房はがんばれる」のではないかと父親たちの前で述べた。家族内でのリーダーシップを発揮し、合理的な選択を行うことは「期待される男性像」、また男性自身が持ち続ける男性役割に合致した役割である。しかし、ケア行為の場面ではその男性性が効果的に働かない場合がある。男性的、合理的な行動が揺らぐのである。

 

l  家族依存介護の限界の認識

子が成人期を迎え、親が初老を迎える段階になったとき、障害をもつ子の親、家族は二度目の壁に直面する。それがいわゆる「親亡き後」問題である。子の障害告知の段階で「親より長く生きない」と医者が言ったのはすでに昔の話である。今や多くの子が親よりも長く生きる。最後まで親が子を看取ることができない。多くの親が自らの老いや更年期などでその事実を肌で感じ出すのが、この頃である。麦倉はこの成人後の問題の要因を「知的障害をもつ人とその家族が成人期に差し掛かったとき、いかに行動すべきかを示すロールモデルの不在」(麦倉[2003:9])と指摘する。

 

C「だから、今になって、今が一番なんかこう、あのーある種の悩みと言えば悩みというかね、まああるんですよ。というのは、見えてこないっていうかね、将来子どもがどうなっていくんだろうかって、で僕らは確実に老いていくわけだから。」

 

障害をもつ子とその親のロールモデルの不在は〈子の将来がわからない〉という不安と直結する。そして〈親は確実に老いる〉ということが現実化すると同時にその不安は増幅する。父親の場合は定年退職がその不安のきっかけになると語る親が多い。

前節で見たBさんは子どもの障害の重さ故に早い段階で子どもや家族と向き合わざるを得なかったが、子どもや家族との関わりを限定的にしてきた父親たちの場合、家族がおかれた社会的状況に気づき、考え出すのは定年退職してからという場合が多い。その不安と冷静に向き合った結果、〈親が生きられない現実〉を受け止め、〈家族の努力の後に〉社会に子を預けて親を引退したいと考える。しかし、〈親が生きられない現実〉をうけとめた後でさえも、社会に子を委託する流れへとスムーズに移行するわけではない。

 

A「子どもの感情を悟れるのは親だけ。それでもやっぱり最後は自分でみなきゃいけないのかな、っていう思いは消えないですよね。」

B「親でさえ、こんなしんどい思いすることをね、他人がやってくれるはずはないやないかと。」

 

親は時間的な限界があることを知りつつも〈最後は自分で〉〈最後は親だけ〉という思いを消し去ることができないでいる。ケアを家族の外へ委ねられない理由についてどのような考察が可能であろうか。先行研究からいくつか考察する。家族の中におけるケアが単純な労働ではない、と指摘した研究は(CorbinStrauss1985])ケアとは家族関係の調整や感情ワークなどを含むことを指摘した。そして家族関係の調整や感情ワークといった家族ケア独特の経験が「自分が唯一の介護者である」という感覚を介護者に抱かせる。もちろんこれにはケアするものとされるものが親子という親密で個別的な関係にあることも影響を与えている[3]

また障害をもつ子の親は子が成長するプロセスで多かれ少なかれ社会に対して不信感を抱えている。それは医療従事者や教師、町中で出会う視線から受ける経験が孤立感や疎外感を育てるからである(要田[1999]、中根[2002b]、麦倉[2003])。

 

l  予測可能性の高まり/低下

障害をもつ子の出生直後の親は、ほとんどの場合、驚きや悲しみの後に、情報集めを始めることがすでに明らかになっている(中根[2002])。障害についての医療的な情報、どのように成長していくのかなどの情報を集めていく。その際、高い効果を上げているのは親の会である。同じ地域で生活し、同じ障害の子をもつ親の会の情報は個別具体的である。親は〈将来の姿を知りたい〉〈これからどうなるのか〉〈将来が見えない〉という予測可能性の低下による不安を親の会で得られる情報によって軽減していく。

障害をもつ子の親の行動は、予測可能性を高める方向へと向かう。医師に相談する、同じ立場の親に相談する、理解のある学校に子を入学させるなどの行動は、〈子の安全〉と〈親の安心感〉、〈生活の継続性〉を目標にして予測可能性を高めるために行われる。親の会では年代別に周りの子を見ることができる。5歳年上、10歳年上の子とその親の姿は有効な未来のロールモデルである。しかし、その予測可能性が再び低下するのが、親が加齢し子が成人〜中年期を迎える頃である。ロールモデルの不在状況の中で親は子を残して死なざるをえず、親は子の行く道を見届けることはない。

 

