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リハビリ再考――「がんばり」への呪縛とそのOUTCOME

古井透(神戸大学大学院医学系研究科博士課程・理学療法士)、c
障害学研究会関西部会第19回研究会
共催:科学研究費補助金「生命科学/技術の公共性と生活者の利益をめぐる諸問題の歴史的・社会的・倫理的研究 」(研究代表者・松原洋子・立命館大学教授)
2003年8月29日(金) 午後1時40分〜5時10分 於:キャンパスプラザ京都 第3会議室
記録:土屋貴志



●自己紹介 13:40-14:10

●古井正代さんのお話 14:10-14:35
 私は「六体不満足」。脳性マヒは赤ちゃんの時に脳の細胞が死んでいます。
 子供が三人いて、瀬山さんと同じ高校を出ていることがわかって、瀬山さんとの付き合い始まる。
 関西青い芝の会を作ったのは自分で、壊したのも自分。当時は養護学校はなくて普通の学校に通っていた。たまたま「さようならCP」の上映会に出て行って、グループ・リボンとかできて盛り上がったときに、東京の青い芝の会の人が「関西にも作ってくれんか」ということで作った。川崎でバス止めたのも私です。先日アトランタに行ったら、米国でも日本のバス闘争が有名になっていて、米国でもバス止めて大きな動きになったということで「日本はその後どうなった?」と聞かれて「すんません」と。英語しゃべれないから反論できなかった。米国は軍事国家だから傷痍軍人対策として障害者施策がある。これに対して日本では、むかし街頭にもいた傷痍軍人は見向きもされなかった。事情が違う。
 青い芝関西では、九州、広島とか、全国に作ろうとして行った。関東青い芝は自分たちで生活できる人が多かったが、関西は介護があって初めて外に出られるという人も多くて、グループ・ゴリラを作った。介護組織を作らなければということで作ったが、健常者の組織が障害者を脅かすようになって、関西の青い芝をつぶした。でも何がよかったかというと、CPとして生きる、脳性マヒで何が悪い、脳が死んでるもんが堂々と生きて何が悪い、という精神が、それ以来ずっとあること。
 子供三人作って、当時は長田に住んでいた。長田は部落と朝鮮人が一番多くて、住まいも長屋建になっていた。子供三人は年子三人だが、みんな一緒くたになって育ててくれて大きくなった。脳が死んでるので子供に勉強せいと言ったこともない。透さんは、一番下の子が保育園に入ったときに手が空いたので神戸大に・・・(不明)。
 家事は子供ら三人でしていた。一番下の息子は中学に入ったときに、透さんの父が脳梗塞で倒れて、息子が「介護入ったる」と言って病院や老人ホームでおしめ替えしていた。そのあと東京で脳性マヒの人の介護に入っている。一番上の息子は米国の大学に行っている。真ん中の息子はコンピュータ会社を作っている。
 中学校とかに講演に行って「脳が死んでるおばちゃん来まして」と話をすると、生徒は寝たりしないで、目を輝かせて聞いている。
 以上、自己紹介終わりです。

