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「本の紹介:上農正剛 著 『たったひとりのクレオール
―聴覚障害児教育における言語論と障害認識』」
灘本 昌久
2003/11/04 『京都部落問題研究資料センターメールマガジン』vol.038
□本の紹介□
灘本 昌久
上農 正剛
(うえのう・せいごう)
『たったひとりのクレオール―聴覚障害児教育における言語論と障害認識』
(ポット出版、2700円+税)
久しぶりにうならされる力作である。差別論に限れば、5年に1冊出るかでないか。そう書いてみて、この5年間にこれと比肩しうる作品があったかと思い返しても、思い当たるものがないので、10年に1冊出るか出ないかの傑作といっても過言ではないと思う。
私は、差別問題で重要なことは、いかに差別をなくすかよりも、いかに被差別者が差別と向き合うかであると考えてきた。差別をなくすための行動は、そのあとに自然とついてくるものだと思っている。しかし、山のように出版される人権・差別問題系の出版物は、差別を糾弾し、その非倫理性を断罪することに急ではあるが、被差別者の生きていく土台を打ち固めるような内実、すなわち「差別といかに向き合うか」という課題がおろそかにされていることが多い。 また、差別と向き合うときに陥りがちな問題として、劣位にあるという現実や不安を埋め合わせるために、被差別者の美点を探り出して強調してみたり、被差別者の欠点をその被差別の歴史を理由に過小評価する「被差別割引」を発動してみたり、ともかく、差別・被差別の現実を直視しきれずに、なにごとかで埋め合わせようという傾向がある。水平社宣言にある「吾々がエタである事を誇り得る時が来た」という魅力的なフレーズでさえ、無自覚に使えば、傾いた天秤のバランスを取るための分銅に過ぎなくなる。上農氏の著作は、そうした傾向から驚くほど無縁である。
氏にとって、聴覚障害児(難聴児)が生きていくうえで根本的なことは、聴覚障害児のアイデンティティをいかに十全なものにしていくかということに尽きる。私流に言い換えるならば、聴覚障害であることといかに向き合うかというスタンスである。そのことは、言語習得技術論や難聴児に対する差別への批判(このふたつはある意味で反対方向の極論であろう)で達成されるわけではなく、難聴児自身が自分で思索していく手段としていかに言語を獲得していくべきかということが中軸となって組み立てられていく。 どのようにして言語を獲得していくべきか。難聴児は、いきなり岐路に立たされる。聴覚口話法(口の形と補聴器によるわずかの音をたよりに言葉を読み取る)を習得するか。日本手話を獲得するか(ここでいう日本手話は、いわゆる「手話」=日本語に身振り手振りを貼り付けた「日本語対応手話」とは違い、文法的にまったく日本語とは違う外国語のようなものであるが、逆に言語としては完璧に細部まで表現できる。ふたつの「手話」については同書140頁参照)。 聴覚口話法は、健聴者とのコミュニケーションを重視するが、実際には難聴者にとって徒労に終わるケースが多い。一方、日本手話は、それを使う聾者の間でしか通じず、それだけでは日本語を理解するようにはならない。上農氏は、日本手話と書記日本語(書かれた日本語)という二つの言語の獲得を必須とするのだが、難聴児が、もっとも適切なプロセスで言語を獲得するに至るには、さまざまな落とし穴がある。
そのひとつに、聴覚障害であることを否定する心理からくる聴覚口話法への傾斜がある。まれに聴覚口話法により、コミュニケーションの手段を獲得する難聴児がいるが、多くは徒労に終わるばかりでなく、下手をすると、日本手話も体得できないために、バイリンガルどころか一つの言葉も満足には習得できないセミリンガル状態になってしまう。そして、難聴児は親子の間でさえコミュニケーション不全に陥り、友人にも心を閉ざして孤立していく。 また、インテグレーション(統合教育)という一見理想的に感じられる教育にも、落とし穴がある。言葉は「自然に」獲得されるという思い込みにより、しばしば難聴児が実際には放置されるのである。 この他、上農氏によって難聴児が置かれている環境の問題性が、次々に明るみにされていく。そしてその際、誰も悪玉にされず、また誰もかばわれることなく。時として、難聴者自身や家族さえも、その体内から病巣を無慈悲にえぐりだされていく。読んでいると、そうした問題の困難さに、たじろいでしまうのだが、しかし、その困難さの先にしか難聴児の未来はないと確信させられる。障害者問題に関心のあるなしにかかわらず、およそ差別論に興味のある人には本書を強くお奨めする。
※1 ポット出版による本の詳しい紹介
http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-55-6.html
*作成:
灘本 昌久
UP:20090621
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