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障害を持つ当事者が希望し、自信が持てる就労のかたちについての一考察

―障害者就労に関する雑誌記事と当事者へのインタビュー調査の分析を手がかりにして―

平成15年度 東洋大学大学院社会学研究科 福祉社会システム専攻・修士論文
田島明子(3570990019)



[目次]

まえがき
 1 問題意識と研究の目的 ……………………………………………………  1
 2 論文の構成と各章の要旨 …………………………………………………  2
第1章 障害者が働くということ
 第1節《障害》とは ― 《障害》をめぐる理論状況 ― 
  1 障害構造 国際障害分類 …………………………………………  6
  2 《障害》のイメージと《障害》に対する態度 ………………… 10
  3 《障害受容》ということばの意味を考える …………………… 13
 第2節《働くこと》とは ― 《働くこと》をめぐる理論状況 ―
  1 働くことに関連することば ……………………………………… 18
  2 職業の3つの意義 ………………………………………………… 19
  3 わが国における働く価値の類型化 ……………………………… 20
  4 業績原理・能力主義 ……………………………………………… 21
  5 労働・雇用における差別 ………………………………………… 23
 第3節《障害者》が《働く》ということをめぐる歴史と現状
  1 障害者の就労状況 ………………………………………………… 24
  2 障害者就労支援の状況 …………………………………………… 32
  3 障害者の職業選択 ………………………………………………… 39
  4 障害者の就労形態 ………………………………………………… 50
  5 《障害者》が《働く》ということ ……………………………… 59
第2章 当事者視点による障害者就労の課題
  ―当事者に定位した障害者就労関連記事のKJ法による分析―
 第1節  研究の概要
  1 問題所在・研究意義 ……………………………………………… 62
  2 先行調査・研究 …………………………………………………… 63
  3 対象 ………………………………………………………………… 68
  4 研究方法 …………………………………………………………… 68
 第2節 結果と考察
  1 希望する就労のかたち …………………………………………… 69
  2 健常者との関係において望むこと ……………………………… 79
  3 障害者が行っていくこと ………………………………………… 81
 第3節 まとめ ……………………………………………………………… 83
第3章 障害者が就労に見いだす意義
  ―障害を持つ当事者へのインタビュー調査―
 第1節 研究の概要
  1 研究の概要 ………………………………………………………… 84
  2 対象者 ……………………………………………………………… 84
  3 研究の方法 ………………………………………………………… 85
 第2節 結 果 ― ケース・スタディ・リポート ―
【事例1】 ………………………………………………………………… 88
小さい頃から絵を描くことが好き、中学校時代の夢は絵本作家になることだった。重い障害を抱えながらもその夢を実現、これからも絵本を描き続け、より多くの人に自分の描いた絵本を見てもらいたい、と語る女性 
【事例2】 ………………………………………………………………… 97
高校時代、部活動中の事故で重い障害を持つ。今は中学時代から好きだったパソコンで在宅就労をしており自信にもなったが、正式な雇用ではないため先々の不安があるという男性
【事例3】 …………………………………………………………………108
理学療法士は状況判断を要求される仕事であり、視覚障害を持つ自分には限界があると感じている。これからは、今までの就労経験や資格を生かしながら、自分にしかできないオリジナリティのある働き方をしたいと考えている女性
【事例4】 …………………………………………………………………114
福祉を知ることは自分を知ることになる、自分以外の障害を持つ人たちの役に立ちたい、と福祉系の大学に進み、現在は新人相談員として介護老人福祉施設で働く男性
【事例5】 …………………………………………………………………122
授産施設であるが工賃も高く、企業に近い職場環境のなかで、職務技術を向上させ、給料をもっとたくさん貰えるようになりたいと語る女性
【事例6】 …………………………………………………………………127
働き続けられることが希望。T授産施設で印刷の仕事に携わり31年。これからは、印刷工程全体の流れを管理する仕事をやりたい、と語る49歳の男性   
【事例7】 …………………………………………………………………133
作業所での様々な活動経験に満足し、自分を肯定できたり、有力感を感じている女性
【事例8】 …………………………………………………………………138
前向きにやりたいことをがんばり、内面から輝ける自分になりたいが、現状は、やりたいことを探さなければと想いつつふわふわした毎日を過ごす日々、と語る20歳の女性
【事例9】 …………………………………………………………………145
障害者の自分に自信がないが、プロレスラーの自分だったら、必要とされ、見てくれる人がいる。いい試合をして仲間に誉められたい、もっと強くなりたい、とトレーニングの道場の通う男性
【事例10】 ………………………………………………………………150
プロレスが好き。だから、身体が動く限りやりたい、もういいよって言われない限りは続けたい、51歳、男性
【事例11】 ………………………………………………………………155
 プロレスをすることで「社会という川に障害者と健常者の見えない橋をかけたい」、自分のプロレスで人に感動を与えられたことが一番の思い出と語る男性 
【事例12】 ………………………………………………………………160
養護学校時代のピアな関係と普通高校におけるピアじゃない関係の経験が、現在のピアカウンセラーという仕事につながった。「障害を持つ人と持たない人をつなげたい」という想いを胸にCILの活動を行う女性
【事例13】 ………………………………………………………………167
障害者と健常者が近づく方法、それは、障害者だけでなく健常者も自分に向き合い、自分らしさに気づくことではないかと語る、ピアカウンセラー男性
【事例14】 ………………………………………………………………178
   5年間、ピアカンセラーとして障害者の自立支援と行ってきた職場を辞め、誰もが住みやすい街作りを目指して新たな一歩を踏み出そうとしている女性 
 第3節 事例のまとめ ………………………………………………………183
 第4節 考 察 ………………………………………………………………196
第4章 障害を持つ当事者が就労に見いだす意義と「障害者と健常者の支え合い」の関係
 1 「職業的な意義を見いだすこと」の「障害者と健常者の関係」……202
 2 「健常者に近づくこと」の「障害者と健常者の関係」………………206
 3 「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」の「障害者と健常者の関係」………………………209

さいごに
謝 辞

〔注〕 ………………………………………………………………………………216
参考文献 ……………………………………………………………………………223
資 料 ………………………………………………………………………………@〜liv



 
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まえがき

1 問題意識と研究の目的
  筆者は、約10年程前に作業療法士の養成校を卒業し、障害者の生活支援のために施設に勤務した。そこでは、主として、肢体不自由者に対して、身体の機能から見て、車いすや電動車いすなどの補装具を交付することや授産施設や療護施設に入所したり通所したりすることが妥当かどうか判定を行うという業務を行ってきた。
  そうしたなかで、障害を持つ人への支援のあり方が、当事者の希望に沿ったものではなく、むしろ社会の側が用意した受け皿に当事者一人ひとりを当て嵌めているようにしか感じられず、ジレンマとともに強い疑問を抱くようになった。特に仕事を得るということについては、障害者は、健常者が職業を選んだりそこから自分なりの意義を見いだしたりするのとは明らかに異なる経験をしていると感じた。例えば、健常者の多くが仕事に対して自分自身の希望や願いを思い描くのに対して、障害者は、どんな職種でもいいから働きたいと思ってもその願いが叶わず、授産施設や共同作業所などの福祉的就労の場で働いたり、そうした場が得られなかったりすることさえあった。また、福祉的就労の場における仕事内容の多くは、流れ作業の一端を担うような単純な手仕事である。人は働くなかで、自己を表現したり自己の可能性を追求したりし、生きがいや充実感を感じる。流れ作業の一端を担うような単純な手仕事に、生きがいや充実感を感じられるのだろうか。筆者の率直な想いであった。
  そうした想いをもとに、東洋大学4年時には、ゼミ論において、知的障害を持つわが子と共に働ける場を作ろうとパン屋を開店した父親を取材し、障害者就労の問題の一端を追求した。その父親は、作業所の仕事内容に抵抗感があった。わが子には、流れ作業の一工程を担うような作業ではなく、自分が誰の役に立っているかがわかり、仕事の喜びを感じられるような仕事をさせたいと考え、お子さんが中学生のときに、パン作りを1から学び始め、卒業と同時にパン屋を開店したのだった。パン屋を開店するまでには周囲の大きな反対もあった。うまくは行かないだろうと思われたのだ。様々な困難を乗り越えたうえでの夢の実現であった。逆に言えば、多くの障害者にとっては上述のような就労のかたちが現実なのだと言える。
  筆者は、このような障害者就労の現実は、障害者自身にとって、自分を否定したり、力がないと感じたりする体験になってしまっているのではないかと思った。なぜなら、労働の価値が低く見積もられて健常者一般の労働の場から疎外されたり、隔離・保護的な就労の場が用意されたりする状況を障害者自身が選ぶということは、障害を否定的に捉える社会の価値観を障害者自身が受け入れ、障害のある自己を社会的に価値のないものと規定し、自分を無力化する作業に他ならないのではないかと思われたからだ。また、一般就労が目標として設定されたとして、それが成就され難い現状において、挫折やさらに深い自己否定を内在させているのではないか、また、仮にそれが成就したとしても、今度は健常者相手の競争社会であり、能力を武器にしのぎを削る社会であるから障害が不利に働くことは当然であり、結局は成功したかに見えた後にも自己否定や無力感を感じざるを得ないのではないかと思われたのだ。
  障害者就労の領域は、これまで雇用機会を増やすことの重要性に力点が置かれてきた感があり、当事者の気持ちに着目した研究は意外になされていない。本来なら、働くということは、その人が社会的存在としての自己の可能性を模索する、挑戦的で創造的な行為のはずである。しかしそのような視点が欠落した支援では、自己との繋がりを欠いた挑戦的でも創造的でもない仕事内容であったり、障害があるために他者・自己評価が得られず、自己否定感や無力感を募らせたりすることに鈍感になってしまう危険があるし、事実、これまで、そのようなことにはあまり着目がされてこなかったのである。
  筆者は、こうした問題意識から、今後の障害者就労支援のあり方を探るために、障害を持つ当事者が、就労に何を望み、何があれば自信を持てるのかを考え、その実現のための方途を探ることが必要なのではないかと考えた。

2 論文の構成と各章の要旨
  第1章では、「障害者が働くということ」について先行文献や統計資料などをもとに、その理論や歴史、現状を整理した。第1節では《障害》をめぐる理論状況を整理し、人々が《障害》に対して示す感情や態度、それが障害者の気持ちや人生・生活に与える影響について述べた。第2節では《働く》ことをめぐる理論状況を整理し、なぜ人は《働く》のか、さらに、その行為に「能力主義」や「差別」がどのように関係してくるのかについて述べた。第3節では、就労状況、就労支援、職業選択、就労形態から障害者就労の歴史と現状を整理した。その結果、法制度や支援のあり方は改善されてきたものの、依然、在宅障害者の2〜3割程度しか就労できておらず、障害者の多くは就労の機会から疎外されたり、就労したとしても興味や関心から職業を選択していなかったり、また、健常者の職場から追いやられた障害者の多くは福祉的就労と呼ばれる隔離・保護的な場で、簡易な作業をし、小遣い程度の工賃を得ている状況に大きな変化は見られないことがわかった。以上から、障害者の就労をめぐる問題の核心は「健常者本位」にあり、そのため、当事者は就労から自分なりの意義を見いだしたりそれを達成できたりせず「自己を否定したり力がないと感じている」のではないかと仮説を立てた。
  第2章では、こうした現状を当事者自身がどのように受け止め、どのように変えたいかを整理した先行調査・研究がほとんどないことを踏まえ、当事者自身が考える問題点と改善点を明らかにすることを試みた。対象と方法:障害者運動体の機関誌、創刊(1979年)から64号(2000年)まで対象とし、障害者就労に関する記事を抜粋、さらにその記事のなかから「障害者就労に関して、どのように受けとめ、何のために、どのように変えたい、あるいは変えたか」について述べられている文章をカード化し、それらカードをKJ法の手順に従って分析した。なお、本雑誌を対象とした理由は、@当事者に定位している、A当事者が主体的な関わりを持っている、B社会の動きや差別にしっかりと向き合っている、C誰もが対等で共にある社会を目指していること、である。結果:カードは237枚作成され、それらは、1)「希望する就労のかたち」(81枚、34.2%)、2)「健常者との関係において望むこと」(84枚、35.4%)、3)「障害者が行っていくこと」(83枚、35.0%)、の3つに大分類された。それらから、当事者自身は、障害者を拒否したり、働かせてあげる対象としたりする企業の態度や意識、そして、現在の社会構造が、障害者が必要悪として隔離され、障害者支援と言いながら健常者に予算や就労場所が用意される「健全者福祉」社会であることに問題を感じていることがわかった。また、改善点は、従来の働き方である一般就労や福祉的就労に加えて「障害があるからこそできる就労」をしたいこと、健常者との関係において「支え合い」を望んでおり、具体的には「不当に扱われない・評価されない」「働く仲間として対等である」「障害に合わせた就労のかたち」であることが明らかになった。
  第3章では、当事者が就労に何を求め、何があることが自己肯定につながり、力を得ていくことができるのかを調べるために14名の障害者にインタビュー調査を実施した。対象者は、第2章より、一般就労者と福祉的就労者に加え、「障害があるからこそできる就労」をしている人を捜した。「障害があるからこそできる就労」については多様な職種を探したが少数であったため、やむを得ず無収入の活動まで対象を拡げた。残念ながらすべての依頼者に協力を得ることはできなかったが、以下の人たちには協力を得られた。なお「障害があるからこそできる就労」をしている人を「新しい働き方モデル」とした。対象と方法:一般就労者4名、福祉的就労者(授産施設2名、小規模作業所2名)4名、新しい働き方モデルとして障害者プロレスラー3名、ピアカウンセラー3名、計14名にインタビューを実施した。質問項目は、@自分を肯定できたり力があると感じられるか否か、Aそのように感じる理由、B活動を始めた経緯・動機、過程、目標、B活動において不当な扱いや評価はないか、働く仲間として対等か、障害に合わせた就労のかたちか、である。インタビューは半構造的に行い、その内容は許可のうえ録音し、逐語録を作成した。結果:自己を否定したり力がないと感じていたのは3名のみであり、仮説は否定された。さらに検討を加えたところ、そのほとんどが、現在の活動のなかに自分なりの意義を見つけだし、それに向かって努力するなかで自分を肯定できたり力があると感じていることがわかった。その意義は、就労のかたちによって異なり、一般就労者は「職業的な意義を見いだすこと」、福祉的就労者は「健常者に近づくこと」、新しい働き方モデルでは「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」にあることが明らかになった。また「感じない」と答えたほとんどが一般就労者であったが、障害に合わせた就労のかたちではないために「できない・必要とされない」と感じており、弱者の立場にいることがその要因ではないかと考えた。
  第4章では、インタビュー調査で明らかになった当事者が就労に見いだした3つの意義、すなわち「職業的な意義を見いだすこと」「健常者に近づくこと」「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」が、どのような「障害者と健常者の関係」からなるかを考察し、障害者/健常者価値が対等であるところの「支え合い」の課題について検討した。その結果、「職業的な意義を見いだすこと」では、健常者とその職務を行う実力において対等な関係を求められ、それが成立しない場合「価値剥奪」が生じる可能性があることが考えられた。したがって課題は、健常者側が能力発揮の機会を損なわないように「障害に合わせた就労のかたち」を配慮することにあると考えられた。「健常者に近づくこと」では、健常者生活に近づくことを、健常者が支え、障害者が支えられる関係にあると考えた。そもそも健常者が上位に位置づけられていることから、対等な関係となるためには、障害者/健常者とも、健常者上位の価値観を捨て、障害価値を見いだすことが課題ではないかと考えられた。「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」は、少なくとも当事者にとって「自己価値を見いだすこと」を支えられていることは明らかだが、健常者にとっての意味は本研究では明らかにできなかった。今後の課題である。しかし「新しい働き方モデル」が「当事者本位」の新しい就労の可能性を持っていることは確かであり、当事者が望む「支え合い」に近づける可能性があると考えられた。


 
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第1章 障害者が働くということ

第1節 《障害》とは ― 《障害》をめぐる理論状況 ―

  本節では《障害》とは何かについて考える。まず《障害》を構造的に捉え、次に《障害》によって喚起される《障害》がないとされる人々の感情や態度、それが障害のある人の心の有り様や生活に与える影響について考える。

1 障害構造 国際障害分類
1)ICIDH
  障害とは何か。集英社国語辞典1)によれば、@物事を行うときに、妨げになること。また、そのもの。A心身の機能上の故障。B「障害競争」「障害物競走」の略、とある。つまり障害は、物事を行うときの妨げとなるような心身の機能上の故障、と言える。
  しかしそれでは、どのような障害があるのかはわからないし、問題を解決するための道標も得られない。そこで作られたのが世界保健機関による国際障害分類思案(International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps, 1980)である。頭文字を取って、「ICIDH」と呼ばれることが多い。
  国際障害分類試案によれば、障害は3つの次元から成り立つ。機能障害(Impairments)、能力障害(Disabilities)、社会的不利(Handicaps)である。それらは次のように定義されている。「機能障害」とは、「健康経験の文脈において、心理的、生理的、または解剖的な構造や機能の欠陥または異常である」。「能力障害」とは、「健康経験の文脈において、人間として正常とみなされるやり方やその範囲で活動を遂行する能力のなんらかの制限や欠損(機能障害に起因する)である」。「社会的不利」とは、「健康経験の文脈において、機能障害や能力障害の結果として個人にもたらされる不利益で、その個人が正常な役割(年齢、性別、および社会的文化的要因に依存する)を果たすことが制限されたり妨げられたりすることである」。それぞれは、「機能障害」→「能力障害」→「社会的不利」と、一方向的に関係付けられている。この図によると、社会的不利が個人の能力障害を原因としている。つまり、「社会的不利とは他者が主体であり、他者が障害を持つ個人に負わせる、とみる見方」である。言うなれば「社会的不利の『責任』は、もとをただせば個人の機能障害」ということになり、そのことはICIDHの弱点であり、本質的な欠陥ではないか、と南雲は指摘している2)。そうした問題について、わかりやすく図解したのが、ハンパパー・N・シータマとランジット・K・マジャンダーである。(図1)
  
2)ICF
  「ICIDH」は、その普及・活用がすすんだ反面、上述した以外にも、いくつかの批判が生まれた。これら批判3)をもとに、WHOは、1990年にWHO主催の第1回修正会議の開催を皮切りに、「ICIDH」の修正作業を始めることになる。そして、2001年5月22日、WHOの第54回世界保健会議(The 54th World Health Assembly)において、新しい国際障害分類(International Classification of Functioning,Disabilty and Health:ICF)が採択された。これは「IDIDH」を改訂した、新しい障害分類である。(図2)
  改訂の特色として、まず、障害者運動やカナダの研究グループからの「環境の影響についても考慮すべき」という指摘があり、環境の関わりが加わったことである。つまり、上述のとおり、「ICIDH」では、《障害》は「本人の問題」として捉えられていたが、「ICF」では、環境因子(Environmental Factors)によって、《障害》になることもあるし、ならないこともある、という捉え方がなされたことである。例えば、脊髄損傷で両足が動かない場合、上半身の力で車いすでどこにでも行けるし、手だけで運転できる車いすもある。このような車いすや車も環境であり、それらは「プラスの環境」と解釈される。「社会的不利」についても、本人だけの問題でなく、環境との相互作用において決まると捉えられる。「マイナスの環境」のために社会参加ができない場合、「参加制約(participation restriction)」と表現される。
  「ICIDH」にはない「ICF」のもう1つの大きな特徴として挙げられるのは、前者は障害のマイナス面だけを見ていたのを、後者は、マイナスとプラスを含めた障害者の全体像を見ることができる、ということである。「ICIDH」では、障害を起こす原因は「疾患」であるが、「ICF」では「健康状態(health condition)」と表現される。また「機能障害」は「心身機能・構造(Body Functions & Structure)」となり、これが障害された状態が「機能・構造障害(impairment)」である。「能力障害」は「活動(activity)」であり、それが制限された状態は「活動制限(activity limitation)」である。「社会的不利」は「partisipation(参加)」であり、それが制限された状態が「参加制約(participation restriction)」である。そして、それらの相互関係については、双方向で結ばれることになった。
  これまでの「ICIDH」は、狭い意味での「医学モデルにすぎない」と強く批判されていた4)。そのことについて上田敏は、「医学はマイナス面をみることに慣れすぎており、医学教育ではわずかな異常でも目ざとく見つけて診断する目を養うことが大事だとされ、そのためのトレーニングを日々行っている。また医学用語はマイナス用語ばかりである。ところがそれでは、人のプラスの面や正常な機能が残っている部分や、ノーマルな面についての関心が薄くなる」「医学全般としては、患者や障害者に対する社会的存在としてのとらえ方が足りなかったことは間違いなく、その意味でこのような非難はやむを得ない」と語る4)。
  「ICF」はそうした反省の上に立って作成されており、その過程には医学の専門家のみならず、福祉の専門家、行政、障害者自身の平等な参加があった。そうした意味で、「ICF」は「医学・社会モデル」であり総合的モデルと言える4)。したがって「ICF」に期待されることとして、これまでの、障害に取り組むすべての人々の間で物の考え方や使う言葉が違っており共通の理解が得にくかった、という問題に対して、「共通言語」としての役割や、医療や福祉の専門家が「ICF」を「意識的に行う道具として使う」ことで、障害者の持つマイナス面とプラス面とを全面的に捉えたり、自分の得意分野だけをとらえてニーズの全体像を見落としてしまう危険を回避できたりすること、などがあげられる。

2 《障害》のイメージと《障害》に対する態度
1)《障害》のイメージ
  南雲は《障害》に対する一般の人のイメージには3つのものがあるとしている。それは「けがれ」「苦」「できない」である5)。
  「けがれ」とは、文化人類学によれば、1つの社会的地位から次の社会的地位へと移行する際に、その境界に生じるものとされる。人類学者メアリー・ダグラスは「けがれとは場ちがいなものである」と言う。例えば、生から死への移行である。仮に、私たちは、死者が私たちの日常のなかに放置されるとすれば、「気味が悪い」とか「恐ろしい」という気持ちになるだろう。だから、葬式が行われ、あの世への移行が行われる。つまり、死者はセレモニーが行われるまでは、生と死の境界、両義性のなかに存在しており、その両義性が多くの人に耐え難い緊張を引き起こす。《障害》もその両義性を有しており、だから人は《障害》と出会うことによって生じる緊張を回避するために《障害》を排除しようとするのだ、と南雲は分析する。
  「苦」とは、思いどおりにならないことである。《障害》が苦であるとは、すなわち自分の思いどおりにならない状態に苦しむことである。私たちの心理として、苦の状態にある人たちを前にすると同悲の気持がわき起こってくるが、その奥には裏腹な気持があるのかもしれないということを指摘したのはタマラ・ランボーとその共同研究者である。ランボーらは、それを「悲哀の要求」と名付けた。つまり、「健常者にとって、障害者は単に苦しむだけでなく、苦しむ“べき”であり、苦しんでいなければ低評価される“べき”である。健常者のこうした態度は、そうしないと身体的な美しさや能力を自分たちのもっている中心的価値として維持しようとする安心感が脅かされると感じるからである」と言う。そして、「かわいそう」という言葉は、多くの障害者にとって「一番腹の立つ」言葉である。その理由は、「かわいそう」という言葉には、同情を伝えるよりもむしろ、「あなたは障害者、わたしは健常者」という「差別」のメッセージを伝えるものだからである。
  そしてもう1つは「できない」ということである。「できない」というイメージによって、障害者はどのような扱いを受けるのか、南雲は次の4点があるという。
@世間付き合いがすでに破綻している、ということである。ふつう顔見知りの間では、お互いの情報を等分に分かち合っているものであるが、障害を持つ人の場合、相手はよく知っているのに、自分はよく知らないということが生じる。それは医者と患者の関係に似ており、顔見知りの関係というのが実際は成立していないのである。
  A敬意を受けなかったり人格を不当に貶められたりする、ということである。
アメリカの文化人類学者であるロバート・F・マーフィは、脊髄腫瘍のために四肢麻痺を負っているが、次のような経験をしている。
  「ある日、レストランでウェイターが四人連れの私たちにメニューを3枚持ってきた。私はウェイターを呼び戻して、私も字が読めるんだが、といってやった。しかし2ヶ月後に行ったときにも彼が同じことをやったところをみると、あまり効き目はなかったようだ。」
  さらには「物扱いされる」ということがある。看護婦の連絡事項として「腕を持って持ち上げぬこと」と書かれてあったり、掃除の際、一時的に移動させられるときに、介護者に「運ぶ」と言われたりすることなどである。
また人は、1つの障害を見ると、じつにすみやかに「何もできない」と決め込んでしまうこともある。たとえば気管切開をしたためしゃべれない四肢麻痺者に対して、周囲は、聞こえないと勘違いして大声で話しかけたり、頭がおかしくなったと思い込んだりするのである。
  B障害を持つ多くの人たちは、自己決定権を侵害されるのをただ黙って見ていなければならないことである。
  介護者は絶対的な存在である。当人の意向を考えずに車いすを動かしたり、30歳を過ぎても母親が選んだ服しか着せてもらえなかったりする。しかし、それでも我慢せざるを得ない。逆らえば、「何もしてあげない」「かってにトイレに行け」ということになってしまう。
  C生存権さえ奪われることがある、ということである。
  朝日新聞1997年10月20日付によれば、無職A容疑者(51歳)が、殺人の疑いで群馬県警大泉署に逮捕された。調べによると、老人性痴呆症気味の母親(83歳)が、廊下で失禁したことに腹を立て、頭や腕などを殴る蹴るなどし、数時間後に死なせたということである。
  南雲は、現代は能力主義の時代であり、障害の有無に関わらずできるできないが人物評価にもっとも強力な意味を持っているため、この3つのなかで「できない」という意味がもっとも強い力を持っている、と言う。

2)《障害》に対する人々の態度
  障害のある人々は集団として扱われ、「否定」=「価値の引き下げ」に出会う
  これは、W.ウルフェンスバーガーの指摘である6)。W.ウルフェンスバーガーは否定的な評価を「価値の引き下げ」と名付けた。そして「価値の引き下げ」、つまり「社会によって価値が低いと見られる」と「このような知覚が反映されたやり方で処遇されやすい」と言う。具体的には「質の悪い住居に住まわされたり、乏しい学校教育しか受けられなかったりすることがある。あるいは、全く学校教育が受けられなかったり、(就労していたとしても)低賃金で威信を欠く仕事しか与えられず、質の悪い保健ケアしか提供されなかったりする。多くの人たちは、その人と関係を持とうとするよりも、その人からなるべく離れていようとする。このように、『価値の引き下げられた人』は、拒否され、隔離され、排除されるようになる。そして、『価値のある人々』によって享受される、支持的な関係、尊厳、自律性、価値のある人々の活動への参加など、あらゆる種類の良いことは『価値の引き下げられた人』には否定され、奪われることになる」と言う。そして障害のある人々の「価値の引き下げ」は、「社会的集合レベル、全体の社会レベルにおいて生じるもの、つまり、あらゆるクラス(同じ特徴をもつ人々の集合を意味する)が、全体の集合、社会、あるいはその大多数によって否定的に判断され」、そして「価値を引き下げられた人」の人生には次のような現象が生じるとしている。 

* 成長が期待されない ゆえに 経験が浅い
  W.ウルフェンスバーガーによれば、「価値を引き下げられた人々」は、哀れみの対象として見られることがあり、そのため、「苦しむ者の人生を少しでも楽にすることを願うあまり、学習や遂行、あるいは成長に対する期待をほとんどかけられない」、そして「彼らの経験は、多くの場合非常に狭く、価値の高い社会やその活動へ参加することを否定されたり、禁止されたり、行くことができない場所さえある」と述べている。

* 排除 ゆえに 自己否定感・自分たちから距離を置くようになる
「価値を引き下げられた人々」は、「全体としての社会によってのみではなく、彼ら自身の家族、近隣、コミュニティや、彼らを助けるはずのサービスのワーカーによってすら、組織的に拒絶されることが多い。拒絶とは、その人が、他の人々によって実際に近くにいることを望まれないことである。」こうした排除によって、「価値を引き下げられた人々は、価値のある世界の中では自分は異邦人であり、そこにはふさわしくなく、歓迎されていないことを知るようになる。そして彼らは、非常に不安定になりがちで、自分自身のことすら嫌いはじめるようになる。彼らは、自分のことをいやしむべき、可愛くない、価値のないものだと思いこむようになる。」そして「価値を引き下げられた人々は、彼ら自身で彼らの価値を下げ、拒絶している者たちとの間に距離を置くようになる。その結果、価値を引き下げている者たちから遠くに離れたり、価値を引き下げている者たちが価値を引き下げられた人を移動させたりすることになる。」としている。 

* 決定権が他者にある ゆえに 生活のコントロールを失う
  「価値を引き下げられた人々」は、「自分たちの生活のコントロールを失う経験をする。彼らに対して力をふるい、彼らのためにと言いながら、表と裏で決定を下すのはいつも他の人たちだからである。」そして彼らは「生涯において、彼らの機会、挑戦、経験が否定され、人生の早い時期にはあったはずの潜在的可能性が実を結ばず、破壊されている間に時は過ぎ去っていく。価値を引き下げられた人々が入れられたサービスプログラムのなかでさえ、ただ座って待っているだけで、彼らの時間が無駄に費やされる場合が多い」と述べている。

3 《障害受容》ということばの意味を考える
  《障害受容》という言葉は、障害者の支援に関わる医療や福祉の専門家の間で使われてきた。障害者自身や家族が《障害》を理解し、《障害》から生じる様々な弊害を受け止め、前向きな対処ができるような状態になることを意味しているが、これもICIDHに述べた「社会的不利」という用語と同様に、その責任が障害者本人に帰結されてしまうことに問題があると思われる。そこで本項ではまず、南雲の文献7)を借りながら「障害受容理論の展開とほころび」について述べ、次に事例をもとに、現場での用いられ方、その問題について考える。

1)その理論の展開とほころび
  南雲は、障害受容を考えるときに2つの視点があるとしている。1つが、人はそれまでの自分(のからだ)とは異なったときどのように対処するか、2つめが、他者は自分とは異なるからだにどのような対処をするかである。
  障害受容について最初に書かれた論文は、1951年、アメリカの精神科医モリス・グレイソンによるボディ・イメージの障害に関するものであった。モリス・グレイソンは、受容は、「身体的には患者が障害の性質や原因や合併症や予後をよく知ること。社会的には雇用や住宅や家族やその他の関係に対して現実的であること、心理的には、ひどい情動的症状を示さないこと」であると言う。しかしこれらは表面的なことであり、障害の受容に深く根ざした要因は、@パーソナリティ構造に関するものと、A社会が障害ゆえに個人に果たすものがある、と言う。このグレイソンの研究は、1つめの問い、「人は、それまでの自分(のからだ)と異なったとき、どのように対処するか」の解答を導こうとした。
  1960年代に入ると、アメリカでは障害を負った後に共通にみられる心理的反応として「悲嘆」が導入され、同時にその回復には一連の段階があることが主張されるようになった。今日、ステージ理論と呼ばれるものである。これも1つめの問いに答えようとするものである。有名なものに、アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスによる、臨死患者が死を受容するまでの心理的ステージに関するものがある。
  モリス・グレイソンと同時代においてタラマ・デンボーは、社会との関連で障害をもつ人たちの心理を考えていた。当時のアメリカでは一見してそれとわかる障害をもつ人たちはよく似た社会状況に置かれていたが、デンボーらは、そうした状況を「不幸」と呼んだ。そして彼女らは「不幸」へ貶められた人たちへの治療に関心を寄せており、その方法として価値転換論を提唱した。つまり身体障害を持つ人は、個人的、社会的、2種類の価値を失った者であるとし、これらを受容するために「価値の視野の拡大」と「比較価値からそのものの価値への転換」が必要だというのである。
  個人的喪失には4つの状況があると説明している。第1は絶望で、圧倒的な喪失体験によって受傷直後に急性に生起する暗黒のうつ状態または絶望である。第2は、外見の問題で、魅力が損なわれたと感じ、常態とは異なる外見に対する悩みである。第3は、悲哀の問題で、対象を喪失したためそれまでの満足感が過去のものとなり、今はそうできない苦しみである。第4は、障害の問題で、能力障害に起因する苦悩である。社会的喪失とは、社会の否定的態度に悩むことである。「価値の視野の拡大」とは、苦悩に囚われた心が別の何かに気づくことである。その何かが見えてくることによって希望の光を見いだし、力づけられ、生活は再び生きる甲斐のあるものであることを知る。「比較価値からそのものへの転換」とは、能力障害によって評価が下がったとしても、課題の成績よりも、それを遂行しようとする努力に価値を見いだしたりすることである。
  南雲は、この価値転換論は「どっちつかず」であるとして批判的な見方をしている。つまり一方では、個人の喪失感を問題にし、他方では、個人に向けられた社会の態度を問題にしており、障害受容における2つのタイプを綯い交ぜにしてしまっているというのである。その後、1つめの問い(人はそれまでの自分(のからだ)とは異なったとき、どのように対処するか)に対して、ステージ理論が展開し、2つめの問い(他者は自分とは異なるからだにどのような対処をするか)に対して、スティグマ理論が展開したと分析している。
  スティグマとは「人の信頼をひどく失わせる属性」のことであり、その性質について最初に体系化したのがアーブィング・ゴッフマンである。
  ゴッフマンによれば、障害は、際だった社会的アイデンティティであり、スティグマとなる。それは、「突出しているために人の注意を引き、見つけられれば誰もが顔をそむけ、しかも他の属性などはもはや眼中に入らなくなる1つの特性」であり、スティグマのある人は「まったき人間ではなく」「劣っていてしかも危険」であるとみなされ、一般社会は排除しようとする。そして彼らのアイデンティティは「同じ人間であるという意識」と「人から避けられ、蔑まれているという意識」に分裂する。集団のなかで対等(周囲と同じように振る舞い続ける)であろうとすれば、それは孤立や社会的な死を意味することになる。彼らは、孤立を避けるために、あえて、人前に出ないなどの態度を取るようになる。
障害受容という言葉は、障害のある人自身にあてられた言葉であり、障害を受け入れるのは本人である。障害から生じる問題というのは個人の心理的な問題もあれば、社会の否定的な態度から生じる問題もあるが、それらすべてを障害を持つ本人が達観して受け止めるということになる。
  南雲は、障害受容には3つのほころびがあると言う。第1は、障害受容が持つ専制性である。第2は、障害が与える影響の過小評価である。第3は、社会の過小評価である。障害受容の持つ専制性とは、それがその時代を支配するほどの考え方になってしまったがゆえに、それが絶対であると信じてしまったことである。しかし障害受容は障害を持つ本人がなさなければならないものである。それが信念となってしまったことで、障害を持つ本人のみに過大な負担を強いることになった。障害が与える影響の過小評価とは、障害が本人や家族にとって深刻な体験であるにも関わらず、その重さをしっかりとは受け止めきれていない言葉であるということである。社会の過小評価とは、障害には社会が個人をどうみるか(社会が障害を排除しようとする傾向)という問題が含まれているにも関わらず、それが軽視され、それすらも個人が受け止めるべきこととしていることである。

2)支援のなかの排除装置としての《障害受容》
  障害受容という言葉は、障害者を支援する医療や福祉の分野などのなかでしばしば用いられる。その場合、専門家は、自分が方向づけた支援に患者・クライアントが従わないときにこの言葉を用いてしまうことがある。南雲の一節を紹介する。 

  「日本のリハビリテーション医学は全人的医療を標榜して出発した。それは患者心理の理解と対応を含むものであった。その鍵となる概念が障害受容であった。ある意味でそれは不運であったと言えるかも知れない。〜中略〜 障害受容は心的援助を目指したにもかかわ結局は不作為という対応でしか事にあたることができなかった。その結果、今日では障害受容は、援助とはまったく無縁なものになってしまった。それどころか、障害をもつ人たちの足枷すらなっているのである。リハビリテーション関係者は、訓練プログラムに意欲的でない患者のことをしばしばこういう言い方で表す。「障害受容ができていないから困る」リハビリテーションは、障害受容へ向けた1つの援助ではなかったのか?」

  また、福祉現場における著者の経験では次のようなことがある。障害者の就労支援の場面において、支援者から見れば復職は無理ではないかと思える人生の半ばで障害を持った人が「私は再び働きたい」と言う。その意向が支援者の判断と異なるとすると(支援者は働くことは無理だろうと判断したとする)、この障害を持った人は《障害受容》ができていないと言われることがある。つまりここで使われる《障害受容》の意味は「自分自身の身体や精神機能の状況のことを正しく認識できていない」というような意味で使われる。そうなると障害を理解することは同時に働くことを諦めねばならないことになる。これは先の国際障害分類思案の、原因のすべてを個人の障害に結びつけ、環境の因子を考慮しないまま社会との相互作用によって生じる不利益を個人の責任に押しつけてしまうこと、と同じではないだろうか。実際の事例から考えてみることにする。

〔事例〕
  軽度知的障害のある20代前半の男性である。小学校・中学校は普通学級、高校は全寮制・普通科に入学したが、いじめや学力低下などの問題で1年で退学し、その後、定時制高校に入学し、卒業した。職業安定所の紹介で一般求人枠で就職したが、見習期間中の解雇が約10社に及んだ。時間を守れない、仕事が捗らないなどがその主な理由だった。T施設へは「職業相談」目的で来所。愛の手帳を取得し、支援が開始した。
  職能評価では、企業就労は難しいと予測された。しかし、本人は一般企業で働きたいという気持ちが強く、家庭の要望もあり、企業就労に向けて支援活動が開始された。評価をし、指導目標を立て、職能訓練を実施した。9か月間の個別訓練であった。訓練の目標は時間を守る、自分の考えをはっきりと伝える、作業を正確にやる、何事にも集中して取り組むであった。その後、5社面接し、すべて不採用となった。面接になると緊張感から吃音が目立ち、表情や態度に落ち着きがなくなり、質問に適切に答えることができなかった。しかし6社目では、障害者緊急雇用安定プロジェクト8)を活用して職場実習を行えることになった。実際の職務の状況から評価してもらえるので面接のみよりは有利であったが、トライアル雇用への移行にはならず、実習のみで終了。7社目、職場実習における評価により、与えられた職務を遂行する能力はあるものの、集中力に波があり、職務への慣れが期待どおりではない、ということから、母親が週1回職場に入ること、担当者がジョブ・コーチ9)として職場に入ることを条件に、トライアル雇用10)に移行することができた。しかし就労には至らず、担当者はこれまでの就労支援の経過から今後も企業就労に向けた支援を継続することは本人に大きな負担になることを福祉事務所担当者に伝えた。結局、今後は福祉的就労を行うなかで、時間をかけて企業就労に挑戦していくことで本人、家族は納得した。本文は「職場実習を行えたことで、障害理解や自己理解ができ、適切な自己選択をすることができるようになった」と締めくくられている。

  本事例は、ある障害者支援機関の情報誌11)に掲載されたものであり、本事例が紹介された真意はトライアル雇用の意義について明らかにしようとしたことにある。トライアル雇用については障害者の実際の職務遂行能力が明らかになるうえ、企業には実習奨励金、実習生には賃金が支給されることから、その意義が注目されていた。今回の趣旨はさらに違った角度からその意義について捉えてみようというものである。つまり、実際に企業で就労経験をし、それを採用するか否かの評価材料にしてもらえることで、面接時の第一印象だけで判断されてしまう危険を回避できることから、本人や家族にとっても、その判断をより妥当なものとして受け入れやすくなる、ということである。
  しかし本事例のように、企業の判断が否であり、その結果を受け止め、別の道を選んだことが果たして「障害理解・自己理解による適切な自己選択」と言えるであろうか。これは先のリハビリテーションの現場における《障害受容》の用いられ方と似ている。「障害理解・自己理解」という言葉によって、労働市場から排除されるという社会との相互作用によって生じた不利益は、障害のある個人のみが引き受けるべきものになってしまっている。また「適切な自己選択」という言葉についても、選択肢がある状況ではなく、むしろ、素直に支援者の用意した道を受け入れたに過ぎないとも言える。
  障害者の就労支援は、より生産性の高い労働力を求める労働市場の価値観が優先されるため、そこでノーマライゼーションの理念を実現する難しさがあることに支援者側の苦しみがあり、働くニーズを満たす「福祉的就労」の場はその窮地を救ってくれるものであるように思われる。そうした現状のなかで《障害受容》(ここでは「障害理解・自己理解による適切な自己選択」)という言葉によって、社会の側の問題をかき消し、専門家としての判断の正しさや支援の力量を肯定すべきものにしてしまっているとも解釈できる。

第2節 《働くこと》とは ― 《働くこと》をめぐる理論状況 ―

  ひとはなぜ働くのか。「労働」という行為をなぜ人は行い、その行為から何を得ようとするのか、一般的事項について確認する。そして、障害者が働くことを考えるうえで重要なキーワードとなる「能力主義」「差別」が生じる要因について触れる。

1 働くことに関連する様々なことば
  働くことに関連する日本語には「就労」「雇用」「労働」「職業」など色々あるが、手元にある国語辞典1)で調べてみると、それらは以下のような意味を持っている。
就労:仕事に就くこと、仕事を始めること。
雇用:ある労務に従事するために賃金を支払って人を雇うこと。
働く:報酬を得ることを目的として仕事をする。労働する。
仕事:しなければならなこと。職業。働くこと。労働。専門的、職業的な方面での価値のある作業やその成果。
労働:何かの目的のために心身を働かせること。生産・利益のために、精神的、肉体的に作業を行うこと。労働力の合目的的な使用が労働と定義される。
職業:生計を立てるため、日常従事する仕事。生業。
生業:生活するための仕事。職業。せいぎょう。
就業:業務につくこと。仕事にとりかかること。職業につくこと。
  「職業」「生業」は同じような意味合いで使われているが、日常の印象を含めても、仕事の内容や種類に注目をした言葉として用いられているように思われる。「雇用」や「労働」という言葉は、労働力の売買が行われる労働市場システムにおける現象を説明するために用いられる言葉であること、そして「就労」「就業」は「仕事」として与えられた役割を行うという意味合いがあること、「働く」という言葉はそのどちらの意味合いでも使用できる言葉であることがわかる。
  ちなみにわが国の職業に該当する欧米の用語には、occupation、vocation、work、calling、profession、labor、job、task、business、career、mission、tradeなどがある。Occupationとは、それが何であれ一日の大半を占める活動のことである。つまり子どもであれば遊びや学習、大人であれば仕事や余暇活動などである。Workは仕事の対価としての収入を伴うか否かに関わらず仕事を行うことで、趣味活動もこのなかに含まれる。Vocationはworkやoccupationのなかで生きがいや価値を持った仕事であり、一般的な職業にあたる。Laborは使役の概念が含まれた労働の意であり、jobは賃仕事や職務、taskには義務として負わされた仕事や課題の意味がある。Businessには用事や営利を追求する仕事、missionとはある義務に基づく仕事、carrerとは職業経歴のことで、occupationからvocationへの変化、つまり職業を通した人間的成長という意味も含まれている12)。

2 職業の3つの意義
  尾高邦雄は、「職業とは、個性の発揮、連帯の実現および生計の維持を目ざす人間の継続的な行為様式である」と定義している13)。つまりひとの継続的活動が、社会的分業の一端を担う役割遂行行為であること、またその行為によって一定の物質的報酬が得られ、生計を維持することが可能になること、そしてその役割遂行行為に際して、多少とも個性を伸ばし、自己実現と人間的成長をはかる余地があること、の3つの要件を備えているときに職業と呼べるのである。以上のように、職業には個人的、経済的、社会的側面があるが、それらは職業の主要な機能でもある。
  つまり1つには、物質的報酬の獲得による生計維持という経済的機能である。収入の多い少ないは、ひとの生活機会や生活程度、生活様式、そして社会的地位を決め、人生の幸・不幸を左右することもある。しかし人生の幸・不幸を左右するのは物質的報酬の多い少ないだけではない。2つめは、精神的報酬である。仕事で個性が生かされ、やりがいを感じることで、人生はより充実する。そうした自己実現欲求を充足する機能である。3つめは、社会的存在証明の機能である。ひとは社会的な役割を担うことで社会の一員として受け入れられ、社会的な地位や信用・尊敬を与えられる。また職業をつうじてひととの交流が持て、集団へ帰属することができ、アイデンティティを確立することができる。

3 わが国における働く価値の類型化
  それらはひとが働く目的となり、仕事から得られる効果でもあるが、どれにより価値を置くかは人それぞれである。三隅らは、働くことに対する態度や価値観、人生観、人間観を基にして日本人を類型化した14)。それは次のようなものである。
@ 賃労働型
  仕事上の経済的・物的労働条件にもっぱら関心がある人々。
A 人間関係志向型
  仕事中心性が賃労働型ほど低くはないが、B以下の者より低く、他人を信用・信頼できる存在と考える親和的な人間観をもつ傾向が強い人々。
B 働きがい志向型
働くことを何らかの社会的価値を創造する活動と捉え、給与、作業条件といった労働条件 よりも、むしろ、仕事の内容そのものがどのくらいおもしろいか、自分の能力や技術の向上につながる学習の機会はあるかといった、仕事に対する精神的充実感を重用視する傾向が強い。
C 仕事一辺倒型
  一生懸命働いて何とか経済的豊かさを手に入れたい。仕事に生きがい、働きがいを求めるより、仕事の結果である物質的豊かさをひたすら求めるタイプ。
これらの4類型は、仕事中心性の高さと働くことの価値観において異なる特徴を示している。こうした働くことに対する価値観や姿勢は、ひとの人生を左右するほどの影響力を持つことは明らかである。三隅らは、諸外国(アメリカ、イギリス、ベルギー、オランダ、イスラエル、西ドイツ、日本の7か国)において、働くことが日常生活全体のなかでどのくらいの中心的な位置を占めているかを調査した15)。その結果を紹介する。
  仕事、レジャー、地域社会、宗教、家族の5つの生活領域に対して、それぞれの重要度に応じて合計100点の点数を配分してもらい、仕事に配分された点数の大きさによって仕事中心性を測定したものである。日本が36点で最も高く、次いでベルギー、オランダで30点、イスラエル、西ドイツは28点、アメリカが25点、イギリスが22点で最も低かった。また「最も重要なことの1つ」(7点)から「最もとるにたらないことの1つ」(1点)の7段階尺度で働くことの重要性を評定してもらったところ、日本、イスラエル、アメリカにおいて「最も重要なことの1つ」と答える割合が過半数以上であった。なかでも日本のそれが最も高かった。三隅らは、日本の職場生活の特徴として、諸外国が仕事のみを行う場であるのに対して、レジャーや地域生活、宗教生活すら職場生活のなかに含まれることがあるとし、「日本の仕事の得点が7か国中一番高いのは、日本人にとって職場のもつ意味が他の国々と相違していることにもその原因が求められる」と分析している。

4 業績原理・能力主義
  業績原理・能力主義には次の3つがあると言われる。1つは、「人の価値の表示」、2つめは、「財の所有の原理」、3つめは、「人の配置の原理」としての業績原理・能力主義、である16)。「人の価値の表示」とは、つまり「その人の労働・生産力によって、その人の価値が決まる」というようなことである。そして「財の所有の原理」とは、「多く働けば多く取れ、少ない働きなら、少なくしか取れない」ということである。「人の配置の原理」とは、「人を、その能力に見合った適材適所に配置させること」である。障害者就労について「能力主義」が取り上げられるのは、大きくは2の問題による。つまり働くためには、たいていの場合、自分を雇ってくる人を捜さなくてはならない。そうした取引が行われるところが労働市場であるが、障害者の場合、労働力としての商品価値が認められず、取引が成立せず、雇用関係が成立しないことが高率であるからである。したがって障害者は、雇用機会に恵まれず、財を所有できないため、十分な暮らしが保障され得ない結果となる。確かに、生活保護や障害者年金による所得保障はなされているが、それはごくごく最低限の水準の生活を保障しているにすぎない。つまり「分配では足りない」のである。
  なぜそのような格差が生じるのか。1つの回答は、より多くの労働を引き出すためである。そうすることで市場が活性化するからである。人は、より多くの報酬を得たいので、より多くの生産をしようとするからである。逆に、さしたる労働をしなくても、もっと言えば、労働をした人よりも労働をしない人の方が受け取りが多かった場合、労働への意欲は減退するかもしれない。
  立岩は「財の所有の原理」について次の3つの結論を導き出す17)。
  @根拠はない
  「自己労働→自己所有は図式は単なる言い換えにすぎない。さらに抽象化された、自己のものは自己のものという命題にしてもその根拠が見いだされるわけではない。さらに自己のものということ自体が問題である。何が自己のものと言えるのか。そこで自己に固有に起因するものとそうでないものを分ける作業が始まるが、一般に障害と呼ばれる時、その属性が自己の責任に属さないのは明らかであり。この構図からかえって扱いの不当性が言えることになる。ここに貢献という項をおいても同じである。仮にある人の労働がより大きな貢献をしているのだとしても、その結果を取得すべきであるとはやはりいえない。非生産的領域、そこにいる人々を、生産の領域、生産者が支えており、後者は前者がなくても存在できるが、前者は後者がなければ存在できないという主張を認めてもよかろう。しかし、だから、後者の側が、その側に位置する者が優位であり、多くの配分を受け取るべきだとは依然として言えない。傾斜的配分によって個々人に動機づけを与えた方が社会全体ひいては個々人の利益がより多いといった言明についても、利得がより多いという選択を取るべきかどうかは、他の要件を勘案した上で改めて問うことができる以上、ここからも配分の正当性が自明に既決するわけではない」
  A自然として生じる
  「これはことの善悪として生じているということではない。私達は、同じ商品であれば安く買う、自らのものとされているものを高く売ろうとする。そのことの善し悪しを考えているわけではない。こうした市場に人間も包摂される場合、そのように扱われることになる。私の労働は実は私の労働であると言えるかどうかと別に、私において、働くことは確かに私の決定と統御のうちにあり、何かを得るために働くということは、その私の意識、動機の連関において連続しているという私にとっての事実がある。」
  B介入の装置がある
  「配分機構の外側に様々な装置が仕掛けられており、そのことによって総体の作動が維持されている側面を無視できない。すなわち、私達が都合のよいように行動するという事実(社会の都合と言っても同じ)にすぎないもの(→A)を、当然のこと、正当なものとし、正当化の論理の底が抜けていること、当の図式内部にも曖昧なところがあること、こうした訳のわからなさ(→@)をぼかし、価値の序列を指定し、ある特性こそが真の価値であるとし、そこに向けて人を整形し、行為を整流し、そこに乗らない者を無力化しようとする意識的あるいは無意識的な行為、装置が配され、その効果がさらに個々の選好に盛り込まれている(→A)ということである。こうして障害を持つ者はを囲む場は、生産の領域の優位を前提として、可能な限りそこに近づくことを求める。あるいはこの領域の作動を阻害しないような場に退くことを求める、そしてそれが他ならぬ自己の側に折り畳まれる、大きな負荷が私の側にかかっている」

5 労働・雇用における差別 
  ひとは、収入を得たり、また生きがいを見いだしたり、社会的な存在価値を認めてもらうために働くということを確認してきた。そしてわが国は、他国と比較しても、仕事の重要性を高く位置づける国民であることがわかった。そして働くためには、たいていの場合、自分を雇ってくる人を捜さなくてはならない。そうした取引が行われるところが労働市場である。
  他の商品市場にはない労働市場の特徴として、労働市場では、同程度の職業能力などを持つ労働力同士であっても、同等の賃金が支払われているとは限らず、企業間、地域間、年齢間などで格差がみられる場合もあること、また、商品に値をつけるのは商品を売る側であるが、労働力に値をつけるの労働力を買う方であること、がある。労働市場を構成するものとして、求人者の求人活動である労働力需要、求職者の公共職業安定所に対する求職申し込みなどの労働力供給、職業紹介機関(公共職業安定所等)の斡旋などによる労働力需給の結合機関などがある。また、労働市場は、地域や労働者の属性、経歴、雇用形態、職種、企業の規模や産業などに応じて区分することができる。例えば、男性労働市場と女性労働市場に区分したり、ホワイトカラー労働市場とブルーカラー労働市場に区分したりすることができる18)。
  そのような特徴を持つ労働市場において、差別はどのように生じるのか。立岩は、差別の種類を3つ提示している19)。
@そこで求められる能力と関わらない差別
これは例えば、人種等による差別のことである。しかし「競争が働く市場の場でそのような採用の仕方をしていると、その企業、雇用主はかえって不利になるはずで、市場での競争によって淘汰されていくはずだとも考えられる。属性に関わる差別が近代社会において徐々に減少していくだろうという観測も、1つにはそのような了解から来ている。しかし現実は必ずしも予測どおりにはならなかった。〜略〜 差別することで競争に負け完全に淘汰されてしまうほどこの要因が強く働くことは少ない。〜略〜 総じて、差別することによって得られる快が、差別しないことによってもたらされる利益を上回るなら差別は続くだろう」と立岩は分析する。
A統計的差別
  統計的差別とは、とくに常雇用の場合、先物を買う性格が強いため、どれだけの価値があるのかが確実にはわからない中で判断せざるを得ない、つまり不完全な情報のなかで選択をせざるを得ない状況にあるために生じるものである。例えば女性は、出産・育児を巡る社会的条件・規範に関わり早く退職する可能性が高く、その可能性を雇用時に個別に予測できないとする。すると他の条件が同じならそれが理由となって雇用されなかったり、雇用の条件を違える可能性が生じたりする。また低学歴者は、他の仕事ができるかどうかを知る手がかりが少ないことが要因になり、その中で、ある程度正の相関がある要因なら、それが仕方なく採用される、といった具合である。
Bその人の能力による選別、格差の設定
  例えば、消費者に対する仕事で、太ったスチュワーデスや年をとった店員を客が好まず、客が減ったとすると、その人は「本質的な能力」ではない部分で雇用されないことが生じうる。能力とは消費者に求められるものであるとすれば、それこそが求められている能力であると反論される余地も含まれはする問題である。


第3節 《障害者》が《働く》ことをめぐる歴史と現状

  本節では、まず障害者の就労状況、就労支援、職業選択、就労形態の概況を述べる。そして第1節、第2節より明らかになったこと、つまり《障害》とは人々にとって「差別」の対象であると同時に、《働く》という観点からは、健常者の自己所有・価値づくりとしての「能力主義」によって、今日の障害者就労の様態は、特に職業的重度の障害者にとって「報酬」「価値」、そして「自己実現」としての「労働」からの疎外が行われていることを述べる。

1 就労状況
  ここでは、文部省、旧労働省、旧厚生省における調査から、障害者の実情をあきらかにすることを目的とする。使用する調査報告は、学校基本調査、身体障害者(児)実態調査、知的障害児(者)基礎調査、社会福祉施設等調査、身体障害者及び知的障害者の雇用状況についての報告である。それら調査報告から、@在宅で生活を営む知的・身体障害者の数・就労状況等、A社会福祉施設における就労者の状況、B盲・聾・養護学校を卒業後の進路、C知的・身体障害者の雇用の状況、を明らかにする。