B「ただ、親が年取ってきて、いずれその、親が先に死なざるを得ないと、いうことになった時に、あの…やっぱり本当にぶっ倒れて子どもを任すよりは…子どもが一番不安なんですよ、僕が死んだら(子どもの名前)はどうなるんやろと。」

 

予測可能性が低下すると、親は自分がいなくなった後の子の生活について模索を始める。入所施設が批判され、地域生活への移行が進んでいるとはいえ、親がいなくても問題なく地域生活が継続できるかといえば疑問が残る。地域生活という時の地域にはまだ親のいる家庭が重なっている(峰島他[2003])。そして親の願いである子の安全と健康という基準を満たし、なおかつ現在安定して継続できている試み、つまりは施設入所が選択肢にあがってくる。

 

なぜ入所施設を望むか

「脱施設化」の流れはもはや自明のことのように思えるが、子が成人期を迎えた親に話を聞いてみると〈施設は常に選択肢〉にあることが表明される。親が若く健康なうちに施設を選ぶ人は少ない。しかし、親の会などで年配の親に早い段階で施設入所を勧められ、子が20代のうちに施設入所を決断する親の姿も報告されている(麦倉[2003:8])。そして親はそれが子の願いなのではなく、あくまでも〈親の論理〉であることにも自覚的である。

 

A「今僕なんか、それ(親亡き後の生活)で悩んでるんですけど、入所施設が一番いいわけですよね、ただね、そうすることは、障害をもつ子が一生涯規則の中でね、全部規則の中で生活するわけじゃないですか。自分の自由ってないですね。」

C「僕は正直言ってうちの子どもの場合は、あのー入所施設があって、で、そこに入れて、でそこから作業所にでも通えたらいいんちゃうかなって思ってる。だから今度入所施設を国が作らないと言ってるのは、僕はちょっとものすごい問題だと思ってるんです。だから将来的には入所施設でしっかりした人がいつもいて、そこで目端を利かせてくれて、っていうのはうちの子にはあってるの違うかなと。」

 

施設入所に関しては母親と父親では少し受け止め方が異なっている。調査において3人中2人の父親が施設入所を「しかたのない選択」と捉えていた。これに対して女性の家族介護者の多くが施設入所を罪悪感のため「くだせない決定」だととらえている(Ungerson1991=1997:120-122]。ある父親は「罪悪感はないって言ったら嘘だけど、その辺はあきらめんとしゃぁない」と施設入所への可能性を語っている。生活の継続性や安定性という観点からは施設入所は合理的な選択肢である。父親は母親よりも規範による葛藤も少ない。女性介護者が義務感や感情から施設入所を「くだせない決定」としているのとは違いが見受けられる。在宅福祉、地域福祉という生活の予測可能性が未だ高まっていない以上、施設への入所も現実的な選択肢として残さざるを得ない。これは裏を返せば地域生活の予測可能性を高めることができれば、つまり親の目の前に具体的な地域生活が提示されれば、施設入所を選ぶ親が減少するということである。予測可能性の時間的スパンについてジェンダーによる差異が一般的なものかどうかは、本報告における調査から結論を出すのは性急である。「男性たる父親が、女性である母親よりも時間的に長期の予測を立てて思考し行動する傾向があるのか?」という問いは今後検証する。

 

l  ケアリングの分節化

親亡き後、親が期待する存在の一つに障害をもつ子のきょうだいがいる。彼ら彼女らは幼い頃より障害をもつ兄弟を見て育ち、そして親よりも比較的冷静にこの社会において障害をもつことの意味について知っている(Victoria1999])。一方で親が自身の老いを自覚する頃には兄弟達も定位家族を離れて自らの生殖家族を築いている場合が多い。親は〈兄弟に負担はかけたくない〉という思いをもちつつ、しかし兄弟に〈口に出せない期待〉をする。

 

B「親はあの…自分の産んだ子どもやから、あの生涯つきあうということはやむをえないけども、兄弟にまでそれを押しつけるということはね、我々としてはする気はない…だから、経済的な面も含めて、あんたらはそこまで関わってもらわなくてもいいけれども、だけど、精神的につながりというか、あの、負担はもっておいてくれと。その息子と嫁さんの方にはね。あの、兄さんはちゃんと生活しているのかな、いろんな施設はちゃんと面倒みてくれているのかな、いろんな不当な扱いはしてないかというあたりを、常に関心を持ってですね、いてほしいと。それ以上のことは、精神的以上の負担をあんたらには、個人的な負担を負わせないけれども、精神的なものだけはもっておいてくださいよと、彼らには言ってあるんだけども。」

 

