HOME >

健常者として障害者介護に関わるということ

―1970年代障害者解放運動における健全者運動の思想を中心に―

日本社会福祉学会第51回全国大会
自由研究発表 障害(児)者福祉T・身体A (2003年10月13日)
報告者:淑徳大学社会学部 山下 幸子s-yamashita@mb8.seikyou.ne.jp



1.はじめに―問題の所在
2.研究方法および研究の範囲
3.健全者運動の成立背景と活動内容
(1)障害者からの提起
(2)健全者運動組織の誕生―関西を中心に
(3)活動内容
4.健全者運動が得た思想
(1)健全者としての自己への気づき
(2)健常者からみた障害者との共闘の意味
(3)「新たなる健全者」とは
5.おわりに

1.はじめに―問題の所在

  1970年、横浜市で起きた母親による障害児殺害事件とその事件に対する減刑嘆願運動、そして胎児条項を盛り込もうとした1972年の優生保護法改訂案の国会提出を契機として、日本脳性マヒ者協会・青い芝の会(以下、青い芝の会と略する)は、障害者自身の立場から、つまり「殺される立場」から、健常者中心社会を糾弾していく運動を始めた.障害者を「あってはならない存在」とみなし、隠し、否定し、抹殺していく思想が根底に流れる社会がある.そしてそのような社会を自明のものとみなす、いやそれ以前にそのようなことが意識化されるにも至らない健常者に対して、障害者解放運動を担う障害者たちは問題提起を行い続けたのである.
  障害者たちからのこのような提起を受けて、自らの問題として提起を受け止めていこうという健常者による運動が1970年代から全国的に派生してきた.これら健全者運動は、障害者解放運動の思想と実践に依拠しながら、「健全者であるという自己の立場にしがらみ続け」(『ゴリラ』2 1974:38)、健常者である自らを問い直す試みを始めたのである★01.
  1970年代における青い芝の会の思想や実践については、数々の文献で紹介や考察が行われている(横塚1974; 横田1979; 立岩1995、1998; 杉本2001; 全国自立生活センター協議会2001; 大阪人権博物館2002、2003)のに比して、障害者からの提起を受けた健常者の実践や思想については、ほとんど考察が行われていない.本報告では1970年代の健全者運動、主に関西で1973年に誕生した健全者運動組織であるグループゴリラをモチーフとしながら、健全者運動の思想と実践について考察していくことを目的とする.

2.研究方法および研究の範囲

  関西の健全者運動については以下のような時代区分ができる.
第1期:1973年2月から1977年10月まで.健全者運動の誕生から緊急アピール★02以前.
第2期:1977年10月緊急アピール後から1979年まで.健全者運動組織をめぐる混乱期.
第3期:1980年以降.重度障害者の地域拠点の確立と、障害者の生活要求に根ざした行政闘争期.1970年代の思想を継承しつつ、障害者と健常者との共同行動をとる.
  本報告では第1期の健全者運動の思想や実践をとりあげて考察する.
  研究方法については、この第1期に健全者運動組織が発行してきた機関紙やパンフレット、青い芝の会の障害者による著作等を中心に考察を行っている.

3.健全者運動の成立背景と活動内容

(1)障害者からの提起
  健全者運動の誕生が青い芝の会など障害者解放運動からの提起に起源があることは上記したが、ここでもう少し、青い芝の会が健常者と障害者との関係性をどのように位置づけてきたのかを確認したい.
  青い芝の会の中心人物であった横塚晃一は、障害者と健常者の立場の違いについて次のように述べている.