●古井透さんのお話 14:35-15:25
 という正代さんの下で24時間研修させて頂いています。
 二次障害については昭和62年にすでに調査やっている。英文論文にもなっている。本人プライバシー丸出しの話なのに、ほとんどの人は拒否しない。彼らにとって深刻なことだから。
 脳性マヒの人に対するリハビリの試みが間違っていたのは、進行しない・発達期のものだ、と考えていた点。たしかにダメージは広がらないとしても、それ以降の生きる道筋は健常者と同じではないのに、そう考えられていなかった。脳性マヒ者が大人になり、やがて老人になっていくとを考えていなかった。
 イタリアの論文で「歩行に目的をおくのはまちがい」と言っているのがある。13人のうちの2人までが不適切な手術(incorrect surgery)のために歩けなくなっている、という。賠償したかどうか言及はないが。
 某県立リハセンターで「ごめんね、君もう歩けないよ」と言ったという。手術をやりすぎたということ。彼女は三つの病院で手術を受けて膝が伸びなくなって杖歩行ができなくなった。骨盤が少し歪んだ影響も大きい。
 むかし40才の人が某県立医大病院で、12-3才のときに歩けるようにさせようと脳手術を受けさせられた。東大とかでもやっていた。試行錯誤。養護学校教諭やセラピストが勧めた。
 さまざまな手術が機能を奪う。有害な治療。でも、きまって「今よりもよくなります」という。立てる、歩けるが殺し文句。
 就学のことが大きかった。いま40-50才の人たちの当時は、養護学校に親が付いていかなければ入れてくれなかった。6才までに歩かせておかないと学校へは行けない。だから立つことに非常にこだわった。
 大阪府S市の方の場合、大阪某センターに通った。立たそうとさせられた。立つための装具まで作って家を持って帰らされた。血まみれになり、吐血までするが、3か月間続ける。親御さんは線路に飛び込もうかとまで思いつめていて、本人も親の期待に応えようとしたが、最後は結局止めた。それでも学校へ行けない。過大なincorrect excerciseをしている。四肢マヒの人に腹筋とか。
 ある人は、板橋養育センターから慶大病院へ行って入院した。おそらくグルタミン酸ソーダ?を多量に飲まされた。
 矯正手術のこと。ギプスで固定したりする。小学校低学年で痛い記憶が残り、全部トラウマになって、後に首が痛くなっても病院へ行かなくなる。それでいて長期成績はよくない。よくなった例はない。
 医師は5年くらいしか見ていない。そもそも、感染症から人類を救ったのは近代医学ではない。生活の変化が感染症に影響しただけ。1−2か月、3−4年見ただけでは効果は言えないはずで、一生見なければダメ。歩けなくなったときに、自分をどう思うかをみると、歩けていた人のほうが不幸になっているという調査結果がある。歩くようになるまでに注ぎ込まれた努力・しんどさに比例して落ち込みが大きい。歩く歩かない、治る治らないが、非常に大きな問題になってしまっている。
 でも、たとえ歩けてもたかが5-15年でしかない。車椅子を併用してよいのではないか。楽をしてよい。圧倒的に多くの人たちが、歩けているときから電動車椅子に乗っている。現行制度ではできないことになっているが。階段上れても、走れても、電動車椅子乗ったほうがいい人がたくさんいる。健常者でも、車やバスに乗って楽しておいて、ジムに通ってマシンの上で走るという矛盾がある。CP者も同じでよい。
 就学時が、立たせたい、歩かせたい、のピーク。推進役は母親。障害児を産んだのは母親のせい、という圧力もある。当事者は、鮮明に覚えているか、語らないかのどちらかになる。確定診断の時期もバラバラで、早い人で2才、遅い人は8才。就職してから気づいた、という人もいる。脳性マヒであることが、重かったり避けられていた時代でもあった。
 理学療法士になるずっと前、正代さんと出会った頃、S市で知り合いの人が亡くなったときに、お母さんが「この子は死んで医学標本になることでやっと社会の役に立てた」とおっしゃった。当時、ピカピカのセンターで、定期検診が患者を捜す手立てになっていた。拒否するのが難しかった。
 就学猶予・免除になった人たちも多かった。そういう人たちも、治りたくて、センターに入院して手術・リハビリを受けた人もいた。膝が伸びたが、曲がらなくなってしまっている。一人一人お話を聞いていくと、少しでも動けて、一人前になるためには仕事をして、ということが強く勧められていた時代。しかし、仕事をして「生理学的燃え尽き」が起こった人もいる。健常者に近づこう、負けまい、とする、障害者サークルの中でも軽度の人が頑張ってしまったりすることもある。介護しているときに自分がCPということを忘れて、無理することがうれしいのかも。健常者をモデルにして、そこに近づこう、伍して行こうとする。competitive。それで燃え尽きる。
 疲労と脳性マヒについて。軽いと思っているCPの人は非常に疲労がたまっているという300人くらいを対象とした調査結果がある。
 身体的燃え尽きのきっかけは、仕事、軽度の配偶者が重い配偶者の介護、障害者スポーツなど。「がんばるのが障害者」と思わずに、健常者程度には怠けるべき。しかし実際にはそういうゆとりがない。
 正代さんがさっき言った「脳が死んでいる」という表現について。今の仕事に入る前に広島の田舎町で仕事をしていたが、CPで知的障害のない人の親は、ある人に向かって「ああでなくてよかった」という。障害の中に階層性がある。「脳が死んでいる」と正代さんがいうのは、それを突き抜けたいということ。
 身体は年が経つと変わる。背骨の形も自然に変化する。上昇して、ピークに達して、下降する、かまぼこ型。脳性マヒにも脳性マヒのかまぼこ型の変化があるはず。下っていくとどうなるかを身をもって示しているのが60-70才くらいの脳性マヒの人たちで、ある意味で警鐘を鳴らしてくれている。脳性マヒの人の二次障害にこだわっているのは、じつは自分自身のためかもしれない。彼らは医療に通うのが常になっていて、マッサージ・鍼をやっている人も多い。整形外科的な、骨・筋肉の痛みが多いが、それは身体にそぐわない状態を長い時間続けているため。体の状態がひどくなる前の手立てが必要。がんばらない習慣や態度、むしろ楽をして人をあごで使う態度を身につけていけば回避できる。
 福祉事務所まで歩いていって「俺には車椅子がいるんだ」といって取ってきた人もいるが、人的な支援も含めて、予防的な措置が必要。どれだけ楽をできるか、どれだけ楽しめるか、という日常生活のことを考えていくのがわれわれの責任。