1)在宅で生活を営む知的・身体障害者数、就労状況等
(1−1)身体障害者の状況
  わが国における在宅の身体障害者の実態については、概ね5年ごとに全国調査が実施されている(身体障害者実態調査,厚生省)。平成8年11月に実施された調査の結果によれば、全国の18歳以上の在宅身体障害者数は、2,933,000人(人口比2.9%)と推計されている。前回の(平成3年11月)調査の2,772,000人(人口比2.8%)と比較すると、約7.8%の増加であった。
  この結果を障害の種類別にみると、肢体不自由が1,657,000人(56.5%)、内部障害が621,000人(21.2%)、聴覚言語障害が350,000人(11.9%)、視覚障害が305,000人(10.4%)となっている。
  年齢別にみると、18〜19歳が8,000人(0.3%)、20〜29歳が72,000人(2.5%)、30〜39歳が111,000人(3.8%)、40〜49歳が242,000人(8.3%)、50〜59歳が435,000人(14.8%)、60〜64歳が378,000人(12.9%)、65〜69歳が408,000人(13.9%)、70歳以上が1,179,000人(40.2%)という結果である。つまり60歳以上の占める割合が7割弱にものぼる。経済活動年齢・生産年齢として考えれば、18〜64歳ということになるが、その数は1,246,000人ということになる。
  障害の程度別にみると、身体障害者手帳等級1・2級の重い障害を持つひとが1,266,000人であり全体の43.2%である。内訳をみると、1級が796,000人(27.1%)、2級が470,000人(16.0%)、3級が501,000人(17.1%)、4級が551,000人(18.8%)、5級が291,000人(9.9%)、6級が212,000人(7.2%)となっている。

(1−2)就労・不就労の状況
  就業の状況をみると、就業者は845,000人、不就業者は1,958,000人である。障害種別別にみた就業者の割合は、聴覚言語障害が32.0%で最も高く、次いで内部障害が29.6%、肢体不自由が28.3%、視覚障害が26.2%と続いていた。就業率については前回平成3年の調査と比較すると、平成8年の就業率の伸率は88.3%にとどまっている。
  また就業者を就業形態別にみたときの結果については「一般従業者」の割合が226,000人(26.7%)で最も多く、次いで「自営業主」が201,000人(23.8%)、「家族従業者」が113,000人(13.4%)と続いていた。「福祉的就労」は19,000人(2.2%)であった。
  就業者の職業については、障害種別ごとにみると、肢体不自由者では「農業・林業・漁業従事者」が91,000人(19.4%)で最も多く、次いで「技能工・採掘・製造・建設・労務従事者」が86,000人(18.3%)であった。聴覚・言語障害では「農業・林業・漁業従事者」が35,000人(31.3%)で最も多く、次いで多いのが「技能工・採掘・製造・建設・労務従事者」で34,000人(30.4%)であった。視覚障害では「農業・林業・漁業従事者」が24,000人(30.0%)で最も多く、次いで「あんま・マッサージ・はり・きゅう従事者」が20,000人(25%)であった。
不就業の理由については「重度の障害のため」が533,000人(27.2%)で最も多い。次いで「高齢のため」が474,000人(24.2%)である。ちなみに「働く場がない」「適職がない」は、それぞれ56,000人(2.9%)、49,000人(2.5%)とわずかであった。

(2)知的障害者の状況
  厚生労働省が平成12年に実施した知的障害児(者)基礎調査によれば、在宅の知的障害者数は全体で329,000人である。そのうち18歳以上は221,200人(67.2%)である。障害の程度は、中度・軽度が49.5%、最重度・重度が39.1%である。 
  活動の場の状況については、「卒業」している人では、「自分の家」が25.8%、「職場・会社」が23.7%、「作業所」が21.0%、「通所施設」が19.8%、「その他」が7.4%、「デイサービスセンター」が2.3%である。
  また「卒業」している人の、将来の、活動の場の希望(昼間の過ごし方について翌年における希望)については、「職場・会社」が27.6%、「自分の家」が22.5%、「通所施設」が20.9%、「作業所」が20.7%、「その他」が5.6%、「デイサービスセンター」が2.6%である。現在の活動の場と比較すると、「自分の家」「その他」が約2〜3%減少し、「職場・会社」が約4%程度増加している。
  くらしの充実の希望については、「老後の生活」が35.1%、「働く場所」が29.4%、「通所施設」が23.7%、「作業所」が16.1%であった。またくらしの充実の希望について、本人の希望のみに着目すると、「働く場所」が45%、「通所施設」が30%、「作業所」が20%であった。

(3)精神障害者の状況
  精神障害数は、平成8年の厚生省患者調査、厚生省報告例などによると、精神病院入院340,000人、在宅1,820,000人と推計されている。
また、平成8年日本精神病院協会患者調査によると、精神病院の入院患者の年齢構成は、70歳以上が18.4%、60〜69歳が21.1%、50〜59歳が24.4%、40〜49歳が21.5%、30〜39歳が9.2%、29歳以下が5.4%となっている。60歳以上の高齢者が4割となっており高齢化が伺われる。
  さらに同調査によると、精神病院の入院患者の在院期間は、20年以上が16.5%、10〜20年が16.9%、5〜10年が14.9%となっている。10年以上在院している患者が3割以上となっており、在院期間が長期にわたることがわかる。
  また平成7年に交付が開始された精神障害者保健福祉手帳は、平成12年3月現在で163,000人に対して交付されており、その内訳は1級が44,000人、2級が9,0000人、3級が29,000人となっている。 

2)社会福祉施設における就労者の状況
(1)就労施設の施設数、定員、在所者数
  厚生労働省が平成12年10月1日に実施した社会福祉施設等調査の結果によると、生活保護授産施設は、全国に24施設あり、定員は855人、在所者数は699人である。身体障害者授産施設は、全国に81施設あり、定員は3,764人、在所者数は3、417人である。重度身体障害者授産施設は、全国に128施設あり、定員は8,220人、在所者数は8,151人である。身体障害者通所授産施設は、全国に252施設あり、定員は6,676人、在所者数は6,361人である。身体障害者福祉工場は、全国に37施設あり、定員は1,808人、在所者数は1,366人である。知的障害者授産施設(入所)は、全国に228施設あり、定員は14,307人、在所者数は14,111人である。知的障害者授産施設(通所)は、全国に890施設あり、定員は34,140人、在所者数は33,420人である。知的障害者福祉工場は、全国に43施設あり、定員は1271人、在所者数は1124人である。精神障害者入所授産施設は、全国に22施設あり、定員は604人、在所者数は465人である。精神障害者通所授産施設は、全国に168施設あり、定員は3、896人、在所者数は3,992人である。

(2)施設の種類別施設数の年次推移
  生活保護授産施設については、平成2年には76施設であったが、平成12年には24施設に減少している。社会事業授産施設についても、平成2年には156施設であったが、平成12年には138施設に減少している。
  身体障害者授産施設については、平成2年には85施設、平成12には81施設であり、やや減少している。重度身体障害者授産施設については、平成2年には119施設、平成12年には128施設であり、若干増加している。身体障害者通所授産施設については、平成2年が109施設、平成12年が252施設であり、この10年間で2倍以上に増加していることがわかる。身体障害者福祉工場は、平成2年が24施設であったが、平成12年には37施設に増加している。
  知的障害者授産施設(入所)については、平成2年が181施設であったが、平成12年には228施設に増加している。知的障害者授産施設(通所)については、平成2年は396施設であったが、平成12年には890施設であり、2倍以上に増加していることがわかる。知的障害者福祉工場については、平成2年は4施設であったが、平成12年には43施設であり、10倍以上増加している。
  精神障害者入所授産施設については、平成2年にはなかったが、平成12年には22施設になっている。また精神障害者通所授産施設についは、平成2年には26施設であったが、平成12年には168施設となっており、およそ140施設増加していることがわかる。
  
(3)施設の種類別在所者数の年次推移
  生活保護授産施設については、平成2年には2,804人であったが、平成12年には699人に減少している。社会事業授産施設については、平成2年には5,459人であったが、平成12年には5,923人であり、わずかに増加している。
  身体障害者授産施設については、平成2年には4,025人、平成12には3,417人であり、やや減少している。重度身体障害者授産施設については、平成2年には7,241人、平成12年には8,151人であり、若干増加している。身体障害者通所授産施設については、平成2年が2,349人、平成12年が6,361人であり、この10年間で3倍弱も増加していることがわかる。身体障害者福祉工場は、平成2年が1,210人であったが、平成12年には1,366人であり、わずかに増加している。
  知的障害者授産施設(入所)については、平成2年が11,267人であったが、平成12年には14,111人に増加している。知的障害者授産施設(通所)については、平成2年は13,919人であったが、平成12年には33,420人であり、3倍弱程度増加していることがわかる。知的障害者福祉工場については、平成2年は124人であったが、平成12年には1,124人であり、10倍近く増加している。
  精神障害者入所授産施設については、平成2年にはいなかったが、平成12年には465人になっている。また精神障害者通所授産施設についは、平成2年には446人であったが、平成12年には3,992人となっており、10倍近く増加していることがわかる。

3)盲・聾・養護学校を卒業後の進路 
(1)卒業後の進路
  厚生労働省が平成13年に実施した学校基本調査の調査結果によると、中学部については、高等学校への進学率は、盲学校が98.9%、聾学校98.8%が、養護学校が95.1%である。
  高等部については、盲学校では334名の卒業者がいたが、そのうち、大学等進学者が45.5%、専修学校(専門課程)進学者が0.3%、専修学校(一般過程)進学者が1.2%、公共職業能力開発施設等入学者が1.8%、就職者が12.6%、その他が38.6%であった。聾学校では596名の卒業者がいたが、そのうち、大学等進学者が48%、専修学校(専門課程)進学者が1.3%、専修学校(一般過程)が0.5%、公共職業能力開発施設等入学者が8.2%、就職者が31.4%、その他が10.4%であった。養護学校では10,811名の卒業者がいたが、そのうち、大学等進学者が1.2%、専修学校(専門課程)進学者が1.2%、専修学校(一般過程)が0.2%、公共職業能力開発施設等入学者が2.5%、就職者が21.8%、その他が73.8%であった。

(2)産業分類別の就職者数 
  産業分類別の就職者数については、盲学校では男子が27名いるが、サービス業が23名(85.2%)で最も多かった。女子については15名いるが、サービス業が8名(53.3%)で最も多く、次いで卸売・小売業・飲食が5名(33.3%)であった。聾学校では、男子が187名いるが、電気・ガス・熱供給が153名(81.8%)で最も多く、次いで卸売・小売業・飲食が12名(5.3%)であった。女子については105名いるが、やはり電気・ガス・熱供給が88名(83.8%)で最も多かった。
養護学校では、男子が1.594名いるが、電気・ガス・熱供給が803名(50.4%)で最も多く、次いで卸売・小売・飲食の335名(21.0%)、サービス業の282名(17.7%)が続いていた。女子については764名いるが、電気・ガス・熱供給が340名(44.5%)で最も多く、次いで卸売・小売・飲食の171名(22.4%)、サービス業の207名(27.0%)が続いていた。

(3)職業分類別の就職者数 
  職業分類別の就職者数については、盲学校では、男子27名中、専門職・技術的職業の16名(59.3%)が最も多く、次いでサービス職業従事者が9名(33.3%)であった。女子は15名中、専門的・技術的職業が8名(53.3%)で最も多く、次いで販売従事者が5名(33.3%)であった。
  聾学校では、男子105名中、生産工程・労務作業が90名(85.7%)で最も多かった。女子は82名中、生産工程・労務作業が58名(70.7%)で最も多く、次いで事務従事者が16名(19.5%)であった。養護学校では、男子1,594名中、生産工程・労務作業が975名(61.2%)で最も多く、次いでサービス職業従事者が326名(20.5%)、販売従事者が134名(8.4%)と続いていた。女子は764名中、生産工程・労務作業が384名(50.3%)で最も多く、次いでサービス職業従事者が234名(30.6%)であった。

4)知的・身体障害者の雇用の状況 
  厚生労働省が平成13年12月26日に発表した「身体障害者及び知的障害者の雇用状況について」を参考にする。本調査は「障害者の雇用の促進等に関する法律」により、1人以上の、身体または知的に障害のあるひとの雇用を義務づけられている事業主20)などから、平成13年6月1日現在における障害者の雇用の状況についての報告を求め、これを集計したものである。

(1)民間企業
@ 民間企業における障害者の雇用状況
  平成13年6月1日現在における一般の民間企業における障害者の雇用状況は、「企業数」は61,115人、「重度障害者(常用)」は66,293人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が120,284人であり、「実雇用率」は前年と横ばいで1.49%となっている。
  また特殊法人等における雇用状況については、「企業数」は131人、「重度障害者(常用)」は344人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が1、054人であり、「実雇用率」は1.97%となっている。前年は2.08%であり0.11減少しているが、平成13年4月に設立された独立行政法人を除いた数値は0.02ポイント上昇し、2.10%となった。

A 企業規模別の雇用状況
  企業規模別の雇用状況については、56〜99人規模では、「企業数」は21,756人、「重度障害者(常用)」は6,136人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が13,762人であり、「実雇用率」は1.63%となっている。
  100〜299人規模では、「企業数」は27,823、「重度障害者(常用)」は13,0616人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が29,097人であり、「実雇用率」は1.36%となっている。
300〜499人規模では、「企業数」は5,385、「重度障害者(常用)」は6,462人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が12,448人であり、「実雇用率」は1.41%となっている。
500〜999人規模では、「企業数」は3、597、「重度障害者(常用)」は8,511人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が15,208人であり、「実雇用率」は1.46%となっている。
1000人以上規模では、「企業数」は61,115、「重度障害者(常用)」は66,293人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が120,2842人であり、「実雇用率」は1.49%となっている。
さらに民間企業における企業規模別の実雇用率の推移を示したのものが図3である。平成5年ごろまでは、企業規模56〜99人の中小企業の、実雇用率の高さが目立っていたが、それ以降は景気の影響からか56〜99人規模の企業の実雇用率は低下している。それに対して企業規模が500〜999人、1000人以上の大企業では、年ごとに実雇用率が上昇しているのがわかる。

 図3http://www.arsvi.com/2000/030900t1.xls

B 産業別の雇用状況
  産業別の雇用状況については、実雇用率の最も高い産業は電気・ガス・熱供給・水道業であり、実雇用率は1.75%であった。次いで製造業の1.71%、運輸・通信業の1.66%が続いていた。
  産業別の実雇用率の推移については、どの産業においても実雇用率が上昇しているが、その順位について大きな変動はない。

(2)国、地方公共団体
@ 国、地方公共団体における障害者の雇用状況
平成13年6月1日現在における、国、地方公共団体における障害者の雇用状況については、国の機関では、「重度障害者(常用)」は1,636人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が7,923人であり、「実雇用率」は2,14%となっている。
  都道府県の機関では、「重度障害者(常用)」は1,917人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が4,244人であり、「実雇用率」は2,45%となっている。
  市町村の機関では、「重度障害者(常用)」は5,242人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が11,128人であり、「実雇用率」は2,46%となっている。
  全体では、「重度障害者(常用)」は8,795人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が23,295人であり、「実雇用率」は2,36%となっている。

A 都道府県の教育委員会等における障害者の雇用状況
  平成13年6月1日現在における都道府県等の教育委員会における障害者の雇用状況については、「重度障害者(常用)」は1,889人、「重度障害者(常用)以外の障害者」が3,318人であり、「実雇用率」は1,22%となっている。

2 就労支援の状況
  ここでは障害者就労支援の状況として、主に職業リハビリテーションとして総称される法制度に支えられた一連の支援体制について明らかにする。

1)職業リハビリテーションとは
  ILO(国際労働機関) 第159号条約 1983年によると、「障害者が適当な職業に就き、それを継続し、かつ、それにおいて向上することができるようにすること、ならびに、それにより障害者の社会への統合又は再統合を促進すること」とある21)。
「障害者の雇用の促進等に関する法律」においては、「障害者に対して職業指導、職業訓練、職業紹介その他のこの法律に定める措置を講じ、その職業生活における自立を図ることをいう(法第2条5号)」となっている22)。 

2)関係法令
(1)日本国憲法
日本国憲法のなかの、第3章・国民の権利及び義務・27条には「勤労の権利及び義務」とあり、その(1)に「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と書かれてある23)。

(2)障害者基本法 
  「障害者基本法」は1993年11月に成立したが、これは、障害者に関する各種法律の調整法として1970年に制定された「心身障害者対策基本法」を改正したものである。
内容は、第1章は総則(第1条〜第9条)、第2章は障害者の福祉に関する基本的施策(第10条〜第26条)、第3章が障害者の予防に関する基本的施策(第26条の2)、第4章が障害者施策推進協議会(第27条〜第30条)となっている24)。
  改正で評価されることとして楠木は次の7点を挙げている25)。@法律の目的に「障害者の自立の促進と社会経済活動への参加の促進」が位置づけられたこと、A基本理念において、すべての障害者が「社会の構成員」として、あらゆる分野への活動に参加する機会を与えられることを明確にしたこと、B精神障害者を法の適用対象に含めたこと、C国の障害者施策に関する基本計画の策定を義務づけ、都道府県と市町村に対しては同計画の策定について努力義務としたこと、D国は毎年、国会に障害者のために講じた施策の概況に関する年次報告書(『障害者白書』)を提出しなければならないとされたこと、E国や地方公共団体に対して、雇用促進、住宅の確保、公共の施設の利用、情報の利用などについて必要な施策を義務づけ、事業者には努力義務を課したこと、F中央および地方(都道府県・市町村)の障害者施策推進協議会の委員のなかに、障害当事者および障害者の福祉に関する事業に従事する者が含まれるようにするとされたこと、である。
つまり、障害者の社会経済活動への参加促進がその目的として掲げられ、障害者にはその権利があること、また目的達成のための国、都道府県、市町村は必要な施策を講じなければならないこと、事業者は努力しなければならないことが明記されたのである。

(3)障害者の雇用を促進するための法律
  「障害者の雇用の促進等に関する法律」のなかには「職業リハビリテーションの推進」として章が設けられている。その目次を辿ってみると、まず第1節として、「通則」(職業リハビリテーションの原則)があり、第2節では、「職業紹介等」として、公共職業安定所の役割、障害者職業センター、公共職業安定所と障害者職業センターとの連携などについて記載されている。また第3節では、「障害者職業センター」として、障害者職業カウンセラー、障害者職業センター相互の連絡及び協力等、日本障害者雇用促進協会による障害者職業センターの設置及び運営の業務の実施などについて、第4節では、「障害者雇用支援センター」として、障害者雇用支援センターの指定、業務、地域障害者職業センターとの関係などについて、さらに第5節では、「日本障害者雇用促進協会による障害者職業能力開発校の運営の業務の実施」について記載がなされている26)。

3)対  象 
  「障害者の雇用の促進等に関する法律」には、「障害者」とは「身体又は精神に障害があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者」と規定されている。身体障害者、知的障害者であるか否かは、それぞれ身体障害者手帳、療育手帳を所持しているどうかで確認される。またそれ以外の障害については個別に判断する。精神障害者については、政令において、@精神分裂病、そううつ病又はてんかんにかかっている者、A精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第45条2項の規定により精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている者、に該当する者であって、症状が安定し、就労可能な状態にある者、と定められている27)。

4)実施機関・施設
  障害者の就労を支援する機関・施設には様々なものがある。主なものとして公共職業安定所、障害者職業センター、障害者能力開発校などがある。また平成6年10月1日より、障害者雇用センターが業務を開始した。これらが職業リハビリテーションの役割を分担し、連携しながら、障害者の雇用の促進、職業の定着を目指す。ここでは、それら機関・施設の役割・機能について説明する28)。

(1)公共職業安定所
  公共職業安定所は、障害者と労働市場の接点であり、障害者の職業的自立と社会参加を直接的に支援する重要な機関である。安定所の業務は、求職者の把握から、就職後の指導にいたるまで、職業リハビリテーションの全過程にわたるものである。公共職業安定所の役割については以下のように整理される。
@職業リハビリテーションの対象となる障害者に関する情報の収集
「障害者の雇用の促進等に関する法律」のなかでは、「公共職業安定所は、障害者の雇用を促進するため、障害者の求職に関する情報の収集を行い、事業主に対して、当該情報の提供、障害者の雇入れの勧奨等を行うとともに、その内容が障害者の能力に適合する求人の開拓につとめるものとする」(障害者法第3条の2)とある。
A求人開拓
B職業指導
  「公共職業安定所は、障害者がその能力に適合する職業に就くことができるようにするため、適性検査を実施し、雇用情報を提供し、障害者に適応した職業指導を行う等必要な措置を講じるものとする」(障害者法第3条4)とある。
C職業紹介
  公共職業安定所で行う職業紹介とは「求人、求職の申し込みを受け、求人者と求職者との間における雇用関係の成立を斡旋すること」(職業安定法5条)であり、「公共職業安定所は、求職者に対しては、その能力に適合する職業を紹介し、求人者に対しては、その雇用条件に適合する求職者を紹介するように努めなければならない」(職業安定法19条)とある。
D就職後の障害者に対する職場適応、職場定着指導等に関わる助言及び指導
  「公共職業安定所は、障害者の職業の安定を図るために必要であると認めるときは、その紹介により就職した障害者その他事業主に雇用されている障害者に対して、その作業の環境に適応させるために必要な助言又は指導を行うことができる」(障害者法第8条の2)とある。
E事業主に対する雇用管理等に関わる指導
「公共職業安定所は、障害者の雇用の促進及びその職業の安定を図るために必要であると認めるときは、障害者を雇用し、又は雇用しようとする者に対して、雇い入れ、配置、作業補助具、作業の設備又は環境その他障害者の雇用に関する技術的事項についての助言又は指導を行うことができる」とされている。
F障害者重点職業安定所
  障害者の雇用促進のためには、求人開拓などにより、企業からの求人を確保することが重要であるが、それだけでなく、求職者の情報を幅広く収集、整理し、これらの情報を求人者に対して積極的に提供していくことが必要である。
  障害者の雇用を一層進めるためには、これら求人情報、求職情報を、求職者、求人者相互に十分に提供できる体制を整備することが重要である。このため、各都道府県の中核的な安定所を重点公共職業安定所として指定し、都道府県内各安定所における障害者の求職に関する情報や、求職者に対しては雇用の可能性の高い求人情報を提供することにより、障害者の雇用の促進を図っている。

(2)日本障害者雇用促進協会
  障害者の雇用の促進と、その職業の安定を図るためには、行政機関による施策の推進とともに、社会一般、とりわけ、障害者を雇用する事業主が、障害者に対して正しい認識を持ち、その雇用問題に積極的に取り組むことが重要である。
  日本障害者雇用促進協会は、「障害者の雇用の促進等に関する法律」の趣旨に沿い、行政に協力しつつ、障害者の雇用を円滑に進めるための各種事業を行うことにより、障害者の雇用の促進と職業の安定に資することを目的として、昭和52年3月、旧労働省の認可を得て設立された。事業主によって構成される障害者雇用促進団体による自主的活動である。
業務内容は以下のとおりである。
@ 障害者職業センターの設置運営業務及び障害者職業能力開発校の運営業務
障害者職業センター及び、障害者職業能力開発校については(3)と(5)で説明をする。
A 障害者雇用納付金関係業務
障害者雇用納付金制度29)に基づき、障害者雇用納付金を徴収し、その徴収した納付金を財源として、障害者雇用調整金、奨励金、及び各種助成金30)の支給をする。
B 障害者職業生活相談員の資格認定講習業務
事業主は、5人以上の障害者を雇用する事業所において、障害者の職業生活全般について相談・指導を行わせるための障害者職業生活相談員を選任しなければならないとされている。障害者職業生活相談員の資格認定講習を実施している。
C会員及び事業主に対して、障害者の雇い入れ、雇用環境の整備その他障害者雇用に関する技術的事項についての指導及び援助業務
雇用相談業務を通じて事業主などに対して技術的指導・助言を行うなどのほか、障害者の雇用の促進に関して、全国障害者雇用促進大会、障害児童・生徒などの絵画展などを開催している。
A 事業主その他に対して障害者の雇用管理に関する研修業務
事業所の雇用管理担当者、障害者アドバイザーなど障害者の雇用管理に関わる業務に従事する者に対する研修を行っている。
B 労働者が障害者となった後において、当該労働者の雇用を一定期間以上継続する事業主にあって、当該雇用の継続のために政令で定める措置を講ずる者に対して、労働省令で定める規準に適合する給付金義務
企業に採用された後、労働災害、交通事故などにより障害を有するに至った、いわゆる中途障害者の雇用を継続する事業主に対して給付金31)の支給をする。
C 障害者の技能に関する競技大会の開催業務
障害者の職業能力を促進し、その技能を通じて障害者に対する社会的理解と認識を高めるための全国障害者技能競技大会(アビリンピック)を開催している。 
D 障害者の雇用に関する調査・研究及び広報業務
障害者の職域拡大に関する調査・研究、障害者の雇用に関する事業所などへの調査の実施、障害者の雇用の促進に関する情報・資料の収集・分析及び広報誌「働く広場」などを発行している。
E 障害者の雇用に関する国際協力業務
アジア諸国における国際セミナーの開催、国際協力に関するニーズ調査及び職業リハビリテーション専門家の養成のための研修を行っている。

(3)障害者職業センター
  障害者の雇用支援において、職業評価、職業指導、職場適応指導などには専門的な知識が必要であるため、職業評価から就職後のフォローアップまでを専門的に行う施設として、障害者職業センターが設立された。障害者職業センターは4種類あるが、それらの概要については以下のとおりである。 
@ 障害者職業総合センター
  障害者職業総合センターは、職業リハビリテーション関係施設の中核として、職業リハビリテーションに関する研究・開発、障害者の雇用に関する情報の収集・提供、職業カウンセラーの養成・研修などを通じて、職業リハビリテーション関係施設を支え、職業リハビリテーションの全体的な資質の向上に資することを目的に設立された。
A 広域障害者職業センター
  広域障害者職業センターは、医療施設などとの密接な連携のもとに、広範囲の地域にわたり、系統的に職業リハビリテーションの措置を受けることを必要とする障害者に対して、職業評価、職業指導および職業講習を行い、また、障害者を雇用する事業主に対しては障害者の雇用管理に関する助言その他の援助を行う。
  現在、広域障害者職業センターは、国立職業リハビリテーションセンター、国立吉備高原職業リハビリテーションセンター、せき髄損傷職業センターの3カ所が置かれている。

B 地域障害者職業センター
  地域障害者職業センターは、原則的には各都道府県単位に置かれ、地域の安定所との密接な連携のもとに、障害者や障害者を雇用する事業主その他の関係者に対して、専門的なサービスを提供する。
  主な業務内容は、障害者に対しては職業評価、職業相談、職業準備訓練、職業講習、フォローアップなど、事業主に対しては、職場管理、作業施設に関する相談・助言などがある。

(4)障害者雇用支援センター
  授産施設などの福祉関係施設に入所している人、養護学校卒業後、在宅で福祉サービスを受けている人、小規模作業所に通所している人など、これまでの雇用対策では対応が困難であった障害者、職場に定着することが困難な障害者など、特に就職が困難な障害者の職業生活における自立を図るためには、その障害の特性に応じたきめ細かな職業リハビリテーションを行う必要がある。障害者雇用支援センターでは、授産施設などを定期的に訪問し、職業的自立を希望する障害者を発掘し、彼らに対して各種職業リハビリテーションを奨励する。
  また、障害者雇用支援センターから地域センターに職業評価を依頼したり、地域障害者職業センターで職業準備訓練を受ける必要があると判断された人に対しては、障害者雇用支援センターで基本的な労働習慣の習得や職業能力の維持を図るために一定の軽作業を行ってもらうなど、地域センターとの密接な連携を保つこととされている。
  その他、職場見学の実施、就職後の通勤援助・職場定着のための指導、住宅の確保など職業生活上の問題に対する相談の実施、障害者雇用支援者(ボランティア)の養成・登録・紹介など、直接雇用に関わるものに限らず、幅広く障害者の職業生活を支援するための業務が行われる。

(5)障害者職業能力開発校
  障害者職業能力開発校は、一般の公共職業能力開発施設において職業訓練を受けることが困難な重度障害者や知的障害者に対して、障害に配慮した職業訓練を実施する施設であり、必要な技能・知識を習得させることにより、就職を容易にし、職業の自立を図ることを目的とする。2000年現在、国が設立し、都道府県に運営委託しているものが12校、国が設立し、日本障害者雇用促進協会に運営業務を行わせているものが2校、府県が設置・運営しているものが6校、公共職業能力開発施設からの特別委託により公共職業訓練を実施している施設が14校ある。 

3 障害者の職業選択
1)養護学校における進路指導の状況
  養護学校の進路指導における興味深い研究があるので紹介したい。この研究は1996年に長沼によって行われた。肢体不自由養護学校生徒の職業選択に対する進路指導担当者の意識についての研究である32)。
  問題意識の所在として、「職業選択は職業とのかかわりで自分自身を明らかにしていく過程であると同時に、自分自身との関連で職業を明らかにしていくことでもある。また佃は、職業選択に対して、自分の求めているものが何であるかが明確であることと、進路先がその要求をどれほど満足させてくれるかが理解されていなければ、意思決定は困難であったり、謝った意思決定がなされることになると指摘している」とし、「進路指導担当者は、一人ひとりの生徒理解を行うとともに、生徒自身が自己理解を進め、職業選択における適切な意思決定ができるように指導しなければならない」とする。それでは実際に肢体不自由養護学校の進路指導担当者がどのように生徒理解を行い、生徒の職業選択に対してどのよ うな意識を持っているのかということを明らかにすることが本研究の目的である。
  研究の方法である。調査対象:全国の肢体不自由養護学校高等部142校である。調査時期および調査方法:1994年10月13日から10月27日に質問紙調査を行った。学校長に依頼状を送り、進路指導担当者に趣旨説明書および質問紙を返信用封筒を添えて送付した。調査内容:1卒業生の就職先の実態、2生徒理解の実態;進路指導や職業評価、心理検査について、生徒を理解するために使用している評価法を調査した。(生徒の職業選択に対する意識;「本人の希望に合った職種ならば、賃金が低い職場を選択しても満足すると思う」という質問文を用意し、質問文内の「賃金が低い」の部分を、ストレスが多い、職務に対する役割が果たせない、障害者に理解がない、能力や適性を生かしにくい、社会的評価が低い、通勤時間が長い、将来性が厳しい、専門性を求められない、休日が少ない、昇進の機会が少ない、作業環境に改善を要するに替え、各項目は「強く思う」「やや思う」「どちらでもない」「やや思わない」「強く思わない」の5件法で評定された。
  結果である。回収率:有効回答の回収率は70.4%。卒業生の就職先の実態:対象校の平成5年度卒業生1059名のなかで就職したの521名(49.2%)であり、雇用形態別では福祉的就労が最も多く384名(73.7%)であった。生徒理解の実態:生徒理解のために既成の評価法を使用していたのが75校。使用頻度が高かったものは、WISC-R知能検査、労働省編一般職業適性検査(GATB)、障害者用就職レディネスチェックリスト(ERCD)、田中ビネ−式知能検査、乳幼児分析的発達検査(遠城寺式)が高かった。進路指導担当者の意識:因子分析の結果、生徒の職業選択に対する進路指導担当者の意識は、@就職先の概観、A生徒の心理的負担、B就職先の待遇、C職務に対する役割、D職務のステイタス、E職種に対する興味の順に強く影響されていた。長沼はこれらの結果から、肢体不自由養護学校における進路指導では既製の評価法を用いて主に生徒の能力・適性面を把握しようとしており、選職の条件としては職種に対する興味を重視してはいないという結論を導きだしている。このことは「肢体不自由生徒の職業選択の幅が狭いという状況のなかで、職場に通えること、職場へ現実に適応し、安定した生活を送ることを重視しており、興味を十分に反映できていない現状にある」とし、「個人の職業興味はその人の生活歴やパーソナリティから生まれ、職業の選択はパーソナリティの表現の1つであるとされている。また、職業選択は個人の主体的な行為であるとされている。このような職業選択に関する主観的な側面を扱った研究としてZadehのファジィ理論を応用した支援システムという試みがある。今後、養護学校における進路指導で、個人の職業興味や主観的側面をどのように把握しているか明らかにし、検討していくことが、今後の課題になると考えられる。」と締めくくっている。

2)職業選択における健常者と障害者の比較
(1)障害者の職業選択
  「障害者が社会に出る―その後の5人の人生―」という著書33)には、著者の桐ヶ丘養護学校34)時代の同級生5人の、学校卒業後の人生について書いてある。それらを事例として、障害者が職業選択をする過程において、どのような要因が働いているかを考察してみたい。

〔事例1〕
  佐藤欣也さん。障害名:脳性麻痺。身障手帳等級:1種1級。障害状況:自力歩行や書字は可能だが、速度が極端に遅い。不随意運動あり。言語障害あり。現在は、実家の呉服屋の会計事務のほか、週2回、近くにある障害者のための授産施設の会計事務をしている。父親は他界し、現在は母親と2人暮らし。妹がいるが、10年ぐらい前に結婚した。

〈就職活動〉
  鼻の血管が弱くなってしまい、1日に何回も鼻血がでるようになり、学校をしばらく休んだため、進学や就職の活動が他生徒に比べ遅れる。他生徒は、高等部2年時に、職業安定所内にある障害児のための就職適性検査を受けるが、高等部3年2学期に受ける。検査の内容は、一般常識の口頭試問のほか、簡単な四則演算、漢字の読み書き。結果について、担当者に「おまえはバカじゃないことだけはわかったけど、おまえにできる仕事はない」と言われる。そう言われ、がっかりしたが、がっかりしているだけでは何も始まらないと思い、専門的な知識や技術を身につけようと考える。実家が呉服屋だったので、会計の勉強をしようと思い、会計科のある障害者のための職業訓練校を受験する。無事合格。桐ヶ丘の学生で職業訓練校に合格したのは初めてだった。

〈職業訓練校〉
  入学にあたり、学校側から、「いちばん困るのは、あなたみたいな人だ」と言われる。つまり、その訓練校は卒業後みな就職できることを売りにしていたので、重度の障害者は本当に困る、という意味である。入学の条件として、就職活動をしないこと、を約束させられる。
  学校の敷地内にある寮で生活を送る。会計の授業とソロバンの実習が主であった。授業のあと、毎日1、2時間残って勉強をした。ノートは、授業時間内にとり終わらないため、記憶して後で書くか、後から友達や先生に質問して書きたした。3、4ヶ月経った頃から、友達や一部の先生がノートのコピーをくれるようになる。

〈簿記学校通学、税理士試験受験を考える〉
  勉強していくうちに、会計の仕事が面白くなり、訓練校を修了すると、家業を手伝う傍ら、簿記の専門学校に通うことにする。そこでの勉強をステップにして、税理士の資格を取りたいと考える。その学校は、授業料さえ払えば、障害者だからといって入学を断られることはなかった。税理士試験を受験するには、@大学の商学部か経済学部を卒業している、A商工会議所の簿記検定1級所持、B実務経験5年のいずれかを満たす必要がある。そこで、商工会議所の簿記1級を取ろうと考える。しかし、限られた時間に答えを書くことがハードルとなり、(簿記1級の場合、3時間以内に4科目の解答をしなければならない)4回ほど受験するが、だめだった。そうこうするうちに、実家での経理の実務経験が5年を越えたため、税理士試験に勉強を切り替える。

〈税理士試験〉
  自分の書くスピードはわかっていたことから、試験に和文タイプライターを持ち込めないか、税理士試験の監督官庁である国税庁に直訴する。最初は、言語障害のため言葉が通じず、守衛さんに門前払いをされていたが、3、4回足を運ぶうちに、首をかしげながらも聞いてくれるようになり、国税庁に入ることができた。しかし、いざ担当者と話しができても、担当者は、「忙しいからかまっていられない」「時間がない」「そういう計画はない」という返事。ところが1年後、国税庁から、「タイプライターの持ち込みを認める」という電話が入った。しかし、タイプを持ち込んだものの、試験は受からなかった。タイプで打てる量にも限界があり、時間は不足していた。同じような形態で2回受験したが、どちらもだめで、税理士の道は諦めることになる。

〈授産施設で会計の仕事〉
  税理士試験を断念し、家の仕事と、八王子市内にある「もぐらはうす」という重度障害者の働く場を提供する授産施設で会計の仕事をするほか、姉妹施設である「ハンドクラフト杢」でも会計の仕事をすることになる。また、知り合いの宝石屋の、顧客名簿の管理の仕事もしている。自動車普通免許のほか、労務管理士や食品衛生管理者の資格を取得、また、全国経理学校協会の簿記検定に合格した。
  
〔事例2〕
  森猛さん。障害名:脳性麻痺。身障手帳等級:2種2級。障害状況:不随意運動はあるが、事例1の佐藤さんよりも障害は軽く、書字のスピードも速い。利き手の左手1本でピアノを弾くこともできる。また、若干足を引きずるが、歩くことにほとんど不自由はない。言語障害はあるが、落ち着いて話せば初対面の人にでも理解できる程度である。その一方で、小学部の高学年から中学部にかけて聴力が弱くなり、補聴器を使用することになった。

〈就職、失業そして再就職〉
  桐ヶ丘養護学校高等部を卒業後、父親の知り合いが経営する印刷関連の会社に就職。その印刷会社は、文字がプリントされたフィルムをアルミの板に焼き付ける、刷板という作業を専業している会社であった。入社後9ヶ月で、会社の経営が悪化し、辞めざるを得ない状況になった。社会保険には加入しておらず、辞めても失業保険ももらえなかった。
  池袋の職業安定所へ行き、そこで開催されていた「障害者職業相談会」に参加。障害者を募集している会社を一堂に集めた就職希望者の合同面接会を行っていた。そこで紹介された、婦人服を作っている会社に再就職することになった。印刷会社を辞めて1ヶ月くらいの時期である。
  この会社は社員30人くらいで、仕上げの段階でのアイロンかけの仕事を担当。午前9時から午後5時まで、昼食時間45分を除いて休みなしの重労働であった。ところが、1ヶ月くらい経った時、その会社で面倒を見てくれていた人に、「国からの助成金が来月で切れるので、来月からその分の給料を引かせてくれ」と言われる。「障害者雇用促進法」に基づく助成金が1年で切れるからという理由であった。当時の給料は手取り7万円ほどであり、それからさらに引かれてしまっては働く意味がないと思われ、辞めることに決める。
  再び職安へ。次に紹介されたのは、光学機器を梱包する会社であった。得意先から双眼鏡や顕微鏡などの商品を預かり、段ボールや化粧箱に入れていく仕事である。1、2ヶ月はアルバイトで働いた。ほとんどただ働きであり、仕事ぶりを見て採用を決めるというものであった。結局、仕事の効率が悪いということで正式な採用はされなかった。
  再び職安へ。今度は、中規模の印刷会社を紹介された。面接時に、そこの社長と意気投合し、「月曜日から来てください」と言われる。写植課、オフセット課、活版課があり、営業部員を含めて、50人規模であった。最初は、オフセット課に配属された。そして6年が経ち、写植課に移動。それは、森さんがパソコンに強いことを社長が知っており、写植機と同様の機能を持つソフトを購入したので、森さんを移動させたのであった。当時、会社でパソコンを扱えるのは森さんだけだったので、森さんは、誇りを持ってその仕事に取り組んだ。
  しかし、たまたま仕事上のミスが続いたうえに、バブル崩壊の影響で会社が苦しくなって社長が交替することになり、入社以来世話になった社長から「もう自分が面倒みることができなくなったから、君も辞めないか」と言われ、退職を決意する。写植課は3年おり、計9年間の勤務であった。退職金ももらった。給料面では不満はなかった。残業代も支払われていた。しかし、同年代の他の社員に比べて低く抑えられていたようである。

〈仕事とボランティアと〉 
  印刷会社を退職後は、2年ほど、父親の会社でサポート的な仕事をする。父親の会社は、コンクリートや鉄筋など組み立ての材料をそろえ、建築を施工する会社に卸す仕事である。その後、大型コンピューターの操作を覚えるために、東京都小平市にある障害者職業訓練校のプログラミング科に入学。そこを卒業後は、父親の会社で、必要に応じて作業するという形で、主にコンピューターを使った仕事を請け負っている。その傍ら、近くのゲームショップのインターネット・ホームページ作成をボランティアでやっている。これは、60ページほどを毎月更新しなければならず、なかなか大変な仕事である。このほかに、自分のホームページもある。仕事以外でも、コンピューターに向かうことが多い日々である。

〔事例3〕
  石黒信二さん。下半身(足)が部分的に大きくなってしまう障害を持っている。障害状況:幼いときから症状が進行し、何度も手術を繰り返した。靴は、既製品のものは小さかったり、形が合わなかったりするため特注で作成。足が大きく、引きずるように歩くので、道行く人に振り向かれたり、不躾な視線を向けられることがよくある。反面、上半身は不自由はなく、言語障害もない。養護学校には小学部の3年生までおり、4年生からは担任の先生の勧めもあり、普通の小学校に転校。中学校、高校と順調に進学し、慶応大学商学部に進学。大学3年生のときに公認会計士試験に受かり、卒業後は世界的な監査法人(会計事務所)に就職。第一線で活躍している。

〈会計士を目指す〉
  足に障害があるため、営業のような外回りはできない。その当時から、商社や銀行などの一般の会社に入る選択肢はないと漠然と思っていた。いろいろな本を調べ、弁護士か会計士か医者がいいと思ったが、親から医学部はお金がかかるからだめだと言われていた。そこで、残り2つのうち、どちらかと言えば数字に強かったので、会計士を目指そうと決める。中学・高校と、買いたい楽器やレコードが買えなかったので、それなりの高収入が得られる仕事がいいとも思っていた。高校生の頃のことである。
  会計士になるために、慶応大学商学部に入学。合格すると、普通は監査法人(会計事務所)に入る。4年生のときには、それを第1志望にし、一般企業の採用面接を受けたが、一次面接で落ちることが多かった。そのとき、障害があると一般企業に入るのは難しいと実感する。障害者雇用促進法により、企業が一定の割合で障害者を雇わなければならないことは知っていたが、仕事が限定されてしまうと思い、そういう形で就職することは考えなかった。 ゼミの先生に推薦状を書いてもらい、4年の秋に第1志望の中央監査法人に内定が決まる。現在は、国際税務を専門的に行っている。

〔事例4〕
  増淵(旧姓・磯谷)久美子さん。障害名:脳性麻痺。身障手帳等級:2級。障害状況:足と手に障害がある。車いすは使用していないが、歩行時は、左足のかかとが地面につかず、爪先で歩く。また歩行中は、身体のバランスを取るために右手を腹にあて、全身を大きく左右にゆらして、見た目には、人が少し触れただけで転んでしまいそうな不安定さがある。言語障害はない。

〈電話交換手になる〉
  高校2年の夏ごろ、電話交換手になろうと考える。勉強は月並みであったので、大学への進学は考えていなかった。そのかわり何か手に職をつけたいと思った。手足の障害はあるが、言語の障害はなかったので、電話交換手になろうと決める。
  高校3年の夏休みに電話交換手の免許を取る。夏休みが終わると、桐ヶ丘の担当の先生に職業安定所に電話をしてもらい、障害の状況や電話交換手の資格を持っていることを説明した。冬休みになり2件紹介をしてもらう。どちらも銀行であった。1976年に障害者雇用促進法が改正され、法定雇用率が上がったのと同時に、障害者雇用が義務化されたのを受けて、どちらの銀行も積極的に障害者を採用しようとしていた。S銀行に内定が決まる。

〈電話交換手の仕事〉
  S銀行は大手町にある。増淵さんの住まいは板橋区大山であったため、通勤には1時間以上かかる。勤務は9時からであったが、ラッシュを避けるために、8時には職場に着くように、7時前に家をでていた。勤務時間の配慮がなされ、他の人に比べ、朝早くからの勤務や残業の一部免除がされていた。
具体的な業務は、社内からの電話を別の部署につなぐ仕事や社内の人からの問い合わせに答えて内線番号を教える「社内案内」の仕事であった。最初は、外からの人の電話をつないでいたが、他の人に比べて業務量が少なくなってしまうため、上司に相談したところ、社内案内に変更をしたのであった。
電話交換室には女性ばかり30人くらいの交換手がいた。電話が20台あり、3つのチームに分かれての3交代制で、1時間働いて10分間の休みを取った。後から苦情が来た場合のためにメモを残しておかなければならなかったが、字を書くのが遅くてあまり上手くないために苦労をした。主任がメモをチェックした際「なんて書いてあるかわからない」と注意されたことがあり、それ以降、10分の交替時間を使って、よくメモを書き直した。

〈仕事上の悩み〉
  電話交換手の仕事は、何千という内線番号や細かなマニュアルを覚えなければならず、大変な仕事であった。健常者でも1、2年で辞めてしまう人がいた。そんななかで、他の人より仕事のスピードが遅かったりシフト勤務なども少なかったりしたが、同じ給料をもらっていたので申し訳ない気持ちが強く、辞めようと思ったことが何度かあった。また、女性だけの職場だったためか、先輩後輩の関係が厳しく、先輩のためにコーヒーを入れなければならなかったが、そのコーヒーを入れられず、同期の人たちに代わりにいれてもらってばかりいたので、つらい思いもした。
  電話交換の業務以外に、交代で、交換室とは違うフロアーにある総務部に行って、必要な書類のコピーをとってきたりする仕事もあった。他の人より時間がかかるために、同期のみんなに迷惑をかけないために息をきらして戻ると、先輩から「汗くさい」と吐き捨てるように言われたこともあった。
  そんな毎日に仕事の遅さも加わり、だんだん自分に自信が持てなくなり、「早いうちに辞めたほうがいい」と思うようになる。桐ヶ丘の高等部時代の担任の先生に「銀行を辞めて、福祉工場のようなところで働こうか」と相談したこともあった。しかし、当時、先輩のなかに1人だけ、何でも相談できる人がおり、その先輩に諭されているうちに、「今辞めてしまったら、交換手になった自分のこれまでの努力が無駄になる」と思えてきた。母親からも、「今辞めたら、ほかにいくところがないよ」「障害の身でありながら、大手の会社に入れたのは運がいいんだから続けなさい」と言われ、確かに福祉工場に比べ給料は倍以上だったこともあり、もう少し続けてみることにする。

〈悩みを打ち明けられる仲間、そして結婚〉
  時間が経つにつれて、同期の仲間同士で悩みを打ち明けあったりするようになる。その都度、「仕事がつらければ、上の人に言って、調整してもらえば」などのアドバイスがもらえ、なんとか続けていくことができた。
  電話交換手は女性ばかりの職場で、ほとんどが18、9歳で入り、たいてい何年かすると結婚退社をしていく。同期は7名いたが、全員が26、7歳のころに結婚退社をした。増淵さんも、9年間、同じ職場で働いた後、友人の仲介で知り合った、ポリオで両足に障害を持つ7歳年上の男性と結婚し、結婚退社をした。

〔事例5〕
  佐藤(旧姓・橋爪)三千代さん。障害名:先天性多発性関節拘縮症による四肢機能障害。身障手帳等級:1級。障害状況:関節が伸びない障害で、生まれた時にはすでに手首や肩などの関節が曲がっていた。物心ついたときには車いすに乗っていた。車いすは、車体を低くしたものに乗って、両足で地面を蹴って前へ進む。肘から下の関節は何とか動かせるので、字を書いたり、食事をしたり、着替えをしたりは自分でできる。高等部を卒業後、行動範囲を広げようと車の運転免許を取得。

〈普通の人の行く学校に行きたい〉
  高等部の担任の先生に、学校卒業後は、埼玉県所沢市のリハビリテーションセンターに行くか、障害者雇用促進法の採用枠を使って、第一勧業銀行で宝くじを売る仕事ならあるがどうか、と言われるが、それに疑問を感じる。なぜなら、学校を卒業して、資格も何も持っていないまま社会に出ても、それから先どうなるんだろう、と不安に思ったからだ。先生は「所沢のリハセンターなら、勉強もできるし、資格も取れるよ」と言うが、そこは障害者ばかりが集まる場所であり、そこから外に出ていった時にどうなるのかと思った。そして先生に「自分が何がやりたいかはまだはっきりわからないけれど、普通の人の行く学校に行きたい。その場所をこれから自分で探します」と伝える。性格上、人に敷かれたお決まりのレールをそのまま進んでいくのはどうしても嫌だったこともあった。

〈和文タイプの専門学校、そして一般就労〉
  それから半年ぐらい、何をやるかを考えた。「自分に何ができるだろう、車いすだし、力仕事はできないし。ただ車の免許だけは持っている」。その時、和文タイプを思いつく。今はワープロが普及しているが、当時はそうでなかったので、タイプの仕事の需要はまだたくさんあった。そこで和文タイプの専門学校へ入ることにする。電話で車いすでも大丈夫なところを探した。駐車場があるところ、エレベーターがあるところ、段差があってはいけないところといった条件を満たす必要があった。一つだけ、お茶の水にある富士タイピスト学院というところが、受け入れてくれた。2年くらい経過し、ある程度タイプが打てるようになると、先生から、検定を受けるように言われる。しかし申し込みをすると、「あなたがやるんですか。うちではまだそういう例がないので待ってください」と言われ、しかもいくら待っても返事がもらえない。学校側も見かねたのか、「あなたはもうタイプができるから、職安に行ってみてはどうか」とアドバイスをくれる。職安で、2つの職場を紹介される。1つはA銀行で、タイプと電話の交換を兼ねた仕事だった。もう1つは、川口市の商品パッケージを作る会社で、機械を使ってパッケージの元になる製図を書く仕事だった。A銀行は自宅から距離が遠いため負担が大きいこと、また、職場で意地悪された話なども聞いていたため気が進まず、川口の会社の面接を受けた。「タイプ検定なんかいらないからすぐに来てくれ」と言われ、即、働くことになる。実際の仕事は、製図器に図面を見ながら数字などをタイプで打ち込んでいく仕事であった。

  これら事例は、何を基に職業選択を行っているのだろうか。長沼の文献と第2節で述べた「働く価値」を参考にして、仮に、本人の職業興味や関心によるものを「内的基準型」、能力や適性など、就職先の求めに応じたものを基準とする場合は「外的基準型」、それらが合わさったものを「複合型」としよう。そうすると、事例1、3は「複合型」、事例2、4、5は「外的基準型」と分類できる。つまり事例1と3は、それぞれ「職業興味」や「働く価値・目的」がはっきりしており、それを優先的に考えたうえで「障害状況」も鑑みて職業選択を行っていることがわかる。それに対して2、4、5は、「障害状況」から「できる仕事」を割り出している。「内的基準型」は一人もいなかった。ちなみに健常者の職業選択はどうであろうか。次に、参考までに同じ分類を用いて健常者の職業選択の要因を分析してみよう。

(2)健常者の職業選択
  「なりたい自分を探せるしごと情報誌」というキャッチフレーズの「salidaサリダ」という情報誌の2001年10月22日発行には、〔みんな、何で働くの?もう一度考えてみよう「わたしなり」の働く意味〕という特集が組まれている。
  それによると、20代〜30代前半の女性50人に「今まで働く理由を考えたことがありますか?」という質問をしたところ、「はい」と解答した人が17人、「いいえ」と答えた人が33人という結果であった。「はい」と回答した17人に対して、「なんで働くのか」について具体的な質問をし、その理由を明らかにしているので紹介をしたい(表1)。

 表1http://www.arsvi.com/2000/030900t2.xls

  これらの事例は、20代〜30代の女性に限定されており、それを健常者一般に普遍化することは無理があるが、《障害》の有る・無しによる違いを知るヒントにはなるだろう。 
まず事例10、11を除いてすべて「内的基準型」であることがわかる。事例10、11は、それぞれ「心臓ペースメーカーの使用」、「体力の問題」を理由に仕事を絞りながらも、「自分の世界を持つ」、「仕事を通して成長したい」という自分なりの目的も持っており、「複合型」に分類できるのではないだろうか。
  これら結果から、障害者は健常者に比べて、自分の興味や関心などの内的基準に基づいて職業を選択することが極めて少なく、まずは障害があっても可能な仕事が選別され、なかにはそれが本人の職業興味や目的と合致することもある、といった程度にしか本人の希望や意志は反映されていないことがわかる。

4 障害者の就労形態
1)一般就労
  賃金の助成や特別な保護的な職場環境の提供を受けないで競争的な労働市場に参加することであり、企業や官公庁と雇用関係を結んで採用される「雇用」のほかに、自営業や内職などを含む「在宅就労」が含まれる。一般雇用の形態は、官公庁や企業などの通常の雇用の場の他にもいくつかの方式がある。1つが「重度障害者多数雇用事業所」である。これは「障害者の雇用の促進等に関する法律」による助成金を受けて、一定数以上の重度の障害を持つ人を雇用する。2つめが「特例子会社」である。これは、親会社が、同法の雇用率制度や納付金制度の上では同一の事業所と見なされる子会社を設立して障害者を雇用する方式である。子会社と見なされるには一定の要件35)を満たすことが必要だが、親会社にとっては雇用率や納付金制度の面で利点36)があるために障害者は雇用されやすく、特に、大企業における障害者雇用の有力な手段となっている。3つめが「第3セクター」方式である。これは、地方公共団体と民間企業が共同出資して「第3セクター」を設立し、地方公共団体が加わりながら各種の助成金37)を活用して重度障害者の雇用を促進することを目指している。

2)保護雇用
  ILOの第99号勧告(1955年)が障害者の雇用の形態の1つとして示したものである。競争的な一般雇用が困難な場合に、雇用主との雇用関係を結びながら、賃金の補てんや担当職員の人件費、施設や設備の改善、運営に伴う経費などを補助しつつ、雇用の継続に向けた保護を行う方式である。わが国では「福祉工場」がこれに該当する。しかし「福祉工場」については「福祉的就労」として位置づけている文献もある38)。「福祉工場」で働く場合には労働法規が適用されるため働く人の身分保障がなされるが、先に述べたような保護的な配慮もなされており、「雇用」でありまた「福祉的配慮」もなされる場と言える。

3)福祉的就労
  福祉的就労とは、一般雇用に適応が困難な障害者の働く場であり、授産施設(社会就労センタ−)や小規模作業所39)などがそれにあたる。設置目的や運営方針は様々である。
授産施設の種類は下表のとおりである。授産施設の役割については身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健法、生活保護法、社会事業法、それぞれの法律に根拠規定がある。また授産施設の主たる機能は、障害者の労働能力の評価や開発機能、さらに生活自立訓練と生活援護機能である。
現在の授産施設や福祉工場の問題はいろいろと指摘されている。それに対して小規模作業所は、学校卒業後あるいは病院退院後の成人障害者の働きたいという願いを実現するとともに、一般雇用における就労率の低さや授産施設や福祉工場などの福祉的就労に対する施策の不十分さを補う社会運動として設立されてきた経緯がある。そこで次に授産施設、福祉工場の問題点と小規模作業所の意義について整理しておく。

福祉工場、授産施設の問題点
  福祉工場、授産施設における意義については、これらが障害者の働くニーズに合わせた就労の場であることであろう。特に福祉工場については、労働法規が適用されるため、身分や最低賃金の保障がなされることの利点は大きいと思われる。しかし様々な問題点が指摘されている。それらについて以下に整理した。

(1)一般雇用への移行率が低い
  少々古いデータになるが「平成4年度授産施設・福祉工場実態調査」40)によると、授産施設利用者の「雇用率」(退所者中の就職者の比率)を推計している。それによると、授産施設全体では2.2%、身体障害者授産施設1.8%、身体障害者通所授産施設3.4%、重度身体障害者授産施設1.0%、身体障害者福祉工場3.0%、知的障害者授産施設(入所)2.6%、知的障害者授産施設(通所)2.2%、知的障害者福祉工場2.1%、精神障害者通所授産施設8.6%であった。現在においても授産施設・福祉工場などの社会福祉施設における一般就労への移行率はきわめて低い。雇用可能性のある利用者が授産施設にいるとすれば、障害者を保護的環境に閉じこめてしまっていることに他ならない。それらの社会福祉施設では一般就労へ移行するための積極的な方法が取られているとは言い難く、利用者にとっても、一般就労へ挑戦したとしても失敗したときのセーフティ・ネットが存在しない現状のなかではリスクを背負いたくないという気持ちがあるものと思われる。

