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「障害者問題を扱う人権啓発」再考

―「個人−社会モデル」「障害者役割」を手がかりとして―

松波 めぐみ
20030425
『部落解放研究』151号 http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/kiyou_idx.htm
社団法人 部落解放・人権研究所 http://blhrri.org/index.htm



   筆者の立場と問題意識

  どうしてこんなに断絶があるのだろう、というのが筆者の根本的な問題意識としてある。それは人権教育・啓発と、障害当事者運動の間の断絶だ。
  筆者は国際人権NGOで会員活動を続けるうちに人権教育に関心をもち、大学院に進んだ者である。一方で、地域で暮らす重度障害者の友人を通じて自立生活運動と接しており、また進学後の一九九九年に「障害学」という学問(後述)に出会って、障害者の世界に関わりを深めた。この四年間、障害種別も立場も考え方も多様な障害をもつ人たちと、生活介助、障害者運動、遊び、研究会等をとおして、多くの時間を共に過ごしてきた。
  人権教育と障害当事者運動の両方に関心をもつ者として、一貫して抱いてきた疑問がある。それは、「人権教育・啓発における障害者の描かれ方はどうしてこうも型通りなのか。なぜ当事者運動が築いてきた考え方や主張が反映されていないのか」という問いであった。
  障害者は必ずしも人権教育・啓発から排除されているわけではない。学校、社会教育において障害者自身が講師を務める例は増えている。豊かな交流や気づきが生まれる場合もあるだろう。しかしそれでも筆者は、現在の人権教育・啓発の多くは、障害者が現実に直面している差別を解消していく目的からも、共生社会を創り出す学習としても、有効でないと考えている。何が問題か、いかなる方向をめざすべきかを考えるのは、筆者の身にあまる作業である。だが、それを承知の上で「障害者問題を扱う人権啓発」(以下「障害者問題啓発」とする)(*1)を再考するための問題提起を試みたい。
  本稿で理論枠組みとするのは、障害当事者運動から生まれた「障害学」という学問領域であり、以下のような構成で検討を進める。一節でまず障害者問題啓発を規定する「筋書き」を捉え、二節では「障害学」と分析概念の説明を行う。そして三節で現行の障害者問題啓発の問題点を考察し、若干の提案を行う。

   一節 障害者問題啓発を規定する「筋書き」

 1 限定 
  本稿の目的は、「障害の個人モデル、社会モデル」「障害者役割」という概念を用いて人権教育・啓発を再考するための示唆を得ることであるが、現行の実践全体を概観・分析する余裕はない(包括的な調査を行えていないため、本稿は実証性に乏しいとの批判を受ける覚悟はある)。本稿では行政による啓発の事例を用いるが、これはあくまでも現行の啓発において支配的と思われる障害者像や「筋書き」を抽出するためであり、個々の実践や関係者を批判する意図はないことをお断りしておく。

 2 啓発における「筋書き」
  以下に挙げる事例は、近年の人権啓発行事のうち、筆者からみて典型的と思われ、かつ障害者自身が登場するものだ。専門家や親でなく障害者本人を講師とすること自体は、歓迎すべき動きであろう。以下にチラシ等における紹介文を抜き出す(カッコ内は実施年)。
  (a)講演会「盲ろうという障害を克服し、X大学の助教授に就任されたY先生をお迎えして、人として共にあることの大切さを学び、(後略)」(二〇〇二年)
  (b)トークショー「盲導犬啓発(ママ)に東奔西走の、好感度バッチリの好青年です。何でも『プラス思考』『実行する』明るい生き方は、勇気と感動を与えてくれるでしょう。」(二〇〇〇年)
  (c)講演『車椅子からの旅だち〜愛に支えられた第二の人生〜』「Zさんは、ミス・インターナショナル準日本代表に選ばれるが、交通事故に遭い車椅子生活となる。(略)現在は執筆・講演活動のほか、身障者の国体などに出場し好成績を収めている。『絶望』から『第二の人生』への軌跡は、胸を打たずにはおかない。」(一九九九年)