「障害者―特に重度障害者は、世間一般が当然のこととして享受している教育、労働など全ての場からはじき出されております.つまり障害者は現代社会において、被差別者で被抑圧者なのです.(略)その社会をつくっているのは他ならぬ『健全者』つまりあなた方ひとりひとりなのです.あなた方は、我々をはじき出した学校で教育をうけ、我々の姿のみられない場所で働き、我々の歩けない街を闊歩し、我々の利用できない乗物、エスカレーターなど種々の器物を使いこなしているのです.このように考えれば、ひとりひとりが、いや他の人はとにかくとしてあなた自身が差別者、抑圧者といえましょう.」(横塚1975:122−123)

  このように、健常者に対し差別者であるという自覚を促している.
  そして青い芝の会は障害者と「共に」健常者が何をなすべきかを問いかける.この「共に」という言葉についてはさらに考えなければならない.青い芝の会は、障害者の力を奪い障害者を隔離し抹殺していく、そのような社会における障害者と健常者との立場の違いについて深く追求し、違いを自覚したうえでの障害者と健常者との関わり合いこそが求められていると考えた.横塚は障害者と健常者との関わりについて、次のように述べている.

「健全者組織と青い芝との関係を『やってやる』『理解していただく』というような今までの障害者と健全者との関係ではなく、むしろ敵対する関係のなかでしのぎをけずりあい、しかもその中に障害者対健全者の新しい関係を求めて葛藤を続けていくべきものと位置づけてきました.」(介護ノート編集委員会1978:224)

  これまで障害者が経験してきた障害者と健常者との主従関係を否定し、「新しい関係」が模索されなければならないと示している.障害者たちが提起する「新しい関係」こそが、障害者としての立場、健常者としての立場のぶつかり合いである.
  この「新しい関係」の要求に対して健常者たちは、健常者としての自己の生き様と、障害者としての自己の生き様をぶつけ合わすことを起点とし、運動を始めていったのである.

(2)健全者運動組織の誕生―関西を中心に―
  脳性マヒ者としての自覚、そしてその生き方を社会につきつけていった青い芝の会の主張から、1972年に映画『さようならCP』が完成した.青い芝の会のメンバーはこのフィルムをもち、全国各地で上映会と上映後の討論会を行っていった.
  関西では1972年7月に『さようならCP』関西上映実行委員会が結成され、同年12月、兵庫県姫路市で行われた上映集会に参加した障害者たちによって「自立障害者集団姫路グループリボン」が結成される.そして翌1973年2月には大阪でも「自立障害者集団大阪グループリボン」が結成、また同年4月には大阪青い芝の会が結成され、脳性マヒ者の多くはグループリボンにも青い芝の会にも関わっていくようになる.これら障害者運動においては、自主映画の製作や在宅障害者訪問、「障害者と健全者の大交流キャンプ」を行い、これらの企画は在宅障害者が運動に参加していく契機となった.
  そして1973年2月にはグループリボンから介護・友人グループの要求を受けて、「自立障害者集団友人組織グループゴリラ」が結成される.グループゴリラは大阪をはじめとして、その後、兵庫、和歌山、奈良で結成されていき、1974年11月には関西地区のグループゴリラが結集した「自立障害者集団友人組織関西グループゴリラ」(以下、関西グループゴリラと略する)が結成される.

(3)活動内容
  グループゴリラの活動は大きく分けて三つの活動を中心に行ってきた.在宅障害者訪問、行動保障、自立障害者介護である.
  在宅障害者訪問について.当時の施設福祉中心の障害者施策においては、施設入所あるいは親元での在宅生活にしか重度障害者の生きる道はなく、障害者は親や家族、施設職員といった一部の健常者とのつき合いしか築けなかったという状況であった.グループゴリラは青い芝の会・グループリボンの障害者とともに在宅障害者宅を訪問し、障害者と関係を結び、あるいはその家族とも関係を結ぶ努力を行いながら、「街へ出よう、運動に参加しよう」と訴えていった.
  行動保障は、具体的には運動に参加する障害者の送迎や介護等の日常活動の保障を行うことである.
  そして自立障害者介護について.関西では1975年に金満里が重度障害者初の自立生活を始めている(金1996).その後も運動に参加する障害者のなかから、親元を離れ、あるいは施設や病院を離れ街中のアパートで生活を行うようになっていく.その24時間介護をグループゴリラが中心となって担っていった.

4.健全者運動が得た思想

  1974年に発表された関西グループゴリラの規約の第3条には同会の目的が示されている.