(2)作業内容の付加価値生産性が低く、工賃が低い
  福祉的就労は「収入」よりむしろ「自己ニーズ達成」に目的の焦点があてられた特殊な就労形態である41)。付加価値生産性を向上させ、今よりも高い工賃が得られるための努力はできる。その努力によって、そこで就労する利用者はより経済的に充足でき、自然な就労状況に近づくことができる。
  授産施設における平均工賃額は、昭和63年時点では、生活保護授産施設が5万872円、社会事業授産施設が4万3291円、身体障害者授産施設が2万8107円、身体障害者通所授産施設が2万3417円、重度身体障害者授産施設が1万8489円、精神薄弱者授産施設(現知的障害者授産施設)(入所)が9738円、精神薄弱者授産施設(現知的障害者授産施設)(通所)が9808円、精神障害者授産施設(通所)が4365円となっている42)。工賃の低い理由として限界生産力が低いことが考えられる。それが一般企業に就職しにくい原因でもある。だから社会福祉施設では付加価値を上げることが難しい。「付加価値とは、経済活動によって作られた新たな価値であり、ここから賃金と利潤がでる。付加価値が小さければ、高い給与は出せず、赤字経営になることもある。要するに、一般市場では採算にのらない活動である」43)。
  授産施設の作業種目については、縫製、紙(加工)製品、その他の製品、農耕・畜産・園芸、木工、電気器具、印刷、プラスティック製品、機械器具、簡易作業、食料品、サービス業、金属製品、陶芸、クリーニング等である44)。軽作業や簡易作業が主たる職種となっている。作業種目については、受注が不安定であり、前近代的な業種であるとの指摘がある。
  したがって生産性向上のための施設・設備の改善をしたり、経営のあり方を見直したりするなど、所得が増えるようなインセンティブを設けることは、経営効率の向上のために有効なものであると考える。

(3)利用者の労働法規適用の問題
  授産施設については、施設に就労する障害者と法人理事長とのあいだに雇用関係は成立していないが、授産施設の実態をみると、そこには「使用従属性」がみられるため労働基準法の適用を受けるべきではないか、という指摘がある45)。
  「労働基準法では、『労働者とは、職業の種類を問わず、前条(第8条)の事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう』(第9条)と定義され、『労働者性』の有無は、@使用される(指導監督下の労働)者であるか否か。Aその対償として賃金が支払われるかどうか」で判断される。
  授産施設で就労する障害者は、次の諸条件をすべて満たすため、労働者性はないものとされ、雇用関係は成立しないとみなされている。その条件とは
「@ 作業への出欠、作業時間、作業量などが自由であり、施設においては指導監督するものがないものであること、特に、作業量が予約された日に完成されなかった場合にも、工賃の減額、作業品割の停止、資格の剥奪などの制裁が課せられないものであること
  A作業によって加工すべき品目について、技能を考慮して授産施設において割り当てるものであっても差し支えないが、同一品目の工賃が、技能により差別を設けず同額であること、また、授産施設の場内で作業をする場合と場外で作業する場合とによって工賃に差別を設けないものであること
  B作業収入は、その全額を、障害者に支払うものであること
  C授産施設の運転資金、人件費、備品費、営繕費その他の事務費又は固定資産の償却などの経費は、施設の負担においてなされること」
である。しかし授産施設の実態は「作業工賃は、一律ではなく、個々の障害者の作業能力に応じて支給され、作業時間・作業量などが障害者の自由裁量に任されているとは言えない」などの状況が指摘できるため、「『使用従属性』がみられることから、労働基準法の適用を受けるべきである」という指摘である。
  しかしそのための課題として、「一般労働者とのあいだに極めて大きな格差としてある労働条件の改善があげられる。それには経営戦略の能力を高め、全体としての生産性の向上を図る必要があり、次のような条件整備対策の実施が求められる」としている。
  「@企業的な経営手法の導入による経営方針の改革、A障害者比率の見直し(障害者と障害を持たない者の比率は、少なくとも半々程度が望ましい)、B多様な仕事を可能にするに十分な受注の確保(質・量ともに)、C仕事を遂行するために必要な基礎的知識・技術の付与・向上、D仕事を通じた一般企業への移行の可能性を高めるための能力の開発・向上、E施設・設備の高度化、F障害の特性に応じた施設・設備、障害補完などの機器の発達、G新製品の開発、技術的な支援、H製品の販路の確保・拡大、I経営戦略に対応した職員の能力開発・レベルアップ」である。それらが実現されれば「労働生産性については、障害者の労働力に加えて、障害を持たない人の労働能力、施設・設備、環境、障害支援機器などの総和となるため、飛躍的に全体としての生産性を高めることが期待できる、障害のある人とない人が『共に働く場』」としても期待できる」としている。

(4)絶対数が不足し、地域的に偏在している
  福祉工場については次のような指摘がある。「平成4年10月時点で、身体障害者福祉工場は28か所、精神薄弱者福祉工場(現知的障害者福祉工場)は11か所が設置されているにすぎない。前者は約半数の県で、後者では4分の1の県で設置されているにとどまっている。合計しても2000人の障害者が就労しているにすぎず、その絶対数は少ない」46)。
  また授産施設についても、「平成2年時点でみていくと、身体障害者授産施設は、北海道・東京都等を除くと、各府県に1〜3か所程度しか設置されていない。設置されていない県も14県あった。重度身体障害者授産施設についても、各都道府県で1〜4か所が設置されているのがほとんどであり、設置されていない県が4県あった。身体障害者通所授産施設は、東京都・神奈川県・愛知県・京都府・大阪府兵庫県などを除き1〜3か所の設置がほとんどである。設置されていない県も12ある。精神薄弱者入所授産施設(現知的障害者入所授産施設)は、1県を除いて設置されているが、大半が4か所以下の設置数である。精神薄弱者通所授産施設(知的障害者通所授産施設)についても1県を除き設置されている。この授産施設は、他の種類とは異なり、大都市部を中心に多数設置されている。ともあれ、授産施設は、全国にある約3000の市町村のうちで、約500の市区町村にしか設置されていない」47)。
  このような福祉的就労の場の、絶対数の不足や地域的な偏在は、福祉的就労の場が、障害の種類や程度が限定されたものであることとも相まって、就労に結びつくことのできなかった多くの重度障害者を在宅や病院などに閉じこめる結果となった。
  そうした、学齢期を過ぎ、成人期に到達した重い障害のある人たちの働き・成長できる機会や仲間づくりを求めて、市民の手探りで生まれたのが小規模作業所である。

小規模作業所の意義と問題点
  小規模作業所という呼び名の由来をたどると、地方自治体行政における、補助金制度の施策のなかで使われたのが最初であるが、その後、こうした作業所が授産施設と中味が類似していること、さらに通所者数や施設規模が比較的小さいことなどから、関係団体間において「小規模作業所」や「小規模授産施設」などの言葉が使われ始めた。しかしその自主性、柔軟性、独自性などは、従来の授産施設のあり方と大きく異なることから「小規模作業所」の呼び名の方が好んで使われるようになった。「小規模作業所」は、行政の取り組みに従属したり、またその取り組みから疎外されたりするものではなく、あくまで対等性を主張する立場にある。その取り組みの特徴について以下に整理をする。

(1)共同福祉の場 
  園田は、「共同福祉(community care)」という概念は、すべての人びとが、地域社会において、相互の理解を深め、共通の目標や価値を守り・伸ばし、共に生きる・連帯的な関係を目指す福祉、という意味付けをし、従来の、地域社会における社会福祉施設などに拠点を置いた福祉的なサービスのあり方については「地域社会を基盤としたケア(community based care)」「地域社会でのケア(care in the community)」として区別することが妥当ではないかとしている。そして共同福祉の具体的な動きとして、小規模作業所の取り組みを紹介している48)。
  小規模作業所の取り組みは、1969年に、知的障害者を対象として、愛知県名古屋市にその第1号が誕生したのを皮切りに、およそ30年間のあいだに、全国に4千を越える数に広がっていった。そしてそこに通う障害者の数も7万人にものぼると推計されている。その取り組みは、養護学校を終えても働くことが困難とされた知的や身体に障害のある人、そして施設や病院を出た後、放置状態におかれてきた精神障害の「回復者」などが、仕事をしたり、仲間づくりをしたりするなかでひととして成長できる場がほしいという、当事者やそれを支える教師や医師や看護婦や一般市民のボランティアなどの願いが1つになって、試行錯誤を重ねながら進んできた。
  小規模作業所と地域社会との関わりについては、1989年に東京都と神奈川県の作業所266か所を対象として行われた調査の結果をみると、作業所を開設したり運営していくことで地域からの反対を受けたことがあったかとの質問に対して「あった」とした作業所は全体の11%にすぎず、障害の種類によって差異はなかった。反対運動の内容として、障害者への不安・こわさ、住民への迷惑がかかることへの不安、地価が下がること、設立時に住民の意見を聞かなかったこと、などが挙げられていた。また小規模作業所からの地域への積極的な働きかけとしては、バザーの実施が7割、作業所だよりや新聞の発行と配布が6割、廃品回収が2割程度の作業所で取り組まれている。その他、地域行事やまつりへの参加、作品展や文化祭や講演会の開催、近隣の道路や公園の清掃、コンサートの開催、街頭募金活動などさまざまな活動が展開されていることが明らかにされている。
  さらに全国精神障害者家族会連合会が1987年に全国の精神障害者の作業所306か所を対象として実施した調査においても、同じような結果が報告されている。つまり作業所の設立に関して一般住民の否定的な反応が懸念されたにも関わらず、そのような動きは1割にも満たず、周辺住民への説明や働きかけを通じて、多くの場合は理解を獲得していた。むしろ、地域の人々が作業所の設立・運営に積極的に協力してくれる場合は全体の4割近くあり、反対の動きに比べて協力的な動きの方が多い、という結果だったのである。
  園田は、こうした小規模作業所の取り組みについて、次のような理由から、今後の動向が極めて注目されるものであるとしている。
「@障害者たち自身やその親たち、そしてそれらを支援する専門職や一般市民の有志たちによる自主的で、自発的な動きにより誕生し、発展してきているものであること
  Aそれはたんに行政や社会に行政や社会に要求をしたり、依存したりするというものでなく、障害という重い課題をもっている人々を主体とした連帯的な、共同の活動が中核となっていること
  Bそれが障害者の仲間うちの集いや結びつきにとどまることなく、地域の一般の人々との交流や、新しいコミュニティづくりの結節点としても積極的な役割を果たしてきていること」
  小規模作業所の取り組みは、障害者を主体として目標を持って成長しようとする、自発的・自主的に生まれた連帯・共同の活動であるとともに、小規模作業所は、地域を巻き込み、地域が「障害」を理解し受け入れ、地域とともに発展する、まさに「共同福祉」を創出してきた場であるということができる。

(2)支え合いの場 
  障害者にとって、小規模作業所における活動はどのような意味を持っているのであろうか。「ひろがれ共同作業所」49)には、作業所における実践事例が紹介されていることから、それらを参考にしながら考える。

〔事例1〕
  広島にあるもみじ作業所に入所する重度肢体不自由の障害を持つ幸子さんの場合である。幸子さんは、当時31歳。アテトーゼタイプの麻痺があり、手指の巧緻な動きを使用とすると身体全体に力が入ってしまい、つまみ動作すら困難な状態にあった。養護学校を卒業後在宅となり、家でタイプアートやタイプで手紙を打ったりして1日を過ごしていた。
  幸子さんが最初に取り組んだ仕事は、プラスチックのもぎ取り作業だった。これは成型されたプラスチックの部品をもぎ取り、種類別に分け、数をかぞえて袋に入れる仕事である。車いすから降りて横になり、部品を左手と右手に持ち、右手で引っ張ってもぎ取る。それが彼女にとって初めての仕事であり、自分にもできる仕事があることにうれしさがこみ上げた。その後幸子さんは、仲間とできないことを補強しあいながら1つの作業を行ったり、さらに自助具を使ったりすることで、できる仕事を増やしていった。作業所はこれらの取り組みから「@作業工程を障害の重い仲間にもできるように分けること、A労働集団のなかで障害の重い仲間への援助者を位置づけ、作業の流れをスムーズにし、お互いの学びあい育ちあいを大切にした集団づくりをしていくこと、B可能性の追求として自助具の工夫をしていくこと、C意欲の持てる労働内容、またより高い生産性の追求できる新しい仕事の開拓にも意欲的に取り組むことを、確認した」、「重度肢体障害者への労働実践の成果としては、まずとても働けないと思われていた彼女に対して作業の工程を分けることや、知恵おくれの仲間とコンビを組んでの集団労働や、自助具の使用によって、働くことを保障できたことがあげられます。またそのことは、単に働くことができたということにとどまらず、生きていく上での大切な自信や意欲や積極性を引き出した」としている。

〔事例2〕
  精神障害のある澄子さん(当時50歳)は、中学生の頃に発病し、18歳より入院し、入院生活が30年間続いた。入院中、一番嫌だったのは電気治療だそうである。舌をかまないようにタオルをくわえてヘッドホーンみたいなものを頭につける。ビービーという瞬間とともに気を失い、後は覚えていない。澄子さんは「こわくて、いやで、暴れて逃げたけど、力ずくでベッドに寝かされてしまう。早く退院したくて、お母さんに手紙を書き続けた」と振り返る。
  澄子さんが東京にあるあさやけ作業所に入所したとき、長らく社会との接触が断たれていたために、洋服が乱れていても気にしない、トイレに入ると外に出てからスカートをあげる、おやつが出ると我先にとっていくなど、驚くような行動が見られた。
入所後1年経って、ミシンの作業に取り組むことになった。最初は「触ったことがないからできない」と拒否する。日をおいて何回か誘いかける。ようやく「やってもいい」ということになった。しかし、失敗する度に「できないからやめる」「やりたくない」と言う。その度に、職員やミシン班の仲間から励まされ、練習を続けた。意欲は人一倍あり、半年後には、電動ミシンでエプロンや防災頭巾が縫えるまでになった。予想外の上達ぶりに仲間たちから「上手」「すごい」と評価され、本人はとてもうれしかったようである。
そのことは自信と意欲に繋がり、表情が明るくなり、よく話をするようになった。入所して3年目、澄子さんの目に見える変化に、病院側が退院の方向を打ち出す。しかし母親の急死で中断した。単身生活は難しいだろうという判断から、救護施設の方向を検討し、1987年4月、30年間過ごした病院生活にピリオドを打ち、施設に入寮することになった。

  2事例とも、もし小規模作業所と出会わなかったら、在宅・精神病院に閉じこめられた生活をいまも送っていたかもしれない。幸子さん、澄子さんは、小規模作業所で、仲間の支えや工夫により、できないと思っていたことができることがわかったり、役に立てた経験から、自分に対する自信や意欲が引き出されたのである。

(3)設備、報酬などに関わる問題
  小規模作業所には、上述してきたような良さがある反面、利用者工賃の低さなどが指摘されている50)。利用者の工賃については、1998年に行われた小規模作業所実態調査によると、利用者一人あたりの月額平均工賃が4,724円である。工賃を時間給で見ると、時間給200円未満が83.3%、さらに100円未満が53.8%である。また時給500円以上は3.9%となっていた51)。
  また作業所の職員は、利用する障害者の生活を守り、発達を指導・援助する役割や、仕事の確保、取引先企業との交渉、自主製品の開発・販売、運営にかかわる財政実務、運営委員会をはじめとした諸会議の準備など、果たさなければならない役割は非常に多いにも関わらず、一作業所あたりの職員数の少なさ(常勤が2.3人、非常勤が1.4人、賃金などの労働条件の面ではボランティアに近い状況の者も含まれると見られる)52)や、給料の少なさも指摘されている53)。 
  その他、運営資金の調達が難しく、助成金や寄付金に頼っているところが多いが、それでも生産性をあげるための設備作りをするうえでは十分ではなく、結局は、利用者や職員の収入の少なさや職員の過重労働に繋がる結果となっているようだ。

4)共働事業所
  現在、数としては決して多くはないが、「共働事業所」として障害者の就労の場づくりをしているところもある。共働事業所は、障害者自身による福祉的就労に対する強烈な批判から出発したものであり、雇用関係の実現を目指している。共働事業所の基本理念は、「障害者を訓練することを目的化せず、障害者・非障害者の新たな共働関係を求めている場」、「障害者の労働保障を明確に目的化した場」、「収益性のある仕事を行い、一定程度の分配を可能にしている場」の3つが指摘できる。
  「共に働く関係」とは、働くなかで「能力差」に基づいた意志決定関係を築かないことであり、障害者も健常者も対等な関係で働き運営するということである。つまりそれは、障害の有無にかかわらず人間は平等・対等であるということと「能力主義の否定」の主張がその背景としてある。
  「障害者の労働権保障」とは、障害種別やその「軽重」を問わず保障していくということである。現在の障害者の就労政策において「労働」の可能なものは「労働市場」へ、なお就労可能性が高まりうるかも知れないものはリハビリと訓練の場である「福祉的就労」へ、それができないものは「福祉」へという裁断、人間社会の分割への強烈な批判が込められている。
  「社会経済的自立を目指す事業体」とは、「経営的」自立を図れるかどうかということである。それは、障害者が社会のなかで、慈恵の対象でなく、自立した個人としてあるために必要なことである。そのためには個人が属する就労の場あるいは生活の集団が社会的経済的に自立している必要がある。しかし障害者の労働生産性は低く、一般企業との競争関係のなかで生き残っていくことは大変な困難が伴うことでもある。だから実際の問題として、共働事業所の社会経済的自立を支える制度政策が求められている。現在、共働事業所の多くは、さまざまのネットワークを形成し、運営努力を補完するさまざまな公的な助成や補助を得ることを前提として存立している54)。

5 《障害者》が《働く》ということ 
  第1節では《障害》は人々に何を喚起し、障害者/健常者という分断を生むのかを考えてきた。
  障害がないとされる人々は、《障害》に対して、「気味が悪い」「恐い」「かわいそう」「できない」などのマイナスの感情を抱きやすく、それは障害者の価値を引き下げることになる。価値の引き下げられた人になされることは、「排除」や「成長を期待されないこと」、「生活のコントロール力(決定権)が失われること」である。一方、障害があると見なされた人は、そうした健常者の態度によって「自己否定感」を募らせたり、「様々な経験、能力開発、学びの機会が与えられなかったり」、「生活の決定権を他者に委ねなければならなかったり」する危険がある。さらにそれらはループをなしているかも知れない。つまり経験機会が与えられないから、能力開発や発揮の機会が得られず、結果として価値の引き下げや排除が生じ、自己否定感募らせざるを得ない、というループである。
  また、障害者の就労を支援する立場の者であれ、健常者本位の社会を維持し、障害者を排除するための装置になり得る、という問題提起を行った。

  第2節では、《働くこと》について、またその行為に、どのように「能力主義」や「差別」が関係してくるのかについて述べてきた。
  《働くこと》には、「物質的報酬」「社会的存在証明」「自己実現」という3つの意義があることを述べた。またそれらのどこに比重を置いて働くかは国によっても個人によっても異なる、ということを確認した。
  人はとかく、いい生活がしたいし、価値のある人間と認められたいものである。雇用主は、沢山の儲けがほしいから、商品価値の高い、より付加価値生産性の高い労働力を雇いたいのである。
  それによって「能力主義」が生じる。そして、第1節で述べたような障害に対するマイナスイメージによる「差別」とも相俟って、障害者の労働市場からの排除がなされる。仮に一般就労できたとしても、健常である勤務者に比べ、昇進や収入アップの機会が乏しく、研修への参加や他の部署を経験するなどの能力開発の機会に恵まれないなどの問題点は既に指摘されていることである55)56)。

  障害者の就労状況については、障害の種別によっても異なるが、およそ在宅障害者の2〜3割が就業していることがわかった。そのなかで経済活動年齢・生産年齢にあるものは身体障害で4割程度、知的障害で7割程度であるから、経済活動年齢・生産年齢にある人のなかでの割合はもう少し増えるであろう。その内訳として、民間企業雇用者は20,000人程度、特殊法人が1,400人程度、国・地方公共団体が50,000人強といったところである。民間企業では軒並み雇用率を下回っている。また社会福祉施設で働く障害者は、身体障害者で15,000人程度、知的障害者では50,000人弱、精神障害者は4,000人程度であり、数は少ない。そうしたなか、障害者自身あるいは家族などが、働く場、あるいは日中の過ごし場所を求めて増えてきたのが、小規模作業所や共働事業所である。それは法制度上、しっかりとした機能分担がなされ、障害者の就労に向けた綿密な支援体制が組まれている状況においてもなお、改善され難い現実であると言える。
  そうしたなか、障害者は、その障害が職業的に重度であるほど、差別(障害に対する否定的なイメージ)と能力主義によって、「報酬」とその人の「価値」に結びつくような労働の機会からの排除や、職業選択の際にも、障害が優先して考慮されるために、興味や関心により職業を選択することが極めて少ないことがわかった。
  こうした健常者本位と言える支援のあり様や就労のかたちにより、「価値ある人間として認めらたり」「収入を得る」といった人間としての当然の欲求から、不当に、そして周到に排除されたり、自分の職業興味を十分に反映させたかたちでの就労がなされずらかったりすることは、当事者にとって、少なからず、自分を否定的に捉えたり、力がないと感じざるを得ないものではないだろうか。
  筆者が本論文で考えたいことは、障害を持つ当事者が、就労に何を望み、何があれば自信を持てるのか、ということである。そこで次章では、障害者自身が、障害者就労の現状をどのように受け止め、何のために、どのように変えたい、あるいは変えたか、を知るために、障害者運動体が発行した機関誌、「そよ風のように街にでよう」を過去30年遡り、障害者が働くことを巡って何を言ってきたのかを分析していく。




  
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第2章 当事者視点による障害者就労の課題
―当事者に定位した障害者就労関連記事のKJ法による分析―


第1節 研究の概要

1 問題所在・研究意義
  昨今、わが国における障害者就労は、厚生省、労働省の一本化や、平成15年度実施の、社会福祉基礎構造改革の障害者福祉分野への導入等により、大きく変化しつつあると同時に、法定雇用率制度に説明されるような、わが国に固有の障害者雇用システムに対する批判は数多くなされ57)58)59)、日本障害者雇用促進協会においても、障害者就労支援の方途についてあらゆる角度から研究がなされている60)。それらは、企業側の理解を求めたり、新しい就労支援の方法やシステムの改善策、法・制度への提言であったりするなど、本人要因の改善に加え、社会・環境要因の改善を模索する動きとして解釈できる。
  しかし第1章でも見たように、障害者の就労の現状は、「差別」と「能力主義」という2重の要因によって、ノーマライゼーションの理念が実現したものとは言い難い。また、理念の実現を目指して障害者が健常者と同じような生活を求めたところで、挫折と敗北の繰り返しになり、障害者自身が自己否定や劣等意識を再生産するにすぎない危険も内在している。
  このように複雑かつ深い問題性を孕む障害者就労の領域であるが、働くことに関して障害者自身の声、言葉が整理された先行調査・研究はほとんど皆無に等しい状況である。2で述べるが、就労支援機関や障害者授産施設を運営する社会福祉施設、あるいは小規模作業所の分野において、雇用・就労後の満足度・評価や自信・態度、興味、希望等について意識調査がなされている以外には、当事者としての障害者自身がこうした状況をどのように受け止め、何のために、どのように変えたい・変えたか、がまとめられた先行研究は存在しない。しかし今後、障害者就労の改善を図るうえで、当事者視点からその問題点と改善点を掘り起こすことの必要性は必至のことであろう。なぜなら、そうした状況が、そうした状況に置かれた人々にどのような感情を呼び起こし、苦しめるものであるのかは、当事者にしかわからないこと、だからである。またそこに述べられる改善案は、当事者にとって必要なものであり、障害価値を肯定的なものに変換しうる何かを持っていると考えられるからである。
  データ収集の方法として、著者の当事者へのインタビューという方法を検討したが、著者のインタビュアとしての経験の不足や、当事者自身の問題意識の掘り下げが不十分である可能性も考えられたため、より深い問題意識を探るために、障害者運動体が発行する機関誌のなかの「障害者就労」に関する記事を対象データとした。また、課題抽出を目的として、仮説発想の方法であるKJ法を用いて分析を行った61)。

2 先行調査・研究
  過去10年間の、就労に関する当事者意識についての調査・研究について調べた。社会福祉系の研究論文については、社会福祉学会検索システムを使用し、医学・リハビリテーション系の研究論文については、職業リハビリテーション、職リハネットワーク、総合リハビリテーションのバックナンバーを検索した。また、福祉的就労分野では、全国社会就労センター協議会、共同作業所全国連絡会、就労支援に関わる機関では、日本経営者団体連盟、日本障害者雇用促進協会、国立身体障害者職業リハビリテーションセンター研究紀要、障害者雇用支援センター、当事者の労働に関する研究会では、障害者労働研究会、の各機関・団体において就労に関する当事者意識についての調査・研究がなされたかどうかを調べた。それらをまとめたものが表2−1、2、3であり、全部で8つの調査・研究があった。
  それらを、目的を縦軸、質問内容を横軸にして整理したものが表3である。目的については、すべてが、「一般就労・就労支援」、「授産施設」、「小規模作業所」、それぞれの分野における「現状改善のための資料」を得ることを目的としているため、表のようにした。質問内容については、「満足度・評価」、「目的」、「自信・態度」、「興味」、「〜観」、「希望・予測」「その他」に分類し、あてはまる枠内に、表1の調査・研究の番号をあてはめた。また、目的の「一般就労・就労支援」、「授産施設」、「小規模作業所」のなかには、それぞれに該当する表1の調査・研究の番号を入れた。
  これらは、現状の障害者就労・支援システム内のそれぞれの場において、当事者意識を探り、それらを反映した就労支援のあり方を検討するための調査・研究であることが共通している。本研究における調査の目的は、《障害》と《働くこと》を巡って、《障害者》自身が《自己肯定・有力感》の方向へ導かれる何かを探しだすこと、である。それには、健常者と同じ就労形態やキャリア発達を目指すことを前提とはせず、そうした、健常者に価値が置かれた視点そのものを問題の射程に据えた、働くことに関する障害者自身の声、言葉を整理する必要があるが、そうした視点からの先行研究・調査は現在のところ存在しないことがわかる。

 表2・3http://www.arsvi.com/2000/030900t3.doc

3  対  象
  対象は、障害者問題資料センターリボン社より発刊されている「そよ風のように街にでよう」という雑誌のなかから「障害者就労」に関する記事を取り上げた。
「そよ風のように街にでよう」は、障害のある人もない人も共に学び生きる、そういう社会を目指して1979年に創刊された。毎号、教育・労働・介護・性など幅広いテーマで特集を組んで全国各地を取材するほか、身近な問題に直言する「シリーズ風論」、学校や市民活動の生の声を届ける「現場百景」などの企画がある。「おおげさに身構えたり深刻ぶったりしないで、私たちの日常の生活と想いがある所から出発しよう」というのが本誌の姿勢である。
  次のような6つの「編集の指針」(@障害者自身の立ちあがりをよりどころとした本づくり、A障害者や家族、また、それらをとりまく人たちの声をよりどころとした本づくり、B頭の中だけにとどまることや、言葉の乱用をさけ、身体と実感に支えられた本づくり、C社会の動きや差別のありように、しっかりと向きあった本づくり、Dさまざまな動きの中から、みんながともに歩ける道すじをつくりあげる本づくり、Eみんなが、どこででも、だれとでも、活用し話しあえる本づくり)をもとに、「障害のある人、ない人、いろんな職業を持つ人、持たない人」が集まり、1回/月程度、編集会議が開かれるということである。
  つまり本雑誌の特徴として、@〜福祉業界や家族のための雑誌でなく、当事者に定位したこと、A障害を持つ当事者が主体的な関わりを持っていること、B社会の動きや差別にしっかりと向き合っている、C誰もが対等で、共にある社会を目指している、などが挙げられる。したがって、本誌には、障害価値を否定から肯定へ変換する障害者就労の道すじが示されていると考えられ、研究の対象とした。

4 研究方法
  雑誌「そよ風のように街にでよう」No.1(1979)〜 No.64(2000)(2、4、10、11巻は廃刊のため除く) までを対象とし、「障害者就労」に関する記事を抜き出し(資料)、さらに、「障害者の就労に関して、どのように受け止め、何のために、どのように変えたい、あるいは変えたか」について述べられている文章についてカード化、それらカードをKJ法の手順に従って分析した。

 資料:http://www.arsvi.com/2000/030900t4.doc

第2節 結果と考察

  カードは237作成された。それらは「希望する就労のかたち」(81枚、34.2%、表4〜6)、「健常者との関係において望むこと」(84枚、35.4%、表7〜9)、「障害者が行っていくこと」(83枚、35.0%、表10〜11)の3つのグループに分類された。なお、表に付した文章番号は、資料内の文章に付してある番号に対応している。

 表4〜http://www.arsvi.com/2000/030900t5.xls
 図4〜http://www.arsvi.com/2000/030900t6.doc

1 希望する就労のかたち(図4)
  @「共同作業所:誰もが働く仲間として認め合える場」、A「生活の糧は自分の力で得る」、B「障害を武器に就労機会を拡げる」、C「施設生活から社会生活までの段階的システム化」の4つのかたちがあった。
  @は、仕事ができる・できないに関わらず一人ひとりを仲間として認め合い、誰もが楽しく、そして生き生きと働けるような就労の場をつくるというものである。現在の障害者就労のなかでは、いわゆる授産施設、小規模作業所などの福祉的就労がこれにあたると考えられる。
  Aは、「生活の糧は自分の力で得る」というものである。これは「福祉の否定」をすることから始まるより主体的な営みではないかと思われたので、図3のように「福祉の否定」から「生活の糧は自分の力で得る」を矢印で結んだ。
  「福祉の否定」では、福祉として与えられるもの、「障害者頑張ってる」という声かけ、に対する腹の立つ思い、福祉という名目では、商品としてレベルを落とされたり、一度は買ってくれるが長続きしないなど、福祉を否定するニュアンスのカード、それに対して、与えられたものに守られていることも事実であり大切、という福祉を肯定するカードを合わせてグルーピングした。また、それらは相反する関係にあると解釈できたため、次のようなマーク(←→)で結んだ。しかし、福祉を否定するカードがほとんどであること、福祉を否定することは1つの主体的な営みであり、しかも次への主体的な行動を促すものであると判断し、見出しを「福祉の否定」とし、「生活の糧は自分の力で得る」に含めた。また、「生活の糧は自分の力で得る」はいわゆる「雇用」や「自営業」を含めた一般就労にあたると考えられる。
  Bは、「障害があるからこそできること」に注目し、就労の機会を拡げられないかというものである。1つの例を挙げると、6号1981年の事例8の三上さんは、当時、視覚障害者の職業が三療(あんま、はり、灸)に限られていたことに反発を感じていた。全障連楠木さんとの出会いがあり「豊中市就労闘争」に発展、ついに市役所職員として勤めることになった。しかも、「盲人福祉指導員」という新たな職種が生まれた。「現在ある仕事で何ができるかという発想だけでは、今後障害者の就労の機会を拡げるのは難しいのでは」というコメントが付されている。
  Cについては、人間性回復を目指す福祉グループ・ファイブ アンド ファイブという共同作業所スタッフによる、40号1989年のコメントである。現在は単独でやっているが、いずれは、施設、働く小集団の場、福祉工場、社会という、段階的に社会に近づけるシステムを作っていきたい、というものである。

2 健常者との関係において望むこと(図5)

  まず、矢印下の3つ「労働権を勝ち取りたい」「働きたい、やりたい仕事がしたい」「障害に合わせた就労形態・労働の価値を認めてほしい」が、具体的な希望であり、それらは、矢印上の「障害者/健常者の支え合い」に至るための必要な条件として考えられた。
「労働権を勝ち取りたい」の「労働権」とは、それに含まれた文章カードから、3つの意味合いでの「労働権」であると考えられた。1つは、働く権利、2つめが、労動力を不当に扱われない・評価されない権利、3つめが、働く仲間として対等である権利、である。
「働きたい、やりたい仕事がしたい」では、@「自分のやりたい仕事をしたい」、A「働きたい、働くことで得られる心の充実」、B「解雇、就職の失敗、なりたい職業に就けない、「障害者」としての雇用にまつわる諦め、屈辱、泣き寝入り、自信喪失、恥などのマイナスの心情」、C「精神障害者が共同作業に誇りを持てるには?」という4つが含まれた。
  AとBは、マイナスとプラスの心情として受け取れ、それらは相反するものであるから、次のようなマーク(←→)で結んだ。Cについては、共同作業所のスタッフ側の悩みであり(63号、2000)、精神障害者は、共同作業によって満たされるのか、自分の大切な部分だと思えるのか、そうなってほしいが現時点では精神障害者の心・気持ちが見えないという文章であった。つまり障害者の、働くことへの気持ちについての疑問であることから、この分類のなかに含めることにした。
  「障害に合わせた就労形態・労働の価値を認めてほしい」は、労働の価値を認めてほしい、そして、障害に合わせた就労のかたちを工夫してほしい、というものである。
  そして、それらは「障害者/健常者を越えた支え合い」という、当事者の望む、就労における障害者/健常者関係に至るための具体的な改善点であると考えられた。
  「障害者/健常者を越えた支え合い」とは、得られた利潤でどれだけの人間が生活できるか、全体として何をしなければならないかというトータルな労働観でもあり、障害者と健常者が分けられることなく1つのところに集まり、お互いの価値を認め合いながら物事を進めていくかたちである。そしてそうなるための具体策として、まず持って働く機会があること、そして「労動力を不当に扱われない・評価されないこと」「働く仲間として対等であること」「障害に合わせた就労のかたち」であることが必要なのだと考えられた。

3 障害者が行っていくこと(図6)
  「社会の側に改善してほしいこと」と「障害者への理解のために話し合う」は、図6のような矢印で結ばれると考えられた。つまり「社会の側に改善してほしいこと」があるから、それを改善するために「障害者への理解のために話し合う」のであろう、ということである。そして、その目的・目標は、2における「障害者/健常者を越えた支え合い」にあるのではないかとも考えられた。
  「社会の側に改善してほしいこと」として、@健常者が得をし、障害者が悪となり排除される社会構造・訓練を受けるのは社会の側、A制度・施策の改善の要求、の2つがある。
  @については、障害者を拒否し、または働かせてあげる対象とする企業意識・態度、障害者が必要悪として隔離され、障害者支援と言いながら健常者に予算や就労場所が用意される「健全者福祉」社会である、ということで国・社会を指摘するカードをグルーピングしたが、それらは「訓練を受けるのは社会の側」と、原因と結果という関係に結ばれると考え、次のようなマーク(→)で結んだ。また、Aは図5に記載したような具体的な要求を1つのグループとしてまとめたものである。
  「障害者への理解のために話し合う」には、@「対等な関係」を目指し、衝突を恐れず、必要な主張・話し合いをする(これには、仲間同士の徹底した話し合いと行政・企業等の外社会への障害者理解のための話し合いが含まれる)、A障害者個人・連帯で訴え、障害者就労の現状を改善、B労働組合への失望と期待、の3つをグルーピングした。
  @、Aは類似しているが、@は「話し合う」ということに焦点があてられており、Aは、障害者一人ひとりが障害者就労の現状を改善するために立ち上がる必要があること、また、それらが連帯して大きな力になれば、労働組合・行政・企業などを変える力になること、さらに、その目標となるところが書かれてあるカードが集められている。Bについては、労働組合が職制側と交渉する・話し合いをする、という役割を持っていることから、話し合いのサポーターとして労働組合の役割が期待されていると考え、この分類に含めることにした。しかしその反面、労働組合は、障害者を同じ仲間として捉える視点が欠けているという指摘がなされたカードもあり、それらは相反する関係にあると考え、次のようなマーク(←→)で結んだ。


第3節 まとめ

  KJ法による分析の結果、「(障害を持つ当事者が、現在の障害者就労の状況を)どのように受け止め、何のために、どのように変えたい、あるいは変えたか」に関する237枚のカードが、「希望する就労のかたち」「健常者との関係において望むこと」「障害者が行っていくこと」の3つのカテゴリーに分類された。
  「希望する就労のかたち」では、「共同作業所:誰もが働く仲間として認め合える場」「生活の糧は自分の力で得る」「障害があるからこそできる就労をする」「施設生活から社会生活までの段階的システム化」があったが、「施設生活から社会生活までの段階的システム化」は、全体統合のための政策的視点とも言え、就労の内容に望むものではなく、他の項目とは性質を異にすると考えた。
  また「健常者との関係において望むこと」は「支え合い」であり、具体的には「障害に合わせた就労のかたちであること」「働く仲間として対等であるでこと」「不当に扱われない・評価されないこと」であることが明らかになった。
  そして「障害者が行っていくこと」のなかから、障害を持つ当事者が問題と感じていることが、障害者を拒否し、働かせてあげる対象とする企業の態度や意識、そして、現在の社会構造が、障害者が必要悪として隔離され、障害者支援と言いながら健常者に予算や就労場所が用意される「健全者福祉」社会であることにあり、障害者への理解を目指し、労働組合のサポートも得ながら、個人・連帯で、行政や企業などと話し合い、現状改善を目指そうとしていることがわかった。




  
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第3章 障害者が就労に見いだす意義
―障害を持つ当事者へのインタビュー調査―


第1節 研究の概要

1 研究の概要
  第3章では、当事者が就労に何を求め、何があることが自己肯定につながり、力を得ていくことができるのかを明らかにするために事例の検討を行う。対象者は、第2章より、一般就労者と福祉的就労者に加え、「障害があるからこそできる就労」をしている障害者を探した。「障害があるからこそできる就労」については多様な職種を探したが少数であったため、やむを得ず無収入の活動まで対象を拡げた。なお、「障害があるからこそできる就労」をしている人を「新しい働き方モデル」とした。

2 対象者
  一般就労者4名、福祉的就労者(身体障害者授産施設2名、小規模通所授産施設2名)、新しい働き方モデルとして、障害者プロレスラー3名、ピアカウンセラー3名、計14名である。
  障害者プロレスを行う団体「Do」(仮名)は、健常者のなかにある、固定化された障害者観に揺さぶりをかけ、これまでの無理解・無関心な態度に一石を投じること目的として始まった。「障害者プロレス」には、これまで構築された障害者イメージを突き崩す強いインパクトがある、と考えたのである。それは、健常者の「変わったものを見てみたい」という心理を逆手に取った戦略であると言えるかもしれない。しかし、その期待に単純に応えうるものではなく、健常者側にある既成の障害者イメージを大きく変換させる衝撃をも用意している。
  ピアカウンセリングは、CILの活動内容の1つである。CILは、障害者の自立生活を支援する当事者主体の組織である。ピアカウンセリングは、障害を持つ仲間同士で話や気持ちを分かち合うことである。カウンセラーは仲間の話を傾聴し、自己開示も行う。その目的は、これまで否定的なメッセージを送られてきた仲間が、自己信頼や自己肯定感を回復し、自分を主体的に創造する内発的エネルギーを再び獲得することにある。それが、自立生活に向かう主体性につながる。ピアカウンセラーは、当事者の活動のなかから、当事者の手により、当事者のために新たに生まれた職種であるということができる。
その他に、「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ、未踏の美を創り出すことができる」という考えのもと身体障害者が演出、演じる「劇団態変」と、わが国における障害者への否定的な価値観を指摘すると同時に、その否定的な態度に誇りを失った障害者を勇気づけ、納税者になる(コンピュータを武器に仕事ができるだけの技術を身につけ、社会を支える側になる)ことで、その誇りを取り戻していくことを目的として就労支援を行っているNPO団体「プロップ・ステーション」にも依頼をしたが、残念ながら協力を得ることはできなかった。

3 研究の方法
  1) 上記の対象者に対してインタビュー調査を実施した。
  2)インタビューは、あらかじめ作成した調査票をもとに半構造的に行った。質問項目は、@自分を肯定できたり力があると感じられるか否か、Aそのように感じる理由、B活動を始めた経緯・動機、過程、目標、B活動において不当な扱いや評価はないか、働く仲間として対等か、障害に合わせた就労のかたちか、である。
  3)インタビュー内容は許可の上で録音、遂語録を作成し、それをもとに事例検討を行った。

第2節  結  果 − ケース・スタディ・リポート −

  上記対象者に対して調査票をもとにインタビューを行った。対象者の性別は、女性7名、男性7名であった。年齢は、最高年齢が51歳、最低年齢が20歳であり、20代7名、30代4名、40代 2名、50代1名であった。また、生活形態については、親との同居が6名、家族との生活が2名、一人暮らしが6名であった。障害種別は、肢体不自由者が11名(うち言語障害もあるものが3名)、視覚障害者が2名であった。肢体不自由者11名の障害程度については、軽度が5名、中等度が1名、重度が5名であった(軽度:日常生活上、介助をほとんど必要としない、中等度:日常生活に介助を要することもある、重度:日常生活全般に介助を必要とする、とした)。視覚障害者は2名とも全盲に近いか、全盲である。事例1〜4が一般就労者、事例5〜8が福祉的就労者(事例11、12が身体障害者授産施設通所者、事例13、14が小規模通所授産施設通所者)、事例9〜14が新しい働き方モデル(事例9〜11が障害者プロレスラー、事例12〜14がピアカウンセラー)である。(表12)

 表12〜http://www.arsvi.com/2000/030900t7.xls

【事例1】
  小さい頃から絵を描くことが好き、中学校時代の夢は絵本作家になることだった。重い障害を抱えながらもその夢を実現、これからも絵本を描き続け、より多くの人に自分の描いた絵本を見てもらいたい、と語る女性

◆ 基本情報
  氏名:K.R
  性別:女性
  年齢:28歳 
  障害状況:SMA62)。腕も持ち上げられないし、足も動かせない、寝返りもできない状況である。生活全般に介助を必要とする。室内ではリフト式の電動車いすを使用している。机の高さに座高を合わせるためだ。食事をする時と文字を書く時では電動車いすの高さを変える。高さの加減で、肘を上手く固定して、自力で食事をしたり字を書いたりすることができる。排泄、入浴は、両親の介助が必要である。また、夜間に10回以上の体位変換が必要だが、それは両親が交代で行っている。
  家族構成:父親、母親とともに生活している。
  就労経験:短大で日本画を学んだ。絵本作家やイラストレーターとして仕事をしたかったが、学校を卒業しても自分の希望する仕事はなかった。そんななか、たまたま障害者の在宅就労をしているNPO団体があることを知り、そこでパソコンを使ったグラフィックデザインのセミナーを2年間受講した。初めての仕事はその団体の仲介で舞い込んだ、ある大手電力会社がイベントで使うイラストの作成だった。その後も、団体の仲介で絵を描く仕事の依頼はあったが、Kさんの一番やりたい仕事は絵本作家だった。Kさんは独力でその道を切り開き、昨年、念願の絵本作家デビューを果たした。
  収入と生活:初出版の絵本の原稿料は60万円であった。印税は8%であり、現在までで5千部売れたため、40万円得られた。その他に、企業のイントラネットの表紙絵(名刺大)を年に4回作成しているが、1回1万円である。他にも、昨年、ある企業のイベント用パンフレットの挿絵を描き、1枚10万円ほどになった。それに加え、月8万円の年金収入がある。収入は不規則ではあるが、月割りで、年金を含め、20万円弱程得られている状況である。Kさんは年金のうちから4万円を生活費として入れている。また20歳の時に現在の一戸建ての住まいに越してきたが、エレベータを30年ローンで導入したため、それの返済を行っている。残りの収入は、絵本を描くための取材や、絵の具の購入、パソコンの維持費など、大半は、自分のやりたいことのために使っている。

  ◆ 絵本作家になる −動機・そのプロセス・目標など
  1 絵本作家になるまで
  1)子供時代から学生時代まで
   絵を描き始めたのは3歳の頃だった。絵画教室に通った。絵はいつもKさんのそばにあった。家のなかで一人で過ごすことが多かったので絵本を書いたり落書きをしたりして過ごしたり、病院の待合室で待っているときには売店でスケッチブックとマジックを買って食べたいものを書いたした。絵を描くことがとにかく楽しかった。また、病院に入院しているときに母親に絵本を読んでもらったり、自分で開いて見たりして、和んだりほっとした気持ちになれた。「はじめてのおつかい」など、身近な題材を取り上げた作品が好きだった。
  絵を描くことを職業として意識したのは、中学生時の授業で、将来について考えたことがきっかけだった。それまで医者からは、1歳の時は2歳に死ぬ、2歳の時は3歳、と言われ続け、大人になった自分をイメージしたこともなかった。その時初めて大人になった自分のことを考えた。そして「これからやっていくことは絵にしよう、絵本作家になりたい」と思うようになった。自分が絵本から得た心の感触を、今度は自分が子供たちに伝えられるようになりたい、と思ったのだ。Kさんは高校へは行かず、絵本科のある専門学校への進学を考えた。しかしその学校に入学するためには高校を卒業していることが条件としてあった。仕方なく近所の公立高校へ進学することにした。
  高校では美術部に所属したが、そこは非常に活発な活動をしていたため、Kさんは絵の好きな仲間たちとともに思い切り絵に情熱を傾けることができた。Kさんは高校時代に大きな賞を受賞した。Kさんはその時のことを、描いた人は関係なく純粋に作品だけを見て評価してもらえたことがすごく嬉しかったと語る。また高校の時にある日本画家の展覧会に行き、日本画の綺麗さに魅了され、自分の絵本に日本画の要素が取り入れたいと思った。そこで美術系の短大に進み、日本画の勉強をすることにした。
  2)学校卒業から絵本作家になるまで
  短大を卒業しても、すぐに中学時代の希望が達成されたわけではなかった。周囲もアーチストの卵たちだったが、たいていはアルバイトをしながら創作活動をし、機会を狙っていた。Kさん自身、20歳を過ぎたら、経済的・精神的に自立したり、できる範囲の貢献をしたりすることは当たり前だと思っていた。しかしKさんには、周りがしているようなアルバイトをすることは難しい。卒業して3か月は何もしない日々が過ぎていったが、ある日、新聞の小さな広告が目に付いた。それは、障害者の在宅勤務を支援しています、というあるNPO団体の宣伝だった。Kさんはさっそく連絡を取った。そして、そこで行っているパソコンを使ったグラフィックデザインのセミナーを週1の頻度で、2年間受講することになった。また、そのNPO団体の仲介で、企業から、単発でイラストやポスターの依頼が来るようになった。しかし絵本については自分で開拓していくしかなかった。絵本の新人作家の登竜門と言われるコンクールに5年間応募し続けたが落選ばかりだった。たまたま知り合った絵本作家から「若い時には出版社に売り込みに行ったわよ」と言われ、友達と母親とで、2日間泊まりがけで、3社はしごしたこともあったが、出版の機会は得られなかった。今から4年程前、たまたま買った雑誌に絵本作家になるための特集が組まれ、絵本作家になるためのスクールの紹介がされていた。Kさんがはすぐさま電話をしたところ補欠待ちという条件であったが、通学が認めらることになった。その絵本スクールには、出版社の人が講師として出入りしていた。その先生が、30人の生徒の絵本を見て、このなかで3人だけ出版できそうな人がいる、と言った。そのなかにKさんの名前があった。ただしKさんはあと一歩という評価だった。絵本の内容は、ネズミの3兄弟がケーキを作る話だった。実はそれは、今回出版となった、車いすの女の子がバースディケーキを作る、という内容を創り変えたものだった。以前、出版社回りをしたときに「なぜ主人公が車いすでなければならないのか、車いすの女の子が苦労したり頑張ったりしている姿が描かれている訳でもないし、その理由がわからない」と批評され、創り直したのだ。それは幼い頃のKさんの姿そのものであり、障害を持って生まれたことに理由などないのに、とKさんは思っていた。Kさんは、講師の先生に、もう1度、車いすの女の子が主人公のものを見てもらった。すると、そちらの方がよい、という反応が得られた。「車いすの女の子が何もしないところがいい」とその人は言ってくれた。そして、Kさんが当初考えていたストーリーのままで出版が決まった。現在は同じ出版社から2作目を執筆中である。
  
  Kさん:病院の待合室とか。ひたすら待つでしょ。病院て待ち時間が長くて。そういうときは売店に行って、スケッチブックと何かマジックでも買ってもらえば、黙々と描いていた。漫画とか読むよりかは描いていた方が好きでした。漫画とか読む子じゃなかったんで。でも、落書きですよ、子どものときは。食べたいものとか。ラーメンとか描いて遊んでるんですよ。
  
  :暇つぶしというか、やっぱり冬場は外で遊べなかったり、そういう家の中で過ごす時間ていうのが多いじゃないですか。友達がいればママゴトとかもできるだろうし、ゲームもできるだろうけど、やっぱり一人で過ごす時間となると、本当にこの手元でできることしかなかったんで。だからその、絵本を見たり、落書きをしたり。絵本をみんなお気に入りのページを見ながらそっくりに描いて、私のほうが上手とか言ってたらしいですよ。ちっちゃいときは。遊んでたんですよね。遊び道具の一つっていうか。
  
  Q  :あるとき、中学のホームルームのときに将来の進路について考えるっていう授業の中で、(省略)
  Kさん:本当に、親も、親は私が赤ちゃんのときには、「お母さん、小学校の入学式に行けるなんて思ってちゃ駄    目ですよ」なんてことを言われるくらい、1歳の時は2歳で死ぬ、2歳の時は3歳で死ぬっていわれてて生き続けてきたから、何かもう、お医者さんの言うことって、あんまりあてにならないなあって途中で思い出して。もうちょっと、中学、高校ぐらいになって、やっとこう、長いスパンでものを考えるようになって。本当にそれまでは、毎年冬になると入院して。×××で急性肺炎だったんですよ。呼吸器が弱いのも特徴で。本当に何度も死にかけちゃったらしくて、本人は全然、死ぬなんて思ってもなくって。で×××って入院したんですけど、実はもう肺が止まっちゃったときもあったらしくて。そんな生活だったから、将来働くっていう、そういうイメージが全くなくって。たまたま授業で、そう、大人になるってことはっていう、考え出して。そのときにやっぱり、一番得意なものというか、これからやっていこうっていうのを、絵にしようって、そこで決めたんですけど。

  Kさん:やっぱり、子どもの頃は家に居なきゃいけないとか、病院に入院しなきゃいけないっていう時間がやっぱり多くて、そのときやっぱり癒されたり楽しんだりしたのが絵本を読んでもらったり自分で開いたりっていう、そういうのがすごく、そういう時間がすごく幸せな時間というか、そのときはそう。後で振り返ると、そういうふうに思えて、中学のときに自分がどんな職業に就きたいかって考えたときに、そのときのことを思い出して、そういう絵本を書ける人になれたらいいなと。嫌なこととかあっても、絵本を見ればなんとなく、なんというのかな、和むというか、ホッとするじゃないですか。だから、そういうことが私も出来たらいいなと。そういう人になりたいなと思って、絵本作家になりたいと思ったんです。(省略)カチカチ山とかね、ジャックと豆の木とかね、ああいうのは嫌いなんですよ。最後死んじゃうじゃないですか。ひどい目に遭うじゃないですか。ああいう絵本がすごい嫌いで。ハッピーエンドがいいですね。
  Q  :どんな絵本が好きだったんですか。
  Kさん:初めてのお使いとか。本当に自分の生活にすごく近いような話が結構好きでした。(省略)主人公に自分がなるような感じで読んで。絵本ってそうじゃないですか。あんまりおどろおどろしいのはあんまり好きじゃなくって。普通に生きてたらおどろおどろしいことはいっぱいじゃないですか。せめて絵本では楽しみたいなと。
  
  Kさん:たまたま本屋の前を通りかかったら、その本が目に付いたんですよ。久しぶりに何か面白くなってるかなと思って見たら、イラストとかそういう関係の本なんですけど、絵本作家になるにはどうしたらいいかって見出しが出てたんですよ。何じゃこれはって思って。まさに今の私だって思って、買って、家に帰って読んで、こういう学校がある、こういうサークルがあるとか書いてあって、絵本作家の卵が通う塾みたいなところも京都にあって、その発売があってすぐ買って、すぐ電話したのに、もうなんか定員いっぱいですとかいわれて。で、見学行っていいですかって、いっぱいなのに行って、(Q:すごくフットワーク軽いですね)3日後くらいにはもうそこに行って、補欠待ちで申し込みをして、またそこも受け入れてくれたから良かったんですけど。そこで通うことになって、いろんな絵本作家さんとか、編集者の方とか出入りしてるところで、それがきっかけで出版できることになったんですけど。
  
  Kさん:(絵本スクールに)絵本作家になりたい人が生徒で30人ぐらい来てて、C出版社の部長さんが講師として、絵本のことを話をしに来てくれてたときに、前もって私たちの作品を先生に送ってたんですよ。それを見てもらって、
  Q  :C出版社の社長さん、部長さんに送っていたと。
  Kさん:全員の分を絵本スクールから送っていて、その批評をしてもらうっていうのが主な授業というか、その時間はそういう授業で。で、この絵本を書いた人は誰ですかっていって、私ですって感じで、ここはこういうとこがいいとか悪いとか。で、先生がいってくれる。そのときに×××はその、私が車いすってことを知らなかったみたいで、この絵本描いた人誰ですかって言われて、はいっていったら、先生、え、みたいな。あなた絵のお仕事もうしてるでしょうって、最初に一言言われて、はいやってますって、何でばれるんやろうて思って、で、何か、この30人の中で3人だけなんとか本を出せそうな人がいますって、先生が言って、そのうちの一人が私で、あとの二人は文句なしにもう、即出版ですって、先生が言ったんだけど、私はあと一歩って言われて、で、後日ちょっとって感じだったんですけど。それで結局、そのときは、ネズミさんが、ネズミの3兄弟がケーキを作る話だったんですよ。で、最初その、私がそのお話を書く前に、自分の実話を絵本にして書いたんですね。車いすのりえちゃんて女の子が出てきて。本当に自分が子どもの頃の初めてのケーキ作りを書いて、それにプラス、車いすの子が主人公で。特にこの、車いすだからどうのっていう苦労とかそういうのは盛り込まずに、あえて、たまたまその、楽しいお話の主人公が車いすでしたっていうふうに。特になんて言うのかな。私も何か訳があってこうやって生まれてきた訳じゃないし、そういう主人公がいたっていいんじゃないかって単純に思って、ちいちゃい子たちに車いすで生活している人もいるっていうことを知るきっかけにもなって欲しいし、やりたいこととかやってることは、自分たちと一緒じゃないですか、ケーキ作ったりとか。×××感じてもらえばいいなと思って書いたんですけど、最初に回ったのが、出版社が、その、何にも車いすならではのことがなにも盛り込まれないで話が終わってくから、車いすやからっていうことで期待して読むのに、何にもないでは読者は納得しないようなことを言われて、不完全燃焼で。何で車いすが必要なのっていう...私は何であっちゃいけないのって思うんですけど。で、ちょっと言われたんで、だったら車いすがなきゃいいんでしょと思って。半分ちょっとやけくそで書いた本を最初見せたんですよ。で、先生に、実は最初に書いたのはこっちなんですっていって、見せたら、こっちの方がいいって先生が言ってくれて。この子が何もしないところがいいっていってくれて。やっぱ、わかってくれる出版社もいるんだなあと思って。もう絶対この出版社で出してもらおうと思って。で、ちょっと、いろいろ相談しながら、大筋、自分のストーリーのままで、出してもらうことが出来たんですけど。
  