  ざっと眺めただけでも、共通する「筋書き」があることがわかる。それは「困難にめげず努力し、周囲の人に支えられ、活躍する人」の話を聞き、その人柄や生き方にふれ、何か大切なことを学ぶ――といったものだ。内容に幅はあるにせよ、障害者個人の「前向き」さは、啓発の必須事項であるし、その背景には周囲の人の支えがあったことが想像される。
  むろんこのような「筋書き」は、何も人権啓発に特有のものではない。啓発用の視聴覚教材、「障害者もの」と呼ばれるドラマやドキュメンタリー番組、書籍等においても、児童向け教材でも同様である(*2)。公に認められた「障害者(問題)の描き方」を人権啓発でも採用している、ということかもしれない。

 3 啓発の「筋書き」がもつ必然性と予定調和
  なぜこうした「筋書き」が支配的なのか。常識的に考えて障害者の語りが「明るい話」ばかりでは真実味がなく、逆に苦悩の話ばかりでは辛いものがある。苦労話はその克服のエピソードと併せて語ることが期待されており、それは障害者側も心得ている。また生い立ちを語れば、当然「協力的な家族、周囲」にも言及される。その結果、啓発における語りは、力点は他にあるにせよ、「周囲に助けられ、頑張った」という筋書きを持ちやすいと言えるだろう。
  おそらく啓発担当者は、参加者が障害者に親しみを感じ「偏見をなくす」ことや、温かい協力の話を通して「思いやりの大切さに気づく」ことを期待しているであろう。これらは一般的な「人権啓発の目的」にかなっていると考えられ、参加者の満足も得ることが期待できる。また、障害者側――決して多様な障害者を代表するものではいが――としては、人々の共感を得るのは嬉しいことだし、必要な手助け等について話すこともできるなら、自分達への理解が進むと期待できる。
  こう見ていくと「筋書き」には一定の必然性があり、関係者の思惑も調和しているようだ。だからこそ啓発という場が成立しているのであろうが、筆者はこうした予定調和的な啓発には構造的な問題があると考えている。その理由については後に、第三節で述べる。

   二節 「個人−社会モデル」と「障害者役割」斑

  第二節では障害学の性格について述べた後、第三節で分析に用いる「個人モデル、社会モデル」ならびに「障害者役割」という概念について解説する。

 1 障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは
  障害学は、例えば次のように定義される。「障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の『障害者すなわち医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育の対象』といった『枠』から障害、障害者を解放する試み」(*3)。わかりやすく言えば、従来は「○○を施す対象」として、健常者(専門家)の目から見た障害者研究がなされていたのに対し、今度は障害者自身の「障害をもって生きる経験や視点」を足がかりに、従来の障害研究を批判し、再構築しようというものだ。

 2 障害当事者運動の展開と障害学の誕生 
  障害学は障害当事者運動から生まれたため、運動の歴史を抜きには障害学の性質は語れない。今日「障害者」と呼ばれる条件をもつ人への差別は古くからあるが、障害者運動の出現は他の被差別者の場合よりも遅かった。どの社会でも障害者は長い間、物理的にも意識の面でも主流社会から隔絶され、教育機会も保障されてこなかった。さらに障害者への偏見や哀れみの視線は、障害者が自由に交流し行動することを困難にしてきた。
  今日につながる障害当事者運動は、公民権運動や女性解放運動が生起していた一九七〇年頃に遡る。この頃、米国の自立生活運動や日本の脳性マヒ者による「青い芝の会」等、障害者自身が主役となる新しい型の障害者運動が生まれた。これらの運動は障害者へのスティグマ(烙印)を拒否し、保護の名のもとに障害者が社会から排除されていたことを批判し、重度障害者が地域で暮らす実践を進めた。その後の各国の福祉政策の一定の進展や、一九九〇年のADA(障害をもつアメリカ人法)制定等の裏には、強力な障害当事者運動があった。
  障害学の誕生も一九七〇年代である。英国の当事者団体であるUPIAS(反隔離身体障害者連盟)は「障害者に配慮しない社会環境を変えれば『障害』は取り除かれる」と主張した。自らも障害者であるヴィク・フィンケルシュタインが運動の主張を理論化し、一九七五年に大学でコースを開講したのが障害学の源流とされている。以降、当事者運動の進展とともに障害学の理論化と制度化が進み(*4)、国際的にも広がった。
  日本には一九七〇年代以来の障害当事者運動の蓄積があり、近年、障害学への関心は高まっている(*5)。

