イラク国際民衆法廷に関する意見書
2003年10月15日
アジア平和連合ジャパン&バウネット・ジャパン
*君島さんより
[…]アジア平和連合ジャパンとバウネット・ジャパンは、トルコの平和運動が中心になって準備を進めている「イラク国際民衆法廷」のプロジェクトに対して、女性国際戦犯法廷の経験と成果に基づく意見書を作成しました。それをお送りします。
たびたび長文のメールをお送りして恐縮です。関心を持たれたところだけお読みください。
この意見書の英語版が、イラク法廷に関する国際的なメーリングリストを通じて、イラク法廷にかかわっている世界の団体、個人に送られます。
アジア平和連合は、イスタンブールで最終的に法廷を開く「イラク国際民衆法廷」を有意義なものにするために努力するつもりです。その一環として、広島で公聴会を開く準備を進めています。
このメールは複数のメーリングリストに投稿していますので、重複して受信された方はどうぞご容赦ください。また、このメールの転送は差し支えありません。
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2003年10月15日
アジア平和連合ジャパン
バウネット・ジャパン
イラク国際民衆法廷に関する意見書
1 はじめに
2 法律家NGOのイニシアチブ
(1)国際司法裁判所を使う
(2)国際刑事裁判所を使う
3 国際民衆法廷の思想と実践――その必然性と可能性
4 女性国際戦犯法廷の特徴とイラク法廷への示唆
(1)被害者の中心性、ジェンダー正義の視点
(2)民衆法廷の意義
(3)法の解釈・適用の厳格性
(4)草の根の民衆の支持・支援
(5)賠償責任について
5 若干の提案
(1)jus ad bellum と jus in bello
(2)法廷が追及する責任の範囲
(3)法廷の進め方――法廷の課題とタイムフレイム
(4)正義を実現する多様な方法――法廷への補助線、法廷を超えて
6 おわりに
1 はじめに
米英は「先制的自衛」「予防的武力行使」というレトリックによってイラクを攻撃し、占領している。これは、世界の広汎な民衆の抗議の意思表示、そして世界の多くの法律家および国際法研究者が「国際法違反である」と反対声明を出したにもかかわらず強行された。わたしたちはこれを黙って見ていることができない。
ブッシュ政権の武力による世界支配に対抗して、公正で平和な世界をつくるために、わたしたちがいま、イラクに対する米英の武力行使の違法性を確認し、武力行使に伴って犯された国際人道法違反=戦争犯罪の処罰を追及することは、どうしても必要なプロセスである。国際法違反、戦争犯罪を曖昧なままに放置することはできない。
5月22日に国連安保理が採択した決議1483は、米英を占領国と性格づけ、両国が国際法上占領国としての責任と義務を有しているとする一方で、国連が人道・復興活動に関与することを規定しているけれども、これをもって米英の武力行使が黙示的に合法化されたとみることはできない。武力行使の合法性と占領国の義務は別問題である。また、武力行使の合法性を曖昧にしたままイラクの復興を議論するのは妥当とはいいがたい。国際人道法違反の行為――たとえば無差別爆撃、劣化ウラン弾など――によって引き起こされた損害に対しては、賠償責任が生じるのであって、復興支援ではなくまず米英に対する賠償責任の追及が問題となるべきであろう。
このような状況において、世界の平和運動が、米英のイラク攻撃の違法性の確認および国際人道法違反=戦争犯罪の処罰を追及するために、国際民衆法廷を開く構想を持ち、その準備を進めていることに対して、わたしたちは深く共感し、共同作業をすることを希望している。
2 法律家NGOのイニシアチブ
国際民衆法廷の構想について議論するまえに、ここで、世界の法律家NGOによるイニシアチブに触れておきたい。
(1)国際司法裁判所を使う
国際反核法律家協会(IALANA)は、米英がイラク攻撃の可能性を示唆していた2003年2月、「『予防的』武力行使に反対する法律家・法学者の国際アピール」を発表して、米英のイラク攻撃が国際法違反であることを明確に示した。この「アピール」は、2月13日、国連事務総長に提出されている。米英によるイラク攻撃が開始される直前の3月14日、ロンドンで開催された理事会において、国際反核法律家協会は、「国際アピール」を基礎に、「先制的自衛」「予防的武力行使」は国際法違反であることを確認する勧告的意見を国際司法裁判所を引き出すプロジェクトを構想した。