●休憩 15:25-15:40

●質疑応答 15:40-17:10
(立岩=司会) 古井さんにはこのテーマで論文を書いてほしいとお願いしてある。こういうことは一般に知られない仕組みになっている。うまくいかなかった話は歴史の中に残らない。それなりにフォローアップの研究もあるということはわかったが、それも専門誌に載った論文なので一般には知られていない。病や障害を巡ってどんなことがなされてきたのか、その現代史を記録する意義があると思うし、それを公刊する必要があると考えている。そう昔のことではないのに忘れられていること、知らないことがとても多い。参加者の皆さんも古井さんにいろいろと聞いてみてほしい。
(北口) 今日の話はとても楽しく聞けた。意見だが、一般の方が私によく「がんばって下さい」と言うけれど、最近思うのは、障害者は生きていくこと自体ががんばっていることだから、これ以上がんばれっていわれても困る。健常者にとっては「がんばって下さい」という言葉しか思いつかないのかも。それと、私の友人に脳性マヒで歩いているひとがいるが、歩いていても足が痛くなったり疲れやすくなる。日本の障害者雇用は障害者でも健常者以上のことを求められるから、体を使いすぎるのでは。健常者は障害者のことをもっとよく聞いて、障害者が楽に働ける環境作りをしてほしい。私みたいな全面介護の障害者が社会参加の機会ができるように。
 ところで、古井さんは二次障害が起きたときに身体にメスを入れる入れるやり方が一番よいやり方だと思っていますか?
(古井透) 今回調査した頸椎症が出た人のなかに、まったく手術を受けていない人が3人いた。一般論だが、手術が勧められるときのインフォームド・コンセントの中に「何人手術して、何人成功したか」という情報を入れるべき。はっきりしておかないと後で泣きを見る。あと、入院の後に首を固定されるが、術部に負担がかかる。そういった術後管理の一番難しいところは解決できていない。術後固定が苦しい。それだけのリスクを冒しても再手術になることがある。
 日本では、フィットネスとかの論文はほとんどないのに、頸椎症の手術についての論文がやたらに多い。いかに医療サイド=手術にシフトしているかを考えれば不思議ではないかもしれないが、他のアシスティブ・テクノロジーを生かしていく方向は少ない。しかも、ほとんど短期しか見ていない。手術した人が40-50才になるということは考えていない。整形外科医に尋ねてみればわかる。結果責任に言及しつつ聞いてみるのがよい。固定されるとADLが落ちるというのに、CP者の言っていることを聞く看護師や医師は少ないから、明確に意思表示すべき。私は、はっきり言うと、手術はおすすめしません。できるだけ避けて下さい。鍼や気功もある。「どんな方法でもいいから体の緊張を取りましょう」と米国のガイドブックにも書いてある。
(立岩) 手術はどういうことをするの?
(古井透)「この手術は障害を100%取るものではなく、頸椎の圧迫を取り除く手術です」とか説明される。どうなるのか、と聞いたときには「うまくいかないこともある」「成功率50%です」とか言う。手術の内容は、頸椎を割って圧迫を取り除く(開放)か、動かなくする(固定)かのどちらか。
(古井正代) CPは頸椎がもともと細い。そこに無駄な動きがかかるので、骨がずれたり圧迫したりして、40才を越すとほとんどの人が痛みを起こす。
(古井透)「CTを撮ってみると前後径が優位に短い」と言っている研究もある。
(北口母) 息子ができるだけ楽をできるようにしてきた。車椅子に乗りっぱなしではつらいので、小・中・高校では畳一畳の休憩スペースを確保してもらってきた。大学では確保してくれなかったので、係の人に電動車椅子に乗ってみてもらって、やっと苦しさが伝わり、休憩場所を確保してくれた。障害者はがんばってしまう。他の障害学生の人の場合、下宿してがんばっていて、他の人に言えない、自分は軽い、という意識があるのか、だんだんやせてきた。がんばっているとかすばらしいとか思わないでほしいと言ってトラブルになったこともある。もちろん、歩けることのすごさは否定しないけれど。
