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日本学術会議「精神障害者との共生社会特別委員会」報告書
「精神障害者との共生社会の構築をめざして」を批判する

2003年7月6日
精神科医療懇話会



はじめに

 日本学術会議「精神障害者との共生社会特別委員会」の報告が、平成15年6月
24日に発表された。その報告書の「U 我が国の精神医学・医療・福祉の現状と
課題」の中には「3.いわゆる『触法精神障害者』への対策」という章が設けら
れており、司法と精神医学の関係の現状と今後の課題および「心神喪失等の状態
で重大な他害行為を行った者の医療および観察等に関する法」案(以下新法)の
評価が行われている。以下に述べるのは、この章の論述への批判である。他の部
分も多くの到底容認しえない論述に満ちているが、それらへの批判はそれぞれ適
切な論者が行うであろう。
 周知の様に、新法は精神科医療関係団体のうちでも評価が割れ、刑法学者の意
見も賛成から反対まで大きく分かれたものである。さらにこの新法の立法過程
は、第154国会上程、第155国会での修正案の提示・衆議院での与党による強行採
決、それに次ぐ第156国会でも参議院審議は法務委員会理事会での通告さえ抜き
に強行採決が行われるという全く異例の経過をたどっている。
 報告書の「まえがき」には、「これは、学術の観点から、より長期的かつ俯瞰
的な提言を行うことによって当該問題の解決に向けて助力しようとするもので
あって、けっして立法活動に対峙する立場をとろうとするものではない。むしろ
法案成立後の施行過程においても参照され得るような意味を有する総合的、か
つ、より長期的な展望を包含し、日本学術会議でなければ出来ないような提言を
行おうとするものである」という高らかな宣言がなされている。ところが実際の
報告書の内容は、これまでの議論によって次々に明らかにされた司法と精神医学
の現状の問題点を深く検討することなく、新法に対して「対峙する」どころか、
拙速な一面的評価を行っていると言わざるを得ないものである。
 そして以下にみていくように、その事実認識のレベルにおいても論理構成のレ
ベルにおいても、残念ながら、日本学術会議なる団体の学術団体としての見識を
疑わせ、我が国の学術の発展を阻害しこそすれ、総合的長期的な展望を包含する
ようなものではないのである。


T.逐次的批判

(1)法律案とその修正の評価に関して (報告書「U 3.‐(5)」)
 報告は政府原案の紹介に引き続き、いわゆる「再犯予測」の可能性という点に
批判・議論が集中したことを述べている。そして本委員会のヒアリングで提出さ
れた「予測を誤る率が高く、不当に拘束されるおそれが高い」との意見や日弁連
の意見の紹介を行い、「そこで、入院決定の要件を・・・等の修正を加えた」
と、あたかもそのような意見が修正案に反映したかのように叙述している。
 しかし、修正案の文言は「同様の行為を行うことなく」社会復帰を推進すると
しており、「同様の行為の再発の防止を図」るとした「目的」については修正さ
れておらず、このための医療は司法関与を必要とするほど強制的なものとなる以
上、危険性の評価が実質的な再犯予測として必要とされることは、修正案でも変
わらない。このことは、2002年11月精神神経学会精神医療と法に関する委員会、
2003年5月精神神経学会シンポジウムで指摘されているが、それも検討されてい
ない。「学術の観点」からする報告である以上、これらの学術報告を検討するこ
とは当然の義務であろう。
 実は本報告も、再犯予測の問題が修正案でも存在している事実に気づいてい
る。報告書「U 3.‐(6) B」において「再犯のおそれ」の判断について言
及している箇所があるのである。しかし、そのことは、この箇所では忘却されて
いる。当該部分の記載については後述する。
 今一度、再犯予測について学術的観点からまとめておこう。まず、司法精神医
学に言う再犯予測ないしリスク評価が可能であるためには、@枠組(対象集団、
予測の期間、予測すべき結果)の明確化A予測法の決定(あるサンプルにおける
リスク因子の同定とその効果量の検討)Bサンプル集団と対象集団の相似と、両
集団での高いベースレート、の3点が前提となる。
 現実に進められたこの20年来の司法精神医学の研究からえられた予測法は、精
神病質をもっとも大きなリスク因子としたものであって、そうすることではじめ
て高いベースレートが得られるという前提のもとに開発されたものである。一方
新法の対象者には刑事責任能力上減免の対象にならないとされる精神病質者ない
し精神病質的傾向による犯罪は含まれないはずであって、現在の予測法は適用で
きない。また、このような予測法においても、試算上多数の偽陽性や不可避の偽
陰性が生じることが重大な問題として指摘されてきた。
 以上は既に中島直参考人(第154国会)、富田三樹生参考人(第155国会)が国
会審議で指摘したところであり、日本精神神経学会精神医療と法に関する委員会
報告「再犯予測について」2002年9月20日で触れられている。
 こうして、本報告書は、修正案につき、批判が反映されたものと言葉の上での
み評価して、今後新法における再犯予測やリスク評価のあり方に関わる問題点が
学術的にもしっかりと検討されねばならないことを、事前に糊塗することになっ
ている。学術というものは、言葉の上で検討するのみではなく、方法論を具体的
に確定させ、調査を行い、先行研究と比較した上で考察を加えるものであろう
が、再犯予測の具体的な枠組みを規定せず、また再犯予測の実態やそれへの批判
も検討せず、ただ文言上でのみ反映されたとする本報告書は、我が国の学術の発
展を阻害するものである。

