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開発と障害
森壮也
(アジア経済研究所)
障害学研究会関東部会 第35回研究会 2003年8月30日(土)午後1時半ー4時半
司会/
では、始めます。
今日は、関東部会の35回の研究会です。
「障害と開発」久しぶりですが、取り上げて、進めます。このテーマについては、このテーマは、現在国連ですすめられている障害者の権利条約の中でも使われ、発展まさに大きな議論となっています。また、森さんのお話の中、レジメにも触れてますが、世界銀行。従来、社会的問題には熱心と思われてこなかった世界銀行が、ジュディー障害の問題を本格的に取り上げようと、ジュディさんが顧問となり、9月18日の東京大学のバリアフリーシンポジウムで、基調後援者として来日され、現在の国際協力事業団と日本DPI主催で、障害と開発に関するシンポジウムを予定しているといいます。そう言う意味で、非常にホットなトピックをアジア経済研究所の森さんから、お話していただきます。進め方です。発言は、マイクを持った方が発言してください。
また、名前を言っていただき、長瀬ですというように。それから発言、という形で、お願いします。通例、どういったかたがいらしているか、名前と紹介を、一通りして、それから始めます。
1時間くらい森さんに話していただき、そのあと休憩です。会費は、後で封筒を回すので、それに入れていただくよう、よろしくお願いします。
森/
では、テーマ、「障害と開発」について、お話しします。
さきほど、お話しましたアジア経済研究所で15年働いています。ほとんど、毎年のように東南アジアに出張してアジアの国を見てきております。今年は、先日、フィリピンに行ってきたばかりです。
例えば、普段の仕事では、経済研究所関係なので、障害者関係ではない仕事になりますが、土日には障害者、特に、ろう者に会うようにしています。途上国にいるろう者の状況を、インタビューすることもあります。フィリピンについては、10年以上係わってきています。
「障害と開発」に興味を持っていたので、職場にテーマとして研究したい、と申し出たのですが、なかなか認められませんでした。また何度か交渉を続けているうちに、今度は障害の場合は、研究範囲が狭くなる、ということで認められなかったんです。
障害の場合、それをテーマにすることは範囲が狭いのだな、ということがわかりました。
皆さんご存知かと思いますが、アジア経済研究所というのは、国の予算の関係がありますので、景気が悪い、ということもありまして、まず、経済が優先になってしまうという面があるということです。
優先、プライオリティがありますので、そういった問題を出されました。
障害分野での研究で、お金をいただくということに大変苦労しています。
本日お配りした資料、9月号なのですが、私の案が、やっとの思いで認められ、原稿を書いて、この特集が出版されました。3日前に印刷を終え、発行したばかりです。
一般にはまだ出ていないかと思いますが、今、1部をここに持ってきています。
障害と開発、というテーマで今までやってきたのですが、その中で気づいたことを、本日、話したいと思います。
まず、障害と開発ですが、そのテーマについて、先ほど長瀬さんからお話頂いたように国連など、いろいろな場所で今、注目を浴びている、多くの人が魅力をもっているテーマだと思います。
しかし、障害と開発の意味は何なのでしょうか。
改めて考えてみると、反省してみると、意外に、とても難しい。
簡単にいえば、開発途上国にも障害者がいるということ。
しかし、開発途上国にも障害者がいる、ということの研究、それはそれで面白いと思いますが、それだけでは、まだまだ不足していると思います。
例えば、開発途上国も、先進国にも障害者はいますよね。それぞれに障害者がいますが、両者には違いがあります。
同じ面と違う面が何かということを、知る必要があります。2番目に、開発途上国というと遅れているという言い方をする人がいますよね。
遅れている、という意味は何なのかと考えると、開発途上国というのは例えば、フィリピンと日本を比べた場合、30年遅れている、という話があります。
というのは、日本の30年前が、フィリピンと同じなのか、というような考えです。
障害者も30年前と同じなのかということです。
日本の経験と同じ経験があるのか、ということになります。
30年前と同じ状況が、フィリピンで今、起こっているのか、ということです。
また、先進国の経験といったようなものを、いろいろ開発途上国にもっていったとき、開発途上国の障害者にも役に立つのかという問題があります。先進国も障害者に対していろいろ政府の見方からすると、失敗したとか、間違いが多かった、とかいったことがあります。開発途上国に、持っていたとき、情報提供として持って行ったとき、開発途上国の障害者に対する政府で失敗やミス、それらが先進国の経験がまた繰り返されてしまいかねないという面があります。
そのあたりを考える必要があります。
3番目に、同じ面と似ている面がありますが、開発途上国に、そのまま同じ問題を持っていっていいかということですね。開発途上国の障害者の場合、先進国の障害者から見て、まだまだ遅れているという面もありますが、それを遅れている、と我々の側で言えるのか。先進国の中にも、障害福祉年金、日本にいる韓国人が年金をもらえないというケースがあります。ですが、この基礎年金にしても日本人の障害者は、障害基礎年金はもらえますが、開発途上国では、自分の国にそれがないという問題があります。先進国と途上国とが今、同じ時間の中で存在している。その中での「障害と開発」の問題なのです。
そうした3点について、考えないといけません。
「障害と開発」というテーマは、非常に大切と感じています。
最近いろいろ考えていることがあります。1999年、明石書店から出たこちらの本。
Coleridgeという方が書きました。『アジアとアフリカの障害者とエンパワメント』という本です。
元は英語の本です。オックスファームという名前の国際的なNGO、特に開発途上国に援助しているNGOがあります。その中で、出版されました。英語の原題は、資料の方にあります。
「Disability, Liberation and Development」障害と開放と発展、また開発の3つのテーマがあります。
非常にラディカルな本です。
まだまだ考え方の整理ができていない本と思います。
しかし、大事なことがここにはあります。そのために、簡単にこの本について説明します。
まず最初に、途上国についてです。昔、1970年代の終わりごろは、「かわいそう」というような慈善の考え方でした。
貧しい、かわいそう、というような、援助しないといけないという考え方でした。今は、エンパワメントの考えにかわってきています。開発問題は、かわいそうではなく、エンパワメントの方法として、変わってきています。
しかし、発展途上国にいる障害者の問題となると、まだまだ、かわいそうという視点からの援助になっています。エンパワメントにかわっているかというと、まだですね。CBRとか、そういった状況が、日本などから持ち込みつつあります。
2番目に、途上国ですが、先ほどのプライオリティの問題があります。
障害者の問題、障害者は解決しなければ、という問題ですが、それが後回しになっています。まずは、国の問題、目の前の問題を解決してから、となっています。
3番目に、少し新しい考え方です。
障害者の問題は、慈善ではなく、社会福祉の問題ということです。慈善から社会福祉へ、という問題になっています。社会福祉の問題としては大切ですが、それを皆さん認めてますが、アジアの国々を見てみると、社会福祉として大切ということは、皆さん、認識するようになってきています。そういった変化が見られます。
私の研究所でも、障害者の問題は社会福祉の問題の中の一つとして、見られる傾向があります。社会福祉だけではないと言っても、困ったような顔をされるだけという現状があります。