 3 「個人モデル」と「社会モデル」 

 □現実の捉え方を規定する「モデル」
  障害学の基本的な考え方を「障害の社会モデル」という。ここでいう「モデル」とは、現実をどう見るかを規定するパラダイムだ。「社会モデル」とは、既存の障害観を「個人モデル」と名づけて批判し、それに代わる概念として提起されたものである。
  「個人モデル」とは、障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、克服するのはその人(と家族)の責任だとする考え方である(*6)。それに対して「社会モデル」は、「社会こそが『障害(障壁)』をつくっており、それを取り除くのは社会の責務だ」と主張する。人間社会には身体や脳機能に損傷をもつ多様な人々がいるにもかかわらず、社会は少数者の存在やニーズを無視して成立している。学校や職場、街のつくり、慣習や制度、文化、情報など、どれをとっても健常者を基準にしたものであり、そうした社会のあり方こそが障害者に不利を強いている――と考えるのが「社会モデル」である。「障害があるから不便」なのではなく、「障害とともに生きることを拒否する社会であるから不便」なのだ、と発想の転換を促すのである。

 □なぜ社会モデルか
  社会モデルは、一見さほど革新的な概念には見えない。社会に問題があるのは当然であり、今日よく聞かれる「バリアフリー」や「ノーマライゼーション」とどこが違うのか、と思われるかもしれない。だが「バリアフリー」という言葉の氾濫に比べて、多様な障害者にとって何がどう「バリア(障壁)」なのかに関心が高まっているだろうか。スロープのようなわかりやすいシンボルは別として、多くの障害者にとって切実なバリアは残ったままであるし、その理由も問われてはいない。また「ノーマライゼーション」のかけ声の一方で、なぜアブノーマルな生活を障害者が強いられてきたのかは必ずしも意識されていない。確かに「バリアフリー」や「ノーマライゼーション」は、社会モデルと重なる部分を持つが、そうでない部分もある。これらの概念は、現行社会の構成原理そのものを問うよりは、部分的改良で対処することを可とするものであるし、何より、社会モデルのように社会の全体像を捉えようとするものではないのだ。
  社会モデルはものの捉え方を変える。例として「ろう者が講座に出たいが手話通訳がない」という状況を考えてみよう。「耳が聞こえないから参加できない」と考えるのが個人モデルであり、その場合、手話通訳の用意は「例外的、恩恵的な特別措置」となる。だが社会モデルではそもそも主催者が多様な参加者を想定していないことが問題なのだから、手話通訳は「本来、用意すべきこと」であり、ろう者が主催者にそれを求めるのは当然の権利だ。主張しづらいのが現実だが、「たった一人のために予算を使えない」といった多数派の論理に抵抗し、権利を求める根拠となるのが社会モデルなのである。

 □社会モデルは別名「人権モデル」
  社会モデルは「人権モデル」と言いかえられるほど、人権と親和性が高い概念である(*7)。当事者運動の過程で血肉化された社会モデルの考え方は、個々の障害者が直面する問題を、徹底して社会の文脈で捉える思想であり、運動における武器でもあった。駅の改良にせよ、教育や就労をめぐる闘いにせよ、個人の努力や周囲の支援に頼るのではなく、社会の側の責任として解決すべきだと運動は主張してきたし、その認識を社会一般に広めようともしてきた。「社会モデル」という言葉を使わなくとも、日本で行われてきた障害当事者運動は社会モデルの視点を含んできた。障害者問題を人権の視点から捉えるならば、社会モデルは不可欠の視点なのである。

 4 「障害者役割」という鏡
  社会モデルが問う「社会のあり方」には、価値観や関係性のあり方も含まれている。ここでは特に「障害者役割」という概念を紹介したい。なぜならこれは、日本社会における障害者観や、障害者―健常者関係を考える上で有用な道具だと思うからだ。