国際司法裁判所は、国連諸機関の求めに応じて、特定の問題の国際法解釈について、勧告的意見を出すことができる。たとえば国連総会は、「『先制的自衛』ないし『予防的武力行使』は国際法上合法かどうか」という問題について、国際司法裁判所に勧告的意見を求めることができる。国連加盟国191カ国の過半数、96カ国の政府の賛成を集めることができれば、世界の市民は国連総会を動かすことができる。
国際反核法律家家協会は、国際平和ビューローおよび核戦争防止国際医師会議とともに、1992年から96年にかけて、核兵器の威嚇・使用の違法性に関する勧告的意見を国際司法裁判所から引き出すプロジェクト――世界法廷プロジェクト――を遂行した経験を持っている。これらのNGOは非同盟諸国政府と連携して、国連総会を動かし、1996年7月8日に、「核兵器の威嚇・使用は一般的に国際法とりわけ国際人道法に違反する」と宣言する勧告的意見を勝ち取った。予防的武力行使の違法性に関する勧告的意見を獲得しようという今回の構想も、90年代の世界法廷プロジェクトの経験に立脚するものである。IALANAは、各国政府――とりわけ非同盟諸国政府――にこの構想を打診しているが、政府の反応は悪いようである。これに関連して、IALANA会長のウィラマントリー前国際司法裁判所判事が、最近、米英の対イラク戦争の違法性を明確に指摘する著書『世界の終末か素晴らしい新世界か?――イラク戦争に関する考察』を緊急出版しているのが注目される。
(2)国際刑事裁判所を使う
戦争犯罪処罰については、ニュルンベルク裁判、東京裁判以来、ニュルンベルク原則を確認する国連総会決議(1950)、安保理決議によって設置された旧ユーゴ国際刑事裁判所およびルワンダ国際刑事裁判所における経験を経て、わたしたちは2002年に活動を開始した国際刑事裁判所を使うことができる。活動開始以来66カ国から約500件の告発が検察官に寄せられているという。
米英のイラク攻撃についても、戦争犯罪処罰を追及する動きがある。「公益法律家」という英国の法律家NGOの主催で、イラク攻撃において英国軍およびオーストラリア軍が国際人道法違反、戦争犯罪を犯していないかどうかについて、5人の法律家が検討する会議が――「ロンドン法廷」と呼ばれている――、11月8日にロンドンで予定されている。戦争犯罪が犯されたと認識する充分な証拠が示されれば、国際刑事裁判所の検察官に正式に告発される(米国は国際刑事裁判所規程の締約国ではないので、米国人を訴追することはできない)。
この「ロンドン法廷」の準備には、国際反核法律家協会の会員のフィル・シャイナー がかかわっており、国際反核法律家協会は理事のジョー・ラウを代表として「ロンドン法廷」に派遣することになっている。
ニュルンベルク裁判以来、旧ユーゴおよびルワンダ国際刑事裁判所の設置など戦争犯罪処罰については、一定の前進が見られるのであるが、そこには大きな限界もある。それは、戦争犯罪処罰の一貫性、普遍性(不偏性)に問題があるということ、大国支配の枠内でのみ戦争犯罪が処罰されるということである。この問題点は、ニュルンベルク裁判と東京裁判において処罰されたのは枢軸国の戦争犯罪のみで連合国の戦争犯罪は対象にならなかったこと、ニュルンベルク原則は普遍的なものとされたが、それは米国のベトナム戦争には適用されなかったこと、旧ユーゴやルワンダのような弱小国の戦争犯罪がまず処罰されたこと等の事実に示されている。
国際刑事裁判所も、検察官は最初の事件としてコンゴの住民大量虐殺事件の捜査を開始する準備中と言われ、やはり弱小国の戦争犯罪がまず取りあげられるのである。国際刑事裁判所の検察官が、真に普遍的な、一貫性のある訴追をできるかどうか、地球市民社会の監視が重要となると思われる。
3 国際民衆法廷の思想と実践――その必然性と可能性