また、社会福祉といっても、特に関係が深いのは、参加の問題です。社会福祉としての見方をした場合、それだけでは足りない面があります。社会福祉というのは、新しい援助のやり方。慈善みたいな、かわいそうというのではなく、やはり援助という問題があるため、障害者の意見を一応聞く。でも、一緒に活動するのとは違います。
参加ではない、ということですね。今、DPIなどの関係者が、国連の中で論議されていますが、レジュメ1枚目の最後に、英語の文がありますね。
私ともかかわりがありますが、私と離れたところで、いろいろなことが決められています。その意味の英語です。
障害者と関わりのある人に聞くべきか、どうやって解決すべきか、そのあたりを考えなければなりません。また、4番目に、障害という問題を取り上げたとき、いろいろな場所で、貧困という、先程の社会福祉のひとつとして考える、と認められていると言いましたが、その次のステップとして、別の面。国際的な援助の関係としての機関は、障害ということは、貧困の問題の一つである、と考えている。そういった見方になっています。
しかし、貧困ということも、あとで詳しく説明しますが、障害者と、貧困の関係が深いということはいえると思うのですが、貧困だけで、障害ということにリンクさせるということは、すごく難しい話だと思います。
そういうことについて、さきほど紹介した本に書いてあります。
次に4つが、むずかしい問題として、掲載されています。
障害について、その解決方法は、途上国の中でも、日本でいえば、厚生労働省のような機関はあります。そうした機関だけで責任を負う形で良いのか。特に途上国の中で。
国の機関のなかで、責任を持つのが、厚生省だけでいいのか。
または、全ての部署で障害についての責任の所在を分散化させるようなことも、必要なのではないか。答えはまだ出ていません。
一緒にやっていくのがいいのではないか、という考え方。
2番目。開発行政ですね。
効率をみると、行政機関の役割が大事だということがわかります。
障害をもっている人を特別な人、という見方をしたときに、それに対するサポートがややこしい問題になってきます。
ニーズですね。障害ニーズを解決させるためにやる行政が、障害者本人から、ニーズを訴えられたときに、混乱してしまいます。
ニーズ解決の方法が、後回しにされてしまいます。
そういった状況を打開するためにどういった方法が考えられるのか、が2番目。
障害者が、何を考えているのか、理解するという、啓発活動。
その活動をするにも費用がかかります。
途上国には貧困なので、お金がないということになります。
啓発活動のための予算もありません。
社会を変えるための、お金がないということになります。
また、障害者の各グループが、例えばフィリピンを例にしますと、この国は島国です。
そのために、人との連絡する場合に、船が必要になります。
今は、聴者の場合は電話ができます。
ろうの場合はどうなりますかね。
電話が出来ませんよね。
10年前は、情報伝達手段を考えると、非常に時間がかかるんですね。
島国ですね。
フィリピンの首都である、メトロマニア、こういう手話になりますが、この市内でも、ろう者同士でのネットワークは、少し前まで直接会って情報を伝えるということですね。
キリスト教会があり、その中でミサがありますが、それに手話通訳をつけるという話もどこの教会でのミサにつくのかというのは、お互いに会って情報が伝わるという非常に時間がかかる方法でやっていたこともありました。それが、10年前の状況です。
ですから、各地域でまとまって、全国組織をつくるのも大変になります。
今は、状況がだいぶ変わってきましたが、例をあげれば携帯電話ですね。それを使って情報提供します。携帯電話が流行ったことで、以前と比べれば情報伝達がスムーズになってきています。しかし、携帯電話は、コストがかかります。フィリピンの場合。
みんなが持っているわけではありません。
島が離れている場合は、インターネットを使った方法もあります。ところがインターネットを使うにはパソコンを買わなければいけません。そういうお金がない、ということもあります。お金がかかるということです。実際には、携帯電話の方が安いというので、それが思いに全国レベルでも使われています。各地域で力を合わせてやるのがいいとよく簡単に先進国の人間は思いますが、そういった予算の関係で、PR、活動ができない、ということもあります。
政府など、権力を持っている人たちを見ると、障害者について、興味を持っているとは言えない状況もあり、慈善という気持ちでやっているのが、現状です。
途上国の場合はそういった面がむずかしいです。
4番目。政府の予算がないという状態、また、政府がない、という場合もあります。
難民の場合は、自分の国がないという状況ですから、お金をもらえる手段がありません。
(自分の国から逃亡したため)
障害のために、年金がほしい場合も、もらえないということになります。
この4つが、難しい状況になります。
開発と障害を、考えた場合に、この4つが問題になります。
最近、取り組みを積極的にするようになってきた国際援助機関として、世銀、アジア開発銀行、があります。日本の場合は、JICAがあります。
そういった援助機関がありますが、障害に対しての取り組みが、少しずつ増えています。
JICAは積極的に取り組みが始まっていますが、国際協力銀行(JBIC)みたいなところは、まだそういった取り組みはしていません。
私の研究所では、研究協力ということで、金銭面での援助は、していません。いろいろ研究活動としてやっております。障害に関しては、まだ興味を持ってません。しかし、国際的に見ると、以前よりや、興味を持っている機関はふえてます。
変わった状況については、9月号の原稿にありますが、世界の人口数、10%の障害者がいるということですね。他に、世界銀行の統計で、貧困者の5人に1人が、障害者がいるというデータがあります。データをもとに貧困と障害を関連づけることが増えています。以前、アジア通貨危機、1997年の7月、タイのバーツが急落したことがありました。アジアの国で、その後影響があり、7月までに、1980年から87年にかけて、10%近くの経済発展がありましたが、その後、通貨危機により景気が悪くなりました。
そういう問題をみると、急落した場合、貧困障害者への影響がかなり見られる。その為に、国際援助機関としては、貧困の問題に対し、その重要性を頭に入れるようになり、世界銀行の考え方も変わりました。
また、世界銀行からの総裁、世界銀行総裁のウォルフェンソン総裁さん。
彼が貧困に対し、問題解決をせよという指令をしました。
そのとき、貧困についてやる、ということですが、貧困の中に、障害も盛り込まれました。
実際、障害を持つということで、学校に通学が出来ない状況がありました。
フィリピンの場合、通学用のスクールバスがあるのは一部の学校だけです。そのときの通学手段として、大きな道路までは、自転車のとなりに特別なシートを設けたトライシクル、そういった手段で学校に行く。また、ジプニーに乗って、通学する。
障害者は、バリアがあるという感じになります。自転車にもジプニーにも乗れません。
車いすの人も乗れません。それ以外の方法は出来ません。
それが出来るとしたら、裕福な家庭だけになります。
通学ができないということは、就学が出来ないことになります。
ということは、良い仕事につけないことになります。
仕事がないということで、文章も書けないし、会社に採用されることもありません。
生活が出来ないことになります。
貧しい場合、子どもが生まれた時、病気で高熱の時、病院にいくお金がなく、仕方なく家で看病したら、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりして、貧困と障害の関わりも非常に強いです。
悪循環に陥ります。貧困と障害の関わりですが、貧困が必ず障害になるわけでなく、障害があるから必ず貧困になるという訳ではありませんが、非常に関わりはあります。