 □「障害者役割」とは
  全盲の社会学者である石川准は、パーソンズの「病者役割」(=病気にかかった者は治療に専念する義務を負うとともに、通常の社会的責任を免除される)にならって、「障害者役割」という概念を提示した。障害者は「つつましく貧しく」、「障害を克服するために精一杯努力する」ことを周囲から期待されている。端的に言えば「愛やヒューマニズムを喚起し触発するようにふるまうこと」、すなわち「愛らしくあること」を期待されていると石川は言い、そのように暗黙のうちに障害者に期待される役割のことを「障害者役割」と呼んだ(*8)。
  むろん、障害者に面と向かって「愛らしくあれ」と言う人はいない。だが私たちは多かれ少なかれ「あるべき障害者らしさ」のようなものを内面化していることに気づかされる。障害者が「けなげ、ひたむき、前向き」な姿を示していれば――いわば世間の人々の期待に沿っていれば――平穏無事だが、そうでないと不協和音が生じるのだ。

 □日常の中の「障害者役割」
  例えば車椅子使用の障害者がエレベーターのない駅で駅員から介助を受けた後に感謝の言葉を述べなかった時、酔って最終電車に乗っていた時、あるいは高価な買い物をした時などに、周囲から冷ややかな視線を浴びる――というのは、非常によくあることだ。
  こうした場面に遭遇した時、障害者に非難の目を向けないまでも、微妙な「違和感」を覚えるような心性は、実は大半の人にあるのではないか。これは、この社会の隅々で――メディア、書籍、教育においても――「あるべき障害者像」が繰り返し示され、私たちに刷り込まれていることの証拠である。テレビに映る障害者は常に明るくさわやかで、慎ましく、感謝を忘れず、上記のような「違和感」を決して感じさせない 。

 □「障害者役割」のはたらき
  「障害者役割」は健常者に都合よく機能する。なぜならこのような「あるべき像」を障害者に投影している限りは、内心ひそかに持つ障害者嫌悪の感情や、それに伴う罪悪感(後ろめたさ)を忘れることができるからだ。その像にあてはまらない障害者の姿が偶然目に入った時は、一瞬嫌悪や同情を感じるが、すぐに忘れてしまう。障害者の側からすると、「障害者役割」に適合的なふるまいをすれば受け入れられ、そうでない時は――あるいはそもそも健常者の期待に沿いようがない人は――非難あるいは無視される。また、健常者のまなざしを予期して、自由な言動をあきらめてしまう障害者もいる。つまり「障害者役割」とは、健常者が障害者に「こうあってほしい」と望み、それが投影されたものであるから、まさに非対称な社会関係を映し出す鏡といえる。

 □歴史的に形成されてきた「障害者役割」
  なぜこのような関係ができているのか。それは、いつの時代にも障害者は自活が困難な状況におかれ、生きるために他者から庇護を受けざるをえなかったことと関係がある。(特に重度の)障害者は生殺与奪を身近な健常者に握られてきた。障害者は幼い時から「周囲の人に気に入られなければいけない、世話されている身分で文句を言うな」と言われ、それを受け入れなければ生きられない現実があった。在宅でも施設に入所した場合も同様だ。障害者は周囲のまなざしを意識して頑張ったり感謝したりせざるをえず、その姿は健常者に受け入れられやすいがゆえに、語られやすかった。「障害者役割」は平穏無事な風景を維持しつつ、障害者の行動を縛り、内面を抑圧してきたのである。
  こうした生活や障害者像の不当さに気づいた障害当事者の運動は、地域での自立生活の基盤をつくるとともに、障害者自身の内なる抑圧からの解放をもめざしてきた。だがその歴史は未だ浅く、この社会に十分浸透してはいない。そう考えていくと、「障害者役割」が私たちの常識的な枠組みになっているのは、ゆえなきことではないのだ。

 5 小括
  本節で述べた概念の関係を整理しておこう。「個人モデル、社会モデル」は、問題の焦点(個人の障害か、社会の不備か)や克服の主体(個人か、社会全体か)を規定するパラダイムであった。そして「障害者役割」は、社会で表象される「障害者」像や、障害者と健常者の非対称な関係を読み解く道具であった。
  障害者個人に努力を求める「個人モデル」のパラダイムは、人々による「障害者役割」の内面化と親和的である。他方、「社会モデル」の立場からは、「障害者役割」は健常者社会がつくりだした障害者に抑圧的にはたらく規範に他ならず、解体すべきものと考えられる。
  本節で述べた概念を手がかりにして、三節では人権啓発のあり方を検討していく。