  2.目標や希望
   これからも、一番の希望はストーリーを持った絵を描いていくことである。Kさんの創作活動は、絵が先に思いついて、そこから話が広がっていく感じである。それらはセットで浮かんでくるのだ。絵や話の仕事が単発であったら、それもやりたいとは思うが、両方一緒がKさんにとって最も自然なかたちなのだ。目標は、これからもいい本を出版し続け、より多くの人に自分の絵本を見てもらうこと、そして自立できるだけの収入を得ることである。
  
  Q  :単なる絵を売り物にするんじゃなくて、それにストーリー性を持たせたいというのは、また違った能力がね、必要になってくると思うんですけども、その辺はどういうふうにこう、あの、考えた、自分でね。
  Kさん:お話だけの仕事が来ても、絵だけの仕事が来ても、それはやりたいとは思うんですけど。やっぱり両方書くのが一番自分の書きたいのが書けるじゃないですか。
  Q  :合体したものが自分の一番
  Kさん:別々にこう思いつくんじゃなくて、私の場合はこう絵が先に思いついて、そこからお話が広がっていく感じなんで、いつもワンセットでは出てくるんですけど。だからまあ、絵だけの依頼があれば、それはそれで、嫌いじゃないからやりたいですけど、今はそういう機会がないんで、今2冊目書いてるんですけど、それも作というか文も絵も自分なんですけど。
  
  Q  :今のお仕事を通して、これから先の目標とか何かありますか。
  Kさん:目標はもう、ひたすら描き続けていくことです。コンスタントに、絵本を出したい。大ヒットしなくてもいいから、とにかくやめないでいい、続けるというか、なんというのかなあ、ずっと描いてたいんで、
  Q  :趣味でねいくらでも描き続けるっていうことはできると思うんですけど、そういうことじゃないんですよね。そういう次元のことでいいんですか。
  Kさん:やっぱり描いたら見てもらいたいから、やっぱりより多くの人に見てもらいたいですね、希望は。だから一発屋で終わるんじゃなくて、ずっとこう出版し続けて、新しい本を、いい本を出し続ける。続けるっていうのが結局大変だと思うんですよ。ずっと死ぬまで続けたい。
  Q  :出版し続ける。あの、例えば、収入のことなんかで何か目標とかありますか。
  Kさん:それはやっぱり自立できる分稼ぎたい。お金持ちになるにはまだほど遠いんで、とにかくそれで一人暮らししても困らない程度は稼ぎたいですね。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  感じている。その理由は、「もともとできることを見つけてやっていくタイプだったから」ということである。物心ついた時から好奇心が旺盛で、やりたいことは多少の無理があっても挑戦してみた。絵本コンクールに挑戦・落選を繰り返していたときも「まだ技術が未熟なんだ、もっと上手くなろう」と次への活力に繋いだ。しかし体力には自信がない。1日情報収集のために外に出掛けるとすれば、その前後は身体を休める必要がでてくる。入院のリスクとは常に背中合わせの生活である。
  
  Q  :自己肯定、自分を肯定できたりとか、自分に力がある、有力感というものを感じるか感じないか。
  Kさん:感じます。
  Q  :感じる理由についておしえていただけますか。
  Kさん:やっぱり仕事のことをしても、やっぱり自分のことをはっきり、こういうところがいいとこなんですっていうのを主張しないとやっていけない商売で、そこで、してますよね。
  Q  :商売だから。
  Kさん:商売だからっていうか、あんまりこう、自己否定っていうか、落ち込んでっちゃう方ではなくて、できることをみつけて、やっていくっていうタイプだったんで、昔から。
  Q  :ただ、例えば、絵本作家になりたいときに、いろいろこう出版社に自分の作品をね持ち込んでいって、なかなか認められ、認めてもらえなかったりとか、それから、コンクールにね出展したときにも、なかなか実力が正当に評価されないようなときもあったと聞きましたけど、そういったときは、どうでしたか。
  Kさん:そういうときは、単に、まだ技術が未熟なんだなっていうふうに思うから、もっと上手くなろうとするというか、もっと勉強しなくちゃとか。燃え続けないといけないんで、燃えなくなったらやめると思いますけど。多分、一生描いていると思います。
  Q  :久保さんはね、すごく、前向きにね物事をとらえられて、できることを探そうとかね。そういう感じでとらえられているんですけど、それは何かきっかけとかありましたか。そういうふうにとらえるようになったきっかけとか何か。
  Kさん:そうですね。物心ついたときから、そういう思考回路ですね。あれできない、これできないというよりかは、これできるからあれやってみようとか、そういう。できなくてもやって、やっぱだめだったとかいうこともあるし。やってみないとわかんないんで。やりたいことは少々無理でもとりあえずやってみる。やりたいという思いが先行するんですよ。
  
  Q  :自分に能力があると、人は思っているか。
  Kさん:どちらともいえない。トータルで言うと、能力あるとはいえないとは×××体力ないですから、とりあえず。
  体力がやっぱり売りですよね、大事な。
    
  Kさん:(取材などで)1日出かけると、前後を空けなきゃいけないです、予定を。何連発かでいくことは無理なんで。
  母 親:前の日もちょっと、次の日のために×××を換えたり、なんか、内臓の面とかいろんなことで。で、帰ってきたら、それのダメージがあるから、次の日は休むってことで。1日、半日出かけるだけに、三日費やしてしまうから。
  Kさん:その日が天気が悪かったらなしになるし、出かけるのも、ものすごいタイミングがいるから。
  母 親:だからその、お金もらうお仕事は、その分のプレッシャーの×××絶対間に合わないといけない。
  Kさん:何か、イラストとか絵本の仕事っていうのは、結構、こう、期間が長くって、その間で調整というか、やればいいから。絵本なんかは1年ぐらいかけてできるし。その間で、自分が3ヶ月で描ければ3ヶ月で納品できるし、1年かかれば1年後に。締め切りが決まってて、その日にめがけて×××てるから、やってけばいいですよ。だから、途中で入院しようが、風邪ひこうが、何度も立ち直れる期間があるから、やっていけるんです。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
   絵本作家としての仕事のなかで、不当に扱われたり評価されたりしたことはないと感じている。作品の出来不出来がすべてなので、そのようなことはないと感じている。また、障害者/健常者関係については、弱者・強者の不釣り合いな関係はない、と考えている。逆に、作品を創り上げる過程において障害者としての甘えは許されない。出版社からの厳しい要求もある。障害に合わせた就労のかたちは保障されていない、と感じている。出版社が期待することは、期限が守られることと作品の出来映えである。いい仕事をしてくれさえすれば、よいのである。
  
  Q  :働くことに関してお答えください。自分が不当に扱われたりとか評価されたりすることがあるかどうか。
  Kさん:ないです。てゆうか、そういう職場を選んでないっていうか。絵は本当にもう、作品ができてなんぼの世界だから、障害者のことを表現するような絵の仕事とかは来ないし、普通のイラストレーターとしての仕事しか来なくて、ないから。その仕事を向こうが納得してくれればお金を払ってくれるし、ただ単に作品の善し悪しだと思ってるんで、特に不当なっていうのはないです。踏み倒されたこともないです。
  Q  :働くときに、例えば、健常者と障害者の関係っていうところで、弱者強者のなんだか不釣り合いの関係があるなとか、そんな風に感じることはありますか。
  Kさん:特にないです。ほとんど電話やFAXやメールで、絵本の進行状況を、何かを伝えながら、ここはこうしたらいいんじゃないだろうか、ああしたらいいんじゃないだろうかって、出版社に相談、出版社と相談しながら1冊の本を作ってくから。いつも1対1なんですよね、担当の編集者さんと。ものすごい嫌なことというか、ここ、こういうふうになおして欲しいんですけどって言われて、そんな簡単に言われても、そんなの描くの大変なんだよっていいたいんだけど、はいわかりましたって。あったんですよ、包丁を右手に持ってるの左手にしてくださいみたいなような感じのね。でも、それって別に、障害者だから不当な扱いってことではなくて、絵本作りの中でそれも必要なことだから、やっているんですけど。
  
  Q  :障害に合わせたね、就労の形が保障されていると感じているかどうか。
  Kさん:そういう関係のない職種を選んだから、そういうことは実力主義なんで。多分、出版社は本人がどうじゃなくて、作品がどう。ちゃんと期限までにできれば、いい作品ができればいいとおもうから。
  Q  :逆に言うと、障害とか容赦無しって感じですよね。だって、気に入らなかったらやり直してくださいって、はっきり言われちゃうわけだし、
  Kさん:障害者だから売れるとか売れないっていうのもないし、
  Q  :編集者が見て、出版社が見て、いい仕事になってくれれば
  Kさん:売れそうと思ってくれるかくれないか
  
  【事例2】 
  高校時代、部活動中の事故で重い障害を持つ。今は中学時代から好きだったパソコンで在宅就労をしており自信にもなったが、正式な雇用ではないため先の不安があるという男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:M.T
  性別:男性
  年齢:26歳 
  障害状況:高校1年生の時、ラクビーの練習中に首を骨折し、頸髄損傷となった。身の回りのことは、排泄や入浴、更衣には介助を要する。左手は、手首を動かすことができるので、食事やパソコン操作は、自助具を装着し、その動きを使って行う。パソコンのマウス操作については、障害者用マウスを、右手の甲を使って回して使用する。移動は電動車いすで行う。
  家族構成:都内で、父親、母親、妹とともに生活している。
  就労経験:高校卒業後1浪。大学受験には失敗したが、希望者の多い、T情報処理センター(障害者就労支援団体)の重度障害者在宅パソコン講座の講習生に選ばれ、2年間受講した。講座が修了する3ヶ月ほど前に、受障から定期的に通院していたR病院(自宅から車で20分程度)からパソコンの使える障害者を雇いたいという話が出て、採用となった。今年で4年目になる。
  収入と生活:在宅勤務である。一日の勤務時間は決められており、時間給で支払われる。だから休祭日の多い月は月収が減る。少ない月で13万円程度、多い月で17万円程度である。その他に年金や手当を含めると月の収入は30万円程になる。先々のことを考えて、なるべく貯蓄しているということである。パソコンに関連するものを購入すること以外にはあまり散財はしていない、ということである。
  
  ◆ パソコンで在宅勤務をする −動機・そのプロセス・目標など
  1 パソコンで在宅勤務をするようになるまで
   もともとパソコンは好きだった。中学2年の時にパソコンを買い、パソコンクラブに所属するほどだった。また仕事内容について考えたとき、障害のことも考え「そういう方面しか難しいんじゃないか」という思いもあった。高校を卒業後、高度なパソコン技術を学びたいと思い情報処理科のある大学を受験した。その他にもT情報処理センターのパソコン講座を受験してみた。募集は都の広報で知ったが、以前に、居住する区の保健師から紹介された同じ障害を持つ人がそこに行っていたため存在は知っていた。大学の方が上手く行かなかった時のことも考え、受験してみることにした。大学は残念ながら不合格、だがT情報処理センターの方は募集人員5名(その年は6名合格)の枠内に入ることができた。
   T情報処理センターのパソコン講座は2年間に渡るものだった。1年目は机上の勉強が主で、情報処理技術者試験2種の合格を目指すものだった。1日の勉強の進捗状況はパソコン通信で報告、課題の提出もパソコン通信で行った。また月2回、先生が自宅に訪問してくれた。だからセンターに通う必要はほとんどなかったが、年に数回あるスクーリングや忘年会の時には他のメンバーと会うことができた。2年目は、プログラムを学ぶコースとエクセルやワードなどのアプリケーションを学ぶコースに分かれる。Mさんはプログラムコースを受講。C言語を中心に学んだ。3人のグループを作ってC言語を使って1つのものを作る、ということもした。また、アクセスというデータベースソフトも学んだ。2年目の秋頃にはシステムアドミニストレーターの試験にも挑戦、合格した。
   Mさんが在宅勤務しているR病院は、Mさんの高校の目の前にある。Mさんは受障以来、R病院に掛かっていた。2年間の受講が修了する3ヶ月ほど前に「病院でパソコンの使える障害者を雇いたいという話がある」と整形外科やリハビリ科の先生がMさんに言った。
  Mさんはその話をT情報処理センターのMさんの担当者に伝え、担当者と病院の事務長が話をし、Mさんも面接を行い、正式な採用が決まった。
  
  Q  :パソコン関係に行きたいと思われたのは何でですか。
  Mさん:もともとパソコンが好きだったんですよ。(Q: へー)ケガする前から。中学2年ぐらいでパソコンを買ったんですね。それで、中学の時はパソコンクラブというのがあって、いちおうそこに入ったりして。で、もともと好きだったし、今の状態になって、もし、仕事でやれるとしたら、やっぱり、そういうのを使っての方が向くんじゃないかな、というか、そういう方面しかなかなか難しいんじゃないかなー、という思いもあったので。
  
    Mさん:(大学)受験もあったのですけれども、そこも(T情報処理センター)受験しようと思って、一般知識と、一般教養ですか、一般教養と面接というかたちだったので、とりわけ受験勉強に差し支えはなかったし、いちおう、大学を受かったら悪いかな、というのもありましたけれど、そういう感じで受けてみました。
  Q  :すべり止めと言ったらおかしいけど、そういう感覚だったのですか。
  Mさん:感覚にも似たようなところはあったかも知れないです。まあ、でも、そこが受かるとも限らないので、5人しか採らないんだから。
  Q  :何だか倍率も高いのですか。
  Mさん:ただ、パソコンを勉強できる機会がなかなかないし、大学に行くにしろ、行かないにしろ、そういう関係の方で何かやりたいな、と思っていたので、それで、機会があれば何でも、という感じでやってみました。
  Q  :というけど、その時も倍率は高かったのですか。
  Mさん:どうだったんですかねー、何人来たかよくわかんないです。よく覚えてないというか、聞いたような気がするのですけど、あんまりだったから。確か、でも、結構宣伝したぐらいというか、テレビとかに誰か出たりとかして、それを見て応募したという動機の人もいるので、結構人気が高かった年ではあったのかもしれないです。
  Q  :じゃあ、難関突破という感じですね。
  Mさん:ですねー。その時は6人だったのですね。5人とかじゃなくて、1人多かったのですけど。
  
  Mさん:仲間はT情報処理センターの紹介で結構電気に入ったりとかいるのですけど、僕の場合、病院なんですよ。普段、定期的にかかっていた病院で、なんか、たまたまそういう障害のあるような人を雇うというか、入れてみたいような話があったらしくて、それをたまたま整形外科の部長先生なのですけど、そういう話を聞いたりとか、あと、リハビリの課長の人とかが、定期的にリハビリとかをやっていたので、そういう話があるよ、みたいなことを言われて、あるけど、資格を取るぐらいだったらどうだ、ということを言われたのですよね。それで、パソコンを使える人で、ということで探していたみたいなので。それで、いちおう、そういう話を聞いて、T情報処理センターの方にも相談して、そうしたら、いい話だから、ということで、Oさん(T情報処理センター、Mさん担当職員)が病院の事務長に最初に会って下さって、いろいろ話をして下さって、その後、自分も面接して、という感じで、まあ、契約社員という形なのですけども、いちおう、採用ということになりました。
  
  2 採用条件と仕事内容
  採用条件は、契約社員というかたちである。1年ごとに更新しており、今年で4年目になった。基本的には在宅勤務であるが、週に1回は病院に行き、上司から事務的な連絡事項や書類を受け取ったり、仕事内容の件で各科担当者と直接やりとりしたりすることもある。Mさんは病院の組織上、医療情報サービス課というところに所属している。この課はいろんなことをしている部署で、患者に機械の使い方を説明したり、採尿したものを検査室に運んだり、病院の広報誌を作ったり、図書の管理を行ったりしている。Mさんの仕事内容は、病院のホームページを作ったり(現在リニューアル中)、データーベースを作ったりすることである。データーベースはいろいろな科からの依頼がある。それらは誰かと分担するのではなくMさんが一人で作成している。放射線科、形成外科、写真受付のデータ、救急隊の搬送記録、図書管理データ、などである。依頼内容は、時に高度な技術を求められるものもあり、Mさんがわからないこともでてくる。そういった場合はインターネットで調べたりして対応している。
  パソコンのメールで病院スタッフとやりとりすることは、ほとんどない。深い意味はなく、上司がほとんどパソコンを使わない、という事情からのようだ。それぞれの仕事に特に納期は定められてはいない。だから自分のペースで行える。勤務時間は、平日の9時から17時まで(隔週で土曜日もある)であるが、病院側からは「時間のなかで何をしても構わない、その代わり頼まれたことだけはしっかりとやってください。頼まれたことができていれば問題はない」と言われている。また、パソコンの世界は日進月歩で技術革新しているが、そのための情報収集も出勤扱いで認められている。研修費も必要なら話してください、と言われている。
  
  Q  :Mさんの働く条件というか、契約社員ということですか。
  Mさん:はい。
  Q  :契約社員というのは終身ということではないのですか。
  Mさん:期間が決められていまして、いちおう、今は1年契約です。
  Q  :すると、期間限定で、1年ごとに更新しているという形ですか。
  Mさん:そうです。
  Q  :下世話な話ですけど、収入とかっていったものはどうなっていますか。
  Mさん:毎月違うんですよ。結局、時給扱いなのですね。だから、契約書をいただくと、時給いくらと書いてあって、それで、トータル何日という感じで、だから、たとえば、ゴールデンウィークとか、お正月休みとか入ると、その分減ったりとかします。
  Q  :たとえば、ホームページの依頼がありますねー。依頼と同時に、それを時間で割るのですか。
  Mさん:いいえ。結局、契約の内容は、いちおう、1日9時から5時で決められていまして、それで、その時間で計算という形で、もう×××する必要はないですけど。
  Q  :なるほど。じゃあ、仕事がない時もあるわけですよね、中には。
  Mさん:ええ。なくても、いちおう、時間給としてはもらえます。
  Q  :1年間は保障されているということですか。
  Mさん:そうですね、よっぽどのことがない限りは、多分。
  Q  :そうすると、月ごとのお給料の額も、月によって休みが多かったりとかっていうことはあると思うのですけど、だいたい、月、金の9時から5時までという感じですか。
  Mさん:4週6休制なので、月、土という時もあって、だから、隔週で2回取れるぐらいです。日曜日の他に。日曜日の他に2回取れるという感じです。だから、その2回はどこで取っても大丈夫なのです。
  
    Mさん:医療情報サービス課というところに入っているのですけど、その課はいろんなことをやっていまして、たとえば、朝は受付けで立って、その機械の使い方の説明を患者さんにしたりですとか、あと、検体というんですか。ありますよねー、血を採ったりとか、各科の、尿検査で必要なものとか、尿を採った後、検査室まで運んだりとか、そういったこともやってたりとかです。その他、病院の広報誌ですね、「ふれあい」というのを出しているのですけど、そういったこともやってますし、図書の管理もうちの主任がやっているので、いろんなことをやっているのです。その中で、ホームページをやっているのは、いちおう、僕1人なのですけど。まあ、いちおう、主任についてホームページもやってるというかたちになるのですけど、ただ、その主任さんとか、課長もあんまり詳しくないので、ほとんどお任せみたいな感じです。
  Q  :一手に引き受けているのですか。
  Mさん:ホームページに関してはそうです。
  Q  :他のデーターベースに関しては同じような形でやられているのですか。
  Mさん:まあ、頼まれたものに関しては全部自分で作っています。誰かと分担ということはほとんど今までないです。
  
  Q  :仕事の内容というのはどんな内容なのですか。
  Mさん:最初は病院のホームページがなかったので、ホームページを作るようにという仕事でした。結構長い間かかって作りました。T情報処理センターでホームページを作ることは全然勉強していなかったのです。まあ、からというか、一番最初からやりました。あと、いろいろ頼まれるのはデーターベース関係のアクセスを使っての仕事がほとんどで、いろんな科というか、各科で、その科ごとに、科で必要なデーターとかあって、処理したいというのがあった時に、こういうふうにできないか、という話があれば、そのアクセスで作ってお渡しするとかです。
  
    Q  :まわりの方とのコミュニケーションとかっていうのは職場の医療情報サービス課というのが所属ですよね。同じ課の職員とのコミュニケーションとかはいかがですか。
  Mさん:少ないですねー。週1回行って、話をするのは主任がいつも来てくれて、何かあれば話を聞いたりとか、そこから他の先生とかに、先生の方に用事とかがあったりとかあって、あと、看護婦さんとか、あ、看護士さんですね。
  Q  :それは用事があるというのは。
  Mさん:アクセスの仕事で。そうですねー。だいたい直接やりとりが多いんですよ。
  Q  :あ、そうなんですか。それで、1週間に1ぺん行く時に。
  Mさん:行くと、まあ、いちおう、仲介ではないですけど、いちおう、最初に主任に顔を合わせて、そこからありますよね、いろんな情報というか。例えば、渡す物がありますとか、給料明細とかをいただいたりとか。そういうのをいただいたりして、いちおう、主任の方からも図書の管理とかでいろいろ頼まれたりとかしていたこともあったので、まあ、それもアクセスなのですけど、そのへんで何かあれば聞いたりとか。だから、医療情報サービス課の仕事もちょっとやりつつ、放射線科とか、写真受付けの方のデータとか、形成外科のデータをいじったりとか、あとは、看護婦さんですか、看護士さんですか、救急隊の搬送記録を残したいんだけど、というと、アクセスで作ったりしています。ですから、頼まれて、そういうふうにある時にします。
  Q  :そういう話は、とりあえず、主任が受けるのですか。
  Mさん:そうですね。
  Q  :それで、主任からも話があって、それで、必要があれば、Mさんと直接やりとりをするというかたちですか。
  Mさん:というか、だいたい、僕に用事があるということで、主任に行くんですよ。そうすると、行くと、誰々さんが呼んでたという感じです。
  
  Mさん:今は納期というのもほとんどないんですね。
  Q  :ということはどういう形で収めるのですか。
  Mさん:出来上がり次第お渡しするというかたちです。でも、そんなにチンタラはやってないんですけど、自分のペースでやっています。
  Q  :すると、自由な感じでやらせてもらえるわけですね。
  Mさん:ええ、そうなんですよ。
  Q  :じゃあ、かなり、Mさんの自由裁量度が高いということですか。
  Mさん:高いんですよ。これ以上の環境はないんじゃないんですか。
  Q  :いいですねー。最高ですね。
  Mさん:これ以上の環境は見当たらないと思うんですよね。
  
  Q  :いちおう、9時から5時までという勤務時間になってて、仕事もぼんと、じゃあ、これやって、ときますよねー。なんだけど、その仕事の納期が、特に、決められているわけでもないし、与えられた時間というのは好きに、自由に使ってやって下さい、という、そういうことなのですね。
  Mさん:ええ。やっぱり、一番最初の事務長の話が、別に、時間とか、時間の中で何してても構わない、その代わり頼まれたことだけはしっかりやってください、頼まれたことができてれば問題ない、ということです。
  
  3 希望や目標
  現在の仕事は、これ以上の環境は見当たらないのではないかと思えるほど、Mさんにとって様々な面で優遇された職場ではある。しかし雇用条件が不安定であり、いつ解雇されるかわからないという不安がある。だから優遇された環境に甘んじている自分では、転職を考えた時に技術的に通用しないのではないかと思える。つまり今の仕事内容は、これまで自分が学んできたプログラムの技術を生かせているわけではないし、仕事のなかでプログラムの技術を高めてきたのでもない。だからそのような不安があるのだ。将来的にはプログラムに関れるような仕事がしたいと思っており、セミナーなどを受講して新しい技術を吸収するようにしている。
  
  Mさん:これ以上の環境は見当たらないと思うんですよね。あとは自分でなんか開くかぐらいですよ。事業所じゃないけど、事務所みたいなのを立ち上げてなんかやるとかっていう、まあ、そっちの方に行き着くのかなー、と思うんですよね。
  Q  :そういうのは、何か考えていますか。
  Mさん:いや、特には考えてはいないんですけども、ただ、病院がいつまでというのはありますし、その先のことも考えると、いろいろ勉強はしてるのですね、他にも。
  Q  :たとえば、どんな勉強ですか。
  Mさん:プログラムの方の勉強です。
  
  Q  :今の仕事にというか、このかたちに満足を感じていらっしゃいますか。
  Mさん:いちおう、今の状況には満足しています。ただ、仕事内容として不安がないわけではないです。
  Q  :それはこれから先のことを考えるとということですか。
  Mさん:そうです。
  Q  :今の仕事の内容というのは不満があるわけではないですか。
  Mさん:ないです。ただ、こういうことだけやってて、その先、まあ、転職ではないですけど、考えた時、他では技術的にですけど、通用しないんじゃないかな。今やってることぐらいは、だいたい、多くの人ができることだろうし。
  Q  :いや、そんなこともないとは思います。
  Mさん:ホームページを作ったりというのはやってる方も多いので。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  感じている。「普通に働いている」ことそのものが自信につながっている。それまで高校時代の友人と自分とを比較して、自分は大学にも行っていない、と劣等感を持っていた。だが働くようになってからは気にならなくなった、と言う。給料をもらったり、仕事が依頼者から喜ばれたりすることが自信に影響しているのではないかと考えている。しかしそれに満足している自分には悪いイメージを持っており、複雑な心境だ、と言う。つまり、病院で働き続けられるのであれば、現状の全てに対して良いイメージを持てるが、いつ契約の更新が途絶えるかわからない状況のなかでは、今のままやっていてはまずいな、と考える自分もいるのだ。
  
  Q  :働くということについて自分を肯定できたりとか、自信が持てたりとか、力があるな、というふうに感じるか、感じないか。これは感じるか、感じないか、どちらかでお答え下さい。
  Mさん:自信が持ててるかどうか。それは感じますね。
  Q  :その理由というのはどういったところですかね。
  Mさん:まあ、何でしょうかねー、ごくごく普通に働けてることでですよね。そうですね。もう、普通に、何だろう、働けてることだけで、結構働けてるじゃんという感じですね。だから、本当に、何だろう、働くようになってからいろいろ、あっちこっち行ったりとかっていうのは結構多くなったというか。そういうものでは、何ていうんだろうか。やっぱり、どこかまわりと比較している自分がいたのかもしれないですよね。
  Q  :まわりと比較している自分って何ですか。
  Mさん:たとえば、友だちとか。だから、高校の友だちとかですよね。みんな大学へ行ったりとかしていると、みんな頑張っているんだなー、とかっていう感じももっていたけど、働くようになってからは、まー、そういうことも気にしなくなったし。まあ、大学、どっかしら劣等感を感じたんでしょう。
  Q  :劣等感ですか。大学に行かない自分というのにまわりの行っている人たちに比べてということですか。
  Mさん:そうですねー。だから、働けてることで、結構自信にはつながっていると思います。それだけで。
  Q  :それはお給料をもらえているということに影響していますか。
  Mさん:それもあるかもしれないですね。それが大きいのかもしれないですね。
  Q  :働く内容とか、自分の働いた結果というのは影響していますか。(省略)たとえば、まわりの方が仕事に対してやった結果に対していろんな反応が返ってくるわけですよねー。そういったものを聞いて、たとえば、自信を深めたりとかというようなこともありますか。逆に自信を失ってしまったりすることはありますか。
  Mさん:どっちかというと、喜ばれることが多いですね。だからかもしれないですね。自信につながっているのはそこで、そして、それに満足している自分にちょっと悪いイメージというふうにつながるのですね。(省略)複雑な心境というか。このまま、もし、病院の中でずっと続けていけるというふうにわかっているなら、もしかしたら、今の状況に自信を持って、全部に対していいイメージでやっていけてるのかもしれないけど、この先、もし、変わったりとかって考えるようなこともあるので、というか、いつ、契約が更新されなくなるかもわかんないですし、そういった時に、今のままやっててまずいだろうな、という自分もいて。
  Q  :なるほどねー。ちょっとわかりました。うーん、そうかー。これから先の不安というのが、このままでいいのかみたいな、自分の自信とか、そういったものに揺さぶりをかけるということですか。
  Mさん:このまんま、結局、今の状態が安定していれば、その不安はないのかもしれないですけど、雇用ではないいじょう、いつどうなるか、というのはわからないので、その先を考えた時に、やっぱり、今のままでいたら、多分、他の仕事にはなかなかつくのがむずかしくなるのではないかな、という不安がどこかにあって、どこかにというか、あって、それがそういうよくない方に働いてるということですね。ただ、全体的として仕事ができてるということにたいしては喜びも感じてますし、それが自信にもつながっているのは確かです。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  現状で、不当に扱われたり評価されたりしていると感じることはない。また、働く仲間として対等でなく、弱者・強者の不釣り合いな関係であると感じることもない。むしろ「こうしてほしい」と頼られる立場にあると感じている。障害に合わせた就労のかたちが保障されているか否かについては、契約期間内はかなり保障されている、と感じている。
  当初は3年ぐらいしたら正式な雇用をするという話もあった。しかし景気が悪くなり、そういう話はぱったりなくなってしまった。時給があがったのも1回だけである。しかし周りを見渡せばリストラされる人もいう状況である。文句は言えない、と思っている。
  
  Q  :今の職場ということで考えていただきたいのですけども、不当に扱われたりとか、評価されたりすることがあるかどうか。
  Mさん:それはないですね。
  Q  :じゃあ、これは何か微妙な感じなのですけど、質問として今のMさんの状況にそぐわない部分もあるかもしれないですけど、仲間として働く仲間が対等であると感じるかどうか。弱者、強者の不釣り合いな関係というようなことがないかどうか。
  Mさん:多分ないです。どっちかというと、何だろう。強い方ではないけど。こうしろじゃないので、こうしてほしいなんで。
  Q  :頼られているような感じですよね。そうですね。じゃあ、障害に合わせた就労の形が保障されていると感じるかどうか。
  Mさん:保障というのはどういう意味ですか。
  Q  :保障というのは保障ですね。
  Mさん:契約期間内はかなりの保障ですよね。
  Q  :ですよね。これだけ理想的な環境で働けている方も珍しいですよね。
  
  Q  :雇用にはならないんですかね。
  Mさん:どうなんですかね。
  Q  :そういう話はしたことないですか。
  Mさん:なかなか。一番最初は3年ぐらいしたら、とかっていう話はあったのですけど、景気が悪くなってから、そういう話もパタッとなくなってしまって。こっちからもあんまり行ってないんです。むずかしい状況ですか。なかなか、時給も上がらないのは寂しいですけど。
  Q  :ああ、上がらないですか。
  Mさん:1回上がったのですけど、それ以降なかなか。まあ、他の方も結構苦労してるんじゃないかな、というところで、まあ、障害者がどうとかっていうことではないと思うので。
  Q  :そうですね。一般的に、仕事を失っちゃう人だっていますからね。
  Mさん:そうなんですよ。それを考えたら、もう、何の文句もとりあえずは言えないような感じで  すね。病院もなかなかきびしいみたいです。
  
  【事例3】 
  理学療法士は状況判断を求められる仕事であり、視覚障害を持つ自分には限界があると感じている。これからは、今までの就労経験や資格を生かしながら、自分にしかできないオリジナリティのある働き方をしたいと考えている女性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:T.H
  性別:女性
  年齢:37歳 
  障害状況:進行性の視覚障害1種1級。光覚と人の影はわかる。生活全般のことは自立して行えるが、買物はガイドヘルパーに手伝ってもらう。野菜は触れば識別ができるが、その他の食材や衣服、友人へのプレゼントなどは介助を必要とする。
  家族構成:都内で一人暮らしをしている。
  就労経験:T盲学校の理学療法科を24歳で卒業、理学療法士として民間のF病院、K病院にそれぞれ1年、3年勤務し、現在は、公務員という立場で介護老人福祉・保健(併設)施設で働いている。
  
  ◆ 理学療法士として働く−動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
   高校時代は化学が好きで、そういう方面に進みたいと思ったが、進路指導の先生から、仮に学校を出たとしてもそれを生かして仕事をするのは難しいと言われ、理学療法士という職業を勧められた。Tさんはその時、理学療法という仕事がどんなことをするのか全くわからなかったが、名前の格好良さには惹かれた。しかし結局、Tさんは高校を卒業後、T盲学校の針灸科に進学した。理学療法士は視力を使う仕事であり、Tさんは進行性の視覚障害のため先々のことを考えた選択だった。しかし針灸の勉強はTさんにとってまったく面白いものではなかった。Tさんは、これで就職するわけにはいかないと思った。そこで同じ学校の理学療法科に入り直したのだった。
  
  Q  :PT(理学療法士)という職業をやってますけど、それはThさんがなりたくってなった職業なんですか?
  Tさん:それを話すと...高校の時に、私は、どちらかというと、理数系、化学が好きだったから、そちらの方面に進みたいと思ってたんだけど、だけど、化学をやるのには、視力的にね、色の判別とか、そういうものをすごく必要とされるから、大夫厳しい道だよって言われて、相談に乗ったときの先生に、理学療法士とかあるよって勧められて、そうですか、って言って、その言葉で、じゃ、こっちでいいですって、で、来たという。
  Q  :じゃあ、PTっていう職業を、勉強してみようかって思ったときに、PTがどんなことをするのかっていうのは知らなかった?
  Tさん:全然わからない、全然知らない!
  Q  :あっそうだったんだ。先生に勧められたから、化学は難しいし?
  Tさん:難しいよって、できないとは言わないけど、それで学校を出るのはいいとしても、出た後でそれを生かした仕事となると、かなり厳しいよって言われて、もっと先の方まで見たらね、資格を取っておいた方がいいっていうような話をいろいろしてもらって
  
    Tさん:まずPTの前に、私、進行性の視力障害だから、だから、PTもやはり、視力をすごく必要とする仕事だし、資格はたくさんあった方がいいっていうので、PTに行く前に、針灸科に入ってるんですね。針灸科の勉強をしたときにね、少しも面白くないって思ったの。こんなつまらない、うんざりする3年間を過ごして、これで就職するわけに絶対いかないって思って、そこの時に、3年間で、なんとなくPTってこういう仕事なんだなって、病院に行きたいなら、ましてや針灸の勉強してる3年間に、就職するなら老人ホームとかそういうところだって思ってて、何度も見に行ったら、リハビリの仕事になるから、そうすると、きちっと勉強してからこそ、こういう仕事に就かなきゃいけない、針の仕事ではどっかに修行にでなきゃいけないし、少しあの、リハビリの施設に行きたいんだったら、PTとしてのちゃんと勉強しないとね、その、患者さんたちには申し訳ないことしかできないんじゃないかって考えて、もう3年延ばして勉強しましょうっていう風に決意したんです。
  
  2 仕事の内容
  現在は、公的な介護老人福祉・保健施設に入所または通所している高齢障害者の歩行訓練を行っている。地方公務員という身分であるが普通雇用枠で採用されている。広い訓練室内で行うため、視力が十分でないことによる不便さや危険があるし、訓練を行う際にも他の訓練士に比べて十分にできないことがある。例えば、訓練室内に担当する患者が来たとしても、それを誰かが知らせてくれないとTさんはその人が来たかどうかはわからない。また、装具や車いすを採型する(その人の身体に合うように型を取ったり決めたりする作業)時にはTさんだけで決めることはできない。また、動作分析をしたり、歩行の歩容を直したりすることも難しい。他にも、訓練室を歩いていてどこを歩いているかわからなくなってしまうこともあるので、周りが避けたり、時に声による誘導が必要になったりすることもある。
    
  Tさん:リハビリの仕事では、私の場合は、目を使ってする、動作分析をしたり、歩行の歩容を直したりとか、そういうの、全く無理だから
  
  例えば、私が、患者さんの声を覚えることはできても顔を覚えられない。その人が声を発してくれないと、その人がそこにいるかわからない。
  
  例えば、装具や車いすの採型に関しても、利用者さんにはお金がかかることだし、私が一人で決定して、不具合なものを作成しちゃうわけにはいかない、そういうときにも、やはり、他の人たちの手が必要。
      
  訓練室のなかで歩いてると、どこいるんだか、わかんなくなっちゃう時がありますよね、
  
  3 これからのこと
  理学療法士としてこのままの状態でやっていくのかどうか岐路に立っている。もっと自分のオリジナリティを出し、みんなにはできないことを私はできる、ということをやりたいと思ってはいるが、模索中ということである。今、「快医学」というものに興味を持っており、それはその人の持つ自然治癒力を引き出そうとするアプローチだそうだ。理学療法士と針灸師の資格を持っているから、それらを網羅した治療ができたら最高だと夢を持っている。
    
  Tさん:したいっていうか、あの、まあ、私自身のなかでも、この視力を抱えて、理学療法士として、このまんまこの状態でいいのかっていう、岐路にいて、理学療法士として、このまま突き進むんではなくて、もう少し、自分のオリジナリティ、仕事に対して、例えば、針灸の資格があって、もう少し、そこを生かしたような、みんなには見えてできることを、私は見えなくてできない、でも、みんなには、できないことを、私はできるってことを、何かやりたいと思ってて、それは今、模索中
  
  快医学っていうのは決してそれを勉強したからといって、何ら資格もないんだけれども、もちろん勉強している人は針灸師もいれば、ドクターもいれば、普通の主婦もいれば、そこらへんのおっさんもいれば、誰でも勉強にきてください、て自分で家庭で民間療法ですからできますって受け入れてくれるからこそ、値段も高い、保険が効く治療ではないからね。けど、私にとっては有益だと思ってるから、理学療法士と針灸師をまがりなりにも持ってるから、これを使って、それを網羅した治療ができたら最高だって夢を見ています。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  感じていない。決まった仕事だけをやっていればよいということであれば、自分に自信を持てるかも知れないが、視力障害は情報の障害でもあり、その場その場で状況判断をして動くということが難しくなる。しかも理学療法士はそれを要求されることが多く、仲間に迷惑をかけることも大きい。だから自信を失うのだと考えている。
  
  Tさん:PTとして視力を要求されること、例えば危険防止のために見張るとか、例えば、下肢を強化しなきゃってときには私はお手上げだけど、例えば、手足は丈夫だから、手足を使うことで、可能なことはいくらでもしたいし、それを機転を効かせて先もってやっといてあげるっていうことに関しては、視力障害っていうのは、情報の障害でもあるから、そういう意味では、能力障害だって落ち込みますよね。だから、決まった仕事があって、それをこなしてきなさいっていうのは、それだけをやってれば、そんなにも自分は落ち込まないで、能力高いかなって思うかも知れないけど、色んな状況を判断して、そこをやっていけっていうのは、かなり厳しい、PTはそれをすごく要求されるから、だからすごく落ち込むんだと思います。
  Q  :感じるか、感じないかで率直に
  Tさん:そうですね。PTの仕事で言えば、感じてません。PTの選択は私には間違いだったかも、PTの仕事は私には向いてないかも。そう思うときが、今は、7対3の割合で、間違いだったかなと。
  Q  :その理由としては...
  Tさん:繰り返すけど、視力を要求される仕事だからそれがきつい、っていうのがありますよね。後、仲間に迷惑かけるのも大きい。仲間に協力できるようなあり方ができるといいけど、協力できないことが7で、協力できることが3あるかないかなので、そう感じてしまう。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  職場では「君はいいよっていうような枠にいる」と感じている。それは悲しいことだと言う。「いいよやらなくて」ではなくて「こうしたらできる?」と聞いてくれたらうれしい、と語った。しかしそれは不当に扱われたり評価されたりしているわけではない、と考えている。周りが頼まなくても気づいてくれる人たちであり、スタッフに恵まれていると感じており、むしろ、Tさん自身がアピールをしないのがいけないのだ、と思っている。また、障害に合わせた就労のかたちが保障されているとは感じていない。しかし仮にTさんだけのために多額の環境改善をしたところで、それに見合った働きが自分にできるのかと考えてしまい、つい言うことを躊躇してしまいがちになると言う。
  
  Q  :もっと自分はそうじゃなくて、こういう風に接してほしいんだってことはある?
  Tさん:視力のことで判断するっていう仕事は無理だけど、こうしたらできるっていうことを私が訴えることで、それをやらせてもらいたい。何もかもができないじゃなくて、できることも多いから、それを一緒に考えてもらいたいかな、こうしたらできる?ってことを聞いてくれたらうれしいな。いいよ、やらなくて、じゃなくて。目を使わなくってもできることって結構あると思うから、(省略)何もかもできない、いいよ、やんなくて、じゃなくて、これできる?ってまかせてくれるとうれしいかな
  Q  :今の職場で、不当に扱われたり、評価されてるなって思うことはありますか?
  Tさん:ないですね。それはないです。
  Q  :仲間として、対等であると感じるかどうか。弱者・強者の不釣り合いな関係ではないか
  Tさん:私は自分が対等で一緒にみんなと仕事をしているは思ってないから、みんなは対等に私を仲間として受け入れてるかもわからないけども、私のなかでは、それは満足もしてないし、自覚もしてないから、だから、周りのことじゃなくて、自分のなかでの問題が大きいのかなって。
  Q  :周りの人とどういう関係にあると思っていますか?
  Tさん:これはできないから、君はいいよっていうような枠のなかにいるのかな。
  Q  :それは、でも、Tさんにとってどういう気持ち?
  Tさん:不満とか、そうじゃなくて、悲しいですね。悲しいね。
  Q  :それは、でも、不当に扱われたり、評価されてるってことじゃないの?
  Tさん:それって違うと思う。それは、あくまでも周りの責任じゃなくて、私がアピールをしないから、と思う。こうしたらできるよってことを、自分からもう少し話してけばいいんだけど、(省略)
  Q  :今ね、障害に合わせた就労のかたちっていうのが保障されていると感じますか?
  Tさん:感じてませんね。
  Q  :それは、あの、どうしてそういう風に感じますか?
  Tさん:リハビリの仕事は目を要求されるし、目を要求される割合が多ければ多いほど、私のできる仕事の範囲は減るし、そうすると、合わせているかって言えば、そうではないですよね。同じようにバリアフリーってかたちでね、例えば、前に提案したことがあるんだけれども、訓練室のなかで歩いてると、どこいるんだか、わかんなくなっちゃう時がありますよね、方向修正するために下に白いラインがありますよね、歩くとわかるように浮き上がらせてもらいたいと、それがでも、足の不自由な人にはそれが障害になるとよくないから、だけど、足で触るとわかる傷の付け方って方法があると思うんだよね、そういう工夫とか、あと、そういうものに対する提案も言ってるんだけど、なかなか対応してもらえないし、意見を言えない状況、私のなかでね、意見を言ってはいけない状況になっている...
  Q  :それはなんでですか。言えない状況っていうのは...
  Tさん:たった私一人のために、それをして、お金をかけてするべきことなのかどうかってことですよね。バリアフリーは必要だけど、それが必要なのはたった一人私だけですよね。患者さんにも必要じゃない。患者さんに必要なら、もっと強く言えるかも知れないけど、スタッフとしての私のために、視覚障害のためのバリアフリーのいろんな方法ってあるけれども、お金をかけて使う、私に価値があるかどうかって
  
  【事例4】 
  福祉を知ることは自分を知ることになる、自分以外の障害を持つ人たちの役に立ちたい、と福祉系の大学に進み、現在は新人相談員として介護老人福祉施設で働く男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:T.R
  性別:男性
  年齢:24歳 
  障害状況:視覚障害1種1級。先天性の全盲。生活全般のことは自立して行えるが、人がいれば頼むこともある。
  家族構成:都内で家族とともに生活している。
  就労経験:福祉系の大学を卒業した後、1年間、視覚障害者の授産施設でアルバイトをしていた。そこは点字の出版所のようなところであり、Tさんは、ボランティアなどによって点訳された本を、校正し、完全な出版物にするまでの作業を担当していた。例えば、区の広報誌などの出版物の校正をしていた。またその間、公務員になるための勉強をし、次の年には福祉職公務員として働くことになった。現在は、介護老人福祉施設に相談員として勤務している。
  
  ◆ 福祉職公務員として働く−動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
   高校時代に進路について悩んでいたときに、地元の福祉事務所のワーカーさんが、心に響く話をしてくれた。自分もこういう仕事に就きたいと思った。Tさんは、大学で障害者福祉の勉強をしようと決めた。障害者福祉を知ることは自分のことを知ることにもなるし、自分以外の障害を持つ人たちのために自分が役に立てることはないか、と考えるようになった。
  
  Q  :社会福祉の...N大学でしたっけ?障害者福祉の勉強をしたいと思われたですかね。そして、そこの大学に入られた?
  Tさん:はい。そうです。
  Q  :障害者福祉の勉強をしてみたいと思われたのはなんでだったんですか?
  Tさん:障害者福祉のことを知ることは、自分のことを知ることにもなるし。自分以外のそういった人のために、自分が役に立てることはないかなぁと思って。あの、高校時代は、あの、そこの大学を行きたいと思って。やっぱり、自分が悩んでたときに、あの、まあ、地元の福祉事務所のワーカーさんが、いいなぁと思う話をしてくれたことがあって、そういう仕事に就きたいなぁと思って福祉大を選んだんですけど。
  
  2 活動の内容
  上述のとおり、授産施設でのアルバイトを経て公務員となり、今年で2年目になる。Tさんは当然障害者福祉の分野で働くことになると思っていたが、蓋を開けてみると勤務先は介護老人福祉施設だった。仕事内容は、窓口の対応や電話による入所相談や申し込みの対応、また、他の相談員が休みのときなどに、施設内の朝の申し送りを行ったり状況の確認をしたり、行事の起案や企画をしたりしている。
  
  Tさん:愛知の福祉系の大学に行ってたんで、あの、まあ、その、生かせる、その、自分の得た知識が生かせるところが行きたいな、と思ったんですけど。自分、専攻、障害者福祉だったんですけど、あの、公務員になって、高齢者の分野に配属になるとは思わずに、ちょっとびっくりしたんですけど。でも、何か、結構、毎日、いい経験をしていますね。
  Q  :具体的に言うと、どんなお仕事?
  Tさん:そうですね。いま、あの介護課に来るお客様の窓口の対応とか、あと、あの、入所の相談の、申し込みのあれとかあるじゃないですか、電話対応とか、あと、あの、相談員さんのお休みのときに、各寮に行って、朝の申し送りに行って、まあ、状況を聞いてきたりとか、あとはあの、老人大学とか、行事関係の起案を書いて、まあ、企画したりとか、まだ、とりあえず1年目で、それぐらいしかできてないんですが...
  
  3 今後の希望・目標
  1年目は、周囲の仕事ぶりを見て、勉強して、未熟な部分をどう補おうかということで頭がいっぱいだった。だたやるだけという感じだった。これからいろいろなことを経験して、模索して、仕事の方向性を見定めていきたいが、当面の課題として、この1年は与えられた仕事や指導を受けたことだけをやってきたので、1年間で身につけた基礎を応用していったり、利用者に直接関わる仕事をしたりして、自分から仕事を見つけていけるような職員になりたいと思っている。
  また大きな目標として、利用者としっかりと対話ができ、知識を深め、的確なアドバイスができるような職員になりたい、社会人として周りの人を惹きつけることができるような、そういう仕事ができるようになりたいと思っている。

  Tさん:いや、あの、まあ、あの、そうですね。自分としては、あの、まあ、2年目以降、利用者さんに関われたらいいなぁって、思ってるんで。やっぱり、あの、まあ、せっかく老人ホームにいるので、まあ、移動するまでの間でも、ちょっと、あの、仕事をやれたらと思って、やってます。
  Tさん:とりあえず1年目っていうのは、みんなの仕事ぶりを見て、勉強して、未熟な部分をどうして補うかって     ことで頭がいっぱいで、まだまだ、そんな、これいい、ってかんじは思ってない、来年も、来年になったらどうなるかわからないけど、まあ、とりあえず、1年目はただやるだけってかんじ...
  今は、ちょっと、いろんなことを経験して、いろんなことを模索して、あの、まあ、これからどうなっていくか、自分でどうしていきたいかっていう、仕事の方向性を探っている段階なので、あの、まだまだですね。

  Tさん:まだ1年目ってことで、うん、まあ、今年も、ちょっと、与えられた仕事だけやって、指導を受けたことをやって、って感じだったんですけど、まあ、来年は、少しでもいいんで、自分、向上させるような、自分からまあ課長とかに相談して、仕事を見つけていけるような、そういった職員になりたいな、と思うんですけど。この1年でやったことは、基本的なことばっかりだと思うんで、それをなんとか応用していける仕事を、具体的にどうこうというのは、あれなんですけども、そうですね...はい
  Q  :あんな福祉職になりたいとか、こんな人になりたいとか、あるんですか。Tさんの目指す自分っていうのは、なりたい自分っていうのかな?
  Tさん:どうでしょうね。やっぱり、利用者の人としっかり対話、コミュニケーションができれるような、あとは、的確にアドバイスできるような、知識を深めて、あの、そういった職員でありたいなと思いますけど。
  Q  :モデルにしてる人とか、憧れの人とか、なんかいるんですか。こういう風に自分もなりたいとか、(省略)モデルになるような人っていうかな
  Tさん:モデルね...そうですね、やっぱ、モデル...あんまり考えたこともないですね。でも、自分の大学んときにゼミの先生が、障害を持った肢体不自由の脳性マヒの先生だったんですけど、そのときに、すごいその先生の授業っていうのが、障害を持つ僕にとっても、みんなにとっても、魅力的な授業だったんで、やっぱり、そういった、周りの人を惹きつけるような、そういった、社会人として、そういった仕事をしたいな、と思ったんですけど。
   
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  障害を持っている人のなかには、働く機会なく在宅で過ごさざるを得ない人もおり、そういう人たちに比べれば、勉強をしながらいろんなことを吸収して働けることに充実感を感じている。しかし自己肯定感や有力感は感じていない。無力感を感じることもある。周りと比べて自分はこれしかできない、こんな簡単なことができないと思うときにそのように感じると言う。またそれは「働いて間もない新人だからできない」というよりも「障害があるからできない」という部分でそう感じることが多いと言う。
  
  Q  :いま、Tさん自身がこの仕事をしているなかで、自分を肯定できたり、自分はこの仕事をやるだけの力があると、感じていますか、感じていないですか?
  Tさん:そうですね。ていうか、やっぱり、こういう厳しい環境とか、あの、そうですね。自分でやりたかった仕事ですけど、いろんな現実とかも見えてきたし、環境も厳しい環境でつらいこととかもあるんですけど、あの、まあ、自分的に言っちゃえば、障害者の人でも、働けなくて、在宅で過ごされてる方がいるわけじゃないですか、そういう方たちに比べると、こういった厳しい環境のなかで勉強をしながら、いろんなことを吸収しながら働けるっていうのは、すごく意味があることだと思うし、自分の仕事も、毎日が充実してるって言えると思います。
  Q  :Tさんご自身は、まあ、自分に自信を持って、仕事をしていらっしゃるかどうか、っていう面では、どうですか?(省略)つらいこともたくさんあるんだっておっしゃってましたけど、それはどんな...
  Tさん:そうですね。やっぱり、えー、できないことが多いってことかな、やっぱ、みんなが簡単にできちゃうことができないっていう
  Q  :もどかしさとか、ですかね
  Tさん:そうですね。あの、そういったことで、自分に無力感を感じることがあったりして、それが結構つらかったりすることがありました。
     
  Q  :先ほど、無力感、というキーワードがでてましたけど、無力感っていうのは、周りからの評価でそうなるのか、それとも、自分の基準に達してないような、自分のなかの出来事として、無力感ていうのを感じちゃうのか
  Tさん:やっぱ、自分のなかですね。周りは別に気にすることもないんですけど、あの、ま、自分自身で、これでいいのか、って問い直したりすることもありますね。周りが一生懸命これだけやってるのに、自分は、これだけしかできないでいいのか、みたいなことを考えたりしますね。そういう点で、無力感、てことを言ったんですけど。
  Q  :じゃあ、これ、そうだな、どちらかで、答えていただけるとありがたいんですけど。自己肯定とか、有力感っていうものを感じているか、いないかで、どっちを選ぶかってことで教えてください。働いているなかで、ってことですよ。
  Tさん:あ、僕感じませんね。
  Q  :そうか。感じない理由っていうのは、先ほど
  Tさん:そうですね。あの、無力感とかそういうのあるから。
  Q  :充実感はあるって言ってましたね。
  Tさん:充実感っていうのは確かにあるんですけど、自分はこれだけしかできないじゃないかって言う気持ちは、常にあるので、あの、そういうの、で、
  Q  :それはね。障害があるがゆえにそう思ってしまうのか。それから、今新人ですよね、仕事を覚えなきゃいけない、そういう、過程のなかにあるわけで、その両方があるんじゃないかと思うんですけど、例えば、天秤にかけるとしたら、どちらの比重が大きいですか。 
  Tさん:障害でしょうねぇ。それを言い訳にしたくはないけど、障害だと思います。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  職場では最初、周りはベテラン職員ばかりでカルチャーショックを受けた。学生気分でいたりすると周りは冷ややかだった。僕にできることはないですかという声かけが足らずボーっとしてしまい指導を受けたこともあるし、周囲に確認を取らなかったがために後で大変なことになってしまったこともある。「障害を持ってるからできないんですけど」と言ったところ周囲から怒られたが、「障害があるからこういう工夫をしたんだけどできなかった」と言ったら助けてくれた。権利ばかりを主張するのではなく、頼み方の工夫をしていきたいと語った。とは言っても視覚障害を持っていると、紙の向きや判子が押してあるかなど、簡単なことがわからない、ということが意外に多い。それをその都度確認するというのは、周りが忙しそうに働いている様子が伺える程、気兼ねしていまうのだ。どう工夫して補えばよいか、毎日考えることはたくさんあると言う。
  Tさんは、職場で不当に扱われたり、評価されたりしたことはないと感じている。周囲は障害を理解したうえで、厳しくいろんなことを指導してくれていると感じている。また、仲間として対等かどうかについては、ベテラン職員というイメージが強いので仲間という感じは持っていないということである。また、パソコンが入ったり福祉職場ということで周囲の理解があったりすることから、障害に合わせた就労のかたちは保障されていると感じている。
    
  Tさん:N(現在の職場)に来て、常に誰かに見られてるし、みんなのやる仕事が、ベテランの方たちばっかりなんですごい、みなさんすごいやってらっしゃるんで、自分、はじめはカルチャーショックを受けたんですですけど。
  吸収するとこを吸収して、まあ、自分なりの、自分のペースでやっていっているんですけど、なかなか、ベテランさんばっかりで、ちょっと学生気分でいたりするともう、冷ややかですよね。だから、やっぱり、仕事っていうのは厳しいもんだっていうのを、授産施設にいたときよりは全然、そういった意識っていうのは違ってますけどね、自分のなかで
     
  Tさん:僕にできることはないですか、って声かけみたいなのが足りなくて、結局、ぼーっとしちゃって、そこを指導されたりとか、あとまあ、自分から、工夫とかしたりとか聞いたりとかしないで、そのままにしちゃって、あとで大変なことになっちゃったりとか。そういう、なんか、一声かければいいのに、っていうそういった、消極的な部分があって、そういうの考えてこうかな、と思っている
  Q  :一声っていうのがなかなか難しい?
  Tさん:そうなんですね。なかなか難しいんです。恐いですし。
  Q  :ベテランさんばっかりだからやっぱり、っていうのも、っていうか、なんていうか。でもTさんとしては、もっと自分の障害のことを考えてくれよ、とは思わない?
  Tさん:そうですね。それでも、権利行使ばっかりしていたら、うーん、ある程度、自分の障害とか権利とか主張するのも大事だろうけど、仕事として給料もらっている以上は、そういうことは、なるべく控えめにした方が、いいんじゃないかなぁと思うんですよ。障害を持ってるけど、こういう仕事はできない、障害を持ってるから、こういう仕事は人をつけてもらわなきゃできない、とか、ずっと、障害が大変だから、ということを言ってると、周りも嫌気がさすっていうか、そうだと思うので。なるべく、だから、ね、ちょっとあるかも知れないけど、障害によってできないっていうんじゃんくって、どういう風に工夫すればできるかってのを心がけてるんですけど。
  Q  :工夫で上手く思い通りの対処ができないこともあるんじゃないかと思うんですけど...
  Tさん:そういった場合は、そこらへんのバランスですよね。やっぱ、あの、他人に頼むときに、こういう風に工夫したんだけどできなかったですけどっていうのと、僕、障害があるからできないんですけどって頼むのは、やっぱり、聞いたイメージが違うじゃないですか、がんばったんだけど、できなかったんだなぁ、ていうの。だから、まあ、最初の頃は、障害があるからできないんですけど、って言って、周りの人に怒られたりしたんですけど、障害があったから、どういう工夫をしたのかっていうのを考えるようにってことで、やっぱり、言われ方の違い、ま、工夫したんだけど、できなかったっていうことに関して、どうしてもできないってことを言ったりすると、結構みんな助けてくれると思うので、言い方の違いがあると思うんですけど。

  Tさん:仕事上ですね?あの、健常者の人たちが簡単にできることが、例えば、紙に判子を押したりとか、コピーをしたりとか、FAXをやったりとか、簡単にできること、紙の向きがわからないとか、そういった、簡単にできることが、僕たちにとっては厳しい、いろんな工夫が必要なので、やっぱりそういうところで悩むことは多いですよね。常にちょっと、文字なんかに関してはちょっとした手を借りなきゃいけないとか、でもみんな忙しそうにしてるのに、声かけにくいよなっていうのはありますね。
  Q  :ありますか。それはやっぱり、気兼ねをしてしまう、ということもありますか?
  Tさん:はい。あります。やっぱりうーん、変な話だけど、僕たちは、子供よりも、ある意味、いろんなことができなかったりする部分があるわけで、そういうところを、どう工夫して補っていこうかな、というのを、で、毎日考えさせられることが多いですけど。
  Q  :それはなるべく、周りの人の手を煩わせないで、自分でできるような形で、
  Tさん:そうですね。なるべくやってるんですけど、どうしても、やっぱ、見てほしいときとかあるんですけど、そういう時って、周りの人たちが、すごい忙しそうにしてると、あっこんなことで見てもらうのどうかなっていうのがあったりして、結構、変な気遣いすぎちゃうことがよくある...