3番目。解決方法を考えたとき、先進国の人には経験があるため、途上国に支援ができます。
しかし、通学の時に大変ということで、車を支援した場合でも、ガソリンが必要です。そのガソリンの費用を払うのは誰でしょう?車をあげても、ガソリンが買えない。補聴器も同じです。日本では、「ろう者の子供に補聴器が必要」ということで、中古の補聴器を集め、途上国に送っていますが、実際に補聴器は修理できますが、送った後に使えるようにするのは、むずかしいです。聞こえる方が検査して、データを見て、その後補聴器のフィッティングをしなければなりません。聴者の手助けが常に必要となってしまいます。補聴器が壊れたとき、聞こえない時、ろう者には、それがわかりません。反応がないということで、補聴器が壊れているのではないかと、修理をしてもらいます。聞こえる人に従属する関わりが強くなります。ガソリンと同じで、また、補聴器の電池代は誰が払うのでしょうか。電池なども送ってもらわないといけなくなりかねません。
そのようにして、先進国から途上国にいろいろなものを送っていかなければならない状況になります。
ですから、先進国と同じ状況を、途上国に提供していくと言うことは、なかなかむずかしいことになります。
国際的に、障害予防とか、障害者モデル、CBR、この3点についての考え方は、だんだん認識されつつあります。
また、アジア通貨基金などに言われるように、セイフティーネットが大切だという考え方が広まりつつあります。障害者もセイフティーネットが大切、そういった考え方が広まってきています。
2番目に、国際的状況がかわってきているということで、障害者の見方、障害者観が変わりつつあります。
以前は、障害者は特別だ、とか、障害者と健聴者、という考え方がありました。
(周縁化の考え方がありました。)また、インクルージョンという考え方もあります。
技術、医療の方法を障害者にあわせていく、という考え方。
新しくかわったのは、社会モデルですが、合わせるのではなく、社会が障害者にあわせる。
社会的環境を整える、ということ。
社会と障害者観の関わりが、大変問題になってくる、というわけです。
社会と障害者の関わりを、変えていく必要があります。
どうやって変えるかというと、エンパワメントになります。
障害との関わり、分類ですが、今までは、ICIDH、今は、ICFに変わってきていますが、ご存じの方も多いと思いますが。
大事なのは、環境ですね。
障害者がいる、周りの環境、施策を整えていくと言うことが大事です。
日常生活ができること、障害者が日常生活ができることが大切な考え方だ、というようにかわってきています。
また、環境が大切、ということで、ICFの考え方は、途上国の場合、環境が大切ですが、障害者がいるのは先進国にいるのか、途上国にいるのか、どちらにいるのか、という問題も大切だ、というように考え方も変わってきています。
しかし、貧困の中に、そういった問題を持ち入れていく必要があります。
貧困問題の中に障害の問題を入れて解決することは非常に難しいです。
貧困はどうして起こるのか、ということを考えると、所得の低減、安いので、貧困が起こるということがありますよね。
例えば、世界銀行の場合、毎年、発行しています広報がありますが、その中に報告があります。
開発報告があります。世界開発報告の本が毎年発行されています。
その中の、2000年版では、貧困とは何かというと、所得が安いということだけではない、と書いてあります。
世界銀行も10年前までは、貧困とは何か、というのは、給料が安いということ、というような意味があったのですが、今では、その考えがかわってきています。
アジア通貨危機のあと、アジア、アフリカなどの途上国全体に、政府ではなく一般の市民の声を集めて、調査をしました。
報告書には、貧困者の声、という本があります。
貧しく、大変だという、そういった声を集めた結果、考え方が変わったということです。
貧困者の給料が低減しているということではない、ということ。
(ア)の部分、給料、所得が低い、というのがありますが、貧困の見方ですが、これが広がってきています。
4つの分類がありますが、機会が十分でない、ということが2番目。
ケイパビリティが低いということ。ケイパビリティとは何か、というと、Senという名前の経済学者がいます。インドで生まれた、イギリスにいるノーベル経済学賞をとった人です。彼が、提唱したケイパビリティというのは、人間の場合、資料の下の部分に書いてあるように、人間として出来る機能を広げて、それを選択することができる、という意味です。機能、というのは、栄養状況がいいとか、また、難病にならないとか、高齢で早死しないとか、社会生活に参加できるとか、人としての機能の面を広げて、その中で自分で選択できる、ということをケイパビリティというと提唱しています。
それらが低い場合は貧困という定義になります。
また、それがない、という場合も貧困になります。
リスク、例えば、アジア通貨危機のような状況になったとき、昨日までは、普通に生活が出来た方が、突然、生活ができない、食べ物がない、ということが起こらない。
実際にそれが出来なくなったときに貧困になる。
ぎりぎりの状況で生活していった場合、貧困になります。
余裕がない、という状況です。
4番目に、エンパワメントですが、まだまだです。
貧困ですね。
そういった考え方が大切です。
今、少しずつ広がってきています。
しかし、世界銀行の中で、昨年、貧困問題を解決するためには、ノースブックという本、すごく厚い2冊の本がでました。途上国の問題を解決するための案がたくさん載せられています。
農村の問題、都市のスラム問題、障害者の保健や栄養の問題など、様々な分野の問題があります。女性のジェンダーの問題もあります。しかし、障害についての問題は、いくらさがしてもありませんでした。その2冊ですが、障害の解決についてが、まったくありませんでした。
世界銀行でも去年から、ヒューマンという、ポリオの後遺症を持つ女性、写真が掲載されています。(左上)
アメリカでの障害活動の指導者という方を、世界銀行によび、専門家、顧問をしてもらう。
今は研究という活動になっていますが、研究活動は、現在は、始めたばかりのため、足りていない。
3番目として、国連や国際関係機関の討議をみると、先進国と途上国の障害者代表やリハビリ関係者、政府関係者も含め、討議をしますが、それをみると、開発専門の人がいない。
意味するものは、先進国と途上国の違いがなにかを知っている専門家がいないということです。障害コミュニティまたは、国際障害コミュニティの中だけで話をしている。
そのため、第3者の見方がわからず、視野が狭くなります。ユニバーサルデザイン、UDたとえば、ビルを設計するときに、スロープやトイレ、ろう者用のパトランプなどがついていたりしますが、途上国の農村部でそうした設備をそのままというわけにはいきません。電気も通っていない状況ですから。先進国のUDはそのままではいけないのです。
また障害者団体でも、融資やお金を借りるという、例えばマイクロ・ファイナンスということも出来ます。
バングラデシュでは、グラミンバンクという有名な、女性、農村部にいる女性に、企業運営の資金を貸す機関があります。自立支援の案が成功をおさめているところもあります。
開発の専門家が現場で支援することもできます。障害コミュニティだけで話した時には、知識、情報が不足します。話すだけで終わってしまい、結果が得られない状況となる。
討議の場をもっとオープンにしたり、PR活動を積極的に行わないとなりません。
最後に、大事なことを2つ話します。
「障害と開発」というテーマで研究しているイギリス在住の久野研二さん、1ヶ月前に、JICAで書かれた博士論文の一部を抜粋した報告書があります。こちらです。良いことがいろいろ書かれています。
ツイン・トラック・アプローチ(Twin-Track Approach)というものが、そのTwinというのは、2つで、一方が障害者のインクルージョンとメインストリーミング。
もう1つが、エンパワメント。