(2)我が国で従来とられてきた措置入院による対応の問題点とその認識につい
て(報告書「U 3.‐(4) @〜C」)
@検察官の不起訴処理の問題
 本報告書は、検察官の不起訴処理につき、「不満が行為者、被害者の双方から
ある。」としてこれに配慮するかのような姿勢を見せる。しかし、「刑罰を求め
て起訴をするので、……検察官の判断で不起訴の措置がとられざるを得ない。」と
し、内容的な検討は全く行っていない。
 検察官の不起訴処理にあたって、鑑定が行われないものを多数含む上、起訴前
鑑定の実際の実施体制は各地でばらつき特定の医師に集中する場合も多いことな
ど、検察官による責任能力判断の過程が全く不明確であること、精神病質を無責
とする鑑定や判断も実際には行われていることが、平成13年以降精神科七者懇談
会によって具体的な数字をもって指摘され、学術報告としてまとめられている。
 それにもかかわらず本報告書では、わずか5行程度で、具体的な問題に対する
検討もなしに、一般論的に検察官の起訴便宜主義を述べて、不起訴処分をやむを
得ざるものと述べているに過ぎない。
 すなわち、報告書は、関連諸団体や学術団体が学術的にも指摘してきた司法と
精神医学の関係の現状について、「学術の観点から」の報告もないばかりか、何
ら実質的検討を行うことなく問題を隠蔽したのである。

A措置入院の現状等の問題
 報告書では、措置入院から退院後6ヶ月以内に他害行為を行ったものの割合を
強調する一方、他害行為を行ったものの長期措置も多数あり、措置入院運用上の
地域差が見られると述べているが、その意味が検討されていない。以下に日本学
術会議にかわって我々がその意味の検討をしてみよう。
1)措置入院後の他害行為に関する分析
 報告書は、措置入院から退院した者が他害行為に及んだ数を表示(表2)し、
退院後6ヶ月以内に他害行為を行った者の割合を強調している。その趣旨は必ず
しも明確でないが、本委員会の委員でもある岩井宜子は、法と精神医療学会シン
ポジウム(2003年)において、表2と同様のデータに基づいて、措置入院は短期
すぎる旨発言しており、おそらく本報告書も同様の主張をしているのであろう。
 しかし、この表の評価については多くの視点が考えられる。2点のみ指摘して
おこう。第一に、措置入院退院者全数から事件に至る割合を評価しなければ、措
置入院の事件防止に対する不十分さを結論付けることは出来ない。表2によれ
ば、退院後10年以上という長い期間をとっても、殺人・強盗・傷害・放火に至っ
た例が5年間で計103例となっており、年間3000件以上の措置入院退院者があるこ
とを考えれば、これは簡単に多いということはできない数である。少なくとも、
この割合をベースレートとするのであれば、再犯予測は科学的に成り立たないほ
ど低いレベルである。
 第二に、これは措置入院となった者がその退院後に殺人等の他害行為を行った
場合の数を調査したものであるが、最初の措置入院となった契機が新法に言う重
大な他害行為であった者の数は明らかにされていないので、仮に新法が「理想
的」に運用され100%再犯を予防したとしても、果たしてこのうちのどれだけ
が予防可能であるのかが不明なのである。
2)他害行為を行ったものの長期措置入院
 報告書は、山上の行った11年の追跡調査で、23.8%がいまだ入院中であっ
たとし、これを不当に長期の入院と考え批判の対象としているようである。しか
し、長期入院は、他害行為を行った者のみでなく、措置入院以外を含めた他の入
院形態でも20年以上入院が20%程度を占めるという精神科医療全体の問題であ
る。いわゆる触法精神障害者に特化した問題ではない。
3)一方、1)でみたように、入院期間が短すぎるという批判もある。すなわ
ち、論者やデータの解釈、発言の機会等によって入院期間の妥当性についての意
見は不一致なのである入院期間は本来医療判断に属することである。学術的な立
場から、その長短や妥当性を判断するには、期間のみではなく医療内容に関連す
るさらなる調査が必要である。それなしで長すぎる、あるいは短すぎるといった
評価を下すことはできないはずである。非学術的な態度でデータを検討するか
ら、1)2)のように趣旨の逆向きの評価を並べることになるのである。