  Q  :ここで働いているなかで、自分が障害者だからって、不当に扱われたり、マイナス評価されたりしているってことはありますか?
  Tさん:そういったことは、ないですね。みなさん、ちゃんと、障害って理解してくれたうえで、厳しくいろんなことを指導してくれている方たちが多いんで、障害がマイナス評価になってることは、多分ない思います。
  Q  :周りの方たちは、仲間として対等であると感じるか。弱者・強者の不釣り合いな関係ではないか?
  Tさん:あの、若い同期の人が一人でもいれば、そういう感じ(仲間という感じ)するかも知れないけど...40代、50代...だからそういう仲間っていうよりも、先輩、ベテラン職員って感じのイメージの方が多いですよね。(省略)
  Q  :障害に合わせた就労のかたちっていうのが、いま、保障されていると思いますか?
  Tさん:事業によっても違うと思うんですけど、まあパソコンも揃えていただけたし、やっぱし、福祉の職場ということで、みんな結構理解してくれる方たちが多いので、そういう点では、(ここは)保障されている方じゃないかなと、他の企業とか知らないんですけど、僕の考えから言えば、そう思います。
  Q  :足りない部分もたくさんあるわけですよね
  Tさん:そうですね。ええ、まあ、どこはどうとはちょっとあれですけど、いま、咄嗟には思い出せないですけど、まあ、やっていくなかで、ここをもうちょっと配慮してほしいなっていう部分は多々あると感じていますけどね。
  
  【事例5】 
  授産施設ではあるが工賃も高く、企業に近い職場環境なかで、職務技術を向上させ、給料をもっとたくさん貰えるようになりたいと語る女性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:H.N
  性別:女性
  年齢:28歳 
  障害状況:脳性麻痺。歩いたり、身の回りのことはできたりするが、麻痺性の構音障害があり、会話するうえで聞き取りずらさがある。
  家族構成:現在、T授産施設から歩いて10分程のアパートで一人暮らしをしている。平成14年9月までは施設に入所していたが、障害者を施設に閉じこめず、地域で暮らすことが望ましいという施設側の方針により、9月で入所スペースが廃止された。両親は千葉に住んでいるがそこからの通勤は困難と判断し、現在の居住場所から施設へ通うことになった。
  就労経験:就労経験はT授産施設以外にはない。養護学校在学時に、先輩からここがよかったという話を聞き、見学と体験実習をさせてもらいT授産施設に決めた。
  収入と生活:T授産施設における月収は7万円程度、年金や手当を含めると月の収入は15万円程度になる。給料はそっくり家賃代になるため、年金や手当を生活費にあてている。食事は、平日の昼食と夕食いついては施設から提供される。朝食と土日の食事のみを自分で賄っている状況である。
  
  ◆ 授産施設での仕事内容について −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  養護学校在学時に先輩からここがよかったという話を聞き、見学と体験実習をさせてもらったり、他に企業の見学もしたりしたが、一般会社は不景気の時に辞めさせられるかもしれず、長く勤められるところをと思いT授産施設に決めた。障害者の施設だから自分に合ったペースでやれたり、上司にも気長に見て貰えたりしたのでここまでやってこれた、と語る。
  
  Q  :ここに勤めるようになったきっかけは?養護学校の方に何かお話があったんですか?
  Hさん:養護学校には、全国の施設の案内とかを、企業が置いてますから、そこから見たりとか、1こ先輩に、T授産施設の見学をして、よかったという話を聞いたので、私も見学させてもらって、体験実習をさせてもらって、それで決めたんですけど
  Q  :決めた時のポイントは何かありましたか?
  Hさん:今、ちょうど、不景気になったから、一般会社に勤めても、すぐに、障害者だから、辞めさせられることも考えて、少しでも長く勤めたいと思ったので、施設だったら、首切りはないので、それで、やっぱり、障害者の施設だから、自分に合ったペースでやれるし、長い目で見て頂けるかな、と思って、入ったんですけど。すぐに、戦力にはならなかったので、上司の方にも、気長に見てもらえたので、ここまで、やってこれました
  
  2 活動の内容
  T授産施設では、印刷作業を行っている。HさんはDTPという、パソコン上で文字を組み立てる仕事を分担している。文字を打つ作業は外注をしているということであり、Hさんは、それをレイアウトしていく作業をしている。打つ作業は障害者用マウスを使用している。なるべく勤務時間内に終わらせるようにしているが、作業スピードが遅いため、時間内に終わらないこともある。DTPの仕事は覚えることが多く、まだまだ戦力ではないと感じている。私に向いてないかな、と思ったこともあったが、障害から見て、他にいける部署がないので、ここでがんばるしかないと考えている。大変なこともあるが、働くことは当たり前の営みであり、逆にそれが無くなってしまったら、人間としてダメになっていくのではないか、とHさんは考えている。また、ここで働くことでHさんの存在を思ってもらえることも、働く理由の1つになっている。
  
  Q  :Hさんは、今、どんなお仕事をされているんですか?
  Hさん:DTPの。文字の組み立てですね。
  Q  :パソコン上でやってるんですか?
  Hさん:そうですね。
  Q  :お客さんから注文がきますよね。それをパソコン上に起こしていく作業?で、文字を中心にやってるん  ですか?
  Hさん:文字を打つのは時間がかかるので、文字を打つ人は、外注って決まっているので、開いてるときは、やりますけど、膨大なデータですから、外注に。それが上がってきたら、私たちが組み立てる。
  Q  :組み立てる、というのはレイアウトみたいなこと?
  Hさん:はい
  Q  :これまで10年間働いてきたわけですけど、10年間、同じ仕事をされてきたわけですか?
  Hさん:はい
  
  Q  :いま、覚えることがあって大変だということですが、と思いつつ、仕事をしてきたわけで、そのプロセスというのは、どうでしたか?仕事を覚えたり、苦労もあったんじゃないかと思いますが、どうでしたか?/Hさん:正直、私には向いてないのかなって思いましたけど、でも、いくところがないので、やるしかないので/Q:ここでも、他の部署に移ったりとか、そういうことは、考えてないんですか?/Hさん:考えてないですね。/Q:それはなぜ?/Hさん:ここには、もう、DTPの生産管理、がないので、今の部署でがんばるしかないので/Q:他に行き場が、前はあったのに、なくなっちゃった?/Hさん:前も、仕上げと印刷なので、とても、無理だったのね。/Q:今の仕事が向いてないとおっしゃってましたけど、どうして、そう感じますか?/Hさん:最初は、飲み込みが悪いので、迷惑ばっかりかけている、と思ってんですけど、今の部署しか、がんばるしかないから/Q:しょうがないか、みたいな。パソコンの仕事は、マウスつかってやってるということですが、障害があることで大変な部分もあるんじゃないかと思うんですが、その辺はどうですか?飲み込みが悪いとかじゃなくて、障害があるから、やりずらい部分とか、あるんじゃないですか?/Hさん:正直、障害持ってるから、働くことがつらいですけど、働いてお金を取って、自分の生活をすることが、基本ですから、やるしかない/Q:障害を持ってる人のなかには、障害者年金とか、手当とかで、暮らしてけばいいやって考えの人も、中にはいると思うんですが、どうですか。Hさんの場合は、働くのが基本だという考えということですが、その辺は?/Hさん:いろんな人がいますけども、私は、なんとか、働けると思ったので、働いて、給料をもらって、生活していきたいと思ったから、やってるだけで、それに、働いてここに来てるだけでも、人と知り合ったり、少なくとも、H.Nがいたら、ってことは、少なくとも思ってもらえますからね。/Q:H.Nの存在はないと欠けてしまいますからね/Hさん:そこまではいかないですよ/Q:Hさんにとって働くということは、どういうことですか?/Hさん:普通のことだと思ってますけど、障害者が働くということは、一般的に、偉いとか、そういう感じの人もいると思うけど、でも、私は、普通の生活をしてるだけですから、深く聞かれても、ちょっと困っちゃう/Q:今の、働くってことが無くなってしまったら、どうですか?/Hさん:それは、困るかな、正直、年金をもらっていれば、生活はなんとかやれますけど、気持ちというか、やっぱり、働いてないと、だんだん、人間として、ダメになっていくと思うので、なんとかしてでも、身体が続く限り、働いていた方がいいと思ってますから
  
  3 活動の目標、今後の希望
  今後は、もっと給料をもらえるようにいろいろな技術を身につけていきたいと考えている。一般就労したいという希望はあるが、「普通の人だってリストラされるんだから」と楽観視はしていない。こういう仕事に就いてみたいという希望はなく、普通に暮らせれば十分だと語った。
  
  Q  :DPTというお仕事をされて、10年が経ったわけですが、この活動を通して、目標とすることがあったか、あるか、っていうことについては、どうでしょうか?
  Hさん:もっと、お給料がもらえるために、どんどん、身につけることは、一番だから、
  Q  :お給料貰えるために、いろいろな技術を身につけていく?
  Hさん:はい
  
  Q  :これから、一般就労したいとか、そういう希望はどうですか?
  Hさん:ありますけど、この時代ですからね。普通の人だって、リストラされるんだから
  Q  :チャンスがあれば、一般就労はしたいと思っているわけですね?
  Hさん:はい
  Q  :こんな仕事についてみたいとか、希望はありますか?
  Hさん:それはないですね
  Q  :こういう働き方がしてみたいとか、そういう希望はありますか?
  Hさん:普通に暮らしていければ十分ですけどね。
  Q  :欲がないですね。(笑)
  Hさん:普通ができない人もいっぱいいますからね。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  前向きに取り組む自分は肯定できるが、実力はまだまだ、自信はない、と語る。毎日の繰り返しを積み重ねていかないと自信には繋がらないと感じている。
  
  Q:働くことに関して、Hさんご自身が、自分を肯定できたり、自信が持てたり、力があるか、感じるか、感じないか/Hさん:それは、感じます。/Q:それは、どうして、そう感じますか?/Hさん:前向きにやっているからです。/Q:それは、昔の自分と比べてどう、とか、ありますか?/Hさん:昔から負けず嫌いだったから/Q:あまり、変化はないですか?/Hさん:はい/Q:今、働いてる自分に自信はありますか?/Hさん:自信はないです。ただ、まだまだ。/Q:力があるなって感じます?/Hさん:今の段階は、まだ、力もないと思ってますから/Q:自分を肯定できます?働いてるなかでの自分/Hさん:はい。だけど、力は、まだまだ足りない、と/Q:感じるところと感じないところがあるんですね。自分の前向きな姿は肯定できるけど、実力っていうのは、まだだなと思ってて、自信ていうのも、まだ、ないかな、というかんじ/Hさん:ないです/Q:これから、どうすれば、自信が持てたり、力があるなって思えるようになると思いますか?/Hさん:毎日の繰り返しを、積み重ねていかないと、自信には繋がんないと思う
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  T授産施設では、不当に扱われたり評価されたりすることはなく、他の働く仲間(健常者も働いている)とも対等な関係であると感じている。障害に合わせた就労のかたちについては、ここに限らずそれが保障されることはないと考えている。それは働くことが基本としてあるからだ、とHさんは言う。
  
  Q  :この中で、健常者が働いていると思いますが、仲間として対等であると感じるか、弱者・強者の不釣り合いな関係ではないかどうか 
  Hさん:私、あんまり、人と関わって、関わるのがいやだって気持ちはないんだけど、あまり関わってないので、差別というか、ないって感じてますけど
  Q  :仕事をするうえでは、どうですか?仕事をしていくなかでの関係があると思いますが、そういった面では、どうですか?不釣り合いな関係を感じることはありますか?
  Hさん:それはないんですね。普通に、関わっているので
  Q  :いやな思いとかはないですか?
  Hさん:はい
  Q  :障害があることで、差別されてるな、とか、そういうような感じを持つことはありますか?
  Hさん:ないですね
  Q  :Hさんの障害にあわせた就労のかたちが保障されていると感じますか?
  Hさん:それは、ここに限らず、保障するのは、ないと思ってますから、ここだって、つぶれる場合だって、あるかも知れないんですよね。この時代。だから、もう、この時代だから、それは、頭に入れて、働いてますけどね。
  Q  :今、障害に合わせてもらった働き方はしていないかな、と思ってる?
  Hさん:障害に合わせたっていうか、ここは、働くことが基本に立ってるから、障害に合わせて働くことは、先ず、難しい


  【事例6】 
  働き続けられることが希望。T授産施設で印刷の仕事に携わり31年。これからは、印刷工程全体の流れを管理する仕事をやりたい、と語る49歳の男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:W.S
  性別:男性
  年齢:49歳 
  障害状況:脳性小児麻痺。3級。歩いたり、身の回りのことはできたりするが、左手の使用が難しいため、主に右手で行っている。
  家族構成:秋田に家族がいたが、18歳の時にT授産施設で働くために上京。以来31年間、T授産施設で働いている。現在は、歩いて30分程のアパートで一人暮らしをしている。事例11と同様、平成14年9月までは施設に入所していたが、障害者を施設に閉じこめず、地域で暮らすことが望ましいという施設側の方針により、9月で入所スペースが廃止された。
  就労経験:秋田で生まれ育つ。中学校を卒業後、印刷の会社に勤めたが1年程度で辞め、都内にあるT授産施設へ入所。以来31年間、T授産施設で働いている。
  収入と生活:T授産施設における月収は10万円程度、年金や手当を含めると月の収入は20万円弱ほどになる。必要な生活費は賄えている状況だ。食事は、平日の昼食と夕食については施設から提供される。朝食と土日の食事は自分で買って食べたり、外食をしたりしている。
  
  ◆ 授産施設での仕事内容について −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  秋田の中学校を卒業後、職業訓練校でタイプの仕事を覚え、印刷の会社に勤めることになった。そこは全社員10人程度の小規模の会社だったが、社長は車いすの人であり、また社員10人のうちの4、5人が障害者だった。Wさんには、タイプ打ちの1日のノルマが決められていたが、片手しか使えないWさんにとって負担の多い仕事量だった。職場から「他の所に行った方がいいんじゃないか」と言われた。秋田の職安に相談に行ったところ都内にあるT授産施設を紹介された。WさんはT授産施設に行くことに決めた。他に雇ってもらえるところが見つからなかったのだ。
  
  Q  :中学校卒業されて、クリーニング屋や印刷屋で働かれたわけですね。
  Wさん:中学校卒業したら、指導所、職業訓練校に行ったんですね。そこで、タイプの仕事を覚えて、そこを終了して、印刷の仕事に行ったんですよね。1年ぐらいかな。それは秋田の会社
  Q  :そこは、ここのような、障害者の方が働かれる場所、でしたか?
  Wさん:うん。そこは、障害者の人が多かったね。社長が車いすの人だったから。結構いるな。障害者は、4、5人いたのかな。
  Q  :何人ぐらいの会社だったんですか?
  Wさん:結構大きかったと思うけど、俺含めて、10人弱ぐらい
  Q  :じゃぁ、半分近くが障害持ってる方で。そこは、なんで辞められたんですか?
  Wさん:いろいろと。
  Q  :その辺のこと、できれば
  Wさん:ある程度瞬間的に打てないからね。タイプが1日何枚打てと、そういう問題があって
  Q  :1日の仕事量が決められてたんだけど、それだけの量はなかなかやれなかった。そうすると、向こうから、辞めてくださいっみたいな
  Wさん:それは言われなかったけどね。辞めてくれっていうか、他のところに行った方がいいんじゃないかっていうかんじの
  
  Q  :ここで働かれるきっかけというのは?
  Wさん:働くきっかけは、田舎の福祉事務所で紹介されたんですね。
  Q  :田舎はちなみに?
  Wさん:秋田。そこから、職場があるんだけど、いかないかって。
  Q  :Wさんとしては?
  Wさん:障害があると、雇ってもらえるところがないからね
  Q  :で、行ってみようかと。
  Wさん:そうそう。

  2 活動の内容
  T授産施設は印刷業を行っている。Wさんは現在、伝票の入力作業とフィルム(これまで受注した印刷内容を保存したもの)探しなどを行っている。最初は製版の仕事をしていた。それから現在の部署に来た。現在は1つの部署を担当しているが、これまでに製版と現在の部署をWさん一人で受け持っていた時期もあった。今まで仕事内容の希望を出したことはなく、こちらの部署でいい?と打診されたものを行ってきた。こういう仕事に就きたいという希望もなかった。

  Q  :今の、働かれている内容は、どういった内容ですか?
  Wさん:生産課といいまして、一応、営業が受注してきたものを、伝票を入力するんですよね。パソコンに。
  Q  :それは、結構、大変なお仕事ですか?
  Wさん:大変と言いますか、そういうソフトがありますので
  
  Q  :Wさんの仕事の内容は、伝票の入力うちだけ、ですか?
  Wさん:まあ、いろいろとやってますけどね、誰かが休むと変わりに仕事が回ってくるんですよね。フィルム探しとかね。フィルムというのは、印刷でできてきたフィルムをこっちもってくるっしょ。それをフィルムに保存して、ほしい時に探しだすっていうか。
  
  Wさん:最初は、製版です。製版やって、今の生産課、今の現場のことやって、また、製版に戻って、5、6年は、製版と生産と一人の部署で受け持って、やってたこともあった
  
  Q  :仕事は、ご自分から希望を出して、それに就いたんですか?
  Wさん:ある程度希望は出すけど、やってくれよって言われるけどね。今度こっちに変わってくれないとか
  Q  :Wさんは、どういう希望を出してたんですか?
  Wさん:希望は出してません
  Q  :ここ行ってくれる?とか、今度こっちの部署でいい?って打診があって、行ってるかんじ
  Wさん:そうです
  
  Q  :Wさんが、こういう仕事に就きたかったとかありましたか?小さい頃でもいいですよ
  Wさん:ないですね。そういうこと考えたことないもん
  Q  :じゃ、仕事というのは、Wさんにとって、どういうものだったんですか?こんな職業に就きたいとか?
  Wさん:家でやってる仕事をやりたいな、と思ったことはある。親父さんがやった仕事、とかね。それに就きたいって思ったことはあったけど、それは実現しなかった。姉の旦那がさかん屋(壁塗り、ペンキ屋)やってたから、それやりたいなって思ったけど、自分は、こういう身体だったしね、そういうのあったけどね
  Q  :なんで、いいなぁって思ったんですか?
  Wさん:ただ、義理の兄貴がやってたから、でしょうね。
  Q  :一緒に働きたいと思った?
  Wさん:そういうのはなかったけどね。
  
  3 今後の目標・希望
   これらからも働き続けることができることが希望である。仕事内容については、今後は、仕事の流れを覚え、全体を見渡して印刷の工程を管理する仕事に就きたい、また、そういう仕事をすることになるのではないかと考えている。また、一般就労の話があったら受けたいと考えている。施設よりは一般就労がよいと思っている。環境、交通、給料などの条件が良ければ、働く内容にはこだわらない、ということであった。
  
  Q  :今、働くことに関して、希望はありますか?
  Wさん:ただ、働きたいってこと
  Q  :働くことがなくなっちゃうのは、やだ?
  Wさん:そうだね。
  Q  :働き続けたい? (省略)さっき印刷の流れが覚えたいっておっしゃってましたけど、そういうことと、これからやってみたい仕事の内容と関連はないんですか?
  Wさん:どんな?
  Q  :仕事の流れを覚えたいっておっしゃってたじゃないですか?
  Wさん:今もそうですよ。営業が取ってきた仕事を、どのような工程で納めなければならないか、納期を延ばすかとか、営業の人と交渉するじゃないですか、今はやらないけど、これから、やっていくと思うよ、長い目で見れば
  Q  :それはまた、大変な仕事ですね。全体を見渡して、印刷の工程を管理する仕事だから。いずれはそういう仕事をやってみたいし、そういう仕事が回ってくるんじゃないか、というかんじ?
  Wさん:うん
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  感じている。その理由は、記憶力がよく、他の人にあれはどこにあるかと咄嗟に聞かれたときに、あそこにあった、と答えられるからである。
  
  Q  :働くことに関して、自分を肯定できたり、自分に自信を持ったり、力があるなって、感じるか、感じないか。
  Wさん:感じてますね。
  Q  :その理由は?
  Wさん:自分の記憶力というか、他の人がやれないことをやれるという、ただ、それだけ
  Q  :周りの人がやれないことを自分がやれる
  Wさん:ただ周りの人がこの仕事どこにあったか、質問された場合は、あそこにあった、というふうなことは答えられる、と思います
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  不当に扱われたり評価されたりすることはなく、他の働く仲間(健常者も働いている)とも対等に話している。障害に合わせた就労のかたちについては、これまでは保障されていたが、制度が変わったのでこれから先はどうなるかはわからないと考えている。仕事がやりずらい、と感じたときは「みんなで話し合えばいい」と考えている。T授産施設では、たまに話合いの機会が持たれている。個人面談の機会もあり、そこで申し入れをしたこともある。一番の問題は、仕事の問題から生じる人間関係上の問題とのことである。Wさんの障害を理由に人間関係が上手くいかなくなったことはない。
  
  Q:ここで働くなかで、不当に扱われたり、評価されたりしたことがあるか/Wさん:それはない/Q:周りの人たちと、仲間として対等であると感じるか。弱者・強者の不釣り合いな関係はないか/Wさん:対等でしょうね。対等に話してます/Q:自分の思ってること、ちゃんと伝えたりとか/Wさん:はい。ちゃんと伝えてますね/Q:いま、障害に合わせた就労のかたちが保障されていると感じるかどうか/Wさん:まあ、制度変わったからね。これからどうなってくか、まだ、始まったばっかりだからね。これから、どうなるか、疑問だけどね/Q:今まででは、どうですかね?/Wさん:今までは、保障されてたんじゃないの?/Q:どうして感じますか?/Wさん:普段これやってください、て、頼まれれば、ああ、そうだね、って思うけど。働いてれば、なんか、保障されてる。
  /Q:保障されてないとは感じない?/Wさん:まあ、感じないね/Q:どうですかね。この仕事はやりずらいなって思うことはありますか?/Wさん:そう思うときは、みんなで話し合えばいいからね。/Q:みんなで考えていけばいいっていうのは、そういう機会はあるんですか?/Wさん:たまに話し合いとかありますよ。/Q:そういうときに、意見言ったりは、あったんですか?/Wさん:思ってることは言ってるよ/Q:どんなことを言ったんですか?/Wさん:個人面談があったときに、こういうふうに変えてほしい、とか。できないこともありますよね。/Q:今まで、どんな申し入れを?/Wさん:いろんな仕事をやってますから、コミュニケーションが上手くいかないときとかね。教え方が悪いとかじゃないからね、チーム悪いとかを直すとか、働く時に人間関係が一番。
  Q:人間関係というのは、Wさんの障害を理由に、人間関係がうまくいかなっちゃったり、ってことはないですか?
  /Wさん:それはないですね。仕事の問題ですよ/Q:例えば/Wさん:同じ仕事やってて、正しく入れてないことがわかるわけで、すいません、って一言言えばいいのに、言わなかったり。そのデータは、一人でやってない、他のところにまわってくから、最後までまわれば、間違ってるってわかるでしょ。自分だけの問題、仕事じゃないですからね。誰かが見てるからね。


  【事例7】 
  作業所での様々な活動経験に満足し、自分を肯定できたり、有力感を感じている女性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:O.E
  性別:女性
  年齢:32歳 
  障害状況:脳性麻痺による四肢体幹機能障害。2級。生活上の問題はない。歩くことは杖を使わなくてもできるが、立ち止まったり立ち続けたりすることが手すりがないと難しい。U作業所へはバスを使って1時間から1時間半程度かけて通っている。バスステップの昇り降りについては手すりがあれば可能である。
  家族構成:69歳の母親と二人暮らしである。
  就労経験:就労経験はない。養護学校を卒業後、直で、U作業所へ通うようになった。
  収入と生活:母親とOさんの年金で生活をしている。Oさんと母親の年金を合わせて月20万円程度になる。住居は都営住宅で、家賃は月1万4千円。作業所の工賃は5千円程度である。
  
  ◆ 作業所での活動について −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  養護学校在学時に、一般会社も含め、5か所ほど見学や実習をした。そのなかにU作業所もあった。一般会社は製本会社やプラスティックの機械を清掃する会社などであったが、立ち仕事が多く、身体に合わないと感じた。また、U作業所以外にも福祉の施設を見学したが、学校からの勧めもあり「よくわかんないうちに、なんとなく」U作業所に通うことになった。最初はみんなの賑やかな雰囲気に圧倒され、自分のペースでついていけるかどうか不安もあったと言う。
  
  Q:そこを卒業されて、すぐに、こちらの方にいらっしゃったわけですか。それから、かれこれ、14年経つということですね。ここに通われるきっかけというのはなんだったんでしょうか?/Oさん:学校からの実習ですね。
  Q:学校のときに、ここに実習に、いらっしゃったわけですか?その時の、ここの印象って、どんな印象を持たれましたか?/Oさん:最初ですか?最初はですね。とても慣れなくて、にぎやかな雰囲気に。ですね。/Q:最初は、ここは、あんまり、気が進まなかった?/Oさん:そうでもないんですけど。やっぱり、学校とは違ったかんじなんで。学校は規則的な生活してるじゃないですか。ですから、自分のペースでついていけるかなって、最初、圧倒されたんですね。最初の頃は、すごく。/Q:みんなのにぎやかな雰囲気に、圧倒されて、それが第1印象?ここに通うことを決められた理由は、どんな理由で、ここにしようと思ったんですか?/Oさん:一応、学校からいろんなところを回って、いろいろ見たんですけど、最終的に、ここがいいかなって思って、一応は選んでみたんですけど、最初はやっぱり、圧倒されました。/Q:いろいろ見て回られたんですか?何か所ぐらい、見て回られたんですか?/Oさん:5か所ぐらい。一般会社も含めて。/Q:一般会社は、どんな会社だったんですか?
  Oさん:製本会社とか。プラスティックの機械を清掃したりとか。一般会社もみたんですけど、やっぱり、身体に合ってないんで/Q:身体に合ってないというのは/Oさん:立ち仕事とか、そういうのが多かったんですよね。やっぱり、そういうのは無理なんで、座ってできる作業が主になると思うんで、そういうところがなかった、回ってて、適したところがなかったんで、こういう福祉の方にも回ってみたんですけど、そこで、実習をして/Q:ここで実習をしたんですか?/Oさん:あともう1か所/Q:もう1か所は?/Oさん:O橋の方の、障害者センターの、この近くなんですけど/Q:一般の企業では、実習はなかったんですか?/Oさん:はい、見学だけ。
  Q:障害者センターとここと実習してみて、最終的にここに決めた決め手っというのはなんだったんですか?/Oさん:なんだったんでしょうね。よくわかんないうちに、なんとなく入ってたのかな?/Q:周りの人からの勧めは、結構あったんですか?/Oさん:はい、学校からの勧めもあって、なのかな?/Q:そうすると、Oさんご自身としては、ここに強く、入りたいと、思ったという訳でもなかった。/Oさん:最初は、そうなのかも知れない。なんか所かあって、どうしようかって迷って、一番ではなかったのかも知れないですね。だから学校の勧めが主で、最終決定した、ということなのかも知れない
  
  2 活動の内容
  現在は、定期的に発行しているニュースの発送作業や会計を行っている。発送作業では、本を封入したり、宛名を貼ったりしている。発送作業のない時は作業所の掃除や片づけを行う。またこれまで、パソコンも行った。しかしパソコンは目に影響がくることを心配し、断念した。その他には、写真の紙焼き(版下作りのような作業)も経験している。一時期、そのような機械が導入されたときのことである。
  
  Q  :ここでは、どんなお仕事をしてらっしゃるんですか?
  Oさん:発送作業ですね。
  Q  :発送する時期になるとお忙しくなるようですが、発送っていうのは、ある一時期ですよね。他の期間はどんなことをされているんですか?
  Oさん:お掃除とか、片づけが主ですね。
  
  Oさん:ここでいろいろ、全然、何もやったことがなかったんで、今まで、いろんなことが身につけられて
  Q  :例えばどんなことを身につけられましたか?
  Oさん:最初のうちは、最初は、今、パソコンですけど、昔はワープロですよね。そういうことも、多少やった時期もあったりして、ここにないんですけど、写真の紙焼きですかね。
  Q  :写真の紙焼き
  Oさん:版下作りみたい。版下作りみたいな機械も一時期あって、やったこともあったし。ですかね。今の発送も。
  Q  :そうすると、いろんなことを、ここに来てから
  Oさん:学べましたね。
  
  3 これからの目標・希望
  できれば一般企業で働きたいと考えている。ここで経験したことを生かせ、手先を使った座ってできる仕事があればと考えている。今後、母親の高齢化のことを考え、収入の面で心配があるのだ。しかし6年程前に婦人科系の病気をし、病気は治ったものの、同じ体勢で仕事を続けたときに疲れやすくなったり、足や指が動きづらくなったりしたと感じており、体力的な心配がある。
  
  Oさん:できれば、ここでの経験も生かして、就いてみたいなぁ。
  Q  :一般就労してみたい。一般就労してみたい、というのは、Oさんのなかで、理由があるんですか?
  Oさん:やっぱり先のことを考えると、ここでの収入じゃやっていけないかなって
  (省略)
  Q  :ちなみにお母様は今、お幾つでいらっしゃるんですか?
  Oさん:69です。
  Q  :まあ、確かに決して、お若くはないですね。これから先のことを考えるとちょっと心配?収入のことなんかも...
  Oさん:ですから、何かあった場合、やってみたいな、ていう気持ちはあります。
  Q  :仕事の内容に関しては、座りながらできる仕事であれば、職種にはこだわらないで、やってみようと思っている?こんな内容の仕事がしてみたいとか、何か、ありますか?
  Oさん:できれば、ここでやってるような仕事が、今ままで経験してきたことを生かしてできることがあれば、やってはみたいと思うんですけど
  
  Q:これから、一般の企業とか、というかたちで、働いてみたいとか、そういうお気持ちはありますか?/Oさん:できればそうしたいなと思ってるんですけども、今、体力的にもどうかなぁって。/Q:体力的な心配、というのは、もう少し具体的に教えていただけますか/Oさん:ちょっと、6年ぐらい前に、病気をしまして/Q:それは、どんな病気だったんでしょうか?/Oさん:女性の/Q:婦人科系の?/Oさん:の方の病気をしまして、それからなんとなく体力も落ちたような気も...今までできてたこともしにくくなったりとか/Q:それはどんなことですか?指先のこととか?/Oさん:いろいろ/Q:他にはどんなことですか?/Oさん:足も指も、もうちょっと動いてたんですけど、指先が動かなかったりとか、足の運びが悪くなったりとか、長い時間同じ体勢で仕事をしていると、疲れやすくなったりとか、/Q:ご病気になられたのは、今から6年前?/Oさん:そうですね。それが原因かどうかわからないんですけど。/Q:今、ご病気の方は完全によくはなられたんですか?/Oさん:はい。一応。/Q:一般就労はできればやってみたい?/Oさん:そうですね、でも、体力的にどうかな。/Q:例えば、こんな職業に就いてみたいとか、そういう希望は、何かありますか?/Oさん:やっぱり、座ってできる仕事ですね。手先でできる
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  「どちらかというと感じるのかな」と答えた。その理由は、ここでいろいろな技術を身につけることができたから、だから感じられるのかもしれない、ということである。随所にU作業所で様々な活動経験ができたことを肯定する発言が聞かれたので、納得できる回答であった。Oさんは、経験したことを今も生かしている部分があったり、手先の動きが良くなっているので訓練になったりしているのではないかと思っている。
  
  Q  :今度の質問に対しては、そういう風に感じるか、感じないかで、2つに1つで、できれば、お答えください。ここで働くということについて、自分を肯定できたり、自分に自信が持てたり、自分は力があるなって、感じるか、感じないか?
  Oさん:どっちかっていうと、感じるのかな?やっぱり、学校出て直にきたんで、ここでいろいろ、身につけられたんで、そういう面からすると、感じられるのかもしれない。
  
  Q  :そうすると、いろんなことを、ここに来てから
  Oさん:学べましたね。
  Q  :それは、Oさんにとってどうでした?
  Oさん:経験したことなかったんで、とてもプラスになって、今も生かしてる部分も多々ありますね。
  Q  :どんなところ生かされてますか?
  Oさん:手先が、手の動きが、速くなったり、訓練にもなってるのかなぁって思うし。
   
  ◆ 障害者/健常者関係について
   OさんはU作業所において、不当に扱われたり、評価されたりしたと感じることはない。また、職員や仲間という分け目なく、みんな一緒にやっていると感じている。さらに、ここでは、いろいろな経験をさせてくれて、最終的には、その人に合った仕事や望むようなことをさせてくれる、と感じている。
  
  Q  :ここで働くなかで、不当に扱われたり、評価されたりすることがあるかどうか。ここは、自分の力を正当に見てくれないで、障害があるってことで、それを理由にマイナスの評価をするようなことが、ここであるかどうか
  Oさん:それは、ないんじゃないですかね。一応、みんな平等ってことで、やってるみたいなんで、ないと思います。
  Q  :このなかで、仲間同士が対等であると感じますか。弱い者、強い者、不釣り合いな関係があると思いますか?ないですか
  Oさん:ない、と思いますね。
  Q  :平等っていうのは、Oさんにとって、どういう部分ですかね。
  Oさん:職員だからこうだとか、仲間だからこうだとか、そういう分け目がなく、職員も仲間もみんな一緒に、何かをやりましょう、みたいな
  Q  :ここで、障害に合わせた働くかたちが保障されていると感じますか?
  Oさん:はい
  Q  :それは、どういうような場面で、そのように感じますか?
  Oさん:やっぱり、その人の障害に合った仕事を最終的にはさせてくれる、いろいろな経験をさせてくれて、最終的には、その人に合った仕事を、望むようなことをさせてくれる
  【事例8】 
  前向きにやりたいことをがんばり、内面から輝ける自分になりたいが、現状は、やりたいことを探さなければと思いつつふわふわとした毎日を過ごす日々、と語る20歳の女性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:T.M
  性別:女性
  年齢:20歳 
  障害状況:脳性麻痺。1種1級。移動は、室内は床を這い、外は電動車いすにて行う。身辺動作は、食事以外は介助を要するが、お化粧は自分で行える部分は行う。インタビュー当日もきれいにお化粧されていたことが印象に残っている。
  家族構成:両親、弟の4人暮らしである。
  就労経験:就労経験はない。都内の養護学校を卒業後、直で、現在のU作業所へ通うようになった。作業所へは、雨の日でなければ電動車いすで通っている。
  収入と生活:生活は、親の収入による。Tさんの収入は年金と手当がほとんどである。作業所の工賃は、多いときで1万円程度、少ないときで数百円である。
  
  ◆ 作業所での活動について −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  U作業所は、他の福祉的就労の場に比べて、様々な障害や年齢層の人を受け入れたり、一般就労へ移行した者もコンスタントにいたりすることが特徴である。U作業所所長曰く、取り組みの柱は「自己実現」を目指すこと、それには本人の自覚と持続力とそれを支える集団、そして見通し(近い、遠い)を立てることが必要であり、U作業所ではそうした支援の提供を目指しているとのことであった。Tさんの居住区にも授産施設があったが、他の作業所には「そこで終わり」というイメージがあったため、そうではないイメージのU作業所をTさんは選んだ。

  2 作業所における仕事内容
  今年で3年目になるが、これまでパソコンの入力作業を行ってきた。時期によってその中味は異なるが、文字の入力を主に行っている。自身の仕事ぶりについては、入力のスピードを速くしたり新しい機能を覚えたりたくさんの課題があることから「まだまだです」と評価している。パソコンの入力作業については、学ぶことがたくさんあり、それを今生かせているかどうかはわからないが、無駄ではないと思っている。

  Q:具体的には、どういう、入力の作業なんですか?いろいろな仕事がくるんじゃないかと思うんですけど/Tさん:ニュースみたいのを、入力したりとか、ここでも、出してるんですよ。ああいうのを、ちょっとさわりをやらせてもらったり。/Q:文字を入れてくんですか。/Tさん:はい/Q:レイアウトなんかもするんですか?/Tさん:ここのは、やらない。このグループのなかの別のところがあるので、やってるので、そこでやってます。/Q:Tさんは、ベタで文字の入力を行っている?/Tさん:そうですね。/Q:最初、ワープロなんかも触ったことがない状態だったんですか?/Tさん:学校で、触る機会ぐらいはあったので、ここに来て、急にさわりだしたのではない/Q:大夫、ブラインドタッチとか、見ないで打ったりとか、速くなりました?入力は?/Tさん:どうなんでしょう。でも、そんなこともないと思う/Q:さっき、自分の仕事に自信がないことの理由として、納期までに間に合ったことがないとか、これだけやったんだ、という達成感がなくって、だから、自信がないんだっていう風におっしゃてましたけど、その辺は、なかなかやっぱり、キーボード操作も、障害の状況から言って、そんなに速く打てるわけでもない/Tさん:速くはないと
  
  Q:パソコンに対して、まだまだの部分はどんなところか、教えていただけますか?/Tさん:入力のスピードだったり、機能がいっぱいあるじゃないですか、新しいのだとか、そういうのを、覚えていかなきゃいけないなぁ、全然覚えてないから、たくさんあるんですけど
  
  Q:パソコンの、今の入力作業は、好きな仕事、やりたい仕事?/Tさん:そうですね。そっから、学ぶこともたくさんあるんですよ。なので、ちゃんと生かせてるかというと、わからないんですけど、無駄ではないなと思っている。
  
  3 作業所における人間関係
  学校時代、同じ障害を持つ同年代の仲間に囲まれた生活を過ごしてきたTさんにとって、U作業所は様々な障害や年齢の人たちが集まっており、「こうなれたらいいな」と思うことがたくさんあると言う。それは話す時の話し方だったり、接する時のかたちだったり、様々ある。しかし、せっかくもらったものをなくしてしまっている、と感じることもある。例えば、せっかく話かけてくれたのに話返せなかったりしたときだ。そういうときは、もっと明るくできたらいろんな人と出会えるのに、と思う。
  
  Q  :いろんな障害とか、いろんな年齢の方がいると思うんですけど、そういう方たちと2年間接するなかで、自分のなかの変化は、なんか、ありますか?
  Tさん:すごくいろんなものをもらってるとは思うんですけど、それをすべて、私が生かせてるか、ていうと、それは違うと思うし、自分で、せっかくもらったものを、なくしてしまってる部分も一杯ある。そんなに、大きく成長したよ、と言えるほど成長できてないと思うんですけど
  Q  :なくしちゃったもの、って例えばどんなもの、なんですかね。せっかくもらっても、なくしちゃったものもある...
  Tさん:こう、せっかく話かけてくれたのに、話返せなかったりとか。もっと明るくできたら、もっといろんな人と出会えるのに、それが、できなかったりとか。そういうの、一杯あります。
  
  Q  :なかには反面教師的な部分もあるんじゃないかと思うんですけども、これは、真似しないようにしようとか、そういうこともありますか?その学びのなかに?
  Tさん:あんまり、ないと思いますけど、こうなれたらいいなっていうのは、たくさん、あります。
  Q  :こうなってみたいな、という感じ。あの、よかったらそれ、教えていただけますか。こうなれればいい姿って、どんな姿、なんですか?
  Tさん:話す時の、話し方だったり、もっと、自然にできたらいいな、とか、これ以上言うとキリがないと思うんですけど、接するときのかたちとか、結構、人によって、個性があるので、すごく、いいなぁと思います。
  Q  :それは、ここの職員に対してではなくて、障害を持っていらっしゃる方に対して、そう思う?
  Tさん:それは問わず、このなかの人だけじゃなくて、出会ってく、すべての人に言えることだと思います。もちろん、このなかの人もそうですし。もっと上手にできれば、もっとたくさんの人と出会えるかも知れないじゃないですか。
  
  4 小さい頃のこと、これからのこと
  小さい頃は、手芸や編み物、フラワーアレンジメントなどが好きだった。しかしどれも時間がかかりすぎたり、介助者が常時いないと難しいために、なかなか前に進めず、そのじれったさから違うことをやってしまうと、今までやっていたことをやめてしまう、ということが繰り返され、長続きしたものはなかった。フラワーアレンジメントや自分のホームページを開いたりして見てくれる人とつながりたいという思いはあるが、きっとやらないだろう、とも思っている。好きなことや達成感のあるもの、目標となるもの、長く続けられることを探さなくては、という思いはあるものの、毎日ふわふわと過ごしてしまっていると語った。また、一般就労したいと思いはあるが、それは高いハードルだと思っている。また、そうした目標を持つことで自分を高く保てると思っている。
  
  Q:職業とか、働くということに関して、小さい頃、思い描いてた夢とか目標とか、今でも構いませんけど、ありますか?/Tさん:習い事とか、して、できる、作ったりとか、手にできるもの、を持ちたいというのはあったかも知れないですね。(省略)Tさん:手芸、好きですね。やっぱり。編み物、お花とかも、結構好きなので、フラワーアレンジメントしたものを、ブーケとかになって、終わると、記念に、押し花にしたりとか、やったり、また、違ったかんじで、アレンジしたりするじゃないですか、一生とっときたいものとか、ああいうの、とか、結構、好きですよね。編み物とか/Q:自分で作られたんですか?/Tさん:やってみたんですけど、やっぱ、難しい問題がいっぱいあって、今は、断念しちゃってるんですが/Q:やっぱり、手が上手く使えなかった?/Tさん:やる時って人がついてなきゃいけないじゃないですか。その人の確保が難しかったりとか/Q:人がついてないと難しいというのは/Tさん:補助みたいな、介助みたいな人がぴったりついてないと難しいじゃないですか。その人の時間と私の時間と、その人の確保が、折り合いがつかないと、折り合ったとしても、現実的に難しい問題がいっぱいあると思うんですけど(省略)Tさん:その時は、すごく、はまるんですけど、いったん、ぱたっとやめてしまうと、やんなくなっちゃう/Q:今まで、はまったものって、どんなものがありますか?/Tさん:いろいろ、なんでも、ひととおり、触ってはいるので/Q:一番はまったのって、何でしたか?/Tさん:そうですね、なんでしょう。ビーズとか、編み物とか、買うだけ買って、やめたという/Q:手の障害があることで、ある程度、限界があると思うんですけど、その辺のことについては、どういう風に思いますか?/Tさん:そうですね。限界がくるからやめてしまうんでしょうかね。どうなんでしょう。/Q:気持ちが先にそがれちゃうのか、思うようにできなかったから、諦めざるを得なくてやめちゃうのか。/Tさん:どちらともあると思うんですけど。あとは、時間がないというのも大きいです。人の倍、時間がかかってしまうので、前に進めなかったりして、次に違うことをやってしまうと、同時にはできないみたいなところがあって、ちょっと離れてしまうと、やめてしまう
  
  Q  :これから先は、どうありたいとか、仕事するってことで、自分がこうなりたいとか、こういうふうに仕事をしていきたいとか、そういうものはありますか?これから先、今と同じかたちでやってればいいやって思ってるのか、違ったかたちでの取り組み方をしたいと思っているのかどうか。
  Tさん:好きなことをやったり、終わったとか、やれたとか、思えるものに出会いたいです。
  Q  :どんなかたちだったら、そう思えそうですかね?
  Tさん:好きなことをやって、それを、みなさんに、みせられるようになれたりとか、もらった仕事を、ちゃんとしたら、最後までやりたいって思って、やれるようなことをできたら、思いが残るかどうかわからないけど
  Q  :やりたいこと、好きなこと、は、例えばどんなことですか?
  Tさん:こないだ、言ってたような、お花とか、あとは、自分で、自分の、ホームページを開いて、いろんな、ことを、見てくれる人たちとつながったりしたら、どうなのかな、って思う。まめじゃないので、きっとやらないんだろうな。
  
  Q  :この先、働くということについて、目標とか、めざすこと、とか、ありますか?
  Tさん:それを、探さなくっちゃいけないんですけど、あまり、今考えてなくって、ふわふわっと、毎日過ごしちゃってるのかなって
  Q  :今は、目標とかは、持ってないですか?
  Tさん:仕事に関してはないと思う。
  
  Q  :Tさんは、一般就労したいとか、そういう希望はありましたっけ?
  Tさん:希望は高くということで、希望は持ってた方がいいのかなっていうのは、すごくあります。なくしてしまうと、ここで、終わってしまうと思うので、希望は高く
  Q  :Tさんの希望は一般企業に勤めること?
  Tさん:絶対するとかは全然思ってないですけど、思ってないよりは、思ってた方が、自分を高く保てるかなって、あるので、多少は持ってないと、というのは、すごくある

  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  今は感じないが、感じたいし、感じなくてはいけない、と思っている。その理由は、仕事を時間内や期限内にきちんとやりとげた実感がない、あまり真剣に仕事に取り組んでいるわけでもないからである。また、自己肯定感や有力感は、収入が増えたから増すものというより、自分のやりたいことをやって、それを周りの人に見てもらって、感じてくれたりすることで生まれるものであると考えている。
  
  Q:働くということについてなんですけども、ここで、働くなかでということで、お答えください。自分を肯定できたり、自信を持ったり、力があるなって感じますか?/Tさん:今は感じないかな?/Q:それは、どうしてですかね。今は感じないってことは、これから先は感じるかも知れない、それとも、今までは感じていたんだけど、どういう含みが?/Tさん:感じたいし、感じなくちゃいけない、というのは、すごくある/Q:今の時点では感じていない、ということですけども、その理由は?/Tさん:なに1つとして、ちゃんとできたっていう、実感があまりないから。まあ、すごくある。/Q:具体的には、例えばどんなことなんですか。/Tさん:渡されたものを、時間内や期限内に、やろうという気持ちが薄いような。/Q:それは、どうしてなんですかね。/Tさん:薄いって言うか、できてないのが現実なんですけど。/Q:それは、ほんとはできるようにやろうと思えばできるはずなのに、自分がやってないっていういことですか?/Tさん:それはどうかなって思うんですけど/Q:Tさん自身は一生懸命取り組んでいる?/Tさん:それはどうなのかなっていうかんじ。/Q:そんなに真剣には、仕事に、取り組んでない?/Tさん:今は、そうですかね。

  Q  :収入についてはどうですか?収入が今以上に、一杯もらえるとしたら、そういう自信とか、自分で、力あるな、とか、自分を肯定するかんじは増すと思いますか?
  Tさん:それは違うんじゃないですか?やっぱ、お金は消えてしまうものなんで、何も残らない
  Q  :それよりは、自分のやりたいことをやって、それを、周りの人たちに、見てもらって、感じてくれたりとか、してもらえた方が、Tさんはそういう気持ちを感じれる?
  Tさん:そうですね。
  Q  :好きなことやるっていうのは、1つのポイントなんですかね。やりたいこと、とか、好きなこと、とか
  Tさん:なかなか、その1歩が踏み出せないところがあるので、なんともそれは。基本的に意志が弱いので

  ◆ 障害者/健常者関係について
  Tさんは、U作業所において、不当に扱われたり、評価されたりしたことはないと感じている。また、働く仲間は対等であると感じている。また、障害に合わせた就労のかたちは保障されていると感じている。ただ、現在行っているパソコン入力はTさんにとって楽な作業ではない。しかし、それをなくしてしまうと他に何もなくなってしまう、これから考えていきたい、と語った。

  Q:ここのなかでのことについてお伺いしたいんですけど、不当に扱われたり、評価されたり、することがあるかどうか。要するに、障害があるってことを理由に、差別とか、偏見とか、ここであるかどうか/Tさん:ないと思う。/Q:ここの働く仲間は、対等であると思いますか?弱者・強者の不釣り合いな関係ではないかどうか?/Tさん:そうじゃないと思ってます。その差はないと。それがここのいいとこだと言われてきたことなので、それはないんじゃないかと思っています。/Q:実際に、2年間働いてどうですか?対等ですか?/Tさん:そうですね。
  Q:ここが、障害に合わせた就労のかたち、というのが保障されていると、感じますか?このなかでTさんが働くときに、働く内容について、Tさんの障害のことを考えた、働く内容にしてくれていると感じるかどうか?/Tさん:感じます。/Q:それはどの辺で、そう感じますか?結構、パソコンの入力作業は、Tさんにとって楽な作業ではないかな、とも思うんですけど/Tさん:でも、今のところ、それをなくしてしまうと、他に何もなくなってしまうかな、というところはあるので、それは、また、これから考えていくことかな、って思う

  【事例9】 
  障害者の自分には自信がないが、プロレスラーの自分だったら、必要とされ、見てくれる人がいる。いい試合をして仲間に誉められたい、もっと強くなりたい、とトレーニングの道場に通う男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:E.M
  性別:男性
  年齢:29歳 
  障害状況:脳性麻痺、1種1級。移動は、室外では杖を使用することもあるが、ほとんどは手動式車いすにて行う。室内は這っている。階段の昇り降りは、手すりがあれば自力で行える。身辺動作は、時と場所によって介助が必要なこともあるが、ほぼ自立。洗濯や洗濯物を干したりする際には介助を要する。
  家族構成:父親がいるが、現在は別々に暮らしている。父親には数度の結婚経験がある。また、酔うと本人に絡むことがあった。父親には感謝をしているが、一緒に暮らしたくないと思っている。
  就労経験:I県の養護学校を卒業後、都内にあるY授産施設に入所。写植やパソコンの入力作業を行った。そこには約3年おり、その後、民間企業のM物産に就職が決まったが、人間関係の問題や、仕事内容の大変さもあって、半年で退職。その後は、特に定職には就かず、現在にいたる。
  収入と生活:現在は、1月に換算して8万円の年金で生活している。
  
  ◆ 障害者プロレスについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  プロレスラーは小さい頃の憧れだった。プロレスを興すというのが小さい頃の夢だった。Y授産施設に入所していた当時、先輩入所者が、本人をDoに紹介、リングにあがったが、額を怪我したことでプロレスを行うことが施設で問題となり、施設入所中は活動を行えなかった。再開したのは、23、4歳の頃である。
  
  2 なぜ、プロレスをするのか
  プロレスで何かを訴える、そんな難しいことは考えていない。ただ好きだからやっている。相手選手に全く歯が立たず完敗し、その瞬間は「ほんとにやりたくない」と思っても、何日か経つと「もう1回やってみようかな」と思っている。そして、もっと力をつけるために近所の道場に通うことにした。

  Eさん:1月の試合負けた時に、あの、あ、もうやめたい、と思ったの。けど、それって、あの、うんと、なんか、Kさん(Do代表)と、みんなで打ち上げしたときに、その、ま、僕も、イヤですって、ビックマッチはやりたくないって、格好いいこと言ってたんですよ。ね、その瞬間は、ほんとにやりたくない、と思ったんだけど、ただ、その時に、いや、でも、全部、内容は全部覚えてないけどね、Kさんが言ったんだけど、俺だって負けたときは一瞬そう思うけど、ていうようなことで、ちょこっと話聞いたけど、やっぱり、何日か経つと、やだなとは、試合のこと思い出すんだけど、ショックは受けてるんだけど、まあ、もう1回やってみようかなぁって。

  Eさん:1月の試合に負けて、(トレーニングの道場に)行こうかな、どうしようかな、って思ってるときに、でも、行こうって、Kさんに言ったのかな、確か、俺行きたいって言って、で、レベルが高いかもわからないから、お前がそれでもやりたいんだったらいいよってことで行ったから、それがね、ちゃんと入れたのが2月の13?かな?試合終わってから、これだけ、ちょっとあれなんだけど、道場行ったときに、僕、4回ぐらい、入るまでに、自分の足で行ってるのね。ただ、普通の人は、見学しますって言えば、申込書もらえば、1回で終わるの。ただ、僕の場合は、そうじゃなかったのね。道場っていうのは、障害者が初めてで
  
  3 Doについて
   Eさんは、Doを「暖かい」と言う。Doは、自分の唯一の居場所である、と考えている。
  
   Eさん:Doは、だって、もう、暖っかいもんね。僕も3年ぐらいまでは、自分勝手にやってた頃は、なんか問題起こしたときって、隠そう隠そうとすることがあったわけ。で、でも、やっぱりここに来て、うん、そういう、ま、これじゃいけないなって思って、ここで、生活して3年ぐらいになるんだけど、それを考えたら、最近、なくなったけど、前はねぇ、人に言われたり、Doも、人のプライバシーに入ってくんのか、と、変な、勝手に自分が勘違いをしてたんだよね。
  
  Q  :プロレスは、Eさんにとってどういう存在なんですか?
  Eさん:ああ。僕にとって?そうですね。なんての?そう、えっとね。ま、正直いうと、さっき、プロレスあるからって言ったけど、それも、嘘じゃないんですよ。ほんとに。あの、ま、プロレスをやってて、だから、ほんとに、例えば、人に顔向けできないことをいっぱいしてきたんで、だけど、その、代表のKさんとか、みんなが、東京でやっていいよって言ってくれてるのが、あの、要するに、Doがあったからで、あの、変な話ね。プロレス好きなんですよ。好きなんです。ただ、その、やっぱりね、自分がそんなに強くないな、て思ってきちゃってるところもあるんで、うーん。なんで、E.M(本名)からすると、まあ、そういう、生活をするとか、いろいろ考えると、Doの人に感謝してるし、居場所、Doしかないな、って思うんですけど、それでも、やっぱり、ちょっと、みんな強くなってきたしなって思うと、やだな〜って正直思う時もありますよ。ただこれ矛盾してて、まだ強くなりたいな
  