要するに、メインストリーミングと、インクルージョンとエンパワメントが一緒になったという考え方です。
ジェンダーというのも、ジェンダーと開発GADの研究の蓄積があります。私の職場でも、GADについて研究していますが、このGADの分野で出てきているTwin-Track Approachという方法をとっています。障害者に対してもそういった方法をとっています。
久野さんのは、情報が整理されていて良いと思います。
ツインということに、すごく詳細に書いています。
内容的におもしろいものです。
ただ、その中で、久野さん自身の立場として、自分が健常者という立場、リハビリ療法士、ということで、どう障害者に近づいていけるか、アプローチできるかという立場で書いています。ただ、その場合、途上国にいる障害者自身の立場、そこまではタッチしておられません。これは今後の課題だと思います。
障害と開発というテーマの中ではとても大事なもの。
最後に、長瀬さんもいろいろな会議を見て、ご存じかと思いますが、国際会議の場で見た経験のある人なら、わかると思いますが、昨年、滋賀の大津で、会議がありました。
または、国連の障害権利条約の会議を見ると、大きな問題があります。
日本の政府代表と、他国の政府代表が話しているのを見ると、国連のいろいろな場で発言がありますよね。
その発言が出来るのが、政府の代表だけになります。NGOの人は、発言ができない、ということです。
しかし、途上国の中で、障害者が生活しやすい環境を整えるために、さきほどから話しているように、お金が必要です。
そういうことで起きる問題として、例えば、先進国の政府、例えば日本や、その他の国、そういった先進国、新しいことにチャレンジすることがないような気がします。社会福祉制度を、かえるのではなく、少しだけ変更することで済む方法を考えているだけです。
権利条約の自国で定めている法律とずれている場合は、その権利条約の中で排除するという案が書いてあります。
また、NGOも、いろいろ変えるために費用がかかります。
自分の国からの援助がないために、もし、国際条約が提携された場合、先進国、北からお金を得る期待を持っているために、南と、南北問題が発生します。
NGOの場合、自分で発言できないために、国際的な討議の場では、国の規模に関係なく、発言力が同じですから、国同士が力を合わせて発言してもらう、という交渉が大事になります。しかし、その中で、もし、楽な道、というか、解決しやすい方法を考えた場合、そのために、権利条約の内容が骨抜きにされる心配があります。
一方、内容が良くても、北の国が反対をした場合、権利条約はつぶれてしまいます。
そのバランスを、うまく調整して進行させていかないということを、念頭におかなければなりません。そういうことで、問題はかなりあります。
一時間ちょっと過ぎてしまいましたが、ここらへんで、お話しを終わりたいと思います。
司会/
非常に刺激的なお話し、ありがとうございました。
2つ。
1つは、今から10分休憩ですので、3時10分から再開して、その後、皆さんから質問、コメントを。
2つめは、森さんの話と、ワタナベさんの、「夜バナ」と略しますが、介助が必要な人が、まがりなりにも、日本のようなある程度制度の整った国と違うような国で暮らしていたときに、どういうことが起こるのかな、ということも考えながら聞いていました。
先ほど、ワタナベさんからもお話しがありましたが、関心のある方は、ぜひ読んでみてください。
ちなみに、北海道新聞の出版で、初版が4000部で、すでに3000部売れているということで、「障害学への招待」が初版2000部ということで、私としては嫉妬が。
あまり売れてほしくないなと。
たぶん、数ヶ月以内に、道内で有名、という本から、全国区になる本だと思います。
今日はワタナベさんから買っていただいて、直接サインももらえる、貴重な機会と思います。
では、10分間の休憩にはいります。
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(以下、質疑応答は編集したものです)
質問:従来は経済開発、効率ばかりが追求されてきた開発の世界がありましたが、障害者も一緒に生きていく社会がもしかしたら出来ることが、従来の開発のあり方自体を見直す契機になるのでは、と考えています。その意味で、開発の広い文言の中で、障害を位置づけて、障害の側から捉え返すと言う意味で、森さんのコメントをお願いします。
森/障害者について考えないといけないことは、開発のテーマに障害者を入れるという考え方ですよね。第一歩としては、それで構いませんが、障害者を開発の分野に入れる、というのとは違うと思います。理由は、「開発」が何かにも関わりがありますが、私としては、はじめに説明しましたが、途上国に住む障害者が基本になります。日常生活の中で、実際生活が不便だ、とか、そういった形ではないです。まあまあ、生活はできている状況なんです。毎日困っている、かわいそうな生活状態というわけではないです。ろう者の場合は、通学とか、好きな所に自由にいけますし、そういった面では自由に動けるような、ジプニーも自由に使える状況です。食事については、両親が与えてくれますので、両親のすねかじり、という感じで、できます。
しかし、困難な面というのは、両親と別に生活している、1人暮らしの場合、それがちょっと、難しくなります。また、自分の自宅近辺ではなく、全国的に活動を始める、という場合に制限が出てきます。そこが大きな問題になります。
その2つが難しい面です。
そこが障害と開発のテーマのひとつと、私は思っています。
開発問題の中に、障害者問題を組み入れるというとき、それで大きな変化が起きる、ということではありません。現実問題として、解決できる問題と解決できない問題は何かということを、きっちり分けて、整理していく、という状況もまだです。今は、そういう状況になってきています。
質問:発展途上国で、障害者の位置づけといいますか、食っていけるとか、医療方面、健康方面では、現在の方が昔より向上したのは当然だと思いますが、もう少し障害者の居場所とか、社会からの差別といったことで、開発以前とは違っていたのではないか。
あるいは、もっと原始的には、障害を持っている人が、あがめられた、という話も、民俗学的にはあります。そういうような、昔の障害者の状態と、今の開発、開発中のところの状況と、違いを見聞されていないかということが、1つ。
もうひとつは、先ほどのお話しの中で、森さんのお勤めのところに、開発と障害、というテーマを提案したら、障害では範囲が狭い、とかいうことで受けられなかった、とありますが、なんで、障害の問題が、狭いのでしょうか。
森/1番目の質問。
「開発前」という言い方ですが、前とかあとというのはないのですね。開発というのは、英語に変えますと、development。その意味は、以前と比べ、変わったということで、開発という言葉を使います。前後関係は関係なく、続いているということです。
経済が発展していって、ある時に、障害者の生活も変わったかどうか、という意味がありますが、そのとおりですね。障害者だけでなく、障害者を含め貧困者もよくなったということが、実際あります。
フィリピンの場合ですが、初めてフィリピンにいったのは、1988年でした。
その時の状況は、アキノ大統領になった頃でした。ろう者の中で仕事をしている人は、割合が少なかった。仕事をしている場合は、郵便局や障害者団体の仕事。今では、経済が発展し、1996年ぐらいからフィリピンの経済は発展し、アジア通貨危機以後、少し落ちましたが、今は、取り戻しています。それにつれ、ろう者で、携帯電話を持つ人も徐々にふえてます。そのためコミュニケーションがスムーズになっている。
仕事も細分化され、ろう者のリーダー的存在の人は、キリスト教の教会の仕事。就労者のろう者は増えている。教会の場合、寄付をとおして、資金繰りですね。経済全体の状況とも関係します。