B措置入院による対応しかない場合の不十分さについて
 報告書は、精神障害者による殺人等の被害者が親族である場合が多いこと、入
院中に行われたものが多いことを挙げ、措置入院のみの対応での不十分さを指摘
するが、その趣旨が明確ではない。精神障害者による殺人等の被害者は親族であ
る場合が多いことは事実であるが、これは措置入院以外に何か対応が必要である
ことをすぐに導くものではない。
 「措置入院による対応しかない場合、ふたたび、家族の責任において入院治療
を続けねばならないという事態が容易に生ずることになる。」という記載に至っ
ては意味不明である。言うまでもなく、措置入院は、都道府県知事によって行わ
れる入院である。また新法下の医療でも家族の負担がなくなってはおらず、家庭
から遠方への入院が強いられる可能性を考えれば却って負担が増える可能性もある。

C精神障害者の犯罪の発生率の低さについて
 報告書は、「精神障害者の犯罪の発生率が低い」のが、家族の適切な看護や精
神医療の適切な治療によるとしているが、これは不明な事柄であり、百歩譲って
も経験科学的に検証が必要な課題である。
 「精神障害者の犯罪の発生率」は1960年代半ばから殆ど変化が無い。コミュニ
ティケアは我が国ではまだ萌芽的であるとはいえ、事実として我が国でも20年来
10歳代から30歳代前半までの精神障害者の短期入院は、患者調査から明らかであ
る。また措置入院は短期化している。とすれば、「犯罪の発生率」は、精神科医
療そのものの変化に余り影響されていない現象である可能性がある。また、精神
障害者の触法行為の7割程度が初犯であることは、事件防止に精神科医療が果た
す役割が限定的とならざるを得ないということを示している。
 諸外国でもコミュニティケアの推進は犯罪率の増大を招いたといえないとする
報告が多い。
 本報告は、この節にいたるまで主として犯罪防止に関わる精神科医療の役割が
不十分であることを強調してきているのに、この節に至って、突如として何の根
拠もなく、精神科医療の対応が適切であったと言いはじめており、論旨が一貫し
ていない。

(3)「他害行為」を行った精神障害者に対する特別な対応策を行うことに対す
る論点(報告書「U 3.‐(6) @〜E」)
 ここでは新法に対する批判点を6点にまとめ、それに対する検討を行ってい
る。それらはすべて検討というよりも、批判点に対する反論となっているので、
それに対して再反論を行う。もっとも、報告書の内容は反論の体をなしていない
ものが多いのであるが。

@精神医療の改善こそ重要という論点
 報告書は、「時として起こる不幸な事件」は、医療や保護が適切になされてい
なかった状態で起こると断言している。しかし、これまでにも述べたように多く
の事件は初犯であり、医療や保護の適切さとは関係なく起こる。問題は、その後
の医療ではなく、医療と司法の関係にあるということが再三主張されているが、
本報告書はそのような意見をまったく無視している。また、新法に集約されるよ
うな特別な対応がなければならないことは全く示されていない。