Bさんはすでに家族をもっている弟に兄の生活の〈個人的な負担〉を押しつけるつもりはないが〈精神的な負担〉をしてほしいと願う。親亡き後の〈財産管理の心配〉を親が表明する一方で、現状の〈成年後見制度の使いにくさ〉が指摘される[4]。権利擁護の課題であるが、ここで注目したいのはBさんの語りにおいて〈個人的な負担〉と〈精神的な負担〉が明確に区別されていることである。これまでの人生において、親が「全て」担ってきた役割について、Bさんは切り分けを行っている。ここに「ケアの社会的分有」の萌芽がある。

ここではFisher & Tronto1990]の研究を参考に、ケアの要素について整理する。Fisher & Trontoはケアリングのプロセスを4つの次元に分類した。それはすなわち「配慮すること(care for)」、「ケアの運営責任を持つこと(take care of)」、「具体的なケア提供をすること(care giving)」、「ケアを受けること(care-receiving)」の4局面である[5]Bさんのいう〈個人的な負担〉は、ここでは「具体的なケア提供」を指している。そして〈精神的な負担〉は「配慮」を指している。親亡き後、社会福祉法人が子の生活の「ケア責任」を持ち、グループホームで生活しながら作業所へ通うという子の生活を組み立てながら具体的な「ケア提供」を行っていくと仮定する。その状況においてBさんは弟に、離れた所から兄への「配慮」を行ってほしいと考えている。兄の生活が十全に行われているか、過度なストレスを抱え込んでいないか、金銭面で不利益を受けていないかなどの「配慮」である。

 

親なしの生活を確認する

父親たちは、これまで行ってきたケアを振り返って、親亡き後もそれぞれのケアが十全に行われていくかどうか〈将来を確認したい〉と述べる。つまり、親が亡くなった後、あわてて次のケアの体制を考えるのではなくて、親が生きているうちに親なしでも〈継続可能なケア〉のセッティングをし、それを見届けるということである。

 

B「あの…だから、(親が何にもしないで死んだら)その子ども(にとって)自分を代弁してくれる人はいなくなっちゃうし、本当に混乱するので、むしろ親がいろんなことに口出ししてくれる、いろんな意味であの、関わってくれる間に、他人の手に子どもをゆだねてですな、で、その間にその人たちとうまくやっていけるのか、ちゃんと。だから、こちらの希望として言えば、私らがほんまに体がうごかんようになるまでこの子の面倒をみるということがいいのかな?と。それよりもむしろ私らの体が動ける間に、他人の手に子どもをゆだねてですな、で、他人の手でもこの子が生きていけるというのをみて、我々目をつむりたいなという思いが今やっぱり非常に強いですね。」

C「その不安をある程度取り除こうとすればね、われわれが目の黒いうちに、子どもが他人と一緒に生活していける、ああ心配ないな、これで何とか生きていけるな、というそういう安心感をやっぱりほしいなという思いですね。そういう意味では、僕はそんな自分がぶっ倒れるまで子どもと一緒にいたくはないわけで…」

 

自分で最後まで子の面倒を見たいという親の願いがある。矛盾する現実として親の体力や寿命の限界がある。生活の〈予測可能性〉を高めつつ、なおかつ〈継続可能〉な選択をするならば、親は矛盾する課題に答えを出す必要がある。自分であれこれ言える間、つまり子の生活が親なしでも継続可能かを〈配慮〉できる間に親はケアの配置を構想する。子を抱え込むでもなく、入所施設へ丸投げするでもない、そしてなおかつケアの全てを独占しない、という配置である。ここにいるのはギリガン(Gilligan1982=1989])が男性のものだとした「正義の倫理」のように合理的な選択主体ではなく、親と子である個別の関係性を前に立ち止まる父親の姿である。当事者の自己決定を尊重しつつ、しかし完全に相手に任せるわけにも行かない、そんなジレンマを川本隆史は「立ち入らず、立ち去らず(自己決定と内発的義務)」と表現する(川本[2000:28])。石川が「自己決定の積極的尊重の意味をこれほど素敵に表現した言葉も少ない(石川[2004:236])」と評するこの言葉は、ないないをちょうのいみをングいこうがあるきらめんとしゃー成人期を迎えた障害者家族の親子の関係も的確に表現している。

 

3. 結論−ケア行為と「男であること」の間で

分析の結果、障害者家族における父親の「母親との関係」、「家族介護の限界の認識」、「予測可能性の高まり/低下」、「ケアリングの分節化」等のカテゴリが父親の語りから浮上した。以上のカテゴリを本稿の主題である父親という視点から整理して本稿のまとめとする。