しかし、聴者、健常者が良くなった率、また、障害者の率を比べると、障害者のほうが、いい比率とはいえない。聴者、健常者の場合、就業状況の指数を50とすると、障害者の場合は、1〜3ぐらい。かなり小さい。以前と比べれば良いが、依然少ない数字です。
で、一人暮らしをしている途上国の障害者は、あまりいないです。
障害をもつということは、かえることが出来ないと見られて、家族と過ごして、大家族という形式で生活をするというのが、ごく一般的です。
その問題として、一人暮らしをしたいときに問題がおきる、ということですね。
家族と一緒にいたくないので、一人暮らしをするということは、無理ということです。
もともと一人暮らしということは、ないです。
障害をもっているという事で、家族が一緒に生活をする、という状況です。
一人暮らしをしたいときは、やはり、限界があります。
家族が無理、という見方をした結果、その人は一人暮らしができないということになります。
核家族化なんですが、私の知る範囲では、途上国では起こっていないですね。
今は、中間階層、タイや、マレーシアの一部で起こっているくらいですかね。
まず中間階層が増えれば、その後、核家族化が問題になると思います。
ラテンアメリカの中の状況、アフリカは、さらに遅れているので、まだまだ。
ラテンアメリカの場合は、今は中間階層がやっとおきたということですので、爆発的にそれが増える、そういった状況にはならないと思います。
フィリピンの場合、中間階層がはっきりなった、という状況ではないので、核家族化は10年位あとの状況になると思います。
2番目の質問。
「開発と障害」が狭いテーマと言われたことです。
本日、レジメの中で3ページに1)(ア)「障害者のニーズは特別である」という文章ありますが、その見方と関連があると思います。普通の人と違うということで、周縁化が起こっている、という状況があります。大多数としての人間の重要性と障害者の中での重要性に、違いがある。それで障害者が省かれるので、周縁化です。その意味で、私の職場で「狭い」と言われたと。
これへの対策ですが、研究論文を沢山出していくことですね。
質問:先進国の障害者問題と、発展途上国の、障害者の問題を区別する必要性、という視点をおっしゃっていましたが、気になるのは、先進国といわれる、例えば、アメリカの障害者、日本の障害者では、やはり問題が違うと思いますし、発展途上国というくくりの中でも、例えば、宗教であったり、一人暮らしの話がありましたが、家族間の問題であったり、経済的な発展という軸で見ると、大きく先進国と、発展途上国という分け方はできると思いますが、やはり、社会というか、各国の文化的な要素というところを含めて、考える必要があると思いましたので、その辺について、森さんの考えがあれば、お伺いしたいと思います。
森/非常にいい質問だと思います。
レジメの1枚目にあります、Aの1の1。3つ項目がありまして、特別の国の地域性、ということが書いてあります。
言われたとおり、先進国同士の中でも、日本とアメリカは違います。
また、途上国の中にも、フィリピンと、マレーシア間ではやはり違います。
マレーシアからインドネシアも、やはり違いますね。
アジアとアフリカでも違います。
先進国と途上国だけを見るのでは、ちょっとまずいと思います。
しかし、現代、全部の国は違いますが、その中で基準というか、簡単にいえば、アメリカと日本が違う、ということ、そういった意味もありますが、フィリピンと日本が違う、違いの中でも意味が違うと思います。
逆に、国々が違っているのはわかりますが、それプラス、途上国に対する見方、先進国と途上国が違う、ということ。
それを含めていかないといけないと思っています。
司会/今の話ですが、そういう面もあると思います。
例えば、国際的な基準であるとか、権利条約という話になると、その違いの部分は、違いのまま残して、共通項というのも、まとめないと国際的に何かをやろう、というときには動かないのかなと。
それは、女性差別撤廃条約のときも、こどもの権利条約の時も同じでした。
国際的に何か大きな柱をたてて動いていこうというときには、その共通項を探す必要も一方ではあるのかなと。
質問:一般的に開発のことを考えたとき、地域の文化の尊重して開発していくときに、チェンバースの開発というのを日本でも取り入れていると思いますが、障害と開発を考えたときに、チェンバースの参加型開発というのが何か参考になるものがあれば。
チェンバースの参加型開発に関係するような、障害と開発に関する先行開発や、モデルなどがあれば。
もう一つ、先進国と途上国で話すときに、先進国の障害者が、優位になってしまうというのが強いのかな、と。
例えば、森さんがろう者なのでお聞きすると、ASLが、主の言語として仕切られるのか。
わからないので、現地の手話言語が尊重して進められていくのか、世界的な規約の場合は、ASLで話していくとか、何か基準があるのか。
これはわからないので、単純に質問ですが。
司会/今の質問に関連して、森さんも関係してますが、世界ろう連の中で、北欧の組織がアフリカの組織とパートナを築く。民間れべる、NGOの関係があると聞いていますが、そことDさんの質問に関連してお願いします。
森/まず、モデルがあるかどうかについて。
今、私自身、モデルがこれだということを発表することは出来ません。
モデルがあると、私が思ってないので、できません。しかし、今の状況をみた時に、先進国のリーダーシップや途上国を盛り上げていくようなことが、世界的にあると思います。しかし、北欧とアフリカ、北欧のみならず、ヨーロッパ全体とアフリカ、また、アフリカそ援助するろう者の組織、また日本ろうあ連盟、タイを援助しているような デンマークのろう者組織を援助していく形をとっています。やり方は、各国まちまちです。
ヨーロッパを見ると、基本的に2つ。まず、資金援助。経済的な援助だけです。
もうひとつは、人的援助があります。ヨーロッパの場合は、アフリカだけではなく、カンボジアの場合、人的援助だけをしています。資金援助と人的援助をしているのは、アメリカです。タイとベトナム、カンボジア、その3カ国に人的援助と資金援助をしています。しかし、全体的に同じ面は、地域にいるろう者団体の活動をもり立てるという意味では、活動はふえています。
しかし、フィリピンの場合も、イギリスのVSO、日本の青年海外協力隊と同じような組織ですが、そこから、ろう者を一人派遣して、フィリピンに2〜3年くらい滞在し、活動をするのですが。
フィリピンのろう者団体の全国的組織を立てたばかりの弱い立場で、中身もまだ決まっていない状況で、政府に強く要求する運動など、まだまだ難しいです。一般的なろう者も、それに興味をもたない活動状況です。
興味を持たせるためには、スポーツとか、それに興味を持たせ、フィリピンのろうのスポーツ協会をたてるために、一所懸命活動しているというVSOという組織があります。
ろう者のVSOから2人派遣し、ろうの団体の活動をもり立てるために、一人1年、もう一人は、2年くらい行き、援助します。
まだまだその活動は、始めたばかりです。フィリピンのろう体育協会もVSOの彼が帰った後2年後、その組織は危ない状況になっています。人的援助と資金援助は、むずかしい状況です。
アフリカでは、ヨーロッパから経済援助を切っている状況がふえているようです。
世界ろうあ連盟もフィンランド政府から以前、資金援助がありましたが、それを切って、非常に経済的に苦しい状況にあります。
フィンランド政府も、アフリカへの資金援助を切っています。経済的な面、いつ援助が終わるのかが、見えない面もあります。
障害者関係だけではないですが、これは良いというモデルを障害者関係でいえは、CBRが説明しているだけです。
しかし、CBRにも問題があります。この雑誌の中で久野さんの論文に、別に書いてありますね。モデルと言われると、みんな一緒にやっていく方法は、今は合わないとは思います。
司会/今のDさんの2点目の質問は、ODAであれ、NGOであれ、援助という形を通じて、支配的な欧米モデルが、さらに拡大される現象がなかったか、という質問でした。その点について、もう一度。
森/今までの?