A司法の関与は治安を優先させるという論点
 報告書は、入院判断への裁判官の関与を治安優先の発想であるとの批判に反対
し、人権への配慮であるとしている。しかし、現実に、国会審議では、司法関与
の必要性は、新法案の強制医療が人身の自由に制約干渉することに鑑みそれを正
当化するために求められていた。
 報告書では他法において裁判官が種々の任務を託されていることを司法関与の
正当化の論拠としているが、これらの関与の意味は、この新法で関与する意味と
は異なっている。量刑判断やDVケースでの判断は、それらの行為者は非難ないし
制裁の対象者であって新法とは性格が大きくことなる。少年法の場合には、審理
で事実関係を争うことができるが新法ではできない。そもそも家庭裁判所の決定
は裁判官一人に属するもので新法に定める合議制とは異なっている。
 すなわち、この部分の論議は、新法における精神科医と司法官の合議とそこで
の役割分担はどのような趣旨で行われるか不明であるとする批判に対する回答に
なっていない。

B触法精神障害者への特別な医療は存在しないという論点
1)報告書では「重大な他害行為を行った患者の場合、精神疾患の問題があると
同時にその行為を行ったという問題が併存しており」、そのために特別な医療が
必要だと主張されている。
 しかし、まず規範に従う能力の減殺が精神疾患に存することを前提で認めなが
ら、精神疾患と独立に行為を行った問題を特に抽出することは飛躍がある。しか
も、「行為を行ったという問題」を精神疾患の問題とは別に立てて、政府が言う
ような「暴力の自制能力向上のための」様々な特殊療法を行うということは、疾
患と独立して犯罪傾向を仮定しなければ無意味である。
 したがって日本学術会議の見解に従うならば、新法は精神病質者ないし精神病
質的傾向を暗黙裡に仮定していることになるのである。確かにこれは、再犯予測
の中核は精神病質であるという学問的合意に見合っている。つまり、日本学術会
議は、新法における精神病質ないし精神病質的傾向のあるものの包摂を正当と認
めていることになるとしか考えられない。
 しかしながら、精神病質は医学的疾患であることに疑義があり確立された治療
法はないことも既に報告されている。その点については報告書は検討考察を行っ
ていない。
2)また、この論点を考察した報告書の文章には、「入院決定の際の『再犯のお
それ』の判断は、危険でない者を除外するために判断されると考えられる」との
一文がある。この一文は、見逃しえない重要な問題を含んでいる。
 まず、報告書は修正案を前提に考察検討を行っているのであるから、この一文
によって、「入院決定」に修正案でも再犯のおそれが判断されることをはっきり
と日本学術会議の本委員会が認めているということである。再犯予測の困難の指
摘を受けて修正されたことに対して、報告書の前段では評価しているように装わ
れていたが、実際には再犯予測は可能であると本委員会は考えているのであり、
しかもその根拠を自ら明示せず、困難であるとの指摘を正面から検討したもので
もないことを自白しているのである。
 第二に「危険でない者を除外するために判断される」ということ自体が意味不
明である。危険でない者を除外すれば危険である者を除外しないことも同時に判
断されているはずであるからである。
 第三にこの表現が意味を持つならば以下のようになる。すなわち、予測を行え
ば、明らかに危険な者、危険性が明確でない者、明らかに危険でない者の3つの
グループに分かれるのであり、第三のグループ以外を新法案の処遇に置くという
ことである。これは結局、司法精神医学の枠組からすれば、偽陰性すなわち実際
には危険であるが拘禁されない者を極力少なくし、偽陽性すなわち実際には危険
性無く拘禁の必要ないのに拘禁される者を多くすることを意味する。
 この節にも、先行研究に関する具体的な考察を行わないという、本報告書の非
学術性がよく示されている。論理構成の破綻という意味でも、本報告書中の白眉
と言ってよいであろう。