 他の人にやってもらうよう要求を出したりするのは、経験を積んでいかないとできない。それなのに、養護学校などで、自分で一人でできるように教えられてしまう。「楽すればいい」と説得するのもエネルギーがいる。母親の教育が大切。日本では「人様に迷惑をかけない」というのは根強い。その反対のことを説得するのは難しい。
(古井透) 『PTジャーナル』に投稿して掲載されなかったことだが、厚生労働省では「子供には電動車椅子はダメ」といっているけれど、子供の時から電動車椅子に乗っていた方が積極性をもって生きるようになるので乗せたほうがいい、という論文がある。小さい子だからこそ、探索して自己イメージを作っていく頃から、豊かな移動イメージを作っていく方がよい。身辺自立か自己決定かの違い。
(山下) 私もCPの人の介助をしているが、二次障害に悩んでいる人が多い。頸椎手術を受けたときに病院について行って介護をしたが、その人が医師に言われたのは「現状維持50%、悪くなるかもしれない50%、さあどうする?」ということ。手術しないと確実に悪くなるよ、と言っているようなもの。看護師もCPの人を介護するのはいやがる。「医療現場の対応を考えると、手術は二度と受けたくない」と言っている。このことも考えなければいけないと思った。
 ところで、30数人の方にインタビューされたというのは、生活史を聞いたのか?(古井透:はい。)男女の比率とかは?男女差は?
(古井透) 男女比は女49:男51くらい。燃え尽きタイプは男性に多い。女性で燃えつきている人は、夫の介助(1人)。職業がらみが多い。インタビューした25人では、事務職は勤続年数が長いが、クリーニング工場とか鉄工所は短い(数ヶ月くらい)。立ちっぱなしの仕事だったりして体がバーンアウトする。6割方アテトーゼのある方だが、アテトーゼの方にだけ頸椎症が見られるわけではない。既婚16人、離婚2人、未婚7人で、こんなに既婚者が多い調査は他にないかもしれない。ただ、施設に入っている人には聞いていない。実際には、施設に収容している人が多い中で、頸椎の整形外科手術例の蓄積がなされている。
(堀) 二点ある。一点は手術とかの心理的問題について。自分は弱視の障害(眼球しんとう)で、6才のときに脳外科の手術を受けた。手術の時に非常にひどかった。無理矢理押さえつけられて受けさせられた。大人の障害者以上に、障害児の人権は護られていない。某医科大学で受けたが、動物実験が終わったと近所の人が沢山教えに来て、親がその気になって、手術へと追いやられていってしまった。「他の人と違う」と家庭の中で植え付けられた。学校へ行って、脳手術を受けたと言えない。差別されるから。とにかくこの手術の経験が非常にひどくて、自他への信頼が破壊された。でも手術には何の効果もなかった。数年後には「効果がないからやっていない」と言っていた。心理的危害が大きいことをしっかり見ておくべき。
 二点目はがんばりの問題。「がんばらなくていい」ということで、逆に消極的な生き方が求められてしまうこともある。「無理をしちゃいけない」と病者役割に押し込められる。消極的な生き方に追いやられた人も、かえって障害が重くなることがある。「がんばれ」も、「がんばるな」も、両方よけいなお世話。
(北口母) がんばりすぎたらあかんけど、がんばらなさすぎるのも、ちょっとしんどい。少ししんどいなと思うことをやるのがいい。加減が難しいが。
(古井透) がんばらないのが消極的な生き方というのもわかるが、単にがんばるとかんばらないとかいうことではなくて、人生を楽しむというスタンスが大事だということ。風を切る楽しみのように、過程を味わって楽しむために自分の体を使えばいい。 心理的問題については、傷になるというほかに、癖になるというのもやっかい。結構そういう人もいる。
(古井正代) 電動車椅子に乗っていると、後ろから呼びかけられてもくるっと振り向けなくて、本人でなく介護者に話しかけられてしまう。自分で生きられない。話しかけられた方に向くのは大事で、自己決定に関わる。いま母が電動車椅子に乗っているが、どんどん自己決定をしなくなってしまっている。むしろ自分が母を外に連れ出している。しんどいかもしれないけど、自分で決めることが生きることになるというのもある。