「本会の目的は、人間総体の自由と尊厳を求める、障害者の自立と解放、障害者差別を許さない運動を、健全者の立場から担いきることであり、自立と解放の道を歩む障害者と、とことんつき合いきる健全者、新たなる健全者の創出をめざす各地区ゴリラの運動を、関西レベルで結集し、連帯をはかり、関西を拠点としての障害者解放運動の健全者の潮流の創出にある.」(『ゴリラ』2 1974:12)

  ここでキーワードとなるのは、「健全者の立場」、そして「新たなる健全者」であろう.以下、この言葉にこめられた意味について考察を行う.

(1)健全者としての自己への気づき
  グループゴリラの活動の一つに在宅障害者訪問があることは先に述べた.ゴリラに関わる健常者は、この在宅訪問によって在宅障害者の生の現実に向き合うことになる.風呂に何年間も入れない障害者、家族から疎まれる障害者、外出に非常な不安を抱える親そして障害者本人の姿.そこで健常者は、親元や病院、施設のなかで人間性を無視され、社会存在を自覚する機会をもたなくなるところまで社会的存在を奪い尽くされてきた障害者を見るのである.
  その姿を目の当たりにしていくなかで、限られた環境において在宅障害者がこれまで何を感じてきたのかということを理解し、その生活実態を理解していく.そして同時に、これまでそのような障害者の生の現実にふれなくても生活を営むことができた自己に気づいていくのである.

「障害者の外出ということになると、一対一の関係のつもりでも、障害者の意志を充分にくみとれず、介護者ペースになりやすいことを思い知ることになる.障害者にしてもわざわざ介護してくれる健全者に対して遠慮があるから、自分の意志を押し通そうとはしない.それを同意と受け取ってしまって、こちらのペースでものごとを運んでしまう.」(障害者解放をめざす講座―関西実行委員会1976:15)

「障害者は自分の障害を常に生存の基盤として生きてゆかざるを得ないけれども、ぼくは好きな時に肩の荷を降ろすように障害者を捨て去ることができる.そういう気持ちが絶えず付きまとっている限り、在宅障害者訪問中も後ろめたさが残る.」(障害者解放をめざす講座―関西実行委員会1976:15)

  また自立障害者介護においては、在宅障害者訪問とはまた少し異なったかたちで、自身の健常者性に気づくことになる.障害者の自立生活運動は、それまで健常者中心社会から奪い尽くされてきた障害者の生を取り戻す実践であり、おのずと障害者ペースを貫き通す生活が志向されることになる.生産性や効率性が重んじられる社会のなかで、障害者ペースを貫き通すことは、障害者にとっては大きな「挑戦」であり、既存の社会に対する異議申し立てでもある.自立障害者を毎日24時間介護していくということは、このような志向をもった障害者と健常者との立場のぶつかり合いとなることは必然である.

「重度障害者がアパートを借りて住むという事さえ、健全者社会においては根底からゆさぶりをかけるものであり、ましてや私達が障害者の自立生活にかかわりを持つことは様々なとまどいのみ生じるのは当然である.なぜなら、これまでの経験や価値観が彼らからのかかわりからぐらつき、くずされていき、私達健全者が何ら持ち得ていないことに気付かされてしまうから.」(自立障害者集団友人組織全国健全者連絡協議会1977:83)

  在宅障害者訪問そして日々の障害者介護を通して、健常者はその身体で障害者の生活ペースを実感してきた.そして健常者として生活し、築き上げてきたこれまでの価値観が崩されていくことも実感していったのである.