Cラベリングの危険があるという論点、隔離優先か否かについて
 報告書は、本法案は対象者に対するラベリングであるとの批判に対し、「指定
医療機関の治療を確保することで一般の精神障害者が危険な目で見られることを
避けるメリットが生ずる」としている。
 まず「一般の精神障害者が危険な目で見られる」こと自体が既に問題であるの
に、その社会復帰も偏見の是正の措置も進んでいない。
 その上で指定医療機関が置かれ精神障害者に特別な暴力行為の防止のための医
療が必要ということになれば、精神障害者一般に対する偏見はむしろ強められる
可能性のほうが大きい。
 そして、「隔離優先の施設になるかは、設備・人員配置等の運用の問題であ
る」と述べているが、隔離優先となるかどうかは、何よりも合議体の審判結果に
よっている。新法の入院決定、通院への切り替え決定、通院の終了決定、再入院
の決定等重要な決定は全て合議体の決定によっており、設備・人員配置は副次的
な問題である。こうした結論は合議体の審判の責任性を曖昧にするmisleadingな
方向付けである。
 更に、現状では設備運用等については政府から示されていないから、「隔離優
先」となる危険を解消するにあたって、日本学術会議の「学術の観点から」する
本立論は無意味である。
 報告書はさらに、「処遇面も裁判所のチェックを受けさせることによって、高
度な医療体制の確保は可能であると思われる」と述べている。「裁判所のチェッ
ク」は合議体の審判のことであるが、審判は新法の医療を受けさせるか否かに関
わるものである。それは医療体制の確保に結びつくような内容を持っていない。
どこからこのような議論が出てくるのであろうか。

D不定期収容になるのではないかという論点
 報告書は、新法による収容が不定期なものとなるおそれがあるとの批判に対し
て、「現行の制度において・・他害行為がいまだ行われていない段階で、不定期
の措置入院制度が運用されている」という「反撃」を行っている。つまり、措置
入院ですでに不定期収容が行われているのだから、新法で「『再犯のおそれ』の
判断が不確定であるため、それが除去できたという確信がもてない以上、収容が
継続されるおそれがある」ことは問題でないという結論を導きたいのであろう。
だが、先に措置入院では不当に長期の入院が行われているといわんばかりの説明
がされたところであり、結局ここでの「反撃」は論旨が不明である。
 ここの部分の筆者の意見を推測すれば、他害行為がいまだ行われていない段階
で不定期の入院措置が行われているから、a)他害行為が現実に行われた対象者
に不定期の入院措置が行われることは不自然ではない。b)「再犯のおそれ」が
除去できたという確信がもてないで収容継続することは合理的であるという意味
であろうか。
 a)については、新法の医療の性格が刑事罰の代替であることを筆者が問わず
語りに物語っていることを示す。b)についてはBで触れたように偽陽性者の新法
下での長期拘禁を当然視するものである。
 この節の第2段落は「医師の見立て行為は、これからどうなるかの判断を含む
もので、精神症状の病状がどうなっていくのか、それと同時に行動はどうなるか
という変化の見通しを含むものだとする見解も示されている。どのような保護環
境におかれれば、穏やかな生活をなし得るのかという専門的知見であろう。その
ような観点から、入院の必要があるか、通院が確保されればいいのか、今の保護
状況で今後も大丈夫かの判断がなされればよい」のであって、「処遇判断
は、・・裁判官によって行われているのである」と書かれている。
 これも新法で「『再犯のおそれ』の判断が不確定であるため、それが除去でき
たという確信がもてない以上、収容が継続されるおそれがある。」ことは問題で
ないという結論を導くための説明として持ち出されている。
 新法評価にかかわるもっとも重要な部分であるので、再度詳述しよう。何より
も、今後の行動の見立て(特に触法行為の危険性)を行う場合に、司法精神医学
が発見したリスク因子は、精神病質的傾向を最大のものとして、婚姻状態、発病
前の暴力行動歴、犯罪歴、指標犯罪の種別、被害者の性別などのstatic factor
が主たる関与因子であって、環境因子などのdynamic factorは関与が少なく研究
が進んでいない。したがってこれらのstatic factorに基づく収容が新法の医療
の主たるものとならざるを得ないのである。
 報告書はここでも文言上の「検討」を行うのみにとどまっており、こうした司
法精神医学の知見や現状を認識し検討した形跡がない。これを非学術的と言わず
して何と言おうか。