(古井透) 古井家では高齢者に自己決定の応用実験をしているんです。
(立岩) やがて明らかに効果がなかったとわかって、手術として流行らなくなることがあるが、流行らなくなるまでその治療法が使われてきたメカニズムというのが解明されないと、同じことが繰り返される。そういうことは沢山繰り返されてきたのに、どうしてそういうことになるのだろう?
(古井正代) 優生思想がある。
(立岩) 一言で言い切ってしまうとそういうことだと思うけれど、そこのところをもうすこし丁寧に言うとどういうことになっているんでしょう?
(古井透) 効くという証拠を作るんだという意気込みがあったかもしれない。だけど、受けさせられた人たちは苦しんでいる。思いつきでやられても困る。
(堀) アカデミズムの問題がある。自分は知能テストまでされた。治ること、できることがいい、という価値観がある、そこに追いやられてしまう。
(F) 近代医学は歯止めがなければ七三一部隊まで行くと考えている。だから大事なのは、その歯止めは何か、ということ。障害者が健常者よりも実験台にされるということには、健常者には説明することでも障害者には説明しなくていいという優生的な態度のほかに、本人がインフォームド・コンセントを与えるのではなくて親の代理同意で済ませてしまえるというメカニズムもあったりして、いろいろな要因が考えられる。
つきつめれば「善意」と「研究」がキーワードかもしれない。医師も、治してあげたい、楽にしてあげたいという善意が、ないわけではないだろう。でも、古井さんの話を聞いていると、CP者に行われているのは治療というより研究。医学は論文書いてなんぼの世界でもあり、治療ばかりでなく研究も大きな柱。それをわかっていれば、本人も周囲も、少しは手術へと乗せられにくくなれるかもしれない。
(立岩) 古井さんのお話だと既に実証的研究は出ているようだが、英語の専門的な論文だったりするから、そこはきちんと紹介していく必要があると思う。
(北口母) 手術へ向かっていくのは口コミが大きい。でも、歩けるようになると言われた人が非常に重度になったりして、診断は不確実。
(立岩) 何がよさそうだとか、とくに親の間で風評が飛び交う。誰から誰にどんなふうに伝わって、流行ったり、そしてすたれたりしたのかということがわかるとよいと思う。
(北口母) いまだに、何歳までも脳性マヒとわからなかった人がいたりする。しかも今はプライバシーという名目で、行政がわかっていても情報を出せないと言うこともあって、手探りでやっている。
(古井透):知っている情報を故意に伏せてしまっているところもある。いまの医学は統計学的集積が重んじられるから、できるだけ症例を集めようとする。
(北口母) いまの教育の中では障害児も早くからパソコンなどを使うようになっているし、スポーツを勧められていたりもするが、それに応えて一生懸命やっていったら、体がますます固まっていくということもあると思う。
(古井透) 障害者スポーツでもマラソンとかあるし、がんばる典型がスポーツ。スポーツか、医療か、と二極化している。
(立岩) 何かを得るとたいていは何かを失う。だから両者を天秤にかける必要があって、そういう発想自体があまりなくて、そして情報がなかった。だから情報をきちんと提供して、本人にと天秤にかけてもらえばよいとまずは言えるのだが、その天秤は社会が与えているものだったりする。そこにはあるのはひとことで言えば優生思想ということになるのだとしても、実際にはさまざまなアクター(役者)がいていろんなことを言ったり、言われることに振り回されたりする。その具体的な相を記述していく必要がある。それは障害学の仕事の一つといえるかもしれない。

(参加者29名)

■言及

◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社


UP:20030918 REV:20180904
脳性マヒ (Cerebral Palsy)  ◇障害学  ◇障害学研究会関西部会  ◇病者障害者運動史研究  ◇全文掲載
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