(2)健常者からみた障害者との共闘の意味
  グループゴリラの活動、そして青い芝の会との関わりから、健常者は障害者との厳然たる立場の違いを実感する.それは障害者に対する社会の差別的な対応という、健常者である自分自身を棚上げした考えではない.障害者と関わり運動を担う健常者である自分自身のこれまでの生活やその価値観のなかに、障害者差別の思想が根付いていることを知るのである.つまり、すべての価値基準が健常者ペースで構築されており、その価値基準が具体的な力となって障害者を排除してきたことを、日々の介護や在宅障害者との出会いによって気づいていくのである.その価値基準を、まったく意識することなく生活を営んできたこれまでの自己を捉えなおす運動が、グループゴリラをはじめとする健全者運動であった.
  自己の問い直しには痛みが伴う.これまでの自己を否定することにもつながるからである.しかし健全者運動は障害者との関わりを継続し、介護を行うその身体で障害者と関わることの意味を模索し、障害者差別の糾弾を行っていった.
  障害者と四六時中付き合うことは、健常者にとっては「非日常の存在としての障害者が、我々健全者の日常にズカズカと入り込み、その日常性が破壊されて」(障害者解放をめざす講座―関西実行委員会1976:44)いくことになる.この日常性の破壊という経験があって初めて、障害者の日常を健常者社会の日常のなかで捉えなおしていくことが可能となる.そしてその健常者中心社会のペースに疑問をもち社会変革を志向していく.この思想が、障害者と健常者が共闘してゆける可能性を開いていくのである.

(3)「新たなる健全者」とは
  このように考えていくと、当時の「新たなる健全者」という考えの内実が見えてくる.
  新たなる健全者について、「差別者としての己を変革し、殺人者としての己れを変革して行こうとする、我々の根本的な姿勢を示すものである」(障害者解放をめざす講座―関西実行委員会1976:5)と健全者運動は捉えている.それは自らの健常者性を疑問視し払拭していくことであると同時に、その自覚でもって障害者と関わり通していくことを志向するものである.これが「新たなる健全者」の姿であり、「新たなる健全者運動」を示すものである.

5.おわりに

  障害者を無力化してしまう社会があり、その社会によって構築された健常者がいる.社会を変革していく闘いと、その社会のなかで安寧としている自身を問い直す闘いを行っていくことを健全者運動は目指したと言える.
  この社会における障害者と健常者との関係性を考えていくにあたり、健常者としての立場を捉えなおすという試みは現在においても非常に重要な試みであると言える.障害者問題を自己とは棚上げしたところで論じるのではなく、自己の問題でもあると捉えたうえで障害者と健常者との「共生」を考えていくことは、今もなお問われている課題であろう.
  しかしこのような思想をもって実践してきた健全者運動は、1977年10月の緊急アピールを契機に混迷を極めることになる.介護をはじめとする健全者運動の活動体制の不十分さとそこから生じる疲弊や、障害者と健常者との関係性の馴れ合いなどが、障害者からの糾弾を引き起こすことになり、そこから健全者運動のあり方が再度問われることになった.今回はこの緊急アピール以前までの活動およびその思想から考察を進めたが、それ以降の健常者のありようについて考察することは今後の課題である.



★01 健常者/健全者という用語の使用法については、本報告では「健常者」を基本的には使用し、当時の資料からの引用および使用が必要だと認められる場合には「健全者」を使用している.
★02 1977年10月17日に、関西青い芝の会、関西グループゴリラ、障害者情報センターりぼん社の各代表によって提出されたもの.そこには、障害者のランクづけを行う健常者の実態、障害者と健常者との馴れ合い、一部の人間による運動の私有化が明記されており、この緊急アピールを期に関西各地の健全者運動は解散に至っている(大阪、奈良を除く).