E医療の迅速性と継続性が損なわれるという論点
 報告書は、新法においては医療の開始が遅れ、また医療機関が刻々と変わるこ
とにより継続的な医療が不可能になるという批判に対し、「重大な他害行為を
行った後に今までと同じ治療環境で治療すべきかは問題である。むしろ家族が被
害にあった場合等、家族にはもう手が負えない場合が多いのではないか。自分の
行った行為の自覚も治療の方法として、必要であろう。鑑定期間は、刑事責任の
判断に必要なのであり、従来から必要とされたものである」と述べられている。
 またしてもこの説明は、全く指摘への回答になっていない。むしろ治療の迅速
性も継続性も否定されて当然とされている。
 更に鑑定期間は刑事責任の判断に必要と言うに至っては、全く法律の構造さえ
誤解している。新法での鑑定は「再犯のおそれ」を軸にした新法での医療を受け
させる必要の有無の鑑定であって、責任能力に関する鑑定は新法の前提として終
了しているのである。新法においてもその手続きの開始に先行して責任能力の鑑
定が行われることはあり得るのである。指摘は、現行の鑑定(責任能力鑑定)の
上に更に新法の鑑定と審判が重なることで、より治療を遅れさせることにかかっ
ているのである。特に犯行と精神状態の関連が密接な急性精神病状態の治療は迅
速さを要するが、新法の構造がこれと背馳することが指摘されているのである。

(4)「専門的研究(モニタリング研究)」に関して(報告書「U 3.‐(7)」)
 仮に本法案が成立し施行されることとなった場合、その内容を検証するために
情報を出させ検討することが必要であることは言うまでもない。しかるに、報告
書は、「モニタリング研究は、単に私的な学問的関心からなされるものではな
く、あくまでもいわゆる『触法精神障害者』の処遇に資することを目的とするも
のである。したがって、その研究を委託するに当たっては、委託される研究機関
は公的なものであることを要し、国立またはこれに準ずる公的機関に限られるべ
きであろう。」とする。モニタリング研究が私的な関心のみに基づくものであっ
てはならないことは言うまでもないが、だからといって研究機関は「国立または
これに準ずる公的機関に限」るとするのは理由がない。
 本委員会の委員は、「国立またはこれに準ずる公的機関」以外で行われた学術
研究はすべて私的な関心によるものと主張するのであろうか。むしろこうした姿
勢は、きちんと検討されるべき指定入院医療機関・指定通院医療機関における実
践や合議体の審査を秘匿し、これらを密室のもとで行おうとするものである。行
われるべき学術研究につき、それを行う人を限定するというのは学術の中立性を
重んじる者の態度とは言えまい。
 ついでに付言すれば、報告書のU 2.(3)「司法精神医学の現状と問題
点」では、現状の司法精神医学は相互検討の場が少なく、新法による施設ができ
れば相互研鑽が可能となるとしているが、上記のような閉鎖的な姿勢からはこう
した点も望み薄であると言うべきであろう。

U 総括的批判

 現在の精神医療の現状の改革、検察官の責任能力判断と起訴前簡易鑑定の不十
分さ、矯正施設内の治療の充実の課題は精神医療関係団体が一致して求めたとこ
ろであるが、本報告書では触れられていないままとされている。それらに触れら
れない理由すらはっきりしない。このような無視が、果たして「学術の観点」に
ふさわしいのであろうか。
 また、本報告の作成には法律家委員も参加しているが、新法の法的性格や事実
認定等、日弁連の指摘した法的問題点への検討が殆どない。上述の再反論でも指
摘したように、法律の読み誤りすら放置されている。新法と保安処分との関係
は、刑法学者にとっては重大な問題に違いないと思われるが、それに対しても殆
ど言及されていない。
 さらに、Tに詳細に見てきたとおり、報告書はこれまでの議論のつみあげを学
術的観点に関してすら無視しており、司法精神医学における現在の知見を正確に
受け止めた上で検討を十分に行ったものとは言えない。論旨の不明確な叙述や
「説明」をはさみつつ、もっぱら新法の護教論的弁護に終始し、今後の検討課題
をも糊塗している作文としか言いようがない。
 これをもって我が国の学術の最高峰とすることは、悲劇を通り越してもはや喜
劇である。しかし、医療・医学は人間の一人一人に直接の影響を与えるものであ
るので、これを喜劇としてすますわけにはいかないであろう。
 なお、われわれは本批判に対する日本学術会議からの反論を期待している。


精神科医療懇話会

代表執筆者
  吉岡隆一(京大病院精神科)
  中島直(多摩あおば病院)
連絡先:
  高木俊介(ウエノ診療所)
    FAX:075−724−5521
    E-mail:shun-t@mbox.kyoto-inet.or.jp


UP:20030704
「心神喪失者医療観察法案」2003夏  ◇全文掲載
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