  4 プロレスラーとしての目標
   強く、そして、上手くなることである。普段は強いか弱いかわからなくても、いざというときに強さを発揮できる、そんなレスラーになりたいと思っている。そして、ドッグレッグスの代表や仲間から、誉められたい、認められたい、と思っている。
  
  Eさん:うん、そう。それはありますよ。うん、強いし、上手いしってね。それはなりたいけど。でもねー。ほんと覚え悪いから、なかなか...あと、そうだね。強くなるっていうのが、うーん、ありますけど、うーん、強くなりたい、やっぱりほら、ね、やっぱり、うーん、ほんとに、こう、強い人っているでしょ。普段、あの、ほんとに強いのか弱いのかわからない、ぱっとみたときに、強いのか弱いのかわかんない人、で強い人もいるから、普段ボケっとしてるけど、強いよーっていうくらいにはねー、なりたいなとは、何年も前から思ってたんですけどねー。(省略)K代表に、うーん、子供って言われるかもわかんないけど、誉められたいのね。うーん、誉められたいっていうか、今、そう
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
   普段の自分には自信が持てない。なぜなら、自分で決めたことで成功をしたことがないからである。トラブルになっては自分で解決できず、面倒臭くなってしまって逃げだしていた。だから今は、自分の我だけを通して突っ走ることはせず、周りの協力を得てやっていこうと考えている。それに対して、レスラーとしての自分には、自己肯定感や有力感を感じると言う。それは、普段の、相手が悪いのについ謝ってしまう弱気な自分ではなく、強気な自分が現れ、また、そんなレスラーとしての自分が好きだから、である。
  
  Eさん:今度は、失敗をしないように、がーっときちゃったのを、今度は、そういうふうにしないように、したいなぁというのはあるけど。うーん。だから、周りの、自分の意見と、周りの協力を得てやるぶんには、多分、うん、いい方に向くと思うけど。自分の意志で、自分の我を通しちゃっていくのだけは、したくないかなぁって。
  Q  :自分の自信が持てないというのは、どうしてですか?
  Eさん:だから、自分が決めたことで、成功したことがない。だから、何か僕が自分で決めるとねぇ。前なんか特にあれだけど、なんか、例えば、いろんなことでトラブったとしますよね。親のことでもなんでも。すると、なんでもやっぱり、自分でできなくなっちゃうと、面倒臭いし、逃げたくなっちゃうから、ていうのがあったから
  
  Q  :U(リング名)としての自分は肯定できる、力があると感じる理由というのは?
  Eさん:そうだね。またこれ言うと格好良すぎるかもわからないけど、あの、結構、U(リング名)でいるときって、嫌いじゃないんだ。あの、だから、そう、そう、U(リング名)っていうのは、好きなんじゃないかな、わかんないけど、自分なんだけど、
  Q  :どこが好き?
  Eさん:僕のビデオとか見てもらうとわかるんだけどね。あの、ぱっと見、あんまり大きい声とか、出さないとか思うでしょ。普通に考えたら。あの、ほら、やっぱりね、なんかされたとき、照れとか、普段てすぐ出ちゃうのね。だから、あの、U(リング名)でいると、みんなの前にでたときって、ファン、お客さんの前に出たときって、自分が、びびらないようにっていうのがあって、声を出したりとか、強く見せようとしてるのね。うん。だから、あの、ほんとは、効いてても、パンチ効いてても、効いてねえよって平気でやっぱり、U(リング名)でいると、強く言っても何してもっていうか...だって普段の僕は、自転車がきますよね、どう考えても向こうがバッと来たりとかしたら、向こうが悪いと思うじゃないですか、僕、すぐ謝っちゃう。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
   民間企業に働いていた当時、健常者は頼りにされるが、障害者は荷物のようだ、健常者が上で、障害者が下、と感じていた。それに対して、レスラーとしての自分は、健常者と対等であったり、見てくれる人がいたり、必要とされていたりすると感じている。
  
  Q  :その当時感じていたことで構わないんですけど、障害者と健常者の関係はどんな関係にあると感じていましたか?
  Eさん:その当時。うん。やっぱり、あの、やっぱ、健常者の方が上っていうか、経験もあるし、だから例えば同じ歳の子でも同僚でも、やっぱり、あれ?って思うことはいっぱいあって、なんか話てても大人っぽく見えたりとか、やっぱ、健常者は頼りにされるけど、障害者は、ちょっと荷物ってかんじで、かなって思ったね。その当時は。
  
  Eさん:Do関係のことで、Kさんから声がかれば、いついつ取材があるからとか、本とかにも載せてもらったことあるけど、そういうのだって、やってなかったら、経験ができないことだし、そういうのがでるってことは、それを通して、自分を見てくれるわけでしょ、例えば、本でも、ラジオ聞いている人がいればさ、そういうので、あって、なんつうのかな、自分がやってることで、やっぱり、レスラーとしてだったら、うん、まあ、健常者とでも、一般の人も、対等っていうのかな、障害者のE君だと、やっぱり、さっきバカみたいなこと言ったけど、頭悪いとかなんとかって言ったけど、そういう風に、やっぱり、どんどんどんどん、引け目を感じるのね、ていうか、レベル低いなぁって。ただ、U(リング名)でいたりすると、やっぱり、ダメだっていう人もいるだろうけど、やっぱり、Doの一員でいる限りは、うーん、やっぱり、必要とされるもんね
  
  
  【事例10】 
  プロレスが好き。だから、身体が動く限りやりたい、もういいよって言われない限りは続けたい、51歳、男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:F.T
  性別:男性
  年齢:51歳 
  障害状況:脳性麻痺。移動は問題ないが、長時間歩くことは難しい。身の周りの動作は、左手にて行う。右手は、障害が重く、使用が難しい。入浴時の洗体が難しくなってきた以外は、身の回りの動作はほぼ自立。麻痺性の構音障害があり、言葉の聞き取りずらさがある。インタビュー時は、妻に、補助をしてもらった。
  家族構成:妻(脳性麻痺)と高校2年生になる息子がいる。息子は学校でレスリング部に所属し、好成績を修めており、インタビューをさせていただいた部屋の壁には、レスリング入賞の賞状が飾られていた。
  就労経験:洗濯屋、車の整備、無農薬野菜の店を経験している。なかでも洗濯業では、何度かスカウトされ転職をし、最も長く働いた。また仕事内容も、シミ抜きという専門的な仕事をしており、月収が40万円にもなることがあった。無農薬野菜の店は、友人に誘われて開業したが、金銭問題で人間関係がうまくいかなくなり、辞めている。
  収入と生活:妻とFさんの年金で生活している。もともとA区に居住していたが、Doの活動の拠点に近いS区に引っ越してきた。年金は2人合わせて月に30万円弱、アパ−トの家賃は13万円、残り20万円弱を生活費にあてている。
  
  ◆ 障害者プロレスについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  格闘技がもともと好きだった。Doのことはテレビや新聞で知っており、妻にはプロレスを始めたい、と言っていた。妻は、何を考えてるんだか、と思ったが、Fさんの意志は固かった。そんななか、たまたま知り合いが、Doの代表であるKさんにインタビューをするということで、一緒についていった。そして、インタビュ−が終わると、すかさず代表に入団条件として年齢制限があるのかを尋ねた。当時すでに40歳を越えていたからだった。
  Q:奥様と知り合われたのはプロレスを始める前から?/Fさん:はい/Q:プロレスを始めたい、っておっしゃった訳ですか?どう思いましたか?/妻:何考えてんのう?/Q:その当時は、何考えてたんですか?振り返ってみて/Fさん:人に決められるのが嫌だから。ああしろ、こうしろって言わせないから/Q:なんで、障害者プロレスをやろうと思ったんですか?/Fさん:好きだから。/Q:昔から好きだったんですか。プロレスが?プロレスのどんなとこが好きだったんですか?/Fさん:どんなとこって言われても...。プロレスだけじゃなく、格闘技が好き。/Q:障害者プロレスのことはどこでお知りになったんですか?/Fさん:たまたま僕の知り合いが、インタビュ−をするんで、代表、Kさんに。それで、その前に、テレビや新聞で知ってた。たまたま、インタビュ−するんで、一緒に行った。/Q:それでKさんという人がわかって。障害者プロレスがあるっていうのを知ったときに、どう思いましたか?/Fさん・妻:あったんだ!と思った。インタビュ−が終わって、帰るときに、Kさんに、年齢の制限があるのかって、聞いて、その時は41か2/Q:今、お幾つでしたっけ?/Fさん:51になる。いく前から入ろうと思ってた。年齢制限がなければね。
  
  2 自分の役割は前座
  興業には、オープニングからラストマッチまでの流れがあり、そのなかで、自分の役割は「前座」であると言う。Fさんは、前座の、試合の流れを作る重要な役割を担っていること、また、メインではないので、お客さんを満足させることに気持ちを奪われず、自分のやりたいような試合展開ができるところを気に入っている。
  
  Q:反応とか、今まであったと思うんですけど、直に、肌で感じてこられたと思うんですけど、こういう試合は、どうやらお客さんが喜んでくれるんだなぁとか、ありますか?/Fさん:餅は餅屋だからなぁ。だから、オープニングの試合とラストマッチは違うじゃない。前座。/Q:Gさん(リング名)は?/Fさん:俺、前座/Q:前座なの?ハハハ(皆)/Fさん:前座の方が面白い。/Q:なんでですか?/Fさん:だって、満足させようと、はりきらなくたっていいから。前座は自分のやりたいようにできる。その日の流れがある。前座がたいした試合しないと、流れが悪くなっちゃう/Q:じゃあ、前座って重要な位置を占めてるんじゃないですか?/Fさん:だから、それが面白いです
  
  3 日々のトレーニング
  興業は、2、3ヶ月に1度行われる。試合が終わると、すぐ、次の興業に向けてトレーニングが始まる。トレーニングは、自宅そばのトレーニングセンターで最低2時間は汗を流す。慣れれば、身体への負担はないということである。インタビュー時は、身体の問題があってトレーニングは行っていないということであった。
  
  4 Fさんにとってのプロレスの存在
  Fさんは、プロレスのために、わざわざ現在の居住場所へ越してきた。そこは、Doの拠点に近いこと、トレーニングセンターが歩いて5分程のところにあることが決め手であった。また、Fさんは、プロレスが生活の一部であり、自分の生活の3割を占めている、と言う。残りの7割の内訳は、家族が6割で、Fさん個人が1割、と言うから、Fさんにとって、プロレスがどれほどの重要な位置を占めているものかが伺える。
  
  Q:今、Fさんにとって、自分の人生を生きるなかで重要な位置を占めているものって言うのは?障害者プロレスはどのくらいの位置を占めるものなんですかね?/Fさん:生活の一部ですよ。/Q:じゃ、それはFさんとは切り離せないもの。自分の生活のなかで、何割ぐらいを占めるものですか?/Fさん:最低3割はあるかな?/あとの7割はどんなものですか?/Fさん:半分くらい、6割だな、/Q:6割が何?/Fさん:家族でしょ。/Q:6割が家族で、3割がプロレス、あとの1割は?/Fさん:個人です/Q:個人の、素のFさんってかんじ?3割って随分多くないですか?家族かプロレスか、みたいなかんじ?/Fさん:でもそうだよ/Q:そういうかんじですか?息子さんはレスリングで活躍されているし、ご主人はプロレスで活躍されているし/妻:だって、S区に引っ越してきたっていうのもDo/Fさん:あったからだな
  
  5 プロレスを通しての目標
  身体のためにやっていることもあり、身体の機能を現状維持することが目標、と言う。また、身体が動く限り、もういいよって言われない限りは、やり続けたい、と考えている。
  
  Q:障害者プロレスを通して、何か、目標とすることがあります?もしくはあったかどうか/Fさん:現状維持だな/Q:何を?/Fさん:障害を/Q:自分の身体のためにやってるって感じは強いかな?/Fさん:はい
  
  Q:危険を冒したくない、というのは、どうですか?自分ができそうにないなってことでも、挑戦していく、前向きな気持ちがあるかどうか/Fさん:身体動くんだったらやるでしょうね。両方とも。/Q:身体が動く限りはやる。それともある程度、自分で身体をかばいつつ、身体が悪くならない程度にやっていく/Fさん:動いた方がいいと思っているから。もういいよって言われない限り
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  試合に向けた身体の調整が上手く行ったときには、身体がよく動き、自信も持てるが、逆に、調整が上手くいかず、体調が万全ではないときには、自信が持てなかったりする。
  
  Q:それで、そしたら、プロレスラーとして、自分を肯定したりとか、自信を持てるかとか、自分に力があると感じるか、どうか。これは感じるか、感じないかでお答えください/Fさん:状況によるんですよ。/Q:状況っていうのを具体的に/Fさん:調子が良かったら、調子が悪いときがある。/Q:調子って何の調子ですか?/Fさん:試合に向かって、身体を創っていくときに、調整に失敗したり、上手くいったり、最高潮に持っていければ、一番いいんだけど。/Q:最高潮ってなんなんですか?/Fさん:体調、万全/Q:体調、万全に持っていければいいんだけど、持っていけなことがある。そういうときは、自分に自信が持てなかったりする。体調がいいときはどんな試合ができるんですか?/Fさん:動けるから/Q:動けるとやっぱり、闘ってるとき、どうなんですかね/Fさん:やっぱり違うんですよ。試合の内容も違ってくるし
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  Fさんは、これまで働いた経験のなかで、言葉がわかりずらいために誤解を受けたり、眼振があるために「どこみてんだ」と言われたりし、嫌な思いをしたことがあった。また、障害に配慮されたことはなく、Fさんが合わせていた。ハンディのある自分は、働く仲間のあいだで弱者であるが、「弱いなりの仕事のやり方がある」と言う。それは、人一倍の努力と工夫で、他の人より、速く仕事を行えるようになることだった。Fさんは、それが当たり前である、と言う。また、こうした努力の甲斐もあり、当時、Fさんの職務能力は高く評価され、スカウトされたり、高収入を得たりしていた。
  
  Q:働いてらっしゃるときに、健常者と障害者の関わりはどうだった、と、今振り返ってみて、感じることってありますか?/Fさん:何もない/Q:そうすると、障害を持ってるからって、差別されたりとか、そういう感じはなかった/Fさん:健常者のなかでも差別はあるし、障害者のなかでも差別はある/Q:Fさんご自身のご経験からはどうですか?Fさんの、働いたなかで、障害があることを理由に、嫌な思いをした、とかそういうことはなかったですか?/Fさん:ないと言えばウソになるでしょ。/Q:ある?それは例えばどういうこと?/Fさん:いろいろある。言葉がわかんないし。/Q:なるほど。言葉のことでなんか言われたりとか、したことはありますか?/Fさん:誤解されやすいんだよね。例えば、アクセントが、自分は、そんな気はなくても、しゃべりやすい言葉を選ぶから、いろんな意味でとられてしまう/Q:そういうところで行き違いとかあった?/Fさん:人間不信になったことがある。相手しだい。諦めた。自分自身でも、違った意味で、捉えることあるから/Q:働くなかでは、Fさんのなかでは、言葉の障害が大きかったですか?/Fさん:100%ある。言葉だけでも嫌な思いをしたことがあるから/Q:言葉のことが1番大きかったですか?/Fさん:うん、あと、目もね。/Q:目もお悪いんですか?/Fさん:目の玉が動くから/Q:ああ。眼振って、ちょっと揺れたりするのがあるから/Fさん:どこみてんだっていうのがある/Q:それでなんか言われるの?/Fさん:いや...うん
  
  Q:話が戻りますけども、働いていたときに、他の働く仲間と対等であると感じましたか?弱者・強者っていう不釣り合いは関係はなかったですか?/Fさん:ないとは言わないけど。それ、当たり前だと思う。健常者同士で、長所(短所)あるじゃん。争いがあるじゃん。弱い者もいれば強い人もいる。上手い人もいれば、下手な人もいる。真ん中の人もいるし/Q:その中で、Fさんはどの位置にいたと。/Fさん:弱いと思ったね。だってハンディしょってんだもん。一部の人は、ハンディしょっても、トップクラスなのは、ほんの一握り/Q:Fさんは弱い立場だった.../Fさん:弱いなりの仕事のやり方があるんですよ/Q:それはどんなやり方なんですか?/Fさん:普通にやってたらダメ。自分なりに工夫しなくちゃ。/Q:例えばどんな工夫をされたんですか?/Fさん:例えば、洗濯で言えば、ぱっと見て、わかるようにする。そうすれば、早く仕事に取りかかることができる。一般の人は、見たり触ったりして、例えば、このシミがなんであるか、ぱっと見て/Q:Fさんの場合は、ぱっと見て、判別がつくようになった?/Fさん:90%はわかるようになったから。ダメになった洋服を、いろんなシミをワイシャツにつけて、何日おいたら、落ちるか/Q:随分、努力というか、されたんですね/Fさん:それは、健常者と同じくやるためには、ハンディしょってるんだから、人の3倍、4倍やってもダメな時はダメなんですよ。/Q:厳しいですね.../Fさん:でもそれ、当たり前と思わない?/Q:当たり前っていっても、でもなかなかできるもんじゃないですよ。できない人だってたくさんいますよ/Fさん:できない人は、そういう教育をしてこなかったんですよ


  【事例11】
  プロレスをすることで「社会という川に障害者と健常者の見えない橋をかけたい」、自分のプロレスで人に感動を与えられたことが一番の思い出と語る男性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:Y.S
  性別:男性
  年齢:33歳 
  障害状況:脳性麻痺、2級。身の回りのことや移動は自立して行えるが、麻痺性の構音障害があるため言葉の聞き取りずらさがある。
  家族構成:都内S区に家族とともに生活している。
  就労経験:都内の養護学校を卒業後、都内にあるY授産施設に入所。3年を経て、障害者職業センターで3ヶ月間訓練を行い、F市内にあるリサイクルセンターに就職した。月に交通費を含めて7万円程度の給料がでた。そこには7年ほど(31歳頃まで)勤めたが、部署が変わって仕事についていけなくなったり、人間関係がうまくいかなくなったりして辞めることにした。現在は無職だが、本インタビューの1週間前に職業訓練が終了し、これからハローワークで職を探すとのことであった。
  
  ◆ 障害者プロレスについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  Sさんは、Doの立ち上げに深く関わっている。今から10年以上も前のこと、当時、障害者のボランティア活動に関わっていた現在のDo代表であるKさんは、Sさんのある一言が心に引っかかった。それは、障害者の親や養護学校の先生、施設の職員などが観にくる障害者の発表会で、下手な歌や芝居を披露してもみんなが拍手をくれるが、それが同情の拍手のようで嫌だ、という一言だった。Kさんは、もっとリアルな、綺麗事ではない生の障害者の姿を健常者に知ってほしいと思うようになった。そうすれは固定化された障害者観を揺るがすことができ、もっと障害者に関心を持つはずだと思ったからだ。そこでKさんは障害者プロレスを思いついたのだった。
  Sさん自身、プロレスをやるんだ、と思ったときはうれしかった。小学校の頃にプロレスごっこをやっていて危ないと止められたことがあり、やりたくてもできなかったが、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田の試合を観てプロレスっていいなと思った。

  Q  :Sさんにとって、プロレスはどういう存在?人生のなかで、どのくらい重要な位置を占めているんですか?
  Sさん:まあ、
  Q  :プロレス、やることですよ
  Sさん:やることに関して、(沈黙)、今まで、プロレスというのは、僕も、小学校のときに、プロレスごっこをやってて、危ないと言って、止められたことがあって、
  Q  :あんまり、やりたくてもやれないことだっわけだ
  Sさん:プロレス ×××、やってただけ、それは、たぶん、ジャイアント馬場とか、ジャンボ鶴田の試合を見て、ああ、プロレスっていいなって思ったことがあった
  Q  :じゃあ、自分がプロレスをやるんだ、って思ったときにどんな気持ち?
  Sさん:やはり、うれしいという
  
  2 プロレスの思い出
  1番の思い出は、3、4年前に、島根の大学で試合をやったときに、進行性筋ジストロフィーという進行性の障害を持った人から「生きる勇気を与えられた」と言われたことである。その言葉を聞いて、Sさんはプロレスをやっててよかった、と思えた。
   
  Q  :プロレスをすることで変化はなかったんですか?
  Sさん:やっぱり1番思い出のことは3年前の、4年前か、島根の大学で、文化際で、試合をやったときに、飲み会の時に、大学の先生から、筋ジストロフィーの人を紹介された時に、その時に、あの時は、負けて嫌な思い出だったが、筋ジストロフィーの人たちと飲んだときに、×××、1年、命を与えられて、×××
  Q  :Sさんの試合を見ることで、
  Sさん:みんなの試合を見ることで
  Q  :生きる勇気を与えられたって、その人が、言ったんだ。その時に感動した。
  Sさん:うん。
  Q  :そういうこと言われて、Sさん自身の人生に何か変化は?
  Sさん:やってよかったなと思えた。ハハハ。
  
  3 プロレスラーとしての目標
  Sさんはプロレスを通して「社会という川に障害者と健常者の見えない橋をかけたい」と考えている。今、障害者と健常者はまったく離れたものとは考えていないが、「差別という風が吹いて橋がこわれたらもっと丈夫な橋を造ればいい」と考えている。橋がかかったら、障害者と健常者は、そういう区別が関係のない関係になる、そうなったらいい、と考えている。
  
  Q  :Sさんはプロレスを通して、何か目標とするようなことがありますか、ありましたか
  Sさん:あります。はし、をかけたいのですね。
  Q  :橋?どこからどこへ?
  Sさん:社会という川に、障害者と健常者の、見えない橋をかけたいです。
   (省略)
  Q  :Sさんは、今まで障害者と健常者、っていうのはまったく離れたもの、橋をかけなければつながりのないもの、と思っていたわけですか?
  Sさん:違います。ぼくも、ふつうの学校に行ってたときにも、まあ、身体のハンディがあったことは認めるけれども、ふつうの学校と養護学校の人が変わんないと思った
    Q  :じゃ、橋をかけようと思ったのはなんで。橋をかけないと2つは行き来ができないから、橋をかけたいと   思ったんですよね。ということは、橋を架けなけなければならないような関係、ということですよね。健常者と障害者は。それは、どんな関係?
  Sさん:例えば、差別という、風が吹いて、橋がこわれる。もうちょっと丈夫な橋を造ればいい、ということですね。
  
  Q  :さっきね、自分がいることで、障害者と健常者の橋渡しをしたいと言っていましたけど、橋は渡せると思いますか。プロレスをやることで。
  Sさん:いや、なんだ、橋をかけなければいけないと思うから、また、かけたいと思うけれども、橋かけはしたいけれども、まだ、橋は、完全ではありません。
  Q  :橋がかかったら、障害者と健常者の関係はどんなふうになると思いますか?
  Sさん:いや、いろいろあると思うよ。これは自分自身の問題、もそうだし、社会のいろいろの問題と思うけれども、でも、障害者と健常者は、関係ないと思いたいし、だから、この前、びっくりしたんだけれども、仲のいい友達が、身体が不自由じゃない人と思う友達がいたけれども、ある時、その友達が手帳を持っててびっくりした。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
   感じるときもあるし、感じないときもある。試合が終わった瞬間の、ファンやスタッフの顔で決まる。いい顔をしていれば、感じられるし、いい反応が得られなかったり、自分でもまずい試合をしたと思えるときは感じられないと言う。
  
  Q  :プロレスラーとして、自分を肯定できたり、自信が持てたり、力があるな、と感じますか?この質問に対しては、感じるか、感じないか、でお答えください
  Sさん:感じますね。
  Q  :その理由を教えてください。
  Sさん:感じるときもあるし、感じないときもある。感じるときは、顔だな、試合が終わった後の、ファンとスタッフの顔と。いい顔してれば。俺はバカだから、人の顔見て判断する。でも、やる前は、自分は自分のことを好きだから、ファンのことは、大事だけども、自分自身が、マットに、あがるときは、自分しか考えないから
  Q  :周りの人の、いい反応が得られたときは、自分を肯定できたり、力があるなって感じたり、自信が持てたりするわけだ。
  Sさん:はい
  Q  :肯定できなかったり、力がないなと感じたり、自信がもてないときは、どんなとき、ですか?周りの人のいい反応が得られないとき?
  Sさん:自分でも、まずい試合のとき。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  Sさんは、小学校3年生から中学校終了まで地域の普通学校に通った。その間に、Sさんはいろいろな差別を経験し、高校時にはノイローゼになったことがあった。食欲がなくなり、夜眠れない。電車にも乗れなくなった。ホームに立つと、誰かに押されて転落するんじゃないかという恐怖があるからだ。また、リサイクルセンターで働いたときも、不当に扱われたり評価されたりしたと感じたこともあるし、障害者/健常者関係が弱者・強者の不釣り合いな関係であると感じたこともあった。
  
  Q:Sさんご自身としては、差別というものを体験したことはあるんですか?/Sさん:あります。やっぱりいろいろ差別はありますよ。/Q:例えば、それは、どういうことですか。教えてもらっていいですか。/Sさん:はあー(ため息)。あんまり言いたくないけれども、なんか、×××、バカだと思うけれども、×××、バカ、バカ、と/Q:思われてる?自分でも思っている?/Sさん:自分でも、なんだ、差別はいろいろあると思うし、あの、いろいろ、×××、思う/Q:いろいろとイヤな思いをしてきたこともある?/Sさん:はい。まあ、でも、はっきり言って、高校の時に、爆発して、/Q:爆発?/Sさん:本にも書いてると思うけども、ノイローゼになったことがある、と/Q:ノイローゼになったことがある?/Sさん:それはいろいろあったと思いますけれども、差別のことがあると思うんです。/Q:具体的に言うと、それはどんなことなんですか?/Sさん:足が遅いとか、頭が悪いとか言われるし/Q:言ってくるんだ/Sさん:だから、自慢じゃないけれども、小学校のときに、5、6年時に、同好会に入ってたから、それが1番の自慢。何して、と思うけれども。/Q:いろいろ、じゃあ、Sさんを傷つけるようなことを、言われたりしたことがたくさんあると/Sさん:ある。高校2年のときに、ノイローゼになったことが、あんまり食べないで、夜眠れなくて。今まで、電車にも乗れなくなった/Q:人が恐くて乗れなくなっちゃったの?/Sさん:いや、ホームに落ちそうなかんじ...誰かに押されて。
  
  Q:Sさんは、働いていたときに、不当に扱われたり、評価されたりしたな、て思うことがありますか?/Sさん:ありますよ。いろいろ。ちょっと、いま、それ、いいたくない。/Q:どんなときに感じたのかってことを、よろしければ/Sさん:じゃあ1つだけ。あの、ある時、うちの会社は月曜日から金曜日まで、仕事がある、もちろ祭日は休みはあった、ある日、水曜日も、急に仕事が入ったときに、お前は遅いから休めって言われたことがあった。/Q:そういうこと言われた時に、Sさんはどう感じましたか?/Sさん:いやだと思った。/Q:それはどうしてですか?/Sさん:やっぱり、能力の問題があったと思うし、/Q:自分は能力がない、と言われているようなかんじ?/Sさん:それはありました。/Q:じゃあね、もう1つ。働いていたときに、健常者と障害者の関係は、弱者・強者の不釣り合いな関係ではないか、と思ったことはありますか?/Sさん:感じた/Q:感じた。じゃ、その関係はどういう関係だと思いましたか?/Sさん:あんまり、いいたくないな.../Q:よければちょっとだけでも.../Sさん:会社にいても、小学校や中学校の、普通の学校にいたときのかんじはすごくした。/Q:どんなかんじ?/Sさん:いやなかんじ。/Q:つらいかんじ?/Sさん:はい。

  【事例12】
  養護学校時代のピアな関係と普通高校におけるピアじゃない関係の経験が、現在のピアカウンセラーという仕事につながった。「障害を持つ人と持たない人をつなげたい」という想いを胸にCILの活動を行う女性

  ◆ 基本情報
  氏名:S.Y
  性別:女性
  年齢:40歳 
  障害状況:脳性麻痺、1種1級。移動は電動車いすにて行う。身辺動作は全介助。やろうと思えばできないこともないが、時間がかかりすぎること、身体にかかる負担を考え、介助で行っている。介助してもらうことで得た時間を仕事や外出に使おう、という考えだ。
  家族構成:両親と双子の姉(健常者)がいる。広島で生まれ育つ。Sさんが20歳を過ぎた頃に、父親の転勤で、大阪(1年間)、東京へ転居。現在は、両親、姉とも広島で暮らしているが、姉は結婚し、両親とは別に暮らしている。両親は定年で広島に戻るとき、Sさんは東京に残り一人暮らしをすることにした。その後、結婚し、現在も都内に住む。
  就労経験:現在、都内K市にあるCILで事務局長、ピアカウンセラーとして働く。現在の収入は、年金を含め、30万円程度である。しかし、働く時に介助をつけているため、それにかかる出費が馬鹿にならず、収入の多くをそれに費やしている。それ以前は、都内I区で、ボランティアで、自立生活プログラムを行っていた。
  
  ◆ ピアカウンセリングについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 経緯
  高校時代、社会福祉の勉強をしたいと思ったが、元来が勉強嫌いであったため学力が足らず諦め、高校卒業後、障害者職業訓練校へ1年間入所した。そこで縫製の技術を学んだが、就職先は見つからなかった。しばらく在宅生活をしていたが、その後、地域の活動をやっていこうと思い、社協や公民館に出入りするようになった。そこで知り合った仲間と作業所を作ろうかと話をしているうちに、父親の転勤で、大阪(1年間)、東京へ行くことになる。21歳だった。大阪にいるときに、F大学の通信教育で社会福祉を学び始めた。学校は9年という歳月をかけ無事卒業。東京に来てからは、デイサービスに通いながら、そこで得た情報をもとに、仲間や活動の拠点を作り、居住するI区のボランティア団体の1つの活動として、自立生活プログラムを行うようになった。活動の仲間である一人暮らしをする障害を持つ先輩が、ピアカウンセリングの講座を開きたいので、自分がまず、その講座を受けてくるとSさんに話したが、その先輩が怪我をしてしまい、急遽、ピンチヒッターでSさんがその講座を受けることになった。それが、Sさんとピアカウンセリングとの出会いである。
  Sさんの、ピアカウンセリングの最初の印象はあまりいいものではなかった。それは、お酒や、コーヒー、刺激物を講座中は控えなければいけないというルールがあったからである。しかしいつのまにか、ピアカウンセリングの講座に頻繁に参加するようになり、先輩ピアカンセラーからも、今度講座開くからサブリーダーやってくれない?など、声をかけられるようになった。
  1998年頃、市町村生活事業としてSさんをピアカウンセラーとして雇いたいという話があったが断った。健常者主導の組織のなかでどこまでやれるか自信がなかったのだ。また、Sさんは、これまで行ってきたI区のボランティア活動のなかにCILを創りたいと思っていた。しかし、障害を持つ仲間は市町村事業でピアカウンセラーとして雇われたり、Sさんの提案に賛同してくれる人がいなかったりしたこともあって、その願いは実現しなかった(現在はそのような形になっている)。当時、SさんはI区のボランティア団体におけるCIL設立のために、現在の働く場であるK市内にあるCILで実習を行っていた。そうしたなか、自分の八方塞がりな状況を当時の事務局長に相談し、スタッフにしてもらえませんか、と願い出たところ、それが受け入れられた。現在は、事務局長としても働いている。
  
  2 ピアカウンセリングの良いところ・好きなところ
  Sさんは、普通高校に通った3年間のことは、あまり話したくない、と言うが、その3年間は、何も言えず、自分のなかで受け止めるばかりの3年間だった(障害者/健常者関係の1で詳述)。Sさんは、周囲に自分の気持ちが理解されたと感じることができず、親ともけんかばかりしていた。Sさんは、ピアカウンセリングという、自分の気持ちを受容的に受け止めてくれる仲間の支えによって、安心を感じられたり、自分を肯定的に考えられたり、なんでもありなんだな、と思えるようになった。
  また、ピアカウンセリングをするなかで、一緒に泣いたり、笑ったり、必ず共感できる部分があると言う。自立したいと言っていた人が自立できたら嬉しいし、自分が一緒になってやれたら一緒に喜べる、外出できた時の楽しそうな顔が見れる、そういうことを楽しめてるから続けられるのではないか、と語った。
  
  Q  :ピアカウンセリングというのは、最初きっかけは、友達の代打で言ったようなかんじでしたけど、やってみて、どうでしたか?
  Sさん:いやな部分となんか惹かれる部分があって、ちょっと、間をおいて、長期講座を受けたんですけど、1、2年間があったと思うんだけど、これはほんとに自分のために、やるもんだなって思って、私は高校3年間、それこそ、何も言えず、自分のなかで、受け止めてばっかりで、だから、親とも自然に上手くいかないし、親と顔を合わせればけんかばっかりしてたし、高校生って年代もあるけど、反抗ばっかりしてたし、
  Q  :ピアカンをやって、自分が変わった部分とか、何かありますか?
  Sさん:大きく変わったっていうのは、ちょっとわかんないですけど、私は、あんまり優秀なピアカウンセラーでもないし、真面目でもないので、でもね、少し、自分を肯定的に考えられたり、ああ、なんでもありなんだなという
  
  Q  :Sさんが一人暮らしをしたときには、CILとかピアカウンセリングとの出会いはなかったんですよね。どの辺でSさんはそれが有効だって感じたんですかね。自分の実体験のなかでは、そういう意味では、使ってなかったわけですよね、一番必要な時に使ってなかったわけですよね。
  Sさん:ILなりをやってるときに、楽しいからじゃないかな。共有できたりとか、一緒に考えたりとか。ピアカンをやっていて、泣いたり笑ったり、とか、するんだけども、共感とか、そういう部分が必ずありますよね。ILだったら、一緒に考えたりとか、一緒に悩んだりとか、そういうことが、楽しいからじゃないかな。自立したいって言ってた人が、自立できたら嬉しいしさ。それに自分が一緒になってやれたって言ったら、一緒に喜べるしさ。
  Q  :それが原動力じゃないけど、磁石のように吸い寄せられていった要因ですかね。
  Sさん:ある人が、出かけたいって言ってて、じゃ、出かけようって言って、出かけた時にね、すごく楽しそうだったりとか、こういうこともあるんだよねってことを言ってかれたりとか。楽しめてるから続けられてるんじゃないかな、と思うよ。
  
  3 活動の目標
  CILの大きな目標として、どんな人でも地域で暮らせる、自分がしたい生活ができる、仕事も就きたいと思ったら働きたい仕事に就ける、そういう社会にしていく、ということがある。Sさん自身は、以前から、漠然とはしていたが、障害を持つ人と持たない人をつなげるようなことをしたい、という思いがあった。現在はそれに近い仕事をしてはいるが、それはあくまでも介助者という形でしかない。介助者という立場でなく、人と人との関係のなかで繋げていけたらいいな、と語った。
  
  Q  :この活動を通して、目標とするようなことがあったか、今あるかどうか。
  Sさん:私たちの大きな目標や目的は、どんな人でも、地域で暮らせる、自分がしたい生活ができる、仕事も就きたいと思ったら、仕事もつける、どういう風に働きたいかっていうのもできる、様な社会に、する、ていうのは、大前提にありますね。それに向けて、ほんとにちょっとずつ。
  
  Q  :今、昔に自分がやりたいと思ってたことが、こういう形で実現できてるわけですけど、そのことについてはどういう風にお感じになりますか?
  Sさん:その頃に、何もわからなくて漠然と、障害を持つ人と持たない人をつなげるようなことをしたいなぁって思ってきて、やってきて、それに近い仕事はしてると思うんですが、でも、まだまだなんで、まだ、つなげるっていうか、今、私、事業所として、介助者を派遣する形でつないでるって意味ですよね。そういう形もあると思うけど、もうちょっと、ほんとに、社会のなかで、大きく、もうちょっと、考えていけたらな、と思いますけど。介助者という立場じゃなくて、人と人との関係のなかで、繋げていけたらいいなって、それが、できたらいいなって思うね。
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  ピアカウンセラーとしての立場だけでなく、事務局長としての立場も担うが、どちらの役割においても、感じつつあるという。ピアカウンセラーの立場では、精神的にヘビーなケースのときでも、どこかその人との関わりを楽しめる自分がおり、それが、肯定感や有力感につながっている。事務局長としては、対外的な交渉力がついてきたことがそのように感じる理由である。
   
  Sさん:事務局長としての立場と、ピアカンとしての立場があって、どっちも一緒は一緒なんですけど、責任はあったりして、対行政の時は、ピアカウンセラーと言ってられない、事務局長として、ちゃんと対話していかなければならない。対他の事業者とかね、一般の事業者とかね、対って立ったときに、しっかりと、ものを、前は、どっちかっていうと、割と、自信がないので、これは言っていいのかっていうところもあったんですけど、徐々に、これはこれ、それはそれ、で動けるようになったりとか、こうやらなければいけないんだったら、こうやる、とかね。そこらへんは付いてきたっていうのと、市側がね、この顔は、事務局長の顔だと、覚えてくれて、Sは、そう簡単には、引っ込まないぞと、Sが持ってきたケースは、できるだけ、取り組まざるを得ないぞと。
  Q  :ピアカウンセラーとしてはどうですかね。
  Sさん:すごく大変なケースがあるんですよ。こっちの精神が滅茶苦茶にされるケースがあるんだけど、みんなが大変だって言ってるなかで、私はある意味、その人と付き合うことを、楽しんでたり、そういうことができるようになった。いろんなこと言ってくるし、向こうの気分で何か言われるしで、すごく大変。こっちが精神的に大変さを受け取ってしまう、ってことに対しても、楽しんで。楽しむっていうと語弊がありますが、向こうが真剣に言ってきてんのになんだって言われそうだけど、そういう楽しむじゃなくって、その人との関わりを少しは楽しんでるかなってことで
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  1 高校時代の経験
   小学校、中学校は養護学校で過ごしたが、高校は、自宅から普通高校にバスで通うことになった。通い始めるまでは、他の障害のない生徒とは、同級生は同級生で同じくつきあえると思い、その関係について深く考えることはなかった。しかし、いざ通い始めると、その関係は、養護学校時代の人間関係とは全く異なった。Sさんは、結局、高校3年間、学校生活になじむことはなかった、と語る。
  養護学校時代は、できないことはやってもらう、その代わり、できることはやってあげる、そんなことが自然に行われていた。また、障害を持つもの同士、嫌なことも同じようにわかり合える関係だった。しかし高校では、担当教師は、「みんなも大変だろうけど、Sのことを手伝ってやって」と言う。Sさんは「大変なのにやってもらってるんだ」と思い、割り切れない思いがあったが、親は、先生の厚意に対して嫌な顔をしなさんな、とSさんをたしなめる。複雑な思いを抱え、Sさんは周囲の生徒とも素直に付き合うことができなかった。Sさんは、周囲の善意や厚意を受け取るばかりの高校生活と養護学校時代の仲間たちとの関係を比べ、初めてピアとピアじゃない関係を意識した。
  
  Sさん:そこの3年間と、今、ピアカンに関わった自分と関わりがあって、関わりがあるんだろうと思うんだけど。私は、高校の3年間は、話たくないのね。ある意味、養護学校で、ピアな仲間で24時間、過ごせた、寄宿舎ですから、昼真っからずっと一緒、夏休みや冬休みは家に帰ったし、土日も、家に帰ってもいいってことにはなってるけど、帰省もしましたけどね、でも生活の主流は、養護学校だから、24時間、いろんな障害を持った仲間と暮らしてましたね。それを中学校を卒業と同時に、家庭の生活に移り、健常者のなかの学校生活に移ったわけですよね。自分で考えてたよりも、すごく精神的にきつかったと思うんですね。そのころは、毎日毎日を過ごすのに精一杯だから、きついとか感じる暇ないし、言ってる暇もないけどね
  
  Sさん:ピア、ピアじゃないとかね、障害者同士、そうじゃないとかね、そこらへんをすごく意識した、私のなかでは、高校に入学したときに、思う暇がなかったのね。自分が障害者のなかにいたんだけど、今からは、健常者の社会のなかで暮らすんだっていう、はっきりしたことを思う暇はなくって、障害者であろうが、障害者でなかろうが、同級生は同級生で、同じくつきあえると思ってたし、同じく高校生だ、みたいなかたちで、双子の姉の影響もあるんだけど、そういうふうな感覚しかなかったのね。でも結局、私はそこの、ギャップというか、すごい、違いというか、養護学校の仲間は24時間一緒にいるし、私が何が起きたか、とか、わかるわけですよね、友達同士ね、寝起きともにしてるわけですから、障害持ってる仲間だし、こういうことはやだよねって言えば、そうだよねって、ていうような、同じように感じる、仲間ばっかりだったんですよね、それが私のなかで普通の、当たり前の人間関係だったんですよね。だけど、健常者のなかに入っていくと、そうではなくて、なんでいやなの、とか、そこまで聞いてくる人はあんまりいませんけど、帰ってくる言葉は、それをあなたにいいと思ってやったのとか、善意とか親切心だったりとか
  
  Sさん:先生とか、親とか。黙ってりゃいいのにさ、言うんですよ。なんでもやってもらいなさいとか、やってあげなさい、とか、言うわけですよ。そんなもん、言わなくたって、分かってますよね。そういうプレッシャーがかかるわけですよ。学級担任が、「みんなも大変だろうけど、Sのこと手伝ってやって」て言うわけですよ。大変なのにやってもらってるんだってことになって、私は思いますよね。高校生頃って、いろんな面で複雑だから、大人になるにつれ割り切れるんだけど、まだ割り切れない時期でしょ。いろんなこと感じるし。いろんな風にもの取るし。(省略)そういう思いがあるから、すごく素直につき合えないんだよね。お友達とね。
  
  2 CILにおける障害者/健常者関係
  CILは当事者主体の組織であり、半数は障害者スタッフが占めていること、意志決定機関は障害者であること、などの規定がなされている。それは先進的であり、障害者/健常者が対等な立場で働く職場のモデルとして社会に広めていく必要があると感じている。またSさんは常時介助が必要な重度障害者でありながら、事務局長として健常者スタッフも含めた全スタッフの上に立っており、その役割の難しさを感じている。時に、健常者スタッフが弱者の立場になることがあるのだ。Sさんは、CILの職場は、そういったことを、どうしたらよいか考え、克服しながらやっていく職場だと言う。また、障害に合わせた就労のかたちの保障ということで、視覚、聴覚、知的障害などを持つ障害者の就労の場にしていくことも今後の課題であると語った。また、行政や事業者と対したときには、不当に扱われたり評価されたりしている、と感じることがある。
  
  Sさん:CILの職場は、ある意味、先進的な職場だと思うんだよね。健常者と障害者が対等な立場で働く、という意味では。そんなかで、模索しながら、ある時は、雰囲気として、そういう雰囲気になったりとか、強者とか弱者じゃなくて、健常者スタッフ、障害者スタッフみたいになったりしますけど、こうだよねってことで、話合いをして、わかり合ったりとか、そういう部分ではありますね。ここは、模索していって、社会のなかに広めていかなくちゃいけない職場じゃないかな、ていう気はしまうよね。なにもかも介助が必要っていう障害を持ってる人が、事務局長をやってるケースは多くないんですね。CILのなかでも。そんな中で、私が言語障害がない分あれですけど、介助者を四六時中そばに置いて、事務仕事なりをこなさなければならない部分、ある意味、プライバシーの行き交う場所であるので、それがあったりして、その部分で、障害を持った私が、ある意味、トップに近い状態で働き、その下で健常者スタッフが働く環境で、それこそ模索してくところではありますよね。ある意味、人間ですから、感情的になれば、それなりのことも言いますし、こっちが健常のスタッフに向けてがーっと言ってしまうこともある。そうすると、健常のスタッフはそこまで言われると何も言えないよ、っていう反対の立場になってしまう。健常者の方が弱者になってしまって、ある意味ね。CILの職場は、そういうことを克服しながら、じゃ、どうしたらいいんだって、やっていっている職場でもありますよね。
   
  Q  :ここで、障害に合わせた就労のかたちが保障されていると感じるかどうか、ということで。
  Sさん:保障したいと思ってるところですけど。今、肢体不自由の人たちばかりなんですよね。まだ、うちはね。肢体不自由って言っても、聴覚とか視覚の人は入ってないし、身体障害って言っても、肢体障害の人ばかりなんですよね。それを思うと、視覚、聴覚、あと知的の人もそうですし、そういう方たちも、職域を増やしていってみたいなことを、ほんとは思うんですけど、まだまだそこまで。
  
  Q  :ここで働くなかで、不当に扱われたり、評価されたりすると感じることがあるか
  Sさん:ここではないですけどね。対行政とか、事業所と対したときは、介助派遣の事業所と話をするときに、向こうは健常者ですから、介助にも入り、現場にも行きの話で話してきます。私は、実際には、介助しないですから、自分が受けている立場、受ける人の立場で、物を具体的に言いますよね。ある程度、介助者の立場もわかってるつもりで話しますよね。その時に、あんた現場にいかないんだから、って、そんなことばっかり言っても通用しないていうような、ちょこちょこっと、はっきりは言うところはないですけどね。
  
  
  【事例13】
  障害者と健常者が近づく方法、それは、障害者だけでなく健常者も自分に向き合い、自分らしさに気づくことではないかと語る、ピアカウンセラーの男性
  
  
  ◆ 基本情報
  氏名:Y.S
  性別:男性
  年齢:28歳 
  障害状況:出生直後に黄疸が出るなどの異変があったが一命は取り留めた。しかし右半身の障害が残った。身の回りのことや移動など、生活上問題となることはないが、重たいものを持ち上げたりすることは難しい。
  家族構成:都内で一人暮らしをしている。
  就労経験:社会福祉系の大学を卒業後、発電所の子会社に就職をした。仕事内容は事務職である。2年ちょっと勤めた。辞めたのと同時期には現在も勤める都内K市にあるCILでピアカウンセラーとして働き始めた。
  
  ◆ ピアカウンセリングについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 ピアカウンセリングとの出会い 
  ピアカウンセリングとの出会いは今から7年前、大学4年生の時に遡る。ピアカウンセリングの講座を初めて受講した。その時初めて障害を持つ人同士が創り出す雰囲気に触れた。Yさんはそれまで障害を持つ人と付き合う機会がなかった。小学校以来大学時代まで、学生時代はずっと健常者の人たちとしか触れあう機会がなかった。その講座の際に、Y君も仲間なんだよと言われ、ピアカウンセリングっていいなと思った。また、みんな障害を持っていると、その人のキャラクターで上手くいくようにみんなで考える、しかも、それが上手く行ったりする、ということを知った。そういった部屋の発想が最終的に地域まで広がっていくことがピアカウンセリングのねらい、と語った。
  
  Yさん:大学4年生のときですから、今から7年前の話ですね。その時、リーダーが誰っていうのは、明確になかったんですよ。HS(ボランティア団体)の講座では。それで、HSのスタッフが時間ごとにリーダーをやっていくという形での講座だったんですね。今では、それこそ、障害について、人間の本質、抑圧について、とかいろいろ、カリキュラムがあったりするんですけど、その時の集中講座では、そんなにはなかったんですね。聞き合いをしようっていうことと、誉め合いをしようってことと、それから、制度のことを勉強しようってことぐらいで。あとはもう、自由なセッションの時間てことが多かったんですけども。その時に、自分たちの団体での集まりっていう形でのピアカウンセリングをしたんですね。だから、HSの職員と、当事者職員と、HSに普段から関わってる地域の障害者の人たち、のなかに自分が入ったという感じだったんですよ。その講座では。それでその時に、障害を持つ人同士が創り出す雰囲気というのを感じることができたんですね。自分が。ずっとそれこそ、自分は健常者のなかでやってきましたから、君も仲間なんだよってことを聞いて、それで、ピアカウンセリングってなかなかいいかも知れないっていう風に。障害を持つ人のキャラクターは、障害のない人のキャラクターとは違うじゃないですか。でも、みんながみんな障害を持ってたら、その人のキャラクターで上手いこといくように、みんなが考えるんですよ。そういうところが、それこそ、車いすの人が、車いすの人同士で動くっていう風になったりしたときに、普通だったら、施設の職員がわっと手伝いに入るということがよくあると思うんですけども、そうじゃなくて、障害を持つ人同士で、どうやったら上手いこと動けるかな〜って言いながら、結局、上手いこといったりするんですよね、それで。必要な時に介助の人を呼んだりもするやろし、それが、ピアカウンセリングでは、部屋のなかでだけのことなんですけども、そういう風な、部屋の中での発想が、最終的に地域にまで広がっていけばいいなぁっていうのは、ピアカウンセリングのねらいなんですけど、(省略)
  
  2 一般就労を経験した時代
  小学校は普通校、中学校・高校は、受験をして一貫制の私立の学校へ入った。大学は社会福祉系の大学に行こうと思った。障害を持つ人のことは自分のことであると思ったからだった。そのような興味を発端にして関心は高齢者や児童にまで広がっていった。そして就職という段階の時、Yさんは敢えて自分が兼ねてから進みたいと考えていた社会福祉、自立支援、当事者主体の活動といった分野には進まずに、一般社会的な常識を学ぶために一般就労をすることに決めた。福祉の道に進みたいからこそ、それだけに固まりたくないという思いと、他の学生に比べて身体に不自由があるということでアルバイトの経験があまりなく、そういった面で出遅れがある、とも感じていたからだった。
   
  Yさん:ただね、この、福祉、自立支援や社会福祉のことをやりたいんだから、他のことをやろうって思ったんですよ。だからそれだけで固まりたくないっていう意識もありましたんで。それで、それこそ、普通に考えていただければと思うんですけど、身体が不自由だと言うことで、学生の時にアルバイトができなかったんです。僕は。やったことと言えば、F球場の掃除と、棚おろしの在庫確認とかしかありませんから、野球場の掃除なんてたまにしかありませんから、だから、普通に、それこそ、レストランでアルバイトとか、ファーストフードでアルバイトとか、いろんな会社でアルバイトだとか、そういう、障害のない学生っていうか、普通の人たちはいくらでも、勉強してる間でも、社会との接点って、あるじゃないですか、だから、その時点で、現実的に出遅れてしまってるわけなんですよ。僕は。
  Q  :という感じがあった。自分のなかで?
  Yさん:それはありましたね。だから、そういう社会的な常識っていうのは、クラブ活動で身につけられるものは身に付いてるかも知れないけど、一般社会での常識に触れるっていう機会が、なかったので、お小遣いは奨学金があったから、みんなと遊べたけど、お金はあるにしても、社会の常識ってことを、自分では知らなければいけないと思ってるし、自立生活センターでの人との関わりにしても、ここは、Nさんという方がやってらしたんですけど、そういう経験て生かされてくよねって話をしてましたんで、まず一般就労しようってことで行ったんです。
  
  3 CILへ
  約2年半、一般就労を経験した後、現在働く都内K市にあるCILからこちらに来るか、という打診がった。Yさんはやらせほしいと返答、採用が決まった。Yさんが25歳の時だった。今年の8月で勤続して4年になる。
   
  Q  :Yさん来てください、とお願いされたわけですね。
  Yさん:どうだ、っと言われて、自分は、やらせてください、ってお答えしたから、じゃあ、採用しよう、ってことが正式な話ですよね。話をくれて、決めるのは自分なんだよっていうのは、こういう当時者主体の団体の考え方ですので
  Q  :そういうお話があったのは、前から、ピアカウンセリングの講座とか受けられていて、そこでの繋がりがあったから
  Yさん:普段から、障害を持つ人とのコミュニケーションを大切にしてたんで、自立生活センターの考えを大切にしてたってところからお声かけを頂いたんだと思います。
  4 ピアカウンセリングについて
   Yさんには、もちろんこの仕事に就きたいという思いもあったが、同時に、一般社会の中だけだったら潰れてしまう自分が安心して立ち戻れるところでもあった、と言う。Yさんはピアカウンセラーの認定は受けていない。ピアカウンセリングがあくまで自助を目的としていることや、その言いたいことやねらいがわかっていることが大切であり、認定はいらない、と考えている。また、ピアカウンセリングによる自分自身の変化について、障害を持つ人との関わりがメインになったため視点やペースがそのように変化したこと、自分にないものを手に入れていこうとするのではなく、今自分にできることは何かという意識に変化したこと、もともとの前向きな自分を思い出したり、できないことをできないと思っていいんだと思えるようになったりしたことを挙げている。
   
  Q  :前々から、このようなお仕事に就きたいと思ってたわけですか?
  Yさん:ていうか、仕事に就きたいというのもあるし、仕事として、っていうだけじゃなかったですね。それこそ、自分がつぶれてしまいますので、一般社会のなかだけでだったら。なにか、ぶっちゃけた言い方をすると、自分の逃げ道ですよね。障害を持つ人たちとの関わりを大切にしながら、より、障害のない人との付き合いもよりよくしてこう、っていうような感じで、常に、ちょっと自分の足下、自分自身が安心できるところに戻る、ていう意味で
  
  Q  :Yさんも、ピアカウンセラーのなるための養成講座を受けられた?
  Yさん:受けておりません。受けてなかったです。ピアカウンセラー認定を今でも私は受けておりません。だから、あくまでも、ピアカウンセリングというのは、自助のものですので、この、ピアカウンセリングの言いたいこと、ねらい、というのが、わかる人であれば、リーダーだとか、サブリーダーというものをお願いできるだろうということで、話がくるんですよ。それを、ちょっと、支援事業ができた絡みがあって、ピアカウンセリング事業っていう形で出てしまいましたから、やむにやまれず、事業化したという側面があるんですけれども、だから、普段から、障害を持つ人たちとの付き合いっていうのを頻繁にしておりましたので、その中で、いろんな講座を受けているうちに、自分が自分なりに感じたもの、自分なりに捉えたものっていうのを、ピアカウンセリングでは伝えるっていうのは、ほんとの前提でありますので、だから、それこそ、ピアカウンセラー認定を受けてないんですよ。僕は、いらないと思ってますからね。
  
  Q  :Yさんは、ピアカウンセリングと関わりを持つようになって、ご自分自身の変化っていうのは何かありますか?
  Yさん:ええ。もちろんありますね。まず、障害を持つ人との関わりというのがメインになりましたね。ピアカウンセリングを堺にして。だから、それまで健常者のなかでやってきました。それで、だんだん、ここで勤めたりしたら、普通の友達とか職場の人も、障害を持つ人の方が多くなってくるんですよ。だから、いつのまにか、そういうペースにも慣れてきたと。(省略)ちょっと視点やペースが変わったというのはあるかも知れないな。
  Q  :Yさんのなかの気持ちとして、何か、変化したことはありますか?自分に対して、例えば、自信を持てるようになったり、要するに、エンパワメントの視点で
  Yさん:自分にあるものはどんなものかっていうことに対する意識が多くなったかな。自分にないものを手に入れていこうっていうのじゃなくて、今自分にできることはどんなことなのかっていう意識が多くなったかな。
  
  Q  :それは、ピアカウンセリングを受けて、変化したってことですか?
  Yさん:もともとの前向きな自分を思いだしたってかんじかな。もともと前向きであったはずなのに、いつのまにか、そのことから目をそむけようとしている、意識的に。
  
  Q  :ピアカウンセリングに出会ってからは、できないことをがんばるんじゃなくて、できることをもっとこう
  Yさん:ていうか、できないことをできない、と思っていいんだよ、っていうことかな。別に、それを、できないってことで、自分を否定しないでいいんだ。できないんだっていうことを、ちゃんと知ってもいいんだ、で、できなかったら、助けてもらおうよっていう、ことですよね。
  Q  :それはでも、今までのYさんの考え方からすると、抵抗のあるものではなかったですか?
  Yさん:抵抗のあるものだと思います。ただ、そういう風な、ことを、言ってくれる、雰囲気づくり、ていうものを、ピアカウンセリングでは、障害を持つ人同士でするんですよ。だから、それがすごく大事だなって思いますね。で、そういう、物の言い合える雰囲気になったときに、他の先輩や仲間からの働きかけっていうのがあるんですよね。その雰囲気を重視するっていう意味で、障害のない人には、外で待機してもらうっていう、のがありますよね
  