   三節 「障害者問題啓発」再考のために

 1 人権啓発を規定する「個人モデル」

 □啓発の中の障害観
  一節で述べた人権啓発の筋書きに見られる障害観と、その帰結について考えてみたい。啓発の実践はどんな障害観に基づいて企画され、参加者はそれをどう解釈するのか。一節の2の事例の紹介文から検討しよう。
  講演(a)では、「盲ろうという障害を克服し」とある。これを読んだ人は、障害の重さと「助教授」との落差から、Y先生はきっと大変な努力をしたはずだ、周囲も彼を支えたろうと予想する。(b)の青年は「プラス思考」で明るいとされる。その彼の性格や行動力によって、周囲も彼を応援していると想像される。講演(c)のZさんは「愛に支えられ」とある。人生の中途で障害をもった彼女を家族や恋人が支え、彼女自身もそれに応えて相当な努力をしてきたのだろうと予測される。
  ここでの障害観は、いずれも完璧な「個人モデル」である。また、個々の障害者に「障害者役割」が投影されていることも見てとれる。参加者は「障害ゆえの困難を本人の努力と周囲の支えによって乗り越えてきた」という物語を予想し、解釈枠組みをつくる。そしてその型枠に流し込まれるように講演者の話が入ってくるのだ。

 □個人モデルがもたらす「社会」の忘却
  筆者の個人的体験だが、昨年ある人権関連の講座に出席した時のことだ。障害をもつ知人が講師を務め、「障害者として感じる抑圧、それを生み出す健常者の思いこみ」について、エピソードを交えて話した。だが話の後、「○○さんは前向きですね」「障害者には見えません」といった感想が参加者から続出し、講師を落胆させた(むろん違う感想をもった人もいたろうが)。そこでは「障害者役割」が生身の人間に投影され、もろもろの話が「あのような障害をもつ人でも頑張っている」という構図に回収されていた。彼が発した言葉は参加者に必ずしも届かなかったのである。
  やはり個人的体験で恐縮だが、筆者は事例(a)のY先生の講演を二〇〇一年に聴いた。「盲ろう者にとって情報やコミュニケーションの保障は空気と同じぐらい大切だが、通訳介助者は圧倒的に不足し、当事者は孤立しがち」といった現状が語られていたが、参加者の反応はY先生への賛辞と「心が洗われました」といった感動一色であった。Y先生の被差別体験も「障害者は何かと大変だ」という印象を強化するように作用し、そんな中で活躍するY先生はますます素晴らしい、と感じられたのかもしれない。むろん感動するのは「自然」なことだし、感動を語るのも心地よいことだ。参加者は帰宅後、家族にもY先生に会った感動を伝えるかもしれない。だがこの人々は、社会が盲ろう者の状況にいかに無関心か、制度が不備であるかを、今後も心に留めていくだろうか。

 □個人モデル的な啓発の限界
  問題は、障害者が何を語ろうとも、個人モデル的な解釈枠組みに回収されて「社会」の問題が隠れ(*9)、その結果、参加者が社会を批判的に見たり、自らの「障害者」観を振り返ったりする契機となりにくいことである。語り手の意図とは別に、参加者が印象づけられるのは「個人の努力や生き方」であり、そのように聞くのが礼儀とも感じられるから、一概に悪いとも言えない。
  もともと人権啓発は、個人に焦点をあてて「共感」を喚起するには有効だが、「社会のあり方」(環境・制度・価値観)に焦点を合わせにくい性質を、限界として持っている。これは人権啓発一般に言えることであろうが、障害者の場合に特に「個人を賞賛しようとする力」が強くはたらくと言える。これはむろん「障害者役割」と関係がある。この現状をうち破る啓発を考えるなら、啓発の枠組みや目的自体を問い直さなくてはならないだろう。