前述のような国際司法裁判所および国際刑事裁判所を使おうとする法律家NGOの試みは有意義なものであるが、これまでの経験からいって、それがいまの国際秩序=大国支配の制約を受けることは覚悟する必要がある。大国、とりわけ国連安保理常任理事国は、小国とは違って、国際法の支配を逃れることが少なくない。だからこそ、米国のベトナムでの戦争犯罪を裁く民衆法廷、ラッセル法廷が生まれたわけである。
国家に優位する権威、機関を持たない現在の国際秩序からして、国家に国際人道法――武力紛争の法的規制――を遵守させることは容易ではない。この点で、国家の国際人道法違反を監視するものとして、市民社会、NGOの役割は極めて重要なものとなるだろう。
国際司法裁判所、国際刑事裁判所を使えるかどうかにかかわらず――もし使えないならなおさら――、わたしたちは、米英の武力行使の違法性、戦争犯罪を裁く国際民衆法廷を開く必要があるだろう。世界各地の平和団体がこのような提案をしているのは当然であり、わたしたちも同意見である。
ラッセル法廷以来、数多くの様々なかたちの民衆法廷がこれまで開かれており、法に関する民衆の意識、認識を豊かにしてきたが、民衆法廷について考えるとき、わたしたち東アジアの市民、日本の市民は、2000年12月8日に東京で開廷し、2001年12月4日にハーグで判決が言い渡された女性国際戦犯法廷の成果をまず第一に想起するのである。
女性国際戦犯法廷は、アジア太平洋戦争における日本軍性奴隷制、いわゆる「従軍慰安婦」犯罪を裁いた国際民衆法廷である。これは、南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本の女性団体を中心にして、世界の女性たちと連帯し、1998年以来2年におよぶ準備の末に成し遂げられた記念碑的成果である。旧ユーゴ国際刑事裁判所前所長のガブリエル・カーク・マクドナルドやアルゼンチンの判事で2001年国連総会で旧ユーゴ国際刑事裁判所の判事に選出されたカルメン・マリア・アルヒバイ、ケニア人権委員会委員長のウィリー・ムトゥンガ、ロンドン大学教授クリスティーヌ・チンキンなど、第一線の国際法の専門家が関与した。ハーグで言い渡された265ページの判決は、民衆法廷が達成しうる高い水準――法的密度と政治的説得力――を示しているとわたしたちは考えている。
4 女性国際戦犯法廷の特徴とイラク法廷への示唆
わたしたちがいま、米英の国際法違反、戦争犯罪を裁く国際民衆法廷を準備するにあたって、女性国際戦犯法廷(以下「女性法廷」と略す)の経験と成果は少なからぬ示唆を与えると思われるので、ここで女性法廷の特徴とイラク法廷へ示唆を整理しておきたい。
(1)被害者の中心性、ジェンダー正義の視点
女性法廷は、1990年代に世界で見られた性暴力、ジェンダー正義に関する認識の深まりの、そして性暴力を克服し、ジェンダー正義を実現しようとする実践の到達点と見ることができる。
1990年代初めから世界中の女性たちは女性に対する暴力は女性の人権侵害であると認識するようになり、日本軍性奴隷制は女性に対する暴力の最悪の形態であり、それがこれまで一切裁かれずに来たことが女性に対する暴力が容認される一因であったと分析するに至った。そして同時にこのような戦時性暴力は現在も続く武力紛争下における女性たちの共通の経験であることも発見された。そして、日本軍性奴隷制の被害者の損なわれた尊厳を回復することこそが、たとえ被害女性たちにとって「遅れた」ものであったとしても正義であるとの理解を導き、この理解が世界の草の根の女性たちの間に浸透、定着して行った。
このような女性たちの正義の認識に支えられて、日本軍性奴隷制の被害者たちは、1990年代に沈黙を破り、韓国をはじめ、フィリピン、台湾、中国、北朝鮮、インドネシア、オランダ、マレーシアなどで相次いで声をあげ、加害国日本の政府に対して、真相究明、公式謝罪、国家賠償、加害者処罰などを要求してきた。被害者たちは、日本政府に国家賠償を求めて日本の裁判所に提訴した。が、これら「慰安婦」訴訟において、裁判所は日本政府の賠償責任を否定した。また、国連人権委員会、女性差別撤廃委員会、ILO専門家委員会からの指摘、勧告に対しても、日本政府は誠意ある対応を示さなかった。他方、責任者処罰については1993年に韓国の被害者が東京地検に刑事責任を明らかにしてほしいと告訴したが、受理されなかった。また活動を開始した国際刑事裁判所は過去の問題に遡及しないため、刑事責任を求める「慰安婦」被害者の声は閉ざされていた。結局のところ既存の国家、国際機関によっては被害者の損なわれた正義、尊厳の回復が果たされないという状況があった。