  5 今後の目標ややりたいこと
  活動の究極の目標はK市を変えることであり、そのために、車いすに乗っている人もいればこういう人もいる、と問題提起していければいい、と考えている。また今後は、自分の活躍の幅を拡げていきたいと考えている。特に現在は権利擁護の関係のことに興味を持っており、障害のない人を巻き込んで一緒にやっていこうよと働きかけたり、必要があれば諸外国における取り組みについてその国に行って調べてみたりしたいと考えている。
  
  Q  :この活動を通して、目標とすることは?
  Yさん:究極の目標は国立を変えるってことになるんでしょうけどね、そこに行くまでに、一人ひとり、地域の人たちに対して、ちょっとした、問題提起っていうか、テーマっていうのを発信していければいいのかな、って。こんな、障害を持つ当事者といっても、車いすに乗ってる人もいれば、こういう人もいるんだよっていうぐらいのレベルでいいのかなって
  
  Q  :どんなことを今したいって思ってますか。具体的に言うと。仕事ってことに関して。
  Yさん:権利擁護の関係のことをもっとやっていきたいと思っています。ピアカウンセリングをスタートにして、ピアカウンセリングでは、障害を持つ人同士での力づけっていうですけども、それを、一通り積んで、いかに障害のない人を巻き込んでいくかっていうことを、それの突破口というのが権利擁護の問題になってくると思うんで、一緒に考えていこうよっていうことをやっていこうと思います。
  
  Q  :これからどんな技能を身につけていきたいとか、ありますか?
  Yさん:もっと、技能というよりは、自分の活躍の幅を拡げていきたいかな。そうなったときに、必要な技能とか、ていうのがあればその時考えようってことですね。
  Q  :活躍の幅というのは、どういう方向に
  Yさん:今のところ興味があるのは権利擁護関係のことなので、それに取り組んでいるうちに、よその国ではどうやってるのかっていうことにぶつかったら、その国に行ってみるとか、一定の決められた技能というんじゃなくて、進んでいくうえで、必要なことをその都度その都度書き出して、取り組んでいきたい
  
  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  感じている。その理由は、自分で自分を肯定する時間や周りがどういう風に見ているかを聞く時間をきちんと取っているからである。周りはYさんが好きだよというメッセージを送ってくれるという。それが一番であり、有難いことだとYさんは感じている。また自分に向きあえるからこそ人への働きかけができると感じている。そして、自分を肯定する時間を持つことが人への信頼にも繋がっていると言う。またYさんは、収入の高低は自己肯定感と連動するものではなく、むしろ、収入が変わることで、それが自分らしい生き方であるかを再考するだろう、と語った。
   
  Q  :今、お感じになられてることでお答えいただきたいんですけど、自分を肯定しているか、自信を持って働いているか、力があると感じているか、感じるか、感じないか、で
  Yさん:それはもちろん今は思ってますね
  Q  :その理由について
  Yさん:それは、自分で自分を肯定する時間というのをちゃんと取ってるってことと、周りが自分を、どういう風に見ているかというのを聞く時間をちゃんと取っているということですよね。
  Q  :例えば、介助者の方はあまり関係ないんですか?
  Yさん:介助をするっていう風な関係になると、それは全く関係ないと思うんですけど、それこそ、支え合うって関係になったりすると、ちゃんと時間を取るっていうことですね。(省略)
  Q  :一番最近ので、Yさんは、みんなからどのように評価されていますか。差し支えなければ
  Yさん:Yさんのこと好きだよっていうんじゃないですか?それが一番じゃないでしょうかね。それは有難いことですよ。
  Q  :職場のなかで?
  Yさん:いろんな人からですよ。
  Q  :やっぱり、自分を好きだよって、周りが受け止めてくれるのは、自分を肯定できたり、力が沸いてくる、要因として大きいですかね
  Yさん:自分で自分に向き合うことをちゃんとしないと、人への働きかけってできないと思いますから、人と接するときも必ず自分と向き合うことをしているっていうのが一番かな。それで、人の問題は人の問題ですからね。自分のことがわからないようなやつに人の援助はできないと思ってますから。援助するのは結果であって、人は一人一人、ベストな方法で問題を切り抜けてるという考え方があって、それを頭に置いて、人と接してるっていうのはありますね。
  
  Q  :Yさんの場合は、こういう活動をしていて、収入がこれからあがったとすると、自分を肯定するとか、有力感と連動していきます?
  Yさん:収入が変わると、その都度自分は考えると思います。これが自分らしい生き方かなって考えたうえで、そうやって思えば続けるだろうし、違うと思ったら辞めると思います。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  まず一般就労時のこと、転勤先は、外回りが主の会社であった。みんなは車で移動するがYさんはそれができなかった。Yさんが運転できるように、握り棒とアクセルのパイプを車に取り付ける改造が許可されなかったのだ。そのかわり、他の社員の都合の良い時に仕事を依頼するようにと上司からは言われ、他の社員からは、私の仕事があるのに、持ってもらって感謝しろよ、と言われた。相手のペースに合わせなければならないうえに、ノルマは他の社員と同じだった。
  Yさんは、職場で不当に扱われたり評価されたりしたことはあると感じている。条件が対等でないところで失敗は自分の責任になってしまうこと、条件に見合う人はがんばれと言われ、見合わない人はがんばらないでいいと言われる、それはつらいことだと話す。一人一人に合った仕事の仕方があれば問題はないのではないか、と考えている。障害に合わせた就労のかたちは保障されていなかったと感じている。また、働く仲間として対等ではなかったとも感じている。障害を持っているうえに、地元の人たちのなかでよそ者と見られた。コミュニケーションは取れていたが、いざ仕事となると誰もが自分を守るかたちになってしまった。
  現在のCILでは、不当に扱われたり評価されたりすると感じることはない。また、障害に合わせた就労のかたちは保障されていると感じている。仲間として対等であるかに関しては、どちらとも言えない、と答えた。
  社会一般の障害者/健常者関係については、弱者・強者の関係がはびこっていると感じている。ただしそれは、いつどちらがどちらの立ち場に立つかはわからない、という意味でである。Yさんは障害を持つ人だけでなく障害を持たない人も、自分に向き合い、自分らしさを考えていくことで社会はよくなっていくのではないかと考えている。障害は自分と向き合う機会を与えてくれるが、逆に健常者は、いろんなことをこなしてしまっている分、自分の気持ちを押し殺している可能性がある、と考えている。
  
  転勤で田舎に行ったんですよ。長崎県の方にね。その時に、それこそ、書類を、事務所から離れた寮とか食堂とかに届けないといけないんですよ。それで、発電所そのものもでかいので、発電所のなかで車で移動しなければならない、ていうようなところで働いてたんですね。それでそこで、まだ安心してこいつを車に乗せられないので、事務所のなかで仕事をしようと、いうふうなことをまず言われるんですね。でも、仕事そのものは、同じ仕事が与えられますので、他の人たちと同じ仕事が与えられるので、他の人たちは車に乗って集金とか、外に書類届けたり、してるわけなんですよね。それと同じノルマが与えられていて、自分は車に乗れないんですよ。だったら、どうするかっていうと、出ていく人に頼むようにしなさいと、いうことを言われるんですよね。でも、出ていく人に頼むようにしなさいってことになったら、その人のペースに今度は合わせないといけないんです。周りの人は障害がないんですよね、その時点で、障害のない人のペースに巻き込まれると。そこで、自分のペースじゃおっつかないってことになっても、周りの人に届けてもらえるように、ちゃんと書類は用意して、ってことは言われるんですね。でも、無理なんですよ。それは。事情も違うし、それで、上手く使えるように、しなさいと、だから、一人一人は自分のペースで仕事をしてるのに、自分は自分のペースでできないんですね。その時、自分が一番下だったんですよ、会社で、歳が。届けてもらうのが、みんな先輩なですよ。女性であれ。それで先輩にちゃんともってってもらうようにしろよって言われるし、先輩は先輩で、私の仕事があるのにっていう言い方をするんですね。それで、もってってもらって有難いと思えよ、っていうようなことも、合わせて言われるんですよ。
  
  Q  :職場で不当に扱われたり、評価されたりした、と思います?
  Yさん:条件が対等であれば、もっとうまいこといくかな、と思うんですよね。だから、対等な条件があったうえで、失敗だとか、てことがあれば、それは自分の責任だと思いますけども。もともとの条件っていうのがあって、それに合うやつががんばれて、合わすことができないやつはがんばれない、っていうようなのがありますからね。そういうとこで、障害を持つ人みんな、つらいんじゃないかな。人一人に合った仕事の仕方っていうのがあれば、なんら問題はないのかな。
   (省略)
  Q  :車のことに関しても、ちょっと車内の改造があれば、なんとかできましたか?
  Yさん:できますね。握り棒とアクセルのパイプさえあれば普通にできるし、アクセルのパイプもあげれば普通の車として使えますから、他の人が乗るときは。そういうちょっとしたことだけで。
  Q  :ただそういった工夫も、その当時の、職場では
  Yさん:なかなかしてもらえなかったですね。してくれるっていう話はあったんですけど、Yくんが車に乗れるってことで転勤したんだと思うんですね。でも、そうじゃなくて、車に乗れるんじゃなくて、ペーパードライバーだったって情報まではいってなかったと思うんですよ。そこでちょっとした練習とか、サポートがあればさしてどうってことはなかったと思うんですけど、それすら、なかったですからね
  Q  :それは、Yさんが、自分は、こういう風な工夫をすれば車に乗れるってことは言ったんですか?
  Yさん:ええ。もちろんですよ。
  Q  :それでも向こうは対応してくれなかった
  Yさん:そうですね。ちゃんとは対応してくれなかったですね。(省略)
  Q  :職場環境のなかでしたけど、一緒に働く人たちは、仲間として対等だったと感じますか?
  Yさん:そりゃ対等じゃないですよね。もちろん対等じゃないですよ。それは。僕の場合は、もちろん障害を持つ存在ではあるんですけど、それ以上に、転勤先では、みんな地元の人たちなんですよ、周りは、で、自分だけがよそ者で、という感じだったので、そういう面でも大変でしたし、なおかつ障害を持ってるってことで、一般の人たちの職場でも、対等ってことはなかなかないと思うんですよね。その上で障害ってことも絡んでくるってことで
  Q  :それはどういう関係だったですか?振り返ってみると
  Yさん:そうですね。具体的にどういう風にお答えすればいいのかな。
  Q  :まあ、私が考えたのは、弱者・強者の、不釣り合いな関係って感じで、
  Yさん:周りの人たちもね、本当は仲良くしたい、っていうのがあると思うんですけど、やり方がわからないっていうのがあるんでしょうね。きっと。だから、いつのまにか自分自身を守るような形になっていってしまう、ということだった。だから、ほんとに目に見えた形でのいじめっていうのではなかったんですけど、結果的に、俺が仕事をしにくかったということはありましたね。
  Q  :周りの方とのコミュニケーションていうのは、割とよくとれていたんですか?
  Yさん:それはそれで、よく取れてたんですけどね、どうしても仕事が絡んでくると、難しくなってくるっていうことがあっただけでね。
  
  Q  :今の職場のなかでの話ということで、あと、今の職場から発信する地域との関係とか、それぐらいの意味合いで考えていただきたいんですが、不当に扱われたり、評価されたと感じることがありますか?この質問に関しては、職場で、ということでお考えください。
  Yさん:それは特にはないですね
  Q  :仲間として対等であると感じるか?弱者・強者の不釣り合いな関係ではないか?
  Yさん:それはどちらとも言えない、ですね。
  Q  :いいえ、じゃないんですね?
  Yさん:仕事をするっていう面では一緒ですからね。健常者と障害者、というわけじゃないですね、というより、一人一人の関係のなかで、ということですね。
  Q  :障害に合わせた就労のかたちが保障されていると感じるか
  Yさん:そうですね。
  Q  :社会一般について、障害者、健常者の関係はどのようであると感じますか?(省略)
  Yさん:残念ながら、弱者・強者の関係っていうのは、まだまだはびこってるんじゃないかな。自分がいつ弱者に立つかわからないし、いつ強者に立つかもわからないということを気をつけようと、それこそ、いつ抑圧する側に回る可能性が自分の側にもありますから、常に、気をつけないと、ということですね
  Q  :今、Yさんが地域に働きかけることで、関係をどのように変えたいと考えていますか?
  Yさん:もちろん、どうしたい、というのはあるんですけど、障害を持つ人も持たない人も自分に向き合って行こうよって言う、それこそ、自分らしさっていうのを考えてみようよって、無理しなくてもいいじゃないですかって。一人ひとり自分らしさっていうのがあってもいいんじゃないかなっていう、そのことに、みんながそれぞれちゃんとあるはずなのに、それにいつの間にか嘘をついたり、顔をそむけたりしてて、本当の自分と違う自分を社会のなかでやってしまってたりとか、もちろんその、それ以上に、両方と関わってた立場ですので、それぞれの人が自分らしくっていうことをね、結果として、社会がよくなればいいんじゃないかなっていうぐらいの...
  Q  :健常者の人の側にも、自分らしく生きていない人がいるんじゃないか、ということですかね?
  Yさん:そうですね。重度の障害とか持っているとですね、差別という形が目に見える形でてくるんですよ、段差があがれない、とかですね、電車にのることができない、とかですね、目が見える形で差別が起こってしまっているから、それに立ち向かうために、自分がクリアになって、社会に働きかけて、ていうのを常にしていかなければならない、というのがあるんですけど、障害がないと、基本的なことができてしまいますので、いつの間にかこなしているうちに、人との付き合いのなかで、自分の気持ちを押し殺して、というのが起こってくると思うので、
  Q  :障害っていうのは、自分を気づかせてくれるものなんですかね?
  Yさん:自分と向き合う機会を与えてはくれるけれど、それだけ差別が激しいということですよね。いちいち見ていかなあかんていうことですよね。だから極端ですよね、ほんとに、両方が。それを少しでも近づけていこうっていうような活動になってくるんでしょうけど
  
  
  【事例14】 
  5年間、ピアカウンセラーとして障害者の自立支援を行ってきた職場を辞め、誰もが住みやすい街作りを目指して新たな1歩を踏み出そうとしている女性
  
  ◆ 基本情報
  氏名:O.M
  性別:女性
  年齢:36歳 
  障害状況:脳性麻痺、1種1級、移動は電動車いすにて、身辺動作は、電動車いすに乗っていればできるが、ベット上では身体に力が入ってしまい、思うような動きができず全介助
  家族構成:親は仙台で暮らす、本人と弟は、都内、同市に、別々に暮らしている。
  就労経験:一般就労、福祉工場で働いた経験を持つ。福祉工場に勤めていた時に健常者職員との関係で悩んだことがきっかけで、当事者が強くならなければいけないという思いを持ち、仙台にCILを作りたいと思うようになり、ピアカウンセリングに関わるようになった。都内K市にあるCILで約5年間働いてきた。本年3月に退職。
  
  ◆ ピアカウンセリングについて −動機・活動のプロセス・目標など−
  1 きっかけ
  ピアカウンセリングを始めたきっかけは、仙台でCILを作りたいと思った時に、ピアカウンセリングの講座を勧められたことによる。初めは自分の感情がなかなか出せず、吐くこともあった。しかし、ピアカウンセリングを通して、仲間に自分の気持ちを打ち明け、聞いてもらえることで、周りや社会、親、学校の先生から送られ続けた、自分に対する「役立たず」という否定的メッセージの呪縛から解放され、「自分を大切にしていいんだ」と思えるようになる。
  
  Oさん:私は感情がなかなか出せなくて、何度も何度も吐きながら、でも、ピアカンは好きだなぁと思っていて、ここまで広めてきています。
  Q  :ピアカンの好きなところとは?
  Oさん:仲間に聞いてもらえる、というのがよかったなぁって。聞いてもらえることで、障害を持っている人って、周りから社会から、役に立たない、親から、学校の先生から言われてきたなかで、ピアカンは自分を大切にしていいんだよ、ということをいろんな角度で伝えてくれる。
  2 ピアカウンセリングの役割について
  Oさんは、障害を持ったものの立場で社会のロールモデルになっていくことがピアカウンセラーの役割だと考えている。また、ピアカウンセリングを、仕事としてではなく、自分自身が力をつけていくための道具として捉えている。ピアカウンセリングを行うなかで、話を聞いてもらったり、いろいろなサポートをしてもらいながら、自分らしさに気付き、生きていくことができる、と言う。ピアカウンセラーは、その人の為に何かをするのではなく、その人が自分で立ち直るのを、側面でサポートしているに過ぎないのだ、と言う。
  
  Oさん:障害を持った人が社会にロールモデルになっていこうというのが、障害者を持ったものの立場でロールモデルになっていこうというのが、ピアカウンセラーの役割だと思っている
   
  Oさん:(ピアカウンセリングを)仕事としてじゃなくて、自分自身が力をつけていく道具だと思っています。
  Q  :力をつけるというのは?具体的に。
  Oさん:障害を持っている人同士が話しを聞き合うことによって、その人が、話しを聞いてもらうことで、いろんなサポートをしてもらいながらでも、自分らしく生きていくことができるというのは大きいですね。それを私は実感しています。
  
  Oさん:私は、人のためじゃなくて、何かをやりたい、という障害者をサポートしていくのが、ピアカウンセラーだと思っています。だから、その人の為に何かをしているという気持ちは全然なくて、その人が自分で自分を立ち直らせて、自分を勇気づけていくサポートをしてるんだな、と私は思っているので、自立させなきゃとか、元気にさせなきゃ、とかは私は思っていません。
  
  効果とかよく聞かれるんだけど、それはその人を見ていればわかるわけで、どんどん元気に、自分らしく、人の目を気にしないで、みんながピアカウンセリングを通して変わっていく姿を私はたくさん見ています。
  
  3 これからやりたいこと
  Oさんは、ピアカウンセリングを通して、自分のこれからの道を決め、障害を持っている人としてやれるんじゃないか、と思うようになった。また、この5年間の活動を通して、障害当事者が社会を変えることができるんだ、と実感した。今後は、仕事として行えるようになるかわからないが、と前置きをしつつ、ピアカウンセラーをやりながら、社会のバリアーを減らし、誰もが住みやすい街づくりを提唱していくなど、障害当事者にしかできなことをしていきたい、と考えている。
  
  Oさん:社会を変えていくのは、障害当事者がやっていけるんだ、ということを、この5、6年働いたなかで、思いましたね。障害者の立場で話しをするということはなかなかできないし、学校教育にしたって、今まで分けられてきたからなかなか理解してもらえない、だから、分けるのではなく、統合教育を進めて行こうとか、社会に対して提案していけるのは、障害者だと思っています。
  
  Oさん:目標は、センターで働くだけがピアカウンセラーではないと思っているので、そういう障害者の自立生活をいろんな人に伝えたり、社会のバリアーを減らしたり、自分にとってこれから高齢化社会に向けて誰もが住みやすい街づくりを提唱していったりする役割を担っているのも障害当事者ですし、だから、障害当事者しかやれないことというのはピアカウンセラー以外にもあると私は思っているし、いろんな障害を持った人たちに伝えています。
  Q  :CILという枠のなかでは限界があるのですか?
  Oさん:街作りのことをやりたいと思ったから、専門的にやりたいと思っているということが1つにあって、やめるというんじゃなく、私にはやりたいことが他にもちゃんとあって、それに向かっていく、ということですね。

  ◆ 自己肯定感・有力感の有無とその理由について
  1 自分らしく生きていこうと思っていればよい
  Oさんは、自分の良いイメージや能力があるかは、どんな人間だって諦めたり、無理なことがあるのだから、考えないようにしている、と言う。それよりも、自分らしく生きることが大切だと考えている。そして、今、自分らしく生きている、と感じている。自分に対する今のイメージは、“自分のことは自分で決めて、自分で成し遂げていく”自分である。人に助けてもらうこともあるが、それを依存的と捉えてはおらず、むしろ、自分らしく生きるために、いろんな人の助けが必要である、と考えている。また、自分はたくさんの危険を冒している、とも感じている。
   
  Oさん:自分の良いイメージ。それはわからないけど、自分らしく生きていこうと思っていればいいと思っています。あと能力があるとか、それは、無理とか、諦めとか、どんな人間だってあるのだから、自分らしく生きていくということに置き換えてるので、あんまり自分が能力があるとか、ないとか、あんまり思わないようにしています。
  
  危険はいっぱいいっぱい冒していると思っています。例えば、普通の人だったら当たり前のこと。満員電車に乗ってみたり、駅員さんは腰痛めるかもしれないけど、どんな駅だって使うし、あと、人が私のために何かする、という感覚は私は全然持っていなくって、私の生活は、私が自分で築きあげていく、そのために介助を入れているので、そんな風には全然思ったことはありません。
  
  Q  :自分に対するイメージは?
  Oさん:自分のことは自分で決めて、自分で成し遂げていこうという気持ちがあるから、仕事をやめようと思っています。依存的に、いろんな人を頼って生きていきたいな、と思っているので、でも、依存的とは思ってなくて、いっぱいいっぱい人に頼って人に迷惑をかけて、人に助けてもらいながら生きていくことを自分のモットーに置いているので、やっぱり、自立生活といっても、いろんな人に頼りながら自分らしく生きていいんじゃないかな、と思っています。
   
  2 自分の身体は自分が一番よく知っている
  Oさんは、自分が有力感を持っているかはわからないとしつつ、しかし、どんな専門家よりも、自分のことは自分が一番良く知っており、また、健常者社会の基準に合わせるのではなく、自分が楽な方法が自分にとって良い方法であること、そして、自分のことは自分で守る大切さ、を感じている。
   
  Oさん:有力感とかよくわからないんですが、変化があるか、私は、歩いていきたかったんですが、歩いている障害者だったんですけど、疲れたりしたときに、楽をしてもいいんだなぁということを一番大きく知りました。それが一番大きいかな。自分の身体は自分で守るというか、お医者さんでもなく、自分の身体は自分が一番良く知っているんだなぁということを知りましたね。
  
  ◆ 障害者/健常者関係について
  Oさんは、障害者と健常者の関係について、障害者同士でさえ、重度の障害と軽度の障害を持っている同士では、対等に付き合うのが難しく、健常者との関係についても同様であると考えている。また、その関係は、昔と今とでは変わりはない、と考えている。
  
  Oさん:障害者/健常者関係については、ピアカウンセラー同士でも大変なことがたくさん、重度の障害者の気持ちがわかってもらえなかったり、大変なことがたくさんありますし、いろんな障害者に向かっていく1つとして使っています。いろんな障害者がピアカンを通して仲良くなるというのはあんまりないと私は思っています。障害者同士、対等に付き合っていくのは難しいと思っています。障害者自身が自分自身が元気になっていく手法の1つとして思っているので、健常者との関係だっていろいろある訳だし。
  Q  :(健常者/障害者関係について)ピアカンをやる前と変化はありますか?
  Oさん:私は変わっていない。やっぱりいろんなことがありますしね。ストレスをピアカンで解消しているので、そんな風には思っていないです。
  
  
  第3節 事例のまとめ
  
  ケース・スタディ・リポートから、各事例には、自己を肯定できたり力があると感じる、あるいは感じられない理由があることがわかった。ここで考えたいことは、なぜ、そうした理由により、自己を肯定できたり、力があると感じたり、感じなかったりするのか、ということである。背景もあわせ、その要因について探っていく。
  
  【事例1】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は「もともとできることを見つけてやっていくタイプだったから」ということである。好奇心が旺盛で、できそうなことはなんでもやってみようと思った。
  小さい頃から、絵は、いつもKさんのそばにあった。一人で過ごすことの多かったKさんにとって、絵を描いたり、絵本を読んでもらうことは、想像の世界で遊べ、そのなかで自分の願いを叶えたり、ほっとした気持ちになれるものだった。
  Kさんが絵本作家になりたいと思ったのは、中学時代である。以来、Kさんはそのために「今」何をすべきかを考えるようになった。高校へは行かず絵本科のある専門学校に行こうと思った。しかし、そこに入学するためには、高校卒業の資格が必要である。だから、高校へ進学した。また、高校時代に日本画の美しさに魅了され、その美しさを絵本に取り入れたいと思い、美術系の短大に進学、本格的に日本画を学んだ。短大を卒業後も、絵本コンクールに応募し続けたり、出版社に直接掛け合ったりしたこともあった。たまたま雑誌で見つけた絵本スクールに通い始めたことで、出版社からKさんの創った絵本の良さが認められ、とうとう絵本作家としてデビューすることができた。決意から15年が経っていた。
  その行動力は障害を微塵も感じさせないが、動かせるのは肘を固定したときの指先だけである。体幹も左に大きく側湾しており、インタビュー時も時々、身体を右に倒してもらい、左への圧迫を逃がす必要があるほどだ。肺炎も起こしやすい。またそれは死に直結するものとなる。取材で外出するときには、前後日は身体を休めなければならない。少しの無理が生命に関わってくるのだ。
  Kさんは、学生時代に何度か、絵のコンクールで入賞している。絵の実力は、自他共に認めるものであった。しかし、絵を専門的に勉強していくにつれて、周りの水準も上がっていく。上手いのは当たり前の世界である。そのような環境のなかで切磋琢磨していった。絵本コンクールに挑戦・落選を繰り返していたときも「まだ技術が足りないんだ。もっと上手くなろう」と気持ちを前向きに切り替えた。
  「もともとできることを見つけてやっていくタイプだったから」この言葉には、Kさんの現在の自信が感じられる。悲願が達成されたのだから当然ではあるが、それは表面的な理解に過ぎないように感じる。Kさんにとって絵・絵本は、想像で遊べる自由な世界であり、友達であり、希望であり、仲間やライバル、理解者を得るツールでもあった。そして何より自分を信じて頑張れるものであった。全戦全敗の時期もあったが諦めることはなかった。自分と絵・絵本との関係を断ち切るという発想はなかった。それはKさん自身を失うのと同じくらいに絵・絵本との深い繋がりがあったからに違いない。Kさんの《自己肯定・有力感》は、“自分と絵・絵本との繋がりを信じてきた自分への信頼感”に裏付けられたものであると考える。
  
  【事例2】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は『「普通に働いている」ことだけでも自信になっている。給料をもらったり、依頼者から喜ばれたりすることも自信に影響している』からである。
  高校1年時のスポーツの事故で、重度の身体障害を持つことになった。周りの友人は大学に進学していった。Mさんは、パソコンの道を選んだ。もともとパソコンが好きだったし、障害のことを考え「そういう方面しか難しいんじゃないか」と考えたからだ。パソコンを専門に勉強できる大学を受験した。だが合格できなかった。大学受験と並行して受けていた重度障害者のためのパソコン講座には合格することができた。大学に合格できなかったことで、高校時代の友人たちとの差は広がっていく感じがした。劣等感を持った。
  Mさんはその講座で、情報処理技術者やシステムアドミニストレーターの資格を取得、プログラム言語について学んだ。そしてたまたま通院していた病院から在宅就労の話が持ち上がった。在宅で働けるし、仕事の納期は定められていない、契約した1年間は定められた時間給で月収が得られるという好条件だった。病院の各科から依頼されたデータベースや、病院のホームページを作ってきた。納期は定められてはいないが「だらだらとはやってない」という話だった。ホームページを拝見させていただいたが、素人目には見事な出来映えであり、思わず感嘆の声をあげたほどだった。できあがったデータベースやホームページは好評である。Mさんは作成にあたり各科の注文を良く聞き、それが難題であっても、これまでなんとかクリアしてきた。そうした努力が、現場での使いやすさに現れているからだろう。また、こうして働けていることが以前の自分には想像できなかった。だから、働けていることだけでも、Mさんには大きな自信になった。高校時代の友人に対する劣等感もいつの間にか消えていた。
  しかしMさん自身は、今の仕事内容に満足はしていない。1年更新の契約社員では、いつ解雇されるかわからない不安がある。もし解雇されたとき、今の実力では、再就職先は見つからないだろう、と考えている。学んできたプログラム言語のレベルを向上させなければ再就職はできないだろう、と考えている。今行っている仕事内容は、誰でもできる仕事、だとMさんは思っているからだ。Mさんは《自己肯定・有力感》を感じてはいるが、それは“「働けている」「仕事が喜ばれる」「給料がもらえる」など外部の要因に支えられている”ことがわかる。将来的なことも考え合わせ、やりたいことはプログラミングであるが、その技術を生かしたり、向上させたりできない現状には不安やもどかしさも感じている。それが、“自己評価における《自己肯定・有力感》を感じられない”理由であると考える。
  
  【事例3】
  《自己肯定・有力感》を感じていない。その理由は、視覚障害のために状況判断ができず、周囲に迷惑をかけているから、ということである。
  Tさんは、学校の先生の薦めもあって理学療法士になった。働いて10年以上経つ。当初は視力がまだ保たれていたため不自由さはあまり感じなかったが、現在の職場に来て、ほとんど視力がなくなってしまった。そんななかで理学療法をすることには困難なことが多いことはケース・スタディ・リポートで述べたとおりである。
  職場のなかでは「君はいいよっていうような枠にいる」と感じている。それは「悲しいことだ」と言った。自分はスタッフに恵まれているとは言うが「こうしたらできる?」と聞いてくれたらと思っている。つまり職場では、茅の外にいるようなかんじなのかもしれない。自分の関われる範囲は限定され、その広がりを期待することはできない。動いている日々の新鮮な現場や重要な場面において、Tさんは、いつも、それを目の当たりにすることができず、しかも事態は、Tさんのいないなかで進展していってしまうということなのであろう。それが「悲しいことなのだ」と考える。
  Tさんは、今、快医学というものに興味を持っていて、持っている資格、理学療法と針灸を融合させた何かができないか、と思っている。そうすることで、自分にしかできない何かができるのではないか、と考えている。自分にしかできない何かをやりたいと思っている。
  Tさんが《自己肯定・有力感》を感じることができる一番のことは、“自分にしかできない何かを見つけること”であろう。また今の現場では、“茅のなかに入ること”、であろうか。それには本人、周囲それぞれが変わる必要があるように思う。Tさんは、自分からこうしてほしい、こういう改善をしてほしい、という意志表示を行っていない。それは、言っただけの働きができるかどうか自信がないからだと言う。周囲は、Tさんがそのように感じていることを知らない。今、現場は、Tさんの障害を抜きにすることで上手く回っている。しかしTさんが茅の内に入るためには、周囲が、障害との付き合い方を再考しなくてはならない。それは、Tさんの想いから出発していくのであろうと考える。Tさんがこの状態を受け入れ続ければ、「悲しい思い」「無力感」は再生産し続けられることになるのであろうと考える。
  
  【事例4】
  《自己肯定・有力感》を感じていない。その理由は、「(障害があることで)周りと比べて自分はこれしかできない、こんな簡単なことができない」と感じているからだ。
  Tさんは、高校時代に、福祉事務所のケースワーカーの話を聞き、自分も福祉を仕事にしたいと思ったことがきっかけで、福祉系の大学に進学、今は、介護老人福祉施設で新人相談職員として働いている。高校時代の思いが現実になったのだ。
  しかし実際に働いてみると、視覚障害はちょっとしたことの障壁となった。印鑑の位置がわからない、書類の上下がわからないなど、それは些細なことからも生じた。周りは福祉現場に長く携わってきたベテラン職員ばかりである。障害があることでの甘えは許されなかった。障害によってできないこと、できること、工夫すればできることの区別や説明を要求する。ただ、障害があるからできません、では周囲は動かない。しかし、Tさんは入ったばかりの新人職員でもあり、勝手がよく分からない。要求されても、すべてが新しい出来事であり、相手に頼むべきこと、工夫しだいでできることの整理がまだついていないのだ。しかも、周りが忙しそうにしていると、それだけで話かけずらくなってしまう。思ったように仕事が進まないもどかしさから、うえのような《自己肯定・有力感》を感じられない理由を述べたのだと考える。
  Tさんの目標は、利用者ともっと深く関わり、信頼される相談員になることである。相手が自分の障害からも何かを見つけだしてもらえるような、魅力的な人間になりたい、と思っている。Tさんはその道のりを歩き始めたばかりである。Tさんが《自己肯定・有力感》を感じられるとすれば、それは、“自分もこうなりたいと思ったケースワーカーさんに一歩でも近づけた、と思えたとき”ではないだろうか。そして、“目標に近づけたと感じられたとき”であろう。
  【事例5】
  前向きに取り組む自分は肯定できるが、実力はまだまだで、自信はない、ということである。
  Hさんは、養護学校の在学時に、先輩からT授産施設のことを聞き、見学や体験実習をしてここに勤めることに決めた。民間企業も見学したが、一般の会社では、不景気のときに解雇される不安があった。
  T授産施設は、授産施設とは言え、印刷の仕事の一部を行い、企業性も高く、工賃も良い。障害者だけでなく健常者も働いている。いくつかの部署に分かれているが、障害者が上に立って管理をしている部門もある。Hさんはそのなかで、DTPというパソコン上で文字を組み立てる仕事をしている。文字を入力する作業は外注をしているということである。時間短縮化の目的があるのであろう。
   Hさんはこの仕事をして10年になる。作業スピードが遅いため、勤務時間内に終わらないこともしばしばあった。また、覚えることはたくさんあり、戦力としてはまだまだ不十分であると感じている。この仕事が向いていないのではないかと思ったこともあるが、障害の状況からみて他に行ける部署はない。だからここでがんばるしかない、と考えている。
  Hさんは、働くことは当たり前のことだと思っている。普通の生活をしているだけだ、と思っている。年金で生活をしていくこともできる。だが、働くことがなくなってしまったら、人間としてダメになっていくのではないかと思っている。また、ここで働いていることで、H.Nの存在を思ってもらえることも働く動機になっている。今後の目標は、いろいろな技術を身につけてもっと給料をもらえるようになることである。一般就労したい気持ちはある。だが不景気な世の中を考え、簡単にそれをしようとは思わない。普通に、安定した暮らしを営めることが一番なのである。
  「前向きに取り組む自分は肯定できるが、実力はまだまだで、自信はない」という言葉には、10年間、懸命にDTPという仕事に打ち込んできたHさんの姿が浮かびあがる。働くということは、Hさんの考える「普通の暮らし」を支える一部分であり、それがなくなってしまったら「普通の暮らし」は成り立たなくなってしまう、そして、自分自身もダメになってしまう。つまり、働く、ということは、Hさんを前向きに、人間として成長させてくれるものであり、Hさんの考える「普通の暮らし」にとって必要不可欠なものなのだ。だから、Hさんにとっては、働ける、ということそのものが、まずもって重要なことなのであろうと考える。
  
  【事例6】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は「記憶力が良いことで、他の人の役に立てることがあるから」である。
  Wさんは、高校を卒業後、職業訓練校でタイプの技術を学び、印刷の会社に勤めた。そこでは仕事のノルマが決められており、それは片手の使用が難しいWさんにとっては負担の多い仕事量であった。職場からも勧められ、職安で他の就職先をあたったところT授産施設を紹介された。以来31年間、T授産施設で働き続けてきた。
  T授産施設は印刷業を行っている。Wさんは現在、伝票の入力作業を行っている。これまで製版の仕事も行ってきた。自分から仕事内容についての希望を言ったことはない。仕事内容についての希望はなかった。働き続けられることが一番の希望であった。それは今も、これからもそうである。また、施設よりは一般就労の方がよいと思っている。環境や通勤、給料などの条件が良ければ、仕事内容にはこだわらず、一般就労したいと考えている。インタビュー時にも採用面接を受けたという話をしていた(結果は残念ながらダメであった)。
  「記憶力が良いことで、他の人の役に立てることがあるから」というのが《自己肯定・有力感》の理由であったが、それは例えば、同僚に、保存フィルムの場所を聞かれたときにその場所を答えられる、といったことである。それができるのも31年のキャリアがなせる技でもあり、Wさんは、職場内ではT授産施設の歴史とともにある、生き字引のような存在なのかも知れない。31年間、T授産施設で1つ1つ積み上げてきた重みから得られる《自己肯定・有力感》と言えそうである。それはまた長い年月に渡り「働き続ける」という目標を成し遂げてきたことから得られる《自己肯定・有力感》ではないかと考える。
  
  【事例7】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は「U作業所でいろいろな技術を身につけることができたから」である。
  Oさんは、養護学校在学時に、U作業所も含め、一般企業などの見学や実習をしたが、最終的には学校の勧めによりU作業所に通うことになった。Oさんにとって「よくわかんないうちに、なんとなく」U作業所に通うことになっていた。また、U作業所に対する第一印象は必ずしもよいものではなかった。その賑やかな雰囲気に自分がなじめるのか不安があった。とは言うものの、作業所へのバス通勤は10年を越えた。
  ケース・スタディ・リポートに書いたとおり、Oさんはこれまで、U作業所でいろいろな作業を経験してきた。U作業所はその人に合った仕事や望むようなことをさせてくれると感じている。またそのことは、Oさんの《自己肯定・有力感》につながった。養護学校時代の自分と比べ、今の自分は、いろいろな経験をし、いろいろな事を知り、いろいろな技能を身につけてきたと思えるからだ。
  Oさんは一般就労をしたいと思っている。2人で暮らす母親が高齢のため、将来的なことを考え、ある程度の収入を得たいと考えている。これまでU作業所で培ってきた経験を生かして一般就労をしたいと思っている。しかし数年前の病気以来、体力や手足の機能の低下を感じており、一般就労は難しいのではないかという思いもある。
  なぜ、Oさんは「U作業所でいろいろな技術を身につけられた」ことに《自己肯定・有力感》を感じるのか。それは、到達目標としてある一般就労へ少しでも近づきつつあると感じているからではないかと考える。少なくとも今のOさんは、養護学校を卒業したばかりのまだ何の技能も身につけてはいないOさんよりは、目標に近づいている。そうした実感が《自己肯定・有力感》を支える要因となっているのではないかと考える。
  
  【事例8】
  《自己肯定・有力感》については「今は感じてないが、感じたいし、感じなくてはいけない」と思っている。感じない理由は、仕事に真剣に取り組んでいるわけではなく、やり遂げた実感がないからである。《自己肯定・有力感》を持てるように、好きなことや達成感のあること、目標となること、長く続けられることを見つけたい、という思いはあるが、現実は、日々の生活に流され、ふわふわと毎日を過ごしてしまっている。
  養護学校を卒業後、U作業所に通うことになった。それがよいと思った。U作業所では一般就労へ移行した人もおり、他の福祉的就労にある「そこで終わり」というイメージがなかったからだ。しかし今年で3年を迎え、Tさんは「先を見えるようにするか、見えなくしてしまうか、最後は自分の力だ」と考えるようになった。Tさん自身、一般就労をしたい思いがある。だが、それは高いハードルであり、実現は難しいかもしれないと思っている。それでも、一般就労したい気持ちを持ち続けることで自分を高く保てるのではないかと思っている。
  Tさんは、「一般就労したい」「打ち込めるものを見つけたい」などの希望を持っているが、どちらも実現のための行動をしていない。インタビュ−対象者のなかで最年少の20歳であり、そうした意味で模索の時期なのかも知れないが、小さい頃のエピソードを聞くなかで、これまで挑戦と挫折が頻繁に繰り返され、達成の経験が少ないことが伺われた。希望が思いに留まり、実現のための行動に移せない背景には、またどうせ挫折するだろう、という思いがあるのではないだろうか。つまり、自分が何かを達成できるとは端から思えないのだ。しかしTさんは、それではいけないと思っている。《自己肯定・有力感》を「感じなくてはいけない」と思っている。それは言い換えれば、何かを達成できる自分になりたい、自分が信頼できる自分になりたい、ということではないだろうか。また、Tさんにとってそう思えることが《自己肯定・有力感》を感じることにつながるのだろうと考える。
  
  【事例9】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は「プロレスをしている強気な自分が嫌いではない」ということである。普段の自分は、声も大きくないし、相手が悪いのに謝ってしまうこともあるぐらい気が弱いが、観客の前にいるプロレスラーとしての自分は、声を出したり、本当はパンチが効いていても、効いてないふりをしたりする。「強く言っても何をしてもいい」自分になれる。
  Eさんは小さい頃からプロレスが好きだった。自分でプロレスを興したいと思ったほどだ。授産施設入所時にたまたまDoの活動を知り、自分から希望して加入した。惨敗したことがある。その時は本気で「もうやめたい」と思った。しかしDoの代表が、自分が負けたときの話をしてくれたことが心に響いた。何日かしたら「もう1回やってみよう」と思っていた。そして、もっと強く、上手くなりたい、普段は強いか弱いか分からなくても、いざというときに強さを発揮できるプロレスラーになりたいと思った。その向こうにある願いは、強いプロレスラーになっていい試合をし、Doの代表や仲間に誉められ、認められることだった。
  プロレスラーとしての自分は本やラジオで取り上げられたりすることもある。それを通して誰かが自分を見ていてくれると思うと嬉しい。取材を受けたりすることで必要とされているとも感じる。障害者の自分、素の自分は、誰からも注目されることはない。それだけではない。周囲に対して常にどこかで引け目を感じている。対等であると思えない。民間企業に勤めていたときもそうだった。同い年の同僚なのになぜか自分より大人っぽくみえた。健常者は頼りにされるが障害者である自分は荷物のようだと思った。
  プロレスラーのときのEさんは、つい謝ってしまったり、周りがどういうわけか優れて見えてしまったりする弱気で自信のない素の自分ではない。“なりたい自分”を演じている時なのではないかと考える。“なりたい自分になれるとき”、だからEさんはプロレスで《自己肯定・有力感》感じることができるのだと考える。そしてDoは、そのための舞台を提供してくれ、凹んだ時には励ましてくれる。そして何より“なりたい自分”を目指した先にDoの仲間が待っていてくれるという信頼感が、Eさんがプロレスを継続していこうとする大きな原動力になっていると考える。
  
  【事例10】
  《自己肯定・有力感》を感じるときもあるし、感じないときもある。それは、試合までの身体の調整が上手くゆくかどうかにかかっている。身体の調整が上手くゆけば、身体が思ったように動くので納得のゆく試合展開ができる。
  Fさんは40歳を過ぎてからプロレスを始めた。もともと格闘技が好きだったため、Doの活動を知ったとき、どうしてもやりたいと思った。Fさんの心配は年齢制限だった。だからDoに加入するときに、まず、年齢制限があるかを尋ねた。現在は51歳。身体が動く限り、もういいよ、と言われない限りプロレスをやり続けたいと思っている。またプロレスは、身体のためにやっている、とも思っている。プロレスをやった方が身体の機能を維持することできると考えている。
  興業には試合の流れがあり、メインマッチやラストマッチは一番の見せ場になる。Fさんは、自分の役割は前座であると考えている。前座は観客からの期待はないが、その日の興業の雰囲気を創るため、重要な役割を担っていると感じている。
  Fさんの目標は、身体の機能を維持することである。身体が思うように動けば、納得のできる試合ができるし、それだけ長くプロレスを続けることができるからだろう。つまり、Fさんが《自己肯定・有力感》を感じることのできる第1のことは、身体機能を維持できていると感じられることにあると考える。それを感じられることが、Fさんに自信や未来への希望をもたらしているのではないかと考える。
  
  【事例11】
  《自己肯定・有力感》を感じるときもあるし、感じないときもある。それは、試合後の観客やスタッフの反応で決まる。
  Doの立ち上げにはYさんの一言が大きく関係している。「同情の拍手はいらない」という一言だった。Yさんはそれまで、障害者の親や養護学校の先生、施設の職員が観に来る障害者の発表会で、歌や芝居を披露していた。そのときに、みんな拍手をくれるが、それが同情の拍手のようで嫌だ、と感じていた。それが上の言葉につながった。
  プロレスでの1番の想い出は、試合を見た重度の進行性の障害を持つ人から「生きる勇気を与えられた」と言われたことだった。プロレスをやっててよかったな、と思えた。
  またYさんは、学校時代にも、そして働いた経験のなかでも、周囲からの言葉でたくさん心を傷つけられている。一時はノイローゼになってしまい、駅のホームに立つと、誰かに押されて転落するのではないかという恐怖から、電車に乗ることすらできなくなってしまった。どのような差別の体験をされたのか、それは「語りたくない」ということで、事実はわからない。だが想像を超えるつらい経験であったに違いない。Yさんは、プロレスをすることで「社会という川に障害者と健常者の見えない橋をかけたい」と言った。橋がかかれば、障害者と健常者は、差別のない関係になると言う。
  人に感動を与えることと、差別のない関係、それがYさんがプロレスを行う動機と言えそうだが、それらには何かつながりがあるだろうか。
  プロレスは、その人の闘争心や攻撃性があらわになる行為であり、リアルなその人が浮かび上がってくる。また打たれてもなお、立ち上がる姿に感動を覚えることもある。リングに立つ障害者の姿は、普段街なかで見かける障害者の姿とは、確かに違う。これまでの障害者イメージ(誰にでも合わせる、穏やか、弱々しい、根を詰めない、など)を、一気に壊される感じである。戦う相手と敵対し、身体を使って打ちのめす。それだけのために、いろいろな技や自分の身体の少しでも有利な部分を使おうとする。鼻血がでても、顔が青あざを作って腫れあがっても、力が尽きるまで、相手を倒すことに神経を研ぎ澄ませ、様々に試みる。
  著者も障害者プロレスを観戦したが、普段は隠されている人間の本性を見た思いがした。鮮やかに勝ちを決めれば格好よいし、負けても、ファイトの火を絶やさず挑み続ける姿には心を打たれた。それらはどれも、これまでの障害者には考えられなかったことではないだろうか。だからなおさら、観客側は心を揺さぶられる。そして、それとともに「障害者」に付随するレッテルが剥がれる。「障害者」に対する思いこみがうち砕かれる。「障害者」という枠を超えたところにある、その「人」の存在に気づき始める。
  つまりYさんは、プロレスという行為を通して、「障害者」という枠組みに収まりきるはずのない“Yさん自身の存在に気づいてもらうこと”で《自己肯定・有力感》を感じるのだということを言いたかったのではないかと考える。
  
  【事例12】
  《自己肯定・有力感》を感じている。その理由は、「ピアカウンセラー、事務局長として、その役割を担えるようになってきているから」である。
  Sさんは、小学校、中学校時代を養護学校の寄宿舎で、障害を持つ子供たちと過ごしてきた。そこではできないことを互いに助け合う関係、互いの気持ちを理解しあえる関係であった。Sさんは、その関係を自然に受け止めていた。Sさんにとって当たり前のことだった。高校は、自宅から普通高校に通うことになった。周りは健常者ばかりであった。障害を持っているのはSさんだけである。先生は周りの学生に対し「みんなも大変だと思うけどSのことを手伝ってくれ」と言った。Sさんは「大変なのにやってもらってるんだ」と割り切れない思いがしたが、高校の3年間、その思いを口にすることはなかった。周囲の善意や厚意を受け止めるばかりの3年間だった。Sさんはそうした経験によって、初めて小学校、中学校時代の関係が特別なものであったことに気づいた。それはSさんにとって、ありのままの自分でいられる関係であった。
  Sさんはいつしか、障害を持つ人と持たない人をつなげたい、と思うようになった。それは、高校の時には伝えられなかった思いを伝え、高校の時には築けなかった関係を築きたい、ということではないかと考える。
  Sさんとピアカウンセリングとの出会いは偶然とも言えるものであったが、Sさんはしだいにピアカウンセリングにのめり込んでいった。それは小・中学校時代の、互いが分かり合え、互いを必要とする関係と共通するものがあったからではないだろうか。Sさんにとってピアカウンセリングは、一緒に笑い、泣いて、喜び合える関係である。Sさんはピアカウンセリングが楽しいと感じている。
  現在は、CILの事務局長としての立場もある。CILの方向性を見定め、部下に指示し、対外的な交渉をしなければならない。部下に指示をする難しさは今でも感じている。自分はどちらかと言うと抱え込んでしまう性分で、部下に適切な指示をすることは難しいと感じている。対外的な交渉力はついてきた。行政に対するときも、安易に引き下がることはしない。粘り強く、仲間の自立のために交渉を繰り返す。そしてこれからの目標は「障害者と健常者を、人と人との関係で繋げていくこと」である。それは「人」という括りで新しいピアな関係を拡げていきたい、ということではないかと考える。
  Sさんが《自己肯定・有力感》を感じる理由は「ピアカウンセラー、事務局長として、その役割を担えるようになってきているから」であった。それらはSさんが「やりたい」と漠然と思っていたことを実現しつつあることでもある。つまり障害者の思いを健常者に届け、その関係を変えていこうとするものである。Sさんは、その実現のために、ピア(共感し合える仲間)を必要とし、ピアを元気づけるのと同時に、自分も元気づけられている。そういう関係があるからこそ、高校時代には伝えられなかった思いを、勇気をもって伝えていけるのではないだろうか。つまり《自己肯定・有力感》を感じる背景には、高校時代のやりきれない思いを出発点とし、その思いとの和解に向けた、大きな、人生をかけた目的、というものが伺える。そのために、半歩でも前進できること、そのために少しでも自分が貢献できたと感じられることが、Sさんにとっての《自己肯定・有力感》につながっていくのだと考える。
  
  【事例13】
  《自己肯定・有力感》を感じる理由は「自分を肯定する時間を持っている。周りが自分をどういう風に見ているかを聞く時間をきちんと取っているから」ということである。
  Yさんは、CILの活動をするまで健常者社会のなかで過ごしてきた。中学校・高校は一貫性の私立の学校であり、入学のための受験勉強もした。高校時代に、社会福祉系の大学に行こうと思った。障害を持つ人のことは自分のことだと思ったからだ。また、関心は高齢者や児童にまで広がっていった。そして希望どおり、大学は社会福祉系の大学に進学した。
  大学時代にピアカウンセリングの講座を初めて受けた。その時、ピアな仲間同士の関係には、Yさんがこれまで接してきた価値観とは違う何かがあると感じた。Yさんがこれまで過ごしてきた健常者社会であれば障害者にはできないとされてきたことも、障害を持つ彼/彼女らは、それぞれのキャラクターで上手くいくようにみんなで考え、やってのけてしまう。できないものを排除してしまうのではなく、みんなで、できるための方法を考える。参加する誰もが、同じだけの重さを持つ存在としてみなされる。Yさんはそのなかで「Y君も仲間なんだよ」と言われ、ピアカウンセリングっていいな、と思った。それは、自分の存在を評価されることなく、まるごと受け入れてもらえたように感じ、いいな、と思えたのだろうと考える。
  Yさんは、当事者主体の活動に関わっていきたいと思うようになった。だからこそ一般就労の経験が必要だろうと思った。福祉の道に固まりたくないという思いと一般社会的な常識を学ばなければならないという思いがあったからだ。そして大学を卒業後、発電所の子会社に就職した。発電所の子会社での経験は、ケース・スタディ・リポートで詳しく述べたが、Yさんにとって良い記憶に残るものではなかった。障害についての配慮をしてもらえず、がんばる機会を与えられず、その代わりに周囲への感謝を求められた。Yさんは一般就労を2年ちょっとで辞め、もともとやりたかった当事者主体の活動に関わるようになる。
  Yさんにとってピアカウンセリングは「一般社会のなかだけだったら潰れてしまう自分が安心して立ち戻れるところ」だと言った。また、ピアカウンセリングによって、等身大の自分を安心して受け入れ、前向きな自分を思い出せる、とも言う。そして健常者も、もっと自分に向き合い、自分らしさを考えていくことで社会が良くなっていくのではないかと考えている。それがYさんの目標ということになるのかもしれない。相手との優位性の比較のなかでしか自分が見えてこない、そのためには障害者を排除することもあるし、わざとその価値を低めるような行動も取る。自分自身の等身大の価値に気づけば、そんなことをする必要はなくなる。誰もが同じだけの重さを持つ存在としてある社会になる。そんなふうにYさんは思っているのではないかと考える。
  《自己肯定・有力感》を感じる理由、「自分を肯定する時間を持っている。周りが自分をどういう風に見ているかを聞く時間をきちんと取っているから」とは、等身大の自分、ありのままの自分に立ち戻る時間を大切にしている、ということなのではないかと考える。健常者価値のなかで生きてきたYさんにとって、それは時に忘れがちになってしまうことなのかも知れない。またそうした時間を持つことで、ピアカウンセリングをする相手の存在を受け止めたり、ひいては障害者が創り上げた、独自で重要な価値観を社会全体に拡げられたりすることにもなる、ということではないかと考える。
  
  【事例14】
  《自己肯定・有力感》については考えないようにしている、ということである。それよりもむしろ「自分らしく生きているかどうか」が大切であると考えている。「自分らしく生きる」とは、自分を大切にすることであり、自分を良く知ることであり、無理をしないことであるとOさんは考えている。
  Oさんは、これまで様々なかたちで働いてきた。一般の企業に勤めたこともあるし、福祉工場で働いたこともあった。そしてCILでピアカウンセラーとしても活動をしてきた。過去の様々なエピソードについては「あまり語りたくない」ということで、そのほとんどがわからなかったが、ところどころ、そのつらい経験を垣間見る思いをしたことはあった。社会、親、学校の先生から「役に立たない」というメッセージを送られてきたこと、福祉工場での健常者との人間関係がきっかけとなり、Oさんは、当事者がもっと力をつけなければいけないと思い、CILやピアカウンセリングの活動に深く関わるようになった。
  Oさんは、この3月で5年間働いてきたCILを辞め、フリーで、誰もが住みやすい街作りを目指して活動していくことにした。周囲からの反対もあったが、それがOさんのやりたいことであり、障害を持つ自分だからこそできることだと考え、決意をした。今、Oさんは自分自身を「自分のことは自分で決めて、自分で成し遂げていく」自分であると感じている。Oさんは重度の障害を持ち、身の回りのことのほとんどを介助してもらう必要があるし、自分の思いを成し遂げていく過程において様々なサポートを必要としている。だが、自分を依存的な存在とは考えていない。たくさんの人に助けてもらいながら、自分の思いを成し遂げていきたい、自分らしく生きていきたい、と考えている。また、自分はたくさんの危険を冒している、とも感じている。
  Oさんの考える「自分らしく生きること」、それには、自分の主導権を握るのは自分なのだ、という強い主体性が感じられる。それを成し遂げるには、危険はついてまわる。それでも、それをやっていきたい、と考えている。それはまた、自分が必要とされ、生かされる道である、という確信もある。「自分らしく生きること」とは、自分を肯定したり、信じたりすることから始まる作業であり、「自分らしく生きる」ために世の中をも変えていく力になる、ということであろう。つまり「自分らしく生きる」ことから始まり、それが力になっていく。だから「自分らしく生きようとすること」が大切だと思っているのだと考える。
  
  
   第4節 考 察 
  
  以上から、自分を肯定できたり力があると「感じない」と答えたのは3名のみであり、そのほとんどが、それぞれの活動のなかに自分なりの意義を見いだし、それに向かって努力をするなかで自分を肯定できたり力があると感じていることがわかった。次は、その結果を、新しい働き方モデル、一般就労者、福祉的就労者、の枠組みで検討していく。なお、表13、14、15、は、それぞれ一般就労者、福祉的就労者、新しい働き方モデルにおける、各事例の、1)活動の動機、2)自分を肯定できたり力があると感じるかどうかの有無、3)その理由・要因、4)目的・目標についてまとめたものである。
  