 2 人権啓発における「障害者役割」の問題性

  人権啓発の場でも障害者が「障害者役割」を投影されがちであることを、先に述べた。またそもそも、ゲストとして選ばれやすいのは、「障害者役割」に適合的と判断される人だ。そのことが何を意味し、また「人権」啓発として何が問題なのかを考えたい。

 @葛藤の回避
  啓発の場で障害者を好意的に眺めている限り、参加者は「自分は差別などしない」と思うことができる。そこでは「電車の中で奇声を発する子ども」を見かけた時に生じるような微妙な感情とは無縁に、安心して過ごすことができる。つまり「障害者役割」を目の前の障害者に投影することで葛藤を回避できるのだ。自分の中の「障害者役割」に適合的な障害者像は揺るがず、むしろ強化される。このような人権啓発での経験が、会場を一歩出た後に実際に多様な障害者と出会った時にプラスにはたらく保証はない。予定調和的な啓発では、葛藤を経て相互理解に近づくような契機は生まれにくいのだ。

 A当事者のエンパワメントと権利伸長への逆行 
  「社会の不備が障害者に差別や不利益を強いているのだから、その改善を堂々と要求してよい」というのが、社会モデルを生んだ障害者運動の呼びかけであった。また、障害者の自己決定による自立生活が追求されているのは、障害者がそれを奪われてきたからである。しかし障害者自身の「権利の主張」や「自己決定」そのものが、「障害者役割」に反することに注目したい。
  障害者が自分の希望を実現しようとしたり、あるいは不当な扱いに声をあげた時、「人の(税金の)お世話になっているのに」という非難を浴びることは珍しくない。現実に、それを恐れて(生活のため、あるいは「我慢しなくてよいのだ」と学ぶ機会もなかったために)我慢を強いられている障害者がどれほど多いことか。
  そもそも「障害者役割」を生身の障害者に投影するということは、その人を表面的に持ち上げてはいるが、対等な人間として尊重する態度ではないのだ。
  障害当事者運動は「われら自身の声 (*10)」を発し、この十年ほどの間にも急速に、権利の主体としての障害者観を発展させてきている。障害者権利条約の制定、あるいは日本国内での差別禁止法に向けた動きもその表れだ。障害者自身がこの社会をどう見ており、どう変えようとしているのか。それを学んでいくことは重要な人権学習となるはずであるし、学ぶ中でおのずと「障害者役割」的な見方が崩されていく契機もあると考える。

 B人権侵害の現実の隠蔽
  障害学の論者、倉本智明は、障害者への「理解」をうたう催しの多くは、「障害者の現実を伝えるどころか、逆に、障害者の『生』とそのイメージを健常者にとって都合のいいものへと変形し再生産するための装置として機能している」という(*11)。健常者に心地よく受け入れられる物語やイメージが、啓発の中でも反復されることの意味を考えてみたい。
  例えば「企業に就職した車椅子青年」や「全盲のピアニスト」の話は歓迎されるが、圧倒的多数の障害者が一般就労から排除されている事実はほとんど語られない。実際、狭き門をくぐれるのは障害が軽度で、かつ健常者から見て受け入れやすい人物だ。そこに個人の努力では越えようのない障壁があっても、その不当性は問われない。人権課題を学ぶなら、事業主の怠慢やそれを許している法や制度の不備、人々の無関心等に切り込む必要があろうし、また、解決のためにどんな社会資源や取り組みがあるかを学ぶことも大切だ(他方で、「稼いでこそ一人前」という人間観を相対化する契機も必要である)。そうした要素が欠落していれば、青年やピアニストの話はただ「頑張れば報われる」という心地よい物語として消費され、「頑張っても報われない」現実は隠蔽される。
  さらに言えば、重い言語障害のある人、容貌や身体の動きが独特で忌避されやすい人、挙動不審に見えてしまう人などは、普段から差別的扱いを受けやすい。正しい知識・認識の普及が切実に求められるにもかかわらず、このような人達は啓発に登場しにくい。当人の思いを伝えたり(言葉では伝えようがない人もいるが)、情報提供したりすることで偏見を縮小することが可能であるのに、そうした努力は充分なされていない。
  こうしたことを思うと、今さらながら「差別の現実から深く学ぶ」必要性を痛感する。啓発担当者は障害当事者運動やセルフヘルプグループ等と継続的に接触し、当事者が蓄積している情報や知恵から学んだ上で、どんな学習内容が必要かを考えてほしいと思う。