 

l  男性ジェンダーとの摩擦

障害者家族では、男性と子ども、母親との関わりが希薄である、という仮説があった。確かに子どもを訓練する、子どもを介助するという役割に参加しない、できない父親がそう表現されても仕方ない現実がある。しかし、現在の社会状況において父親が障害者家族と積極的に関わることの困難性をある父親が指摘した。本報告において「ケア分業の失敗」で登場したBさんは聞き取り調査の後、論文の下書きを送付した際、筆者宛に以下のような手紙をくださった。

 

…私の場合はも我が子と真剣に向き合い、家内と介護を分担する為には、職場の配置の転換が不可欠でした。それまでは帰宅は常に夜9時から11時(寄り道一切なし)、帰宅後も仕事のことで頭がいっぱい、休日も仕事を持ち帰らざるを得ないという状況で、肉体的な疲労と仕事のストレスで全く気持ちにゆとりがなく、まずその状態を解消しないと子どもに毎日直接関わることは不可能でした。しかし、その余裕のあるポストへ配点を希望することは、自分の職業人としての将来性もプライドも捨て去り、それまで十数年間の努力を否定する、自殺行為に等しい、重い選択なのです。昇級もボーナスも格段に悪くなり、昇進もなく能力的に劣ると思っていた部下が今度は自分の上司になるといったことも起こり得ます。更に、人間にとって、自分の能力を発揮する場所を失うというつらさが理解できますか。それまでの価値観を根底から覆さない限り、耐えられるものではありません。(傍点は引用者による)

 

ここで表現されているのは、障害をもつ子どもの父親として子どもに関わりたいという願いをもちつつも、職場において「それまでの価値観を根底から覆」すことの困難性である。自殺というメタファーで彼が語るのは、これまで彼が築き上げてきた男性性を自ら否定することである。特に定年退職以前に、「職業人」としての自らを否定することは「男性性」を大きく揺らがせる。

 

l  男性としてケアに関わること

ある父親は障害をもつ子どもが生まれてからの自分自身の変容をある歴史小説を引用して振り返った。

 

B「僕はあの、司馬遼太郎が好きでですね、あれなんかの時に日露戦争のね、『坂の上の雲』の中でね、あのー大山巌が、だいたい大将って言うのは勝ってる時はもう、寝てたらええのやと。負け戦の時は出ていかないと仕方ないと。って言ってて、で、それはそうやなと思ったんですよ。でね、僕はやっぱり、これは今やっぱり負け戦に入った時、あのーいわば退却せな仕方ない時、やっぱりね、一家のリーダーシップをとる立場の人間としては、あのーやっぱり出て行かざるをえんところやなと。」

 

ここでいう「負け戦」は障害をもつ子どもの存在をそう捉えているのではない。彼にとっての「負け戦」とはめまぐるしく変わる局面において「大将」(父親)の真価が問われる場面であるのだ。「一家のリーダー」と自分を位置づけ、子どもの障害を巡って起こる不測の事態への対処にこそ自分の役割を感じている。そこには「妻や子どもを守る性」としての男性ジェンダーによる自己規定が表出されている。ケアの場面では男性役割は否定されたり反転したりする場面もありうるが、このようにケア場面が男性性の表出の場になることもあり得る。天田は家族介護における男性性の表出を「役割の共同化と裏腹の、観念化するジェンダー」(天田[2003:372])と名付けている。

つまり、父親たちは仕事の配置転換や母親への協力によって自らの「男らしさ」を弱めたと認識しているが、ケアへの参加の過程においてもそこはやはり男性として関わるしかない。リーダーシップを発揮し、将来への指針を遠く見通したいという願いは「男性ジェンダー」に期待された役割に合致する。父親の会でも「父親として」「一家の大黒柱として」という枕詞が発言に数多く見られる。

また、家族介護を行う男性介護者はケアの仕事を自らの職業人としての経験や、言葉で語ることが指摘されており、女性介護者よりも、介護に効率性や合理性を求めることが明らかになっている(Ungerson1991=1997:126-127])。

 

4. 今後の課題について

l  「男らしさの複数性」への批判

本報告は障害者家族の父親を通して、社会における障害者家族の位置、ケアを巡るジェンダーの偏りを発見することを目指してきた。「障害者家族の父親だって困難を抱えている」と指摘するだけに終わらせないことが必要である。それは「男性性の複数性」(Connell1995]、中村[2000])を豊かにし、「男性のジェンダー経験」を語ることになっても、現状の社会構造や女性、障害をもつ当事者との関係が浮かび上がってこないという弱さが露呈することになるからである(渋谷[2001:454])。

 

l  親が子を語ることの「限界性」?

