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エイズとともに生きる時代

林達雄(アフリカ日本協議会代表) 2003/07
『婦人之友』2003-07 http://www.fujinnotomo.co.jp/



 私がいま、尊敬する人がいるかと問われれば、何人かのエイズ感染者をあげるだろう。命を助けたい人がいるかと訊かれれば、アフリカのホスピスで無邪気に遊ぶ子供たちを真っ先にあげるだろう.…:

感染者は世界で4200万人

 ケニアのアスンタ・ワグナさんは一児の母だ。12年前、エイズに感染していることがわかり、家族から見放された。そのとき彼女は二つの道があると感じたという。その一つは、他の人にエイズを感染させ、自分が受けた仕打ちを多くの人に味あわわせること。もう一つは、自分が苦しみを受けたからこそ、他の人々がそうならぬよう努めることである。自分は二つ目の道を選んだと彼女は語る。
 ケニアで女性感染者グループを結成し、仲間たちの死をみとり、残された子供たちの世話を始めた。学校に出かけていって自らの体験を語り、予防教育を行っている。家族から、国から、職場からいかに差別を受けたか。なぜ今のような活動を始めたか。生きること、死ぬこと、人間の尊厳とは何かと、次世代に伝えている。アフリカのエイズ対策はアスンタさんのような女性たちによって担われているのだ。
 12歳になるアスンタさんの息子は、日本にいる同年代の私の甥と同じように、ゲームボーイに夢中になっている。彼女は自分の体験を話すとき、それがどんなに酷い仕打ちであっても淡々と静かに語る。しかし、息子が学校で差別を受けたことに話がおよぶと、涙がとまらなくなる。そんな母親たちが懸命に子供たちを育てている。そして、子供の将来を心配しながら息を引き取り、仲間たちに託す。そんなエイズ孤児が、10年後には一億人を超えるとも言われている。
 エイズは世代を超えた問題だ。働き盛りの父親、子育ての時期の母親の命を奪うため、孤児を生み出す。また、感染した母親から生まれた子供の3人に1人が感染し、そのうちの多くは中学校に入る前に死亡する。
 エイズは規模の大きな問題だ。これまでの死者が2000万人、現時点での感染者が4200万、そして年間500万人のペースで拡大している。単純には比較できないが、14世紀のペストの流行や、第二次世界大戦の総死傷者の規模を超えたとも言われる。これだけ大きな規模になると、政治、経済、社会、すべてにわたる課題である。しかし、解決不可能な問題ではない。過去20年間のエイズ対策の歴史の中で、ブラジル、タイなどのように感染者と死亡者の数を減らした国がある。これらの成功例をみれば、解決への道は明瞭なのだ。
 その一つは、あらゆる意味で「人を生かす」努力をすることである。感染させないで生かすこと。これを予防と呼ぶ。感染した人を生き延びさせること。これを治療と呼ぶ。感染した人、あるいは感染の危険がある人、その周囲にいる人を生活面、精神面で生かすこと。これをケアと呼ぶ。そして、感染したアスンタさんのような人を排除するのではなく、その声と活力を政策に生かし、エイズ対策の担い手にすることである。

世界が一つになって立ち向かう時

 1995年ごろを境に、薬が飲める先進国の感染者は生存が可能になった。その一方、多くの途上国では、今なお死を待つ状態が続いている。米国の経済戦略の一つとして特許制度が強められ、世界貿易機関(WTO)のルールにもなった。そうした特許制度の強化により、新薬の開発は促進したが、その恩恵を必要とする人に届けることを妨げたのである。従来、医薬品のように公共性の高い分野には特許はあまり適応されなかったのだが、公共性が高く、多くの人の生命を左右する分野だからこそ、儲け口として注目されたためである。その結果、薬の生産と輸出は一部の製薬企業によって独占され、新薬の値段は高値のまま据え置かれた。
 しかし、世界中の感染者とその友人たちの努力により、ルールはいま、改善の方向に向かいつつある。他の途上国に先駆けて、ブラジルではエイズ治療薬を国産化し、無料で感染者に届け、死亡者の数を半分に減らした。ルールを楯に圧力をかけてくる米国と戦い、国家財政が傾くことを恐れず、政策を断行した。感染者が同を動かしたのである。
 エイズ対策のもう一つの決め手は、地球規模に協力して立ち向かうことである。たとえばいま、SARSという肺炎が話題になっているが、グローバル化の時代を反映して、感染症は国境を越えて広がる。しかし一国ごとに行っていたのでは、貧しい国では十分な対策ができない。そこで、ブラジルが行ったことを、地球規模で実行する機関が2年前にできた。エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金(グローバルファンド、GFATM)である。先月、この基金の本部を訪ねたが、そこには感染者自身が理事やスタッフとして加わり、世界中の感染者たちの希望を実現しつつある。
 だが、この基金には必要なお金が集まっていない。米国を中心に先進国が孤立主義に向かっているからだと、基金の事務局長のフィーチャムさんは語った。感染症に限らず、平和、環境問題など、地球規模に力を合わせることによって初めて未来が開ける。そんな時代に、米国とともに日本は、一人よがりの方向に進みつつある。世界のGNPのうち14%をしめる日本の影響力は大きい。この国が「人を生かす」方向に動けば、世界の未来は明らかに変わる。
 最近、私自身は若者たちと性について語り合うことを楽しみにしている。それぞれの性の違いを知ることで、世界が広がるからだ。感染者の友人たちからはたくさんのことを学び、眼から鱗が落ちることも数多くある。希望とは、力を合わせて勝ち取るものなのだと信じている。


UP:20030614
林達雄  ◇HIV/AIDS 2003  ◇全文掲載
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