補聴器の話を先ほどしましたが、今もその補聴器が続き、援助している。
補聴器の援助を、先進国のやり方で、そのまま後進国に当てはめると、受ける人は、うれしいですが、補聴器や口話法がありますから。経済的に苦しくて、手話法を教えていましたが、補聴器をもらうことにより、口話法を広める所もあります。
先進国のヘタなコピーというか、そういう状況が増えています。
司会/そうすると、ODA、NGOなど、援助が止まったほうが、かえって望ましい場合もあると考えたほうがいいでしょうか。
森/全体的な援助を停止させるということは、よくないことだと思います。
援助は誰がするのか、どうやってするのかを、それをきちっと確認した方がいいですね。
例えば、手前味噌になりますが、今のフィリピンでは、フィリピンのろう者団体と、フィリピンの中での言語研究者、博士と一緒に活動して、手話の本を作っています。
作っているというか、プロジェクトを進行中です。
今まで、フィリピンの中で手話の本を、出したという例が1回だけあります。
しかも、その本は、フィリピン手話と、アメリカ手話が混ざった、混合言語というかたちで載っているんですね。
フィリピン手話についてのきちんとした説明がかかれていません。フィリピン手話の文法についても書かれていないんです。進行中の本については、きちっと、それが書かれています。
しかし、原稿を書いて、手話を写真で撮って、本を印刷するお金がないんです。
ですから、見通しがわからないので、出版会社に、この本を出したい、ということで要望を出しても断られてしまいます。内容はとてもいいのですが、出版をする機会がないんです。
出版費ですね。
ODAに関連づけて、または、NGOですね。
いろいろ組み合わせて、やっと出来るかな、と。
今年か来年あたり出版できるかなと思います。
フィリピン手話についての本を四で、聴者がその本を読んで、手話が理解できますよね。
社会的環境で、ろう者の見方が変わると思います。
いい影響は絶対に出ると思います。
フィリピンの場合は、援助もあればいいと思います。
要するに、一方的に援助をやめる、ということではないと思います。
その本の場合は、本を出した後に援助を切るという方法もあります。
センターを建てる、箱物みたいな援助と、人的援助の、中間型と考えてもいいと思います。
そういった本の場合は。
ですので、本については、今は、援助をした方がいいと思っています。
先ほど、Dさんから質問がありましたが、アメリカ手話のお話しがありました。
実際には、途上国、つまりアジア周辺の国では、ASLが非常に普及していまして、その影響が強いんです。
その背景としてアジアの国々は、1つ目に、裕福な家族のろう者の子どもの場合、大学に行くのは、アメリカのギャローデット大学ということになります。
ろう者の4年制大学があります。
世界にひとつだけです。
そこにアジア周辺の子供たちが行きます。
1部だけですが。1部のこどもだけ帰国して、アメリカから帰るということで、祝福されます。その国の中で、リーダーシップをとり、ろう者としてのモデルですね、ロールモデルを示すことができます。
ロールモデルは、ASLを使うことになりますので、その国内では、アメリカの手話が広まることになります。
アメリカの場合、海外青年協力隊のような、ものがありますが、2、30年くらい前からろう者を派遣していました。
現在では、派遣をしたときに、ろう者に対する自国文化を押し付けないでください、というような指導をしています。
その指導が足りない面もあったため、ろう者がアジアの国に援助にきた場合、その国の手話を、排除して、ASLで表現してしまう、という状況がありました。
その中でろう学校の先生を講師として呼んだときに、ASLを学んでしまう、という状況があります。
ろう学校の状況も考慮にいれ、そういう背景がある、ということでASLが普及してきました。
現在では、フィリピンでも、タイでも、ベトナムでも自国手話とアメリカ手話の違いが何か、ということに自分たちを見つめなおすことが増えていると思いますので、それは大変いいことだと思います。アメリカ手話を知っていることは大切ですが、自国文化に目覚めるということは、良いことだと思います。
日本国内と比べると、アジア周辺の、アジア諸国は、ASLを知っている人がかなりの人数います。
そのなかで、自国手話に関する誇りというか、大切さに気づいている人が増えているのはいいと思います。
アジアの中で、人口が最も多い国として中国がありますが、中国手話と、アメリカ手話は、全く別の言語で、ASLの文法や、影響もないです。中国の場合は。
実際、中国手話というのはないんですが。
司会/このテーマになると森さんは、あと数時間、お話になると思いますので、それはまた、個別に。ちなみに、ASLは、アメリカ手話の頭文字をとったものです。
関心のあるかたは、終わったあとに、じっくりと聞いていただければ。
「障害と開発」にまた戻りまして、Eさん。
質問:素朴な質問です。障害者健常者という概念は、途上国ではあるのですか?インドなどでは、片足のない人が道に立っています。えんえんと。それが聖人のようにあがめられます。
下半身がない人がいたり、ずっと逆立ちしている人がいたり。そういう人達、印度では果たして障害者と呼ばれるのか?それは近代化と深くかかわりがあると思います。近代化以前の日本でも、中世の日本の村落社会では、障害者の差別は、今の観点では差別だが、居場所が確保されていたとか。いじめられたり、バカにされたりしたかもしれないが、食いっぱぐれのないように一生面倒をみてもらっていた。ぼくは、詳しく文献を読んだ訳ではないが。
それはとてもよく分かります。恐らく発展途上の国、一概に障害者、健常者という概念。これも一種の欧米モデルだと思いますが、それに当てはめて援助すること自体が、いいのかどうか。ちゃぶ台をひっくり返すような話ですが、どうでしょうか?