女性法廷は、女性たちが把握する正義を当時の国際法に従って実現すること、日本政府には法的責任がないという日本の裁判所の判断を克服することをめざした。さらにこの法廷は日本軍性奴隷制に対する責任を負う日本の女性たちによって提案された。これが被害国女性たちをはじめとするグローバルな市民社会に支持される法廷となった原因の一つであった。
女性法廷は、日本軍性奴隷制の被害者、いわゆる「慰安婦」の人々が正義と人権と尊厳を回復するために開かれたものであり、被害女性が終始一貫して中心にいたのである。ハーグ判決は、被害をうけた生存者=サバイバーの声を聴くことで始まり、彼女たちを称えることで終わっている。判決は最後にこう述べている。
「・・・正義を求めて闘うために名乗り出た女性たちの多くは、称えられることのない英雄として亡くなった。・・・この判決は、証言台で自らの体験を語り、それによって少なくとも四日間にわたり、不法を断頭台に送り、真実を王座に据えたサバイバーたちの名前を、銘記するものである。」
イラク法廷においても、米英の武力行使および占領によって甚大な被害を受けたイラクの民衆が中心に置かれねばならないだろう。この点で、イラク法廷を実現するにあたっては、各国の平和NGOのイニシアチブで行なわれている「イラク占領監視センター」のプロジェクトとの協力・連携も有意義であろう。イラク法廷にとって、イラク国内の団体、さらに中東各国の運動体の関与が不可欠であると思う。また、イラクへの武力行使、占領に伴う性暴力の処罰の問題を視野に入れるべきであり、イラクをはじめとする中東の女性権利団体の参加、女性の法律家の参加が必要である。
(2)民衆法廷の意義
女性法廷ハーグ判決は、リチャード・フォークの的確な分析を引用しつつ、民衆法廷の根拠・意義について、明確に述べている。
「・・・世界の民衆の主権、グローバルな市民社会の声が最高法規の源泉である。・・・主権概念の本質は、主権は民衆に由来し、国家や特権的な社会集団であるエリート階級に由来しないという点にある。・・・法は市民社会の道具であり、国家が正義を保証する義務を履行しない場合、市民社会は介入することができるし、介入すべきである。
・・・主権の保持者である民衆は国家に対し、少なくとも国際的義務、特に個人の保護に関する国際的義務を遵守し、国際人道法、国際人権法、国際法の慣習的規範の違反を配慮するよう要求する権利を有する。したがって判事団は、本法廷はアジア太平洋地域の民衆により裁判管轄権を付与されていると認定する。・・・本法廷は、諸国家が正義を遂行する責任を果たさなかった結果として設立された。
・ ・・市民社会に対応する法体系と制度的仕組みを創り出し、明らかにしていく闘いが今後続けられることになろう。民衆法廷は擬似裁判ではなく、法的強制力は持たないが本質的に実質的な裁判であるから、「模擬裁判」という言葉は、民衆法廷の機能を正確に表してはいない。」
イラク民衆法廷も――国家あるいは国際機関が違法行為、戦争犯罪を放置し、国際法の履行を確保しないのであればなおさら――主権者である民衆、市民社会が国際法の履行を確保するために介入・設立するものとなるだろう。それは、主権者である世界の民衆が正義にかなった法を実現する重要なプロセスである。これまで大国の国際法違反が放置されてきたことが、大国による国際法違反の悪循環をもたらす一因となっていると思われる。大国支配を克服し、より公正な国際法秩序をつくるために、主権者である世界の民衆の国際法認識を示すのが民衆法廷である。大国の違法行為、戦争犯罪の追及は、大国の今後の違法行為、戦争犯罪を抑止することも目的としている。
(3)法の解釈・適用の厳格性
女性法廷の大きな特徴のひとつは、法の解釈・適用の厳格さにある。女性法廷は政治集会ではなく、まさに国際法に基づいて戦争犯罪を裁いた法廷であったということである。女性法廷は、諸国家が正義を遂行する責任を果たさない結果として設立された法廷であるから、国家あるいは国際機関の裁判所に匹敵する法的厳格さを追求した。