  1 一般就労者
  表13を見てみる。事例7は、昨年、念願の絵本作家デビューを果たした。それは、自分が小さい頃に絵本からもらったものを、今度はたくさんの子供たちに味わってほしいという思いから出発していた。そして、これからの目標は、自分の絵本をたくさんの人に読んでもらうことである。第1章において、職業には「収入」「社会的役割・価値」「自己実現」の3つの意義があること、また、それらのどこに価値を置くかは人それぞれで異なることを述べたが、事例7の意義は、このなかで「自己実現」にあることがわかる。事例8は、働けていること、仕事が喜ばれること、給料をもらえることで、自分を肯定できたり、力があったりすると感じている。つまり事例8は、現在のパソコンの仕事をするなかで「収入」「社会的役割・価値」に意義を見いだしていることがわかる。しかし、目的・目標とすることは、兼ねてから学んできたプログラミングを仕事にすることである。現在の仕事内容は「誰でもできること」と感じており「自己実現」という面からはその意義を見いだせていないことがわかる。
  事例3、4は、自分を肯定できたり力があると感じていない。どちらも現在のところ、障害に合わせた就労のかたちではないために「できない・必要とされていない」と感じてはいるが、こうなれたらいいという希望や目標を持っている。事例4の目標は、なりたいと思ったケ−スワ−カ−に近づくことであり、信頼され、自分の障害からも何かを見つけだしてもらえるような魅力的な社会人になることである。それは「自己実現」に価値を置き、それが目指すものであると言える。事例3は、自分にしかできない何かを見つけること、必要とされること、である。したがって「社会的役割・価値」に価値を置き、それが目指すものでもあると考えられた。
  つまり一般就労者は、それぞれの活動のなかで、職業の3つの意義と言われる「収入」「社会的役割・価値」「自己実現」のどれかに意義を見いだしたり、見いだせなかったりし、それを求めて模索してきたり、模索していこうとしていることがわかった。それは健常者と何ら変わらない姿であるが、一般就労者に、自分を肯定できなかったり力がないと感じたりする人が多かったことは、そこに障害者が働くことのそもそもの問題があるからに他ならない。このことは次章でさらに考察をしていく。
  
  2 福祉的就労者
  表14を見てみる。身体障害者授産施設の2名(事例5、6)は、「普通の暮らしができること」や「働き続けられること」に価値を見いだしており、これからも働き続けられること、できれば一般就労できることが目標である。事例5は、いろいろな技術を身につけてもっと給料がもらえるようになりたい、とも語っていた。小規模通所授産施設の2名(事例7、8)も、一般就労を目標においている。事例7は、作業所で、さまざまな活動経験ができたことで自分が成長できたと感じているが、その先の目指すものは一般就労にあると考えられた。事例8も一般就労を希望している。それを高いハードルであるが、自分を高く保てるものと捉えている。また、事例8は、自分を肯定できたり力があると感じていない。打ち込めるものを見つけたいという思いは強くあるものの、そのためにまだ一歩も踏み出してはいないからである。挫折経験が多いことが行動に踏み出せない要因として考えられたがそれについては本論のテ−マからはずれてしまうためこれ以上の考察はしない。
  福祉的就労者が現在の活動のなかから見いだす意義のほとんどが、働けること、一般就労に近づけていると感じることなど、健常者社会にある当たり前の「かたち」にあることがわかる。事例5は「普通に暮らせる」ことが重要であると考えている。それは、世間一般の生活者の暮らしであり、その必須アイテムとして「働く」ことであると考えている。だから「働ける」ことが大切なのだ。さらに「一般就労」をなぜ希望するかについて、事例7は、収入が現在よりも多く得られることをあげている。しかしそれならば福祉的就労でもT授産施設のように比較的多くの収入を得られるところもあるのだ。それが「一般就労」という「福祉的就労」ではないかたちを希望する理由にはならない。「一般就労」は「福祉的就労」と対比して考えた場合の、いわば世間一般の人たちの働く「かたち」である。そして保護的な就労のかたちではなく、職業的な観点から、自分の商品価値を売り込んで競争的な労働市場に参入することでもある。しかし4事例とも働く内容について、これをやりたい、という自発的な希望はなかった。それは自分を売り込む目算を持っていないということでもある。職業的な観点が希薄であるとも感じられる。したがって、福祉的就労の事例が「一般就労」の何に価値をおいているのかと言えば、それが「世間一般のかたち」であることにあると考える。つまり福祉的就労者は「健常者に近づくこと」に意義を見いだしていると考える。
  
  3 新しい働き方モデル
  表15を見てみる。事例9〜11は障害者プロレスであるが、3事例とも、プロレスがもともと好きで過去にやりたいと思っていたことがあった。2事例は自分から希望をしてDoに加入をした。また3事例ともプロレスができることの喜びを感じている。しかし、活動から見いだす自分なりの「価値」や「目指すところ」は、3事例とも異なっている。事例9は、普段の、劣等感ばかりで誰からも注目されることのない障害者の自分が、ひとたびプロレスラーとしてリングにあがると、強気で何をしてもいい「なりたい自分になれる」ことに価値を見いだしている。そして強いレスラーになり、Doの仲間に認められることが目標であり目的である。事例10は、身体が思うように動き、自分なりに満足のゆく試合ができることに価値を見いだしている。そしてプロレスをやり続けたいと思っている。そのためには身体機能を維持することが重要であり、プロレスをやることにそうした効果があるとも考えている。事例11は、自分がプロレスをすることで、人に感動を与え、健常者と障害者が差別のない関係になったらよいと思っている。筆者は、それが、「障害者」レッテルを剥がし、Yさん自身の存在に気づいてもらうこと、そうしたことをYさんは目指しているのではないかと考えた。
  事例9と11は、普通の暮らしのなかで付与される「障害者」レッテルや、障害に対する否定的な価値を越えて、自分の価値を上げたり気づいてもらったりするための挑戦をしているところに共通するものを感じた。事例2については、プロレスをやれること・続けられることそのものが目的である。なぜなら自分がやりたいからである。そして、自分が満足のゆく試合ができるのがうれしい。つまり、自己の満足のために行っていると言える。つまり趣味的な意味合いが強いと考えられた。
  事例12〜14は、ピアカウンセラーである。3事例に共通していると思われることは、1つには、その動機である。3事例とも、過去の健常者との関係における否定的な気持ちや健常者社会のなかでの生きづらさの経験を持っており、それがCILの活動に向かわせた。また、ピアカウンセリングとの出会いから、自分の存在を肯定し、ありのままを受け入れることや、ピアな関係の良さや大切さに気づき、そこに価値を置き、むしろ障害者を否定的に捉えたり、価値がないものと規定したりする健常者社会に問題があると考えるようになった。そしてもう1つは目標である。つまり、自分を肯定することから出発し、自分たちに価値が見いだされ、自分らしく生きられるような社会や人との関係性を創り上げていこうとしているところである。
  したがって新しい働き方モデルは、障害者プロレス、ピアカウンセラーとも、その方法には違いがあっても、「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」に、その意義を見いだしているとまとめられると考える。




  
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第4章 障害を持つ当事者が就労に見いだす意義と「障害者と健常者の支え合い」の関係

  ここでは第3章のインタビュー調査で明らかになった当事者が就労に見いだした3つの意義、すなわち「職業的な意義を見いだすこと」「健常者に近づくこと」「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」が、どのような「障害者と健常者の関係」からなるかを考察し、障害者/健常者価値が対等であるところの「支え合い」の課題について検討した。

  1「職業的な意義を見いだすこと」の「障害者と健常者の関係」
  一般就労者が見いだしていた意義である。どのような「障害者と健常者の関係」からなるのであろうか。
  一般就労は、一般的な労働の形態であり、自らの労働力を商品価値として労働市場に参入していくことである。そこで人々は、収入を得たり、社会的な役割を果たしたり、自己を表現し、実現していくことに意義を見いだしているということは、再三、述べてきたことである。つまり「職業的な意義を見いだす」というのは、誰もが求めるもっとも自然なかたちなのである。誰もが求めるからこそ「能力主義」や「差別」によって障害者が排除されてきたのである。障害者の就労における問題の根本がここにあると言える。つまり、障害者が「職業的な意義を見いだすこと」を求めるなら、まずもって健常者と互角にやり合えるだけの実力を身につける必要があるのだ。事例を見てもわかるとおり、それぞれ、絵本作家、パソコン技術者、福祉専門職、理学療法士としてのスキルを高め、労働市場に参入することに成功している。
  また、その良い例が、プロップ・ステーションの活動である。プロップ・ステーションは、今回、インタビュー調査の協力を依頼したが、残念ながらその承諾を得られなかったところでもある。プロップ・ステーションでは、障害者を「チャレンジド」(神から挑戦すべきことを与えられた人々)と呼ぶ。それは、障害者と呼ばれ、がんばることを否定され、保護されるべきであるとされたこれまでの障害者観を転換し、そうではなく、むしろ挑戦することを与えられた人たちなのだというポジティブな新しい障害者観を生みだした呼び名である。その目的は、障害者が保護される側から、納税者となって国を支える側に立つことで誇りを取り戻すことにある。そのために、プロップ・ステーションでは、社会に通用できるだけのコンピューター技術を障害者に身につけさせる。プロップ・ステーションから就労に至った障害者も多い。プロップ・ステーションでは、彼らが「いい仕事をする」から企業に勧める。その仕事ぶりは企業からも高い評価を得てきた。またそうした、企業と障害者のつなぎは絶対的に必要であると考えている。その理由を、プロップ・ステーション代表である竹中は次のように語る。
  「いまの企業社会では、社会経験のないチャレンジドが一人で切り込んでいけるほど甘くはない。企業の人だって、チャレンジドの適材適所を見極めて使えるほど勉強していない。両者をつなぐコーディネーション機能を、本来なら職安が担っているはずなのに、職安もなかなか個々のチャレンジドにきめ細かいコーディネーションができる状態にはなっていない。(略)こんななかにあってプロップが目指すものは、個々のケースに応じた適切なコーディネーションです。」63)
  障害者が労働市場に参入するには、その実力もさることながら、その実力を正当に評価してもらえるような、つまり「差別」が排除につながらないような、コーディネーション機能も不可欠であることが伺える。
  しかし働く場が得られたとしても、事例3、4のように、障害に合わせた就労のかたちではないために「できない・必要とされていない」と感じ、自分を肯定できたり力があると感じられないこともある。それはなぜ生じるのか。資料として、インタビュー時に得られた過去の就労エピソードについてもまとめてみた(表16)。5事例から得られた。事例10は、努力と工夫で高収入を得ることができたが、他の事例は、仕事内容の大変さや人間関係が上手くいかず辞めてしまっていた。また、現場で戦力とみなされなかったり、がんばる機会を与えられなかったりしたことを「つらかった」と語っている。事例3と4も含めて言えることは、できない・量をこなせない・遅いことによって否定的な評価をされたり、がんばる機会を失ってしまったり、代わりにやってくれる人への感謝を期待されたりしていることである。そしてその中味をみると、工夫してもどうにもならなこともあるし、工夫しだいでどうにかなりそうなこともある。様々なレベルがある。問題は後者であろう。工夫しだいでどうにかなりそうなことでも、そういう方向への改善がなされずらいことである。また、それが改善へ向かうということは「障害者/健常者の支え合い」の方向へ向かうことに他ならない。しかし、なぜそうなりづらいのであろうか。もしお金のかかることなら費用対効果の問題もあるだろうが、障害者/健常者の関係から考えると「価値剥奪」が生じているのではないかと考える。この言葉は政治学者のラスゥエルが「価値付与」と対語で用いた用語だが「ある人間や文化様式が、他の人間や文化様式の価値を減少させること」58)である。また、そうなった場合、職場内での意志決定機会において力を発揮できないことも重要な問題ではないかと考える。そして「価値剥奪」によって健常者が得るものは、能力発揮の機会、感謝の気持ち、肯定的評価、意志決定権、などが考えられた。
  以上から、「職業的な意義を見いだすこと」では、健常者とその職務を行う実力において対等な関係を求められ、それが成立しない場合「価値剥奪」が生じる可能性があることが考えられた。
  なお、「価値剥奪」ではなく、「価値付与」へ向かったと考えられる、ある事例を紹介したい。まずは、第2章における「そよ風のように街に出よう」(56号、1997年)に掲載された、聴覚障害を持つ女性高校教師である。詳細は、資料を参照されたい。彼女は、普通高校に赴任し4年目に担任を持つことになった。それは、管理職や学年主任の反対を押し切ってのことだった。彼女は必死だった。障害があるからできないと思われたくなかったのだ。しかし、ホームルーム、学年会議、保護者懇談に遠足、やるべきことは山のようにある。彼女は、職場の同僚に通訳をお願いした。しかし、周囲は、通訳の教師と話しをすれば事が足りてしまう。彼女にとっては必要な通訳だったが、不自然なコミュニケーションだった。彼女は徐々に、筆談や読話の機会を増やし、通訳の機会を減らしていくことにした。困難もあったが、自分なりの方法を模索していった。そして、職場の上司、同僚からもだんだんに理解をされるようになってきた。校長は、年度初めの「保護者各位」にあてた配布プリントのなかで、彼女が生徒とのコミュニケーションを大切にして様々な努力と工夫を重ねてきたことのなかに、周囲が得るものが必ずあるはずであり、また、それが大切なものであると述べている。同僚の教師は、「F先生がいるから手話を覚えてあげるんじゃなくて、健聴者でも、いろんな言葉の使い方があって、お互いに調整していかないとコミュニケーションが取りにくいのと同じように、F先生と一緒に仕事をしようと思ったら手話が必要なんだっていうふうになってきた」と語る。
  また別の事例であるTさん64)は、聴覚障害を持ちながらも、公務員として仕事を行ってきた。ある日、職場の同僚であったIさんは、兼ねてから話のあった新規事業を、Tさんと一緒にやりたいと上司に言った。上司は驚いた。なぜなら、対象者約15,000人の大事業であり、電話での問い合わせが殺到することが予想されたからだ。しかしIさんはTさんとの仕事を望んだ。Tさんの仕事に対する前向きな姿勢と、障害を持っていることを感じさせない、積極的な行動力を評価してのことだった。多少の負担は生じるかも知れないが、どうせ仕事をするなら楽しく、仕事に対して前向きな人とやりたいと思ったのだ。そして、その事業は見事に成功をした。
  Tさんは「わざわざ、手話通訳までつけてまで、仕事をこなしていかなくても(役所内には)もっと、単純な仕事があるのでは」という質問に対して「自分の能力を発揮して働きたいだけ」と答える。そして「障害があるからとあきらめることよりも、多様な可能性を追求していく『人間的な』生産活動をしていくことを選択していきたい。『障害』に対するフォローを整えることで、実現可能と思うからだ」「その人の持つそれぞれの自己の『発現』を見るのでなく、『障害』しか見ようとしない限りは、この動きを続けていかなければならないと思う」と語る。
  2事例に共通して言えることは、本人があきらめではなく、可能性の追求を選んできたことである。2事例目のTさんが言っているように、本人のこうした選択がなければ、周囲・社会は、まず「障害」を見て、すみやかにその人の能力発揮の機会を奪う方向に働く。だから「自分の能力を発揮する」ために「この動きを続けていかなければならない」のだ。そして、そうした本人たちの働きかけにより、事例1も2も、障害は、確かに仕事を円滑に進めていくうえでの障壁ではあったが、人的・物理的なサポートによりそれはある程度取り除かれ、周囲もそうしたサポートを“当たり前”と捉え、彼女らの「自己の発現」やその価値を認めるようになっている。
  これらから、障害者/健常者価値が対等であるところの「支え合い」の課題は、健常者側が、「障害」を見て、すみやかにその人の能力発揮の機会を奪う方向に動くのではなく、むしろ、能力発揮の機会を損なわないように「障害に合わせた就労のかたち」を配慮することにあると考えた。

  2「健常者に近づくこと」の「障害者と健常者の関係」
  まず「健常者に近づくこと」の意味を考えるために《内なる健常者幻想》について述べる。
  《内なる健常者幻想》は、わが国における先駆的な障害者文化運動として挙げられる「日本脳性麻痺者協会青い芝の会」(以下「青い芝」と略)において中心的な役割を果たした横塚晃一(1935−1978)が言及している。
  《内なる健常者幻想》とは、障害者自身が心のうちに持っている健常者社会がよしとする価値のことである。障害者は「醜く」「異形のもの」と価値づけられているから、それを障害者自身が受け入れるということは自己を否定することに他ならない。そして、健常者をもっともよいものとし、一歩でも近づきたいと思うのである。しかしそれほど健常者や健常者社会がよいものではない、現に障害者をこうやって排除しているではないか、というのが横塚の考えである。以下は横塚によるものである65)。

  私達障害者の意識構造は、障害者以外は全て苦しみも悩みもない完全な人間のように錯覚し、健全者を至上目標にするようにできあがっております。つまり健全者は正しくよいものであり、障害者の問題は間違いなのだからたとえ一歩でも健全者に近づきたいというのであります。

  障害者は一般社会へ融け込むもうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだが、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとる程、差別され弾き出されるのだ。

  つまり「健常者本位」「健常者優位」の価値観は、健常者だけによって支えられているわけではないと言える。《内なる健全者幻想》を介して、障害者もまたそこに加担していることになる。しかもそれは、家族をはじめとして、社会のいたる場所にしかけられた装置を通じて絶えることなく再生産されている。だから、この社会にいながらにしてこうした価値観から自由になることは難しいことなのである。
  「健常者に近づくこと」という意義・目標のなかには、この社会や健常者がよいものであるという自明の価値づけがなされている。そして、この社会の規格から外れている自分は、否定されるべきものであり、ダメな人間である、という価値づけも同時になされている。そして、その目標に到達しようにも、その距離が縮まることはない。なぜなら、「健常者の身体を前提としてヒエラルキーが構築された現在の社会では、障害者の身体とその行為の多くには、あらかじめ否定的な意味が付与されている。そのため、障害者が主流社会に食い込み成功する確率は必然的に低くなってしまう。無理にそこへ参入しようとすれば、待ち受けているのは挫折と敗北だ。結果、劣等感の裏返しで《内なる健全者幻想》はますます肥大化することになる。そうした状況のもとでは、障害者を排除しようとする側は、もはやなんらの強権を発動する必要もない。障害者は、より強力となった《内なる健全者幻想》のよびかけに応え、『自発的』に服従を誓うからだ。」65)
  このような意義を支える「障害者と健常者の関係」はどのようなものであろうか。U作業所では、一般就労を積極的に進めている。事例8のTさんは、そこに魅力(「ここで終わりではない」)を感じて通うことを決めたと言っていた。T授産施設については、T授産施設そのものが1つの企業体のようではあるが、ケースワーカーも配属されており、一般就労に至るための支援事業などの情報提供は積極的に行われている。それは、一般就労で働くことに難しさがあったり、困難を感じたりしている人たちのために作られた場であるのだから当然のこととも言えるが、言ってみれば、支援者側にも、可能な限り一般就労を勧めたい意向があるものと考える。「健常者に近づくこと」という意義を支える「障害者と健常者の関係」とは、健常者生活に近づくことを、健常者が支え、障害者が支えられる関係であると考えた。それは、そもそも健常者が上位に位置づけられていることから、対等な関係となるためには、障害者/健常者とも、健常者上位の価値観を捨て、障害価値を見いだすことが課題ではないかと考えられた。
  この、障害を持つ当事者の「健常者優位」の価値づけの問題の一端が、「一般就労」「福祉的就労」という働くかたちの分断にあるのだとすれば、その解決のための方法として、第1章でも述べた「共働事業所」という就労のかたちが挙げられると考える。
  「共働事業所」は、能力主義を否定し、障害を持つ人と持たなとい人の対等性を重視し、「共に働く関係」を目指している。障害者の労働を保障し、収益のある仕事をし、一定程度の分配ができることがその理念としての目標である。
  共働事業所のある一例を紹介する66)。北海道有珠群壮瞥町にある「農場たつかーむ」である。「農場たつかーむ」は、1987年に、北海道の離農跡地に開設された。設立時の夢は、障害を持つ人たちと、指導するものとされるものという立場を越えて、全く対等に、喜びも苦しみも分かちあって生きることができたら、そして自らの生活の糧は自ら作り、障害を持つものも、そうでないと思っているものも、共にあたりまえに暮らせる社会をつくっていきたい」というものであった。現在は、最低賃金法に則る雇用関係を結んだ6名の知的障害を持つ若者たちと長期・短期の参加者が、4名のスタッフとともに、経済的に自立した生活を営んでいる。
  事業活動の内容は、有機認証農場が8ha、3,000羽の自然養鶏、だちょう畜産が70羽、「たまごアイス」や味噌などの食品加工、よもぎ入浴剤「野の香」などの製造販売、道路清掃・牧場へルパーなどの受託作業、無認可グループホームの運営などである。
  現在の構成メンバーは、障害のある人が9人、障害がない人が4人である。障害のある人とない人は、同じ「従業員」として対等な関係である。運営は、代表と従業員がミーティングを重ねながら行う。収益の分配には、3つのルールがある。1)障害がある人のうち、正式雇用をしている人は最低賃金以上(障害者基礎年金と合わせて自立生活ができる金額)、2)障害がある人のうち、正式雇用していない人(雇用予定者)は、3万円以上(障害者基礎年金と合わせて家族の元で生活できる金額)、3)障害のない人は、自分の家族の生活を維持していける金額(本人の申告)、である。現在、障害のある人の月額の賃金が66,667円、障害のない人が221,510円である。
  これまで生じた問題とそれをどう乗り越えてきたか、だが、1つは、事業収入の限界があり、事業の拡大と障害をもつ人の受け入れが限られてしまったことがある。それに対しては、「共同作所」の補助金を受けることにより乗り越えてきた。また、共同生活していた人たちの生活レベルをアップさせるために、100%融資で、無認可のグループホームを建設し、個室での自立生活を達成してきた。
  現在の課題とその展望については、景気の悪化しているなか、事業所としての経営が不安定であること、また、雇用という形態のなかでより対等な関係性を築くために「農業生産法人」への出向事業というかたちにしていくか、グループホームやNPO法人としていくかを模索している。「社会的共同組合」のようなかたちが認可され、支援費がそこに下りるようになれば良いのだが、ということである。
  この事例を見てもわかるように「共同事業所」としての理念を完全に実現することの難しさが伺われる。しかし「共同事業所」の理念、すなわち「能力主義」や「差別」の問題を排し、対等な雇用関係を目指し、その人なりの労働の価値を認めようとするなかで収益を同じだけ分配することは、「一般就労」「福祉的就労」双方の問題を解決しようとする理想的な就労のかたちと言えるかもしれない。つまり、障害者の労働に対して積極的に価値付与を行っていこうとするものであり、「健常者生活に近づくこと」を目的にせず「理念の実現やそのための事業の成功」を目的としているからである。このような就労環境のなかで、実際には、障害者と健常者の関係がどのようであり、またそれを当事者自身はどのように受け止めているかは興味深い。そして当事者の「働くことの意義」がどのようであるかを知ることによって障害者/健常者価値が対等であるところの「支え合い」の1つの新たなかたちを提示できるのではないかと考える。
  
  3「障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること」の「障害者と健常者の関係」
  障害者プロレス、ピアカウンセリング、劇団態変を例にとって考えてみたい。それらは、第3章で述べたとおり、当たり前にある健常者価値・視点に問題を投げかけるかたちで創られてきた新しい働き方であり、活動であると考える。しかしながら、障害者プロレスと劇団態変については、その活動によって収入が得られる状況にはないということであった。障害者プロレスについてはインタビュー時、劇団態変については、電話にてインタビューを依頼した際にわかったことである。ちなみに、障害者プロレスの、運営の牽引役は健常者である。企画や決定には障害者も関与している。通常の対戦は障害程度により級が分かれるが健常者と障害者のマッチもある。収入は無収入であるが、3ヶ月に1回行われる興業は、常に100〜200人程度入る会場が満員になる。1回のチケット代は3,000円、得られた興業収入は次回興業の準備などにあてられる。レスラーたちは無収入であるが観客やスタッフの期待に応えたい思い強く、プロ意識が強い。
  そしてそれらには、障害者レッテルや否定された経験を越えて自己の価値を上げること、つまり、障害に否定的な意味を与える社会をはねのけるような、または、突き抜けるような、そういうパワーや方向性を持ち、これまでの社会とは異なった価値観を持った独自の文化を創りだしつつある、あるいはその可能性を持つものであると考える。
  それらの活動について整理する。

  1) 障害者プロレス
  障害者プロレスは、Kさんという障害者ボランティアが中心となって始まった。Kさんは、ボランティアとして障害者と親しく付き合ううちに、障害者が健常者社会で生きる不都合さが見えるようになった。そして障害者問題の原因の一端が、健常者の無関心による無理解だと感じるようになった。そのことをKさんは次のように語っている。
  「健常者はさしたる疑問もなく、進学し、就職し、結婚をして家庭を築いていく。だが、障害者が同じように進もうとしても、自分の意志だけではどうにもならないケースが多い。どうしても周囲の健常者たちの理解が必要となり、そして、それは必ず得られるとは限らない」「人間は平等であっても、人生は決して平等ではなかった。効率を重視した世の中で、障害者に与えられる職業選択の幅は狭い。職業訓練校を卒業したNさん(脳性麻痺者)の進路は、福祉作業所しかなかった。自転車の部品を作る仕事を週5日続けて、手にする額は健常者の5分の1。同じように社会に出たボランティアたちと話をすると、車を買った、海外旅行に行った、結婚が決まったと、自分とは別の世界のような話しをしている。障害者が手に入れられるものは、健常者と比べると圧倒的に少ない。これが現実なのだ。」
  しかも、健常者は、そうした現実や障害者の本当の姿に接する機会もなく、メディアが作り上げた障害者像を鵜呑みにしてしまう。Kさん自身、ボランティアを始める前は、障害者を「身体が不自由でも心は綺麗で一生懸命に生きている人たち」と思っていた。しかし実際接してみるとそうではなかった。大暴れしたり、金を借りても返さない障害者がいたり、それはどこにでもいる人間の姿だったのだ。
  「もし、ボランティアを始めなければ、私も一生障害者と関わりを持たなかったかもしれない。今の自分の生活を振り返ったとき、朝起きて仕事に行って家に帰ってくるまでの間で、障害者と出会うことがまったくないからだ。障害者と健常者の関係は、日常生活のレベルで切り離されているのが現実である。そんな状況のなかで健常者の多くは、障害者にもいろんな人がいるという当たり前の事実に考えが及ばなくなり、美化したイメージで括るようになってしまっていった。それが悪循環を生む。聖人君子のような障害者に対して、一生懸命頑張って生きている、と感心することはあるだろう。しかし、実際に付き合ってみたいという興味は、逆に芽生えなくなってしまうのではないか。障害者問題の原因の一端が、健常者の無関心による無理解にあるとするならば、障害者が真面目なやつだけでなく面白いやつもたくさんいることを知れば、関心を持つためのきかっけになるはずだ・・・(略)」
  そんななか、ボランティアで知り合ったYさん(事例3)が次のようなことを言った。
  「どうじょうの、はくしゅは、いらないのですね」
  これは、当時、Yさんが、障害者の親や養護学校の先生、施設の職員が観に来る障害者の発表会で歌や芝居を披露したときに感じたことだった。その言葉がKさんの頭にこびりつく。そして上述した健常者と障害者の関係についての問題意識とも結びつき、その解決方法を探ることになる。
  「どうしたら同情ではなく、観客に正当に評価されるのだろう。健常者並に歌や演技に磨きをかければいいのか。いや、そうではない。健常者に近づくのではなく、逆に障害者であることを強調することでこそ、固定化されてしまった障害者観を揺るがすことができるはずだ。」
  Kさんはこのような結論に至り、障害者プロレスを形作っていくことになった。
  障害者プロレスは、その名の通り、障害者と障害者がプロレスで勝負をつけるというものである。ときには健常者と障害者が戦うこともある。その目的について次のように語る。
  「健常者レスラーが障害者レスラーをいたぶるところを見せつけ、何でそんなことをするのか、と観客を怒らせるのが目的だ。そして、その上で逆に問いかける。ならば、お前らはどうなのだと。現実に傷ついている障害者に対して、お前たちは今まで何をしてきたのだ。ただの傍観者ではなかったのか。目の前で障害者が殴られているからと言って、傍観者にとやかく言う権利はないはずだ。日頃しているように、黙って障害者が苦しむのを見届けるがいい。」
  Kさん自身、障害者プロレスを「後味の悪い面白さ」と言っているが、Kさんのもとに、障害者プロレスを見たある人から次のような手紙が届いた。
  「友達に誘われて見に来たけれど、障害者のことを見慣れていないこともあって、ショックが大きかったです。でも、それよりも疑問に思ったのは、どうして、あそこまでして障害者が戦うのかということです。もちろんプロレスだからと言えば、その通りなんですが...。帰りの電車のなかでも、その理由をずっと考えていましたが、理解できませんでした。それからしばらく経って、家の近くで障害者を見かけました。私の家の側に障害者施設があり、そこに通っているようです。恥ずかしい話ですが、私、近所に障害者施設があるなんて、今まで知りませんでした。というより、私が障害者のことを今まであまり意識しないで生きてきたから、気付かなかっただけなんでしょう。そう考えると、障害者が体を酷使しても自分を表現したいと思うことが、なんとなくわかったような気がします。」
  障害者プロレスは、見た人に強いインパクトを残した。それは、今までの障害者イメージとは異なる障害者を見、障害者を見ていながら何も見てはいなかった、これまでの自分に気付くきっかけになったのだ。
  
  2)ピアカウンセリング
  ピアカウンセリングは、CILの活動内容の1つである。CILは、これまで社会や施設、家族などから障害に対する否定的なメッセージを送られ、主体的に自分の生活を創造する機会を奪われてきた障害者の自立生活を支援する組織であると同時に、支援される側が支援する側にもなる、対等性が意識された、当事者主体の組織である。CILの活動の特徴は、障害を持つ当事者が中心になって運営していること、権利擁護/情報提供/介助/自立生活プログラム/ピアカウンセリングなど、いくつかの種類のサービスを提供する非営利組織であること、有料サービスを行う、スタッフも有料で働く、自治体などによる助成を積極的に求め、得られるところでは助成を得て活動をしている、ところにある67)。
  それでは「障害者の自立生活を支援する」なかでピアカウンセリングはどのように位置づけられ、何を行うのか。ピアカウンセリングとは、仲間同士で話しや気持ちを分かち合うことである。カウンセリングをする立場の人は、否定せずに徹底的に仲間の話を傾聴する。そして、話を一方的に聴くだけではなく、自分も自己開示をする。つまり話を聴いてもらうのだ。そうすることで対等性が確保される。その否定のない傾聴は、その人に「貴方はありのままでよい」「かけがえのない存在である」「すべての気持ちを感じていい」というメッセージを与え、「自分が押さえ込んできた感情の解放」を体験し、自己信頼や自己肯定感を回復し、自分を主体的に創造する内発的エネルギーを再び獲得することにつながる。こうしたことを行う「ピアカウンセリング」は自立支援に欠かせない過程であると考えられている。それはなぜか。ピアカウンセリングの必要性について、野上は次のように語る。68)
  「(自立生活のための)知識や技術を習得しても、それだけではなかなか自立生活へは結びつかないことに気付き始めていました。受講生自身が自己信頼や自分で決断する力を持たないところでは、成果をあげることが難しいことが判明してきたのです。やがて〈障害は劣った存在でもなく、差別される人でもなく、一人一人がかけがえのない存在であると思えるようになること〉〈自分の本来持っている力を取り戻し、自分をありのままに受け入れ、自分を好きになっていくこと〉〈何でもチャレンジできる存在であることに気付いてもらうこと〉〈自分の人生を自分で選び、決定していけるようになってもらう〉ために、精神的フォロー(サポート)としてピアカウンセリングがどうしても必要不可欠だとスタッフ一同が考えるようになったのです。」
  ピアカウンセリングは、認定資格化し、障害者にとって職業としての期待が大きく持たれている。しかし実は、こうしたCILの活動やピアカウンセリングによって行政から助成金を得て、給料をもらって活動することと、年金や生活保護による収入とでは金額的にはあまり変わらない。それでも仕事として認められるかたちを障害者は選ぶ。その理由は「働ける障害者」「障害者が力を持った主体」であることをアピールすることにつながるからである69)。つまり、その存在価値を社会が認めることになるからに他ならない。つまり、これまでの〈障害者は役に立たない〉〈障害者を助けるのは健常者〉〈健常者こそすべて〉から〈自分の人生を切りひらくエネルギーと主張を持つ障害者〉〈健常者にできることの限界〉〈障害者にしかできないことの可能性〉が示されているのだと考える。

  3)劇団態変
  劇団態変は、金満里という24時間の介護を必要とするポリオの女性が主催する劇団である。金満里は「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ、未踏の美を創り出すことができる」という考えのもと、身障者自身が演出し、演じる劇団として1983年より大阪を拠点に活動を続けている。
  金は70年代に青い芝の運動に加わったが、組織の分裂とともに運動から離れた経験を持つ。彼女が障害者の劇団を作るきっかけとなったのが、1981年に京都で行われたイベント「国際障害者年をぶっ飛ばせ!81」である。これは、健常者主導ですすめられる国際障害者年に異議を申し立てるべく、金を中心とする関西在住の障害者が企画したものである。京大を借りて、障害者自身が楽しめる場を創り出すことがめざされた。また障害者を中心に据えることで、障害者の持つ負の力を逆手にとり、コンサートに独得の雰囲気を醸し出そうとするねらいも込められていた。それは見事に的中し、このコンサートは大成功を納める。「ぶっ飛ばせ!81」の成功で、金は、障害者文化の創造というもくろみのステップを一歩前にすすめることになった。
  初期の金満里には、障害者プロレスのように安穏と暮らす人びとの自動化された日常を異化するための手段として用いようとした意図が見られる。金は次のように語る。
  「いくらそれが社会関係の産物だとはいっても、『変わったものをみてみたい』というのは人間の心情としてある。それなら、その心理を逆手にとらないという手はないのである。見世物に徹してあげよう。そのかわり私達を見ているその目を、あなたたちにも返してあげよう。それが、相手を嬲りものにしている自分の心理を見せられることになればいい−−それが私の目論見だった。健常者のための見世物ではなく、自らの意志で見世物になってやろうじゃないの。それは結果的に、見世物が壇上から皆を見世物にしている構図になるだろう。」70)
  ところが、87年あたり以降の態変は、そうした障害者運動の延長線上に位置するような表現活動からの脱皮をめざすようになる71)。
  「私は自分が障害者だから、障害者の身体を通して、固有の美的世界を求めていたのは確かです。それをつきつめていったときに、自分の求めるものが、精神性、人間の魂の表現だったし、まさに重度障害者の生きている姿、そのかすかな身体の動きこそが、渾身の魂の表現ではないか、と」と金満里は語る72)。
  それについて倉本は、「それはいわば、支配文化が障害者身体に割り当てたネガティブな意味をいったん引き受けたところから出発する発想である。対して、80年代以降の態変は、戦略的意図をもってであるにせよ、そうした一方的な意味付与を否定し、そこに独自な価値を与える方向へと転じた」「現在の態変が行いつつあることは、まさしくそうした具体性を持った価値の提示なのではないか。舞台芸術という限定された場においてであるが、否定的な表象として認知されつづけてきた障害者身体の意味を反転させ、新しい文化の創造へとつないでいくための萌芽を、そこにみてとることができる」73)としている。

  これらは、障害者運動(的)としての活動のなかから、職業としての可能性を持つ、新たな活動が生みだされていること、そして、障害者レッテルや障害の否定を越えて、逆に、健常者側に障害価値を気付かせるような活動であることが特徴であると考える。また、こうした活動を進める原動力となったのは、障害を持つ自分にこれまで付与されてきた否定的な価値を、肯定的な価値に変えていこうとする挑戦と主体性である。
  しかし、障害者プロレスは、当事者が主体的に進める活動ではなく、そういう意味において、ピアカウンセリングや劇団態変とは、異なっていると考える。しかし、インタビュー調査でもわかったように、プロレスラーとして活躍する彼らは、リングにあがる自分に誇りを持っている。リングにあがった自分は、普段の冴えない自分ではないと思っている。そして、Doの仲間に認められること、誉められることを励みにがんばっている事例もいたし、Doの活動のためにわざわざ引っ越してきた事例もいた。Doの仲間たちは、彼らが、彼ららしくあることを受け入れ、彼らがそうありたいと思うことを支え、それに近づけたり実現したりしたときには一緒にそれを喜びあえる関係なのだと考える。それは、ピアカウンセリングにおけるピアな関係と似ているかも知れない。それには、彼らが障害者レッテルに対する批判から出発していること、そして、プロレスラーとしての「ピア」意識が関係しているのではないかと考えられた。
  また、CILの活動については、事例4が述べていたとおり、意志決定機関が障害者であること、半数は障害者スタッフが占めることとされており、それは、障害者と健常者が対等な立場で働く職場のモデルとして先進的な取り組みであると考える。しかし「当事者本位」が徹底しているために、逆に、障害者が強者の側に立ってしまうのではないかと危惧される面もあるとのことであった。
  つまり、少なくとも当事者は、「健常者との関係」において「自己価値を見いだすこと」を支えられていることは明らかであるが、健常者にとっての意味は本研究では明らかにできなかった。これは今度の課題となるところである。
  しかしながら、これらの活動は“障害があるからこそできる活動”であることに間違いはなく、それゆえに、一般就労者のように「価値剥奪」が生じる可能性や、福祉的就労者のように健常者が優位であると感じることはない。これは、障害価値の創造による健常者価値の次元を越えた新たな就労可能性であり、このような「当事者本位」の就労のかたちから、当事者が望んできた「健常者との支え合い」が創られていくのだろうと考える。


  さいごに

  本研究では、障害を持つ当事者が希望し、自信が持てるような就労のあり方を検討した。結果、当事者は、一般就労、福祉的就労という従来型の働き方以外に「障害があるからこそできる就労」を望んでおり、それぞれの働き方で自信を持つ意義に違いがあることがわかった。
  また、本研究の結論としては、今後、障害者就労の質というものも、量とともに問われなければいけないということである。そのときに、「障害があるからこそできる就労」というのは、これまで否定的な価値を付与されてきた「障害」というものを、肯定的なものに変換できる可能性を持っており、ただ「働けるだけのかたち」から、活動を通して、「価値ある一人の人間として認められる」という可能性を持っているので、今後、重要な働き方の1つになってくるのではないか、また、そうなっていくためには、今後、障害を持つ人がどんどん自己の可能性を追求していく姿勢も大切だし、それを支援していくということがまた重要で、それら両輪がうまく噛み合っていく必要がある、ということである。
  本研究で行えなかったことは、大きく2つあると考えている。1つは、対象が肢体不自由者に偏りがあったことは否定できず、他の障害について十分な検証が行えていないことである。2つめは、全体を通した論旨が抽象的で、具体策の提示ができなかったことである。それらが、本研究の今後の課題であると考える。
  本研究の今後の展開の可能性については、1つは、法制度上の指摘に結びつけられればと考えている。日本のこれまでの障害者就労の支援策というのは、法定雇用率制度や福祉的就労の場づくりなど「障害者の働く場所を確保する」という、いわば量的な面での拡充が目指されてきたが、今回の研究から、障害を持つ当事者は、それに加え、自分たちが「価値ある人間として認められる」という、我々が働くうえで当然に持っている欲求を、同じように求めているということがわかったことである。現段階ではまだ、働ける/働けない、という問題の方が大きく、なかなかそういった質の面までの支援には至っていない状況と言えるが、例えば、法定雇用率制度に加えて差別禁止法の必要性を言ったり、福祉的就労のあり方についても、当事者が自己価値を見いだせるようなあり方という視点から問題を整理したりする必要があると考える。また“CIL”などの、当事者主導の障害者就労の場や障害者/健常者の対等性を意識している“共同事業所”における障害者/健常者の関係性を探ることで、健常者/障害者の価値が対等であるところの「支え合い」のモデルを提示できるのではないかと考える。


  謝辞:稿を進めるにあたり貴重なご助言を下さいました立命館大学大学院の立岩真也先生、都立大学大学院博士課程の遠山真世さんに深謝いたします。また、インタビューに応じてくださった皆様、そして、インタビューに協力下さる方をご紹介下さいました皆様には心から御礼申しあげます。また、貴重なご意見を下さいました森田ゼミの皆様、そして、元森田ゼミの小林信篤さんに深謝いたします。最後に、お忙しいなかご指導下さいました副査の大友信勝教授、そして、時に暖かく、時に厳しく、時に注意深く、完成まで導いて下さいました主査の森田明美教授に心から感謝いたします。



  
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  〔注〕

1)集英社国語辞典,1996,集英社.
2)南雲直二,1998,「障害受容」,荘道社,pp40-45.
3)佐藤久夫,2001,「障害構造論入門」,pp82-113.
4)週刊医学界新聞,2001/9/17,「新しい国際障害分類『ICF』-上田敏氏に聞く」
5)南雲直二,1998,「障害受容」,荘道社,pp17-31.
6)W.ウルフェンスバーガー,2000,「ソーシャルロールバロリゼーション入門」,学苑社
7)南雲直二,1998,「障害受容」,荘道社,pp75-85.
8)障害者の雇用経験のない企業が障害者の雇用促進を図ることを目的として、日本経営者団体連盟(日経連)が、平成11年1月より労働省(現・厚生労働省)の委託を受けて実施した。1ヶ月の職場実習と3ヶ月のトライアル雇用からなる。事業主にとっては障害者理解の一助となり、障害者側にとっては一定の収入を得ながら職場での適応力を高め、プロジェクト終了後、実習を行った企業に雇用される可能性もある。平成13年3月31日にて終了。平成13年4月からは、「障害者雇用機会創出事業」として新たに事業展開することとなった。
9)障害者の雇用を安定したものとするために、実際の就労場面において、企業に対しては、障害に関する知識や指導方法などを助言し、利用する障害者に対しては、職場適応や作業適応を図るための支援を行う。
10)本文は「障害者緊急雇用安定プロジェクト」の職場実習後のトライアルな雇用期間のことであるが、平成13年4月から開始された「障害者雇用機会創出事業」は、3ヶ月のトライアル雇用からなる。期間中は、事業主にトライアル雇用奨励金が支給され、障害を持つ利用者にも出勤日数に応じた賃金が支給される。
11)兼子道弘,2000年7月,「知的障害者の就労支援-トライアル雇用の活用から見えてくるもの-」,東京都心身障害者福祉センター.
12)松為信雄・菊池恵美子,2001,「職業リハビリテーション入門」,協同医書出版社,p7.
13)尾高邦雄,1953,「新稿職業社会学」,福村書店.
14)道脇正夫,1997,「障害者の職業能力開発」,社団法人雇用問題研究会,pp104-105より引用.(三隅二不二編著,1987,「働くことの意味」,有斐閣.)
15)道脇正夫,1997,「障害者の職業能力開発」,社団法人雇用問題研究会,pp105-107より引用.(三隅二不二編著,1987,「働くことの意味」,有斐閣.)
16)立岩真也,2001,「できない・と・はたらけない-障害者の労働と雇用の基本問題-」,季刊社会保障研究,37-3:208-217.(http://www.arsvi.com/0w/ts02/2001043.htm Access H15.7.3)
17)立岩真也,1991,「どのように障害者差別に抗するか」,季刊仏教第15号・特集.(http://www.arsvi.com/0w/ts01/1991a01.htm Access H15.7.3)
18)日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(1)」,p7
19) 立岩真也,2001,「できない・と・はたらけない-障害者の労働と雇用の基本問題-」,季刊社会保障研究,37-3:208-217.(http://www.arsvi.com/0w/ts02/2001043.htm Access H15.7.3)
20)わが国では障害者の雇用促進のための方策として障害者雇用率制度がある。昭和35年の身体障害者雇用促進法(現在の障害者の雇用の促進等に関する法律)の制定により創設されたものであり、従業員の一定の割合を障害者に充てることを目的とし、その割合を具体的な数値で示している。障害者雇用率制度は、昭和51年の法改正により民間事業主の身体障害者雇用義務が従来の努力義務から法的義務として強化された。平成9年の法改正により、雇用義務の対象に知的障害者が加えられ、平成10年7月からは雇用率が以下のように再設定された。
 
民間企業
一般の民間企業・・・              1.8%
  (常用労働者数56人以上規模の企業) 
  特殊法人等・・・              2.1%   
(常用労働者数48人以上規模の特殊法人及び独立行政法人) 
国・地方公共団体・・・             2.1% 
(職員数48人以上の機関) 
  ただし、都道府県等の教育委員会・・・    2.0%
    (職員数50人以上の機関)  

障害者の雇用の促進等に関する法律によると、雇用率は次の計算による割合を基準とし、少なくとも5年ごとにその推移を勘案して政令で定めることとされている。

             常用雇用障害者数 + 失業障害者数   
雇用率 =  
        常用雇用労働者数 − 除外率相当労働者数 +失業者数

(除外率相当労働者数とは、身体障害者及び知的障害者が就業することが困難であると認められる職種が相当の割合を占める業種について定められた率を乗じて得た数)

 雇用率は、障害者の雇用を優先させようというものではなく、あくまで障害のある人も障害のない人も雇用の機会と失業の機会を等しく持つようにしようというものであることに注意が必要である。つまり社会全体が法定雇用率を達成したとき、はじめて障害者と一般の人と同じ雇用の機会と失業の機会を持つことになるのである。
21) 道脇正夫,1997,「障害者の職業能力開発」,社団法人雇用問題研究会,p14.
22) 日本障害者雇用促進協会,「障害者雇用ハンドブック平成12年度版」,p466.
23)http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html (Access H15.8.16) 日本国憲法の全文が掲載されている
24)楠 敏雄,1997,「わかりやすい障害者基本法」,解放出版社,p30
25)楠 敏雄,1997,「わかりやすい障害者基本法」,解放出版社,pp30-31
26)日本障害者雇用促進協会,「障害者雇用ハンドブック平成12年度版」,pp467-468.
27)日本障害者雇用促進協会,「障害者雇用ハンドブック平成12年度版」,pp303-304.
28)日本障害者雇用促進協会,「障害者雇用ハンドブック平成12年度版」
29)障害者を雇用するには、作業施設、設備などの改善、職場環境の整備、特別の雇用管理が必要となることがあり、雇用義務を誠実に履行している事業主とそうでない事業主では、経済的負担のアンバランスが生じる可能性がでてくる。そこで、社会連帯責任の理念に立ち、事業主間の経済的負担の調整と障害者を雇用する事業主に対する助成、援助を目的として行われるのが障害者雇用納付金制度である。障害者雇用率未達成事業主から徴収した納付金を、障害者を雇用する事業主に対して、調整金、報奨金、助成金として配分する。業務の実施主体は日本障害者雇用促進協会である。
30)調整金は、納付金を財源とし、雇用率を越えて身体障害者または知的障害者を雇用する事業主(常用雇用労働者数301人以上)に対して支給される。報奨金は、多数の身体障害者または知的障害者を雇う中小企業(常用雇用労働者数300人以下)に対して支給される。助成金は、身体障害者、知的障害者、精神障害者を新たに雇用したり、雇用を継続したりすることで、施設・設備につき多額の経済的負担を余儀なくされる事業主に対して、その経済的負担の軽減を図ることを目的として支給される。
31) 採用後、労働災害、交通事故、疾病などにより障害を持った人が、雇用を継続できるよう就労の環境を整えたり、職場に適応できるようにしたりするための助成であり、障害者雇用継続助成金と呼ばれる。
32)長沼敦昌,1996,「肢体不自由養護学校生徒の職業選択に対する進路指導担当者の意識」,職業リハビリテーション,第9巻.
33)松兼功,2000,「障害者が社会に出る-その後の5人の人生-」,ちくまプリマーブックス136
34) 昭和27年9月1日、社会福祉法人日本肢体不自由児協会経営整肢療護園の要請を受けて、東京教育大学附属小学校より2名の講師を派遣し、同園児の教育を開始したのが始まりである。教育基本法及び学校教育法、養護学校学習指導要領の示すところにより、肢体不自由及びその他の障害を併せ持つ児童・生徒に対して個々の個性と障害の実態に応じた教育を行い、豊かな人問性を持ち積極的に社会に参加し自立を目指す人問の育成に努めることを教育の目標としている。小学部、中学部、高等部からなる。(http://www.kiri-s.tsukuba.ac.jp/ Access H15.7.3)
35)1つは、親会社の事業との人的関係が緊密であること。2つめは、雇用される障害者が5人以上で、かつ、全従業員中に占める割合が20%以上であること、また、雇用される障害者中、重度身体障害及び知的障害者の合計数が30%以上であること。3つめは、障害者の雇用管理を適正に行うに足りる能力を有していること。その他、障害者の雇用の促進及びその雇用の安定が確実に達成されると認められること、である。
36)一定の要件を満たす子会社について公共職業安定所長の認定を受けた場合には、特例的に、障害者雇用率制度および障害者雇用納付金制度の適用上、親会社と同一の事業主とみなされる。
37)第3セクター方式による重度障害者雇用企業の設置育成については昭和58年度からなされており、平成12年3月現在、34企業が操業。重度障害者のための助成金としては、重度障害者介助等助成金、重度障害者通勤対策助成金、重度障害者多数雇用事業所施設設置等助成金がある。
38) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(1)(2)」.
39) 平成12年、社会福祉法の制定により、「小規模通所授産施設」の制度創設がなされた。これは、小規模作業所の実態を踏まえて制定された。この制度の特徴は、借地・借家での認可が可能になったこと、定員が引き下げられ10名からとなったこと、障害の混合利用を認めたことなどである。
40)全国授産施設協議会,1992,「平成4年度授産施設・福祉工場実態調査」.
41)松為信雄・菊池恵美子,2001,「職業リハビリテーション入門」,協同医書出版社,p17.
42) 全社協・授産施設協議会,平成5年,「授産施設制度改革関係資料集」.
43) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(2)」,p18.
44) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(1)」
より引用.(「授産施設・福祉工場実態調査報告書(平成元年)」とあるが調査の実施主体は不明)
45)安井秀作,1999,「障害者職業リハビリテーション・雇用制度の新たな展開-職業を通じての社会への統合をめざして-」,pp46-48
46) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(1)」,p83.
47) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(1)」,pp80-81.
48) 園田恭一,1999,「地域福祉とコミュニティ」,有信堂,pp77-82.
49) 共同作業所全国連絡会編集,1996,「ひろがれ共同作業所」,ぶどう社,pp70-77,pp84-86.
50) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(2)」,p54.
51) 高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究委員会編,2000,「高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究-提言および社会就労センター(授産施設)・小規模作業所実態調査、シルバー人材センター事業からの報告-」,p157.
52) 高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究委員会編,2000,「高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究-提言および社会就労センター(授産施設)・小規模作業所実態調査、シルバー人材センター事業からの報告-」,p153.
53) 日本障害者雇用促進協会・障害者職業総合センター,1994,「障害者労働市場の研究(2)」,p54.
54) KSK共同連・障害者労働研究会,2002, 「21世紀における障害者の就労と生活のあり方とその環境条件に関する総合調査」,pp5-8.
55) 安井秀作,1999,「障害者職業リハビリテーション・雇用制度の新たな展開-職業を通じての社会への統合をめざして-」,p32.
56) 障害者の人権白書づくり実行委員会編,1998,「障害者の人権白書」,pp46-56.
57) 安井秀作,1999,「障害者職業リハビリテーション・雇用制度の新たな展開-職業を通じての社会への統合をめざして-」.
58) 高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究委員会編,2000,「高齢者・障害者の就労環境と就労支援システムの研究-提言および社会就労センター(授産施設)・小規模作業所実態調査、シルバー人材センター事業からの報告-」.
59) KSK共同連・障害者労働研究会,2002, 「21世紀における障害者の就労と生活のあり方とその環境条件に関する総合調査」.
60) http://www.nivr.jaed.or.jp/ken-mokuji.html (Access H15.7.3)において、日本障害者雇用促進協会における研究の成果(論文タイトル、概要)を閲覧できる。
61) 川喜田二郎,1986,「発想法-創造性開発のために-」,中公新書.
KJ法(発想法)は、アイデアをつくりだす方法である。複雑多様なデータを「データそれ自体に語らしめつつ、いかにして啓発的にまとめるか」に主眼をおいている。複雑多様なデータを、関連のありそうなものから小さなグループに編成し、それをさらに大きなグループに編成していくという方法であり、それが特徴である。それを逆からやってしまうと、最初に自らの独断的な原理に基づいて分類していくことになるため、発想法にはならないのだ。
62) SMA(脊髄性筋萎縮症、Spinal Muscular Atrophy)とは、脊髄の運動神経細胞(脊髄前角細胞)の病変によって起こる神経原性の筋萎縮症で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と同じ運動ニューロン病の範疇に入る病気。広義のSMAは様々な原因をもつ症候群と考えられるが、いずれも体幹や四肢の近位部に優位の筋の脱力、筋萎縮を示す。一方、狭義のSMAは第5染色体に病因遺伝子を持つ劣性遺伝病で発症年齢と重症度によって3型に分類される。〔1型、重症型、急性乳児型、ウェルドニッヒ・ホフマン(Werdnig-Hoffmann)病〕:発症は生後6ヶ月まで。生涯坐位保持不可能。適切な人工呼吸管理を受けている人の中には、成人に達している人もいるが、若年で亡くなるケースもある。〔2型、中間型、慢性乳児型〕:発症は1歳6ヶ月まで。坐位保持は可能だが、生涯、起立や歩行は不可能。乳児期早期に亡くなることはない。舌の線維束性攣縮や萎縮、手指の振戦がみられる。腱反射は減弱または消失。次第に側彎が著明になるため、それを予防するための早期介入(リハビリ)が必要となる。〔3型、軽症型、慢性型、クーゲルベルグ・ヴェランダー(Kugerberg-Welander)病〕:発症は1歳6ヶ月以降。自立歩行を獲得するが、次第に転びやすい、歩けない、立てないという症状がでてくる。後に、上肢の挙上も困難になる。国際的には狭義のSMAを、一般的にSMAと称している。
63) 竹中ナミ,2000,「プロップ・ステーションの挑戦−『チャレンジド』が社会を変える」,筑摩書房,P143.
64) 岩永哲久・外山最子,1997,「聞こえない人と働く場から」,季刊福祉労働75,pp12-22.
65) 倉本智明,「未完の〈障害者文化〉−横塚晃一の思想と身体」,社会問題研究第47巻第1号.
(http://www.arsvi.com/1990/971200kt.htm Access H15.7.3)
66) KSK共同連・障害者労働研究会,2002, 「21世紀における障害者の就労と生活のあり方とその環境条件に関する総合調査」,pp29-31.
67)安積純子他,2000,「生の技法」,藤原書店,p268.
68) 安積遊歩・野上温子編,1999,「ピア・カウンセリングという名の戦略」,青英舎,pp75-76.
69)石井雅章,1994,『障害者という場所 ―自立生活から社会を見る(1993年度社会調査実習報告書)― 第10章「就労の場としてのCIL」』,千葉大学文学部社会学研究室.
 (http://www.arsvi.com/0b/94051710.htm Access H15.7.3)
70)金満里,1996,「生きることのはじまり」,筑摩書房,pp184-185.
71) 倉本智明,2001,『障害学への招待 第8章「異形のパラドックス−青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」』,明石書店,p241.
72)岸田美智子・金満里編,1995,『私は女「銀河叛乱・序説」』,長征社,p347.
73) 倉本智明,2001,『障害学への招待 第8章「異形のパラドックス−青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」』,明石書店,p242,p244.




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UP:20031205 REV:1214,15 20040611(「まえがき」追加)
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