 C「人権」概念そのものへの逆行
  啓発で育てるべきは、「好かれやすい障害者に共感する」市民ではなく、「どんな人でもかけがえのない生を生きていることを認め、社会のあり方を問いつづけ、人権尊重の立場に立つ」ことのできる市民であろう。例えば、精神障害者を地域で排除するような動きが起きた時、敢然と立ち向かえるような市民だ。
  そのために必要なのは、自らの葛藤を顕在化させつつ対話したり、「障害者の側が社会の何をどう見ているか」を知ることで自らの「健常者中心の発想」を相対化したり、あるいは言葉でのやりとりが困難な人とも「共生」する術があることを知るような体験であろう。
  言うまでもなく、人権とは、「この人になら認めてあげてよい」と多数派が思える人に恩恵的に与えられるものではなく、誰もが保障されるべきものだ。こうした人権観を、実感とともに身につけることも、人権教育・啓発の大切な目的の一つであろう。人権啓発のゲストとして「障害者役割」に適合的な人を(無意識的にせよ)選ぶこと自体が、人権理解からも逆行しているのではないか。

 3 小括
  三節では、人権啓発が「個人モデル」の障害観や「障害者役割」に適合的な障害者観に規定されやすいことを指摘し、その問題点を述べてきた。しかし、それを乗り越える方法を具体的に提案するだけの紙幅はない。そこで、ここまで述べてきたこと以外で、考える糸口となりそうだと思われることを簡単に記しておく。
 ・障害当事者運動の歴史を、書物や聞き取りから学ぶ(*12)。
 ・人権啓発担当者は自分が身につけてきた「障害者」観や、社会観を振りかえり、常に自覚的になる。
 ・障害者運動体と信頼関係をつくり、人権啓発の計画段階から多様な障害当事者に参加してもらい、現実や課題を適切に反映するような「当事者参加の啓発」のシステムをつくる。
 ・障害者の体験を「個人の物語」に終わらせず、「社会のあり方を問う」学習に展開できるよう、参加型ワークショップの手法を開発する。そこで「社会モデル」の考え方を学ぶ。
 ・メディア・リテラシーの取り組み等を参考に、「障害者役割」を対象化するための学習を構想する。

   おわりに

  本稿は障害者問題啓発を批判的に見ると同時に、人権啓発の枠組み自体を問い直す必要性を論じてきた。
  阿久澤麻理子は、人権啓発関係者が「学ぶべき人権」と考えているものが「思いやり、やさしさ」に偏っている現状を調査から明らかにした上で、人権教育は「社会」を積極的に意識し、「私人間の差別であっても社会システムの問題として捉える」必要があると主張する(*13)。また北口末広は、人権教育・啓発には「差別の本質を政治や経済、社会のしくみとの関わりでとらえず、差別の責任を人の心や姿勢」にあるとする「融和思想」が今なお強い点を批判し、社会のしくみを捉える重要性を指摘する(*14)。筆者はこれらの意見に同感だ。障害当事者運動から生まれた障害学は、差別や不利益を徹底して「社会」の文脈の中で捉えることを主張してきた。「思いやり」の喚起では、障害者が尊厳をもって生きる社会は実現しないからである。
  石川准は、障害者は「他ならぬヒューマニズムによって、気まぐれな人間愛を恵んでもらう客体の位置」に置かれてきたという(*15)。世間が求める「障害者役割」と、「やさしさ、思いやりの啓発」との間には奇妙な親和性がある。きつい言い方をすれば、障害者は「やさしさ、思いやりを喚起する」役割を担わされ、いわば利用されてきたのではないか。それは障害者の「われら自身の声」とも、人権ともかけ離れたものだ。
  だが、こうも言えると思う。「社会モデル」や、「障害者役割」批判という視座から障害者問題啓発を見る時、「やさしさ、思いやり」の啓発の限界性が最も鋭く見えてくるとともに、それを乗り越える方法や、障害者問題の学習を普遍化する地平をも展望できるのではないか。
  読者の皆さんからのさまざまな批判やコメントを期待したい。