参考文献・資料
■自立障害者集団友人組織関西グループゴリラ(1974)『ゴリラ』2.
■自立障害者集団友人組織関西グループゴリラ(1975)『ゴリラ』3.
■自立障害者集団友人組織関西グループゴリラ連合会(1970年代〔発行年不詳〕)『紹介パンフレット グループ・ゴリラ―障害者差別を許さない友人運動の結晶』.
■自立障害者集団友人組織全国健全者連絡協議会(1977)『学習分科会基調・レポート』.
■介護ノート編集委員会(1978)『はやくゆっくり―横塚晃一最後の闘い』介護ノート編集委員会.
■金満里(1996)『生きることのはじまり』筑摩書房.
■大阪人権博物館(2002)『障害者でええやんか!―変革のとき 新たなる自立観・人間観の創造を』大阪人権博物館.
■大阪人権博物館編(2003)『聞き書き―障害者の意識と生活』大阪人権博物館.
■障害者解放をめざす講座―関西実行委員会(1976)『障害者解放講座統一テキスト』.
■障害者差別を許さない全国健全者機関紙編集局(1976)『想ひ』.
■杉本章(2001)『障害者はどう生きてきたか―戦前戦後障害者運動史』ノーマライゼーションプランニング.
■立岩真也(1995)「はやく・ゆっくり―自立生活運動の生成と展開」安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学(増補改訂版)』藤原書店.
■立岩真也(1998)「1970年」『現代思想』26(2)、青土社.
■和歌山障害者解放講座実行委員会(1976)『和歌山第1期障害者解放講座』.
■横田弘(1979)『障害者殺しの思想』JCA出版.
■横塚晃一(1975)『母よ!殺すな』すずさわ書店.
■全国自立生活センター協議会(2001)『自立生活運動と障害文化―当事者からの福祉論』現代書館.

 
>TOP

報告要旨

健常者として障害者介護に関わるということ
―1970年代障害者解放運動における健全者運動の思想を中心に―

淑徳大学 山下幸子(会員番号:4434)

キーワード:健常者・障害者運動・介護

1.研究目的
  障害者への生活介護を通して、障害者とその家族との関係性、入所施設の現状や障害者への在宅福祉サービスの現状、社会の様々な物理的バリアといった、障害者を取り巻く諸問題がみえてくる。それらの問題に介護者は直面するのだが、同時に、介護する「私」の立場とは何か、障害者と健常者との関係性とは、といった問題に直面することもある。このような問題意識を抱えると、「健常者としての私」を棚上げすることはできない。介護者である「私」の拠って立つ価値とは何か、健常者中心の社会の中で生きてきた「私」が障害者と向き合うとはどういうことなのかといった問いを考え続けることになる。
  このような問題について、1970年代の障害者解放運動の中で各地域に誕生してきた健全者運動は考え続け、そして介護を行い、障害者と向き合ってきた。その運動の思想や実践から、健常者として障害者に関わること、障害者と健常者との関係性について考えることが本研究の目的である。

2.研究の視点及び方法
  本研究では、1970年代関西で誕生した健全者運動であるグループゴリラの思想や実践を中心に考察を行う。
  グループゴリラが残した資料や運動を担ってきた健常者への聞き取りを中心に考察を進める。また関西のグループゴリラだけではなく全国の健全者運動を取りまとめた全国健全者連絡協議会(略称、全健協)の資料や、これらの運動について述べられた研究書、当時の障害者解放運動を担ってきた障害者の手記等も参考にする。

3.研究結果
  グループゴリラは、日本脳性マヒ者協会青い芝の会の「友人組織」として誕生し、在宅障害者訪問、介護・行動保障、自立障害者介護を活動の柱としてきた。まず考えるべきは、この「友人組織」という言葉に込められた意味である。青い芝の会は優生思想への糾弾を行い、その中で健常者を差別者だと位置づけ、それでも差別者である健常者の介護がないと生きていけないという現実に直面しながら運動を続けていった。グループゴリラや各地域の健全者運動は、これら障害者からの提起を受け、差別者である自己と向き合うことを始め、障害者と健常者とのぶつかり合いのなかで健常者としての自己を問い直していく運動を始めた。自己の問い直しはともするとナルシズムに陥るが、健全者運動は、自身の生活が障害者差別の温床だということを自覚したうえで、そのような社会を作り上げてきた構造とは何かという問題に焦点化し、そのなかで障害者と共闘してきたのである。
  当時の障害者運動そして健全者運動の思想や実践には、現在においても重要な提起が含まれている。自己の問い直しの必要性、そしてそのうえでこの社会のありようについて考えていくことが、これら運動から数十年経った現在も依然として問われていると考える。
(紙面の都合につき、学会当日により詳細な資料を配布する。)


UP:20031019
金満里  ◇横田弘  ◇横塚晃一  ◇日本社会福祉学会  ◇障害学  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)