まず第一に、法廷の準備段階から法律家、国際法学者が関与し、法のプロセスに注意を払った。検事および判事として第一線の法律家、学者の協力を得ることができた。
第二に、女性法廷は、訴追された違反行為が行なわれた当時の国際法の制約のもとで管轄権を行使した。国際法の解釈・適用として、最も保守的・抑制的な立場に立っても、容認されるものである。
第三に、対審構造をとる法廷において、被告には充分な防御の機会が保障された。女性法廷においては、被告・日本政府に対して召喚状が送付され、書面による反論および出廷が促されたが、日本政府はこれを無視した。そこで法廷では、日本政府がかねてから主張してきた立場を「法廷の友」の役を引き受けた法律家が代弁して述べた。判決も、日本政府の反論および予想される反論をすべて考慮している。
第四に、法廷は厳密に事実の認定を行なった。法廷は、昭和天皇および9人の軍人、それに日本政府を被告としたが、被告それぞれの責任を明らかにする膨大な証拠が法廷に提出され、判事団はそれらの証拠に基づいて厳密に事実を認定した。法廷に提出する証拠を準備するための事前の調査には2年間が費やされた。
民衆法廷であるから、国家の法廷、国際機関の法廷とは違う基準で審理を進めてもよいのではないか、という意見もありうるが、女性法廷は承認されている法原則を厳格に適用することによって、法的権威を高めていると思われる。女性法廷は、安易に妥協せず法の解釈・適用の厳格性を追求したことによって、政治的権威・説得力を高めたのである。
わたしたちがこれから準備するイラク法廷においても、法原則の厳格な適用が法廷の政治的権威・説得力を高めることになると、わたしたちは確信している。イラク法廷を準備する早い段階から、法律家の参加・発言が必要である。幸いすでに、米国のリチャード・フォークらがイラク法廷メーリングリストに参加しているが、より多くの法律家の参加を求めたい。とりわけジェンダーの視点に敏感な女性法律家の参加を期待している。判事、検事の選任においては、ジェンダー・バランス、地域バランスなどの考慮、イスラム法への配慮が必要であろう。
(4)草の根の民衆の支持・支援
女性法廷が、すぐれた法律家、国際法学者の関与によって、法の解釈・適用の厳格性を追求したといっても、それは法廷が法律家だけのプロジェクトであったということではない。むしろ反対である。それは、ハーグ判決が「・・・本法廷は被害国内部の草の根の人々が組織して設立されたもので、外部の著名人によって設立されたのではない」と述べているとおりである。
加害国日本の VAWW-NET Japan、被害国6カ国(韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア)の女性団体、戦時性暴力の問題に取り組んでいる世界各地の女性活動家たちによる国際諮問委員会などの女性、民衆の共同作業として、女性法廷は準備され、実行された。その基礎の上に、法律家の関与・協力があった。法廷は全体として民衆と法律家の共同作業であったといえるのである。イラク法廷も同じであろう。広汎な民衆の支持・支援と法律家の参加の両方を追求するべきである。
(5)賠償責任について
日本軍性奴隷制の被害者=サバイバーたちは、日本政府による謝罪とともに、日本政府による損害賠償を要求してきた。これに対して日本政府は、政府による賠償をあくまでも否定しつつ、この問題に対処するために、民間からの寄付に基づく「アジア女性基金」を設立し、この基金がサバイバーを財政的に支援するという仕組みをつくった。
女性法廷のハーグ判決は「判事団は、アジア女性基金は、国家によって加えられた不正に対して被害者に賠償を行なう適切な仕組みにはあたらないと認定する。」と述べて、賠償責任から逃れようとする日本政府のやり方を批判している。
イラクの事例についていえば、米英の国際人道法違反の攻撃により被害を受けたイラク人が米英に対して損害賠償を求めることは、国際法上当然に認められる。米英の賠償責任の問題に触れずに、復興支援の議論をすることは、問題のすり替えである。この点についても、女性法廷の判決は示唆に富むと思う。
5 若干の提案
以上、女性法廷にかかわったものとして、イラク法廷への示唆を述べてきた。最後に、民衆法廷を開催した経験に基づいて、来るべきイラク法廷に関して、若干の提案をさせていただきたいと思う。