森/以前、こちらの雑誌の87号の特集に書きましたが、障害者観は、国では様々。精神障害に関しては、障害という概念が無いという状況です。
日本でも、キツネツキということがありますが、精神障害に関しては、時々症状が出るだけで障害ではない、という考え方です。ろう者の場合、途上国では、ろうと、知恵遅れ(発達障害)の間の区別がありません。コミュニケーションが出来ない発達障害、それが知的障害、ということになる。発達障害という見方も、国によって様々な見方が出来る。
日本では、差別、いじめの面だけでなく、福子伝承という言葉があります。障害者の子どもが生まれた場合、いつかは幸せが来るということで、育てるのが大事。蛇と同じ。
有名な例ですが、豊臣秀吉が出世した時に、屏風にお祝いの絵があった。その絵に、障害者のような絵があります。目の見えない人、ろう者、など。
お祝いのときに障害者を排除しているような様子がない。障害者も一般の人も同じく、絵の中に書かれています。
そういう有名な絵があります。
日本もまた、途上国のような、障害者について何も考えなかったという面がありました。
能がありますね。能にも、ろう者が出る作品があります。室町時代の作品にあります。
現代、現在、そういうものは、珍しいと思われますが、何も考えずに書かれている時代がありました。
障害者を特別なものとは見ない、という考えがそこにあり、様々な考え方が国により、ありました。
乞食の場合、もう者や足の不自由な人のほうが、たくさん稼いでいたことが、ありました。
質問:障害者がいないで活動している団体は、リハビリテーション、医療の提供、車椅子や松葉杖をあげる活動が多い。そういう活動が多いのは、援助者側に障害者がいないのでは、と考え、開発援助者側に障害者が入れば、人権を訴える活動になるのではないかと考えてきたが、最近新聞で、障害者の当事者団体がアフガニスタンに車椅子をあげたという記事をみました。
補聴器の話に通じますが、先進国の物を途上国に持っていっても、うまく機能しない、壊れやすく、壊れても修理できないという問題があることは、あきらかだと思いますが、にもかかわらず、日本で車いすをつかっている方々が、国際協力として車椅子を持っていくということをしていました。
そこで、援助者側に障害者がいればいいということではない。
でも、いなくてもダメであるという、ということに陥ってしまったのですが、そのことについて、もし何かアドバイスとか、お考えをお聞かせいただければ。
質問:この論文集の、4ページの図に対して、今日、森さんの話を聞いて、開発と障害、という問題は、貧困と障害、という問題に、まず、ポイントとして考えられるのではないか、と思いました。
僕も、この問題について、いろいろと考えてきたのですが、この問題を考える場合に、この4ページのような、貧困と障害に、スパイラル、めぐりめぐるような状況から抜けられないようなことというのがありますよね。
それに対処する方法として、貧困に対して、例えば、ODAのようなお金の援助をする解決方法と、森さんが強調されるような、エンパワメントを、ポイントとした方法がある、ということが今日はっきりしてきました。
そこで、質問なんですが、貧困をポイントとしないで、エンパワメントということを中心に考えた場合、例えば、途上国と先進国ではそれをめぐる状況について、どのような違いがあるのか。
例えば、先ほどからいろいろ質問で出てきたように、途上国では、コミュニティーが崩壊していないために、障害者に対して理解があるから、エンパワメントのような活動が、CBRのような活動も、すすみやすいのではないか、とも考えられるし、エンパワメントでもコンピューターのようなことを考えた場合、お金も必要だから援助が必要かと思うし。
その辺のお考えもお聞かせいただければ。
質問:森さんの3ページの一番下の貧困アプローチの、限界と妥当性、多面的な貧困、ア・イ・ウ・エ・オとありますが、これは障害と重なる視点だと思います。
どこで貧困と障害、の違いが出せるのか。
私はそのとき来られませんでしたが、数年前にこの研究会で、城田さんが発表したとき、レジュメを読む限りでは、途上国では障害という軸は、貧困の軸の中に埋没しがちだ、という感じで発表されたと思っているのですが、ここでも、この貧困の定義を考えると、そうとう障害と重なっていると、思えるんです。
ところが他方、今の権利条約の議論の中で、日本政府は、明確に、権利ベースでの権利条約というのを支持する、というのを表明しました。
でも、日本政府の構図のなかでは、貧困と障害は別の問題なんだよ、と。
障害のディスアビリティ、社会的不利の部分を解決すれば、見えないこと、聞こえないことという、インペアメントは、社会的不利や貧困には結びつかない。
これはODAの義務化のようなかたちで縛られたくない、という、先進国の立場からの主張なのですが。
森さんとしては、5番の広義の貧困の定義と、障害の定義と、どこが違うのか、ポイントとして違う点はどことお考えか。
森/最初の質問、NGOの援助のときに、障害者がいないということですが、久野さんの論文では、1つ注意があるんです。
障害の種類はなんでもいい、ということではないんです。
障害を自分はもっているけど、あまりそれを考えていない、という方が入っただけの場合には、今と変わらない状況になります。
障害者が必要ということではなく、障害をもっていてなおかつ意識的な方と一緒にやっていくことが必要になるかと思います。障害をもっている人自身も現地にいける場合は、実際に見なければならないと思います。その方が現地の状況を目にやきつけて、自分の経験を、また、その場でいかせない、ということに気づくことが必要だと思います。
モデレーターという、コーディネーター役も必要です。
先進国と途上国の中立な人が必要だと思います。
一番いいのは障害を持っている人自身が現地に滞在することが必要だと思います。
1年や2年。
先進国の人が、現地に行くという経験とは違う経験ができると思います。
ケースバイケースで、コーディネーターというものが、必要だと思います。
モデレーターがいる状態が、今の障害援助に関しては、ないです。3日間、4日間、援助して帰国するというのでは、見えませんね。
次のご質問。エンパワメントの先進国、後進国の状況との比較です。
難しいテーマですね。
エンパワメントを進行させる場合、自分だけ解決することではありません。周りの人との環境整備ですね。自分だけで突っ走ると、環境が整いません。
先進国にあったエンパワメントの作り方、モデルはあります。
理解やエンパワメントを広めていくことが出来ると思います。
後進国の場合、周りの環境が整備されてないので、考え方が変わることは、めったにありません。
エンパワメントの予算の配慮もありませんし。
その中で近いのは、CBRというものですかね。自宅の周りの人達と一緒に変えていくことはできます。今は実践中という答えが、一番、良いでしょう。
あと、貧困の問題に障害を組み入れる、ということですが、援助関係者は、話せば分かってくれます。研究上でも、貧困と障害が関係ある、大事だと話せば、理解してもらえます。社会福祉の中に入れるより、貧困の中に障害を入れた方が、幅広くつかんでいきます。その為に今、私は戦略的に貧困と障害を関連づけて話をし、原稿を書きました。それだけで充分とは思いませんが、障害者は全員貧困というわけではない。ろう者の場合は、特に、以前、7月にフィリピンに行ったとき、お金持ちの息子がいました。
その息子さんは、自分のトヨタ製の車をもっていました。他のろう者も、ジプニーに乗ったり、電車に乗ったり。毎日電車に乗る状況ではないです。貧富の差はかなりあります。ただ、ろう者の場合には、それを気にせず、コミュニティーとして一緒に話している。貧困の問題は、全部解決できているとは、必ずしも言えません。
お金持ちの息子の場合、後進国では、制度面が足りない為の例です。
例えば、車の免許取得するとき、ろう者には認められていない。
しかし、その金持ちの息子が免許取れたのは、賄賂ですね。お金持ちだから、賄賂ができ、金回りがよければ、賄賂がとれる。貧富の差です。それを解決しないといけない。
障害の問題は、貧困と重なる部分は多々あると思います。
貧困を超えて、はみでるということです。
貧困の問題は、はみ出る、ということがあります。今は、援助関係者は、貧困と障害を関連づけて話したとき、障害に興味を持ってくれるその話に気づいてもらえるような戦略を、いい戦略をとって、今原稿を書いている所です。
司会/今日は長い間、ホットなテーマで、「障害と開発」で、森さんありがとうございました。
■当日配布のレジュメ 「障害と開発」
日本貿易振興会アジア経済研究所 森 壮也
A.新しいテーマとしての「障害と開発」
1. 広義には「開発途上国の障害者のこと」、狭義には「途上国の発展と障害との関わり」
@ 開発途上国にも先進国と同様に障害者はいる…
世界中、どこにでも障害者はいるが、共通する問題と異なる問題を区別する必要性
特に各国の歴史、地域性
A 開発途上国は、「かつての先進国」か
先進国の障害者施策・運動の経験を応用することの限界と先進国の失敗を繰り返さないこと(「環境問題」や「女性問題」といった先行イシューから学ぶもの)
B 今、先進国と開発途上国とが共存している世界の状況
持てるものと持たざるものの間の関係とその中で生じる政治性と障害
2. Coleridgeの"Disability, Liberation and Development"(1993)(中西訳、1999年)
@ 開発の世界ではすでに過去のものとなった「慈善」が「障害と開発」の分野ではまだ残っている〜「慈善」から「エンパワメント 」へ
「慈善は開発過程の一部ではないので、障害者は慈善から利益を得なかったのです。慈善は、国家の社会・経済発展の一部ではありません。障害者は権利を持つ一般市民のように取り扱われることを望んでいます。」
(Joshua Malinga)
A 多くの途上国では、障害は問題ではあっても、優先事項とは考えられていない
Ex. 「多数の子供がいずれにしても下痢のような原因で一歳の誕生日を迎える前に死ぬとき、障害は優先事項ではない。まず幼児の死亡率を低下させてから、次に我々は障害のような事柄について考えることができる」
B 「障害と開発」は「慈善」から「社会福祉」の分野に入れられたところで本質的な解決にはつながらない〜There shouldn't be anything about us without us、「参加」あるいは政策決定過程関与問題
1) 現代リハビリテーションの三分類
(ア) 施設型 〜 高コスト、隔離型、社会復帰の困難、限定された人数
(イ) CBR〜脱施設化、脱専門化、家族と地域社会の関わり、分権的
(ウ) 近隣センター〜地域障害委員会による運営、低コスト、小規模
2) 政府は、障害者を慈善団体の責任、もしくは政府の責任と考えているのか?