今回の調査だけに限ったことではないが、親が子を語るという行為自体にある種の「限界性」がある。親は子を「自立できない」存在として語る傾向が強い。もちろんここでいう自立は、自立生活運動や障害学が発見した「自己決定する自立」とは異なる。確かに、親は子を「保護」するが故に親である。しかし、ここで「保護」の全てを否定し、親が子を意味づけることの限界性を「自己決定」という名の下に否定しきること果たしてできるだろうか。それこそ周りとの関係を考慮せず自己決定だけを言う「堅い〜空虚な自己決定(立岩[2000])」に陥りはしないか。限界性は、家族という空間において、親と子である個別の関係性が必然的にはらむ現実として捉え、その葛藤を語る言葉を豊かにすること、その言葉を流通可能な概念として抽出することが必要ではないか。「ルーティーン化」と表現すれば機械的すぎるだろうが、親の会等で語られる言葉を概念として流通させることが必要であると考える。その概念は本報告の延長線上に発見されるものである。そしてその概念が障害者家族、ひいては近代家族そのものを相対化する「てこ」と成りうるだろう。「ナイーブ」な保護主義は批判されて当然であるが、それでも「親として…」という思いにどう向き合うことができるだろうか。

 

l  障害学と家族、親の関係について

障害者家族という場における親の意識や行動の変容を見ることは、自立生活運動における「脱家族」の主張をより多面的にすることに貢献する。自立生活運動における脱家族論は「出る側=当事者」の主張を代弁したものだった。今より遙かに家族への引力が強く、親の愛情を「全力で否定」しなければならなかった時代性、政治性を考慮すればそれは当然の選択である。この30年で大きく変わったことは、「お母さん、僕が生まれてごめんなさい」を大きな声で批判すること、しなければならないことが当事者や多くの親の間でも共有されるようになったことである(そしてこのような本のタイトルが出版されることが「変わらなかったこと」である(松波[2003])。「出られる側」である親を語ることは、脱構築できたものとできないもの、なお残るものを確認する作業である。当事者と個別の関係性を持った「親」の行為全てが、「パターナリズム」として否定できうるだろうか。それができないからこそ「脱家族論」の意義があった。「よいパターナリズム」と「配慮」はある部分で重なる。ならばケアの諸局面を分節化して、その機能を見ていき、ケアの要素を満たしていくために、子と親の関係、障害者家族という場へまなざしを向け続ける必要がある。障害学が当事者を巡る政治性、関係性を対象とする学問であるならば、障害者家族というフィールドは障害学において、なお刺激的なフィールドであり続けるだろう。

 

引用文献

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[1] それでも当事者の側から、父親の声がまとめられ、手記が出版されるようにもなってきた。町田おやじの会,2004,『「障害児なんだうちの子」って言えたおやじたち』ぶどう社.

[2] 春日が父子家庭の研究で発見したのは、男性中心社会(それが女性たちのシャドウワークによって支えられていることに鈍感な社会)であるが故に、父子家庭が抱える経済的、時間的困難、それを想像できない社会であった。

[3] 井口[2002]はこうした個別的であるという感覚が介護者の介護に対する「無限定性」を生み出す、という指摘を行い、「援助者側から見たときに、理解と対応が困難である『無限定性』に、家族としての個別的な関係性がつながっていく過程を詳細に検討していくこと」が重要であると指摘する。

[4] 世話人に弁護士を立てて成年後見制度を利用する場合、制度の利用開始時に裁判所への申請書の準備に10万円程度、医師の診療などに約5-15万円、月々の利用料が1万円から3万円という試算がある(http://www.shinginza.com/seinen-kouken.htm 2004/02/17)。障害基礎年金からこれらの費用を払い成年後見制度を利用することはあまり現実的ではない。

[5] 配慮→ケア責任→ケア提供の順番でケアを受ける人との距離は近くなり、ケアにかかる時間も増幅していく。この3つの要素が満たされているケアが提唱する側にも提供される側にも満足度が高いケアだと言えるが、3つの要素とも一人の提供者に科せられている場合、提供者は燃え尽きたり、ケアを受ける側と不和になったりする。ならば、3つのケアを切り分けて外部化したらいい、と言うことになるのだが、家族介護の場合にはそれが家族特有の困難を含む。一番外部化しやすいのはケア提供であるが、たとえケア提供を外部化したとしてもケア責任は外部化できず、かえって別に頼んだケア提供者のケアが気に入らなかったり、ケアを受ける側に申し訳なく思ったりして、家族介護者のストレスはさほど低下しない。井口高志はこうした家族介護者のケアを巡るジレンマを「無限定性」と表現している(井口[2002])。本稿におけるケアの分類も井口の報告に多くの示唆を受けている。