(1)jus ad bellum と jus in bello
武力行使に関して、国際法は jus ad
bellum(ユス・アド・ベルム)の問題とjus in bello(ユス・イン・ベロー)の問題の2つの問題を明確に区別して議論する。ユス・アド・ベルムの問題とは、武力行使の合法性/違法性の問題である。もしある武力行使が違法であるとすると、それは平和に対する罪=侵略の罪にあたる可能性がある。ユス・イン・ベローの問題とは、国際人道法の遵守の問題、武力紛争を規律する法的規制――兵器およびその使用方法の規制、文民・捕虜の保護など――の遵守の問題である。この問題は、武力行使が合法であろうと違法であろうと生じる。ある武力行使が合法であろうと違法であろうと、ひとたび武力行使が始まったならば、常に国際人道法を遵守しなければならないのである。国際人道法違反については、ジェノサイドの罪、人道に対する罪、通例の戦争犯罪に該当する行為は戦争犯罪として――国際刑事裁判所などで――刑事責任を追及される可能性がある。たとえば、無差別爆撃、クラスター爆弾の使用などは、これに該当する可能性があろう。
イラク法廷においては、これら2つの側面の両方を議論することができるであろう。トルコのグループの法廷提案書に即していえば、法廷が取り上げるべき主要なテーマのうち、「平和に対する罪」と「国際法の侵犯(国連憲章への侵犯)」「国際法における合法性ならびに正統性の諸概念と対イラク作戦の文脈におけるそれらの検討」はユス・アド・ベルムの問題であり、「戦争犯罪」「人道に対する罪」はユス・イン・ベロー問題である。
これら2つの問題ははっきり区別して法廷を構想すべきであろうと思う。ユス・アド・ベルムの問題は理論的性格が強く、比較的早い時期に法廷を開ける可能性があるのに対して、ユス・イン・ベローの問題は、被害の事実調査を必要とするため、法廷の準備にかなりの時間がかかると思われる。
(2)法廷が追及する責任の範囲
イラク法廷が追及する責任の範囲を確認することも必要である。つまりイラク法廷は戦争犯罪を犯した個人の刑事責任のみを問題とするのか、国家責任も同時に問題とするのかということである。女性法廷は後者のアプローチを採用し、個人の刑事責任と同時に被害女性たちに対する国家賠償の可能性も検討した。それゆえ訴訟当事者としても被害女性が中心に置かれる必要があった。イラク法廷もこれと同様にするのかどうか。この点が現段階では不明確である。被害者に対する賠償責任も論点として取り上げるのであれば、被害者の賠償を定める国際刑事裁判所規程第75条を参照しつつ、この点に関する議論を深める必要があろう。その場合、被害者の米英に対する賠償訴訟を検討することも課題となる。
(3)法廷の進め方――法廷の課題とタイムフレイム
6月のブリュッセル会議で合意されたタイムフレイム――2004年3月に予審を開始し、5月にイスタンブールで最終的な法廷を開く――は、わたしたちが女性法廷を実行した経験からいえば、かなり困難ではないか、とわたしたちは考えている。
世界の民衆の支持・支援と第一線の法律家、国際法の専門家の協力を得て、法的水準の高い政治的インパクトのある法廷をめざすのであれば、組織化・準備にもう少し時間がかかるし、また時間をかけるべきである。
タイムフレイムの観点から、前述したユス・アド・ベルムの問題とユス・イン・ベローの問題の区別をうまく活かすことを、わたしたちは提案したい。ユス・アド・ベルムの問題は理論的な性格が強く、事実調査――たとえば武力攻撃を正当化し得るだけのイラクの危険性の緊急性の有無などを裏付ける事実など――は必要であるとしても、この側面については比較的早い時期に法廷を開くことが可能であろう。イラク法廷は、まず早い時期に――たとえば2004年のうちに――、ユス・アド・ベルムの問題=武力行使の合法性/違法性の問題に取り組むことが考えられる。