(1)先行研究は他の差別問題の場合と比べて驚くほど少ない。例外として堀の論考がある。堀は健常者が障害者と出会う体験の意義を強調した。堀正嗣『障害児教育とノーマライゼーション』、明石書店、一九九八年、一六一〜一八〇頁。
(2)「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の北村小夜は各社の国語教科書を分析し、障害者の登場する物語が著しく増えたこと、だがそれらが揃って「世の中の秩序にはけっしてさからわない、やさしい心をもったけなげな障害者」像を示していることを指摘している。北村小夜『慈愛による差別 障害者は天皇制を見限り始めた』 軌跡社、五九頁。
(3)石川准・長瀬修編『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』、明石書店、一九九九年、一一頁。
(4)この背景には、女性学や黒人学(Black Studies)等、他のマイノリティ当事者による学問と制度の進展がある。女性学が「女性についてのもろもろの学問の総称」ではなく、主流の「知」に潜む男性中心的なイデオロギーを問う学際的な取り組みであることは、障害学が健常者中心的なイデオロギーを問うていることと似ている。
(5)日本での障害学の普及は九〇年代後半であるが、障害学は「輸入品」ではない。七〇年頃から日本の障害当事者運動は地域での生活をつくりつつ、優生思想や分離教育を問い、介助保障や交通アクセス権を求めてきた。その中で深い思索もなされていた。現在、関西と関東で「障害学研究会」が定例化し、障害当事者を含む研究者、生活者、実践家など多様な人が集まっている。関心のある方は立岩真也氏のHPを参照して頂きたい。(http://www.arsvi.com
(6)個人モデルは別名「医学モデル」といい、治療やリハビリによる身体機能向上を問題解決の柱と考え、障害者は何をおいてもそれに専念すべきとされる。他方、社会モデルは医療を相対化し、治療も訓練も本人の選択だと考える。
(7)一九九三年に国連総会で採択された「障害者の機会均等に関する基準規則」では既に社会モデルが採用され、「障害者権利条約」制定に向けた動きの中で、社会モデルを「人権モデル」と呼ぶ提案が行われている。「障害者差別禁止法制定」作業チーム編『当事者がつくる障害者差別禁止法――保護から権利へ』 現代書館、二〇〇二年。
(8)石川准 1992『アイデンティティ・ゲーム』 新評論、一一八頁。
(9)「社会の不備」に考えをめぐらすにせよ、「日本の福祉は遅れている」といった感想に落ち着きがちではないか。
(10)「われら自身の声(Voice of our own)」とは、障害当事者が障害種別を越えて結集している団体、障害者インターナショナル(DPI)のスローガンである。
(11)倉本智明「異形のパラドックス」、石川・長瀬編『障害学への招待』、明石書店、一九九九年、二三一頁。
(12)部落問題学習が歴史抜きでは学べないのと同様、障害当事者運動の歴史を学ぶのは人権学習として非常に重要である。以下が参考になろう。大阪人権博物館『障害者でええやんか! 変革のとき−新しい自立観・人間観の創造を』 大阪人権博物館、二〇〇二年。全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』現代書館、二〇〇一年。杉本章『障害者はどう生きてきたか 戦前戦後障害者運動史』 Nプランニング、二〇〇一年。
(13)阿久澤麻理子「今、人権教育に求められること」『部落解放』四七八号、二〇〇〇年一二月、七四〜八三頁。
(14)北口末広『人権の時代をひらく――改革へのヒント』解放出版社、二〇〇一年、八三頁。
(15)石川、前掲書、一一八頁。

参考文献
石川准・倉本智明編『障害学の主張』明石書店。二〇〇二年。
倉本智明・長瀬修編『障害学を語る』エンパワメント研究所、二〇〇一年。
Barnes, Colin et al. Exploring Disability, Polity Press, 1999(杉野昭博・山下幸子・松波訳で二〇〇三年に明石書店より『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』として邦訳出版予定。)

  『部落解放研究』151号 2003.4(2003年4月25日発行)所収


UP: 20030508

障害学  ◇松波 めぐみ  ◇全文掲載
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