(ア) 「政府の重要な役割は、障害者が他のすべての人のように市民として自分たちの権利を要求し、法律上の枠組みを作ること」(Amer Mukaram)
C 「障害は私たちすべてに関係する問題である。それはただ、もしくは大半の場合においてすら貧困に結びついているのではない」
1) 豊かさと障害の発生年齢の違い:開発途上国の障害は、生産年齢で発生することが多い一方で、先進国の障害は高齢者世代で発生する傾向が相対的に高い
インタビューに見るいくつかの「障害と開発」を巡る重要な政治経済学的難問(Aporia )
(ア) 障害関連事業は、専門省庁にゆだねた方がいいのか?それともすべての省庁でやられるべきか?〜予算が限られている状況の中ではどちらが好ましい選択か?あるいはどちらでもよいのか?
(イ) 開発行政が「特別なニーズ」に対応することは、「事態を複雑にする」から避けられるべきか?〜「特別なニーズ」の社会構築的性格
(ウ) 未開発と貧困がそこの人々の開発の理解度を限定してしまうことによる貧困と開発の撲滅へのステップの障害になっているという側面は、「開発と障害」の問題でも免れ得ない
@ 障害者自身の全国組織と支部間の連携の弱さ
A 障害者の権利要求にも補助金が必要なのにも関わらず社会や政策決定者の間に存在する障害者問題への無関心
(エ) 障害者団体が存在するためには要求の相手先である政府あるいは担当部局が必要であるが、それが存在しなかったり、弱小だったりする場合にはどうしたら良いのか?UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)のような代理政府にどこまでできるのか?(難民の障害者)
3. 世界の援助機関のイシューになってきた「障害と開発」
@ 世界の全人口の10%は障害者(WHO)
1) 10%という数字は各所で引用されているが、統計不備の問題もあり、実態は不明
貧困者の5人にひとりは障害者(世銀)〜Aとの関わり
2) 8割が開発途上国に居住しているという数字もある
A 障害と貧困
1) 開発援助機関のほとんどで障害は貧困問題のひとつとして扱われている
2) 障害⇒低い教育しか受けられないリスク⇒低い所得レベルに追い込まれるリスク
3) 障害のみが貧困リスクを高めるわけではないが、障害は貧困リスクを確実に高める
B 障害者関連の援助のあり方の再検討
1) 先進国から輸入された技術やシステムによるもの、リハビリテーション型、教育型、隔離型雇用プログラム・タイプでは高コスト⇒広がらない、先進国と同じような隔離の問題
2) 「障害の予防」、「障害の社会モデル・ベース」、CBRが基本要素
3) セイフティ・ネットワーク の整備としての障害者施策
C 障害観の変化
1) 従来型障害観
(ア) 障害者のニーズは「特別」である⇒「周縁化」
(イ) 障害者をいかにマジョリティ社会の要求に合わせるか
(ウ) 技術的・医療的解決策を求める方向
2) 新しい障害観としての「社会モデル」
(ア) 社会そのものに障害者への接近を求める
(イ) 障害は、当事者の問題というよりは、社会と当事者との関係性の問題
(ウ) エンパワメントを通じての障害者の社会参加の促進
3) ICIDHからICFへ
(ア) ICIDH:身体機能の障害による生活機能の障害(社会的不利)を分類
(イ) ICF:環境因子という要因、また障害者自身の日常の普通の生活の視点
D 貧困アプローチの妥当性と限界
1) 多面的な貧困(広義の貧困)〜『世界開発報告2000/2001』
(ア) 所得が低いこと
(イ) 機会が十分でないこと
(ウ) ケイパビリティ が低い、またはないこと
(エ) 諸リスクを支える保障基盤が低レベルなこと
(オ) エンパワメントが必要な状況
2) 一方で、障害は「貧困」のサブ項目にすらなっていない
農村・都市部の貧困、保健・栄養・教育等に埋没?
ベースとなる文献・研究の不足ゆえか?
3) 開発途上国、先進国のそれぞれの障害関係者だけの議論で良いのか?
農村部でのユニバーサル・デザイン?
小規模組織支援の議論やマイクロ・ファイナンスの議論の不在
〜開発専門家あるいは経済開発専門家の不在
B.現在の関心と問題
1. Twin-Track Approach(久野)
(ア) 「開発の取り組み全体に障害の視点を反映することによって開発における障害(者)のメインストリーミング・インクルージョンを行うことと、障害当事者のエンパワメントを行うことの二つの取り組みを並行して行うアプローチ・枠組み」
(イ) 「開発」において「障害」について取り組むための、具体的な取り組みの枠組み
@ 基礎的なフレームワーク=ケイパビリティ・アプローチ(A.セン)
A 障害分野の取り組みの目標
保護や機能回復にではなく、機会の均等化とエンパワメント、自立支援へ
B 目標の転換の方法
1. 回復のためのリハビリテーション・アプローチから包括的な生活支援のアプローチへ
2. 障害者を他動的な受益者としてのみとらえるアプローチから参加型インクルージョン・アプローチへ
3. 分野・セクターごとの縦割りのアプローチから分析・統合的なアプローチへ
2. BMFや権利条約にみる南北問題回避姿勢について
(ア) 各国の福祉枠組みの中で解決・回答・調整可能な範囲にとどめようとする政府代表
(イ) 障害分野でも援助を引き出そうとする南側とそれを忌避しようとする北側
(ウ) NGOと小国代表との協調行動ゲーム
UP:20030925
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森壮也
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障害学
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障害学研究会関東部会
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全文掲載
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