それに対して、ユス・イン・ベローの問題――戦争犯罪、人道に対する罪の訴追――については、証拠を収集するために正確で綿密な事実調査が必要であり、そのためにかなりの時間と労力がかかる。そして有効な事実調査を可能とするために、事実調査団および証言者の安全を確保する方法を、国際刑事裁判所規程第68条等を参照しつつ工夫することも求められよう。いずれにしてもイラクの民衆との連帯が必要である。その連帯をいかに生み出して行くかも同時に検討されなければならない課題である。ユス・イン・ベローの問題に取り組んだ女性法廷の場合、法廷の提案があってから証拠の収集に2年かかっている。充分な証拠なしにユス・イン・ベローに関する法廷を開くことは、法廷の法的信頼性、正統性を傷つけることになるであろう。拙速は避けるべきである。
(4)正義を実現する多様な方法――法廷への補助線、法廷を超えて
わたしたちは、女性法廷ハーグ判決と同様に、イラク法廷が国家や国際的な司法機関が取り扱うものと遜色のない証拠を積み重ね、それを前提として権威ある法的判断として判決を下すことを期待している。が、これから2, 3年以内にそれを獲得することは困難かもしれない。その場合、拙速で法的に不十分な「法廷」を開くのではなく、民衆が正義に接近するための多様な方法を構想し、法廷と関連づけることも一案ではないかと思う。
たとえばシンポジウムという形式で、今回の対イラク戦争の国際法的観点からの分析を市民が共有できる場をまず設け、法廷をその延長線上に構想するということも考えられる。実際に女性法廷は、女性に対する暴力に関する国際会議において提案されたのである。
また、対イラク戦争における性暴力処罰についても、細心の注意を払う必要がある。
いま自爆テロが続くバクダッドでは女性たちの誘拐(人身売買)やレイプが多発しているが、被害女性は家族からも「恥」と攻撃され、中には殺害に至ったケースもある。被害者に向けられるジェンダーや貞操に関する伝統的概念が被害者を更なる被害者に追い詰めている。その結果、被害女性はかたくなに被害を隠し、沈黙を決め込んでいる。現在、イラクで起きているレイプ事件はイラク人によるものが多く、米兵の犯罪を十分確認することはできないが、武力紛争との関連で生じる性暴力について、軍隊と性暴力、あるいは紛争と性暴力という関係性を明確に指し示し、今回のイラク法廷でこうした問題が置き去りにされないことを願っている。
しかし、対イラク戦争で生じた性暴力について、2004年中に法廷を開いて裁くことは困難である。被害者が沈黙し、事実関係も明らかにされないままで、法廷が性暴力の問題を取り上げると、かえって法廷の正当性と厳密性を損いかねない。
女性法廷では、2年間という歳月をかけて、被害者および証言者からの聞き取りを行なった。被害者の沈黙を破るためには、彼女や目撃者(証言者)の安全が保障されなければならない。被害調査を進めるには共同体および調査者に対する教育プログラムが必要である。
ここでグァテマラの経験が参考になる。グァテマラの場合、36年間に及ぶ紛争の下で20万人を超える虐殺が行われた。1996年に「グァテマラにおける確固たる恒久的な和平協定」が調印されたが、紛争終結後も恐怖支配の下で人々は沈黙を破ることはできず、虐殺の真相は抑圧されてきた。そのような中でレミー(歴史的記憶回復プロジェクト)が調査を開始したが、聞き取り調査を行ったのはアニマドーレス(「勇気づける人々」)と呼ばれる650人の調査員だった。彼等は聞き取りを行う前に聞き取るための訓練と教育を受け、「今こそ、口を開く時」と呼びかけ、一人一人が歴史を取り戻すことの重要性を訴えかけたのである。こうした営みが共同性の回復と社会の再建、将来の世代に記憶を手渡すことになるという確信が共有された。その結果、レミーの元には6494件もの証言が寄せられたのである。
イラクの場合も、まず、イラクの人々が不正義に立ち上がることが不可欠である。そして、世界の人々がそれを支えていくシステムをつくっていくことが求められる。拙速で法廷を開くことをめざすのではなく、長期的な正義実現のプロセスの中に法廷を位置づけることが必要である。法廷を終着点とせず、そこを出発点として、正義の実現をめざす人々の行動――たとえば「イラク被害調査プロジェクト」――を組織することも1つの可能性ではないかと思う。
6 おわりに
わたしたちは、イラク法廷の準備をコーディネートしてきたトルコをはじめとするグループの努力に感謝している。これから、わたしたちもイラク法廷の準備に合流し、女性法廷の経験と成果を活かしつつ、共同作業をすることを楽しみにしている。
(以上)